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携帯電話を握り締めたまま寝てしまうということがよくある。しかも誰からもメールや電話が来ないという状況で(笑)携帯電話を目覚ましに使っているという人はどれだけいるのだろう?アラームの機能がついている時点でそのような活用法があることは自明なのだが、それでも1人暮らしの人にはその傾向が強いかもしれない。確かに実家暮らしでも携帯電話をアラーム代わりにして起きている人もいるかもしれないが、それでも家に1つも目覚まし時計がない人なんていやしないだろう。もしかしたら併用しているのかもしれない。まぁそこまでしないと起きられないのはどうかとは思うが。起きなければならないという意思、そして自分自身の力(目覚ましを使っている段階で自分自身という表現も何かおかしい気もするが)で起きなければならないという切迫した状況が1人暮らしにはある。勿論実家暮らしの人でもそのような状況になるのかもしれないが、様々なシーンで1人で何かをしなければならないというケースの多様性を考えてみると、やはり1人暮らしの方が起きるということ1つをとってみても大変なような気がする。まぁだからと言ってどちらが優れているとかどちらが劣るという類の話をしたいわけではない。まぁ…この歳になって親に起こされるというのもなかなかシュールなものなのは言うまでもないが(笑)それに関連して私だけの癖かもしれないが、最近に始まったことではなく、私は妙に変なことをしてしまう傾向にある。前述した通り私は携帯電話でいつも起きているのだが、その際寝惚けてか否かは定かではないが、いつも携帯電話を折ろうとしてしまう。気持ちよく熟睡しているところ(かどうかはわからないが)携帯電話の大きな音で起こされるのだ、いつもそのように携帯電話を折ろうとしてしまう心理は簡単にトレースできそうなものだ。要はそのような大きな音がなる根本を排斥しようとするのだろう、その音の原因が携帯電話だということはすぐに察知して…その音が鳴っている携帯電話を折ろうとする。なんだかそこから私の深層心理域ではワイルドな性格を醸し出しているような気がしないでもないのだが…未だに一度も携帯電話が折られた無残な姿を晒していないということは、後一歩踏み込んでいないということを意味しているのだろう。まぁ正味な話、折ってしまっては笑い事ではないが(笑)何故こんな話をしたのかというと、そのようなことをまたしてしまったからだ。どうにも内に秘めた破壊衝動というのか何と言うのか…困った癖だといったところだ。では本題へ…先日の日記をもって見事総合計が500件を超えた。500件を超えたということは毎日更新したとしても1年と4ヶ月ちょっとになる。よくもまぁここまで続いたと我ながら感心してしまうものだ。それというのも私がAB型だからかもしれないが、どうにも飽きっぽい部分があるからだ。昔小学校低学年の頃、私は漢字の書き取りを誰に言われるでもなくやっていた。それは漢字の書き順やその漢字の成り立ちのようなものをノートに書いていくという手法のもので、何が面白かったのか今となっては定かではないが、いつも学校から帰ってくるとランドセルを下ろすのもそこそこに漢字のノートを開いて一心不乱に勉強していたものだった。その知識が今役に立っているかは度外視するとしても、当時はそのお陰で学校の漢字テストで困ったことはなかった。そこから得たものは継続することは力になるということだった。結局そのノートは何冊に達したのかはわからないが、ノート1冊書き終えて書き連ねた漢字を眺めながらページを捲っている時が一番嬉しかった記憶がある。我ながらもの凄いベクトルに興味が向いていたと恥ずかしくなるような話なのだが、それはそう、3年くらいは続けていた。それ以来色々なことにチャレンジするものの、趣味の幅を超えた何かを数年レベルで続けるということは出来なかった。それはそのものに対する興味が途中でなくなってしまうというあの血液型の特徴を見事に継承していると言えるかもしれない。それからというもの、私の中で何か始めようと思っても半年続けばいい方だった。勿論趣味の方は継続している、それ以外での話だ。そんな中自分で稼いだお金で買ったPCとそれにつけてきた環境であるインターネット、そこで知ったブログという存在。そこに興味を持って始めたのだが…見事あっさりと1年を越し、そろそろ1年半になろうとしている。その中間にある500件突破。地味だがこれも1つの節目だと思っている。そして私のブログには面白いジンクスがある。それはキリ番を知っている人が踏めないというものだ。先ほどアクセスカウンターを見たところ、44444はもう通過していた。誰だろうと思って見てみたところ…またプロバイダ名しか出ていない方だった。これではお礼に馳せ参じることも出来ないというものだ。なんだか嫌な予感もするが、50000こそはお礼に参りたいと思っている。どれくらい先になるのかはわからないが、そこには副賞も用意する所存だ。まぁ関西人のセンスが問われるので準備は念入り且つ慎重にと言ったところか(笑)まぁ兎に角無事に500件を迎えることが出来て満足だというものだ。次は1000件にこのような内容を付記しようと思う。我ながら節目のセッティングに甘い辺り…子どもだと思いながら。。
Jul 31, 2007
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朝起きてもあまりすっきりした気分ではない。それというのも前日に体調がよろしくなかったからなのだが、まさに前述(昨日の日記参照)の通り、休まないで仕事に行くことよりも休むことによるリスクが高いということは自明(あくまで主観)だ。なのでちょっとだけだるさが残る中仕事に向かうことにした。道中何かを食べるべきか否かをずっと悩みながら歩いていた。私は風邪を引いたり体調が崩れてしまうとだるさ故に何も食べないという困った癖がある。1人暮らしなので当然食事の用意も自分でしなければならないし、仮に自炊しないとしても何か食べるものを買ってこなければならない。真面目な1人暮らしをしている人ならば家の中にそれなりの食料を備蓄しておくもののようだが、生憎と私にはそのような繊細な癖は身につかなかったようだった。そんなわけで体調不良をいいことにほとんど何も食べないままに仕事に出かけたので…職場に向かう最中でどうしようか迷ったというわけだ。まぁ何を迷うことがあるのかと思うかもしれないが、私にとって朝ご飯を食べるかどうかというのは結構なレベルでの死活問題だと言える。前の日記にも書いたかもしれないが、私はexcelで家計簿をつけていたことがあった。それはある目標の為につけていたもので、もうその目標も達成してしまったのでつけてはいないのだが、それでも自然と1日に使えるお金の最大を考えて行動してしまうという癖がついている。それによる現状のお財布事情では、1日に500円がいいところなのだ。朝ご飯をどこかで食べてしまうと、必然的にお昼と夜にしわ寄せが来ることを意味している。もう社会人なので全てのお金を払っていかないといけないことを考えると…そして今は研修中の身であってそこまで確実な給料が約束されていないこと、そして奨学金や諸々のお金を実家に振り込まなければいけないことを鑑みてみると、そこまで裕福な生活が出来るとは思えない。まぁ悩んだ挙句結局は朝を食べていくことにした。その結論を出したのも、今日の夜はただでご馳走が食べられるという確約があったからだった。体調不良が若干気になるものの、今日は歓送迎会が催される予定だった。それというのは私が入ったということによる純粋な歓迎会と、7月末をもって退職される下山さん(仮名)の送迎会を含めた、派遣先レベルでの歓送迎会だった。前にも歓送迎会のことは書いたのだが、どうにも私の歓迎会というのはおまけになっている感じがしてならない。くだんの前の歓送迎会というのも結局のところ前総務の退職に私の歓迎会を「おまけにした」だけであって、私の歓迎会が単独で行われたわけではなかった。そして次の歓迎会も本社レベルで新しい総務がきたということの歓迎会に私の歓迎会を「おまけにした」だけで、メインは総務の歓迎会だった。しかもオフィシャルな場であったこともあって、私の存在感はいい意味で消されていた(笑)そして今回は派遣先の課の中での歓送迎会なのだが、それもメインは下山さんの退職による送迎会であって、私の歓迎会は「おまけにした」だけだと言える。どうにも歓送迎会をしなければならない時期にちょうど私がいたという偶然の産物的に歓迎会をおまけレベルでされている感は否めないのだが…まぁ祝ってくれる人がいるというのはいいことだと思うことにしよう、たとえ建前でも…。仕事もそこそこに歓送迎会の会場へ向かうことにした。私の会社の暗黙のルールで宴会は四条河原町界隈でやらなければならないということで、私も事前にそのような行事があるということで当然その辺りでやるのだろうと思っていたのだが、今回の宴会の幹事である岡島さんがそれら全てを丸投げにして独断と偏見で京都駅界隈にしてしまった。もうその段階から先輩方からは「なんで京都駅やねん…」風のちょっと顔をしかめた感が漂ってきていたのだが、それを感じ取らない辺りが岡島さんの凄いところのような気がする(笑)送迎会というのは決まって花束や何か餞別の品を持っていく傾向にある。それは私の会社も同じようで、その品を選ぶのは幹事だと決まっているようだった。勿論今回も幹事のチョイスにその課全員のセンスが委ねられるということになったわけなのだが、なんと幹事が選んだのは…八橋でした_| ̄|○しかもノーブランドの(笑)これはあまり有名な話ではないのかもしれないが、八橋というのはブランドが存在する。どこの八橋も同じだと思っている時点でそれは京都を知っているとは言い難い事象なのだが、私は八橋は聖護院八橋しか知らなかったので、そこで買ってきたものでもないという岡島さんのセンスに驚嘆した。所謂駅前の普通のお土産コーナーからのチョイスなのだ。確かに下山さんは京都生まれではないのでその餞別はあながち間違っているものだと言えないのかもしれないが、でもそれにしても…な感じだ。というわけで下山さんの機嫌を損ねる危険性をいち早く察知した主任が私を連れてお土産をもうちょっと追加しようと駅前のお土産コーナーを物色しだした。1年とちょっと働いた結果の送別会で八橋一個というのもシュールすぎるというものだ、私はその案に賛成し、主任と一緒にお土産の品を選ぶことにした。とは言っても普通のものを選んだとて面白くはない。こう…関西スピリッツのものをあげてこそ重畳というものなので、散々悩んだ挙句…扇子にしました。しかも開くと「なんでやねん」と書いてある。主任センスここに極まれり♪八橋という強大なスベリの前になんでやねんセンスでどうにかお茶を濁すレベルにまでもっていけそうな目処が立ったところで、ようやく主役と幹事が登場し、歓送迎会は始まることとなった。始まってみれば盛り上がるのがこの課の特徴で、始まって数分もしないうちからアルコールは乱れ飛ぶ料理は一瞬でなくなるの大宴会と化してしまった。