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きのうの夜は、パソコンを開いていたのですが、ちょっと眠くなってきたので、横になったら、そのまま寝てしまい、気がついたら、4時半でした。(T_T)起きるには早いし、まだもうちょっと寝たいし、でも寝るにしても、少ししか寝れないし、中途半端な時間だなあと、思いましたが、意地で、寝ました。最近こういうことが、ちょこちょこあって困ります。ひとり暮らしをしていたころは、ってもうだいぶ前ですが、お風呂で半身欲しながら、2時間くらい寝てしまうこともありましたし…。では、本題へ!最近の自分の書いた話題を振り返ってみると、神や聖書やイエスキリストといった言葉が頻繁に出てきています。というか、ほぼ毎回かも…。自分自身、意外といえば意外なのですが、そちらへ引っ張られていっている感じがします。クリスチャンかというと、そうではないのです。内容的には、かなり「異端」かもしれません。と、いって他の宗教を信仰しているわけでもないのです。あえて言えば、神社や神道に興味があって、日本という国自体に興味を持っていました。一言でいえば、やっぱり日本という国が好きですし、この国に生まれたことに感謝しています。そして、時に不思議に思うことなのですが、漢字や神社、神道、日本の伝統などを見ていくと、聖書やキリスト教などとシンクロしてきてしまうというのがあります。と、いうか、日本の裏側、特に神道の裏側には、聖書やキリスト教とは無関係ではなく、むしろ密接に関係していると。もっと言ってしまえば、漢字にみられるように、聖書の思想が根幹に関わってきていると言えるのではないかと思います。そして、聖書の思想が根幹にあるということは、その思想だけが伝わったというだけではなく、そういった思想を持つ人たちが、日本の中枢に入り込んだということになり、日本の中枢といえば、これはとりもなおさず天皇家ということになります。日本に隠された謎を解くには、ひとつ、天皇家の出自を見ていくことが大きなキーポイントになってくるのではないかと思います。天皇陵の発掘がなぜ禁止されているのか?それは天皇家の出自を明らかにできない理由というか、何か秘密があるのかもしれません。ある時代を境に、日本の風習や伝統、また神道自体を、いままであったものから、今の形態に、組み替えていった節がみられます。その時代の節目に関わったと思われる人物が、聖徳太子であり、藤原不比等といった人物でしょう。いずれにしても、日本という国は、一言で言えば、聖書と密接に関わった国であるということが言えると思います。ですから、聖書を読み解いていかないと、日本という国の本質は明らかにならないと思います。「聖書」は、正直、自分とは関わりのないものと、以前は思っていましたが、予想が外れました。「聖書」は、すごいと思います。こう書くと、クリスチャンみたいですが。でも本当にそう思います。いろいろと、異論もあると思いますが、聖書とは歴史書であって、壮大な物語であって、神の言葉を預かった「預言書」にもなっている。だから、「聖書」は読まなくては、と思い、買いました。そうしたら、妻からは、かなり変な目で、みられました。日頃から、変なことはよく言ってましたが(^^;、今度は何をやりだすの?みたいな目で…。まだまだ、あまり読めていませんが、少しずつ触れていこうかなと思っています。物語として読むだけでも、けっこうおもしろいなと感じています。そして日本の古事記や日本書紀といった現存する最古の書物と、聖書は明らかにシンクロしてきています。時が来れば、日本の隠された本質、日本のルーツ、日本の全く違う真の姿が明らかになってくるでしょう。と、仕事前のわずかな時間で、というか、もう仕事に取り掛からなければいけないのですが(^^;、ざっと書いたので、やや支離滅裂なところがありますが、また修正したいと思います。
October 31, 2005
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第二十九幕「最後に行き着く永遠の木のある場所へ」(「蘇民将来」と「過ぎ越しの祭り」) きょうは、大阪まで、ヒックルさまの「豊かさの法則」のセミナーを受けに行ってきました。大阪駅でヒックルさまと待ち合わせて、JR環状線で、森之宮駅で下車、そこから歩いて10分くらいの会場へ行きました。もう、大阪は一人では、歩けません。すぐ迷子になりそうで(^^;きょう初めて、環状線なるものがあると知りました(^^;そうとう、遅れています。と、いうか、話にならないほど遅れています。地下鉄や、JR、そして、ぐるりと環状線があって、地図を見ていると、めまいがしてきそうなほど、私にとってはややこしいです。田舎者なので、たまに出てくると、うろうろするしかないというわけです。それはともかく、きょうは、宝地図、マインドマップ、さまざまなコツ、ワーク、豊かさの法則など、ぎっしりとした内容でした。その後レイキの体験や速読体験、宝地図など分かれての体験コーナー。私は、レイキを少し来た方に当てたりしているうちに、あっという間に時間は過ぎてしまいました。10年後の目標設定というのを書き出すものでは、レイキのティーチャーとして、これから、どんどん実践していきたいという想いを新たにしました。それと、自分は、どちらかというと、Me(私が)タイプであるということも、分かりました。逆がWe(私たち)タイプ。Meタイプとは、「私が、私が」というタイプ。ざっと上げた性質、性格などを聞いていると、冷静、無口、なに考えているかわからない、だが、自己主張が激しい、融通がきかない、などなど、まだまだありましたが、けっこう、当たっている!と思いました。表面的には、Weタイプを装っていて、内面はかなりMeタイプかも…。(^^;ともかく、ヒックルさま、参加されたみなさま、ありがとうございます。それでは、本題へ!★「秋」は「終わり」の時と関わっている!★今回はさらっと…。のつもりでしたが… 長いです…。前回まで、「秋」という字に、予想外にのめりこんでしまいました。「秋」という漢字は、想像以上に深いものがあると、今回改めて思いました。あれこれと妄想しているうちに、お遊び的な思考も含めて、もう少し、いろいろと出てきたので、吐き出してしまおうと思います。まずは、前回までの流れを簡単に振り返ってみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「秋」=「シュ」=「主」=「酒」=「酉」=「鳥」!●「秋」=「シュ」=「ジュ」=「受」=「樹」=「生命の樹」!!●「秋」=「火禾」=「火の木」=「ヒノキ」=「檜」=「常緑樹」=「生命の樹」!!●「秋」=「シュウ」=「集」=「収」=「十」=「終」!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「秋」という漢字は「秋」=「シュウ」=「終」と、音に返せるように、「終わり」の時と関わっていることが分かります。秋の「実り」とは、「三則(みのり)」であり、「三」という数字が、非常に重要な要素を占めていることがわかります。「三則(みのり)」とは、三つの法則であり、基準、きまり。これは、すなわち、「秋」=「生命の樹」から導かれる、生命の樹の象徴図形の三本柱に、行き着きます。三本柱は、聖書でいう絶対三神に相当しますので、根源的な神を表します。実りの時を迎えるとは、「絶対三神」の法則に従った結果でてくるものなのかもしれません。また、「秋」=「禾」+「火」ですが、「火」が関わってくるのが、「終(シュウ)」とシンクロしてきます。なぜなら、「聖書」をみると、末日には、「火」の災いが起こることが記されているからです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「第四の天使が、その鉢の中身を太陽に注ぐと、太陽は人間を火で焼くことを許された。人減は、激しい熱で焼かれ、この災いを支配する権威を持つ神の名を冒涜した。そして、食い改めて神の栄光をたたえることをしなかった。」(「ヨハネの黙示録」第16章第8節~9節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「秋」=「シュウ」=「終」ですから、「秋」に「火」が含まれているのは、偶然とは思えません。上記のことが実際に起こるかどうかはともかくとして、漢字と聖書は繋がっていることは、確かだと感じさせてくれます。いずれにしても、「終わり」の時に関わってくると思われる、「火の災い」、エデンの園の「生命の樹」などから、「秋」は、聖書でいう「末日」と関係が深そうです。そして、実は、同時に、「秋」という漢字、「終わり」だけでなく、「はじめ」にも関わっているようだ、ということに思い当たりました。★世界の始まりの時とは…★漢字を分解していくと、その漢字本来の意味が見えてくる漢字破字法。そこから見ると、「秋」=「禾」+「火」です。ここから、もう一歩すすめてみます。非常に素人的発想で、専門の方から怒られそうですが…。「火」を見ていて、以下のように分解できないだろうかと。●「火」=「八」+「人」!?思わず、あはは、と笑いかけましたが、「八人」というのは、あることを思い出して、もしかして…と。●「秋」=「火禾」=「八」+「人」+「ノ」+「木」そして、音に返すと、まだ、漢字がありました。●「秋」=「シュウ」=「舟」!!「舟」は「シュウ」と読みます。けっこう意外なのですが。そして、●「秋」=「八人の木」!このふたつから、ある出来事を連想しないでしょうか…?そう……、「聖書」の冒頭、創世記に記された、「ノアの大洪水」!!ノアは、神の命令に従って、箱舟を作り乗り込んだので、大雨が降り、世界が水に没するという「ノアの大洪水」を生き延びます。その時、ノアの箱舟に乗っていた人数は、ノアと、ノアの妻、ノアの息子と、それぞれの妻、すなわち、合計「八人」!それは、「船」という漢字が、そのまま分解すると、「舟+八+口(人の意)」となり、「船」が、ノアの箱舟のことを指していることと、符合してきます。「八人の木」とは、想像をたくましくすれば、ノアの箱舟は、レバノン杉、すなわち、「木」から造られています。つまり、「八人の木」とは、「ノアの箱舟(木)に乗った八人」を象徴しているのではないかと。一度は大洪水で、世界は、ほぼ壊滅状態で「死(=四)」を迎えます。しかし、水の洗礼を受けて、「蘇って(=四)」生き残った「八人」から世界は再び始まる…。だから、今この世界を「四方八方」の世界というのでしょうか。そして、この「八人」=「火」となり、「火」は「ヒ」で「ヒフミ…」と数を数えるように、「ヒ」=「一」=「はじめ」!!です。●「八人」=「火」=「ヒ」=「一」=「はじめ」ノアの大洪水で、一度水の洗礼を受けた地球は、「八人」から再び人類がスタートしていくということを、象徴しているのかもしれません。さらに、「八」=「ヨウ」=「陽」=「太陽」となり、「光」となります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「初めに、神は、天地を創造された。地は混沌であって、闇が深遠の面(おもて)にあり、神の霊が水の面(おもて)を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。」(創世記第1章1節~3節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーまさに、「光」が、第一の日と関わっていることを考えれば、「八」=「太陽」=「光」=「はじめ」であり、「八人」=「火」=「ヒ」=「一」=「はじめ」と繋がっていくのも、納得できます。まとめますと、以下のようになります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「秋」=「火禾」=「八人の木」=「八人の乗ったノアの箱舟(木)」!?●「秋」=「シュウ」=「舟」=「ノアの箱舟」●「八人」=「火」=「ヒ」=「一」=「はじめ」=「(ノアの大洪水後の)人類の再スタート」また、こうも見れるでしょうか。「光」とは、聖書でイエス・キリストの象徴でもあるので、●「秋」=「八人の木」=「光人の木」=「イエスキリストの木」=「十字架」=「生命の樹」「生命の樹」とは、まさに、人類の祖である、アダムとエバが住んでいたエデンの園の中央に生えている木です。ここでも、「最初」を意味する符号が出てきました。●「秋」=「火禾」=「火(=日・霊)の木」=「生命の樹」(人類は、エデンの園にあるという、生命の樹に、最後に行き着く)●「秋」=「終」=「十」=「完成」●「秋」の「火」が、末日の「火」の災いとのシンクローーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーかなり妄想入ってますが(^^;、「秋」という漢字は、「ノアの大洪水」の「水」の洗礼と、「末日」にくるとされる「火」の災い、をともに含んでいて、最初(火の部分から、「火」=「ヒ」=「一」=「最初」)と最後(「秋」=「終」)を含みます。さらに、「秋」=「火(日・霊)の木」=「生命の樹」となり、人類の祖アダムとエバが住んだ「エデンの園」に生えている木であり、「末日」にも、生命の樹へ至る道が示されるということなのかもしれません。そこには、「生命の樹」が、この世界を初めから終わりまでを貫く象徴として、込められているのでしょうか…。同時に、それは、「秋」=「シュ」=「主」から、「主」=「神」がすべての流れの中にいることの証なのかもしれません。それは、別の側面からもいえます。なぜなら、はじめに、「水」の洗礼、最後に「火」の災い。地球と人類はこのふたつの出来事を経る必要がある、ということは、このふたつは順序こそ違いますが、「火」+「水」=「火水」となり、「火水」=「カミ」=「神」!すべてにおいて、どんなことがあろうとも、この地球は、人類は、地球上のすべての生き物、存在たちは、神の恵みの中にいる、ということを、示唆してくれているのかもしれないですね。
October 30, 2005
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先日見た、ソン・イェジン主演の『私の頭の中の消しゴム』いまだに、ソン・イェジンのさまざまな表情が忘れられないわけですが(^^;、彼女を、もう一度見たくなってしまい、今日は、家に帰ってから『永遠の片思い』のDVDを、鑑賞してしまいました。(^^;映画の感想はこちら。この作品では、正直なところ、脇役的な存在感ですが、それでも魅力抜群で、私は、彼女の面影ばかりを、追っていました…。この作品の、ソン・イェジンは、何というか、幼さの残る表情が印象的で、また、かわいらしい。未見の方は、ぜひチェックしてみてください。私に言わせると、「死んでも絶対見るべき作品」として、強烈におすすめします!え?死んだら見れないって?まあ、そうなのですが、そんな細かい突っ込みは、よくて、ですね、とにかく見ないと損!ということです。はい。『永遠の片想い』-DVD-〔送料無料キャンペーン中〕/早くも、『私の頭の中の消しゴム』のメイキングDVDが出てきたようです。うーん、これは見てみたい。『私の頭の中の消しゴム ~君が僕をわすれても~』(メイキングDVD)また、サウンドトラックも、韓国版で出ているようです。音楽もよかった記憶があるので、聞いてみたいものです。私の頭の中の消しゴム 韓国版サウンドトラック【お取り寄せ商品】また、ヨン様との共演が話題となった『四月の雪』これもメイキング的なDVDが出ています。これは、タイトルからして、ソン・イェジンというより、ヨン様中心のDVDのような気がします。それはないでしょ、という感じですね。ドキュメンタリー四月の雪 ペ・ヨンジュンに魅せられて●「四月の雪」オリジナル・サウンドトラック CD+DVD『夏の香り』は、ソン・イェジンにはまるきっかけとなった、作品。妻が一人で、見ていたのですが、横目でちらちらと見ていたら、ものすごくかわいらしい気になる女優さんがいたのですが、それが、「ソン・イェジン」だったというわけです。夏の香り DVD-BOX I●「四月の雪」オリジナル・サウンドトラック CD+DVD
October 29, 2005
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★きのうの車のナンバー★ここでも、何度か、車のナンバーについては、書きましたが、あれからもちょこちょこぞろ目や、印象に残るナンバーを見ます。あと、多いのがデジタル時計のぞろ目など。最近よく見る数字が、「5」と「8」のぞろ目。デジタル時計の「5:55」は、ぱっと見るとよくみます。また、ついこの前は、車の走行メーターが「108888」の時に、ぱっと見ました。おお、「8」のぞろ目だ!と。そうして、きのうの配達中、午前中でしたが、ちょうど前の車を、見たら、「・555」のナンバーでした。あれ、また「5」かあ。と。その時、最近、5と8をよく見るなあ、と思い、対向車を見たら、「・・・8」のナンバーの車が走り去っていきました。あれ、やっぱり5と8だあ、と。そして、その次の車を見ると…、何と。「・・55」!!5と8の連続でした。★今日の車のナンバー★そして、今日の朝、車で、会社に行くまでのわずか25分少々の通勤時間が、びっくりしました。まず、朝出て、10分近く走った時に、前の車をふと見ると「8888」でした。「8」のぞろ目が、多いなあ、と思ったら、すぐに、今度は、「・888」の車を見ました。そして、またすぐに、今度は、「・・88」でした。「またかよ、おい…」と思いながら、しばらく行くと、究めつけともいえる「8888」の車が、前に!!!ちょっとこれには、びっくりしました。どうも「8」に呪われて…あ、いや、そうではなく、さすがに「8」と何か縁があるのか、何かのメッセージなのかなあ、と思ってしまいました。また、この間に、「・・・7」のナンバーを2回みました。そこで、以前見た、さざなみさまのHP「数字は天使からのメッセージ」に書かれていた数字が、興味深いので、「555」と「888」について、書き出してみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◇555◇シートベルトをしっかり締めてください。大きな人生の変化がやってくるからです。この変化は「肯定的」「否定的」というふうにみるべきではありません。なぜならすべての変化は人生の流れの自然の一部にすぎないのです。この変化はあなたの祈りへの応えかもしれません。ですから心を静かにして自分自身を見つめ、感じ続けてください。 ◇888◇あなたの人生の一つの章が終わりを告げようとしています。そしてこれはあなたに準備ができるよう、警告をしているというしるしです。この数字の連続は、感情、仕事、あるいは恋愛関係のある段階を終えようとしている、ということも意味し得ます。さらにトンネルの向こうには、光があることも意味しています。そしてさらに「作物は実っている。収穫して楽しむのを先に延ばさないように」ということでもあります。言いかえるなら、何か行動を起こしたり、自分の労働の実りを楽しむのを後回しにしてはいけないということです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー何か新しい動きが始まるということ??また、こうも書いてあります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー数字の組み合わせが意味するメッセージ天使は二つかそれ以上の数字のコンビネーションを含めたメッセージを、あなたに送ることがしばしばあります。ここに三つの数字と二つの数字のコンビネーションの基本的な意味をあげます。もしあなたのメッセージの中に、三つあるいはそれ以上の数字の組み合わせがあるのなら、それぞれのコンビネーションについあわせて考えてみてください。あるいはそうするように導かれていると感じるならば、数字を全部加算してみてください。連続する数字をすべて足し、それが一ケタになるまでおこないます。それからその数字の意味を前出の三連数の説明で見てください。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「5」と「8」が多いと感じているので、「5+8」=「13」=「1+3」=「4」そこで、「444」をみると。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー◇444◇今天使があなたを囲んでいて、その愛と助力があることを保障しています。天使の助けがそばにあるので心配しないこと。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーなるほど、いいようにとっておきましょう。(^^;また、はなこさまのHP「数字の意味」も興味深いので、引用させていただきます。「5」と「8」、そして、付け加えるとすれば、「8」のぞろ目のときに見た「7」と、最近の5と8のメッセージより、5+8=「13」=1+3=「4」が、気になります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー1~スタート、一つ、基幹、始まり。2~男と女、陰陽、調和。3~基本数、天の数字、心かよう数字、天地人。4~地上の数字、広がり、四方八方。5~万物(含人間)、宇宙、歴史を動かす、中心。6~誕生、愛の訪れ、願い。7~神の数字、完全、あるべき姿。8~喜び、祝い、見通す、使命、信じ合う心。9~後一歩で達成、急を要する、物足りなさ、後一歩の幸せ。10~物事の完成、基、復元。11~2本の柱、天地(過去未来)を結ぶ柱、霊界が開く。12~干支、一つのまとまり。13~悪の数字、不吉、悪い知らせ。14~真実を知る。15~結び、結束、理解し分かち合う。21~完成数、事の終結。22~平和、嬉しい、楽しい、穏やか、人類のあるべき環境。40~終結、円満解決。120~奇跡、完璧な未来。400~願いを叶える愛、未来、新たな世界を集約した数字、パワー、霊的な愛。千~未来への架け橋、歴史。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「13」については、表裏一体、悪い意味と同時に、最高の意味もあると思います。いってみれば、陰陽を合わせ持つ数字なのかもしれません。「13」=「1+3」=「4」となり、「4」は、「死」と同時に、「蘇り」の「4」をも意味するからです。まさに、裏と表が、一緒になった数字です。また、これからの時代の節目にこの「13」という数字が、関わってくるのではないかと、個人的には思っています。今は「12」を中心に、この世界は動いていると感じます。一年は12ヶ月とか、時計は12時で一回りするとか、12支とか、「聖書」から見れば、イスラエルの12支族とか、イエスキリストの12使途とか。また、今、太陽系の惑星は、地球を含めて、9個発見されていますが、おそらく、未発見の惑星を含めると、12個あるはずです。ですから、節目がくれば、もうひとつ惑星が増えて、13個になるのかもしれません…。また、誤解を恐れずに、もっと言ってしまえば、「聖書」によれば、イスラエルの失われた10支族を含めた、12支族が、世界の大詰めを迎えると、再び集結することが示唆されています。その12支族と、イエスキリストが「再降臨」するということで、12支族+再降臨したイエスキリストの合計「13」という数字にもなります。その時は、おそらく日本という国も、このことに関しては無関係ではないでしょうし、むしろ深く関わっているのではないかと思います。世界の終わりを思わせる時期に「13」という数字が、おそらくくるために、一見最悪の数字と思われますが、それは、逆に、世界の「救い」に関わる数字でもあるのかもしれません。いずれにしても、「13」は、今後キーポイントとなる数字でしょう。数字は、おもしろいな、と思います。まあ、あまり深く考える必要もないのかもしれませんが、数字のメッセージを見ていくと、いろいろおもしろそうですね。さざなみさま、はなこさま、勝手ながら引用させていただきました。ありがとうございます。
