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手塚和彰さんは、日本とドイツで進行している停滞は少子高齢社会がもたらす諸問題の克服が遅れると最悪のシナリオも考えられる、という。 2050年頃に日独で想定されるシナリオは次のようなものだそうです。・国家の破産状態 毎年就業人口が減少し税収も減少し、同時に、年金、健康保険への補助は増え続け、国の財政赤字が続き、必要最小限のインフラである、道路、学校や大学などへの予算も削減の一途となる。 国民は税金も社会保険料も払わないで済むブラックマーケットで働く傾向が増し、国民の多くは金がなくなって家や不動産を売らざるを得ず、さらに、株や証券を投げ売りするようになった結果、これらは次々と価格低下をもたらし国民の資産はますます減少する。・社会保障システムの崩壊 公的年金保険、健康保険制度が崩壊し破産状態になり、年金受給者は自らに支払い能力がなければ心臓手術や人工関節といったような治療も受けられず介護も十分なものは受けられない。・生産現場の国外への流失 高齢者の商品に対する需要は激減し、高齢化の進む日独の市場は企業にとって魅力のないものとなる。 高い税率のため産業立地としてますます悪条件となり優秀で生産性の高い労働者も不足し、生産現場はもとよりイノベーションや研究開発部門もみな国外に流失する。・完全雇用は夢のまた夢 いったん雇用した労働力は雇い続けていれば賃金労務費が上昇するため、通常の質の労働力に関してはより安く潤沢な国外にこれを求め工場・オフィスが移転し、安価な労働力は増えつつもますます保障のない雇われ方をする。 労働市場においてはとりわけ個別化差別化が必要なのだが、現在日独ともに長年の年功序列や雇用保障の結果、優れた個性ある労働力の獲得が困難である。・人材の流出 高税率高負担の国になるとますます日本やドイツに行こうという優秀な若者は少なくなり、高度な教育を受けた若い人々はその幸運をアメリカやアジアに求めて流出する。・都市の機能崩壊 激減する人口によって居住空間の必要も減少し土地価格や住宅価格が下落し、多くの古い住宅所有者はその資産価値を失い通りは歯の抜けたようになり荒れ放題になる。 高齢者の居住地域は限定され固まって住むことも起こり、若く優秀な世代は勤務先に近く良い学校や幼椎園などがある地域に集中する。 ゲットーが生まれ商店は無くなり役所なども移動し市内交通機関も維持できずに廃止され、電気・ガスや水道への投資も進まずしだいに廃れ住宅は荒れっばなしとなる。・政治による解決の不能 高齢者は常に選挙における多数票であり若者の利益を代表する議席数は少なく、若者のアパシーは進み一部の意欲ある者だけが議会の外での反対運動を組織して高齢世代の利益追求一点張りの政治的圧力を拒否するだけにとどまる。 国民からの圧倒的な世論は強い国家像を追求するが、国民のコンセンサスは生まれず政治は混迷するだけに終わる。---------- こうならないことを祈ります。
2009.05.26
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日銀は2009年度の成長見込みを、GDPの実質成長率はマイナス3.1%と、1月時点の予測マイナス2.0%から大幅に下方修正しました。 消費者物価指数も1.5%下落と、1月時点の予測1.1%下落から下落幅の拡大を見込んでいます。 景気は大幅に悪化し先行きも当面悪化を続ける可能性が高いとの厳しい認識を示してきましたが、先日、アメリカの最近の経済指標は明るい兆しが出始めていて、景気後退の速度が鈍化しているという報告がありました。 終わりのない経済危機というものはなく、適切なタイミングでの脱出も意識しておかなければなりません。 3月の鉱工業生産が6カ月ぶりに改善したことなどから、日銀が景気の現状は従来の大幅に悪化しているとの表現を上方修正する検討に入ったそうです。 輸出や生産をめぐる経済指標で、下げ止まりの兆しが見えてきたためです。 しかし、従来の減少が続いているから、減少のテンポが緩やかになってきているという意味での上方修正です。 金融市場には不安定さが残り、雇用・消費の悪化も懸念されるため、日銀は景気下振れリスクがあるとの見方を崩していません。 まだまだ予断を許さないのではないでしょうか。 景気判断を上方修正しても小幅にとどめるとみられます。
2009.05.19
