全3件 (3件中 1-3件目)
1
今年もいろいろな出来事がありました。 2月7日、第22回冬季五輪ソチ大会が開幕した。日本選手のメダルは、金1、銀4、銅3の計8個で、フィギュアスケート男子で19歳の羽生結弦選手が金メダル、スキージャンプで41歳254日の葛西紀明選手が銀を獲得し、冬季日本勢最年長メダリストになりました。 3月17日、ロシアが実効支配するウクライナ南部クリミア半島での住民投票結果を受け、プーチン露大統領がウクライナからの独立を宣言したクリミア共和国を国家と承認し、その後編入しました。欧米諸国は資産凍結など対露制裁を発令。ウクライナ東部では親露派武装集団が実効支配し、分離独立の姿勢を強めました。 4月1日、消費税率が5%から8%に上がりました。1997年に3%から5%へ引き上げられて以来、17年ぶりの消費増税となりました。 6月21日、ユネスコの世界遺産委員会が、富岡製糸場と絹産業遺産群を世界文化遺産に登録することを決めました。国内の世界遺産としては昨年の富士山に続き18件目、産業や土木の技術進歩を示す近代化遺産としては初めての登録となりました。 8月20日未明、広島市北部の安佐南、安佐北両区で局地的に猛烈な雨が降り、大規模な土砂崩れが発生しました。多数の住宅に土砂が流れ込み、74人が死亡、約360戸が全半壊するなどの被害が出ました。 9月8日、テニスの全米オープン男子シングルスで、錦織圭選手が準優勝しました。四大大会シングルスでは男女通じて日本人初の快挙で、錦織選手は準決勝で世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチを破り決勝へ進出しましたが、決勝ではマリン・チリッチにストレート負けしました。 9月27日午前11時52分、長野、岐阜両県境の御嶽山が噴火しました。山頂付近にいた登山者が噴火に巻き込まれ、5人が死亡、6人が行方不明になるなど、戦後最悪の噴火災害となりました。 10月7日、スウェーデン王立科学アカデミーは2014年のノーベル物理学賞を、青色発光ダイオードを開発した名城大学の赤崎勇教授と名古屋大学の天野浩教授、米カリフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授の3人に贈ると発表しました。授賞式はストックホルムで12月10日に行われました。 11月10日、俳優の高倉健さんが83歳で亡くなりました。「網走番外地」「幸福しあわせの黄色いハンカチ」「八甲田山」など幅広いジャンルの映画に出演。不器用ですが男気のある人物を演じた日本映画界の大スターで、多くのファンがその死を惜しみました。 12月14日、安倍首相が進める経済政策、アベノミクスへの評価が最大の争点となった第47回衆院選の投開票が行われ、自民党が290議席を獲得して圧勝しました。公明党は35議席。自民党の追加公認を含めた与党の新勢力は、定数の3分の2を超える326議席で、定数に占める与党の割合は過去最高となりました。
2014.12.28
コメント(0)
11月に、不世出の俳優、高倉 健さんが83歳で亡くなりました。 ”想”(2006年11月 集英社刊 高倉 健著)を読みました。 高倉 健さんが75歳のときに出版された写真集です。 写真家・今津勝幸さんが過去30年にわたって撮影した壮年以降の高倉 健さんの写真と、最近の撮り下ろしが掲載されています。 また、誕生から今日までの高倉 健氏秘蔵の未公開プライベートフォトがふんだんに使用され、俳優生活50年の足跡を辿るデビュー作から最新作までの204本の映画スチールが並べられています。 高倉 健さんは1931年に福岡県中間市の裕福な一家に生まれました。 父親は旧海軍の軍人で、炭鉱夫の取りまとめ役などをしていて、母親は教員でした。 幼少期の高倉さんは、肺を病み、虚弱だった、といいます。 終戦を迎えた中学生の時、アメリカ文化に触れ、中でもボクシングと英語に興味を持ったそうです。 学校に掛け合ってボクシング部を作り、夢中になって打ち込み、戦績は6勝1敗だったとのこと。 英語は小倉の米軍司令官の息子と友達になり、週末に遊びに行く中で覚え、高校時代にはESS部を創設して英語力に磨きをかけました。 福岡県立東筑高等学校全日制課程商業科を経て、貿易商を目指して明治大学商学部商学科へ進学し、在学中は相撲部のマネージャーを1年間務めていました。 大学を卒業しても思ったような就職先がなく一旦帰郷し、家業を手伝っていましたが、10か月後に上京しました。 1955年に大学時代の知人のつてで、新芸プロのマネージャーになるため喫茶店で面接を受けましたが、居合わせた東映東京撮影所の所長で映画プロデューサー・マキノ光雄にスカウトされ、東映ニューフェイス第2期生として東映へ入社しました。 この偶然がなかったら、俳優になっていなかったといいます。 この後に、出演した204本の映画が詳しく紹介されています。 1956年に24歳で映画デビューし、任侠シリーズのヒットで人気を確立しました。 1970年にハリウッド・デビューし、1978年に”八甲田山””幸福の黄色いハンカチ”の2作品で第1回日本アカデミー賞最優秀主演男優賞を受賞しました。 1999年に”鉄道員”で第23回モントリオール世界映画祭主演男優賞、第44回アジア太平洋映画祭主演男優賞、第42回ブルーリボン賞主演男優賞、第23回日本アカデミー賞最優秀男優賞を受賞しました。 そして、1998年に紫綬褒章、2006年に文化功労者、2013年に文化勲章を受賞しました。 204本の映画の紹介の後は、夏の旅、秋の旅、冬の旅、春の旅というテーマで、いくつかの思い出とともに、それぞれの旅が紹介されています。 2012年8月、前作”単騎、千里を走る”から6年ぶりに、205本目の主演作品”あなたへ”で銀幕に復帰しました。 孤高の精神を貫き、独自の境地を示す映画俳優として存在感がありました。 ”往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし”とのお言葉がありました。 不世出の俳優のご冥福を祈り、合掌。発 プロローグ望郷 父の涙・母の言葉上京 明治大学へ入学映画 東映任侠シリーズから高倉プロへ旅 四季・出会い・いのち想 エピローグ
