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9月に入った。9月は私の業界ではとても忙しい時期になってくる。8月が閑散期ということで仕事もまったりとしていて、私の教育の時期として適していたのでまだ良かったのだが、9月は繁忙期ということでそのような余裕も無くなってくるのだろう。まぁここからが今まで学んだことを発揮する期間になるということなのだろう。まったりとした空気ばかりが流れていたので、ここらで気持ちを引き締めなおすのもいいかもしれない。それに関連して私の仕事は一般業務と呼ばれるものと、定期業務というものに分けられる。一般業務は毎日やるもので、それこそ覚えるのが簡単な作業だと言える。それは作業内容を指しているのではなく、ただ単に作業頻度が多いことに起因していると言ってもいい。一方定期作業というのは、1週間に1回だとか1ヶ月に1回だとか定期的に行われる作業のことを指す。これは頻度から見てもまだ慣れているとは言い難いのだが、2ヶ月が経った今でもまだ経験したことがない作業がある。それは年次作業というものだ。1年のある期間にだけ作動するシステムのバックアップというのが名目なのだが、それが稼動するのは1月の最初、つまりは年初ということになる。その作業が出来るのは後4ヵ月後ということになる。作業マニュアルを見ながら、その作業が1人でこなせるようになるのはいつになるのやらと思う今日この頃だった(笑)今朝方珍しい夢を見た。珍しいと言っても内容が珍しいわけではなく、その夢を見たプロセスが珍しかったのだ。最近は涼しくなってくることも多いのだが、しかし時々は無性に暑い時もある。今日がちょうどそんな時で、異常なほどの喉の乾きで目が覚めた。時間は午前2時だった。眠いので足元がおぼつかないのだが、それでも冷蔵庫まで辿り着いてお茶を飲み、まだまだ寝られるのでまた寝ようと思ったのだが、ボーっとする頭で寝ていた時に見ていた夢をなんとなく回想していた。夢の内容は鮮明に覚えていた、しかし意味がわからない夢だった。まぁまたわけのわからない夢だったなと思いながら寝転がっていて、おそらく数分もしないうちに寝てしまった。次に目が覚めたのは午前4時、暑いからかわからないが寝る前につけていた冷房のリモコンがベットの上から派手に落ちる音で目が覚めた。また喉が渇いて目が覚めてしまうのも億劫なので、そこでまた冷蔵庫からお茶を出して飲み、寝ようとしてベットに寝転がっていると、また夢を見ていたことに気づいた。まぁ幾つも夢を見ることも珍しいことではないと思いまたすぐに眠りに落ちていった。次に目が覚めたのは午前6時半、別に理由も無かったのだが目が覚めた。その時は数分だけ目を開けていただけでまた眠ってしまった。しかしそこで不思議なことに気づいた。午前2時まで見ていた夢と午前4時まで見ていた夢、午前6時半まで見ていた夢が繋がっている。こんな経験は今まで無かった。別々の夢をたくさん見ることはあったのだが、何回も間に時間を挟みながらも同じ夢を見続けたことは初めてだった。まるで2時間の映画を観ているようなスケールの大きさだったと自覚している。そのインパクト故にその夢の内容はこれを書いている午後11時段階でもまだ覚えている。まぁ少しだけ夢の内容について書いておくなら、ある女の子が私の家に遊びに来てリビングでまったりとお茶を飲んでいるというような内容だった。その女の子は私の家に来たことで適度な緊張感を持っているような顔だった。両親も少し緊張しているような…なんだかわけのわからない夢だったような気がする。家にいるのも窮屈なのでその女の子と色んなところに出かけた。買い物に出かけたりドライブしたり…兎に角色々なところに行った。ちなみに午前2時に起きた段階は家にいる場面で、午前4時に起きた段階は買い物に行っている場面で、午前6時半に起きた段階はドライブをしている場面だった。何故その3つの夢が同じ夢だと言えるのか、それは出てきた女の子が全て同一人物で、ちゃんと家にいた件や買い物に行った件の内容を話していることだった。こんな不思議な夢もあるものだなと少し驚いた出来事だった。夢占いには多少詳しかったのだが、内容ではなくプロセスが珍しいのも稀少だと感じた。ちなみに夢に出てきた女の子を敢えて「女の子」と表記しているのにはちゃんとした理由がある。それは私が知っている友達だが、その友達のプライバシーを考えて「女の子」と表記しているわけではなく…まっっっっっったく知らない人だからだ(笑)
Aug 31, 2007
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もう後一ヶ月をきった。今年は一体何人がこのことに気づいてくれるのか楽しみだ。ちなみに去年は1人だけだった(笑)先日のことだった。いつものようにスーツに着替えて鞄を持って会社まで歩いていた。駅前ではいつものようにパティシエのような服を着たお兄さんがティッシュを配っていた。あれはアルバイトなのだろうか?いつも思うのだが、駅前でティッシュを配っているそのティッシュには宣伝したい内容が書いていることが多いのだが、それはティッシュを見た人がそのお店に行きたくなるかどうかの問題であって、別に配っている人がそのお店の制服を着ている必要はないのではないかと思う。その服装を見て「あっ、今度行ってみよう♪」そう思うのならそれでも構わないのだが、しかし私はいつ見てもそう思うことはない。あれの意図が未だにわからないというわけだ(笑)まぁ本筋はそこではなく…会社に着いて着替えていつもの現場に入ったのだが、何故かそこで現場のリーダーとサブリーダー、他主任二人が難しい顔をしているのが目に入った。最近になってやっと引継ぎをさせてもらえるということでその準備をし、夜勤からの引継ぎも終わってホッとしていると、リーダーから呼ばれた。ちなみに私の現場のトップはリーダー1名とサブリーダー1名、主任が2人という構成になっている。つまり私が働いている現場の事実上のトップはリーダーと称される課長であり、その右腕(事実上は同等の立場なのだが、まぁ一応形式的にそう呼ばれている)のサブリーダーと共に現場を回転させているという具合なのだ。リーダーから呼ばれた時は基本的にいいことがない、むしろ悪いことの方が多いので、呼ばれた段階で少しだけ緊張したのは言うまでもない。すると、サブも怖い顔をして「きょう、ちょっといいか?」と言っているのも聞こえた。つまり私は現場のトップが訝しい顔をするほどの何かをしたのだということなのだ。これはヤバイなと思いながらもまぁ仕方なくリーダーとサブのところに行くと…そのまま私の働いている現場の一角、サーバーが集まっていて他のところからは見えないところに連れて行かれた。余談なのだが、その一角はリーダーやサブリーダーに呼ばれた時、つまりはかなり内密な話をする時に呼ばれる場所なのだ。それは良い意味であったり悪い意味であったりするのだが、私が現場に入って2ヶ月、そこに行った人が晴れやかな顔で戻ってきたところを一度たりとも見たことはなかった。ちなみに私達の中でそこに呼ばれることを「連行される」と言う。なんだかそのネーミングだけで負のイメージ丸出しなのが難点だとも言える(笑)なのでそこに連れて行かれた時点で私は怒られることを覚悟しながらも…数日間で連行されるに値するポカをしたかどうか反芻していた。そして連行された結果、私とリーダー・サブリーダーの3人が集まったわけなのだが、そこに事情を知っている主任が2名ともやってきて…私1人にリーダー・サブリーダー・主任×2おいう恐怖の5者面談の形になってしまった。まぁその構図を客観的に見た最初の感想は…クビかなぁ…_| ̄|○と思ったものだった。しかし話の内容は意外なものだった。話はそれから数日前に遡るのだが、私は休日返上で現場のミーティングに参加していた。そのことはここにも書いたかもしれないのだが、実はその時にあることがあったのだ。そのことは私にとっては些末なことで、敢えてブログに書くほどのことではなかったのだが…このように5者面談が実施されるということは会社にとっては大きなことだったのかもしれない。その日ミーティングといつもの話し合いが終わり、これでお開きかなと思っていたら、議長があるアンケートを配りだした。それは社長が直々に見る為のもので、個人の意識レベルを図る為のものらしかった。確かにその内容は実務スキルや異動、会社レベルで行って欲しい研修の有無など、人材アウトソーシング系にはありがちな内容になっていた。人材アウトソーシングは本社に全員が集まるわけではないので、誰が何をしているのかの微細なところまでは透明性を持たないというデメリットがある。それを解消する為のもののようだった。まぁ入社して日が浅い私はスキルも実務もないのでアンケートの問いをスピーディーにスルーしていたのだが、ある1つの項目でペンが止まった。そこには・今の会社の対する不満及びその解決案があれば明記してくださいと書かれていた。まぁ普通の人ならスルーするところなのだが、私は愚かにも素直に疑問に思うことを書いたわけだ。その内容というのが会社、否今の現場が抱える素晴らしくナイーブな問題に漸近していたらしい。私が連行された理由はそこにあるようだった。おおよそリーダーの言いたいことは、何故そのようなことを書いたのかということにつきていた。私は言いたいことをすぐに言うタイプだ。特に自分が疑問に思うこと、納得できないこと、そのようなことは特に物怖じしないタイプだと言える。今回のことはそれがいけなかったようだった。見事リーダー所見の段階でアウトが出たというわけだ。私が書いた内容というのは、別に会社のやり方に不満があるというわけではなく、実に単純な社会構造のことだった。そもそも会社というのは仕事が出来るか出来ないかを重要視する。そこには年齢という概念は介在する余地がなく、年齢よりも実務レベルの高い人が偉いという世界であるし、そうあるべきだと思っている。実際に私も今の現場にいて、私よりも年下の人はいるが、私よりも仕事が出来るので敬語を使っている。それは別に恥ずかしいことではないし、むしろ実力社会においては当然の慣習のように思っていた。しかし私の現場はそうではなかったのだ。私の会社、こと私の現場においては実務レベルよりも会社に長くいた方が偉いというなんだか意図不明な慣習が存在している。それに疑問を持つ人もきっと多かったのだろうが、私が今いる現場は出来て相当な時間が経つらしく、それにも関わらずその慣習が消えていないということはそれは強固な何かに守られているのだろう。だからこそ私には気になってしまい、新人という立場も忘れて意見してしまったというわけだ。リーダー始めトップを張る人間にはそれが気に食わないらしく…そんなことはないというようなことを大人数で説き伏せようとしてきたようだった。私はそのようなやり方が余計に腹立たしくなったのだが、これはもう相手が議論する価値もないと思い反論するのを止めた。「はい、わかりました、生意気言ってすみませんでした」これが私の出した答えだ。如何な不合理なことでも、1人で抗えるレベルというのは決まっている。この判断を逃げたと思う人もいらっしゃるかもしれないが、しかしそれで立場を危うくすることを正義と呼ぶかもしれないが勇気とは呼ばない。いわば1人で政治世界の汚職を直そうとしていることに等しい。意見を求めるのに素直な意見を言うと立場的な圧力で潰しにかかる、それが社会の悲しい通念だと言える。まぁ私はこのような圧力には慣れている。下手に抗ってしまうよりも、ここはその人達のレベルに合わせてあげるのが一番だ。低脳になる術はアルバイト時代から培った私のスキルだとも言える。結果私の出した意見は無かったものとされ、前述した項目に対する私の意見は「特に無し」にされてしまったようだった。集まったリーダー始め上層部の方々は私が納得したと思い込み、満足したように三々五々解散していった。アルバイトの経験もない普通の人ならここで腐るかもしれないが、しかし残された私が思ったのは…全く別のことだった。もともと私は今の仕事にやり甲斐を感じている。しかし今回のことで私の会社に蔓延る負の慣習が確固たる形で見えた。なので私は今よりも立場を上にして、そのような慣習に素直に疑問をぶつけられるようになるまで磐石な地位を築こうと思った。前から仕事を頑張って覚えて一人前になろうという意思があったのだが、今回の出来事でそれはより強いものとなったというわけだ。意見は正当性も当然必要だが、それを言うだけのバックボーンが必要だということが学んだ事象だった。この慣習は滅ぼすが道理、仕事をしやすい環境を作る為にもそれを目標に仕事に邁進しようと思った今日この頃だった。
Aug 30, 2007
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前髪が随分と伸びてきた。切ったのは最近のような気もするが、なんだかもうそれだけ時間が経ったのかと思う出来事だった。気のせいかもしれないが、私はどうも髪の毛が伸びるスピードが早い気がする。髪の毛が伸びるということと身体的な機能にどのような因果関係があるのかはわからないが、しかし伸びるのが圧倒的に遅いよりもマシだとは言える。しかしそれによって早く髪の毛を切らなければならないという面倒さも孕んでいる。未だに自分で気に入る髪形がないのが悩みでもある私としては…髪の毛が伸びるスピードが早いというのはチャンスが多いという考え方もできる。前向きな考え方というのはこのようなことを言うのかもしれない(笑)夜勤明けということで家に帰って来てからというもの、お昼ご飯(朝ご飯、否晩御飯の取り返しともとれなくもない)を食べようとしたのだが、あまりにも眠たくなってしまってすぐに眠りについてしまった。一応様々予定は立てていたのだが、やはり睡魔には勝てないといったところだろうか。起きたのがついさっきだから、ちょっと寝すぎな気もしないでもないのだが、それでもやはり労働時間が長いとそれに見合っただけの睡眠時間を体が求めてしまうので如何ともし難いものだ。起きてすぐに少しだけ考え事をした。今日はそのことについて書いていこうと思う。予め付記しておかなければならないのは、公園のベンチに座って考え事をしていたようなレベルなので、話としては非常に稚拙なレベルであるということだ。説得力も何も皆無なのは言うまでもない。なんだか逃げを打っているような気もしないでもないのだが(苦笑)経営者というのはどの会社にも存在する。その業界のことを知り尽くした人であったり、それが社長と同義であったり、その形態は様々なのかもしれないが、そのような立場の人は往々にして会社の中でも重要なポストについていることが多い。それは会社全体の動きを表す重要な仕事だからこその逆接だとも言える。しかしよく言われることが、経営者は孤独だということだ。会社は言わずもがなだが、法人だ。その存在理由は会社によって若干の差異があるかもしれないが、およそ会社の規模を大きくしたいといったような金銭面が見え隠れする事象であることが多い。お金が絡むということは生きていく術に直結する概念なので、そこに遊びは存在しない。それに経営者が1人で会社を回転させているのならまだしも、会社には私のようにそこに属している人間が必ずと言っていいほど存在している。そのような人を上手く使って会社の業績を上げるということは考えてみれば如何に困難なことであるかの察しはつくというものだ。上述したように、経営者の基本理念は会社の業績を上げることかもしれないが、それだけを考えていては経営者としての器は小さいものだ。会社を実際に動かすのは経営者ではなく、私のような一般会社員であることがほとんどだ。会社員はコンピュータではない。そこには意思が介在しているし個々の理念も信条も人の数だけ存在していると言っても過言ではない。なので、経営者が描く最高の経営策が仮にあったとしても、それが会社員の人権をないがしろにしていたり、温情的ではないものであったりすると、会社員は経営者の思うままに動いてくれないという事象が発生する。例えばある会社で営業利益だけを考えて所労と休日の数を改竄していたということが発生した場合、それに不満を感じるのはいつだって会社員だ。経営者にしてみれば1人あたりの労働時間が増えるので良いことかもしれないが、実際に現場に密に接している会社員にしてみればそれは堪ったものではない。そのような経営策を敢行する会社にはいられないと辞めていく人m現われるかもしれない。人数が減れば業績は落ちる一方だ。つまりここからわかるのは利益追求と現場のニーズに応えることには因果関係が存在しているということだ。現場の人間の顔色を伺うというのも経営者としての資質が問われることなのかもしれないが、しかしそれをないがしろにすることはもっと愚かな行為だと言える。経営とはその2つの兼ね合いの上に成り立っている概念だと言える。業績を上げる術を考えながらも現場の意見も加味していく、それが最高の経営者のあるべき姿だと言えるのかもしれない。しかしそれは言うほど簡単なことではない。透明性のない会社がワンマンにはしってしまうのと同じように、2つを秤にかけながら経営を行うことはとても困難なことだ。私の会社もそれと同じことが言える。今の社長の経営理念はわからないでもない、むしろ良い方だとは思う。しかしながら、現場の透明性という観点から話をするのならば、きっとその部分はとてもグレーな概念が生きているように思えて仕方ない。私も今の会社のおかしなところは多く感じている。しかしそれを敢えて口にするようなことはしない。それは新人だという立場の問題もあるのだが、それ以上に、私のような浅学な人間でも思いつくようなことは、聡明な先輩が1人いればすぐに思いつくことだからだ。そのような人が1人でもいれば会社側に経営のあり方について直訴したこともあっただろう、低脳ばかりがいる会社だとは考えにくいからだ。その結果が現状であるのなら、やはり経営視点で言うと改善することが困難な事象も多いということだと感じる。それを私の口から軽々しく言うことは、経営者にとっても先輩にとっても失礼だというものだ。経営者は孤独だ。そして嫌われることを運命付けられた人種なのかもしれない。現場に媚びることだけを考えた会社は或いは温情的な会社と言えるかもしれないが、しかしそれだけを考えている会社に先はない。会社を存続させる、業績を上げるそのような理念には必ず強攻策というものが必要になってくる。それ自体が悪いことではない、むしろそれを怖がらずに行えるのが真の経営者のあるべき姿だと思うのもまた事実だ。大切なのは業績を上げる為に行わざるを得ない経営策によって生じるメリット・デメリットを明らかにすることだ。わかってくれるだろう、察してくれるだろうそのような概念を現場に求めてはいけない。何故ならば現場の人間は経営者ではないからだ。経営することの大変さを本当の意味でわかっていないからだ。経営者は孤独な嫌われ者だ。経営する立場になるということはある意味では出世したと言えるかもしれないが、そのように思われることは正直辛いところだろう。経営者も現場の声が直に聞けるように、現場レベルと同じ業務をしながら経営業をすればいいと時々思うのだが、しかしそれこそ安易な考えかもしれない(笑)それが出来ないからこそこれは永遠のテーマなのだろう。
Aug 29, 2007
