2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全31件 (31件中 1-31件目)
1

葵:今年最後の、というか、今年最初の??満面の笑みですが、何か?今日は、最後の片付けに、店に行っていました。最後の大晦日に、自分にとっては、ちょっとびっくりするようなことが起きました。夕方近く、必要な書類がなかなかみつからなくて、店の中を、あっち行っては、こっちにきて、また同じところをひっくり返して、と、見つからなくて、いらいらしていたのですが、そのときに、あ、そういえば、レイキだっ…て思ったんです。本などに、レイキで探し物も見つかるって書いてたし、眠民さまの記事がふと、頭をよぎったということもあり、そうそう、レイキがあったじゃないと思い起こしました。いや、正直なところ、シンボル描いて、探し物が見つかるって、ほんとかなあというのもありました(^^;まあ、だめでもともと、やってみようか、と深呼吸して、光のエネルギーを受け入れる感じで、両手をあげました。そして、第4シンボル、第3シンボル、第2シンボル、第1シンボルと順に空間に描いていって、探している書類が見つかるように、とイメージしました。よし、OK。って思い、両手をゆっくりと下げていきました。そして、スローモーションのように、ぐうっ・・・と体を右に回転していき、ちょうど右の棚の扉を何の気なしに、開けたんです。そしたら・・・・・・・・・・・・・・・・・・ありました!!!!うええ??? うそでしょ!!!!????と、思わず、口に出してしまいました。断続的に2時間くらいは探していた書類が、レイキのシンボル描いたら、10秒でした。。。(T_T)おいおい、まじかよぉぉぉ。今までの無駄な時間は、何だったの?みたいな。自分では、絶対にないと考えていた場所です。自分では置いた覚えのない場所だからです。年末荷物もたくさん入ってきてたので、私がほったらかしていたのを、とりあえずということで、スタッフが、その中へしまってくれたんだと思います。だから、全く考えもつかないところでした。レイキはすごいかも、と体験で実感しました。思い出させてくださった、眠民さま、感謝です。m(_ _)mまた、探し物あったらレイキ使おうっと。というか、その前に、やっぱりちゃんと整理整頓しとかないと、ってことなんですけどね…。大晦日というか、もう新年になっちゃってるんですが(T_T)、いい体験させていただきました。ということで、あけましておめでとうございます!ですね・・・。元旦に、記事としては大晦日になってるんですが(^^;、ともかく、新たな節目に、300件目の記事という、キリのいい数字になりました。しかも、第六十六幕という「ぞろ目」。●「300」=「3+0+0」=「3」「3」は「絶対三神」「造化三神」に繋がり、「生命の樹」の象徴図形「三本柱」に繋がるこの宇宙の基本となる数字。●「66」=「6+6」=「12」●「66」=「6×6」=「36」「12」は一年の単位であり、イスラエル12支族、イエスの12使徒などに繋がり、日本と古代イスラエルを結びつける数字でもある。「36」=「ミロク」=「ミロクの世」に繋がる数字。ついてます!(^^)としておきましょう。では、本題へ!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「古代イスラエルの三種の神器」=「日本の三種の神器」!!●「十戒の石板」=「八咫鏡(やたのかがみ)」●「マナの壷」=「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」●「アロンの杖」=「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」 ※ ※ ※ ※ ※ ※●「八岐大蛇」=「契約の聖櫃アーク」●「草薙剣」=「アロンの杖」●「八岐大蛇」の尾から「草薙剣」が出る●「契約の聖櫃アーク」から「アロンの杖」が出る(=契約の聖櫃にアロンの杖が納められている)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー三種の神器のひとつ「天叢雲剣(草薙剣)」「古事記」や「日本書紀」から、この神剣にまつわるエピソードをみると、下記のふたつが主になります。●スサノオ命の八岐大蛇退治=天叢雲剣●ヤマトタケルノミコトの東征=草薙の剣まずは、「天叢雲剣」にまつわるエピソード前回見ました。スサノオノミコトが八岐大蛇の尾を割いたときに出てきた「天叢雲剣」。ちょっと長いですが、八岐大蛇の物語をざっと引用してみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーhttp://ja.wikipedia.org/wiki/より、大幅に省略しています。説話高天原を追放されたスサノオは、出雲国に降り立った。川上から箸が流れてきたので、川上に人がいると思って川を上ってみると老夫婦が泣いていた。その夫婦はオオヤマツミの子のアシナヅチとテナヅチであった。夫婦には8人の娘がいたが、毎年古志(越国とも出雲国古志郷とも考えられる。あるいはその時代製鉄の先進地帯で、出雲側から山越しするので吉備地方を古志としていたとも考えられる。)からヤマタノオロチがやって来て娘を食べてしまった。今年もオロチのやって来る時期が近付き、このままでは最後に残った末娘のクシナダヒメ(櫛名田比売、奇稲田姫)も食べられてしまうので、泣いているのであった。スサノオは、クシナダヒメを妻として貰い受けることを条件に、ヤマタノオロチ退治を請け負った。スサノオはクシナダヒメを守るためにその姿を櫛に変えて髪に刺した。そしてアシナヅチ・テナヅチに、強い酒を醸し、垣を作って8つの門を作り、それぞれに醸した酒を満たした酒桶を置くように言った。準備をして待っていると、ヤマタノオロチがやって来た。オロチは8つの頭をそれぞれの酒桶に突っ込んで酒を飲み出した。オロチが酔ってその場で寝てしまうと、スサノオは十拳剣を抜いてオロチを切り刻んだ。尾を切り刻んだとき、剣の刃が欠けた。剣で尾を裂いてみると大刀が出てきた。これは不思議なものだと思い、アマテラスにこの大刀を献上した。これが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)である。ヤマタノオロチを退治したスサノオは、宮殿を作る地を探して出雲国の須賀の地へやって来て、「ここに来て、私の心はすがすがしい」と言ってそこに宮を作った。それでその地を須賀という。宮が完成したとき雲が立ち昇った。そこで、「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」と詠んだ。スサノオはアシナヅチを呼び、宮の首長に任じた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「八雲」は「出雲国」を象徴する言葉。「八」は、ヘブライ語からきているとする説があり、「イヤ・ヤ」であり、もっと言えばヘブライの絶対神ヤハウェの「ヤ=八」「雲」は、意味を見ると、「高いもののたとえ」ともありますので、「神」へと通じるものがありますし、空に浮かぶ「雲」単純に見れば、「八雲」とは「絶対神ヤハウェの雲」と見れないこともない。「八岐大蛇」の物語のキーワードを「聖書」と照らし合わせると、以下のように、象徴としてみることができます。●「八岐大蛇」=「契約の聖櫃アーク」●「スサノオ命」=「牛」=「モーセ」●「クシナダヒメ」=「奇稲田姫」→「稲」=「稲妻」=「雷」●「天叢雲剣」=「天にむらがる雲」●「天目一箇命」(天叢雲剣を造ったとされる)=「暴風雨の神」●「八雲」=「絶対神ヤハウェの雲」この組み替えた象徴から、浮かび上がってくる状況があります。それは「聖書」に記されています!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「旅路にあるときはいつも、昼は主の雲が幕屋の上にあり、夜は雲の中に火が現れて、イスラエルの家のすべての人に見えたからである」(旧約聖書「主エジプト記」第40章38節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「幕屋」とは、一言でいえば、移動式の神殿です。この中の「至聖所」に、絶対神ヤハウェが宿ります。その時には必ず、「雷雲」が現れたといいます。絶対神ヤハウェの宿る幕屋を「臨在の幕屋」というそうです。エジプトで奴隷生活をおくっていたイスラエル人を救ったのは、預言者「モーセ」!モーセは、イスラエルの人たちを導いて、エジプトを脱出したいわば英雄です。その後、モーセからヨシュアに引き継がれて、約40年におよぶ放浪生活をへて、イスラエル人はカナンの地にたどり着きます。40年の間は移動式の神殿「幕屋」が、絶対神の降臨する神殿となります。そう、日本で言えば、まさに神社です。結論からいえば、日本の神社のルーツはこのイスラエルの移動式神殿「幕屋」にあります!神社は移動しないじゃないかといわれるかもしれませんが、かつて、次々に移り変わった時がありました。その名残が、伊勢神宮が20数ヶ所点々とした、「元伊勢」の地であり、伊勢に落ち着いた後も、今も20年に1度移動する、伊勢神宮の「式年遷宮」だと思われます。(『失われたイスラエル十支族「神武天皇」の謎』より)日本のルーツのひとつは、古代ヘブライに行き着きます。これらのことも、また機会があれば、紹介してみたいと思います。話がそれましたが、八岐大蛇の物語は、おそらく、いろいろな象徴が組み込まれていると思いますが、そのひとつが、「八岐大蛇」=「契約の聖櫃アーク」という視点です。「契約の聖櫃アーク」は、移動式神殿「幕屋」の至聖所へ安置されていました。「八岐大蛇の物語」とは、「モーセ」「雷」「天にむらがる雲」「絶対神ヤハウェ」といった象徴から、「絶対神ヤハウェ」が、「契約の聖櫃アーク」の安置された移動式神殿「幕屋」に「雷雲」をともなってイスラエルの人たちの前に現れた状況を、象徴している!!という見方もできるように思います。
December 31, 2005
コメント(16)

▲字が読めないくせに、いっちょ前に手に持って、読んでいるように見せかけているんだけど、何か?今年もあと一日。何だかあっという間でした。ブログを、ほぼ毎日書けたことは、自信にもなりました。拙い文章で、やたら長くなった時も多かったかなと反省です。来年は、より、コンパクトに分かりやすく、がテーマです(^^;と、言いつつ、今回も長いので、ほんとかよ・・・と言われること確実ですが。。。えっと。ともかく、来ていただいた方、読んでくださった方、ありがとうございます。楽天ブログを通じて、多くの方と知り合えたことは、自分にとって、大きな財産です。「レイキ」にも、出会えたことに感謝です。ヒックルさまありがとうございます。日々、実践していきます。みなさま、今後ともよろしくお願いします。では、本題へ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「古代イスラエルの三種の神器」=「日本の三種の神器」!!●「十戒の石板」=「八咫鏡(やたのかがみ)」●「マナの壷」=「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」●「アロンの杖」=「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」 ※ ※ ※ ※ ※ ※●「八岐大蛇」=「契約の聖櫃アーク」●「草薙剣」=「アロンの杖」●「八岐大蛇」の尾から「草薙剣」が出る●「契約の聖櫃アーク」から「アロンの杖」が出る(=契約の聖櫃にアロンの杖が納められている)●「草薙剣」=「剣」=「つるぎ」=「つるき」=「蔓木」=「からまった木」=「芽が出て花咲きアーモンドの実を結ぶ木」=「アロンの杖」!?ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーはじめの構想では、古代イスラエルの三種の神器と、日本の三種の神器が同じであることを、簡単に見ていこうと思っていたのですが、最初の「草薙剣」で、つまづいた…というか、はまってしまい、なかなか、抜け出ることができません。うーん、早く次いきたいのですが・・・。★「天叢雲剣」★三種の神器のひとつ「草薙剣」は、もうひとつの別名称として、「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」があります。なぜ、同じ剣なのに、ふたつの名前があるのか?実際のところ、これらふたつの名前の由来は、よく分からないというのが、本当のところみたいです。「草薙剣」の名称は、「ヤマトタケルノミコト」が、蝦夷討伐へ向う途上、駿河でこの神剣によって野火の難を払った逸話がでてきます。そのため草薙剣という名前を再命名したということです。また、「天叢雲剣」は、「スサノオ命」が、「八岐大蛇」の「尾」を切り裂いた時に、出てきた太刀で、「天叢雲」という名前は、八岐大蛇の頭上に常に叢雲が掛かっていたため、というのがひとつ。そして、伊勢国、志摩国に伝わる伝説では、鍛冶の神である「天目一箇命」が、暴風雨にまつわる神だから、「天叢雲」となったとする説もあるようです。いずれにしても、「天叢雲」とは、「天」に「むらがる(=叢)」「雲」ということで、雨雲、暴風雨などの天候に関係した名づけだということが分かります。事実、「叢雲(そううん)」とは、「群がり集まる雲・むらくも」の意味です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【叢】形声。意符(字体なし・上の部分)(草がみだれはえているさま)と、音符取シュ→ソウ(あつまる意)とから成り、「草むら」引いて「群がる」意を表わす。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーですから、名前も違うので、このふたつの剣は、別物だという説もあるくらいです。「天叢雲剣(草薙剣)」にまつわる物語を大きく分けると、ふたつの物語に分けることができるようです。●スサノオ命の八岐大蛇退治=天叢雲剣●ヤマトタケルノミコトの東征=草薙の剣このふたつの物語を、それぞれ見ていくと、名称の理由が、明らかになってくると感じますし、このふたつの物語を貫くものがあります。それが「聖書」ということになります!やはり、日本の神話と聖書は、明らかに繋がりがあります。不思議なのですが「聖書」を基準に考えると、このふたつの剣にまつわる物語は、意味があると感じられます。では、まず、「スサノオ命の八岐大蛇退治」=「天叢雲剣」について、みてみます。★八岐大蛇退治から見えてくるもの★ヤマタノオロチの尾から出てきた「天叢雲剣」これは、少し前に、紹介した説ですが、八岐大蛇が、「八首」であり、「八矛」となり、「八角」となり、これは、「四角い箱には八角から成る」ことに繋がります。そして、「四角い箱」とくれば、「聖書」から見るならば、飛躍していますが「契約の聖櫃アーク」!へと繋がります。●「八岐大蛇」=「八角」=「四角い箱」=「契約の聖櫃アーク」!この物語り全体が、「契約の聖櫃アーク(=八岐大蛇)」から、三種の神器のひとつ「アロンの杖(=天叢雲剣)」が出てきたことを象徴する構造になっています。そして、みていくと、次々に象徴が、でてきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーースサノオは、八岐大蛇に食われることになっていたクシナダヒメを妻として、出雲の須賀(すが)の地へ行きそこに留まった。そこで「八雲立つ出雲八重垣妻籠に八重垣作るその八重垣を」と詠んだ。これは日本初の和歌とされる。また、ここから「八雲」は出雲を象徴する言葉ともなった。(太字は、こちらがしています。)http://ja.wikipedia.org/wiki/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここで注目は、「クシナダヒメ」と「八雲」「クシナダヒメ」とは、アシナヅチ・テナヅチの「8人」の娘の中で最後に残った娘だといいます。この物語、しきりに「八」が出てくるのも特徴です。「クシナダヒメ」は、古事記では「櫛名田比売」、日本書紀では「奇稲田姫」と表記されています。どちらも、意味深い漢字が当てられています。「クシ」とは、日本の天孫降臨の地が「クシフル岳」という「クシ」にも通じるのかもしれません。そして、日本書紀の表記「奇稲田姫」とは「霊妙な稲田の女神」だといいます。「稲田」の「稲」とは、「稲穂」から「米」にも通じますし、同時に「稲妻」となり、「雷」にも通じます。さらに言えば、スサノオノミコトとは、「荒ぶる神」と称され「暴風雨」に関する神と言えそうです。先の「天叢雲剣」を作ったとされる「天目一箇命」も、一説では「暴風雨の神」だといいます。さらに、スサノオノミコトが、「暴風」と関わりがあるのは、誕生の経緯を見れば明らかです。イザナギ命が、黄泉の国からかえってきて、禊をしたときに、左目から生まれたのが「天照大神」で、右目から生まれたのが「月読命」であり、「鼻」から生まれたのが「スサノオ命」ということになります。なぜ鼻から生まれたのか、というひとつの魅力的な解釈として、易の「八卦」にもとめることができます。八卦(はっけ、はっか)は、古代中国から伝わる易の卦を示すもので、「乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤」の八つ。これを、自然に対応させれば、「天・沢・火・雷・風・水・山・地」となります。さらに、この「八卦」を人間の顔に当てはめれば、「スサノオノミコト」の生まれた「鼻」にあたる部分は、顔の中心であり、八卦の中心である「雷・風」にあたる、ということが、『古事記の暗号』(藤村由加)(だったと思います)にありました。鼻からは「鼻息」が出ますし、象徴として「雷・風」というのも当てはまります。スサノオ命とは、「荒ぶる神」であり、「雷」と「風」を引き起こす神でもある、と。そして、後に妻となる「クシナダヒメ」は、「奇稲田姫」と表記するように、「稲穂」であり「稲妻」の女神。「稲妻」とは、「雷」。ここでも「雷」へと繋がっていきます。天孫降臨では、ニニギの命が、「稲穂」を携えて降臨してきます。降臨した地は、「クシフル岳」。ともに象徴する言葉が、クシナダヒメの名前に入ってます。●「奇稲田(イナダ)姫」=「櫛(クシ)名田姫」=「クシ(イ)ナダヒメ」=「クシ(=クシフル岳)「(イ)ナダ(=稲田)」「ヒメ」ここまで、名前に「天孫降臨」のことを込めているとなると、何か関係するのかもしれません。「天叢雲剣」、剣を造った「天目一箇命」、「スサノオ命」、「八岐大蛇」、「奇稲田姫」、スサノオ命の詠んだ「八雲」…。これらのことを「象徴」で組み替えていくと、あるひとつの状況を指し示していると見ていいのではないでしょうか。それも「聖書」を基準に見ると、見事に見えてくる状況があります。役者はそろった!!というところで、タイムオーバー。次回、これらの状況から、導かれるものをみていきます。
December 30, 2005
コメント(8)

