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また虫歯が勃発してしまった。今までは何年間も虫歯無しの生活が続いていただけに、ここにきての連荘にかなり参ってしまった。もしかすると虫歯がないと思っていただけで潜伏していた因子がいたのかもしれない。どうにも強固な歯というのが自慢だっただけに…失った信頼を取り戻すのに奔走しそうな勢いだ。尤も何に対する信頼なのかはわからないが…。どのような分野においても1度失った信頼の回復というのは苦労するということだろうか。そんなわけで歯医者探しから始めることにした。前の歯医者は治療的には良かったものの、どうにも治療を小分けにしている気がしてならなかった。1回で治す範囲が狭いような気がして仕方がなかった。しかも診断が終わってまだ日が浅いというのに虫歯が発覚してしまったのだ、そんな短いスパンで虫歯が形勢されるとは考えにくい。見落としだろうか?どちらにしてもそのようなところにまた行こうとは思えないわけだ。そもそも医療関係というのは点数制度を敷いている。こと歯医者においては、初診でも点数がかかることになる。それに加えてレントゲン、薬、治療となるとそれなりに多くの点数が掛かり、必然的に料金も多くかかることになる。歯科という分野においてはそれが顕著に見られるように思える。普通の病院ならば自分の症状にあった適性な診断というのは漠然としていても見えてくるものだ。しかし歯科においてはそれはわからない。自分の歯の状況というのは見た目だけでなく、症状の進行具合というのは素人目には判断が非常に難しくなる。こう言っては難だが、歯科に暗躍する玉虫色の診断というのはこの概念から生まれているような気がする。まぁ信用しないことには始まらない、苦虫を噛み潰す思いだが、高い診察料には目を瞑ることにしよう。ということで新しい歯医者を探すことになったのだが…これがまたなかなか見つからないものだ。私の住んでいるところは田舎故に歯医者自体の需要が少ないようで、一帯にはあまり歯医者が見つからなかった。なので苦肉の策で評判度外視のインターネット検索で新しい歯医者を探すことにした。行ってみないとわからないという博打的な賭けだがこれも仕方ないというところだろう。しばらく探していると一軒の歯医者を見つけた。幸いにしてそこまで遠いところでもないのでそこに決めることにした。今になって考えてみるとそれが失敗のもとだったような気がしないでもない。着いてみると、意外に大きなところで、これなら治療も待遇も期待できるものだと思っていたのだが、いざ初診の手続きをすると待つわ待つわ…およそ30分くらい軽く待たされてしまった。確かに歯医者は予約が命だ、初診に対する風当たりがきついことは想定していたのだが、ここまで待たされると歯医者としての器を見たようでがっかりしてしまった。ハズレを引くというのはこんな気持ちかとその段階で既にその歯医者に対する興味を失いかけていたところだった。長く待たされた結果ようやく診察に入ったのだが、診察室に通された時、その設備の凄さに驚いてしまった。そもそも私は田舎出身の為に、診察台が2台くらいしかない歯医者にしか行ったことがなかった。しかし行った歯医者は診察台がなんと5台もあり、しかも各診察台にはモニターがついていて、自分の歯の状態を逐一チェックすることが出来るようになっていた。これを見てこの歯科医に対する評価は少しだけ上がった。でも私はまだ根本的なミスをしていることにまだ気づかなかった。いざ診察が始まり、歯のチェックをしてもらったわけだが、その時に見つかった簡単な虫歯はその場で治してもらうことになった。その対応と今後の治療方針を明確にした後に、今日の診断はそれで終わりということになった。何か釈然としないままに次の予約をして帰ろうと思った時に、ふとその歯医者の看板をよく見てみると…そこにはこんな表記が…予防歯科 ○○○歯科間違えた_| ̄|○予防歯科では今後なるかもしれない虫歯や歯関係の病気を予防するだけで、今ある虫歯にはノータッチだったのだ。ネットで確認する時に、その病院の治療スタンスをもっとちゃんと確認しておけば良かったと今更ながら後悔が尽きない。しかも予約をしてしまったのだ、緊急に治さないといけない虫歯を度外視して予防歯科を受けるという矛盾を許容しなければならないという切ない事態に陥ってしまった。しかもその虫歯を治す為にはまた別の治療を趣旨とした歯医者に行かなければならない。面倒なスケジュールになりそうで自分の確認不足にうんざりしてしまった。それにしても歯医者のドリルの音はいつ聞いても眉間に皺が寄る思いだ。もっと素敵な音にできないのだろうか?
Feb 28, 2007
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いつものようにりっこさんからバトンを頂いた。これで何回目になるのかはわからないが、いつも指名していただいて嬉しい限りだ。逆に言えばもう何回もやっているのだから、面白いことが書けないといけないのだが…どうもそこに関しては聞かれたことに直感で答えてしまうのでダメなようだ。直感が面白ければそれでいいのだが、そういう奇跡はあまり起きないのが相場ということで…。今回のテーマが恋愛感ということで、私の得意分野(?)だ。どうにも一般的なバトンに関しては答えにくいこともあるのだが、恋愛関係に関するバトンだけはいつもすらすらできる。というわけでありがたく継承しようと思う。まぁ兎に角いってみよう。◆相手の年齢の上限・下限どこまで大丈夫?上限も下限も意識して作っている感覚はない。話ができる、お互いに必要とできる、適度な距離感を持って接することに違和感が無ければ年齢を気にすることはない。年齢を気にするということはある意味外見を気にすることと同義だから。◆理想は年下・タメ・年上どれ?年下は極端になりすぎると話が合わないという可能性がある。適度な年下であればそれもないかもしれないが、そこのところを一概に括ることはできないかも。パッとしたイメージで一番いいのはタメだろう。女性の方が往々にして精神年齢が高いということもある、タメくらいなら精神年齢差もそこまでひらきが出ないかもしれないから。◆好きな異性の有名人を心ゆくまで書いてみて下さい。異性の芸能人ねぇ…・ ラダミッチェル・ 永作博美・ 木村カエラぐらいかな。我ながらジャンルも全然違うので纏まりないような…(汗◆こうなりたい!と憧れる同性の有名人を教えてください。石坂浩二(字が間違っているかも)もっと色んな分野での知識が欲しいから◆恋愛は尽くすほう?尽くされるほう?尽くす方。好きだから色んなことをやってあげたいし、それで喜んでくれたら最高に嬉しい。お互いにあるがままである状態で上手くいくのが一番なのだが、気質が尽くす方かもしれないので仕方ない。尽くされるという概念がまだ経験がないのでいまいちわからないのも関係しているかもしれない。◆デートするなら割り勘は当たり前?デートでの割り勘なんてありえない。デートなのだから男が出すのが常識。しかしそれを当たり前と思って形式だけでも払う意思も見せない女性は嫌い。◆彼氏・彼女が居たら合コンなんてありえない?合コン未経験だがありえない。彼女がいるのに出会いを求めるなんてプアーだと思う。◆恋愛の為に頑張れる事は?環境や周囲に影響を受けずにあるがままの自分であり続けること。武装して恋愛に挑む、自分を偽ることだけはしたくないので。◆恋愛で相手に求めるものは?嘘をつかないこと。これに尽きる。嘘をつかれるということは信頼関係の欠落を意味している。聞かないことまで話してくれるのはいいが、取り繕った自分を見せられるのが一番辛い。◆理想のデートプランは??お昼は家でまったり過ごして、お腹が空いたら近くの美味しいお店へぶらっと食べに行くような気楽なデートがいい。だからと言って出かけるのが億劫なわけではない(笑)◆「恋愛には○○が大事」○○に入るのは?(二文字じゃなくてOK)「許容」と「包容」。やはり相手を大きく受け入れることが必要だと思うから。◆自分より学歴等が上と下どっちがいい?愚問。そんなものを見るほどお飾りに拘るつもりなどない。そういうのは常識があるかないかで判断するところが大きい。高学歴だから常識があっていいとか、学歴がそうでもないから常識がないという問題ではない。高学歴でも非常識な人間などごまんといる。◆今までで一番笑える恋愛エピソードをここで一つ。笑えるかどうかの保証はないし、そもそも恋愛経験がそうないのでなんとも言えないのだが…キスしている時に顎がかっくんかっくんなる癖を相手の女の子に笑われたこと。いいムード台無し_| ̄|○◆失恋したら聴くのは明るい曲?それともどん底まで堕ちる曲?音楽に頼ることはない。自分という人間がどのように相手に接してきたか、どのような部分が足りなかったのかを考える。そういう時はむしろ静かな方がいい。◆友達の彼氏・彼女を好きになったらどうする?それが発覚すれば彼女だけでなく友達にも迷惑がかかってしまうので握り潰す。仲のいい友達であればあるほどその傾向は強くなるものと思われる。友情も恋愛も同じくらい大事だ、どちらかに走ることなんてしない。◆告白は自分からする?自分からしかしたことがない。むしろされたことがないということの逆接でもあるが…笑「気持ちは伝えなければ思っていないのと同じ」というのがモットー。好きなら言う、言わないなら好きじゃないの精神で生きている。◆好きな色は?青・黒・オレンジ◆ケータイの色は?白 味気ないな。。◆貴方の心の色は?原色でありたいけど濁っていると思う。透き通った青でありたい。◆次の6つの色にあう人を選んでバトンを回して下さい。 (赤・青・緑・ピンク・白・黒)こと私に関して言えば、色とか云々よりも6人もまわせる人がいるかどうかが問題ないような…。というわけで持ち出しは本当に制限なくということにさせていただきます。しかし何人かにはまわしたいと思うので、その方は受け取っていただいてもスルーしていただいても結構だ。人脈の薄さが露呈されたというところか…。・赤 todayさん・青 ちるちるさん・ピンク 紗久來さん・黒 黒さん(笑)まぁこんなところか。いつもながらの体たらく。
Feb 27, 2007