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久々に雨が降った。あまりたくさんは降らなかったものの、それでも久々の雨で一気に涼しくなったような気がする。よく打ち水をすると道路の温度が下がり、体感温度が下がるという夏の涼の手段があるのだが、それと同じくらいにちょうど良い量の雨が降ったと言える。仕事に出かける時にはいつも暑い中うだっていたのだが今日ばかりはそんなことも無かった。気持ちのいい出勤となったわけだ。私はあの雨が降った後のアスファルトの匂いが好きだ。おそらく大多数は嫌な匂いだと言うかもしれないが、私にとってはあの匂いは夏を感じさせるものの1つでもある。昔から夏になると縁側に出てなんとなくぼーっとしているのが好きだったのだが、それはあくまで良い天気の時であって、そんな時に雨が降るのは正直憂鬱だった。しかし夏の通り雨が去った後…一度だけ凄く綺麗な光景に出会ったことがあった。積乱雲の陰から日が差してきて、辺りは一気に明るくなる。そして空には虹が架かっている。辺りに立ち込めるのは雨が降った後のアスファルトの匂い。この光景に出会ってからというもの、何故だか雨が降った後のアスファルトの匂いが好きになった。懐かしい頃の実家を思い出すからだ。だからと言って別に実家に帰りたいわけではない。誰しもが時々懐古するのと同じ理由だ。懐かしい思い出には何か印象深い事象が絡んでくるものだ。私にとってのそれが雨があがった後のアスファルトの匂いだということだ。ちょっとだけ実家に帰りたくなった(笑)今朝方仕事場である先輩に会った時、急激に嫌な未来のビジョンが見えてしまった。それというのも、私が今の会社に入社してもう2ヶ月が経つわけなのだが、9月の頭くらいには私の会社の社員旅行がある。目的地は岐阜だ。岐阜と言えば浅学な私が一番に思いつくのは白川郷なのだが、どうやらそこに行く目的はないようだった。ならば一体どこに行くのか疑問なのだが、私が懸念しているのはそんなことではない。もしかしたらどこの会社もそうなのかもしれないが、私の会社の社員旅行には1つの習慣がある。それは社員旅行の宴会で、新人が余興をしなければならないというものだった。私はそのような類のものが一切苦手で、そのような慣習があると先輩から聞いた時にはそんな罰ゲーム的なことはしたくないと頑なに拒否したのだが、明らかに100%の力で嫌がる私を見て先輩が半笑いで言った一言が私をさらに苦しめることになった。私「嫌ですよ、絶対やりたくないです!!」先輩「でもやらないとボーナスカットだぞ?」……はい、詰まれました_| ̄|○入社時期が微妙なこともあって、夏のボーナスが出なかったというのは私にとってもかなり痛手な出来事だった。普通はボーナスの出ない人には「すんし」と呼ばれる心ばかりのお小遣い的なものが出るというのが会社の慣習なのだが、時期が時期だけにそれさえもカットされてしまった。おまけに夏休みも私だけ無いし、教育スピードがハンパではなく速い。そんな中で冬のボーナスまでカットされては洒落にならない。冬のボーナスで両親に感謝の気持ちを買おうとしていた私の計画は砂上の楼閣と化している。やらねば…。キャラの崩壊は最早関係ない、やらねば…!しかし考えてみたところで、そのような経験がない私には何をしていいのか見当もつかない。しかも悪いことに、去年の新人さんが宴会でやった余興が空前絶後の大スベリをしたらしく、今年の余興のハードルは必然的に上がるという下馬評まで出ているといった次第だ。社長の機嫌を損ねてしまっては私の立場も危うくなるというものだ。半べそになりながらも先輩に何をすればいいのか教えを乞うたのだが、その先輩から放たれた一言は「何でもいいんじゃない?笑」という冷酷なものだった。まぁ先輩にしてみれば私がウケようがスベろうが、楽しければいいのだろう。その気持ちはわからないでもないからこそそれ以上何も言えなかった。まぁそれからの私は時間があればそのことを考えているというわけだ。家に帰ってPCを開いてyahoo検索で「宴会芸」を調べそうになった程だ。正直かなり困窮している。なのでこれを読んでくださった方にお願いしたい。ウケること必至な宴会芸というものはないだろうか?教えてくださった方にはどんなお礼も厭わない。というわけで、もう後1週間に迫った社員旅行にブルーになっている私を助けてくれる奇特な方がいらっしゃることを切に願って止まない(苦笑)
Aug 28, 2007
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気温がいつもよりも低い。考えてみればもう8月も28日だ。9月ももう目の前だし、これからはどんどん涼しくなっていくことだろう。今年の夏は暑すぎた分、余計にそのような涼しい季節に憧れるというものだ。私は田舎が今いるところよりも涼しかったせいもあって、今の環境の暑さに慣れることが出来ない。なんだか雪国育ちが急に温暖気候に来たような環境の違いだと言える。私はいつも仕事を終えると片道30分の距離を歩いて帰っているのだが、8月始めから中頃にかけるまではその距離を歩いていると汗がじっとりと出てきたものだった。しかし今日は仕事から帰って来てもワイシャツを綺麗に脱ぐことが出来た。それだけ夏の最高潮の時の気温よりも下がっているということなのだろう。そうなってくると夏に何を残したのかが気になるというものなのだが、しかしこの夏はほとんど何も残していないような気がする。なんだか仕事を覚えるということに邁進しているうちに夏が終わったというのが正直なところだ。まぁそれも1つの充実の形かもしれないので、いいとしよう。時間が早く過ぎるということはその期間にそれだけ意味があったことだと思っておくと報われるというものだ(笑)今日は仕事を教えるということに従事した日だった。というのも以前に書いたかもしれないが、新人さんが来たからだ。新人さんとは言っても仕事歴も年齢も私より上ということで、色々な面で気を遣うことが多いのだが…そういうことは仕事をしている上では日常茶飯事なことなので、そのような状況に不平を言っている暇はない。むしろそのような状況によく遭うということは、それだけ自分の出世が早いというものだ。そう考えればあながち悪い状況ではない。まぁ今回のことは前々から決まっていた人事なので、私が頑張っているからなどという些細な原因が関係してくるレベルではないのだが(笑)何故かはわからないが、私は人にものを教えるという機会によく出会う。それは私がそれだけ立派な人間であるかどうかには関係のないことだ。強いて理由を挙げるとするならば、そこにちょうど私がいたから、そんなところだろう。人に何かを教えるということを経験する度にいつも思うことがある。それは教えるというレベルにおいてはそれを自分が理解できるくらいのものでは教えることが出来ないということだ。教えるということはそのものの本質的な意味を説くことと同義だ。つまりはそこまで理解していて初めて教えられるレベルになるということだ。今の私がその段階までういっているのかは定かではないのだが、しかしそれでも今の私のポジションで教えることが出来るということは幸運なことかもしれない。今の私は仕事の内容をぎりぎりのレベルで理解している段階に過ぎない。それを仕事として「教える」ということが出てくると、今まで当然のようにやっていた仕事をもっと深く理解することが求められる。そうなると、もう出来る作業でももっと強く理解しようと努めるようになるというものだ。それは今の私にとってはマイナスの要因であるはずがない。ここ最近はその新人さんと同勤になることが多いので、専ら私が教育担当になっているといった次第だ。しかしながら本音を言うと、入社2ヶ月の私が仕事を教えることになるとは思ってもなかった。まぁ後輩だと思わず、同期だと思い切磋琢磨しようと思う。それにしても…未だに仕事が完璧に覚えられていない私に教えられるなんて不幸なことだ(苦笑)
Aug 27, 2007
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今日のカテゴリは精神論ということで…初めての試み故にかなり痛い方向へいってしまう懸念もあるわけなのだが、しかし思っていることのほとんどが抽象的な私にしてみれば或いはそれが真理であって、一番私というものを表現している方法なのかもしれない。まぁそんなわけで今回のテーマは理想と現実だ。私の知っている人で面白い人がいる。今はもうどこで何をしているのか知れないような人なので敢えて今回は槍玉に挙げるとしよう。その人は理想をよく掲げる人だった、それは将来の自分のビジョンであったり、恋人の像であったり様々な方面において兎に角理想をよく言っている人だった。今回はそんな中でも異性関係、恋人関係での理想をテーマだ。よく人に異性の好みを尋ねると、決まって何もない等と答える人はいないように、誰しもがある程度の理想を持って異性と接していることだろう。友人関係然り、恋人関係然りだ。しかしながら私が知っているその人はやけに理想だけが先行していたのをよく覚えている。例えば優しい人がいいとか、そのような程度ならまだいいのだが、それが抽象的で漠然としているようなものを最低レベルとして据えてるというようなものだった。私はそのようなことを聞く度にいつも不思議に思っていたものだった。そもそも理想を掲げるということはいいことだ、そのような人が理屈無しに好きであるという意思表明であるとともに、自分の理想とする人に出逢った時に、その人にも必要としてもらえるような人になろうというモチベーションにもなるというわけだ。しかしながら、その人はそうではなく…むしろ理想にかまけて自分を理想とするエレメントに合わせるだけの努力をしているようには見えなかった。だからこそ私にはいつも空想の話を聞いているようにしか聞こえなかったのかもしれない。そしてそのようなことが続いて偶然の縁で誰か素敵な人に出逢ったとしても、その人のほんの些細な一点に冷めてしまい、理想通りではないとフェードアウトしてしまうというようなことをする人だった。まぁ今はどうか知らないが、少なくとも私が知っているその人はそんな人だったというわけだ。私の中での「理想」という言葉は、それを求めるだけでなくそのような理想を掲げるに見合っただけのものを自分の中に宿せるかどうかという概念だと思っている。よって無茶な理想は掲げるだけ惨めだし、ある程度は分相応を弁えるものだと思っている。しかしながら世間一般での理想という言葉は、兎に角自分が好きなものだけを組み合わせていって、結局わけがわからなくなるというのがオチのような気がする。きっとそのように分相応を弁えない理想を掲げる人に限ってそれだけのものを求めるに値する人間性を宿していないと思えて仕方が無い。それに、よしんばそのような人に出逢った恋に落ちたとしても、その人と一緒にいる自分になんらかの不満があるのではないかと思えるのもまた事実だ。素晴らしい楽器だけを集めて演奏をしたところで、そのような状態では楽器同士の音がぶつかりあって不協和音を奏でるのと同じ原理だ。つまりはいいものだけを深く追求しても、理想だけではいつか限界が来るということなのだろう。自分にないものを求めるというのはある意味では理想の根幹かもしれない。しかし求めすぎると逆に自分の惨めさを露呈してしまうということは悲しきかな存在する概念だ。悪い意味ではない妥協もどこかに介在していてこそ、その人の悪い部分といい部分が余計に際立ってきて、自ずとその人がより魅力的に見えてくるというものだ。理想だけを求めることは簡単だが、もし仮にそのような理想通りの人が目の前に現われたとて、理想だけを求める人の方には振り向かないだろう。それは理想通りの素晴らしい人にもまた理想があるのだから、自分にはないものを求めるのだから。自分を磨くことを怠る人間、そして理想だけを声高らかに謳っている人には、その理想が訪れることは未来永劫有り得ない。
Aug 26, 2007
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タクシーって賃走中なのか空車中なのかパッと見てわかり辛い。最近になってタクシーによく乗るようになったわけなのだが(過去の日記参照)しかしそのようにタクシーを乗るという視点で見るようになると、余計にそのような疑問が湧いてくるというものだ。そもそもタクシーに人が乗っているかどうか、つまり賃走中か空車中かというのは助手席の前に据え付けられている表示で確認することが出来る。しかし少なくとも私が住んでいる地域のタクシーというのはその表示が異常に小さくて、とても確認し辛いという事象がある。しかも、タクシーを止めるという段階においては、ほとんどの場合が走っているタクシーの場合になるので、走っているタクシーの小さなポイントを的確に見抜かなければならないという至難の業が求められる。しかもその確認方法は日中と夜間ではまた異なるものになる。日中は見通しがいいので、賃走中か空車中かを表示で確認するだけではなく、実際に乗っているかを目視することが可能だ。だからこそ或いは止め易いのだが、夜になってくると車内灯が光っていない状態になるので、誰が乗っているかを走っている状態で目視することは困難になってくる。なので助手席前の表示に頼ることになるのだが、しかしながらその表示の小ささは夜になると拍車がかかって見えにくくなる。つまりは走っている状態で昼夜問わずに乗車しているか否かがわかり辛くなっていると言える。例えば、夜であれば人が乗っているという状況を指し示すものとしてもっとライトの数を増やすだとかそのような措置を行ってもいいような気がする。それには設備投資が多くかかるので実行できないところもあるかもしれないが、しかしわかりやすいということは必要なことのような気がするのも、タクシー初心者である私なりの意見だ。では本題へ。今日のテーマもまたアレだ(笑)またまた商店街ネタということになる。私の家の近くにある商店街は色んな意味で時代に逆行しているわけなのだが、しかしながら先日その商店街を歩いているとまたツッコミどころを発見してしまった。今日はそれについての内容になっている。その日私はいつものように商店街を横断しないといけないお店に買い物に来ていた。そのお店は商店街を横断しなければない位置にしかないので、自転車を持っていない私にとってはかなり面倒な距離だと言えるのだが、それでもそこにしかないものなので運動も兼ねて歩いていた。無事に買い物を済ませていつもの道を歩いて帰っていたのだが、イタリアンカジアルのお店を見てちょっとクスっとしながら(過去の日記参照)通過していったのだが、東の入り口のすぐ傍の水道工事のお店の前を通った時に、思わず二度見してしまうような張り紙が張ってあることに気づいた。それは水周り関係の工事を承りますといったニュアンスのものだったのだが、しかしその張り紙に書かれていたのは…雨漏り・雨ドユ 直しますうーん…雨ドユ…わからん_| ̄|○私の人生経験が浅いからこそわからないのかもしれないし、もしかしたら雨ドユというのは一般常識かもしれない。張り紙から察するに、雨ドユというのは雨漏りと同義で水周りの被害のことを指すのだろうが…それでも家に着くまでの間いくら考えてもわからなかった。一番近い概念としては「雨戸」なのだが、それを誤植したとしても「ドユ」をカタカナにする意味がわからないので違うと諦めた。雨ドユの修理をしているそのお店の世話になることはないので、きっとその謎が解けることもないだろう。しかしもしも私の家の雨ドユが壊れたらそのお店に依頼するとしよう(笑)
Aug 25, 2007
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野菜ジュースにはまっている。なんだかあの味が癖になりそうな感覚もする。本来野菜ジュースとは無縁の生活をしていたものの、それでもあるきっかけがあってからというもの何故か常に野菜ジュースを携帯するようになってしまった。それというのも、仕事場で暇な時間に先輩と健康について語っていた時の出来事がそもそもの原因だ。先輩の話曰く、一日三食キチンと食べないと顔が老けて見えてしまうということらしい。それは体の構造上の問題であって、一日に三食キチンと食べるという習慣がない私にとっては恐ろしい内容だった。一日に三食キチンと食べるということは難しいというのは一人暮らしにはつきものであるように思える、しかも栄養のバランスを考えれば尚更だ。だからと言ってそれをサボってしまうと老けていってしまうという恐怖の結果が待っている。悩んだ私が出した答えが野菜ジュースだというわけだ。まぁ野菜ジュースに入っている野菜など微々たるものなので栄養面での期待をしているわけではないのだが、それでも野菜を摂っているという気休めにはなるし、それに味的にも嫌いだというわけではなかった。なので最近のお昼は専ら野菜ジュースを基本にしているというわけだ。最近のお気に入りとしては紫の野菜なのだが、それを敢えて選んだのにもちゃんと理由は存在している。私が野菜ジュースを常備するようになる前に、仕事場では野菜ジュースブームが来ていた。課長がそのはしりで、課長はいつもノーマルタイプの野菜ジュースを常備していた。それが職場の休憩所にいつも置いてあるので、それがあれば課長がいるとわかるほどだった。私が野菜ジュースを買うようになってからは、最初こそノーマルタイプの野菜ジュースにしていたのだが、よく考えてみるとそれは関西人である私が一番嫌う「かぶる」ということだった。別にそんなことは気にしなければそれまでなのだが、それでもそのようなことは非常に気になる性格なので…私の方が譲歩して紫にしたというわけだ。まぁ譲歩したというのは後付けなのだが(笑)では本題へ。連続更新の最後は今一番アツイ内容(あくまで主観)だ。今日は土曜日なのだが仕事が入っている。それは普通の勤務ではなく、一ヶ月に一回あるミーティングの日だった。これは自由参加なので、出るも出ないも自由なのだが、先月に所用で休んだ私としては今回も不参加という意志を表明するには非常に後ろめたいということで、あまり気は進まなかったのだが参加することにした。時間は9時半からということで、いつもと同じように起きて行けばいいのだが…今日はそんなことも言っていられないイベントがある日だった。そう、今日から世界陸上が開幕する。私は中学校の頃に陸上部に所属していて、陸上にのめり込んでいた時期もあった。それが影響しているか否かはわからないが、しかし私はそれ以来陸上関係のものを観戦するのが非常に好きになっていった。現に2年前に行われた世界陸上のヘルシンキ大会は、時差があるにも関わらず競歩以外の競技を全て見たほどだった。競歩が何故見られなかったのかというと…開幕初日だけはどうしても外せない用事があったからだった。それが悔やまれるのは言うまでもない_| ̄|○という心残りがあったわけで、今回の世界陸上は前々から非常に楽しみにしていた。前回のヘルシンキ大会とは違って今回はマラソンスタートだということ、しかも朝の6時から始まるということで、当然のように寝ないで始まるのを待っていた。早めの朝ご飯(野菜ジュース含む)を摂って始まるのを待っていたのだが、よく考えてみると6時スタートとは言っても実際に6時にスタートするわけがない。なんだかんだと延び延びになっていって、結局スタートしたのは7時頃だった。ということは…7時+マラソンの距離である2時間弱=9時過ぎるまた最後まで見れない_| ̄|○なんとかぎりぎりまで粘ったものの、結局最後の面白い展開を見ずして仕事に出かけることになってしまった。ダイジェストで見るのも癪なのだが、帰って来てこれを書きながら横目でマラソンの再放送を見ているというわけだ。実に悔しい観戦方法だと言える。これから9日間はアツイ日が過ごせそうだ。個人的には男子三段跳びと女子棒高跳び、後はやはり男子の100Mと200M、女子の200Mが見所だと思っている。今日は男子の100Mがあるらしいので…家に籠もる時間は増えそうだ(笑)ちなみに…私が陸上を興味を持って見るようになってからすぐにMJは引退してしまった。あの走りは神がかり的なので、できれば現役の頃の走りが見たかったものだ。ラストで流して金メダルなんて凄すぎる♪
Aug 24, 2007