▲葵:ぱっと手をはなして、得意げですが、足は短く、頭は丸く、どう見ても、坊ちゃん顔で、さらに、おさるさんそっくりですが、何か?うーん…、前にも書きましたが、この頭を見ていると、なでなでしたくなるんですよ。髪が薄いから、より、気持ちいいんです(^^;お地蔵さんなど、頭を撫でたらご利益がある、という感じで、葵の頭をなでなでしてたら、ご利益はあるかどうかは、知りませんが、ともかく、癒されます。あの頭を見ると、てがすうっ…と伸びていってしまうんです。最近は、葵も自己主張をしっかりするようになってきたので、されるがままではなく、「ぐいっ」と手で払いのけようとしたりするんですよ。それでもしつこく、なでなで、していますが…。では、本題へ。★遠隔レイキ★今回は、遠隔を送らせていただいた方、おふたりの感想を。こちらとしては、感想がけっこう励みになります。12月17日には、陽風さまへ、遠隔レイキを送らせていただきました。最近は、はじめに目の前にイメージして送り、全体をなぞるようにしていき、次に、自己ヒーリングの要領で、手を置いていってます。特に今回は、ハートの部分で、心地よくて、寝そうになりました。はじめから、手のひらがビリビリする感が強かったので、それを流すだけという感じでしました。何となく、顔とお腹のあたりに、エネルギーを強く感じました。陽風さまの感想を引用させていただきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー遠隔レイキありがとうございます。感じたままをお伝えします。遠くから鈍い音と共にエネルギーがきました。ハートから肩まで広がり温かく感じ、上半身が左回りを始めました。しばらく回り続け静止。今度は右回りに回り続けました。目を閉じているのに眩しいくらいの光が広がっていてとても気持ちよかった。次に右足首から何かが上ってきて消えました。首の後ろが温かくなりました。私のエネルギーもどんな感じだったのか教えて頂いてもいいですか?貴重な体験をありがとうございました。ことはさんに感謝いたします。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーということでした。ありがとうございます。けっこう感じていただくと、こちらもうれしいものです。続いて、12月22日には、ももかんさまに遠隔させていただきました。まずは、私自身の感想です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーけっこう始めから、手に強いぴりぴり感がありました。全体をスキャンした時に、何となくですが、足先、首辺りに、強いぴりぴり感を感じました。はじめの方に、もわもわっとした紫っぽいものや、もう少し明るい黄色でしょうか、そういうのが、浮かんだり、大きくなったりしました。また、足先が、けっこうぴりぴりして暖かい感じでした。頭の上に手を置いている時と、ハートチャクラのあたりで、眠気もあったと思いますが、フラッと体が動きました。途中眠気もあったのですが、終えて、こちらはすっきりとしました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー続いて、遠隔レイキを受けていただいた、ももかんさまの感想を。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーありがとうございます★私は足先、手先、頭のてっぺんがぴりぴりしました。それから、全身が熱くて熱くて。。。今、もうすぐ1時間経過しようとしていますがまだ温かいんですよ♪この寒波の中、暖房も入れずにPCいじれるなんて信じられません!!!私は肩こり(首もこってます)、冷え性なんです。きっとそれなんでしょうね。。。紫??黄色??色についてわかったら教えてください♪ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーということでした。陽風さま、ももかんさま、遠隔レイキさせていただき、ありがとうございました。まだまだ、パイプも太くないですが、とにかく実践して、少しずつ感覚を磨きながら、マイペースで続けていこうと思います。無料遠隔レイキ募集しています。基本的には、「夜の11時頃から」ということで、していきたいと思います。15分くらいです。もし希望の時間あれば、おっしゃってください。調整できれば、させていただきます。無料で体験していただけますが、条件として、感想を書いてくださる方ということで、お願いします。簡単でけっこうですし、感じたままを書いてくだされば、と思います。感じなかったら、そのまま素直に書いてください。遠隔レイキ体験してみたいという方は、受け付けておりますので、私書箱までお願いします。折り返し、日程、時間などご連絡ますので、お互いに、都合のよいときを、調整していきましょう。何度でも、受けていただいてかまいません。また、遠隔レイキできる方は、遠隔の交換ヒーリングも、よろしければ、ぜひ、お願いします。してもいいよ、という方はご連絡ください。
December 29, 2005
コメント(0)
この前の日曜日、5歳の娘・透萌(ともえ)とお風呂に入っていた時のこと。娘が足の指に、怪我をしていて、直径5ミリくらいの丸いえぐれというのでしょうか、血が滲んだような、赤く色づいた状態になっていました。お湯につけるのがいやなのでしょう、透萌は、足を上げた状態で入ってました。エネルギー送ってあげるから、と言って、何の気なしに、左手をかざしていました。手のひらが、どくどくと脈打つ感じがしていました。そのまま手をかざしたり、足をくるむように当てたりしていました。時間にしたら、10分もしてなかったと思います。しばらくして、頭を洗ったりしていたら、透萌が、「あれ~~、血が止まっているよ~~」と言いましたので、「うん?」と足の指を見てみました。まあ、はじめから、血は出てなかったのですが。でも、赤くなっていたはずなんですが、傷口を見たら、赤いのが消えていました。「あれ?」と思いました。さっきは、傷口が、ぱっくりと丸いえぐれみたいなのが、あったはずなのですが、今見ると、白くなっていて、赤いのが消えて、傷口も閉じたような感じになっていました。うーん、よく観察してたわけじゃないので、何とも言えませんが、レイキのおかげでしょうか。その時は、娘に、エネルギー送ってあげたからよくなったんだね!と、ちゃっかり言っておきましたが(^^;では、本題へ。★りっちぃさまとの遠隔レイキ交換★遠隔レイキの交換ヒーリングについて。レイキティーチャーのりっちいさまと、12月13日にしていただきました。かなり前のことですが・・・。(^^;夜11時から、まず、私が送らせていただきました。自己ヒーリングの要領で、頭部からハートチャクラ、丹田あたりと背中を挟んだりということで、手を当てていきました。感覚としては、ハートあたりでより手のぴりぴり感が増したような感じです。自分も癒される感じで、ぐぐぐっと深く入り込んだような気がしました。その時の、りっちぃさまの受けた感想を、日記より引用させていただきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー初めてのことなので、気合を入れちゃって、10時過ぎには、部屋で遠隔の方法を復習したり発霊法(レイキのパワーアップを図る修行法)をしていたの。そこで疑問が。私、レイキの送り方は知っているけど、受けるのはやったことないし・・・('〇';)どうすればよかったかなぁ~??まぁ、楽な姿勢で受けるのがいいよね。・・・と、とりあえず10時57分くらいには、布団の上に仰向けに寝てみたの。そして、目をつぶって、手はお腹のあたりに置いていたら(もしかしたら、自分の手を置いているからかもしれないけど)だんだん、お腹のあたりから、腰、背中に向けて温かくなってきて、自分の手もピリピリしはじめたの。おお・・・!?これかな?もしかして、ことはさん、お腹に手を当てている?いやいや、私が手を置いたから・・・?わかんないなぁ~。こういう場合ヒーリーは、自分の手をどこに置いたらいいんだろう?ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーうーん、文章読むだけで、癒されるというか、和ませてくださいます。りっちぃさまの、ほわ~んとした人柄が感じられます(^^そして、15分たって、今度は、私が受ける番。寝た状態で受けました。両手にぴりぴりした感じが、まず来てそれは断続的に強くなったり弱くなったりしました。その後、足がぴりぴりしだして、じわじわと上がってくる感じで、ひざあたりまでその感覚は上昇してきました。途中で、目がちかちかして、もやっ…としたものがよぎったり、しました。そして、最後の5分くらいは、目と目の間、鼻の上の方の骨が、ぐぐぐっと押される感じ、圧迫感が最後まで続きました。時間が来ると、じわじわとその圧迫感はひいていきました。その時のりっちぃさまの状態を引用させていただきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそして、15分が経過。次は私の番だっ♪ブログで前ちらっと見た、ことはさんの写真の顔と名前を思い浮かべて、シンボルを描き、マントラを唱えて合掌。手のひらをお腹に当てて、目を閉じたの。最近読んだことはさんのブログ、面白いなぁ~、というのが頭にぐるぐるまわってきて、他は、いろんな人が出てきて・・・雑念ばっかりの15分だった。・・・・。こんなので、届いたかしらん?その後は、気持ちよい睡魔に襲われて、そのまま寝てしまった。朝の目覚めもスッキリ☆ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーうーん、りっちぃさんて、かなり、おもしろい・・・。もちろん、とてもいい意味で、ですよ。(^^;と、いうことで、りっちぃさまのその時の日記はこちらから遠隔の無料体験と交換ヒーリングも募集されているので、興味のある方は、ぜひ、「りっちぃ」さまの遠隔申し込んでみてください。とてもあたたかいエネルギーを送ってくださると思います。(^^)りっちぃさま、お互いレイキ活用していきましょうね。遠隔の機会いただきまして、ありがとうございます。また、よろしくお願いします。無料遠隔レイキ募集しています。基本的には、「夜の11時頃から」ということで、していきたいと思います。15分くらいです。もし希望の時間あれば、おっしゃってください。調整できれば、させていただきます。無料で体験していただけますが、条件として、感想を書いてくださる方ということで、お願いします。簡単でけっこうですし、感じたままを書いてくだされば、と思います。感じなかったら、そのまま素直に書いてください。遠隔レイキ体験してみたいという方は、受け付けておりますので、私書箱までお願いします。折り返し、日程、時間などご連絡ますので、お互いに、都合のよいときを、調整していきましょう。何度でも、受けていただいてかまいません。また、遠隔レイキできる方は、遠隔の交換ヒーリングも、よろしければ、ぜひ、お願いします。してもいいよ、という方はご連絡ください。
December 28, 2005
コメント(4)
今日は簡潔に。気がついたら、パソコンの前で、寝てました(^^;少し前から、疑問に思ってたこととして、なぜ「アメリカ」のことを、日本では、「米国」というのだろうか、ということがあります。「米」というのは、日本では、非常に重要な主食なのですが、なぜ、「アメリカ」の国名に当てはめたのだろうか、と。今のアメリカを見たら、「米」を当てはめる意味が、全く分かりません。由来を調べてないので、ちゃんとした意味があるのかもしれません。しかし、最近、もしかしたら、「米」を当てはめたのは、日本と、アメリカのつながりを示唆するのかもしれないと思いました。と、いうのも、今のアメリカではなく、「古代アメリカ」と日本というのは、想像以上の繋がりがあるからです。●「米」=「八」+「十」+「八」と漢字破字法で分解できますが、これは、いろいろと解釈できますが、そのひとつに、「八」とは、ヘブライ語で「イヤ・ヤ」となり、「神」の意味があります。もっと言えば、ヘブライの絶対神「ヤハウェ」の「ヤ」であると。そして、さらに結論だけ言えば、絶対神「ヤハウェ」が人間として受肉したのが「イエス・キリスト」となります。なぜなら、聖書をみれば、「わたしは“ある”というものである」と言っているのは、絶対神ヤハウェとイエスキリストしかいないからです。となると、『失われたアークは伊勢神宮にあった』(飛鳥昭雄)で、指摘されているように、「八」=「絶対神ヤハウェ」=「イエス・キリスト」となり、「十」は十字架です。よって「米」とは、「十字架」に対して合わせ鏡として、「ヤハウェ」と「イエス・キリスト」が位置することになります。では、この視点から、なぜ「アメリカ」が「米国」とされたのか、をみていくと、どうなるでしょうか。アメリカ、それも古代アメリカとは、「ヤハウェ」=「イエスキリスト」との関わりがあったからこそ、「米国」とされたのではないか、と。ほんの思いつきでしかなく、的外れかもしれません。ただ、古代アメリカと日本の関係は明白です。少し前に読んだ本には、アメリカのどこか忘れましたが、古代遺跡の壁画には、十六菊花紋とそっくり、というか、そのもののマークが龍の背中に描かれたのもありました。これは何を意味するのでしょう…。また、古代アメリカの人、「インディオ」あるいは、「ネイティブアメリカン」と呼ばれる人たちの稲作の仕方と、日本の弥生人の稲作の仕方が、そっくりであること。日本人特有の「蒙古班」が、インディオたちにも見られるということ。また日本の縄文式土器とそっくりなものが、南米大陸からも出土していること。太平洋をへだてて、日本と古代アメリカのマヤ、インカの人たちとも繋がってきます。海流などの流れからすれば、どうも、古代アメリカから、太平洋の島々を経由して、日本へとやってきたらしい、となります。そして彼らが、縄文人あるいは、弥生人となって、日本の原住民となった。彼らは、「アイヌ」や「熊襲」であったと考えられます。古代アメリカのインディオたちには、刺青の風習がありましたが、アイヌの人たちも今はどうか分かりませんが、かつてはありました。熊襲の人たちが、南へ追いやられて、「琉球民族」になったと思われますが、彼らもかつては刺青の風習があったといいます。今の多くの日本人には、その風習は全くありません。そして、古代アメリカには、アメリカ全大陸といっていいほど、伝説があります。絶対神の伝説が!以下は『古代日本と失われた環太平洋文明の謎』(飛鳥昭雄)より引用です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「その神は、髭をたくわえた白く発光する神で、ある日、天から人々の住む地上に降臨してきたという。その神は人々に真理を教え、生産の上がる農耕技術を伝え、病人を癒し、時には死者を蘇らせたという。そして、人々との別れの際には、自分は必ずもう一度戻ってくると言い残して、天に帰っていったと言のだ。」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー地域、民族によって、いろいろな呼び名がありますが、「ケツアルコアトル」「ククルカン」「ビィラコチャ」などなど、そして、アイヌでは「オキクルムイカム」と呼ばれる絶対神の伝説があります。そして、その伝説の神は、いつの日か、再び帰ってくるといいます。最後に、話を戻すなら「アメリカ」を「米国」となぜ呼ぶのか。それは、漢字だけを見れば、「米」=「八+十+八」から、「ヤハウェ=イエスキリスト」と関わりの深い国と、考えられます。これは、今のアメリカが、キリスト教徒が多いとか、そういうことではなく、「ヤハウェ=イエスキリスト」との関わりとは、「古代アメリカ」に求めることができるのではないか、と。なぜなら、アメリカ大陸全土には、再び帰ってくるという「絶対神」の伝説があるからです。この絶対神の正体とは・・・!?偶然かもしれませんが、米国の「米」をみれば、その正体は明らかです。そして、「米」は日本では、非常に重要ですし、日本は、「米」の国といえないこともない。同時に、「米」がアメリカをあらわすのなら、「日本」と「古代アメリカ」の繋がりをも示唆しているのかもしれません。
December 27, 2005
コメント(0)

▲透萌(ともえ):ピースサインが、ちゃんとこっち向いてなくて、かにさんみたいですが、何か?おとといは、クリスマス・イブだったので、クリスマスプレゼントを、透萌(ともえ)は、サンタさんからもらったようです。ただし、後で聞くところによると、今年は、妻が、妻の母親と、プレゼントを買いにいった時に、透萌(ともえ)も一緒についていったとのこと。しかも、透萌(ともえ)が、これ欲しいというのを、その場で買ってしまったと。妻は、「どう言おうか迷ったけど、『これはね、サンタさんに、預けてクリスマスの時に、サンタさんに持ってきてもらうからね』と言ってごまかしたと。」「なんじゃあ、それはぁぁ!!?? バレバレじゃないの?」と思いましたが、妻に聞くと、「サンタさんの存在は信じている」と。 うーむ・・・。そうしたら、そのことがあってから、透萌は、幼稚園で、同じ組の子に、こう言ったそうです。「あんなぁ、○○ちゃんのところは、もうサンタさんに、プレゼント持っていってもらったぁ?」と。いや、だから、普通は、そんなことしないってば!サンタさんは、事前に、取りに来たりしないってば!!案の定、相手の子は、「はあ?」という感じで、ぽかん…としていたそうです(^^;うーん、もうばれるのも近いんじゃないかな…。サンタさんが来るまでは、「ちゃんとしないと、サンタさん来てくれないよ」という言葉が、娘にすごく効果があったようです。透萌は、ちゃんと言うことを聞いておとなしくしてたとか…。(^^;そういうしつけがいいのかどうか疑問ですが…。では、本題へ!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「古代イスラエルの三種の神器」=「日本の三種の神器」!!●「十戒の石板」=「八咫鏡(やたのかがみ)」●「マナの壷」=「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」●「アロンの杖」=「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」 ※ ※ ※ ※ ※ ※●「八岐大蛇」=「契約の聖櫃アーク」●「草薙剣」=「アロンの杖」●「八岐大蛇」の尾から「草薙剣」が出る●「契約の聖櫃アーク」から「アロンの杖」が出る(=契約の聖櫃にアロンの杖が納められている)●「アロンの杖」=「エジプトの魔術師の蛇を飲み込む(退治する)」=「川の水が血の色に染まる」●「草薙剣」=「八岐大蛇の退治」=「肥の河が血になって流れる」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー★壇ノ浦の戦いと三種の神器★「草薙剣」は、現在、熱田神宮に祀られていると言われています。しかし、実体を見た人は、ほとんどいないはずです。いったいどんな形状をしているのでしょうか…。「草薙剣」で、ひとつ重要なエピソードが、神話の世界ではなく、現実の世界であります。時は1185年4月25日、この日、平家と源氏のクライマックスの合戦、「壇ノ浦の戦い」です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー平氏は総帥平宗盛が安徳天皇と神器を奉じ、源義経を総大将とした源氏軍を迎撃、激戦の後に宗盛は生けどられ斬首、平氏は滅亡。二位の尼(平時子/平清盛の妻で安徳天皇の祖母)は安徳天皇を抱いて入水した。この時の船の数は平家500艘、源氏700艘といわれている。彦島から田野浦に向かった知盛率いる平氏は、先陣に山鹿勢、中堅に松浦勢、そして一門の軍勢を後陣と、三軍に分け、正午頃、潮の流れの上方に陣取り、源氏軍に襲いかかった緒戦は海戦に慣れた平家が有利に進めていた。源氏は潮の流れに逆らって進むに進めず、満珠・干珠島まで後退し、敗色が濃厚だった。やがて3時頃になると潮目が変わり、義経が平家の船の漕ぎ手と舵取りを射て船の動きを封ずるにつれ形成が逆転し始める。やがて松浦党のように平氏軍の中から離脱したり、阿波民部重能のように平氏を裏切る者も出始め、勝負は決した。二位の尼(平時子/平清盛の妻で安徳天皇の祖母)は安徳天皇を抱いて入水した。建礼門院(徳子/安徳天皇の母で清盛と時子の娘)も入水したが、飛んできた矢が衣に刺さって沈めずにいた所を源氏の武将に引き上げられ、一命を取り留めた。建礼門院はまだ29歳の若さで尼となり、それから30年間の余生を京都大原寂光院で送ることになった。そこには後白河法王も訪れたという。安徳帝の入水を見届けた平知盛は、「見るべき程のものは見つ。今は何をか期せん。」と大碇を差し上げて入水したと伝えられている。三種の神器(草薙剣、勾玉、鏡)は、海に沈み、源氏の捜索により、勾玉と鏡は見つかったものの草薙剣は発見できず、そのため以後、草薙剣は清涼殿昼御座の剣で代用することになる。 なお、草薙剣の本体はそもそも熱田神宮にあり、安徳天皇が帯同していたのはその分霊で、同様に鏡の本体は伊勢神宮にあった。皇居に本体があったのは勾玉だけで、京都が首都であった時にはこの3つの神器の所在地がほぼ正三角形を構成していた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー三種の神器は、天皇家の証であり、「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)=草薙剣」、「八咫鏡(やたのかがみ)」、「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」の三つ。このうち、草薙剣(天叢雲剣)は、わずか8歳の安徳天皇たちとともに、沈んで、いまだに見つかっていないとされます。しかしこの剣は、本物ではなく分霊の剣であったとか、本物は熱田神宮に祀られているとか、このあたりは、いろいろと言われているようです。また、剣は沈んだのではなく、浜辺に打ち上げられたという説もあるようです。これについては、確認できませんでした。以下『失われた契約の聖櫃「アーク」の謎』(三神たける・飛鳥昭雄)より、引用してみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーご存知のとおり、鎌倉時代、壇ノ浦の戦いにおいて、安徳天皇が草薙剣を抱いて入水(じゅすい)した。だが、その後、草薙剣は浜辺に打ち上げられていたという。重い剣がそう簡単に浮かぶだろうか。もうひとつ。江戸時代に、熱田神宮のひとりの神官がひそかに草薙剣を見たところ、それは剣ではなかったという。この件で、僧は切腹を命じられている。棒のように長いが、剣ではなく、水に浮く。とくれば、杖だろう。おそらく、草薙剣はアロンの杖に違いない。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「草薙剣」とは、いったい何なのか…。一番手っ取り早いのは、実物が、公開されることなのですが、現時点では、それは、不可能といってもいいでしょう。もし壇ノ浦の戦いで、いったんは海に沈んだ剣が浮かんできたという事実があったのなら、剣は、金属ではなく「木」であった可能性もあるとの指摘も、ありえるのかもしれません。となれば、「草薙剣」とは、実際は「剣」ではなく、「木」からなる「杖」の可能性があり、指摘されているように、「アロンの杖」なのかもしれません。旧約聖書の「アロンの杖」のエピソードと、日本の神話の「草薙剣」にまつわる物語の、偶然にしてはあまりにできすぎた一致。「証拠」は何一つありませんが、いくつもの状況証拠が、「草薙剣」は「アロンの杖」であることを示唆しています…。間違いないでしょう。●「草薙剣」の正体は、「アロンの杖」である!!★「杖」から「剣」へ★最後に、お遊び的に、言葉から見てみます。なぜ「剣」のことを、「つるぎ」というのか?「剣」と言えば、地名では、「剣山」を思い浮かべます。よく言われるのが、「剣」=「つるぎ」=「鶴亀」「亀」は、「亀甲紋(きっこうもん)」の「き(っ)」という読みもあり、「つるぎ」=「鶴亀」「鶴」は、日本の象徴でもあり、「亀」は、「亀甲紋」から、亀の甲に似た六角形の続き模様の象徴。六角形といえば、「六芒星」を連想し、「六芒星」は、六角形が浮かび上がります。また、六芒星は、「ダビデの紋章」と言われ、ユダヤと関わりの深い紋になります。現在のイスラエルの国旗にも使用されています。と、いうことは、「剣」=「鶴亀」とは、「日本」(鶴)と「古代イスラエル(ユダヤ)」(亀)の関係を示唆しているのでしょうか。事実、剣山には、かねてから、日本とユダヤの関係を示す何らかの重要な神宝があるのではないか、と言われています…。それが、契約の聖櫃アークなのか、そうでないのかは、今の時点では見つかってない以上何とも言えませんが、日本とユダヤに関する何かがあることは確かだと思われます。★「剣」=「蔓木」?★また、「音に返す」で、「剣」=「つるぎ」=「蔓木」と見ることはできないだろうかと思いました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【蔓】バン・つる(1)つる。つる草のくきの総称。(2)つるくさ。つるのある草。(3)つるが出る。(4)のびる。はこびる。ひろがる。(5)まとう。からむ。(国)(1)つる。(ア)てがかり。てづる。(イ)すじ。系統。(ウ)鉱脈ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「蔓」には、「まとう、からむ」という意味があります。「蔓木」とは「まとう木・からむ木」となり、何となく、芽が出て、花を咲かせ、アーモンドの実をつけた「アロンの杖」へ繋がるような気もします。さらに、妄想を働かせれば(^^;、杖が蛇に変わったという奇跡、アロンの杖が蛇に変わって、エジプト魔術師たちの蛇を飲み込んだ奇跡などをも、思い起こします。なぜなら、蛇のくねくねした感じが「まとう」「からむ」などに通じるような気がするからです。だから「アロンの杖」に通じると。かなり苦しいですが…。また、「てがかり・てづる」「すじ・系統」という意味もあることから、「蔓木」=「てがかりの木」「系統の木」となります。「アロンの杖」とは、イスラエルの至宝であり、イスラエルの「系統」を明らかにする神宝なのでしょうか。まあ、お遊び的ですが、何となく、通じるような気がしました。「剣」=「つるぎ」=「つるき」=「蔓木」「剣」とは、日本で言えば、三種の神器の「草薙の剣」の象徴でもありますし、その「剣」を音に返すと「木」が含まれるというのも、偶然にしてはおもしろい符号です。なぜなら、「草薙剣」の正体が、「アロンの杖」ならば、「剣」→「杖」となり、「杖」は「木」からできているからです。そして、「からまった木」=「蔓木(つるき)」とは、まさに、アロンの杖の奇跡を象徴している感じもします。●「草薙剣」=「剣」=「つるぎ」=「つるき」=「蔓木」=「からまった木」=「芽が出て花咲きアーモンドの実を結ぶ木」=「アロンの杖」!?
December 26, 2005
コメント(6)