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久々に掃除をした。ここ最近はバイトに実家に帰省と色んなことが重なってあくせくしていたので掃除をするということまでに気が廻らなかった。しかしそれも仕事のスケジュールを調整して休みを2日ほど頂いたので可能になった。なので滞っていた家のことをすることにした。掃除に洗濯、溜まっていた洗濯物の雑務を終えてコーヒーでも飲みながら今これを書いている次第だ。考えてみれば深夜に動く仕事をしていると、バイオリズムというのが一般の概念から遠ざかっていくようで若干体の調子がおかしくなってくるものだ。人間に必要なビタミンであるビタミンDなのだが、これは地味に見えて体調を整えるという意味では重要な意味を持っている。夕方から夜にかけて出勤、仕事が終われば朝の7時や8時となるとビタミンDを補給する時間もないというものだ。なのでこの休みを利用して普通の生活リズムに戻した。掃除や洗濯、買出しをしている間に少しでもビタミンDが補給できればいいものだ。早く起きて色々していると体が元気になったような気がして、今は気分も晴れやかだ。部屋のテレビの上にいつも置いてあるぬいぐるみがある。男のクセにぬいぐるみを大事にしているのか!?と思われるかもしれないが、このぬいぐるみは捨てる機会が多いにも関わらず何故かその機会を意思でスルーさせてきた一品だ。特に目立つような特徴があるぬいぐるみではない。むしろどこにでもありふれているようなただのぬいぐるみだ。しかし私はこれをもう7年も持っている。見かけはただの猿のぬいぐるみだ。表情はどこか憎めないもの(あくまで主観)で、何故か愛着が沸いてしまって手放せないでいる。このぬいぐるみとの出会いは浜辺だった。そもそもこのぬいぐるみは景品として扱われているものではなく、花火の…何と言うか打ち上げてパラシュートで降りてくる系統のものに付いてきているものだった。実家の海辺で友達と遊んでいた(確か空き瓶を燃やすとどうなるのかを実験していたような…)時に偶然見つけたもので、一目惚れというかすぐに気に入って持ち帰って洗濯したものだった。青い猿と一言で片付けると気持ち悪いかもしれないが、これがまたいい表情をしているのだ。それからそのぬいぐるみとの付き合いは始まった。私はUFOキャッチャーが結構好きだ。なのでそこで取ってきたぬいぐるみはいつもテレビの上の籠にうず高く積んである。それは収集欲があるというだけでなく、ただ単に「取る」という行為にだけ意味を見出しているからだ。取るまでが素敵なのであって、取ってしまえばそれはただのぬいぐるみに成り下がってしまう。どうにも病的であるかもしれないが、あのケースに入っている時には「取って取って~」と私に訴えかけているような気がしてならない。なので自然にゲームの前を占拠して100円玉をこれまたうず高く積んで挑戦してしまう。これははっきり言って厄介な癖だ。と、このように何度も何度も取ってしまうのだが、いざぬいぐるみがテレビの上に溜まっていくと思いのほか邪魔で、処理に困ることになる。しかし人形には魂が宿ると言う、そう簡単にゴミ袋に詰めて捨てるわけにはいかない。なので両親が私の家に来た時に実家に持って帰ってもらうようにしている。そのせいもあってかどうかはわからないが、今や実家にはぬいぐるみが溢れかえっている。両親の寝室にはプーさんが陣取っているし、リビングには大きめのリラックマがこれまた陣取っている。両親としてもぬいぐるみが結構好きなようで、最初の頃は喜んで持ち帰っていたのだが、最近ではもう持って帰ってくれと言っても拒否されることが多い。実家的にももう飽和と言ったところだろうか?私の家的にはとっくに飽和になっているのでかなり厄介だ。そこで話が最初に戻るのだが…そのお気に入りの猿のぬいぐるみだけは多くの面積を用いてテレビの上を大きく占拠している。どんなに大きく面積を取ろうとも、このぬいぐるみの飾り方だけは妥協できない。何故なのかは自分でもわからないのだが、これはこだわりなのだ。誰しもがこのような物持ちのいい何かを持っているという話を聞いたことがある。私の場合はこの猿のぬいぐるみであるが、例えば食器だとかキーホルダーだとか色々あることだろう。できれば私も男らしい物持ちのいいものが良かった。今もその猿のぬいぐるみはテレビの上で悠々とロッキングチェアーに座っている。身分がいいことで(笑)
Feb 26, 2007
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世は受験のシーズンだ。最近暖かくなってきて、桜の咲く時期も近いのかもしれない、そうなると余計に受験シーズンの煽りを受けることとなるだろう。大学進学においては多くのステップを踏まないといけない、そういう意味では今の時期にどのようになるのかはある程度見えてくるものだが、専門学校をはじめとする高校進学・中学進学の需要の多くを占めるのは今の時期の所謂一般試験というやつだろう。しかしながらここ数年でそのような所謂「受験戦争」というものは変化してきている。自らの目標を据えた時点からの努力で、そのベクトルの延長にある学校に行く、そういうものがない人は取り敢えずは一般的な流れに乗っかっていくことになる、それが今までの受験のあり方だった。それはつまり受験の本番は3月だということだ。しかし現代ではその姿が変容してきているように思える。それは昔に比べてやりがいを持って学校を選ぶという風潮がマイノリティであるということだけでなく、社会的な風潮の変化が原因だと思われる。簡単に言えば学歴社会だということだ。一時期ニュースでもやっていたのだが、今では私立の幼稚園なるものまであるらしい。名門の幼稚園があるという概念が、取り敢えず家から近いところに入っておくという考え方の上で入園した私にとってはかなり特別なことのように思える。単純に考えても、私立幼稚園というものは都会にしかないもののように思える。田舎では今でも幼稚園の位置づけは低いだろうし、大切なのは高校になってからだという考え方が当たり前になっている。しかし都会ではそれが異なってくる。その大きな理由は有名大学がエスカレーター方式に則って付属化していることにある。私に身近な例で言えば某R大学や某K大学がそうだ、最近小学校や幼稚園まで出来ている。ロースクールや法科学院を作るサイドビジネスのようなもので付属の幼稚園を作る動きが顕著になってきているようだ。私のいた大学では今のところそのような動きはなかったが、おそらく近い将来そのような動きは見えてくるだろう。話がずれた。今が受験シーズンである以上はそこに直面している方々にとってはナーバスな時期だろう。大学受験ではさほど苦労はしなかったものの、高校受験を一応まがりなりにでも経験している私でもそれなりにナーバスになったものだ、今の流れを汲んでいる受験生の方々は余計に暗のプレッシャーに苛まれる時期となっているわけだ。そんな中でいつも疑問に思うことがあった。それは「滑り止め」という概念だ。そもそも滑り止めとは自分の本当に行きたい大学や専門学校を受験すると同時に、そこよりも少しだけレベルの低いところを受けておくというものだ。個人によって捉え方に若干の差異はあるかもしれないが、概ねこんなところだろう。本命の学校に受かった場合、その滑り止めに行くことはもうない。これは多く見られることだろう。しかし、本命の学校に行けないという状況+滑り止めには合格した状況の時に、滑り止めに受かったところさえも行かないで、浪人という道を選ぶ人があまりにも多いという現象は毎年多く見られるものだ。これは高校や中学には見られないことかもしれないが、専門学校や大学では非常に多く見られるものだ。つまりは本題は「受かっても行かないなら受けなくていいのでは?」ということだ。自分に何かしらの目標があって学校を選ぶという場合において、本命に位置づけているところというのは勿論自分が一番行きたいところであるはずだ。しかし自分のしたいことと同じような分野で本命ほどではないにしても、同じような分野を設けているところなどそれこそ星の数ほどある。本命に思い入れがあるのは充分に理解できるのだが、滑り止めを受けるにしても自分のやりたいこと・学びたいことというのを念頭において滑り止めを選んでいるのではないだろうか?本命が受からなくて滑り止めしかない状況になり、それでも滑り止めを蹴るということは、滑り止めは本当に自分のやりたいこととは無関係のところを選ぶということなのだろうか。単純に入りやすいところを選ぶという傾向の方が一般的だとしたら、滑り止めとして位置づけられたところは非常に失礼な話だろう。大学や専門学校もそうだが、受験する学校を増やすということは、その試験に対応する勉強を余分にしなければならないことを意味している。それは確かに本命の学校の勉強の過程においておくようなものかもしれないが、ある意味では本命を受ける以上のプレッシャーになることもある。滑り止めに落ちるなんてシャレにならない、それだけは避けたいからだ。しかしそこまでしてまで受けたところを本命がダメだったという理由で合格したのにも関わらずあっさり蹴ってしまうならば最初から受けない方が合理的だとどうしても思ってしまう。受験だって経費はかかる、ただで受けられるわけでは勿論ない。それに加えて、自分の本当に行きたいところが自分の今現在の実力で余裕で届くならばまだいいが、そんな状況は稀だ。そうならばいけた時といけない時のことを想定しておくのもまた一つだと思うのだが…。そうまでして滑り止めを据える意味としては…やはり「受かった」という満足感を得る為なのだろうか?「全滅」よりは「滑り止めには受かった」という方が申し訳は立つだろうし、個人のモチベーションにも大きな差が出てくることは自明だ。しかしそんな一意の理由がここまで滑り止め傾向が蔓延するほどの理由だとは到底思えない。これだけは毎年この時期になると疑問に思うことだ。今回の内容、少し今の時期に書くには精細を欠いたかもしれない。ナーバスになっている方々に言ってはならない単語が多くあったような懸念もある。しかしこの時期にしか書けないことだというのもまた事実だ。願わくば受験生の方が見ていないことを祈るしかない。
Feb 25, 2007