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地蔵盆ってどういう意味だろう?まぁ世の中の事象に意味のないことなどない。今に語り継がれる物事には伝統を踏んだもの、そして意味深いものだからこそ今の段階でも消失することなく残されているものだという考え方ができる。つまりは地蔵盆においても意味はあることだと言える。しかしながら、よく考えてみるとそれが少しだけ矛盾を孕んだものだと思える。一般的に「お盆」というのは仏教における先祖帰りの日、若しくは期間とされている。無宗教派であるにも関わらず実家が仏教ということでそれなりには知っているつもりだが、私が知っているお盆という概念はこの程度のものだ。先祖というのは勿論生きていた頃に人間だった人のことを指す言葉なので、必然的にお盆というのは人間に対して使用される意味合いであることがわかる。そして地蔵盆というのは、お地蔵様におけるお盆だという意味だと思っている。お地蔵様というのは子どもの霊が宿るもので、道に迷わないように注意を促すものとしてあるということを以前に聞いたことがあった。これを踏まえた上での疑問だ。お地蔵様が子どもの霊の象徴であるのなら自分の家に関係する死者が帰ってくるという意味ではお盆と同義ではないのだろうか?子どもとて死者は死者だ。それは家柄に関係してくるのだから、厳密にはお盆で祭られるべきではないのだろうか?そういう意味での疑問だ。まぁどちらにしても霊を祭るという習慣は日本の伝統美であるように思う。そういうところが日本の素晴らしいところだと思えるのもまた事実なので…そういう機会が多いのだと認識しておくとしよう(笑)悪いことではない。先日商店街を何とはなしに歩いていると、自転車に乗りながら煙草を吸っている人がいた。それは特に咎めるようなことではないのかもしれないのだが、その様子が非常に気になってずっと見てしまった。そういえば自転車を持っていた頃は私も何度かしたことがあったのだが、その様子は客観的に見るとそのように見えるのかとその頃の自分を反省したものだった。何と言うか…あれは歩き煙草と同じくらい情け無いことのように思える。京都は未だに歩き煙草の規制がかかっていない。なので繁華街ともなると、子どもが横にいても関係なく煙草を吸いながら歩いている会社員風の男の人や、ヘッドフォンから大きな音を漏らしながら路上で煙草を吸っている人もちらほら見かける。私としては一刻も早く歩き煙草を規制する制度を導入して欲しいのだが…それもまだ先になりそうだ。話ではまだ東海地方の一部でしか導入されていないということらしい。そのような制度を躊躇する意味がわからないが、庶民にはわからない齟齬があるのだろう、そこは偏に導入される時期を待つしかないというものだ。基本的なことなのかもしれないが、こういうことは規制がかかる前に行うのが通例であるべきだ。それはそのままモラルが問われることとなる。言われてからすることなど誰にでもできる。言われる前にすることが出来るのが人であり、そして大人であるということは間違った概念ではないはずだ。とまぁ一般概念に終始するのもいいが、今回の括りは「くだらない話」だ。というわけで煙草に纏わるくだらない話を展開していこうと思う。これをやったことがある経験者は「あぁ、お前もか」と思ってくれれば幸いだ(笑)1つ目は煙草を逆に点けてしまったという事例だ。その日私は昼寝をしてしまって、目が覚めたのは夜も更けた頃だった。目が覚めてすぐに煙草が吸いたくなり、暗闇の中で煙草とライターを探した。すぐに見つかって手探りで煙草の箱から1本取り出して火を点けようと思ったのだが、手違いで箱を落としてしまい中身を床に散らばらせてしまった。バカなことをしたなぁと思いまた手探りで煙草を拾い集めてそのうちの一本を咥えて火を点けると…火が思いのほか炎上♪フィルターの方に点けた火というのがあれほど勢いよく燃えるのを見たことが無かった為に、もの凄くテンパってしまったのをよく覚えている(笑)勿論その後焦げたフィルターで吸ったのは言うまでもないが(笑)もう1つはもう少し危険なものだ。その日は風が強く、煙草を吸うにしてもなかなか火が点かないような感じだった。私はその日指に怪我をしていて指に包帯をしていた。そんな中で煙草を吸おうと煙草を一本咥えて火を点けようとした。しかし風が強いこともあってなかなか火が点かない。ちょっとイラッとして何度も点けようと奮起していると、一度だけやっと点いた。しかしそれも風が強すぎて火が斜めになるような感じだった。それでも折角点いたということで必死に口を近づけて火を移そうとした結果…指の包帯に引火♪これは最初は気づかなかった。やっと煙草に火が点いたので満足していたのだが、どうにも右手の辺りがキラキラしているなぁと思って右手を見てみると…まぁあれだけ綺麗に二度見したのも久しぶりかもしれないというくらい華麗な二度見をしてしまったものだった(笑)その後は当たり前のようにテンパったのは言うまでもないのだが(笑)このようなミスは煙草を吸う上では付きまとうものだというのが私の自論だ。煙草を吸う人の数だけ面白い話もあると思っている。これを二つともやってしまった、若しくはそれ以上のやんちゃをしてしまったという勇者がいらしたら、是非ともその武勇伝を聞きたいものだ♪
Aug 23, 2007
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いつもの夜勤明け、太陽の光がやけに殺人的な日。まぁ太陽の光が殺人的なのはその日に始まったことではないのでそこのところは誇張なのだが、それにしても未だに夜勤明けの太陽の光には慣れない。なんだかこう…眉間というかそのような中途半端な部分が痛くなる。これが健康である印には到底思えないのだが、まぁ個の仕事をしている以上は仕方の無いことのように思える。夜勤というのは往々にして休憩が重要だと言える。私の職場も夜勤には多くの休憩時間が用意されている。一応会社的に計上している休憩時間というのは1時間なのだが、それで私の会社の勤務時間を耐えることは非常に難しい。確かに1日2日というのは可能なのだが、それはあくまで短いスパンでの話あって、それを恒久的に進めていくというのは非常に困難を極める。その辺りを加味してか否か、休みは多く取ることが可能になっている。しかし私は未だ研修中の身であるので…休憩よりもまずは仕事を覚えることを優先される。なので必然的に休憩時間は削られていく一方になってしまう。しかしそのことに関して文句を言う筋合いは私には存在しない。何故ならば、私が休憩時間を割いて仕事をしているということは、それに付き合って下さる先輩も休憩時間を割いているということになるのだ。なまじ仕事を覚えているということは、その作業を効率的に行う術も…と、大分話が脱線してきたのでこの話は次においておくとして。名古屋の話に戻すとしよう。そんな風に夜勤明けの状態で家までふらふらと帰って行って、そしてそのままばたんきゅーしてしまった。いつもは休憩時間で仮眠を摂っているのだが、今日は仮眠室が満員だった為に使うことが出来ず、結局一睡もしないで仕事をしていたのでこんな結果になってしまった。しかし名古屋に行くという予定が待っているので、そんなに寝ることは出来ず、結局3時間ほど寝たあたりで目が覚めてしまい、粛々と荷造りすることにした。もう名古屋行きの為に必要なものの用意は慣れているので、あっさり用意を済ませてしまい、また寝ることにした。これだけ眠いのなら行くのをやめればいいのではないかと思う方もいらっしゃるかもしれないが、しかし名古屋旅行だけは私の今の生活において欠くことの出来ない行事なので、どんなに体調が優れなくても決行は確定なのだ。その理由に関しては先日書いたので割愛。荷造りしながら段々テンションが上がってきた。いつものことだ、私の子どもっぽいところだと言える。昔から私は台風や大雪にはテンションの上がる妙な子どもだった。台風が来ればそれはそのまま被害に繋がるし、大雪が降ればそれもそのまま交通機関の遅延に繋がる。決して起こって嬉しい事象ではないのだが、それでもそのような予報が出ると小躍りするほど喜ぶ子どもだった。台風が来る前のちょっと風が生ぬるい感覚、そして大雪が降る前の雪興しが鳴動する感覚、それがたまらなく好きだった。これから大きなイベントが起こるかのようなテンションの上がりだったのを自覚している。今でこそそのようなことは無くなったのだが、それでもその片鱗は残っている。自分の中で楽しい出来事の前にはテンションが高くなる、まるで大雪が降る前の夜のようにそわそわして仕方なくなる。荷造りが終わりまた仮眠を摂って起きた後の私は完全にそのような状態だった。こんなにテンションが上がる出来事は最近ではそうない。昔は山梨に行く前の日がそうだったのだが、その代わりとまではいかないものの、それに近い感覚だ。この感覚が非常に好きだ。私の中では名古屋行きの方法はもう決まっている。行きは普通在来線で帰りは新幹線だ。京都~名古屋は鈍行で行っても3時間程度ということで、新幹線で行けば1時間もかからない。行きはそのような長い時間でも向こうに楽しいことが待っているということで3時間も我慢できるのだが、帰りは乗り換えのことを気にせずにあったことを反芻したいので新幹線にしているというわけだ。まぁ下世話な話をするならば、帰りも鈍行で帰った方が金銭面でも負担は少ないのだが、しかしそこは私の社会人としての意地だとでも言っておくとしよう(笑)長い時間をかけて漸くいつもの駅に着いた。毎回のことだが、Kには待たされる。私の記憶の中では、いくら事前に連絡をいれておいたとてKが私よりも先に待っていたことは無かった。まぁそんなことでいちいち怒る私ではない、むしろそのように遅れてきてこそのKであるように認識している。良い傾向ではないかもしれないが、むしろ私達の中ではそのような感じが普通なのだ。待つこと2時間、ようやくKが来た。今回の旅行における目的の1つはそこで達成されたと言えるが…まだ1つ大切な約束が残っている。それはHに会うことだ。しかしその目標が達成されることは無かった。それは私の自業自得であって、そしてHに非は無い事象だった。だからこそ誰を責めることも出来ず悔しい思いをしたものだった。このことで或いはHを傷つけたかもしれない。「別に気にすることじゃないよ」そう伝えてくれたメールは本意だったのか、それは今になってもまだわからない。目的が達成されないということで非常に消化試合的な空気が流れ始めたのもまた事実だった。Kもまた私がKだけではなくHに会いたがっていたということを知っているので、会えなかったこともあってKなりにその部分を気遣ってくれたように思える。いつもの盛り上がりではあったものの、それでも少しだけいつもと違っていたような気がする。ファミレスの一角Kが煙草の火を燻らせ、私が静かに頬杖をついているHが楽しそうに笑いながら話をするKがツッコむHが笑う私は弄られるKが茶化すHもノってくるそんな空気気を遣う余地のない空間時間の経つのを忘れる瞬間、刹那これに勝る落ち着く瞬間は今のところ私の周りには存在しない。この為ならば名古屋に行くことも厭わないというわけだ。今度はまた3人で会えるといいと思う。この関係は永遠に続いて欲しい。親友二人を前にしていつも思う、この時間が過ぎればまた仕事だと。でもまた頑張れる。私にはこの時間があるから。
Aug 22, 2007
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名古屋に行くということは、それは即ち更新が遅れるということだ。何やら言い訳じみたところから入ったわけなのだが、しかしそれもまた事実である以上は、更新が遅れた理由も明確にしなければならないというものだ。今回またもや更新が遅れたのは上記の理由からだ。今回の名古屋行きはある意味突発的に決めたことであって、締めが遅い私の会社ならではの軋轢だとも言える。普段から名古屋には行きたい行きたいと思っていたのだが、それを阻害する因子はあくまで時間とお金という変えがたいニ要素に起因している。ということは、その二つが解消される給料直後の今の時期はどうしても名古屋に吸い寄せられてしまうというわけだ。それほどまでに私にとっては名古屋というのは特別な存在だと言える。というわけで今回またもや名古屋に行っていた。その為に更新が滞っていたこと、そしてその遅れをこうして地味に取り返しているという些末な問題さえなければ、名古屋行きもルーティンワークとして定着してもおかしくはない。しかし何故こんなにもよく名古屋に行くのか、それは今の私の生活スタイルが関係している。私は6月から晴れて社会人になったということで…当然のように働いている時間が長くなった。以前のような大学生の身分ならばそこまで「やらなければならないこと」に束縛を受けることも無かったのだが、しかし今となっては仕事場にいる時間が人生のベースになっているような気がする。つまりは、生活の基盤の大半を仕事に割いているということになる。それは当たり前のようで…それでもとても無益な時間の過ごし方でもある。生きていく為には自分で働かなければならないということは自明なのだが、その代わりに自分で自由に使える時間というものに大きな制約を受けることになってしまった。もともと有益な時間の過ごし方というのがいまいちよくわかっていない私としては当初こそそれでいいとも思ったのだが、時間が経つ毎に起きて仕事に行って帰って来て寝るというこの何の変化もない生活に疑問を感じるようになってきた。だからこそ休みの日こそ有益に過ごそうと思うのだが、休みの日にすることと言ってもたかが痴れていてやはり以前からブログに何のオチもなく書き続けた家のこと、つまり掃除や洗濯をすることに終始する結果になっている。それなら友人と遊べばいいのだが、その友人も私と同じく社会人という身であること、そして私のように不定期な休みではないということを加味すると、遊ぶということだけでも難しいように思える。私こそ末端の仕事であるので一向に構わないのだが友人は皆有名なところに就職しているという出来のいい状態になっている。そこにコンプレックスがないと言えば嘘になるので…如何な休みの日と言えどもそこまで頻繁に友人を誘うこともしていない。となると私の休みは一気に不毛なものになってしまう。特にすることもなくなんとなく時間が過ぎていくという最低な休みの過ごし方を謳歌しているというわけだ。そんな私が見つけた休日の有益な過ごし方というのが名古屋に行くことだ。幸いにして名古屋はそこまで遠い距離でもない。それに名古屋に行くと私を待っている友人が少なくとも2人はいる。その2人と会って特に何をするでもなくダベっているというのも、私にとっては非常に有意義な時間だと言える。何か目標や休憩地点がないと人はどんどんダメになっていく。物事をなんとなくやるということほど不毛なことはない。何か目標を立てて、それを実行する為のプロセスとして仕事というのは存在するものだと思っている。勿論その過程で仕事自体が面白いと思えればそれは最高のことだ。私の今の立場としては、仕事の全てを見たわけではないので、後者は今の段階では胸を張ってYESと答えることは出来ないかもしれない。しかし私が仕事を頑張るということで喜んでくれる人が少なくとも名古屋にいる。そして定期的にだが、その友人に会いに行くことが出来る。仕事の話や愚痴を何も言わないで聞いてくれる。それだけで次の日が仕事だとしても頑張れるというものだ。なので名古屋に行くということは、私の目標のような休憩地点のような…大きな意味を持っていることになる。今回の旅行は友人Kと友人Hの二人に会うことが目的だった。しかし結果論から言えばHには会うことが出来なかった。それは圧倒的に私のミスであって、自分のミスである以上は誰を責めることも出来ないのだが…しかし残念でならなかった。まぁそれでもKとはまた1年前のあの頃のようにバカなことをして盛り上がったのでよしとしたいところだ(笑)ちなみに友人Kとのバカなことというのはこのブログの最初の方に付記してあるので…興味のある奇特な方は見ていただけるとありがたい♪まぁそんなわけで今回更新が遅れた理由の1つは名古屋に行っていたことなのだ。敢えてもう1つ挙げるとするならば…夜勤明けで体調が芳しくなかったことなのだが、それは毎回のことなので挙げられなかった理由にはならない。私がここに自分の毎日を恥ずかしげもなく書いている理由というのは、そこのところにも起因しているのだが…まぁそれはいずれ書いていこうと思う。そう、できれば2年目の誕生日にでも書いてみたい。名古屋での出来事はまた次の内容に持ち越しだ。今回の旅行は非常にバカバカしい内容になっているのだが…まぁ私の中では充実していたとしても客観的に見ればバカバカしいことも多く存在しているのでそれはよしとしよう(笑)
Aug 21, 2007
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もう夏の暑さも残暑のようになってきた。相変わらず暑さを感じるものの、しかしそれは絶世期のそれとは異なるもので…何と言うのかわからないが、兎に角田舎生まれの私だからこそわかる概念であり言葉にできない感覚のような気もする。私が今住んでいるところは夏になっても蜩が鳴かない。近くに二条城があるので、そのお堀や植えられている木のどこかにいてもいいものなのだが、それでも京都市内に住んで5年になっても一度も蜩の鳴き声を聞いたことがない。私はあの蜩のどうしようもなく田舎を髣髴とさせる音色が好きだった。田舎にいた頃は当たり前のように聞いていただけに、それが聞けないことがこんなにも物足りないと思うとは自分自身意外だった。これと同じようなものに海がある。子どもの頃にはあって当たり前のもので価値のあるものだとは思っていなかったが、しかし1人暮らしを始めたこと、そして住んでいるところの近くに海がないことも関係してか、実家に帰る度に海に行くようにしている。特に何があるわけでもない、むしろ過疎化によって海には人っ子一人いないような状況だ。しかしそんな海を眺めるのがどうしようもなく好きだった。これは私の小さな夢なのだが、もしも私に彼女が出来たのなら、絶対に田舎の海に連れて行ってあげたいと思っている。いつ叶うのかは定かではないが(苦笑)それと同じように蜩も私にとっては夏の代名詞で、幼い頃には晩御飯が出来るのを待ちながら兄とキャッチボールをしていて、その時に聞こえてくる蜩の鳴き声が夏を一番感じられるシチュエーションだった。蜩と蝉は違うのだろうか?住める環境が異なるのだろうか?今住んでいるところに蜩がいないのが非常に残念で仕方ない_| ̄|○まぁそれはそれとして…今日から私の現場に新人が来ることになっている。新人という意味で言えば私も新人なので、相手の方のことを新人と呼ぶこともおこがましいような気もするが、しかし現場的に言えば私の方が2ヶ月先輩なので、一応私のポジションは1つ上になったというわけだ。勿論そんな実感はない。今の私は仕事を一生懸命に覚えている段階であることには変わりないし、後輩が出来たからといって私の立場が変わるということも有り得ない。まぁ気にしないのが一番なのだが…そうも言っていられない原因が少しだけある。まずはその新人さんが27歳だということだ。年齢よりも仕事が出来るかどうかを重視するのが社会の一般通念であるので、その精神を充分に理解している私としては特に問題ないのだが…しかし向こうが「先輩」と言ってくる相手が年上だということは少しだが気になるものだ。私は往々にして年上に見られる傾向にあるので相手の方が私のことを何歳だと思っているのかははっきりしないことが今の軋轢を生んでいるような気もしないでもないのだが、それでも、年齢的な観点から話をすれば少しだけ面倒な問題だと言える。まぁ私としては敬語を使っているのが一番楽なのでもしも相手の方がタメ口で来たとてなんら問題はないのだが、しかしそれを許さないのが周りの環境だ。私としてはいっこうに構わないのに、先輩方は「先輩にはちゃんと敬語を使え!」と言われてしまうとどうしようもなくなる。敬語を使われることが苦手な私としては、年上の方から敬語を使われる状況というのは我慢が出来ない。もしもそのような動きが見られれば、すぐにでも敬語を使わないように指導(笑)していこうと思うのだが…今日の邂逅が刹那過ぎてそこまで突っ込んだ話をできるほどではなかった。もう1つの問題というのが、仕事経験の話だ。相手の方は27歳ということで、今までに多くの仕事を経験している。ということは…仕事経験を重視するという立場においても私は後輩だと言える。となると…やはり接し方も普通でいるわけにはいかない。しかも仕事歴と言っても、今の現場とは全く関係ないところにいたのならそこまで気を遣わなくていいのだが、同じ分野での経験を持っている方なのだ。となると…2ヶ月前にこの世界の門を叩いた私としては、圧倒的に後輩だということになる。考えすぎかもしれないが、こういうことは非常にナイーブな問題を孕んでいる。私がどう思うかどうかということよりも、相手の方がどう思うかということが大切なので…今後はどのような人なのかを見極める作業にも時間を割きそうだ。先輩って柄じゃないのだが…その部分も新人さんには早めに気づいて欲しいものだ(笑)