▲葵:あちょ~~!!って感じで剣と勘違いしているようですが、何か?いま、草薙剣について、見てるからって訳ではなくて、いま、あ、そういえば偶然にも、一致したなと思いました。今日はいきなり本題へ!ちょっと聖書からの引用など、長い部分あります。興味があれば、読んでみてください。草薙剣は、アロンの杖であることが、象徴で示唆されています。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「古代イスラエルの三種の神器」=「日本の三種の神器」!!●「十戒の石板」=「八咫鏡(やたのかがみ)」●「マナの壷」=「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」●「アロンの杖」=「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」 ※ ※ ※ ※ ※ ※●「八岐大蛇」=「契約の聖櫃アーク」●「草薙剣」=「アロンの杖」●「八岐大蛇」の尾から「草薙剣」が出る●「契約の聖櫃アーク」から「アロンの杖」が出る(=契約の聖櫃にアロンの杖が納められている)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー★草薙剣=アロンの杖★日本の三種の神器の正体は、古代イスラエルの三種の神器になりますが、このことは、考えてみれば、かなりの大問題になります。なぜなら、三種の神器が、天皇家の証となるからですし、天皇家のルーツは…??となってくるからです。日本の三種の神器の正体が、イスラエルの三種の神器であることが、証明されれば、それは、天皇家のルーツも、古代イスラエルにあることが証明されてしまいます。そして、古代イスラエルの三種の神器を、持ち込んだ集団は、この神器を、古代ヘブライ密教の「カバラ」を駆使して、象徴的に、日本の三種の神器に組み替えたと思われます。「草薙剣」とは、「アロンの杖」である、という部分を、引き続き見ていきたいと思います。象徴が、けっこう出てきますし、間違いなく「草薙剣」とは「アロンの杖」だなと思いました。★アロンの杖の奇跡★「アロンの杖」の奇跡をまず、「旧約聖書」の「出エジプト」より、見てみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーモーセは逆らって、「それでも彼らは、『主がお前などに現れるはずがない』と言って、信用せず、わたしの言うことを聞かないでしょう」と言うと、 主は彼に、「あなたが手に持っているものは何か」と言われた。彼が、「杖です」と答えると、 主は、「それを地面に投げよ」と言われた。彼が杖を地面に投げると、それが蛇になったのでモーセは飛びのいた。 主はモーセに、「手を伸ばして、尾をつかめ」と言われた。モーセが手を伸ばしてつかむと、それは手の中で杖に戻った。 「こうすれば、彼らは先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、主があなたに現れたことを信じる。」 (旧約聖書「出エジプト」第4章2節~5節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーモーセが主の命令で、「アロンの杖」を地面に投げると、「蛇」になって、「尾」をつかむと、「杖」に戻ったといいます。そして、このことは、スサノオ命が、「八岐大蛇(やまたのおろち)」の「尾」を割いた時に、「天叢雲剣(草薙剣)」が出てきたことと符合してきます。これも、実に象徴的と言えば、象徴的です。さらに、「アロンの杖」のことで、聖書よりみてみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー主はモーセとアロンに言われた。 「もし、ファラオがあなたたちに向かって、『奇跡を行ってみよ』と求めるならば、あなたはアロンに、『杖を取って、ファラオの前に投げよ』と言うと、杖は蛇になる。」 モーセとアロンはファラオのもとに行き、主の命じられたとおりに行った。アロンが自分の杖をファラオとその家臣たちの前に投げると、杖は蛇になった。 そこでファラオも賢者や呪術師を召し出した。エジプトの魔術師もまた、秘術を用いて同じことを行った。 それぞれ自分の杖を投げると、蛇になったが、アロンの杖は彼らの杖をのみ込んだ。 (第10章8節~12節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「アロンの杖」と「蛇」は、切っても切れない関係であることが分かります。このことは、「八岐大蛇」と「天叢雲剣(草薙剣)」が、非常に密接に関わっていることと同じです。さらに言えば、「八岐大蛇」を退治して、大活躍したのが、「スサノオ命」「スサノオ命」は、別名「牛頭天王」とも言われます。そのことから、スサノオ命を、一言で象徴的に表わすとすれば「牛」です。そしてこのことは、「アロンの杖」を主の命令で扱った「モーセ」も「牛」で象徴されることと、結びついてきます!なぜなら、モーセの時代は、契約の生贄として、牛が屠られるのが、常だったようですし、神聖視されていたからです。また、モーセがシナイ山に登った時に、イスラエルの民は、金の子牛像を偶像崇拝して、堕落して神の怒りを買います。ここでも、「牛」が神聖視されていることが分かります。モーセと牛は、非常に密接に関係があり、さらに、それは「牛頭天王」とも称される、「スサノオ命」にも、繋がります。よって、●「スサノオ命」=牛頭天王=「牛」=旧約の民=「モーセ」!★川が血の色で染まる★さらに「アロンの杖」が起こした奇跡について、みてみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー主はモーセに言われた。「ファラオの心は頑迷で、民を去らせない。 明朝、ファラオのところへ行きなさい。彼は水辺に下りて来る。あなたは蛇になったあの杖を手に持ち、ナイル川の岸辺に立って、彼を待ち受け、彼に言いなさい。ヘブライ人の神、主がわたしをあなたのもとに遣わして、「わたしの民を去らせ、荒れ野でわたしに仕えさせよ』と命じられたのに、あなたは今に至るまで聞き入れない。 主はこう言われた。『このことによって、あなたは、わたしが主であることを知る』と。見よ、わたしの手にある杖でナイル川の水を打つと、水は血に変わる。 川の魚は死に、川は悪臭を放つ。エジプト人はナイル川の水を飲むのを嫌がるようになる。」 主は更にモーセに言われた。「アロンに言いなさい。『杖を取り、エジプトの水という水の上、河川、水路、池、水たまりの上に手を伸ばし、血に変えなさい』と。エジプトの国中、木や石までも血に浸るであろう。」 モーセとアロンは、主の命じられたとおりにした。彼は杖を振り上げて、ファラオとその家臣の前でナイル川の水を打った。川の水はことごとく血に変わり、 川の魚は死に、川は悪臭を放ち、エジプト人はナイル川の水を飲めなくなった。こうして、エジプトの国中が血に浸った。 ところが、エジプトの魔術師も秘術を用いて同じことを行ったのでファラオの心はかたくなになり、二人の言うことを聞かなかった。主が仰せになったとおりである。 ファラオは王宮に引き返し、このことをも心に留めなかった。 エジプト人は皆、飲み水を求めて、ナイル川の周りを掘った。ナイルの水が飲めなくなったからである。 (旧約聖書「出エジプト」第7章13節~24節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこれも主の示した奇跡になりますが、アロンの杖を打つと、何と川の水が血の色に変わってしまったといいます。それもエジプト中が。こんなこと実際にあるはずがない、と言う出来事ですが、これも聖書が基本的に「事実」が書かれていることを想定すれば、やはり本当にあったことなのでしょう。それはともかく、この奇跡が、八岐大蛇の神話部分と、見事に、重なってきます。以下古事記の現代語訳からの引用です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそこでスサノオ命がおはきになっていた長い剣を抜いてその大蛇をお斬りちらしになったので、肥の河が血になって流れました。その大蛇の中の尾をお割きになる時に剣の刃がすこしかけました。これは怪しいとお思いになって剣の先で割いて御覧になりますと、鋭い太刀がありました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「アロンの杖」によって、エジプト中が、血に染まったという奇跡。これは主の示した奇跡となりますが、これを事実とするならば、そこには、世界的な、もっと言えば、他の天体も関わった、大激変が起こっていた可能性が、先の本の飛鳥昭雄氏によって、指摘されています。いずれにしても、このエジプト中が「血」に染まった出来事は、スサノオ命が、八岐大蛇を退治して、肥の河が「血」にそまったとこと、ずばり、符合してきます。●「アロンの杖」=「エジプトの魔術師の蛇を飲み込む(退治する)」=「川の水が血の色に染まる」●「草薙剣」=「八岐大蛇の退治」=「肥の河が血になって流れる」と、なり、象徴的に対応しています。こういったことから、アロンの杖と草薙剣をみていくと、同じような象徴がいくつも込められていて、両者が共通するものだということに、繋がっていきます。
December 25, 2005
コメント(0)

▲昨日に続いて、しつこく南野陽子ですが、何か?上の写真は、南野陽子のアルバム『ゴーシュ』。この中に、「愛してる」という曲が入ってます。私はこの「愛してる」を聞くと、切なくなって、聞きながら、何故か、樋口一葉の半井桃水(なからいとうすい)への忘れられない気持ちを、思い浮かべます(^^;だから、何なのそれは!?と言われそうですが、南野陽子と樋口一葉は、私の場合セットなんです(^^;歌詞の一部を引用してみます。ーーーーーーーーーーーーーーーー「薫る花びらを 抱きしめたあなたのぬくもり まだ残る愛してる 咲きほこる想いをちりばめた空一面」ーーーーーーーーーーーーーーーー一葉の切ない気持ちとダブってきて、かなりの妄想ですが、いいんですよ、これが(^^;そして、一葉の面影は、私の中では、前回述べたように、内山理名(^^;ですから、南野陽子と、樋口一葉と、内山理名という、全然関係ない人たちが、自分の中では結びついてしまうという、他の人からしたら、何を訳わかんないこと言ってんの!!、という話になるわけです。それと、昨日書いた、印象的な日記、雪の日をイメージした、散文『雪に舞うひとひらの葉』も以前、掲載しました。一葉の魅力は、作品もさることながら、ひとつは、彼女の作品総数を足しても及ばない、彼女の残した日記でしょう。彼女の死から、十数年後に出版された日記が、一葉の評価をさらに上げたことは間違いなく、この日記、原文で通読したいなという思いもありますが、かなりの労力がいりそうです。しかし、一葉の膨大な日記が、前文口語訳で読めてしまうという、『樋口一葉日記』(全口語訳)は、ありがたい本です。通読してみて、明治という時代を、必死に生きた彼女の息遣いが、聞こえてくるような感じを受けました。そして、静かにたゆたう波のように、日記の底流には、小説の師であり、恋の対象であった、半井桃水への想いが、時に強く、時に弱くなりなりながらも、失われることなく息づいています。この日記を読むことで、彼女をより身近に感じることができます。では、本題へ!★草薙剣(くさなぎのつるぎ)=天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)=アロンの杖★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「古代イスラエルの三種の神器」=「日本の三種の神器」!!●「十戒の石板」=「八咫鏡(やたのかがみ)」●「マナの壷」=「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」●「アロンの杖」=「草薙剣(くさなぎのつるぎ●「契約の箱」=「四角い箱」=「八つの角の三つの又」●「四角い箱」=「契約の聖櫃」=「八角」=「八矛」=「八首」=「八岐大蛇」!!●「契約の聖櫃アーク」を、象徴的にあらわしたのが、「八岐大蛇」!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「契約の聖櫃アーク」の象徴的存在として「八岐大蛇」が作り上げられた…。今回は、このことをもとに、日本の三種の神器のひとつ、草薙の剣の正体は、イスラエルの三種の神器のひとつ、アロンの杖であることを、みていきます。素直に考えれば、「草薙剣」と「アロンの杖」の形状は、剣と杖の違いはあるものの、似ているといえば、似ています。しかし、それだけでは、もちろん同一であるという証拠にはなりません。「草薙剣」とは、そもそもどういう謂れがあるのかから、みてみます。以下、インターネットより引用してみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそもそも、天叢雲剣を作ったのは天目一箇命(アメノマヒトツメノミコト)とされている。天目一箇命は天香具山から鉄を採取し、それを鍛え天照大神に奉納したといわれている。後に、スサノオ命が出雲国で倒した八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の尾から出てきた太刀で、天叢雲(アメノムラクモノツルギ)とは、八岐大蛇の頭上に叢雲が掛かっていたことから付けられてとも言われている。剣はスサノオ命から天照大神に奉納され、天皇家に天照大神の神体として八咫鏡とともに手渡された事になっている。そのようにして皇居内に天照大神の御神体として八咫鏡とともに祭られていたが、崇神天皇(紀元前148年-紀元前30年)の時代に皇女豊鋤入姫命により八咫鏡とともに皇居の外に祭るようになり、途中で垂仁天皇(紀元前69年-70年)の皇女倭姫命(ヤマトヒメノミコト)に引き継がれ、あわせて約60年をかけて現在の伊勢神宮内宮に落ち着いた。(詳細記事:元伊勢)その後、倭姫命から、蛮族の討伐に東へ向かう倭建命(ヤマトタケル)に渡された。討伐の後、尾張で結婚した宮簀媛(ミヤズヒメ)の元に剣を預けたまま伊吹山の悪神を討伐しに行くが、山の神によって病を得、途中で亡くなってしまった。宮簀媛は剣を祀るために熱田神宮を建てた。http://ja.wikipedia.org/wiki/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの剣は、大きく分けると、ふたつのエピソードがあり、ふたつの名前があります。はじめは、スサノオノ命が、八岐大蛇を退治する時。この時に、大蛇の尾から出てきた剣で、「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」と呼ばれていました。ふたつ目は、ヤマトタケルノミコトが剣で草をなぎ払ったエピソード。彼が、伊勢神宮でこれを拝受し、蝦夷討伐へ向う途上、この神剣によって野火の難を払います。そのため「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」という名前を再命名します。よって、「天叢雲剣」=「草薙剣」なのですが、同じ神剣でありながら、呼び方がふたつある、ということになります。ですから、まとめるとこうなるでしょうか。●スサノオ=天叢雲剣●ヤマトタケルノミコト=草薙の剣2つのエピソードから成り、名前がそれぞれついている。ここには意味がありそうです。これについては、もう少し先で見たいと思います。今回は、前回の、「八岐大蛇」=「契約の聖櫃アーク」の面と合わせて、見てみます。以下は『失われたアークは伊勢神宮にあった』(飛鳥昭雄)からの引用です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーアロンの杖は契約の聖櫃アークに納められていたため、そこから出されたアロンの杖は、ヤマタノオロチの尾から引き出された剣としても一致する。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「聖書」と合わせてみるなら、八岐大蛇の神話は、見事な象徴になっています。●「八岐大蛇」=「契約の聖櫃アーク」●「草薙剣」=「アロンの杖」●「八岐大蛇」の尾から「草薙剣」が出る●「契約の聖櫃アーク」から「アロンの杖」が出る(=契約の聖櫃にアロンの杖が納められている)★草を薙ぎ払う剣と、芽が出る杖★同書より引用します。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーさらに、アロンの杖からアーモンドの芽が出て、杖に絡まった奇跡は、剣に草が絡まりなぎ払う「クサナギ」を意味することになる。こじつけとは思わないでほしい。象徴とは全て、こじつけが主体で成されているからである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー聖書より、アロンの杖からアーモンドの芽が出た場面をみてみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー明くる日、モーセが掟の幕屋に入って行き、見ると、レビの家のアロンの杖が芽を吹き、つぼみを付け、花を咲かせ、アーモンドの実を結んでいた。 モーセが杖をすべて、主の御前からイスラエルの人々のところへ持ち出したので、彼らは、各自自分の杖を見分けて取った。 主はモーセに言われた。「アロンの杖を掟の箱の前に戻し、反逆した者たちに対する警告のしるしとして保管しなさい。そうすれば、わたしに対する不平がやみ、彼らが死ぬことはない。」 (旧約聖書「民数記」第17章23節~25節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーさらに、「草薙剣」が「草をなぎ払う」場面を「古事記・現代語訳」より、見てみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここに相模の国においで遊ばされた時に、その国の造がいつわって言いますには、「この野の中に大きな沼があります。その沼の中にすんでいる神はひどく乱暴な神です」と申しました。よって、その神をどんな様子かと、その野においでになりましたら、国の造が、火をつけました。そこで欺かれたとお知りになって、叔母様の倭姫命のお授けになった嚢の口を解いてあけてご覧になりましたところ、その中に火打(ひうち)がありました。そこでまず御刀をもって草を刈りはらい、その火打をもって火を打ち出して、こちらからも火をつけて焼き退けて、かえっておいでになる時に、その国の造どもを皆切り滅し、火をつけてお焼きなさいました。そこで今でも焼津(やいづ)といっております。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの聖書と古事記の話の中から、「アロンの杖からアーモンドの芽が出て、杖に絡まった奇跡は、剣に草が絡まりなぎ払う「クサナギ」を意味することになる」と繋がることになります。三種の神器のひとつ、「アロンの杖」のエピソードを、象徴的にヤマトタケルノミコトの「草薙剣」のエピソードに取り込んだ、と見ることができます。まだ、アロンの杖と、草薙剣が同じであることを証明する、別の象徴的なエピソードもあります。次回そのあたりのことも含めて見ていきます。
December 24, 2005
コメント(2)

▲いきなり、南野陽子ですが、何か? 昨日から、今日は、雪の日だったので、雪の日といえば、私の場合のテーマソングは、恥ずかしいことに、南野陽子なんですよ(^^; それも、アルバム『ガーランド』に収録されている「雪の花片」そして、この曲から、さらに連想するものとしては、樋口一葉。なんでやねん!!とつっこまれそうですが、樋口一葉日記にある、明治25年の2月4日の「雪の日」の一日の情景が、「雪の花片」の歌詞と重なってくるんです。歌詞の一部引用しますと、ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー結べない恋と知っていてもあなたの優しさに 今はあまえさせて空を舞う 淡い雪の花片にいつか哀しみさえうずもれるまでーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいいんですよ、これが、ね(^^;。樋口一葉の小説の師でもあり、恋の相手でもあった半井桃水(なからいとうすい)。彼女の日記を読むと、桃水のことが、出てきて、理不尽な別れを経験した後も、彼のことが忘れられないのか、思い出して、書きつけたりしています。別れる前、桃水について書かれたことで、一番印象深い記述が、この「雪の日」のことです。この日の記述は、他の部分に比べると、非常に長くて、まるで一遍の小説のような書き方です。そして、本当に事実をありのまま書いたのか、それとも誇張しているのか、あるいは、書かれていない部分もあるのか、ともかく、謎も多い感じのする日記です。この「雪の日」の情景を思い浮かべる時、背景に流れる音楽が、南野陽子のアルバム『ガーランド』に収録されている「雪の花片(はな)」。このふたつは、誰が何といおうと、私にとっては、セットなんです。これは、譲れない!!というわけです。そんなにムキにならなくても、ねえ(^^; そして、さらに言うならば、その樋口一葉の面影は、内山理名なんです。だから、なんでやねん!!とまた突っ込まれそうな飛躍ですが、新札発行記念のドラマ『樋口一葉物語』で、一葉役が、内山理名だったからなんです。そして、実を言えば、樋口一葉物語を見た理由は、一葉に興味があったからではなく、内山理名が出ているから、という、ただ、その一点の不純な動機でしかないということなのです。しかし、その不純な動機がきっかけで、樋口一葉にはまってしまうのですから、人生何が起こるかわかりません(^^;ともかく、雪の日は、南野陽子の「雪の花片」であり、そこから樋口一葉の半井桃水とお汁粉を食べたりして、2人きりのわずかな時を過ごした「雪の日」を思い浮かべて、その一葉の面影は、内山理名の面影を重ねる、という、他の人から見たら、ごちゃごちゃでわけ分かんないよ、という妄想になるわけです。さらに、言えば、別れたあとの一葉の桃水への忘れられない想いは、これまた南野陽子の『ゴーシュ』に収録されている「愛してる」という名曲がセットになっているんです(^^;まあ、そういうことで、ますます訳分かんなくなりそうなので、本題へ!繰り返しリピートで、「雪の花片」を聞きながら…(^^;★イスラエルの三種の神器=日本の三種の神器★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「イスラエルの三種の神器」=「十戒の石板」「マナの壷」「アロンの杖」●「日本の三種の神器」=「八咫鏡(やたのかがみ)」、「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」、「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」です「古代イスラエルの三種の神器」=「日本の三種の神器」!!●「十戒の石板」=「八咫鏡(やたのかがみ)」●「マナの壷」=「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」●「アロンの杖」=「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー古代イスラエルの三種の神器が、なぜ、日本の三種の神器なのか?普通に考えれば、そんなことは、ありえません。第一、三種の神器が、全然違うではないか、と。しかし、日本のルーツのひとつが、古代ヘブライにある、ということを見たとき、そのことは、あながち、否定もできなくなってきます。仮に、古代イスラエルの三種の神器が、契約の聖櫃アークとともに、日本へ持ち込まれたのだとしたら、イスラエルの三種の神器とは、日本のどこかへ隠されたり、消えてしまったのではなく、むしろ、日本の三種の神器と同一である、と考える方が、自然なような気がします。なぜなら、三種の神器とは、天皇家の証であり、天皇家のルーツが、古代ヘブライにあり、「失われた十支族」なのだとしたら、それは、とりもなおさず、三種の神器とは、古代ヘブライの至宝であるはずだからです。古代ヘブライの至宝とは、契約の聖櫃アークであり、その中に本来収められているはずのイスラエルの三種の神器です。ですから、古代ヘブライの至宝=イスラエルの三種の神器=失われたイスラエル十支族のひとつ=天皇家=日本の三種の神器と繋がっていきます。イスラエルと日本と神器が違うという点に関しては、確かに違いますが、これもヘブライ人お得意のヘブライ密教の「カバラ」であり、それは、「象徴」で組み替えているのであって、よくよく見ていくと、それぞれの神器は、同じものであることが分かります。ヘブライ人と同様、日本人も、象徴を込めるのは、非常に優れた資質を有しています。象徴であり、こじつけでもあり、語呂合わせでもある。それが、言葉や漢字、神話などにも実に巧みに組み込まれています。これも「カバラ」を根幹にしている部分がありますので、ヘブライ人と日本人は、同じ資質を有している、となります。ノアの大洪水後、セム・ハム・ヤフェトの3つの種族に分かれましたが、そのうちの、「セム」の系統を受け継ぐのが、ヘブライ人であり、ヘブライにルーツを持つ日本人の資質です。「聖書」では「はじめに言葉があった。」といい、日本人は「言霊」を重視する。これも、言ってみれば同じ特性が感じられます。西洋の合理主義的な思想が基本の白人の資質をもつヤフェト系の人たちには、おそらく、このことが理解しがたい部分でしょう。では、イスラエルの三種の神器の正体は、本当に、日本の三種の神器なのか?結論としては、それ以外に考えられない!と断定してもいいと思います。今回は、●「アロンの杖」=「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」について、見てみます。★草薙の剣は、アロンの杖の象徴★以下『失われたアークは伊勢神宮にあった』(飛鳥昭雄)より、見てみます。「草薙の剣」とは、元々「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)と呼ばれていましたが、スサノオ命が、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した時に、八岐大蛇の尾から出てきたという宝剣です。八岐大蛇も、いくつかの象徴が読み取れますが、そのひとつを同書よりみてみます。「八岐」とは「八又(ヤマタ)」であり、「八角の又」であるといいます。立方体を思い浮かべていただくと、非常に分かりやすいのですが、四角い箱は、角が八つあります。●四角い箱=八つの角そして、そのひとつの角からは三つの線、すなわち、三つの又が伸びている…。ですから、「四角い箱」は「八角からなり、その一角は三つの又」より成ります。●「四角い箱」=「八つの角の三つの又」さらに言えば、「四角い箱」は、言ってみれば、「契約の聖櫃」を思わせます。そして、その契約の聖櫃には、「八つの角」がある。それは、同時に、「八つの矛」であり「八つの首」の象徴ともなります。「八つの首」とは、すなわち、「八岐大蛇」!!そして、角から伸びる三つの又、三又は、「絶対三神」の象徴でもあります。ややこしいかもしれませんが、「契約の聖櫃アーク」を、象徴的にあらわしたのが、「八岐大蛇」である!と、同書では指摘しています。はじめは、正直、この部分を見て、面食らいましたが、よくよく考えてみれば、実にうまい象徴であると感じました。実際に、聖書を見てみると、何となく分かります。契約の聖櫃アークは、時に凄まじい威力で、敵をやっつけるSFさながらの場面も出てくるからです。それは指摘されているように、まさに大蛇が襲い掛かるさまにも象徴されます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「箱が移されてくると、主の御手が、その町に甚だしい恐慌を引き起こした。町の住人は、小さい者から大きい者までも打たれ、はれ物が彼らの間に広がった」(「サムエル記・上」第5章・9節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの場面は、ペリシテ人に、契約の聖櫃アークを奪われ、ペリシテ人が持ち込んだアシュドドの町が、契約の聖櫃アークの威力に、恐慌と、混乱を引き起こしている場面です。●「四角い箱」=「契約の聖櫃」=「八角」=「八矛」=「八首」=「八岐大蛇」!!「八岐大蛇」の神話は、いくつかの神話の寄せ集めかもしれませんし、実際に、いくつかの象徴が、くみ取れると思います。ひとつの正体が、「契約の聖櫃」の象徴であるということでしょう。意外な結びつきですが、けっこういろいろと繋がってきます。次回、草薙の剣の正体は、アロンの杖であるということ含めて、そのあたりのことについて見ていきます。
December 23, 2005
コメント(0)
今日も遠隔レイキの交換ヒーリングについて。夜帰りがけに、前の車をみたら「※555」のナンバー。「あ、またか」と。最近、「555」のナンバーや、時刻も「5:55」とか、けっこう見る気がします。数字のメッセージでいつも利用させてもらってます青い鳥@さざなみさま(お名前、マイナーチェンジしましたね!)のHPより、引用させていただきますと、ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◇555◇シートベルトをしっかり締めてください。大きな人生の変化がやってくるからです。この変化は「肯定的」「否定的」というふうにみるべきではありません。なぜならすべての変化は人生の流れの自然の一部にすぎないのです。この変化はあなたの祈りへの応えかもしれません。ですから心を静かにして自分自身を見つめ、感じ続けてください。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここで、印象に残ったのは、「心を静かにして自分自身を見つめ、感じ続けてください」の部分。「今ここを感じる」ということが、今の自分のテーマだと思っていたので、おお!今の自分にぴったりの言葉だと思いました。というのも、たんぽぽの願いさまのHPを最近よく拝見して、クリア道ってすごい、と感じているからです。たんぽぽの願いさまの講演CDを最近よく聞いたり、本を読んだりしています。いかに自分が、「今ここ」にいないか、ということを痛感しまして…、「今ここにいること」を、意識しつつ、少しずつ実践しているところです。しかし、長年のクセで、すぐにどっかいってしまう自分がいます…。(^^;まあ、それはともかく、遠隔レイキでした。12月11日は、KOKOさまと、遠隔レイキの交換ヒーリングをしました。そう、今「ここ」にある、「KOKO」さまと!(^^;「555」は、「ゴゴゴ」=「コココ」となり、「ココココココ…」という、今ここにいなさいよ~というメッセージでしょうか…(^^;まあ、半分お遊びとしても、「5+5+5」=「15」となります。けんたまさまの数理解読では、「15夜」=「満月」であり、「完全・オールマイティ」ですから、「すべてを含む」ことになり、「555」とは、「コココ」から「ココ」であり、「今ココ」にいることが、過去も未来さえも含んだ、すべての時を生きることに繋がっていくんだと思います。そして、これも、けんたまさまの解読をお借りすれば、「5」=「ゴ」=「GO」となり、「555」=「ゴーゴーゴー!」で、どんどん前へ!というメッセージなのかもしれません。「今ここにいる」「現象をありのまま見つめる」、ということであれば、物事に解釈は必要ないのかもしれませんが、「ココ」が今しばらく、自分のテーマとなりそうです。★遠隔交換ヒーリング★えっと、やっと本題へ(^^;KOKOさまと、12月11日、夜11時から、遠隔レイキの交換ヒーリングしました。KOKOさまは、12日にちゃんと書いてくださったというのに、私は、22日ということで、かなり遅い。すみません。KOKOさまの交換レイキヒーリングの日記はこちら私から送らせていただきました。そして、15分たったら、KOKOさまに送っていただく。以下は、私のほうの感想です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー10分くらい前から、発霊法などしはじめました。数分前からシンボル描いて開始しました。始めは目の前にいるイメージで包み込むような感じで送らせていただき、その後、頭部のポジションからしていきました。紫のもやっとしたものが浮かんだり、消えたりしました。お腹と背中をはさみこむ感じで手を当てていると、何となくぴりぴり感が強い気がしたので、しばらくその部分を当てていました。気がついたら、15分だったので、今度は受ける方になりました。しばらくして、てのひらに、ぴりぴり感が増してきました。続いて、眉間というか鼻の上あたりがむずむずしてきて、きたかな、と思いました。そして、眠くなってきたので、中ごろで、横になりました。手のぴりぴり感と、心地よさで、寝かけました。全体的に、あたたかいエネルギーに包まれる感じがあり、気がついたら、時間を20分ほど過ぎていました。気持ちよかったです。その後、すっきりした感じになりました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーKOKOさまのいただいた感想を以下、引用します。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーことはさん、今日はありがとうございました。時間の少し前にベッドに横になっておりましたら、手がピリピリしだしました。紫色の光がサード愛のあたりでくるくる回り、頭、右手、背中と温かくなっていきました。今日は1日アクセサリーを作っていたので右手と同じ姿勢のせいでしょうか、背中が痛かったんですが、とっても気持ちよくなりほぐれていくよな感覚がしました。23:18ごろからこちらから遅らせていただきました。紫色の光が広がりました。頭、フロント、バックと手を置いていきましたが、胸と胃のところでエネルギーが強く出るのを感じました。遠隔ヒーリングは家族にしか行ったことがなかったので、とても良い経験ができてよかったです。機会をいただきましたこと、感謝いたします。ありがとうございました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーということで、KOKOさま、貴重なお時間いただきましたこと、ありがとうございます。また、機会があれば、ぜひよろしくお願いします。無料遠隔レイキ募集しています。基本的には、「夜の11時頃から」ということで、していきたいと思います。15分くらいです。もし希望の時間あれば、おっしゃってください。調整できれば、させていただきます。無料で体験していただけますが、条件として、感想を書いてくださる方ということで、お願いします。簡単でけっこうですし、感じたままを書いてくだされば、と思います。感じなかったら、そのまま素直に書いてください。遠隔レイキ体験してみたいという方は、受け付けておりますので、私書箱までお願いします。折り返し、日程、時間などご連絡ますので、お互いに、都合のよいときを、調整していきましょう。何度でも、受けていただいてかまいません。また、遠隔レイキできる方は、遠隔の交換ヒーリングも、よろしければ、ぜひ、お願いします。してもいいよ、という方はご連絡ください。
December 22, 2005
コメント(0)
遠隔レイキの15分ずつの交換ヒーリング。ちょっと前になりますが、というか、12月10日のことなので、だいぶ遅れています(^^;が、掲載していきます。10日は、二人の方と連続の交換ヒーリングをしました。まずは、11時から、レイキ師匠のヒックルさまと遠隔レイキ。まずは、私が、送らせていただきました。ヒックルさまの感想を引用させていただきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーありがとうございました。遠隔ことはさんのを受けながら光も見えましたが、今回はトランス状態というか瞑想状態になり、野口整体のような自発動を起こしました。体が揺れました。深い瞑想の中気づきがありました。ありがとうございました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそして、15分から、受ける状態に。その時の私の感想を。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー顔の後ろのほうからぴりぴりしてきて、顔全体が包まれ撫でられるような感じがしてきました。途中で、紫っぽいもやっとしたものが浮かんできたり、消えたり、しました。手のぴりぴり感も後半になるにつれて、増しました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー11時30分を過ぎて、ヒックルさまとの遠隔を終え、今度は、お願いしていたyucyuke55さまとの交換ヒーリングを、11時40分から。まずは、yucyuke55さまから、送っていただきました。受けた感想としては、最初の頃、左目の上に重圧感というのか、ちりちりする感じがしばらく続きました。そして、その後はすーっとなりました。また、手のひらを包まれるような、マッサージされるような感覚がありました。途中ぼーっとして、寝てはいないけど、心地よい状態に身を任せていました。ありがとうございました。そして、11時55分から、今度は、こちらが送らせていただきました。送るほうは、送りながらも瞑想状態というか、寝かけていたというか、届いたかどうか(^^;ただ、自分も遠隔して、30分たったら、体が、すっきりしていました。頭もすっきりとしました。その時の、感想をいただきました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー昨日はありがとうございました。ボクが送った感想ですが、頭部は他の方より若干強めの反応がありました。その後は内蔵(特に胃)に反応があったので、そこを中心に全身へエネルギーが流れるようアファーメーションしながら終了しました。胃に関してはボク自身、調子があまり良くないのでことはさんには関係ないかもしれませんが…。受けのときは、ベッドに横になって受けました。まず両腕がピリピリし、その後は肩から腰あたりまでズーンとレイキが流れる感覚を数回味わったあと、眠ってしまったようです(汗)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーと、いうことで、ヒックルさま、yucyuke55さま、貴重なお時間いただきまして、ありがとうございました。また、ぜひよろしくお願いします。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※無料遠隔レイキ募集しています。基本的には、「夜の11時頃から」ということで、していきたいと思います。15分くらいです。もし希望の時間あれば、おっしゃってください。調整できれば、させていただきます。無料で体験していただけますが、条件として、感想を書いてくださる方ということで、お願いします。簡単でけっこうですし、感じたままを書いてくだされば、と思います。感じなかったら、そのまま素直に書いてください。遠隔レイキ体験してみたいという方は、受け付けておりますので、私書箱までお願いします。折り返し、日程、時間などご連絡ますので、お互いに、都合のよいときを、調整していきましょう。何度でも、受けていただいてかまいません。また、遠隔レイキできる方は、遠隔の交換ヒーリングも、よろしければ、ぜひ、お願いします。してもいいよ、という方はご連絡ください。
December 21, 2005
コメント(2)