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今朝方救急車が真横のマンションというかアパートに止まった。普通の人ならば真横の家に救急車が来れば何事かと思うかもしれないが、私はそうでもない。何故なら、そのようなことは珍しいことではないからだ。私が今の部屋に住んで今年で4年目となるのだが、その間真横の家に救急車が来たことはもう数え切れないほどあった。最初の頃は「近いなぁ、っていうか隣じゃん!大丈夫かなぁ?」と思って私もベランダから野次馬になっていたのだが、2度目・3度目を経ているうちに、雰囲気的に常習犯であるということがわかった。昨今、救急車をタクシー代わりに使うという事件が多発しているということを聞いたことがあった。なんでも大したことのない傷や怪我でも救急車を呼び、自分で病院まで行く手間やお金を節約(?)しようとする傾向にあるらしいのだ。酷い人では怪我も何もしていないのに、常習的に救急車を呼ぶ癖まであるらしい。最早そうなると救急車というのは信号も無視し、急いで駆けつけてくれるだけのただのタクシーと同じ扱いに成り下がってしまう。よっぽど会社に電話を入れるか、そこら辺で捕まえるよりも合理的だし、そもそも無料なのだ。ただ行き先が病院だけというデメリットも確かにあるにはあるが…それにしても緊急機関をそのように使うこと自体が褒められたことではない。よろしくないことを考える人間というのは総じて一般常識を持つ人間よりも社会の仕組みの裏をかくことが大好きなようだ。どのようなものにでも正しい使い方と、それを盾にした悪い使い方というのが蔓延しているものだ。そのいい例が拳銃の問題にも見える。拳銃は勿論日本国内では所持を禁止されている。それは諸説あるだろうが、基本的には犯罪への転用が危険視されているからだと言われている。確かに拳銃を合法化してしまうとそれが犯罪に転用されることなど火を見るよりも明らかであるし、そのような危険性は充分に予測可能なことだ。しかしそのような諸原因はそもそも拳銃の犯罪の転用性とは別問題にある。以前のブログにも書いたことだが、道具というものは使い方次第では人を殺める道具にもなるし、人の為になる道具にもなる。要は使う人間側のどのように使うかという「意思」の問題なのだ。こと犯罪の危険性で言うのであれば、はさみだってそうだし、包丁だってそうだ。極端な話をすればカッターナイフだってそうだし、針だってそういう意味では危険な道具ということになる。しかしそれが許容されているのは、他の用途で使うことが可能であること・それが生活において不可欠になっているという事実からきているものだと言える。そういう意味で言えば拳銃など何の役にも立たない。ちょっとこの壁に穴を開けたいから拳銃で…などという状況などありえない。それならばその用途で開発された先駆的道具があるわけだし、わざわざ日常に用途を見出している時点でそれは非現実のものだと主張しているようなものだ。警察が拳銃所持を容認しているのは、犯罪が起こった場合に犯人に対して絶対的な武力の差を見せ付ける為のものであるからだ。それを証拠に拳銃の発砲には許可が必要になる。警察だってバカではない、その道具を使うことのデメリットだって充分に承知しているはずだ。つまり、何が言いたいのかと言うと道具を規制するのではなく、それを使う側において悪しき習慣を断ち切る努力が必要というわけだ。しかし便利な世の中になればなるほどその隙間を縫うような人間は必ず存在する。なので上述した内容は悲しきかな理論上非常に難しいと言わざるを得ない。なので、拳銃においては一部例外はあれど一般に使用は禁止している。犯罪に使われるという目的以外にも犯罪抑止にもなるという考え方もできるが、拳銃を持ち込むことで抑えられる犯罪と拳銃を持ち込むことで起こる犯罪の度合いを考えれば実用化には至れないことは当然の流れだと思われる。国家的な考え方が変わらない以上は、この流れは永劫的に行われるだろう。それで本題に戻るのだが…救急車を呼ぶのにも無料というのがそもそもそのようなことが起こる原因だという考え方もできる。しかし悪しき習慣側に歩み寄るという形も納得できるものではない。タクシー代わりに使う人と本当に緊急で使う人というのは、同じくらいの割合ではないにせよ、やはり確実に蔓延っている問題だからだ。結局のところ救急車にしても拳銃にしても、使う側が正当な用途で使えるような状況を作り出さないと悪いことに転用される恐れがあるという意味では同義だ。とても難しい問題だとは思うが、しっかりとした法整備が必要だと思う朝方だった。ちなみに…隣の家から搬出された人を見たことは1度もないが、最近では救急車に乗っている人(つまり病院の人)のだらだら具合を見る限りでは、やはり呼び出される度に正しい使い方で使われているとは思えない。あくまで私の一方的な推論なので悪しからず…。
Feb 24, 2007
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テレビというのはどんどん便利かつ小型化してきている。これはどの電化製品にも言えることかもしれないが、ある程度のニーズに応えるような性能を兼ね備えたものの行く末は小型化になってしまう。どんなに便利でも、それがない時代はやはり重宝はする。ない故に求めるというのはそういうことだ。しかしその段階を超えると、その大きさに対して不満が出るものだ。そのものの開発当初の大きさが如何なものであってもその問題は必ず出てくる。当然と言えば当然だ。今あるものの現状に満足しないこと、常に利便性の高い方向へ持っていくこと、それが道具を使うことを運命付けられた人類の正当な進化だと言えるのだから。その中でもテレビの発達は非常に目覚しいものだ。テレビは私が生まれる前から既にあったものだが、今でも性能や形では日々進化し続けるものだ。白黒の時代というものを私は知らない、しかし物心ついた頃のテレビよりも今の方が格段に進化していることは最早自明だ。ものの発達というのはそこにニーズがないと行われない。それを考えると長いスパンで人間に愛されることとなったテレビは三種の神器に数えられるのも納得できるというものだ。本来テレビのシステムとは関係ないのだが、そのテレビの今やっているCMについて少し疑問に思うことがある。今日はそれについて書いてみようと思う。最近のテレビは薄型とか地上波デジタル放送などと同列に扱われるものとして画質がある。今までのテレビでは動く映像がぶれるとかぶれないとかいうジレンマがあったのだが、それを解消するシステムができあがったのでそれを宣伝しているのだろう。しかしよく考えてみるとそれをCMとして放送すること自体がおかしいことに気づくだろう。そういう類のCMを放送するということは、今までの画質と今回開発したでは差があるということだ。しかし、そのCMを放送しているテレビが旧型であるにも関わらず、そのCMで動く映像がぶれないというのを鮮明に映し出しているということは…今持っているテレビでもそのような能力があるということだ。動く画像がぶれて映し出された経験がある方ならそれは問題かもしれないが、そういう経験がある方はいないような気がする。つまりこう言っては極論かもしれないが、ことテレビに関して言えば、特に困っている部分ではないところが発達していると言えるだろう。勿論小型化や別の部分での性能の進歩も見られる。テレビの進歩が一概にダメだと言っているわけではない。それと似たようなことで…路上で配られているポケットティッシュについて思うところもある。ポケットティッシュはボランティアで配っているわけではない、そのティッシュ1つにしても宣伝効果のあるチラシを入れたりするものだ。私は今までなんだかんだ言ってそのようなティッシュをもらったことはなかった。貰っても結局は荷物になるだけで、ポケットティッシュに関しても勿論そうだが、フリーペーパーも貰わないようにしていた。しかし派遣の仕事をしていた時代にポスティングに似たようなことをしたことがあった。その時に配布の仕事の真似事のようなこともしたのだが、その時差し出したものを無視されると地味にショックを受けることに気づいたものだった。その経験から同じ仕事をしている人を見かけると、自分のショックを思い出してどうしても無視することは出来なくて貰ってしまう人になってしまった。これも一つの人生経験かと思う今日この頃だ。話が反れた。。そのような配布物はカラオケの割引とかクーポンとかすぐに使えるものがほとんどなのだが、時々住宅関係のものを見かけることがある。それを貰うたびにいつも思うのだが、こうやってポケットティッシュの住宅関係のものを見て「あっ、家買おう」と思う人がいるのだろうか?住宅関係がカラオケや割引クーポンほどの破壊力がないのは自明だし、今のところそれを見て家を買った人を見たことはない。住宅関係が劣っているとは決して言わないが、宣伝するフィールドをもっと考えた方がいいと思うのはお節介だろうか。
Feb 23, 2007
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失礼なメールを送ったこと。失礼なことをブログに書いてしまったこと。被害者ぶってしまったこと。正当化してしまったこと。偽善者ぶってしまったこと。全てのことに対して自分の人間性が欠落していることを責任転嫁したこと。話を聞かなかったこと。精神的な依存関係を作ってしまったこと。お金のことで依存関係を作ろうとしたこと。ブログに精神的に追い込むようなことを書いたこと。友人だと思ってくれていたのに裏切るような真似をしたこと。純粋な気持ちを踏みにじるような真似をしたこと。口答えしたこと。逆切れしたこと。不誠実なこと。色々書いてしまったこと。傷つけてしまったこと。不用意な発言をしてしまったこと。怖いという理由で電話にでなかったこと。他人に内部のことを簡潔ながらも説明してしまったこと。いい加減な人間なこと。逃げるような真似をしたこと。正しいことを目の前に怖じてしまったこと。真面目な話をしている時にタメ口で話してしまったこと。法律的にストーカー規正法にかかるようなことをしまったこと。不適切な表現をしたこと。メールの返信が遅れてしまったこと。すぐに返すべきことなのにアルバイトがあったこと。何度も電話に何度も出なかったことで責任転嫁したこと。偉そうなことを言ったこと。嫌な思い、辛い思いをさせてしまったこと。自分が金づるにしようと思ったこと。非があるのは自分なのに言い訳してしまったこと。信用を裏切ったこと。喧嘩を売ったような発言をしたこと。結局自分を正当化したこと。返信で不快な思いをさせてしまったこと。気持ち悪い真似をしたこと。許可なくブログに転載したこと。夢の話(red am)とは言え、そのような内容を書いてしまったこと。よく考えなくても気持ち悪いことを平気で書いてしまったこと。バカな発言をしたこと。全ての事柄において自分に非があるのに認めないこと。本当に申し訳ありませんでした…。今までこのように書いたものは個人間のメールを基に謝罪しているものであって、お互いの了承を得て自らの意思で書いたものです。友人関係でお金の問題は非常にナイーブな問題です。しかしそれにも関わらずに、お金に依存する・お金のあるないで友情を判断するといった内容をメールとして送ってしまいました。そのことを送るだけに飽き足らず、言及されるとそれを正当化・偽善化して議論の場から逃げてしまったことが上述のようなことを書くにあたった原因です。その他にもブログに関する内容で無許可転載したもの・特定の人物と推察できる内容を書いてしまったこと、それに伴う影響について考えなかったこと、そのことが相成って今回のような謝罪文を書くにあたりました。
Feb 22, 2007