Aug 20, 2007
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ミッフィーが順調に増えていっている。ローソンのミッフィーグッズを集めるようになりだして暫く経つのだが、未だに私の家には多くのミッフィーボウルが順調に増えていっている。今になって考えてみると、私は別にミッフィーが特別好きだというわけでもないし、かと言って食器に困っているわけでもなかった。しかしそれを集めようと思ったのは…何か使命のようなものなのかもしれない。溜めるだけ溜めて何も使われずに破棄されていくというのは悲しいことだ。それならば誰かが有効に使えばいいだけのことなのだが、その「誰か」という存在が生憎私の仕事場には存在していなかった。そこで頼まれたわけでもないのに私の登場というわけだ(笑)今現在で、私の家には10個のミッフィーボウルと予約されている1個の合計11個がある。集めてみて、それをうず高く積んでみて思ったのだが、どうにもこれだけ集まってしまうと汎用性がない。使い道はあろうが、それだけの数が必要とされる現場は今のところ考えられないというわけだ(汗)これは最早牛乳瓶の蓋を集めるレベルによく似ているような気がする。持っていることに意味はないのだが、それが身近にあることで充足してしまうという境地なのかもしれない。身近にあるということに関連して今回のテーマへ先日衝撃的なニュースを報道していた。それは京都市内で通り魔があったということだった。被害に遭ったのは女性で、幸いにして命に別状はないものの、それでもそのことは非常に印象深いことだった。そもそも、このような通り魔犯罪は珍しいものではない。こんなことを言っても否定的な意見を買うことがないほど現代は犯罪で溢れていると言える。それはそのような現状が最早当たり前になっていることに起因するのだが…楽観的に捉えられる事象ではないことは自明だ。慣れとも言えるかもしれない。私にとってほぼ毎日のようにテレビで報道している犯罪の内容というのは、日本国内で起こっているという認識はしていても、どこか人事のような気がしていたのも事実だった。確かに日本で起こっているものの、それは行ったこともない何処か…知らない何処かで起こった「自分には関係ないこと」という捉え方をしていた感があった。それはマクロ的に見てもそうであって、何処かの国で紛争が起ころうとも、何処かの国でテロやデモが起ころうとも、それが起こることによって自分のこれからの生活にはなんら影響はないと信じている節があった。しかし今回のように自分の住んでいるところから非常に近い位置で犯罪が起こってしまうと、人はテレビで報道されていても歯牙にもかけないようなニュースでも機敏に反応してしまうというものだ。そのレベルは人それぞれかもしれないが、それらは往々にして犯罪の凶悪性に比例していると言える。もっと関心を持とうという動きもあるかもしれない、しかしそれはあくまで「遠くで起こったこと」という壁がある以上は、それ以上突っ込んだ興味を示さないのもまた事実なのだ。ここ10年でも悲劇的な事件は起こっている。しかしその当事者でない人にとって、それがどの程度記憶に残っているものなのだろうか?おそらく言われて「あぁ~」という程度の認識しかしていないだろう。それだけ興味を示さないというのは偏に距離による乖離が起こっているからだろう。突き詰めるとそれは報道のあり方に帰着することになる。例えばどこかで大規模なテロが起こったとする。現実的には有り得ないことなのだが、そのニュースはテレビで報道されなかったとする。その時、その事件の当事者以外、一体何人の人がその事件を正確に知ることが出来るだろう?きっと知らないということで誰にも認知されることなく忘れられていくだろう。報道というものはそれを「正確に」伝えるという観点に立っている。それなのに事件の凄惨さだけを抉り取ったような報道の仕方をしていることが多い。キャスターだけが客観的で、報道している内容はもろに主観的なものになっている。それが全てだとは言わないが、そのような報道のあり方が当たり前になっているからこそ、興味がなくなる、自分には関係ないという考え方がマジョリティになっているのかもしれない。と、色々言ったが…結局私もそのような考えを持っている1人だ。件の通り魔事件は確かに印象深いものがあったにせよ、きっとすぐに忘れてしまうだろう。自分に降りかかることでどんな小さなことでもその犯罪の等身大の被害を感じることが出来る。それをありのまま報道で伝えることは或いは難しいことなのかもしれない。しかしそのような報道のあり方を追求することこそが、それを「生業」としている関係者の義務のように感じる。
Aug 19, 2007
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今日の仕事終わりに久しぶりに雨が降った。考えてみれば雨が降るのは何日ぶりなのだろう。おそらく梅雨明けをしてからというもの一度も雨が降っていないような気がする。確かに夏と言えば梅雨が明けてからはからっとした天気が続くので雨が降りにくいと言えば降りにくいのだが、それにしても今年の夏は雨が降らなさ過ぎる。これも異常気象の成すことだと言えばそれまでなのだが、それにしてもこれだけ降らないとダムの枯渇が心配されるというものだ。ダムが枯渇すると言えば…前から1つ不思議に思っていることがある。もののついでにそれを書いてみようと思う。ダムというのは自明のことだが、飲む為の水を濾過する前に溜めておくところだ。当たり前のことだが、ダムに水が溜まる誘因というのは降水がほとんどだ。間違っても係員の人がホースでダムに水を注いでいるわけではないし、それこそ本末転倒甚だしいことだと言える(笑)ダムは毎秒何リットルというレベルで水を出しているのではなく、ダム全体の容積からはじき出されたパーセンテージからどれくらいの水を出していいのかを決めてそれを放出しているという形をとっている。なので内包されている水が多ければそれに見合っただけの量を、そして少なければ取水制限を敷くなどして調整しているのだ。まぁ当たり前のことを書いたのだが…。そのような基本構造の上で疑問がある。毎年梅雨時期になると全国どこかのダムでは早々と取水制限をしているところがある。それは単純に地域レベルで雨が降りにくいとかそういう次元の問題ではなく、むしろ予想される降水量に満たないからこその戒厳令的な措置であり、ダムに水が入っていないという何よりもの証拠だと言える。それは時々起こるというレベルではなく、むしろ異常気象がさけばれる昨今に毎年のように起こっている事象だとも言える。最近では取水制限を毎年のようにしているダムも限られて来ているような気がする。そこで思う…。毎年のように取水制限をしなければならないのなら、水を効率的に保存しておけるような構造にすればいいのではないか?とダムは当然ながら室内に設置されているものではない。多くの人の生活水を生成しなければならないという規模から鑑みても、それは室内におさめておけるレベルでは到底ないというわけだ。となると…ダムというものは必然的に外に設置されることになる。水はそこに淀みなく存在しているわけではなく、常に蒸発を繰り返している。つまり、外に水を保存しておくという考え方が、水を開放するという事象以外にも水がなくなっていく誘因になっているとも考えられるわけだ。取水制限をしなければならないということは、ダムの水が足りないということの表れだ。生活水として捻出している「だけ」ならまだわかるのだが、そのような原因で水がなくなっていくことはよろしくない出来事のように思える。もしもそのような経緯で水がなくなっていくことを是正できれば、或いは取水制限を出さなくてもやっていけるのではないかと思うわけだ。尤もこのようなことを考える人などごまんといる。しかし未だ実践されていないのは多くの問題を孕んでいるからだろう。それにそのような措置を行う為には一端ダムの稼動を停止しなければならない。諸問題を解決してからでないと問題にはかかれない、それが問題なのだ。禅問答のようだが、このような概念は世の中に思いのほか多く存在している。ではテーマへ…私の職場の建物構造は以下のようになっている。2F:機械室3F:機械室4F:機械室5F:本社(派遣先の本社の意)6F:機械室7F:機械室?8F:機械室??7Fから上にクエスチョンマークが入っているのは業務上行くことがないからだ。つまり知らなくていいフロアとなっているわけだ。それを踏まえた上で今回の内容へ。私の仕事は日勤と夜勤の2部構造になっている。その両方の業務に共通するものとして、1Fの常駐フロア以外への作業に向かうというものがある。それは機械室にある業務用端末で作業をするといったようなものなのだが、私はもう今の職場が2ヶ月になるということで、それらを1人で行うことが許可されている。今日の内容はその時のことだ。前々から聞いていた。特にそのような気配を感じる人はいないと踏んでいたのだが、実は前からそのようなことを進言している先輩がいたのだ。その話を冗談半分で聞いていたのだが、ある日の夜勤時の作業でその疑惑は確信に変わった。2Fには何かある…。2Fというのはその建物の中でも一番多くのサーバーを有しているフロアで、そのフロア面積は他のフロアの比にならない。業務上使用される端末のホストというのは種類によって区々なのだが、2Fにあるものは往々にして大きなものが多い。大きなサーバーが並んでいる為に視界は非常に悪く、フロアの全体を眺めることは困難な並びになっていた。2Fで作業する場合幾つものサーバーを経由しなければならない為に必然的にフロアを全体的に歩き回らなければならないことになる。しかし一角だけ絶対に立ち寄らない場所があった。私は経験も浅いということでそこに何があるのかはわからないのだが…しかし行く必要がないということで知ろうともしなかった。その日私はいつものように1人で作業を任され、必要な道具を持って2Fに来ていた。フロアの扉を開けた時はいつも真っ暗なのでまずは電気を探すのだが…その時から何か違和感を感じていた。建物全体は冷房の設定が一定であるので各階層ごとに気温差は存在しないはずなのだが、2Fだけはいつも冷たい空気に包まれていた。いつものように慣れた作業をしているのだが…いつもと何かが違う。誰かに見られている。そんな気がする…。後ろを振り返っても誰もいない。しかしまた作業に戻ろうとした時には誰かに見られているような気がする。別に白い着物を着た女の人を見たとかそんなようなことはないのだが…それにしても釈然としない出来事だった。2Fの一角には何があるのか、それは私が関与することではないのかもしれない。しかし、それが何なのかをはっきりしないと気持ち悪いのもまた事実だ。見られているような気は確かにするのだが、しかし…私のような男を見ても仕方ないような気がするのもまた事実だ(笑)
Aug 18, 2007
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冷房は時として凶器のような気がする。冷房が効きすぎている部屋から外に出ると時々眩暈のような立ちくらみのような状況が起こることがある。この症状は冷房が効いている部屋にいる時間が長ければ長いほど悪化する傾向にあるらしい。夜勤が終わり、外に出ると5回に2回は立ちくらみのような眩暈のようなものに襲われる。眩暈や頭痛というものは慢性化してしまうとなかなか治りにくいものである以上は…私がこの仕事にこの時期に従事している以上は避けられない事象なのかもしれない。一般的に夏における温度というのは室内と室外の差が10度ひらくと身体上よろしくない影響がある。医学においては門外漢故浅学ではあるものの、それでもそのような環境が人間の体によい影響を与えるとは思えない。と、小難しい言い方をしたのだが…結局のところ言いたいことは1つだ。眩暈と立ちくらみで体に影響が出たら労災はおりるのかなぁ?ではテーマへ先日ペルーで大きな地震があった。こう言ってしまうと難だが、このような規模の地震自体はそこまで珍しいものではない。しかし以前にもここにも書いたかもしれないが、地震というものはそれ自体の被害ではなくその地震の過ぎ去った後にこそ本当の意味がある。ここからはしばらく前に書いたことと重複するかもしれない。しかし今日の内容につなげる為には必要なものだ。例えば一本の道があったとする。その道は田舎にあるということで特に何の措置も行われることなく、ただただそこにあるだけだった。その道は先に進んで行くとともに緩やかにカーブしていく。ある日一台の車がその場所で事故を起こした。ハンドル操作を誤ったのだ。運転手は不幸にもその事故で亡くなることになってしまったとする。それからしばらくしてその道にはガードレールが出来ることとなった。そうして事故は減った。この事例には多くの意味がある。まず一番の問題は、何の措置もしないままに放置しておくことだ。何かが起きるかもしれない、全てそのような観点からものの安全性は計られるべきだ。しかし、保険というものは往々にしてそのものにかけた価値だけが帰ってくるかという心配が推し量られる。誰だって不毛なものに財を投げるのは無駄なことだとわかっているし、それが本当に価値のあるものでないとはっきりとした意思のもとに決定することはできない。しかしそれは考えてみれば卑近な物質至上主義の観点の話だ。命の価値は誰にも推し量ることは出来ない。そのものに対する措置だと思えば高い買い物なんて何も存在しないはずだ。しかし現実における事象は全て上記の例のようになっている。つまりは「ことが起こってからそれを防止する措置をとればいい」結局はそこに尽きる。その考えを是正しない限りは、新たな事象が出る度に被害は大きくなる一方だと言える。ガードレールの話もそうだ、1人の尊い犠牲の上に一時の安全は成り立っている。それが脆さを孕んでいるとも考えずに。今まで書いたことは以前にも書いたことだ。今回のペルーの地震により学ぶべきところはこの後にある。ニュースによると、地震で荒廃した街では盗難や犯罪が蔓延しているらしい。それは自分だけは助かろうと手段を問わず生き残ろうとしている考えが人の心に蔓延っていることを意味している。このような考えが浮かぶのは誰のせいでもない。誰だって自分が可愛いだろうし、自分だけは生き残ろうと考えるだろう。しかしそれを招く事象も結局は措置が行き届いていないからだろう。物理的な部分だけではない、そのような災害は人の心まで歪ませてしまうことになるということだ。もし仮に充分な措置が取られていたとすれば…被害は最小限になり、そしてそれがそのまま暴動に繋がることもない。しかしこれはあくまでそれだけの措置を整えるだけの「余裕があるかどうか」という観点からの議論だ。ペルーにそれだけの余裕があるかどうかを考えると…明快に答えられるほどのものではないと察する。となると…どういうことになるのか…。それは先進国が自国の発展だけではなく、後発発展途上国の為にもそのような援助をして然るべきだということだ。どうにも先進国と呼ばれる国々は自国の発展ばかりを盲目的に行っており、他の国の発展を度外視しているように思えて仕方ない。論じることは簡単だが、どうしようもないことと言うのも存在するものだ。現に私を取り巻く環境の1つである仕事場の荷物入れに100円を入れないと荷物を入れられないという状況が理不尽に思えて仕方ない。どうせ帰る時には返ってくるのにそんなことをしなければいけない不合理性に喘いでいるというわけだ(笑)そんな私が地震による援助のあり方を唱えるというのもなかなか面白い話かもしれない(笑)
Aug 17, 2007
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今年も結局お墓参りが出来なかった。去年はなんだかんだと忙しくて、何かに急かされるように実家に帰り、そして何かに急かされるように1人暮らししている家に戻ったものだった。別に実家が嫌いとかそういうような類の理由ではなく、単純に「帰らなければならない」という意思のもとに帰っただけであって、お墓参りをするという確固たる目的を持って実家に帰ったわけではないからだ。実益的な考え方をした時点で人は物事の真理を曇った目で見てしまう。去年の私はある意味ではそう考えていたのかもしれない。お墓に参ることはその行為に意味があるのであって、お墓に行くという行為に伴う効用はありはしない。そう思うとお墓参りというのは途端に意味がなくなってしまう。お盆・正月に実家に帰って、それまでにあったことを祖父や祖母に報告する。そのような行為には本当は意味がないことなのかもしれない。去年の私はそう考えていた。しかし今の私にはそうは思えない。あの頃の私は盲目的だった。本当の意味で「大人になる」ということを履き違えていたような気がする。当然のように親が世話をしてくれて、そして困った時には親に頼っていけばいい、そう思っていた。現に1人暮らしをしているものの、そこにかかる経費のほとんどは親が払ってくれていて、そのような環境が当たり前だと思ってしまっていた節があった。状態は同じでも今はそのような環境には生きていない。こんなことは敢えて言うことではないのかもしれないのだが、やっと普通の生活を出来ているのかもしれない。親に迷惑をかけないで生きていくということがどのようなことなのか、やっとわかった。そのような状況だからこそ、そのことを直に報告したかった。お盆という特別な時期、現世に霊が戻って来て実家で一日を過ごすという神聖な日。お墓参りをするということが当たり前に根付いている日。私は無宗教だが、もしもそれが本当ならそれを信じてもいいと思えるくらいにお盆には特別な意味があると思っている。そんな日だからこそ私はちゃんと家に帰って祖父と祖母のお墓に参っておきたかった。しかしそこに立ちはだかったのは皮肉にも今の私を形成したとも言える「仕事」だった。ここまで精神論を書いてきたのだが、実質的な話をすると…結局のところ仕事のせいでお盆に帰ることは出来なかった。今までの人生の中でお盆というものに意味があるとは思えなかった。しかし、今年のお盆はそうではない。本当のところ今までの人生で今年のお盆は一番帰りたかったかもしれない。それはお墓参りということだけではなく、私自身のことにも関係している。私がフリーターをしていた期間はおよそ2ヶ月間なのだが、その間私の身を案じてくれたのはいつも両親や親戚や大切な友達だった。私の仕事は機密事項が多い、はっきり言って業務内容を語ることは簡単だが、それをすることは今の立場を失うことに等しい。それはどこに個人情報を仕事にしているある種同業者がいるかわからないからだ。そのせいで仕事に就いたということを喜んでくれた両親や親戚に私がしている仕事の内容を話したことはなかった。大切な友達には話したことがあった、しかしそれは私が名古屋に行っている時、即ち周りに私を知っている人がいない環境だからこそ叶ったことであって、それを京都市内で行うことはリスクが高すぎて出来ない。友達にもそうだが、私が仕事をしていて、それにやる気を見出して頑張っているということを報告したいのは家族や親戚だった。親族が一同に会するお盆、それが一番報告しやすい場だった。しかも実家に帰れば祖父や祖母にもそのことが報告できる。一挙両得で安心してもらう為の手段を仕事によって断たれたわけだ。まぁそこまで考えた後にお盆はどうして休みじゃないのかと課長に直訴したこともあったが、しかしその願いは叶えられなかった。当たり前だ、課長としては一個人の考えを理解した上でその意思を汲み取る為にシフトを変更するわけにはいかないからだ。個の存在を軽んじることなく、全体の調和を保つ。それが社会の構成要素である以上は…私と同じように親元を離れて仕事をしている人の我慢が場の雰囲気を乱さないことでもある。先輩が我慢しているのに一番下っ端の私が文句を言うのも筋違いだということで私はそれ以上反論しなかった。仕事をするということは社会の中での地位を確立すると同時に、概念的に大人になるということを意味している。しかしそれと同時に時間に追われることも付加効果として存在している。よく働くことは自分の時間の切り売りだという言い方をする。自分の価値を正当に評価してくれる場所で働けることは幸せなことだなのだが、そのような評価をされる為には我慢しなければならないことも多いのだということを痛感した。今の職場はそういう意味では私の価値を正当に評価してくれてはいるが…前述したような諸問題は未だ解決を見ない。それは今の私には過ぎたる望みであって…モチベーションをあげる事象でもあった。頑張って頑張って評価されれば、ある程度の自由も得られるといったところか。今年のお正月には帰れるだろうか?それは今の段階ではきっとわからない。しかしその時までに仕事を覚えて一生懸命に頑張れば或いは認めてもらえるかもしれない。その時になって初めて家族や親族に説明してあげた方がきっと喜んでくれるだろう。そう思えば報告できないことにも意味があるのかもしれない。合縁奇縁とはこのことだろう♪
