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一般的には、この一年間たいした災難にも遭遇することなく無事安泰に暮らせたという喜びと感謝の念を表わしています。 忙しい年の瀬でも決して足もとを乱すことなく、無事に正月を迎えられるようにと祈って使われています。 しかし禅語としては、無事とは仏や悟り道の完成を他に求めない心をいい、貴人とは貴ぶべき人すなわち仏であり悟りであり安心であり道の完成を意味しています。 人の心の奥底には生まれながらにして仏と寸分違わぬ純粋な人間性、仏になる資質ともいうべき仏性があり、それを発見し自分のものとすることが禅の修行であり、仏になることであり、悟りを得るということです。 求心歇む処、即ち無事 ・・・求める心があるうちは無事ではなく、求心歇む処が無事である。 無事是れ貴人 ・・・その無事がそのまま貴人である。 但だ造作すること莫かれ、祇だ是れ平常なれ ・・・当然のことを造作なく当然にやることが平常であり、無事である。 いかなる境界に置かれようとも、見るがまま、聞くがまま、あるがままに、すべてを造作なく処置して行くことができる人が、無事是れ貴人というべきです。
2009.12.29
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人生の持ち時間に大差ありません。 還暦のとき書いたメモには、年齢に逆らわず無理をしない、いやなことはせず楽しいことをする、眠いときには寝て醒めたら起きる、好きなものだけ食べる、義理や面子や思惑をすてる、省事で通す、友人をつくり敵をふやさないなどが書かれていたといいます。 ”この日、この空、この私ーー無所属の時間で生きる”(1999年10月 朝日新聞社刊 城山 三郎著)を読みました。 城山三郎さんは、1927年8月愛知県名古屋市生まれで、本名、杉浦英一、経済小説の開拓者で、伝記小説や歴史小説も多いです。 2007年3月に亡くなりました。 1945年愛知県立工業専門学校(現、名古屋工業大学)入学、理工系学生であったため徴兵猶予になるも大日本帝国海軍に志願入隊し、海軍特別幹部練習生として特攻隊である伏龍部隊に配属になり訓練中に終戦を迎えました。 1946年東京産業大学(現、一橋大学)予科入学、1952年改名された一橋大学卒業です。 愛知学芸大学(現、愛知教育大学)商業科助手、専任講師、1963年退職、以後、作家業に専念しました。 人生を豊かにするのは誰にも強制されない自分だけの時間を持つことです、 何でもない一日こそかけがえのない人生の一日であり、その一日以外に人生はありません。 問題はいかに深く生きるかです。 深く生きた記憶をどれほど持ったかで、その人の人生は豊かなものにも貧しいものにもなります。・お叱りの手紙・日帰りの悔い・子猫とナポレオン・慶弔積立金なんて・ヴェネツィアと黒衣・組織を超え、光の中へ・自分を見物する心・東京での一日・一日四分割法・途方もない夢・ほか
2009.12.23
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南泉と趙州との間に行われた問答です。 南泉普願禅師48歳、趙州18歳で、趙州は南泉普願禅師が亡くなるまで30余年に渡り随身しのち大禅師となりましたが、当時はまだ仏道がわかっていなかったので道について問いました。 南泉、因みに趙州問う、如何なるか是れ道。泉云く、平常心是れ道、州云く、還って趣向すべきや否や。泉云く、向わんと擬すれば即ちそむく。州云く、擬せずんば争でか是れ道なることを知らん。泉云く、道は知にも属せず不知にも属せず。知は是れ妄覚、不知は是れ無記。若し真に不擬の道に達せば、猶太虚の廓然として洞豁なるが如し。豈に強いて是非すべけんや。州、言下に於て頓悟す。 趙州 「道とはどういうものですか」 南泉 「平常心是道」 趙州 「平常心という道はどこにあるかと探し、つかむことはできますか」 南泉 「つかもうとすれば道からそれる」 趙州 「道をつかもうと向かわなければ、どうして道を知りえますか」 南泉 「道は知と不知とに属せず。知識は錯誤であり、不知は虚無だ、もし真に疑いのない道に達っせば、大空の如くからりとしてわだかまりがない。ことさら是非など微塵もない」 平常心是道とは、尽十方界=宇宙・大自然の絶え間ない活動は常に平常底であり真実であるということを表現しています。 平常底とは、例えば大地震、台風、火山の噴火や洪水等、人間にとって不都合な宇宙・大自然の活動も、宇宙・大自然それ自体においては、本来当たり前で何とも無い絶対的な真の事実なのであるということです。 平常底という事実は、我々の身体の生命活動においても同じです。 我々は、日頃、自我意識の働きによる日常生活上の喜怒哀楽が、我々の人生の全てであるかのように錯覚していますが、尽十方界真実人体である我々の身体そのものは、そんな我々の意志・意欲の如何に拘らず、本来の生命活動を休み無く続けてくれています。 だからこそ我々は生きていけるのです。 人間の喜怒哀楽は人間生命のその時その時の景色・表情に過ぎません。 どんな大きな喜び悲しみも決して何時までも長続きはせず、時間の経過と共に平常底に戻らざるを得ません。 このような平常底の事実を、解脱、脱落、三昧等と言います。 宇宙・大自然の生命活動においては人間の利害・思惑等は無関係です。
2009.12.15