October 28, 2005
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http://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/museum/tantei/awtitle.htm背筋を ぴん…と 伸ばしたような空差し出した手を 振り払うような 冷たい風体の芯を 一気に 突き抜けていくよういつもより 心をきゅっ…と 引き締めるなじんでいた季節が そっぽを向く頃川辺の土手に広がる 鮮やかな黄色のうねり秋の微風に波打つ「セイタカアワダチソウ」その隣りには 銀色になびく ススキの穂黄色と銀色の細波が そこかしこで せめぎあう秋色に すべてが染まっていくなか川辺に広がる 黄色は何よりも 輝いている 「生命力」の証次々に勢力を広げていく とどまることを知らない支配欲周りから忌み嫌われ ふりかかる 多くの反発にも君はへつらうことなく 奢り高ぶるわけでもなく己の生命を燃焼させて 今この時を 精一杯感じている誰も踏み入れなくなった土地に君は 勇気を持って 踏み込み誰も見向きもしない場所で君は ひたむきに 生きている忘れかけていた 生命の力を 届けてくれるどこまでも強く どこまでも続け 黄色の波となってスローモーションのように 広がるうねりこの季節に現出させた 一時の夢生きている喜び 広がる希望想いは形に 夢は現実に あの波のように途切れないでいて…どこまでも強く どこまでも続け 希望の波となって…
October 27, 2005
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「永久への飛翔」(「鳥羽」の地名考察)はこちら 『契約の聖櫃「アーク」』(「鳥羽」の地名考察)はこちら「ノストラダムスの預言」(「鳥羽」の地名考察)はこちら『光放ち浮かび上がる契約の聖櫃「アーク」』(「鳥羽」の地名考察) はこちら鳥羽の地名考察といいながら、何だか話は、とんでもない方向へいってしまっていますが(^^;、今回でいい加減に終わります。はい。何で、ノストラダムスなの??というご意見もあるかとは思いますが、ひとついえることは、ノストラダムスの予言は、終わっていない!ということ。彼は、予言者ではなく、「預言者」であるということです。「預言」とは、神から預かった言葉ということになります。そして、実は、日本にもかつて「預言者」がいたといいます。実際に、預言書を残しています。それは、誰か…。驚くべきことに、内容を見てみると、ノストラダムスの書き残していることと、同じ内容が多々あるといいます。さらに、「契約の聖櫃」についても書き残していると!その人物の名は、…「聖徳太子」!彼は、「未来記」と「未然記」というふたつの預言書を書き残しているといいます。聖徳太子もまた、「預言者」であったということのようです。なぜ、そう言えるかといえば、『日本書紀』の中に「兼知未然(兼ねて未然に知ることができた)」と記されているからだそうです。「聖徳太子」もまた、実に謎の多い人物です。実体はどうだったのか。見ていけば見ていくほど、この人物は興味深いものがありそうです。前置きが長すぎました。では、本題へ!★「アーク」の隠された「神殿」とは?★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「アークの光で、金、銀が溶解する両方の罪人たちは、互いに他方を殺しあうだろう巨大な都市は倒壊し艦隊は水の中に沈むだろう」『諸世紀』(第3章13番)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「宝は西にいた者たちにより運び出され、神殿に隠される場所の秘密も、同じように隠され飢えた徒党は、神殿を開くだろう略奪するが、再び取り返される、その中で恐ろしい祈祷が」(『諸世紀』第10章81番)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「包囲され、略奪され、貴重なる獲得物は、取り返されるそれは聖なる出来事の起きる日と変わり通過し、奪い返され、捕縛される、三つの重なりの地からさらに、水底からしるしが現れ、権威の存在が引き上げられる」(『諸世紀』(第7章73番)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー黄金で飾られた偉大なる製造物略奪の憂き目にあうが、水の中に投げ入れられる凄まじい火を放つために発見され大理石に彫られた書き付けは、教訓を与える」(『諸世紀』第8章28番)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以上、ざっと、契約の聖櫃「アーク」について、述べられている部分を、もう一度あげてみました。今回も、『失われた契約の聖櫃「アーク」の謎』より、見ていきます。下の3つの詩から、導かれることとしては、まず、「宝」(=契約の聖櫃「アーク」)が、西にいた者(=「秦氏」)によって、「神殿」(=???)に隠されるといいます。そして、「飢えた徒党」が、隠された「神殿」から、「アーク」を略奪しますが、神官の祈祷によって、取り返されます。敵は「捕縛され」ますが、その前に奪い返して、水中に投げ入れてしまいます。しかし、水底に落ちた契約の聖櫃の「アーク」は、「しるし(=光)」が現れ、引き上げられます。もうひとつの詩では、「凄まじい火を放つために」とあります。いずれにしても、「アーク」のパワーで引き上げられます。そして、「大理石に彫られた書き付け(=十戒の石版)」が「教訓」を与えると。その「教訓」とは、日本人が自分たちのルーツを自覚することだ!といいます。そして、その契約の聖櫃の「アーク」の舞台となるのが、「三つの重なりの地」だといいます。「三つの重なりの地」とは、「三重県」です。さらに、「三重県」には、最大級の神社、神社のトップ「伊勢神宮」が鎮座しています!!では、契約の聖櫃「アーク」が隠された「神殿」とは、………!?★さらなる混迷へ★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「文書は女王の貴重な箱の中で発見される題名は無く、著者の著名も見当たらない策略が行われ、隠されるだろうそこからは、愛の存在は現われてこない」(『諸世紀』第8章23節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー上記の詩からわかることは、「貴重な箱」はもちろん、契約の聖櫃「アーク」「文書」は「十戒の石板」「十戒の石板」を記したのは誰かというと、『聖書』によれば、絶対神ヤハウェになります。通俗的な名はなく「ありてある者」という究極の存在なので、上の詩が、的確な言葉であることが分かります。ただし、「十戒の石板」はでてくるものの、何者かによって策略が行われ、隠されてしまうために、愛の存在は表に出てこないといいます。また、見過ごせない場所として、「女王の貴重な箱の中」が指摘されています。なぜ「女王の貴重な箱の中」なのか…。先の仮説、「神殿」=「伊勢神宮の内宮」としたら、まさに「伊勢神宮の内宮の主祭神は、「天照大神」だからです!「天照大神」は、女神であり、「女王」!!「三つの重なりの地」、「女王の貴重な箱の中」……。ノストラダムスの予言が正しいとすれば、契約の聖櫃「アーク」は、三重県の「伊勢神宮の内宮」に隠されている!?果たして、この符号はあっているのでしょうか…。それは、これからの歴史が、真実であるか否かを証明してくれるのでしょう。★最後に鳥羽に戻って、飛翔する★最後に、鳥羽についての考察をもう一度掲載してみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「鳥羽」=「トバ」=「トハ」=「十八」=「18」=「1+8」=「9」●「鳥羽」=「トバ」=「トハ」=「トワ」=「永久」「永遠」●「十八番」=「オハコ」=「お箱」=「御箱」=「櫃(ひつ)=はこの意」=「聖櫃」=「契約の聖櫃「アーク」」!?●「鳥羽」=「契約の聖櫃「アーク」」の象徴 「鳥羽」=「鳥の羽」=聖櫃の蓋「贖いの座」の「ケルビムの翼」の象徴●「鳥羽」=「十八」=契約の聖櫃「アーク」=「十」+「八」=「完全なるもの」『三種の神器「八咫鏡」(やたのかがみ)、「八坂瓊曲玉」(やさかにのまがたま)、「草薙の剣」(くさなぎのつるぎ)』ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーなぜ、鳥羽が、契約の聖櫃「アーク」を象徴しているのか?これは全くの、思いつきでしかないのですが、もし仮に、「アーク」が伊勢神宮の内宮に隠されていて、「飢えた徒党」によって略奪され、水の中に投げ入れられるということは、地図(伊勢・鳥羽周辺地図クリック)を見れば分かるように、伊勢神宮から海へ出ようとしたら、鳥羽市か、二見町あたりに出るルートが一番行きやすいと思われます。ですから、本当にこの予言に書かれているようなことが起こるのかは、わかりませんが、仮に伊勢神宮に隠されている「アーク」を奪おうと思ったら、敵はちょうど、鳥羽市あたりの海岸から上陸して、伊勢神宮へ侵入。そして、奪い、再び鳥羽市周辺の海岸から逃げるのではないでしょうか。と、なると、その時、敵は捕縛されて、「アーク」をやむなく、水の中、すなわち、鳥羽市の海岸から、海へ投げ入れる…。しかし、「アーク」は光と火を放って、また引き上げられる。「鳥羽」=「トバ」=「トハ」=「十八」=「オハコ(十八番)」=「御箱」=「契約の聖櫃「アーク」」であり、「鳥羽」の「鳥の羽」自体が、「アーク」の蓋についているケルビムの一対の羽を象徴していること。このことは、将来、いつのことか、この「鳥羽市」の海岸で、アークの威力が日本全体に示されるから、だから、「鳥羽」が「アーク」を象徴しているのかもしれない、とそう思いました。そして、水の中から「アーク」が、まるで、「鳥の羽」となって、飛翔する光景が見られるのかもしれません…。書きながら、われながら、ほんまかいな、と思いますが(^^;鳥羽については、これで、完結。長すぎです…。読んでくださった方、ありがとうございます。最後にポチッとしたら、疲れがとれ……ないと思います。(^^;
October 26, 2005
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「永久への飛翔」(「鳥羽」の地名考察)はこちら 『契約の聖櫃「アーク」』(「鳥羽」の地名考察)はこちら「ノストラダムスの預言」(「鳥羽」の地名考察)はこちら前回は、ノストラダムスの預言のなかで、イスラエルの至宝、契約の聖櫃「アーク」について書かれた部分を一箇所引用してみました。前々回に紹介しましたが、紀元前6世紀に、イスラエルの聖地エルサレムから、忽然と消えてしまった、契約の聖櫃「アーク」は、日本に来ている可能性が非常に高い、ということを紹介しました。こう書くと、唐突過ぎる気もしますが、古代イスラエル(ヘブライ)と、神道の関係などを見ていくと、納得できます。このあたりは、機会があれば、紹介していければ、と思います。いろいろな側面から見て、「アーク」が、日本に来ているのは間違いないと思われます。では、日本のどこにあったのか?というと、これは、数ヶ所の候補に絞られるとはいえ、決定的な証拠を見出すには、あとは、実際に「アーク」が出てくるのを、待つしかないのかもしれません。しかし、時が来れば、必ず出てくると思われます。なぜなら、日本にやってきたある集団が、日本の漢字や言葉、地名や、風習、あらゆるところに、それとなく仕掛けを施して、本当の日本という国の姿を、封印したと思われるからです。仕掛けを施した、ということは、いずれ解かれるということを想定しているはずです。そのひとつの重要な鍵を握るのが、契約の聖櫃「アーク」この「アーク」が、前回紹介した「ノストラダムスの予言」にも、書かれています。ノストラダムスについては、「聖書」とセットで見ていかないと、全体像が見えてこないようです。または、解釈を誤ってしまうと。前回の詩篇を、もう一度取り上げてみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「アークの光で、金、銀が溶解する両方の罪人たちは、互いに他方を殺しあうだろう巨大な都市は倒壊し艦隊は水の中に沈むだろう」『諸世紀』(第3章13番)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以下、全面的に、『失われた契約の聖櫃「アーク」の謎』(三神たける・飛鳥昭雄)よりみてみます。★契約の聖櫃「アーク」の略奪★次の予言詩も、契約の聖櫃「アーク」について書かれたと思われる部分だそうです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「宝は西にいた者たちにより運び出され、神殿に隠される場所の秘密も、同じように隠され飢えた徒党は、神殿を開くだろう略奪するが、再び取り返される、その中で恐ろしい祈祷が」(『諸世紀』第10章81番)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー三神氏と飛鳥氏の解釈によると、これは、「宝」とは、神器であり、契約の聖櫃「アーク」だといいます。なぜなら、ノストラダムスは、ユダヤ人(イスラエル人)だから、だと。イスラエルの至宝は、契約の聖櫃「アーク」と三種の神器にほかならないからです。そして、「西にいた者」とは、ずばり「秦氏」のことだと。なぜなら、秦氏は渡来人であり、朝鮮半島はおろか、ルーツはもっと西であり、中東付近だと思われるからです。ということは、「秦氏」は、「アーク」を運び出して、日本に持ち込んだ集団ということになり、それを「神殿」に隠した、ということになります。「神殿」とは、世界中にある「イスラエル神殿」だと、いいます。では日本でいうイスラエルの神殿とは、何なのか……。それは、ともかく、(日本の?)神殿に、「飢えた徒党」が侵入して「略奪する」が、神殿の者たちの「呪いの祈祷」によって、「再び取り返される」といいます。この予言には、日本という国名などは一切出てこないから、「日本」を指すのではない、という指摘もあると思います。この予言詩だけでは、確かに特定は一切できないのですが、もうひとつの予言詩とセットで見ると、ある場所が浮かび上がってきます。★火を放つ契約の聖櫃「アーク」、三つの重なりの地で…★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「包囲され、略奪され、貴重なる獲得物は、取り返されるそれは聖なる出来事の起きる日と変わり通過し、奪い返され、捕縛される、三つの重なりの地からさらに、水底からしるしが現れ、権威の存在が引き上げられる」(『諸世紀』(第7章73番)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここでは、何といっても、注目は、「三つの重なりの地」です。これは、もう、まぎれもなく、「三つの重なりの地」すなわち、「三重県」にほかなりません。「三重県」と「貴重なる獲得物」すなわち「契約の聖櫃「アーク」」との関わりは、この詩から見る限り、深そうです…。さらに、もうひとつの詩篇とも関連しているといいます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー黄金で飾られた偉大なる製造物略奪の憂き目にあうが、水の中に投げ入れられる凄まじい火を放つために発見され大理石に彫られた書き付けは、教訓を与える」(『諸世紀』第8章28番)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーふたつの詩篇では、「アーク」は、「貴重なる獲得物」「権威の存在」「黄金で飾られた偉大なる製造物」と表されています。契約の聖櫃「アーク」は、金箔で覆われた、いってみれば、「黄金櫃」ですので、「黄金で飾られた」というのは、まさに「アーク」を象徴していると思われます。先の詩篇では、「神殿」から、「アーク」が略奪されるが、また奪い返すとかかれています。今あげた、ふたつの詩篇から見えてくることは、「アーク」は、いったんは、奪い返すことができると。しかし、敵が捕縛されるまえに、「アーク」を水中に投げ入れてしまうといいます。が、この水に沈んだ「アーク」が、どうなるかというと、「水底から、しるしがあらわれ」と「凄まじい火を放つため」とあります。「アーク」自体が、火を放つというか、光に包まれる描写が、なかなかすごい。本当に現実に起こることなのだろうか、と正直、半信半疑のことが書かれています。ただ、このことは、聖書の「アーク」の描写と一致します。以下の部分は、聖書の契約の聖櫃「アーク」が火が出る場面です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「アロンの子のナダブとアビブはそれぞれ香炉をとって炭火を入れ、その上に香をたいて主の御前に捧げたが、それは、主の命じられたものではない、規定に反した炭火であった。すると主の御前から火が出て二人を焼き、彼らは主の御前で死んだ。」(レビ記第10章1~3節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーまさに「アーク」は「火」です。●契約の聖櫃「アーク」=「十八」=「十」+「八」=「ホ」=「火(ホ)」!さらに、先の『諸世紀第8章28番』の詩には、「大理石に彫られた書き付けは、教訓を与える」とあります。この書き付けとは、何なのか?ということですが、これも、「契約の聖櫃「アーク」についての、描写を見ればわかります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーこの贖いの座を箱の上に置いて蓋とし、その箱にわたしが与える掟の板を納める。 わたしは掟の箱の上の一対のケルビムの間、すなわち贖いの座の上からあなたに臨み、わたしがイスラエルの人々に命じることをことごとくあなたに語る。 「出エジプト記」(第25章21節~22節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「私が与える掟の板」とは、イスラエルの三種の神器のひとつ、「十戒の石板」にほかなりません。●「私が与える掟の板」=「大理石に彫られた書き付け」=「十戒の石版」そう、契約の聖櫃「アーク」から、「十戒の石板」が現れて、「教訓」を与えるといいます。それは、著者によると、日本人は、本当の自分たちのルーツを自覚する時だ!というのですが…。近い将来、そういう日はやってくるのでしょうか。が、同時に問題も…。「しかし、これがまた、日本人にとって、複雑な問題をもたらす。」のだといいます。もう次回で、ほんとに最後です。すみません。しつこい!いい加減に終わりなさい、と思ったら、怒りの一撃を、ポチッと(^^;
October 25, 2005
