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おぼろげに揺れる 夏の陽射し目蓋に浮かぶ あの情景は夏の熱気に 浮かされていつまでも 記憶の中で ゆらゆらと 揺れているひらひらとはためく スカートの裾膝小僧の まぶしすぎる白すべるように 流れ落ちていく 黒い髪引き込まれそうな 危うげな瞳地を這う熱波に 絡みとられたかのようにすべてのものの動きが 瞬間 途切れた………子どもたちの笑い声も照るつけるアスファルトに 揺らめく空気も何もかもが 動きを止めた絵の世界ほんのわずかな瞬間が 永遠の時空に 迷い込むただ 蝉の鳴き声が ひときわ脳裏に 鳴り響くこめかみに伝わる一筋の汗その感触が 妙に生々しくて次の瞬間 現実に引き戻される再び 街の喧騒が 耳朶に甦る何秒か前に 垣間見た世界に 引き込まれて少女の瞳に吸い込まれた 一瞬の時瞳の奥を 微かによぎった 訴えかけるような眼差しは僕だけの錯覚 だとしても粘りつくような 記憶のうねりとなって 胸に残る夏の熱気のせいだろうか名前も知らぬ少女は脳裏に 眩暈のような 一瞬の揺らぎを 刻み込んで僕のすぐ横を 何事もなかったように 通り過ぎていった以前どこかで出逢ったような 懐かしさと 胸の痛みを 残しながら…ごくありふれた ある夏のひとときはけだるい熱気と 喧騒に包まれて ゆらゆらと 揺れている
August 31, 2005
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今日は、店で、あるお客様の買い物の時に、合計が「888」円になりました。最近「8」のぞろ目を見ているせいもあって、「うおぉぉぉぉぉ、ぞろ目だあぁぁぁ!!!」と、思わず、言いそうになりましたが、そんなことは言えるはずもなく、ごく平静を装って、「888円になります。」と言いました。(^^;あと、帰り道、車の走行メータが、「8883」キロであるのに気がつきました。「おお。ここにも、888!」と思いました。そして、ここまできたら、その先を期待してしまいました。走っているうちにメーターは、「8888」になり、そして、家に到着した時は「8889」でした。最近は、「8」が多いです。ちなみに、「8889」=「8+8+8+9」=「33」!!「33」のぞろ目となり、この数字は、自分の誕生日の合計数「33」と同じです。最近よく見ると感じている「8」と「3」のメッセージでしょうか…。そして、スピカさまに、教えていただいた数字のメッセージが引用された部分をみると、「000」~「999」の天使のメッセージが掲載されています。そちらから、「888」を、引用させていただきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◇888◇あなたの人生の一つの章が終わりを告げようとしています。そしてこれはあなたに準備ができるよう、警告をしているというしるしです。この数字の連続は、感情、仕事、あるいは恋愛関係のある段階を終えようとしている、ということも意味し得ます。さらにトンネルの向こうには、光があることも意味しています。そしてさらに「作物は実っている。収穫して楽しむのを先に延ばさないように」ということでもあります。言いかえるなら、何か行動を起こしたり、自分の労働の実りを楽しむのを後回しにしてはいけないということです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「888」は、ギリシア語のゲマトリアで言えば、「イエス」を意味しますので、「光」というのも、興味深いです。「光」を意味し、何かが始まる予兆なのだとしたら、前向きに考えていきましょう。前置きが長くなりましたが、復刻版シンクロニシティ、本題へいきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以下は、復刻版「シンクロニシティの不思議」2004年10月20日の記事(加筆訂正版)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー★再び浮上してきた「黄泉がえり」★今回の「シンクロニシティ」は、シンクロニシティの「episode3」と関連することです。後日譚と言ってもいいかもしれません。その時は、気がつかなかったけれども、後で思い返すと、もしかして、シンクロニシティだったのかな?というのが、今回のエピソードです。そして、「シンクロニシティ」は連鎖するのかもしれない、ということも今回、感じました。episode3の「シンクロニシティ」を簡潔にいえば、私が『黄泉がえり』という映画を借りた時に、たまたま、妻は『黄泉がえり』の主題歌が収録されている、柴咲コウのアルバムを、借りてきていた、ということでした。実は、次の手書き通信「光透波の泉」【アナログ版】の映画紹介の欄で、『黄泉がえり』を取り上げようと思って、今週、その『黄泉がえり』を借りてきました。そして、昨日再度鑑賞したのですが、あることに気がつきました。前回見たときは、まったく気がつかなかったことですが。それは、何かというと、主演の竹内結子が演じた女性の名前が「橘(たちばな)葵)であったということ。7月31日に生まれた娘の名前「葵」と一緒ではないですか!!(この記事を書いたときは10月20日)まあ、「葵」という名前はよくあるし、メジャーですので、別によくあることいえば、よくあることでしょう。ここ数年も「葵」という名前は、ベスト10の常連です。お客様の家に配達に行ったときにも、数人のお客様から言われました。「向かい側の家が、「葵」ちゃんなのよ。」と。事実、そこの家から車で出発しようとしたら、「あおいちゃーん」と、呼ぶ声が聞こえたりしました。これも、ちょっとした、シンクロ現象。また、別のお客さんからは、甥っ子さんの娘さんが「葵」ちゃんで一緒ね、と言われたりしました。この前は、レンタルビデオ店で、レジで会計してもらっているときに、隣のレジに並んだ男の人が、「あおい!」と呼びかけるものだから、見たら、女の子がいたり。そういう体験はわりと多いです。だから、今回の『黄泉がえり』の登場人物の名前が、「葵」だからって別に全然不思議はないわけです。しかし…。 思いをめぐらしていると、ふと気がつきました。角度を変えて見れば、少し神秘的で、おもしろい偶然である、ということに。以前、この『黄泉がえり』の映画を観た時期は、娘「葵」が生まれる前でした。正確には覚えていないのですが、生まれる2,3ヶ月くらい前だったと思います。ちょうど、名づけをどうしようか、とあれこれ考えていたときでした。そして、前回この映画を観た時と、前後して、「葵」という名前が、候補にあがってきたような気がするのです。これは、かなり都合よく解釈していると、とられるかもしれませんし、私自身、記憶が定かではないので、自信をもって述べることはできません。ただ、この『黄泉がえり』の映画を借りた時に、妻が同映画の主題歌を借りてきていたという「シンクロニシティ」が起こりました。これにはどんな意味があるのかなあ、と考えたことは確かです。しかし、意味はわかりませんでした。強いてあげれば、『黄泉がえり』という映画が、「想いは通じる」ということをテーマにした作品だったので、この映画を借りるときに、私と妻の想いが、無意識のうちに通じて、そして、あのような「シンクロニシティ」を引き起こしたのかな、というくらいの解釈でした。★シンクロニシティの示唆していたもの。★でも、この前回の「シンクロニシティ」は、もっと別の見方もできます。この作品の主人公の名前が、「葵」であったことを考えれば、後に生まれる娘の名前が「葵」であることを示唆した、「シンクロニシティ」だったのではないか、と思いました。そのころ、名づけは、どれにしようか混沌としていました。あえて神秘的な言い方をすれば、このシンクロニシティが起きたことによって、「葵という名前に注目せよ」、と教えてくれていたのではないかと。ただ、前回は、主人公の名前が、「葵」という名前であることは、観ていて知っていたはずなのですが、記憶に残りませんでした。結果的には、娘の名前は「葵」になったわけですから、やっぱり「葵」という名前を、示唆していたのかもしれません。あるいは、そこまで言わなくとも、この映画に注目せよというメッセージだったのかもしれません。うーん、考えすぎでしょうね、これは。自分なりの結論をいえば、「episode3」の「シンクロニシティ」は、主人公の名前「葵」が、後の娘の名前になることを示唆していたことになります。つまり、映画の主人公の名前と、後に生まれる娘の名前が、結果的に共通するという、さらなる「シンクロニシティ」を引き起こしていたのではないだろうか、ということです。冒頭で申し上げた、「シンクロニシティの連鎖」ではないだろうか、と。ここら辺のところ、自分でもうまく表現できないですねえ…。妻に、この自分の解釈を言ったら、「あはは。考えすぎじゃないの?」と、笑われてしまいました。確かに、かなり自分勝手に解釈している気がしますし、「シンクロニシティ」をあまり、分析したり、意味づけすることに意味はないのかもしれません。ひとつの自分なりの解釈としてまとめておくと、「シンクロニシティ」が起こった時に、もしかしたらまた、新たな「シンクロニティ」に繋がっている場合があるのではないか、あるいは、また新たな「シンクロニティ」を引き起こしている場合もあるのではないか、と思いました。いずれにしても、『黄泉がえり』という映画は、作品の出来云々ということだけではなく、自分の身に起きた「シンクロニシティ」など、すべて含めて、自分にとって忘れられない作品となったことは、確かです。 人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。いま、実は、これを書きながら、かけているCDは、岡崎律子さんという方の『A Happy Life』というアルバム。何の気なしに、2階からさっき何枚か持って降りてきたCDのうちの一枚。6曲入りなのですが、最後の曲がけっこう、しっとりとした、いい曲で、もう一度聞こうとして、何気なく歌詞カードをみたら、タイトルが『四月の雪』!!すこしびっくりしました。なぜなら、いま最も注目の韓国女優「ソン・イェジン」の次回作が、ヨン様との共演であり、タイトルが『四月の雪』だからです。きのうの記事にも、次は『四月の雪』だと書いたばかりです。ふたつに関連はないでしょうが、たまたま、タイトルが一致した偶然の一致で、おもしろいな、と思いました。やはり、これは、何が何でも、ソン・イェジンを、『四月の雪』を、見に行きなさい!!という、メッセージだろうと、すごく自己中心的に解釈しておきましょう。(^^;追記:きのう、この記事を書いたのですが、今日の朝、会社に来てびっくり。新聞を見てたら、『四月の雪』の監督、ヨン様、そしてわが(^^;ソン・イェジンが、まさにきのう来日した、という記事を見ました。昨日たまたま、手にとって聞いた曲『四月の雪』を聞いたとき、ちょうど『四月の雪』のキャストが来日していた、というのも、何だか偶然の一致だなあ、と、思いました。もう絶対、観にいきます!!ヨン様ファンばかりだろうと、そんなことは、かまわないわけです。はい。「シンクロニシティ」テーマ募集中!あなたに起こった「偶然の一致」「シンクロニシティ」体験を、上記のテーマより投稿していただけると、うれしいです。(^^)偶然の積み重ねが、「ツキ」を呼び、人生を豊かにします。(^^
August 30, 2005
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ことたま、数理の遣い手であり、「ことたまハッピーウィルス」がどんどん広がっている「ことたまワールド」けんたま様より、「いいことバトン」を、お預かりしていました。まわしていただいて、ありがとうございます。遅くなってしまいすみません。簡単ですが、書いてみます。と、言いつつ、1,2,3で、なんだかんだと、けっこう書いてしまいました。(^^;では、いってみましょう。★1・今日あった『いいこと』★何だろう…。すべて、と言いたいところですが。●仕事をさせていただいたこと。●配達先で、お客様とお会いしたこと。会話したこと。●家に帰ったら、テレビドラマで、「松たか子」を見れたこと。(^^;(ほんの15分ほどしか見てませんが…)映画『四月物語』で、一気に惹かれました。女優として歌手として、注目しています。●家に帰ったら、すぐにご飯が食べれること。考えてみれば、ありがたいです。今日は家で食べました。時間なく、店で適当に済ますこともありますが…。●家に帰って、娘二人の、布団を無視した豪快な寝方に、笑わせてもらったこと(いつも違うし、時間帯によっても違う。おもしろい)●夜、葵(1歳)が、うぇーんと泣いて、起きたので、顔をあわせたこと。見ているだけで、おもしろくて、癒し効果があります。(^^;下の写真が、その時の寝ぼけ眼の写真。 ●今、南野陽子の『愛してる』という、隠れた名曲(?)を聞きながら、なぜか、樋口一葉と半井桃水の恋を、思っていること(^^;歌詞が、一葉のシチュエーションにダプってくるんですよ…。「薫る花びらを 抱きしめた あなたのぬくもり まだ残る」ともかく、この曲、好きです。明るい曲じゃないんですが…。また、カテゴリの「埋もれた名曲」で、恥ずかしながら、取り上げる予定。★2・ここ数ヶ月にあった『いいこと』★●家族が、とくに、何事もなく、元気ですごしていること。●ソン・イェジンの存在を知ったこと(^^;彼女が出演している、『ラブストーリー』と『永遠の片想い』を観れたこと。次は『四月の雪』だ!!●楽天HPのおかげで、たくさんの方の存在を知ったこと。みなさま、それぞれ個性や得意なことを生かして、ブログに書いておられ、見るのが楽しみです。インターネットは、通常出会うはずのない人とも、繋がることができるという意味でも、すごいな、と思います。●楽天HPがきっかけで、ヒックルさまの宝地図のセミナーを受けたこと。実際に作れたこと。あとは実現するだけ!●これも、その流れで、レイキのアチューメントを受けられたこと。3.こんな『いいこと』があればなあ、と思うこと。いっぱいありますけど…。シンクロニシティでも、個は全であり、全は個でもあるので、すべては繋がっている。世の中が、平穏無事で、みなが、生き生きとした世界になるといいな、と思います。そのためには、自分自身がまず、生き生きと過ごしていけたら、と思います。個人的には、いっぱいあります。欲深いかな…。●周囲には緑がたくさんあり、木のぬくもりある、風水住宅に住む。●今の店を拡大リニューアルして、もっと木のぬくもりに満ちた、来るだけで元気になるような店にする。●今の店にオーガニックカフェを併設する。貸し本や本を売ったりもする。ヒーリング的スペースもつくって、癒される空間をつくる。●レイキティーチャーになって、広めつつ、いろいろと、活用していく「気」をもっと感じられるようになりたい。●1ヶ月くらい仕事を休んで、全国のヒーリングスポットや神社仏閣を巡る。●ソン・イェジンと内山理名に、運命的に、実際に出会う。(^^;まだまだ、たくさんありますが、やってみたいこと、宝地図に加えていこう。★4.次に回す人、5人・・・★次に回すというよりは、まだ回ってきてない(と思われる)方で、最近個人的に、興味深く拝見させていただいてる方のご紹介、という形にします。もし続けられたら、バトン続けてください。●ヒックルさまの「ついてる!ありがとう」宝地図、レイキとお世話になっています。楽天HPのいわゆるオフラインで初めて、お会いした方という意味でも、いいご縁をいただきました。あらゆるジャンルに精通しておられるという感じがします。人生をより豊かに幸せに過ごすためにはどうすればいいか、その方法をいろいろな角度から、気づかせてくださいます。●藤森緑さまの「占い師・藤森緑の雑感」いいことバトン書かれていましたが…。『強運をつかむ88のヒント』藤森さまの、上記の本に、惹かれて読んでみたら、とても感動したのが、きっかけでした。日常生活の、ちょっとした心のもちかた、大切なことが、非常に柔らかい文章で綴られています。その後、楽天のHPを発見し、拝見するようになりました。環境問題への造詣も深く、日常のことなど楽しく拝見させていただいています。●*永遠*さまの「***まいにち・ぷち・はっぴぃ***」美しい映像をバックに綴られる、繊細で柔らかくて、心に深く染みこんでくる言葉の数々。とても心が洗われるような、癒されるような感覚になる、素敵なHPです。毎日一回は、訪れてしまいます。ぜひ詩集を出版してください!●レーナマリアさまの「古代のロマンをたずねて」 古代の造詣の深さ、広くて深い歴史の視点、とても勉強になります。映画や本、日常についての話題も楽しいHPです。レーナマリアさまとは、ちょっとおもしろいシンクロ現象がありました。「インターネットと現実で一致した言葉」●スピカさまの「Synchronic Day」 「シンクロニシティ」の話題を中心に書かれているスピカさまのHPですが、非常におもしろいです。個人的にも、シンクロは注目しているので、勉強させていただいてます。「シンクロポイント」といって、シンクロニシティがあったら、貯金みたいに、実際たしていかれています。おもしろそうです。やってみようかな…。
August 29, 2005
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きのうは、ちょっとした偶然の一致として、配達が夜に2件あったのですが、その配達先が、たまたま、同じマンションでした。おおラッキーと思いました。ちょっとしたシンクロですが、こういうシンクロは素直に喜びたいと思います。今日は、仕事が休みだったので、家族で外に出たのですが、その時、車のナンバーで、「1111」を見て、その後すぐ「999・」のぞろ目ナンバーが来ました。その後、数時間後だったと思いますが、今度は、「8888」のナンバーをみました。最近書いているように、「8」のぞろ目は、よく見る気がします。また、「999」については、何度か紹介した『ゲマトリア数秘術』(久保有政・学研)のゲマトリア(ギリシア語やヘブライ語を数字に変換する)からみれば、「神の数字」であり、「父なる神ヤハウェの数字」、だそうです。たとえば、以下の言葉を数字に変換すると●神の神秘=999●神聖な神=999●はじめに神が=999●わが怒り=999となるそうです。666=「反キリスト」、777=「十字架」「神・天・地」、888=「イエス」となり、999=「神」となるのは、なかなか興味深い数字の変遷です。それでは、復刻版「シンクロニシティ」、前回の続き、『「内山理名」と「樋口一葉」の邂逅』の、いってみましょう。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以下は、復刻版「シンクロニシティの不思議」2004年11月7日の記事(加筆訂正版)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー★樋口一葉と内山理名★今回は、「樋口一葉」と「内山理名」にまつわる「シンクロニシティ」。「何やねん、それは!?」と、つっこまれそうなテーマですが、自分にとっては、けっこう重要なシンクロでもあるので、書き記しておきます。(過去に書いたものと少し重なる内容もあります)その始まりは、忘れもしない2004年11月1日でした。映画『卒業』を観て以来、かなり気になっていた「内山理名」が、この日、新札発行の記念ドラマ『樋口一葉物語』にでるというのです。ドラマが始まる、9時までには何が何でも戻らないといけないということで、仕事をそっちのけ…、あ、いや、そうではなくて(^^;、仕事を集中して終えて、ですね、何とか滑り込みセーフで戻りました。そして、内山理名主演のTVドラマ「樋口一葉物語」を観てから、内山理名により興味を持ったのは言うまでもなく、それより何より、樋口一葉のわずか24年間の凝縮された人生、半井桃水(なからいとうすい)へのはかなく淡い、でも激しい恋心などに、深く感じ入るものがありました。それ以来、彼女の伝記や文学作品を、少しずつ読み始めるようになりました。そして先日、本屋で目に付いた樋口一葉の評伝『炎凍る 樋口一葉の恋』(瀬戸内寂聴・小学館文庫)。それを読んでいる中で、偶然の一致が起こりました。★樋口一葉と娘、透萌の偶然の一致★樋口一葉の本名は樋口なつ。彼女が生まれたのは、明治5年(1872年)3月25日午前8時ということです。ここまでは、何の気なしに読んでいました。問題はこの先です。「今の太陽暦に換算すると明治5年5月2日となり、新緑の爽やかな美しい5月の朝ということになる。」ここで、私は、「ハッ…!!」としてしまいました。なぜか?それは、「5月2日」生まれというのは、うちの4歳になる娘、透萌(ともえ)の誕生日と一緒じゃないの!!と。旧暦では、3月25日生まれですが、今の太陽暦だと5月2日になる。おもしろい「偶然の一致」だなあ、と思いました。と、同時に、このシンクロは、樋口一葉により深く入り込んでいくきっかけになるかもしれない、という気もしました。このシンクロに気がついた時、そのことを、妻に言ったら、ニヤッとして、「またシンクロニシティね!」という感じでした。そして、一言、なぜかこう言われました。「内山理名ちゃんは、いつなの? (0歳の娘)葵と一緒だったりしてね。」と。ちょっと、いや、かなり皮肉交じりです。(^^;が、これはおそらく、私が、内山理名目当てで、樋口一葉のドラマを観たから、樋口一葉が透萌と一緒なら、内山理名は葵と、という連想でしょう。しかし、これが、次のシンクロを呼び起こすことになるとは、思いもしませんでした。さすがの私も、内山理名の誕生日までは、さすがにチェックしてませんでした。そこまで知ってたら、ちょっと怖いかも…。★内山理名に関する偶然の一致★娘の葵は7月31日生まれ。まあ、まさか内山理名と一緒ってことはないだろうけど、そう言われたら気になります。そして、家に帰って、先程、内山理名のHPを見て、誕生日を調べました。そしたら、な、な、何と!葵と一緒の誕生日だった!!…と、そんな都合のよい、ドラマティックな話は、あるはずがないってば!!!そう…、あるはずがなかったのですが…、ですが!!彼女の誕生日をみて、「え?うそでしょ!?」と、別の意味で衝撃を受けてしまいました!別の意味での衝撃とは、何か?それは、彼女の誕生日が、1981年…ここまではいいです。その次が、11月7日…と。はじめは、葵の誕生日でも、私の誕生日でもないな、と思っただけなので、まあ、そんなものだろう、と思っただけなのですが、「……!? うん…? ちょっとまってよ…。11月7日!?今日って何日だっけ? え? まさか…! え…? うそ!? 今日って、11月7日じゃないの!!!」と。そう、つまり、内山理名の誕生日を、調べてみたら、まさに今日が彼女の誕生日だったというわけです。この偶然の一致には、びっくりしました。内山理名に運命的なものを感じましたね…(^^;あ、まずは内山理名さん、今日は誕生日おめでとうございます。(^^;しかし、おもしろいものです。もう一度簡潔に、話を整理してみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●樋口一葉の誕生日が、今の太陽暦では5月2日となり、娘の透萌(ともえ)の誕生日と「偶然」一致したということ。●ここに、あまり関係ないと思われることを付け加えるとすれば、彼女は1872年に生まれています。そして、私の誕生した年が西暦で1972年。つまり、樋口一葉が生まれて、ちょうど100年後に、私が生まれたことになります。ここでも一葉に関してのシンクロ(?)があり、少しうれしいです。●そして、妻の言葉がきっかけで、今はまっている女優、内山理名の誕生日を調べてみたら、11月7日。何と今日が、その11月7日だった、という「偶然の一致」。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー『樋口一葉物語』で、「内山理名」が「樋口一葉」を演じたことを考えれば、今回、「樋口一葉」の誕生日にまつわる「偶然の一致」と、内山理名の誕生日にまつわる「偶然の一致」が起こったというのも、決してばらばらの出来事ではなく、自分としては、何か繋がりのある「シンクロニシティ」なのかな、と感じたりします。また、この出来事を通じて、樋口一葉と内山理名への想いが深まった、ということは感じます。樋口一葉については、ブログも作ったものの更新ができてないので、何とか少しずつでも、とは思うのですが、今のところ滞っています…。うーん、何とかしたいですが。内山理名については、密かに(って密かじゃないですが…)応援していきたいなと思います。映画『卒業』とTVドラマ『ストロベリー オンザショートケーキ(『S.O.S.』)』は、自分にとって永遠の名作になりそうです。9月に彼女が、主演する映画『深紅』は、今日、原作を読み終わりました。けっこう重たい作品ですが、家族を惨殺された少女(内山理名)と、家族を惨殺した男の娘(氷川あさみ)が出会ってしまった時、運命はどう流れていくのか、二人の少女の演技に注目ですね。ぜひ『深紅』見に行きましょう(^^;人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。「シンクロニシティ」テーマ募集中!あなたに起こった「偶然の一致」「シンクロニシティ」体験を、上記のテーマより投稿していただけると、うれしいです。(^^)偶然の積み重ねが、「ツキ」を呼び、人生を豊かにします。(^^
August 28, 2005
