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マヤ暦は、世界の伝統的な暦の中で最も複雑と言われています。 マヤの神官は天体を観察し、太陽や月だけでなく、金星などの惑星の運行も組み込んだ暦の体系を発展させました。 そして、それを農業のほか、戦争を仕掛ける吉日や占星術師の予言にまで利用しました。 ”古代マヤの暦”(2009年4月 創元社刊 ジェフ・ストレイ著/駒田曜訳)を読みました。 マヤ暦の仕組みからマヤの予言までを解説し、古代エジプト、インド、ローマなどの暦と比較検討しています。 ジェフ・ストレイさんは、マヤ文明とマヤ暦の研究家で、2012年に世界が終焉するとされるマヤの予言に関する著作が多数あります。 マヤ文明は、メキシコ南東部、グアテマラ、ベリーズなどいわゆるマヤ地域を中心として栄えた文明です。 マヤの人々は天体観測に優れ、非常に精密な暦を持っていたとみられています。 1つは、一周期を260日=13の係数と20の日の組み合わせとするツォルキンと呼ばれるカレンダーで、宗教的、儀礼的な役割を果たしていました。 もう1つは、1年を360日=20日の18ヶ月とし、その年の最後に5日のワイエブ月を追加することで365日とする、ハアブと呼ばれる太陽暦のカレンダーです。 太陽の運行周期は、現在知られている実際の周期と、わずか17秒しか違いません。 365・2422日を、マヤは、365・2421日まで計算していました。 また、月齢の周期29・53059日は、29・53086日にまで、更に金星の運行周期、584・00日は、583・92日まで求めていました。 ワイエブ月を除いたハアブ暦=360日と、ツォルキン暦=260日の組み合わせが約13年ごとに一巡します。 これをベースとして、4サイクルの約52年を周期としています。 この他、より大きな周期のカレンダーも複数存在していました。 このようなカレンダーの周期のことを、カレンダー・ラウンドといいます。 また、紀元前3114年に置かれた基準日からの経過日数で表された、長期暦と呼ばれるカレンダーも使われていました。 石碑、記念碑、王墓の壁画などに描かれていて、年代決定の良い史料となっています。 2012年人類滅亡説は、マヤ文明で用いられていた暦の1つ長期暦が、2012年12月21日から12月23日頃に1つの区切りを迎える、とされることから連想された説です。 基本の周期/太古の暦/古代中国/古代インド/シュメールとバビロン/古代エジプト/金属に刻まれた記録/ローマ暦/新世界/現存する絵文書/計数システム/精妙な暦/ツォルキン/ハーブ/カレンダー・ラウンド/暦の中の金星/月/火星、木星、土星/長期暦/石碑/太陽の天頂通過/アステカの「太陽の石」/銀河直列/2012年-時代の終焉/用語解説/暦に関する補遺/ポポル・ヴフ/マヤ暦の起源/驚異の日付/期間の終了日/3つの世界と819日周期/チラム・バラムの書/マヤの日付とグレゴリオ暦の換算/マヤ暦で見るあなたの誕生日
2014.06.30
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世界中の数多くの開発途上国・先進国に無国籍者が存在し、およそ1,500万人にのぼるとUNHCRは推計しています。 ただ、正確な数はわかっていません。 多くの無国籍の状況の根本的原因は、特定の人々を排除するような政策にあります。 世界中の様々な地域で、ジェンダーにもとづく差別的な法令が依然として無国籍のリスクを生じさせる原因となっています。 ヨーロッパでは、1990年台のソ連・旧ユーゴスラビアの解体によって新興国にも無国籍が広がりました。 また、日本にも存在しているそうです。 ”無国籍”(2005年1月 新潮社刊 陳 天璽)を読みました。 ある日、台湾への入国も日本への帰国もできず空港から出られない衝撃的な経験をしたそうです。 陳 天璽さんは、1971年横浜中華街生まれ、筑波大学大学院 国際政治経済学博士、香港中文大学、ハーバード大学客員研究員、日本学術振興会特別研究員、国立民族学博物館助教授を経て、早稲田大学国際教養学部准教授を務めています。 