まぁ私はいつものように隅でお酒を静かに飲むタイプなのでそのような喧騒は耳に心地いい程度にしか聞いていなかったのだが、私にもいじられる時間が来てしまった。それを切り出したのは他の誰でもない、野村さんだった(笑)野村さんの武勇伝は以前合コンの話を書いた時に触れたかもしれないが、兎に角野村さんの酔った時の絡みっぷりは尋常ではなかった。その毒牙が今私に向けられている。はっきり言って脅威以外のなにものでもない。しかも今回のお題は「今彼女がいるのかどうか?」という私には縁も縁もないような話だった。しかしボルテージ的には最高潮を迎えているこの場を乱すことは避けなければならないことだ。なので私は少しだけ昔話をすることにした。そう、抽象的な表現でRの話をしたのだ。まぁその話で場も少しだけ盛り上がっていつしか話のネタも「課の中で誰が一番~か?」というものに変わっていったので私はまた最初のスタンスに戻すことが出来たものの、公の場でRの話をしたのは初めてだったのでちょっとだけ凹んでしまった。宴も酣になった頃、ようやく真面目な話題になって、幹事をはじめとする皆さんの挨拶の場になった。そこで新人の挨拶を振られた時に久しぶりにこの会が私の歓迎会も含めているということに気づき、慌てて月並みの挨拶をした。もう4回目なのでフレッシュなコメントはしづらいものなのだが、まぁそこは酔いの席だということでチャラになった気がする。あくまで主観だ(笑)宴会の後は各自三々五々帰って行ったのだが、まだ飲み足りないと奮起する野村さんがどうしても二次会に行こうと言い出すので、私も従うことにした。二次会はカラオケだった。気持ち良さそうに歌う野村さんやそこを盛り上げる下山さん、曲を入れるのに一生懸命な岡島さんを見ていて…ふと思った。なんだか子どもの頃に描いていた大人の図そのままではないか、砕けた関係の中にも確実に上下関係は存在していて、それを両者が容認しているという状況、接待。まるでそんなようなものが目の前で展開されていて、しかも私はその当事者であるのだ。なんだか精神だけが置いていかれて外見だけが大人になったような不思議な感覚だった。悪くない、それが一番最初に思った感想だった(笑)まぁそんなこんなで下山さんの送迎会も無事に終わったわけなのだが…私の存在というのは下山さんの代わりということになっている。下山さんは今の現場は1年と数ヶ月いたのでかなりの戦力だという見方をされているわけなのだが、私はまだたった一ヶ月しかいないぺーぺーだ。特に言葉にされたわけではないのだが、私は下山さんと同等若しくはそれ以上の働きを期待されているような気がする。激励の言葉もこれからの自分の立ち振舞いも一切口にせずにただただ場の雰囲気に同調するようにしていた下山さん、ちょうど真ん中の席で静かに相槌だけを打っていた下山さん、私はそこから大きなことを学んだ。この場を借りて1つだけ…下山さん、短い間でしたがお疲れ様でした。貴方の代わりになれるかどうかはわからないですが、精一杯精進しようと思います。帰りしなの下山さんは少しだけ寂しそうだった。野村さんのハイテンションもその場だけはしんみりしたものになっていたように見えたのは私が去り行く人がいることを悲しんでいるからだろうか…。
Jul 30, 2007
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最近更新が滞っているような気がする。前にも同じようなことがあったわけだが、その時は単純に書きたい気分ではなかったというだけの後ろ向きの理由だったのだが、今回の更新遅れはそうではない。基本的に私はこのブログを書こうと思う上で守っていることがある。それはこのブログが私の本当の部分であって、そして表には言いにくいことを書いていこうと思っているということだ。それはいい意味でも悪い意味でも言えることで、過去の日記を振り返ってみれば恥ずかしいことも痛いことも書いている。そんな中でこの中で綴られてきた内容で一番大きなものが就職したことだった。それに伴って時間的な拘束も増えてきた。それは嬉しくもあり複雑な部分もあるのだが…しかしながら以前のようにコンスタントな更新が出来なくなったのは少しひっかかるところでもある。あの頃のようにフリーターを続けていたなら或いはこのブログももうなくなっていたのかもしれない。仕事をしていないという状況で毎日を綴ることほどつまらないことはない。内容的なつまらなさもそうだが、そのような自分を許せないと感じる。仕事もしないでのうのうと日記を書いている自分に酷く自己嫌悪していたことは安易に予想される。まぁそういう意味では更新頻度が遅れているとは言えども自分の中では安定的な生活を手に入れているような気がする。月並みかもしれないが、まぁこれが普通なのだろう。長々と書いたのだが、客観的に見て更新が滞っていることに対する言い訳に聞こえるかもしれない。まぁそのような感じがあることも無きにしも非ずだ(笑)というわけで色々あったが書く暇がなかった時間のことを書いていこうと思う。朝起きたらどうも頭が痛い。どう考えてもこれから着替えて仕事に出かけられるような雰囲気ではない。無理をすることが私の特技ではあるのだが、それはあくまで主観的なビジョンであって、客観的に観察しなければならない事象においてはそれは「頑張っている」というよりも「迷惑をかけている」ということになる。私の仕事は連帯感とセキュリティの世界だ。末端の仕事とは言ってもそれなりのプライドはあるし、自分のやっている仕事が如何な末端とは言えどもそれがないと基盤が成り立たないということもよくわかっている。だからこそ仕事におけるミスはそのままお客様への迷惑、もしかしたらこのブログを読んでくださっている方への迷惑に繋がることもあるかもしれない。オートメーションが進んでいる私の属する業界なのだが、どこまでいっても最終的には人為的な操作が要求される。その観点において、体調が万全ではない状況で仕事をしたらどうなるか…それは火を見るより、或いは手に取るように自明のことだ。人的ミスは永遠になくならないというテーマの基、それは確固たる概念であるような気がする。まぁこのようなことを頭痛と吐き気に襲われながら考え、やはり新人なのでいてもいなくても人間の頭数として入らない今だからこそ、そして同勤の先輩に迷惑をかけたくないという気持ちから仕事を休むことにした。初めて休むので少し気は引けたものの、やはり黙って休むというのは言語道断であるし、言いにくいことを言っていくことで見つかる何かもあるというものだ。そんな決心で自分の身分も弁えずに会社に電話をした。電話に出たのは先輩で、快く了承してくれ、その上私の身を案じてくれるようなこともおっしゃっていた。アルバイトの時代、もっと言えば派遣の時代には、どのような体調不良であれ仕事を休むと告げた段階で相手から出てくる言葉は嫌味しかなかった私にとってはそのような温かい言葉が何より嬉しかった。そして次の日の仕事に今日かけた迷惑分新人なりに仕事を多くこなして挽回しようと思ったものだった。というわけでその日はゆっくりしていたというわけだ。次の日には仕事に復帰してまずは仕事を休んだ旨謝ったのだが、それを通して思ったことがある。私の会社が特別なのかこれが社会的な一般通念なのかはわからないが、仕事を休むということには様々な要因が絡んでくる。私の会社の特性上人材アウトソーシングに力を入れているからなのかもしれないが、私の身分は正社員でありながら業務形態は派遣ということになっている。勿論仕事場は本社ではなく派遣された会社への直行直帰が原則なのだが、仕事を休んだことは電話連絡を入れるのでその派遣先の上長には伝わるものの、実際に給料を支給する本社側には伝わらない情報ということになる。なので今回私は派遣先の上長に電話連絡をしただけなのだが、実際には・仕事を休むという連絡をする ↓・上長が課の一番偉い人である課長に報告、連携 ↓・連携を受けた課長が、その会社の派遣業務以外での正社員に連携をとる ↓・派遣先の正社員の中でも一番偉い人にその旨報告する ↓・電話連絡を受けた上長がシフトの調整をする ↓・シフトの都合がつき次第本社の総務に連絡を入れる ↓・受理されるという流れになっている。このフローの中で私が関与しているのは一番始めの部分だけのようだった。体調不良も治って次の日に出社した後には派遣先の会社宛の欠勤届と、私が本来属している会社宛の欠勤届けを書くことになった。幸か不幸か今日は日曜日であったので本社は休みで総務が機能していなかったこともあって煩雑な手続きもメール1本で済んだようだが、会社を休むということにはこれだけ面倒な処理が待っていることになる。何よりもこのことを通して思ったことは、私自身が電話を入れる・欠勤届を書くという面倒さよりも、明らかに上長や課長に迷惑をかけているということだった。冒頭に書いたが、体調不良による仕事への迷惑もあるのだが、それ以上に業務外でのシフト変更と人員の要請、それに伴う本社への連絡と連携をとるということが私がしなければいけないことの数倍も煩雑さを伴うことだということだった。口には出していないが、きっと私の教育担当の上長は機嫌が悪かったことだろう。シフトの関係でまだそれ以来顔をあわせてはいないが、非常に申し訳ないと思っている次第だ。高校時代、私は風邪を引いてもそれに伴って吐きそうでも学校を休んだことはなかった。それは単純に学校が好きだとかそういう前向きな理由ではなく、むしろ休んだらノートを借りて授業を補うことと、欠席届を書かないといけないということが凄く嫌だったからだった。今回のこともそれと同じだ。会社の仕事というのは慣れないうちは新しいことの連続で緊張しっぱなしなのだが、ある程度慣れてくると業務はルーティンワークになってしまう傾向にある。学校のように日々新しいことを学ぶということも…ないとは言い切れないが少なくとも高校の頃の頻度よりは落ちるような気がする。それを思うと休むことにより発生するリスクは、上長に迷惑をかけるだとか休みの先輩にお声がかかるといった極めてソフトな問題に収束することになる。高校の頃の欠席届であれだけ嫌がっていた私が今回仕事を休んでこれだけ迷惑をかけてしまったということで…もう二度と仕事は休まないと心に誓ったのは言うまでもない。而して体調が悪いままに仕事をするということはミスを誘発する。なので私が今一番考えなければならない課題は「体調管理を怠らない」これに尽きる。今回からはこれを念頭に業務に励んでいこうと思う。今日の内容、草案にして流し読みしたのだが…なんだか業務報告書のようになっている気がする(笑)ある意味社会問題について論じるよりもたちが悪い(汗)
Jul 29, 2007