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今回は、過去に書いた「シンクロニシティ」復刻版の予定でしたが、その内容は、次回で触れたいと思います。復刻版の内容は、「樋口一葉」と「内山理名」の話題についてです。その話題にいく前に、最近、自分の中で、抑え込んでいた(?)「内山理名」への関心が、またムクムクと出てきてしまいました。(^^;なので、少し予定変更です。!!それで、たまたま、復刻版で、「内山理名」の話題を書く関係もあり、今回、現在と、過去を「シンクロ」させる意味でも、で、現在の(内山理名に関する)ことを中心に書いて、で、「内山理名」と「樋口一葉」にまつわる「シンクロニシティ」の復刻版に、持っていきたいなと、思います。ここまで、読んでいただいた方は、いったい、何を言っているんだ、このおっさんは!という感じでしょう(^^;「シンクロニシティ」とは、ある意味、非常に個人的な体験です。他人が、聞いても「はあ?それがどうしたの?」という世界も多いように思います。他の人には、理解できないようなことも、自分の内面と外側が、繋がることってあるんですよね。「episode8」で載せた「夢の中のシンクロ」は、僕の想いが、彼女に全く伝わっていなかったというシンクロでしたが、まさにあの状態です。★本日、『卒業』5回目の鑑賞と、再びの主演作『深紅』への期待★今さっきまで、実は、『卒業』という映画を観ていました。この映画は、アメリカ映画にも同名の映画があり、そちらの方が有名ですが、きょう観たのは、日本映画の『卒業』2003年の作品ですが、かなりマイナーな作品で、ほとんどの人が知らないと思います。主演は、映画初主演の内山理名!!(^^;きょうは、なぜか無性にこの映画が観たくなりました。最近、内山理名への興味が再び再燃してきた、と書きましたが、なぜかというと、今秋に公開される、『深紅』という映画で、主演していることを知ったからです。映画『深紅』予告編はこちら予告編を見てみましたが、もう「内山理名」というだけで、個人的には、期待大なわけです。「これは、絶対に観にいかな、あかんなあ」と妻に言ったら、「一人で行ってね」と冷たく言い放たれてしまいました(^^;それは、ともかく、このことを知ってから、次の日には、本屋へ走って、原作の『深紅』(野沢尚・講談社文庫)を手に入れていました。(^^;そういうことに関しては、「驚くほど行動が速いね!!」と妻にも呆れられているわけです。また、「ソン・イェジン」ちゃんは、もう飽きたの?とも言われましたが、ソン・イェジンは、ソン・イェジンで好きなわけです。同時並行で、たくさん好きな女優がいるので、困ります。(^^;この秋、ヨン様と共演している『四月の雪』という作品が、公開されるので、こちらも、観にいきたいなあ、と思うので、忙しくなりそうです(^^;えっと、『深紅』の内容を少し引用してみます。「父と母、幼い二人の弟の遺体は顔を砕かれていた。秋葉家を襲った一家惨殺事件。修学旅行で一人生き残った奏子は、癒しがたい傷を負ったまま大学生に成長する。父に恨みを抱きハンマーを振るった加害者にも同じ歳の娘がいたことを知る。正体を隠し、奏子は彼女に会うが!?」吉川英治文学新人賞の衝撃作。」この事件の生き残りの奏子を「内山理名」が演じます。難しい役どころですが、期待しましょう。★『卒業』はやはり、埋もれた傑作だ!!★映画『卒業』については、こちらで紹介しました。今回で5回目の鑑賞ですが、また新鮮な気持ちで観ることができました。やっぱりこの作品、自分にとっては「永遠」に心に残る傑作であることは間違いありません。この作品は、「内山理名」目当てに観たのではなくて、この映画を観るまでは、この女優は、全くといっていいほど、知らなかったですし、関心もありませんでした。しかし観終わって、彼女に強烈に「吸引力」を感じてしまった作品、ということでも記憶にとどまる作品です。私の場合は、今まで、数限りない女優に惹かれてきましたが(^^;、振り返ってみるに、その惹かれるきっかけは、ほとんど100%「映画」です。それも、それまで関心がなかったのに、ある一作品で、一気に惹かれてしまうパターンが多いですね。惹かれるのに、理由や理屈はいらないということでしょう。「広末涼子」さんも、はじめは、何この人?という感じで観ていたのですが、『秘密』という映画を観て、コロッと180度転換して、大好きな女優になってしまい、CDまでリピートして聴くものだから、妻に嫌がられているほどになってしまいました。「つぐみ」という女優さんも、『贅沢な骨』で、一気に惹かれてしまいましたし、私の場合は、映画が大きなキーポイントになっているような気がします。えっと、私の女優遍歴の話はどうでも良くて、ですね。(^^; すみません。 『卒業』は、レンタルでもないところが多いだけに、非常にマイナーな作品ですが、より多くの人に見てほしい作品です。本当に静かで、台詞もあまりないのですが、それだけに逆に、訴えかけるものがあり、言葉にならない、登場人物たちの想いが、みるたびに、深く心に染み込んできます。登場人物の背景は、ほとんど説明されないので、それだけに想像の余地は広く、深い余韻を残します。まだ、正直なところ、分からないところや疑問点も、いくつかあります。けれど、それでいいのだと思います。100%きっちり伝えたから、良い映画というわけでもないと思います。最後に至るまで、無駄な部分が何ひとつなく、雨の映像が美しい。万感を込めた内山理名のラストのシーンは、ほんとこみ上げてくるものがありますし、あそこにこの映画が、集約されているといってもいいのかもしれません。これは「埋もれた傑作」であることは間違いありません。『卒業』~メモリアルディスク~こちらは、メイキングはもちろん、映画公開にともなうステージでの舞台挨拶などもみれる2枚組み。さらに、映画のなかで、麻美(内山理名)が、最後近くに、大切な人へ当てた手紙を書く場面があります。その手紙は、どんなことが書かれているのだろうか、という興味をそそるのですが、このDVDでは、作家の村山由佳さんが、その手紙を想像して書いていて、内山理名の独白と映像つきで見れるという、うれしい趣向もあります。また、この手紙の内容が、いい!さすが、村山由佳さん、という気がします。この手紙の内容を読むと、より映画に厚みが出て、深みも増します。『卒業』★広がっていく『卒業』の世界★そして、いくつか、『卒業』では、コラボレーションが生まれています。まずこの映画の漫画化が、「くりた陸」さんという方によって、なされています。もちろん買いました!漫画だけでも、非常によくできた、感動的な作品に仕上がっています。映画では語られていなかった背景が、作者の想像を交えながら書き込まれているので、映画を観て、この漫画をみたら、映画をより深く感じることができます。『卒業』くりた陸そして、もうひとつ。小説家としても有名な村山由佳さんが、映画を見て、その時浮かんだイマジネーションで、書かれたサイドストーリー『永遠』映画では、空白となっていた余白を埋めるような作品として、書かれていて、この『卒業』と『永遠』のセットで、これまたより深く味わえること間違いありません。『永遠』(村山由佳)やがてくる「卒業」は、区切りであり、また新たな始まり。赤い傘がもたらす、「永遠」の短い時。雨の中を駆け抜ける 途切れない想い。桜の花びらが、雨とともに舞う「卒業」の時。優しい雨が 雪に変わっていく奇跡。これからの軌跡は 「永遠」に続く果てしのない道…。 内山理名の「永遠だよ」という台詞がいつまでも、胸のなかで、繰り返し響いて、言葉にならない想いが、いつまでも渦巻きます。自分にとって、邦画のベスト5をあげろといわれれば、誰が何と言おうと、絶対に入れてしまう作品です。人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。なんだか、非常に個人的な話題に終始してしまいましたが、というか、結局、内山理名のことだけじゃん!と言われそうですが、全くもってその通りですね…。次回、「内山理名」と「樋口一葉」にまつわるシンクロを、復刻版「シンクロニシティ」のエピソードとして、書いてみます。「シンクロニシティ」テーマ募集中!あなたに起こった「偶然の一致」「シンクロニシティ」体験を、上記のテーマより投稿していただけると、うれしいです。(^^)偶然の積み重ねが、「ツキ」を呼び、人生を豊かにします。(^^
August 27, 2005
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まずは、これから。(^^;「シンクロニシティ」テーマ募集中!あなたに起こった「偶然の一致」「シンクロニシティ」体験を、上記のテーマより投稿していただけると、うれしいです。(^^)偶然の積み重ねが、「ツキ」を呼び、人生を豊かにします。(^^今日の車のナンバーは、集中しました。実は、きのう読んだ、『運命を変える未来からの情報』の内容を、少し実践(?)してみました。『運命を変える未来からの情報』(森田健・講談社)シンクロニシティの仕組みがよくわかる!どう言ったらいいのか、「問い」を発すると、周囲の環境、その場も一体となって、答えをくれるそうなんです。つまり、内面も外面も実は一体であり、環境、外側、天を取り込むというか、味方につけるというのでしょうか、「問い」を投げかけると、天は応えてくれるそうです。いろいろなところで、「サイン」をくれると。それが、すれ違った人だったり、その場に居合わせた人だったり、いろいろですが、つまりは、偶然は何ひとつない、ということにも、繋がっていくみたいです。夕方、配達中、「○○○○、○○を見せてください」、と問いかけてみました。そうしたら、ほんの少ししてから「3333」がきました。その後、「・・88」「8886」「8833」と、印象的なナンバーを、けっこう連続してみることになりました。びっくりしました。「え?今の問いかけの応えなのだろうか?」といまだ、半信半疑ですが。ただ、一連の数字は、「問い」に対しての、応えに受け取れるようにも感じました。そして、それから、今度は、「どうしたら、○○に○○してもらえるでしょうか?」と。(伏字ですみません。個人的なことも含むので…)「問い」を発して、これもすぐでした。「5555」のナンバーとすれ違いました。「うぇ?」とびっくりしました。その後少しして、また「8888」「9899」「3388」「・・88」「・・88」と連続的にみました。今日は、印象的ナンバーが多かったので、メモしとこう、とメモしました。●「5555」…これから何かに向かおうとしているとき。今やっていることがダメで何かに移行しなければならないとき。「5+5+5+5」=「20」で、「20」は、伊勢神宮の式年遷宮が20年に一度行われることからも分かるように、「蘇り」「復活」の象徴でもあります。「問い」に対して、いつもまっさらな、新しい気持ちで、取り組んでいけばいい、というアドバイスなのかなと、その時は、受け取りました。ここ1ヶ月くらいでしょうか、「8」と「3」のぞろ目などを、見ることが多い気がします。何なんだろう、と思うのですが。では、過去のシンクロ体験の復刻版、いってみましょう。★連続する問いかけ★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以下は、復刻版「シンクロニシティの不思議」2004年11月6日、7日の記事(加筆訂正版)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー今回は、本当にちょっとした「偶然の連続」について。4~5日前の朝、店にいる時のこと。開店する少し前から、それは起こりました。お客さんが入ってきて、スタッフが「いらっしゃいませ」と言ったら、「あのー、○○はどこですか?」とその方は聞いてきます。要は、道を教えてほしいということです。まあ、これは、よくある事といえば、よくあることなんです。別に、珍しいことではありません。しばらくして、今度はお客様が入ってきた…と、思ったら、また「えーと、△△はどこですか?」ときます。ちょっとガクッ…ときます。(^^;そしてしばらくして、また道を聴きに来る人。しばらくすると、またまた道を聴きに来る人。(^^;それだけ続くとさすがに、「え?」と思います。合間に、お客様もこられましたが、結局、朝、立て続けに4名来られました。これには、正直驚きましたし、こんなに続くことは、きわめて珍しいことです。と、いうか初めてです。スタッフの一人は、4人目の人が来たあと、「ここは交番かい!!」と、冗談交じりに言ったので、思わず笑ってしまいました。「何か、意味があるのかな。」とも思いましたが、よく分かりませんでした。ただ、同じ物事が、なぜか続く時ってありますよね。だから何なの?と言われれば、答えようがないのですが、これも「偶然の連続」「偶然の一致」ということでは、「シンクロニシティ」体験といっていいでしょう。と、いうことで、書き留めておきます。★電話と現象面の一致★さらに別のシンクロ体験を。今回は、車での配達中に起きた「シンクロニシティ」。夕方頃、あるお客様の近くまで来ました。その方のところへは、毎週この地域に来たときは、チラシを渡したり、車に積んでいる商品を見てもらったりするために、寄せていただいています。今回も、近くまで来たので、何の連絡もなしに寄ってみることにしました。そして、そのお客様の家に、今まさにつこうとした時、携帯電話が鳴りました。…話は変わりますが、11月1日から、車中の携帯使用は、警察に見つかると罰金になってしまいます。1日の日は、そんなこと知らずに、何回か車で走りながら、運転していました。電話の相手から、「今まさか運転しながら電話してないよね?」と言われて、「え?してるけれど。」と。「警察に捕まるよ!」と言われました。危なかったです。(^^;その日は、車で走りながら、あちこちに警察の人たちを見かけたんです。つかまっている人もいて、一時停止してなかったか、スピード違反でも捕まったのかな、くらいにしか思いませんでしたが、あとから思えば、携帯の使用で取り締まっていたのですね。その日全国で3000人以上が検挙されたということで、あとで新聞を見て、捕まらなくてよかった、と思いました。えっと、話がそれました…。そうそう、先のお客様のところに着くその時に、携帯電話が鳴ったといいました。そして、携帯使用は、車を止めてから、ということで、そのお客様の家の前で、止めました。電話してきたのは、店のスタッフからでした。「○○さんから電話が今あって、商品を大阪に送ってほしいから、そのことで一度電話をしてほしいそうです。」とのこと。その時、私はいたく衝撃を受けました。なぜか…。それは、店に電話をかけてくれた○○さんとは、まさに今私が止まっているその家の方だったからです。「あ、ちょうど今、○○さんの家の前で止ったところなので、聞いてみますね。」と言うと、スタッフも「え?今そこにいるんですか?」とびっくりしていました。そして、車を降りて、ベルを鳴らすと、しばらくして○○さんは出てこられました。ちょっと驚いたような表情で、「あらあ…、今電話したの。」というように言われました。○○さんの家の前に止まった、まさにその時に、店のスタッフから電話があり、○○さんからの電話だから、折り返し電話してほしいということ。示し合わせたわけではないのに、お客さんが電話した時と、私が、たまたまお客様のところに着いた「タイミング」が、「偶然」一致しました。まさに、「シンクロニシティ」だ!と思いました。★この夜にいいことが起こる★これには、関係あるかどうか、少しだけ続きがあります。この「シンクロニシティ」があってから、この偶然の一致には、何か意味があるのだろうか、と考えていました。本には、「シンクロニシティ」は、良いことが起こる過程で起きてくること、と書かれていたけど、いい前兆なのかな、ということは思っていました。その夜、ふと、配達先の近くに、そういえば、まだ行ったことのない、レンタルビデオ店があったことを思い出しました。たまたま、そこまで行ったので、ついでに、寄ってみようかという気になりました。何が目的なのか?そう、それはただひとつ。今、はまっているドラマ『ストロベリー オンザ ショートケーキ』の最終巻5巻がないかどうか、ということです。恥ずかしながら内山理名が出演しているから、です。(^^;『ストロベリー オンザ ショートケーキ』というドラマの最終巻5巻がいつも行っている店は、なぜかなくて、5巻だけ見れなくて、欲求不満状態になっていました。もしかしたら、この店にはあるかも、と思いました。そして行ったら…、ありました!!そして、ふと思いました。「シンクロニシティ」が、良いことが起こる前兆、過程だとしたら、先のシンクロは、借りたかったビデオをようやく借りることができたことに、繋がっているな、と。まあ、思い込みかもしれませんし、たぶん関係ないようにも思いますが。人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。でも「シンクロニシティ」が起こった時は、あ、この流れでいいんだ、と思うようになってきました。ですから、今度はどんな「シンクロニシティ」が起こるのかと、楽しみにするようになってきています。シンクロの輪、広げていきましょう。
August 26, 2005
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「シンクロニシティ」テーマ募集中!あなたに起こった「偶然の一致」「シンクロニシティ」体験を、上記のテーマより投稿していただけると、うれしいです。(^^)のっけから、宣伝(^^;シンクロの輪を広げましょう。今日の車のぞろ目ナンバーは「777」。以前、少し紹介した『ゲマトリア数秘術』『ゲマトリア数秘術』(久保有政・学研)この本によると、「十字架」のゲマトリア(ギリシア語のアルファベットを数字に変換する)は、「777」になるといいます。また、「神・天・地」のゲマトリアも「777」著者によると、「十字架(クロス)」とは、「神・天・地」を結んだもの、つまり「クロス」させたものだといいます。両者が「777」で繋がります。さらに「777」=「(7+7+7)×37」です。そして、ここで出てきた「37」とは、「イエス」を表わす聖数だといいます。なぜなら、「イエス」のゲマトリアは「888」。そして、「888」=「(8+8+8)×37」となり、ここでも「37」がでてくるからです。さらに、「キリスト」のゲマトリアは「1480」「1480」=「37」×「40」=37×「8+8+……+8」 =「37+37+37+……+37」ここでも、「37」!!これは、全然関係ないのですが、いつの頃からか、「37」はなぜか好きな数字でした。なぜ、覚えているかというと、大学の時、学科での学籍番号があるのですが、その番号が「37」番だったからです。4年間、その番号だったわけですが、前から好きな数字だったので、いい番号だと、個人的に思っていました。この本を読んで「37」がイエスの聖数を示すと知った時は、正直びっくりしました。「へえ、そうだったの!」みたいな。これも「シンクロニシティ」なのかな、と。なぜなら、最近、漢字をみていると、「聖書」とか「イエス・キリスト」の存在に行き当たらざるをえないので、そういう意味でも、「37」という数字は、自分にとって、大切な数字なのかもしれないと思いました。『運命を変える未来からの情報』(森田健・講談社)きょうこの本読了しました。感動しました。運命とは何なのか、考えさせられました。「自由」と「真理」どちらを選ぶ?と問われたら、あなたなら、どちらをとりますか?この著書の森田さんは、迷うことなく「真理」だと言い切ります。そして、不思議なことに、「自由」をあきらめて、「真理」を選んだら、「自由」をあくせくして求めていた時よりも、かえって「自由」になれたといいます。シンクロニシティについても、今まで読んだ本の中では、一番といっていいほど、仕組みについて、納得ができました。そうだったのか!と。また、機会があれば、紹介していきたいと思いますし、何度か読み返してみたいと思わせる本でした。この本、シンクロニシティとか宇宙の仕組みに興味があれば、一読の価値あると思います。おすすめです。やはり、シンクロニシティは、この世の仕組みとか、真理の探究において、かなり重要な現象であるということが分かりました。シンクロニシティの輪を広げていきましょう!では、過去の復刻版「シンクロ」の本題へ。今回は、ほんと、マニアックなシンクロニシティ体験となりました…。★夢の世界へ誘われて★復刻版「シンクロニシティの不思議」2004年11月6日の記事(加筆訂正版)今回の「シンクロニシティ」体験は、な、何と、夢の中。なんじゃそりゃ?と思われるかもしれませんが、ついに、夢の中にまで、「シンクロニシティ」体験をするようになってしまいました。たとえば、好きな人を、夢の中にまで見ることがあるように、私の場合、寝ても覚めても「シンクロニシティ」のことで、頭がいっぱいになってきたようです。そうとう、きてます。大丈夫でしょうか…。(^^;以下夢の中…。 Zzz…。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここは高校だろうか。教室の中に僕はいる。他の人たちも、たくさんいる。なぜ僕は、高校生なのか、そんなことは分からないし、夢の中なので何でもありというわけだ。どうやら、個人個人で自分のことを書いて、個人文集のようなものを作るようだ。状況はよく分からないが、夢の中の僕は、そう思っている。隣には、誰だか知らないが、とにかく女の子が座っている。僕は彼女のことを知っているようだ。そりゃ同級生だから、知っているはずなのだけれど。僕も彼女も、それぞれ自分のノートを見ている。何のノートかは分からない。女の子が、ある場所(思い出せない…)、「○○」はどこにあるの?と聞いてくる。その時僕は、「ハッ…!!」とする。そして、「グッときて…いやいや、そうじゃない…」とにかく、びっくりしたというわけだ。なぜって、その「○○」という場所は、今、僕のノートに書かれている言葉で、僕は、今まさに、その「○○」という文字を見ていたからだ!!「これってシンクロニシティだよ!!!」と夢の中にいるとも知らずに、僕は心の中で叫ぶ。そんな僕の内心の動揺に、彼女は気づくはずもなく、さらに僕に話しかけてくる。その○○という場所には、「○月○日(これも思い出せない。11月1日だった気がするが定かではない)に、私、そこへ行ったの」、というようなことを彼女が言う。そこで、さらに僕は「ドキッ…!」とする。「え?ちょっと待ってよ。」と彼女の話をさえぎる。そしてあわてて自分のノートを見る。焦ってなかなか目的の場所が見つからない。くそ、何で、こういう大事な時に見つからないんだ、などと思い、イライラしながら見ている。どこだったか…。あ、あった!!○月○日。同じだ。間違いない。内心ニヤリとする。そして満を持して、彼女に言う。「僕も、○月○日、○○(さっきの場所)に、行っているよ!!」と。 そう…、これは、誰が何と言おうと、「シンクロニシティ」現象だ。間違いない。彼女と何か縁があるのか? 運命というもので結ばれているのか?いろいろな想いというか妄想(彼女との関係性ばかり)が、頭の中を渦巻く。彼女に向かって、「おもしろい偶然だねえ。あの日、君もそこに行ってたのかあ。」というようなことを言う。ピタリと決まった!!これで彼女は、びっくりして、僕との偶然の一致に驚き、僕とのただならぬ縁を感じるだろう…。ふふふ…。すべては完璧なはずだった…。しかし!!!彼女はこの偶然の一致を何とも思っていないのか、あまり、というかほとんどびっくりしてくれない。え?何で驚かないの?これってすごい偶然の一致だよ?と、心の中で思うが、彼女の反応が予想以上に鈍いので、ややいらいやする。結局このシンクロニシティ現象は、私が内心一人盛り上がっただけで、彼女に別の話題に振られてしまう…。彼女は、こう言った。「私、忘れっぽいので、日付ごとに書いているの。」と、手書きのノートを、僕のほうへ広げて見せてくれる。見ると確かに、日ごとに分けられて、几帳面な整った字で、書き込まれている。「へえー!すごいねえ。」とその時は感動して、彼女のノートを少し近づきながら、覗き込む。彼女にそうしてさりげなく、近づく。少しドキドキする。そう、その時僕は、確かに彼女のことを意識していた。というか、はっきり言ってしまえば、最初から、彼女のことは、かなり気になっていたし、好意すら持っていたのかもしれない。なぜ彼女に好意を持っているのか理由は明確には答えられないけれども。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーと、こんな夢でした。(^^;できるだけ正確に覚えている範囲内で、再現したつもりですが、多少分かりやすくするために、若干の脚色も。★だから君のことを忘れないよ★今はまっているドラマ『ストロベリー オンザ ショートケーキ(S.O.S)』の冒頭とエピローグの滝沢秀明くんのモノローグ風に言えば、こうでしょうか。あの時僕は、確かに君のことを意識していた。でも、不思議でしょうがないけれども、君の顔や君の表情がどうしても思い出せない。それでも、僕は君の事をずっと思い続けていたし、これからも君のことを思い続ける。だから君のことを忘れないよ…。たとえば、ドラマの第2話の冒頭と最後のモノローグを書き出してみますと…。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー思い出すと、あれから僕はいつもこんなだったね君のことをいつもいつも待っていただけど決して君を忘れないよそれでも僕は、幸せだったんだから……いつから、いつから君を意識し出したのか今となってはあいまいだし、意味もないただ、僕は決して忘れないよいったい何度、君を心から打ち消そうと努力したのかその回数は覚えていなくともーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの夢、ドラマ『S.O.S』の影響もあるかも…。はじめの段階では、個人文集を作ると認識していたのですが、そのことはどうなってしまったのか、まあ夢の中のことですから、矛盾はあります。そもそも、何で私が高校生なんだ?ともかく、夢の中でも、これは「シンクロニシティ」だ、と思っています。そうとう、きてます…。頭のなかは、シンクロニシティでいっぱい…。人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。きょう聞いているBGMは、ドラマ『S.O.S』の主題歌、エンディングテーマ、挿入歌に使われていた「ABBA(アバ)」というグループ。このCDを聞くと、ドラマ『S.O.S』と「内山理名」(^^;が、まぶたに浮かんできます…。「アバ S.O.S.~ベスト・オブ・アバ」
August 25, 2005