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きのう24日は、整体師Sさまの企画で、レイキ遠隔サークルに参加させていただきました。いつもながら、企画から連絡など、本当にありがとうございます。こういう機会をいただいて、感謝です。レイキサークルは、2回目になるので、今回はある程度、勝手が分かっていたので、前回に比べると、余裕をもってできました。11時からということで、10時40分頃から、発霊法をし始めました。今回は、11時45分くらいから、目と目の間、ちょうど鼻の上あたりがむずむずしだしました。何というか、圧迫されるような感覚が続きました。いつもは、発霊法のはじめの方で、ここまでむずむずすることはないので、他の人のエネルギーがきているのだろうかと思いながら、していました。11時少し前から、送る方の名前を読み上げて、やり始めました。しばらくすると、今度は、頭上から降りてくる、ぶわっ…としたエネルギーの流れを感じました。これも頭がぴりぴりと優しく圧迫される感じです。私は、頭から順に、自分の体に、手を当てていきました。もうその頃から、意識はぽわんとして、心地よさの波に飲み込まれた感じで半分意識が遠のいたり、はっ…としたりという感じでした。そういう状態で、気がついたら、11時27分でした。あともう少しと思い、しばらくやりました。あっとういう間の30分でした。とても気持ちよかったです。気持ちよすぎて、意識が朦朧とした時も、けっこうあったかな、と(^^;そして、終わって、「ああ、気持ちよかった」と、「ちょっとだけ横に…」と思い、ゴロンとなったのが、運の尽き…というか、意識が、尽きてしまいました。……何か、寒いなあと思い、はっと目を覚ますと、午前2時前でした。2時間ほど寝てしまったようです。絨毯の上で、もちろん布団なども被らずに、寝ていました。寒かったです(^^;その後起きてすぐに寝床にいって、再度すぐ寝ました。よーく寝れました。遠隔に参加したみなさま、整体師Sさま、ありがとうございます。次回もぜひ参加したいと思いますので、よろしくお願いします。レイキの輪をどんどん広げていきましょう。
October 24, 2005
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今日は、劇場で映画を見てきました。タイトルは、私の頭の中の消しゴムです。 予告編をみた時から、かなり期待していた映画ですが、その期待にたがわず、十二分に満足な出来でした。一言でいえば、ですね。うおぉぉぉぉ!! ソン・イェジーン!!!!って感じですね。あはは…すみません。(^^;何だこいつは!いきなり!みたいに思われるでしょうが、つい力が入っちゃうんですよ…。今回は、幸いにも、妻と一緒に行けたので、よかったです。ソン・イェジンとヨン様共演の『四月の雪』は、一人で見に行ったのですが、30過ぎの男が一人で、こそこそ見に来ているとなると、まさか「ヨン様」目当てのはずがないので、「ソン・イェジン」ファンであることが、バレバレで、あの時は妙に恥ずかしかったです。いや、別に、他の人はそんなこと気にしているわけないでしょうが…。この映画は、とにかくいい!!あんた、感想になってないじゃないか!!と。(^^;まあ、そうなのですが、純愛もので、ストーリーも予想はつく…それでも、こう感情に強く訴えかけくるものがあると、参りましたね。3~4回は泣き所があるので、これにも参りました。いい映画ないかな、ともし探している方がいらっしゃったら、ぜひ、観にいってください。ほんとに感想になっていませんが、また機会があれば、書きたいと思います。では、本題へ!★「鳥羽」についての数理・言霊★「永久への飛翔」(「鳥羽」の地名考察)はこちら 『契約の聖櫃「アーク」』(「鳥羽」の地名考察)はこちら鳥羽の言葉から連想したもの(前回まで)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「鳥羽」=「トバ」=「トハ」=「十八」=「18」=「1+8」=「9」●「鳥羽」=「トバ」=「トハ」=「トワ」=「永久」「永遠」●「十八番」=「オハコ」=「お箱」=「御箱」=「櫃(ひつ)=はこの意」=「聖櫃」=「契約の聖櫃「アーク」」!?●「鳥羽」=「契約の聖櫃「アーク」」の象徴 「鳥羽」=「鳥の羽」=聖櫃の蓋「贖いの座」の「ケルビムの翼」の象徴●「鳥羽」=「十八」=契約の聖櫃「アーク」=「十」+「八」=「完全なるもの」『三種の神器「八咫鏡」(やたのかがみ)、「八坂瓊曲玉」(やさかにのまがたま)、「草薙の剣」(くさなぎのつるぎ)』ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー★契約の聖櫃「アーク」とノストラダムス★ノストラダムス……1999年が過ぎてから、もう完全に消えてしまったかに思われる名前ですが、実際のところはどうなのか。詐欺師、ペテン師、エセ予言者、などなど、彼については、おそらく、予言を外し、人類を恐怖のどん底に落とした張本人、みたいなイメージもあるかもしれません。しかし…本当にそうなのか…。何においてもそうなのですが、あるひとつの事柄が違っていると、他のことすべてを全否定してしまう風潮が、マスメディアなどでは、特にみられます。話は逸れますが、ネス湖のネッシーという謎の動物がいました。このネッシーも、あるネッシーの写真を撮った人物が、死の間際に「あれはトリックだった」と告白してから、世界的にマスメディアで報道されました。そして、やはりネッシーなどはいなかった、と、それこそ鬼の首を取ったように報道されていました。日本でも大々的に報道されていたので、記憶にある方多いのではないでしょうか。こういう風潮は、ある意味こわいものがあります。はたして、ネッシーは、幻だったのか…。過去の多くの写真の中には、トリックではないとされた写真もあったというのに…。また、過去の目撃談などから、どう見ても、嘘であるとは思えない報告もあります。そういう事実を無視して、トリックの写真の証拠が出てきたら、即すべてがうそであったという論調は、やっぱり危険だと思います。個人的には、ネッシーは実際に、いると思いますし、その報道のあとも、目撃談があるというから、いなかったと断言は出来ません。と、いうか世の中には、ネッシーに限らず、まだ発見されていない動物や、未知の動物も多いと思います。日本でも、屈斜路湖のクッシーなどが、有名です。ついでに、もうひとつ例をあげれば、UFOについても、同じ傾向があります。ほとんどがトリックや見間違いだとしても、やっぱり残りの数%は、否定しきれない写真もあるのは事実です。しかし、同時にかなり情報操作がされているのも確かなようですので、情報をよほど吟味していかないと、ありえないことを信じ込まされることにもなりかねません。UFOが実際に存在するというのは、事実だと思います。ただ宇宙人に関しては、判断が難しいところです。本当に地球外から来ているのかどうか…。私たちが知らない(と思っている?)人たちがいるのは事実だと思いますが…。ともかく、宇宙人といっても、肉体を持つ存在と、肉体を持たない存在に、大別されて、その他、いろいろなことが言われています。これについては、肉体を持たない霊的な存在含めて、なんでもありの世界になりつつあり、功罪あると思われるので、注意が必要なのかもしれません。えっと…。何の話でしたか…。そうそう、ノストラダムスでした。(^^;要は、何が言いたかったかというと、ノストラダムスもあの1999年の詩篇だけが、異常に多く取り上げられて、それこそ百花繚乱の解読がされてました。結局、一見何事もなく1999年が過ぎていくと、「それみたことか、やっぱり、うそだっただろう」で、もうノストラダムスは、インチキ詐欺師扱いです。見向きもされない。しかし、ノストラダムスは、あの詩篇以外に、それこそ、膨大な詩篇を残しています。あの詩篇については、解釈した人が、間違っていたということであって、ノストラダムスが間違ったことを書いたわけではなかったらしい、ということです。むしろ、ノストラダムスの預言詩は、やはり本物である可能性があると。否定される方も多いと思いますが。ノストラダムスの詩篇は「予言」ではなく、「預言」である、ということ。「預言」とは、神の言葉を預かること、です。以下引用してみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「ノストラダムスは、単なる予言者ではない。絶対神ヤハウェの言葉を授かる預言者でもあった。それゆえ彼の予言詩の内容は、完全に『聖書』の預言と一致している。『聖書』を知らずして預言を解くことはできない。」(『失われた契約の聖櫃「アーク」の謎』(三神たける・飛鳥昭雄))ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーどうも、ノストラダムスの詩篇は、「聖書」を読み込んだものでないと、解けないようになっているようです。日本のノストラダムスの研究者も多数いましたが、「聖書」とあわせて見ていた人は、果たしていたのかどうか…。おそらくなかったと思います。独自の解釈に陥ってしまっていたのではないかと。で、あれば、ノストラダムスが残した預言とは、違う解釈がされてしまっていたということは十分考えられます。ある意味、詩篇であり象徴なども盛り込まれているために、どうとでも解釈できるようになっている。もう一度、ノストラダムスの詩篇は、見直す必要があるのかもしれません。そして、驚くべきことに、契約の聖櫃「アーク」についての預言もみられるといいます。ずばり、フランス語で「アーク」と記されている箇所があるそうです。以下その詩篇を,書き出してみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「アークの光で、金、銀が溶解する両方の罪人たちは、互いに他方を殺しあうだろう巨大な都市は倒壊し艦隊は水の中に沈むだろう」『諸世紀』(第3章13番)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー内容から、かなりすごいことが書かれていますが、アークというのは、ある意味信じられないようなパワーを持っているようです。常識的に考えたら、SFの世界のような内容です。契約の聖櫃「アーク」の「光」あるいは、溶解する、とあることから、「火」や「炎」とも関わってくるように思います。契約の聖櫃「アーク」が、「十八番」=「オハコ」=「御箱」から、「アーク」=「十八」となります。さらに、「アーク」=「十八」=「ホ(十+八)」=「火(ホ)」=「日・陽」=「太陽」=「光」!?★「鳥羽」と「アーク」★では、なぜ、「鳥羽」=「トバ」=「トハ」=「十八」=「十八番」=「オハコ」=契約の聖櫃「アーク」で、「鳥羽」=「アーク」なのか?となりの伊勢市に鎮座する「伊勢神宮」に、「アーク」が隠されているから?(仮にですが…)それでけでは、弱いように思います。これは、独断と偏見と、思いつきでしかないのですが、「鳥羽」=「アーク」なのは、近い将来、「鳥羽」という地、あるいはその周辺で、契約の聖櫃「アーク」をめぐっての舞台になるからではないのか?などと思いました。これは、ノストラダムスについての預言を見て、思ったことなのですが。次回、「エピローグ」で、ノストラダムスの預言詩に、記されている「アーク」について、もう少しみていきたいと思います。え?まだ続くの?と思ったら、早く終わってよ!ポチッと(^^;
October 23, 2005
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「永久への飛翔」(「鳥羽」の地名考察)はこちら前回は、「鳥羽」の地名について、歴史とかは、全く無視して(^^;、数理と言霊から、見てみました。本当は、別のことを書くつもりが、予想外のほうへいってしまいました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「鳥羽」=「トバ」=「トハ」=「十八」=「18」=「1+8」=「9」●「鳥羽」=「トバ」=「トハ」=「トワ」=「永久」「永遠」●「十八番」=「オハコ」=「お箱」=「御箱」=「櫃(ひつ)=はこの意」=「聖櫃」=「契約の聖櫃「アーク」」!?●「鳥羽」=「契約の聖櫃「アーク」」の象徴 「鳥羽」=「鳥の羽」=聖櫃の蓋「贖いの座」の「ケルビムの翼」の象徴●「鳥羽」=「十八」=契約の聖櫃「アーク」=「十」+「八」=「完全なるもの」『三種の神器「八咫鏡」(やたのかがみ)、「八坂瓊曲玉」(やさかにのまがたま)、「草薙の剣」(くさなぎのつるぎ)』ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーきのうあれから、ちょっと思いついたことを、いくつか補足的に書き出してみます。と、いってもお遊び的な発想です。思いついて、自分でも、あはは、そんなアホな…と笑ってしまうようなものがあります(^^;。まあ、本気にしないでください…。●「鳥羽」=「十八」(契約の聖櫃「アーク」)=「十」+「八」から、連想したこと。「十」と「八」を組み合わせると、漢字あるいは、カタカナになります。●(1)「十」+「八」=「ホ」?●(2)「十」+「八」=「木」?★「十八」=「ホ」★(1)「十八(契約の聖櫃「アーク」)」=「ホ」=「火(ホ)」=「帆」=「穂」○契約の聖櫃「アーク」と「火(ホ)」契約の聖櫃「アーク」は聖書を見ると、かなり、激しい性質をもっています。神に逆らうものに対しては、容赦ないものがあります。『失われた聖櫃「アーク」の謎』(三神たける・飛鳥昭雄)を参考に、みていきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「主はべト・シュメシュの人々を打たれた。主の箱の中をのぞいたからである。主は5万のうち70人の民を打たれた」(サムエル記・上・第5章19節)「アロンの子のナダブとアビブはそれぞれ香炉をとって炭火を入れ、その上に香をたいて主の御前に捧げたが、それは、主の命じられたものではない、規定に反した炭火であった。すると主の御前から火が出て二人を焼き、彼らは主の御前で死んだ。」(レビ記第10章1~3節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー絶対神ヤハウェが、契約の聖櫃「アーク」の、贖いの座、ケルビムの翼の上方から現れる時、必ずといっていいほど、雷とともに現れています。上記のレビ記は、第10章など、まさに契約の聖櫃から、「火」が出ています!雷というのか、火というのか、おもしろいことに、そういうものと、符合します。また、「火(ホ)」=「ヒ」=「日」=「陽」にも通じて、太陽・光にも繋がっていきそうです。○契約の聖櫃と「帆」これは、かなり、強引かもしれませんが、「帆」といえば「船」を連想します。契約の聖櫃は「アーク(Ark)」といいますが、「船」、その中でも、とりわけ「聖書」で船といえば、「ノアの箱舟」です。その「ノアの箱舟」を英語で書くと、ずばり、「Noha"s ArK」となるそうです!「契約の聖櫃」=「Ark(アーク)」=「ノアの箱舟」!!つまり、契約の聖櫃「アーク」は、「ノアの箱舟」が原型となっているというのです。○契約の聖櫃と「穂」「穂」=「穀物のくきの先の実のなる部分」とあります。この実のなる部分に、「米」ができることを思えば、意味深です。「稲穂」とも言いますが、これは、天照大神に食事を与える役割を担っている外宮の「豊受大神」を象徴している気もします。同時に、「天照大神」は、天孫降臨した「ニニギの尊」へ「稲穂」を与えたといいます。ですから、契約の聖櫃「アーク」と、「天照大神」「豊受大神」が関わってきますし、もっと言ってしまえば、「伊勢神宮」との関わりも、興味深いところです。さらに、「稲穂」の「稲」が、「稲妻」「稲光」など、「雷」との関係もあるので、雷とともに現れる、絶対神ヤハウェともシンクロしてきます。★「十八」=「木」★(2)次に、「十八(契約の聖櫃「アーク」)」=「木」について。契約の聖櫃は、神から作り方が細かく指示されています。素材は「アカシア材」で、と。すなわち「木」です!○「十八」=「契約の聖櫃アーク」=「アカシア材」=「木」!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーアカシヤ材で箱を作りなさい。寸法は縦二・五アンマ、横一・五アンマ、高さ一・五アンマ。 純金で内側も外側も覆い、周囲に金の飾り縁を作る。 四つの金環を鋳造し、それを箱の四隅の脚に、すなわち箱の両側に二つずつ付ける。 (出エジプト記 第25章10節~)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーさらに、「木」といえば、ひっくり返すと、三本の矛が突き出たような状態になりますが、「木」は、そのものずばり、「生命の樹」(三本の柱)の象徴でもあります。それこそが、「オハコ」(十八番=完全なるもの)なのでしょう。「十八」=「十八番」=「オハコ」=「契約の聖櫃「アーク」=「アカシア材=木」=「生命の樹」=「必要なものすべて(完全)」=「十八」=「トハ」=「トワ」=「永久・永遠」へ!★鳥羽と契約の聖櫃「アーク」の関係、そして「アーク」はどこに?★「鳥羽」から、数理や言霊をみていくと、なぜか、契約の聖櫃「アーク」についての連想がたくさんでてきました。これは、正直、「想定の範囲外」だったのですが、では、単純に考えれば、「鳥羽」=契約の聖櫃「アーク」となり、鳥羽には、失われた契約の聖櫃「アーク」があるということ!?と考えたくもなりますが、鳥羽に契約の聖櫃「アーク」があるとは、正直思えません。では、「鳥羽」=契約の聖櫃「アーク」は、たまたま偶然が重なっただけ、としてしまえば、それで終わりなのですが、そうとも、思えません。鳥羽のすぐ西隣には、「伊勢市」があります。そしてそこには、伊勢神宮が!!これは、偶然とは思えません。さらに、お遊び的に考えれば、鳥羽市の「西」、「西」とは、十二支で言えば、「酉(とり)」の方向です。「西」=「酉」=「鶏」=「鳥」鳥羽市からみて、「西」=「鳥」の方向に、伊勢神宮があり、そして、そこに、契約の聖櫃「アーク」(=鳥羽=十八=十八番=おはこ)が、収められているとしたら??イスラエルの三種の神器とともに、行方不明になっている契約の聖櫃「アーク」…。いまだに行方が分かっていないという…。今もイスラエル政府は、契約の聖櫃「アーク」を必死に探しているといいます。そして、日本に目をつけているとも言われています。ひとつ確実にいえることは、いろいろな人が言っていますが、日本に契約の聖櫃「アーク」が来ていることは、間違いないだろう!!ということです。何をバカなことを、と思われるかもしれませんが、日本とイスラエルの関係、古代ヘブライと日本の風習との類似性、古事記と聖書の類似性、漢字と聖書の類似性など、いろいろみていくと、「契約の聖櫃「アーク」が、日本のどこかに隠されていることは間違いないと思われます。あとは、日本のどこにあるか?だけだと思います。いろいろな説をみていくと、ふたつに集約されるのではないかと思います。ひとつは、今の「伊勢神宮」。そして、もうひとつは、「四国の剣山」。どちらに契約の聖櫃「アーク」は隠されているのか…。どちらにあってもおかしくはない、と思いますが、決定的な証拠は、やはり実際の「アーク」が出てくる時を待つしかないのかもしれません。いずれ、時が来れば、表に出てくるはずです。「鳥羽」の関係を、次回少しだけ妄想を交えながら展開してみたいと思います。契約の聖櫃「アーク」については、「ノストラダムスの詩篇」にも実は記されているようです。ますます、怪しいし、信じられないかもしれませんが…。(^^;「契約の聖櫃」はどこにある? ポチッとしたら、答えが分かる…わけないって。(^^;
October 22, 2005