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最近ではめっきり春のような日差しになってきた。おかしな天候だとはいってもやはり春になれば帳尻が合うと言ったところだろうか。冬は私にとっては難敵なのでそれが終わることは素直に嬉しいことだ(過去の日記参照)。しかし雪を見るのはすごく好きだ。なので我がままを言わせていただくなら「寒くないのだが雪が降る冬」がベストだ。それならば私の肌も疼くことなく快適に過ごせそうなものだ。夏は夏でそれなりに困ることもある。乾燥性敏感肌が武装したような弱弱しい肌であるが故に冬の乾燥だけでなく、夏の汗にも弱いのだ。なので私は周囲の奇異の視線を避けるように夏でも長いズボン以外は履かないようにしている。とても見せられるようなものではないからだ。夏はヤバイが冬はもっとヤバイ。はっきり言って冬は誰とも会わないようにしたいくらいだ。それほどまでに私の肌は…ボロボロなのだ。脱線した…。そんなわけで温かい日差しやポカポカ陽気がかなり待ち遠しいこの時期に、私のブログは見事1年の誕生日を迎えた。思えば始めた当初はこんなに続くとは思っていなかった。私はAB型には珍しく(AB型自体が既に珍しいが)3日坊主の傾向がある。とは言っても本当に始めたことを3日で止めるわけではなく、1ヶ月くらいでやめてしまうことが多い。一応これも「3日坊主」という概念に入ると思う。始めるからには1年スパンでやらないと続けたとは言えないのが持論だからだ。持論を持っているにも関わらず、それを実行できないあたりは自分の決断力の弱さが滲み出しているようで反省ものだ。それがこのブログだけは見事1年を迎えることが出来た。当初の目標である「日記記入率100%を守る」というのは見事に出来なかったものの、それでも今日現在で日記記入率は93%前後ある。3日坊主の私としてはかなり頑張った結果だと言えるだろう。内容の是非については…猛烈に反省する内容も多々あるし、上手く書けたと自画自賛しているものも数件だがある。大手テキストサイトのように読んで面白いものをコンスタントに書ける自信なんて皆目なかったが、あくまで私としてはこうして私なんかの拙いブログをお気に入り登録してくださっている方が多くいることが嬉しくて堪らない。それは内容を評価されたと大それたことは言わないが、それでもつまらない内容ではなかったということを如実に示している。さて、内容についてだが…これは何度も日記で触れてきたことだが、最初の方にネタを放出しすぎた感がどうしても否めない。以前から「人に見られる」という場で何か書いた記憶がない為にどのような語り口で書いていいのかわからず、スタートダッシュでネタを不毛に使い込んでしまったというのがこの1年の反省事項だ。それでもこうして365日目を迎えるにあたって当たり前のようにPCの前に座ってこうして書いている、そのことが継続の成せることだと自負する部分も無きにしも非ずだ。私は他の誰でもない、私にしか書けないことを書いてきたつもりだ。それが面白いかどうかを判断するのは他でもない、読む方々だと思っている。私自身が面白いと思っても、それが受け入れられないような現象が起こることもまたブログに置ける日常だと理解している。どんなことを書けばウケるかなどは毛頭考えてはいないが、できれば肩肘張らないで読める・書けるものを目指していきたいと常に思っている。肩肘張らないで書いてはいるが、読めているかと言われれば少々疑問に思うのもまた事実だが(笑)そんなわけで私の分身、内面だけを取り出したようなこのブログ、途中何度もやめようという出来事はあったのだがそれでもなんとかしぶとく1歳の誕生日を迎えることが出来ました。誕生日おめでとう♪
Feb 21, 2007
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先日地球温暖化について書いたのだが…私が大学で勉強していた専攻科目と地球温暖化に対する人類の行動というものに近似するものがあることに気づいた。遥か昔に書いた内容とも通じるところがあるのでそこについても関係させて書いてみようと思う。今回はちょっとだけ私の専攻科目の内容になる。しかしアカデミックな内容などとは程遠いことは確実に言えることだ。まぁ私としてもアカデミックでない且つわかりやすくて面白いというところに惹かれてこれをやっていた感もある。というわけで本題だ。人間というのは心理的に自分が楽にできる方向へ靡く傾向がある。それはある程度の文化や知的レベルを有しているという土台に立つことになるのだが…そこは不問にしないと議論が進まないのでその理論に立ち入ることはやめておこうと思う。それはある経済学的な問いをニューヨークの若者にするのとマサイ族の若者にすることに似ている。生きている環境に文明の利便性が入っているか否かが答えに大きな違いをもたらすことになるので、今回は文明の利便性を享受しているという仮定でいこうと思う。私がやっていた学問というのが公共経済学という分野だった。それは所謂ファイナンスや株における経済学というよりも、平たく言えばもっと人間に近い…しかし概念的な分野だと言える。以前に村祭りでのお神酒の話を書いたように思うが、そのようなことを基本概念として形成されているものだ。一言で言えば公共財だ。公共財とは「みんなで仲良く使う」ということを基本理念にしている。例えば車が1台、人間が2人いたとする。Aさん・Bさんがともに車に対して100万円の価値があったと判断したと仮定しても、車は運転できるのは1人だけだ。Aさんが運転している時にBさんは運転できないし、その逆もまた然りだ。助手席に乗っていることに価値を見出す人がいないのでその公式が崩れることはない。故にその車のAさん・Bさんの下した価値というのは100万円でしかない。このように1人からしか価値が得られない財のことを「私的財」という。それに対して「公共財」というのはみんなが1度に利用できるものを指す。それは橋であったりトンネルであったり信号であったり灯台であったりする。例えば離島と離島を繋ぐ橋が架けられたと仮定して、AさんもBさんもその橋に100万円の価値があったと判断したとすると、その橋の価値は合計の200万円ということになる。離島と離島を繋ぐということで便利だと思う人は多くいるだろう、その人口が多ければ多いほどその橋の価値は結果的に高くなっていくことになる。これが私的財との大きな違いだ。車の場合は価値を正当に判断する人間が100人いようが200人いようが、乗れるのは結局1人なので、価値はどこまでいっても乗る人の価値観によって変動することになる。つまり私的財と公共財の違いは「独占できるか否か?」ということになる。そのような勉強をしていたのだが…これが全ての出発地点だった。それに関連して村祭りのお神酒の話を書いたのだが…きっと覚えている方もいないだろう。敢えてここでは書かないこととする。詳しくはここだhttp://plaza.rakuten.co.jp/kyo5918/diary/200606160000/まぁそんなわけでやっと本題になるのだがこの「村祭りでのお神酒」の話と同じことが地球温暖化の対策においても言える。簡単に言ってしまえば、どんなに強固で抜かりのないシステムを構築したとしても、それを守る人間側が守る気持ちがなければそれには何の意味もないということだ。例えば地球温暖化に最も影響があるとされる二酸化炭素の排出をするもので有名な冷房や暖房といった空調設備に対して設定温度を下げて地球温暖化を食い止めよう!というキャンペーンが出たとしても、そこにはするかしないかという選択肢が存在している。どうしてもという緊急性があるわけではない、ある意味ボランティアと同じものがあるからだ。それを選ぶ権利が施策側にないとすると、それを守ることをしない…つまり酒樽に水を入れた若者のような人が蔓延してくることになる。それを自助努力に任せている段階で政府は本当に実行する気がないととられてしまっても仕方ないとも言える。だからといって法整備するにはまたそれなりのごたごたが待っている。税金に関することを国会に通すのが大変なこと、つまり一般市民が生きていく上で障害となるものを法整備するのが大変なことを考えるとそこに時間を割くのは得策とは言えない。上手くいかないことを法で縛るのは国の体制としてよろしくない、法律は生活を円滑にする為にある、それは人を縛るものであってはならない。その齟齬が余計にこのような軋轢を生んでいるような気もするのだが…。自由にしても法整備を敷くのも間違っている、ではどうすればいいのか?それは簡単なことだ。それを選ばざるをえない状況を作り出せばいい。冷房や暖房といった空調設備に関して言えば…所謂政府が推奨する設定温度までしか機能しないものだけの市場にしてしまえばいいのだ。しかし冷房・暖房というのはすぐには効かないという欠点がある。設定したい温度にしたいが、その温度にビタでしてしまっても求めている温度になるにはそれなりに時間がかかる。なので求めている温度に早く近づける為に、その温度よりも3℃か4℃くらい差をもたせて空調を使うという人もいるだろう。それが出来ないとなると苦情が出るかもしれない。しかしそれだって技術を持ってすればさほど難しいことではない。つまりは多くの設定温度という幅を持っているからこそ、それに対応する温度にする為に無駄な労力を割いているに過ぎない。その幅を狭めてしまえば、必然的に1℃毎の温度到達も早くなり、今までよりも効果的な空調になることが予想できる。それだけでなく、地球温暖化対策にもなるので一石二鳥だ。そうは言っても結局はそれが出来ないとなると…様々な要因が絡んでいることのように思う。こんな一個人が想定できる内容などというのは、お偉い方々は10年以上も前から考えていることのように思える。「しましょうしましょう」という概念はやめた方がいい。それをせざるをえない状況をどれだけ自然に作り出せるか、それが選択肢を持たせるということだと言える。拘束するだけなら動物でもできる。高等動物だからこそできることをすべきだと思うのは私だけではないはずだ。
Feb 20, 2007
