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この1年様々あった。自分の環境を充分に理解すること、新しい夢を描くこと、それに伴うリスクを背負い込むこと…そのような夢の形成に躍起になっていた1年だったように思える。それというのもやはりインターネットに自力で繋げるという状況になったことが大きく関係している。それによって新しいフィールドでの出逢いというものを発見することが出来た。人はその世界での出逢いを下らないものと言うかもしれない。確かにその世界に飛び込む前の私は全く同じことを考えていた。巷ではインターネットに関係する自殺や殺人を大々的に報道する傾向にある。それは暗にインターネットでの出逢いを規制しているのかもしれない。顔が見えないことがそれに関係していると言えばしている。しかしそれは狭い考え方だ。私の観念から言えば、顔が見えない出逢いの方が素晴らしい出逢いがあるように思う。人は往々にして相手の人間の外見からイメージや印象を形成する傾向にある。それを取っ払うことが出来るインターネットでの出逢いというのは、新しいコミュニケーションの場として正しく使うことが出来れば大きな役割を持つことが出来る。Mixiがあそこまで浸透したのはそのような要因があるような気がしてならない。そのような流れはホームページ然りブログ然りだと思える。而して私がこの1年で経験してきたインターネット上の出来事というのは負のイメージなどは全くなく、最終的には私を大きく成長させることができた。極端かもしれないが、この1年、私はリアルの生活を営むよりも濃密な人間的な成長ができたと自負している。特に私の今までの人生に足りなかったパーツである「女性関係」については革新的だと言えるほどの進歩だった。人生初の相思相愛、様々な女性との出逢いが私の価値観を大きく変えていった。そういう面での成長が大きい。大きく分けてこの1年で大きな存在である4人の女性に出逢えた。それによって変わった部分は書ききれないほど多くある。思い出の曲というのも場所というのも増えた。神戸のモザイクが好きになった南京町を歩く楽しさを知った高層ホテルに泊まった女性と2人っきりで喫茶店に行った女性と2人っきりでご飯を食べた女性と2人っきりでお酒を飲んだ夜景を眺めた女性と2人っきりで観覧車にも乗った女性と2人っきりでカラオケにも行った大阪が好きになった仲間と盛り上がるという本当の意味を知った一時の別れが淋しくて仕方なかった自分の部屋に初めて女の子が入ったホワイトデーのお返しを初めてしたオシャレ要素皆無の品だが(苦笑)バレンタインデーに貰えたわけでもないのに(笑)1人っきりで遠くへ行く楽しさを知ったファーストキスをした人生で初めてお揃いのものを持った今も身に着けている(苦笑)女の子と2人っきりでお祭りにも行った2人っきりで花火も見た自分にも価値があると気づいた初めて女の子に本気で怒られた山梨が好きになった知らないところで運転もしたいきなり事故りそうになった(苦笑)女の子にプレゼントをした喜んで貰えてちょっと泣きそうになった相思相愛の喜びを知った「かざぐるま」が鳴るとテンションが上がった名古屋が好きになったオフ会の面白さを知った怖いお兄さんに絡まれて泣きそうになった知らない集団に混じって写真を撮った何故か一瞬で意気投合(笑)女の子を交えて遊園地に行ったテンションの上がりっぷりに自分でもびっくり約束の重要性を再認識何かの為にバイトをするモチベーションの高さを知った逢えない淋しさを知ったよく知らない土地に骨を埋めようと本気で思った友達に戻るという本当の意味を知った本当の意味で初めて女性と別れを告げた初めてフラれて泣いたでも今は糧になっていると認識(願望)よく笑うようになったその反面よく泣くようにもなった女の子の親友という概念を初めて知った諦めかけていたものに挑戦しようと思った人生の岐路を間違えかけた死のうと本気で思った自分が最低の人間だと認識した変わろうと思った甲斐性が欲しいと思ったまずは自分の土台をしっかりしないといけないと覚悟を決めた権利をないがしろにして義務を主張することをやめた怒鳴られることの恐ろしさを知った非を認めることの本当の意味を知った「舞鶴」という言葉に思い入れがありすぎるもう山梨に行けないと思うと悲しい初めて女の子に膝枕してもらう頭を撫でてもらう安堵感を知った女の子の涙を初めて見たラブレターを初めて書いたしかもルーズリーフに(汗)女の子と2人っきりの夜を初めて経験する女の子も人間だと認識する(遅すぎ?)PCを開くのが怖くなるPCを叩き壊そうかと本気で思う落ち着く浜崎あゆみの「M」が好きになるRADWIMPSの曲を聴くようになるタイトルの独自性にびっくり小さな繋がりに一喜一憂する意見が合わないことにイライラする年賀状をもらう友人の意見を無視してとんでもない目に遭う反省_| ̄|○小さな約束を大事にするようになる電話代が増えすぎて自分でも驚く親はもっと驚く電話代で説教されることが増えるでも必要経費と割り切る(笑)鬱病の怖さを知るそれから立ち直らせてくれた子に感謝結局自分には何が残っているのかわからなくなるそれでも話し相手になってくれる人がいることが素直に嬉しい前よりも綺麗好きになるこれでも少しは大人になったかなとふと思うこれも一端だ。書き出すとまだまだあるのだが…印象的なのはこれくらいなのでこれくらいにしておく。こんな不甲斐ない私だが、ちゃんと話を聞いてくれる人がまだ4人いることに素直に喜びを感じる。これが私の到達すべき目的地だったような気がして…なんとなく安心できる感じだ。きっと私にはまだ女の子1人を囲うだけの人間的な部分もないんだろうということは痛いほどよくわかった。これからも吸収すべき概念は多くあるということも再認識した。私の成長はまだまだこれからだろう。「明鏡止水」この概念が好きだ。このようにありたいと常に思っている。だからブログタイトルもこのようにした。意識している時点で明鏡止水の境地からは遠いことは充分にわかってはいるのだが、できればこのような境地で人生を歩んでいければいいと今は本気で思う。半人前で人間的にもよろしくないし性格もルックスも下の中くらいの私だ、周りの人にも迷惑をかけることも多いだろう。しかし周りが自分とは違うという風に丸投げにすることだけは絶対にしないのが私の守り続けているポリシーの1つだ。自分とは相容れない部分が多い人でもどこか共通する事項は必ずあるはずだ。相手がそれを諦めない限りは私も理解しようと努めている。その1点だけは、変わってきた私でも未だに持ち続けているものの1つだ。新年度を迎えるにあたって私は新天地に旅立つ為の準備をしなければならない。その為このブログの更新も取り敢えずは今回をもっておしまいだ。それでも「終わり」ではなく「中断」という形を取るのは…やはりここでのゆったりした時間、常連の皆さんが優しくしてくれるという居心地の良さがあるからだと自分では思っている。力を溜めて新しい生活を始める為のワンクッションを置く、だからこそ本当の意味で新しい生活が始まった時には好きな場所に住んで自分らしいスタイルで生きていきたいと思う。願わくば新しい部屋…今の部屋よりも住みやすい部屋からこのブログを再開できることを願ってやまない。今度住むなら夏には蜩の声がする部屋がいいなぁなんて思いながら準備期間に邁進しようと思う。このブログは私の宝物だ。一見ただの日記形式なのだが、このブログに堅苦しくても難し目のことを書いてきたからこそ、その形式が卒論にそのまま影響することになり、卒論を異例の早さで完成させることができた。卒論の途中に(笑)を入れそうになってしまい、自分自身で(笑)になりそうなこともあったのだが。笑しかしその恩恵も一端だ。一番はコメントをくださる方がいらっしゃったことだった。それによって風邪を引いた時も元気を出すことができた。その方々にしばらく会えないと思うと残念で仕方ない。しかし今のままでいいという考えは毛頭ない。しっかりした方ばかりに支えていただいたので…今度はしっかりした人間になって帰って来ようと思う。何人が覚えてくれているかはわからないが…それでももともとしょうもないことばかりつらづら書いてきたのでスタンスとしては変わらないか。笑ではこれで決意表明みたいなことも終わりにしようと思う。これを読んでくださっている方々全てに感謝の意を表して終わりとする。今までありがとうございました、また会う日まで…ですね^^追伸1 コメントがもし来たら放置になるような気がするけど…ご愛嬌で(笑)追伸2 卒業の報告が出来ないのが少し心残りだ。明日が卒業式だというのに_| ̄|○
Mar 16, 2007