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朝起きたら足が布団にくっついてました(笑)はっきり言って最初は何がなんだか全くわけもわからなかったのだが、よく考えてみると布団と足がくっついているなんておかしい。というわけでこれは夢ではないかと早々と疑いだしたわけなのだが、夢というのはそれが夢だとわかっていてもどうしようもない部分がある。よく悪夢を見ている時にそれが夢だと気づければ悪夢は覚めるという話を聞くので実践してみようと思うのだが、果たして足と布団がくっついているだけというような夢が悪夢なのかは甚だ微妙だ。これは起きた後のことなのだが、あれは悪夢だったのかどうなのかを考えてしまったものだった。まぁそのような後に残るものを残したという意味でもあれは悪夢だったのかもしれない(笑)空が高い。もう午後7時くらいでも明るいような季節になってきた。晴れ間が多いとその分夜は暑いことが多く寝苦しい日が続きそうなものなのだが、今のところそんなような兆候は見られない。まぁ寝やすい夜というのもいいものだ。夏の静かに虫が鳴いている夜というのもなかなか趣きがあるというものだ。休みということで何か特別なことをしようと思ったのだが、前日の夜勤の疲れがどっと出て、今日も昼頃まで爆睡してしまった。それから出来ることと言えば…やはり家のことしかないわけで。。 まぁいつも通りの変わり映えしない生活リズムを作っていくことにした。いつものように洗濯していつものように散らかった部屋を片付けて…本当にいつも通りだ。1年前から何も変わらない、普通の私の生活だ。お昼の退屈な時間を過ごしながら何かしようかと画策していた時、一本の電話が入った。それは初めて聞く声で…ミステリアスなあの人からだった。今までも仲良くやってきたのだが、声を聞くのは初めてだった。私の中でその人は存在することがわかっているだけの人で…声を聞くことはおそらくもっと先になるだろうと勝手に予想していた人だった。簡単に噛み砕いて言うとメル友のような存在だ。その人の声は想像していたよりも少しだけハスキーで、それでいてやはりその人を感じさせるような響きがあった。時間にして約数分間の話なのだが、私はそこに様々なものを見た。夜も11時、寝ようとしたところまた電話が入った。それは地元にいる兄の友人からだった。歳は離れているが時々話すような存在で、私にとっても二人目の兄のような存在だった。近況報告のような雑談を数分した後電話は切れた。内容はどうでもいいとしても、こうして私が上手くやっているかどうかを心配してくれる人がいることに少し嬉しくなった。明日は仕事だ。休日出勤というのは気が重い話なのだが、まぁ仕事をやる上で…そしてシフト制の仕事には絶対に避けては通れない関門だと言える。みんなが休みの中を仕事をするというのはなかなかしんどいものなのだが、まぁそれも仕事だ、仕方が無い。今日は電話が多い日だった。電話が多いということは自分からかけても出てくれるだろうとある人に電話をかけたら話し中だった。メールが途切れたのでちょっといたずら心が働いて電話をしてやろうと思ってかけてみたら見事話中だった(笑)なるほど、こんな日もあるか(笑)
Jul 28, 2007
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本当にわからない。私はどれほど下らない人間なのかと思うことがある。今まで22年生きてきた。もうすぐ23年の人生になりそうだ。そんな中で会ってきた多くの人、それこそもう数え切れないほどの人と会ってきた。その人と様々な形で関係を持って行き、そしてそれが螺旋状に絡まった結果が現在の私を成すものであり、その螺旋の多さがそのまま人生経験に繋がることになる。しかしそこの段階で思う。私は非常に嫌われやすい。自分で言うのも難だが、同姓からはほとんど嫌われない。むしろ同姓ならばどんな人であっても大抵は上手くやっていくことができる。それは小さい頃からそうで、小さい頃にはそれが当たり前と思っていたが、私にはそのような環境適応能力があるのかもしれないと思うには充分な出来事だった。しかし…異性においてはそれが全く適応されない。同姓とは上手くやっていけるという自負から生まれるものなのかもしれないが、兎に角異性には異常なまでに嫌われてしまうのだ。きっと私と実際に会ったことがある女性だけを集めてトータライザーを持ってもらって意識調査をすると、とても面白い結果になるだろう。ある意味それだけで番組が一本作れるくらいかもしれない(笑)これはあまりにも昔からの疑問なんで一度気になりすぎて何故こんなに嫌われやすいのかを友人に尋ねたことがあった。私「なんで自分ってこんなに嫌われやすいのかなぁ?」友人「偶然じゃね?」まぁ普通の人ならそう思うだろう、きっとそう返してくるだろうと思っていた。しかし明らかに偶然では片付けられない何かがあるのもまた事実だ。事象として、偶然に起こったことが偶然だとわかっていたとしても、それが「偶然ではない頻度」で起こってしまうとそれは偶然ではなく、むしろその事象に関連したファクターが引き起こした必然だということになる。私はその原因を突き止めようと思ったのだが、あまりにも簡単にその原因は見つかった。原因は私の中にあったのだ。私としてはあくまで自然に接しているつもりだ。コミュニケーションツールとしての携帯電話やメールを多用しているわけでもなく、用事があればメールしたり電話したりしている程度だ。しかしそこに問題があった。私のメールなり電話なり、直に会った時の印象は「重い」のだ。それは私が以前にネガティブの権化だったことに起因している。自分といてもつまらない、自分なんかといるよりも他のことに時間を割いた方が絶対に楽しいに違いない、以前女の子といる時の私の心境は大体それくらいでトレースできるほどのものだった。そのままではダメだということでそこから立ち直らせてくれた人がいた。その人は私にとっては大切で大切でかけがえのない存在なのだが、先日その人からも…。なんだか自分がわからなくなった。ネガティブの芽が再発しそうな気がしないでもない。重いってそんなに悪いことなのかいまいちわからない。ふわふわした関係が好きな人が現代には多いということなのだろうか?わからない…わからない…
Jul 27, 2007
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連続で夜勤が入るとそれに伴う弊害というのはそれなりにあるもので、まずは睡眠の関係でブログが定期的に更新できなくなるということだ。私にとってこのブログは大学での単位をある程度取ってしまいやることもなく、勿論伴侶もいなくて人生がこのままでいいのか精神心的に路頭に迷っている時から始まった私の成長期のようなものなので、最早ただの日記だという認識は持ってはいない。ここに記すことで誰かに見てもらおうとかそんな大それたことは考えてはいないが、あまり深いところを見せない私が時々吐露する言葉を拾ってくれるような…そんなことが許容されるこんな場所が好きだった。なので1年以上も続いているのかもしれない。まぁそれは今更考えるようなことでもないが(笑)そんなわけで夜勤の準備をしなければならなかったのだが、今日は他にも予定があった。それは社会人になったということで保険証とか厚生年金の関係の切り替えで実家との兼ね合いをつけなければならないということだ。以前から言っているかもしれないが、同じ府内に実家があるとは言ってもそんなに簡単に帰れる距離ではないので、大抵の連絡事は電話かメールで済ませるのだが、物の輸送が必要な場合は取りに行く・来るよりも封筒で送った方が早いということがある。なので今日も今まで使っていた保険証と預金通帳を封筒に入れて実家に送ってあげた。本当ならば仕事をしているので会社ぐるみで年金関係を落としていけばそれでいいのだが、私が持っていた保険証というのがまた厄介なもので、たった2ヶ月でも仕事をしていなかったからと言って失業扱いされたのだ。つまり社会人の方とは別口でお金を払っていたというわけだ。その保険証を発行している機関と私が属している会社の保険を発行している機関は勿論別物なので、私の現状は2つの保険を両立させているという状況になるのだ。当たり前だが両方にお金を払っているという状況付きで…。考えてみれば別に何の向上心もないままにフリーターをしていたわけではない。動機が不純だが、取り敢えず仕事をしたいという欲はあったし、それに伴う努力もしていたつもりだ。状況が変化しないままに過程だけを見てそれを経過ではなく結果と見てしまうのは国レベルのことではよくあることだ。国レベルで融通が利かないというのはこのことなのかもしれない。仕事があろうと無かろうと年金を落とすことには変わりない、それならば無職の時にその督促をしないで、仕事に就いてからとればいいだけの話だ。勿論そこには仕事をしないで逃げようとする人がいるのも事実だ。どのような綿密な約束にも逃げ道は存在しているし、それ以上にその逃げ道を見つけようと躍起になっている人がいるのも事実だ。っと…話が大幅にずれ出したのでこの辺でやめておくとして…今日の日記は前回の日記の続きだ。職場の私達端末監視課の休憩室の壁に磁石で貼り付けられているローソンの応募用紙の山、はっきり言ってそれをお店から取ってくるのも勇気がいったことだろうとそれを敢行した人を賛美したいところだが、私にとってそんなことはどうでもいい。通勤時から私のテーマは決まっていた。仕事を覚えるということは勿論として、その応募用紙をゲットすることだった。そんな気持ちを持ったまま仕事に向かった。最初のチャンスは仕事が始まって5時間ほど経った頃だった。休憩室には誰もいなくて、そして手の届く位置に応募用紙がある。これを手にすればミッフィーグッズは私のものだ。しかしながら今がチャンスだと思った矢先先輩が1人休憩に来てしまった。今回のチャンスは不作に終わってしまった_| ̄|○ちなみに一応言っておくが、誰かに承認を貰ってこれをゲットする方が正規の入手ルートなのかもしれないが、それでは私は永遠にミッフィーグッズを手に入れることは出来ない。何故ならば私はその職場で一番地位が低く、誰を押しのけることも出来ないからだ。そんなことを先輩に話そうものなら、「あっ、じゃあ俺が貰っておく♪」と言い出しかねない。だから一応誰が持って行ってもいいという状況を作り出した上での今回の作戦というわけだ。最初に持って行かれた75点の応募用紙は今回の為の伏線だと思えばいい、綿密に作戦を組んでこそ私らしい♪2回目のチャンスは更にそこから5時間後の午前3時だった。ちょうどそれくらいから仕事の量が減っていくので暇を持て余すことが多くなるのだが、時間が時間だけに仮眠を取りに行く方が多くなる時間だ。休憩時間の先輩は休憩に入るなりすぐに仮眠室に歩いて行って出てこなくなってしまったし、もう1人の先輩はちょっと夜食を買いにくだんのローソンへ出かけて行った。さぁ、もうここしかない!手を伸ばしポイントシールの溜まっている用紙を掴んで…見事ゲットした。今回ゲットした点数はおよそ83点、ミッフィースプーン8本と交換可能だ(笑)因みに今のキャンペーンは「10点でスプーン30点でマグカップ」なのだが、8月いっぴからは30点でミッフィーボウルになるらしい。ちょっとした小皿が足りない私の家にはうってつけというわけで、8月になるまで交換はやめておこうと思う(笑)今回の内容、私は苦労せずして応募用紙をゲットしたように聞こえるかもしれないが、決してそうではない。私だって食事を買うのはほとんどそのローソンなのだが、買った食品にシールがついていた場合には積極的にシールを貼っていったし、それに用紙が無くなれば補給までしたのだ。それだけの点数が溜まる過程には私のシールも少なからず関係しているというわけだ。だから…いただきます♪♪(笑)