Aug 16, 2007
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更新滞ること数え切れず…結局また焦るように取り返すこととなってしまった。いつものことと言えばそれまでのことなのだが、どうしても空いてしまった日にちを放置できない性格のようだ。日記としてあげるものは多くあるのだが、しかしながらそれを読んで貰えるレベルにまで昇華させることは出来そうにもない。そんなわけで、今回からしばらくの日記は非常に完成度の低いものとなってしまう可能性がある。まぁいつものように駄文なのは変わりないので、客観的に見ても大差ないのは自明のことだ。少し遅い話なのだが、結局のところ私が応援していたチームは負けてしまった。仕事中にも関わらず何度もトイレに行くと偽って試合の動向を確認していたのだが、その結果がわかった瞬間にがっくりきてしまい、テンションもがた落ちになってしまった。勿論そこは社会人の最低限のマナーとして、公私混同はしないものの(仕事の合間をぬって結果を見に行っている時点でそんなことが胸を張って言えるかどうかは別として)それでも万全の状態とは程遠いやる気で仕事をしていた。こうなればもうあまり関心はないが、自分の都道府県のチームを応援するしかないと思っていたのだが、そのチームもまた敗戦してしまった。それに関連してなのだが…もとよりあまり応援していなかったこともあってか、自分の都道府県のチームが出るとなってもそこまで熱心に見ることはなく、むしろ昼寝していて試合が始まっていることにも気づかなかった。のんびりと寝ること数時間、ふと目が覚めてすぐに京都が試合をしていることに気づいてテレビを点けた。すると試合は緊迫したムードで…ピッチャーが振りかぶって投げた。バッターは京都のチームで、それを綺麗に打ち返すことが出来ず…確かショートゴロになっていたような気がする。空いてチームのショートが球を鮮やかなフォームでファーストに投げた。なんだゴロかと残念に思ったのだが、なんとそのやり取りで試合は終了してしまった。つまり私がテレビを点けた瞬間に最後の球は投げられたわけだ(笑)結局私が見た京都の試合は最後の一球だけということになってしまった。結果だけ見ると非常にいい試合だっただけに(地元びいきもあるかもしれないが)見れなかったのが非常に残念だった。今も勿論甲子園は続いているのだが、しかしふと心配になることがある。今年の夏の暑さは異常だ。例年にないような暑さを観測している。特に今年の暑さの中心はどうにも太平洋ベルトに沿っているようで、その地方に属している私の街も当然のように暑いわけだ。ここ最近の平均気温は37度前後とはっきり言って洒落にならない暑さになっている。ということは…京都を始めとする近畿地方も暑いということを意味している。京都は盆地っ子なので暑いという理由もあるかもしれないが、しかしそれを度外視してもこの暑さは普通ではない。前述した甲子園は兵庫県にある。ということは、球児達は37度前後の中で試合をしているということになる。これでは熱射病で倒れてしまう選手がいてもなんらおかしくない。私自身熱射病で倒れたことはないのでなんとも言えないのだが、しかし熱射病は死の危険性もあるものだ。如何な伝統のある甲子園と言えども、昨今の異常気象に対する措置はとっておいて然るべきだと思ってやまない。私の稚拙な頭で考え付くことと言えばドームでやることなのだが…今年で89回目を数える伝統と格式高い甲子園をドームでやるなんて、相撲の土俵に女性が入るくらい許されないことのように思えるのもまた事実だ。暑さに対する措置なんてきっといくらでも考えることが出来るだろう。しかし何故今になってもそのような状況は改善されないのか…きっとそこには精神論の介在する概念があるような気がしてならない。暑いからと言ってその状況を変えることなど簡単だ。しかし敢えてそれをしないことによって、強靭な精神の育成を図っているのではないか、時々そう思うことがある。「心頭滅却すれば火もまた涼し」という格言をスポーツの世界に持ち込んだ例だと思えば、さして問題もないように思えるのだが…しかし何事も事態が起こってからでは遅いというものだ。いけるいけると無理をして結果取り返しのつかないことが起こってしまうということは悲しきかな存在している。私はそれで友人を1人失った。全く違うことかと言われればそれまでかもしれないが、しかし我慢をしてまで得られるものなんて、そのもの事態を失うこととは比べ物にならないほど小さいということも…また自明だ。
Aug 15, 2007
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朝、否昼に起きたら2時。普通の会社員にとってはおかしな時間かもしれないが私にとっては至って普通の時間の起床だと言える。何故か、それは今日は夜勤の日だからだ。夜勤の日のブログのアップは早い時間になることが多い。それは仕事に出て行く前にちゃちゃっと書いてしまうからなのだが…いかんせんそうなってくると些末な問題が生じてくる。それは取りあえず書きたいことを散らした草稿の出来が普通の時に比べて「弱く」なるということだ。できれば3時間くらいはかけてのんびりと草稿を書いて改行ポイントを明確に、そして言いたいことを上手く纏めたいと思うのだが、時間がないと必然的に満足のいく内容が書けないことが多い。まぁそれでも見る人が見ればちゃんと思案して書いたものと仕事前に慌てて書いたものの違いなんてわからないだろう。それくらい些末なものなのだ。しかし私はAB型なので、他の人が気にならないポイントでもどうしても気になってしまうことがある。それに関連してなのだが私の学生の頃のノートの書き方を見るとその意味がよくわかる。先日久しぶりに高校の頃のバインダーを見つけてその中身を懐かしさ半分で見ていたのだが、そんな折に私が高校生の頃に実践していた妙な(あくまで客観)癖を思い出した。ノート、特にルーズリーフではなく普通のノートに黒板の内容をうつす時に妙に几帳面に書き写す人がいる。しかもノートの場合ならば、最初の1ページ目は綺麗に写そうと思う人も多いだろう。しかし私の場合はそれをどのページにも行いたいと思う人種のようで、書き出しの位置が非常に気になる癖があった。なので自分の中で書き方の規格を考えて、その上で定規で位置を完全に把握してから書くようにしていた。この癖は自分的には嫌なので時々自分自身で破ろうと思ったものなのだが、しかしそれをしてしまうと気になって気になって…黒板の文字に集中できなくなってしまう。今となってはノートに何かを記載するということがなくなったのでそのような癖が発揮されることもなくなったのだが、しかし時々自分の癖を見ると苦笑してしまうものだ。このような性格だから人間関係も円滑に出来ないのだと自己嫌悪に陥ることもあるのだが…元来持っているものなので仕方ないとも言える。話を元に戻して…起きた時にはもう2時だったので、取りあえず食べるものでも調達しようと外に出て、くだんの郵便ポスト(過去の日記参照)を開けると私の会社からの郵便が届いていた。私の会社の締めは15日なので今日届くのは必然なのだ。しかし持ってみるといつもよりもその封筒の厚さが尋常ではないことに気づいた。このようなことがあった場合、その封筒の厚みがそのまま喜びに比例することは稀だ。なので少し緊張しながら開封してみると…そこには以下のような内容が書かれていた。・正社員の心得・その雇用形態セーフ♪私は一応中途採用なので研修期間が長いのだ。その研修期間が今回の締めによって満了したので、次月からは正社員として扱われることになる。その通達の手紙を給料明細と一緒に送付したので分厚くなったというだけの話だった。オチがなくて申し訳ない_| ̄|○まぁそんなこんなでその雇用状態を何気なく見ながらテレビを点けると甲子園をやっていた。前のブログでもあげたように、私は今年の甲子園を特別な感情を持ってみている。それは自分の都道府県の高校よりも応援したい高校が出て来たからだ。今日はその試合ということで気が気でないのが正直なところだ。しかし試合の関係で見ることが出来ないのだ。本当ならば仕事を放って家で観戦していたいところなのだが、仕事なので仕方ない。涙を飲んで途中経過を確認することだけに留めようと思う。こう言っては相手の高校に悪いかもしれないが、きっと今回の試合は問題ないだろう。勝つには違いないが、どうしても憂いがあるのもまた事実だ。なのでその試合の一挙手一投足を見届けたいというのが本当のところなのだ。その高校が優勝する可能性は薄いだろう。お世辞にも優勝候補だとは言い難い。しかし私は優勝すると信じている。それによって何が変わるわけでもない、きっと何も変わらない。でもそれによって君との繋がりが増えるといいな♪
Aug 14, 2007
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お盆は休みというのは社会的な常識ではないらしい。まぁよく考えてみればそれは当たり前のことで、お盆に何か欲しくなって買い物に出かけたとて個人営業のお店の以外は大半開いている。それはつまりお盆に焦点を合わせた営業をしているということであって、よってお盆にも働いているということを意味している。そんな当たり前のことなのに考えたこともなかった。きっとそれは自分が受動的な立場にしかいなかったからだと今となっては思えるのだが…社会の仕組みを知れた出来事でもあった。お盆というのはカレンダー上は休みではない。つまり慣習としてのお盆があるだけであって、それは国民レベルの休日ではないということだ。所謂日曜日と同じ扱いだと言える。日曜日に全てのお店が休んでしまえばそこには弛みが生じてしまう。きっと物や財、サービスを売るという行為が大きなレベルで行われる文化が形成された頃には日曜日は全て休みだったに違いない。しかし今となっては日曜日でも営業しているところがある。それは何故だろう、少し考えてみた。例えばある地域に100軒のお店があったとしよう。最初はこのお店の全てが日曜日に休みにしていたとする。そのままでも営業的には滞りなく行えるということは自明なのだが、そのうち何軒かのお店があることを考え出す。全てのお店が休みなら、自分のお店だけが営業していたらお客は全て自分の店に来るのではないかと。どの世界、どの業界においてもそうなのだが、隙間をぬうような考え方は存在するものだ。そうしてお店を開店した結果大きな利益に繋がる。しかしそのような一店だけが大きな利益を出すことを他のお店が黙ってみていることはない。他のお店も我先にとそのような策を講じてくるだろう。そのようにいつ店を開けるか、そしていつなら閉めていいのかそのような打算が始まることになる。競争力の高い地域なら余計にそうだろう。まぁそのような結果日曜日も平気で開店しているお店が出てくるというものだ。その度合いは考え方如何で大きく変わってくるので一概に言うことはできないが、それでも全てのお店が日曜日に開店していないところを見ると…そのような原理を無視した個人の意志というものが存在していることを意味している。そこが公共経済の面白いところでもある。理論に当てはめることの出来ない事象が数多く存在している、そこがたまらない魅力なのだ。少し話がずれたが…ここからが本筋だ。私の家の近くには少し大きめの商店街がある。そこはいかにもと言ったような寂れ具合で、近くに住む職場の先輩の話では、太陽とともに活動しているということらしい。つまり太陽が昇ると開店し、日没とともに閉店するということだ。それは流石に冗談だろうと思っていたが、しかし実際に見てみるとあながち冗談でもないということがわかった。日没とともに半数のお店が閉まってしまうのだ。最初こそ不便だと感じたのだが、この営業実績度外視の考え方、独自の路線を突き通すソリッドな考え方が案外いいものだと最近では思うようになった。そうなってくるとその商店街を見てまわろうと思うものなのだが、商店街の西の入り口辺りにある(その商店街は東西に伸びている)お店に私はもう魅了されてしまった。そこは服屋さんなのだが、オシャレな服を売りにしている(らしい)お店だった。店の広さはこじんまりしたもので、それほど多くの種類の服を売っているわけではなかった。そのセンスもお世辞にも流行を取り入れているとは言い難い種類のもので、まぁ当たり前と言えば当たり前なのだが、お店の中には人っ子一人いなかった。しかし私が気に入ったのはそんなところではなく…お店の前に張ってある張り紙だったのだ。そこには赤く太いマジックでこう書かれていた。「イタリアン カジアル」言いたいことはわかるが…惜しい!!(笑)これは敢えてそうしたのか、それとも素で間違えたのかは店主に失礼なので聞けなかったのだが、それでもそのような誤字を誤植をどうどうと店の前に張っておける店主の心意気に感服した。その他にも、リサイクルショップなのだろうが、お店の看板に新品(一部)リサイクル□ と何が言いたいのかさっぱりわからない看板を堂々と掲げているお店もあった。ちなみに(一部)の部分は手書きで、しかも「リサイクル」の後の□は、何か書いてある上に紙を張ってあるというもの凄く気になる仕上がりになっていた。ピックアップするとキリがないのでこの辺りで止めておくが、兎に角ツッコミどころ満載の商店街となっている。夜の8時もまわればもうどこの店も店仕舞いだ。10時を過ぎようものなら人っ子一人いなくて、静かな雰囲気に包まれる。何故そんな寂れた商店街が好きなのか、それはおそらくそんな田舎っぷりを見ていると私の地元を思い出すからだと思う。今年はもう地元に帰ることは出来ない。正月だって危ういものだ。だからこそ何の魅力もないその商店街が無性に魅力的に感じるのかもしれない(笑)まぁツッコミどころが多いのも魅力だが(笑)
Aug 13, 2007
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ミッフィー争奪戦は未だに続いている。最近の勝率は非常に上手くいっていて、9割を超えるほどの獲得率を誇っている。きっと争奪戦に参加している(というか仕事場全員が参加している「ことになっている」という程度なので、それが争奪戦だと知らない人の方が多いかもしれない。。)人の興味はミッフィーボウルにはなくなっているのかもしれない。食品についているシールを無駄に捨てるくらいなら台紙に張っておこうという所謂リサイクル感覚で得点が溜まっていっているのかもしれない。まぁそんな風に興味がなくなりつつある台紙だからこそ、私が獲得できる可能性が増えていくというもので、ここ最近は得点の溜まった台紙はほとんど私の手にある。今日も仕事に行くと毎日の日課になっている台紙にどれだけシールが集まっているかの確認をした。仕事場に着くと結構憂鬱になるのだが、そのような楽しみを作れば仕事場に行くのも楽しみになるというものだ。というよりも、今はそんな下らないことがマイブームだと言えるかもしれない(笑)今日は連休明けということでだいぶシールも溜まっているだろうと期待していくと、予想通り65点も溜まっていた。幸いにして今日の同勤者はそういうものに興味がないようで、私の不戦勝のようだった。帰りしなに前に7個のミッフィーボウルと交換したロー○ンに行って2個のミッフィーボウルと交換してもらおうと思ったのだが、65点溜まっている台紙を渡すやいなや、店員がテンパっているのが見えた。何をしているのだろうとしばらく待っていたのだが、なんとその店のミッフィーボウルはもうあと1個しかないということだった。一軒のお店に置いておけるミッフィーボウルというのは限られているらしく、その店の限界数というのは私が前の交換した時でいっぱいいっぱいとのことだった。まぁ一個しか貰えないのは残念だが、その代わりにミッフィーボウル引換券なるものを貰った。これがあればミッフィーボウルと交換してくれるらしい。確約ではないがこれで2個手に入れたも同然だ。我が家に越してくる時期が少しずれると思えばそう面倒なことでもない。と、言うわけで、私の家には更に1つ(未来的にはもう1つ)のミッフィーボウルが加わった。これで9人姉妹ということになる。一人暮らしなのにお椀が9つもあるなんて意味が無すぎる。しかしどうせ集めるなら極限までだ、キャンペーンが終わるまでにお店を点々としながら荒稼ぎしてやろうと画策している。取りあえず今のところは2桁にいくことだ(笑)今日は久々にバトンを頂いたのでそれをやってみようと思う。テーマは決まっているようで、お題がお題だけにものすごく抽象的な感じになりそうな気もしないでもないが…しかし折角ご使命いただいたのでやってみようと思う。テーマは「夢」だ。では…いってみよ♪1.最近思う【夢】自分に一番近い位置にありながらも自分では掴むことが難しいもの。本当は掴む方法も知っているのに多くの人が掴めないもの。掴めないことなんてないとわからせてくれるのが夢。掴んだ夢は夢でなくなる。そしてまた新しい夢を探す。夢とはまこと不思議なものだ。ちなみに私の夢は大好きな人のそばにずっといること。2.こんな【夢】には感動弛みない努力の上にある夢、そして真っ直ぐに目標を立ててそれに向かって愚直にでも努力している人の夢。そんな人の夢には文字通り夢がある。3.直感的な【夢】幸せになりたい。直感的故に直情的になっているが、それはご愛嬌(笑)4.好きな【夢】質問の意図がわからないが、平坦な中に微かに存在する夢がいい。例えば結婚するとか好きな人と一緒にいたいとか、そんな風に当たり前のことを夢に出来るような夢が好き。5.こんな【夢】は嫌だ。他人の不幸を苗代にしている夢。6.この世に【夢】がなかったら・・・今の世の中はない。どのような方向性にしろ、夢を持つこと、それを叶えようと努力することが今の世の中を形成している。いい意味でも悪い意味でも、夢があったからこそ今の世の中があると言っても過言ではない。7.バトンを渡す人どなたでもどうぞ^^テーマは好きに決めちゃってください。今回は抽象的過ぎて面白くなかったと思われる。何度も思案したのだが、それこそ一問一答形式の問題の意に反する行為なので、面白みを求めるよりも直感を重視した。だからこその面白みのなさだが、それが私だと思っていただければ幸いだ(笑)
Aug 12, 2007