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先日から予告していた通り、昨日あたりからこそこそと片付けをするようになった。引越し当日になってから慌てて片付けるのは性に合わないので事前に防護線を張っておこうという一般的には普通の思考に基づくものだった。それで片付け始めたのだが…如何せんものが多すぎる!買った覚えのないものや置いた覚えのないもので部屋が埋め尽くされていて…はっきり言って「汚い」という言葉以外の何で表現していいのかわからないほどの体たらくだった。前々から内部的にこそこそ隠れて片付けはしていたものの、それだけでは片付けたという実感が沸かない為に、今日は思い切って部屋の中枢である本棚整理にかかることにした。しかしこの本棚、思っているよりも本がたくさん詰まっていて…しかも大半は大学案内とか強化の履修要綱だったりとか不必要なものばかりになっていた。なので大きな袋を用意してラベル確認後おもいっきり捨ててやった♪ スカッとした本棚というのは見ていて心が晴れ晴れするのだが…その本棚自体も引越しには邪魔になってしまうので、ドライバーを持ち出してきてその場で解体した。大切な本はダンボール箱に詰めて要らない本は燃えるゴミへ。最後に本棚を撤去、その残骸を大型ゴミに出す。これが今日私がした掃除の一部始終だった。本棚を3つほど解体するとそれなりに部屋が綺麗に見えてくるので不思議なものだった。次に住む部屋は本棚というかカラーボックスを置かないようにしようと心に誓った出来事だった。それはそれとして…それだけの作業を一気にやると疲れてしまうもので、一端休憩することにした。その際にPCを開いていつも廻っているサイトのチェックをしていると、偶然動画サイトのところに辿り着いた。見る気もなく何の気なしにちらちら見ていると…少しだけ気になる名前のアニメがあったので見てみることにした。ちなみに私はこのアニメはタイトルしか知らないものだった。それで1話目を見たのだが…なかなか面白い。これは所謂どこにでもある学園ものなのだが、それでも何故か見入ってしまった。一心不乱に見続け、気づけば夕方6時。完全に部屋は片付けの途中の有様…。一体何故こんなにはまってしまったのか未だにわからないが…もしかしたら主人公に異常に感情移入したのかもしれない。タッチもちょい昔を彷彿とさせ、背景もなんとなく一昔前っぽい雰囲気があったのだが、何故かお気に入りになってしまった。結局この日で全26話中24話まで見てしまった。時間の無駄とは思えなかったのが、この作品が私に響いた証拠だと言えるかもしれない。片付けは頓挫したが、それだけの清々しさを得たのでまぁいいとしよう、片付けは明日に持ち越しだ。笑私は今までにもこのような少女漫画にはまったことが数回ある。1度目は「藍より青し」(少女漫画かどうかはわからない)で、2度目は「ハチミツとクローバー」で、3度目は「耳をすませば」だった。ここにこの「彼氏彼女の事情」が加わることとなった。んで思うのだが…自分って…少女漫画好きなのか!!??ということだ。私は男、しかも22歳という結構いい歳の男だ。しかも彼女がいたことなどただの1度もない。そんな私が少女漫画好きなんて…汚点だ_| ̄|○私の中で少女漫画に対するイメージというのは「少女漫画=ベタな展開ウエルカム」なので、必然的に私自身深層心理でそのような展開を望んでいるということが分析できる。22歳で登校中パンを咥えて走っている女の子にぶつかって、その子が転校生でしかも隣の席だった…とかっていう展開を求めているなんて…痛すぎる_| ̄|○ もしかしたらそのうち「ご近所物語」とか読み出しそうで本気で怖い。こういう癖は早めに摘み取っておかないと後々恐ろしいことになりそうだ。。
Mar 15, 2007
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夢を見た。しかも何故かお笑い芸人のナイティナインと同じ席でバス移動しているという妙なシチュエーションだった。私は特にナイティナインのことが好きではなかったのだが、この夢を見て以来少しだけナイティナインのことが好きになりそうだった。以前からこういうことはよくあった。特に気にもかけていない人なのだが夢に出てくるとその人のことを少しだけ気にかけてしまう。それが異性なら深層心理で好きなのか!?と焦るし、同性ならば「今頃どうしてるかなぁ?」と感慨深くなってしまうものだ。身近な人ならいいが、それが芸能人とかになってくると話は別で…テレビで見かけるだけで目で追ってしまうような存在になってしまうことがある。それで好きになってしまった芸能人は今のところいない(というか芸能人自体あまり知らない)のだが…根が単細胞故に最強の勘違いが起こってしまいそうで怖いものだ。まぁ好かれる側は不気味で仕方ないと思うが。笑そんなこんなで今日はクリーニングの日だった。前のバイトをクビになって以降ユニフォームを返しに行く機会を失ってしまっていたので、その制服をクリーニングに出してこようと思った次第だ。その他にも部屋のクリーニング作業をしなければならない。もう体調は動き回れるくらいまで回復した、これからは精力的に動いていかないといけない時期にきているかもしれない。手始めに掃除を始めるにしてもやらないといけない箇所が多すぎる。千里の道も一歩からという言葉もあるように、どんなに膨大なものでもかからなければ終わらないというのが定石だ。なので今日からちょっとづつかかっていこう。いらないものを捨てるチャンスと考えればモチベーションにもなるというものだ。笑それはそうと今日はホワイトデーだ。勿論世の中の風習であって私には今年も関係ないものだった。もらえないから返せない、これはギブ&テイクが成立する世の常だ。今までの人生の半分にテーマをつけるとしたら「独りよがり」の私としては…この時期は少し切なくなる。もてないことを堂々と宣言しているようなものだからかもしれない。どちらにしても関係ないからこそ冷静な推察ができるというものだ。というわけで今年も去年に引き続きホワイトデーの推察をしてみようと思う。そもそもバレンタインデー自体が日本の菓子企業の考えた企業戦略だということは自明のことだ。当初こそチョコレートに収束していたものの、現在では多岐に渡っているらしい。しかし主としてはチョコレートのようで…その嗜好は高級ベクトルへ向かっていっているというのが流れらしい。それに対してホワイトデーというのはチョコレート以外での贈答品関係も関わってくるイベントの一つだ。男性が女性にチョコレートの「お返し」をするというのが形式であって、その「お返し」が同じものである必要はないというのが大義名分なようで男性側としては返すものに困ることになるだろう。ここで推論形にしたのは私には経験がないからなので悪しからず(笑)察するにホワイトデーというのはバレンタインデーという風習がある外国(そのような風習があるのかどうかは定かではないが)にはないもののように思う。日本独自の文化であるといえばそれまでだが…商魂逞しい日本ならではだとも言える。ある雑誌で統計をとったのだが、女性としてはお返しを貰えるという前提で話をすれば、あげたものよりも若干高価なものを望む傾向にあるらしい。明らかに個人差があるので一概には言えないが、統計的にはそのような結果になったらしい。これに関しては私は不平を言うつもりはない、それはデートをした時に男性側が多くお金を払うのがマナーや美徳だとされている日本だからこそかもしれない。私もまがりなりにも日本人の男だ、そのような血は流れている、もしも私にバレンタインデーにチョコレートを貰えるような奇跡のようなシチュエーションがあった場合きっと貰ったものよりも高価なものを返そうと思うだろう。ホワイトデーでお返しを悩んでいる男性の方々、本命のお返しは本気なのでいいにしても…社交辞令としての義理にまでお返しの品を用意しなければならないし、適当なものではいけないという呪縛にまで考えを巡らせないといけない心労お察しします。。
Mar 14, 2007
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しなくてはならないことを次の日にまわせるくらいの余裕のある人間になった方がいいということをどこかの本で読んだことがあった。やるべきことは出来るのならばその日にした方が明日が別のことに使えるので効率的ではないように思えるのだが…。それにしてもゆったりとした感覚も必要なのかもしれない、そういう考え方もありだ。笑しなくてはならないことが多い。もっと早くにかかっていれば良かったのだが、腸炎の影響で動くに動けなかった。言い訳がましいが仕方ない、意外にお腹が痛いというのは行動が制限されるということを発見したものだった。というわけで腸炎の影響も無くなりかけてきた今日、やっとすべきことへ動き出すことにした。まずは就職活動関係のものをそろえる必要があった。今までは鞄も持たず、しかも靴も就職活動用のものではなく、限りなく黒に近い就職活動用の靴「のように見えるもの」を履いて騙し騙しきていたのだが…キチンとした目的を持って行動する必要があるので、その禊を兼ねて新しいものを購入することにした。アルバイトはクビになってしまったものの、多少は働いた対価をもらったので、それを迷わずにはたくことにしたというわけだ。今まで持っているもので騙し騙しきていたこともあって、実際のところ就職活動用のモノの物価を知らなかった。一般的なデパートに行って一般的なリクルート用のグッズを見てみると、案外高価だということに気づいた。しかし格好から入るのも大事なことだ、少々財布がすすり泣いているがそれも仕方ないことだろう。領収書の切れない必要経費とは切ない限りだ。これだけのお金があればカッコいいインテリアが買えたかもなぁと思うと余計に切なくなるのでその思考は封印した。無事に鞄と靴を買ってマックで簡単に昼食のような夕食のようなものを済ませた後、帰ろうとバス乗り場へ向かった。それというのも最近の話だが自転車をどこに置いたのか忘れてしまった。思い当たるところはあるのだが、如何せん遠くて歩いて行く気にはなれない。まぁ京都はバスの街なので移動に関しては全然困らないということも影響しているのかもしれない。