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きのうから、復刻版「シンクロニシティ」シリーズを、書いてます。今日、たまたま読んでいた本に、「シンクロニシティ」の仕組みの解明に迫る部分を目にしました。おお、シンクロだ、と思いました(^^;シンクロ含めて、人間の運命や、この世の仕組みなど、かなり宇宙の法則に迫る内容です。「シンクロニシティ」が起こる理由が、理論的に説明されていて、「なるほど!」と思わせてくれます。この仕組みを知れば、意識的にシンクロニシティを起こすことも可能なはずです。そのポイントはどうも、「未来」と「手放す」ことみたいです。まだ、全部読んでないので、いい加減なことは言えませんが、また、内容については、紹介したいなと思います。『運命を変える未来からの情報』(森田健・講談社)「人間の運命は、生まれる前からすべて決まっていたのか?生まれたとき、人生には下書きが書いてあった。しかもその下書きは、書き換えることができた。そして運命変更の秘訣は、未来にあった!」(表紙の裏より引用)今は、自分自身のある意味、どうでもいいようなものも含めて「シンクロニシティ」体験を書いていますが、「シンクロニシティ」の仕組み、実践版も、このシリーズで紹介していけたら、と思います。それと、読んでくださっている方へお願いです!!(何だよ、いきなり、と言われそうですが。)みなさんのシンクロ体験を、この「テーマ」である、「シンクロニシティ(偶然の一致現象)」にぜひ投稿してください。私、このテーマ新設しましたが、このテーマで書いて「くださって」いるのは、何を隠そう、自慢じゃないですが、今のところ…、私一人です!!!孤軍奮闘(?)しています。(T_T)ささいなシンクロ体験と感じても、貴重な体験ですし、ある意味、それぞれの人生はシンクロニシティの連続である、ともいえるのではないかと思います。ということで、よかったら投稿、お願いします。m(_ _)mでは、前回の復刻版 episode8 の続きへいってみましょう。★喫茶店での出会い★「『S.O.S』が「センス」を呼び覚ます2日間」はこちら復刻版「シンクロニシティの不思議」2004年11月1日、5日の記事(加筆訂正版)「シンクロニシティ」は、どうも、一度起きると、「連鎖的に起こる」、というのが、最近の経験上言える事です。別の見方をすれば、本当は頻繁に「偶然の一致」は起こっているけれど、見過ごしていることが案外多いのかもしれません。あるいは、「意識」すれば、普段見過ごしていたことに、気づくから、「シンクロニシティ」が増えたように感じるのかもしれません。たとえ、ほんの些細な「シンクロニシティ」でも、意識していけば、気づくことが何かしらあり、この現実が、今までにはない「色」で包まれるような、そんな気がします。話を戻します。この日は、前回書いた、朝の「S.E.N.S(センス)」のCDと、その「センス」の新聞記事の「偶然の一致」がありました。そして、昼過ぎに、家族で出かけました。妻は、葵をベビーカーに乗せて、透萌(ともえ)とともに、私の父の誕生日に贈るものを見に行ってくれました。ちょっと、悪いなと思いつつ、その買い物の間、私は、店のお客様へのご案内に同封する、手書き通信「光透波の泉」【アナログ版】を書くために、近くの喫茶店へ行きました。そこで、続きを書いていました。しばらくしてから、隣の席に座った人がいたので、ふと顔をあげて見ると、店に来てくださる、年配の男性のお客様ではないですか!相手の方は気がついてなかったので、こちらから、「こんにちは。」とお声をかけました。実は以前も、この方と、ここでお会いしたことがあります。その時は、妻が美容院に行っている間、ここで本を読んでいるときでした。時々来られているようです。「あ、原稿書きしているの? いつも、あれだけの量書くのたいへんでしょう?」といったようなことを言っていただきました。原稿書きっていうほど、たいそうなことではないのですが、いつも読んでくださっているようで、ありがたいことです。「いや~、まあ、そうですねえ~」とあいまいな返事の私。知っている人が、偶然、同じときに、同じ場所に居合わせた。厳密に言えば、「シンクロニシティ」とは言えないのかもしれませんが、これもひとつの「偶然の一致」です。★アナログ版「光透波の泉」★そして、このことがきっかけで、手書き通信の内容が、さらに当初とは変わりました。いつも、この通信を書くときは、「テーマ」をだいたい決めて、それについて、ざっと下書きをしてから、ペンで書いていきます。今回は、今気になっている「シンクロニシティ」について書くことは決めていました。それについて、どう書こうかと正直なところ「迷い」がありました。しかし、この朝、通信を書き始めたときに、「S.E.N.S(センス)」のCDと新聞記事の「偶然の一致」があったことで、「シンクロニシティ」体験として、急遽このことを組み込みました。ラッキーです。そして、今起こった、お客様と同じ場所に同時に居合わせたという「偶然の出会い」。しばらくして、その方は、「じゃあ、ごゆっくり。」と言って、行かれました。しばらく思案していました。迷っていました。そしてこれも「偶然ではない」と思いました。そうして、このことも、急遽「シンクロニシティ」の話題として、組み込みました。もう「下書き」は、こうなるとあってないようなものです。「下書き」を離れて、ぶっつけ本番的に、「勢い」で書いてしまいました。今までも、「下書き」といっても、大まかに書いていただけなので、書きながら若干、ここはこうしたほうがいいかな、とか、修正を加えつつ仕上げていたことはあります。今回は、テーマは「シンクロニシティ」と決めていたのですが、書きながらシンクロニシティが起こって、それをまた書くという、非常に新鮮な体験をしました。「シンクロニシティ」を意識したら、「シンクロニシティ」が引き寄せられたような気もしました。そして、思いました。あまり「枠」にとらわれる必要は、ないな、と。★「流れ」に乗せてくれるのが「シンクロニシティ」★よく「流れに乗る」という言い方をします。そして、「流れ」というものは、目にはっきりとした形では見えないけれども、確かにあるな、と今回のことで感じました。その「流れ」に、うまく乗れるように導いてくれるのが、「シンクロニシティ」という現象ではないか、と思いました。この後、また、「シンクロニシティ」的体験をすることになります。★CDと本のシンクロ体験★しばらくして、窓の外に妻と娘が見えたので、立ち上がってレジへと向かいました。店を出てから、妻は、1階の100円均一売り場のところで電池が買いたいとのこと。買いに行っている間に、ベビーカーに乗っている葵(あおい)を見ていて、と言います。妻が買い物をしている間、100円均一のところを、何気なくベビーカーを押して、奥へ奥へ歩いていきました。4歳の透萌(ともえ)も、一緒についてきます。ふと前を見ると、奥の売り場の一角には、中古の本やビデオ、CDなどがありました。あれ?こんなところに、いつの間にこんな売り場ができたんだろう、と思いつつ、ちょっとだけ見てみるつもりで、CDや本を見ていきました。そして、「シンクロニシティ」は起こりました。CDコーナーで、パッと目に入ったのが、谷村有美のアルバム『圧倒的に片想い』。続いて、本のコーナーで、本棚を見上げたら、パッと目に入ったのが、俵万智さんの『サラダ記念日』という第一歌集。まるで向こうから、飛び込んできたような感じで、衝撃を受けました。なぜ、この二つの作品が目に飛び込んできて、そして自分は、衝撃を受けたのか?それは、Cinema Scape(映画批評空間)で知り合った、「YOU子様の日記」が原因でした。YOU子様の日記の中で、谷村有美のアルバム『圧倒的に片想い』を聞いている、と書かれていました。谷村有美さんは、だいぶ前に、兄がよく聴いていたので、よく耳にしていて、好きな歌手でした。だから頭に残っていたのでしょう。また、俵万智さんも、実は、YOU子様の日記で拝見して、今、『かすみ草のおねえさん』というエッセイを読んでいます。「俵万智」さんの衝撃的なデビュー作品『サラダ記念日』。題名こそ知っていたものの、手に取ったことはありませんでした。しかし、第一歌集なので、特に最近は見たいと思っていました。だから、連続して、目にした時、衝撃を受けたというわけです。これが連日3度目の、「シンクロニシティ」でした。「シンクロニシティ」というのは、情報がインプットされると、それに関する情報が集まってくる気がします。ちょうど、情報のアンテナを張っていると、その波長が合って情報キャッチされる状態とでも言うのでしょうか。ですから、「意識」すると、それだけで「情報」が集まってくる、というのは、あるように思います。今回は「谷村有美」と「俵万智」という情報が、自分の意識の中にインプットされて、それに、反応した、ということでしょう。★2日間にわたる「シンクロ」のまとめ★最後に、今回の二日の流れをまとめてみます。●第一の「シンクロニシティ」前日の夜、「センス」のCDを借りてきて、次の日の朝、「センス」を聞きながら、手書きの光透波の泉【アナログ版】を書いていたら、妻が新聞記事に「センス」の記事が載っているのを見つけます。センスのCDとセンスの記事の「偶然の一致」厳密に言えば綴りは違うのですが、「センス」とは、「意味・感覚・感性・意識」といった意味があります。「センス」のCDで、「シンクロ」現象が起こったというのも、深読みすれば、「意識」「感覚」といったことで、「シンクロニシティ」と繋がってくるような気がします…。考えすぎかな(^^;●第二の「シンクロニシティ」昼過ぎ、喫茶店で、手書きの「光透波の泉」を書いていたら、隣の席に、店のお客様が、ちょうど来られた「偶然の出会い」。しかも、今回、書いていた内容は「シンクロニシティ」について。●第三の「シンクロニシティ」YOU子様のHPを見て、頭の隅っこにあった「谷村有美」と「俵万智」。喫茶店を出てから、一階の100円均一を妻が見ている間、その奥にあった、中古の本やCDを眺めていたら、「谷村有美」の『圧倒的に片想い』というアルバムと、「俵万智」の『サラダ記念日』が目に飛び込んできたので、買ってしまう。以上の、シンクロニシティ体験でした。この2日間は、連続しました。人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。今のBGMは、もちろん、谷村有美『圧倒的に片想い』!!単純…。(^^;最後の3曲「圧倒的に片想い」「信じるものに救われる」「あなたに出逢えて」が、流れといい、曲といい、詩といい、圧巻の出来です。繰り返し聴いてしまいます。
August 24, 2005
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本題に入る前に、今日の車のナンバーも、ぞろ目を4回見ました。まず、「1111」で、次に「333」、そして「222」最後に「8888」でした。ぞろ目は、その時の心境を表わしていることが多いと言いますので、何か読み取れるのかもしれませんが、最近は、考える気力が…(^^;今のいい加減な思いつき解釈で言えば、「1111」で原初、初心に戻る。「3+3+3」=「9」と「2+2+2」=「6」で、「9・6」すなわち、陰陽合一となり、「完全形」で、ありのままの自分でいいよ!というメッセージ。そして、「8888」で、「8」が光、太陽を象徴していますし、「∞」にも通じる数で、ありのままでいれば、「光り輝く!」さらに、「8+8+8+8」=「32」=「3+2」=「5」となり、「5」は「中心」であり、ローマ数字で「5」=「V」となり、「Victory」(勝利)の数字。よって、まとめると、「初心」にもどって、「ありのままの(完全な)」自分でいれば、「光り輝き」「無限の」可能性が広がって、すべてがうまくいく(勝利)!ということでしょうか…。言うことなしじゃないですか!(^^;勝手な解釈もいいところですが、楽しんで、良いほうに考えればいいんじゃないでしょうか、と、ごまかしておきます…。(^^;今回は、過去のシンクロニシティの復刻版。ヤプログ版では、4回の連載でしたが、ここでは2回に圧縮します。なので、少し長いかもしれません。いつも長いですが…。では、復刻版いってみましょう。はっきり言って、今回のタイトルは、意味があるようでいて、意味が、全くありません。けど、やっぱり少しは意味があるかも…(^^;「なんじゃい!!」と言われそうですね…。自分自身、よく分かっていない。と、いうことで、あまり、深く考えないでください。★始まりは、『S.O.S』のサインから★復刻版「シンクロニシティの不思議」2004年10月31日の記事(加筆訂正版)今回のシンクロニシティは、昨日から今日にかけて起こったことです。けっこう連続して起こったことなので、忘れてしまわないうちに、書いてみます。昨日、久しぶりに、いつもとは違う、レンタルビデオ店に寄りました。目的はたったひとつ!!そう…、今はまっているドラマ、『ストロベリー オンザ ショートケーキ』(略して『S.O.S』以下このように表記)の5巻を探すため!!なぜはまっているのか、恥ずかしいですが、説明しておきます。それは…、内山理名が出演しているからだあ!!あ、すみません…。こういう時は、いつも力が入ってしまいます。まあ、それは、今回の話とは全然関係ないので、どうでもいいのですが。ドラマについて、引用しておきます。内山理名が出ているからというのもありますが、個人的には、かなり好きなドラマであり、充実した内容のドラマだったと思います。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー2001年1月からTBS系列で放映された野島伸司脚本、滝沢秀明主演のセンチメンタル・ラブ・ストーリー。誰もが誰かを愛してる、けれどその歯車は哀しくも少しずつずれていた…。誰もが経験する"片想い"というテーマを野島独特の世界観で表現。滝沢の義妹役を演じた深田恭子の他、同級生役の内山理名、窪塚洋介という若手注目株のキャスティングも話題を呼んだ。同局ドラマ「魔女の条件」では教師との禁じられた愛を熱演した滝沢が、本作では義理の妹への切ない気持ちを抱えた冴えない18歳を好演している。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーストロベリー・オンザ・ショートケーキ 1ストロベリー・オンザ・ショートケーキ 2ストロベリー・オンザ・ショートケーキ 3ストロベリー・オンザ・ショートケーキ 4ともかく、そのドラマが、いつも行っているレンタルビデオ店では、4巻までしか置いてなくて(5巻まである)、このままいくと、途中までしか見れなくなる恐れが出てきたため、他の店にはないだろうかと思い、そのレンタルビデオ店に行ってみた、というわけです。探していると、「あ、あった!」と思ったのもつかの間、何故か『S.O.S』のビデオが1巻だけ置いてあります。「え?なぜ?」と。念のため店員さんに聞いてみると、「あ~、棚においてあるだけしかないんです~。」と。連続ドラマで、1巻だけしか置いてないなんて、全然意味がないじゃないの!と思ったのですが、気の弱い私は(^^;口に出す勇気もなく、ガクッとして、CDコーナーを見ていました。★「S.O.S」から呼び覚まされた「センス」★そのまま、ないから、帰ろうと思ったのですが、何気なく見ていると、「S.E.N.S.」というインストゥルメンタルの代表的アーティストのCDが何作か目にとまりました。今まででも、何作か借りていて、非常にしっとりとした曲が心地よく、好きなアーティストでもあり何枚か、アルバムは借りたことありました。店の店内音楽でも、MDに入れて、時々流したりしてます。その「S.E.N.S.」のアルバム、全く借りるつもりはなかったのですが、目にとまり、せっかく来たのだからと、「神様、もう少しだけ」というTVドラマの音楽を手がけた作品 『Wish』というアルバムを借りました。その時は、『S.O.S』の5巻がなかったショックで、あまり頭は働いていなかったのですが、なぜあの時、「S.E.N.S」のアルバムを借りてしまったのか、よく分かりません。ほんの5分前までは、全く頭になかったアーティスト、アルバムを、何の気なしに、借りてしまいました。目にとまってしまった、としか言いようがありません。こんなことを言うと失礼ですが、正直に言えば、借りる気はないけれど、何も借りないのもあれだし、しょうがないから借りようか、という感じです。しかし、これが次の日の朝、シンクロニシティに繋がろうなどとは、全くの予想外でした。現実とは、平凡に見えていても、些細なことに注目してみれば、案外予想しないことがやってきて、おもしろくて、かつ、ドラマティックに展開しているのではないかな、と今回のことで、ふと思いました。★次の日の「センス」との出会い★次の日の朝、仕事が休みだったので、きのう借りた「センス」のCDを朝一番にかけました。しっとりしたいい曲です。そして、店のお客様に、月1回セールのDM案内を出しているのですが、それに同封している個人通信「光透波の泉」【アナログ版】を、書き出していました。カレンダーなどと同封して、お客様に11月はじめには、出さないといけないので、今日には大体仕上げる必要があります。そこで、「センス」の曲を聴きながら、書いていました。しばらくして、妻と(この時)4歳の透萌(ともえ)が起きてきて、朝食を食べました。朝、家族で、そろって食事をするのは、休みの日しかないので、貴重といえば貴重な時間です。約3ヶ月の葵は、すぐそばで寝転がってます。ぷくぷくで、ほっぺは落ちそうなほどついているし、見ているだけで、笑えてくるというか、癒されるものがあります。(^^;それは、さておき、その時に、食べ終わって新聞を見ていた妻が、「あ、センスの記事が載っている。」と言いました。「うぇ!?」と、びっくりして、聞き返す私。「センスのことが載っているよ。」と再び妻。バックミュージックで流れているのは、まさに「センス」の曲。「……それって、もしかしてシンクロニティじゃない?」というと、「そう言うと思った!」と、妻に笑われてしまいました。何せ、このところシンクロニシティのことばかり、言っているものだから、妻も、シンクロニシティには敏感です。何でも「シンクロニシティ」に結びつけようとして!と、妻には、言われたりしていますが…。記事を読むと、センスの新作アルバムについてのインタビュー記事が載っていました。アニメの主題歌と音楽を担当していて、センスにしては非常に珍しい歌詞のついたボーカル曲が、披露されるとのこと。妻が、聴いてみたいね、と言いました。私も聴きたいと思ったので、この「シンクロニシティ」は、センスのこの新作を買えということかな、と言うと、「買わんといてね!」と言われてしまいました。★きのうからの流れを振り返ってみて★まとめてみます。先日、なぜか自分の中では、明確な理由なくセンスのアルバム『Wish』を借りました。きょう、そのCDを聴いているときに、妻が、まさにその「センス」の新聞記事を目にした「偶然の一致」。もうひとつ付け加えるなら、その時ちょうど、私は、手書きの光透波の泉【アナログ版】を書いていて、「シンクロニシティ」についての文章を書いていました。きのう何気なく、センスのCDを借りてしまったけれど、少しは意味があったのだろうか、とも思いますし、おもしろいものだ、と思いました。タイトルは『Wish』で「希望」でしょうか。これも、いい兆候と受け取ってもいいのかもしれません。そして、昼過ぎ出かけますが、シンクロニシティ体験は、それで終わらずに、その後2回ほど連鎖的に起こります。次回、後編で書いてみます。人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。
August 23, 2005
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葉の上を滑り落ちた 透明なしずく光に透けて 一瞬のきらめきを解き放って音もなく ぱあっ…と 弾けたまるで 密かに描いた 夢の映像が 跡形もなく 消えてしまうように…今 この世界の空気を 吸い込んだ しずく広大な大地に 染み入って 遥か彼方の 未来へと 旅立っていく昇華していく しずくの魂は 天にまみえて 再び 形ある結晶となり 瑞々しい葉の上で 喜びの産声をあげる記憶の底に淀む 想いの渦いつまでも 手放すことができない心のざわめきは 水面に広がる 波紋のように 頼りなく揺れているそれでもしずくは ありのままの気持ちを すべて透かしてくれた夢や 憧れや 失望や 痛みや 喜びや 傷を しずくに くるみこんでくれた大丈夫…大丈夫だよ…といつかは弾けて まっさらに 生まれ変わるのだからと いつしか隣にいる 君が見せる 何気ないしぐさや ひたむきな姿はしずくのきらめきに 似ている道端に座り込んで 名も知らぬ花に 声をあげ恥ずかしげに 想いを語る口もと涼しげな首筋からのぞく 透き通った肌や 柔らかな表情どんなに些細なことでも 君のひとつひとつが 心を潤すしずくとなる人は 宇宙の壮大な夢を みなで成し遂げるべく 生かされているのと同時にごくありふれた日常の 瞬間瞬間の出来事にさえ 感動できるようなすばらしい心を 誰もが 与えられて 生かされているたとえ想いは かなわずしずくのように 染み込み 消えてしまっても時の変遷とともに 無数のしずくが 大きな雲を 形作っていく決して なくなることは ないのだから何も思いわずらう必要はない… そう言われた気がしたただ 見過ごしてしまいそうな小さな積み重ねを 大切にしていきたいだから 一呼吸 一呼吸 今 目の前にたたずむ 君を 感じていく葉先から 滑り落ちる瞬間君への想いを しずくに託すすうっ…と舞い落ち 光と大地にまみえた 一瞬…すべてが まっさらになりこの空間いっぱいに 君の笑顔が 広がった…
August 22, 2005
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「近江富士」三上山への登山はこちら「近江富士」三上山への登山はこちら「近江富士」三上山への登山はこちら「近江富士」三上山への登山はこちらようやく、今回で、三上山への登山も最終回。8月6日のことですから、かなりまとめるのにかかってしまいました。ようやく区切りがついて、ホッとしています。では、いきなりですが、本題へ行ってみましょう。★巨石を縫って三上山の山頂へ★の後半部分で、登り始めて5分で息が上がってしまい、そんなはずはないと、自分の体力のなさに愕然としてしまい、そうこうしているうちに、傾斜は容赦なくきつくなってきて、巨石もたくさんでてきて、もう風景を楽しむ余裕もなくなって、虫の息になったところまで、書きました。(^^; 山頂までは、結局40~50分かかったのではないかと思います。最後の15分は、もう心臓が破裂しそうなくらい、きつかったです。上記のような巨石がドーンと待ち構えていて、そこを登っていく感じです。三輪山を登ったときも、足はがくがくで、心臓が破裂しそうだった記憶はありますが、ここまで険しくはなかったと思います。手すりもついているのですが、まさに岩を登っていく感じです。さすが表参道、一番きついと聞いていただけはあります。「でもこんなにきついなんて聞いてないよ」と内心思いつつ、今さら戻るわけにもいかず、歩を進める以外にありませんでした。ただ、ほんとに気力とは裏腹に、体は正直で、足が動かない。(^^;自分では一生懸命動かしているつもりでも、おそらく傍からみたら、スローモーションで足を動かしているように見えたに違いありません。最後は、何というのでしょう、手すりにつかまって岩を登っていくという、まさにロッククライミングをしているような(したことないですが…)状態ではなかったかなと思います。自分の体力のなさを痛感した日でもありました。そうして、もう虫の息で、何とか山頂へ到達!!山頂へついたら、おじさんのグループが、5,6名いらっしゃいました。息が上がってますから、必死で挨拶を交わして、それでも鳥居と磐座(いわくら)が見えたときは、ようやく来た、と達成感がありました。 ▲山頂の奥宮御上神社の奥宮ですが、その時は、きちんと見る余裕もありませんでしたが、よく見ると、中央の社と左右に小さな社が建っています。三つの社から成っていると見ていいのでしょうか。麓の御上神社も、社が三つです。神社ではこういう構造が普通といえば普通ですが、前回見た「三」の重要性から見たら、おもしろいものがあります。日本神話の原初の神は「造化三神」ですから、神社は三神を祀る構造が、もともとあるのかもしれません。祭神なども、三神祀っているところが、けっこう多いように思います。だから神社では、社が三つあるところが多いです。三神を拝する構造でしょうか。御上神社、三上山、はまさに、「みかみ」=「三神」に通じると思います。 ▲奥津磐座山頂の鳥居の手前に、この奥津磐座はあります。大きさは、幅約3m×高さ約2mになるといいます。そんなに大きなわけではないでしょうが、ほぼ山頂付近にボコッとあるので、神聖な雰囲気です。この磐座に、天之御影神が降臨したということになるのでしょうか。そこから、三上山の祭祀が始まったということになりますし、神が降臨したとされる旧暦の6月18日には、神職者が三上山頂上に登って、ここで神を降ろす祭祀である、「山上祭」が行われるといいます。その後、麓の御上神社で、改めて神を迎える祭祀が行われるそうです。★下山は裏参道から★しばらくすると、おじさんのグループは下山し始めましたので、一人になりました。もう一度、社に無事登れたことの感謝で手を合わせて、磐座(いわくら)を眺める位置に腰掛けました。展望も申し分なく、少しの時間たたずんでいると、疲れも少しずつ抜けていくような気がしました。携帯電話から、家へ連絡を入れました。「いやー、想像以上にきつかったよ」などと妻に言いながら、妻は、娘も連れて行ったら、みたいなことを言っていたので、「連れてこなくてよかったよ」と。もし、5歳の娘を連れてきたら、とてもじゃないけれど、登れないでしょうし、私が背負うはめになっていたことは明白で、そうなるとあのきつい岩盤はとても登れなかったのではないかと思います。さて、下山しようという段になって、今登ってきた傾斜を降りることを思うと、ちょっとゾッとするものがあったので、今度は裏参道から下山してみようと思い、そちらのルートを取りました。表参道に比べると、岩盤などがまともにない分、まだ少しはましかもしれませんが、でも、けっこうきつい傾斜のところもけっこうあり、どちらを選んだにせよ、楽じゃないな、と思いました。下山して、再び御上神社へ行き、無事登らせていただいたことの報告をして、帰途に着きました。8月6日誕生日の朝に登った三上山、非常に良い思い出となりました。その時は、あんなにきつい思いをしたので、もうしばらくは三上山には、登りたくないと正直思いました。でも、少し日がたった今は、また、機会があれば登ってみたいなと思うようになっています。懲りてない、というか、また登りたいと思わせる魅力が、三上山にはあるのでしょう。なお磐座(いわくら)については、興味深いものがあり、また別枠で取り上げてみてもおもしろいかなと思っています。機会があれば書いてみようと思います。人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。
August 21, 2005