無国籍は、法的にいずれの国の国籍も持たないことで、国籍の消極的抵触ともいわれています。 国籍は、それぞれの国の国内法が具体的にどの範囲の自然人、船舶および航空機に自国の国籍を付与するかを決めています。 各国はそれぞれ自由に国内法を制定することができ、相互にその内容を調整する仕組みが一般的には用意されていません。 関係国の国内法の内容如何では、同一の自然人、船舶または航空機が二つ以上の国の国籍を保有することがあり、また、いずれの国の国籍も保有していない無国籍が起こりえます。 日本の国籍法は出生地主義ではなく、血統主義が基本となっています。 親が日本の国籍をもっている場合、その子は日本の国籍を取得しますが、親が外国人の場合は、親の国籍の国の人として扱われます。 著者は日本に生まれ、日本に生活基盤がありますが、出生当時親が中国人だったので外国人登録では中国人となりました。 そして、生後まもなく日中国交回復により、台湾籍が認められなくなった結果、無国籍という身分を選んだ家庭に生まれて無国籍となり、こんにちまで30数年過ごしてきました。 父親は、1972年に国籍問題が起こった時、今までの経緯や社会的背景から、日本国籍をとることも、中華人民共和国の国籍を取得することもできませんでした。 著者はそのとき1歳未満で、その後、無国籍の状態で日本に暮らすこととなりました。 幼稚園はインターナショナル・スクールに通いましたが、日本の某有名小学校には入学できず、横浜中華学院という民族学校に進学しました。 自然人は国籍を持つ国に無制限に滞在することができます。 一方、自然人が無国籍状態に置かれると、自国を持たない状態となり、どこの国にも滞在できず、不法滞在状態になるという極めて深刻な事態に陥る可能性があります。 無国籍者は、大きく二つのタイプに分けられます。 ひとつは、法律上の無国籍者、もうひとつが事実上の無国籍者です。 法律上の無国籍者は、たとえば、国際結婚後夫の国籍に変更したが、離婚した際に国籍回復の手続きミスで無国籍になってしまったとか、ある国の国籍を持っていたが、その国が内戦等で国家として消滅してしまったために国籍もなくなってしまったなどです。 事実上の無国籍者は、たとえば、ある国の国籍を持っておりその国に住んでいるが、政治上の理由で迫害されているとか、両親が密入国者で出生届を提出しなかったために子供が無国籍になってしまったなどです。 いずれの場合も、国家から国民としての保護や権利を与えられずにいる点で共通しています。 具体的には、結婚、就職、海外旅行など人生のいたるところで壁にぶつかります。 とりわけ、国籍もなく、日本で在留資格も持たずに生きる人たちの悩みは深刻です。 かつて住んでいた国に帰ることもできず、日本でも合法的に暮らすことができず、どの国からも見捨てられ、不安定な立場に置かれています。 平成13年度の在留外国人統計で、無国籍者は1,904人となっています。 日本で外国人登録の統計を見ると、一番多いのは、コリアン、次に中国、ブラジルときますが、そのリストの最後の方に無国籍という欄があります。 この無国籍の人の数に、登録されていない人達も存在しています。 たとえば、オーバーステイの人たちが日本にきて子どもを生み、出生届けをださないというような場合です。 この子どもは存在しない人間として、日本に暮らすことになるのです。 ほかにも、移動する人たちの間で、国によって登録もれや、国籍法の狭間に落ちてしまう人たちがいます。 無国籍の人も、自分が無国籍であることを知らないままでいるケースもあります。 現在、日本には、無国籍者を保護するための公的制度はまだないそうです。 第1章 中華街のララ第2章 日本と中国の狭間に生きる第3章 ニッポンになじめない第4章 世界へ出たい第5章 香港へ、アメリカへ第6章 無国籍について知りたい第7章 アジアの人々と無国籍第8章 帰化を申請する第9章 海外の無国籍
2014.06.23