自転車は機会があれば回収しようと思っているが、無くても困らないのはそこまで依存していない証拠かもしれない。笑それでバスに乗って帰ったのだが、今日のバスの運転手は運転が下手だった。もとい下手と言っては失礼かもしれないので「よろしくない運転だった」と言い直すことにしよう。客を乗せる時にも微妙に徐行しているし、停車停(という言い方が正しいかどうかわからないが)に来ても客がいるかいないかの見切りが異常に早く、何か早く終点まで行きたいような焦燥感を感じる運転だった。先ほども書いたが、京都はバスの街だ。自家用車を持っている人も当然いるが、会社にせよ観光地にせよデパートにせよ、他県に比べて駐車場が圧倒的に少ない。それに加えて街が碁盤の目のように形成されているせいかもしれないが、兎に角一方通行が多い。これはもしかしたら日本一一方通行が多いところかもしれないと薄々思っている。以上の原因から京都ではバスが普及している。地下鉄もそれなりに普及しているかもしれないが、融通具合から考えると圧倒的にバスの支持率は高いように思える。そもそもバスにおける感想というのは、運転の仕方に依存しているところがある。電車も人力車もそうかもしれないが、運転の軽やかさで評価は大きく変わってくる。バスというのは言わずとしれたMT車であるので、発車の時に多少の揺れがあるし、運転中もギアチェンジを頻繁にするので揺れが生じるものだ。しかしだからこそ運転の技術が問われるものだと私は思っている。そういう意味では今日の運転手は合格点があげられるものではなかった。偉そうに言っているが辛辣な意見は社会には必要な時も時としてあるのだ。ここまで言うにはわけがある。それは京都のバスに乗り始めて4年になるのだが…つい先日最高の運転手に出会ったからだった。その運転手は市バスで一番長い区間を運転しなければならないパートを担当している人だった。乗務員の名前を確認することは出来なかったが、その人の運転に感動さえ覚えてしまったものだった。まずは普通の走行が上手い、揺れが全くないのだ。そもそもMT車というのはアクセルとブレーキの他にクラッチがある。運転中のギアチェンジにはクラッチを使わないといけないのだが、ギアチェンジをする際にはアクセルを踏まないようにしなければならない。つまりMT車を運転している時には、不可欠なギアチェンジの準備としてクラッチのみを踏んでいる時が必ず存在するのだ。その時の運転の状態というのは、惰性で動いているようなものだ。アクセルを踏むと速度が上がるので必然的に車が揺れることになるが、惰性で動いている状態ではほとんど揺れはない。長くなったが、この運転手の運転はこの惰性時のような揺れの少ない軽やかなものだった。停車・発車時もとてもスムーズでストレスを感じない仕上がりになっていた。くだらないことかもしれないが、日々の当たり前の中で発見したちょっと嬉しい出来事だった。笑
Mar 13, 2007
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どうなるか不透明だった。4月が始まるまでにはまだいくらか日付は残されているものの、だからと言ってそれがどういうプロセスを経るのかが全くもってわからない状態だった。一時期はこちらに残って今のまま生活を続けていくことを考えたのだが、それならそれで住む家を決めるということと仕事を探すということを同時進行しなければならないという矛盾を孕んでの行動だということになる。どちらかが決まればどちらかの状態に必ずしも影響が出てくる。そういう意味では宙ぶらりんの状態で生きている3月だ。そんな状態だからこそかもしれないが、両親と話し合う機会が増えてきた。つい先日も送られてきた荷物に親からの手紙が同封されていて…そこにはどうするか話し合おうといったような内容が書いてあった。なのでここ最近はどのようにするかを電話でだが話し合うことが多くなってきた。自分の身の振り方を自分で決める時期にはとっくにきている、その段階で就職が決まっていないということはその時点で敗残者であることは自覚していることだ。しかしだからと言ってそこにいじけることも開き直ることもしたくはない。ハンディを持つことになった故、その状況でどのように開花させるかが次に私がすべきことだと思っている。なので…3月21日、早ければ3月19日前後でこのブログを一端休止することにした。それは今住んでいる家が変わるからだ。生活が安定するまではネット環境が回復するとは思えないし、それまではブログを記すことは出来ないと踏んだからだ。契約打ち切りの手続きというものは経験したことはないのでなんとも言えないが、事実上後1週間くらいでこのブログは一端終わることとなる。それまでに書けるだけ書こうと思うが、もしかしたらばたばたして書けないかもしれない。再開できるかどうかは未定だ、もしかしたら半年以上書けないことになるかもしれない。その頃には今のような温かい環境はないかもしれない。しかしそれでもリアルの生活の充実の方が大切だと思うからこそ決断したこと、仕方ないことだと割り切ることにした。継続してきたことを急に打ち切るのは大変かもしれないがそれもいずれ慣れるだろう。というわけで今日はその報告だけのつまらない内容だ。
Mar 11, 2007
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2日間苦しめられたということで我慢も限界に達していた。ということで昨日の朝に病院にいってきた。前にも書いたようにその病院は歩いて2分くらいの比較的近いところにあるので移動もそこまで苦ではなく、文字通りアッと言う間に着いたという印象だった。歯医者に関しては色々開拓したので家周辺の歯医者分布図は頭に入っているものの、内科となると全く知らないに近いもので、初めて入るその病院も何故か適度な緊張感を持っていたものだった。緊張感で更に頭痛が強くなるのを感じながら。初診ということで簡単な問診だけをして待っていたのだが…平日の昼間ということも関係しているのかどうかはわからないが、待っている人がいつまで経っても私1人だった。普通平日の昼間と言えどもおじいさんの1人や2人はいてもいいと思うのだが、一向に玄関というか入り口のドアが開く気配はなかった。受付のお姉さんもかなり暇そうにしていた。だからかどうかわからないが、私が「初診なんですけど大丈夫ですか?」と病院に入っていった時にかなり嬉しそうな生き生きとした表情で問診表をくれて、尚且つその横のちょっと年配の受付の人が「これ、体温計ですので計ってくださいね♪」と体温計を渡してくれた。問診表と体温計を渡すくらい1人でも充分だと思うのだが、それくらいのことを分担作業にするほどに暇なのかもしれない。ということは医師の腕もそう良くはない可能性も無きにしも非ずだ。最初のちょっとしたやりとりでかなり不安を覚えてしまったのは事実だった。5分もしないうちに名前が呼ばれ、診察室に通された。この段階で私が一番懸念しているのは去年の惨事の繰り返しだった。これだけはどうしても避けたい、あの後から食べるものには異常に気を遣うようになったにも関わらず、あれから約1年と5ヶ月ぶりにヤツが帰ってくるかと思うと身震いする思いだ。そして診察が始まったのだが…その結果は…普通の腸炎でした(笑)まぁそれにしてもお腹の調子が悪くなった程度の延長なので、腸を休ませる為にも食事の量などには気を遣うように注意されたのだが、最近1日2食ちゃんと食べるようになったにも関わらず食事量を減らせということは…また1日1食に戻せということなのかとちょっと切なくなったものだった。帰りしなに大量の薬を処方してもらったのだが、考えているほど腸炎というものは甘いものではなく、しっかりとした水分補給と内臓を休めることが必要だということだ。頭痛がするのは何故だかわからないが、それを抑える薬も併用してもらったのでなんとかなるだろう。薬を飲んで安静に寝ているとします。。早く治さないと折角決まった卒業式に出られない…(汗
Mar 10, 2007
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何かを得る為には必ずしも努力しなければならない。簡単に手に入るものも手に入れるのが難しいものでも少なからず自分から動き出す必要がある。簡単に手に入るものほど自分にとっては一時の安らぎしか得られない。極論だが…低い目標というのはそれに付随する効果というのも低いものとなってしまう。「ステップを踏む」という言葉があるように、自分の真の目標に辿り着くためには低い目標を重ねるということもある。例えば弁護士になりたいと高校1年生で思った場合…重ねなければならないステップとしては・高校を優秀な成績で卒業し法学に精通した大学へ進む・法学関係の資格試験を積極的に受ける・できればそれに関連したアルバイトを経験して人脈を有する・大学も優秀な成績で卒業し、あわよくば大学院に行く・大学院でしか得られない資格試験を受ける 且つ 国家試験の準備をする・国家試験を受けて資格を有する・弁護士になる活動を始める・弁護士に…簡単に言ってしまえばこのようなステップを踏んで弁護士を目指すこととなる。こう箇条書きにしてしまえば簡単に見えるが…弁護士になることはそうそう誰でもできることではない。そこには確固たる意思が必要になってくることだ。しかし一般的に「難しい」と位置づけられているだけで、私は弁護士になることがそこまで偉いことのようには思えない。