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「近江富士」三上山への登山はこちら「近江富士」三上山への登山はこちら「近江富士」三上山への登山はこちら とびとびになっています、三上山編。今回で、区切りをつけたいと思います、と思ったら、つきませんでした(^^;あと1回だけ、すみません…。 ところで、今日は、車のぞろ目ナンバー「1111」を朝見ました。帰りに、「777・」のぞろ目。 最近再読した本に、『ゲマトリア数秘術』(久保有政著)という本があります。 この本、だいぶ前に読んだ時は、数字の羅列みたいで、あまり理解できず、うーん…、という感じでした。 でも、今読んだら、数字の神秘的な作用に、俄然おもしろみを感じました。そして、「聖書」は、まさに、数秘術やゲマトリア(聖書原典のヘブライ語やギリシア語を数字に変換すること)に満ちていることが分かります。 人知で、ここまでできるだろうか、というほどの数の神秘です。 少し帯の言葉などを引用してみますと、「聖書に隠された数の暗号」「聖書は数字で書かれていた」「反キリスト=666、十字架=777、イエス=888」 「なぜ天地創造は7日間なのか?反キリストの数666の本当の意味とは?欧米で13が忌み嫌われる本当の理由とは?原典のヘブル語とギリシア語のアルファベットを数字に変換した時、そこに浮かび上がるもうひとつのメッセージ。『聖書』の中にちりばめられた数字には、すべて隠された意味があった!!ユダヤ教神秘主義カバラの叡知ゲマトリアが解き明かす知られざる『聖書』の暗号を本邦初公開!!」(裏面より引用) つまりは、今日見た「777」は、まさに「十字架」のギリシア語ゲマトリアになるそうです。最近、「芒」などの漢字破字法で、イエス・キリストの十字架上での死と復活などを見ていただけに、シンクロ現象だと感じました。 十字架の「777」の前後に、反キリスト(666)と、イエス(888)がくるというのが、またおもしろいというか、すごいなと感じました。 ゲマトリア数秘術 と…。こんなことを書いていたら、終わらないので、いい加減、本題へ入りましょう。今回で最後、と思ったのですが、次回で最後としたいと思います。(^^; ★「三井寺」と「三上山」と「三輪山」★ 前回、三上山の伝説についてみました。百足(むかで)を退治した俵藤太に贈られた「鐘」。 この鐘を「三井寺」へ贈ったのですが、その「三井寺」と「三上山」の「三」の一致が気になりました。 そして、ともに秀麗なピラミッド形をしている「三上山」と「三輪山」のことを思ったとき、「三」の意味するものが、見えました。 ●「三上山」・「三輪山」・「三井寺」 すなわち「三」を音に返して、 「三」=「ミ」=「巳」 「巳」とはこれ「蛇」です。 つまりは、今あげた場所は、すべて、「蛇」に関する伝承があるということです。 三輪山の神は、一言でいえば、大物主の神であり、その正体は「蛇神」です。 そして、三上山の山頂は、「龍王様」と呼ばれていて、龍(=蛇)の神様がおはすようです。辺り一帯は、龍神一族が住んでいたと思われますので、「龍=蛇」との関わりは深いようです。百足退治の伝承は、百足に困った神(=龍・蛇)が、「大蛇」の姿をして、俵藤太の目の前に現れています。 では、せっかくなので、「三井寺」と「三輪山」の蛇に関する伝承を見てみます。 ★三井の霊泉と九頭龍神★ 三井寺は「三井の霊泉と九頭龍神」の伝承があります。以下、三井寺のHPより引用してみます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー金堂の近くには天智・天武・持統の三帝が産湯に用いたという三井の霊泉があります。古来より閼伽水として金堂の弥勒さまにお供えされてきました。 古記には、この泉に九頭一身の龍神が住んでおり、年に十日、夜丑の刻に姿を現わし、金の御器によって水花を金堂弥勒に供えるので、その日は泉のそばに参ると「罰あり、とがあり」といわれ、何人も近づくことが禁じられていたという話が伝わっています。 http://www.shiga-miidera.or.jp/index.htmーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ★三輪山の蛇神と箸墓古墳★ 三輪山の祭神「大物主の神」は「蛇神」であるといわれています。これまた、引用になりますが、以下見てみます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー三輪山の神、オオモノヌシノ神と神婚した姫神(倭迹迹日百襲姫神・やまとととひももそひめのかみ)。その長い不思議な名前でも有名。オオモノヌシ神との神婚は箸墓伝説でも有名です。 三輪山の神と結婚したとはいえ、夫のオオモノヌシ神は夜に姫のもとに通ってくるだけ。共に生活しているわけではありませんでした。まして、夫の顔をみたこともなかったのです。そこで、姫はある時、オオモノヌシ神に、是非顔を見てみたいと強く頼みました。すると、オオモノヌシ神は、朝になったら箸箱に入っているので、見てみなさい。しかし、見ても決して驚いてはいけません。と告げました。 翌朝、目覚めた姫神は、箸箱の中を見ると小さな蛇がいたのです。驚き叫び声をあげると、蛇はたちまち若者の姿に変わり、恥をかかされたと怒り、大空に飛び上がり、三輪山へと去っていってしまいました。 驚いたことに後悔した、ヤマトトトヒモモソ姫神は、箸で自分の陰部を突いて自殺したのです。http://www5f.biglobe.ne.jp/~yusake/kamisama33.htmーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー三輪山と箸墓古墳も密接なつながりがありそうです。 以前、箸墓古墳に行った時は、畏怖の念さえ起こさせるぞくぞくっとする圧倒的な雰囲気を感じました。ここは卑弥呼の墓ではないのか、とも言われていますが、なかなか興味深い場所です。「箸墓古墳」についても見ていきたいところですが、今回は本題ではないので、我慢します…。重要な場所であることは、間違いありません。 ★三輪山と三上山★ ここで、三輪山について簡単に見てみます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【三輪山】(奈良県桜井市)高さ467メートル、周囲16キロメートル、南は初瀬川(はせがわ)、北は巻向川(まきむくがわ)の2つの川によって区切られ、その面積はおよそ350ヘクタールとなっていますーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「三上山」は、高さ「432メートル」でした。三輪山の「467メートル」に近いといえば、近いですね。山の形も、三輪山のほうがなだらかな感じはしますが、ともに美しい円錐形の山です。 同じく、山自体が「神体山」として信仰の対象とされてきました。さらに同じく、「蛇神(龍神)」が関わっているという事も共通します。 さらに山のあちこちに、磐座(いわさか)といって、信仰の対象にもなっている巨石が多数存在しているということも共通しています。 似ています…。 「三輪」とは「巳輪」であり、「蛇の輪」となり、三輪山自体が、よくとぐろを巻いた蛇にたとえられたりします。昔から、三輪山では大物主の神のことを、地元の人などは「みぃさん」と言う、と何かの本で読んだ記憶があります。 「みぃ」さんとは「巳」さんのことでしょう。巳=蛇に繋がります。 今回は、「三」にまつわる共通点をあげてみました。もっと深くみていくと何か繋がりが出てくるのかもしれません。★「三」は生命の樹の思想に通じている★ただ、「三」というのは、日本では、かなり根本的な数字として、それとなく使われている節がありますので、重要な数字だと感じます。 もっと言ってしまえば、日本は「生命の樹」の思想が深く組み込まれているということです。「生命の樹」の思想とは、生命の樹を「三本柱」で表わした象徴図形のことです。ユダヤ教の神秘主義にカバラ(カッバーラ)という教義があり、その奥義は、「生命の樹(三本柱)」の象徴図形になります。その思想が、日本の中枢にはある可能性がある、ということです。 どうも、日本の風習などをみていくと、この生命の樹の「三」を感じさせる風習がそこかしこに散らばっています。 そもそも「古事記」の冒頭に出てくる原初の神が、「造化三神」で「三神」です。これはキリストの「三位一体」とも通じるものがあります。 なぜ、門松は、「三本の竹」から成っているのか。(それを玄関の左右に置きます。)なぜ、お正月にそなえる「鏡餅」は、二段の餅とその上にみかんを載せるのか(あわせると三段)?結婚式などでの儀式「三々九度」は、なぜ夫婦がひとつの杯で「三度ずつ」、「三つ組の杯」で、飲み合うのか。なぜ、「万歳三唱」なのか?なぜ、「三途の川」なのか?なぜ死に装束では、「三角」頭巾を頭につけるのか?なぜ「三回忌」が重要視されるのか? そのほか、「三拍子」、「三羽烏」、「日本三景」などなど…「三」にまつわる言葉も多いですし、みていくと「三」というのは、日本ではかなり重要な数字として、使われています。 ちょっと、話がそれましたが、そういう意味でも、「三上山」「三輪山」「三井寺」の「三」は、なかなかおもしろい、という気はしています。機会を改めて、「三」についても見ていくと面白そうです。 人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。今回、登山編の最後が、書けなかったので、次回「エピローグ編」で、本当に、区切りをつけたいと思います。(^^;
August 21, 2005
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「六芒星の正体」はこちら「六芒星の正体」はこちら今日は、車のナンバープレートで印象的だったのは、「111」を2回見たこと。あとは、「9633」「6339」とか、「369」を含む数字を、よく目にしたように思います。今、六芒星について見ているせいもあって、そちらへ結び付けたくなります(^^;すなわち、「96」で「9=陽」と「6=陰」となり、「陰陽合一」、「33」で、「3(△)+3(▽)」=「6(六芒星)」、今のテーマとのシンクロニシティだ、などと、遊んでいました…。それでは、「六芒星」の、完結編、いってみましょう。★「六芒星」の正体★まずは、、で見てきたことを、自分自身、整理する意味でも、まとめてみます。=================================●「芒」=「艸」+「亡」 =「茨の冠」+「亡」 =「イエス・キリスト」+「亡くなる」 =「イエス・キリストの十字架上での死と復活」!?ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「六」=「亠(なべぶた)」+「八(はちがしら)」(「八」が「フタ」をされた状態、隠された状態)●「八」=「陽」=「太陽」=「光」=「八」=「八蘇」=「ヤソ」=「イエス・キリスト」●「六」=「亠」+「八」=「イエス・キリスト(八)が隠された」 =「イエス・キリストが埋葬された」??●「六芒星」=「イエス・キリストが十字架上で死を迎え(芒=ほろびる、くらい)、埋葬され(六)、3日後に復活した(芒=ひかり、光芒)一連の出来事の象徴」??=================================前回までに、「六」と「芒」の漢字破字法について、見てきました。「六」は、非常に単純な見方で、漢和辞典を見ても、そんなことは載っていないし、「六」は「八がフタをされている」などと言えば、専門家の方に怒られるのではないかな、という見方かもしれません(^^;非常に、単純な見方ですが、ただ、そうやって見ていくと、不思議に意味がするすると繋がっていってしまうので、おもしろいなと思います。★いよいよ最終展開へ★今度は、「六」を音に返すとどうなっていくか、見ていきたいと思います。「六」は「ロク」または、「ム」と読みます。「ム」についても、見ていくと興味深いのですが、話が大幅にそれる危険もあるので(^^;、今回はやめておきます。「無」=「六」=「ム」については、けんたま様が、興味深い考察をされています。けんたま様「無(六)」については、こちらから精神世界では当たり前のように、その存在が言われている「ムー大陸」について、「無大陸」「六大陸」と述べられているのは、ものすごく的をついているような気がしました。「ムー大陸」については、いろいろ言われていますが、果たして真相はどうなのか?個人的には、いろいろみた中で、「ムー大陸は、無かった(無大陸)、けれども、あった(六大陸)??」という説が一番的を得ているように思います。え?よく分からない?(^^;★「六」と音に返す★まずは、「六」を音に返してみます。●「六」=「ロク」=(1)「ロック(lock)」=「錠」 =(2)「ロック(rock)」=「岩」これは、けんたま様も指摘されていたと思います。この音に返すをもとに、「六芒星」を見ていくと、いろいろと繋がってきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「芒」=「艸」+「亡」=「茨の冠」+「亡」 =「イエス・キリスト」+「亡くなる」 =「イエス・キリストの十字架上での死と復活」!?ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー上記の「六」と「芒」をもとに、「六芒星」を見ていくと、どうなっていくでしょうか。★「六」=「ロック」=「錠(lock)」★●(1)「六芒」=「六(ロク=ロック)」+「芒」 =「錠(lock)」+「イエス・キリストの象徴」これは、「六」=「亠」+「八」で、「八」の象徴「イエス・キリスト」が、フタをされている(封印されている)状態と、シンクロしています。すなわち、伊勢神宮の参道脇の石灯籠などに見られる、「六芒星」が日本という国でも、密かに重要視されているということは、日本という国には、「イエス・キリスト」という存在が「ロック」、つまり「錠」がされている??封印されている??★「六」=「ロック」=「岩(rock)」★●(2)「六芒」=「六(ロク=ロック)」+「芒」 =「岩(rock)」+「イエス・キリストの死と復活」今度は、「六」=「ロク」=「ロック」=「岩(rock)」です。これは、聖書の「イエス・キリストの死と復活」の場面を見れば、意味が繋がります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた。マグダラのマリアとヨセフの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた。(マルコによる福音書・第15章42節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここで、「岩」がでてきました!つまり、イエスが埋葬された場所は、「岩を掘って作った墓の中だ」というのです。つまり、「岩」=「イエス・キリストの墓」!!そして、これも驚くべきことに、「六」と「岩(rock)」が、繋がってしまいます。●「六」=「亠」+「八」=「イエス・キリスト(八)が埋葬されている(「亠」なべぶた)」=「ロック」=「岩」=「イエス・キリストの墓」よって、「六芒」=「イエスキリストの死(芒=ほろぶ)、墓へ埋葬され(六=岩=墓)、3日後に復活した(芒=ひかり)★日本神話との繋がりへのプロローグ★最後に、六芒星は、日本神話とも、繋がっていくことを見ていきたいと思います。●「六」=「ロク」=「ロック」=「岩」=「錠(ロック)」●「八」が、「光」であり、「太陽」の象徴このふたつから、日本神話を見ていくとき、ある日本の神話を思い出さないではいられません。そう、日本神話の中でも、最も有名で重要な神話のひとつ…。「岩」「太陽」「錠」「ロックする(フタをする)」…。そう…。この神話しかありません…。その神話とは…。「天岩戸開きの神話」!!天照大神(=太陽=八)は、スサノオ命の乱暴によって、天の岩戸(ロック)に閉じこもってしまいます。(「六」=「亠」+「八」)しかし、神々の努力によって、天の岩戸から出て、世界は再び光(「芒」)に包まれます…。すなわち「六芒星」となります。ということは…。日本という国は一体???この部分についても、真相?は見えてきましたが、いずれ衝撃的な一説を紹介してみたいと思います。人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。「六芒星」については、漢字破字法、音に返す、ともに見ていきました。いろいろな見方を、お遊び的に、してみましたが、不思議と、繋がっているということを、実感しました。最後に、余談を。「ろくでなし」という言葉があります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【ろくでなし】ろくでなしとは、なんの役にも立たない者。ろくでなしの「ろく」は、一般的に「碌」と書かれるが、これは当て字である。元々は「陸(呉音でロク)」と書き、日本で「陸(ロク)」は、土地が平らなことから物や性格がまっすぐなさまを意味していた。その否定として「陸でなし」となり、性格が曲がった人という意味が転じて、現在使われている「ろくでなし」の意味となった。http://gogen-allguide.com/ro/rokudenashi.htmlーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの言葉も、「ロク」でない。「ろく」じゃない、ことが、「何の役にも立たない」ことを指すのだとしたら、「ロク」=「陸」=「六」で「六」も案外、関係しているのではないかと思いました。「六」という数字は、「7」の神の聖数の一歩手前という意味で「人間」の数字という意味で使われることもあるそうです。ですから、「ロク」でなし、とは、「六」でなし、「人間」でない、ということで、「(人間以下だから)役に立たない」という意味もあるのかな、などと思いましたが、どうなのでしょう…。
August 19, 2005
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「六芒星の正体」の続き。今日は、「666」のナンバープレートを見てしまいました。これは、数字的には、聖書でいう「反キリスト」の象徴でもあります。ここ最近、「六芒星」について見ていたせいもあって、「6」のぞろ目を見たのでしょうか。早速ですが、本題へいってみましょう。★「六」の漢字破字法から見えてくるもの★前回、「六芒星」の「芒」について、漢字破字法から見てみました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「芒」=「艸」+「亡」 =「茨の冠」+「亡」 =「イエス・キリスト」+「亡くなる」 =「イエス・キリストの十字架上での死と復活」!?ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーでは、今度は、「六」を、漢字破字法で見ていくとどうなるでしょうか。●「六」=「亠(なべぶた)」+「八(はちがしら)」非常にシンプルな漢字なので、こうしか分けようがないと思います。まず、この漢字を分解して驚いたのは、なぜ「六」の数字の中に、「八」が含まれているのだろうか?ということです。正直言って、「六」の中に「八」というのは、「え?そういえば…」とびっくりしました。同時に、ここから、「六」について、何か、突破口が開けるのではないか、という気もしました。そして、この「六」という漢字を見ていて、非常に単純な見方なのですが、こう思いました。同時に、単純すぎて、こんな見方していいのだろうか、と思いました。「六」とは、「八」という数字のうえに、「亠」(なべぶた)、すなわち、「フタ」がされている!と。もっと言えば、「八」という数字が、「フタ」されることによって、隠されているのではないか?と。じゃあ、「八」って何??★「八」の意味するもの★「六」を見ていたら、「八」に繋がってきました。では、「八」とは何か?いつもお世話になっています「けんたま様」の数理解読から、引用させていただきます。「八」は「八日(ようか)」と読みます。よって、音に返すと、「八日」=「陽日(ようか)」「八」=「陽」となり、「八」は「太陽」であり、「光」の象徴であることが分かります。「光」といえば、前回とも繋がってくるのですが、「聖書」からみれば、「光」の象徴とは、すなわち、大胆に言ってしまえば「イエス・キリスト」でした。ここから、「八」=「陽」=「太陽」=「光」=「イエス・キリスト」さらに、けんたま様が指摘されていますが、「イエス・キリスト」を辞書で引いてみると、別名が「ヤソ」であることも分かります。キリスト教のことを「ヤソ」教とも言うそうです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーやそ 【耶蘇】 (1)イエス-キリスト。(2)転じて、キリスト教。また、キリスト教徒。「―者曰く、天は円なり、地もまた円なり/排耶蘇」〔イエスの中国音訳「耶蘇」の音読み。イエズス会士らによる漢文布教書の流入により、教会外で用いられ始めた〕http://dictionary.goo.ne.jp/searchーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーイエス・キリストのことを「耶蘇(ヤソ)」と書くのは、非常に興味深い事実です。なぜなら、音に返すと「耶蘇」=「ヤソ」=「八蘇」となるからです。イエスキリストを表わす漢字には「八」が含まれている…。しかも「耶蘇(八蘇)」の「蘇」も興味深い。「蘇」は「蘇り」であり、イエスキリストの死と復活そのものを表わす漢字でもあります。「蘇」の漢字破字法については、「蘇民将来」と「過ぎ越しの祭り」 第七幕「ΙΧΘΥΣ(イクスース)」 でみました。「八」の意味するものが、だんだん見えてきました。「八」とは「太陽」や「光」を表わすと同時に、「耶蘇」=「八蘇」ですから、ずばり、「イエス・キリスト」の象徴でもある!と。●「八」=「陽」=「太陽」=「光」=「八」=「八蘇」=「ヤソ」=「イエス・キリスト」「八蘇」=「イエス・キリスト+蘇る」とは、実に的を得た漢字表記であるとも思いました。★再びの「六」考察★「八」が「太陽」「光」「イエス・キリスト」の象徴であれば、「六」の意味も見えてきました。●「六」=「亠」+「八」(「八」が「フタ」をされた状態、隠された状態)「六」とは「光」「太陽」が、隠された状態、あるいは、イエス・キリストが隠された状態?? 封印された状態??「六芒星」の「芒」が、「イエスキリストの十字架上での死と復活」を象徴するのだとしたら、「六」は、イエスキリスト(八)が、フタをされた、すなわち、「埋葬された」と見ることはできないでしょうか?つまり、「六芒星」は、イエス・キリストが十字架上で死を迎え(芒=ほろびる、くらい)、埋葬され(六)、3日後に復活した(芒=ひかり、光芒)一連の出来事を、象徴しているのではないかな、と。さらに、書きながら気がつきましたが、イエス・キリストが十字架に架けられた時間が、午前9時から午後3時までの「6時間」でした。この「6時間」と「六芒星」の「六」も符合してきます。「六芒」=「六時間+イエスキリストの十字架での死」という見方もできそうです。しかも、「芒」には、「くらい(=闇)」という意味と「ひかり(=光)」という相反する意味がありました。先の十字架上での「死」と「復活」の相反する「闇」と「光」は、まさに「芒」の漢字と符合します。さらに、今気がつきましたが、驚くべきことに、イエス・キリストが十字架上にいた時間にも、符合してきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーさて、十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。(マタイ27章45節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーつまり、イエス・キリストが午前9時から午前12時までの3時間、「光」に覆われて、午前12時から午後3時までの3時間、「闇」に覆われていた…。「芒」という漢字が、「光」と「闇」の3時間ごとのいれかわりを見事に象徴していると見てよいのかもしれません。「3時間(△=陽=光)」+「3時間(▽=陰=闇)」=「6時間(六芒星=陰陽合一=完全形)」「六芒星」、漢字からみるだけでも、けっこう出てくるものだと、感じました。人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。そして、このことは、「六」を漢字破字法だけでなく、音に返すことによっても、同様のことが見えてきます。次回、「六」の音に返す、を見ていきたいと思います。最終回に何とかしたいと思います(^^;
August 18, 2005
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漢字を分解していくと、いろいろな意味が見えてくる、「漢字破字法」。このカテゴリで、書いているシリーズ「鳩の迷宮」は、かなり中断しています。自分でも半ば忘れておりました…。(^^;次から次へとシリーズものにしていくものだから、手が回らない状態になってしまい、どうしよう?というところですが、再開する意思はあるのですが…。書きたいこと、紹介したいことは、次から次へと出てくるので、ネタは尽きないですね。とにかくここでは、正しいか、正しくないかは、あまり気にせず、アウトプットしていこうと思います。今回は、数回で見ていこうと思います。数回で…ね。寄り道はしません!(^^;「六芒星」の「六芒」に焦点を絞ってみてみます。かなり、破天荒な考えかもしれません…。★六芒星とは★六芒星については、「日本とユダヤは繋がっている?」で、取り上げました。六芒星とは、イスラエルの国旗であり、日本で言えば、伊勢神宮の外宮と内宮を繋ぐ参道脇の道路に立つ石灯籠にも、刻まれた紋だということです。これを持ってして、日本とイスラエルに関係があるという証明にはならないでしょうが、興味深い事実ではあります。「六芒星」とは何なのか?数字や六芒星のマークから見ても、非常に興味深いものが出てきそうなのですが、ここでは、「漢字」から何か見えてくるものがないだろうか?ということに焦点を絞ってみます。六芒星に、この漢字が当てられた理由というか必然性があるはずです。★六芒星の「芒」という漢字から見えてくるもの★「芒」という漢字をまず、漢字破字法で分解してみると、「芒」=「草冠」+「亡」と分解できます。「草冠」は、「くさ(草)」のことですから、素直に読めば、「くさ(草)」が「亡くなる」と読めます。実は、「草冠」とは、もともとどう書いたかというと「艸」と書きました。よく看板などに、「草冠」が「艸」と書かれているのを、目にすることがあります。「艸」とは、字面だけ見ると、三又の矛のようなもの、と見れなくもありません。数字で表わすとすれば、三又の矛が二つですから、「33」でしょうか。「艸」=「33」=「3+3」=「6」?「草冠」=「艸」となりますが、これについては、「蘇民将来」と「過ぎ越しの祭り」 第七幕「ΙΧΘΥΣ(イクスース)」 のところでも、紹介しました。その部分を、こちらに転記してみます。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※では、先程の「艸」は、何を表わすのか?「聖書」の該当部分から引用してみます。「イエス・キリスト」が十字架に架けられる場面です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー兵士たちは、官邸、すなわち総督官邸の中に、イエスを引いて行き、部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の服を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、「ユダヤ人の王、万歳」と言って敬礼し始めた。(マルコによる福音書 第15章16節~18節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここで、注目すべきは、イエスは十字架刑に架けられた時、「茨の冠」をかぶれされたということ。よって、「艸」(くさかんむり)=「茨(いばら)の冠」!!※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※上記の部分より、「艸」=「茨(いばら)の冠」と見ることもできます。なぜなら、「茨」とは、「とげを持った低木類(のばらなど)の総称」であり、「植物」であって、「艸」という字面が、「とげ」を表わしているようにも見えるからです。先程の「艸」=「33」=「6」からも見えてくるものがあります。「33」とは、イエスキリストが十字架刑に架けられて死と復活を果たした年齢でもあります。「6」という数字もまた、いろいろと解釈ができそうですが、ひとつの解釈として、「聖書」で言えば、「神」の聖数が「7」です。「6」は、そのひとつ前の数なので、「人間」の数とも言える、との指摘があります。「人間」イエスキリストが十字架上に架けられるということも、意味しているのでしょうか。いずれにしても「33」は、「イエスキリスト」を象徴しているとも言えるのかもしれません。以前にも書きましたが、「33」=「ミミ」=「耳」とすれば、日本書紀に、「豊耳聡聖徳」「豊聡耳法大王」と記されている「聖徳太子」とも関係する数字に成りますが、「イエスキリスト」と「聖徳太子」の生誕伝承が似ている点など、両者の関係性も、興味深いところです。話を戻します。まとめると以下のようになります。●「草冠」=「艸(33)」=「茨の冠」=「イエスキリスト」こうなってくると、「芒」の意味が見えてきました。●「芒」=「艸」+「亡」 =「茨の冠」+「亡」 =「イエス・キリスト」+「亡くなる」 =「(茨の冠をつけた)イエス・キリストの十字架上での死」!!★「芒」の意味から見えてくるもの★「芒」を今度は、意味から見てみます。「芒」の意味を漢和辞典で引いてみると、ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【芒】=(一)(1)のぎ。(ア)いね・麦などの穀物の先端の細毛。(イ)草木のとげ。(2)け(毛)。けさき。(3)針。はりさき。(4)きっさき。刀剣などの刃先。(5)ひかり。光線の先端。「光芒」(6)かすか。ごく小さい。(7)くらい。(8)いそがしい。(9)ほろびる。(10)つかれたさま。ぼんやりしたさま。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここで、注目は、「芒」とは、「光芒」というように、「ひかり」の意味があるということ。「かすか」「くらい」という意味とは、反対の意味ももっている。そして「芒」=「ひかり」であれば、先に見た、「芒」=「(茨の冠をつけた)イエス・キリストの十字架上での死」=「ひかり(光)」となります。つまりは、ここから、光とは、「太陽」であり、お日様が昇るとは、これすなわち、「光の復活」を意味します。「光」は、「イエス・キリスト」の象徴でもあるので、「芒」=「ひかり(光)」=「光の復活」=「イエス・キリストの復活」!!よって、最後にまとめますと、●「芒」=「イエス・キリスト」+「亡くなる」 =「(茨の冠をつけた)イエス・キリストの十字架上での死」 =「イエス・キリストの死と復活」!!人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。「芒」について、今回、見ましたので、次回、六芒星の「六」を中心に見ていこうかと思います。今日は数時間前、雷がかなり強く鳴ってて、5歳の透萌、1歳の葵ともども、「あ~、あ~」と、おお泣きしていました。(^^;雷は恐いみたいです。