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日親は折伏主義に立ち将軍足利義教に改宗をせまって多くの法難を受け、日奥は不受不施の掟を唱えて徳川家康によって対馬に流され、ともに日蓮の思想と行動を厳格に守り権力者に立ち向かいました。 ”日親・日奥”(2004年9月 吉川弘文館社刊 寺尾英智/北村行遠編)を読みました。 伝道と法難に明け暮れた日親と、不屈の信念を貫いた日奥の思想と行動を紹介しています。 寺尾英智さんは1957年千葉県生まれ、1987年立正大学文学研究科仏教学専攻、文学博士(立正大学)で、現在、立正大学仏教学部宗学科教授、専門分野は日蓮教団史、日本仏教史です。 北村行遠さんは1947年愛知県生まれ、1977年立正大学文学研究科仏教学専攻、文学博士(立正大学)で、現在、立正大学文学部史学科教授、専門分野は日本近世仏教史です。 日親(1407~1488)は 室町時代の日蓮宗の僧で、通称、なべかむり上人と呼ばれています。 上総国に生まれ、妙宣寺において父の実弟にあたる日英に学び、中山法華経寺に入門しました。 1427年に上洛し、鎌倉や京都など各地で布教活動を行い、1433年に中山門流の総導師として肥前国へ赴き、門徒を指導しました。 厳しい折伏に対して反発を買い、同流から破門されましたが、1437年再び上洛し本法寺を開きました。 諸寺院を日蓮宗に改宗させ、6代将軍足利義教への説法の機会を得た際に他宗の喜捨を説いて建言を禁止されました。 1440年に禁に背いたため投獄され、本法寺は破却となりました。 拷問を受けた際に、灼熱の鍋を被せられたまま説法を説いたという伝説があります。 1441年の嘉吉の乱で義教が殺されたことによって赦免され本法寺を再建しましたが、1460年に肥前で布教したため再び本法寺を破却され、8代将軍足利義政からの上洛命令を受けました。 1462年に千葉元胤によって京都に護送され、細川持賢邸に禁錮となりましたが、翌年、赦されて、町衆の本阿弥清延の協力を得て本法寺を再々建しました。 鎌倉時代の東国にあって日蓮は法華経の教えを弘め、滅後その教えは弟子たちによって各地へと伝道されていきました。 南北朝時代には京都をはじめ西国へも次第に教えが広まり、室町時代には京都の町中は法華経の巷と化していきました。 ともすれば日蓮の求めた信仰のありようが見失われるようなこともあって、日親は努めて日蓮の生き方に忠実であろうとしました。 日奥(1565-1630)は、安土桃山・江戸前期の日蓮宗の僧で、不受不施派の祖です。 京都の呉服商の家に生まれ、1574年に妙覚寺の日典を師として法を学びました。 1595年に豊臣秀吉が主催した方広寺大仏殿の千僧供養会へ出仕するかどうかで、本満寺の日重らの受不施派と対立しました。 日奥は、不受不施義を主張して妙覚寺を去り、丹波国小泉に隠棲しました。 1599年に徳川家康による供養会にも出席せず、大阪対論により対馬に流罪となりました。 対馬に13年いた後、1623年に赦免となり、不受不施派の弘通が許されました。 1630年に受布施派と不受不施派の対立が再燃し、両者は江戸城にて対論した結果、日奥は、幕府に逆らう不受不施派の首謀者とされ、再度、対馬に流罪となりましたが、既に亡くなっており、その遺骨まで流されたとされています。 江戸時代になると、幕府はこの不受不施派の活動を警戒し、その布教活動を禁止するようになりました。 そのため、かくれキリシタンと同じように地下に潜って秘密教団を形成するようになっていきました。 ふたたび地上に姿を現して公に布教活動を行うようになるのは、明治になってからのことであったといいます。日 親1.日親の魅力2.日親の生涯-伝道の旅にいきた導師-3.仏法の聖者と受難-正統と異端の論理-4.日親がみた東国の「郷村」社会-『折伏正義抄』の世界を読む-5.町衆と日親日 奥1.日奥の魅力2.日奥の生涯3.なぜ不受不施義を貫いたのか4.大仏千僧供養会と京都日蓮教団5.仏法か王法か
2014.06.17