確かに弁護士になるということは難しさから考えても凄いことだということを否定するつもりは毛頭ないが、世間で言うところの「偉い」という概念はその仕事に対してしたいことがはっきりしているか否かということが最も重要なことだからだ。したいことが出来なくて歯がゆい、例えば原因不明の病気で恋人や肉親を亡くしたとかそのような理由から今後自分のような思いをする人を無くしたいという意思とお金がいいから医者になるという意思では目標は同じでも志が異なってくるということだ。前者は偉く後者は偉くない、それがこのことからわかるだろう。尤も…お金儲けの為でも高尚な理由というのは介在している。それはお金がどうしても必要な理由ということだ。事務員や作業員のような仕事よりも弁護士や医師のように人に近いか否か…それが結局は偉いかどうかの線引きになるだろう。勿論仕事をその肩書きだけで偉いかどうか決めるのも問題だと思われるが…(汗 結局何が言いたいかというと、仕事が就く難易度に応じた意思や努力が伴っているか…ということだ。やりたいことがはっきりしているかどうかというのは人それぞれだ。やりたいことがないというのは最近では多く見られることのようだ。私もその一人なので大きなことは言えないのだが…やりたいことがあるということは幸せなことだと思う。それを見つける作業からしなければならない私は圧倒的に不利な立場にいるように思える。ここからは抽象的な話になるので面白くないと思った時点で読むのをやめていただきたい。心情の吐露のようなものなので…。私がやりたいことがないというのは先ほども書いたのだが、毎日毎日やりたいことがないかどうかを探しているかと言われればそうではないと言わざるを得ない。要は考えていることとしていることが矛盾していると言える。一生懸命にしているつもりでも結果的には何もしていないということだ。これは多かれ少なかれ誰にでもあることだとある人が言っていた。何をしたいのかわからない、見えないということは目標の為に一分一秒も無駄にしないという生き方よりも確実に見劣りはするが、それは決まっている目標に向かうよりも何倍も難しいことなのだということを最近では実感し始めてきた。目標を見据えてそれに向かって努力することを階段を上ることに例えるなら、私のような人は何段あるのかわからない階段を上るのと同じようなことだ。しかもその階段がどこにあるのかさえわからないとも言える。まずは階段を見つけてスタート地点に立つことが大切なのだ。私はそういう意味ではまだ階段を見つけて拙くてもそれを上ろうとしている段階に過ぎない。興味があるかもしれない分野が見つかっただけなのだからそれくらいなのだろう。その遅さははっきり言ってジレンマなのだが私なりの生き方は私にしか出来ないのでこれも個性だと思いたい。もしも同じようなジレンマに悩んでいる人がいたなら、私から偉そうなことは言えないのだが、言ってみておきたいことが一つだけある。これは以前に「ある人」と称した人生の先輩から聞いた話だ。もし今自分がしていることが自分の目標に関係ないことだとしても…それを頑張らないといけないことをある意味強要されていたとしても…それに手を抜いてしまうことを悪いことだとは私には思えない。手を抜きたくて抜いているわけではないという心理を私自身が一番わかっているからだ。これは逃避でも無責任な主張でもない、成功者からすればそう見えるかもしれないが…全ての人間がそうではないことは自明だからだ。100あることに対して100の結果を出すことは確かに美徳とされるかもしれないが、それに対して20の結果を出すことも大事なのだ。したくないことの100に対して嫌々100の結果を出すよりも、したいことの100に対して20しか結果が残らないことがあっても私なら後者を支持する。そういうことを積み重ねて目標に辿り着くのもアリだからだ。結局何が言いたいのかよくわからなくて話が曖昧模糊となってしまった感はある(汗)卒業も決まり新しい生活への軌道が見えてきた今だからこそそのような軋轢に悩むのかもしれない、これは言い訳だと言われれば言い訳だ。誰しもが将来において明るいビジョンを展開しているわけでも明確なステップを視野に入れているわけでもない。やりたいことがあってそれに向かって努力しているという人と同じくらいの比率でやりたいことが見つからない人もいるわけだ。「取り敢えず」という観点からやり始めたことに生き甲斐を感じて天職になることももともと描いた夢に向かっていってそのまま天職となることもプロセスは違えど結果は同じだと考えている。向く向かないはやる前から決まるものではない、やってみて初めて面白いと思えることも世の中にはごまんとあると私は思っている。自分で可能性を狭めてはいけない、大切なのはやってみることだということを先ほどの人生の先輩から学ぶことができた。これはとても大きなことのように思える。私が一時期はまったUFOキャッチャーでも同じだ。取れそうもないからやらないでは一生景品は手に入らない、取り敢えず一端やってみることが大事なのだ。その結果取れなかったとしても、それはこのような積み方やアームの強さでは取れないということを学習したということで全く無駄ではないということだ。例が卑近で申し訳ないが…(汗)そうやって取捨選択を繰り返していってやりたいことに自ずと焦点を絞っていくやり方が私の望む生き方だと思っている。それをアルバイトという形で色々やってきたと一応自負している。勿論やり方が甘いという指摘は仕方ないとは思うが…。このような形式で私は来期からも生きていきたいと思っている。いつ自分に転機が訪れるのかはわからないが、それでも愚直にいくことが取り得だと思っているから。
Mar 9, 2007
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昨日に引き続き風邪を引いてます。かなり重い症状故にそんなに簡単には治らないとはわかっていたものの…流石に1日経っても全く回復傾向が見られないというのはちょっと怖いもので…不本意ながらも明日病院に行くことになった。幸いにして近くに内科がある、歩いていける距離なのでそこで済ませようと思う次第だ。それにしても風邪を引いて安静にしていないといけないということで寝てばかりいるとどうしても考えてしまうのが、昔のことだ。人間追い詰められると退行すると言うが、私もそういう意味では例外ではないようだ。ずっと昔に母親が作ってくれたものについて思い出していた。それはリンゴをすり潰したやつだった。私は昔から病弱で、何かあるとすぐに風邪を引くようなもやしっこだった。今でこそそうでもないが、何故か子どもの頃は風邪ばかり引いていてことある毎にいつも幼稚園を休んでいるような病弱っぷりだった。父親は仕事の関係でかまってはくれなかったが、私が風邪を引く度にいつも看病してくれたのが母親だった。その頃の行きつけの病院が車で40分かかるところにあるにも関わらず、いつもそこまで連れていってくれたものだった。そしてその病院から帰ってくると必ずと言っていいほどにリンゴをすり潰したものを食べさせてくれたものだった。風邪にリンゴがいいのかは今でもよくわからないが、消化がいいという点では効果があったらしく、それを食べると妙に回復が早かったのを覚えている。いつからか風邪を引かなくなりそれを食べる機会も減ってきていた。高校生にもなると風邪を引くということは3年間のうちで一度もなくなり、もう今となっては何年もそれを食べていないという状況になったのだが…1人暮らしを始めて日頃の不摂生がたたって風邪を引くようになると不思議とそれが食べたくて仕方なくなってくる。現に今風邪を引いているということでそれを作ってもいいのだが…どうもその道具一式をそろえるのが億劫で実行には踏み切れない次第だ。きっとあれはリンゴ自体に風邪の諸症状を和らげる効果があったのではなく、作ってもらうということに価値があったのかもしれない。お昼くらいに布団に包まりながらそんなことを考えていた。例え母親であろうと看病してくれる人がいないのは淋しいと思う風邪の昼下がりでした。笑
Mar 8, 2007