August 17, 2005
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新シリーズ!と言えば、聞こえはいいのですが、今週はあまり時間がないので、簡単に書けるものを、と思って、ヤプログで書いていたことを、引っ張り出してこようと思ったら、かえって時間をくって、あまり意味がありませんでした。と、いうか、余計に時間がかかっている…。(^^;楽天さんは、カテゴリが10個までしか作れないのですね。新たに登録しようと思ったら、もう登録できません!!と怒られて、やむなく、「カテゴリ未分類」をなくして、日常・雑感にして、などとやっていたら、それだけで約30分。今日あったことを書いた方が、よっぽど早いですね、これは。そして、また、時間を食った経緯を、つらつらと書いているから、さらに時間がかかってしまっている。悪循環ですね!(^^;えっと。このカテゴリは「埋もれた名曲」でしたね。今回は、ちょっとマニアックです。「埋もれた名曲」と言っても、結局は自分の好みの音楽中心になると思います。どちらかというと、マイナーな曲、あまり知られていない曲、マニアックな曲(^^;などを中心に、自分が何度も聞いていたい曲に重点を置いて、ピックアップしていけたら、と思います。そしてある程度たまったら、「埋もれた名曲集」をつくるわけです。誰が聞くの?自分が聞くために!!つまりは、自己満足のカテゴリ、というわけですね…。(^^;すみません…。どこまで続くか分かりませんが、記録代わりに、ぼちぼちと書いていこうと思います。では、本題へ行ってみましょう。★『真冬の星座たちに守られて』広末涼子★(ヤプログ版を改訂)「真冬の星座たちに守られて」試聴はこちらから「埋もれた名曲」などと、意気込んでの第1回目が、広末涼子とは、正直申しあげれば、相当恥ずかしい気もします。しかも、今「真夏」なのに、「真冬」の曲です(^_^|||でも、まあ、いいです。人間、開き直りが大切です。以前は、家でも広末涼子のCDをよくかけていました。しかも同じ曲をリピートしたりするので、妻には、かなり嫌がられていました。「好きな曲じゃないのに、口ずさんでしまうから、やめてよ」と。車でかけていたら、後ろに乗っていた娘が、いつの間にか、覚えていて、口ずさんでいたりしました。「娘が何の曲を、口づさんでいるのかなあ、と思ったら、広末涼子の曲だった。」と。また、娘と一緒にお風呂に入っている時にも、数回ありました。よく聞くと、広末涼子の曲なので、「ぎょえ!」っと思いました。しかも、サビの部分しか歌わない。(歌えない?)さらに歌詞を自分で作っている。黙ってましたが…。それは、ともかく、どうも、私は、しつこい性格みたいで、一度はまってしまうと、繰り返し聴いてしまうクセがあります。家では嫌がられるので、仕事柄、車で配達することが多いので、テープに録音して、聴いたりします。これだったら誰にも文句は言われないので、ボリュームも大きめにして、聴いているというわけです。★ようやく曲について(^^;★今日は、冷や汗ばかり書いている気がします…。いろいろ余計な事を、書きましたが、要は、広末涼子のなかでも、はまっている曲が、『真冬の星座たちに守られて』なのです。ここから書いていたら、40分は短縮できたじゃん!と言われそうですが、全く持ってその通りです…。えっと…。広末涼子の曲は、恥ずかしながら、好きな曲が多いのです。たとえば、『明日へ…』などは、かなり好きなのですが、広末涼子のなかでは、けっこうメジャーな曲ではないかと思います。だから、あえて取り上げない。『真冬の~』はいかにも、アイドルっぽい曲なんですが、かなり好きな曲です。シングル曲でもないし、マイナーな曲だと思います。何回聞いたことか…。今もリピートでかけながら書いています(^^;歌詞は、「会いたい…」で始まるように、遠距離恋愛の恋人同士が、なかなか会えなくて、その会えないせつなさを、テーマにした曲です。なぜこんなに繰り返し聴きたくなるのだろうと考えてみるに、当時、見た映画『卒業』(邦画)の影響もあるような気がします。映画『卒業』はこちらに映画紹介卒業の内容と、この曲の歌詞がダブっていると。非常に個人的感覚で、他の人は、おそらく「はあ…?」という感じです。テンポのよい、せつない感じのメロディーも好きなのですが、歌詞が、映画『卒業』に出演していた内山理名の心境と、タブってしまい、より深く、曲に浸ってしまうみたいです。「いますぐ会いたい。強く抱きしめられたい。ぬくもりを確かめ合いたいから。」といった歌詞が、『卒業』の映像や内容と重なり合って、より、この曲が好きになった、そういう面も多分にあるように思います。当時、映画『卒業』の余韻が、自分の中に、しばらく残っていました。そういう時に聞いた曲だからこそ、この曲も、かなり強引に、『卒業』と重ね合わせようとしているところもあるのかもしれません。歌というのは、そのときの自分の心境や、そのときの環境、いろいろなものが複合的に絡み合いながら、聴く人それぞれに、違った感動を与えるのかもしれないですね。在庫なし・広末涼子/Perfect Collection広末涼子のCD自体が、埋もれたアルバムとなっています。埋もれた名曲!『真冬の星座たちに守られて』広末涼子!!★★★おまけ広末涼子の『風のプリズム』『明日へ』も名曲です。下記から、試聴してみてください。「風のプリズム」試聴はこちら「明日へ」試聴はこちら人気blogランキング登録しました。この曲聞いてみたいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。
August 16, 2005
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「近江富士」三上山への登山はこちら「近江富士」三上山への登山はこちら三上山について、時間の関係上、毎日書けずに、とびとびになっていますが、以前については、上記よりご覧ください。忘れないうちに、書いてしまわないと…。あと1回で、終了予定です。きのう、8月14日は、車のナンバーで、「333・」と「8888」を見ました。その前の日に、「8888」「3333」を見ているだけに、ぞろ目のナンバー相変わらず、よく見ます。では、本題へ行ってみましょう。★表登山口から、いざ三上山へ★前回まで、裏登山口の駐車場に車を止めて、進路を「表」登山口から登ることにした、というところまで、書きました。この「表」が一番「きつい」ということは聞いていましたが、やはり初めて登るのであれば、素直に「表」から行くべきか?などと、まあ、どうでもよい事を考えつつ、進路を「表」に取りました。「近江富士」と称される秀麗な三上山は、標高432メートル。そんなに高い山ではありませんが、山頂には、御上神社の「奥宮」が鎮座していて、巨大な磐座(いわくら)が見られるといいます。ちょうど、御上神社のある交差点から、三上山を見上げると、山頂より少し下の部分に、岩壁が露出していて、山頂付近は、けっこう大きな岩が多いのではないかと思わせます。★三上山の百足(むかで)の伝説★そして、この三上山には、ひとつ、有名な伝説が伝わっています。今回は、その伝説を紹介してみます。俵藤太による、三上山の百足退治の伝説です。以下、その伝説を、インターネットより引用して見ます。段落等変更しています。また、( )は、付け加えた部分です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●百足退治伝説(朱雀天皇の時代)、近江国瀬田の唐橋に大蛇が横たわり、人々は怖れて橋を渡れなくなったが、そこを通りかかった俵藤太は臆することなく大蛇を踏みつけて渡ってしまった。その夜、美しい娘が藤太を訪ねた。娘は琵琶湖に住む龍神一族の者で、昼間藤太が踏みつけた大蛇(20丈・60m)はこの娘が姿を変えたものであった。娘は龍神一族が三上山の百足に苦しめられていると訴え、藤太を見込んで百足退治を懇願した。藤太は快諾し、剣と(3本の)弓矢を携えて三上山に臨むと、(稲光と共に、2、3千本余りの足の全てに松明を掲げて)三上山を7巻き半する大百足が表れた。藤太は矢を射たが大百足には通じない。最後の1本の矢に唾をつけ、八幡神に祈念して射るとようやく大百足を退治することができた。藤太は龍神の娘からお礼として、米の尽きることのない俵などの宝物を贈られた。(また、その後龍宮に招かれ、龍王から黄金札(こがねざね)の鎧と太刀、赤銅の鐘を贈られた。)また、龍神の助けで平将門の弱点を見破り、将門を討ち取ることができたという。http://ja.wikipedia.org/wiki/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこうしてみると、いろいろ、興味深いキーワードがありますね。「第61代の朱雀天皇」「大蛇」「龍」「百足」「松明」「三本の弓矢」「7巻き半」「八幡神」「龍宮」「赤銅の鐘」「平将門」…。思いつくままあげてみました。だからといって、何かが分かったわけではないのですが…。いずれにせよ、この伝説から、百足と龍神の対決の構図が浮かび上がってきます。三上山の山頂は、「龍王様」と呼ばれていることから、龍神(大蛇)が神、百足は、言ってみれば悪です。「むかで」を「百足」と書くのも、興味深いものがあります。これについては、けんたま様が、非常に興味深い考察(こちらからGO!)をされています。★「俵藤太」は実在の人物★「俵藤太(田原藤太)」(たわらのとうだ)と呼ばれる人物は、「藤原秀郷(ふじわらのひでさと)」という、実在の人物だと言われています。ただ、この三上山の百足の物語は、実際のこととは、思われないので、伝説と見てよいでしょう。ただ、こういう伝説が残っているということは、何か意味があるのか、象徴が込められているのかもしれません。気になるところではあります。ところで、実在の俵藤太、すなわち「藤原秀郷」とはどういう人物だったのか。インターネットより引用してみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【藤原秀郷(ふじわらひでさと)】生没年不詳。下野(現群馬、栃木県辺り)に勢力を持った武士で西暦940年、平将門の乱に際して、平貞盛とともに将門を討ち、その功績より従四位下に叙され、下野守に任ぜられた。この将門との戦の際、秀郷が将門を直接弓で射たと伝説にはある。 佐野、足利、小山、結城といった諸氏、また奥州藤原氏もその血筋を継ぐといわれる。 現在、栃木県佐野市の唐沢山神社にある避来矢(ひらいし)の鎧(国指定重要文化財)は、藤太が龍王より贈られた鎧だと伝わっている。また同じく贈られた鐘を、瀬田の唐橋に近い園城寺(おんじょうじ)に寄進したとされている。http://www.pandaemonium.net/menu/devil/tawarano.htmlーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー藤原秀郷とは、平将門を討った人物、だったのですね。さらに、贈られた「鐘」を園城寺に寄贈した、とありますが、園城寺(おんじょうじ)とは、これ「三井寺」のことです。「三上山」と「三井寺」、「三」で、何か繋がりがあるのだろうか、とふと思いました。偶然の一致かもしれませんが。私事になりますが、「三井寺」は、祖父のお墓(というか建物の中に仏壇)が、ある場所でもあります。★三上山・表登山口から登山開始★ ▲三上山・登山道さて、三上山の百足伝説について見ましたが、今度は、実際の三上山登山について、簡単に見ていきます。はじめこそ、木で階段がしつらえてあったりしましたが、しばらくいくと、登山道というより、もう山道です。木の根っこを階段代わりに上っていくという感じです。岩もぼこぼこそこかしこに、地面から出ていて、よく見ないと、つまづきかねません。そして、普段から運動不足の私は、歩き始めて5分でした…。もう息が上がってきました。(^^;「え? おかしいな…。まだ5分しか歩いてないのに…。」と、気力は、まだまだこれから、と思っているのに、体が、ついていかない状態。途中何人かの方とすれ違いましたが、「おはようございます」を言うのも、正直、かなり必死でした。まだ先は長いのに、大丈夫かな、と不安になってしまいました。30,40分くらいで登れるのは、聞いていたので、それくらいだったら、大丈夫だろう、と思っていました。かなり、考えが甘かったようです!! 歩いて、10分~15分たつと、もう息は「ぜぃ、ぜぃ、ぜぃ…」という感じで、心臓は爆発しそうだし、汗は噴出してくるし、本当にどうしようかと思いました。 途中から、巨大な岩が出てきて、その合間を縫うように登っていきます。しかし、巨石は、途中いくつかありましたが、なかなかすごい眺めでした。古来より、岩は、神の宿る場所とされてきましたが、特に神聖な岩のある場を、磐座(いわくら)と言うそうです。 そうして、三上山、上へ行くほど、きつくなってきました。ただひたすら、虫の息の中、歩を前へ前へ、進めるだけの状態になってきました。果たして、たどりつけるのかどうか…。次回で、三上山登山編、いよいよ完結編へ!!(ちょっと、オーバーに(^^;)人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。
August 15, 2005
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いくつもの輝きを 瞳に宿して色褪せた写真のなかから君は 僕の知らない表情で じっと見つめているアルバムの中で息づく君は見たことのない幼い姿や見たことのない さまざまな表情をとどめながら僕の知らない場所で 同じ空のもと 生きてきたページを繰るごとに 成長していく君を 見ていると君のことを 何もかも知っている気でいたのに君のことを まだ 何も知らなかったことに 気づかされる新しい君が 僕の中で 育まれていく知らない君との 新たな出会いを 重ねていく君と僕が 出会うまで君は 何を見つめて 何を考えて何を 思い描いてきたのだろう君の憧れは ここまで どう形作られてきたのだろうか答えるはずのない アルバムの君に 問いかける目の前の君を 見つめるこれからの君を 想う知らない君が まだまだたくさん 隠れている写真の君を 見つめる過去の君を 想う新しい君が さらに僕の中で 増えていくこれからの君は ふたり一緒の風景の中 育まれていく今の君の笑顔が 写真の君より さらに輝いてほしいそして 二人でしか作れない 君の笑顔の ひとつ ひとつを僕の胸のアルバムに 大切に 残していきたい
August 14, 2005
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昨日ですから、8月12日、一日置いて、またぞろ目ナンバーを見ました。はじめは、「8888」次に、「3333」それにしても、よく見ます。一日で2回見るというのも、何度か経験しました。ぞろ目のナンバーと、その時の心理状態は「シンクロニシティ」で、繋がっている事が多いと言いますから、何かのメッセージなのだろうか、とも思うのですが。今日、8月13日は、お盆休みをいただいたので、家族で、滋賀県蒲生郡にある、「ブルーメの丘」へ行ってきました。娘は、ポニーという小さめの馬に乗ったり、自転車のペダルみたいに、自力でこぐ船に乗ったり(漕ぐのは私と妻。足がけっこう疲れました)、ご満悦のようでした。朝、雨が降っていたので行けないかな、と思っていたのですが、幸い雨が上がってくれたので行くことができました。それでは、本題へいってみましょう。★念願の三上山登山★ふと思い立って、自分の33歳の誕生日を迎えた8月6日の朝登った三上山。「近江富士」三上山への登山から、やや日が開いてしまいました。しかし、歴史的にも見ていくと、けっこういろいろありますね。三上山の鎮座する野洲市は、「銅鐸」がたくさん出土している地域でもあり、興味深いものがあります。地元に住んでいながら、灯台下暗しというのか、今さらながら、けっこう重要な地であるとの認識を新たにしました。少しずつ、勉強していこうと思います。当日の三上山登山のことに、歴史を少し絡めながら見ていけたら、と思います。★御上神社への祈願★朝7時前に起床し、シャワーで身を清め(たつもり)、いざ三上山登山へ。その前に、まずは、やはり、三上山自体を御神体として祀っている麓の「御上(みかみ)神社」へ。登らせていただくことの報告と、登山の無事を祈願することを目的の参拝です。 ▲御上神社・鳥居前御上神社の祭神は、「天之御影神(あめのみかげのかみ)」という神を祀っています。鳥居を一歩はいると、砂利道となり、木々に囲まれた静かな空間が広がっていて、前方に、重厚な楼門がそびえています。 ▲御上神社・楼門楼門をくぐり抜けると、拝殿、本殿が並んでいます。本殿は、神社・仏閣・殿舎の三様式が合成された「御上造」と呼ばれる珍しい建物だということで、国宝に、認定されています。 ▲御上神社・本殿★御神神社の起源★ここで、由緒書きより、御神神社の起源などを、簡単に少し文面を変更して、見ていきたいと思います。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー起源は第七代孝霊天皇六年、六月十八日に祭神「天之御影神」が三上山に御降臨になったので、三上山を「神体山」として祭りました。また、元正天皇養老二年に藤原不比等が勅命により、始めて現在の地に栢の木で本宮を造営したといいます。然し現今でも三上山の磐境を奥宮(本体)とし、山麓の本宮を里宮として不二一体の信仰祭祀が古代のまま行われています。それを証明するかのように、旧暦の六月十八日、祭神御降臨の日には神職氏子等は未明に登頂して神迎えの「山上祭」を行い、下山して本宮で再び祭神奉迎の影向祭が行われます。本殿の裏扉は祭典時にお山を拝むために構営され神体山信仰の様式手法を伝えているといいます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここで七月四日に、私自身の神前式をあげさせてもらったのですが、旧暦の六月十八日に、重要な神事「山上祭」が執り行われることについて、ちょっとした数字の一致がありました。六月十八日というのは、籍を入れた日なんです。旧暦と新暦の違いがあるので、まあ、実際は違うといえば違うのですが、日付は「六月十八日」で一緒だったので、何か縁のようなものを感じて、うれしかったのを覚えています。★祭神「天之御影神」について★御上神社の祭神、天之御影神(アメノミカゲノカミ)について、押さえておきたいと思います。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●天之御影神・・・アメノミカゲノカミ。天津彦根神の子。『記紀』によると、天照大神が、弟の須佐之男命(スサノオノミコト)が暴虐を尽くしたため、閉口して「天岩戸(あまのいわと)」に引き篭もってしまった時、天照大神は太陽神のため、世界は闇に閉ざされたといいます。困った神々が、天照大神を何とかして「天岩戸」から出てもらおうと色んな祭祀儀礼を執り行ったとき、刀剣など金属系祭具を作って奉祭した神が天之御影神でした。最終的に天照大神は引っ張り戻されたのですが、この事跡から、天之御影神は一般的に刀鍛冶の祖神に位置付けられることとなりました。2:三上祝・・・ミカミノハフリ。いわゆる古代ヤマト王権の氏姓制度において、職業部(特定の職種を有するhttp://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/mikamiyamasaiseki.htmlーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの御上神社のある8号線を、もう少し北上すると、滋賀県蒲生郡竜王町鏡に、義経の元服した場所で有名な、「鏡神社」があります。この祭神は「天日槍命(アメノヒホコ命)」であり、一言でいえば、謎の渡来人「秦氏」と関係の深い祭神です。さらにこの地の鏡とは、「天目一命」(=天之御影神)がこの地で鏡を作った故事にならっているといいます。鏡神社の鎮座する地名は「竜王町」ですから、「龍神」との関わりが示唆されているようにも思いますし、三上山の山頂は「龍王様」と呼ばれているといいます。ですから、「龍神」「製鉄・鍛冶」「天目一命(天之御影神)」などのキーワードと、「鏡神社」と「御神神社」の関係性にも繋がってくるように思います。また、「鏡神社」の祭神が、「天日槍命(アメノヒホコ命)」であることから、秦氏との関連もあるのかもしれません。なぜなら、「秦」を漢字分解すると、「三」+「人」+「ノ」+「木」となるからです。●「秦」=「三」+「人」+「ノ」+「木」「木」とは、「神木」でもあり、神性の宿る木でもあることから「神」に置き換えることもできます。ですから、「三人の木」とは「三神」の象徴とも言えます。これと、「御上神社」、「三上山」が繋がってきます。なぜなら、「御上」=「三上」=「みかみ」=「三神」ですから、「鏡神社」→「天日槍命(アメノヒホコ命)」→「秦氏」→「三神」→「御神」神社→「三上」山?いずれにせよ、これらの地域は関連していて、ともに歴史的にも重要な地域であるような気がします。★三上山と富士山の関係★三上山は「近江富士」と称されていますので、そういう意味で、富士山との関係があるわけですが、もう少し直接的な関係があるのではないか、という話をインターネットで見つけました。寛保三年(1743)菊岡米山という人が書いた「諸国里人談」という本には、こう書かれているそうです。『駿河国の富士山の伝説として、孝霊天皇五年のころ近江国で一夜にして土が掘り返され大きな穴があいた。これに水が溜まったのが琵琶湖である。 このときの土が運ばれ盛られて富士山となった。近江の三上山はそのとき笊からコボれ落ちたもの。そのため山の形は富士山に似ている。 毎年六月に百日の潔斎をして登山しているが、三上山は七日の潔斎でよいという。富士山が荒れるときは近江の土をばら撒くとたちまち静まるそうである。』 なかなか、興味深い伝説です。また、富士の別名は、いろいろありますが、上げてみると、藤ケ岳、常盤山、鹿山、二十山、三上山、新山、鳴沢ノ高根、蓬莱山などとも呼ばれるそうです。そのものずばり、富士山の別名は「三上山」だそうです。ひとつは、富士山の頂上には三神が祀られているということからきているのかもしれません。「三上」=「三神」ですから。また、富士山は、もともと、そのものずばり、「三山」から成っていたというのも、聞いた覚えがあります。その名残で「三上山」なのでしょうか。さらに、近江富士の「三上山」で、旧暦六月十八日に、山頂の神を迎える山上祭りが行われているというのも、興味深いです。なぜなら、数理的に見て「六月十八日」とは「6+18」=「24」となり、「24」=「フシ(不死)」=「フジ」=「富士」とも読めるからです。やはり三上山は富士との関連があるのでしょうか。また、けんたま様のHPより、「24」=「ニシ」=「西」となります。これは関係がないかもしれませんが、三上山の「西側」に「御上神社」が鎮座しています。こうしてみると、けっこう興味深いですね。思いつきで書いた部分もあるので、まとまりがなくなってしまいましたが。また、機会があれば、もう少しまとめて見ていきたい気もします。 ▲富士山に似た美しい形の近江富士「三上山」★三上山登山口へ★御上神社での参拝をすませて、いよいよ三上山へ。裏登山口へいくと、駐車場があるので、車を止めると、登山口の入り口付近に祠が見えました。ここで、これから、登らせていただくことの祈願をしました。 ▲三上山・裏登山口前そして、裏登山口入り口からしばらく、歩いていくと、表登山口へも、いけるようになっています。そこで、「表」登山口から登ってみようと思い、進路を「表」登山口へとしました。普段から運動不足の私は、登り始めて5分くらいで、息が上がってきました。おいおい、これからが本番だというのに、こんなに早く息が上がって大丈夫だろうか、と…。 ▲三上山・登山道人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。