▲葵:ごはん粒つけまくってるくせに、顔が妙に真剣なんですが、何か?今日もいきなり本題へ。ごはん。まんま。マンナ。マナ。なので、葵のごはん粒をつけた写真をのっけたわけではないのですが、結果的に、そうなりました。「去」から、「契約の聖櫃アーク」というのは、「去」が「めしびつ」を意味するかもしれない、ということからすれば、可能性があると思います。あくまで象徴ということですが。そういう意味では、漢字は象徴のかたまりみたいなもので、象徴を込めやすい文字ということになります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「去」=「飯櫃(めしびつ)」●「飯」=「ごはん」=「まんま」=「マンナ」=「マナ」●「櫃」=「木」+「匚」+「貴」 =「貴いものが入っている木の箱」●「去」=「飯櫃(めしびつ)」=「マナの櫃」=「マナの壷を収めた貴い箱」=「契約の聖櫃アーク」!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「マナの壷」の「マナ」「まな板」の「まな」も、この「マナ」から来ているとの説があります。本来は、神聖な食物を調理する板のことであると。「マナ」=「マンナ」=「まんま」=「ごはん」という変遷が、あったとすれば、それは、「マナ」を入れた壷、「マナの壷」が、実際に、古代イスラエルから、日本へ持ち込まれた可能性が高くなります。と、言うよりもそれは、間違いないと思われます。そして、もっと言えば、「マナの壷」を入れた契約の聖櫃アークも、日本へ来た可能性が、非常に高いと思われます。「契約の聖櫃アーク」とは、古代イスラエルの至宝、三種の神器が納められた櫃になります。以下、少し長くなりますが、インターネットより引用してみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーアカシヤの木で作られた箱は長さ130cm、幅と高さがそれぞれ80cm、装飾が施され地面に直接触れないよう、箱の下部四隅に脚が付けらる。持ち運びの際、箱に手を触れないよう二本の棒が取り付けられ、これら全てが純金で覆われる。そして箱の上部には、金の打物造りによるケルブ(cherubim)二体が乗せられた(出エジプト記 25章)。モーセの時代に、この中へマナを納めた金の壺、アロンの杖、十戒を記した石板が収納される(ヘブライ人への手紙 9:4, 出エジプト記 40:20, 16:33-34, 民数記 17:10, 申命記 10:2)。しかし、ソロモン王の時代には、十戒を記した石版以外には何も入っていなかったと伝えられている(歴代誌下 5:10)。荒野をさまよっていた時代には祭司たちが担いで移動させていたが、ヨシュアの時代以降は、主にシロの幕屋の至聖所に、また、ソロモン王の時代以降はエルサレム神殿の至聖所に安置される。サムエルを養育した大祭司エリの時代にはペリシテ人によって奪われるが、ペリシテ人を災厄が襲ったため、彼らはこの箱をイスラエル人に送り返す(サムエル記上 6章)。聖書ではヨシヤ王の時代に関する歴代誌下 35章3節の記述を最後に、比喩的に用いられる以外に直接言及される部分はなく、失われた経緯についても不明である。このことから、失われた聖櫃(The Lost Ark)と呼ばれることもある。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー現在、契約の聖櫃アークは、イスラエルの三種の神器とともに、行方不明となっていて、イスラエル政府も、必死に探しているといいます。いろいろな説がありますが、結論からいえば、いくつかの書物で、指摘されているように、日本に来ていることは、間違いありません。「契約の聖櫃アーク」も、「イスラエルの三種の神器」も、ともにです。それは、とりもなおさず、かつて、ヘブライ人が、古代イスラエルから、日本へ、それらを持ち込んだということであり、日本のルーツのひとつが、古代ヘブライにあるということになります。つまり、世界史でも大きな謎のひとつである、「失われたイスラエル十支族」は日本へ来ているということになります。このことは、アカデミズムからは全く見向きもされないでしょうし、ほとんど一般の人たちも、そんなことあるはずがないと思うのが、通常の反応だと思います。ある意味、日本の本当の姿を封印するというのが、日本へ持ち込んだ集団の意図であり、古代ヘブライ密教のカバラによって、日本人自身にさえも、分からないように、封印された、といってもいいのかもしれません。古代ヘブライと、日本の関係は、古代ヘブライ密教のカバラを軸に、それとなく、仕掛けられています。日本の神道、神社、神話、風習、伝統、おとぎ話、日本の言葉、漢字など、みていけば、それこそ無数に浮かび上がってきます。いずれにしても、古代イスラエルの三種の神器が、日本へ持ち込まれているということは、大きな問題を引き起こすことになります。ある意味、日本の核心部分に触れる問題になります。日本のどこかに、古代イスラエルの三種の神器が、あるということになります。三種の神器とは、「十戒の石板」「マナの壷」「アロンの杖」です。しかし、それらは、いまだ見つかったということは、言われていません。本当に、日本へ来ているのでしょうか。ただ、不思議なことに、日本にも、なぜか同じ「三種の神器」といわれるものがあります。しかし、神器は、もちろん違うものです。「八咫鏡(やたのかがみ)」、「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」、「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」です。これはいったい、どういうことなのでしょうか。古代イスラエルの三種の神器が、日本へ持ち込まれている…。しかし、それらは、いまだに見つかっていない。一方で、日本の三種の神器も、存在している…。古代ヘブライ密教カバラを軸にしたヘブライ人は、堂々と誰もが見えるところに隠す、という特徴があります。素直に考えれば、こういうことになります。イスラエルの三種の神器は、消えたのではなく、日本に、誰もがわかる形で、今も、堂々と丁重に祀られているということになります!すなわち、『失われた契約の聖櫃「アーク」の謎』(三神たける・飛鳥昭雄)などで指摘されているように、古代イスラエルの三種の神器の正体は、日本の三種の神器であると!両者は、同じものだということになります。よって、「古代イスラエルの三種の神器」=「日本の三種の神器」!!となります。日本の三種の神器は、実物があるとはいえ、あくまで象徴的なものです。古代イスラエルの三種の神器を、象徴的に組み替えて、日本の三種の神器とした可能性が、非常に高いと思われます。それぞれの神器がどう対応するのか。先の同書から、結論だけ見てみますと、●「十戒の石板」=「八咫鏡(やたのかがみ)」●「マナの壷」=「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」●「アロンの杖」=「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」という対応関係になります。「八咫鏡(やたのかがみ)」は、現在、伊勢神宮にあり、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は、皇居内に安置され、草薙剣(くさなぎのつるぎ)」は、熱田神宮で祀られている、とされています。日本という国は、古代イスラエルの至宝、三種の神器を、誰もが見える形で、祀っているということになります。
December 20, 2005
コメント(0)

▲透萌(ともえ):あわわ。なんじゃこれは。舌を丸出しです。(^^;今回は、写真だけ。昨日の続きですが、娘の透萌は、妻には、「なんで、おとうちゃん、夜、いっつもひっついてくるの~?」と何度か言っていたようです。妻は「ともちゃんが、好きだからだよ」とか、「あったかいからだよ」と、フォローしてくれていたようです。透萌は、「え~~~」と言ってたとか。では、本題へ!ざっと書いたので、ちょっとまとまりないです。しかも長い…。また、修正したいと思いますが、時間も時間なので、アップします。★迷走、また、迷走★「羊」について、このところ、見ていましたが、何で、「羊」の話になっていったのかというと、「古」=「コ」=「去」となり、「去」の「ム」には、象形で、口がすぼんで、腹がふくれた形の「壷」となり、これも「コ」=「壷」で繋がり、その壷のイメージが、人体でいえば、「子宮」となり、その「子宮」の中に胎児がいて、胎児の浮かぶ体液が「羊水」ということで、その「羊水」の「羊」が気になって、話はそれてそれて、「羊」の話になり、さらに、十二支の「未」へも繋がった、ということになります。はあ、はあ・・・(^^;「羊」=「未」を見ていっても、けっこうまだ、いろいろと見れそうなのですが、今回は、話を「コ」へ戻します。★「去」=「めしびつ」★●「去」=「コ」=「壷」「去」の漢字ですが、漢和辞典で、もうひとつ気になる言葉が、ありました。もう一度、「去」の漢字について、漢和辞典より、一部引用します。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーからっぽの器から、ふたをはなしたさまにより、のける、ひいて「さる」意を表わす。一説にめしびつ(竹冠に去の漢字)の原字という。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー気になるのが、「めしびつ」です。「めしびつ」の漢字は、表記できませんが、「竹」冠の下に、「去」の字がくる形になります。ただ、「めしびつ」というのは、辞書を引くと、「めしびつ」=「飯を入れる、丸くてふたのある入れ物。めしばち。おはち。」とあります。そして、「めしびつ」=「飯びつ」「飯櫃」と表記されています。つまり、「去」が、もと「めしびつ」の原字だとしたら、「去」=「飯櫃」の可能性が出てきます。そして、このことは、さらに、「あるもの」へと繋がっていく可能性があります。「飯櫃」の「飯」とは何か?辞書を引くと、(1)米・麦などをたいた食物。(2)食事。ごはん。とあります。「飯」は、「ごはん」。そして、「ごはん」のことを、なぜか日本では、赤ちゃんなどに、「まんま」とか「まま」と言います。うちの一歳の娘も、ごはんを食べる時に、「まんま。まんま」と言っていました。妻に「まんま」って、教えたの?と聞いたら、別に教えてないと言ってました。自然に言うようになったのでしょうか…。いま、「まんま」で、変換したら「飯」となりました!いずれにしても、「まんま」=「飯」と言うことになります。そして、この「まんま」の語源は、一説には、古代イスラエルにルーツを求めることができると言います。すなわち、「マンマ」→「マンナ」→「マナ」!!そう、「マナ」です。古代イスラエルで「マナ」と言えば、旧約聖書の出エジプトです。絶対神ヤハウェによって与えられた、「マナ」によって、イスラエル人は、40年にわたって、砂漠での生活をしのぐことができたといいます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。 この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。 イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。 (「出エジプト」第16章13節~15節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこれが、いったいどういう食べ物だったのかは、よく分かりません。これは、常識的考えれば、ありえないような、神話的出来事ですが、基本的には聖書は「事実」が記されていると、考えていいように思いますので、これも、何らかの自然現象か、神の意思がそこに加わった現象と思われます。さらに、もう少し後の記述を、見てみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーイスラエルの家では、それをマナと名付けた。それは、コエンドロの種に似て白く、蜜の入ったウェファースのような味がした。 モーセは言った。「主が命じられたことは次のことである。『その中から正味一オメルを量り、代々にわたって蓄えよ。わたしがあなたたちをエジプトの国から導き出したとき、荒れ野で食べさせたパンを彼らが見ることができるためである。』」 モーセがアロンに、「壷を用意し、その中に正味一オメルのマナを入れ、それを主の御前に置き、代々にわたって蓄えておきなさい」と言うと、 アロンは、主がモーセに命じられたとおり、それを掟の箱の前に置いて蓄えた。 イスラエルの人々は、人の住んでいる土地に着くまで四十年にわたってこのマナを食べた。すなわち、カナン地方の境に到着するまで彼らはこのマナを食べた。 (旧約聖書「出エジプト」第16章32節~36節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーイスラエルの人たちは、この不思議な食べ物のことを「マナ」と名づけます。そして、この「マナ」を蓄えるために、「壷」を用意するように、主が命じます。そして、このマナを入れた壷は、イスラエル人にとっての至宝となります。すなわち、三種の神器のひとつ、「マナの壷」として!!「飯」=「まんま」=「マナ」となるならば、先の「飯櫃(めしびつ)」は、「マナの櫃」!!そして、「櫃」という漢字をみると、「木」+「匚」+「貴」に分解できます。そのまま見るなら、木の「匚(はこ)」の中に「貴(とうとい)」ものが、入っている、となります。●「櫃」=「木」+「匚」+「貴」 =「貴いものが入っている木の箱」となると、聖書と照らし合わせるならば、見えてきました。「飯櫃」=「マナの櫃」=「マナの壷を入れた櫃」となります。「マナの壷」とは、イスラエルの至宝、「三種の神器」のひとつ!そして、「櫃」の漢字破字法から、「櫃」とは「貴いものを入れた木の箱」となるのであれば…。「櫃」とは、一言でいえば、三種の神器が収められている『契約の聖櫃「アーク」』の象徴!つまり、「去」とは、「飯櫃」であり、「マナの壷を収めた貴い箱」であり、「契約の聖櫃「アーク」」をも象徴していることになります。●「去」=「飯櫃(めしびつ)」=「マナの櫃」=「マナの壷を収めた貴い箱」=「契約の聖櫃アーク」!今ふと思いつきましたので、全くの推測ですが、「去」とは、「過去」のことであり、これは、「旧約聖書」をも意味するのかもしれません。なぜなら、中国の漢字を、さらに深化させた集団とは、イエス・キリストの教えを受け継いだ集団によって、カバラを駆使して作られたと考えられるからです。彼らは、言ってみれば、「新約聖書」の時代の集団です。ですから、彼らにしてみれば、「契約の聖櫃アーク」とは、「旧約聖書」の象徴であり、彼らにとって、過去の至宝になります。ですから、「去」=「契約の聖櫃アーク」=「旧約聖書の至宝」と言うことも、込めたのかもしれません。
December 19, 2005
コメント(0)
きのうの夜は、例のように、娘の透萌(ともえ)と一緒に添い寝してたら、寝てしまいました。日曜日の夜は、このパターンになりつつあります。ということで、簡潔に。お風呂から上がった時、娘にこう言われました。「おとうちゃん。何で夜いっつも、くっついてくるの?」と。げっ。ばれてたのか…。そうなのです。最近夜寝るときに、布団の中が寒いのです。葵は泣き出すこともあり、妻と一緒に寝ていて、私が寝ると、隣に透萌がいるので、ごそごそっと寄っていって、娘をカイロ代わりに、あ、いや、まあ、ともかく、あったかいので、レイキを当てながら、娘を抱くようにして眠ることが多いんです。そうすると、あ~あったかい、と心地よく眠れるんです。最近はカイロなし・・・あ、違う違う…(^^; 透萌なしじゃないと、寂しくて寒くて、寝れないような状況にも、なりつつあります。娘は寝ているので、知らないと思っていたのでが、どうやらバレバレだったようです。ということで、「いや、いつもね。よるエネルギー送ってあげてるんだよ。ともちゃんが元気になるようにってね!」と、しゃあしゃあと、言いました。(^^;まあ、半分本当ということで。そして、「あったかくていいでしょ?」と言ったら、「あついんやぁ~」と言われてしまいました。(^^;話題変わりますが。最近、気になっている「羊」きのうふと思ったのですが、夜寝れない時などに、どうして「羊が一匹。羊が2匹…」って数えていくんだろう、と思いました。なぜ、「羊」なんだろうか?別に猿でも、牛でも犬でも猫でもよさそうなものの、なぜ「羊」なの?と。妻になんで?と聞いてみたら、「さあ~。羊がやさしげなイメージだからじゃないの。」とか「羊が飛んでいくイメージだからじゃないの」とか、そんな返答でした。これも、もしかしたら、「聖書」と関係しているのかもしれないと思いました。聖書では、羊は500回以上も出てきますし、なじみのある動物です。何よりも「神の子羊」と称される、イエス・キリストの象徴でもある。となると、日本で羊を数える風習があるのだとしたら、日本の古代も、羊を重要視する思想があった、あるいは入り込んできたのではないか、ということも考えられるかもしれません。また、昨日ある本を読んでいたら、「三昧(ざんまい)」という言葉がでてきて、「うん?」と思いました。「三昧」の「昧」という感じが、「日」+「未」から成る漢字です。「未」=「十二支のひつじ」!何か意味がありそうですし、聖書とも繋がってきそうです。また、何か分かれば、書いてみようと思います。
December 18, 2005
コメント(8)