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目の前を老婆が自転車に乗って走っている。私はその後ろにぴったりつけるように自転車で走っている。急に老婆がブレーキをかけた。私も慌ててブレーキをかけたのだが間に合わず、前の自転車に追突してしまった。状況としては明らかに老婆の方に非があるというのに、何故か老婆は私の方に向かって詰め寄ってきて、謝れと連呼してきた。その形相は恐ろしいものがあり、私は素直に謝った。しかし老婆はなかなか許してくれずに、もの凄い形相で私に何かを言った。剣幕的には襲い掛かってきそうなものだっただけに何を言ったのか気になるところだ。そんな夢を見た(笑)夢には往々にして意味がある。ということは私が今朝方見たこの夢にも意味があるということなのだろう。しかしながら私の見た夢というのは非常に曖昧模糊としていて、何が言いたいのかさっぱりわからない。キーワードは「自転車」「老婆」「怒り」くらいのものなのだろうが、そこから推察できる深層心理は…そう思慮深く考えられるほどのものではない。まぁ気にしないのが一番か(笑)それにしても暑い。夕方になってくるとやや涼しくなるものの、日中の暑さは尋常ではない。今日の最高気温は37度だ。明日もさして変わらないという予報らしい。このままでは仕事場と外気温との差は開くばかりだ。温度差が15度を超えると体調的によろしくないという話を聞いたことがあるが、もう既にそのレベルは超えてしまっている。体調に変調をきたさないようにしっかりとした対策が必要なのだろう。その方面には無頓着なだけに風邪でもひこうものなら心配になってしまう。というわけで本題へ。今日のテーマは精神論だ。敢えて苦労したいと思う人はおそらくいないだろう。勿論それは私が知っている範疇での統計なので一概には言えないかもしれないが、一般的世論の意見とそう差異はないように思う。「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という言葉があるように、苦労というものはそれ自身が精神状態を強くする。苦労を知らないこともまた幸せなのかもしれないが、それでも苦労している人としていない人を比較すると、明らかに人間的な「厚み」が違うように思える。私は学生時代に多くのアルバイトをしてきた。それはアルバイトをしないと生きていけないという背景があったのも当然だが、もっと他の理由からだった。私は高校3年生になるまで電車に乗ったことが無かった。それは私の地元が田舎だからかもしれないが、いくら田舎とて電車に乗る機会なんてある。それなのに敢えて乗らなかったのは正直なところ「怖かった」からだった。目的地に行くという視点で言えば、電車よりも車の方が確実だ。それは勿論運転してもらうという受動的見地からの意見なのだが、電車に乗るということは1人だけで目的地に行くということを意味している。1人で遠くに行くことに不安を感じていたし、それにその必要性がないと「思い込んでいた」のだ。それは客観的に見れば何も知らない子どもに見えたかもしれない。当時はそれでいいと思っていたのだが、それではいけないと思い始めたのが大学に入ってからだった。それまでの自分が如何に何も知らない人間だったかを痛感し、そしてこのままではいけないと強く思うようになった。学生の身分では出来ることも限られる。なので私が見出した答えがアルバイトをすることだった。アルバイトは小さな社会だという表現をされるように、少しでも多くのアルバイトを経験して自分の価値を高めていこうと考えた結果だった。私のアルバイトでの経験は人に話すと面白がられる。それはまっとうなアルバイトをしていないということも関係しているかもしれないが、兎に角無茶苦茶な条件で働かされていたからだった。ある時は竹刀片手に脅されながら働き、ある時は労働条件を反故にされて時給50円程度で働いていたこともあった。それらは人に話すと笑われておしまいというある意味では「ネタ」的な要素も孕んでいるかもしれないが、それらの不当な扱いは私を精神的に強くしてくれた。今になって思えば、それが私の「苦労」かもしれない。お金を稼ぐということ、人間関係を円滑にすること、それがどれだけ大変かを学んだ事象だった。勿論それ以外にも多くを学んだのだが、一番はそこに尽きる。そのような観点で言うと、私はまだそれなりに苦労している方かもしれない。当然ながら自分は苦労しているんだと不幸自慢をするほど子どもでもないし、それが見栄を張るほどのものではなく至極当然なことだということもわかっている。しかし…私の周りにはそのような苦労を知らないで生きている人が多すぎる。友人関係にしてもそう、仕事場の先輩にしてもそう、兎に角甘いのだ。別に今がいいならそれでもいい。向上心のない人なんて星の数ほどいるのだからそれでも一向に構わない。私には関係ないのだから。しかしそのような甘さを当然のことのように思っていて、少し辛いことが出来ただけでそこから逃げるようなことをする人が私には信じられない。少し大変なことが降りかかっただけでこの世の終わりのような顔をする人がいることが信じられない。私の仕事場の先輩にこんな方がいる。実家から仕事場に通っていて、アルバイトの経験も皆無。今の仕事はキャリアはそれなりになるのだが、未だに一般的社員に埋没している方だ。まぁ都会生まれではありがちなパターンかもしれないが、なにしろハングリーさが足りない。責任を負うだけのことが出来ているかというと、新人の私の目から見てもそれが出来ているとは思えない。きっとこの方は一週間後の生活が危ういとか、キチンと計画立ててお金をやりくりするということも知らないのだろうと感じた。ただ目先の障害物を片付けていればそれでいい、自分から何かやろうなんて面倒臭い。そのような考え方がありありと伝わってくるようだ。ぬるま湯をぬるま湯と思えないのはある意味では悲しいことだ。周りと自分の頑張り度を比べてそれに満足する。最低限のことをやってそれでいいとフェードアウトする。そのような姿勢が出てしまうのは、やはり苦労をしていないからだと思われる。私は矮小な苦労はしてきたが、それでもまだまだ人間的な厚みが足りないと思っている。様々なことにおける苦労を味わってこそ一人前だと感じるし、それが自分に備わっているのかと言われれば明らかにまだまだ半人前以下だろう。しかし生きていくということに関する苦労をしているという自負はある。仕事がどのようなものなのかも何年も前から嫌というほど知ってきたし、人の上に立つ大変さも体験してきた。自分のことを棚に上げて先ほど書いた方を責めることは出来ないかもしれないが、しかし…その方のモチベーションレベルが正義だとは思えない。言葉の示す通り、苦労は買ってでもした方がいいと思う。苦労を知らないということはある意味では綺麗に纏まっていて華やかな生き方に見えるかもしれないが、ふとした瞬間にやってきたことの厚みは推し量られる。自分のしてきたこと、自分の価値というのは往々にして苦労に比例する。温室でぬくぬく育った野菜は確かに見栄えはいいかもしれないが、風雨に耐えたそれとは根本的に本質が違うのだから。
Aug 11, 2007
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今年もまたこの季節がやってきた。子どもの頃、この時期は家で扇風機をフル稼働させてテレビのアニメを横目に宿題をしていたものだった。私は憂いを後々に残すのが嫌なタイプだったので、夏休みの宿題も7月中に9割は済ませるようにしていた。しかし小学校の頃というのは宿題のバリエーションも多く、やれ自由研究やらやれ絵やらと時間のかかるものが多かった気がする。私の頃は夏休みは宿題をする為に設けられたようなものであり、その多さは予断を許さないほどのものだった。まぁそんなわけで一般的には嫌われる傾向にある夏休みの宿題なのだが、自由研究は案外好きだった。何をしてもいいというのがよくて、勉強ということを忘れて熱中したものだった。小学生界におけるベタと言われている朝顔の観察に始まり、以前ブログに書いたような漢字の成り立ちを調べたりと、自分なりには多くのことをやってきたような気がする。しかし何をしてもいいというのは案外難しいもので、小学校の6年間でやりたいことをすぐに見つけて取り掛かったことは一度たりともなかった。何をすべきか、何がやりたいか…そんなようなことを考えているうちに8月に入ってしまい、やりたいことが見つからなくてなんとなくやりたくもないことをやってしまったこともある。朝顔の観察がそのいい例で、本当はそんなものでお茶を濁すことはしたくなかった。なんだかそんなことを考えていると今の仕事もそのような経緯で就いたような気がする。今の仕事が本当に自分の興味があることかと問われれば、そこに自信を持ってイエスと答えることは出来ない。しかしながら仕事というものは往々にしてそのようなものだと思っている。興味というのは先立つものであることが理想だが、後付けの興味もまた悪いことではない。仕事の内容というのは事前に知ることも一応可能ではあるのだが、しかしその仕事を持っている会社のカラーによって随分とその模様も様変わりしてくるものだ。やりたいことに付随する効果というのはやりたいことを綺麗なままに理想レベルにおいておけるものではない。人間関係や業務内容、そのようなものは会社の数だけ存在しているといっても過言ではない。やりたいことをやれない環境で自重できるかどうか、それもオトナの器を試すことなのかもしれない。そのような意味で言えば私も今の仕事に後付けの興味を抱いている。後悔は今のところない。しかし今の環境のままに妥協するつもりも全くない。幸いにして今の会社の上層部の存在を最近になって知った。はっきり言ってそこは魅力的過ぎる。流石に上層部だけあってすぐにそこに行くことは出来ない。そこは今の仕事を何年以上やったとかそのような実績がないと行けない…所謂私の会社の中でのエリートコースになっている。そこを目指すも今の状況に満足するにしても、どちらにしても今の仕事は早急に覚えないといけない。目標があるとやはりモチベーションになる。と、少し話がずれたが、一行目のテーマに戻すとして…この時期と言えばやはり甲子園だ。甲子園と言えば私の父さんとその兄弟、つまり叔父さんが大好きで、いつもお盆の頃にはみんな集まって見ていたものだった。子どもの頃にはすごく年上のお兄さんがやっているというイメージだったのだが、今の年齢になってよく考えてみると、年下がやっているのだ。どうにも甲子園は「お兄さん」のイメージがあるので、それを考えると歳をとったと素直に思い、少しだけブルーになるものだ。まぁそんなことはいいとして…今年は少し、否かなりの思い入れを持って甲子園を見ている。毎年自分の都道府県からは決まりきったような高校ばかりが出ていてつまらないのだが、今年は自分の住んでいる高校以外を熱狂的に応援している。一回戦は圧倒的な強さで勝ち進んだ。この調子で勝ってくれると嬉しいものだ。なんだか自分の出身校が出たような嬉しさだ。しかし問題が1つある。それはその高校が試合の時には何故か仕事が入っていて見れないということだ。一回戦の時、つまり今日なのだが、夜勤の仕事もそこそこに会社のセキュリティ上の都合でロッカーのところに置いてある携帯電話のi channelを何度も見に行って動向を観察していたものだったのだが、その高校が勝ったと知ってテンションが上がってしまって長く辛いはずの夜勤もすっきり過ごせた。二回戦はもう少し先なのだが、明らかにその日も仕事なのはわかっている。全部を見られないのは残念で仕方ないのだが、しかしキーボードを打ちながら応援しているとしよう。どうせなら優勝して欲しい♪実は今職場で甲子園の結果を予想するトトカルチョを行っている。先輩方は順当な予想をしていて、こんな言い方をすると失礼かもしれないのだが、私が応援している高校は誰一人として優勝予想していなかった。しかし!敢えて私はその高校の優勝一点買いをしている。誰も予想していないからではない、あくまで自分の予想を信じているからだ。これがきたら凄い。というか私の中ではくるに違いないと信じている。お金の問題ではない、これは私の信念だ。優勝したら何か想いが叶う気がする。ただそれだけなのだが、お盆もなく働く私の1つの楽しみだ♪
Aug 10, 2007
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京都は盆地だ。盆地だということは夏の暑さは尋常ではなく、そしてまた冬の寒さも尋常ではないことを意味している。よって盆地か非盆地かによって同じ夏でも気温に若干の差異が出てくるものだと思っていた。しかし名古屋に行ってその考えはいとも簡単に覆った。名古屋も暑い。しかももしかしたらこっちよりも気温的には暑いかもしれないと思ったほどだった。そういえば昨今異常気象がさけばれている。今年の冬がいい例で、暖冬で雪が全く降らなかった地方もざらにあったらしい。雪が降らないことは一見何の影響もないように思えるかもしれないが、決してそうではない。言ってしまえば、冬、つまり雪が降って然るべき時期に雪が降らないというのは梅雨の時期に雨が降らないことと同義なのだ。人間が住むことが過程されていない、真っ白な大地であれば西暦2007年現代を迎えたとて冬には雪は普通に降っただろう。つまりこの原因を起こしたのは言うまでもなくヒトであって、ラディカルな意見を言わせてもらうのならば、文明を築くことを運命付けられたヒトの必然の未来なのであろう。とまぁ少し話が精神論になったのだが…兎に角名古屋も暑かったのだが、帰ってきてみるとこっちも負けてはいなかった。今が一番暑い時期なので仕方ないと言えば仕方ないかもしれないが、やはりそれでもうだってくるものだ。こんな暑さもしばらくすれば気持ちのいい残暑になると思ってふとカレンダーを見てみると、もう8月も9日だ。あと1週間くらいでお盆だ。当然のように毎年どのようなイベントがあってもお盆だけは欠かさず曽祖父や曾祖母の墓石に手を合わせていただけに、今年は当たり前にお盆の時期に実家に帰れないことを実感した。まぁ私は温室育ちではないのでそのようなことは些細なことなのだが、こういうのは気持ちの問題だ。よくよく考えてみれば、なんだかんだ言って去年もお墓参りはしていなかった。勿論時期をずらして行ったのは言うまでもないが、それを加味すると、今年はいつお墓参りができるのか皆目見当もつかない。生前の頃と同じで祖父と祖母が怒ってしまいそうで若干怖いのだがそこは私も少しだけオトナになって自分で稼ぎを出しているという現状に甘えるとしよう。それにしても、会社の飲み会で社長が「お父さんお母さんは大切にしてやれよ」とお酒で顔を真っ赤にしながら言っていたことと矛盾するような気がする。お父さんお母さんを大切にするということは、そのお父さんお母さんのお父さんお母さんも大切にするということだ。仏教的立場に則って話をすると、お墓に参ってくれることが一番喜んでくれることのような気がする。それを出来なくしているのは何を隠そう社長自身であって、自分が声高らかに言っている美学とやらを自分自身の手で反故していることに他ならない。まぁこういう時はいつもこう思うようにしている。口だけの人間なんて世の中にはごまんといる。そんな輩の言葉は聞くだけ疲れるというものだ(笑)だいぶ話が脱線したのだが、ここからが本番だ。以前に某コンビニの某プレゼント企画の話をしたと思う。こうやって伏せてみたものの、タイトルを見ればまるわかりなので何の意味があるのかいまいち釈然としない(笑)その時のことは「ミッフィー」とタイトルのつくブログを検索していただければ結構だ。今回の日記はそれに付随する内容になっている。今現在私の職場ではミッフィーグッズを集める…厳密にはミッフィーグッズが当たるポイントシールを集めるのが流行っている。それは別に職場にミッフィー好きがいるわけではなく、仕事の間の食事をコンビニで済ませることが多いのに、それについているシールをないがしろにするのは勿体無いという極めて庶民的な発想から出てきたブームだった。しかし溜まってはみたものの、いざ交換に行くのも億劫だし、ミッフィー崇拝者がいるわけでもないので溜まったシールを貼り付ける台紙は休憩室の壁にマグネットで固定されているという状態だった。今になって考えると、今現在に至るまでそれが「そのまま」であったならあんなに熾烈な戦いは起きなかったような気がする。きっかけは本当に小さなことだった。それはある日社員さんがいっぱいに溜まっている台紙を見て、折角溜まっているんだから貰っておくよと言ってフルに溜まった台紙を持っていったことに起因する。そこから誰も言わない、誰も開始のホイッスルを聞いていないのに、ポイントが溜まった台紙を巡った血みどろの争い(少し誇張)が始まった。そこには何故か私も参加していて、隙あらば台紙を掠め取ろうと画策していたものだった。それがちょうど2週間前くらいの話で…現在私は計5枚の台紙を持っている。いったいいくら溜まっているのかは定かではないし、いちいち数えたりはしないので放っていたのだが、昨日ふと気になって点数が数えてみた。すると個人が集めるにはありえない点数が溜まっていた(笑)これは交換しなければならないと一念発起した私は深夜も3時半頃に近くのロー○ンに寝巻きのまま交換してもらいに行った。店員はそれなりに交換に応じているらしく慣れた仕草で点数を数えていたのだが、私が持って行った台紙に明らかに軽く引いていた(笑)計算後に持っていったので点数はわかっているものの、敢えて点数を書き込まずに持っていって、店員のリアクションを見ようと思った私の計画は見事的中し、店員はものすごくめんどくさそうに数えだした。計算し終わってそれを景品(8月からは30点でミッフィーボウルが貰える)に交換してくれた。戦利品を持つがごとくそれを家に持って帰って開封してみると…なんとミッフィーボウルが…7個…いらねぇ_| ̄|○ま、まぁ食器はいくつあっても困ることはないというので、家の食器棚に生活空間を作ってやろうと思ったものだった(笑)それにしても壮絶な争いで点数の溜まった台紙を100%ゲットしていないにしても、おにぎり一個1点のシールを個人的にでも213点溜めた私はある意味凄いような気もする。きっと交換に行ったロ○ソンの店員は私が熱烈なミッフィーファンだと思ったに違いない。それはそれで心外なのだが、これで味噌汁にもスープにもちょっとしたおかずにも対応できるお皿が確保できたのでいいとしよう。ちなみに…こうしている今もシールを貼った台紙はどんどん大量生産されている。この争い9月いっぴまで続きそうなのだが、私の家には一体いくつのミッフィーボウルが溜まるのかが若干楽しみでもある(笑)リアルな子どもは2人が希望だが、こういう意味での子どもなら何人、もとい何個でもウエルカムだというわけだ(笑)
Aug 9, 2007