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頭が割れるように痛い。頭痛なんてもうしばらくしていなかったので…この辛さに改めて自分の矮小さを嘆くばかりだ。喉も劇的に痛い。某頭の体操番組のもやっとした時の○○○○ボールが喉の中に入っているようだ。はい、そんなわけで風邪引きました。しかも今回の風邪はまたもやインフルエンザが大流行した後の不発弾のようなものに偶然ヒットしてしまったようで…どうにもタチの悪さはインフルエンザと袂を分かつ位だと推測できる。今朝起きた辺りからどうも体がダルいなぁとは思っていたが、お昼を過ぎた辺りからはどうもお腹に違和感を覚えだした。もしかしたらお昼に食べたパスタがいけなかったのかもしれないが、もう食べてしまったものは仕方ない。軽く身の回りの整理をしてからちょっとだけ昼寝をすることにした。それがいけなかった。起きてみるといい感じの時間なのだが、如何せん喉と頭がやられていた。立ち上がっただけで針で刺されるような頭痛&喉のイガイガ感は過去に類を見ないものだった。こんなことならば昼寝を炬燵じゃなくて布団ですれば良かったと後悔したのだが…もうそれも遅い。私の人生は後悔することばかりのような気がするのは気のせいではないはずだ。風邪を引くといつも思う、自分が1人暮らしであることの不便さを。私は何事も大袈裟に考えてしまう癖がある。昔兄の友人を不慮の事故で怪我させてしまった時も、相手の親に謝りに行った後は部屋の押入れの中に閉じこもって、「あぁ、もう僕の人生は檻の中で終わるんだな…」ということを本気で考えていたような子どもだった。変な意味で心配性にターボがかかったような性格だと言える。結局その友人傷害事件があまり大きくなることもなく終わったのだが、それでもそのような癖は治らないままで現在を迎えている。少しのことですぐに騒ぐという周囲にしたらありがた迷惑な人間が私であると言ってもいい。過去、Rとよく電話やメールをしていた時にもその傾向は見られた。夜も11時くらいになれば人のバイオリズムとしては眠たくもなるだろう、メールの返信くらいなら明日にしようと考えるのはなんら不思議はない。しかしその頃の私は心配で心配で…もう終わったはずなのにメールを送ってしまったり、無駄に電話をかけてしまったりとかなりイタイ子だったような気がする。イタイと思うのは今がそうではないからだ。私も大人の配慮というものをRから教えてもらった。なのでもう連絡が途切れたとてぎゃあぎゃあ騒がないようになった。こんなことは中学生の段階で治すべきことなのかもしれないが…。話がずれた。そんなわけで風邪を引くといつもそのまま死ぬんじゃないかと子どもの頃から平気で考えている子どもだった。風邪で死ぬことはないとは言い切れないが、親もいるのだから死ぬなんてありえないことなのだが…昼下がりの居間ちょっと温度が低めの炬燵机の上には某飲料水テレビでは教育チャンネル鳥の囀り太陽の日差し子どもの楽しそうな下校風景そのようなものが相成って無駄に感傷的になってしまうのだ。色にすると明らかにセピア、しかもくすんだセピアだ。そんなわけで誰にも看取られずにこのまま死んでしまうんだなと風邪を引いたときはいつも考えていた。多少成長した今でもそれは基本通念が変わったわけではなく…重度の風邪、特に今かかっているような風邪を引いた時には考えてしまう。「ん~、今死ぬと仮定すると…発見されるのは明日明後日の話ではないな。。 となると…定期的に私のところに来る連絡から異常を察知するしかないのかぁ…。 すると親からの電話かブログを更新していないことに対する心配だよなぁ。。となると…死体は腐食!?」とここまで考えてバカらしくなってやめてしまう。いつもそうだ、自分が死んで何人の人が悲しむかを本気で考えてしまう。某性格判断サイトで「自分の値段をつける」というものがあった。友人に勧められてやってみたものの…私の価値は2400万円程度しか無かった。要するに世界一周旅行もできないほどに無価値な人間だということが判明したわけだ。その結果を横で見ていた友人は絶句して…どんな言葉をかけていいのかわからない感じだったと今では思っている(ちなみに友人は1億3千万くらいあった)。その設問で「自分が死んだら何人の人が泣くと思いますか?」という質問にも、その時の病んでいた性格上当たり前のように「5人以下」と答えたものだった。今その質問をされると私は…。まぁそんなわけで誰にも気づかれずにこっそりと瀕死の戦いを繰り広げている私である。笑ちなみに…こんなに長いものを書くくらいなら寝てろ!という意見は真摯に受け止める所存でございますm(_ _"m)
Mar 7, 2007
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一昔前まではスロッターだった。しかし故あってそれも封印し、自分の意思でスロットを打ちに行くこともなくなっていた。それはそんなものの為にお金を落とすという行為が如何に愚かであるかということに気づいたことが一番の原因だと自分では思っている。スロットを打っている人ならばわかると思うが、大体負ける時の平均は1万から2万くらいが相場だと言われている。まぁ勝つ時の平均も似たり寄ったりなので一概に損をするものだとは言い難いが…長いスパンで続けるのであれば全体の8割以上は負けに転じるようになっているものだ。勝ち続けることはほんの一握りの運の強い人だけの特権のような気がする。そんなわけでスロットもだいぶ封印していたのだが…この日に奇しくも打つことになってしまった。そんな経緯は以下の通りだ。私がしていたアルバイト、棚卸のアルバイトなのだが、それが深夜を基軸にしているアルバイト故に学業に専念しなければならない若い人というのはほとんど来ていないものだった。来ている人もいたかもしれないが、連続3連勤を普通に求められることを考えると10代ではほとんど無理なような気がする。そんな職場だった。だからなのかどうなのかはわからないが、私と同じくらい若しくは年上の方が非常に多くを占めていた。仕事の特性上、メンバーは8人を1クルーとして行動を共にする必要がある。深夜でテンションが妙になっていること・仕事終わりで更にテンションが上がることを考えると…普通のアルバイトよりもその仲が親密になることはわかりきっていたことだったが…それは私とて例外ではなく、始めて2日目くらいにはもうかなりその中にとけこんでフレンドリーな空気を作っていたものだった。そんな中知り合ったのが中野さん(仮名)だった。彼とはアルバイトを申し込んだ時期も同じで研修も同じようにやっていた人だった。研修期間中はそこまで仲良くもなかったのだが、研修も終わり実地に入ると話すようになり、年齢が近いこともあってだいぶ話すようになっていた。彼もまた大学生であり、私とは1つ違いだった。ある仕事終わりの時、ふと話が趣味の方向へ向かったことがあった。それで私が以前だがスロットをしていたことがあったと話すと偶然彼も同じ趣味を持っていたようで、それ系統の話で意気投合できた。そんなわけで親睦を含めて仕事終わりに打ちにいこうという話になったのだ。それが今日、この日だった。ここからは少し変な意味で専門的な話になるのだが…この日の前の日はリオのデビュー日だった。私は昔打っていた頃ブラックジャックにちょっとだけはまっていたことがあった。しかし私が打ち始めた頃はもうブラックジャックは撤去されてしまっていてホールにはなく、仕方なくゲームセンターで打ち続けるような悶々とした日々を過ごしていたものだった。なので他の4号機に手を出したり、あまり見聞を広げようとはしなかったものだった。しかしブラックジャックの流れを汲むリオが出るということで私は密かに期待していたものだった。もうスロットはやめたので打とうとまでは思わなかったのだが、それでも打つ気0というわけではなく…まぁ出るんだなというくらいになっていたものだった。そんな偶然でちょうど中野さんと打ちに行く日がリオがデビューする次の日だったこともあって、それなら打ってみようと思ってリオに照準を合わせていた。私としては5号機に対していいイメージがなかったのだが、リオならばそれを越える面白さがあるだろうと踏んでいたものだった。そんなわけで久しぶりに打ちに行ったのだが…これが思いのほか出たものだった。最初こそ飲まれそうになりながらも、一端ビッグを引くとそこからノンストップで7連チャン、出玉は1500枚くらいまで増幅した。RTではないにせよ、一応AT搭載ということで引き戻しは充分に可能で…大きなはまりもなくコンスタントに出していったものだった。やはりリオとは相性がいいんだなぁとほくそえんでいたのも束の間、連チャンを抜けると怒涛の1060ゲームはまりでほとんどコインを飲まれてしまった。中野さんは早々に他の台に移っていって姿は見えなかったのだが、かなり出ていたようだった。流石スロット歴が長いだけあって見切りの速さは一級品だと感じたものだった。それでもうほとんどコインが残っていない状態で息も絶え絶えになりかけていた頃、不思議なことが起こった。従来から置かれている台ならば情報も出回っていてどのような疑問でもその手のサイトに行けばばっちり解決できるのだが、リオに関して言えばまだ投入されてから1日なのでその疑問について答えてくれる人がいないので今も悶々としているのが現実だ。以下に状況を記していく。一端は結構出したのだが結局大きなはまりに遭ってコインも飲まれてしまい…もうやめようかと思った矢先にまたビッグを引いてそこから3連した。リオとはビッグを引くとそこからリオタイムに入るのだが…このリオタイムとは通常平均50ゲームくらいで終わるようにできているらしい。しかし私が引いたリオタイムは…なんと613ゲーム過ぎても終わらなかった。リオタイムが終わるけいきである対決演出には12回も発展したのだが、そこからまたリオタイムに戻るという堂々巡りを続けていた。店の人に聞いても勿論わかるわけもなく、結局3連した分のコインは飲まれてしまい、リオタイムが終わらないまま店を後にすることになった。確かに説明書には「リオタイムは最低20ゲームは継続」と書いてあり、最高何ゲームとは書いていないのだが、それでも613ゲームも継続するのは明らかにおかしいような気がする。横で同じ機種を打っていた人も何度もこちらのゲーム数を確認して不思議そうにしていたものだった。この現象についてご存知の方がいらっしゃれば是非とも助けていただきたいものだ。不思議で不思議で仕方ない。軽いストレスだ_| ̄|○
Mar 6, 2007