▲葵:ヨーグルト。あーん。 ▲うーん、満足満足、って感じで、口からはみ出しちゃってますが、何か?葵は、最近自己主張が強くなってきて、好きなものがあると、特にクッキーとかヨーグルトとかがあると、指差して「あ~、あ~、あ~」と訴えかけます。そして、食べ物でも、いらないものがあると、スプーンで口に持っていっても、手でぐいっと払うようにして、「いらない!」とはっきりと意思表示します。髪は薄いくせに、意思表示は、なかなか、はっきりした性格のようです…。(^^;では、本題へ!★引き寄せられる現実★最近「羊」が気になっています。「羊」=「ヨウ」=「八」なので、昨日は「8888」のナンバーを見ました。今日は「**88」「***8」のナンバーを見ました。それだけなんですが(^^;また、昨日本屋で、漢字の本みたいなのがあったので、手にとって本をぱらっぱらっとめくって見たら、「羊」について書かれた項目をちょうど開きました。おお、と。意識がそこへいくと、それに関するものがやってくる、というのは、おそらく何についてもいえることだと感じます。★羊がふくまれた「美」の意味★そこに書かれていたことで、「美」という漢字があります。「美」を漢字破字法で分解すると、どうなるでしょうか。●「美」=「羊」+「大」「羊」+「大」で、「羊が大きい」「だから、古代の人は、肥えて大きな羊を見て、美しいと感じたのでしょう」、というようなことが書かれていたのですが、個人的には、どうも納得できません。羊が大きかったら、どう感じるか?と問われれば、私は、怖いと思います(^^;少なくとも、美しいとは感じないような気がするのですが…。なぜ、「美しい」という漢字は、「羊」+「大」から成っているのか?これも、結論から言えば、「羊」と同様、聖書にその真意を求めることができるはずです!「羊」とは、「神の子羊」であり、「羊飼い」と称される「イエス・キリスト」の象徴です。では「大」は?「大」とは「偉大な・ひさしい」といった意味があります。また「大」=「一」+「人」=「一人」で、「唯一の」という意味もあります。●「美」=「羊」+「大」 =「イエス・キリスト」+「偉大な・ひさしい」 =「偉大なる(永遠なる)イエス・キリスト」 =「唯一のイエス・キリスト」!「美」という漢字は、漢字をつくった集団の「イエス・キリスト」に対する想いが、込められているのではないでしょうか。だからこそ、それが、「よい・うつくしい」という意味になったのだと。そう言われれば、わかるような気がするのですが、そんなことは漢和辞典には全く載っていないので、専門家の方からは怒られるかもしれません。でも、聖書と漢字の繋がりを思えば、そうとれてしまいます。また、音から見れば、●「美」=「ビ」=「ヒ」=「日」「陽」「火」「秘」といった漢字へ繋がっていくような気がします。そして、「美」=「ヒ」=「日・陽」であれば、「日・陽」は「太陽」の象徴であり、「光」へ繋がっていきます。「光」とは、「聖書」では、とりもなおさず「イエス・キリスト」の象徴です!●「美」=「ビ」=「ヒ」=「日・陽」=「光」=「イエス・キリスト」★「羊」=十二支の「未」★「未」も「ヒツジ」ですが、「未」の字もまた、考えてみれば、意味深です。イエス・キリストという存在は、聖書では、いくつか象徴がありますが、そのひとつが「神の子羊」の「羊(=未)」そして、モーセが旗竿に掲げた「青銅の蛇」=「蛇」「未」とは、十二支の「羊」であることと同時に、「未」=「ミ」=「巳」となり、「巳」=「蛇」にも通じます。そうみると、「未」とは「羊」にも、「蛇」にも通じます。そして、それは、ともに「イエス・キリスト」の象徴でもある…。★「未」の漢字破字法★「未」とは、漢字破字法から見るならば、基本的には「木部」の漢字なので、●「未」=「十」+「木」と見ることができそうです。「十」とは「十字架」であり、「十・木」で「十字架の木」イエス・キリストの十字架は、「木」からできています。さらに言えば、イエス・キリストの十字架の木とは、「生命の樹」の象徴でもあると指摘されています。事実、「未」の漢字の成り立ちを見ると、はじめは「木」の象形です。そこから、一本の線が入った漢字が「未」であると。成り立ちは「もと、木にわかいえだが出たさまにより、わかい意を表わす。」とあります。と、いうことは、「未」=「一」+「木」と見ることもできます。「一」とは「はじめの」という意味がありますので、「一・木」で、「はじめの木」となります。それはすなわち、最初の人、アダムの住むエデンの園の中央に生える「生命の樹」の象徴だとも言えるのかもしれません。人類にとっての「はじめの木」、それが「生命の樹」だと。●「未」=「一」+「木」=「はじめの木」=「生命の樹」!よって、まとめると、●「未」=「十・木」=「十字架の木」=「生命の樹」=「イエス・キリストの象徴」もうひとつ、付け加えるならば、「木」という漢字をひっくり返すと、三又の矛になりますが、これは三本柱であり、「生命の樹」の象徴です。同様に、「未」という漢字をひっくり返すと、先に三又の矛で、両脇から4本の棒が突き出ていると、見ることもできます。考えようによっては、「3」+「4」で、「7本の矛」と見ることもでき、これは、石上神宮の「七支刀」と見ることもできそうです。 ▲石上神宮に収められている国宝・七支刀さらにいえば、この七支刀のルーツは、一説にはユダヤの象徴的存在であり、古代の会見の幕屋やエルサレム神殿で使われた「七枝の燭台(メノラー)」である可能性があります。 ▲七枝の燭台(メノラー)「未」という漢字を見ると、そう見れないこともない。そして、「七枝の燭台」とは、やはり「生命の樹」から来ていると考えてもいいようですので、ここでも「生命の樹」へと行き着きます。★「未」のもうひとつの漢字破字法★●「未」=「大」+「十」「大」は頭と両手両足を象形で表わしている、と見ることもできますので、「人」のことです。「人」+「十」となれば、「十字架の人」となり、これもまた、イエス・キリストの象徴です。●「未」=「大」+「十」=「十字架の人」=「イエス・キリストの象徴」★「未」の意味する預言★「未」の成り立ちに、「一説に、木のえだがしげって暗いさまにかたどるという。借りて「いまだ」の意、また、十二支の第8番目に用いる。」とあります。「未」とは「いまだ」という意味から、まだことが起こっていない状態であり、「未来」の「未」でもあります。そして、「未」とは、漢字破字法などから、「イエス・キリスト」の象徴であり、「生命の樹」の象徴。と、いうことは…。「未」とは、ヘブライ密教の「カバラ」や聖書からみるなら、「未来において」、「イエスキリストの再降臨」を象徴し、同時に、人類は「生命の樹」へ到達する、ということが込められているのではないか、と感じました。つまり、この「未」という漢字に、「未来」において、起こることを、預言として、「イエス・キリスト」と「生命の樹」の象徴を、封じ込めたような気がします。かなり、飛躍があるかもしれませんが、最後にまとめると、●「未」=「未来」=「まだ起こってない」=「これから起こること」=「イエスキリストの再降臨」=「生命の樹へ到達すること」!
December 17, 2005
コメント(2)
精神世界では、もはや、当たり前のように言われる、ムー大陸やアトランティス大陸。また、チャネリングなどで、遥か彼方からの星から、来ているという存在(?)の一部も、ムー大陸やアトランティス大陸は、高度な文明があったといいます。なぜ滅びたかについては、いくつもの説が言われているようですが、たとえば、ムー大陸とアトランティス大陸の核戦争があったとか、それによる大地震で一夜にして海の底に沈んだとか、そういう感じだと思います。その年代も、いくつかの本を見ると、だいたい1万2千年前というのが、多いかなと思います。それかもっと何十万年前に存在したとか途方もない数字のもあります。本当にかつてそれらの文明は存在したのか?結論から言えば、ムー大陸に関しては、太平洋上に、大陸となる地殻が全く存在しないことから、存在することは、ありえないとなります。地質学的には、海と大陸の地質の違いは明らかだからです。つまり、太平洋上に大陸となる地質が全く見つかっていないことから、ムー大陸のような巨大な大陸はない、ということになります。アトランティス大陸に関しても、結論から言えば、高度な文明が存在したことはない、となります。もし、実体を持たない宇宙人(?)の人が、チャネリングなどで、ムーやアトランティス大陸について、言ってれば、それは少し疑ってかかるほうがいいかもしれません。いずれにしても、ムー大陸は、太平洋上に存在しなかった。これが、現在の地質学など科学の視点から言える事実です。しかし、太平洋上の島々には、数多くの伝承が残されていて、それらも無視するわけにはいきません。それらの伝承は、大雑把にいえば、一夜にして海の底に大陸が沈んだという、大洪水に関することが、多いようです。と、いうことは、「聖書」と照らし合わせるならば、そういう地球規模の大陸が沈むような出来事とは、創世記に書かれている、ある出来事しかありません。そう・・・。「ノアの大洪水」!!つまり、太平洋の島々が伝える伝承のすべてではないでしょうが、一部は、「ノアの大洪水」のことを伝えていると思われます。ノアの大洪水が起こった年代はいつか?『古代日本と失われた環太平洋文明の謎』(飛鳥昭雄)を参考に、以下、見てみます。 これは聖書から言えば、どうも約4500年前に「ノアの大洪水」は起こったと指摘されています。正確に言えば、紀元前2344年の出来事だと。4500年前といえば、世界最古の4大文明発祥の年代と一致します。4大文明とは、メソポタミア、エジプト、インダス、黄河地域で発祥した文明のことになります。これらの4大文明の不思議のひとつとして、突然それらの文明が起こったように見えるということです。ですから、他の星から来た高度な宇宙人が、さまざまな叡智を授けた、という説も出てくることになります。しかし、実際はそうではなく、「ノアの大洪水」が原因で、一度地球の文明は断絶したということになります。では、ノアの大洪水がある前の地球の姿はどうであったのか?これは、信じられないかもしれませんが、どうも今の地球の大陸配置図とはかなり様相を異にしたようです。これも結論から言ってしまえば、アカデミズムでは、2億5千万年前という気が遠くなるほど前に存在したとする「パンゲア大陸」が、ノアの大洪水前の地球の状態であったと、同書には指摘されています。パンゲア大陸について、インターネットより引用してみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーアルフレート・ヴェーゲナーが提唱した大陸移動説において、現在の諸大陸が分裂する前にひとつであったときの超大陸のことである。ギリシャ語で「すべての陸地」という意味で、ヴェーゲナー本人が命名した。古生代ペルム紀の終わり、2億5000万年前ごろに、諸大陸の衝突によって誕生し、中生代三畳紀の2億年前ごろから、再び分裂を始めた。"http://ja.wikipedia.org/wiki/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーパンゲア大陸は、定説では「2億5千万年前」の地球の姿だといいますから、常識で考えれば、4500年前の地球の姿が、「パンゲア大陸」と一緒だったということは、どう逆立ちしても考えられません。しかし、アカデミズムの年代考証は、あくまで、地球上に何も大きな変化がないまま年代が推移するという「斉一論」が前提です。もし、地球上に他の天体も関わるような大激変があったとしたら、こういった年代考証は、全然違ったものになる可能性もあります。ひとついえることは、大陸は動くということ。今も動いているということ。正確に言えば、プレートが動いているということでしょうか。地球上に大激変があれば、大陸の動くスピードは、もっと速くなる可能性もあるということです。ひとつの例が、地震です。地震が起きれば、地殻が数十センチ、数メートル一気にずれたり、ということもあるわけです。地球規模の大変動があれば、プレートが大きく動くということがありえます。過去に地球上に、何も大きな変化がなかったとする「斉一論」では、もういろいろな部分で、説明のつかない現象がたくさん出てきています。また、このあたりについては、きちんと説明をしないと納得できないとは思うのですが、結論から言えば、ムー大陸はなかった。しかし、ムー大陸の本当の姿というのは、ノアの大洪水以前の、地球の「六大大陸」(ユーラシア・北アメリカ・南アメリカ・アフリカ・オーストラリア・南極)が、ひとつの状態であった時のことをいうとなります。ですから、こういう言い方が適切かどうか、「ムー大陸」=「パンゲア大陸」です。「ムー」=「無」で「六」ムー大陸は「無かった」けれども、その真の姿は、「六」大陸の合わさった、「六大陸(ムー大陸)」であったと、偶然にも言えます。このことは、けんたまさまのムー大陸は「無大陸」であり「六大陸」であるというものを使わせていただきました。ありがとうございます。聖書では、大洪水以前のことも、書かれていますが、あまり詳しくは書かれていません。地球規模のノアの大洪水が起こって、生き残ったノアの一家から再び世界に人々が広がっていった。それが、先の世界4大文明へと結びついていったのではないでしょうか。
December 16, 2005
コメント(2)

▲葵:寝起きで、服は乱れて、ズボンはずり落ちて、パンツ(?)見えてるんですが、何か?きのう実は、この部分を書きかけていたら、また、消してしまいました(T_T)それで、急遽レイキの感想を載せたというのが、本当のところです。楽天さん、書きかけの文を保存する、保存機能、つけてほしいんですが…。消えないうちに、本題へ!★「羊水」★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「子宮」=「(一+了)宮」=「完全なる宮」 =「イエスキリストの宮」?●「胎」=「月(にくづき)」+「ム」+「口」 =「受肉」+「イエス・キリスト」+「口」 =「イエス・キリストの息がかかり、受肉する」?あるいは、●「胎」=「月(にくづき)」+「ム」+「口」 =「肉体」+「イエス・キリスト」+「はじめ」 =「イエス・キリストは、はじめから肉体に宿っている」?●「羊」=「神の子羊」=「羊飼い」=「イエス・キリスト」!●「羊水」=「イエス・キリストに包まれた水」=「羊水に浮かぶ胎児のときから、人類はイエス・キリストともにある」!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーちょっと、話は「古」からそれますが、今回も「羊水」について、見たいと思います。「羊」は、「聖書」では、五百回以上は出てくるようで、かなり、使われていることが分かります。そして、「羊」が、われわれ人類にたとえられ、また、「イエス・キリスト」にもたとえられていることを考えれば、かなり重要視されていることになります。それは、漢字でも、同様です。なぜなら、「羊」が含まれた漢字には、「美」「善」「義」「犠」「様」「翔」「詳」などがあるからです。また、「羊」を音に返すと、●「羊」=「ヨウ」=「要」=「養」=「陽」=「八」などがあります。ですから、「羊水」とは「かなめの水(=要水)」であり、「滋養の水(=養水)であり、「太陽のような光輝く生命を生み出す水(=陽水)」であり、「八=イヤ=神より、神の水(=八水)」なのでしょう。★八=ヤハウェ=イエス★ここでの注目は、「八」という数字です。「八」とは、ヘブライ語の「イヤ」から来ているとされます。たとえば、八坂神社の「八坂(ヤサカ)」は「イヤサカ」=「弥栄」でもあるといわれます。「八」とは「イヤ」であり、「イヤ」とは「神」のこと。もっと言えば、ヘブライ人にとっての絶対神「ヤハウェ」の「ヤ(イヤ)」です。そして、絶対神ヤハウェが、人間として受肉したのが、実は「イエス・キリスト」ということになります。「イエス・キリストの正体」についての紹介はこちら。ですから、旧約聖書の唯一絶対神「ヤハウェ」と、新約聖書の「イエス・キリスト」は、同一神となり、旧約と新約が繋がってきます。★十二支の未★そして、羊といえば、十二支で言えば、第8番目の「未」です。●「羊」=十二支の第8番目「未」「羊」=「ヨウ」=「八」と、十二支の「第8番目」の「八」が、偶然かもしれませんが、シンクロしてきます。「羊」=「八」=「未」「八」は、「八」=「陽」で、太陽の光の象徴でもあり、「8」を横にすると「∞(無限大)」となり、「永遠」をも意味します。そして、「羊」=「未」から、今度は「未」の漢字も、重要であることが考えられます。「羊」とは、イエス・キリストの象徴でしたので、「羊」=「ヒツジ」=「未」となり、「未」もまた、イエス・キリストの象徴である!と考えられます。また、「未」は「ミ」と読み、「ミ」=「三」=「巳」にも繋がっていきます。「巳」とは、十二支の第6番目であり、「蛇」です。「蛇」は、アダムとエヴァを唆した張本人であり、その正体は悪魔(サタン)となります。しかし、同時に、「蛇」は、モーセが旗竿に掲げた「青銅の蛇」です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー主はモーセに言われた。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。」 モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。(「旧約聖書・民数記」第21章8節~9節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「旗竿」は十字架の象徴であり、「青銅の蛇」はイエス・キリストの象徴。つまり、このモーセの出来事は、後の時代に生まれることになる、イエス・キリストの十字架刑の「予形」となっています。聖書には、このような先の出来事を象徴、あるいは預言するような出来事が、いくつも出てきます。青銅の蛇は、「未」=「ミ」=「巳」から繋がってきます。●「未」=「ミ」=「巳」=「蛇」=「青銅の蛇」=「イエス・キリスト」そして、こうなってくると、「未」=「巳」=「イエス・キリスト」となり、十二支の第6番目と第8番目がイエスの象徴になります。さらに、第7番目の「午」も「馬」であり、馬宿で生まれた「イエス・キリスト」の象徴です。十二支の第一番目「子」はもちろん、少し前に見ていた、十二支の第10番目の「酉」=「鳥」も、「酉」が「西」に位置することから、「西方浄土」であり、「死」であり、同時に「再生」であり、「復活」となります。つまり、十二支の「子」「酉」ともに「イエス・キリスト」を示唆することになります。「鳥」=「トリ」=「最後」であり、これは「酉」が、季節で言えば「秋」になることとも関連してきます。なぜなら、「秋」=「シュウ」=「終」となり、「終わり」であり、「死」のイメージとなるからです。同時に、新たな「始まり」をも意味します。最後の最後のことを、「オオトリ」などと言いますが、「大鳥」=「鳳」で、「鳳凰」となり、すなわち、不死鳥であり、フェニックス!!そして、フェニックスが、死と復活を繰り返す姿は、まさに、イエス・キリストそのもの!●「酉」=「鳥」=「西」=「秋」=「終」=「不死鳥・フェニックス」=「イエス・キリスト」「酉」の前、十二支第9番目の「申」は、漢和辞典を見れば明らかなように、「神」のことなので、これも、絶対神ヤハウェ=イエス・キリストに繋がってきます。今まで見てきたなかで、少なくとも十二支の第一番目「子」、第6番目「巳」、第7番目「午」、第8番目「未」、第9番目「申」、第10番目「酉」は、何らかの形で「イエス・キリスト」と関連してきます。となると、もしかして・・・。他の十二支はどうなのだろうか・・・。まさかねえ・・・、でも。十二支の巡りというのは、もしかしたら、この世界の始まりと終わりを示しているのかもしれませんし、それは何より、第一番目の「子」=「一」+「了」に、如実に示されています。そして、そう考えれば「私はアルファであり、オメガである」と言ったイエス・キリストもまた、十二支の巡りに関わってきていると考えた方が、自然といえば自然です。おそらく、「十二支の巡り」と「イエス・キリスト」は、結びついてきます。同時に、もっと言ってしまえば、きちんと見たわけではありませんが、十二支の巡りが、イエスの誕生や十字架での死と復活や再降臨といった流れにもなっている…ざっとみると、そういう流れになっているような気がします。と、いうか、そうなっているはずだと思います。「十二支」の巡りは、「聖書」「イエス・キリスト」から読み解いていってもおもしろそうです。逆に言えば、十二支のルーツは、中近東のヘブライ密教の「カバラ」の思想も関わっているのではないかと思います。だからこそ、十二支のそれぞれが、イエス・キリストとも結びついてくるのでしょう。「子」で始まり、再び、「子」にたどり着くと完結する十二支の巡り。円の軌跡は、完全なる円を描き、さまざまな「縁」を繋いで「園」(=エデンの園)へとたどり着くということなのでしょうか。さらには、十二支の巡りは「子」で始まることから、子に包まれた宮「子宮」の羊水に浮かぶ胎児=誕生を意味するのでしょうか。完全なる円は、生命を育む太陽の象徴であり、慈愛に満ちた柔らかな光を注いでくれる月明かり。今日は今年最後の満月。話が、ずれていってしまいました…。次回「未」の漢字について、少しだけ、見ていきます。「コ」=「壷」の話に戻りたいのですが…。(^^;※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※無料遠隔レイキ募集しています。基本的には、「夜の11時頃から」ということで、していきたいと思います。15分くらいです。もし希望の時間あれば、おっしゃってください。調整できれば、させていただきます。無料で体験していただけますが、条件として、感想を書いてくださる方ということで、お願いします。簡単でけっこうですし、感じたままを書いてくだされば、と思います。感じなかったら、そのまま素直に書いてください。遠隔レイキ体験してみたいという方は、受け付けておりますので、私書箱までお願いします。折り返し、日程、時間などご連絡ますので、お互いに、都合のよいときを、調整していきましょう。何度でも、受けていただいてかまいません。
December 15, 2005
コメント(2)
12月2日から、はじめた、レイキの遠隔ヒーリング。まだまだ、というところですが、感覚は、少しずつはっきりとしてきたような気がします。始めは緊張しながら、していましたが、最近はけっこうリラックスしてできるようになりました。また相手の方に、レイキを送っていながら、同時に自分もヒーリングさせてもらえるということで、なかなかいいな、と感じています。今日の夜を含めて、12人の方に遠隔レイキを送らせていただきました。ありがとうございます。お互い15分ずつ送りあう、交換ヒーリングもけっこうしていただき、感謝です。感想もいただいたりしているので、忘れないうちに、少しずつ載せていこうと思います。★娘へ遠隔★娘が咳が出て風邪気味だったので、先日、遠隔をしました。帰って、遠隔したけど、調子はどうだった?と妻に聞いたら、「きのうよりはましになった」と言ったので、「遠隔したのもあるかなあ」と言ったら、「ほんとうかなあ」という表情をしていました(^^;まあ、ともかく、娘などには、どんどん機会あれば、遠隔も使っていこうと思います。最近は夜ねると、寒いので、透萌のところへ、ごそごそひっついていって、お腹とか、胸辺りなどに手を当てながら、寝ています。(^^;★イギリスへレイキ★今回は、イギリスに住んでおられる日本人の方への遠隔レイキの感想です。12月6日と8日の日本時間の10時45分から、2回送らせてもらいました。イギリスは何時なのか、算数が苦手なので(^^;、そういう問題でもないかな…、ともかく日本時間の10時45分から送ればいいんですね?と何度か確認した覚えがあります。日本時間に合わせていただき、ありがとうございます。遠隔の経験もまだ少ない上に、海外もはじめて。正直なところ、本当に届くのだろうかと、不安もありました(^^;なので、特に1回目は、緊張しつつやった覚えがあります。掲載の承諾いただいたので、引用させていただきます。1回目の受けていただいた方の感想です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー40分から用意をして,待っていました。しばらくして,光が目の後ろでチカッとしたような気がしますが,これは外からのものか見分けがつきませんでした.車のとおりの激しい道の前の部屋にいたので,車に光が当たって反射したのかなぁとも思いました。木曜は違う部屋でやってみます。はっきり感じたのは,53分ごろに両手に丸くマッサージのようにぐるぐる何かが動く感覚でした。しばらくして感じなくなりました。また,11時頃に少し,手にマッサージされるような感覚を受けました。初めての霊気,しかも遠隔で,興味しんしんでした。どうして,霊気は名前,住む所,年代の情報で遠いところにいる相手に届くのでしょう?とても不思議だと思いました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーなぜ、レイキが距離を越えて届くのか、考えたら自分自身送っていながら、ものすごく不思議です。自分の力ではなく、レイキの持つエネルギーのすばらしさなのでしょう。ただ、自分としては、届くと確信するだけという感じです。次に2回目。1回目ともども自己ヒーリングの要領でやりました。眉間あたりのぴりぴり感と、手の熱感、ぴりぴり感ははじめあり、その後しばらくおさまった感じでした。以下、いただいた感想です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー木曜日は,10時45分になっても階段をばたばた下りていて,準備ができていなかったのですが,それでも手にびりびりはっきり感じました。その後,すぐ座り目を閉じました。火曜と同じく,しばらくして手の中に丸いものが動くような感覚がありました。今回も光は気づきませんでした.気づいた感覚はこの,手の感じだけでした。足にはなにも感じませんでした。2度の遠隔,そして時間も考慮していただき,大変有難うございました.初めての体験でしたが,とても興味深く,霊気に興味を持ちました.ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー今回は、遠隔をはじめて、本当に初めのころに海外在住の方へ、送らせてもらう機会をいただき、感謝です。距離は関係ないんだと、実体験として、感じました。また、この遠隔で、少し自信がつきました。ありがとうございました。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※無料遠隔レイキ募集しています。基本的には、「夜の11時頃から」ということで、していきたいと思います。15分くらいです。もし希望の時間あれば、おっしゃってください。調整できれば、させていただきます。無料で体験していただけますが、条件として、感想を書いてくださる方ということで、お願いします。簡単でけっこうですし、感じたままを書いてくだされば、と思います。感じなかったら、そのまま素直に書いてください。遠隔レイキ体験してみたいという方は、受け付けておりますので、私書箱までお願いします。折り返し、日程、時間などご連絡ますので、お互いに、都合のよいときを、調整していきましょう。何度でも、受けていただいてかまいません。
December 14, 2005
コメント(0)