Jul 26, 2007
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梅雨が明けるとともになんだか鬱陶しいくらいの暑さが舞い戻ってきたような気がする。日差しが強いと夏だということを実感するのだが、梅雨明けに近い時期だとその傾向は余計に強い気がする。いきなり32℃というのは体が驚くような気もするのだが、まぁもともと夏はとても暑いところ生まれの私なので、特に問題もないかもしれない。こう暑いと海に行きたくなるのもまた1つだ。私の生まれ育ったところは海が有名なところ、否海しか有名なものがないところで、それだけは唯一の自慢だと言ってもいいくらいだった。そこにいる時は当たり前にあるもの、そしてありがたいものなのだが当然になってしまうもの、しかし離れてみるとそのありがたみがわかるということは確かにある。私にとっての海はそのようなもので、地元にいる時はさして貴重なものだと思ったことは一度もなかったのだが、海がない今の環境になってみると海が非常に恋しくなってくるから不思議なものだ。私のブログを長く読んでくださっている方なら気づいているかもしれないが、私が地元に帰省した時にはいつも海のことを書いているような気がする。それくらい私にとって海というのは貴重なものだということが自覚できる。夏の海は余計にそうかもしれない(笑)まぁ海を欲してもそれは簡単には近くに出来ないものなので諦めて…今日も仕事に行くことにした。今日はもうすっかり慣れてしまった夜勤の日だった。私の仕事場には2つの組織がある。それは私を含めた端末監視グループ(正式名称はあるのだが、口外してはいけないルールになっているのでこれくらいにさせていただく。汗)と、その結果を稼動させる運用グループの2つだ。同じ会社の同じフロアにあるので一見して同じ会社のグループが2分化されているように思うかもしれないがそうではない。端末監視課にとって、運用課の人たちは少しだけ上の地位の人たちであって、それでいて同じ会社の人ではない。ここが一番ややこしく、私も入社して説明を受けたもののいまいち釈然としないところかもしれない。まぁここのところの説明はまた今度にするとして割愛して…私達端末監視課は24時間フル稼働で働いている。勿論人間1人を24時間フル稼働させるということは様々な法律の関係上不可能なので入れ替わり立ち替わりというスタイル(よく言えばシフト制)だと言えるわけなのだが、その端末監視課の休憩室のようなものが勿論設けられている。そこは簡素で、大きな机が1つと小さな椅子が4つほど置かれているようなところなのだが、そこには小さな目覚まし時計(今は何故か壊れている)とローソンの応募用紙だけが置かれているという寂しい造りになっている。目覚まし時計は仮眠をとった時に起きる為のものなのだが、ローソンの応募用紙が何故置かれているのか…それは会社のポジション的な問題になる。私の会社は大通りに面したところにあるのだが、夜勤ともなるとどこかの休憩時間でご飯を食べないとやっていられない。しかし以前にも書いたように、ご飯を食べるで尚且つ夜まで開いているとなると大きなラーメンチェーン店かコンビニしかなくなってくるというわけだ。ラーメンをその時間に食べるということがどのようなことなのかはそれこそ過去の日記参照なのだが、そうなると必然的にみんながコンビニに向かうということになる。コンビニで何か食べるものを買った場合、それに伴って今ローソンでキャンペーン中の得点シールが溜まっていくことになる。それをただ捨てるのも勿体無いということで…用紙を貰ってきてみんなで溜めているというわけだ。24時間365日誰かがいるということは、24時間365日体制でローソンに行っているのとほぼ同義だ。きっとローソンにとって私達端末監視課の人達はとても大切なお得意様になっていることだろう(笑)そんなような状況なので、シールはガンガン溜まっていき、見事2週間前に用紙がいっぱいになった。しかしそれを誰が交換するのかは決まっておらず、文字通り宙ぶらりんになっている状態だった。ちなみにその用紙には合計で75点溜まっていた。75点と言えばミッフィースプーンが7本かミッフィーマグカップ2個とミッフィースプーン1個のどちらかから選べる。これはとても美味しいのだが、誰も手を出さず、なんとなく休憩室に置かれているものだった。私は前々から欲しかったのだが、果たしてみんなで溜めたものを私1人が使っていいものかどうかを逡巡していた矢先、その用紙はなくなっていた。話によると運用課の人が持って行ったということだった。それを聞いて若干凹んでしまったのだが、まぁ誰も手を出さないという状況なので仕方ないと諦めたものだった。そして先日、また用紙がいっぱいになった。今度も得点にして75点。これは千載一遇のチャンスだと思ったのだが…これもまたすぐ横にいる先輩に持っていかれることとなった。先輩が欲しいと言っているのでそれを押しのけてまで私が手に入れることは出来ない。ここは涙を呑んで我慢した(涙)そんな目に見えない攻防(私だけの)が続く中…今もミッフィーグッズのポイントシール用紙は破竹の勢いで溜まっていっている。きっと今日仕事に行く辺りにはポイント満了を迎えることだろう。今度は逃さない。ミッフィーマグカップ×2をゲットするのは私だ!前々からの調査で、昨日の段階でポイントは69点溜まっている。期は熟したというわけだ。今日の夜勤の帰りに私の手にはミッフィーマグカップがあることを想像して…仕事に出かけるとしよう。今日の仕事は別の意味で戦いだと思いながら(笑)
Jul 25, 2007
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やっと京都も梅雨明けしたとのことらしい。考えてみれば今年の梅雨はあまり雨が降らなかったような気がするが、振り返ってみると今年「も」だということに気が付いた。なので正確に言えば例年の近畿地方における梅雨は雨が少ない傾向にあるようだ。雨が少ない地方における梅雨というのは貴重なもので、それ次第で給水率というのは大きく変動することになる。それがひいては生活に影響するか否かを決定付けると言っても過言ではない。近畿の主な取水地というのは琵琶湖であるので問題はないのかもしれないが、各地方ではダムを使っていることが多い。ダムというのはその周りの全ての地域に水を行き届かせる必要があるので…それだけ大きな規模である必然性が出てくるのだが、しかしながらダムというものにそこまで大きな土地を割くことができない以上は、作られたダムの取水率がネックになってくるというものだ。それを考えると、やはり梅雨の時期の雨というのは本当に貴重で、鬱陶しいだけではない恩恵を齎してくれるということなのだろう。考えてみれば今年も梅雨が始まってしばらくするとすぐに取水制限の出たところがあったような気がする。梅雨というのは雨が降ってナンボという部分があるので…やはりその辺りは昨今で言うところの「異常気象」なのかもしれない。まぁしかし梅雨が明けたということで雨の心配も余計に募るところもあるのだろう、実際今からは雨が降りにくい状況になるので渇水の被害も出てくることが予想される。でもどうして梅雨明けってこんなに暑いのだろうか?笑そんなこんなで今回のテーマへ。今回のテーマは関西弁の「はる」という言葉についてだ。まぁこの言葉は非常に便利なものでありながらも、関東では使わないという非常に惜しい言葉でもある。この言葉が関東でも普通に使えるようになればきっと尊敬語と謙譲語について悩んでいる社会人1年生が諸手を上げて喜ぶこと間違いなしだ。実際に私もその言葉を使う地域に住んでいるのでわかるのだが、この言葉は非常に便利だということは実感している。まずこの言葉の利点は動詞にくっつけることでその方への尊敬の意味を持つということだ。例えば「○○さんはどこに行った?」というようなことを先輩に言われたとして…それに対する答えの一例は「△△の方に行かれましたよ」というのが一般的だ。この場合行くという言葉の尊敬語のようなもの(「のようなもの」と書いた理由は、行くという言葉の尊敬語が厳密には「行かれる」ではないからだが、少ない知識で丁寧にするとなるとこれくらいが無難だからだ)を用いなければならなくなる。どのようなシチュエーションにも対応するとなると余計に丁寧な言葉のバリエーションを知っておく必要が出てくるという諸問題もある。しかしここでこの「はる」を用いるとこのようになる。「△△の方に行かはりましたよ」この場合友人に使うような「行く」の活用からそこまで崩さず、尚且つただ語尾に「はる」をつければいいという簡単な使用法で丁寧な言い方を表すことが可能になる。関西の仕事現場や丁寧な言葉が義務付けられているところではこのような言葉を使う人が非常に多い。よく考えてみればこの言葉は便利かもしれないが、逆に言えば関西でしか使えない狭い範囲での言葉だということがわかる。もしも関東に出張や異動になった場合、この言葉を多用していたのでは対応できないということが起こりうるような気がする。まぁ今のところそのようなことはないので安心なのだが、しかしそういうことがあるかもしれないと想定して正式な丁寧語を学んでおくのも悪くないと思うことも多々ある。何故なら私の会社の開発部は関東にあるからだ。将来的にそちらの方向も考えるなら、その知識だけでなく丁寧な言葉の正式な使い方も把握しておかなければならない。まぁ今のところこんな風に簡単な使い方で丁寧な意味を持つこの環境に甘えておくとしよう♪
Jul 24, 2007