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それにしても妙な天気が続いている。様々なニュースで取り上げられているのだが…今年の異常気象はかなりのものらしい。まずは積雪が圧倒的に少ないことだ、これは全国的に見られる現象らしくいつもは降るところにも関わらず0センチであるところも多いようだ。それだけではない、元旦に向日葵が咲いたり梅が開花したり夏の風物詩の蛍が飛んでいたりと、日本だけを微視的に見てもおかしいことは一目瞭然だ。考えてみれば「温暖化で極部の氷が解けて海面上昇」とか「平均気温が上がって、都市部ではその勢いが増す」とか「暖冬になることが多くなる」とか言ってはいるが、それを実際に体験したことはなかった。海に行っても今年の海はいつもより深いなぁ~と思うこともないわけだし、そうでなくても海流の関係で海の深さというのは変動している。なので仮にそう感じたとしても…それが地球規模での地球温暖化で起こった出来事かどうかを特定することはできないわけだ。そういえば私の実家から50メートルくらい行ったところに湖があった。それは一応京都府で一番大きな湖とされているのだが…まぁ所詮は狭い中での一番ということで琵琶湖のように対岸が見えないということもない。そんな湖だが、その湖が府下で一番大きいということは何故だか昔からよく聞いていたことだったので既知の事実だったように思える。しかし大きい大きいとは言ってもどう見ても大きいようには見えなかった。池の延長だと言ってもいいくらいの大きさだと言える。もしかしたら京都にはこの湖しかなくて、だから一番なのか?もしかしたら「一番」とは言っているものの…大きさが一番じゃないんじゃないか?というような想像を巡らせていた。実際に図書館などで調べてみると、事実そうではなかった。本の内容によると、深さと大きさが一番だったらしい。私をはじめ、私の友人達は絶対に汚さで府下一だと思っていただけに…事実一番な部分があっても納得できない部分があったのも一つだった。話が脱線した…。その湖は昔から馴染んでいるもので身近なものだったが、その湖の変化を市内に住むようになってから気づきだした。どう考えても帰省するたびに水位が上がっているように思える。この湖は海と繋がっていて、時々水門を開くことによって海水と淡水の入れ替えを行っている妙な湖だった記憶がある。それが地球温暖化に影響あるかどうかはわからないが…幼い頃に釣りをしていた岩壁のようなところが今では完全に水没している。誰がどう見ても水位は明らかに上がってきている。私が敢えて地球温暖化の実情を挙げるとするならばそれだろう。それだけではない、私の地元は一昔前は豪雪地帯だったようだった。歴史に残っているものとしては(あくまで小さな小さな歴史だが…)昭和38年に2・3メートル以上も雪が積もり、窓から出入りしていたという状況があったらしい。しかし今となってはそんな雪を見ることも少ない。ここ最近で一番積もったのは私が高校1年生の時だった。それにしても70センチくらいのもので…2・3メートルにはほど遠いものだった。今年に至っては5・6センチ積もったことが一回あっただけのようだった。そういうところから考えてもやはり温暖化による影響は忍び寄っているように思える。1人だけが一生懸命に頑張ってもどうにもならないのが温暖化対策の厄介なところだと言える。むしろ100人が対策を講じても1000人がないがしろにしてしまえば状況は悪くなる一方だ。そんなつもりはさらさらないかもしれないが…こと地球温暖化の問題にしてみれば人類の協調性が問われる問題のように思えて仕方ない。
Feb 19, 2007
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今日の仕事は比較的ルールが簡単だった。というのも一般的にはよく知られているスーパーだったからだ。この仕事慣れてくるとそれなりにルールが簡単かどうかがわかってくるものだ、この場所の系列はもう3回目なのでルールに関してはもう頭に入っている。しかし厳密には店舗によってルールに若干の差異が出てくる。そんなわけで慣れた場所にも適度の緊張感をもって挑むことにした。この店は所謂ハトをトレードマークにしているところで…手狭ながらもそれなりの規模を誇っている。それだけならいいのだが…3階という階層がかなりネックになってくる。今回の店舗は地上3階建てのところだった為にルールが簡単ながらもそれなりに苦労することは目に見えていた。というわけで出発したのだが、今回の店舗は事務所に近い場所だった為に想定していた入店時間よりも早くついてしまった。なので入店時間になるまでのおよそ30分間くらい車の中で待機していることにした。その時静かなのは嫌なのでラジオをつけていたのだが…そこである特集をしていた。それは仕事に対する男女の考え方の相違というものだった。特にイギリスの女性の仕事に対する考え方をやっていたのだが、それが私の中ではかなり衝撃的だった。そのラジオのパーソナリティによると…イギリス女性に仕事についての統計をとったところ「もともとはイギリス女性に聞いた上司にもつなら男性・女性どっちがいいか?」という質問だった。結果的にはイギリスの働く女性は女性の上司よりも男性の上司を好むということがわかった。私としてはそこには何も感じるところはなく「へぇ~」くらいにしか思わなかった。しかしそこから個々の質問に移った時にはちょっとづつ違和感を感じていた。それというのは… 出世の為なら上司に取り入ることも厭わない YES→70% 同期の仕事上の失敗が嬉しくてたまらない YES→70% トイレで1人で泣いたことがある YES→3%といったようなものだった。これを聞いて正直言って驚いてしまった。確かに仕事に対するスタンスというのは男女の間で差異はないようなものであるのだが…ここまでオープンな結果が出てしまうと逆に正直に答えているとはいえ恐ろしさを感じるものだった。きっと同じようなアンケートを日本の企業で働く女性に対して行っても結果にそれほどの違いはないような気がするが、それでも日本人という気質を考えるともうちょっと奥ゆかしいところがあってもいいように思える。本当に腹黒いのは思うことではなく、思っていてもそれを表に出さずに飄々としていることだ。日本人とイギリス人の働く女性が同じことを思っていると想定すれば、腹黒いのは断然日本人ということになる。勿論企業と商社のありかたが日本とイギリスでは異なるという根本の問題がある。なので同じ質問をしたとしてもバックグラウンドが違うので同じ土俵で扱うことはできない。しかしそれを度外視してもあまりある答えというか何と言うか…。その車、そのクルーは私を含めて8人だった。しかし男性3人で女性5人という組み合わせだったのだが…その放送が終わると同時に妙な雰囲気になってしまった。私を含めて男性陣はおそらく5人の女性のうちの何人かは先ほどの放送のようなことを考えているのだなぁと思って言葉を発することを躊躇ったのだろう。見事にラジオをつける前よりも雰囲気は悪くなってしまった。そんなわけで仕事内容とは関係ないことに終始してしまったのだが…まぁこういうのも悪くないだろう。笑
Feb 18, 2007
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随分前から更新が滞っていたような気がする。そんなわけで様々な部分でこのブログ、リニューアルを加えていこうと思う。まずはこの語り口だ。そもそも1年以上書き続けるという自分の中では偉業に分類されるようなことをしているにも関わらず、実際の口調とは異なる書き方をよくもまぁ1年もできたものだと我ながらうんざりするところも正直なところある。ある方からよく指摘されるのだが、実際の私と大きく異なる部分が口調からも滲み出しているというのが会ったことのある正直な感想らしい。なので新しく書き始めるということにあたってその部分をまずは改善していこうと思う。しかし物事が劇的に変化することがないように…急には変わらないことは自明のことだ。急に変えられるならばとっくに変えているし、そもそも前の口調に関するブログにも書いたように、関西弁のもつ独特の馴れ馴れしさが私自身そこまで気に入っているわけではない。しかし環境というのは恐ろしいもので…そこにいるとその言葉を当然のように話してしまっている自分がいるのもまた事実なのだ。そんなわけで徐々にということにはなるのだが、変えていこうと思う。結局1年経っても変わってないじゃないという意見も今からながら聞こえてきそうだが…それは大筋とは関係ないものと見なしてスルーさせていただくこととする。何故ならば私がここに1年以上書いてきた内容に嘘偽りは1つとしてないからだ。本心を書いているというのが私が面白さの欠片もないこのブログに持ち続けているポリシーのようなものだからだ。本来ならば考えていることの意図を汲み取って口調から人間性の割り出しを行わないのが最も望んでいる形ではあるのだが…人間同士のクリークである以上はそこを最優先で望むことは高望みしすぎているというものだ。やはり初めて会った人の印象を内面で見ないのと同じように…外見や話し方が印象を決定付ける要因であることに関しては否定的ではない。そのような考察を経て導いた結論としては…自分的に(あくまで自分的に)面白い、つまりネタ的な要素の強いものに関しては口調も柔らかくしていき、社会問題や自分の思っていることを書く時にはいつものようにしていこうということだ。300件以上を書き連ねてきたのだが、一体いくつ面白いものが書けたかと言われれば正直疑問だ。例のT運輸(過去の日記参照)に関しては我ながらなかなか面白い言い回しができたものだと思っているが、それも勘違いかもしれない。まぁそんなこんなの紆余曲折あって新年度を目の前に変えていこうと思った次第だ。所詮融通が利かなくていい加減な私の捻出するものだ、面白いなんて思って書いていることなどさらさらない。結局何が言いたいのかよくわからなかったのだが…まぁそんなわけっちゅーことで。笑
Feb 17, 2007
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今日の仕事は某デパートの系列、イズ○ヤだった。ちなみに書き忘れていたかもしれないので一応書いておこうと思うが、私のしている仕事は棚卸だ。その店に一体どんな種類のものがどれだけの総数おいてあるのかをカウントするという一般的には地味な仕事の部類に属するもので…肉体的な疲労は立ったりしゃがんだりを繰り返すということによる腰の痛みくらいのものだった。しかしこの仕事にもちゃんとやりがいは感じている。普段何気なく見ている店の商品も、それを管理する大変さや利用するだけでは気づけないような部分も見えてくるからだ。もう結構何度も行っていることもあって、仕事にもやっと慣れてきたといったところで某デパート系列に配属になってしまった。ここは業務的にもそこまでルーチン的にこなしていくところではなく、私のような新人を多く配分してもすぐに終わるだろうという上からのお達しで実験的にやってみようとなった場所だった。しかし実際に現場に着いてみると、名前にまず驚いてしまった。その名前というのが…「イ○ミヤ スーパーセンター」だった。どこらへんがスーパーなのかは見た瞬間機敏に察知することができた。階数は地上1階とそこまでではないものの、その1フロアーが圧倒的に広かったのだ。これは予定時間である9時間で終わるのかどうかの一抹の不安を感じたものだったが…だいたいそのての不安はどの現場に行った時にも感じることなので、自分のできる範囲のことをまっとうするのが私の仕事だと切り替えて仕事にかかることにした。ちなみに入店した時間は21時だった。その後、スーパーならではの飲料品コーナー、お菓子コーナー、雑貨コーナーと円滑に終わらせていったのだったが、本当に大変なのはその後の電化製品コーナーだった。ある程度のホームセンターよりも品揃えが充実していることもあって、電動ドリルや洗濯機、削岩機やチェーンソーや電球など、膨大な量を目の当たりにして少し怖じてしまった。しかしそこは見ていても減るものではない、兎に角やらないといけない。一心不乱に数を数えていった。今日の仕事のアップ予定は30時だった。しかし30時の時点で半分くらいしか終わっていないという現状だった。