August 13, 2005
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「太陽が君をほのかに照らしたら 僕は君を想う 月明かりが泉に浮かんだら 僕は君を想う」『永遠の片想い』を紹介したので、もう勢いで、今回も行ってみましょう。なぜこの映画が、好きになったのか?そう…。言うまでもなく…。「うおぉぉぉぉぉぉ!!ソン・イェジン!!!」はぁはぁ…。と、いうわけです。(^^;あ、また、言ってしまいました。すみません。m(_ _)mえっと…。何でしたっけ…?★物語の概要★女子大生・ジヘ(ソン・イェジン)は、ある日、押入れの中から木箱を見つけます。そのなかには、母ジュヒが、大切に取っておいた35年前の手紙と日記帳が収められていました。父との大切な思い出の手紙かと思い、読み始めるジヘですが、その手紙には、別の人物との母の秘められた恋のやりとりが書かれていました…。一方ジヘは、演劇部の先輩サンミン(チョ・スンウ)に、密かに憧れていましたが、友人から先輩宛のメールの代筆を頼まれてしまいます。現代と過去、娘と母親の恋愛を絡めながら描かれる運命的なラブストーリー。ソン・イェジンが、娘と母親の一人二役を見事に熱演。 ▲母親ジュヒ役は、みつあみが印象的。いいですね(^^;★愛の奇跡の作品★一言でいえば、この映画、邦画のタイトルからも分かるように、「恋愛物語」の王道が、恥らうことなく、堂々と描かれた「愛の奇跡」の作品です。ここまでストレートにドラマティックに描かれると、甘ちゃんの私には、もうそれだけで、参りました!となってしまうわけです。音楽も、臨場感たっぷりで、ともすれば、いかにも感動させようという「あざとさ」も感じないではない。ただ、パッヘルバルのカノンと、母親ジュヒの時代のメインテーマ曲は、実に効果的に使われていました。「ラブストーリー」のサントラ版のCDも借りてきて、よく聞いたものです。と、いう今も書きながら、かけています(^^;さらに、奇跡としか思えない、ある意味「ありえない」偶然を配して、これ以上ないくらいにドラマティックに盛り上げる。「ありえない!!」と怒りだす人もいるかもしれません(^^;でも、やっぱり、私はこの映画、全肯定です。何せ、ソン・イェジンですから!!(^^;あ、もちろん、それだけの理由ではないのですが。こういうラブストーリは、今の日本映画では、描けるだろうか、というほどのストレートさ。ここまでされると、気持ちいいです。爽快です!映像、音楽、ストーリー含めて、完成度もかなり高い。伏線も随所に張られていて、細かい演出もきっちりとされていると感じました。 ★雨は恋の躍動感に満ちていた★神業としか思えない偶然を装った必然の運命。母親ジュヒの恋愛は、運命に翻弄される波乱の舞台が用意されています。しかし、その中で、必死に生き抜いていこうとする姿が、胸を打ちます。この物語をありのまま受け止めて、どっぷりとつかるのが、この映画を楽しむ一番の方法です。一方の娘ジヘの恋愛も、非常に瑞々しく描かれます。特に好きな場面は、ジヘが先輩のソンミンの真意を知り、雨の中、傘があるにもかかわらず、一人、雨に打たれながら、駆け抜けていく場面。素敵です。バックに流れるテーマ曲もマッチして、恋の躍動感にあふれたジヘの表情は忘れられません。何度でも見たくなる名場面です。雨が実に効果的に使われていました。 「偶然」が呼び込む愛の「奇跡」を信じよう!奇跡の物語に酔いしれよう!そして、ソン・イェジンの魅力に降参!!!(^^; ▲来日のインタビュー場面。うーん、かわいらしい…(^^;ソン・イェジンの魅力に酔え!『ラブストーリー』人気blogランキング登録しました。この映画、観たいと思った方、あるいは、好きな方は、クリックしていただけるとうれしいです。何だか、まともな紹介になっていないような気がしますが…。
August 12, 2005
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「俺にとって 時間が流れるというのは 2人を忘れることだった…」★「ソン・イェジン」への傾倒は止まらない!!★えっと…。この映画が好きな理由は、一言でいえば、「うおぉぉぉぉ!! ソン・イェジン!!!」って感じです…。いきなり、すみません。(^^;かなり、思い入れのある大好きな作品。ソン・イェジンの出演作品というのが、一番の理由ではあるけれど、それを差し置いても、好きになる要素は、たくさんあります。まずは、タイトルの『永遠の片想い』正直なところ、このタイトルを聞いた時から、もう、甘っちょろい私は、惹かれていました。 ▲左が「ソン・イェジン」 右が「イ・ウンジュ」そして、もう一人の女優、「イ・ウンジュ」の魅力。むしろ、この作品では、公平な目で見ると、我が「ソン・イェジン」の魅力を上回っています。彼女の微妙な表情の変化は、なかなかの演技力。ご存知の方も多いと思いますが、彼女は、今年(2005年)、自ら命を絶ってしまいました…。女優としての才能、資質申し分なく、これからますます活躍するはずの人だったというのに、非常に残念。韓国映画界は、本当に惜しい才能を失ってしまったとしか言いようがありません。★物語の概要★ある日、ジファンの働くカフェに、スイン(ソン・イェジン)とギョンヒ(イ・ウンジュ)がやってきます。ジファンは、スインに一目惚れし、告白しますが、あっさりと振られてしまいます。しかし、その後、3人は友達として、会うようになり、楽しい日々を過ごします。永遠に思えた3人の日々は、やがて、ジファンの目の前から、スインとギョンヒがいなくなることで、終わりを告げるのですが…。 ★片想いの連鎖★この作品は、タイトルにあるとおり、テーマは「片想い」主役の3人はもとより、脇役に至るまで、「片想い」が反映されていて、「片想い」の連鎖が、実に見事に広がっています。中心となる、ジファンとスインとギョンヒの男1人、女2人の三角関係の構図が、時とともに微妙に変化していく様が、丁寧に描かれていて、見ていて、せつない気持ちになります。誰に感情移入して見ても、それぞれの気持ちが、せつなくて、やるせない気持ちになります。私は、もちろん、「ソン・イェジン」でしたが、彼女の気持ちを思うと、ほんと、胸が苦しくなるような気がします(^^;ジファンの手紙、スインの手紙、それぞれが、本当の気持ちを伝えたつもりが、ささいな誤解や嫉妬が、3人のすれ違いを増幅していく…。最後まで尾を引いてしまうのは、せつなくて、痛い…。そう、この映画を一言で言い表すとすれば、「せつない」映画です。…。タイトルのとおり、「片想い」のあの何ともいえない気持ちが、実に見事に表現されています。「片想い」というのは、心揺さぶる響きがあり、青春の何よりの象徴なのだと思いました。★3人のコラボレーション★主役の3人の存在感が、この映画を素敵な作品にしていることは間違いありません。それぞれの気持ちは、まさに「片想い」。言葉にして、気持ちを直接伝える、ということはないだけに、表面には出てきませんが、内面に渦巻く想いは、十二分に感じることができます。だから、なおいっそう胸がきゅんとなります。『猟奇的な彼女』に続く、優しすぎる男を演じたら、ピカイチの「チャ・テヒョン」韓国映画界の本当に惜しい逸材だった「イ・ウンジュ」この作品では、認めよう。ソン・イェジンよりも際立つ存在感であったということを…。ご冥福をお祈りします。そして、はかなげな少女役をやらせたら右に出るものがいない、わが「ソン・イェジェン!!!」(^^;この作品は、ちょっとした、ある仕掛けもなされています。これ以上はいえませんが。また、この物語、2回は見ることをおすすめします。私は2回目の方が、登場人物の気持ちに、より深く入ることができて、ますます好きになりました。ストーリーは、分かっていますから、登場人物の内面を、じっくりと味わいながら鑑賞することができるからでしょう。前半の3人での日々が、本当に鮮やかで、見終わってから、よりいっそうあの3人で過ごしたかけがえのない日々が脳裏に蘇ってきます。そして、3人のそれぞれの内面の気持ち。3人が3人ともそれぞれを大切に思っている。それでも、3人の気持ちが、それぞれうまく伝わらないところがもどかしい。優しすぎて、不器用で、忘れたくても、忘れられない。後半、3人の気持ちが、くっきり際立ってきますが、その気持ちを推し量ると、泣けてきます。特に「ソン・イェジン!!」(^^;しつこいって!彼女の2人を思う気持ちが痛いほど伝わってきました。 ▲この場面好きです。殴っているんじゃないですよ(^^;豪華な3人の役者で奏でられる「片想い」の連鎖。それは「永遠」に繰り返すかのように、いつまでも、続いていく。終わることがない。「片想い」のせつなさを知る人すべてに捧げられるべき、珠玉の「純愛物語」。あなたは誰に感情移入して見ますか?せつなさに満ちた「永遠の片想い」という物語を!今まで見た韓国映画5本の指に入る屈指の純愛物語『永遠の片想い』(DVD)人気blogランキング登録しました。この映画、観たいと思った方、あるいは、好きな方は、クリックしていただけるとうれしいです。
August 11, 2005
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★今日もまたぞろ目ナンバー★最近続いている、車のぞろ目ナンバー。もうひとつ、今日は、自分にとっては、けっこうショッキングな出来事がありました。ただ、この出来事も考えてみれば、偶然ではないのだと思います。現象的には、悪い出来事かもしれませんが、これもまた、必然と考えれば、そこには何か、メッセージというか、学ぶべき点に満ちているようにも思います。また、レイキのアチューメントを受けた直後だけに、これら一連の出来事のひとつなのかもしれないとも、ふと思いました。あいまいな書き方になってしまい、すみません。レイキについては、アチューメントを受けた後、好転反応のようなものがある場合もある、と、ヒックルさんもおっしゃっていました。それと、もうひとつ、これも、関係あるかどうか分かりませんが、額の左側あたりが、赤くなって、何だろうな、触っていたら、ほんの少しですが、汁というか膿みのようなものがでてきました。よく見ると、顔の辺りが少し赤いところがあったり、頭を洗う時にひりひりもしていたので、額と同じような症状が出ている感じです。レイキと関係しているのかどうか。そして、ある出来事があった後、「9999」の車のナンバーをみました。帰り道、今度は、後ろの車がブウーンと抜かしていきました。抜かした車は、先の信号で止まっていたので、追いつきまして、「抜かしても一緒じゃん!!」と内心思い、ナンバープレートを見ると、「6666」でした。「ぎょえ!」って思いました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「9999」…統合。「9」は元々、物事が統合される、「括られる」数字である。物事が、まとまる、終わる、締めくくられる。●「6666」…愛情に満たされている時。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「ある出来事」→「9999」物事が発生する=まとまる、締めくくられる?→そして「6666」は愛情に満たされている=確信している?いずれにしても、ぞろ目ナンバーのシンクロニシティ続きます。では、過去のシンクロニシティシリーズへ。★写真に映った妹から引き起こされたシンクロ現象★2004年10月22日の記事 「ヤプログ」でのシンクロニシティ体験の移植改訂版最近の自分は、ここで「シンクロニティ」について書いていることもあり、たえず頭の隅っこには「シンクロニティ」のことが渦巻いている気がします。妻との会話でも、「シンクロニティ」のことを、私がしゃべりまくっている、というほどでもないですが、まあ、よくしゃべっているので、最近は妻のほうも、日常に起きた、ちょっとしたシンクロニティについて、ちょくちょくしゃべってくれるようになりました。たとえば、昨日、妻が、家で自分の子供のころのアルバムを見ていた時のこと。妻は3人姉妹の長女なのですが、次女にあたる妹と一緒に写っている写真を、何枚か見ていたら、突然、誰か訪ねてきたといいます。誰かな、と思ったら、なんと今アルバムで見ていた妹だった!と。そして、偶然にも、妹さんが来ているときに、ちょうど私は家に、電話をしました。たいてい、先に娘が出るか、後で娘に代わって、少しおしゃべりをするのですが、そのときは妻が出たので、「ともちゃん(娘の透萌のこと)に代わる?」と私が聞いたら、今妹さんが来て遊んでもらっている、とのことでした。妻が「シンクロニシティ」を体験している「まさにその時」に、私が偶然、その「シンクロニシティ」を感知したかのごとく(そんなわけはないですが)、電話をかけることによって、その「シンクロニティ」を間接的に体験できたという、「シンクロニシティ」。(私が電話をかけた時は、私は「シンクロニシティ」に気がついていませんが、後からそうであることに気がついたということでは、「シンクロニシティ」でしょう。)わざと、ややこしい言い回しをしてみました…。(^^;これ「シンクロニシティ」が「シンクロニシティ」を呼んだ、連鎖現象かなと、勝手に解釈しています。★些細な日常に潜むもの★妻に聞いたこととして、こういうのもあったといいます。公園で一緒だったお母さんに、その日また、買い物先で見かけたりした、とか。妻は、私がしつこくしゃべっている影響でか、ちょっとした偶然の一致について、意識するようになってきたみたいですし、ぽつりぽつりとしゃべってくれるようになりました。「シンクロニシティ」は、別に特別なことではなく、日常のささいな営みのなかにも、誰のもとにも頻繁に起こっているというのが、私自身思うことでもありますし、意識するだけで、「シンクロニシティ」現象は、頻繁に起こるようになる気がします。★本屋でのシンクロ★そんなことを考えていたら、私自身、シンクロニシティの不思議 episode2「本屋でのホントの出会い」に書いた「本屋」でのシンクロニシティを再び体験しました。本屋に入って、目についた本、気になった本を買うということ自体が、「シンクロニシティ」現象の一環であると思います。その時、その時、自分にとって必要な本が、向こうからやって来てくれる。そういう気がしますし、誰にでもそれは起こっていることではないかと思います。そんななか、今回、本屋で、目に飛び込んできたのが平台に積まれていた、『迷ったときは運命を信じなさい』というタイトルの本。著者は「ディーパック・チョプラ」という人で、全く知らない人です。「すべての願望は自然に叶う」とか「シンクロディスティニが、今、あなたを導く」といった表紙の文字が目に入ってきたから、この本に惹きつけられたのだと思うのですが、手にとって、目次を見てみると、章のタイトルが目に入ってきます。「自然のなかのシンクロニシティ」「偶然の一致が人生を変えていく」 「関心と意思が偶然の一致を招く」 「偶然の一致を起こす環境をつくる」といった言葉が書かれていて、この時点で、もうこれは、買わないと、と瞬間思っていました。シンクロニシティに興味ある方必読の書!!『迷ったときは運命を信じなさい』そして、パラパラッとページを繰っていると、いろいろと頭の中で渦巻いている言葉や想いに触発されて反応するかのように、心にすっと入り込んでくる言葉が、いくつも飛び込んできます。今の自分に必要な本というのは、見た感じ、表紙の帯の言葉、手に取った感触、パラパラッとめくって、目に飛び込んでくる文章に惹かれるものがあるか、とか、まあいろいろな要素を重ね合わせて、今の自分に必要か否か、と判断しているのではないかと、思います。少なくとも、自分は、そういう感じで、本を選んでいます。だから、少し興味を持った本は、手にとってパラパラッとめくって、印象に残らなかったら、すぐ本棚に戻してしまいします。やっぱりインターネットでは、自分に必要か必要でないか、というのは、分かりにくいです。それは生の本に触れることができないからだと思います。本屋には、実際に見て、手にとって見て、という自分の感覚をフルに使っての情報検索ができます。それがなんといっても大きな違いでしょう。前にも述べましたように、だから、本屋にいくことはやめられないというわけです。今回の本、『迷ったときは運命を信じなさい』の本文中では、私が日頃思っていたことを、ずばり、表現してくれた、印象的な文章に出会いました。以下引用します。「シンクロニシティが起こったなら、人生の好機が到来したと思ってください。すべての偶然の一致が、あなたがこの世に生まれてきた目的を果たせる人間に成長していく機会を与えてくれるのです。」と、いうことで購入しました。読むのが楽しみです。人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。
August 10, 2005
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今日もまた、車のぞろ目のナンバーを見てしまいました。続く時は、続きますね。昨日は、「3333」と「6666」でした。今日は、対向車を見ると「5555」でした。以前取り上げた、車のぞろ目のナンバーの意味から見ると、「これから何かに向かおうとしているとき。今やっていることがダメで何かに移行しなければならないとき。」「これから何かに向かおうとしている時。」というフレーズ、気に入りました。いまの自分にぴったりだなと。(^^8月6日に誕生日を迎え、その日に、急に思い立ち、近江富士「三上山」に登ったこと。次の日、8月7日に、レイキのアチューメント(エネルギー伝授)を受けたこと。一連の出来事は、自分にとって、繋がっているし、これから何かに向かっているという気がしていただけに、内面との一致、「シンクロニシティ」だと思いました。簡潔に見ていくと、●「5555」=「5+5+5+5」=「20」「20」はけんたま様のことたまワールドより、引用させていただければ、20年に1度の式年遷宮が、伊勢神宮であることに象徴されるように、「すべてを新しくすること」であり、「復活・蘇り」の数です。個人的にも、新たな気持ちで、という内面とシンクロしています。ちょっと変則的ですが、●「(5×5)+(5×5)」=「25+25」=「50」=「5+0」=「5」「50」については、けんたま様が、非常に深い考察をされています。一部を引用させていただきますと、「50」とは、アイウエオ五十音の「50」です。「5」は、1~9の中心数。「ことたま50音」を、自分の中で「中心」に据えて、また、新たな気持ち(20=復活・蘇り)で、やっていこう!!というメッセージを、自分なりに受け取りました(^^;前置きがまた、長くなりつつあるので、「本題」へいって見ましょう。★レイキへの道のり★8月7日は、ヒックルさんのご自宅にお邪魔して、レイキのアチューメントを受けてきました。 「レイキ」については、一言でいえば、光のエネルギー、といえばいいのでしょうか。楽天では、レイキをされている方が、見ているとけっこういらっしゃるので、ヒックル様はじめ、いろいろと教えを請いつつ、これからも勉強させていただきたいと思います。レイキアチューメント体験の前に、レイキを受けるまでのことを、簡潔に振り返ってみようと思います。 もともと、不思議大好き人間で、「氣」とか、見えないものに興味があり、そういう見えないエネルギーの存在は、確信していて、またそういう本などもけっこう好きで、読んだりはしていました。 いつか、自分でもヒーリングができたらいいな、と思っていたのですが、先日は、その第一歩が踏み出せて、本当に、良かったと思います。縁をいただきました、ヒックル様には、感謝です。 と、同時にすべては、ベストのタイミングなのだと思いました。 レイキは、けっこう前から、本なども出ていたので、存在は知っていました。興味を持ったのは、今年に入ってからで、何となく興味があって、4、5月くらいに、レイキの本をみつけたら、買ってしまい、短期間で4,5冊読みました。 そして、そんなに簡単に、レイキができるようになるのなら、受けてみたいな、と思うようになりました。ただ、その時に疑問に思ったのが、「気」というものは、誰もが持っているはずだから、本来は特に講習を受けなくても、自分なりに訓練すれば、ヒーリングの能力は、出せるのではないのか?と思いました。 それと、本を読むと、結局、レイキができるようになるには、レイキアチューメントを受けないといけないということが、正直に言えば、ひっかかりました。なんで、一日そのアチューメントを受けただけで、ヒーリング能力が身につくのか?と。アチューメントって何?と。 まあ、でも、それで、他人をヒーリングしたり、家族をヒーリングしたりできるのであれば、いいかな、と思いました。そして、今の仕事にも、レイキのようなヒーリング能力を使えないだろうかということも思いました。 ★シンクロニシティが流れを形作っていく★ レイキ関連の本を4,5冊読み終えた頃だったと思います。 実家で兄夫婦と一緒になったときだったか、ふいに、兄と兄嫁が、「レイキ」のアチューメントを受けた!という話を聞きました。こちらから、兄に「レイキ」のことを言ったことはありませんし、兄は、そういうスピリチュアルなことには、関心がないと思っていただけに、 「え?何で兄がレイキを受けたの?」 と、びっくりしてしまいました。 と、同時に、私がレイキの本を集中して読んでいる時だったので、その「シンクロニシティ」にも、正直、「え?」とびっくりしてしまいました。 これも、「流れ」なのかと思いましたし、「サイン」なのかな、と感じました。この時に、自分はレイキを受けることになるだろうと確信しました。 そして、資料をいくつか取り寄せたり、レイキのHPをみたりしました。正直なところ、一番のネックは、値段でした。 妻にも当然、資料などを見られて、「また、何に手を出すの」という顔をされつつも、これできるようになったら、家族にもいいから、と言い聞かせて、お金ためて来年くらいには受けるからね!と言っていました。 そんな時に、ヒックルさんの宝地図セミナーに、参加させていただきました。 ヒックル様が、レイキをされていることは、HPを拝見させていただいて、知っていたので、聞いてみようかとも思っていました。でも、きっかけは、やはり宝地図セミナーでした。実際お会いして、この方だったら、というのがありましたし、しかも値段が非常に良心的だったので、これだったら受けられるかな、と感じました。そして、勢いというか、流れというか、これは受けないと、と思い、話はスムーズに、受ける方向で進んでいきました。自分では、こんなに早く受けることができるとは思っていませんでした。 ただ、振り返ってみると、すべては流れであり、必然の出来事であるなという事を、感じました。 ★ヒックル様でのご自宅でレイキのアチューメントを受ける★ レイキアチューメント(エネルギー伝授)を受けた感想としては、一言でいえば、気持ちよかったです!体が、知らない間に、けっこう揺れたり、動いたりしていたようです。気持ち良すぎて寝かけていたのも少しはあったかもしれません。(^^; 特に額の辺りが、じんじんしたのと、足にエネルギーを両手で送っていただいている間、足が熱くなったような感覚でした。左足が特に吸い付くような感じ、とヒックルさんはおっしゃっていました。レイキアチューメントのファーストを午前中に、セカンドを昼から受けました。 手を上にかざすと手のひらがぴりぴりした感じ、何かエネルギーが、手のひらを通じて入ってくる感じがしました。まだ、はっきりとはつかんだわけではありませんが、とにかく、実践実践というつもりで、レイキについては、取り組んでいこうと思います。また、そのほか、合間にいろいろなお話も聞くことができて、とても有意義な時間を過ごす事ができました。実家に帰った時に、ちょうど兄夫婦が来ていたので、お互い手をかざしてみたら、(エネルギーのようなものが)来ている、と兄が言っていました。(兄夫婦はサードまで受けています。)貴重なお時間をいただきましたヒックルさん、本当にありがとうございます。レイキについては、まだ始まったばかりですが、今後ずっと使っていきたいなと思います。また、いろいろとご教示ください。とにかく毎日、いろいろと実践していくつもりです。何となく、ですが、手から出てくるエネルギーの流れのようなものは感じるので、少しずつ、レイキというものを体感していきたいと思います。次回のサードが楽しみです。ヒックルさん、よろしくお願いします。人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。
August 9, 2005
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幸せは遠くから流れてきて いつの日か 風の戯れとともに僕の足元へと 運ばれてくるとばかり 思っていたいつまで待っても 幸せがやってこない現実に 焦り 苛立ち周りの環境や 他人のことばかり 見つめて幸せを 外へ外へと 探し続けていた「幸せ」の種は どこに蒔かれるのだろう「幸せ」の芽は どこで芽生えるのだろう「幸せ」の花は どこで開くのだろう幸せの芽を求めて 土をかき回せばかき回すほど幸せの種は 発芽しにくくなってしまう幸せの種を 静かに足元に蒔くように今この場所で できることを ひたむきにしていれば後は太陽と水と土が一体となり 一番いい時期に 芽吹きの時を迎える幸せの最中は 幸せの意味さえ 気づくこともなく幸せの芽を 育てようともせずに ただ幸せを享受するばかり水をやらないでいると だんだん痩せ細って いづれは枯れてしまう幸せの芽が 枯れたときに 初めて「幸せ」という言葉が 僕の目の前に 突きつけられる幸せの時に 幸せを 感じることができずに幸せから遠ざかった時に 初めて幸せの大切さに気づくできることなら 幸せの時に 幸せをいっぱい 感じていたいと思う「幸せ」は どこにあるのだろうか「幸せ」とは 一体何なのだろうかおそらく 探しても見つからないし探せば探すほど 分からなくなっていくまるで光のように 近づけば近づくほど まぶしくて見えなくなっていく幸せは 遠くへ遠くへばかりあるものと 思っていたけれども 毎日見る あなたの笑顔のようにごくごく ありふれたところにそれこそ、そこかしこに無数に広がっていた幸せの芽は 足元で 時を待っていてくれたすべては 一分一厘の狂いもなく ベストの時期に 花開く何の心配も要らないし 何の恐れも抱く必要はない目の前の存在に 感謝の水を 僕は一滴一滴 心を込めて 注いでいく世界がどんなに変化しても この目の前の「幸せ」の花を 大切に 精一杯 見つめていくそれが 今の僕に できる唯一のことだからやがてすべてを結実させゆく 幸せの実が なるだろう
August 8, 2005