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久しぶりのいい天気だ。週明けとしては最高のコンディションだと言える。この時期のからっと晴れた天気というのは貴重なもので、べたべたしたと言うか鬱陶しい天気というのはテンションまで下がってしまうものだ。しかしながらそんな中で湿度も高くなくからっと晴れた時というのは気持ちのいいものだ。こんな天気にはまったりしたくなる。鴨川辺りにでも出張って行ってベンチに座ってマウントレーニアのコーヒーでも飲みながら寝転がっていたいものなのだが…生憎と仕事が入っている。前日・前々日の楽しさもあってか仕事をする雰囲気にもならなかったのだが、それでも仕方がない。まぁそんなわけでもう慣れてしまった時間に家を出ることにした。外を歩いてみるとやはり気持ちがいいものでいつも歩いている長い距離もそれなりに苦もなく歩くことが出来た。途中にある二条城もいい感じに見えて、方向転換してそちらに向かいそうになるのを抑えながら会社に向かった。実は今私には大きな問題がある。それは接待が非常に多いということだ。接待というのは往々にして断りにくいものがある。しかも私はまだまだ新人なので、余計にその傾向が強い。先輩しかいない職場というのは、一声接待のお呼びがかかれば断るという選択肢は存在しない。しかも困ったことにいつも接待を要求してくる先輩はそれを接待だと思っていないということだ。これが一番厄介だと言える。親睦会と言えば聞こえはいいかもしれないが、その接待は確実に私が楽しめない趣向になっているからだ。それというのは飲み会とかボーリングとかカラオケとかそんな次元ではなく、ギャンブルなのだ。これが厄介で厄介で仕方ない。接待パチスロって聞いたこともない_| ̄|○考えてみれば私が昔齧っていたこともあってか、その話に乗っかっていったのがそもそもの原因だと言える。会社には多くの趣味が存在していて、色々な話に順応していけるだけのスキルが必要になってくるものだ。私は学生の頃に一般的に言うところの遊びというものを取り敢えず一通りやっていたこともあってどんな話にもそれなりにはついていけたのだが、パチスロの話に食いついたのが運のつきだった。私の職場にはギャンブルを生業にしている人も多くいる。それで勝ったお金を貯金しているという強者までいるほどだ。私はギャンブルのバカバカしさに嫌気が刺してすぐにやめてしまった口なのだが、好きだった頃はかなりやり込んだ覚えがある。なので知識だけはそれなりだったのだが、それくらい知識があるなら一緒に行こうということになって、本気で嫌だったのだが付いていくことにした。接待パチスロの開幕だ_| ̄|○その中でもパチスロをやったことがないという先輩が1人だけいた。それは何を隠そう岡島さん(過去の日記参照)だった。岡島さんはその時私と一緒に連れて行かれた犠牲者の1人だったのだが、その時に大勝したこともあってすっかりはまってしまったようだった。接待パチスロ自体はそこまで多く開催されることはないのだが、岡島さんが特にのめり込んでしまったようで、時々、否かなりの頻度で「一緒に打ちに行かん?」とお呼びがかかるようになってしまった。はっきり言ってこれは鬱だ。パチスロということは打ってナンボというところがある。生活にそこまで余裕がないにも関わらず、先輩のお誘いなので断るわけにもいかず、毎回連れて行かれることも多い。何度かは窮地を脱したのだが、やはりギャンブルなので負けることも多い。はっきり言って会社に入ってからの収支は圧倒的にマイナスだ。もうやめた身分としては打っていても楽しくもなんともない。岡島さんは引きが強いのかなんなのかはわからないが、いつも勝っている。しかし私は涙を飲んで出る見込みもない台にお金を入れないといけないというある種拷問的なポジションにいることが多い。もう断りたい、否できることならもう二度と行きたくない。しかしこれは接待なのだ、断るという選択肢は存在しない。この地獄はきっと今の職場に新しい人が入ってくるまで続きそうだ。まだ見ぬ後輩が早く来て欲しいと切に願う今日この頃だ_| ̄|○
Jul 23, 2007
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Hとの再会2日目は基本的にあまり予定を入れずにまったりとした過ごし方を計画していた。お互いに仕事を持っているということで休みが貴重なわけなのだが、書いてはなかったかもしれないがHにしてみれば体調のすぐれない中でも来てくれたということもあってゆっくりしたかったに違いない。口には出さずともそこのところはちゃんと汲んであげることにして、活動するのはお昼からということにした。今日の予定はいたって簡単で、パフェを食べに行くというものだった。Hは女の子らしく無類の甘いもの好きで京都が抹茶の有名なところということもあって(あくまで狭い範囲での比較論)、それに関するものを食べようということは前々から計画していた。私はそこまで甘いものが得意ではない方だが、それでもHと一緒に何かするということは楽しいので快諾することにした。何か楽しいことをするにはそれなりに計画しないと気が済まないのが私の性格だ。他県での計画の場合にはその地方に関する情報が皆無なので計画のしようもないのだが、今回は私の住んでいるところなので綿密に計画することにした。行くにしてもしょうもないお店に行くのはご免だ、折角Hと行くのだからオシャレで美味しいお店にしたいというものだ。というわけでHが来る日程が決まった段階でどこに行くのかの草案を作っていた。小さくて席が4つしかないような小さな小さなお店を見つけてそこに決め、場所の下見もしっかりしておいてパフェを食べるという行事に備えたものだった。いよいよ行くことになったのだが、場所的には少し入り組んだところにあり、尚且つ先ほど書いたように4席しかないような小さな小さなお店なのでしっかり下見はしたものの、それでもあまり自信は無かった。わからなくなって迷いそうになる度にHからのツッコミが飛んでくるのでそれもまた面白かった(笑)予想通り1回素通りしそうになったのだがようやくお店に着いた。甘いものが大好きなHはオーダーをしてからずっとうきうきしていた。そんなHを見るのが私は大好きだ。やはりHは笑っているところが一番だと改めて実感したものだった。パフェが私達の前に来た時にはなかなか壮観なものだった。インターネットのサイトにも載っているような結構有名なお店なのでそのパフェの写真は見ていたのだが、やはり実物を見るのは別だ。その大きさに圧倒されたのだが、きっと残してもHが食べてくれるという安心感もあった(笑)パフェの大きさも関係してそこでゆっくり話をすることが出来た。お昼のカフェではするような話ではない突っ込んだ話もたくさんした。ここがHとの話で一番醍醐味があるところだ。私は今まで男の友達で突っ込んだ話をする人はそれなりにいたが、女の子の友達でそのような話をする人はいなかった。男側の視点と女側の視点というのはそれなりに違うもので、私にとっても新たな発見があるというものだった。なのでそういう意味でもHとの会話には新鮮さが付きまとうものになる。もっともっと一緒にいたかったのだが、時間は確実に過ぎていくというものだ。もうHが帰る時間になってしまった。パフェを食べ終わってからそのまま駅に向かい、京都駅に着いた。新幹線の関係であまりそこで話し込んでいる時間もなく、すぐにHは帰っていった。あっさりした別れだが、まぁ会いにくい距離にいるわけでもない、会おうと思えばすぐに会えるのだ、だからそのくらいのソフトな別れ方が私達には合っているような気がする。いつものように頭を撫でて「じゃあまただね♪」というくらいの軽いものだった。今回会うことになる前にHは誕生日を迎えていた。住んでいるところが少し離れていることもあって誕生日プレゼントをあげられなかったというのを悔いていた私は、今回会う時にあげられなかったプレゼントを用意しておくことにした。女の子にあげるプレゼントというものに極端に慣れていない私は、京都らしい小物を扱っているお店を検索してそこで選ぶことにした。そこはとてもオシャレな小物がたくさんあり、何をプレゼントしたら喜ぶかがわからない私は2時間ほどそこで熟考していた。考えてみれば女の子やカップルばかりがお店にいる中で男1人が買うでも選ぶでもなくずーっと悩んでいる姿は若干痛かったような気がする(笑)散々悩んだ挙句、簪とピアスと髪留めにした。それをあげた時のHのリアクションは忘れられないものになった。それを見られただけでも悩んだ甲斐があったというものだった。京都駅、帰りしなのHの鞄には髪留めがあり、耳にはピアスが光っていた。そんな小さなことでも喜びを感じてしまう私はまだまだ子どもなのかもしれない(苦笑)後ろ髪引かれるというのはこのことのようなことを言うようで、Hが見えなくなるまで私は京都駅新幹線中央口のホームに立っていた。
Jul 22, 2007
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今日は友人であるHが遊びに来る日だった。Hは前にも何度か一緒に遊びに行ったりご飯を一緒することが多い友達だ。ちょっと遠くに住んでいることが関係してかあまり会うことはできないが、それでも私が唯一と言っていいほど仲良くしている女友達だと言える。そんなHが前の訪問から半年以上の時間を経て会うわけだが、それだけ会わなかった理由というのもそれなりにある。まずは私が大学を卒業したことだ。それによって学生時代のほんわかした生活が一変して自分の生活を立て直す為に奔走することになった。家が変わることも関係してインターネットが切断されそちら側のバランスとの兼ね合いもあって遊びに感けている暇もなくなってきたというわけだ。それに伴って実家に帰り余計に距離が開いたことも関係しているのかもしれない。望まずしてフリーターの時期が2ヶ月あったこともあって自分の立ち位置を把握していなことによる劣等感もあったかもしれない。協力な縁とどうしても市内以上の距離に出なくてはいけないというある種の義務感から2ヶ月でフリーター生活を終えられたことは奇跡だったのかもしれない。まぁそんなこんなあって就職も決まりある程度仕事場でもまれ(笑)安定的な生活を取り戻したということで晴れてHと会うことになったというわけだ。これは私の1つの目標であり、そしてそのようなある程度社会的に当たり前の立場を築いてから会いたいということもあったからだ。というわけでお互いの予定に折り合いをつけた結果今日というわけになったわけだ。久しぶりに会うということで軽い緊張感があるのはいつもの私なのだが、この癖はいつになっても治りそうにない(笑)連絡の都合で何度か行き違いがあったものの、ようやく会えたHは半年前に会った時と同じような笑顔でそこにいた。連絡不足で行き違いがあったものの明らかに先に来ていた私が悪いと思わせるような笑顔だった(笑)色んな話があった、半年の間にお互い色んなことがあったから積もる話が山幾つか分くらいあった。しかし敢えて烈火の如く話すようなことはしない。最初の邂逅で大体を掴むというのが私達のスタンスだ。なので上辺の話だけを軽くしたらもう後は内面的に理解する、そのような阿吽が気持ちよかったりもする。そんなわけで話をすることとご飯を食べることを兼ねて焼肉に行くことにした。実は私自身焼肉をお店で食べるということをほとんど経験したことがない人だった。皆無というわけではないが、一番最後に食べに行ったのは確か大学1年生の頃だったと思う。どれくらい焼肉を知らないのかというと、もうユッケを知らないくらいだ(笑)なので久しぶりに行く焼肉屋に興奮していたのも事実だった。話もほどほどにテンションが上がってお肉を食べていた私がいたということは言うまでもない。。その後は一緒に観る為に買っていたDVDを見たり足りないアルコールを宅飲みで補うなど開いていた時間を埋める作業に没頭した。作業と言ってしまうと色気もないのだが、兎に角できることをたくさんしたという印象が強い。一緒にいると落ち着くのがHだ。何も気を遣わなくていいというのが私には貴重な存在だと言える。女の人が苦手であまり突っ込んだスタンスが取れないという私に対してずけずけと(と言ってしまうとちょっと語弊があるが)入ってきて閉じかけていた扉を無理矢理にこじ開けたのがHだった。私は女の人を苦手だということで逆にそのような存在を求めていたのかもしれない。上辺だけではなく深いところまで突っ込んでくるような人の存在を心から求めていたような気がする。深いところまで突っ込んでくるということは、それと同等のものと同じだけの自分を曝け出していかなければならない。それが自分を許容してくれる人でないとできないというのは一般通念だ。Hはそれをするには充分な存在だった。むしろ自分を知って欲しいと思った人だ。Hとの邂逅の1日目はこうして終わった。それにしても焼肉って美味しい♪因みに前に書いたものは故あって消してしまった。コメントをくださった方には大変申し訳ないことをしたが、コメントが気に入らなかったから消したわけではないのでそこのところは悪しからずわかっていただきたいです。。