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暖かくなったと思ったらまたすぐに寒くなったり…やっぱりこの時期が一番服装にも気を遣う時期だと思う。朝の感覚で服装を選んでいてもそれは昼頃になると暑くなってきたり、その逆もまたありうる状況だと言える。しかし確実に暖かくなってきているとだけは言える。そのことに関しては素直に歓迎だ。春は花粉症を除いては比較的気温も落ち着いていていい時期だからだ。桜が咲く頃には余計にそう思うだろう。今年こそ花見がしたいが…そうも言ってられないかもしれない。何故なら私は1人だから。笑まぁそんなこんなで少しづつ春めいてきたのだが、今回のテーマはそこに少しだけ関係している。春になると鳥を見かける機会が多くなる。鳥と言えば一般的によく見られるのが鳩なのだが、鳩は1年中どこにでもいるような気がする。雀と同じくらい温度とか季節に影響を受けない種類のようにも思える。都会ならば駅周りに多くいるのが鳩だし、田舎ならば田んぼとか木とかそこら中にいるのが雀だ。烏に至っては見たくもないのにそこら中にいる。下手に都会に慣れてしまった結果、人間を異種と見ることもなく堂々とゴミを漁っている姿を私が住んでいる田舎のところでもよく見かける。ゴミを出す方法にそもそも問題があるのだが、それは田舎故の「出しやすさ」を強調してのことか…お役所仕事のどちらかだろうが、個人の見解では明らかに後者だと思う。いつまで経ってもそのゴミだしの方法が変わらないのは上が現状を知らないからだ。いつだって困るのは下の者、ここでは庶民だ。これはまた別のテーマと派生するのでこの辺で割愛。動物というのは風土や季候的な制約を受けて、都道府県毎に異なる生態系を築き上げているのだが、その括りに拘らないのがこの3種だ。雀はほのぼのとして見れるが、烏をほのぼのとして見る人はいないだろう、それは鳩にしても然りだ。糞の問題もある、それほど環境に適応して欲しいかどうかは完全に個人によるところも大きいが、多くの人は反対派だと思う、あくまで主観だ。とこのようにどこにでもいて当たり前になりつつある3匹なのだが…時々疑問に思うことがある、それは鳩と雀と烏の子どもはどこにいるのだろうか?ということだ。燕であれば家の軒先に巣を作っていてヒナの様子は見えるし、それが餌をあげる側の大人の燕とは異なることはよくわかる。もう一つメジャな例で言えば鶏もそうだ。鶏の子ども、つまりヒヨコは見るからに鶏とは異なる姿をしている。それに養鶏場で飼育されている様な映像を見るとヒヨコなんてそれこそ膨大な数存在している。上述の2匹の子どもはそのように観察可能だ。しかし鳩・雀・烏の子どもは一体どこにいるのだろうか?考えられるのは人の目線の範囲、目の届く範囲に巣を作っていないということだ。3匹は全て鳥類に属している。それはつまり卵を産んで育てるということを意味しているのだが、その卵がある状態さえも見えない位置で行われているという考え方だ。こと烏に関してはその考え方で通る。都会の烏はどうなのか知らないが、私の地元では夕方になると烏は近くの山に帰っていったものだった。そこに巣があると考えれば…人間の目につかないのも理解できる。しかし鳩はそういうわけにはいかない。例えば駅のホームやロータリーに住み着いている鳩を考えてみると、その鳩は大体夜もその駅の鉄骨の上で寝ていたりする。帰巣本能がないのかどうかはわからないが、明らかに1年中そうしているのは自明だ。そうなると一体どうやって子どもを生み育てているのかが疑問に思えて仕方ない。しかしだからといってその3匹を常に監視しているような暇な人はいないだろう。どこかに巣を作っていると考えるのが当たり前の帰結だし、無から急に出現するなんて言う異論を言うつもりもないのだが…それにしても思うのは…生まれたての3匹を見てみたいと強烈に思う。今までの人生で生で生まれたての鳩・雀・烏を見たことがある人はいらっしゃるだろうか?かなり興味深いがくだらないと言えばくだらない。また簡単な内容を引き伸ばし引き伸ばし書いてしまった_| ̄|○
Mar 5, 2007
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コートのような大きなものはもう必要ないほどに暖かくなってきた。しかしだからと言って薄着で出かけるとちょっと寒い。風邪を引く時期というのはこのように寒すぎもせず暖かすぎもしない時期に起こるものなのだと少し納得したものだった。普通の大学生ならば今の段階で卒業できるかどうかということはわかっている。それは単位修得を計画的にしているからだ。おおよその大学には規定単位数というものが設けられていて…4年間で計画的に取るということを推奨している。その数は大学によっては異なるかもしれないが、私の大学では124単位とされていた。私は基本臆病な性格であるが故に、1年生の時には熱心に学校に通っていた。勉強すべき内容が多かったというところもあるが…自分の生活が一変したことが一番大きな理由だった。今になって考えてみると1人の淋しさを紛らわす為に遮二無二大学に通っていたような気がする。取り敢えず大学に行けば人はいる、知らなくても多くの人がいればそれだけでなんとなく落ち着いたし勉強をする、ひいては単位を取るということに関して言えばそれもマイナスのことではない。なので私は一生懸命に自転車を漕いで大学に行っていたような気がする。しかし1年生と2年生で多くの単位を修得し、そして3年生になった辺りから1人暮らしに慣れてきたこともあって大学に行く頻度が落ちてきた。それは当然の成り行きというか…まぁ怠け者である私ならではの余裕あっての行動だったような気がする。コンスタントな単位修得に陰りが出てきたのはこのあたりだった。そんな自分がいることに焦って、3年生の春は大学生活で一番頑張った。友達と遊びに行く(というほど友達がいるわけではないが)のもそこそこに大学に行って勉強していた。考えてみれば、頻度的にはかなり行っていたのだが、自分が勉強している内容についてはほとんど知ろうともしなかったような気がする。経済なんて面白くないと頭から決め付けてどこか一歩引いたところから見ていたのかもしれない。そういう意味ではしたくもないことを据えた目標の為に仕方なくしていたようなものだった。計画的単位修得が危ぶまれたのは4年生になってからだった。残り10単位となったのだが、そこでぎりぎりの講義数しかいれなかったのがそもそもの間違いだった。それに過去にやったことのある講義をもう1度受けるということも関係していたかもしれない。そのせいで4年生の後期で3単位を残すことになってしまった。しかし4年生になると大学最大のイベントである卒論が待っている。大学によってはこれを自由意志で決めるらしく…義務化しているところでは提出条件も厳しく、しかしそれに見合っただけの単位が与えられる。一方義務化していないところでは提出条件はさほど厳しくないのだが、単位数は一般的な講義と同じ数しか貰えないことになっている。私の大学は後者で…書くも書かないも自由だということだった。しかしそのような単位認定になっているということは、逆を返せば「書けば単位が貰える」ということだ。マークシートのように完全に白黒つけるわけでも、論述試験のようにある意味教授の考えを汲んでいるわけでもなく、その中間…グレーゾーンのようなものが卒論だ。そこには的を射ているか否かだけでなく「情」という加点も入ってくる。点数云々だけでなくよく言えばフレッキシブル、悪く言えば媚びることが可能なのだ。そんなわけで私は単位欲しさに卒論を書くことにした。なんのかんの言っても卒業できなければ負け組みだ、それっぽい言い訳を作って逃げるほどヘタレではない。幸いにして残りの1単位は確実に拾える段階にきていた。なので卒論を受理されるか否かだけが卒業できるかどうかのボーダーとなっていたわけだ。そしていざ卒論を書いた。それは何度かこのブログに経過だけだが書いているので知っている方もいらっしゃるとは思うが…それを提出したのは2月の終わりごろだった。しかし学校システム全てに言えることだが、出してすぐに結果がわかるわけではない。なので卒業できるかどうかがわからないまま昨日まで悶々として過ごしてきたのだが…やっと昨日になって実家から電話がかかってきて、卒業できるということがわかった。普通こういうことは本人に大学側から告げるべきことなのだと思うのだが…まぁ卒業できるならそれに越したことはない。そんなわけで後は卒業式を迎えるだけと相成った。長かった大学生活にも終止符だ。卒業を受けての感想を一言で言うのなら…なんだかあっけなすぎて脱力だ。笑
Mar 4, 2007