この仕事は予定の時間に終わらなくても業種の関係上打ち切るわけにはいかないものだ、棚卸の為にわざわざお店を休業にして協力してくれているのだ、そのリスクを背負っている時点でどれだけ時間がかかろうとも完全に終わらせなければ意味がないのだ。そんなわけでアップ予定の時間に全く終わってなかったにも関わらずそのまま作業を続行することとなった。私もその時4時間がかりで難航していた電化製品を終わらせて意気揚々と次のコーナーへいくところだった。次はベビー用品コーナーになっていて、作業的には捗ったのだが、それにしても量がやはり半端ではない。半べそになりながらも残業に入ることとなった。そのまま社員さん達が眠さのあまり妙なテンションと終わらない苛立ちからピリピリムードの中、やっと全作業工程が終わった。結局品物のスキャニングや申し合わせを含めて全員が帰路についたのは35時半だった。最早意味のわからない時間かもしれないが、つまりは午前11時というわけだ。結局労働9時間、実働8時間、残業5時間という前代未聞の労働になってしまった。帰りの車で社員さんに聞いてみたのだが、この会社始まって以来の激務となったようだった。まぁこの手の労働時間には慣れているのでそこまで体調がおかしいわけではないのだが、やはり連勤でくるとそれなりにも疲れは溜まってくるものだった。会社に帰りついた時、怖いとされている社員さんが優しく迎え入れてくれたのを見て何故かそこにやりがいを感じた。大変な仕事を大人数でこなして充実感を得る、それがこんなに気持ちのいいものだとは思っていなかった。まだまだ知り合いと呼べる同僚はいないのだが、短期のこの仕事、これからも邁進していこうと誓った水曜日だった。ちなみに…仕事の時間の関係上ブログをアップできないことが多かったことは非常に申し訳なく思っている。できる限り更新をしようと思ってはいるのだがいかんせん帰ってきたらバタンキューで起きたらすぐ出勤なのでブログを書いている時間はなかった。しかしそれは今まだ完全にこの仕事に慣れていないからであって…慣れてくるとブログを更新する余裕も出てくることだろう、その時まではとびとび更新の無礼を許して欲しいと身勝手なお願いだ。更新の頻度だけがウリのこのブログ、仕事を始めて早くもその軋轢に悩んでいる今日この頃だ。
Feb 14, 2007
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というわけで初めての試み。内容は前に言った様に喋り言葉でのブログの更新ってことになってんけど…実際どんな感じで書いていいのか全然わかれへんから、まぁ普通にあったことでものんびり書こうかなぁって漠然と考えてるって感じやんね。バイトも取り敢えず今日から研修期間に入るってことでちょっとだけ緊張してた。けどバイトの経験は人一倍あるって自負してるだけあって、初日に挙動不審になるようなことだけは避けたかった。内容が内容だけにそこまで重要なポジションにつくことはなかったって言えばそれまでなんだけど…結局初日はかなりいい感じで出来たって感じかな。やけん周りの人がすっごいいい人ばっかりで不安みたいなものもすぐになくなったのが良かったことやなって素直に思えただけでもこのバイトを選んで正解だったって思えんねんな。確かに夜勤(「き」にアクセント)の仕事って結構あくの強い人ばかりいるさかいにそれだけはちょっと不安だったって言えばそうやけど…でもやっぱり俺自身がそういう人種ってこともあってすぐに馴染んできたっていうのが第一印象っちゃ第一印象かな。なにが良かったっていっちゃん偉い人がきさくだったってことが斬新やったね。今までの経験上偉い人は偉そうにするのが相場って感じやってんけど、今回はそんなことなかったし、むしろ丁寧に色々教えてくれて初めて仕事が楽しいって思えたんが収穫やった。そんなこんなで初仕事も上手いこといってこれからに期待って感じの1日目でした。はっきり言ってここまで私自身の言葉を活字化できるとは思っていなかった。しかしこれは何度見てみても私の普段となんら変わりない。こんな風にお国言葉を書いてみるのもまた面白いかもしれない。読みにくかったようなところがあってもそこはご愛嬌で…(汗客観的に見てみて思うのが、関西弁で書くと内容が幼稚に思えてくることだった。確かに実のある内容は書いてはいないが…これでは小学生の感想文のような気がしてならない。笑
Feb 13, 2007
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なんとなく暇を持て余していた午前4時。することもないし、寝るにしても早すぎる時間だ。寝るにしても早すぎる時間というのは私の生活リズムが仕事の関係上昼夜逆転生活をしているからこそ言えることであって…一般的に言う常識とは異なることは予め言っておかなければならない。そんなわけで暇を持て余していたわけだが…ふとあることを思いついた。それを以下に記してみようと思う。私のブログ、もうそろそろ1歳の誕生日を迎えるわけだが、ふと思うことが多々ある。それは一般的に言うブログというものからかけ離れすぎているのではないかという懸念だ。私はこのブログではこのような書き方をしているが、勿論リアルでこのような話し方をしているわけではない。普通に話が通じる日本人であることは自覚しているし、そこの部分で現実との乖離があるかと言われればそれはないと胸を張って言えるからだ。しかし私が今まで書いてきたことは私が本当に思ったことや感じたことなのだが、口調という点で嘘をついているとまではいかないものの、その一点で本当のことを書いていないような気がしてきた。ここには多くのことを書き込んできたつもりだ、書き込んだ内容も今回の内容を含めれば362件目となる。しかし私が本来使っている口調で書いたことなど1度もなかった。長く継続してきたことなので当たり前と言えば当たり前になりつつあるのはわかっているのだが、熱心に読んで下さっている方が1名でもいらっしゃるのであればそれは失礼にあたるのではないかと考え付いた次第だ。而してある計画を考え付いた。それは1日だけの限定で口調を私が話しているものにしてみようという計画だ。これは今まで…それこそこのブログが生まれてから読んでくださっている方がいらっしゃれば不自然以外の何者でもない。こんな稚拙で幼稚なブログに1年弱も付き合ってくださっているのだから、本当の私を投影する術としてそのようなことをするのも悪くはないように思える。しかしそれを行うのは容易ではない。それは私が関西在住だということに大きく関係している。関西弁というのは受け入れやすい人と受け入れにくい人が見事に真っ二つになってしまうことである意味有名な言葉だ。生理的に受け付けないという人を何度も見たことはあるし、そもそも関西弁の持つ妙な馴れ馴れしさが好きではない部分も否めない。実際に私と会ったことのある方ならば私の本当の話し方に近いものを感じてくれるのはわかってはいるのだが、あくまでブログ上での私が全ての形成要因である方が大多数である以上はそれは無謀な計画に思えてくるのもまた事実だ。しかしこれを見てくれている方に嘘をつきたくないというのもまた事実なのだ。ただでさえ妙に堅苦しい語調で話しているだけあって、急にそれがなくなるとなると少なからず抵抗があるのも想定できる。コメント欄に「見苦しい」というコメントが寄せられることももしかせずともあるかもしれない。しかし敢えてそこは冒険してみようと思う。人気のないブログだということは百も承知だし、これ以上見てくださる方が減らないという妙な自信もあるわけで…。そんなわけで次の更新は私のありのままを表現してみようと思う。テーマもいつものように下らない内容であることは変わりないのだが…もしかしたら語調の変化がいいように作用することも無きにしも非ずだ。そんなわけで誕生日を目前にして大冒険の前兆の報告でしたm(_ _"m)
Feb 11, 2007
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全くもって甘すぎる。勿論私の話だ。何がしたいのかをはっきりさせること、それに裏打ちされた自分のしたことを見つけること。それに向かって努力すること。それは言葉では簡単に表現できても実行するのは難しいと言える。抽象的な話をつらつら述べてみようと思う。これは読んで理解できなくても当然だ。なので読みたくなければ飛ばしていただいて結構だ。やりたいこと、私にはある。それは具体的な形を決めたりする段階ではない。例えばそれに付随する知識を得る為に学校へ行くこと。専門学校だったり大学だったり…。そういうことは確かに必要かもしれない。でも金銭的な計画が立ってから、若しくは見通しが立ってからでないと私は動かない。例えば数ヶ月から数年のスパンでお金を貯めるということを考える場合、それに見合っただけの仕事を探すことから始めないといけない。その仕事を探している段階では私はどの専門学校に行こうかとかどういう系統の勉強をしようかといったことは計画しつつも具体的な草案を創り上げることはしない。それは自分の置かれているポジションがその考えに追いついていないからだ。確固たる仕事をしてそれに見合うだけの報酬を得る、それを堅実に貯金して規定の額に到る…そのプロセスを経て自分のやりたいことへの見通しが立たないと机上の空論でしかないわけだからだ。勿論自分のしたいこと・やりたいことを見つけてそのプロセスを思い描くことはモチベーションになることもある。むしろ世の中のしたいことを楽しんでいる人の半分くらいはそうだろう。しかし私はできるだけの力を内在させること、それに見合うだけの自分のバックボーンを作り出すこと、それをしてからでないと自分のしたいことへ邁進することは非常に難しいように思える。そうでないとただ偉そうなことを言うだけの人間に見られてしまう。裏打ちされたというのはそういう意味であることが多い。私はもう自分1人で生きていく段階に来ている。同年代で働いている人などざらだし、むしろ私の段階では遅いと感じる人も多くいるだろう。しかし学生だからといってそれに甘えることだけはしたくない。自分の生活くらいは自分で支えていかなければならないし、それを裏付けるだけの努力は勿論義務として行わなければならないことだからだ。最近まで私にはやりたいことがなかなか見つからなかった。そのせいで随分長い時間を浪費していたように思える。しかし見つけたからにはそれに向かって最善の努力をしていこうと思う。幸いにして今しているバイトもそれに関係しているところが大きい。そういう意味では今のバイトは自分のしたことに漸近していると言える。これからは自分のしたいことを念頭に様々なことに挑んでいきたいと本気で思える。ここまで自分の人生の意味を考えたことはなかった。これから私は変わらないといけない。人生を浪費するか否かは私のこれからの一挙手一投足にかかっているのだ。しかし私は最低な人間だ。考えも幼稚だし確固たる考えも持たないでなんとなく生きてきた。