▲葵:まだぎこちない歩き方ですが、何か? ▲葵:車に乗ると、揺れが心地よいのか、寝ることが多い。今日の夜は、りっちぃさまとの遠隔レイキの交換ヒーリングをさせていただきました。ありがとうございます。少しずつ、来たあ~とか、流れている~とかの感覚がつかめてきたような気がします。レイキの輪を広げていきたいなと思います。ご縁をいただいた方感謝します。また、遠隔の感想とか交換ヒーリングのことも、少しずつ、記録していこうと思います。無料遠隔レイキ体験もできる範囲で、続けていきますので、興味があれば、おっしゃってください。では、本題へ!長くなってしまいました。いつものことながら(^^;★「胎児」の解釈★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「子宮」=「(一+了)宮」=「完全なる宮」 =「イエスキリストの宮」?●「胎」=「月(にくづき)」+「ム」+「口」 =「受肉」+「イエス・キリスト」+「口」 =「イエス・キリストの息がかかり、受肉する」?ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「胎」という字に含まれる、「口」を上記では、そのまま「口」としましたが、漢和辞典を見ると、「はじめ」という意味もあります。であれば、こういう解釈もできそうです。●「胎」=「月(にくづき)」+「ム」+「口」 =「肉体」+「イエス・キリスト」+「はじめ」 =「イエス・キリストは、はじめから肉体に宿っている」?人は、生まれたときから、もしかしたらイエス・キリスト、あるいは神とともにある、ということなのかもしれません。それが「胎」という漢字に込められているような気がします。「胎児」「胎内」「胎動」「胎盤」などという言葉もあります。漢字を聖書で読み解いていくと、「子宮」「胎児」という言葉には、「イエス・キリスト」との関わりが見え隠れします。そして、ここまでくれば、決定的ともいえる言葉が、もうひとつ思い当たります。「子宮」「胎児」・・・「子宮」の中に「胎児」が浮かんでいる。その「海」に当たるもの…。そう・・・。羊水です!!普段、何の気なしに、胎児が宿る子宮には、「羊水」がある、ということが言われています。よく、羊水と海水の成分は似ているということも言われます。しかし、なぜ、胎児が宿る子宮の中の体液を「羊水」と言うのか?考えてみれば、不思議です。「羊水」って、まさか、動物の羊の水ってわけでもないし、なぜ羊水という漢字を当てるのか?インターネットで検索などしてみましたが、よく分かりませんでした。そのなかで、「羊水」と言う理由らしきものとして、「羊水が入っている膜を羊膜と呼ぶから」というのがありました。ただ、これも、なぜじゃあ「羊膜」と言うの?という問題があります。「羊膜」とは、簡単に言えば、胎盤の一部で、普通は、出産とともに捨てられるようです。しかし最近「羊膜バンク」なるものも登場してきたようです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「羊膜バンク」でベンチャー・慶大連携 将来の活用期待 2005年11月17日 (木) 赤ちゃんが大きくなって移植手術を受けなければいけなくなった時に備え、捨てていた胎盤の一部、羊膜を取っておきませんか――。そんな「羊膜細胞バンク」が登場した。体内のいろいろな細胞に分化する能力を持つという羊膜の幹細胞だが、現在の医療現場での実用はまだ。「将来の可能性に投資する」ビジネスで、慶応大の研究・診療チームから研究開発の協力も取り付けた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「羊膜」とは、羊水を包む膜ですが、その語源は、古代ギリシア時代にさかのぼるようです。羊は、その時代、いけにえとして使われていて、そのヒツジを包むのに使った柔らかい袋が、語源だとか。「いけにえ」といえば、このシリーズタイトルにもなっている「過ぎ越しの祭り」では、「子羊」の肉を食べるというのがあります。見えてきました…。「羊水」「羊膜」ともに、なぜ「羊」という言葉が使われているのか?おそらく…、というか、これしか考えられません。結論を言えば、「聖書」にその答えを求めることができる!と。なぜなら、漢字と聖書は、密接なつながりがあるからです。もっと言えば、「羊」という言葉は、「神の子羊」と称される「イエスキリスト」の象徴である!と。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証しした。「わたしは、‘霊’が鳩のように天から降って、この人の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『‘霊’が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」 (新約聖書「ヨハネによる福音」第1章29節~34節) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「神の子羊」=「イエス・キリスト」!聖書では「羊」という言葉が数多く出てきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。 」(「イザヤ書」第53章6節)「私は、滅びる羊のように、迷い出ました。どうかあなたのしもべを捜し求めてください。」(「詩篇」第119章176節)「また、(イエスは)群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。 」(「マタイの福音書」第9章36節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこれらのことから、人々のことを「羊」にたとえています。迷える羊を導くのは、「羊飼い」と言うことになります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。 ヨハネによる福音書10章1~6節 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー羊飼いとは、上記から「イエス・キリスト」その人であるということになります。●「神の子羊」=「羊飼い」=「イエス・キリスト」羊とは、われわれ人類の象徴でもあり、同時にイエス・キリストの象徴にもなる。ですから、聖書から見れば、「羊水」とは、「イエス・キリストに包まれた水」ということになり、「子宮」「胎盤」「胎児」などの言葉にあるように、すべてが、イエス・キリストへ収斂していき、同時に、「生まれながらにして、人類はイエス・キリストともにある」!ということを、しつこいほど漢字に込めています。なぜ、ここまで「イエス・キリスト」の象徴を、漢字に込めるかといえば、それはやはり、イエスを信奉する集団が、かつて、秦の始皇帝の時に統一された漢字を、さらに深化させて、日本へ持ち込んだと考えられるからです。と、いうことは、イエスキリストの直弟子で構成されたエルサレム教団の「原始キリスト教」が、日本へやってきた可能性が非常に高くなりますし、彼らの正体は、どうやら、謎の渡来人「秦氏」であるようです。そのあたりのことは、『失われた原始キリスト教徒「秦氏」の謎』に述べられています。さらに言えば、中国の漢字をさらに深化させた集団とは、「秦氏」である可能性も、十分にあると思います。なぜなら、イエス・キリストの象徴がしつこいほど込められているからです。と、いうことは、日本という国は、一見、「聖書」や「イエス・キリスト」とは無縁のように見られますが、実体は、そうではなく、むしろ密接に関係している…、もっと言えば、日本の根幹部分に関わってきている!ということが言えそうです。そのことが、先の『秦氏の謎』では、指摘されています。「子宮」「胎児」「胎盤」「羊水」「羊膜」といった、人の誕生に関わる言葉に含まれる「子」「胎」「羊」といった漢字はいずれも、「イエス・キリストの象徴」になってしまいます。つくづく漢字は聖書と関わっているということを感じます。
December 13, 2005
コメント(4)

▲葵:ちょっとえらそうに、もたれて、余裕の笑顔ですが、何か?「コ」から、気になる「ココ」という言葉。今回、第55幕なので、シンクロ的に絡めれば、「55」=「ゴゴ」となり、けんたまさまの「ことたま」の「濁音は清音に返す」から、「ゴゴ」=「ココ」!!「ココ」とは、数理に置き換えれば、「55」とも言えそうです。●「ココ」=「55」=「5+5」=「10」けんたまさまの数理解読を引用させていただければ、「10」=「TEN」=「天」となり、「天」=「神」に通じます。あるいは、「ココ」の「コ」は「子」「古」「去」「許」など、「イエス・キリスト」を象徴する漢字へ繋がることを思えば、「今ココにいること」が、「神」「イエス・キリスト」を感じることになるというのでしょうか。「ココ」を「ここのつ」の「ココ」でみれば、「ココ」=「9」です。「9」も同様、けんたま様の解読から、「9」=「宮」=「球」=「○」=「円」であり、「完全」となり、今ここにいることが、過去も未来もすべての時を含んだ「○」=「完全」=「ココ」を感じることへ繋がるのかもしれません。★「去」=「コ」=「壷」★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「去」=「土」+「ム」「土」=「ふたをはなしたさま」「ム」=「からっぽの器」●「去」=「ふたをはなしたからっぽの器」●「ム」=「口の開いた器」 =「口がすぼんで、腹のふくれた入れ物」 =「つぼ(壷)」!!●「去」=「コ」=「壷」!!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「去」とは、「ふたをはなしたからっぽの器」の象形であり、そこから「壷」へと繋がっていきます。同時に、「壷」は、「コ」とも読み、「去」の漢字とシンクロしてきます。「壷」=「つぼ」でみれば、「つぼにはまる」「つぼをこころえる」という言葉があります。「つぼ」には、「要点・急所」という意味があり、重要なことを指す言葉でもあります。★「壷」から「子宮」への繋がり★また、「壷」=「コ」=「子」から、「壷」のイメージとして、「子宮」が思い浮かびます。「子宮」とは、「子を宿す宮」であるのと同時に、漢字破字法でみれば、「子」=「一」+「了」となります。ですから、「始めから終わり」、すなわち、すべてを含む、「完全なる宮」と見ることもできそうです。さらに、言ってしまえば、今まで何度も見てきたように、「私はアルファでありオメガである」(ギリシア語でアルファとオメガは最初と最後)と言った人物・・・、「イエス・キリスト」の象徴!でもあります。●「子」=「一」+「了」=「アルファ・始め」+「オメガ・終わり」=「イエス・キリスト」!となると、「子宮」とは、「イエス・キリストの宮」と見ることもでき、人は、子宮に宿る「胎児」のときから、「イエス・キリストの宮」に包まれている、と見ることもできます。ついでにあげれば、「子宮」を数理に置き換えれば、「子宮」=「四九」=「49」=「4+9」=「13」となり、「13」数理は、13日の金曜日にイエスキリストの十字架刑がされたと言われるように、「13」=「イエス・キリスト」を象徴する数でもあります。★「子宮」に宿る「胎児」★と、ここで、「胎児」という言葉が出てきましたが、「胎児」とは「母体内で育っている子ども」とあるように、子宮の中で育っている子どものことを言います。なぜ「胎児」なのか…。「胎児」の「胎」という字は、よくみると、「ム」があります。「ム」とは「私・有」=「私は有る」であり、「わたしはある」と言った人物、すなわち「イエス・キリスト」の象徴になります。何か関係があるのでしょうか…。●「胎」=「月(にくづき)」+「ム」+「口」「月(にくづき)」は、「肉」であり、「体の部分・状態」から、肉体に魂が宿る「受肉」にも通じるような気がします。「口」は、どう解釈したらいいのか、現時点では、よく分かりません。意味を見ると、「ひと」か「はじめ」だと思うのですが。あるいは、そのまま「口」でしょうか。そこから、みていくと、●「胎」=「受肉」+「イエス・キリスト」+「ひと・はじめ・口?」となり、イエス・キリストの口とみれば、「胎」とは、「イエス・キリストの息がかかり、受肉する」といったようなことを象徴しているのでしょうか。だから、「胎児」で、「イエス・キリストの息がかかり受肉した児」とみることもできるのかもしれません。いずれにしても、「胎児」に「ム」=「イエス・キリスト」が含まれているのは、なかなか興味深いものがあります。 ★「胎児」に含まれるイエスの象徴★「胎」を漢和辞典でひくと、ちょっと意外な意味が見えてきました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【胎】形声。肉と、音符台(シ・タイ)(きざしの意→巳・シ)とから成り、はらご、ひいて「はらむ」意を表わす。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーつまり、上記から見れば、●「胎」=「肉」+「台」 =「肉」+「巳」!!「巳(シ)」とは、「巳(ミ)」であり、「もと、精霊を象徴する蛇の形にかたどり、神をとどめまつる意を表わす。祀の原字。原義はすたれて、十二支の第6番目に用いる。」とあります。「巳」とは、もと「神」の意がありました。と同時に、十二支の第6番目「巳」(=蛇)です。 ●「巳」=「蛇」=「神」!!しかし、「聖書」では、「蛇」は、エデンの園で、エヴァをそそのかして、善悪の木の果実を食べさせる「悪」の存在だったはずです。これが人類の原罪であり、神の怒りに触れて、アダムとエヴァは、エデンの園を追放されます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。 それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。 二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。 (「創世記」第3章3節~7節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここから、見れば、確かに「蛇」は悪ですが、すべて陰陽両面の側面があるように、実は聖書に出てくる蛇は、「悪=サタン」と同時に、善なる象徴にもなっています。悪と対照的な蛇の象徴、それが、出エジプトで有名な、モーセの「青銅の蛇」です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー主はモーセに言われた。「あなたは炎の蛇を造り、旗竿の先に掲げよ。蛇にかまれた者がそれを見上げれば、命を得る。」 モーセは青銅で一つの蛇を造り、旗竿の先に掲げた。蛇が人をかんでも、その人が青銅の蛇を仰ぐと、命を得た。(「旧約聖書・民数記」第21章8節~9節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの「旗竿に掲げられた青銅の蛇」とは、実は、イエス・キリストの十字架刑の「予形」となっていることが指摘されています。さらに、聖書と漢字の関わりから言えば、「旗竿」の「旗」とは「秦」「羽田」などにも繋がります。これは、ある意味恐ろしいことで、暗に謎の渡来人「秦氏」の存在が込められているとも考えられます。『心の御柱の謎』(三神たける・飛鳥昭雄)などによれば、秦氏は、イエス・キリストとの関わりが深く、秦氏の正体は、イエスの12使徒を中心に構成された、エルサレム教団であり、「原始キリスト教」の末裔であることが指摘されています。話を戻します。「青銅の蛇を仰ぐと、命を得た」ということは、「イエスキリストの十字架刑によって、アダム以来の人類の原罪が、許され、人類は命を得ることができた」ということとシンクロしてきます。ですから、「青銅の蛇」=「イエスキリストの象徴」にもなっています。つまり、先の「巳」=「蛇」=「イエスキリスト」=「神」と繋がってきます。●「胎」=「肉」+「台」 =「肉」+「巳」 =「受肉」+「イエス・キリスト」「子宮」「胎児」と、どうも、「漢字」をみていくと、人間が母胎に宿った時から、「イエス・キリスト」の象徴が、関わってきています。これは偶然でしょうか…。 「壷」=「コ」=「子」から、「子宮」=「子(コ)の宮」とみれば、●「子の宮」=「古宮」=「去宮」人間にとって、「子宮」とは、「いにしえ」、もっとも古い、一番最初の宮、「古宮」であり、「子宮」から「去り・はなれて」いく「去宮」(過去の宮)である、という言い方もできそうです。「子」=「古」=「去」はすべて「イエス・キリスト」に繋がる漢字であり、「子宮」「胎児」が、「イエス・キリスト」が関わっている漢字であることから、こういう言い方は、常識としては、抵抗があるのかもしれませんが、人は、母体に魂が宿った時から、イエスキリストとともにある!と言うことを示唆しているのかもしれません…。少なくとも、漢字を聖書からみれば、そういうことが込められていると言えそうです。 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※無料遠隔レイキ募集しています。基本的には、「夜の11時頃から」ということで、していきたいと思います。15分くらいです。もし希望の時間あれば、おっしゃってください。調整できれば、させていただきます。無料で体験していただけますが、条件として、感想を書いてくださる方ということで、お願いします。簡単でけっこうですし、感じたままを書いてくだされば、と思います。感じなかったら、そのまま素直に書いてください。遠隔レイキ体験してみたいという方は、受け付けておりますので、私書箱までお願いします。折り返し、日程、時間などご連絡ますので、お互いに、都合のよいときを、調整していきましょう。何度でも、受けていただいてかまいません。
December 12, 2005
コメント(4)

▲透萌(ともえ):車のなかで★父親参観とあいこ先生★きのうは、透萌(ともえ)の通う幼稚園で、父親参観がありました。運動会も出れなかったので、今回は、妻からも、「ともちゃんだけ、父親がいなかったら、かわいそう」と言われていたので、参加しました。そして、妻が、「あいこ先生も見れるし、いいでしょ」と一言。そうなのです。あいこ先生とは、娘のクラスである桃組の担任の先生で、20代の半ばくらいの、非常にきれいな先生なのです。妻から、入学式の時「女優さんのようなきれいな先生」だった、と言われて、「うん?」と興味を惹かれてしまうところが、情けないのですが、以前1度娘を迎えに行ったときに、見ました。確かに、きれいな先生です。家庭訪問に来るというとき、私も娘のために、一緒に話を聞いてあげるからといって、なかば本気で会社を休もうかな、と思ったこともあったけど、さすがにそこまでは、できなかったこともありました。なので、今回は、あいこ先生を見に・・・あ、いや、そうではなく、娘のために、父親参観に行ったというわけです。ただ透萌は、のどが痛くて、咳も出ていたので体調が良くありませんでした。でも、「幼稚園行く~」と行きたがったので、行きました。始めは教室の後ろで、少しいたのですが、ついつい、前でしゃべったり挨拶をしている、あいこ先生へ、視線がいってしまいます。他のお父さんも、見たら、あいこ先生を見ていました。と、言い訳をしておきましょう。しかし、確かにきれいな先生です。かわいらしいというよりも、きれいな、という表現が合います。いや、だから、そのことは、よくて、ですね(^^;ともかく、隣りの公民館で、ボール遊びをしたりしました。そして、こどもたちは、幼稚園へ、親は、子育ての講演を聞くということで、分かれて、私は話を聞いてた・・・つもりが、気がついたら、半分寝ていました。そこへ、ちょんちょんと、肩をたたかれて、「はっ!」としたら、「娘さんが、熱がありちょっとしんどそうなので、すぐ来てください」とのこと。ボール遊びの合間も、こっちにもたれかかってきてぐったりとしていたので、大丈夫かな、と思っていましたが、やはりしんどかったようです。ということで、公民館を出たところで、憧れの・・・いや、いや、だからそれは、どうでもよくてですね、ともかく、あいこ先生が待っておられて、幼稚園までの数分の間、ふたりで並んで行きました。ちょっとうれしかったです。(^^;その間、「娘さん、お父さんと一緒に遊びたいっていってるんです」とか「今月も風邪で何回か休んでますし、早くよくなるといいんですけどね」とか、少し話をすることができました。いやあ、よかった・・・。いや、だから、それより、娘ですよ、娘だってば!娘は、ちょっとしんどそうでしたが、自分で歩けたので手を繋いで、お礼を言って、早退させてもらいました。と、いうことで、何だか、何をしに行ったのか分からない、父親参観でした。バレバレですが、正直に言いましょう!!教室などで、娘を見るよりも、あいこ先生を見ている時間の方が、はるかに長かったと言うことを!!ごめんなさい!!m(_ _)m★ちょっとした、シンクロニシティ★今回は、ちょっとしたシンクロですが、これも、浅見帆帆子さんの新刊を読んだせいもあると思います。『やっぱりこれで運がよくなった!』(浅見帆帆子)最近ブログで書いている、「コ」についての言葉、漢字ですが、「コ」っていったい何?って思っているとき、そういえば、「ここ」という言葉があるなあ、と今日思いました。ここ、そこ、の場所を指し示す「ここ」。何か意味があるんだろうか? 何で「ここ」っていうのだろうか?車に乗っているとき、そう思いました。そうしたら、偶然だとは思うのですが、娘が、後ろの席から、「ここ どこ~~?」って聞いたんです。「うぇ?」これってシンクロか?と笑いそうになりました。そして、夜11時からは、遠隔レイキの交換ヒーリング。していただくのは、KOKOさま!!「KOKO」=「ココ」さまです!!非常にいいエネルギーをいただきました。ありがとうございます。ということで、今日は、何だか「ココ」尽くしの一日でした(^^;これらの相関関係は、関係ないといえば、全く関係ないのですが、意識が「ココ」という言葉にいっているからか、シンクロしてきています。不思議です。
December 11, 2005
コメント(4)