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先日、三重県の鳥羽市国崎町と、伊勢神宮・内宮へ行ってきたことを書きました。また、けんたまさまの「三重から思うこと」の日記に触発された、というのもあるのですが、「三重」と「鳥羽」という地名が、気になりました。「鳥羽市」とは、伊勢神宮のある伊勢市とは、隣の市であり、伊勢市の東側になります。東側ですから、伊勢神宮からしたら、太陽が昇る方向です。「鳥羽」には「鳥」の漢字が使われていますが、少し前に「鳥」=「酉」=「秋」といったことをみていたせいもあり、ふと興味が湧きました。★「鳥羽」を数理と言葉に置き換えると★鳥羽という地名、数理に置き換えられるのでは、と思いました。そして、言葉にも。まず、先に、思いついた、数理と言葉を書き出してしまいます。「鳥羽」=「トバ」=「トハ」で、「ト」=「十」で、「ハ」=「八」となりますので、●「鳥羽」=「トバ」=「トハ」=「十八」=「18」=「1+8」=「9」さらに、「トバ」=「トハ」=「トワ」となります。「トワ」と言えば…。そうです。「永久」であり、「永遠」です。●「鳥羽」=「トバ」=「トハ」=「トワ」=「永久」「永遠」★歌舞伎の十八番(おはこ)★「18」と「9」の数理については、けんたまさまの数理解読を引用させていただきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「18」=「十八番(オハコ)」=180°+180°=360°=円=○=0=球=「9」=オールマイティー・全能ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「18」は、「十八番」「オハコ」といい、なかなか興味深いものがあります。語源由来から、引用してみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「十八番」=「最も得意な芸や技。じゅうはちばん。オハコ。」十八番は、江戸中期の歌舞伎から出た言葉で、本来の読みは「じゅうはちばん」。七代目市川団十郎が、市川家代々の芸である十八種類を選定した『歌舞伎十八番(歌舞妓狂言組十八番)』を天保3年(1832年)の3月に発表したことで、「十八番」という言葉は世に定着した。十八番を「おはこ」と言うようになったのは、『歌舞伎十八番』の台本を箱に入れて大切に保管していたことからとする説と、箱の中身を真作と認定する鑑定家の署名を「箱書き」と言い、認定された芸の意味から「おはこ」になったとする説がある。(中略)十八番の「十八」という数字は、「十八界」という仏教で存在の領域を一八に分類した言葉があり、「十八」という数字の「必要なもの全て」といった意味からとする説もあるが、正確な由来は不明。(http://gogen-allguide.com/o/ohako.html)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーなぜ、十八番を「おはこ」と言うのか…。これも考えてみれば不思議です。『「十八」という数字の「必要なもの全て」といった意味からとする説もあるが』の部分も、おもしろいと思います。「必要なもの全て」=「完全・オールマイティ」で、けんたまさまの解読にも繋がっていきます。歌舞伎の面からの説明もあるのでしょうが、もっと深いルーツがあるような気もします…。歌舞伎の発祥は、1603年、出雲の阿国が、北野天満宮境内の小屋掛けで「かぶき踊り」を披露したのが、その始まりとする説があります。つまり、出雲の阿国(いずものおくに)という人物が発祥であると。阿国は出雲大社の「巫女」であったとも「河原者」でもあったといいますが、定かなことは明らかでないそうです。また、1603年といえば、徳川家康が江戸幕府を開いた年でもあります。徳川家康の出自にも、実は謎があり、一説では「秦氏あるいは賀茂氏」とする説もあります。なぜなら、徳川家の有名な家紋の「三葉葵紋」は、葵祭りの「葵」とも、シンクロしますし、葵祭りの主催する神社は、「賀茂神社(下鴨神社・上賀茂神社)」だからです。「賀茂神社」は、賀茂氏や秦氏が関わっています。さらに、秦氏は芸能、芸術面でも、多大なる貢献をしています。と、いうことは、歌舞伎の発祥に、秦氏も関わっている可能性があります。このあたりは、しっかり見たわけではないので、いい加減なこともしれませんが。★「オハコ」の正体は?★十八番、お箱、必要なもの全て、完全、永久(とわ)…ここから、どうしても連想してしまうものがあります。全くの妄想かもしれませんが、「十八番」=「オハコ」=「お箱」=「御箱」=「櫃(ひつ)=はこの意」=「聖櫃」??そして、「聖櫃」とくれば、これはもう、『契約の聖櫃「アーク」』しかない、となります。契約の聖櫃「アーク」とは、イスラエルの三種の神器が納められた箱であり、ある時点で行方不明になり、いまだ発見されていない、聖櫃です。不思議なことに、日本にも、三種の神器があります。はたして、行方不明になった、契約の聖櫃「アーク」はどこへ行ったのか…。信じられないかもしれませんが、この日本に来ているという説があります!!●「十八番」=「必要なものすべて」=「オハコ」=「お箱」=「三種の神器が納められた契約の聖櫃「アーク」」=「鳥羽」=「トバ」=「トワ」=「永久・永遠」「鳥羽」や「十八番」から、「必要なものすべて」=「三種の神器」が納められた箱、すなわち、「契約の聖櫃」が導かれる??と、ここにきて、「鳥羽」そして、「契約の聖櫃「アーク」から、もうひとつの符号に気がつきました!これは、聖書に記されています。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーアカシヤ材で箱を作りなさい。寸法は縦二・五アンマ、横一・五アンマ、高さ一・五アンマ。 純金で内側も外側も覆い、周囲に金の飾り縁を作る。 四つの金環を鋳造し、それを箱の四隅の脚に、すなわち箱の両側に二つずつ付ける。 箱を担ぐために、アカシヤ材で棒を作り、それを金で覆い、箱の両側に付けた環に通す。 棒はその環に通したまま抜かずに置く。 この箱に、わたしが与える掟の板を納めなさい。 次に、贖いの座を純金で作りなさい。寸法は縦二・五アンマ、横一・五アンマとする。 打ち出し作りで一対のケルビムを作り、贖いの座の両端、すなわち、一つを一方の端に、もう一つを他の端に付けなさい。一対のケルビムを贖いの座の一部としてその両端に作る。 一対のケルビムは顔を贖いの座に向けて向かい合い、翼を広げてそれを覆う。 この贖いの座を箱の上に置いて蓋とし、その箱にわたしが与える掟の板を納める。 わたしは掟の箱の上の一対のケルビムの間、すなわち贖いの座の上からあなたに臨み、わたしがイスラエルの人々に命じることをことごとくあなたに語る。 (出エジプト記 第25章10節~22節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー契約の聖櫃の、蓋の部分に「贖いの座」を作り、その両端に、ケルビムという「翼」をもった存在を作るように言っています。ここで、「翼」と、「鳥の羽」が符号します。すなわち「翼」と地名の「鳥羽」がシンクロしてきます!十八番、鳥羽、契約の聖櫃、「アーク」の贖いの座の翼を持ったケルビム、翼、鳥の羽…。最後にまとめてみますと…。鳥羽から、「十八」の数理が導かれ、「十八」とは、十八番(おはこ)に繋がります。そして、「オハコ」が、「お箱」になり、「箱」から『契約の聖櫃「アーク」』へ。さらに、契約の聖櫃の蓋は、「贖いの座」で、絶対神ヤハウェの降臨する場所になり、そこには、一対のケルビムという「翼」をもった存在が、向き合って翼を上方へ覆うように広げています。「翼」と、「鳥羽」すなわち「鳥の羽」がシンクロしてきます。翼は、各一つのケルビムにふたつついていると思われます。つまり「羽」という漢字自体が、一対の羽=翼を象徴しています。「鳥羽」が、契約の聖櫃「アーク」を象徴し、「鳥羽」という地名自体が、「アーク」の「贖いの座」のケルビムの翼を象徴している…。そして、十八番、オハコの、「十八」を「十」+「八」に分けると、「十」は完全なるもの、「八」は、契約の聖櫃「アーク」に収められた、三種の神器をも象徴しているのかもしれないと、思いました。なぜなら、三種の神器とは、「八咫鏡」(やたのかがみ)、「八坂瓊曲玉」(やさかにのまがたま)、「草薙の剣」(くさなぎのつるぎ)ですが、「八」とのかかわりが深いことが分かるからです。「十八番」で契約の聖櫃「アーク」を象徴すると同時に、本来は中に収められているべき三種の神器を、「十(完全なるもの)」と「八」(八咫鏡など三種の神器)で象徴しているのでしょうか。いずれにしても、シンクロの連鎖で、繋がっていきます…。正直、「オハコ」から「契約の聖櫃」に飛んでしまうとは、自分でもびっくりです。妄想というか、お遊び的発想もいいところかもしれませんが・・・(^^;。「オハコ」っておもしろい、と思ったらポチッと!
October 21, 2005
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http://sozai-free.com/read.html通りすぎる 一陣の 風の舞地に敷き詰められた落ち葉が ふわり…と いっせいに 舞い上がった生命を吹き込まれた あなたたちはこれからどこへ 旅立っていくの?悠然と根を下ろす 木々の静けさ微かにざわめく 葉と葉の共鳴金色に輝いては 消えていく 光の魔法空にたなびく 千切れそうな 雲の向こう側昨日の記憶は 落ち葉となって 降り積もり 思い出の土に還る今日の景色は 夕暮れに 染まって 遠くなる明日の旅路は 月明かりに 照らされて 淡い輪郭を 映し出す見えない心の傷跡が明日にさらされて くっきりと 浮かび上がっても時の移ろいが 傷跡を 風化させ移ろう風が 何もなかったように 吹き払ってくれるあまりにも優しすぎて あまりにも平凡すぎて なぜか 涙あふれるそこはかとなく流れる さまざまな囁きに 耳を傾ける余裕が 持てたらいいさわさわ…さわさわ…不安なさざ波が 押し寄せる時は想いを 外側に ひとつひとつ 取り出してみようはらはら舞う落ち葉に ため息を 吹きかけて道端に咲く 花びらに 涙のしずくを 散らしてみれば淡い輝きが この世界を 光の膜で 柔らかく 包み込んでくれるこの微かな 消えてしまいそうな 灯りがたとえ一秒でも長く 胸の内に 留まっていますようにと目の前の 移りゆく景色に向かって 祈りを捧げる森の精霊となって 風に乗って 空を羽ばたいていよう拙くても 不器用でもいいそこはかとなく 漂う灯りを 感じ続けていたい穏やかに通りすぎる 風の舞その中に溶け込んで さまざまな自然の営みに 触れていく
October 20, 2005
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「海と山に包まれた鳥羽市国崎町」三重旅行記 はこちら昨日は、このの日記を書いていて、ある程度書けたかな、と思ったら、ちょっとした油断で、全部消えてしまいました。(T_T)その時点で、午前一時、愕然として、もう書き直す気力もなかったので、急遽、時期はずれの散文詩『つゆくさ』を引っ張り出してきて、書き写したというわけです。しかし、これが、けっこうな分量…。やめとけばよかったと思うも、いまさらやめるわけにもいかず、もうしょうがないので、意地で打ち込みました(^^;昨日の内容は、覚えてないので、新たな気持ちで、伊勢神宮のこと、簡潔に、書いてみます。では、本題へ!★伊勢神宮・内宮へ★三重県の鳥羽市国崎町で一泊し、二日目の10月17日は、朝の8時半頃、出発し、40分はかかったでしょうか、伊勢神宮の内宮前に到着しました。その時点で雨はけっこう降っていました。しかし、あろうことか、私ともう一人、京都の店の方の二人とも傘を持っていない!!★いざ、広大な神域へ★もう、さっと行きましょうということで、内宮前の入り口、宇治橋へ向かいました。五十鈴川にかかる、宇治橋をわたり終えると、いよいよ神域へ!今回は、時間の関係もあり、ひたすら本殿を一直線に目指して、舞い戻ってくる、という感じでした(^^;伊勢神宮・内宮マップはこちら神苑の広い空間が迎えてくれますが、雨は、いつのまにか霧雨になり、そんなに気にならなくなりました。これなら、傘なしでも何とか行けそうです。広々とした空間が広がっていて、来るたびに、神域の広さ、この場の心地よさ、気持ちよさ、清浄な空気などを、感じます。火除橋を越えると、右手に手水舎が見えてきます。口と手をすすいだ後、第一鳥居をくぐり抜けていくと、右手に五十鈴川が見えてきます。御手洗場もあります。が、そちらへは行かずに、ひたすら本殿へ!道なりに左へ行き、しばらく歩くと第二鳥居が見えてきます。ここを越えて、内宮神楽殿の前へ。このあたりから、一段と木々は鬱蒼としてきます。雨は、霧雨で、優しく、ほんのかすかに、頭上から舞い落ちてきますが、気持ちいい感じ。木々を見上げると、間に霧がかかってました。雨で緑も、より深い色に染まっているような感じです。これがまた、幻想的な雰囲気。霧雨の伊勢神宮もまた、風情があって、なかなかだと感じました。また、参道を歩いている時、木々が傘の役割をもしてくれました。さらに、しばらく歩くと、内宮の正殿前の階段にようやく到着。広い階段を上がり門をくぐれば、拝殿があります。ここで拝みました。今日という日、偶然にも参らせてもらえて、感謝。また、伊勢神宮のますますのご発展を祈念。個人的な願いとかは、いつの頃からかしなくなりました。別にそれでいいのだと思っています。これ以上は入れませんが、向こう側は、けっこう広い空間があります。脇から、奥を見ると、4重に囲まれた御垣の向こう側、一番奥にあるご正殿に、天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)が鎮まっているのでしょう。奥には、実際に「正殿」だけでなく、その後ろに「東宝殿」と「西宝殿」があり、この3つの殿を結ぶと三角形になります。ちなみに、外宮も同様に、「正殿」「西宝殿」「東宝殿」がありますが、並びは、「西宝殿」「東宝殿」が前に来て、「正殿」が後ろです。伊勢神宮・外宮マップ ーーーーーーーーーーーーーーーーー ○ ○ ○○ ○ ○ 「外宮」 「内宮」ーーーーーーーーーーーーーーーーー▲図にすると、こんな感じです。これは、三角形と逆三角形で、このふたつを組み合わせると、浮かび上がってくるのは……、「六芒星」!!●3殿+3殿=6=「六芒星」?●内宮と外宮を結ぶ、参道脇に立つ石灯籠にも「六芒星」が刻まれています。●内宮(陰)と外宮(陽)が、陰陽の関係になっていて、▼(内宮・陰)+▲(外宮・陽)=「六芒星」いろいろと、出てきそうです。また、正殿の地中に埋められている「心の御柱」など、はっきり言って、謎が多いところでもあります。これだけ広大な土地を神域にして守らなければならなかったもの…、それがこの正殿のところにある…のかもしれません。それが何なのかは、ごくごく一部の神職関係者しか見れないので、分かりませんが、ひとついえることは、日本の歴史や常識を根底から覆してしまうような代物である可能性があります。天照大神とはいったいいかなる存在なのか?外宮の豊受大神とはいかなる存在なのか?外宮や伊雑宮(いざわのみや)との関連は?三種の神器とは何なのか?式年遷宮はなぜ20年に1度行われるのか?「心の御柱」とは何か?などなど……。見ていくとキリがありませんが…。日本でも最大級の神社であり、紛れもなく神社のトップである伊勢神宮、想像以上の謎が秘められているようです…。★ちょっとしたシンクロ★後で、気がついたことなのですが、参拝した日は、たまたま「神嘗祭(かんなめさい)」の期間中でした。10月15日から25日まで、神嘗祭が、行われます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーその年の新穀の初穂を、まず神々にささげるという意味がある神嘗祭(かんなめさい)。一年間に神宮で行われるお祭りの中で、最も重いお祭りです。神嘗祭は実りの秋、10月15日からですが、まずこれに先立って、奉仕者の一人ひとりが神の御心にかなうかどうか占いをうける御卜の儀(みうらのぎ)が行われます。その後でいよいよ、神田で作られた新米の御飯、御餅をはじめ、さまざまな神饌(しんせん)を供える由貴大御饌(ゆきのおおみけ)が、奉仕されます。神宮で一年間に行われるすべてのお祭りは、この神嘗祭でクライマックスを迎えるのです。「神宮の正月は神嘗祭」と言われ、今でも神嘗祭にあたり祭器具などできる限りを新調します。 http://www.infocreate.co.jp/hometown/ise/jingu/jgjuly.htmlーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーまた、ちょうどその日、10月17日は、「満月」でした。しかも、部分月食が起こったということで、珍しい満月でもありました。夜は、満月の光芒が、薄雲を透して輝いていて、とても風情がありました。偶然にも、神嘗祭と満月の日に、参拝できた伊勢神宮・内宮。今回の三重行きは、内宮へ行けたことだけでも、十二分に満足のいく旅でした。伊勢神宮行きたいと思ったら、ポチッとしたら行けるかも…(^^;)
October 19, 2005
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「つゆくさ」http://www.yunphoto.netあなたに出会えた 朝露の わずかな瞬間濡れそぼった 緑の葉陰から 点々と 顔を見せる 深い青それは まるで 君の瞳から あふれる涙のようにいつまでも乾くことなく 潤んでいる小さな花びらに 閉じ込めた 幾万の想いはこの何気ない 朝の瞬間ににじみでる露とともに いっせいに 花開いた紺色の絞り汁は 美しく 染まってゆくけれど水に流せば あっという間に 流れ落ちてゆく日が高く上った頃には 朝開いたあなたも はや 休息の時へこのわずかな瞬間に 出会えた 偶然という名の必然人と人との出会いは この人生の長さから見たら 露草のよう明日になれば もう君は いないかもしれないしまたどこかで 偶然 出会えるかもしれないこの花を開かせてくれた かけがえのない 大地の上に僕たちは 確かに 今こうしてしっかりと 足を踏みしめている葉の上を 滑り落ちていった 朝露君の面影を ふいに 脳裏に思い浮かべるたとえ君が 目の前から 消えてしまったとしても忘れない…忘れるはずがないから…君の控えめな笑顔も 深い優しさも 降り落ちた涙も何もかもが この広大な地球の 贈り物この未熟な魂を 頬を優しく撫でるように 育んでくれる君がいるからこそ僕はより 艶やかに潤う景色とともに ここに いることができるつゆくさのような君はひとところに とどまることなく 移ろいゆくもの僕は 露となり 君が花開く その瞬間だけでも君のことを 精一杯 見守っていたい…たとえほんのひと時でも…かまわない…ふと 湧いてきた 言葉のように滑らかに よどみなく 流れ落ちる露となり君に ほんのひと時 巡り逢い未来の隙間に 流れ落ちてゆく明日か またその次の日か 次の年かそのまた次の年か もっと先の時か…いつの日か…再び 君と出会う 朝露の時に光とともに あなたの青に…君の素顔に 寄り添いたい
October 18, 2005
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前回の日記に書いたように、三重県の鳥羽へ行ってきました。2回に分けて、書いてみます。特筆すべきことはない…のですが。(^^;まあ、日記代わりに、記録しておきます。三重県鳥羽市へ一泊二日の旅行…あ、いやいや、そうではなく、会議です。会議ね…。(^^;遊びではないのですよ。はい…。一号線をひたすら進んで、土山を越えて、くねくねした山道を越えれば、三重県の関町にきます。ここから、伊勢自動車道へ乗れば、後は一路伊勢へ。伊勢までは、一時間半~2時間弱でつきました。滋賀県から、伊勢は、意外に近いのです。一昨年だったか、小林正観さんの講演会が、伊勢神宮の内宮のすぐ近くであったときに、家族で伊勢に行きました。そして一年前は、二見シーパラダイスに、これも家族で、行きました。そのついでに(というか、私にとっては、それが、一番の目的なのですが…)、伊勢神宮の外宮内宮、そして、伊雑宮(いざわのみや)の三宮を、2回とも参拝しました。前回書いたように、伊勢神宮は、おそらくかつて、「三宮」であったと思われます。そういう意味で、伊勢に行ったときは、第三の伊勢神宮候補である「伊雑宮」への参拝も、するようにしています。内宮、外宮の規模に比べると、本当にこじんまりとして、ひっそりとしていますし、訪れる人もまばらです。時が来れば、表に出てくることもあるのでしょうか…。ちなみに、伊勢神宮の外宮内宮と対を成すのが、京都にある、賀茂神社です。いわゆる、通称「上賀茂神社」と「下鴨神社」の二社です。このあたりのことも、見ていくと興味深いものがあります。話を戻します。伊勢自動車道から、引き続いて、鳥羽への有料道路がありそこをしばらく行きました。やがて、海岸沿いのカーブの多い道を進んでいき、次第に道も上り坂になっていきます。そして、いつの間にか、山の上の方まで上ってきていました。車の中からでしたが、伊勢湾が一望できるところは、すばらしい光景でした。鳥羽市の「国崎町」が、今回の会議の場でもあり、泊まる場所でもある旅館です。山の緑と、海の青に包まれた町、という感じを受けました。伊勢から、30~40分はかかったでしょうか、ようやく無事到着。昼から、会議。夕方には終わりました。夜は、懇親会、というか、まあ飲み会です。こういう機会しか、飲むことはないのですが、たまに飲むといいですね。かなり、ふらふらしていましたが(^^;ともかく、他の店の人との情報交換などもできて、よかったです。夜、神代温泉に入りました。露天風呂もあり、とても心地よかったです。京都の店の人と、一緒に、私の車で行ったのですが、次の日は、会議とかはなく、自由解散でした。その人は、昼くらいには帰りたいということだったのですが、思い切って、「せっかくここまで来たので、明日、朝でも、伊勢神宮にちょっと寄っていっていいですか? 内宮だけでいいので。」と聞いてみました。その方は「うん、そうだね、いいよ」と言ってくださったので、次の日、寄ることに。よかったです。飲み会に、温泉…。そして伊勢神宮…。何だ、結局楽しんでるじゃん!と言われそうですが、まあ、そう言われればそのとおりですね…。(^^;リフレッシュできました。伊勢神宮の内宮へ参拝したことは、簡単に次回書いてみます。
October 17, 2005
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今日から1泊2日で、三重県鳥羽へ行ってきます。といっても、遊びではなく、仕事で。フランチャイズの店なので、関西の店の方たちと本部の方たちとの合同での会議。鳥羽といったら、すぐ近くに「伊勢神宮」があるので、正直、参拝したいのですが、ちょっと無理かなあ…。せっかくなので行きたいのですが。やっぱり伊勢神宮は、神社の中の神社、あの神域の中のパワーというか、空気というか、そういうものが、感じられるので、大好きな地です。三重県は3年間くらい、四日市市に住んでいたことがあるので、愛着のある場所でもあります。最近注目している、「三」という数字。ユダヤ教神秘主義「カバラ」の奥義に関わっている「生命の樹」の象徴図形でもあります。日本という国の風習などを見ていくと、いたるところに「三」の数字が見え隠れします。そして、日本で唯一「三」のつく数字の県が、「三重県」三つの重なりの地…そして、そこに伊勢神宮がある…。これは偶然なのでしょうか。伊勢神宮は現在、外宮と内宮の二社ありますが、一説によると、三社から成り立つ神社であったという人もいます。では、もうひとつの神社、第三の伊勢神宮はどこか?それが、伊勢神宮よりもう少し南西へ下った場所に、ひっそりとたたずむ「伊雑宮(いざわのみや)」だといいます。ここは、江戸時代だったか伊勢神宮の本宮こそ、「伊雑宮」であると、主張して、本家の伊勢神宮と大論争になったことがある、その神社です。果たして、本当にそうだったのか…。伊勢神宮が、仮に、三宮からなる神社だとしら、ここにも「三」が出てくるのですが…。と、話が全然違う方向へ行ってしまいました(^^;ということで、三重県、これから行ってきます!