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アメリカは2020年、サウジアラビアを抜いて世界最大の産油国になります。 シェール革命、世界最大油田開発、製造業回帰などによって、アメリカは劇的によみがえります。 そして、周辺諸国に圧力を強める中国の衰退が、すでに始まっているといいます。 ”2020年石油超大国になるアメリカ”(2013年5月 ダイヤモンド社刊 日高 景樹著)を読みました。 これからのアメリカ、ヨーロッパ、ロシア、中国、日本の行方を推測し日本はいかにすべきかを説いています。 日高義樹さんは、1935年名古屋市生まれ、東京大学英文科卒、1959年NHK入局、外信部、ニューヨーク支局長、ワシントン支局長、アメリカ総局長を歴任し、NHK審議委員を最後に退職しました。 その後、ハーバード大学客員教授を経て、ハーバード大学諮問委員、ハドソン研究所首席研究員として、日米関係・アジア戦略の調査・研究にあたっています。 第二次大戦のあと、世界の警察として国際社会を動かしてきたアメリカが、いま大きく変わろうとしています。 アメリカの力の後退は紛れもない事実ですが、ローマ帝国のような一直線の衰退や崩壊には至らないでしょう。 1970年代の終わりから1980年代にかけて、アメリカの人口は日本の2倍の2億でしたが、クリントンの時代に3億に増え、現在は3億1400万になっています。 アメリカでは、レーガン大統領からブッシュ、クリントンに、ブッシュ、オバマに至る間に、日本の人口にあたる1億人が増えました。 そしてアメリカはいま、新しい安価なエネルギーと、先端技術を駆使した電子兵器によって立ち直り、世界における立場を再構築しようとしています。 シェールオイルは現在の原油価格の半分、アパレル当たり四十数ドルで供給されるようになり、経済の拡大と活性化を大きく促すでしょう。 また、電磁波帯を破壊する新兵器を実戦配備することによって、世界の安全保障情勢を一変させるでしょう。 これまでドルが基軸通貨としての地位を維持してきたのは、強大なアメリカの軍事力を基盤とする世界戦略を背景にしていたからです。 アメリカが軍事力の縮小に向かい始めたことから、そうした軍事力とドルの関わりが変わろうとしています。 ですが通貨自体として考えると、ドルはどこの国の通貨よりも通貨のシステムそのものが透明にできています。 そのうえ国際金融システムとの絡みから、最も機能的で効率のよい通貨であることには間違いないと言います。 ヨーロッパは21世紀、アメリカに次ぐ第2の大国になるための共同体を形成することはできないでしょう。 最大の理由は、冷戦に勝った西ヨーロッパが東ヨーロッパという異質な国々を飲み込んでしまったため、一つの政治組織として成り立ち難い状況になっているからです。 ロシアがアメリカに次ぐ第2の大国になる見通しはありません。 KGBがすべてを取り仕切る体制はもはや過去のものであり、かつての共和国をロシアのもとに集めることはきわめて難しいのです。 中国はアメリカが力を持ち、軍事力で抑えこんでいた時代には、きわめて従順でした。 中国の政治の知恵というのは常に、強い者には従順に、弱い者には強い態度に出るというもので、西側諸国の人々が考える外交の観念がありません。 中国政府はいまやアメリカの軍事力が後退し、アメリカの権威が落ちるとともに、自らの利益を求めて遠慮会釈ない動きを始めています。 しかし、アメリカの技術を盗みモノ真似をしている中国は、やがて行き詰まりを見せ、発展途上国が老齢化によって衰退しはじめるという、歴史上珍しい現象が起きるでしょう。 中国がアメリカに次ぐ世界の大国になるのは難しいといいます。 そのような中で、日本が第2の大国として再び期待されています。 地域の軍事情勢の変動にまき込まれて、経済が大きな打撃を受ける危険がありますので、日本が自らの力で危機を解決するのが当然であるといいます。第1章 世界の石油市場が大変動する第2章 アメリカは戦争より外交戦略に力を入れる第3章 アメリカはスーパーパワーでなくなる第4章 中国はアメリカの代わりにはなれない第5章 中国は老齢化し衰退しはじめている第6章 日本は戦略的決断を迫られる
2014.06.02
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