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先日地球温暖化について書いたのだが…私が大学で勉強していた専攻科目と地球温暖化に対する人類の行動というものに近似するものがあることに気づいた。遥か昔に書いた内容とも通じるところがあるのでそこについても関係させて書いてみようと思う。今回はちょっとだけ私の専攻科目の内容になる。しかしアカデミックな内容などとは程遠いことは確実に言えることだ。まぁ私としてもアカデミックでない且つわかりやすくて面白いというところに惹かれてこれをやっていた感もある。というわけで本題だ。人間というのは心理的に自分が楽にできる方向へ靡く傾向がある。それはある程度の文化や知的レベルを有しているという土台に立つことになるのだが…そこは不問にしないと議論が進まないのでその理論に立ち入ることはやめておこうと思う。それはある経済学的な問いをニューヨークの若者にするのとマサイ族の若者にすることに似ている。生きている環境に文明の利便性が入っているか否かが答えに大きな違いをもたらすことになるので、今回は文明の利便性を享受しているという仮定でいこうと思う。私がやっていた学問というのが公共経済学という分野だった。それは所謂ファイナンスや株における経済学というよりも、平たく言えばもっと人間に近い…しかし概念的な分野だと言える。以前に村祭りでのお神酒の話を書いたように思うが、そのようなことを基本概念として形成されているものだ。一言で言えば公共財だ。公共財とは「みんなで仲良く使う」ということを基本理念にしている。例えば車が1台、人間が2人いたとする。Aさん・Bさんがともに車に対して100万円の価値があったと判断したと仮定しても、車は運転できるのは1人だけだ。Aさんが運転している時にBさんは運転できないし、その逆もまた然りだ。助手席に乗っていることに価値を見出す人がいないのでその公式が崩れることはない。故にその車のAさん・Bさんの下した価値というのは100万円でしかない。このように1人からしか価値が得られない財のことを「私的財」という。それに対して「公共財」というのはみんなが1度に利用できるものを指す。それは橋であったりトンネルであったり信号であったり灯台であったりする。例えば離島と離島を繋ぐ橋が架けられたと仮定して、AさんもBさんもその橋に100万円の価値があったと判断したとすると、その橋の価値は合計の200万円ということになる。離島と離島を繋ぐということで便利だと思う人は多くいるだろう、その人口が多ければ多いほどその橋の価値は結果的に高くなっていくことになる。これが私的財との大きな違いだ。車の場合は価値を正当に判断する人間が100人いようが200人いようが、乗れるのは結局1人なので、価値はどこまでいっても乗る人の価値観によって変動することになる。つまり私的財と公共財の違いは「独占できるか否か?」ということになる。そのような勉強をしていたのだが…これが全ての出発地点だった。それに関連して村祭りのお神酒の話を書いたのだが…きっと覚えている方もいないだろう。敢えてここでは書かないこととする。詳しくは以前の内容から掘り返していただければ幸いだ。まぁそんなわけでやっと本題になるのだがこの「村祭りでのお神酒」の話と同じことが地球温暖化の対策においても言える。簡単に言ってしまえば、どんなに強固で抜かりのないシステムを構築したとしても、それを守る人間側が守る気持ちがなければそれには何の意味もないということだ。例えば地球温暖化に最も影響があるとされる二酸化炭素の排出をするもので有名な冷房や暖房といった空調設備に対して設定温度を下げて地球温暖化を食い止めよう!というキャンペーンが出たとしても、そこにはするかしないかという選択肢が存在している。どうしてもという緊急性があるわけではない、ある意味ボランティアと同じものがあるからだ。それを選ぶ権利が施策側にないとすると、それを守ることをしない…つまり酒樽に水を入れた若者のような人が蔓延してくることになる。それを自助努力に任せている段階で政府は本当に実行する気がないととられてしまっても仕方ないとも言える。だからといって法整備するにはまたそれなりのごたごたが待っている。税金に関することを国会に通すのが大変なこと、つまり一般市民が生きていく上で障害となるものを法整備するのが大変なことを考えるとそこに時間を割くのは得策とは言えない。上手くいかないことを法で縛るのは国の体制としてよろしくない、法律は生活を円滑にする為にある、それは人を縛るものであってはならない。その齟齬が余計にこのような軋轢を生んでいるような気もするのだが…。自由にしても法整備を敷くのも間違っている、ではどうすればいいのか?それは簡単なことだ。それを選ばざるをえない状況を作り出せばいい。冷房や暖房といった空調設備に関して言えば…所謂政府が推奨する設定温度までしか機能しないものだけの市場にしてしまえばいいのだ。しかし冷房・暖房というのはすぐには効かないという欠点がある。設定したい温度にしたいが、その温度にビタでしてしまっても求めている温度になるにはそれなりに時間がかかる。なので求めている温度に早く近づける為に、その温度よりも3℃か4℃くらい差をもたせて空調を使うという人もいるだろう。それが出来ないとなると苦情が出るかもしれない。しかしそれだって技術を持ってすればさほど難しいことではない。つまりは多くの設定温度という幅を持っているからこそ、それに対応する温度にする為に無駄な労力を割いているに過ぎない。その幅を狭めてしまえば、必然的に1℃毎の温度到達も早くなり、今までよりも効果的な空調になることが予想できる。それだけでなく、地球温暖化対策にもなるので一石二鳥だ。そうは言っても結局はそれが出来ないとなると…様々な要因が絡んでいることのように思う。こんな一個人が想定できる内容などというのは、お偉い方々は10年以上も前から考えていることのように思える。「しましょうしましょう」という概念はやめた方がいい。それをせざるをえない状況をどれだけ自然に作り出せるか、それが選択肢を持たせるということだと言える。拘束するだけなら動物でもできる。高等動物だからこそできることをすべきだと思うのは私だけではないはずだ。しかし考えてみれば今日は雛祭りだ。所謂桃の節句であるにも関わらずこのような内容を書いているあたりは…私らしいと言えばらしいが、時代の流れに沿っていなと言えばいないだろう(汗)
Mar 3, 2007
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変な夢を見た。本当に妙な感覚で…起きてからも頭の上でははてなマークが横行するような状況だった。夢というのは起きてから思い出そうとしても思い出せないものがあるのだが、この夢だけは妙に頭の中に残っていてどういう深層心理なのかを探ってみようと思えるほどだった。そもそも舞台は実家だった。実家なのに兄がいた。まぁ実家に兄がいることはそうおかしいことではないのだが…一緒の期間に休みがブッキングすることがないので不思議だったのだ。それで久々の休みなので兄弟水入らずで過ごそうと…久しぶりに帰った地元をドライブしようということになった。まぁ私と兄は今になっても周りが若干気持ち悪くなるくらいに仲が良いので、それは事実に基づいたものだということはわかった。ドライブしていたのだが、本来何もないはずのところに何故か変なアミューズメントパークが出来ていた。しかも東西に分かれていて、西館はまだメリーゴーランドの木馬にビニールがかぶせてあるくらいの体たらくだった。しかし東館は完成していて一般に公開されていたので、興味があったこともあり二人で行ってみることにした。入ってみると何年前のアミューズメントパークかというくらいに古い設定のもので、入ろうとか嬉しそうに言ったくせに入って一瞬で飽きてしまった。周囲を散策していても古い仕様の乗り物やお土産コーナーみたいなところばかりで、すっかりへきへきしてしまったものだった。しかしよく見てみると…ゲームセンターのようなところの奥に変に煌びやかな扉があることに気づいた。兄が何かわけのわからないものに熱中している間にその扉を開けて中に…。すると何故か扉の向こうは講堂で…今まさに講義の真っ最中だった。しかも講義のタイトルは「家計財政論」という小難しいタイトルだった。まぁ折角入ったのでその講義に登録しているかどうかわからないので出席していいのかを若干迷ったものの受けてみることにした。受けていると内容は簡単で板書をノートに写しながら講義を受けていると…物凄く自然に兄も来て講義を受け始めた。どうやら兄はこの講義を登録しているようだった。よく考えると兄は社会人なので大学の講義(らしきもの)を受ける意味はないのだが、その時は「あっ、登録してたんや」と自然に受け入れてしまった。こういうところが夢のすごいところだと思える。不自然な状況でもすぐに順応するあたりが夢の飽きさせないところだと思うわけだ。そんなわけで講義を受けていたのだが、ふと気づいて周りを見てみると立ち見が出るくらいに盛況していた。しかも私が座っているのは左側の最後尾だったのだが、立ち見をしている人はみんな私の小学校の頃からの知り合いばかりだった。しかも…ここが一番おかしいのだが、みんながみんな私がしているアルバイトの制服を着ていた。よく見ると隣に座っている女の子もアルバイトの制服を着ていた。なので私はその不合理にもすぐに馴染んで「あっ、君もやってたん?」とフレンドリーに聞いていた。するとその女の子も「うん、まだ研修中やねんけどね」とさぞ当たり前のように答えていた。ちなみにこの女の子に見覚えはない。初見なのにいきなりフレンドリーに話しかける辺りはリアルの私とはまったく異なる部分かもしれない。終始和やかな雰囲気で講義は終わったのだが、講義終わりに何を思ったのか教授が「学生証番号○○○○○の×××君(私のこと)、ちょっと来なさい」と言われた。しかも呼び出す時に私の名前を間違えていた。確かに私の本名は珍しい苗字+噛みそうな名前なので間違えられることは多々あるのだが、その教授は露骨、言ってしまえばありえない間違え方で呼んでいた。最初は自分が呼ばれていると気づけないほどの見事な間違えっぷりだった。しかし学生証番号は私のものだったので、久しぶりに会った友人と積もる話もしたかったのを我慢して渋々教授のところへいった。教授のところに行くと、書類を持って同一人物かどうかを確認していた。