October 16, 2005
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遥か いにしえから届く 光夜空にまたたく星屑は 悠久の時空を 旅して今ようやく この「時」と 結ばれるまるで 約束を果たすかのように正確に 水の惑星へと たどり着く音のない 闇に浮かぶ 水の惑星は遠い未来に 何億光年彼方で 生まれた 「今」の光を一身に 浴びることが できるのだろうか天空に広がる星屑は 仲良く 手を取り合っているみたいでも本当は 圧倒的な闇に ひとり ぽつんと浮かび孤高の潔さで 燦然と 光を投げかけている闇と光のせめぎあい 生まれ消えてく光 近くて遠いもの…何億光年彼方に離れていても この手に届く 確かな光触れ合える距離にいても すれ違いを生み出す 二人の想いお互いの息遣いが 聞こえるくらいに 近くにいるのに二人の心は 反比例のグラフを描くように 離れていくいつしか 星空を見上げる余裕さえ なくなって些細なわだかまりや 不満ばかりを 天空に ばらまいていたため息ひとつ落として見上げた夜空は 満天の星無数の星が集い 大いなる螺旋のうねりが 沸き起こりいくつもの伝説が生まれ ロマンを語り継いだ 先人たち君と交わした 数限りない 言葉と想いの やりとりは決して 消えてしまったわけではなく二人の間を ふわりと飛びたち 天空の星屑となっていた……ほんの一瞬……そう思えた…二人ありのままの星屑を 天空に ちりばめていく君の奥に潜む まだ見ぬ輝きを これから 見つめていきたい言葉のない優しすぎる時間の流れのなかで二人たたずんで 星屑の語らいに 耳傾ける
October 15, 2005
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第二十八幕「すりあわせると光り輝く神のゆらめき」いきなり本題へ!!「秋」について、今回は、熟語からみてみます。★「秋」の熟語「秋秋」と「有秋」★●「秋秋(シュウシュウ)」=「くねって動く鳥が舞ったり、動物が飛んだりするさま」ここでも、意外なことに「鳥」が出てきました。○「鳥」=「酉」=「西」「鳥」は十二支の「酉(トリ)」で、「酉」の方角は「西」です。陰陽五行の「金」は方角は「西」であり、季節は「秋」です。よって、「鳥」と「秋」が結びつきます。さらに、「秋」=「火禾」=「火の木」の「火」と、「鳥」で、「不死鳥・フェニックス」を連想します。「秋秋」で「鳥」が舞うことを指すということは、まぎれもなく「秋」と「鳥」の関係が、深いことが分かります。そして、「秋」とは、作物が実りのとき(完成)をむかえるように、混沌とした世界が「収拾(シュウシュウ)」され、(完成へと)まとまっていく時なのかもしれません。●「有秋(ユウシュウ)」=「作物が実ってくれること」「有秋」という言葉があるとは、おもしろいと思いました。○「有秋」=「有+火禾」=「有+火の木」=「有+生命の樹」!!「作物が実る」とは、「生命の樹を有する」ということ??「秋」=「シュウ」=「十」=「終」=「完成」となり、「秋」とは「実り」すなわち、「完成」を意味し、「たいせつな時」を迎えるということ。実り(=完成)の時を迎えるということは、「生命の樹(=秋)」=「永遠の象徴」によって、世界が包まれることを意味するのでしょうか。★「実」の漢字破字法★まずは、「実」という漢字を分解すると、●「実」=「ウ冠」+「三」+「人」です。「ウ冠」は、「宇宙」の「宇」という漢字からも連想できるように、それ自体で、この世界全体、宇宙全体という意味合いがあると思います。そして「三」!!「三」とは、「生命の樹」の象徴図形の「三本柱」に通じて、「聖書」の絶対三神や、「古事記」の造化三神へと繋がります。「人」とは、「人」=「ジン」=「シン」=「神」となるように、「人」は肉体を持つこと(受肉)が、「神」の具現化でもあるので、「人」=「神」となります。となると、「実」という漢字は、主(=「シュ」=「秋」)のはからいによって、この宇宙全体が、「生命の樹(=三本柱=三神)」(=秋)に包まれる、という意味合いをもってくるのかもしれません。それが「実り」という言葉に、込められているのでしょうか。「結実」するとは、「生命の樹」の思想が完成することをも含み、「真実」とは、「生命の樹」の思想に照らされた事なのかもしれません。いずれにしても、そのように考えていけば、「実りの秋」とは、なかなか奥深い言葉です。★秋は完成の時★「有秋」は「作物が実る時」を意味します。それは、「完成」「終わりのとき」であり、「有秋」=「ユウシュウ」=「有終」となり、「有終の美を飾る」ことになるのでしょう。「有終の美」とは、「最後まで、やりとおして、立派な成果をあげること」=「完成」です。ここから「有終」=「ユウシュウ」=「優秀」へも通じていきそうです。そして、「有終」=「完成」とは、「有秋」=「有+火の木」=「有+生命の樹」=「生命の樹の有するところ」となるのでしょう。では、「生命の樹の有するところ」(=「有終」)とはどこか?これは「聖書」に明確に示されていて、「エデンの園」その場所に他なりません。失われた楽園「失楽園」…。人類の始祖アダムとエヴァは、神により「エデンの園」を追放されてしまいましたが、それは、人類にとって、「憂い」であり、「悲しみ」のはじまりでもありました。それを「憂愁」(=「有秋」=「有終」)という言葉にこめたのでしょうか。しかし、いつかまた、最後の時には「生命の樹」のある「エデンの園」へと戻る時がくるのでしょう…。それを「有秋」=「有終」=「完成」にそれとなく、込めているのかもしれません。★イエスキリストとの関係★さらに「有」という字に注目してみます。以前も述べたので、簡潔に書きます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーイエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から“私はある”」(新約「ヨハネによる福音書」第8章58節ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「有」=「私は有る」=「イエス・キリスト」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「主イエスは、弟子たちに話した後、天にあげられ、神の右の座に着かれた」(「マルコによる福音書」(第16章19節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「有」=「ユウ」=「右」=「イエス・キリスト」これらのことから、「有」=「私は有る」=「右」=「イエス・キリスト」!!●「有終」=「イエス・キリスト+終」「終」とは、「死」=「シ」=「始」から、「死」と同時に「復活」の象徴。すなわち、「イエス・キリスト+死と復活」よって、「有終」=「完成すること」=「イエスキリストの十字架での死と復活」!!次に、「有秋」はどうでしょう。●「有秋」=「イエス・キリスト+火の木」=「イエス・キリスト+生命の樹」=「イエス・キリストの再降臨+エデンの園」?=「完成」?「有秋」とは、「作物の実りの時」であり、それは、「完成」を意味するということ。その裏に、「イエス・キリスト」「生命の樹」などが見え隠れしいます。いずれにしても、人類が最後に到達するところ(=有終=完成)、それは、「生命の樹」「エデンの園」と、無関係ではないかもしれません…。そういったことを「漢字」が示しているような気がします。最後の気力をふりしぼって、ポチッと。(^^;)
October 14, 2005
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第二十七幕「終わりが始まりとなり永遠へと羽ばたくとき」はこちら★今日の一言★今日は、ショッキングなことが、ひとつ、ありました…。え?何がって?それは、内山理名主演の「大奥~華の乱」を、うっかり忘れていて最後の10分くらいしか見れなかったこと(T_T)今日の朝、新聞で見て、これは見ないといけない、と思い、ビデオの予約をお願いしないと、と思いつつ、すっかり忘れていました。家に帰ってきたら、妻が見ていて、気がついたというわけです。そうとう痴呆、いや、認知症でしたね、今は。これに、近づいているのかな…。ともかく、大失態です。これを教訓に、次からは、万全の体制で臨みたいと思います。(^^)v妻によれば、ドロドロの展開だからどうだっていい、みたいな口ぶりでしたが、私としては、『卒業』で「疲れてしまった」、いや、変換間違いで、「憑かれてしまった」女優さんということで、チェックしなければならないわけです。はい。しかし、小池栄子は、怖いですよ、あの顔は…。と、時間ないのに、余計なこと書いてるし…。集中して、本題へ!★前回の流れ★ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「西」=「24」=「フシ」=「不死」=「復活体」=「イエス・キリスト」!!●「西」=「酉(=鳥)」=「フェニックス」=「不死鳥・火の鳥」=「イエス・キリスト」!!●「白木」=「生命の樹」=「柏」=「かしわ」=「鶏」=「鳥」=「酉」=「西」=「金」=「秋」=「白」→「柏・白木」●「白」=「イエス・キリスト」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー前回は「西」や「酉(鳥)」について、見てみました。陰陽五行でいえば、「木・火・土・金・水」の「金」を見ると、すべて繋がってきます。「金」とは、方角は「西」であり、季節は「秋」、色は「白」です。今回は、「秋」の漢字についてを中心に見ていきたいと思います。★「秋」という字に含まれたもの★「秋」とは、いったいどんな意味を含むのか。あまり今まで、考えたことはありませんでした。ただ単に、季節の「春夏秋冬」のひとつ「秋」でしかないと。「秋」を漢和辞典を紐解いてみると、もと「禾」(作物)+「束」(たばねる)の会意文字で、作物を集めて、たばね収めること。上記の意味から、音に返すと、まさに「秋」=「シュウ」=「集」=「収」です。また「本字」として、「火禾」と書かれています。●「秋」=「火禾」そして、「火禾」=「火」+「ノ」+「木」=「ひのき」=「檜(ひのき)」!「檜(ひのき)」とは、ひのき科の常緑高木。辞書を引くと、「すりあわすと発火することから、火の木」の意、とあります。「ヒノキ」=「火の木」です。さらに、「檜(ひのき)」とは、いわば、常緑樹。ですから、「柏(かしわ)」と同様、非常に大雑把ですが、「生命の樹」にも繋がってくるように思います。「檜」とは「桧」とも書きますが、「桧」=「木」+「会」で、「木」は、「神木」というように、神の宿る依代でもあります。また、桧皮葺(ひわだぶき)、檜造りと言われるように、神社には、檜が使われています。まさに、神(=木)に会う…です。そういったことから、「桧」とは、木に会う、すなわち、神に出会える木なのかもしれません。●「秋」=「火禾」=「火の木」=「ヒノキ」=「檜」=「常緑樹」=「生命の樹」!!★音に返す★「秋」は、漢和辞典をみると、「シュ」とも読みます。●「秋」=「シュ」=「主」=「酒」=「酉」=「鳥」!●「秋」=「シュ」=「ジュ」=「受」=「樹」=「生命の樹」!!ここでも、「生命の樹」が導かれます。また、「火の木」は「日の木」であり「霊の木」。「火」=「日」=「陽」=「霊」となり、「日」は太陽を表して、「霊」は生命の源。「火の木」とは「太陽の木」であり、「生命の木」、すなわち、「生命の樹」!!不思議ですが、すべてにおいて、「秋」という漢字は、、「生命の樹」を指し示しているとしか思えません。そして、「秋」を音に返すと、「秋」=「シュウ」=「集」=「収」=「十」=「終」!「十」は「ジュウ」とも「シュウ」とも読みます。「秋」=「終」で、「秋」とは「終わりのとき」「秋」の意味を見ると、「とき。たいせつな時」という意味があります。また、「秋」=「アキ」=「明」!そして、「秋(=火の木)」が「生命の樹」を象徴しているのだとしたら…「秋」とは、「終わりのとき」であり「大切なとき」であり、「生命の樹」の秘密が「明らかになるとき」である、と言えるのかもしれません。また、「終わりのとき」とは「死」に通じます。「死」=「シ」=「始」と音に返せるように、「死」とは「終わりのとき」であり、同時に「始まりのとき」すなわち、「死」と「復活」「再生」で、十字架(秋=シュウ=十)で、イエス・キリストが、「死」と「復活」したことにシンクロします。「終わりのとき」であり、「たいせつなとき」であることには間違いありません。同時に、「火の鳥」=「不死鳥」=「フェニックス」!へと通じます。「イエス・キリスト」の「復活体」、フェニックスの「蘇り」は、「永遠の生命」へと通じます。そして、その象徴である、「生命の樹」へと通じます!「秋」と「イエス・キリスト(フェニックス)の死と復活」や「生命の樹」との関係、思いのほか深そうです…。最後の気力をふりしぼって、ポチッと。(^^;)次回、もう少し「秋」について、見てみます。
October 13, 2005
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第二十六幕「十の理が羽ばたき具現化した生命の発露」はこちら。★今日の一言★最後にこれを書いていますが、もう寝ます! おやすみなさい!(^^;何だ、それは!?、と言われそう。すみません。余談を書く余裕がない…。長くなってしまいましたが、十二支、陰陽五行などから、「かしわ」=「鳥」の存在を追ってみました。今回もけんたまさまの解読を多数、引用、参考にさせていただきました。いつもありがとうございます。★前回の流れ★●「柏」=「かしわ」=(1)「鶏」 =(2)「鶏肉」●(1)「鶏」=「鳥」=「とり」=「十理」=「酉」○「柏(かしわ)」=「生命の樹」の象徴○「かしわ」=「鶏」=「トリ」=「十理」=「ジュウリ」=「ジュリ」=「樹理」=「生命の樹の理」!!●(2)「かしわ」=「鶏肉」=「十理肉」=「受理肉」=「受肉」=「イエス・キリストの受肉」よって、「柏」=「かしわ」=「鶏肉」=「イエス・キリストの受肉」!★受肉★正直なところ、「かしわ」=「鶏肉」から、「受肉」へ繋がるとは、思いませんでした。「受肉」とは、霊体が、肉体を得て、いわば「人」となることと、とらえていいと思います。イエス・キリストに限らず、人はすべて、生まれる前は、霊体(天使)であった、というのが、「聖書」に示されているようです。このあたりも、見ていくとおもしろそうなのですが、まだ、自分自身把握しきれてないので、また機会があれば紹介してみたいと思います。また、「受」という漢字にも、興味が湧いてきました。おもしろいです。日本の神話などにも繋がっていくので、もう少し先で、取り上げてみます。今回は、「柏」=「かしわ」=「鶏」=「鳥」となりますが、「鳥」について、もう少し踏み込んでみたいと思います。★「鳥」=「酉」★「鶏」は、「鳥」であり、さらに「酉(とり)」という漢字にも置き換えられます。これについては、「ことたまワールド」のけんたまさまが、すばらしい導きをされていますので、そのまま引用させていただきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「鳥」=「酉」で十二支の十番目十番目=Ten番目→天、つまり神にあたる。また、「酉」の音は、「シュ」つまり「トリ」=「鳥」=「酉」=「シュ」=「主」(メシア)→神ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「鳥」=「十理(トリ)」で、十二支の「十番目」の「十」とシンクロしてきます。さらに、「十」=「十字架」で、イエス・キリストも関係してきそうです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「トリ」=「三」・・・トリプル、「三」=「サン」=「産」「山」「参」→神に繋がるーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「トリ」から、「トリプル」=「三」という導きにも、感動しました。「三」とは、「聖書」でいう絶対三神や、「古事記」の造化三神といった原初の神に通じますし、「生命の樹」の象徴図形(三本柱)にも通じます。★十二支の第10番目「酉」から見えてくるもの★さらに、十二支は、「子」を「北」の位置にして、円周を12分割して、「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の順に、ぐるりと一周します。第十番目の「酉(=鳥)」の方角は、というと…。「西」です!●「酉」=方角「西」さらに、「西」を音に返すと、けんたまさまも述べられていたと思います。●「西」=「ニシ」=「24」=「二四」=「フシ」=「不死」=「富士」!!この導きは、秦の始皇帝が、不老不死を求めて、徐福を東方へ遣わせたという伝承を思わせます。徐福伝説は、日本各地に残っています。不老不死の妙薬のある地のひとつに、「蓬莱」がありましたが、この蓬莱の山は、富士山ではないか?と言われています。おもしろいことに、不老不死の「不死」=「富士」に繋がります。「不死」とは、死なないこと。永遠に生き続けることを意味します。古来より、人間にとっては、「不老不死」とは、夢のまた夢。だからこそ、それを望み、「始皇帝」のように、追い求める人も数多くいました。しかし、死なない体を持った人物がいます。死んでも、また生き返る、すなわち、「復活した人間」です。「聖書」では、それを「復活天使」というそうです。「復活天使」となれば、「不死」不滅の状態になるといいます。それは、十字架で一度は死んで、3日後に「復活体」となった、「イエス・キリスト」その人、ということになります。●「西」=「24」=「フシ」=「不死」=「復活体」=「イエス・キリスト」!!★「西」の漢字★「西」は、もともと、仏教用語で言えば、「死後の世界」「西方浄土」の略だといいます。「西」という漢字の成り立ちを、漢和辞典からみれば、こう書いてあります。「西」=「ざる状をした鳥のすを描いた象形文字」だと。「西」という漢字のなりたちに、「鳥」が関わっている…!!これには、びっくりしました。「鳥」=「酉」=「西」を考えれば、すべて繋がっています。★浮かび上がってきた伝説の存在★そして、今まであげたものを、統合すると、あるひとつの存在が浮かび上がってきます。「西」とは、「日が没する方角」、「死後の世界・西方浄土」、十二支の「酉(トリ)」=「鳥」、「酉(シュ)」=「主」なる存在、「不死」=「永遠の生命」=「復活体」、「鳥のすを描いた象徴図形」・・・そう、ある伝説の存在が…。その名は…「フェニックス」!!「不死鳥」とも「火の鳥」とも称される、鳥のことです。死期を悟ると自分自身を火の中に投じ、その灰の中から新たな個体を生むとされる鳥。消滅と復活を繰り返すという鳥。下記、「フェニックス」について、引用してみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーフェニックスは「不死鳥」とも「火の鳥」とも訳される聖鳥である。火の中で灼かれ、復活を遂げる姿は、手塚治虫の「火の鳥」シリーズでもおなじみであり、東洋版フェニックスとも言うべき「鳳凰(ほうおう)」は、十円玉の表の図式で有名な「平等院鳳凰堂」などの仏教施設の重要なモチーフにもなった。また、その肉を食らい、血を啜った者には、永遠の生命が与えられるとされた。フェニックスの起源は、エジプトの青鷺「ベンヌ」にあると言われている。ベンヌは太陽神ラーの魂の象徴であり、太陽と同じように、毎日生まれて(日の出)は死ぬこと(日没)を繰り返すものとして、死後の復活を表す鳥であった。また、循環を繰り返すことから、時を司る神であるともされた。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーけんたまさまが述べられていた、「トリ」=「オオトリ」=「鳳」から、「鳳凰」へ繋がっていきます。そして、この死後の復活を象徴する鳥は、そのまま、イエス・キリストの死後の復活とシンクロしていきます。すなわち、「フェニックス」=「不死鳥・火の鳥」=「イエス・キリスト」!!★最後のシンクロの連鎖★最後に陰陽五行から。陰陽五行の「木・火・土・金・水」がありますが、「西」に対応するのは、「金」です。「金」は、十三日の金曜日に十字架にかけられたとされる「イエス・キリスト」を連想させます。そして、「金」の季節は「秋」「秋」は、次回見ていきたいと思いますが、「秋」を分解すると右側は「火」の文字。そうです。「火の鳥」(=イエス・キリスト)の「火」とシンクロしています。そして、「金」の色は…。「白」です!!「白木」や「柏」の「白」ともシンクロしてきます。まるで、ぐるりとひとまわりして、戻ってきた感じです。●「白木」=「生命の樹」=「柏」=「かしわ」=「鶏」=「鳥」=「酉」=「西」=「金」=「秋」=「白」=「柏・白木」そして、「白」とは、ずばり、「イエス・キリスト」をも象徴しています。なぜなら、「白」は「光」とも関わってくるからです。「発光」するという言葉がありますが、これを音に返すと、●「発光」=「ハッコウ」=「白光」でしょう。光り輝くということは、白く輝くこととイコールなのでしょう。同時に「イエス・キリストの象徴」にもなっています。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった」(「マタイによる福音書」第17章2節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー次回は、「秋」について、漢字破字法などから、もう少し踏み込んで、見ていきたいと思います。長いのに、最後まで読んでくださってありがとうございます。最後の気力をふりしぼって、ポチッと。(^^;)