言っていることに説得力もないし、言ったとしてもそれに見合うだけの努力だけをしてきたかと言われればそうは言えないだろう。頼り甲斐もないし頭も悪いし社交性も欠落している。兎に角最低の人間だった。しかしそれを今までよしとしてきたのは、その間違いを指摘してくれる人がいなかった。勿論周りがダメだから自分がこうなったという責任転嫁をするつもりは毛頭ない。周りよりなにより自分が一番悪いからだ。しかしここにきて私の矛盾や考えの甘さを叱責してくれる人ができた。はっきり言ってそれは雷にでも打たれたような衝撃だった。ここまではっきり言ってくれる人がいるのかと感動したほどだった。それによって私は自分の悪いところを見つめなおすことができた。自分はこうこうでここが悪いということが具体的に浮き彫りになったからだ。私が最低だからこそ…ここからは上がるしかない。自分の弱点や欠点に目を逸らすことなく見つめなおして…そこをいい方向に改善していく術を私は学んだ。これだけでも大きな成長だと言える。人間何を言うにもそれを言うだけの立場が必要だ。私にはそれが備わってなかったように今となっては思える。だからこそ「人の為になる」という目標は自分の土台をしっかり形成してからでないと本当に人の為にはなれないことも今更ながらに学んだ。裏打ちされていない言葉は薄っぺらい、きっと真剣に答えていた私でも客観的に意見を推察されるとそうだっただろう。人間としても大きくなれるように…この1年は生きていこうと本気で思った。私のリスタートはここからだ。漫然とではなく大らかで落ち着いた大人になる為にも今を一生懸命に生きること、やりたいことを具体的に明示することが私の今すべきことだ。そして必ず今描いているやりたいことを実現するという確固たる意思が現状の課題だ。
Feb 11, 2007
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実際の現場に向かっていって仕事をするという意味では今日が初めてのアルバイトの日となった。やはり実践的に働くということはそれなりに緊張が伴うもので…上手くいくかどうかははらはらしながら仕事場へと向かうことになった。ちなみに私のアルバイトは毎回働く場所が異なる。その間は車での移動となるのだが、その間も移動手当てが出るので何気に美味しいところもあるのだ。先日も書いたように若干の風邪気味だった。咳が止まらない中仕事をしている様ははっきり言って迷惑だったかもしれない。しかし遊びでしているわけではないのでそれくらいで弱音は吐けないというものだ。何に取り組むにも真剣でないとその場にいるスタッフの全てに迷惑がかかるからだ。体調が悪いのは誰のせいでもない、自分のせいだから…そのせいで仕事の効率を落とすのは利に叶っていないのもまた事実だ。というわけで初日にしては長い仕事が取り敢えずは終わった。結局夕方の7時から今まで働いていた次第だ。やってみるとわかるが、そこまで苦労のない仕事ではないということがわかった。まぁ楽な分野がないのが仕事だと思えば納得もできるというものだ。眠いような目が冴えているような不思議な感覚だ。笑今日はオフなのでじっくり休むとしよう。来週からが山場だ。
Feb 10, 2007
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心が落ち着かない風邪の影響なのか全く体調がすぐれないせいかもしれない気持ち悪い吐きそうだそんなせいか何故か心が落ち着かない淋しいような虚しいような不思議な感覚だ色んな不安が襲ってくるアルバイトのことにしてもそう来年からの自分のあり方についてもそう自分の望むようになるのかが不安でならないきっと一筋縄ではいかないだろう反対もあってそれをおしきるだけの目標がないとでも今はそれがあるあくまで自分的になのだがそれがわかってもらえるかどうかが不安だ私にしてみたらとても大きな目標自分を変えるチャンスそれに伴うしがらみについては勿論丸投げにする気持ちはない上手く立ち回って綺麗にしないと立つ鳥は後を濁してはいけない私もそのつもりだまだ気持ち悪い吐き気がしてならない不安は募るばかりだでもそれを不安に思うのは体調が悪いからだけかもしれない私には確固たる意思があるこれまでにないような…それを実行できるかどうかは結局は私の意欲次第だまずは明日の仕事を頑張ろう不安を払拭するにはそれしかない…
Feb 10, 2007
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何事にも初めて接する時には緊張するものだ。それがアルバイトの時ならば余計に傾向が強い。同じ志を持って集まった人というわけではない、目標は何にせよ金銭目的で集まってきたという匂いが強い業務内容だからこそ余計に集まった人との共通点を探すのに一生懸命になっていたのかもしれない。そんな適度な緊張感が影響してかどうかはわからないが…時間の30分も前に着いてしまった。時間を潰す術もなかったのでとりあえずは会社に入って椅子に座って待っていることにした。来るのが早すぎたこともあって静かに待っていることになったのが余計に胃に響いたものだった。しかもやっと来た1人目の人が女性であったこともあって余計に気まずい雰囲気が漂っていたと思う。私がその場に来たら或いは顔をしかめたかもしれない。それほどに待っている部屋である研修室というのは異様な雰囲気に包まれていた。取り敢えずは定時になってみると…予定である8名のうち5名が女性であることが判明した。私は今まで多くのアルバイトを経験してきたのだが、女性と肩を並べて仕事をするという状況には遭遇したことがなかった。なのでこの状況に少なからず怖じていた。それを通して思ったのだが…多くの男性の中に女性がぽつんといることに恐れを感じるという観点から女性専用車両というものが出来たらしいが、その逆もそのパターンと同じくらい恐れを感じるということは声を大にして言いたいものだ。多くの女性の中にぽつんと男性がいるという状況もそれはそれで辛いものだ。男性に比べて女性の方が仲間意識が強いことがその原因だが…いつまでも女性はおしとやかで一歩引いているものだという古い観念がそのような制度を生んだのかもしれない。今の時代女性だって強い、女性だからという一意的な理由で優遇するのは間違っている。それは自立したいという女性の姿勢を阻害しているものに過ぎない。しかも現在では女性専用キャッシングというものまであるらしい。これは…最早意味がわからない。考えた人間は女性を優遇するということを誤解しているとしか思えない。これを愚かと呼ばずして何と呼べばいいのか…。脱線した…。そんなわけで研修が始まったのだが、説明を聞いていくうちに楽しそうに思えて仕方なくなった。こんな経験は初めてだ。いつもはバイトの説明を受ければ受けるほど面白そうだとは思えないで「仕事だから仕方ない」と自分に言い聞かせていたのだが、今回はそんなことは一切なかった。むしろ早くやりたいと強く思ったものだった。業務内容は地味で目立たないものなのだが…むしろそういう部分が私に同調できたのかもしれない。明日が休みなのが残念なほどだ。早く働いてがっつり稼ぎたいと帰りのバスの中でずっと思っていたものだった。この仕事は大手デパートやスーパーマーケットなどに出入りする仕事であるが為かどうかはわからないが、服装や格好の指定が以上に厳しかった。男性ならば黒い髪でないとダメ、長髪・ピアスはダメ、前髪が長すぎるとダメ、アクセサリー系統は一切ダメ、女性は髪を結ばないとダメ、色は黒でないとダメ、等と規制が異常に強いのだ。その他働く服装はカッターシャツにスラックスでないとダメらしい。幸いにして私は就職活動用のスラックスとカッターシャツを持っていたのでなんとかなったのだが、学生ならば持っていない人がいても不思議ではない。それに加えて私にとってアクセサリー系統がダメなのがきつかった。私は東京から帰って来てからというもの、生活している時…つまり寝ている時以外はアクセサリーをつけるようにしている。それはそうしておかないと馴染まないという理由もあるのだが、個人的にやっと気に入るアクセサリーを手に入れたという喜びからいつもつけているものだった。しかし今日は新しいアルバイトの研修の日、最初から社員さんに目を付けられるのも面白いものではないので外していくことにした。しかし毎日つけているとつけていないことが落ち着かなくなるもので…研修中終始そわそわしていた。禁断症状とまではいかないものの…いつもの指輪と鍵のネックレスとシャープ(あくまで主観)な銀色の指輪をつけていないと何故か落ち着かなかった。これは不思議な感覚だった。家に帰ってきて一番最初にしたことは指輪をはめてネックレスをすることだった。普段から妙な私に更に妙な癖がついたものだと苦笑した出来事だった。服装に気を遣う仕事だからこそ…これからの数ヶ月間の時間の大部分を指輪とネックレスをつけないで生活しないといけなくなることがブルーに思えた。体の一部になりつつあるような…そんな妙な感覚だ。靴下を履かないで革靴を履いているような気持ち悪さに近いものがある。妙な話になってしまった。。ところで私がする仕事は基本的には電卓のようなものを打つ仕事だ。つまりはそれをどこまで使いこなせるかがネックになってくる。私は小さい頃算盤をしていたこともあってか…軽い暗算程度なら余裕だった。それは前の日記にも書いたのだが、今回の実地的な研修でその能力は発揮された。自分にそういう才能があるとかいう自惚れはないのだが…少なくとも苦手ではないことがわかった。この力(自惚れではない)が役に立てれば嬉しい限りだ。それでなくてもこの職場に身を置くのは1ヶ月強なのだ、足を引っ張ることだけはしたくない。まだ仕事をしていないのでなんとも言えないのだが、この会社は全国に多くの支社があるようだった。面白ければまたしたいと思うし、全国ならどこへ行ってもできるということを意味している。私が本当にしたいこととは系統が違うが…それでもこつこつ系は性に合っているように思える。幸いにして前の仕事で理不尽に怒られることには慣れている、打たれ強さだけは人一倍あるつもりだ。まぁ全てはここからだろう。今回ばかりは上手く立ち回りたいものだ。
Feb 9, 2007