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ライヴも終わり、漫画喫茶で漫画を読みながらその日のライヴのことや様々なことを反芻している時、予め放り込んでおいたメールに対する答えが返ってきた。ちょうど読み終えた漫画をうず高く積みすぎて倒れるのではないかという時の返事だったので少々ビビってしまった(笑)私としては名古屋に残っていられる時間もそう余裕があるわけでもないし、できれば彼のライヴの成功(私の中では大成功なのだが、理想の高い彼がどう考えているのかは疑問でもある)を祝ってあげようと思っていた。なので帰る予定をほんの少しだけずらし、また会おうと約束したのだった。そのような旨のメールを事前に送っていたのだが、その返事が「ジョジョの奇妙な冒険」の17巻を読み終えたくらいに返ってきたというわけだ。時間にして午前5時前、普通に電話するには少々常識の範疇とは言い難い時間なのだが、旅行をしている私にとっては特に問題ない時間だというわけだ(笑)ちょっとだけジョジョに未練があったが致し方ない、この続きは京都で読むとして…早々と漫画喫茶を出ることにした。外はもうすっかり明るくなりかけていて、太陽が昇るか昇らないかのような刹那的な時間だった。私はこの夜明けのような雰囲気が好きだ。特に冬の朝、しかも浜辺で見るこのような雰囲気は最高だと言える。少しだけ実家を思い出してセンチな気分になっていると、Kが来た(再三書いてきたバンドをしている友人なのだが、名前がないのも不便なので仮の名前をKとする)車に乗り込んで話をしながらKの家に帰ることにした。話したいことは山のようにあったのだが、敢えて我慢して家に向かった。家に着いてからはまた色々と話した。ライヴのこと、その打ち上げのこと、名古屋で過ごした時間のこと、話題はやはり次から次へと出てきたが、私が体力の限界で(名古屋に来る時は夜勤明けで寝ておらず、名古屋に着いた日も結局朝の7時くらいまで話していたので中途半端な睡眠になってしまい、ライヴが終わった日も漫画喫茶で漫画を読みふけっていた為にKに迎えに来てもらうまでは不眠状態だった)話は打ち切られた。次に私が覚醒したのは午後5時で、すっかりその日も終わりを告げようとしている時間だった。いつまでも家に籠もって話をしているというのも億劫になってきたので、折角名古屋に来たのだから例の行き着けと化した居酒屋に行くことにした。この居酒屋は地元では結構有名なところのようで、兎に角大将の気まぐれっぷりが前面に押し出されているお店だった。私自身も最初にそこを訪れた時、一瞬で虜になってしまった。居酒屋とは本来ゆっくりとお酒を飲む場所であり、それ故にアットホームさが大切になってくるものだ。しかしながらそこのアットホームさはレベルを超えていて、まず初めて行った時には何故か久しぶりに来たかのような雰囲気になっていた。そして2度目に行った時には1度目に行った時に頼んだ梅酒のロックを頼まずとも出してくれるようなお店だった。今になって考えてみると、一度行っただけで常連になっていたのかもしれない(笑)そんなお店なのだが、名古屋に1年行っていないということでそのお店にも必然的に1年行かなかった。そんなこんなで大将も女将さんも私のことなど忘れているだろうと思っていたのだが、入った瞬間大将が「久しぶり~♪」と声をかけてくれたものだった。私を覚えているということにいたく感動してしまった出来事だった。よく見ると大将は1年前に会った時よりも痩せて見えた。この1年何があったのかを聞くことような無粋なことはしないのだが、そんな大将を見て1年という時の長さを思い知ったものだった。オーダーは最初から決まっている。カツ丼とポテトだ。このお店の料理はどれも常軌を逸しているものばかりで、はっきり言って採算が取れているのかは皆目検討もつかないような感じになっている。まぁそれでも「気まぐれ居酒屋」の名を欲しいままにしている気はしないでもない(笑)Kとカツ丼をつつきながら、今後の話をした。私はこれから仕事に慣れていくごとに仕事量も増えていき、休みも取り辛くなってしまうだろう。故に名古屋に来ることも難しくなってくるかもしれない。しかしこの居酒屋の空気といい、KとHと話している空気といい、これに変わるものはそうないような気がする。仕事で辛いことがあっても、上手くいかなくて挫折しそうなことがあっても、この居酒屋で飲めばそのことも一時的にだが忘れられそうな気がする。楽しい時間は過ぎるのが早いというもので…時間的に難しくなってきたこともあって、鈍行で帰るのはやめて豪勢に新幹線で帰ることにした。流石新幹線だ、シートの広さといい通路の間を売り子のお兄さんが歩いているといい至れり尽くせりだ。新幹線に一端乗ってしまうと鈍行には乗れないという言葉の意味を少々理解し始めた帰りだった。移動時間が短いせいか、なんとなく淋しさも中途半端なものになってしまった。淋しさを紛らわすようにKとHにメールして、すぐに返ってきてホッとしてしまった私は…やはり毎度のことながら子どもだと思ってしまったものだった(苦笑)
Aug 8, 2007
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いつ寝たのか覚えていない。でも確かに最後に彼の「寝たん?」という声が聞こえたような気がする。時間にして朝の7時。そんな時間まで延々お互いのこと、1年の間にあったこと、そんなことを脈絡もなしに話続けていた。そんな時間が私にとっては大事なものであるし、仕事やプライベートで溜まった鬱積を晴らすのにも役に立っているというものだ。今日はいよいよライヴの日だ。今まで何度かライヴを開催していたものの、私が遠方に住んでいることや仕事を始めたことで予定が詰まってしまい、学生の頃のように自由に名古屋と京都を行き来できるようなことが難しくなってきたこともあって、過去に開かれたライヴには行くことが出来なかった。だからこそ余計に予定が開けた今回には期待していたし、彼も彼とてやる気満々のようで、いいライヴになるのではないかと楽しみだった。私はライヴに行ったことがない。この歳にしては珍しいことなのかもしれないのだが、それには確固たる理由がある。ライヴというのはCDを家で聴いているよりも遥かに臨場感があり、そのアーティストが奏でるメロディラインや音の深みをより強く感じることが可能になる。ということは、必然的に自分が好きなアーティストのライヴに行きたいと思うのが世の常だ。そのような理由でライヴに行ったことがある人はそれこそ星の数ほどいよう。しかし私は日本のアーティストにおいてはその9割以上を認めてはいない。普通過ぎる、歌詞が月並み過ぎる、音を作っている、万人受けしそうなものを造ろうとして個性が死んでいる、そんな音楽ばかりなのではっきり言って飽き飽きしていた。まぁそんなわけでライヴに行ってそのアーティストがどんな音楽性を持っているのかを深く知ろうと思うほど興味もないアーティストばかりだと判断していた為にライヴに行ったことがないというわけだ。勿論行ってみたいライヴはあったにはあったのだが、それこそ都合で行けないものばかりという結果に終わっていた。彼らのライヴは普通ではない、なんとなくそう思っていた。何故そう思ったのかはわからないが、私の友人が私と同じ音楽性を持っていることが関係していたかもしれない。ライヴが始まる前ということで彼も慌しく家を出て行き、そして私はライヴが始まるまでの間をHと過ごすことにした。名古屋駅の有名(かどうかは定かではないが)な待ち合わせ場所で待っていると、Hはいつも通りの笑顔でやってきた。今回はHとHの名古屋友達と私を含めた4人でお茶をするというのが主な目的だったのだが、皆の合意で入ったお店に私は驚嘆した。私はコーヒーが大好きだ。これから死ぬまでに飲み物を1つしか飲んではいけないと言われたら迷わずにコーヒーを選ぶくらいコーヒーが好きなのだ。そのコーヒー好きが影響してかどうかはわからないが、様々なお店でコーヒーを飲むことが多く、そして自分の中でそのランク付けをしていることが多かった。今のところ暫定1位は京都の三条河原町界隈にあるちっちゃなカフェのブラジリアンコーヒーだったのが、4人で入ったそのカフェのコーヒーはその味を凌駕していた。これははっきり言って人生の中で一番美味しいコーヒーだと言っても過言ではなかった。それほどまでに驚いた一品だった。しかも驚いたのは味だけではない。お値段もそれに見合うだけのものになっていて…なんと840円もするのだ。コーヒーが840円…これも私の中での常識が揺らいだ瞬間だった(笑)食べ物どれにも言えることなのかもしれないが、料理において1500円を超えるとコストパフォーマンスは低下する傾向にある。要は1500円を超えた料理は美味しいかもしれないが、しかしお腹を満たすものではないということだ。そういう意味ではコーヒー一杯の相場はおよそ400円(あくまで主観的統計)なのだが、そこで飲んだコーヒーは相場を軽く跨いでいってしまったと言える。普通なら文句の1つも言いそうなものなのだが、その味に満足していた私は文句が全く出てこなかった。これは値段に見合うだけの価値は充分にあると感じ、そして改めて京都の矮小さを思い知った出来事だった。満足しきったところでカフェを出てライヴが始まるまでのもう少しの時間をご飯で過ごすことにした。友人の1人は待ち合わせがあるということで帰っていったので私とHを含めた3人でご飯を食べに行くことにした。そしてライヴが始まる時間になったので会場であるライヴハウスに向かった。ライヴハウスの前は結構な人だかりが出来ていて、もう始まってしまっていたライヴは盛り上がっているようだった。ライヴハウスのルールも何もかもがわからない私は取りあえず前の人に習って受付を済ませて中に入ったのだが…そこでライヴというものがどういうものなのかの洗礼を受けることとなった。はっきり言って音が違う、否違いすぎる。部屋でまったり音楽を聴くのとは次元が違う世界がそこにはあった。友人のバンドが出るのはずっと後なのでそれまでの出演アーティストの音楽を聴きながら待っていたのだが、どのアーティストにも言えること、それはやはり音だった。理屈では知っていた。音楽が知りたいなたライヴに行けと。だが、まさかここまで違うとは思ってもみなかった。圧倒されるというのはこのことを言うのだろう。お腹に、膝に、身体全体を震わせる音がそこには当たり前に存在していた。これは俄然彼らの演奏が期待されるというもので、休憩時間も座ることなく彼らの登場を待っていた。そしていよいよ彼らの出番になった。演奏が上手いのか、それとも知人が弾いているということによる相乗効果なのかはわからないが、久方ぶりの興奮を覚えた。音楽性としても言うことはなく、かなり私の好きな感じに仕上がっていた。後の彼の話ではあまり上手くないとのことだったのだが、とても私にはそうは思えなかった。これがライヴというものをはっきりと具現化していたように思えた。長いようで短いライヴは終わり、そして解散することとなった。私はと言えばその時間になると京都まで帰ることもままならないのでその日はネカフェにでも泊まる予定だったので近くのネカフェまでHに送ってもらいその日は終わった。ネカフェで漫画を読みながらも友人のバンドの音楽が頭から離れず、自然とメロディを口ずさむようになっていた自分が面白かった(笑)飲み物がなくなったので取りに行き、自分に割り当てられた席に座り漫画をとろうとしてふと思った。悪くない、遠出をするだけの価値は充分に取り戻したと言える。なにしろ友人のライヴでのカッコいい姿と、両耳に紅を携えたHの笑顔が見られたのだから。お釣りが返って来すぎかもしれない♪
Aug 7, 2007
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私の故郷は2つある。そのうちの1つは勿論のこと自分が生まれたところなのだが、しかし最近になってもう1つ故郷が出来た。それは名古屋、もっと言えば春日井市であり、ここは私が訪れた街の中でも隋一のよいところにランクインしている。今まで何度訪れたのかは覚えてはないが、それでもかなりの回数行っていることはわかっていることだった。そして今日からおよそ1年ぶりの第2の故郷である名古屋に帰ることとなった。名古屋まで行くのは慣れたものだ。前にも書いたかもしれないが、名古屋ならコンビニ感覚で行けるくらい慣れきっていた。私が行くのは決まって鈍行なのだが、それには理由があり、学生の頃の小旅行のほとんどを鈍行で行ったという経緯があるからだ。今となってはそこまで極貧生活をしているわけではないので行こうと思えば新幹線でも行けなくはないが、なんとなく、そうなんとなくここは鈍行で行くべきだと思った。なので今回も鈍行で行くことにした。1年間の間名古屋から疎遠になっていた自分への禊だと思えばなかなか風情のあるものかもしれない(笑)前日の日記をあげてからすぐに出たものの、やはり名古屋まではそう時間がかかるものではなく、結局3時間ほどで着いてしまった。名古屋在住の友人であり、私の唯一無二の親友(私が言っているだけかもしれないが。。)と待ち合わせる予定だったのだが、まぁわかりきっていたことながら私の方が先に着いてしまった。一般的な友人関係であればそこで文句の1つも言いそうなものなのだが、私達の間にそのようなものは存在しない。何故ならば、私が先に着いて彼を待つというのは「今まで通り」だからだ。むしろ彼が先に着いて待っていた方が不気味だと言える(笑)そんなわけで懐かしい待ち時間を経て、ようやくまた再会することが出来た。1年ぶりに会った友人は何も変わっておらず、特に珍しい挨拶もしないで車に乗り込んでとりあえず家に向かうこととなった。当初の目的であるライヴは明日なので今日はまったりとご飯を食べたりファミレスにたまったりして1年の間に起こったことを話すことにしていた。そう決めたわけではないのだが、きっとお互いに同じことを考えていたと思う。それというのも、私と彼が同じ場所でつっこんだ話や軽い話をするという習慣が前々からあったからだった。しかも何故かそれは喫茶店であることが多く、入店してコーヒー一杯だけ頼んで後はずっと話をするという不可思議なスタンスだった。はっきり言ってそのトークの場に選ばれた喫茶店は不幸だと思わないでもないが、その時間は全く苦ではなく、最初の喫茶店トークの時はコーヒー一杯で8時間弱粘ったものだった。しかも厳密にはどこの喫茶店でもいいわけではなく、大阪某所のト○○ンという名前のお店が当時のブームだった。別に格段何かが有名なお店でもなく、何か理由があってそこを選んだわけではないのだが、それでも何故か喫茶店トークをしようという話になると、そこの喫茶店が槍玉に挙がる。しかもそこには一度行っただけではなく、2回訪れている。偶然だが店員も一回目に行った時と同じだったらしく、2回目に行った時には最初のオーダーだけ聞きにきて、その後は全く来てくれないという扱いを受けてしまった。まぁファーストインパクトで迷惑の烙印を押している客なのだ、向こうも諦めているというものなのだろう。可哀相だが、仕方のない話かもしれない(笑)いい感じで話が脱線したが、まぁそんなこんなで名古屋に来て久しぶりに会ったということで例の喫茶店トークをしようと思ったのだが、しかし行きつけの喫茶店は大阪にあるのでそれはあっさり却下され、結局彼の家でまったり話をしようということになった。着いてからは怒涛で…結局数時間はずっとお互いの近況や明日のライヴのことなどを話していた。何時間経ったのかがわからなくなるほど話していて、会話中に偶然かかってきた電話の関係もあってそのままの流れで1人合流して3人でファミレスに移動してまた話し込むこととなった。その1人というのは何を隠そうHのことで、私と彼とHは最早親友のような幼馴染のような、強い関係で結ばれている友人だった。そんな3人が久しぶりに会ったのだ、静かに済むわけもない。移動中の車でもわいわい、着いたファミレスでもわいわい、相当盛り上がったのは言うまでもない。結局私が名古屋入りしたのが午後3時半くらい、ファミレストークは終わったのが大体深夜3時半なので、合算で12時間くらいは話していたような気がする。こんな仲間だからこそかけがえのないものだ、12時間も一緒に話していてネタが尽きなく飽きずに話していられる人なんてそういるものではないと思う。だからこそ大切にしたい関係だと言える。明日は待ちに待ったライヴだ。人生初めてのライヴ、どのようなものになるのかはわからないが、それでもこんな風に一緒に爆笑したりできる友人の演奏しているところが見られるのだ、これは見物だというものだ♪
Aug 6, 2007
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自明のことを今ひとつこの場に書くとしよう。これは前々から私が守ってきたスタンスの1つであり、そして何度か変えようと苦心したものの結局元鞘だった事象の1つでもある。私のブログは1日遅れの更新がモットーになっている。それは意図してそうしているわけではなかったのだが、書いているうちにこちらの方が楽になってきたのでこれをスタンスと名づけることにしたという所謂副産物的な位置にいるということになる。まぁ簡単に言えば昨日の日付で書いている内容は厳密には今日の内容となっているのであって、時系列に若干の差異が出てきたとしてもそれは誤差の範囲だということだ。更新遅れが多くあることもあって焦るように更新していた結果、その日の日付の出来事をその日と同じ日付で書いてしまうこともままあり、そのせいで内容が非常にわかりにくくなったこともあった。まぁそれは曖昧な存在である私故のことなのかもしれないが、読む側としては非常に不快に思うものだ。各言う私が読み返してみて不快だから言っているのだが(笑)まぁそんな注意書きもしながら今日の内容に入っていくのだが…夜勤も終わってやっと家に帰ってきた。梅雨明けから太陽のテンションが妙に高く、ここ最近は日中で33℃を下回ることはそうなくなってきた。そんな中にありながらも私はスーツを上下ちゃんと着込んで仕事場まで通勤している。それは単純にスーツが好きだからというような前向きな理由ではなく、むしろ後ろ向きの理由で、一言で言うのなら「新人だから」だ。先進的なものを取り入れることで会社の見栄えを先進的なものにしたいということはよくあることであるように、私の会社もクールビズを実践している。しかし私だけは例外なようで、もう入社して1ヶ月はゆうに超えているにも関わらず、私だけは何故かクールビズが適応されない位置にいるようだった。新人だからクールビズが適用されないという何のメリットもないことに何の意味があるのかはよくはわからないが、それはそれで、スーツの一番下のボタンは留めないようにするという社会の暗黙のルールに似ていると思えば納得も出来るというものだ。それにしてもスーツの一番下のボタンは留めないというルールは誰が考えたのだろう…(笑)まぁそんなことはさておき、今日は待ちに待ったイベントの日だ。それというのも今から名古屋に友人のライヴを聞きに行く日なのだ。その友人の名はここには書いたことが無かったが、このブログを誕生当初から読んでくださっている方なら知っているかもしれない。一緒にラーメン6人前を作って食べたり、朝寝坊によりアルバイトの面接をドタキャンしてしまって朝の烏丸通りを男二人で爆走していたり、1ヶ月の間一緒に住んでいたこともある友人のことだ。私を語る上でなくてはならない存在の1人で、大切な男友達の1人でもある。そんな彼が明日名古屋某所でライヴを行うということは前々から聞いていたことだった。以前にも何度かライヴをしていたようなのだが、私は所用で行くことが出来ず悔しい思いをしていたぶん今回行けることに喜びを感じていた。わざわざ会社に希望休暇を申し出てまで行くのだ、そこから私の意気込みを感じて欲しい(笑)彼とは随分長い付き合いになるのだが、それでもまだ彼が演奏しているところは見たことがなかった。なので今は適度な緊張感に包まれている。この日記を書き終えたらすぐにでも名古屋に発つつもりだ。というわけでその内容はまた後日ここに書くとして…いってきます♪
Aug 5, 2007