October 12, 2005
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肌に まとわりつくようにどこからともなく 漂ってくる 甘い芳香心の根っこに 置いてきた忘れたくても 忘れられない 痛みと懐かしい「陶酔」が 入り混じった 匂い静かに とめどなく心の隙間に忍び込んでくる高く突き抜けるような 雲ひとつない 青い空融け込んでしまいそうな 真昼の透けた 白い月一面に広がっていく「高潔」な香り見えなくても 存在するものがあるように風に編みこまれた 香りがあなたの存在を 知らせてくれるどこに 生まれてもどんなに 遠く 離れていてもどんなに 控えめにしていても僕は あなたを 見つけ出すことができるあなたの香りには 「真実」が 含まれているから目を閉じてこの風を 胸いっぱい 吸い込めばどこにいても すぐそばに あなたを 感じることができるだから 僕はもう 絶対に迷わない小さな花びらが 身を寄せ合い 生まれた あなたの面影は「謙遜」するかのように 本当に 控えめこの宇宙に灯る 橙色のあかりは光とまみえて つかの間 金色の輝きを 解き放つそして やがては 柔らかな大地に 雪のように 降り積もる光と風に融ける あなたの香りそこかしこで 静かに 見守ってくれているみたいこの空間全体が あなたの柔らかい香りで 包まれていく…
October 11, 2005
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第二十五幕「宇宙の始まりと終わりすべてに響きわたる音」はこちら★今日の一言★一昨日の夜、UFOを見ました。空を見上げていたら、雲のあるあたりから、ゴゴゴゴッ…という感じで(音は実際に聞こえてないけど、聞こえてくるような気がしました)、UFOが出てきて、ものすごくリアルで、「うわあぁぁぁぁぁぁ~っ!!」と心のうちで叫んでいました。吸い込まれるような感じで、ふらっと前のめりになったところで、目が覚めたような…記憶があります。夢ですが…。あはは。(^^;今までこういうリアルな、UFOの夢は3回くらい見たことがありますが、久しぶりでした。形は、細長い長方形のような形に、窓が見えて、という感じで、いわゆる、マザーシップ(母船)といわれる形でした。UFOの本などにも、掲載されていることがあるので、その記憶が、出ただけだとは思うのですが。それにしても、リアルでした。不思議大好き人間としては、UFOについては、中学生の頃から興味を持ったのを覚えています。ただ、今現在は、情報が無数に錯綜していて、本物と嘘の情報が入り乱れていて、情報操作されているというのが現状だと思います。ある写真のトリックが暴露されたからといって、UFOは存在しないという証明にはなりません。99%嘘だとしても、残りの1%に真実があるかもしれない。たとえば、月の表面の物質を、採掘機で採掘されている(と思われる)写真などがありますが、事実のようですし、月の人工建造物、火星の人工建造物などは、NASAなどは自然のものだといっていますが、どうみても自然のものには見えません。じゃあ、宇宙人といわれる存在は、本当に地球に来ているのか?となると、以前は信じていましたが、今はいろいろ見ていくと、正直なところ、ちょっと疑問に思っています。ただ、これらのことは、地球の歴史ともリンクしてくるので、1本の糸で繋がっていくのは、間違いないと思います。また、宇宙全体を見渡せば、地球の人類のように、生命の存在はそれこそ無数にあると思います。いずれにしても、宇宙人?、UFO、肉体を持たない宇宙人?、チャネリングなどで現れる霊体?など、いろいろありますが、このあたりについても、みていくと興味深いものがあります。って、全然「一言」じゃないのですが、また機会があれば取り上げたいなと思います。★もうひとつの「かしわ」★「白木」から「柏」へ。そして、「柏餅」や「端午の節句」や「こどもの日」について、見ていきました。「白木」も、常緑樹の「柏」も、ともに、「生命の樹」の象徴に繋がっていくということを、前回取り上げてみました。「柏」は「かしわ」ですが、「かしわ」ときいて、もうひとつ、思い起こすものがあります。それは、「かしわ」=「鶏肉」あるいは「鶏」です!●「柏」=「かしわ」=「鶏肉・鶏」!なぜ、鶏肉のことを「かしわ」というのだろう?鶏の「かしわ」と、常緑樹の「かしわ」は、何か繋がりがあるのだろうか?そんなことを疑問に思いました。日本語というのは、音が同じということは、ほぼ間違いなく、何らかの繋がりがあると考えてもいいような気がします。ですから、「かしわ」で「鶏肉」…。普通に考えたら、「柏」と「かしわ(鶏肉)」は、全くの繋がりがありません。でも、音が同じということは、両者の間に、何か見えてくるものがあるのではないか?ということで、「柏」=「かしわ」=「鶏」「鶏肉」について、見ていきたいと思います。ただ、鶏肉のことを「かしわ」というのは、どうも関西みたいです。関東は、「かしわ」っていっても、通じないみたいです。私は、関西なので、「かしわ」と聞けば、鶏肉を連想します。でも、考えてみれば、何で鶏肉を「かしわ」っていうのか、不思議です。あんまり考えたことありませんでした。★かしわ語源の諸説★インターネットで検索したら、ひとつ「かしわ」の語源について、いくつかの諸説を載せていたのがあったので、そちらから、まとめてみます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●【その1 宮中由来説】古来宮廷では、食膳の調理を司った調理師を「かしわで(膳臣)」と呼んでいました。これは柏の葉っぱに料理を盛ったことに起源するといわれています。膳臣が調理する最も貴重な食材。それが鶏肉、つまり”かしわ”となったといものです。●【その2 羽色由来説】今でこそ鶏というと「白色」を連想される方が多いと思いますが、昔日本に棲んでいた鶏は今でいう「地鶏」で「茶」系統の羽色をしていたわけです。この色がやっぱり柏の葉っぱ、特に秋の色付いた葉の色に似ていたところからこう云われるようになったというものです。●【その3 形状由来説】鶏肉の形(一枚のむね肉やもも肉の形)や肉の色が、柏の葉っぱに似ていると云うものです。http://homepage3.nifty.com/asabiki-kasiwaya/参照ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー分かったような、分からないような…(^^;いずれにしても、鶏肉の「かしわ」という呼びは、「柏」の葉から、きていると考えて良いようです。●「かしわ」(1)茶色の毛のにわとり。(2)にわとりの肉よって、「かしわ」=「鶏」=「鶏肉」となります。★「鶏」=「十理」★「かしわ」=「鶏」になりますが、「鶏」=「とり」=「鳥」です。「鳥」は、古来より重要な役割をしています。天と地、神と人間界を繋ぐ存在として、または、神に等しい存在とされてきました。この「鳥(とり)」を音に返すとどうなるか。●「鶏」=「鳥」=「とり」=「十理」=「酉」今回は、「十理」について、連想を広げてみます。「十理」とは「十の理」、「十」が完全数ですので、「完全な理」を意味します。「鳥」とは「十の理」を秘めた、完全なる存在。「鳥」が神に比されるのも、うなずけます。さらに、「十理」=「とり」=「鳥居(とりい)」「鳥居」とは、鳥の住まうところであり、はるかな高みから、鳥居をくぐるものを監視する門番の役割をも担っているのでしょうか。神域と現実世界の境界でもあり、鳥は神と人とを繋ぐ存在であり、天と地を繋ぐ存在。さらに以前けんたまさまのHPの日記「トリ」が、「トリ」についての「ことたま」を網羅して述べられています。この中で、なるほど!と思ったのを、引用させていただきますと、●「トリ」=「十理」=「ジュウリ」=「ジュリ」=「樹理」「受理」!うーん、すばらしい音の返しだと思いました。ここから、触発されたというのがあるのですが、「柏」は生命の樹の象徴だとすれば、「柏=(生命の樹)」=「かしわ」=「鶏」=「樹理」「樹理」とは、「樹の理」となり、「樹」=「生命の樹」へ通じます。すなわち、「柏」=「生命の樹」=「かしわ」=「鶏」=「トリ」=「十理」=「ジュウリ」=「ジュリ」=「樹理」=「生命の樹」!!偶然か、「柏」と「かしわ(鶏)」が「生命の樹」へと繋がりました!★「かしわ」=「鶏肉」の謎解き?★「かしわ」とは「鶏」であり、「鶏肉」のこと。で、あれば、今度は、「かしわ」=「鶏肉」でみるとどうなるか?これも、まさか、繋がるとは思いませんでしたが…。●「鶏」=「十理」=「ジュウリ」=「受理(受は「ジュウ」とも読む)」=「受理(ジュリ)」「受理」とは「うけおさめること」、すなわち「受ける」こと。●「鶏」=「受理」=「受」となると、この先の展開で、自分にとっては「!!!」と衝撃を受ける言葉が、導かれました。●「かしわ」=「鶏肉」=「十理肉」=「受理肉」=「受肉」!!「受肉」という言葉は「インカナレ」というラテン語で、「肉体として表現する」あるいは「肉体として具現する」という意味から来ているそうです。いわば、イエス・キリストという霊体的な存在が、聖霊によって、この世に、肉体を持った存在として「具現化」したことを、「受肉」したというそうです。しかも、「十理」は、「十の理」で、「十」=「十字架」にも通じ、イエス・キリストとシンクロしてきます。●「かしわ」=「鶏肉」=「十理肉」=「受理肉」=「イエス・キリストの受肉」!さらに、「柏」は…。「かしわ」=「柏」は、「柏餅」→「端午の節句」に繋がります。そして、「端午の節句」=「誕・午(馬)」=「誕生・馬小屋で生まれたイエス・キリスト」すなわち、「イエス・キリストの誕生」=「イエスキリストの受肉」!!「柏」と「かしわ(鶏肉)」が、繋がりました。かなり強引ですが…(^^;●「柏」=「かしわ」=「鶏肉」=「イエス・キリストの受肉」!「んな、あほな。ほんまかいな」と思われた方は、こちらをポチッと。私も全く自信ありません…。半信半疑です。(^^;)
October 10, 2005
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このところ、レイキを娘とかにも、時間があればするようにしています。朝行くときと、晩は、娘二人が、寝ているところに、シンボルを送ったりしています。今日も、夜に、5歳の娘、透萌が、「エネルギー送ってえ~」と言ってきました。夜、添い寝しながら、手を当てていたら、わりあい早くすっ…と寝てくれました。いいです、これ!(^^;以前は、しゃべりまくり、大声で突然、歌を歌ったり、なかなか寝てくれないので、いらいらしていたのですが、レイキを当ててからは、ほんと寝るのが早くなったと感じます。今日も5分~10分でした。おもしろいのは、1歳の葵(あおい)が、マネすること。エネルギーを受け入れたり、感じるために、両手をあげたら、葵も両手をあげるし、シンボルを空中に描いたら、葵もマネして手で描いたり、笑えます。ま、わけが分かってないでしょうが。それでは、本題へ。★「白木」=「柏」=「生命の樹」★正直なところ、「新羅」=「しらぎ」=「しらき」=「白木」となり、「白木」を見ていったら、連想的に広がってしまい、収拾がつかなくなりつつありますが、でも、もやもやしたままでも気持ち悪いので、書き出してしまおうと思います。「白木」シリーズ?(^^;、もうしばらくお付き合いください。いつものように、妄想かなり入ってますが…。「白木」とひっくりかえすと、「木白」となり、「柏(かしわ)」という漢字になります。「白木」と「柏」、どちらも、意味からみても、通じるものがあります。●「白木」=「新羅」=「沙羅」=「沙羅双樹」=「生命の樹」●「柏」=「ひのき・このてがしわなどの常緑樹の総称。また日本では、ぶ な科の落葉高木のこと」=「生命の樹」「生命の樹」とは、エデンの園にあるという永遠の命に通じる樹。この「生命の樹」の思想は、実は、形を変えて世界中に広がっているようです。釈迦が入滅する時にあったという「沙羅双樹」は、「生命の樹」のことで間違いないと思いますし、他にももちろん、いろいろな神話などにも見られます。日本も例外ではなく、この「生命の樹」の思想が色濃く根付いている国、といえるのかもしれません。特に漢字や、風習などに、その思想が反映されています。生命の樹を象徴図形にすると、三本柱になります。これは、古代ヘブライ密教の奥義でもあります。漢字で言えば、「山」「三」「参」「木」(ひっくり返すと三又)などが、「生命の樹」の象徴図形、「三本柱」を象徴的に組み込んでいます。これが、日本の漢字や風習にも見られるということは、日本と古代ヘブライ(イスラエル)との関係があるということになり、ひいては、日本人と古代ヘブライ人との繋がりをも示唆します。そして、これは、「異端」とされる、日ユ同祖論(日本人とユダヤ人との繋がり)にも繋がっていくという事になります。日本で言えば、生命の樹は、今見た常緑樹の「柏」などもそうですが、もっと端的に言えば、「榊(さかき)」です。この漢字は、日本で創られたものですが、「榊」=「木」+「神」で、まさに「神ノ木」=「生命の樹」のことです。●「柏」=「常緑樹の総称」=「生命の樹」柏餅といえば、「端午の節句」けんたまさまの解読を再度つかわせていただきます。●「端午の節句」=「誕・午(馬)」=「誕生・馬小屋で生まれたイエス・キリスト」★こどもの日から見えてくるもの★さらに、今日ふと、思ったのですが、なぜ5月5日の「端午の節句」は、「こどもの日」なのか?何か意味があるのだろうか?と思いました。「こどもの日」と正式に制定されたのは、1948年というから、つい最近です。ただ、伝統的には、江戸時代に男子の節句とされていたそうです。「こども」は「子供」「子ども」とも書きますが、正確には「こどもの日」だといいます。しかし、「こども」を「子供」と置き換えてみると、漢字から、妄想的に、つながりがあることに気がつきました。ここからは、お遊び感覚でみてみます。●「子供」=「子」+「供」●「子」=「一」+「了」となり「はじめ」と「おわり」「子」という漢字は、シンプルでいて、けっこう深い漢字です。以前も、十二支などで、見ましたが、「子」とは十二支の第一番目ということをみても、非常に重要です。しかも、十二支を円に配置して、方角や時間も同時に表されますが、「子」は、「北」に位置し、時刻は午後12時(およびその前後2時間)を表して、「始まり」と「終わり」の場所に位置します。そして、さらに飛躍させると、はじめであり終わりである、といった人物がいました。そう……。イエス・キリストその人です!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「私はアルファでありオメガである。始めであり、終わりである。」(ヨハネの黙示録22章13節 )ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーで、あれば、飛躍もいいところだと思われるでしょうが、「子」=「イエス・キリスト」となります。そして「供」というのは、「供える」「ささげる」意味があります。と、いうことは、「子供」で、従来とは、全く違う意味が浮かび上がってきます。●「子供」=「子」「供」=「イエス・キリスト」「ささげる」 =「イエス・キリストが捧げられる」と、いうことは、「子供の日(こどもの日)」とは、「全人類の罪を許すために、イエスキリストが十字架にかけられたことを思い起こす日」!?の象徴なのかもしれません。「白木」=「十字架の木」ともシンクロしてきます。偶然にしても、この端午の節句は、いろいろな意味でシンクロしてきます。●「柏餅」の「柏」=「生命の樹」●「柏」→「白木」=「十(白=シロ=4+6)木」=「十字架の木」●「端午の節句」=「イエス・キリストの誕生」●「こどもの日」の「子供」=「全人類の罪を許すために、イエスキリストが十字架にかけられる」「柏餅」を食べるとは、柏葉、すなわち、生命の樹の葉に包まれた餅を食べること?この国に「生命の樹」が受け継がれていくことを、それとなく示した風習なのでしょうか。「端午の節句」あるいは、「こどもの日」という名称で、「イエス・キリストの誕生」と、同時に、「全人類の罪を許すために、イエスキリストが十字架にかけられた」ということを、思い起こすための日、なのでしょうか…。誤解を恐れずに言えば、「聖書」も「生命の樹」も、日本の風習や漢字、日本の根本的な部分に深く入り込んでいるということが言えそうです。最後にポチッと。(^^;)
October 9, 2005
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第二十三幕「すべての存在が土に還り また生まれゆく」はこちらえっと、最近、長くてすみません…。もっとコンパクトに!が、いつも思っていることなのですが、うまくいきません(^^;今回は「人」について、考察してみました。思いつく限りあげてみたので、雑然とした感じになってしまいましたが、興味あれば、見てください。★「人」は「土」からつくられた★まずは、前回までの流れを。●「白木」=「99木」=「(9+9)」木=「18木」=「(1+8)木」=「9木」=「九木」●「九木」=「クキ」=「茎」●「茎」=「草冠」+「又」+「土」「草冠」=「艸」=「生命の樹の象徴」「又」=「右・有・復活・再降臨・許す」=「イエス・キリスト」「土」=「人体を構成しているさまざまな元素」「茎」=「生命の樹の思想を、宇宙全体に広めるために、イエス・キリストが、人体を構成しているさまざまな元素が含まれている土から誕生した」!?ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「主なる神は、土(アダマ)の塵(ちり)で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(創世記第2章第7節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「聖書」によれば、人は、土から、神によって作られた…。これは、決して、荒唐無稽な話ではなく、「土」の中には、人体が構成されている元素をほぼすべて含んでいるという意味では、まさに、「土から人がつくられた」と言える、ということを、前回紹介しました。今回は、また話が少しそれてしまいますが、と、言うか、もう修正がきかないほどすでに、話は「蘇民将来」から、外れているのですが…。(^^;「人」とは何か?ということを、見ていたら、少しいろいろ思いつくことがあったので、吐き出してしまいます。「人」について、「音に返す」や、数理の面から、見ていきたいと思います。★「人」は「霊止」である★「人」ってなんだろう?何だよ、いきなり!と言われそうですが、昨日今日と、そんなことを考えていました(^^;言葉の面から、いろいろお遊び的なことも含めて、書き出してみようと思います。まず、よく言われることですが、●「人」=「ヒト」=「霊止(ヒト)」「霊」は「ヒ」とも読むので、「ヒト」=「霊止」で、「人」とは、「霊」が止まっている存在である、と言えます。漢字からも、人には「霊」が宿っていることが、分かります。というか、「人」の本質は、「霊」なのだと思います。そのことを、言葉や漢字で、きちんと表現できる。考えてみれば、これもすごいことだと思います。「ヒ」は「陽」や「日」とも表すことができますので、まさに「太陽」であり、「光」とどまる存在となり、まさに、人は「光」の存在であることも分かります。★「人」=「ジン」=「シン」…★「人」は、「ヒト」のほか、「ジン」とも読みます。いつも「ことたま」の勉強をさせていただいている「けんたまさま」も、つい先日に、「人と心をむすぶ」で、「人」=「シン」について、すばらしい考察をされていて、それに触発された、というのもあるのですが、また引用させていただきますと。●「人」=「ジン」=「シン」=「神」!である、と。ここから思ったのは、誤解を恐れずに言えば、まさに、「人」とは「神」なる存在であるのだな、と。よく、神は、一人ひとりの内にある、とか、「人」は、神の分け御霊でもある、と言われますが、「音に返す」で見事に、そのことが表されています。そして、それに関連して、今度は、aquarius_ziuさまのタイトル<秦>の日記を拝見して、思ったのですが、謎の渡来人「秦氏」について。