▲葵:顔をしかめているのか笑っているのか、よく分からない顔。本当はフラッシュがまぶしいんですが、何か?今日は、午前中、幼稚園に通う透萌(ともえ)と、父親参観にいってきました。また、簡単に明日にでも。今日の夜は、遠隔レイキの交換ヒーリングを、お二人の方としていただきました。体がすっきりとした感じです。ありがとうございました。 ↓↓↓↓↓↓★遠隔レイキ申し込んでいただいた「杏さま」へ★メールが返ってきてしまいますので、アドレスが、どこか、間違っているようです。お手数ですが、もう一度メールアドレスを書いて私書箱へ連絡くださらないでしょうか? よろしくお願いします。 では、本題へ!★「去」の奥へ!★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「去」の漢字破字法。第一段階●「去」=「土」+「ム」 =「アダム」+「イエス・キリスト」 =「最初」+「最後」=「阿吽」=「五十音」第二段階●「去」=「土」+「ム」 =「イエスキリストが墓の中に埋葬された」!第三段階 ●「去」=「土」+「ム」 =「からっぽの器から、ふたをはなしたさま」 =「からっぽになった器(=墓)」となり、埋葬されたイエスがいないということは、 =「イエス・キリストの復活」!!第4段階「去」という意味に「さる・はなれていく」があることから、復活したあと、40日後の「イエスの昇天」までをも含んでいる?●「去」=「さる・はなれていく」 =「イエス・キリストの昇天」!?「去」とは、これらの意味が重ねあわされた漢字、なのかも知れません…。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー★「去」=「さる」から見えてくるもの★「去」には、「コ・キョ」の読みがあるのですが、訓読みは、「さる」です。この「さる」を音に返すと、●「去る」=「猿」=「申」!!「申」とは、十二支の第9番目です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●【申】象形。もと、いなびかりが走るさまにかたどる。電・神の原字。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここから、「申」=「神」!!「去る」は、「申」であり、「神」にも通じる言葉である…。そして、「去る」=「猿」をみれば、「猿」は、動物のさるでもありますが、漢字の成り立ちをみると、『もと「爰」と書き、「袁」に改めた。』とあります。「猿」=「エン」=「爰」=「袁」となり、さらに繋がる漢字は・・・「園」!!「園」とは、以前書いたように、漢字と聖書の繋がりを考えれば明らかです!!そう…。「園」=「エデンの園」!!それは、神によって造られた人類の祖「アダム」の住んだ地であり、人類にとって、「原点」ともいえる場所です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。 主なる神は、東の方のエデンに園を設け、自ら形づくった人をそこに置かれた。 (「創世記」第2章7節~8節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそこは、生命の樹があり、永遠の命をえた場所でしたが、アダムとともにいた、エヴァは、蛇にそそのかされて、善悪の木の実を食べてしまいます。そして、エヴァに、それを手渡された、アダムも、同じように食べてしまいます。それが神の怒りに触れます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。 こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。 (「創世記」第3章23節~24節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「去」という漢字に、「土」=「アダム」が含まれているのは、なかなかおもしろい符号です。「去る」とは、エデンの東に追放されて、エデンの園を「去る・はなれる」ことになる、「アダム」をも象徴しているような気がします。同時に、前回見たように、「去」に「ム」が含まれているのは、「ム」=「イエス・キリスト」であり、イエスが「去る・はなれていく」こと…、すなわち、「イエス・キリストの昇天」!をも象徴しているのかもしれません。アダムは、エデンの園を去ることになり、イエスは、この世界から、天上へと去っていった…。●「去」=「土」+「ム」=「アダム」+「イエス・キリスト」 =「去る・はなれる」しかし、「去来」という言葉があるように、「去ったものは、再び来る」という法則が、どうやらこの世の仕組みにはあるようです。「聖書」の世界からすれば、再び、人類は、最後の時に「エデンの園」にあるとされる「生命の樹」へと到達することになり、また「イエス・キリストの再降臨」がある、ということなのでしょう。★さらに、次の、「コ」の漢字へ!!★「去」という漢字に、これほど、手間取るとは思いもしませんでした(^^;「去」=「土」+「ム」の漢字の成り立ちを、もう一度再掲してみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーからっぽの器から、ふたをはなしたさまにより、のける、ひいて「さる」意を表わす。一説にめしびつの原字という。(竹冠に去の漢字)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここから、素直に受け止めれば、「去」の「ム」とは、「からっぽの器」です。そして、「土」は、「ふた」であると。その「ふたをはなしたさま」とありますので、「去」という漢字自体が、象形で、「ふたのあいた、からっぽの器」を象徴することになります。「ム」という字体を、よく見ると、確かに、口の開いた器という感じです。そして、もっといえば、口がすぼんで、腹のふくれた入れ物・・・。 つぼ(壷)!!そうです。「ム」とは、「壷」の象形となります!!ですから、「去」自体が、「ふたをはなしたからっぽの器」の象徴であり、それは「壷」の象徴!!さらに、「壷」の読みは、「つぼ」であるのと同時に…、「コ」!!「去」から「壷」へ。●「去」=「コ」=「壷」!!
December 10, 2005
コメント(2)

30000アクセスありがとうございました!訪れていただいた方々、感謝します。みなさまに、すべての良きことが、なだれのごとく起こります!キリ番踏まれた方、ご連絡くだされば、記念品送らせていただきます。今日は、車での配達中、最近ブログでも書いている「コ」について、想っていました。「コ」=「呼」にも繋がるなあ、などと。そして、ふと、空を見上げると、そこには・・・、な、何と・・・「コ」の字が描かれていました!!「ぎょえ!?」と思いましたが、確かに、空には、「コ」と見える雲がありました。よくみると、二本の横軸の間に、丸いちょん、という感じなのですが、もやもやっとしているので、ぱっと見ると、確かに「コ」に見える雲です。シンクロニシティか?…と。そして、さらに、繋がりを求めるなら、ちょうどその少し前に、浅見帆帆子さんの『やっぱりこれで運がよくなった!』(浅見帆帆子著)を読了したところでした。『やっぱりこれで運がよくなった!』(浅見帆帆子)一言でいえば、「シンクロ」と「直感」について書かれていますが、この人やっぱりすごい、と思うような深い話でした。うーん、若くて、きれいな方なのに・・・、あ、それはまあ、いいのですが(^^;、ともかく、かなり深い部分まで踏み込んだ内容です。自分の体験をもとに書かれているので、説得力もあります。本には、「シンクロ」は、受け取る方が意識すれば、けっこうすべてのことに、関わってきている、ということが書かれていました。たとえば、「場」のシンクロというのもあって、その場で、全く関係ない人が、笑い声を発すると、「良い前兆」だとか。「外因」と言っていました。これは、森田健さんの本にも書かれていました。『運命を変える未来からの情報』(森田健)その浅見さんのシンクロの「外因」が頭にあったからか、「コ」のいろんな漢字について、あれこれ考えていたら、「コ」の形をした雲をみた。「コ」の形の雲は、シンクロ現象であり、その場がシンクロした、という「外因」になるのではないか?などと、思いました。★「コ」という言葉の不思議★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「去」=「大」+「ム」 =「オオ」+「ム」=「オオム」=「オウム」=「AUM」!!●「古」=「子」=「コ」=「去」=「阿吽」=「AUM」=「五十音」=「イエス・キリスト」●「去」=「土」+「ム」 =「アダム」+「イエス・キリスト(絶対神ヤハウェ)」!?●「去」=「土」+「ム」 =「アダム」+「イエス・キリスト」 =「アダム」~「イエス・キリスト」 =「最初」~「最後」 =「時が過ぎること」=「この宇宙すべて」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「去」という漢字、なかなか、いろいろな妄想を浮かばせる漢字です。(^^;というより、「コ」という言葉が、なかなか、不思議です。「コ」と読む漢字は、いくつもあるけれど、そのひとつひとつが、「イエス・キリスト」という存在に、収斂していく…。そういう感じがします。「子」「古」「故」「許」「去」・・・まだ、他の漢字も見ていけば、おそらく繋がってくるのではないか、と思います。そういえば、「コ」は、「コトバ」の「コ」であり、「コトタマ」の「コ」であり、あいうえお五十音の「10番目」である、というのも、偶然ではないように思います。「コ」=「五十音の十番目」=「十」となり、「十」は、縦と横の交わりであり、言ってみれば、「陰陽合一」であり、十という数字が「完全数」です。そして、他でもない、「十」という数字は、「聖書」から見れば、「十字架」であり、「イエス・キリスト」の象徴になります!!どうも、「コ」は、イエス・キリストへと繋がっていってしまうようです…。また、「九」を「ここのつ」と言いますので、「九」=「コ」とすれば、けんたま様の解読を使わせていただければ、「九」=「宮」=「球」=「○」=「完全・オールマイティ」へも繋がります。★「去」の漢字破字法★「去」について、今回は別の視点から見てみます。●「去」=「土」+「ム」「ム」は、「私・有」であり、「私はある」と言った「イエスキリスト」の象徴でもあります。そして「土」は、前回は「土」から生まれた「アダム」と見ましたが、今回は、素直に、「土」と見てみます。すると、こうは見れないでしょうか?「土」の下に「ム」がある、ということは、「土」の下に、「イエス・キリスト」がいる・・・。つまり、イエスの十字架での「死」と、墓に「埋葬」されたことを示唆しているのではないか!?ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、 岩に掘った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口には大きな石を転がしておいて立ち去った。 マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた。(マタイの福音書)第27章59節~61節 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「去」=「土」+「ム」は、「土の下のイエスキリスト」・・・?また、漢和辞典を見ると、「土」は、「器のふた」です。イエス(=「ム」)がふたをされた(=土)とは、イエスが墓に収められて石を置かれたことにも重なるような気がします。いずれにしても、「土」+「ム」とは、イエス・キリストが、十字架上で死を迎えて、墓に埋葬されたことに符合してきます。そして、さらに、「去」という漢字の成り立ちを見ると、繋がってくるものがあります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーからっぽの器から、ふたをはなしたさまにより、のける、ひいて「さる」意を表わす。一説にめしびつの原字という。(竹冠に去の漢字)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーなるほど・・・。「去」とは、からっぼの器(ム)であり、ふたをのけた(土)状態を示していると。だから、器には何もなくなり、「さっていく」「はなれていく」という意味へ繋がっていくのでしょう。ということは・・・!!「イエスが墓に収められた」=「去」ことと同時に、「ふたが開いたからっぽの器」=「去」を意味するのだとしたら、イエスの墓がからっぼであること、すなわち、イエス・キリストの復活をも意味しているのではないかと!?ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの御使は女たちにむかって言った、「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは、わたしにわかっているが、 もうここにはおられない。かねて言われたとおりに、よみがえられたのである。さあ、イエスが納められていた場所をごらんなさい。 そして、急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、『イエスは死人の中からよみがえられた。見よ、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。そこでお会いできるであろう』あなたがたに、これだけ言っておく」。 (マタイの福音書)第28節5節~7節ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそして、さらに言ってしまえば、妄想がふくらんでいきますが、「去」に「はなれる」「さる」という意味がありますが、これは、イエスが墓から復活後、十二使徒たちの前に姿を現して、40日してから、天に昇天したことを意味しているのではないか??と思いました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそれから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した。主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。 (マルコの福音書)第16章15節~20節ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーつまり、「去」という漢字は、第一段階として、前回述べた●「去」=「土」+「ム」 =「アダム」+「イエス・キリスト」 =「最初」+「最後」=「阿吽」=「五十音」を象徴しています。そして、第二段階として、●「去」=「土」+「ム」 =「イエスキリストが墓の中に埋葬された」!そして、第三段階として、 ●「去」=「土」+「ム」 =「からっぽの器から、ふたをはなしたさま」 =「からっぽになった器(=墓)」となり、埋葬されたイエスがいないということは、「イエス・キリストの復活!!」そして、第4段階として、「去」という意味に「さる・はなれていく」があることから、復活したあと、40日後の「イエスの昇天」までをも含んでいる、のかもしれません。●「去」=「さる・はなれていく」 =「イエス・キリストの昇天」!?「去」とは、これらの意味が重ねあわされた漢字、なのかも知れません…。書いていて、われながら、かなり誇大妄想の感がありますが(^^;ただ、「去」という漢字に、イエス・キリストの象徴が込められていることは、間違いないと思います。そして、「去」の意味から、さらに別の「コ」の漢字が浮かび上がってきました・・・。
December 9, 2005
コメント(6)
30000アクセスまもなくです!訪れていただいた方、ありがとうございます。キリ番踏まれた方、ご連絡いただければ、記念品を送らせていただきます。何にするか、全く考えてませんが(--;キリ番のご連絡なければ、前後賞も考えています。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※先日の、12月7日の夜は、遠隔の交換ヒーリングをしていただきました。お相手は、今回ご縁をいただいたきときとさん☆☆☆さまです。私が、まず、15分送らせていただき、その後15分、送っていただくというもの。10分前に、スタンバイできたので、発霊法をしはじめました。時間数分前に、シンボルを描いて遠隔スタートしました。早速に、眉間がむずむずしてきて、頭上から、エネルギーが降りてきます。自己ヒーリングの要領で、頭部のポジションや肩に手を置いたり、ハートチャクラの部分に手を当てたりしました。手と足がぴりぴりと熱くなって、その状態が続きました。途中、もやっとした紫色っぽいものが浮かんだり消えたりしたり、それがもやもやっと動いたりする感じがありました。きときとさん☆☆☆さまのブログに感想を書いてくださったので、一部引用させていただきます。=================================昨夜は、ことはさんに、遠隔ヒーリングをしていただきました。夜、ゆったりとした時間に、自室に入り、座椅子に座って、静かにしました。はじめの15分は、あちらから送られてきました。あとの15分は、こちらから、送りました。受けるときには、手の平がじりじりと。私の場合、遠隔を受けるのも、送るのも、手のじりじり感が多いです。手のひらにじりじりしたものを感じながら、なにやら背中もあたたかい感じがしました。=================================ということでした。ありがとうございます。手のぴりぴりした感じは、私もずっとありました。そして、15分たって、今度は、送っていただきました。再び引用させていただきます。=================================そして15分たったところで、今度は、こちらから送りました。手から出る感覚を今度は感じます。特にビジョンというものもなかったのですが、おだやかな気持ちで、ぼーっとしておりました。目を閉じていると、瞑想でもしているような感じになります。=================================受けた感想としては、受ける体勢になって、時間が来ると、眉間のあたりが、よりむずむずしてきました。手足は、ぴりぴりしています。その後しばらくして、頭頂から、ズーンとした、でも柔らかいエネルギーが流れ込んでくる感じが続きました。手と足は、さらにぴりぴり感が増しました。特に足元から、ぴりぴりした感じが、上昇してきます。目の前は、もやもやしたものが、動いている感じが続きました。全体的に、頭部のぴりぴり感が心地よく、何となくマッサージされるような感じで、頭を中心に、すっきりとしました。貴重な機会を、ありがとうございます。ご縁に感謝です。遠隔レイキの送りあい、なかなかよいです。送っても、エネルギーをいただけますが、送ってもらうのも、やっぱり気持ちいいです。レイキの輪が少しずつ広がっていくといいなと思います。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※無料遠隔レイキ募集しています。基本的には、「夜の11時頃から」ということで、していきたいと思います。15分くらいです。もし希望の時間あれば、おっしゃってください。調整できれば、させていただきます。無料で体験していただけますが、条件として、感想を書いてくださる方ということで、お願いします。簡単でけっこうですし、感じたままを書いてくだされば、と思います。感じなかったら、そのまま素直に書いてください。遠隔レイキ体験してみたいという方は、受け付けておりますので、私書箱までお願いします。折り返し、日程、時間などご連絡ますので、お互いに、都合のよいときを、調整していきましょう。何度でも、受けていただいてかまいません。
December 8, 2005
コメント(4)