しかしその書類に書いてある私の名前も違っていた。あぁ、この人の言ったことはある意味間違ってなかったんだなと妙に納得したのだが、名前を間違えて呼ばれたことに若干腹を立てて教授が何を言うのか待っていた。すると教授は「君はこの講義の課題を出してないね」と言われた。私はこの講義に出るのが初めてなので課題なんて出しているわけはない。しかし出していないことは事実なのですみませんと素直に謝ることにした。しかし頭の片隅では「どんな課題だったんだろう、ちょい聞きたい!」とうずうずしていた。するとついてきた友人が横で「あの家計簿のやつですね」と言っていた。今日び大学の課題で家計簿をつけるなんてことをするのかとちょっと笑いそうになったのだが、若干ご立腹の教授を前に笑うわけにはいかなかったので我慢していた。用事も済んで帰ろうとドアを開けると…何故かその先は中学校だった。しかも私が卒業生で、在校生が卒業式の練習をしているところだった。まぁそんな光景を頑張っているなぁと横目で見ながら帰ろうと兄の車に戻ろうとした時に、教室に忘れ物をしていることに気づいた。なので教室に戻ると…何故か教室はさっき講義を受けていた教室ではなくて、本当に中学生の頃の教室に忘れ物が置いてあった。それが何なのかは思い出せないのだが…。教室に入ると…これまた中学校時代の友人がこれまた何故か格闘着を来て待っていた。ここで私は何故かその友人と戦うことになってしまい、結局そのままバトルへ…。数分間戦った挙句に私はその友人に勝つことができた。これで終わりかと思えば、不合理な第2回戦と言われ、しぶしぶ了承することに。ここでも何故か納得してしまう私…_| ̄|○第2回戦の相手は誰かと思っていると…これまた中学校の頃のちょっと太っている知り合いだった。これは勝てる見込みはないなとちょっと思ったのだが、戦わないわけにはいかないので戦うことに。結局予想通り負けてしまった。負けても何もないと思っていたのだが、何故かその太った友人が私に馬乗りになって「罰ゲーム~」と言って、カッターナイフで背中に文字を書かれてしまった。その文字というのがバカバカしくて…なんと… 「信長」だった(笑)何故信長なのかまったく理解できなかった。確かに戦国武将の中でも強いっちゃ強いのだが…私自身そこまで好きではない武将だった。その名前を背中に彫られるということがどういうことなのかいまいちわからなかったのだが…まぁそれで忘れ物を回収して帰れると思って急ぎ足で帰った。そこで夢は終わった。寝起きですぐに確認したのは背中だった。しかし当たり前のように傷もなく、夢だと気づくのに数秒を要した。しかしその信長の一件よりも気になったのは夢の中での私の格好だった。上は白のワイシャツだったのだが、下はケミカルウォッシュだった。いまや探しても見つけるのが難しいケミカルウォッシュ…驚くほどの時代錯誤っぷり(笑)妙な夢を見た後は妙な感覚に襲われるものだ。そういう意味でわけのわからない夢としては機能を完全に発揮したと言えるだろう。こんな意味不明な夢はもう二度と勘弁だ。ネタだと思われても仕方ない体たらく、自分で書いていても恥ずかしい限りだ(汗)
Mar 2, 2007
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嫌いな食べ物というのは誰にでもあることと思う。一応私も多くの人と触れ合ってきて、深く知り合える関係になれば嫌いな食べ物について聞くこともある。それはただ単に興味があるというだけでなく、その食べ物を嫌いな理由について聞くのが面白いからだ。嫌いという評価は簡単に下るものではない、様々あってそのような決定要因に繋がるものだ。時としてそれは偶然に引き起こされたものであることもままある。各言う私も嫌いな食べ物はある。それはいつぞやも何度も書いたかもしれないが、胡瓜だ。これだけはどうしても食べられない。漬物にしたり、酢の物に小さく薄く切って入れてある分には全く問題ないのだが、胡瓜の漬物やサラダ等の厚切りされているものだとその時点で絶対に無理だ。なんというかあの…表面のぶつぶつさ?胡瓜独特の青臭さ?口に入れた時のどこまでも広がる味気の無さ?そのようなものが相成って嫌いという総合判断を下した次第だ。後は鰯もそうだし、フレンチトーストもそうだ。鰯に関しては味は好きだ。しかしあの小骨が多いところがどうしても歓迎できない。フライにしてカラッと揚げてしまえば問題ないのだが、煮付けや焼く(という調理法はこと鰯に関してはあまりメジャではないかもしれない)という方法では小骨が生き生きしていてどうにも歯茎に刺さるような感覚でイライラするので嫌いになった。骨がない鰯があればそれは大歓迎だ。フレンチトーストに関しては、生に近い卵が嫌いなことも関係しているかもしれない。昔から目玉焼きは黄身の部分を割っても黄身が溢れ出さない程度まで固めないと食べられないような我侭な子どもだった。自分で作ってみるとわかるが、あれは何気に手間がかかる。半生の方が効率的だと気づいたのは自分で作るようになってからだった。だが、外郭だけ固まっていれば、中が如何にとろとろだったとしても全く問題なく食べられるのだ。むしろその囲まれた黄身に醤油を一滴垂らして食べるのが最高に好きだった。しかし生の卵は嫌いだった。卵が前面に出すぎているような食べ物も特に好きということはなかった。なんというか喉に違和感があるのだ。もしかしたらアレルギーかもしれないと1度病院で検査をしてもらったのだが、アレルギー反応は出なかった。なので単純な嗜好の問題だとすっぱり諦めることにして、生の卵にそこまで深く関わらない人生を選択しようと思ったわけだ。なのでその卵が前面に出ているフレンチトーストは苦手というわけだ。1度だけ母親に作ってもらったことがあるのだが、今までにないようなテンションで今後の定番化を拒否したので親もわかっていることと思う。そんなわけでプロフィールにもそのように書いたのだが、実は私にはもう一つエピソード付きの嫌いなものがある。如何な嫌いなものでも1年に1度は食べる機会があるとは思うが、私はその食べ物をもう12年食べていない。味に関しては未知数だと言える。以下にそのエピソードを書いてみようと思う。今回のテーマはそこだ。単刀直入に言えば、私が食べられないものは中華丼だ。これを嫌いになったのには大きな訳がある。これは先ほども書いたが今から12年前の話だ。私は当時10歳で小学校4年生、可愛くない盛りだった。それまで中華丼を食べたことはなく、その日は中華丼を初めて食べることになった。その日は土曜日で学校はお昼までで終わり、12時前にして家に帰ってきた。帰ってくると兄がもういてテレビでも見ながらお昼ご飯を食べることにした。その頃母はパートに出ていて、土曜日でもお昼から仕事だった。なので土曜日には母の用意したご飯を食べることにしていた。いつもはラーメンだったのだが、その日はいつもラーメンで飽きてきただろうと察してかどうかはわからないが、簡単に作れるという中華丼の素が置いてあった。なので作り方に従って作っていった。その時には先ほども書いたように中華丼というものを食べたことがなかったのでどんな味なのか楽しみで仕方なかった。まぁ素には出来上がりの絵があったので味の想像はしやすかった。しばらく温めた後完成したので兄と揃って食べ始めたのだが…一口食べてから明らかに味がおかしいことに気づいた。しかし味の基盤がないのでこういうものだと思って食べ進めていたのだが、3口ほど食べるともう気持ち悪くて仕方なくなってしまった。それで兄に「これ美味しい?」と聞くと兄も「いや、不味いよな。これこういうものなんかな?」と不思議そうにしていた。その直後だった、急な吐き気が来てトイレに駆け込んで吐いてしまった。しばらくして落ち着いてから居間に戻ってみると、兄がいなかった。探してみると台所の方でグロッキーの兄がいた。どうやら兄も吐いたようだった。その後妙な満腹感があり、その中華丼には勿論手をつけず母が帰ってくるまで遊びながら待っていた。母が帰ってきたら勿論猛抗議だ。これはこういう味なのか?腐っているような味がするのが中華丼なのか?と問い詰めたところ、どうやらそれは不良品で腐っていたようだった。それからだった、中華丼が数年間家族間でタブー視され始めた。当事者である私と兄は勿論、父も母も中華料理屋に行っても絶対に中華丼を食べなかった。中華丼はどう?とか勧めることもなく、こと私の家族に関してはメニューにあってもあってないようなぞんざいな扱いを受けたものだった。それから時間が経つこと12年、未だに私は中華丼を食べたことはない。それは兄も同じようで…今となっては完全に笑い話になっている。兄と会う度に「中華丼食べた?」と聞くようになった。3月1日現在、まだどちらも挑戦はしていない。ちゃんとしたところで食べれば勿論美味しいということはわかっている、しかしどうにも挑戦する意欲が沸かない。お互いにいつになったら中華丼が食べられるのやら…(笑)こうした経験からわかることは…初めてやったことに嫌悪感を感じてしまうともうダメだ。珍味に然り遊園地の乗り物に然りだ。そういう意味では私と兄にとっての中華丼は毒物的存在であり、その効力は12年にも及んでいる。こういう経験がある方は他にもいらっしゃるだろう、自分だけではないことを祈りたいものだ。
Mar 1, 2007
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