勝手ながら、引用させていただきます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー以前ブログに書いた自称巫女のひいばあちゃんは<秦>という姓です。ただ、、<はだ>と、にごって読みますが。。私の顔をみてもそうですが、立派な、中国大陸系、、朝鮮系の顔立ちです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー興味深いお話をありがとうございます。「秦」=「はだ」=「はた」であり、漢字こそ違うものの、「羽田」「幡多」「畑」「畠」「波多」「波田」「幡」…といった姓名は、みな「秦氏」との繋がりがある可能性が高いと思われます。特に九州は、秦氏のメッカであり、秦王国なるものがかつて存在していたようです。そして、この「秦」という漢字も、音読みが「シン」です!!●「人」=「神」=「秦」!さらに、「秦」を漢字破字法で分解すると、「秦」=「三」+「人」+「ノ」+「木」となり、「人」=「神」から、●「秦」=「三」+「神」+「ノ」+「木」「秦」とは、「三神ノ木」となり、これは、そのものずばり、「三神を象徴する木の柱」で、「生命の樹」の象徴図形となります。名は体をあらわすというように、「秦氏」は、「生命の樹」の思想を、日本のいたるところに、それとなく仕掛けていき、そして自ら「神(シン)」に通じる名を冠するという、なかなか大胆なことをしています。★「人」を数理からみると★●「人」=「一十(ヒト)」となります。「人」とは、数理的に「1」~「10」の数すべてを含んだ存在ということを象徴しているのでしょうか。すなわち、完全な存在、神に等しい存在、神の分け御霊であると!先の「人」=「ジン」=「シン」=「神」に通じます。また、「人」=「一(ヒ)」「十(ト)」=「1」+「10」=「11」=「1+1」=「2」と見ることもできそうです。「人」は「ニン」とも読みますが、「ニン」は「ニ(ン)」となります。ですから、「人」=「ニ(ン)」=「ニ」=「2」となり、上記の「人」=「2」とシンクロしてきます。「人」は、一人では生きていけないことの象徴かもしれませんし、「人」という漢字自体が、二人寄りかかったような字体で、「二」とシンクロしてきます。さらに「2」が、二元論の「陰陽」を象徴するとしたら、人は、「陰陽」を合わせ持った「完全体」ということも言えるのかもしれません。「11」の数理からは、けんたまさまの解読で「11」は観音開きの数理と指摘されています。また、「11」が、そのまま二本の柱にもなります。二本の柱は、神社の鳥居を思い起こさせますし、事実、二本柱にその間を縄で渡した鳥居も見かけます。あれなどまさに「二本柱」です。「鳥居」ですから、神の世界と、現実の世界の境界に位置し、神と人の世界の橋渡し的役割をしているのかもしれません。あるいは、神と人は繋がっている!ということを、「鳥居」「二本の柱」ひいては、「2」という数理が担っているのかもしれません。●「人」=「一十」=「1」「10」=「1」~「10」人は「1」~「10」の数字すべてを含んだ完全な存在、ということは先に述べましたが、「1」~「10」ということは、これらすべての数字を足していくとどうなるでしょう。「1+2+3+4+5+6+7+8+9+10」=「55」そして、「55」=「5+5」=「10」!けんたまさまの解読をお借りすれば、「10」=「ten」=「天」となり、「天」すなわち「神」となり、ここでも、「人」=「神」の図式が描けます。★ひとつに繋がる★だいぶ長くなりましたが、最後にします。ここ2日ほど、「人」ってなんだ?と、思っていたら、今日の帰りの車の中で、ちょっとおもしろいことに気がつきました。これに気がついたとき、今まで欠けていた部分が繋がって、ひとつの輪となったような気がして、「おお!」と思いました。それは、何か。「人」=「一十(ヒト)」でした。そして、この「一」と「十」を組み合わせると、できる漢字があります。そう…。●「人」=「一十」=「一」+「十」=「土」!!前回と今回の冒頭に、「人」は「土」からつくられた、ということを紹介しました。漢字からも、まさにそのことを指し示していることが分かります。やはり、「人」は「土」からつくられたのだと!!人の無限の可能性を信じてみたくなったら、ポチッと!(^^;)
October 8, 2005
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第二十一幕「土から伸びゆく茎の果てに届くもの」はこちら。( 第二十二幕「常緑樹から空へと飛び立つ鳥のように」はこちら。★前々回の軌道修正★前回、「柏」=「かしわ」=「鶏肉・鶏」が導かれたので、今回は、「鶏・鶏肉」について、見ていこうとしていました。しかし、それは、次回ということにして、第二十一幕での、解釈を少し修正します。●「白木」=「九木」=「クキ」=「茎」ここまでは、いいのですが、次です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「白木」=「九木」=「茎」=「草冠」+「又」+「土」=「茨の冠」+「イエス・キリスト」+「土に埋葬」 =「茨の冠をつけたイエス・キリストは、十字架上で死を迎え、土の中(石室)へ埋葬され、再び復活、終末に再降臨する」!?ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「白」が、「99」と「100」や、「終わり」と「始まり」、などを意味することから、こういう見方も、できないこともないと思うのですが、ちょっと飛躍しすぎたかな、と思います。むしろ、もっと、素直に、ここは見ればいいと思いました。「白木」は、どういう意味だろうか、と。辞書で引くと、「塗料を塗らない、きじのままの木材」とあります。なるほど、と思いました。★純白の色★「白」は「死」のイメージもありますが、「純白」「まっ白」というように、まだ、何色にも染まっていない、汚れなき魂をも、思い起こさせてくれます。つまり、生まれたばかりの純粋無垢な、赤ちゃんも、「白」のイメージがあります。また、「白」は、スタートラインに立った状態をもイメージさせます。と、いうことは、「白」とは、生命の新たな「誕生」である、と素直にとってもいいように感じました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「白木」=「九木」=「茎」=「草冠」+「又」+「土」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「白木」と「茎」について、新たに見えてきたもの●「白木」=「何ものにも染まらない木」=「生まれたばかりの木」=「誕生」●「茎」=「土の中から出て伸びていく茎」=「誕生」ともに、「誕生」を意味するといってもいいと思います。★柏餅と端午の節句★さらにこれは、「白木」と逆の「木白」=「柏」も同様です。「柏」の意味は、前回見たように、「柏餅」→「端午の節句」に繋がっていきます。前回使わせていただいたけんたまさまの解読によると、「端午」は「誕午」であり、「誕生・午」となります。「午(うま)」は「馬」で、馬小屋で生まれた「イエス・キリスト」をさします。「端午」=「誕生・イエス・キリスト」になります。よって、「端午の節句」=「イエス・キリストの誕生」「白木」も「柏」も「誕生」に関わっている!と見ることができます。★「土」とはすべてのものを含んでいる★そうみると、「茎」=「草冠」+「又」+「土」においても、もう少し上記と別の見方も考えられます。「草冠」=「艸」=「生命の樹の象徴」「又」=「右・有・復活・再降臨・許す」=「イエス・キリスト」「土」=「人体を構成しているさまざまな元素」ここから、「茎」とは何か?を見ていきますと…。一言で言えば、これもまた、「誕生」に関わっています。●「茎」=「生命の樹の思想を、宇宙全体に広めるために、イエス・キリストが、人体を構成しているさまざまな元素が含まれている土から、誕生した」!?人は土からできる、ということは、「聖書」をみれば、書いてあります。そんなこと、荒唐無稽な考え方だと、思われるかもしれませんが、よく見れば、実に理にかなった、科学的な考え方であることが分かります。べつに、「聖書」を広めようとか、宗教的な意図も、全くないのですが、「聖書」を見ていくほどに、科学的であることに驚かされます。誤解を恐れずに言えば、「聖書」は、非常に論理的に科学的な事実が記されています。そして、神話と思われていた聖書の内容を、実は今の科学が、実証していっているという、なんとも不思議な現象があります。今回は、「茎」の「土」の部分にまず、焦点を当ててみます。『オーパーツと天地創造の科学』(久保有政著)が、分かりやすく書かれているものがあるので、引用してみます。=================================「水は、水素と酸素から成っている。またたんぱく質は炭素、水素、窒素、酸素、硫黄から成っている。人間の体には、他にもナトリウム、カリウム、マグネシウム、塩素、リン、また微量の鉄、銅、マンガン、ヨウ素、亜鉛、コバルト、フッ素などの物質が含まれている。人間の体は、これらの元素が有機的に結合してできたものである。これらの元素は、すべて地球の地殻中に見られるもので、ごくありふれたこれらの元素である。つまり人体を構成している元素は、すべて「土」の中に含まれているわけだ。=================================「神は人の体を土のチリから造られ、その鼻に命の息を吹き込まれると、人は生きた魂となった」と聖書では述べています。(創世記第2章7節)=================================この「聖書」の記述は、人体を構成している元素がすべて「土」に含まれていることを考えれば、きわめて的を得ていることになる。人体は、構成している元素だけを考えれば「土」に等しいからである。またわれわれ人間の体は、死ねば分解して土に還る。もともと土だから、土に還るのだ。」=================================そう考えれば、「茎」の新たな意味が見えてきます。もう一度繰り返しになりますが。「草冠」=「艸」=「生命の樹の象徴」「又」=「右・有・復活・再降臨・許す」=「イエス・キリスト」「土」=「人体を構成しているさまざまな元素」「茎」=「生命の樹の思想を、宇宙全体に広めるために、イエス・キリストが、人体を構成しているさまざまな元素が含まれている土から誕生した」!?しかも、おもしろいことに、「茎」の字を分解すると、そのまま、下から、「土」から、「又(イエス・キリスト)」が、この世に生を受けて、「艸(生命の樹)」の思想を世界へ広めていく、と取れなくもない。そう、「茎」のように、土の中から出て、どんどん伸びて広がっていくように…。土って不思議と思ったら、ポチッと!(^^;)
October 7, 2005
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第二十一幕「土から伸びゆく茎の果てに届くもの」はこちら。最近は、余談を書く時間的余裕がないのですが、今日もいきなり本題へいきましょう。★前回までの流れ★「新羅」=「白木」から、●「白木」=「九木」=「クキ」=「茎」となり、「茎」の漢字破字法について、見てみました。導かれた結論だけ書き出しておきます。●「白木」=「九木」=「茎」=「草冠」+「又」+「土」=「茨の冠」+「イエス・キリスト」+「土に埋葬」 =「茨の冠をつけたイエス・キリストは、十字架上で死を迎え、土の中(石室)へ埋葬され、再び復活、終末に再降臨する」!?★「白木」の数理的再考★今回は、再び「白木」へ戻ります。●「白木」=「四六(シロ)木」=「(4+6)」木=「十木」=「十字架の木」?いずれにしても、「白」は、前回見た「九」の数理と、「十」の数理を持つといえるのでしょうか。これは、「白」+「一」=「百」になることから、「白」が「九九」の数を持つこととも関係してきます。なぜなら、「白」の読みは、漢和辞典を引くと、「ハク」と同時に「ビャク」とものっているからです。四神のひとつ、「白虎」は、「ビャッコ」「ビャクコ」と読むように、です。ここで、けんたまさまのことたまワールドの法則からみれば、「濁音は清音に返す」、です。そうすると、けんたまさまも指摘されているように、以下のようになります。●「白」=「ビャク」=「ひゃく」=「百」ここから、「白」=「百」=「100」の数理も持ち合わせていることになります。まとめますと、●「白」=「9」、「10」 =「99」、「100」これは、そのまま「9」→「10」、そして「99」→「100」への移り変わりとなり、ともに「九」(究める・最後・とどめ)→「完全」への移行です。同時に、「10」と「100」は、「1+0」、「1+0+0」で、ともに「1」の数理を持ちます。すなわち「9」→「1」への移行です。振り出しに戻る、最初に戻る、です。ですから、「白」は、「最後と最初」、「死と復活」をも、あわせ持つ漢字だといえるのかもしれません。で、あれば、今まで見てきた「白木」は、「死と復活の木」すなわち、まさに「十字架の木」を象徴していると言えます。いくつものシンクロで、そのことを指し示していると、感じます。★白木から「かしわ」へ★そして、ここから、さらに連想を広げてみます。「白木」を見ていく中で、気になってしかたがない漢字がありました。それは何かと言うと、そのものずばり、「白」と「木」から成る漢字です。そう……「白木」の順序を前後入れ替えた字です。●「白」「木」→「木」「白」→「木白」→「柏」!!「柏」を漢和辞典で引いてみると、「ハク・ヒャク」という読みで、別体として、「木百」で書かれています。やはり、「白」=「百」です。「ひのき・このてがしわなどの常緑樹の総称。松とともに節操のかたいことにたとえられる。」とあります。「柏」という漢字は、日本では、日本固有の意味として「かしわ」をさします。「かしわ」とは、「ぶな科の落葉高木」のことだそうです。★端午の節句の柏餅★私たち日本人に、なじみ深いのは、「柏(かしわ)」といえば、「端午の節句」に食べる「柏餅」でしょう。お餅を包む葉に、「柏葉」が使われます。「端午の節句」は、5月5日。数理からみれば、「5+5」=「10」となり、けんたまさまの数理解読から「10」=「ten」=「天」=「神」となり、まさに「10」は、完全数、神の数字であることが分かります。さらに、「端午の節句」「柏餅」から、先の「白木」=「十木」=「十字架の木」の「十(10)」とも、シンクロしてきます。「端午の節句」については、「けんたまさま」が、すばらしいことを書かれています。「05年の端午の節句に思う」の記事さらに、メルマガでもっと奥深い世界が繰り広げられていました。少しだけ引用させていただきます。勝手にすみません。「端午の節句」の「端午」とは、音に返すと「誕午(たんご)」だと。●「端午」=「誕午」誕午とは「午が誕生する」となり、「午」とは「馬」馬といえば、「馬宿」で、馬宿で誕生したのは、「イエス・キリスト」です。ですから、イエス・キリストは「午(馬)」にも象徴されます。つまり、端午の節句とは、別の見方をすれば、「誕午(馬)」=「誕生・イエス・キリスト」となり、イエスキリストの誕生を祝うという意味合いがある、と。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「白木(=十木)」が、「十字架の木」すなわち、「イエスキリストの死と復活」を象徴するものだとしたら、「白木」をひっくり返した漢字「柏」は、「柏餅」→「端午の節句」→「イエスキリストの誕生(誕午)」を象徴するものである…。いずれにしても、裏にイエスキリストの存在を、感じ、なかなか、おもしろい符号です。そして、さらに、ここで、連想するものがあります。「関東」の人は、分からないかもしれません。「柏」=「かしわ」ときいて、別のものを思い起こすのは、おもに、「関西」の人です。私も一応関西の人なので(^^;、この連想が湧きました。そうです!「かしわ」とは、「鶏肉」のこと、あるいは、「鶏」「にわとり」のことである、と!!「鶏」=「鳥」を見ていくと、また連想は、広がっていきました…。今度は、「かしわ」で、「鶏肉」かいな、何でやねん、と思った方は、ポチッと!(^^;)うーん、タイトルの「蘇民将来」は、どこへいったんだ、という感じですね…。
October 6, 2005
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第二十幕「純白と死が重なり合った白木」はこちら。 ★生命の樹の国「新羅」★「皿」=「沙羅」となり、「沙羅」が「新羅」という国の古名であることから、「新羅」という国が浮かび上がってきました。さらに、「新羅」=「しらぎ」=「しらき」=「白木」が導かれ、「白木」について、前回見てみました。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「白木」=「十字架の木(イエス・キリストの死)」=「沙羅双樹(釈迦の死)」=「生命の樹」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「新羅」という国は、名前から見るかぎり、「沙羅」と言われていたことから、「沙羅双樹」ひいては「生命の樹」に通じます。「生命の樹」とは、古代ヘブライ密教の奥義中の奥義。この思想が、受け継がれた国、それが、「新羅」という国なのかもしれません。「新羅」とは、4世紀中ごろ朝鮮の南東部におこり、935年に、高麗に滅ぼされるまで、存続した国。三韓のひとつで、朝鮮半島南部に、百済、高句麗とともに、あった国です。そして、新羅という国で、ひとつ注目に値することは、この国から日本へ流入していった集団がいます。それが、日本でも謎の渡来民族として実体がなかなか明らかにならない氏族…。そう…「秦氏」!!です。定説や資料には、秦氏は、自分たちの出自は「百済」といっているのですが、最近は、秦氏の寺、広隆寺の有名な「弥勒菩薩半跏思惟像」の様式や、その他いろいろなものから、「百済」というより「新羅」様式であることが指摘されています。秦氏も、みていくと、「生命の樹」の思想を受け継いでいる節があります。というか、誤解を恐れずに言えば、今の日本の風習や伝統のベースを作ったのが、秦氏であるとも言われています。そして、そのことは、名前に最も如実に現れています。秦氏の「秦」は、漢字破字法からみると、「三」「人」「ノ」「木」と分解できます。●「秦」=「三」+「人」+「ノ」+「木」古来より「木」には神が宿ると言われましたが、「木」=「神」と置き換えると、「三人の神」であり、絶対三神の象徴とも取れます。また、「三人の木」で、シンクロしてくるのが、ずばり「生命の樹」です。「生命の樹」の象徴図形がありますが、それは「三本の柱」で現されます。「新羅」→「沙羅双樹」→「生命の樹」→「三本の木」→「秦氏」と繋がってきます。秦氏については、また、折に触れて取り上げていくと思います。★「白」は、「究める」意味★前回の「白木」で見たことから、もう少し。●「百」=「一」+「白」となり、「白」に「一」を加えて「百」となることから、「白」を数理で表せば、「九九」になります。「白」=「99」=「9+9」=「18」=「1+8」=「9」よって、「白」=「99」=「9」となり、「白木」=「九木」となります。数理としては、「99」と「9」ともに、「九」=「究」であり、「究(きわ)める」から、「とどめの」「最後の」という意味がくみとれます。ですから、次は振り出しに戻る、という意味でも「白」の「まっ白」「白紙」ともシンクロしてきます。もっと言えば、「白」は、「終わり」と「始まり」、「死」と「復活」にも通じて、「白木」=「十字架の木」=「沙羅双樹」ともシンクロしてきます。★「茎」の漢字破字法★見ていくと、キリがありませんが、「白」=「9」でしたので、「白木」=「九木」となります。そして「九木」を音に返すと、「九木」=「クキ」=「茎」ともなります。●「白木」=「九木」=「クキ」=「茎」「茎」ときて、はじめは、ピンと来なかったのですが、漢字破字法で見ていくと、意外や意外、「白木」との繋がりがありました。「茎」をまず、漢字破字法で、分解してみます。●「茎」=「草冠」+「又」+「土」草冠は、もともと、「艸」と書きました。そして、この「艸」は、三叉の木がふたつあり、生命の樹の象徴図形、三本柱の図形にも、通じます。さらに、「艸」は、イエス・キリストが十字架刑の時、被らされた「茨の冠」の象徴でもあることが、指摘されています。そうなると、「艸」自体が、「茨の冠」と同時に、イエス・キリストの象徴にもなっているということになります。次に「又」です。「又」は、もと右手をのばして、物を取ろうとしている形にかたどり、持つ、すすめる、右などの意を表す。有・侑・右の原字。又が、「右」の意を表すとは、びっくりしました。また、「右(ゆう)」から「有」にも繋がり、これらの原字にもなっているといいます。漢和辞典を引くと、けっこう予想外の意味が出てくることがあるので、おもしろいです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー【又】ユウ(1)みぎ。