Jul 21, 2007
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悪いことというのは続くものだ。今回の私がまさにそうだったかもしれない。まず仕事中に重大なミスをしてしまった。それは単純にその仕事に慣れているという慢心、そしてその仕事を完全に私1人に任されているという妙な自信から起こってしまった事象だと言える。幸いにしてそのミスから業務上大きな障害は起こらなかった。だからいいというわけでは決してないことはわかっているし、まだ仕事場的にもまだまだ新人の枠を出ない自分だからこそ余計にこのようなことに気を張らないといけない。これでもし業務上の問題が出てしまうとかなり凹んだと思うが…まぁ不幸中の幸いだといったところだろう。これを糧にしないわけにはいかない。慣れるということが一番怖いとはよく言ったものだ。思えば今までが上手くいきすぎていたのかもしれない。これ以上慣れてしまってからミスをしてしまえばきっともっと取り返しのつかないことになっていたとも考えられる。そう思えば今回は啓発として考えれば次に繋がるというわけだ。今日の話はまたまた私が子どもの頃の話だ。誰から聞いたかわからない、どこから得た情報かもわからないのだが、何故か今でも残っているくだらない遊びの話だ。使うものはタイトルにもあるように公衆電話と使い捨てのテレホンカードだ。やり方を説明する前に一応言っておかなければならないが、これは公衆電話の機能を著しく低下させる可能性を孕んだものだ。子どもだからこそそのようなことに気を遣わないで遊んでいたものの、よく考えてみれば私が遊んでいたことで公衆電話を何台か壊していた可能性も否めない。そう思うともうやるべきではないし、もしかしたらここに書くべきではないのかもしれないが…今や携帯電話が主流になっていて公衆電話が影を潜めている今だからこそ言えることなのかもしれない(笑)手順は至って簡単だ。1:空いている公衆電話を探す2:受話器を上げる3:度数の残っていないテレホンカードを入れる4:度数が残っていないということで返ってくるカードを指で止める5:しばらく待つともう一度同じところからカードが出てこようとするのでまた止める6:すると入れた方の穴から出てこようとするのでそれも止める7:そのままの状態で静かに受話器を戻す以上♪これの何が面白いのかと言うと、そのカードは受話器を戻した段階から返って来なくなるのだ。そしてそのままある条件を満たすまでそのカードは永遠に返ってこなくなる。その条件とうのは「受話器を上げる」という行為だ。そこを利用しているのがこの遊びの真骨頂でもある。現役(笑)の頃、私達はこの仕掛けを施した後その公衆電話から離れて誰かが使うのを木陰からずっと見ていた。その頃はまだ公衆電話も絶世期だったので、私達が離れるとすぐに公衆電話を使おうとする人などいくらでもいた。そして公衆電話を使おうとする人が電話しようと受話器を上げた瞬間…ピピ~ピピ~ピピ~と鳴ってカードが出てくるというわけだ。その仕掛けに出会った人はかなりいいリアクションをしてくれる。それはそうだ、電話しようとしたらいきなりカードが出てきて、しかもそれが使用済みだという体たらくなのだ。その光景を見て困惑している人を木陰から見てほくそ笑むという中々悪趣味な遊びをしていたものだった。お近くに公衆電話のある方、そして使用済みテレホンカードを持っている人がいれば是非一度お試しあれ♪ 尚、もう数が少ないということで稀少扱いされている公衆電話を壊すかもしれないという懸念、そして壊してしまった時どうしたらいいのかなどの対処のわからない方はやらないことをオススメする。そこのところの責任までは負いきれないからだ(苦笑)
Jul 20, 2007
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蛸足配線ってよく言うけど…どのタイプを見ても蛸の足には到底見えないのだが…。今日も今日とて夜勤の日だった。私の職場の夜勤は17時から始まるので私の家と仕事場までの距離を考えてみると大体15時に起きても全く問題ないような環境だ。なので次の勤務が夜勤の時にはいつもそんなに早寝しなくてもいいという快適な生活をしていた。しかしながらそのような生活が仇となって…本当に勤務時間のぎりぎりに起きてしまうこともままある。その「まま」が今回で、まさに二度寝三度寝の世界を彷徨っているという体たらくだった。起きてみると13時だったのでまだ寝られると思い、また寝ると次に起きたのは…という典型的なパターンだと言える。結果長い勤務時間にも関わらず何も食べて行くことができず、空腹のままに夜勤が始まることになってしまった。まぁ空腹には慣れているので、そこのところは問題ないのだが(笑)今回のテーマは少しだけ昔の話…私が高校2年生の頃の話だ。私の通っていた高校というのは、田舎だということもあってか、高校と同名の中学からエスカレーター方式で上がってくる人が多い高校だった。エスカレーター方式と言っても世間的に言うエスカレーター方式ではなく「そこの高校しか選択肢がないようなもの」という条件で行われているものなので、実質は一般的な入試なのだが、その高校への流入率だけを見てみるとエスカレーター方式だと見えなくもないという意味だ。大層な付属高校なんてないような田舎だ、せめてそれくらい都会チックに言おうとした結果かもしれない(笑)その中学のエスカレーター方式に乗っかっていって私も特に苦労せずに高校入学を果たした2年目、私はある女の子に出会った。その子は中学も同じで、中学の頃には一度も話したことがなくお互いに面識も一切なかったのだが、何故か私は中学校の頃から気になっていた存在だった。こう言っては失礼かもしれないが、お世辞にも絶世の美女とか最高に可愛いというわけではない普通の女の子だったのを覚えている。むしろクラスの男子に言わせてみると即答で「ないわ~」というような子だった。しかし私はその子の雰囲気が気になっていたのかもしれない。初めて会話したのは席替えで隣になった時だった。隣というのはそれなりにご近所づきあいも必要なもので、確か向こうが教科書を忘れたか何かで私に話しかけてきたのが始まりだったような気がする。おそらくその時に波長が合ったのだろう。それからはよく話すようになった。自習の時間があれば色んなことを話したり他愛のないことで話し込んでいた。思えばその時から気になっていたのかもしれない。決定的な出来事というのは修学旅行の時だった。修学旅行の班決めをしなければならないということで班の代表は放課後に教室に集まれという御達しがあったのだが、私の班の人間は用事だのメンドクサイだので結局私しか残らなかった。そのままなし崩しというのも気持ち悪いので私がその班の代表として意見する立場になったのだが、そこでふと妙案が浮かんだ。そしてその意見を真っ先に言った。一番に出た意見というのはそれなりに通りやすいようで、見事私の案は可決された。そして修学旅行の初日、私の班にはその子(仮にY)がいた。修学旅行の班が偶然(笑)一緒になったということで色んなところを見てまわることになったのだが、その折自由行動の時、一緒に見てまわった時私の思いは確信に変わった。Yのことが好きなのだと。その気持ちに気づいてからの修学旅行は楽しかった。一緒に写真を撮ったりバスの中でずっと話していたり。何よりも人生で初めて好きになった人と一緒にいられることが素直に嬉しかった。修学旅行も終わり普通の学生生活に戻ったのだが、そこからはいまいち進展もなく普通に過ぎていった。私としては大いに結構だったのだが、私のクラスがそれを放っておかなかった。私のクラスは三度の飯より色恋沙汰が好きなようで…普段の活動には纏まりがなく協調性の欠片もないようなクラスだったのだが、こと他人の恋愛ごとにおいては異常なまでの協調性を発揮する(苦笑)誰か1人が「この人とこの人は怪しい…」と言い出そうものなら、その噂の二人が話しているのを見るだけでクラスのほぼ全体がニヤニヤするといったたちの悪さを如何なく発揮していたクラスだった。まぁそのクラスにあってか否か…私とYが怪しいという噂はあっという間に蔓延し、廊下で立ち話をしているだけで絶対に教室のどこか…特に入り口の隙間から視線を感じたものだった。だからかもしれないが私には急がねばならないことがあった。それは早く告白しなければということだった。長くなったので続きはまた今度にしようと思う。因みに、面白くなければこの続きはなしということで(笑)
Jul 19, 2007
