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今の日本はどこかおかしい、なにかがおかしいと思う人は、大勢います。 なにかがおかしいと思うきっかけは人によってさまざまです。 いじめの深刻化、ニートやひきこもりの増加、格差社会の拡大、通り魔殺人などなど。 ”日本の行く道”(2007年12月 集英社新書 橋本 治著)を読みました。 今の日本に漠然としてある気の重さを晴らそうと、作家の考える、教育、家、政治、経済などの行く道の模索の記録です。 橋本 治さんは、1948年、東京生まれ、東京大学文学部国文科卒で、1977年に『桃尻娘』で講談社小説現代新人賞佳作を受賞し、以後、小説、評論、戯曲、エッセイで幅広い創作活動を続けています。 きっかけはさまざまでも、共通するのは今の日本はどこかおかしいということです。 少し前までは、こういう感じ方は老人の専売特許のようなものでした。 自分の現在はそれなりに安定していて、眉をひそめさせるような由々しい事件は、自分とは離れたところで起こります。 だから、今の世の中はどこかがおかしい、昔はこんなことがなかったと言ったりしました。 でも、今の日本では、社会の中心で活動しているはずの人達でさえ、景気は回復したと言うけれどそんな実感はない、というような感じ方をします。 ある意味で、もう格差社会が当たり前になっているからです。 自分は世の中の一員としてちゃんと生きているはずなのに、世の中はその自分のあり方とは違うところで自分の知らないような動き方をしています。 だから、なんかへんだと思うのです。 疎外感という言葉は1950年代から60年代の間にもう一般化しています。 ただし、その疎外感は個人的なもので、そうそうやたらの人間の間で共有されるものではありませんでした。 でも、今の日本のなんかへんだは違っています。 自分がいて、その外側にとても大きな異常事態が進行しています。 この本は、そのなにかがおかしい日本の、途方もない原因を探ろうとするものです。第1章 「子供の問題」で「大人の問題」を考えてみる(どこから話を始めるか?;どうして子供が自殺をするのか?)第2章 「教育」の周辺にあったもの(「いじめっ子」はどこに消える?;一九八五年に起こったこと;思いやりのなさが人を混乱させる)第3章 いきなりの結論(産業革命前に戻せばいい;歴史に「もしも」は禁物だけど;産業革命がもたらしたもの)第4章 「家」を考える(「家」というシステム;機械は人を疎外し、豊かさもまた人を疎外する)
2009.02.24
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酬恩庵は山号は霊瑞山、本尊は釈迦如来で、枯山水の石庭や一休和尚の木像のほか、塩辛納豆の一種である一休寺納豆でも有名です。 ”京の古寺から14 一体寺”(1995年12月 淡交社刊 田邊宗一/永野一晃著)を読みました。 一休寺と称される、京都府京田辺市の臨済宗大徳寺派酬恩庵の四季を、写真と文章で紹介しています。 著者の田邊宗一さんは酬恩庵住職で、1949年京都府田辺町の酬恩庵に生まれ、1972年花園大学文学部卒業し、名古屋徳源僧堂掛塔を経て、1977年酬恩庵住職となりました。 永野一晃さんは、1945年京都府生まれ、1966年ヤラカス館本店に入社、ファッション、料理などの広告写真撮影に従事し、1971年フリーランスとなり、大阪にスタジオIKKOを設立し、1977年永野一見写真事務所として出版物の写真撮影を多数手がけました。 酬恩庵の前身は正応年間(1299年~1293年)南浦紹明が開いた妙勝寺で、元弘年間(1331年~1334年)に兵火にあって衰退していたのを、康正2年(1456年)一休宗純が草庵を結んで中興し酬恩庵と号しました。 江戸時代に前田利常が伽藍を再興し、江戸幕府からは朱印状が与えられていました。 一休は、末期的といわれた室町時代の乱世にあって激しく生きた人たちのひとりでした。 その生き方や行動は現代人の心の中に今も息づいています。 後小松天皇を父として、応永元年(1394年)の元旦に誕生しました。 天皇のそば近く宮仕えをしていた日野中納言の娘照子姫との間に生まれたといわれています。 照子姫はねたむ人たちの計略にあって宮中を出て、一休は洛西の民家で誕生しました。 幼名は千菊丸といい、生母のもとで育てられましたが、6歳の頃その将来を僧侶にと願った母の考えで、臨済宗の安国寺の像外鑑公和尚のもとに出家し、周建と名づけられ、ここで11年間にわたって禅の修行をしました。 応永17年(1410年)、17歳で謙翁宗為の弟子となり、戒名を宗純と改め、応永22年(1415年)に京都の大徳寺の高華叟宗曇の弟子となりました。 そして、応永27年(1420年)のある夜、カラスの鳴き声を聞いて、俄かに大悟した、といいます。 以後は詩・狂歌・書画と風狂の生活を送りました。 1481年、88歳で酬恩庵に没しました。 京の古寺から(14)
2009.02.10
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敷金・礼金、仲介料ゼロ、仲間つき、保証人不要で、入退居も簡単、これが、首都圏で急増中のゲストハウスです。 ゲストハウスは、外国人旅行者、バックパッカー向けの比較的安く長期に泊まれる簡易宿泊施設という意味合いが強い外国人ハウスです。 ”ゲストハウスに住もう!”(2004年12月 晶文社刊 今 一生著)を読みました。 安く住みたい、仲間とホッとしたい、そんな賃貸スタイルが、昨今はやりの外人ハウスで、世界標準的共同生活であり、TOKYOに今すぐ来たい人は即GETすべしといいます。 著者の今一生さんは1965年生まれで、コピーライターを経て1990年からフリーライターになり、オルタナティヴ・カルチャーを題材にさまざまなイヴェントを主催しています。 ゲストハウスには、キッチンやリビングなどの共用スペースがあります。 個室もありますがシェアルームが多いです。 東南アジア方面では、共同トイレ・シャワーの安宿というイメージです。 月単位の料金設定をしているところもあり、そこではアパートのように長期滞在も可能です。 首都圏では、シェア住居型ゲストハウスを意味することもあります。 ここにやってくるのは特別な人ではなく、引きこもりから脱したい、懐は寒いけれど親元を離れてみたい、夢を実現するために東京で暮らしたい、暴力夫から逃げたい、などなど。 自分の居場所を探して一歩踏み出した彼らは、どんな生活をして、何を見出しているのでしょうか。 ゲストハスならではのメリットと、知っておきたいこと、プライバシーの守り方、隣人との上手なつきあい方、物件探しのコツなど、実用情報を満載しています。・ゲストハウスの基礎知識(住む前に知っておきたい5ヶ条/ゲストハウス・ビギナーのためのQ&A)・住人インタビュー―定住しないライフスタイル(日本の田舎で浮いてる人もOK!/住みたい場所へサクッと移住ほか)・業者トップ座談会(外国人との交流から生まれたゲストハウス/安くて、いろんな日本人と暮らせて、長期も可ほか・ゲストハウス&優良業者の紹介(オークハウス/ジャフプラザほか)・ゲストハウス界隈の用語集
2009.02.03
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