右(2)また(腹)・有(ア)さらに、そのうえ(イ)ふたたび(4)許すーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「右」という意味があることは、けっこう衝撃でした。なぜなら、「右」とは、聖書で重要な位置を占めるからです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「主イエスは、弟子たちに話した後、天にあげられ、神の右の座に着かれた」(「マルコによる福音書」(第16章19節)●「ステファノは聖霊に満たされ、天を見つめ、神の栄光と神の右に立っておられるイエスとを見て、『天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える』といった」(「使途言行録」第7章55~56節)●「イエスは言われた。『それは、あなたが言ったことです。しかし、わたしは言っておく。あなたたちはやがて、人の子が全能の神の右に座り天の雲に乗ってくるのを見る』」(「マタイによる福音書」(第26章64節)(『失われたカッバーラ 陰陽道の謎』(三神たける・飛鳥昭雄著)より聖書の部分引用)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー上記のことから、神(御父)の「右」に、「イエス・キリスト」が位置しているということになります。●「右」=「イエス・キリスト」!!ちなみに、神の「左」に位置するのは、「聖霊」となります。今、思ったのですが、漢字の「右」「左」の漢字破字法からも、見えてくるものがありそうです。また、書き順が、右と左では、一番目の書き順が、右は縦から、左は横から書き始めますが、これも意味がありそう。陰陽にも関係があるのかもしれません。話を戻します。●「又」=「右」=「イエス・キリスト」!!さらに、「又」の意味に、「また」「復」がありました。これは、「復」から、連想するものは、ずばり「復活」!●「又」=「また・復」=「復活」!!そして、次に「有」これも、イエスキリストとの関係は、深いです。なぜなら、イエスキリストは、「聖書」で、こう言っています。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーイエスは言われた。「はっきり言っておく。アブラハムが生まれる前から“私はある”」(新約「ヨハネによる福音書」第8章58節ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「又」=「有」=「わたしはある」=「私は有る」そして、「又」には、「ふたたび」という意味も!!●「又」=「ふたたび」=「再び」=「再降臨」!!最後に「許す」という意味。イエス・キリスト自身が、こう言っています。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「だが,人の子が地上で罪を許す権威を持っていることをあなた方が知るために」(「マルコによる福音書」第2章10節)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーそう、神の子、イエス自身が、罪を許す権威をもっていると言います!●「又」=「許す」不思議と「又」の意味が、すべて、偶然か、イエス・キリストと結びついてきます。●「又」=「右」=「イエス・キリスト」!●「又」=「また・復」=「復活」!!●「又」=「ふたたび」=「再び」=「再降臨」!!●「又」=「有」=「わたしはある」=「私は有る」!!●「又」=「許す」!!そして、最後に「土」これは、もう紙幅も少ないので、簡単に。ここまでくれば、明白です。「白木(十字架の木)」=「九木」=「茎」を頭に入れておくと「土」とは、イエスキリストが十字架上で「死」を迎え、いったん石室の墓に入れられた、つまり、「土」の中に埋葬されたことの象徴ではないでしょうか。●「白木」=「九木」=「茎」=「草冠」+「又」+「土」=「茨の冠」+「イエス・キリスト」+「土に埋葬」 =「茨の冠をつけたイエス・キリストは、十字架上で死を迎え、土の中(石室)へ埋葬され、再び復活、終末に再降臨する」!?かなり飛躍してますが…(^^;ただ、「白木」と「茎」と「イエス・キリストの十字架上での死」が、シンクロしてきました。不思議な感覚です。「茎」とは、まさに「土」の中から、芽が出て、伸びていくものです。土の中から生命が芽吹いて、「茎」が伸びていく、それはまさに、イエスキリストが、いったん「死」を迎えたものの、「復活して」土の中から出て、再び世界を光で包み込む様子とダブってくるような気もします…。かなり、妄想入っていることは確かですが…(^^;ちょっと長すぎるよこれは、と、思った方は、ポチッと!(^^;)
October 5, 2005
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第十九幕「まっさらな天の法を巡らせて」の続きこのシリーズ、日本に伝わる「蘇民将来」とイスラエルの祭り「過ぎ越しの祭り」の類似性について、見ていくつもりが、いつものように、話がそれまくって、停滞していましたが(^^;、少しずつ、再開しようかと思います。たぶん、この部分から見たら、わけわからないと思います(^^;私自身も、これだけ間が開くと、何でこんな話になったのか分かりません…。ともかくイスラエルのエルサレムにある、「シオン」をみていたら、「シオ(ン)」=「塩(ン)」と導かれ、そして、「塩」という漢字に含まれる「皿」が気になって、「皿」をみてみると…。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「皿」=「サラ」=「沙羅」=「沙羅双樹」=「生命の樹」!!●「塩」=「土」+「人」+「口」+「皿」 =「土(アマダ)」+「人(アダム)」+「口」(命の息を吹き入れる」+「沙羅(生命の樹)」=「エデンの園」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーさらに、「沙羅」は、朝鮮半島にあった「新羅」という国の古名であることから、「沙羅(さら)」=「新羅(しんら・しらぎ)」!!となります。さらに、けんたまさまの音に返すを基本にすれば、●「新羅」=「しらぎ」=「しらき」=「白木」!!となり、沙羅双樹のもとで、釈迦が入滅したときに、その沙羅双樹が「白色に変じて枯れた」とあることから、●「新羅」=「白木」=「白色に変じてかれた木」=「沙羅双樹」=「生命の樹」!!が導かれました。ここまでが、前回までの流れです。うーん、長い…(^^;。★白木は死のイメージ★今回は、この「白木」について、勝手な考えを展開してみます。「白木」=「十字架の木」=「沙羅双樹」=「生命の樹」を抑えておきます。「白」を数理でみると、「ことたまワールド」のけんたまさまが述べられていましたが、「白」=「四六(シロ)」となります。●「白木」=「シロ木」=「四六木」=「46木」=「(4+6)木」=「10木」=「十木」=「十字架の木」?実は、前回「白木」=「沙羅双樹」が、釈迦の死の際に、うえを覆って「白色に変じて枯れた」とあることから、「釈迦の沙羅双樹での死」と、「イエス・キリストの十字架での死」が「シンクロ」してくるのではないか、と書きました。数理からみても、「白木」=「十木(=十字架の木?)」となり、沙羅双樹と十字架の木が、シンクロしてきます。「白」は、すべてを「まっ白」にするとか、「白旗をあげる」とか、「白紙の状態にする」とかいいます。要するに、すべてをゼロにするという意味で、いったん「おしまい」にする、「死」を迎えると、とらえることができます。死装束は、「白」ですし、白は、音に返すと、「白」=「シロ」=「死路」?にも通じていきそうです。また、人間は、「赤ちゃん」というように、生まれた時は、生命エネルギーに満ちている「赤」で、始まり、年をとるにつれて、体に、白いものが出てきます。髪は「白髪」、目には「白内障」とか。同時に、色の温度でいっても、「赤」は、高いです。実際に赤ちゃんの体温は高い。「白」は、雪に表れているように、温度からいえば低い。最近でも、体温が低い人ほど、自然治癒力が低い、免疫力が弱いことが言われています。今、低体温の人が増えているともいわれています。「冷え」がすべての病気の原因である、とも。ですから「白」は、「死」に近づいている色という見方もできます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●「白木」=「十字架の木(イエス・キリストの死)」=「沙羅双樹(釈迦の死)」ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「白」は「死」と関わっていると言えそうです。★白=九九★もうひとつの考えとして、「百」を漢字破字法からみると、「一」+「白」から成る漢字であることが分かります。●「百」=「一」+「白」なので、よく言われるように、「白」は「百に一足りない」状態だから、数理的に「九九」であると。●「白」=「九九」です。そして、「九九」=「99」=「9+9」=「18」=「1+8」=「9」 「99」=「9×9」=「81」=「8+1」=「9」●「白木」=「99木」=「18木」=「一八木」●「白木」=「99木」=「81木」=「八一木」どちらにしても「一」と「八」の「木」となります。そして、「一」+「八」+「木」を、漢字破字法の逆、組み合わせると、浮かび上がってくる文字があります。それは…「来」!!です。●「来」=「一」+「八」+「木」「白木」=「一八木」=「来」となります。「白木」は、先から見ているように、「十字架の木」であり、「沙羅双樹」を象徴していると推測できます。さらに、それは、「イエス・キリストの死」と「釈迦の死」を象徴しています。さらに、もう一歩踏み込めば、イエスキリストは、死の後復活していて、聖書によれば、終末に「再降臨」するとされています。一方の釈迦の入滅後も、五十六億七千万年後に、弥勒菩薩が現れて世界を救うとされています。ともに、構図は「死」であり、その後の「復活」「降臨」を示しているという点では、似ています。「再降臨」という言葉に対応してくると思われるのが、「未来」を象徴する「来」という漢字です。「白」は「死」であり、白紙の状態にする、すなわち、もう一度やり直す、もう一度復活する、となり、「死と復活、再降臨」をも意味していると、取れなくもない。「来」は、「未来」を表しますから、漢字は、聖書がベースになっている部分を考え合わせると、「未来」に起こること、すなわち「再降臨」ととらえることもできます。ですから、●「白木」=「一八木」=「来」も、シンクロ的に対応しています。しかも、偶然か、「五十六億七千万年後」は、数理で見ると「5670000000」=「5+6+7+0……」=「18」という数理です。先に見た「白木」=「九九木」=「99木」=「(9+9)木」=「18木」=「来(未来において)」とシンクロしています。「来」については、「蘇民将来」の「来」でもあるので、けっこう重要な漢字だと感じています。また、いつになるかわかりませんが、この漢字については、その部分からも見ていく必要が、あるかと思います。何だか、よく分かんなかったという方は、ポチッと!(^^;)
October 4, 2005
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★新月の願い★今日は、新月なんですね。いろいろな方が、紹介されていますね。これ書いたら、願い事を、新月の始まりから8時間以内に書くといい、ということで、自分のなりたい姿など書き出してみようと思います。前回から、この新月の願いはしています。今日、家に帰って、妻に言ったら、早速書き出していました。こんなに書いていいの?といいながら、10個いっぱいいっぱい、ちゃんと書き出していました。(^^;★フォト・アルバム機能★楽天も進化していますね。フォト・アルバム機能、最近トップページでされている方が多かったので、昨日してみたら、うまく移せずに、できませんでした。今日ようやくできたので、トップページへ。今まで、日記の中で載せていた、娘2人の写真を、組み込んでみました。★ハンドルネイム、マイナーチェンジ★お気に入りリンクさせていただいているさざなみ☆さまが、ちょこちょこ、ハンドルネイムを変えておられるので、それに触発されて(^^;、「ことは1972」から、「ことは(^_-)☆」へ、マイナーチェンジしてみました。絵文字は絵文字で、また味わいがあっていいかな、と思います。この絵文字もパクリなのですが(^^;、いいなあ、と感じたので、パクらセていただきましたあ。しばらくは、これでいってみます。余計なことばかり書きましたが、いい加減、本題へ。★レイキ・アチューメントをする★昨日10月2日は、ヒックルさまのお手伝いということで、レイキ・ファーストのアチューメントをしてきました。さざなみ☆さまと、あやや358♪さまと、もうお一方で、3人の方へのアチューメントを、大阪天満橋近くの会場で、させていただきました。妻に4回ほど、アチューメントはしていたものの、身内以外の人に、実際アチューメントするのは、はじめて。正直、はじめは、ガチガチでした。(^^;でも2回目からは、感覚がつかめたので、すぐに、リラックスしてできました。(1回目のさざなみ☆さま、すみません(^^;;…。)とにかく、自分を信じていました。光のエネルギーは自分を通じて、相手の方へと流れているというイメージでした。すると、落ち着いて、以降は、できました。エネルギーは、アチューメントしている間、頭上から、やわらかに、時にビビビッと、降り注いでくる感じでした。これは、終わった後も、頭のびりびり感は続いていました。また、している間、手が熱くなり、ぴりぴり感もきていました。そして、これは、少し驚いたのですが、体が、熱を持ったように、熱かったです。アチューメントする側も、エネルギーをもらっていることを実感しました。アチューメントは、ファーストの場合、3回のところもあるようですが、ヒックルさまのところでは、一人4回しました。その後、5人いたので、レイキサークル、レイキマラソン、レイキ瞑想などもすることができました。今回、お手伝いさせていただいて、自分にとっては、大きな自信になりました。エネルギーが、自分のところに流れてくるまま、相手に流していけば、大丈夫という感覚を、自分なりにしっかりと、つかむことができました。この機会に、声をかけてくださった、ヒックルさまありがとうございます。ますます、自己研鑽に励んでいきます。また、さざなみ☆さま、あややさまはじめ、今回、受けていただいた方、本当にありがとうございます。不慣れな部分もありましたが、エネルギーが、流れている感覚は、しっかりとありましたので、ほっとしました。安心してください。これをご縁に、レイキの輪をみんなで広げていきたいな、と思いました。ありがとうございます。こちらの順位も、熱くてアップする? な、わけないかな…(^^;
October 3, 2005
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★レイキマラソン★10月1日の夜11時から、整体師Sさまの呼びかけにより、遠隔のレイキマラソンに参加させていただきました。こういう機会を設けていただいて、感謝しています。ありがとうございます。レイキマラソンとは、「複数・連続ヒーリング」のことで、レイキを知らない方は「何のこっちゃいなあ」と思われるはずなので、具体的に、どんなことをするのか、書いてみます。(『癒しの現代霊気法』(土居裕)より引用)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー●レイキマラソン(1)一人の受け手に対し、大勢の人が一度にヒーリングする方法と、複数の人が長時間、交替でヒーリングする方法があります。これにより難病や現代医学で見放された人たちが救われた例が多数報告されています。霊気(レイキ)マラソン(特に複数の人が同時に行う方法)の素晴らしい点は、人数の二乗倍で効果が現れるところにあります。つまり二人で霊気すれば一人でするときの四倍となり、五人ですれば二十五倍の効果が期待できるというわけです。(2)この場合、手を当てる箇所は基本ポジションと、不調箇所(主として自覚症状のある部分)が対象となります。(3)送り手の人数が多すぎて、受け手のポイントに手が置ききれない場合は、手を置いている人の後ろから、その送り手の肩や背中に手を当てて、間接的に霊気エネルギーを送っても効果があります。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーレイキを知りたい方にも最適。また、実際活用するにも重宝の一冊。『癒しの現代霊気法』★当日の遠隔レイキマラソン★今回は、「大勢の人が一度にヒーリングする方法」でしました。しかも、遠隔ですから、実際に手を当ててするのではなく、対象の方の情報をいただいて、複数のおくり手が、遠隔ヒーリングで、対象の人にいっせいにレイキするというもの。今回は2名の方に、おくります。15分ずつ、分けてすることにしました。10時30分ころから、発霊法をして、基本の12ポジションに手を当てて、まず、自己ヒーリングをしました。そして、11時、少しフライングしていたと思いますが(^^;、まず一人の方に、遠隔ヒーリングをしました。整体師Sさまが書いておられました。「遠隔させて頂ける私達も、いい事があるのです。それは・・・・・・靈氣を通すパイプが太くなり、私達自身も癒されるからです。・・・」また、レイキ師匠のヒックルさまも全く同様のことをおっしゃっておられて、自分にもいいことが返ってくるとは、レイキって、すごい!と改めて思いました。そして、一人目を終えて、二人目に入って、少し眠気がしてきました。それでも、何とかおくれたと思います。いや、最後は意識がぶつぶつ切れていたような気もしますが…(^^;その後、少し横になろうかな、と思い、仰向けになって、ゴロンとしたら、そのまま寝てしまいまして、起きたら午前2時半でした(^^;レイキして、かどうかは知りませんが、こちらが、よく寝れました…。すみません。起きたけど、もちろん、そのまま起きるはずもなく、まだこんな時間かと、再び寝ました。次の日は、というか、すでに今日のことで、終わったのですが、大阪で、レイキアチューメントのファーストのお手伝いを、させてもらうことができました。今日は手が熱かったです。また、明日、書きます。こちらの順位も、熱くてアップする?
October 2, 2005
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音もなく 水面の波紋が 広がっていくひとつの想いが さまざまな現象を 創り出してひとつの出会いが さまざまな出会いを 生んでいく小さな輪は広がり さらに新しい輪が 広がっていく歪んだ形は 歪んだ現象を 生んで澄んだ想いは まっすぐに 心に響いてくる微かな風でも 水面に さざ波が 起こるように日々の 何気ない営みや ほんの一呼吸でさえ心に しっかりと 受け止めていきたいその当たり前の 繰り返しが やがては 波紋となり形なき未来へと 確かに 伝播していくはずだから…同じ水面の世界に 生れ落ちた 僕たち一人ひとりたくさんの波紋が あちこちで 生じて波紋と波紋が 重なり 交わって この世界で せめぎあいを 始めるこの不安定に揺れる 水面の世界で 生きていくには一人で 生きていこうとしても 一人では 生きられない必ず 誰かに影響を与えて 必ず 誰かから影響を 受けてしまう人と人との交わりのなか 新たな出会いは 新たな世界を 増やしてくれる未知の世界は ときめきや 喜びだけではなく ときに 戸惑いや 苦しみも 生み出すけれども その過程を経て 成長し波紋は さらに未来へ 広がっていく自分の素顔の奥底を 見ようとして空の色を映した水面に 顔を近づけてみると心の不安を 水面に託したように素顔は 頼りなく 揺らめいていた手のひらを 差し出すと 波紋が生じて水面の僕は 深みのない人間みたいに あっという間に 歪んで 消え失せた時の経過とともに やがて 波紋も 大いなる宇宙に 飲み込まれて水面の鏡は 僕の素顔を 再びくっきりと 映し出していくそのときに見える素顔は 笑顔でいたいと 心から思った水面は 留まるところなく さざめいている僕たちは この不安定な…でも 光できらめく 水面の世界を 生きていく※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※【散文詩『水面』について】今回も、一日遅れというのもあるので、ささっと打ち込めるものをということで、過去に書いてある散文を…(^^;最近は困ったときの、散文詩って感じになっています…。水面の波紋は、何となく見ているだけでも癒されるものがあります。すうっと同心円状に広がって、やがては自然と融けこんでいく、そのさまが人との出会い、世界の広がり、いろいろなものを連想させてくれます。
October 1, 2005
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