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本来ならば書くタイミングではないのだが、アクセス解析を見るでもなしに見ていると…ちょっと不気味になってきたので筆をとってみた(?)次第だ。アクセス解析とは自分のブログにどんな人がきたのかがわかるシステムのことだ。楽天に登録している人…つまりブログを書いている人は他のブログに遊びに行った時には足跡が残るようになっている。つまり楽天でブログを書いている人が自分のブログにログインしている状態で他のブログを覗くとその名前が残るようになっている。しかしブログを書いていない人が覗いた場合…それはプロバイダーが表示されるようになっていて、名前が表示されることはない。PC関係に詳しい方ならばその表示されているものから誰かを特定することができるのかもしれないが、私はその方面は門外漢なのでわからない。ブログを書いている以上は門外漢ということはありえないのだが、それにしてもその分野を詳しく勉強しようと思ったことがないのでわからないのだ。先ほど「採用」というブログを書いたのだが…それをアップしてから今までに、ある特定の方が異常なまでに閲覧していることがわかった。その名前を公表してもいいものかどうかわからないのだが、きっとそれは正義ではないのでやめておくことにするが…それにしても少し不気味だ。アクセスをしている時間から見てもそれは内容を読んでいるわけではない。何秒かに一回づつコンスタントにアクセスしているのだ。携帯からとかyahoo携帯から見ているならまだわかるが…それが誰なのかがわからないのが不気味で仕方ない。それに加えて私のブログは面白いようなものでは決してない。読んで納得するものでも勉強になるものでもない、それなのにここまでアクセスしているということは…何かあるのだろうか?アクセスしてくれるのは嬉しいが、そこまでアクセスしてくれるなら何かしら形を残して欲しいものだ…。
Feb 7, 2007
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昨日の遅くに電話があってなんとかアルバイトに採用されたことが告げられた。私自身の見解としては自分の才能や仕事に対する真摯な態度が評価されたわけではないので少しだけ複雑だ。3月の末日までしか働けないという短期であるというリスクを敢えて背負ってでもやらなければならなかった仕事、これしか融通が利いてお金も貯まりやすい仕事はなかったので、相手先の企業にとっても自分にとっても都合の悪いことを隠蔽してまで採用してもらおうとは思わなかった。私には新年度に向けた確固たる目標がある、それに関係して仕事に対するモチベーションというものが今までとは比べ物にならないくらい高いので…自分のありのままを見てもらってその上で採用されたとしたら、不器用でも一生懸命に尽くしていこうと思ったものだった。これが今までいくつもの面接をこなしてきた私なりのやり方だと言ってもいい。なので今回の面接では珍しく質問攻めをしてみた。わからないことは人に聞けということを旅行をするということで学んだ私の成長したところかもしれない。一人で遠くまで旅行をすると当然のように土地勘がないので、目的地へどうやって行くのかがわからない。試してみるよりは駅員さんやそこらにいる人に聞いてみる方が合理的だ。「旅の恥はかきすて」という言葉があるように、聞かないでいて迷って失った時間の方が圧倒的に無意味だということに今更ながら気づいた。出不精で人見知りなところが少しでも改善された点と言えばここだろう、自分としても今のスタンスは嫌いではない。若干話が脱線した…そんなわけで明日からはやっと仕事ができる。今まで卒論や試験と様々難癖つけて仕事をしていなかったので体が鈍って仕方ない。尤も…体を鍛えるような業務内容ではないのだが。笑それにしてもどうして私が採用されたのかいまいち釈然としないところがある。先ほども書いたように私がこっちに住んでいるのはどうであれ3月末日までだ。つまりそれまでしかアルバイトをすることもできない。明日から働き始めたとしても1ヶ月強しかない。仕事というのが経験を基に成り立っていることから考えても…1ヶ月強と言えばやっと仕事に慣れてきた頃だろう、その頃に抜けられることを考えるとそんな人を採用するのは合理的だとは言えない。現に私と同じ時に面接していた人達は1年とか長いスパンで働く気があるようだった、そこの部分で落とされることも充分に想定していたのだが…とってもらえたことが素直に嬉しかった。考えられる可能性としては私がそのリスクをもってまでも取るべき人材だったのか…それともすぐに慣れる仕事なので就業期間が関係ないかのどちらかだろう。私自身の見解では前者はない。私はそこまで有能な人間ではない。確かにアルバイトの経験だけはそれなりの自信を持っているのだが、それを履歴書に書いていないことを考えると…そこを汲んでもらったわけではないようだ。そういえば面接の時に大学名に食いついていたのが印象的だった。まさかの大学のネームバリューだろうか?しかしそういう部分でとってもらえるのは手放しで喜べないことだ。まぁ1年前よりはプラス思考になったので…私の人間性でとってもらったものだと思い込んでおくとしよう。それが一番楽だ。笑早く働いて顔向けできるようになりたい。
Feb 7, 2007
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先ほど面接に行って帰ってきて…手ごたえはまぁまぁと言ったところだ。業務内容がスーパーやコンビニの商品の数を数えるというなんとも地味な仕事なのだが、短期からオッケーなこと・終了日がはっきりできること・夜勤だから給料がいいことのような利点ばかりが目立つような所謂隙間産業のような業種だった。面接に行ってみるとそれなりに多くの人が控えていて競争率の高さを物語っていた。アルバイトというよりも派遣に近い業種であるが故に面接をして落とされるということはないと高をくくっていたのだが…説明をしてくださる社員の方がことあるごとに「不採用になった方は…」と言っていたのでかなり不安になってしまった。私はアルバイトの面接は多くこなしてきたものの、これといった必勝作戦もないままにいつも面接に挑んでいる。流石に相手の目を見て話すということくらいはするが、それにしても心証はあまりよろしくない部類に入るようで不安だった。私の持ち味は算盤をしていたことで暗算がそれなりに速いことだ。物品の個数を数えてそれをデータ入力する仕事だからこそ計算がそれなりに速い方が有利だろうと勝手に考えていたので、そこを拾ってもらえれば幸いだ。業務内容が計算関係ということで面接で軽い計算問題が出されたのだが、私は会場の誰よりも早くそれをこなしていた。その過程を社員さんが見ていないことが非常に残念だったのだが…それでも応用問題を筆算なしで解いていた辺りを評価して欲しいと思ったものだった。個人面接で敢えてそのことにふれるのも卑しいと思って黙っていたのだが…それが悪かったかもしれないと今更ながらに反省だ。面接では図々しさも必要というのはあながち間違っていないかもしれない。給料関係において京都の水準にしては珍しく高いのが気になっていたのだが、私の行った会社はその分野のパイオニアらしい。一社独占とまではいかないが、それなりの地位を築いていることがわかった。だからこそそれに見合った給料を出しているのだと納得できたのだが…それにしてもアルバイトの範囲を超えた「誓い」なるものがあることに驚いた。まぁちゃんとしている会社に越したことはない、それは大歓迎だというものだ。結果はまだわからないが、今日明日までにはわかるようだ。できればこれに採用されてがっつり働きたいものだ。これがダメなら1からやり直しだからはっきり言って萎える。しかし3月に入れば掛け持ちをする予定なので…どちらにしても仕事は探さないといけない。できればここでこけたくはない。
Feb 6, 2007
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長い間留守にしていた部屋の掃除も終わり、自分の生活へ軸を戻していく作業も取り敢えず落ち着いた。部屋に関しては要らないものと要るものの分別がまだ中途半端になっているものの、取り敢えずはこれから新年度に向けた体制を作り出していくことが肝要のことのように思える。そんなわけでしばらく鈍っていた体を鍛える為にも、そして資金作りの為にも、そして自分なりのけじめのつけ方としてのアルバイトを始めることにした。「善は急げ」と「思い立ったが吉日」がモットーの私としては早急に連絡し、明日が面接の日と相成った。こういうことはまた今度にしようと思ってその「今度」にした例がない。あくまで私だけかもしれないが、食事が終わってもすぐに皿を洗い始めるような妙な性格なのだ。後回しにすることはモチベーションが下がっていく要因になり兼ねない、特に私のような怠け者には…。ということで天気の都合で出来なかった布団を干すという作業を終えた後アルバイトの面接に向けて履歴書を書くことにした。これが決まれば充実した日が過ごせるだろう、初めてアルバイトを楽しみだと思っている今日この頃だ。これだけでは尺が足りないので余談でも書いておくことにしよう。余談だが…私の部屋の時計は壊れている。とは言っても私の部屋には時計が2つある、今回壊れたのは掛け時計ではない方の…つまり大して重要ではない方の置時計の方だ。この壊れ方というのが非常に面白くて、所謂普通の壊れ方である秒針が動いていないという典型のものだった、最初は…。この置時計が壊れたということは数ヶ月前から気づいていた。それは以前から時計を見てみると秒針が全く動いていなかったからだ。まぁどうせ電池が切れただけだろうからまた今度電池を買ってきて復活させるかと簡単に考えていたものだった。もともと部屋の配置上その時計のことはあまり見ないのでそれっきり忘れてしまっていた。壊れたと認識してから何ヶ月か経った時、ふとその時計を見る機会があった。その時も勿論電池を交換していないので壊れたままなのは当たり前だと思っていた。それを見た時にまた電池を買ってこようかと思っていたのだが…よく見ると部屋にある掛け時計と同じ時間を刻んでいる。勿論秒針は止まったままだ。それなのにちゃんと時間は刻み続けている。これはどういうことかと不思議に思った。なのでよくよく見てみると、数ヶ月前に見た時より何センチか秒針が進んでいることに気づいた。なのでもしかしたら電池が切れて動かなくなったのではなく、秒針に動く力があるにも関わらず動けない理由があるのかという考えに到った。そこでその時計を持ち上げて色んな角度から見てみた。しかしどこにも異常は見受けられない。しかしよーく見てみると…秒針が手前に折れ曲がっていた。折れ曲がっていたというよりは何かの力で無理矢理に歪曲したような形状になっていることに気づいた。その時計はカバーがかけられている形のもので、直接秒針や短針には触れられないものだ。しかし秒針は確実に手前側に曲がっている。しかもよく見ると熱によって変形してしまったように秒針の色が少しだけ変わっていた。素材がプラスティックなだけにそれを曲げるだけの熱量と言えばかなりのものになる、しかしそんな原因があったとはとても思えない。まぁ秒針は止まってはいるがちゃんと動いていることがわかったので一安心だ。何故そのような壊れ方をしたのかも興味あるのだが…今となってはどうしようもないことのような気もする。時計も持ち主に似て捻くれてしまったといったところか。笑
Feb 5, 2007
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