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つい先日劇的なことを言われた。というのもその日は夜勤だったのだが、ちょうど時間的に業務が少ない時間で暇なことで有名だった。ある程度業務にも慣れてきたということでそのような時間が存在していることを既知のこととして消化していた私としてはその時間が来たということで、いつものように胸ポケットに仕舞った業務内容手帳にその日その時間までしたことを纏めていたのだが、なにやら先輩方が盛り上がりながら集まっていた。何事かと思ってその輪に加わってみると、どうやらその日来ている面子が芸能人で誰に似ているのかを話しているようだった。私は今まで芸能人で誰かに似ていると言われたことはあまりなかった。それは単純に誰とも似ていないということだと思ったのだが、そうではないらしい。どのような顔にも似ていないということはない。顔のパーツのどこかが似ているということは確実にある。それは芸能人が何万人という規模で存在していることと少しだけ関係しているのかもしれないが、私が画期的に似ていると言われることはなかった。それはある意味稀少なことなのかもしれないが、それでもやはりちょっとだけ寂しいものだ。今まで無理に搾り出してきてもらった似ている芸能人というのは箇条書きにすると・よゐこの有野・吉田栄作くらいだった。ここで挙げられた人に似ていると言われたことによる感想は差し控えるものとするが、しかし今回の夜勤で出た意見というのはその方面とは全く違うものだった。なんと…セロだったのだ。私はあまりセロという人物を知らなかった。名前を聞いたことがあるくらいでどのような人物かは知らなかった。セロに似ていると言ってくださった先輩に聞いてみると、どうやらマジシャンのようだが、それでも顔は知らなかったのでリアクションに困ったものだった。ちょっとノリで言われたことだがやはり似ているというワードが気になって家に帰った後に検索してみたのだが、その写真を見ての率直な感想は…ありえん_| ̄|○どう考えてもセロの方が120000倍くらいカッコいいし、どこのパーツも似ている気がしなかった。客観的にどう思っているのかを気になってある1人だけにそのことを聞いてみたのだが、そのある人の意見としては「眉から下が似ている」ということらしかった。それはそれで微妙なのだが、まぁカッコいい人に似ていると言ってもらえることは嬉しいことだ。似ている芸能人というのはその人の感性によって大きく異なることになる。私はよく人に対して「この人に似ているなぁ」と言うのだが、それに対して同意してくれる人はそういない。ほとんどの人が「えぇ~、そうかぁ?」というリアクションが返ってくる。それは私の目が腐っているのだと思っていたのだが、実はそうではないということに最近気が付いた。人によって人間のどこを見るのかは異なる。例えば第一印象を決める場合どのパーツを見るかどうかというのは人それぞれだ。目を見る人、耳を見る人、鼻を見る人、口を見る人…本当に様々だ。そしてそのような多種多様な「注意がいく点」を加味した上で似ている芸能人を見るということは、それはそのまま第一印象を決める部位が似ている芸能人をピックアップするということになる。それはつまり第一印象を見る点が異なる人がその芸能人を見た場合最初にその部分には目がいかないので、似ているという評価はされにくいものになる。そのような観点で言うと私が最初に目がいくポイントは普通の人とは異なるのかもしれない。第一印象をどこで判断しているのかは無意識レベルでの問題なので自分ではわからないことなのだが、しかし私の指摘する芸能人が誰にも認知されないということは第一印象の着眼点が誰とも違うことを如実に示している。私に似ているなんて言われてセロにとっては可哀相な話だ(笑)
Aug 4, 2007
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先日の台風の報道が嘘のような天気だ。最近テレビを点けていないせいか情報に非常に疎い状態になっている。一人暮らしにおけるテレビという存在は寂しさを紛らわせてくれるものとして重宝することが多いような気もするが、どうにも私にはそこまで必要ないものだ。テレビを楽しむ要素としてはドラマを観るとかバラエティを観るとかニュースを観るというものがあるが、仕事が不定期な関係上ドラマは観たとしても毎回観られる保証もないし、ビデオのようなAV機器に乏しい私の家ではドラマを録画して観るということも事実上不可能だ。それにそこまでしてまで観たいと思うものもない。かと言ってバラエティを観ようにも、そこまでバラエティ番組に興味があるわけでもない。音としておいておくのも1つかもしれないが、どうもそれも無駄なような気もするからだ。一番ありえるものとしてはニュースなのだが、最近のニュースはどうにも暗いものばかりで、観ていて鬱になりそうなものばかりになっている。そこからネタを拾ってきてブログに書くということも昔はしていたのだが、暗いニュース・悲しいニュースだけを拾うのも虚しいというものだ。明るいニュースばかりがあるのなら或いはニュースを観たかもしれない。まぁそのような理由からテレビ離れをしてしまった。それが関係してかどうかはわからないが、台風が来ていることすら知らなかった。仕事に出る時に妙に天気が怪しいと思ったくらいで、まさか台風が来ているなんて思いもしなかった。まぁ結果的に私が住んでいるところには来なかったからいいものの、もしかしたら洗濯物が飛んでしまうといった極めて小さな被害が出ていたかもしれない。折角付いているのだから観ないと損かもしれない。まぁ時間があればテレビを観て情報を集めるようにしよう。時代に置いていかれるのは一向に構わないのだが、観たいニュースを見逃したのでは目も当てられない。タクシーというものは意外に便利なものだ。公共交通機関に比べて少々お値段が張るのだが、放っておいても目的地に連れていってくれること、そして行きたいところをピンポイントで指定してくれるところはかなりの利点のような気がする。私が貧乏性なのかどうかはわからないが、タクシーの好きなところは他にもある。それは何人で乗っても料金は一律だということだ。これは公共交通機関には見られない特徴だ。仕事をする上では利用することも多く、その利点を生かせることも多い要素の1つだ。まぁそんなタクシー(シにアクセント)なのだが、私が初めてタクシーに乗ったのは21歳の頃だった。何故そこまでタクシーに乗ることがなかったのか、それは私の田舎が素晴らしいクオリティの田舎だからだ。田舎というのは土地的には都会とそう変わりはないのだが、建物の密集度が明らかに低い。ということはその分道路が締める面積が広くなる。ということは建物間の移動距離は長くなる。つまり以上のような事象から、田舎に暮らすということは移動距離の関係から車が必須ということになる。車がどの家にも確実にあるということは、移動するということには車を用いることが多いということだ。つまりはタクシーを用いるメリットがどこにもないことになる。私の家にも今となっては家族に1台の車はある。そのような背景だからこそ余計にタクシーを使う機会がなかったというわけだ。初めてタクシーに乗った時にふと思ったことがあった。タクシーというのは初乗りの料金というものがあって、一定の距離を走ると、その後は累進的に課金していくという二部料金システムだ、こんなことはいちいち説明することではないのかもしれない(笑)初めてタクシーに乗った時は何もかもが初めてでわけがわからなかったのだが、料金が増えていくのを見ていて思った。初乗りの料金は地域によって、そして時間によって異なるのだが、おおよそ500~600円くらいだと思う。そして課金されていくお金というのはおおよそ80円くらいだ。ということは例えば京都から大阪まで地道で行く場合、初乗りでメータが上がるぎりぎりでそのタクシーを降り、また新しいタクシーを拾って初乗り料金が変化する前にまた降りるということを繰り返した方が一台のタクシーで行くよりも安くあがるのではないかと考えたわけだ。今になって考えると非常に安易な考えだった。そんな幼稚な考え方は誰でも考え付くし、そのようなことを加味した上で料金設定をしていることは自明だ(笑)何にしても初体験が遅すぎるせいで妙におかしな方向に考えがいってしまうのが私の弱点だ。しかしそんなことを考えている時はとても楽しい。どうにも無駄なことに考えを巡らせる癖があるようだ。まだまだ体験したことがないことは多い。その都度そのもののシステムの粗を探す癖はなくなりそうもない(笑)
Aug 3, 2007
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久しぶりにやられた_| ̄|○これは日常の生活の中で起こりうる悲劇であって、そして結構なレベルで凹む事象だと言える。これは女性側にはあまり起こらないことなのかもしれない、私が男だからこそ余計に凹むのかもしれないし、相手が異性であればあるほど余計に…という類のものだ。何をされたのか、それは買い物をした時のお釣りを高い位置から落とされるというやつだ(笑)私は一応そのような接客業に深く従事したわけではないのだが、それでも接客業、特にレジ打ち関連のマニュアルは頭に入っている。今すぐにでもレジ打ちのアルバイトができるくらいまでは知識を持っているつもりだ。オールラウンドでこなせるというのが私のアルバイト経験の総括のスキルであって、コンビニのレジ打ちからインパクトを使ってパーツを分解、果ては綺麗な布団の畳み方まで熟知していると自負している。そんな状態だからかもしれないが、そのようなお釣りの渡し方をされるとちゃんとしたルールの上にお釣りを渡しているか否かではなく、自分がそんな風にされてしまう人に見えるのだろうかと凹むことがある。不思議なもので、これは異性の店員にされた時ほど、そしてその店員が綺麗・カッコいい時ほど凹む度合いは大きくなるものだ。そんなに私の手は汚いかとお釣りを受け取ってからブルーになってしまった。折角の夜勤明けの朗らかな気持ちも一瞬で消えうせたそんな出来事だった。。まぁそれはいいとして…自分の生きている環境、取り巻く人間、それはマクロレベルでは変化していると言える。例えば中学生から高校生になったとしたら、今までいた友達のうち数人しか知らない、残りは全く知らない人の中で生活していかなければならないという状況になる。恒久的に同じ人間関係の中を生きるというのは必然的に難しいことであってそしてそれは自明のことだ。得たいのしれない人格・性格が存在するということは非常に気持ちが悪い。なので人は見たままの印象でその人のイメージを固着させる。最初のイメージがいい人ならばいい人に、悪い人ならば悪い人にといった具合だ。それを推し量るのは自分でしかなく、そしてそのような第一印象のイメージというのは非常に壊れやすいものだと言える。何故こんな話をしたのか、それは私の会社での立ち位置というのが非常に曖昧になっているからだ。私は言わずもがなだが今の現場の新人だ。たった1ヶ月しかいないし、仕事だって今頑張って覚えている段階だ。そのような立場の人間は往々にして現場のトップの意見なんて知らないし、そういうことを知っていこうという段階でもない。今はただ仕事を覚える、早く一人前になるということを目標にして然るべきだと思う、普通は…。しかし今の私を取り巻く環境はそうではない。私の第一印象がそうなのか、何か話をしてやろうと思うように見える存在なのかは知らないが、非常にミクロレベルで情報が入ってくる位置にいる。前に会社レベルでのオフィシャルな飲み会があったということを書いたと思うが、その後に催された役職者レベルでのミーティングがあった。普通に考えればそこに私はいるはずもないのだが、何故かその場に私も同席していて、今の現場の問題点や将来におけるビジョン、各々の意識レベルの高さを推し量るような所謂新人が知らなくていい「オトナの事情」というものがぽろぽろと出てきていた(過去の日記参照)本来なら知るべきではないと今となっては思うのだが、しかしそれを知ったことで私の意識レベルに変革が起こったのは言うまでもない。その時集まっていた人員は本当の意味での現場の役職者レベルの人達「全員」だった。そう、全員なのだ。考え方の違いで派閥が生まれることは悲しきかな排斥できない動きの1つだ。この人のこの考え方は相容れないとかこの人のこの考えには賛成だといったような考え方の相違が必然的に現場の中でも派閥をうむことがある。私の現場も例外ではなく、おおよそわけて3つくらいの派閥にわけられる。派閥間での人の交流というのは上辺では上手くいっているように思える。にこやかに会話もするし、世間話やおバカな話で盛り上がったりもする。上辺では…。しかし水面下では非常にシビアなことが起こっている。にこやかに会話している裏では「やっぱりこの人の考え方は合わないな…」という意識が確実に生きている。上司が話したことを「そうですねぇ、全くです!」と相槌を打っていた人でも自分と同じ派閥の人が1人でもいれば「あの人の考え方はわからん」と心情を吐露することも珍しいことではない。私が特別なのかどうかはわからない、きっと巡り合わせの不幸だといったところなのかもしれないが、何故か私はそのような上司の機嫌を伺うシーンと本音を吐露するシーンのどちらにも出会うシチュエーションが多すぎる。だから私には一応上辺だけは話をあわせておこうという考え方と本音を暴露している2面性を見てしまう機会が非常に多い。それは会社という組織に属している以上は仕方のないことなのかもしれないが、流石にまだ会社の内部情報をあまり知らない今の段階では消化するのに時間のかかる問題だと言える。違うことは違う、自分はこう思う。貴方は上司かもしれないが、私はこう思うから貴方の考え方には賛成できない。たったこれだけのことなのだ。全ての人に合わせる考え方を持つことは私には出来ない。私は今まで生きてきた中での自分の価値観を一番信じているし、別に上司に媚び諂うようなことはしたくない。それで上司の心証が上がったとしても全く嬉しくないからだ。しかしそれがまかり通っているのが社会であって、色々な顔で綺麗に人間関係の上を綱渡りするのが社会人のスキルだと思う一面もある。私ははっきり言ってその方面には不器用だ。自分の考え方ははっきり言うし、脅されたとて自分が一番に感じていることを曲げはしない。しかし…それはきっと今の私がまだあまり発言力を持たず、立ち位置が明確ではない故のことだと思うことも時々ある。ある程度の知識とノウハウがあれば…保身に走ってしまうこともあるかもしれない。今の現場にいて一番畏怖するところはそこだ。私自身が都合のいいへらへら笑っているだけの人形になってしまうのではないか、時々そう考えてしまう。上司の前ではその考えに傾倒するようなことを言いながら、同期の前では本音を暴露する。そのように現場を回転させているレベルの人達の前で本当のことを言わないからこそ余計に現場での人間関係の乖離が起こってしまうのだ。私は悲しいことだがそれを全てと言っていいほど見てしまった。だからこそそのような場に行くと、何故というよりも悲しくなる。自分の思っていること、感じていること、それをはっきりと明確に伝えることは難しいことではないはずだ。しかしそれを言えなくなるような…握りつぶされるような軋轢があの小さな作業机の前にはあるような気がする。今はまだ知らなくていい、まだ早い、そんなことを言われる度に、そのような存在が確実にあることを示唆しているようでブルーになる。本音を言うって相当に難しいことなのだと改めて実感した事象だった。私は今のままでいられるのだろうか…。
Aug 2, 2007
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もう8月になってしまった。考えてみると早いもので…もう今年は半分を過ぎてしまっている。2007年も残すところ半年未満となってしまったわけなのだが、どうにもそう考えると月日の早さを痛感するというものだ。人によって一年の初めの頃には目標を立てることだろう。例えば女の子であれば今年中に彼氏を作るとか今年中に体重を何キロ落とすだとか…。そのような目標は往々にして年の初めに立てられるもので…そしてそれらが達成されることがほとんどない。ほとんどないから同じような目標を来年も立ててしまうのだ。精神的な話をすると、それらの目標を達成しないでおこうとして達成されないわけではない。それが何故達成されないのか、それはその当時では長いスパンである「1年」というリミットが見通しにくいからだ。人は一年どころか2ヶ月先のことすら見えにくいものだ、それを一年先のことを考えろと言われても難しい話だ。年が変わる頃、新たな目標を掲げそれに向かおうとする時、ふと去年のことを省みてみるといい。去年の目標が達成されたかどうかを考えてみると…自ずと自分に合った目標が立てられるし、1年というスパンの長さを実感することができるに違いない。それを考えずに自分の欲だけを目標にしているとしたら…それはただの神頼みであって自己啓発ではないことには永遠に気づけない。と、また精神論に走ってしまったのだが…今日のテーマは社会慣習の1つであって、私がその場に入るまでは懸念の材料でしかなかったものだ。ある日、仕事をしていると1人の先輩からこんなことを言われた。「きょう、今年の社員旅行の余興そろそろ考えとけよ?」たったこれだけ、たったこれだけなのだが、私はそれを聞いてブルーになってしまった。これはいつも思うことなのだが、どうして社員旅行なんていうものが当たり前に存在しているのかがわからない。確かに一緒に仕事をしている仲間であるのだが、別に一緒に暮らしている仲間ではない。仲間と表現したものの、それはあくまで仕事、つまりオフィシャルな中での付き合いの関係をプラスのベクトルに表現しただけであって、本当の意味での仲間では決してない。仕事上の上下関係、力量、キャパシティ、そのようなものを鑑みた結果、その人に出来ることを任せ自分に出来ることをする。そのような助け合いがあるからこそそこには団結が生まれ仕事を円滑に進めることが可能になる。しかしよく考えてみると、それはあくまで仕事場だけの話だ。プライベートな付き合いがしたければすればいいが、それを強要するのは間違っている気がする。私の会社だけではないだろう、おそらく社員旅行と銘打っている会社はどこでもそうなのだろうが、社員旅行は基本的に拒否権が存在しない。行くということを前提にされているところがある。しかもその社員旅行を一番楽しみにしているのは他の誰でもない、社長なのだ。私は別に団体行動が嫌いだとかそのようなことを言っているわけではない。団体行動は好きだし、盛り上がるのも好きだ。しかしながらそれは気のおけない仲間との場合に限るもので、誰とでも団体行動が好きだということでは決してない。先輩方の話によると社長の考え方は非常に古風で、社員旅行のような行事にはみんなで参加して団結を深めるということに異常に固執しているらしい。まぁそれも一理あるだろう、しかしよく考えてみるとそれはただのエゴでしかない。確かに1つの会社に全ての機関が集中しているような一般的な会社ならそれもわかる。毎日毎日社長を始めとする重役とも顔をあわせることになるわけだし、言ってしまえば顔馴染みになってしまうわけだ。その面子で社員旅行に行くのならば或いは親密な関係も築けるかもしれない。しかしながら、私の会社は人材アウトソーシングが基本理念としてあり、社員の多くはある一定の範囲内の取引先に派遣されていくことになる。前のブログにも書いたかもしれないが、各々の職場には直行直帰が基本であって、極端に言ってしまえば社長や専務の顔を見ることなんてほとんどゼロに等しい。そんな中で社長が行う社員旅行、そのようなものに何の意味があるのか?そのようなものがあること自体に反対ではない、むしろあってもいいと思う。しかしそれが強制参加だということ納得がいかない。そういう類のものは行きたい人だけが集まって行けばいいものだ。ものに対する見方が多種多様なように、社員旅行に対する考え方も人の数だけ存在していると言える。それを加味すると、全員が全員行きたいなんて思うわけがない。私の考えでは、プライベートな付き合いがしたいと思う人はそのような行事事で縛らなくても自分から関係を築いていこうとするものだ。実際に私ももう何人かの先輩とは仕事外でも会うような付き合い関係を築いている。付き合いが欲しいのなら自分から、そして仕事場は仕事をするところ、そんな割り切りは小学生でもできることだ。それを強制して団結力や協調性を深めようなんて低次元過ぎてがっかりだ。はっきり言って私はそのようなものには行きたくない。給料から社員旅行の積み立てが差し引きされているのは知っているが、それを全て容認しても行きたくはない。自分の立ち位置なんて自分から作り出すだけの器は持っているし、そのような環境を作り出せないほど子どもでもないつもりだ。一体何のつもりなのかは知らないが、あまりにもバカバカしすぎて「そうですねぇ、考えておきます^^」と答えるのが精一杯だった。その先輩には何の責任もないのだが、なんとなく不機嫌に答えてしまったかもしれない。その点については先輩に落ち度はないので申し訳ないことをしたのだが、それにしてもがっかりさせられた出来事だった。社長という立場はいつになっても孤独だ。しかし孤独だということに胡坐を掻いていたのではその状況は是正されない。本当は嫌だ、本当は面倒で仕方ない。そのような意見を汲んだ上での関係を築けない以上はいつまで経っても社長という存在は腫れ物であることは自明なのだから。
Aug 1, 2007
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