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等持院には、境内の霊光殿、本尊の地蔵菩薩像の他、足利歴代の将軍、徳川家康の木像があります。 ”京の古寺から20 等持院”(1997年12月 淡交社刊 川勝承哲/井上博道夫著)を読みました。 足利家の歴代将軍の菩提寺として知られる等持院を文章と写真で紹介しています。 川勝承哲さんは、等持院副住職で、1929年京都市生まれ、1959年立命館大学大学院文学研究科哲学専攻卒業、1964年聖カタリナ学園聖家族女子高等学校教頭、1975年得度しました。 井上博通さんは、1931年兵庫県香住町にある禅寺の長男として生まれ、1954年龍谷大学仏教史学科卒業、1955年産経新聞大阪本社入社、写真部勤務となり、その後フリーカメラマンとして独立しました。 足利尊氏は、1341年に現在の京都市中京区柳馬場御池付近に等持寺を建立し、その2年後の1343年、現在の京都市北区等持院北町に別院北等持寺を建立しました。 尊氏の死後、別院北等持寺は尊氏の墓所となり、その名前を等持院と改称しました。 その後、応仁の乱で柳馬場の本寺が焼失したため、別院だった現在の等持院が本寺になりました。 3代将軍足利義満、8代将軍足利義政が尽力をつくして発展させ、禅宗十刹の筆頭寺院となりました。 相国寺山外塔頭の真如寺が義満により出来るまでは幕府の重要な行事を果たしていました。 現方丈は1616年に福島正則が妙心寺海福院から移設したものです。 襖絵は狩野興以の作で、庭園は夢窓国師作と伝えられます。
2009.05.12
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10年後の日本の姿はどうなっているでしょうか。 ”10年後のあなた”(2007年8月 文藝春秋社刊 日本の論点編集部編)を読みました。 人口減少、高齢化、格差拡大などがもたらす10年後の日本の姿を8つのシミュレーションと39の項目から具体的に描いています。 最初にシミュレーションがあります。 第4章「岐路に立つ女性たち」から。 離婚を機に郷里で再出発を期した1969年生まれの介護福祉士、松永尚美は、10年後の2017年7月、梅雨明けのまだ遠い、じめじめしたある日、約束の時間に間に合わせようと、汗だくで自転車を漕いだ。訪問先の家では、妻に先立たれた75歳の男性が、40歳になる独身の息子と二人で暮らしている。昼間、息子が勤めに行っている間に、掃除と洗濯、夕食の支度をするのが尚美の仕事だった。老人は要介護2で、認知症だが、ときどきシャツを裏返しに看ていたりする程度で、それほど深刻な症状は出ていない。昨年亡くなった妻が、家事を一手に引き受けていたため、この家の男二人は何もできない。かつてあったホームヘルパという職業はいまはない。介護の質を高めるため、すべて介護福祉士の資格に統一された。尚美はバブル世代で、大学を卒業して東京の中堅印刷会社に就職したが、バブルがはじけると会社はいっきに業績が悪化し厳しい成果主義が導入され退社する者が続出した。尚美も辞めたくなったが、当面はいまの会社で我慢して、その問に何かの資格をとり、いつ会社を辞めてもいいようにしようと考えた。33歳のとき妊娠して、2歳下のフリーターとできちゃった婚した。婚姻届を出したあと、妊娠5カ月で退社し、専業主婦となった。夫はもともと建設会社に勤めていたが、小泉構造改革の不良債権処理のあおりを受けて失業、再就職できないまのフリーターを続けていた。結婚を機にようやく携帯電話会社に再就職したものの、月給は手取り25万円そこそこと低かった。34歳で良男、37歳で長女を産んだ。無理して買ったマンションのローンが払えず、夫婦ともに実家からの援助をあおいでいた。実家からは帰ってこいという要請が頻々ときたが、長男が8歳、長女が5歳のとき年金分割の取り決めをして離婚した。子供は尚美がひきとり、月に10万円の養育費を受け取る約束を交わしたが、元夫の甲斐性のなさを知っているだけに、あまり期待はできなかった。42歳の子連れ女に、ハローワークの敷居は高い。栃木の田舎に帰ろうかきそう思っていた矢先、父が友人の借金の保証人になったために2000万円の負債を抱え込み、経営していた養魚場が人手に渡ってしまった。父母の暮らしは、いきなり年金額みになった。実家には、娘一家を養う財力はもうない。生きがいを失った父はいっきに老け込み、一日じゅうぼーっとしているようになった。母はまだ気丈だったので、尚実は、子供たちと父の世話を母にまかせて、自分が働きに出るしかない、と覚悟を決めた。田舎では働く場所は限られているので、介護福祉士募集のポスターにつられて介護福祉士としての登録をした。第1章 広がる格差(景気回復は本物か―格差拡大を暗示する条件が揃った、成長経済の現実―役員報酬は上がり、社員の給料は下がるほか)第2章 少子家族のゆくえ(生産人口が激減―消費が衰微し、経済を直撃;移民社会がやってくる―労働人口の減少を補う外国人ほか)第3章 逃げ切れるか団塊(年金制度はいつまでもつか―老後資金を年金だけに頼れるか、資産運用はどうする―インフレリスクに対処するにはほか)第4章 岐路に立つ女性たち(産むか産まないか―人生を損得勘定で考える団塊ジュニア世代、「できちゃった婚」に抵抗なし―望まない妊娠に潜む危うい未来ほか)
2009.05.05
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