▲葵:前の続き。ちょっと余裕でてきたので、あちこち、歩いていますが、何か?気がつけば、もう少しで、30000アクセスです。数日でなりそうです。来ていただいている方々には、感謝です!ありがとうございます。今回、記念品とかは、何にするか、全く考えてないのですが、もし、キリ番踏まれた方、申し出ていただければ、何か、記念に送らせていただきます。今回は、全く考えてないので(^^;、ちょっとお時間いただくかもしれませんが、おっしゃってください。私も、チェックするようにはします。きのうは、初めて、海外在住の方へ遠隔レイキをしました。届いていたようなので、ホッとしています(^^;距離は関係ないのだな、と改めて思いました。 送っていながら、不思議なのですが…。(^^;今日も、交換ヒーリングさせていただきました。ありがとうございます。遠隔レイキご希望ありましたら、どんどんさせていただきます。今は回数を重ねて、実感をつかんでいきたいというのがあり、また、自分自身のレイキのパイプを太くしていきたいなと。興味があれば、私書箱からご連絡くださいね。では、本題へ!★「去」の本字から見えてくるもの★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「去」の元字 「大=ム」=「大」+「ム」●「去」の元字=「大+ム」=「大」+「ム」=「ダイ」+「ム」=「ダイム」=「タイム」=「time」=「時」!?●「ム」=「私」「ある(ござる)」=「私」「有る」=「私」「有」=「イエス・キリスト」!!●「去」=「大ム」 =「大」+「ム」 =「大いなる・偉大な」+「イエス・キリスト」! ●「去」=「大ム」 =「大」+「ム」 =「一」+「人」+「ム」 =「一人」+「ム」 =「天子」「イエス・キリスト」!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「去」の元字は「大」と「ム」からなる字でした。これについて、前回は見てみましたが、もうひとつ、これについて、みてみます。前回は、「大」「ム」=「ダイム」=「タイム」=「時」と見ましたが、今回は、「大」=「オオ」で見てみます。●「去」=「大」+「ム」=「オオ」+「ム」=「オオム」=「オウム」=「AUM」!!「AUM」とは、鳥の「オウム」もありますが、本来は、非常に重要な真言だといいます。ただ、この「オウム」という言葉、オウム真理教のせいで、悪いイメージになってしまった感はありますが。「AUM」について、インターネットより、引用してみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーところで、オウムは「オン」としても知られる。『広辞苑』第4版には「インドで、祈祷・讃歌・呪文などの最初に用いる神聖な音。これはa,u,mの三字に分解され、さまざまな神秘的解釈がなされる。密教で、多くの真言の最初に用いる。」とあるが、第2版では「古代インドの哲学書ウパニシャッドの秘密語。帰依。密教ではこの一語を念誦すれば無上の功徳が得られるという」だった。つまり、全ての「真言(マントラ=神聖で強力な語・音)の「種子」と考えられている。 例えば、解釈の一つにAUMのAは宇宙の創造(誕生)、Uは持続(生存)、Mは破壊(死)を意味するという。『平凡社百科事典』ではAが維持、Uが破壊、Mが創造を表すとしている。密教的な解釈については、空海の『吽字義(うんじぎ)』と『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』に詳しいという。 いずれにしろ、破壊があって創造があり、また破壊が起こるという円環の思想である。http://www.toyama-cmt.ac.jp/~kanagawa/aum.htmlーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーつまり、「AUM」とは、「A」(誕生)ではじまり、「U」で持続して、「M」(死)で、終わるという、まさに、陰陽の「阿吽」と同じことを象徴していることになります。さらに言えば、日本語の五十音の「あ」~「ん」とも、同じことになります。「AUM」とは、そのまま読んでも、「あうん(=阿吽)」と読めますし、「A」が「あ」で、「M」は、「ム(無)」であり、「ん」に通じます。「古」という漢字が、「十」+「○(=口)」から成る、まさに「阿吽」であり、五十音を象徴する漢字でした。そして、「古」=「コ」=「去」の「去」も、ともに「AUM」で、「阿吽」を象徴しています。これは偶然でしょうか?また、「オウム」は、「オン」だとも記されています。「オン」は「音」になりますので、●「オウム」=「阿吽」=「五十音」=「オン」=「音」となり、「真言」や、日本語の「言霊」は、「音」が非常に重要であることと結びついてきます。「去」の元字が、「大」と「ム」から成るというのは、なかなか深い意味があるような気がします。●「古」=「子」=「コ」=「去」=「阿吽」=「AUM」=「五十音」=「イエス・キリスト」★「去」の漢字破字法★さて、今度は、「去」の漢字についての漢字破字法です。これも、いろいろ見えてきそうな気がします。妄想もかなり入ってますが・・・(^^;●「去」=「土」+「ム」これについても、いろいろと解釈することはできそうです。まず、今回は、ひとつの見方をして見ます。「土」と言えば、漢字と聖書のつながりを考えれば、この部分になるでしょう。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。(創世記第2章7節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーつまり、「聖書」によれば、人間は、土からできたということになります。これは、何も、荒唐無稽なことではなく、ある意味真実を突いていると考えられます。お遊び的な見方をすれば、以前あげましたが、●「人」=「ヒト」=「一十(ヒト)」=「一」+「十」=「土」!?となり、「人」は、「土」であるといえます。(^^;なぜ、「土」から、「人」ができたと言えるのか?以前載せましたが、もう一度、『オーパーツと天地創造の科学』(久保有政著)より、引用してみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「水は、水素と酸素から成っている。またたんぱく質は炭素、水素、窒素、酸素、硫黄から成っている。人間の体には、他にもナトリウム、カリウム、マグネシウム、塩素、リン、また微量の鉄、銅、マンガン、ヨウ素、亜鉛、コバルト、フッ素などの物質が含まれている。人間の体は、これらの元素が有機的に結合してできたものである。これらの元素は、すべて地球の地殻中に見られるもので、ごくありふれたこれらの元素である。つまり人体を構成している元素は、すべて「土」の中に含まれているわけだ。この「聖書」の記述は、人体を構成している元素がすべて「土」に含まれていることを考えれば、きわめて的を得ていることになる。人体は、構成している元素だけを考えれば「土」に等しいからである。またわれわれ人間の体は、死ねば分解して土に還る。もともと土だから、土に還るのだ。」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「土」から、人類最初の人「アダム」ができたことを思えば、単純に考えれば、●「土」=「アダム」!となります。●「去」=「土」+「ム」 =「アダム」+「イエス・キリスト(絶対神ヤハウェ)」!?「去」には、「時が過ぎる」という意味がありました。「時が過ぎる」とは、いままでたどってきた「歴史」であり、それらは「過去」である、ということに繋がります。人類の歴史は、まさに、聖書から見れば、「アダム」に始まって、「絶対神ヤハウェ」に導かれて、その後、ヤハウェが受肉して人間となった「イエスキリスト」へ繋がる歴史を経てきたことになります。さらに言えば、宗教的な言い方になるかもしれませんが、「イエス・キリスト」という存在は、今もこの世界に関わっている…、この世界を包み込むようにして、存在している…、ということは、言えないでしょうか?で、あれば、「去」=「時が過ぎる」とは、そのまま「アダム(土)」に始まって、「イエスキリスト(ム)」とともに、時が過ぎている、と言えなくもない。そして、この今、イエス・キリストは、時とともに存在していると同時に、最後の時には、目に見える形で、現れてくる…。それが、聖書に記された、「イエス・キリストの再降臨」!ということになるのでしょう。ですから、この今、そして最後の時に、「イエス・キリスト」は関わっていると。そのことが、「去」=「時が過ぎる」という意味と、漢字破字法に、込められているのかもしれません。●「去」=「土」+「ム」 =「アダム」+「イエス・キリスト」 =「アダム」~「イエス・キリスト」 =「最初」~「最後」 =「時が過ぎること」!? また、「去」=「コ」=「古」と繋がる「古」という漢字は、「古」=「もっとも古い人」ということで「アダム」の象徴であるのが第一点。それと同時に、「古」=「十」+「口(=ひと)」=「十字架の人」となり、「イエス・キリスト」の象徴ともなっています。つまり、「古」=「アダム」と「イエス・キリスト」が含まれていますので、「去」と通じるものがあります。「古」=「いにしえ」「最古」の時から、イエス・キリストが関わっている、ということは、結局は、「すべての時」、「この宇宙すべて」に、関わっているという言い方もできるのかもしれません。次回、別の側面から「去」について、見てみます。
December 7, 2005
コメント(2)
「ム」とは、漢和辞典を見ると、「私・有る」となることは、第五十一幕でもみました。ここから、聖書をみると、ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーイエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から“私はある”」(新約「ヨハネによる福音書」第8章58節ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「私はある」とイエス・キリストがいっているので、「私はある」=「イエス・キリスト」ということになります。この部分の前後をもう少し『天照大神の謎』(飛鳥昭雄著)を参考に、見てみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「ユダヤ人たちが、『あなたは、まだ五十歳にもならないのに、アブラハムを見たのか』というと、イエスは言われた。『はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から“私はある”』すると、ユダヤ人たちは、石を取り上げ、イエスに投げつけようとした」(新約「ヨハネによる福音書」第8章57~59節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーユダヤ人たちが激怒した理由は、イエスが、「私はある」と言ったからです。なぜなら、ユダヤ人にとっては、それは絶対にあってはならないことだったからです。彼らが唯一絶対とする神も、同じことを言っているからです。旧約聖書にこうあります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「神はモーセに、『わたしはある。私はあるという者だ』と言われ、また、『イスラエルの人々にこう言うがよい。「わたしはある」という方が私をあなたたちに遣わされたのだと』」(「出エジプト記」第3章14節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの言葉を言ったのは誰か?そう…旧約聖書の「絶対神ヤハウェ」!!ユダヤ人にとっての、唯一絶対神です。だから、イエスが、「わたしはある」と言ったのが許せなかったわけです。ここで、以下、『天照大神の謎』(飛鳥昭雄著)から引用します。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの「わたしはある」という言葉は、ヘブライ語で「YHWE」と表記し、「ヤハウェ」と発音する。すなわち、絶対神ヤハウェとは、この意味なのだ。つまり、このときイエス・キリストは、自らをヤハウェと名乗った。唯一絶対神だと宣言したのである。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーつまり、結論を言えば、絶対神ヤハウェとは、イエスキリストである、ということになってしまいます。絶対神ヤハウェが、人間として受肉したのが、「イエス・キリスト」ということになります。●絶対神ヤハウェ=イエス・キリスト!!
December 6, 2005
コメント(4)
12月2日の、夜7時から、楽天お仲間の慈雨様と遠隔レイキの送りあいをさせていただきました。7時から、慈雨さまに送っていただき、7時15分から、私が慈雨さまに送らせていただくというもの。貴重な機会をありがとうございます!10分前くらいには、スタンバイできたので、発霊法を少しして、深呼吸して、ゆったりとしていました。5,6分前くらいに、目をつぶっていると、頭頂がむずむずしだして、エネルギーが入ってくるのが、感じられました。手が、よりピリピリして、足先からも、ピリピリとしてきました。7時過ぎには、目の前が、黄色っぽい光というのか、金色というのか、そういう光が広がっていくような感じで、何かまぶしいなあ、とびっくりしました。目はもちろんつぶっています。それ以後も、目の前を、ぼわっとした、何かが、よぎるような感じがあったり、浮かんだり消えたりといった感じでした。何といったらいいのか、目の前がにぎやかだった、というと変ですが、そういう感覚が続きました。依然、頭、手足はピリピリ感が続いていました。体全体が、エネルギーで包まれているような、心地いい感じでした。ここで、以下、慈雨さまにいただいた「送られたときの」感想を載せてみます。=================================19時から15分間送りました。いかがだったでしょうか? 私自身こってるので、私の体調かもしれませんが、 途中で、右の肩甲骨が痛くなりました。後、ちょっと右ひざも。咳も数回でました。 身体はずっと熱く、暖房してない部屋でそれでもすごせるくらいになってました。=================================ということです。ありがとうございます。咳は、だいぶましになってたとはいえ、ここ1週間くらい、喉が、いがいがして鼻声になっていました。喉の調子はあまりよくなかったので、それでしょうか。そして、そろそろ7時15分ということで、1,2分前から、シンボルを描いて、今度は、私が、慈雨さまに、レイキを送り始めました。手のピリピリ感があり、手から流れていっているのが、より感じられます。途中紫色のぼわっとした光のようなものが、浮かんできたり、消えたりして、紫色の輪のようなものも、見えました。自己ヒーリングの要領で、頭部や胸のあたり中心に、送りました。送っているこちらも、ぼうっとして、心地よかったです。慈雨さまの「受けていただいた」感想を、再び引用させていただきます。=================================受けたほうです。手足がジンジンずっとしてました。途中、丹光?わっかみたいなのが、消えては現れ。 だんだん意識がとうのいていきました。またしても睡魔に襲われました。 最後のほうで、左目の上あたり、フラッシュのような光。びっくりして目を開けてしまいました。(それまで、目をずっと瞑ってました)あれはなんだったの~~?? ふ~?って瞬間、感覚が変わって、時間を見たら30分になってました。 ありがとうございます。 大変貴重な体験ができました。================================と、いうことです。こちらこそ、貴重な体験できたことうれしく思います。ありがとうございます。慈雨さまのレイキのシャワーを(本当にそんな感じでした)浴びることができ、遠隔のすごさを実感しました。これからも、定期的にしていきましょう!まだまだ、私のほうは、経験が浅いし、パイプも太くないのですが、すればするほど、自分もエネルギーをもらえるし、まずは実践して感じていくことが大事かなと。ですので、遠隔受けてみたいという方は、遠慮なく私書箱からメールください。また、レイキの遠隔できる方は、交換ヒーリングもしていただければ、と思います。こちらからも、お願いしていくかもしれませんので、よろしくお願いします。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※無料遠隔レイキ募集しています。基本的には、「夜の11時頃から」ということで、していきたいと思います。15分くらいです。もし希望の時間あれば、おっしゃってください。調整できれば、させていただきます。無料で体験していただけますが、条件として、感想を書いてくださる方ということで、お願いします。簡単でけっこうですし、感じたままを書いてくだされば、と思います。感じなかったら、そのまま素直に書いてください。遠隔レイキ体験してみたいという方は、受け付けておりますので、私書箱までお願いします。折り返し、日程、時間などご連絡ますので、お互いに、都合のよいときを、調整していきましょう。何度でも、受けていただいてかまいません。
December 5, 2005
コメント(6)
きのうは、休みだったので、娘2人と一緒にいました。平日は、仕事で、朝行くときは、みな寝てるし、夜はもう娘も寝ているし、ということで、顔を合わすときがないというのが現状です。だから、一週間ぶりにいつも顔を合わしているような状況で、そのせいか、娘の進歩もより感じます。1歳4ヶ月の葵は、もうすでに、頻繁に歩くようになって、どんどん歩きたがる。外にでると、ひょこひょことペンギンのように、ぎこちないながらも、突き進んでいきます。しかも周りを全然見ていない!目が離せません。自分で歩きたがるので、ひょいと抱っこして、車に乗せたりすると、「もっと歩かして」という感じで、体を海老のようにそり返して泣きます。5歳の透萌(ともえ)は、あいかわらず、よくしゃべります。そして、よく笑う。「運転気をつけな、あかんよ~」とか「気をつけや~」と言われるものだから、「はい。わかりました…。」と言うしかないわけです。どっちが親か分かりません・・・。夕方は、私の両親の実家に行って、また、母親に10分近くレイキをしました。いつもやると、「すっきりするけど、なんで?」とびっくりされます。ただ、自分は、天からのエネルギーが手を通して流れていっているだけというイメージくらいです。念とかそういうのは必要ないので、こちらもリラックスしてできます。娘といる時は、心がほぐれていくような感じがします。葵などは見ているだけで笑えてくるので、癒されます。あの薄い髪の頭を見ていると、頭をなでなでしたくなるんですよ。丸い頭を見ると、手が自然と頭へいってしまいます。妻と、「なでなでしていると、何かご利益のありそうだね」などといっています。(^^;夜は、透萌とお風呂に入って、上がってから、歯磨きをしてあげて、絵本を一冊読んで、もうすでに9時過ぎてたので、早く寝ようねということで、寝ました。娘の体にレイキしながら手を当てて、横になって、「すぐ寝るだろう」と思い、しばらくしたら、寝たかな・・・起きないと・・・と思っていたら・・・また、そのまま寝てしまいました(T_T)最近このパターン多いです(^^;※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※無料遠隔レイキ募集しています。基本的には、「夜の11時頃から」ということで、していきたいと思います。15分くらいです。もし希望の時間あれば、おっしゃってください。調整できれば、させていただきます。無料で体験していただけますが、条件として、感想を書いてくださる方ということで、お願いします。簡単でけっこうですし、感じたままを書いてくだされば、と思います。感じなかったら、そのまま素直に書いてください。遠隔レイキ体験してみたいという方は、受け付けておりますので、私書箱までお願いします。折り返し、日程、時間などご連絡ますので、お互いに、都合のよいときを、調整していきましょう。何度でも、受けていただいてかまいません。
December 4, 2005
コメント(4)

▲葵:さあ、歩き出そうか、と体勢を整えているところ? ▲ふんが、ふんが、という感じで、ちょっと得意げ? ▲きたきた~。ひょこひょこペンギンみたいですが、何か?先日本屋へ行ったら、浅見帆帆子さんの新作が出ていたので、思わず、買ってしまいました。この路線の作品は、久しぶりなのでうれしい。まだ、途中ですが、シンクロニシティのことが、かなり突っ込んで書かれていて、なるほどと思いつつ読んでいます。『やっぱりこれで運がよくなった!』(浅見帆帆子)では、本題へ!★「許」から次の漢字へ★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「古」=「コ」=「許」●イエス・キリストがいけにえ(犠牲)になることで、人類は、罪を「許され」て、生きていることができる!だから、「許す」という漢字に、「午」=「イエス・キリストの象徴」が組み込まれている!●「許」=「たてよこ(午)」の「約束(言)」=「十字架の約束」=「イエス・キリスト(午)の約束」=「人類の許し」●「許」=「言」+「午」 =「心(シン)=神=真」+「口」+「午(イエス・キリスト)」 =「イエス・キリストの口からの心のあらわれ」!?ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー前回の最後に述べましたが、「許」は、「キョ・コ」という読みですが、これと同じ読みをする漢字があることに気がつきました。それは、何か?「去」という漢字です!【去】キョ・コ・さるーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー会意。からっぽの器から、ふたをはなしたさまにより、のける、ひいて「さる」意を表わす。一説にめしびつの原字という。(竹冠に去の漢字)(意味)(一)(1)さる。(ア)はなれる。うつる。(イ)しりぞく。さける。(ウ)しりぞける。すてる。うしなう。おちる。(エ)時が過ぎる。(オ)たちさる。ゆく。(2)・・・しようとする。(二)(1)さる。(ア)のぞく。あける。(イ)てばなす。すてさる。(ウ)へらす。(2)しまう。(三)(1)はしる。(2)めしびつ。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーざっとあげてみましたが、「去」という漢字、上記からもいろいろな広がりがでてきそうな気がします。まずは、漢字破字法からみてみますと、●「去」=「土」+「ム」となります。しかし、その前に、漢和辞典を見ると、「去」の「本字」が載っています。「本字」とは、従来正字形とされていることから、「本字」が元の形、といえるようです。「去」の本字は…、「大 ム」と書かれています!!この字が表示できないのですが、「大」「ム」を「縦に重ねた字」になります。以下、やむをえないので、「大ム」と表記します。まずこちらから、見てみましょう。★「去」の本字「大ム」★「去」の本字「大ム」という漢字を、漢字破字法で分解すると、以下のようになります。●「去」=「大」+「ム」まず、のっけから、お遊びでみますと(^^;「大」=「ダイ」と読めば、●「大ム」=「大」+「ム」=「ダイ」+「ム」=「ダイム」=「タイム」=「time」=「時」!?「去」の意味を見ますと、「時が過ぎる」という意味がありますので、あながち、的外れでもないのかもしれません。「去」とは、「はなれる」意がありますが、時が「はなれる」とみれますし、「過去」という言葉もあります。ですから、「去」は、「時」と関係の深い漢字なのかもしれません。★「ム」の意味するもの★「去」の「ム」は何を意味するのか?漢和辞典を見ると、ムは「からっぽの器」の象形であり、「土」は「ふた」になるということでしょう。「ム」は、確かに、あいた器のような形に、見えます。「ム」については、以前に、取り上げていますので、もう一度、そちらから、引用します。こちらの日記から以下引用。=================================●【ム】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーもと、すき(耜・シ)の形にかたどる。借りて、わたくし(私)の意に用いる。意味(一)私。それがし。なにがし。(国)ござる。「ある」の丁寧語。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここより、「ム」という字自体に「私」の意味がある、という事が分かります。さらに、「ある」の丁寧語「ござる」としても使われるようです。よって、「ム」=「私」「ある(ござる)」=「私」「有る」=「私」「有」!!「私・有」は、「私は有る」そして、「私は有る」と言った人物(あるいは神)が、過去ふたりいました…。そう、その一人が……「イエス・キリスト」!!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーイエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から“私はある”」(新約「ヨハネによる福音書」第8章58節ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーと、なってくると、これはえらいことになってきました。「ム」=「私・有」=「イエス・キリスト」!!=================================「ム」とは、「私・有」で、「イエス・キリスト」の象徴だった・・・。となると、「去」=「大ム」も「子」「古」などと同様、やはり、イエス・キリストへと繋がってくることになります。★「ム」=「イエス・キリスト」からみえてくるもの★ここから、「去」の本字「大ム」の漢字破字法を見てみます。●「去」=「大ム」 =「大」+「ム」 =「大いなる・偉大な」+「イエス・キリスト」! さらに、「大」=「一」+「人」に分解できます。「一人」とは、辞書によれば、「ひとりの人」という意味もありますが、もうひとつ、「天子の自称、および天子に対する尊称」とあります!●「去」=「大ム」 =「大」+「ム」 =「一」+「人」+「ム」 =「一人」+「ム」 =「天子」「イエス・キリスト」!読んでくださった方に、すべての良きことが、なだれのごとく起きます! ありがとうございます! 最後に、ついでにポチッとしていただくと、元気になる!・・・かも(^^;「去」の本字「大ム」について、お遊び的にみてみましたが、漢字とは、語呂合わせ,こじつけ的な要素が多分にありますので、遊び心をもって、見ていきたいと思います。ですから、あくまで、こういう考え方もできるというくらいで見てください。しかし、不思議と「コ」の読みの漢字は、イエスキリストへと収斂していきます。次は、「去」の漢字破字法から、見ていきたいと思います。「去」という漢字も、シンプルですが、まだ、いろいろ見えてきそうです。
December 3, 2005
コメント(0)
日本を含めた、太平洋上をぐるりとめぐって、南北アメリカ大陸を含めた「環」のようになる、「環太平洋文化圏」というのがあります。1962年、南米エクアドルの太平洋岸、バルディア地方の貝塚から、ひとつの「奇妙な」遺物が発見されました。そこから出土した遺物とは、何と、日本の縄文式土器と酷似する遺物の破片でした。南米エクアドルといえば、日本から言えば、太平洋のはるか向こう側、南米アメリカ大陸にある国です。なぜ、そんな場所から、縄文式土器が出てきたのか?日本の学者たちは、縄文人が、舟で海を越えて、南米大陸へとたどり着き、文化を伝えたのではないかと考えました。しかし、海流の流れからして、実際は「逆」であった可能性が高いようです。そのことは『古代失われた日本と環太平洋文明の謎』(飛鳥昭雄)に記されています。以下、参照して書いてみます。縄文人や、あるいは弥生人が、太平洋を越えたと仮定すれば、北太平洋海流に乗る必要があります。いわゆる北側のルートになるのですが、このルートは、季節によっては、寒さで命を落とすこともあれば、うまく流れに乗れないと、北極付近まで流されてしまう危険性もあります。ですから、古代アメリカから、日本へ、人々がやってきたと考える方が自然です。南北アメリカ大陸から、西へ向けて出向すれば、ちょうど太平洋の中央付近の流れである、北赤道海流や南赤道海流の温暖な気候の流れにのることができます。途中、環太平洋の島々に移動することができ、流れに乗って、日本へ到達することも、十分可能になります。ちょっと、話がそれますが、よく言われることに、この太平洋上の島々には、さまざまな伝承があり、それらを集め研究した、イギリスのチャーチワードという人物がいます。彼が発表した内容とは、かつて、太平洋には、「ムー大陸」という巨大な大陸があった!!という説です。アカデミズムからは、全く無視されていますが、実際に残ったり伝わる伝承を見ていくと、非常に魅力的な説です。しかし・・・。はっきり言ってしまえば、批判を覚悟で言いますが、かつて、太平洋上に「ムー大陸」は、一度も存在したことがない!!ことは明白です。なぜか?これは、地質学などから、明らかなことです。かつて大きな大陸が太平洋上に、あって、何らかの原因で沈んだとします。そうした場合、必ず、大陸のあった痕跡というか、そういうものがなくてはならない。地質学的には、大陸と海の地質の違いは明らかです。そして、太平洋上には、その大陸の地質は、全くないということが分かっています。ですから、太平洋上には、そのような巨大な大陸は、かつて一度もなかったと断言できることになります。では、ムー大陸はなかったのか?ここは微妙な問題なのですが、かつて、大きな大陸があった伝承は、太平洋上の島々にそれこそ無数に残っているようです。だから、こういった伝承を無視することはできません。ムー大陸は、なかったけれども、ある意味、かつて巨大な大陸は、存在したともいえます。これについては、また、機会を改めて、紹介したいと思いますが、こういった伝承は、ひとつ言えば、「聖書」に記された「ノアの大洪水」との関わりがある、ということになります。ですから、たとえば、霊能者や、予言などで、近い将来「ムー大陸」が太平洋上に浮上してくる、などとまことしやかに言っている人がいれば、ちょっと疑ってかかった方が、賢明です。太平洋上に大陸となる地質がない以上、どう逆立ちしても、太平洋上から大陸が浮上してくるなどということは、ありえません。それは、科学を全く知らないと思われるか、科学を全く無視した説ということになります。逆に考えれば、歴史をさかのぼっても、そういう巨大な大陸が、かつて太平洋上にあったということも、現実的に言えば、ありえない、となります。しかし、伝承は事実だと思われますので、このことは、かつてあったと、アカデミズムでも言われている、ある巨大な大陸へと繋がっていくことになると思われます…。話がそれましたが、アカデミズムでは、無視されていますが、日本の縄文式土器とそっくりなものが、古代アメリカからも出土しているということは、先の海流の流れなどから見て、縄文人や、あるいは弥生人も含めて、彼らのルーツは、古代アメリカにある!ということになります。古代アメリカの人たちは、間違いなく海流にのって、古代日本へやってきています。大雑把にいえば、古代アメリカとは、南米大陸のマヤやインカ文明の人たちであり、ネイティブアメリカンや、さらに言えばイヌイットをも含む人たちである、ということになります。そして、この古代アメリカの人たちは、どこから来たのか、とさらにさかのぼっていくと、日本とは逆のユーラシア大陸の西側、つまり、「聖書」発祥の地、中近東、ということになるようです!となると、古代アメリカと、古代ヘブライの繋がりもでてきます。すべては古代ヘブライに集約されるということになります!!それは、なぜかというと、「ノアの大洪水」(これは事実です)で、ノアの一家8人は、アララト山にうちあげられ、そこから人類は再び広がっていったということが記されているからです。ノアの大洪水は事実であったという、一番の物証としては、実際にアララト山付近で、ノアの箱舟と思われる痕跡が発見されているからです。これについても、機会があれば、取り上げてみたいと思います。大まかに言えば、古代ヘブライから、東回りのルートで、古代ヘブライ人がやってきて、西回りのルートで、古代アメリカを経て、古代アメリカ人(ヘブライ人含む)がやってきた。日本のルーツは、想像以上に、壮大な歴史を秘めているのかもしれません。
December 2, 2005
コメント(0)
今日は、新月なのですね。新月は、物事をスタートするのに、いいということなので、正式に、遠隔レイキの無料体験、募集していきます。もうすでに、言っていただいた方々、ありがとうございます。まだまだ未熟ですが、レイキを、少しでも体感していただければと思います。レイキをどんどん使って、レイキのパイプを太くしていきたいという思いもあるので、まずは、自分のため、という意味が強いのですが、行動していきます。いまのところ、1日1人、多くても2人くらいしかできませんが、マイペースでやっていこうと思います。遠隔の時間は、仕事もあるので、夜の11時頃からが中心になると思います。15分~20分くらいです。ただ、もし希望の時間あれば、おっしゃってください。夜の8時以降であれば、会社からでも送れますので、調整できれば、させていただきます。フルネーム、年齢、住んでいるだいたいの市町村は、お聞きすることになりますが、これ以外の目的などにはもちろん使いませんので、ご安心ください。レイキは、エネルギーの交換でもあるので、こちらもエネルギーをいただくので、それだけでも十分なものをいただくのですが、どんな感じであったか、お聞きしたいので、感想を書いてくださる方ということで、お願いします。簡単でけっこうですし、感じたままを書いてくだされば、と思います。感じなかったら、そのまま素直に書いてください。人によって、体験はさまざまですが、その人に必要なだけ、レイキは、流れています。無料遠隔体験希望の方は、私書箱まで、メールください。折り返し、あいている日程、時間などご連絡します。何度でも、いつでも、体験してみてください。遠慮なくメールしてください。※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※★<遠隔レイキを受けるにあたって>★遠隔レイキを受けるときは、基本的には、リラックスしていただければ、よいです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●両手を水でさらすように、軽く洗ってください。手が冷たい時は、手をすり合わせたりして暖めておくと、より受けやすくなります。●体から時計や眼鏡、金属類を外しておいてください。指輪やイヤリングなどは、つけたままでもかまいません。●服装は、ゆるやかなもので、ベルトなど、体を締め付けるものは外してください。靴も脱いでください。●いすなどに腰掛け、床に足をぴったりとつけてください。腕や足は組まずに、全身から力が抜けるようにします。●ヒーリング中は、目を軽く閉じ、リラックスしていてください。●両手は、太ももの上に乗せ、軽く開いた手のひらを、上に向けてください。●BGMは、なくてもいいですが、かけるなら、歌の入っていない、ご自分が、リラックスできるものをかけてください。●何も感じなくても、エネルギーは必要なだけ流れています。安心してください。●時間がきたら、今から、「ことはの遠隔レイキを受けます」と宣言していただくと受けやすくなります。慈雨さまのHP参考にさせていただきました。ありがとうございます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
December 1, 2005
コメント(2)
全31件 (31件中 1-31件目)
1
![]()
![]()
![]()