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大徳寺は、京都市北区紫野大徳寺町にある禅宗寺院で、山号龍寶山、本尊釈迦如来、開基大燈国師宗峰妙超、臨済宗大徳寺派大本山です。 1325年に創立された京都でも有数の禅宗寺院で、境内には仏殿、法堂をはじめ、中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並んでいます。 大仙院は、その塔頭の1つです。 ”大仙院 京の古寺から28”(1998年8月 淡交社刊 尾関宗園/水野克比古著)を読みました。 京都にある臨済宗大徳寺内の塔頭寺院である大仙院の四季を写真と文章で紹介しています。 著者の尾関宗園さんは、1932年奈良市に生まれ、高校生の時に仏門に入り、奈良教育大学卒業後、京都の相国寺僧堂で雲水修行、1965年大徳寺塔頭大仙院の住職となりました。 水野克比古さんは、1941年京都市上京区に生まれ、1964年同志社大学文学部卒業、1969年からフリーランス・フォトグラファーとして、日本の伝統文化を深く見つめ、京都の風物を題材とした撮影に取り組みました。 大仙院は、1509年に大徳寺76世住職古岳宗亘、大聖国師によって創建され、現在22に及ぶ大徳寺塔頭中、北派本庵として最も尊重重視される名刹です。 大仙院の三世古径和尚は、豊臣秀吉の怒りにふれ加茂の河原で梟首された千利休の首を山内に持ち帰り手厚く葬りました。 また漬け物のたくあんを考案したとされる七世沢庵和尚が宮本武蔵に剣道の極意を教えた所としても有名です。 本堂は、1513年に古岳宗亘が自分の隠居所として建立したもので、日本の方丈建築としては東福寺・龍吟庵方丈に次いで古い遺構です。 大仙院の床の間は日本最古とされ、玄関も日本最古の玄関として国宝に指定されています。 枯山水庭園は、蓬莱山から落ちる滝、堰を切って大海に流れ込む水をすべて砂で表し、宝船や長寿の鶴亀を岩組で表した開祖古岳宗亘禅師による室町時代の代表的な枯山水庭園です。
2009.12.08
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1億総中流時代は昔の話になり、かつて世界一を誇っていた治安の良さは先進国で検挙率最低の部類にランクされるまでになりました。 互いが助け合うセーフティネットの確立された日本は瓦解しました。 また、これまで地域間格差の拡大防止に膨大な公共事業を行い、800兆円以上もの借金を積み上げることになりました。 2010年度の予算も大幅なアップになり、GDPの2倍に近づいています。 これからの日本はどうなるのでしょうか。 ”10年後の日本”(2005年11月 文藝春秋社刊 日本の論点編集部編)を読みました。 プライマリーバランスの赤字額が2005年度の一般会計予算で約16兆円になっている日本の10年後を、悲観的に概観しています。 赤字幅をなくすには歳出を削減するか、歳入を増やすしかありません。 歳出の方は、今回行われた事業仕分けも財務省のパフォーマンスの色彩が濃く、結果的に大幅なカットはできないことになりました。 歳入の方は、今後景気の劇的な回復によって税収増を期待することはできません。 そうなると増税しかなくなりそうです。 少子高齢化は世界に類例のないスピードで進み、2015年には日本人の4人に1人が高齢者になっていると予想されます。 年金、介護、医療などの社会保障費は、2004年度の85兆円から、2025年には168兆円にまで倍増すると言われています。 これを消費税で補填しなくてはならなくなりそうです。 日本の財政赤字は深刻の度を深めています。 2004年度のGDPが505兆円だったですから、公債残高のGDP比率は154%で、先進国で類を見ない突出した数字です。 EU加盟各国平均は70%前後、米国でも65%です。 全世界の開発途上国の累積債務の総額が約2003年時点で226兆円ですから、日本の公債残高の大きさは異常といわざるをえません。 2005年度予算の一般会計歳出は82兆円で、税収が見込まれているのは44兆円でした。 いまの方がずっとひどくなっていると思われます。 税収の不足分は国債発行で穴埋めしなければならない状態です。 穴埋めすれば公債依存度が高まります。 毎年のように税収不足を国債で補いながら、同時に借金の利払いと返済を、また新たな借金で返すことを繰り返していれば、雪だるま式に公債が累増するのは当然です。 これまでは、返済のあてなく累増を続ける国の巨額債務を前にして、国債はこれまで比較的順調に消化され、長期金利は1%台で推移してきました。 国民がまだ日本政府を信じているからでしょう。 しかし、財政赤字と公債の累増を放置していれば、やがて日本政府が国民の信頼を失う日が来そうです。 日本国債が投資不適格の烙印をおされる事態になれば、長期金利は急騰し、国債の金利負担が急増、日本は財政の維持が不可能となり破綻の時を迎えます。 日本はすでに危険水域まで入り込んでいます。 発行額が増加をたどれば、やがて国債市場での売買バランスが崩れて国債は暴落します。 国債を日銀に引き受けさせれば見かけ1は債務は減少しますが、通貨は無制限に増発され急激なインフレを招く恐れがあります。 貯金は消えてお金は紙屑同然になったあの時代が思い出されます。 日本では1932年に、物価が350倍まで暴騰して猛烈なインフレに襲われました。 最近ではロシアが、1998年に債務不履行となった直後から1年で物価が70倍にまではねあがり、2001年にアルゼンチンでハイパーインフレが起こりました。 世界にも例を見ない低金利、違法すれすれの買い切りオペや量的金融緩和などは問題を先送りすることになり、いつの日かほころびが出ることになる可能性があります。 長期金利が上昇して6%になると、800兆円の国債の利払いは48兆円になり、国家の税収はすべて国債の利払いで消えてなくなります。 財政は破綻へと転がり落ち、市場は暴走しハイパーインフレになるという最悪のシナリオです。 このような事態は、何としても回避しなければならないでしょう。
2009.12.01
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