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家の郵便ポストが開けられない。。。一般的にアパートの郵便ポストというのは自分の部屋の前についているタイプとアパート自体の玄関的なところに密集しているタイプの2つに大別される。前に住んでいたところの郵便ポストは前者で郵便物があると自動的に部屋の中に溜まっていくようなシステムになっていた。しかし今住んでいるところは後者で、アパートの玄関のようなところにポストがあるようなスタイルなのだ。そのようなシステムには往々にしてダイアル式の鍵がかけられており、決まった回数決まった方向にそれをまわすとポストが開くという風になっているのだが…如何せんそのようなものに慣れていない故開け方がいまいち把握出来ていない節があった。初めて今のアパートに来た時にはその郵便ポストは開いていたのでその後郵便物は簡単に取り出せたのだが、何かの弾みで1度閉まってしまったが最後、開け方がわからなくなってしまった。大家さんから1度だけ郵便ポストの開け方を教えていただいたのだが、それを記した紙ももうどこかへいってしまったので…事実上開かなくなってしまった。鍵がかかってしまってからというもの仕事から帰ってくるたびに何度か試しているのだが、今のところ開くような気配は見せない。というわけで今は窮屈な思いをして取り出しているというわけだ。我ながら田舎者っぽくて情けないのだが(笑)新潟での地震といい北海道での地震といい…最近では地震が多発している。私はテレビはほとんど見ないので新潟の地震も恥ずかしながら知ったのは最近だった。しかもそれは2・3年前に起きた中越地震のことだと勘違いしていたほどに知らないような状況だった。地震が起きてしまうのは日本列島に住んでいるということの宿命でもある。日本列島には多くのプレートが集まっており、それはそのまま地震が起きれば震源地になる可能性を意味している。地震を予見する技術はどんどん発展していってはいるが、それはあくまで予見であって、地震の発生自体を防ぐことは不可能だ。それはある意味では自然を掌握するのと同義だからだ。地震が多く起こるということで問い沙汰されることが多くなったのが耐震強度の問題だ。最近の住宅事情では耐震強度の面でも優れた住宅が多く出来てきているが、それはあくまで最近家を購入した人だけに該当することであり…家を買うということが人生でも最大級の買い物であることを考えると、持ち家の多くは遠い昔に買ったようなものである以上は結果論かもしれないが対応が遅いと言わざるをえない。しかしながら既存の家の耐震強度を強化するということも可能だ。家周りのこととなるとその価格水準は跳ね上がることも考えられるが、地震が起こって家が倒壊する可能性を考えると決して高すぎるということはないような気がする。現段階で耐震強度を向上させる手立てというのがどの程度の相場なのかは知らないが、おおよそ台所周りの道具を一新するよりは高いということが予想できる。あくまで私の予想だ。需要が増えれば供給が追いつくように増加していき、そしてそのものにおける価格市場は自ずと均一化に向かっていく。これが市場原理の基本であるのだが、耐震強度向上の工事もこれに当てはまる時代が来るような気がする。地震が多発するということはそれに伴う防護策というのも必然的に注目を受けるということで…大切な資産である家を守ろうという動きが個人レベルで起きるのも自明のことだ。誰もが家を守りたいと思う以上、耐震強度の向上は大きな需要を得ることになる。需要が増えればそこに属する企業は自分の会社でその受注を受けようとアピールをし出すことになり、結果的にその業界での競争が生まれることになる。そうなると市場原理の流れでは価格が安定化且つ低価格化に向かうことになるというわけだ。競争が起こる業界というのは良くも悪くもニーズの高い業界であることが多い。その例に当てはまらないのがJTだと言えるだろう。ニーズは高いが競合企業がどんどん撤退していっているから、事実上煙草産業はJTの一社独占だと言える。税金を言い訳にして価格を吊り上げることが可能なのは競合がいないという何よりもの証拠だと言える。まぁそんなわけで何が言いたいのかというと、地震対策のソフト面以外での対応策として重要な耐震強度向上が価格競争のやりだまにあがる時代もそう遠くないのかもしれないということだ。まぁそのようなブームは世相をもろに反映しているので…その競争が起こるということはそのまま地震が多発しているということなので素直に喜べない部分もあるのだが…。
Jul 18, 2007
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この話はおよそ5日前のことで、会社の内線電話に関する内容だ。その頃会社ではまだ古い内線電話を利用していて、その内線電話は会社のいたるところに存在しているものだ。会社内で電話のやりとりをしている時には電話それぞれに割り振られた番号間のやりとりがどの電話にも表示されるようになっている。例えば2階と5階で内線電話で話している場合、1階で作業している私達のところにある内線電話では2階と5階のランプが点灯しているというように認識できる。そのことを踏まえた上で読んでいただきたいことなので予め付記しておく。その時私は夜勤をしていた。夜勤ということは当たり前だが夜に仕事をしているということで…仕事が始まった当初はまだ会社内に人はちらほらと残っているのだが、時間が過ぎていくと並行して私達以外はどんどん人が少なくなっていって、夜の7時をまわる頃には私達以外誰もいなくなっていた。まだ仕事を覚えきっていない私は仕事をしている(あくまで私はその認識なのだが、きっとそこまで仕事をしているという風には見えなかっただろう)時は業務の全てを覚えようと必死になっていたのだが、テープを交換しようとサーバー群の中を歩いている時、部屋の隅、ちょうと機械と機械の間くらいのところにふと何かの気配を感じた。しかしながら忙しい時間帯だったのでさほど気にせず作業をしていた。その後も何度となくそれと同じようなことが起こったのだが、まぁ特に気にすることもなく作業に没頭していった。そんなこんなで夜も更けていき、深夜2時半頃…作業をしながらなんとなく…本当になんとなく内線電話の前を通った時、違和感を覚えた。先ほども書いたように、19時頃には会社内には人は残っていることもある。一応の定時は18時なのだが、残業をすることは当然可能で19時くらいまでなら普通に残業していることは多い。しかし会社の規約でそれ以上の残業は認められないことになっていた。内線電話を見たのは午前2時半、勿論私達のフロア以外は誰もいないはずだ。セキュリティの厳しいことで有名な会社だ、フロア内に携帯電話を持ち込むことさえ禁止されているようなところだから、もしも仮にその時間帯に建物内のどこかにいれば検知されるはずだ。しかし…私が内線電話の前を通った時5階のランプが点いていた。しかも数分間も。ランプが点いているということは内線電話を使用中だということなので勿論相手先のフロアの内線電話も点灯するはずなのだが…5階だけしか点灯していなかった。これはつまり、5階で何者かが受話器を持ち上げているだけという状態を意味している。よしんば仕事をしているとしても内線電話の受話器を持ち上げたまま数分間いる状態というのはとても想像し辛い。結局その電話のランプは数分後消えてしまい、それから私が夜勤の仕事が終わるまで二度と点くことはなかった。しかし…後から先輩に聞くと、この職場はデルらしい。一体何が出るのかはわからないが、今になって考えてみるとあの電話をかけていたのは誰だったのか…
Jul 17, 2007
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晩御飯と呼べるかどうか紙一重なものを食べ終えてから、なんとなく思い立ってお風呂に入ることにした。私の家のお風呂は学生時代のユニットではなく社会人になったということでセパレイトに格上げされた。それは良い様に言っただけで、本当のところは社会人になったから格上げというわけではなく、単純に今度住む家は絶対にセパレイトにしようという決心のもとだった。ユニットの窮屈さと冬の寒さはもう4年間も経験してきているので嫌というほどわかっているつもりだし、敢えてまたそんな環境に住むほど自虐的ではないつもりだ。なので会社に内定を頂いた時から猛烈な速度と濃度で家探しを始めたわけだ。もう学生の頃のような思いはしたくない、今度は有意義な生活をしないと精神的な部分からやられるような気がしてというのもある(笑)そんなわけでお風呂に入ったのだが、久しぶりに湯船に浸かってみようと思った。何故そう思ったのかは今のところわからないが、そう…なんとなくだ。しかしながらこの部屋に越してきた時から湯船を使っていないということもあって、まずは掃除をする段階からしなければならなかった。実家暮らしでお風呂掃除をしたことがない人はわからないかもしれないが、湯船を使わないというお風呂の入り方は湯船が汚れないということを考えてしまいがちなのだが、実はそうではない。お風呂に入っているということは泡が飛ぶことを意味している、それが湯船に付くとそれがそのまま汚れに繋がってしまう。石鹸の泡なので汚くないと思いがちだが実はそうではないということは、お風呂を4年間ほとんど洗ったことがない友人の家に行って痛感した。なので湯船にお湯を溜めようという気持ちに揺らぎが出ないうちにお風呂を洗ってしまうことにした。洗ってみるとわかるが、2週間やそこらで湯船は汚れてしまうものだ。まぁ汚いものを綺麗にするということが気持ちいいと思える人種なのでそこは楽しく掃除していよいよ湯船にお湯を溜めることにした。溜まったお湯に満足し、いよいよ入ったのだが、これがまた気持ちのいいものだ。実家にいた頃は当たり前のようにお湯が溜まっていたのでそのありがたみがわかりにくくなるものなのだが、これははまってしまいそうだ♪自分の為だけにお湯を溜めたというのがまたいい(笑)しかしながら未だ私は貧乏サラリーマンだ。そう毎日毎日お湯を溜めるということも出来ない。なのでこの気持ちよさにはまってしまったところ口惜しいのだが、1週間に1回だけにしようと心に決めた。夏に暑いお湯に入るというのも乙なものだと思ったものだった。お風呂上りに火照った体を冷まそうとベランダ(希望的観測ではそう見える)に出たのだが、階下には浴衣を着たカップルが楽しそうに歩いているのが目に付いた。そういえば明日は祇園祭の宵山の山鉾巡行だ。今が一番盛り上がる時期なのかもしれない。浴衣を着たカップルを見ると自分が1人のことが淋しく思えるのだが、まぁそれでも幸せそうに歩いているカップルを見るとそんな卑屈なことを考えていても仕方のないことだということ、そしてそのような自分の考えが矮小だということに気づく。来年こそは…♪
Jul 16, 2007
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台風が来ているということを天気予報のメールで当日に知った私です(笑)意外に大きな被害を齎した台風4号なのだが、私はテレビを1週間ほどつけなかったのでその存在に当日に気が付いた。インターネットの天気予報もあるので事足りると思っていたのだが、完全に盲点を突かれる形となってしまった。まぁ結果論から言えば近畿地方、私の住んでいるところにはさほどの被害も無かったわけだし、知らなくてもさして問題はないように思える。しかしながら被害が大きかったところもあるようで…そこに住んでいる人は気の毒だと思えた出来事だった。それに関連して…昨日から祇園祭りが始まっている。台風の影響が出るのか出ないのか身近の出来事になってみると案外深刻なもので…ちゃんと開催されるかどうかを心配していたが、至って普通に開催されているようだった。ここで「ようだった」と表記しているのは、今年もまた祇園祭りには行かなかったからだ。もう今年で祇園祭りに歩いて行ける距離に住むのも5年目なのだが、未だ1度も行ったことはない。その理由は去年の今頃も書いたかもしれないが、要するに1人で行くほど惨めなものになってしまうからだ。確かに学生時代は祇園祭りと試験期間が重なっていたこともあって行けないという大義名分があったわけなのだが、今年は完全にフリーな状況で祇園祭りを迎えることとなった。しかしながら新たな問題発覚というか何と言うか…一緒に行く人がいないという壁にぶつかった。祭りを楽しむというのは1人で行っても楽しめる人と1人で行っても楽しめない人の2種類にわけられるわけだが、私はどう考えても後者だ。楽しいことだからこそ一緒に行った人と共有したいし、それでこそ祭りだと思っているからだ。まぁ兎に角今年も行かなかったわけだが…来年くらいには一度くらい行ってみてもいいような気がする。きっと来年の今頃も同じようなことを言っていそうなものなのだが、しかしながら折角京都に住んでいるのに三大祭に1つも行っていないなんて寂しすぎる。のっぴきならない用事で行けないということならまだしも、暇なのだがなんだか気が引けてしまうというのは私の悪い癖のような気がする。ネガティブな頃の私は今よりもその傾向が強かった。自分がいてはつまらなくなるのではないだろうか?自分が言ったことで傷ついているんではないだろうか?そのようなことを人付き合いの中のほとんどのシチュエーションで考えていた。そのようなことを考えていると言葉の端々にその気持ちが出るようで…それを察した人は私がそのように考えていることに気づくことが多い。大半の人は「そんなことないよ?」とフォローしてくれるのだが、ある1人だけは全く違う言葉を私に発した。その言葉を受けた時、私の中で何かが弾けたような気がした。その言葉を発した本人は気が付いていないかもしれないが、その言葉のお陰で私のネガティブはだいぶマシになったものだった。ネガティブは病気なのだろうか?それは定かではないが、病気には時として荒療治が必要な時がある。甘えの上で病気を治そうなんてぬるいやり方だ。優しさは甘えでは決してない。と…祇園祭りの話から随分と脱線してしまった感は否めないのだが、まぁこれくらいで終わりということにしておこう(笑)ちなみに…今週末には私にとってのビッグイベントが待っている。詳細はまた時間があれば書いていくとしよう♪