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昨日は夜、書いてたら、眠くてしょうがなかったので、結局書けず、タイムオーバー。レイキのアチューメントを受けたせいもあったのでしょうか。今回はナンバーの一致を「前置き」にして、レイキのことを「本題」にしようと思ったのですが、「ナンバー」の方が長くなってしまったので、こちらだけで、独立させることにしました。レイキについては、次回に分割させます。今日(8月8日)は、また車のナンバーで、いくつか印象に残る数字を見ました。今日は、「3333」、「6666」、「8585」というナンバーを見ました。最近、ぞろ目のナンバーを見る機会が多いような気がします。これも「シンクロニシティ」なのでしょうか。★「3333」のナンバー★まず、夕方に、前の車が、「3333」のナンバーでした。最近「3」に関することが多い気がします。8月6日に近江富士「三上山」に登ったこと。「三上山」の「三(3)」。同時にその日、「33」歳になったこともあり、それともシンクロしている気がしました。●「3333」=「3+3+3+3」=「12」=「1+2」=「3」●「3333」=「33+33」=「66」「12」は、12ヶ月、十二支、などから一巡りを表わし、イスラエルの12支族、イエスキリストの12使途なんかも、連想してしまいます。いずれにしても、一巡りであり、自分にとっては、レイキをきのう受けたこともあり、「新しい始まり」も意味しているのかもしれません。「33」は、イエス・キリストが十字架刑に架けられて、復活した歳でもあるので、「イエス・キリスト」の象徴でもあり、「33」=「ミミ」=「耳」で、日本書紀に「豊耳聡聖徳、豊聡耳法大王」と記された、「聖徳太子」をも示唆します。「イエス・キリスト」と「聖徳太子」の生誕物語の類似点から、両者についての謎も、興味深いところです。「66」(6+6=12で12支族?)は、イスラエルを表わす数字でもあるようですし、祇園祭が始まった当時、日本国は、66カ国とありますし、それにちなんで、祇園祭では66本の鉾を立てたといいます。日本とイスラエルの繋がりをも示唆しているようです。★「6666」のナンバー★帰り道、今度は「6666」のナンバーをみました。「3333」の後だけに、なんだか、意味深です。●「66+66」=「132」=「1+3+2」=「6」「66」は、上記の「66」にも繋がります。「132」は、語呂合わせ的に強引に読むと、「ヒミツ」と読めなくもないかなと。「132」=「ヒミツ」=「秘密」??となり、「66+66」、あるいは、「132」や「6」には、秘密、謎が隠されていますよ、ということでしょうか。さらに言えば、「66」は、イスラエル12支族を象徴し、日本の66カ国を象徴するのだとしたら、「イスラエル(66)+日本(66)」に「秘密」を解く鍵があり、それは「6」という数字に秘められているということなのでしょうか…。●「6+6+6+6」=「24」=「2+4」=「6」「3333」=「3」でしたので、「3」→「6」への移行です。「3」「6」は「36」で、「ミロク」?「24」は、けんたま様のことたまワールドより引用させていただきますと、「24は、アルファベットのXで、ギリシャ語Xは、キーと発音=Key=鍵」「24」は「鍵」を握る数字なのですね。今ふと思ったのですが「24」=「フシ」=「不死」?「24」=「X」=「Key」=「鍵」「X(エックス)」は、「×(かける)」にもなり、確か、けんたま様が、「×」=「生」で、「+」=「死」であると、おっしゃってました。と、なると、「X(エックス)」=「×(かける)」=「生」??「24」は「不死」と読めば、「生」と「不死」は、繋がるようにも思いました。さらに言えば、「24」=「不死」=「富士」??ちょっと、強引かもしれませんが、「富士山」が「鍵」を握る?また、「24」=「2+4」=「6」となるので、富士山は「6」の数理を持つのでしょうか。ただ、けんたま様の数理解読で、「富士」=「二士」=「二+十+一」=「十三」=「13」となるので、間違っているかもしれません。この場合、「24」=「6」=「富士」という数理ももつと「仮定」して、考えをすすめてみます。けんたま様の引用になると思います。「6」は「ロク」で「ロック」。「ロック」は「岩」であり、「ロックする」と言うように、「鍵を閉める」こと。「24」=「鍵」だったので、まとめてみると、●「24」=「鍵」=「富士」=「6」=「ロック」=「岩」=「閉める」富士山には、重要な鍵が隠されている?あるいは、富士山という存在が、将来、ロックが解かれて、重要な役割をすることになることの暗示でしょうか?そんなことを思いました。あるいは、これも思いつきでしかなく、全くの見当はずれかもしれませんが、「6」=「六」とみると、「六」という漢字、下の部分が「八」で、上の部分が、「フタ」でかぶさったようになっていて、まるで、「八」という数字が、隠されている、ロックされている、と見れなくもない…。と、いうことは、「6」=「ロック」=「閉める」=「六」=「八が隠されている」??さらに、もう一歩、妄想を進めてみるなら、「八」とは、ずばり、「耶蘇(=八蘇)」の「八」で「イエスキリスト」を表わし、同時に「ヤハウェ」の「八(ヤ)」を表わす??そして、「6」=「六芒星」でもあるので、イスラエルの国旗であり、日本の伊勢神宮の参道脇の石灯籠に刻まれた六芒星から、「イスラエル」と「日本」の繋がりを示唆する数字。「6」=「六芒星(イスラエルの国旗)」=「六(日本の漢字)」=「八が隠されている(八の上にフタがされている)」=「ヤハウェとイエスキリスト(旧約聖書と新約聖書)が日本に隠されている!?」うーん…。我ながら、飛躍のしすぎ、とは思いますが(^^;。さらに、音に返すと、「24」=「フシ」=「不死」=「富士」=「父子」=「節」「節」となるべき、「鍵」を握る数字であり、「父子」は「御父と御子」でしょうか…。収拾がつかなくなってきましたが、いずれにしても、「24」という数字は「鍵」を握る数字であるようです。と、強引にまとめておきます。(^^;★「8585」というナンバー★最後に、「6666」を見たほんの数分後、「8585」というナンバーを見ました。●「8585」=「8+5+8+5」=「26」=「2+6」=「8」●「8585」=「(8×5)+(8×5)」=「40+40」=「80」=「8」「26」はアルファベットの最後の「Z」に当たりますので、「最後・とどめ」の数字。「8585」の「85」は、8月5日の日付も思い起こします。全くの個人的なことなのですが、8月6日が誕生日なので、8月5日は、誕生日を迎える前日となり、「最後の日(=26)」。「26」=「13+13」でもあり、「13」=「トミ」=「富」=「金」また、「13」=「イザ」と読めば、「26」=「イザ、イザ(行かん)」??「8」=「発光」=「光」であり、「太陽」、そして「∞(むげんだい)」これらのことから、「8585」のナンバーは、「太陽」の心と「黄金」の輝きを持って、「∞」の可能性に「いざ」挑んでいけ!という、勝手なメッセージを自分なりに受け取っておきます。(^^;今日は、8月8日、ぞろ目の日であり、その日に「3333」「6666」(「8585」)を見たのは、なかなかおもしろいと思いました。人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。
August 7, 2005
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少し前に映画、『いま、会いにゆきます』の中古がブックオフにあり、DVDで購入してしまい、妻に何でそんなの買ってくるのと怒られながらも(^^;、鑑賞しましたが、最後は感動しました。と、いうのは、この映画のサントラCDを鑑賞前に買っていて、ここ1,2週間は、ほとんど、このCDをかけていたので、より思いいれの深い作品となりました。妻に、何でこればっかりかけるの?という顔をされ、呆れられたことは言うまでもありません。(^^;こういう純愛系は、弱いというか、それだけで甘ちょろい私は、はまってしまう傾向があります。また、この「好きな映画」で取り上げたいと思います。観終わってタイトルの真意を知ることになるのですが、これがまた、いい!そうだったのか、と感動しました。 ※ ※ ※最近、この場では、「妄想系」に走っている感もあったので、今回は、「現実系」に、軌道修正したいと思います。(^^;では、本題いってみましょう。★三上山登頂へのプロローグ★まず、はじめにお断りしておきますが、この三上山登山編、「プロローグ」となっているので、「ゲッ!! また、他のシリーズ同様、何十回と続くのかいな!」と思われた方もおられるかもしれませんが、安心してください!!構想では3回で終えるもりです。はじめに宣言しておかないと、余計な方向へずれていって、終わらない可能性もあるので、サクサクッとまとめたいと思います。はい。2日ほど前に、ふと思いついて、地元の「近江富士」と称される「三上山」に登る事にしました。 ▲三上山、毎朝拝す。しあわせ。通勤で、毎朝必ず、三上山の美しいピラミッド形の姿を拝することができます。うれしいことです。(^^)実際眺めているだけで、登ったことはありませんでした。ただ愛着は、非常にあります。麓の御上神社では、自分の結婚式でも、神前式をここで執り行わせていただきましたし、初宮参り、娘の七五三など、お世話になっています。また、毎年お正月は、家族や両親と、初詣に行くのがここ4、5年の恒例行事になっています。そして、地元といっても良いくらい近くに住んでいるということ、毎朝この山の雄姿を眺めながら通勤できること、考えてみれば、非常に縁のある、そして大好きな山です。しかし、今まで、1度も登ったことがなかった、というのは、やはり、私の怠慢以外の何物でもない、という気もします。前々から登りたいな、と思い続けて5年くらいなるでしょうか(^^;ついつい先延ばしにしてしまいがちですが、構想約5年、ようやく、今日という日、奇しくも自分の誕生日の日に実現しました。近くに存在するものだからこそ、当たり前になって、その大切さを忘れがちになってしまう…。近くの存在、すぐ近くの人から、まずは当たり前のことですが、大切にし、感謝していきたいな、と思いました。★三上山と三輪山のシンクロニシティ★三上山登山は、ほんの2日ほど前に、ふと思いついて、急遽行こうかな、という気に成りました。スピリチュアル的に言えば、この山に呼ばれた、と(笑)。ただ、2日ほど前からしきりにこの山のことが、気になって、登らないと、という気になったことは事実。また、もうひとつの理由としては、兄夫婦と両親が、7月の初旬に登ったという事も意識の片隅にあったかもしれません。兄夫婦の家はマンションに住んでいて、三上山とはけっこう離れているのですが、8階の入り口のドアを開けると真っすぐ先に三上山の姿が見えるといいます。周囲はけっこうマンションも立ち並んでいるにもかかわらず、そういう偶然があり、なんらかの縁を、兄は感じていたようです。そして、さらにスピリチュアルな話になりますが、兄嫁があるとき、夜だったといいますが、入り口から、三上山を見たら、山頂の上方、二重螺旋の光というか、軌跡のようなもの、見えたそうです。この話を聞いた時は、びっくりしましたが、そういうこともあるのではないかと思いました。またこの話を聞いて、思い起こしたことがあります。それは、漫画『ガラスの仮面』で有名な、美内すずえさんの『アマテラス』という、いまだ未完の漫画に書かれてあったこと。奈良県桜井市に、大神神社が鎮座する、三輪山というこれも非常になだらかで美しい円錐形の山があります。私は、この美内さんの漫画を読んで、ますます興味が湧き、3,4回そこに訪れているでしょうか、大変好きな場所のひとつです。作者の美内すずえさんは、三輪山を訪れた時に、山頂から二重螺旋と言うのか蛇のとぐろを巻いたようなエネルギーが見えた、と漫画にも描かれていました。兄嫁の話を聞いて、そのことを思い出しました。美内さんの三輪山の山頂でのエネルギーと、兄嫁がみた、三上山の二重螺旋の話は、現象が似ていると思いました。そして、ここまで書いてきて、ドキリ…としてしましました。というのも、三輪山と、三上山の名前、「三○山」で、○部分が違うだけで、名前が非常に似ています。しかも、どちらも麓に神社がありますが、両社とも、山自体を神体山として祀っています。さらに、山の途中や山頂付近に、岩盤がけっこうあるということ。それを磐座(いわさか)といい、巨石文明、古代の信仰を知る上でも重要です。また、三輪山に一度登ったのですが、今回登りながら、登山口から三輪山と似ているなあ、と思いながら登りました…。 人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。今日は33回目の誕生日。1972年8月6日生まれですが、「1+9+7+2+8+6」=「33」で、誕生数は「33」です。今年で満「33歳」なので、「33」が重なります。そして、その日に「三上山」の登山。三上山の「三」=「3」「三」=「3」にまつわる数字が、不思議と重なってきます。さらに、最近、ユダヤ神秘主義の奥義でもある「生命の樹」の象徴図形について見ていたこともあり、これも、「3」とシンクロしてくるかなと。なぜなら、生命の樹の図形は、基本的に3本柱で描かれるからです。そして、「山」という字は、そのものずばり、三つの山、三つの柱からなる漢字であり、この「生命の樹」の図形とシンクロしてきます。インターネットで、誕生数「33」は、変人が多いと書かれていた記憶があるのですが、今日、妻にそのことを言ったら、「ああ、確かにそれはいえてるね!!」と、完璧に納得されてしまったので、「やっぱりそうだよね…」と言い訳のしようがありませんでした。(^^;
August 6, 2005
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▲葵と透萌:葵は、うほほ!って感じですが、何か?(娘の名前の「名付け」の過程を振り返るシリーズです。以前のepisodeを遡る時は、「カテゴリ」よりどうぞ。)「an intermission (幕間)」は、内容が、脇道にそれる「side story」「シューメーカー・レビー第9彗星(SL9)について、見ていったら、何だか深みにはまりつつあり、どうしようか?と、毎度のことながら、心配になってきました。(^^;今回も、はっきり言って、飛躍しすぎの妄想がどこまでも広がってしまい、書きながら、これは全くの見当違いのことを述べている、と何度も思いました。しかしながら、それでも、発想を自由に、「遊び」感覚で、見てみるのもいいのではないかと思い直し、「妄想」のままを書き付けてみました。(^^;次回の「SL9]の21個の核の「核」について、見ていくのと同様、ここしばらく、遊び感覚の発想で、見ていきたいと思います。★仮庵祭の8日目★前回は、「シューメーカー・レビー第9彗星」の、「レビー第9」という部分が、もしかして、聖書の「レビ記・第9章」と関係があるのではないか??と、ふと思いました。まさか…ね。あはは…。そんな偶然あるわけないでしょ、と思いながらも、実際「レビ記・第9章」を見てみると、「SL9彗星の木星衝突」を思わせるような、「象徴」に気がつきました。「こじつけ」と言われたら、その通りかもしれないですが、それにしても、おもしろい偶然の一致だと思いました。「レビ記」の第9章全体が、「仮庵祭」の最後の8日目の捧げ物などについてのことが書かれています。すなわち、第7の月の22日、最後の日のことについて、です。タロットカードの22枚目は、最後のカードでもあり、21番の「THE WORLD・世界」!!です。意味は、「完成、統合、終了、結果、舞台、見せる、披露する、形!!」偶然か必然か、「タロットカード」の最後の22枚目と、「仮庵祭」の最後の日、22日が、符合しています。さらに、レビ記の第9章を、みていくと、アロンは、モーセに命じられて、献げ物をするのですが、その回数が、アロンの子たち、アロン自身、そしてアロンの民たちに、合計「3回」の献げ物をしています。「生命の樹」が、3本柱からなる象徴図形で表わされることとも符合しますし、聖書の絶対3神に対しての、献げ物という意味もあるのかもしれません。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 更に民の和解の献げ物として雄牛と雄羊を屠った。アロンの子らがその血を渡すと、彼はそれを祭壇の四つの側面に注ぎかけた。また彼らが雄牛と雄羊の脂肪、すなわち脂尾、内臓を覆う脂肪、腎臓、肝臓の尾状葉を、胸の肉に載せて祭壇に運ぶと、アロンはその脂肪を燃やして煙にした。 また胸の肉と右後ろ肢は、主がモーセに命じられたとおり主の御前に奉納物とした。 アロンは手を上げて民を祝福した。彼が贖罪の献げ物、焼き尽くす献げ物、和解の献げ物をささげ終えて、壇を下りると、モーセとアロンは臨在の幕屋に入った。彼らが出て来て民を祝福すると、主の栄光が民全員に現れた。 そのとき主の御前から炎が出て、祭壇の上の焼き尽くす献げ物と脂肪とをなめ尽くした。これを見た民全員は喜びの声をあげ、ひれ伏した。 (「旧約聖書・レビ記・第9章19節~24節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー太字の部分、前回大雑把に、見てしまいましたので、今回、合っているかどうかはともかく、修正点を加えながら、見てみたいと思います。まず、「脂肪」を音に返してみます。●「脂肪(しぼう)」=「四芒」=「死亡」?「脂肪」とは「かたまり」です。そこから「核」のようなものを連想します。もっと飛躍させれば、「惑星」あるいは、「彗星」??また、「四芒」の「芒」は、「光芒」と言うように「光」の意味。よって、四方に広がった光ともとれます。「四芒」とは、別の見方をすれば、上記の聖書の記述にある「四つの側面」の光(芒)であり、結ぶと光の十字架?が浮かび上がります。「死亡」は、核、すなわち惑星(彗星)の消滅??また、「芒」という漢字は、「草冠」+「亡」「草冠」自体が、茨の冠をつけた「イエス・キリスト」を象徴しているので、草冠(イエス・キリスト)が「亡」くなる…。「芒」とは、まさに、イエス・キリストの十字架での「死」を意味しています。●「脂肪」=「かたまり」=「核のようなもの」=「惑星あるいは、彗星」??●「四芒」=「四方に広がる光」=「光の十字架」??●「死亡」=「惑星・彗星の消滅、あるいは、イエスキリストの死」??書きながら、お遊び的発想もいいところだなと、思います。(^^;上記のことから、「脂肪」とは、飛躍しすぎだと思いますが、「彗星の核」、であり、「イエス・キリスト」である、と。●雄牛と雄羊の脂肪、すなわち脂尾、内臓を覆う脂肪、腎臓、肝臓の尾状葉次に、「脂肪」は、「脂尾」と「内臓を覆う脂肪」からなると。「脂尾」は、「脂」に膨らむ意があるので、膨らみ伸びた尾(しっぽ)。すなわち、「彗星の尾」を、連想しました。「内臓を覆う脂肪」は、今度は、先とは矛盾していますが、「内臓」が「核」のようなものであり、その周りを「脂肪」、すなわち「四芒」(四方に広がる光)がとりまく様の象徴にも思えます。よって、「脂尾」と「内臓を覆う脂肪」を合わせた「脂肪」全体のイメージは、まぎれもなく「彗星(あるいは惑星)」です!?●「腎臓」「肝臓」の尾状葉「尾状葉」が、現時点ではよく分かりません。よって、保留します。「腎臓」と「肝臓」は、前回見たように、木火土金水の陰陽五行からみると、(1)☆「腎臓」=「水」=「彗星」=「シューメーカー・レビー第9彗星」 ☆「肝臓」=「木」=「木星」となります。ただ、聖書には、「雄牛と雄羊の脂肪、すなわち脂尾、内臓を覆う脂肪、腎臓、肝臓の尾状葉」と書かれていて、「脂肪」「腎臓」「肝臓」と、3つにわけられているので、もうひとつの見方もできるかもしれません。(2)☆「脂肪」=「かたまり」=「彗星(惑星)」 ☆「腎臓」=「水」=「水の惑星」=「地球」?? ☆「肝臓」=「木」=「木星」また、音に返すと、 「腎臓」=「神蔵」=「人造」=「神造」でしょうか。「腎臓」=「地球」は、「神の蔵」であり、「人が造られたところ」であり、「神の創造物」といった意味があるのかもしれません。(2)は、「地球」が関わっているとすれば、やはり、「SL9」の木星衝突は、これから、起こることの「予形」ということでしょうか…??つまり、地球と木星と彗星(あるいは惑星)が、これからの出来事に関わってくるのかもしれません…。そのとき主の御前から炎が出て、祭壇の上の焼き尽くす献げ物と脂肪とをなめ尽くした。と聖書にあることから、(1)についてみると、最後に「SL9」(腎臓=水=彗星)と「木星」(肝臓=木=木星)が主の炎に包まれることが、象徴されていると、見れない事もありません。その後の「これを見た民全員は喜びの声をあげ、ひれ伏した。」とあることから、「炎」の洗礼のあとに、至福の時がくることが、わかります。そして、これは、とりもなおさず「予形」だとすれば、(2)についてみたように、今後、地球と木星とある彗星(または惑星)が関連して、「炎」に関する出来事が起こる象徴にもなっているのかもしれません。 うーん…。かなり、暴走している気が…。何だか、取り留めない、話になってしまいましたが。遊び感覚の発想ということで、ご勘弁ください。次回は「核」の漢字について、これもお遊び的発想で見ていきたいと思います。(^^; 透萌:パジャマ姿でニッコリ。人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。明日は、というか、もう日付が変わっていますが、ふと思いついて、地元の「近江富士」である、三上山に昇ってこようと思います。ピラミッド形の美しい山で、前から登りたいと思いつつできてなかったので、思いついたら、何だか、行かないと、という気になっています。では、おやすみなさい。
August 5, 2005
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▲葵:ほっぺたがパンパンで、真っ赤ですが、何か?(娘の名前の「名付け」の過程を振り返るシリーズです。以前のepisodeを遡る時は、「カテゴリ」よりどうぞ。)「an intermission (幕間)」は、内容が、脇道にそれる「side story」。今日は、かなり長い。一万字ぎりぎり。書き始める前の構想とは、全く違う、予想外の結末。自分でも、びっくりです。いきなり本題へ行ってみましょう。★シューメーカー・レビー第9彗星の「名前」★日本時間の、1994年7月17日午前5時18分、「シューメーカー・レビー第9彗星」の21個に核分裂した、ひとつの核が、木星に衝突しました。そして、その「名前」から、いくつものメッセージが読みれることが、kurohogan様のご指摘で、分かりました。少し、振り返ってみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「シューメーカー・レビー第9彗星」=「主・メーカー・レビ・大工・水・星」=「主(神・創造主)」 「メーカー(maker=造物主・創造者・make=創造する)」 「レビ(祭祀集団=イスラエルの象徴)」 「第9(大工=イエス・キリスト)」 「彗星(水星=水の惑星=地球)」 ↓ 「木星」(十字架での死と復活・生命の樹・再降臨)への衝突!=「神が創造したイスラエルの血を引くイエス・キリストは、聖書8000年の時の中間に誕生し(水→木)、十字架での死と復活をへて、生命の樹の思想を携えて再び地球(水星)に再降臨(木星=東・春=日の出・芽吹き)することを象徴している??ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー★21個の核分裂が意味するもの★そして、シューメーカー・レビー第9彗星は、21個の核に分裂していることが確認され、この「21」という数字にも、メッセージがこめられているのではないか?ということで、前々回に見てみました。「タロットカード」は、大アルカナが22枚、ヘブライ語が22文字。さらに、ユダヤ神秘主義「カバラ(カッバーラ)」の奥義は、「生命の樹」の象徴図形にありますが、この図形は、10個(1個は隠されているので、実際は11個)の球と22本のパス(小径)からなっています。「22」という数字のシンクロ。そして、「SL9」の「21個」の核の、「21」という数字にこめられたメッセージを見ていくと…。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●ヘブライ語の21番目=「シン」=「神」=「申」=「十二支の第9番目」!!十二支の「第9番目」と、「SL9]の「第9」とのシンクロ。●「タロットカードの21番目のカード」=「20番(00から始まる)」=「審判」!!意味は、「目覚め、再生、覚醒、蘇る、変革の時、門出、次の段階、復活」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーよって、シューメーカー・レビー第9彗星の21個の核の木星衝突は、聖書でいう「最後の審判」の「予形」となっている可能性がある、こと。いずれにしても、地球とは関係のない、ただの宇宙空間での惑星の衝突、で済ませていいのかどうか…。むしろ、この宇宙を「大宇宙」、人体を「小宇宙」というように、すべては繋がっている事を思えば、この出来事もまた、何かを知らせてくれる、ひとつの徴(しるし)なのかもしれません。★シューメーカー・レビー第9彗星とイスラエルの「仮庵祭」★また、kurohogan様の御指摘で、イスラエルで行われる重要な「仮庵祭」とも、シンクロしていることが分かります。いつもありがとうございます。この「仮庵祭」は、第7の月の15日から22日までの7日間、実質8日間。以下、聖書からの引用です。少し長くなります。シュメーカー・レビー第9彗星の21個の核が、7月16日から7月22日まで、7日間にわたって衝突が確認されたことと、シンクロしているとしか思えないので、引用してみます。(読みやすいように、改行してます)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーイスラエルの人々に告げなさい。第七の月の十五日から主のために七日間の仮庵祭が始まる。初日に聖なる集会を開きなさい。いかなる仕事もしてはならない。 七日の間、燃やして主にささげる物をささげ続ける。八日目には聖なる集会を開き、燃やして主にささげる物をささげる。これは聖なる集まりである。あなたたちはいかなる仕事もしてはならない。 以上がイスラエルの人々を聖なる集会に召集すべき主の祝日である。あなたたちはこれらの定められた日に、燃やして主にささげる焼き尽くす献げ物、穀物の献げ物、和解の献げ物、ぶどう酒の献げ物をささげる。 このほかに主の安息日、主にささげるさまざまの献げ物、満願の献げ物、随意の献げ物がある。 なお第七の月の十五日、あなたたちが農作物を収穫するときは、七日の間主の祭りを祝いなさい。初日にも八日目にも安息の日を守りなさい。 (旧約聖書「レビ記」第23章34節~39節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの「仮庵祭」(第7の月15日~22日)と「シューメーカー・レビー第9彗星」の木星への衝突期間(7月16日~22日)は、何だか本当に偶然にしては、出来すぎです。天の意思か、全くの偶然か…。★シューメーカー・レビー第9彗星と「レビ記」の符号★また、これを書いている今、ドキリとする符号に、気がつきました。単なる偶然の一致なのかどうか、何か意味があるのか…。それは、今見た聖書の部分が、「レビ記」である、ということ!!「シューメーカー・レビー第9彗星」の「レビー(レヴィ)」との一致。さらに、もしかして、これも繋がっているのかな?…と思ったのが、第9彗星の「第9」!すなわち、「レビー第9」というのは、旧約聖書の「レビ記」の第9章と、何か関係がある???まさか!!と思いました。そんなに都合の良い偶然があるか!と。ただ,見てみると関係ある様な気もしてきました。と、いうことで、また引用、長くなります。奇しくも「SL9」の名前と符合する、レビ記「第9章」を引用してみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー八日目に、モーセはアロンとその子ら、およびイスラエルの長老たちを呼び集め、アロンに言った。無傷の若い雄牛を贖罪の献げ物として、また同じく無傷の雄羊を焼き尽くす献げ物として、主の御前に引いて来なさい。 (中略)雄山羊を贖罪の献げ物として、無傷で一歳の雄の子牛と小羊を焼き尽くす献げ物として、また雄牛と雄羊を和解の献げ物として主の御前にささげ、更にオリーブ油を混ぜた穀物の献げ物をささげなさい。今日、主はあなたたちに顕現される。 (中略) モーセは言った。これは主があなたたちに命じられたことであり、主の栄光があなたたちに現れるためなのである。 モーセはアロンに言った。祭壇に進み出て、あなたの贖罪の献げ物と焼き尽くす献げ物とをささげて、あなたと民の罪を贖う儀式を行い、また民の献げ物をささげて、彼らの罪を贖う儀式を行いなさい。これは主が命じられたことである。 アロンは祭壇に進み出て、自分の贖罪の献げ物として若い雄牛を屠った。 アロンの子らが血をアロンに手渡すと、彼は指を血に浸して祭壇の四隅の角に塗り、残りの血を祭壇の基に流した。 また献げ物の脂肪と腎臓と肝臓の尾状葉を、主がモーセに命じられたとおり、祭壇で燃やして煙にした。 しかしその肉と皮は宿営の外で焼却した。 アロンは次に、自分の焼き尽くす献げ物を屠った。アロンの子らが血を彼に渡すと、彼はそれを祭壇の四つの側面に注ぎかけた。 彼らが分割した献げ物の各部と頭を渡すと、彼は祭壇で燃やして煙にした。 アロンは内臓と四肢を洗って、祭壇の焼き尽くす献げ物の上に置き、燃やして煙にした。 (中略) また穀物の献げ物をささげ、そのうちの一つかみを取り、朝の焼き尽くす献げ物に加えて祭壇で燃やして煙にした。 更に民の和解の献げ物として雄牛と雄羊を屠った。アロンの子らがその血を渡すと、彼はそれを祭壇の四つの側面に注ぎかけた。 また彼らが雄牛と雄羊の脂肪、すなわち脂尾、内臓を覆う脂肪、腎臓、肝臓の尾状葉を、胸の肉に載せて祭壇に運ぶと、アロンはその脂肪を燃やして煙にした。 また胸の肉と右後ろ肢は、主がモーセに命じられたとおり主の御前に奉納物とした。 アロンは手を上げて民を祝福した。彼が贖罪の献げ物、焼き尽くす献げ物、和解の献げ物をささげ終えて、壇を下りると、モーセとアロンは臨在の幕屋に入った。彼らが出て来て民を祝福すると、主の栄光が民全員に現れた。 そのとき主の御前から炎が出て、祭壇の上の焼き尽くす献げ物と脂肪とをなめ尽くした。これを見た民全員は喜びの声をあげ、ひれ伏した。 (旧約聖書「レビ記」第9章1節~24節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこうしてみると、「木星衝突」した「SL9」との符号が感じられます。紙幅もないので、ざっとあげてますと。●雄牛と雄羊を、屠った、つまり犠牲にしたということ。雄羊といえば、「羊」であり、神の子羊とは「イエス・キリスト」のこと。「イエスキリスト」の十字架刑の「予形」にもなっています。●捧げ物の「血」を、祭壇の四つの側面に注ぎかけたこと四つの側面を結ぶと十字または、「X」の形になり、何やら、十字架を連想させます。●「内臓を覆う脂肪、腎臓、肝臓」を燃やしたということ。「木・火・土・金・水」の陰陽五行でいえば、「腎臓」=「水」にあたり、「肝臓」=「木」になります。腎臓(=水)と肝臓(=木)を燃やして煙にしたとは、まさに、「水」(水星=彗星)と「木」(木星)が激突して、「大火」があがったことと符合します。「脂肪」、腎臓、肝臓、とあることから、「脂肪」は音に返すと「死亡」??すなわち、「彗星」と「木星」が、大打撃を受けた、ということの象徴でしょうか?何だか、半信半疑のまま、書き付けてしまいましたが、こういう見方もできるかなということで、見てください。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「シューメーカー・レビー第9彗星」=「主・メーカー(創造する≒聖書)・レビ記・第9章」=「彗星(腎臓)と木星(肝臓)の激突による大火が象徴的に記されている???」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ▲透萌:ブランケットをスカート代わりに。人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。
August 4, 2005
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▲葵:あわわ…。まんまるちゃんです。(娘の名前の「名付け」の過程を振り返るシリーズです。以前のepisodeを遡る時は、「カテゴリ」よりご覧ください。)「an intermission (幕間)」は、内容が、脇道にそれる「side story」です。今日も、きのうに引き続き、車のナンバーについて。まず、お断りしなくてはいけないことは、車のナンバーについては、前回と同じく、「前置き」のつもりで書き出したのですが、予想以上にこの部分が増えてしまったのと、時間がもうない、ということで、今回は、本題なしで、「前置き」が「本題」になってしまいました。(^^;★今日の印象的ナンバー★車のナンバーについては、対向車を、一台一台目を凝らして見ているわけじゃあ、もちろんないのですが(そんなことしてたら、危ないですね。(^^;)、たまに、ふっとナンバーを見たときに、ぞろ目だとか、印象に残るナンバーを見ることがあります。今日は、まず昼間に、「1313」のナンバーを見ました。昨日が「1133」ですから、似てるかな、と。「1」と「3」の数字を含む、印象的なナンバーが続いています。●「1313」=「1+3+1+3」=「8」昨日見たように、8月の「8」であり、「∞」へと通じる季節。また、「8」は、けんたま様のHPより、「八日」=「陽日(ようか)」となり、「太陽」の象徴。まさに今は、「8」月であり、「太陽」の威力のもっとも強い季節でもあるのでしょうか。また、「1313」=「13+13」と見ることもできそう。「13」とは、これからの鍵を握る数字となるように思います。マヤの暦は、13ヶ月。これも、けんたま様のHPより引用させていただきますと、「13」=「トミ」=「富」で、「富」といえば、お金、すなわち「金」。13日の金曜日に、イエス・キリストの十字架刑があったから、不吉な数といわれていますが、同時に「復活」「蘇り」を意味しますから、裏返せば、最高の数字といえるのでしょう。さらに、「13+13」=「26」「26」とは、アルファベット26文字の最後「Z」に当たることから、「最後、とどめ」を意味する数字だといいます。そういえば、13ヶ月のマヤ暦では、ついこの間、7月26日が、13ヶ月のスタートの日でした。「26」とは、アルファベットでは、「終わり」であって、マヤ暦では、「始まり」の数字。「26」とは、「終わり」であり「始まり」を意味する数字なのでしょうか。★もうひとつの車のナンバー「1111」★そして、帰り道で、ふと見て、垣間見たナンバーが「1111」でした。●「1111」=「1+1+1+1」=「4」「4」は「死」であり、同時に「蘇り」を意味します。さらに、「1111」を繋げると、漢字の「皿」に見えなくもありません。「皿」は「サラ」であり「更」まっさらにするの「サラ」です。また、「1111」=「11+11」とすると、「22」となり、前回注目して書いた、「22」とも繋がってきます。これも、「シンクロニシティ」でしょうか。「22」とは、タロットカードの大アルカナの「22枚」であり、ヘブライ語のアルファベットが「22語」。そして、ユダヤ(ヘブライ)神秘主義「カバラ」または「カッバーラ」の奥義が、「生命の樹」の3本柱の象徴図形。この図形のパス(小径)の数が、「22本」。また、「1111」=「11×11」=「121」「121」には、「12(1)」とも見ることができ、同時に、「(1)21」とも、見ることができます。重ね合わさるようになっています。「12」は、12ヶ月であり、12支であり、そこから「巡り」「永遠」をイメージします。また、「12」とは、イスラエルの12支族へも繋がる数字。「21」は、昨日にも見た「シューメーカー・レビー第9彗星」の核が「21個」に分裂しているということ。「シンクロニシティ」とは、外面の現象と、内面の現象を繋ぐ出来事でもあります。そのことを体感しました。今日の夜、実は、一気にある本を、読んでしまいました。自分の今を「変えて」しまうほどの、起爆剤の本となりそうです。何の本かと言うと、すまいるデまいる様のHPに紹介されていた、『人生カンタンリセット!夢をかなえる「そうじ力」』(舛田光洋著・総合法令)という本。夢をかなえる「そうじ力」これは、すごい本です!!!はぁはぁ…。私は、自慢じゃないですが、掃除、整理整頓が苦手。しかし、この本を読んで、まず何をおいても優先しなくてはいけないこと、それが、「そうじ」である、ということに改めて気がつきました。そして、早速少しずつでも、ということで、取り掛かり始めました。三日坊主大いに結構、というところが、妙に安心。力が抜けて、かえって続けられそう、と思うようになりました。「変わるぞ」「やるぞ!」って感じ。この本を読み終えて、車に乗って、感動覚めやらぬうちに、しばらくしてふと、見た数字が「1111」。先にも述べたように、「1111」を繋げると「皿」という字になりますが、「皿」は「サラ」であり、「サラ」とは、すべてを「まっサラ」にする、の「サラ」でもありますので、繋がっています。すべてをリセット、1度、まっさらな状態にする、という意味で、非常にふさわしいぞろ目を見てしまった、と思いました。これもまた、「シンクロニシティ」でしょう。いろいろなメッセージが、注意してみると、そこかしこにあるのかな、と思います。すまいるデまいる様、本当にすごい本を紹介してくださって、ありがとうございます。(^^ ▲透萌:今年の初詣。御上神社にて。人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。えっと、本題がかけませんでしたが(T_T)まだ、シューメーカー・レビー第9彗星については、もやもやしたものがあるので、早めに、書いてしまいます。「木星」についても、見ていかなくてはいけないのに、ちょっと長期化の予感がしないでもないですが、コンパクトにコンパクトに、と思いつつ、やっています。説得力ないですが。(^^;
August 3, 2005
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▲葵:頭つるつるを隠してますが、何か?(娘の名前の「名付け」の過程を振り返るシリーズです。以前のepisodeを遡る時は、「カテゴリ」よりご覧ください。)「an intermission (幕間)」は、内容が、脇道にそれる「side story」です。今日も車のナンバープレートのシンクロニシティを。ひるま「777」を見ました。そして、帰り道は、「1133」「1133」=「11」+「33」ともなり、けんたま様流に言えば、「11」は観音扉で「スタート」「33」は、個人的なことですが、8月6日に「33歳」になる、ということと重なってくるな、などと思っていました。そして「1+1+3+3」=「8」「11+33」=「44」=「4+4」=「8」で、いずれにしても、「8」が導かれます。この8月の「8」ともシンクロしてくるように思いますし、「8」は「∞」となって、「44」=「獅子」であり、「死んで」「蘇る」ことから、すべてをまっさらに、してもう一度はじめよう!という感じです。前回から見ていた、シューメーカー・レビー第9彗星の「21個の核」についての、数理など。ちょっと今回は、本題から入ります。★「タロットカード」と「ヘブライ語」と「生命の樹」の符号★ 全くの思いつきでしかないのですが、「21」という数理は、「タロットカード」にも、関係しているかもしれない、と感じました。 なぜなら、タロットカードの起源はいろいろ言われていますが、どうも古代エジプト、古代ヘブライなどとも関係が深いからです。 もっと言えば、古代ヘブライですから「聖書」にも繋がりがあるのではないか、と。『失われたカッバーラ「陰陽道」の謎』(三神たける・飛鳥昭雄共著・学研)より、簡潔に見ていきます。 タロットカードの「大アルカナ」は22枚です。 何故か?一説に、ヘブライ語が22語だから、というのがあります。 また、「22」に関して、もうひとつ結びつくものがあります。話は飛びますが、ユダヤ(ヘブライ)の神秘主義を「カバラ」とも「カッバーラ」ともいいます。 その、ユダヤ神秘主義の奥義は「生命の樹」に凝縮される、といいます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「生命の樹」とは、エデンの園にあった樹の名前だ。その木の実を食べると、永遠の生命を得ることができる。いわば、カッバーラを究めれば、永遠の生命を得ることができることを意味している。だが、カッバーラの「生命の樹」は、ひとつの図形である。樹とあるように、樹の絵である。いくつかのバージョンがあるが、基本となる「生命の樹」の幹は、1本ではない。3本である。3本の幹が独立して、それぞれの柱を形成している。これを「ツァーツァーオト」という。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 要は、カッバーラの奥義は、「生命の樹」の象徴図形であり、3本の木で表されるということです。上の図形で言えば、3本の木は、平衡して縦に3本に伸びている柱です。横も3本の柱があり、3層構造になっています。簡単に言えば、生命の木を象徴図形で表すときは、「3本の木」で表すということです。そう見ていくと、日本という国は、この3本の木を象徴するような「3」にまつわる文化風習、そして漢字が、それこそ無数に出てくるのですが…。これについて、見ていくのも、おもしろい。日本神話の根源の神はひとりではなく、3柱の神です。すなわち「造化三神」は「生命の木」の象徴にもなっているということになります。 いずれにしても、3本柱からなる、「生命の樹」の図形は、10個の球体(11個目は隠されている)と22のパス(小径)で繋がっています。 先のタロットカードの「大アルカナ」の22枚と、ヘブライ語の22のアルファベット、そして、「生命の樹」の22本のパスが、繋がっています。★21番目のタロットカードの意味するもの★そこで、話を戻します。 シューメーカー・レビー第9彗星は、21個の核に分裂していたということ。 ここからメッセージを読み取ろうとすると…。 ヘブライ語の21番目のアルファベットは、「シン」!! ヘブライ語と日本語の単語などには、数多くの共通性が指摘されていますので、単純に、「音に返す」と、 「シン」=「神」!!まさに、21個の核は、「神」の意思が働いていたのでしょうか。また、「心・進・震・申・新」などの音に返しても、意味を拾えそうです。「中心」、核が木星へ向かって「進む」、激突し、木星が「激震」して、「新たな」何かが始まる…。 そして、次回に繋がることでもあるのですが、なぜ、シューメーカー・レビー第9彗星は、「第9」なのか??というのが、気になっていました。「第9」=「大工」で、イエス・キリストの象徴でもあると、思うのですが、他にも、意味がないだろうかと。 21個の核、ヘブライ語で21番目が、「シン」 そして、音に返すと、「シン」=「神」=「申」! 「申」は「しん」であり、「さる」で、十二支の第9番目!! まさか、そこから「第9」と付けられた訳ではないでしょうが、おもしろい「偶然の一致」です。 さらに、タロットカードの大アルカナ22枚のうちの、21番目のカードの意味は何か? タロットカードは、「00」「01」…と始まっているので、21番目は実際は、「20番」のカード。 「20番」=「審判」!!意味は、目覚め、再生、覚醒、蘇る、変革の時、門出、次の段階、復活!審判は、一方的な運命の決定を暗示する。 ただ、そのまま「21」の数字に対応させるなら、最後のカード「21」です。正直なところ、どちらに対応させれば良いのか、迷います。 「21」=「世界」意味は、完成、統合、舞台、見せるなど。個人的には、21個目ということで、タロットカードの21枚目、すなわち、「20」番=「審判」のカードと対応させたいところです。意味も、こちらの方がふさわしい。「審判」、すなわち、「聖書」でいう「最後の審判」の「予兆」として、シューメーカー・レビー第9彗星の「21個の核」は、木星に衝突していったのでしょうか…。 いずれにしても、「21個」の核の数理、意味がありそうです。 ▲透萌:光に包まれて。人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。
August 2, 2005
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▲葵:何も悩みがないって顔して寝てますが、何か? ▲帽子が似合ってないんですが、何か?(娘の名前の「名付け」の過程を振り返るシリーズです。以前のepisodeを遡る時は、「カテゴリ」よりご覧ください。)「an intermission (幕間)」は、内容が、脇道にそれる「side story」です。今日は、夕方、車のナンバーで「6666」を見ました。そして、帰り道で、「9696」のナンバーを。8月最初の日ということもあり、何か意味があるのだろうか?と思った、数字のシンクロニシティでした。 前回は、「シューメーカー・レビー第9彗星」(SL9)の名前について、見てみました。 kurohogan様のコメントに触発を受けてから、「シューメーカー・レビー第9彗星」の名前について、あれこれと、妄想を考えるようになりました…。1度気になると、そのことが気になってしまい、かなり、しつこい性格みたいです。(^^;中途半端にしておくのも、気になるので、自分の中でもやもやと考えている「妄想」を、アウトプットしてしまったほうが、スッキリするかな、と。ですから、「シューメーカー・レビー第9彗星」について、気になっていることを、数回(で終わるかな…)に分けて、書き付けてみようと思います。全然赤ちゃんの名付けじゃなくなりつつあるのですが、「side story」ですと、言い訳してあるのでいいや…。(^^;では、本題へいってみましょう。★「シューメーカー・レビー第9彗星」の名付けの理由★前回見た部分を再掲載します。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「シューメーカー・レビー第9彗星」 =「主・メーカー・レビ・大工・水・星」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ここからは前回、見た部分で、飛躍しすぎている部分もあるかな、という気もしますが…。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー=「主(神・創造主)」 「メーカー(maker=造物主・創造者・make=創造する)」 「レビ(祭祀集団=イスラエルの象徴)」 「第9(大工=イエス・キリスト)」 「彗星(水星=水の惑星=地球)」 ↓ 「木星」(十字架での死と復活・生命の樹・再降臨)への衝突! =「神が創造したイスラエルの血を引くイエス・キリストは、聖書8000年の時の中間に誕生し(水→木)、十字架での死と復活をへて、生命の樹の思想を携えて再び地球(水星)に再降臨(木星=東・春=日の出・芽吹き)することを象徴している??ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ▲ハッブル宇宙望遠鏡が撮影したシューメーカー・レヴィ第9彗星 そして、この彗星の名前がつけられた理由らしきことが、インターネットで見てたら、載っていました。こちらも引用してみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー1993年3月24日8時ごろ(世界標準時)に、パロマ天文台で観測中のユージン・シューメーカー・キャロライン・シューメーカー夫妻とディヴィッド・レヴィによっておとめ座に発見された。通常の彗星とは異なり、核は長さが1分ほどの棒状に見え、棒の中に幾つかの点が光って見えた。http://ja.wikipedia.org/wiki/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの記事から、「シューメーカー・レビー第9彗星」名付けの理由は明確です。すなわち、上記の2組の発見者の名前から、合わせて取られたものである、ということです。非常に単純といえば、単純ですが、じゃあ、前回見たような 「シューメーカー・レビー第9彗星」=「主・メーカー・レビ・大工・水・星」 のように読み解けるのは、たまたまであったのか? ということになります。 こういうことを言えば、本当かな、と思われるかもしれませんが、やはり、発見者になるべき人も、偶然ではないのではないかと、思います。発見者になる人、その発見者の名前から名付けられたこと、上記のように「聖書」との関連が読み取れること、「これから起こるであろう出来事の予兆」にもなっているということ…。 誤解を恐れずに言えば、 これらは、すべて、見えない糸で繋がっていた偶然に見える「必然の過程」であったのだ、と。 すべては、必然、すべては繋がっている、というのが普段思っていることでもあるので、自分自身の結論としては、そうなってしまいます。 ★シューメーカー・レビー第9彗星の基本データ★ これも引用になりますが、インターネットから見てみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー発見して間もなく、観測データから軌道を計算した結果、いくつかの興味深いことが判明した。 この彗星は木星のまわりを回る軌道をとっている。彗星が惑星に捕獲される現象が実際に観測されるのはこれが初めてであった。 過去の軌道を計算すると1992年7月には木星に、その直径の1.2倍まで接近していたらしい。接近の際に潮汐力によって核が砕け、少なくとも21個の破片が連なっている。核が棒状に見えたのはこのためであった。 更に、1994年7月には木星に衝突する。 木星表面に残ったシューメーカー・レヴィ第9彗星の衝突痕彗星の分裂核は1994年7月16日から7月22日までの間に、相次いで木星の大気上層に衝突した。これは、人類が初めて目撃した地球大気圏外での物体の衝突であった。http://ja.wikipedia.org/wiki/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー気になることが、いくつか出てきてしまいました。ここで、シューメーカーレビー第9彗星の分裂核21個が次々に衝突していったのが、7月16日からであるということ。7月17日ではなかったのか?と言われそうですが、16日というのは、いわば世界の標準時であるということ。7月17日午前5時18分というのは、日本時間のことになります。このあたりも、偶然ではないものを感じます。さらに、おもしろいな、と感じたのは、7月16日~22日までの間に衝突があったということ。期間は… 7日間!!そう…。何やら、「聖書」の創世記の冒頭部分。天地創造の7日間と符合するような気がしないでもありません。「聖書」の「天地創造の7日間(安息日含めた)」が「始まり」を象徴するのなら、この「SL9」の木星衝突の7日間も、何かの始まりの予兆?なのでしょうか…。★21個に分裂した核が意味するものとは?★そして、もうひとつ気になったのが、21個の核に分裂していることが確認されていたこと。もっと、あったのかもしれませんが、少なくとも、確認されたのが21個だったという事。この「21」というのも、数理的にみれば、何か見えてくるのではないだろうか?と思いました。いつもお世話になってますけんたま様数理解読を参考に見ていくと、どうなるでしょうか。(1)「21」=「2+1」=「3」(2)「21」=「2×1」=「2」(1)「3」の数理「古事記」「日本書紀」の「造化三神」であり、「聖書」で言えば、「御父」「御子」「聖霊」の三神。21個の核は、「神」に通じる数なのでしょうか。(2)「2」の数理「2」=Twoに偽り・隠蔽の意味あり、二枚舌、二股(けんたま様のHPより引用)21個の核には、隠されている「意味」がありますよ、ということでしょうか?あるいは、この核が木星に衝突したという事実は、「偽り」「仮」の姿の象徴であり、これから、本当のことが地球で起こりますよ、ということ?つまり、21個の核が、木星に衝突した事は、地球の未来に起こる「予兆」「象徴」ですよ、ということ?また、以下のようにも、考えられないでしょうか。●「21」=「10」+「11」「10」=「Ten」=「天」=「神」「11」=観音開き、1月11日は、鏡開きの日。(けんたま様の数理解読より)「11」は、扉が開かれる、まさに「始まり」を意味すると言いますので、21個の分裂した核が、最初のぶつかった、7月17日(日本時間)という日は、「天(=10)」の仕組みの「始まり」、「新たなスタート」(=11)だったと言えるのかもしれません。そういったことが、「シューメーカー・レビー第9彗星」の21個の核の数に象徴されていたのでしょうか…。 ▲透萌:雪は大好きです ▲さも自分がつくった顔してますが、大半は私です。人気blogランキング登録しました。おもしろいと思ったら、クリックしていただけるとうれしいです。この21個の核については、まだ、見ていくことがあり、この後に実は書いていたのですが、10000文字を超えてしまい、「文字オーバー」になってしまいましたので、次回、残りの文を掲載します。21個の核について、もう少し、お付き合いください。
August 1, 2005
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