2014.12.14
コメント(0)
未来の社会について、いままで人々はどう考えてきたのでしょうか。 ”未来の社会学”(2014年10月 河出書房新社刊 若林 幹夫著)を読みました。 未だ来たらざるものを人間はいかに想像し思考してきたかについて、未来の取り扱い方と社会のあり方との関係を浮き彫りにしようとしています。 未来の社会学、つまり未来を対象とする社会学の試みです。 若林幹夫さんは、1962年東京生まれ、東京大学大学院社会学研究科博士課程中退の社会学博士で、現在、早稲田大学教育・総合科学学術院教授、専門は社会学、都市論、メディア論、時間・空間論です。 現代の社会では、科学には未来を予測することがしばしば期待されています。 地球温暖化も、原子力発電所の事故の将来における影響も、来るべき大規模地震の可能性も、それがどれほどの科学的妥当性をもつかはともかくとして、科学的理論と科学的に信頼可能なデータにもとづいて予測されるべき事柄であると、私たちの多くは考えています。 社会科学に関しても同様で、日本経済がこれからどうなるか、少子化・高齢化の趨勢は今後どうなって、その結果どんな社会が到来するのか、今後の世界秩序はどうなるかなどが問われます。 まだ私たちが子どもだった1960~70年代、未来は、そしてその代名詞だった21世紀は光り輝くような魅力に溢れていました。 もちろん、まだやって来ない未来がどうなるかなど本当はわかるわけもなく、未だ存在しないものの輝きなど見ることができないにもかかわらず、その未だ来たらざるものは、必ずやって来るだろうものとして、私たちの心のなかに輝いていました。 しかし、実際にやってきた21世紀には、当時は想像もしなかったさまざまな技術も実現していますが、あの輝いていた未来は存在していません。 そればかりか、私たちの未来はいまや、地球温暖化をはじめとする生態系の危機、資源・エネルギー問題、少子化と高齢化、経済の低成長、国家財政や年金制度の危機など、さまざまな限界や危機を孕むことが確実視されています。 そして、持続可能な発展や持続可能な社会に向けての、新たな未来像の構築が語られたりしています。 さまざまな未来予測に即して、企業や家計や個人の生き方はどうあるべきかなどについて指針を示すことが、社会科学者にもしばしば求められます。 未来社会がどうなるかを、社会学的に考えることはできます。 ですがその時、対象となっているのは未来ではなく、未来に現れるだろう社会なのです。 そこでなされるのは、社会学的未来予測や社会学的未来構想とでも呼ぶべきものです。 それは、未来の社会学、つまり、未来の社会を対象とする社会学ではあっても、未来の社会学、つまり、未来を対象とする社会学ではありません。 ここで試みる未来の社会学は、そんな風に未来社会を予測したり、未来社会への指針を提示したりするものではありません。 持続可能な発展や持続可能な社会への道筋を社会学的に考えるのではなく、そうした未来をめぐる私たちの意識や思考の屈曲それ自体を、私たちの社会が未来を考え、取り扱ってきた仕方の屈曲として考えたいのです。 つまり、人間とその社会にとって未来とはどのようなものであるかを、社会学的に考えることです。 ある社会で未来という時間がどのように考えられ、そこに人びとが何を見いだし、そうしたことが社会のどのようなあり方に基盤をもち、それによって社会のどのようなあり方が支えられているのかを、社会学的に考察します。 そこで対象となるのは未だ存在しない未来の社会ではなく、それぞれの社会の過去や現在において考えられてきた未来のあり方、とりわけ現在におけるあり方です。 そもそも時間とは何でしょうか。 古今東西、人類はいかに未来を語ってきたのでしょうか。 そして、いかにそれを熱烈に待望し、それに希望を見出し、あるいは、とりつかれてきたのでしょうか。 まず、未来のありかについて、未来をその様相として含む時間との関係で考察します。 次に、人間の社会が未来を、過去や現在との関係でどのように理解し、どのようにそれを取り扱ってきたのかを考察します。 次に、私たちにとっての未来の特徴とその成り立ちを、近代的な時間とそこでの未来の歴史と構造として考察します。 次に、私たちの現在における未来が、近代的な時間とそこでの未来に依然として基礎づけられながら、それが構造的な変容を遂げたものであることを描き出します。 最後に、そんな現代における未来以外の未来の可能性についても触れます。第1章 未来のありか、時間のありか 時間は存在しない?/ 未来の時間と事物はどう存在するか第2章 時間の形と未来の来方 さまざまな未来/ 時間の見方と歩き方第3章 近代における未来 旅と発見、進歩と発展―近代的未来の地形と風景/ 近代的未来の条件(1)-過程としての歴史/ 近代的未来の条件(2)-資本制=ネーション=国家と科学技術)第4章 未来の現在 未来の見える窓/ 現在における未来
2014.12.07
コメント(0)
全3件 (3件中 1-3件目)
1