Jul 15, 2007
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今日から連休だという方も多いだろう、勿論私もそのうちの1人だ。しかしながらこんな風に3連休を取ることも難しくなってくるに違いない。それは何度も言っているかもしれないが、私の仕事が不定期なことに起因している。不定期な仕事というのは往々にして2つに分けることが出来る。1つ目は普通の不定期な仕事という意味でのニュアンスだ。営業日がまちまちであるとか、業務上仕方のない理由で定期的な業務に就けないという部分がある仕事は不定期であることが多い。2つ目は休むことが許されない、私が属している会社のようなスタンスのところだ。24時間365日稼動が義務付けられている以上、自分が休んでいる間にも誰かが働いているということがざらにある。それはつまり…もしも自分が休みでのんびりしていても、仕事に就いている誰かが体調不良になれば自分に白羽の矢が立つことを意味している。そのようなことがあってもすぐに対応できるように休みながらも体制だけは整えておくことが肝要だ。まぁそんなことを考えながら休日を過ごすというのもなかなか落ち着かないものだが(苦笑)そんなわけで長い連休に入ったわけなのだが、如何せんやらないといけないことが山積みになっている。最近では仕事の関係上夜勤が入り生活のリズムというものが若干だがずれ始めてきている。それが関係してか私の性格がずぼらなのが関係してかはわからないが、洗濯やら掃除やらがうず高く積まれている状況になっている。それらを処理することに追われる休日になりそうだ。どうにもゆっくりする暇はありそうもない。。今日もまたくだらない話のカテゴリだ。どうにも新しくくだらない話を作ったはいいものの、このカテゴリに分類される内容が多すぎるというのも問題なような気がする。それほどまでに私の毎日は平坦で退屈で…それでいて穏やかなのかもしれない。では本題へ…ジュースの話を何度か書いた気がする。栓を飛ばす遊びだとか本当の意味でくだらないことばかり書いてきたが、今回の内容はその真骨頂と言うか何と言うか…兎に角最上級にくだらない話だ。長かったジュース編もこれでひとまずは終わりということになる。缶のジュース、350ミリリットルのものを想像して欲しい。そのジュースを自動販売機で買って飲もうと思った場合よほど捻くれていない限りはタブを起こして栓を開ける必要がある。中身を効率的に飲むという観点で話をするならば余計にそうだろう。逆に言えば栓を開けなければジュースは飲めないという逆接でもある。しかし私は栓を開けないでジュースを飲み干すことが出来る。この特技は一発芸としてはかなり好評なものだが、実生活に役に立つかどうかを聞かれればかなり返答に困るものでもある。しかしながら普通の生活をしていて偏微分やマトリクスが役に立つかと言われれば誰しもが自信を持って「そうだ」とは言えないのと同じだと考えている。まぁそれくらいに思っていないと特技とは言わないわけで(笑)やり方は敢えて伏せるとする。もしかしなくてもこの特技が出来る人が必ずいるからだ。そんなことは特技だと言わないと注意を受けそうだが、しかしながら私がその技を習った友達というのはかなり上手くその技をこなすことが出来る。あのレベルまでいけば特技だと呼んでもいいかもしれない。しかしながらこの技にも弱点がある。それは栓を開けないで中身を飲んでいる様を見られるのが非常に辛いということだ。これは結果だけを机の上に掲示するからいいようなもので、その過程にまで目をやられると少しキツイところがある。要はカッコ悪いのだ(笑)ボタンの連打に続き、私にはくだらない特技が多すぎる。まだまだあるのだが、あまり連続で載せるのもモラルを疑われそうなのでやめておくが、ちょこちょこ小出しにしていこうと思うばかりだ。先日この特技を会社で披露した時顰蹙を買ったのは…言うまでもない_| ̄|○
Jul 14, 2007
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夜勤明けの太陽は殺人的だ。いつも思う、どうして徹夜した後の太陽はあんなにテンションが高いんだろうと。太陽に意思があるとしたら、絶対に徹夜明けの人間を発見したらテンションあげて照らしてやろうと画策しているように思えて仕方ない。夜寝ないで起きていると最初にやられるのは目であることが多い。これは勿論私の場合であって一般的ではないのかもしれないが、徹夜明けというのは、まず一番に目にクル。目がなかなか開かなくなってきて、そしてその後にはお腹にクル。お腹の調子がおかしくなるのだ、それは痛いとかそういう類のものではなく、むしろきゅ~っとなるのだ。この言い方で伝わるかどうかは定かではないが、しかしながらこの言い方がベストなような気がするのでそう言っておくこととする(笑)こと夜勤に関して言えば、そしてお腹がきゅ~っとなることに関して言えば、きっと今の現場だからだということが大きく関係しているのかもしれない。今の現場は滋賀にそのまま行ける道路、つまりは五条通に面したところにある。なので道も片道三車線とそれなりの都会ぶりなのだが、如何せん飲食店がない。あるにはあるのだが、閉まっているのか開いているのか入ってみないとわからないような喫茶店や、何を売りにしているのか皆目見当もつかないような定食屋といったようなラインナップになっている。しかしながら一軒だけまともなお店(と言ってしまうと前述したお店の方に失礼なのだが)がある、それがラーメン屋なのだ。夜勤の休憩時間になると兎に角お腹が空いて仕方なくなるのでどこかで食べようと先輩と出向くのだが、しかしそのくだんのラーメン屋しかないという結果が待っている。選択肢を持たない、否持てないというのは不幸なことで…結局ラーメン屋に行くことになってしまう。夜勤の休憩時間が5:00、5時にラーメン、しかもだーれもいない店内で野郎2人で。シュール過ぎる_| ̄|○近くにコンビニがあるのだが、しかし折角頑張って働いた結果コンビニで済ませるというのも味気のない話だ。だからと言ってそれ以外を考えるとラーメン屋しかないわけで。。きっと夜勤明けでお腹がきゅ~っとなると言った理由はそこにあるのかもしれない。朝の5時からこってこてのラーメンなんか食べたからお腹が悲鳴を上げているのだろう。そんなことがあってからというもの、なんとなくその時間に食べることがタブー化してきたのは言うまでもない。しょっぱい思いをしてまで食べたラーメンでお腹がきゅ~っとなることを考えると、少々我慢して食べないくらいがいいのかもしれない。それに夜にそんなものを食べると太るという話をよく聴く、体型のことは何気に気になっている私としては…そんなリスクを負うこともないだろうとラーメンを食べることをやめた。先輩方からは少々付き合いが悪いやつだと思われるかもしれないが、健康のことも勿論、このままでは場末のサラリーマンみたいになってしまうようで怖いという感情があったのも事実だった。しかし事態はそんなに簡単に終息はしなかった。その時間帯まで何も食べないということはお腹が空くことを意味している。これは必然なのかもしれないが、長い時間何も食べないでおくと胃がおかしくなってくるのだ。その結果結局仕事が終わる頃にはまたお腹がきゅ~っと…_| ̄|○つまるところ私は詰まれているのだろう。お腹がきゅ~っとなる星のもとに生まれたのかもしれない(苦笑)私ごときにはコンビニがお似合いだということなのだろうか?それはそれで…ブルーになること山の如しなのだが。。。汗
Jul 13, 2007
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思えば更新が非常に滞っている気がする。私としてはいつもあげたい気分があるのだが、それでも実際の生活リズムには勝てないというものだ。それというのも、最近になって仕事が忙しくなってきたということがあげられる。日勤だけならブログを書いて吟味するという時間があるのだが、最近では日勤に慣れてきたということで次のステップである夜勤に進みだした。夜勤は長時間労働であるが故、しかも夜の時間帯であるが故に、終わって家に帰ってくるとそのままお風呂に入って髪の毛も乾かないうちにばたんきゅ~してしまうというのが普通になってしまうのだ。そんな生活が当たり前になってしまうとブログの更新もままならなくなってくる。まぁそれでも誰かに命令されたりなんとなく始めたわけではないこれは…やめる時もまた強固な意志のもとに考えられることなのでその意志が確立するまでは更新が滞ろうが何をしようが続けてはいこうと思う。これを書くことが私の存在証明であることも…一因だ。今日のテーマはくだらない話ということで、極上のくだらない話をしようと思う。読んで損をしたと思うこともうけあいだ、それくらいのレベルだ(笑)一昔前のジュースの缶というのは今のようにタブ式ではなく、栓を引っ張ってベロッと捲ってしまうような機構だった。その故に缶の他にもゴミが出てしまうというデメリットが発生することとなった。しかし私はそのタイプのジュースの缶が好きだった。なぜならばそのタイプのジュースの缶は中身を飲んだ後も楽しめるという利点があるからだ。この遊びはおそらく全国的に普及しているものである可能性が高いので敢えてここで説明するのもどうかとは思うのだが…しかし一応(笑)ベロッと捲れるタイプのジュースの缶の栓(現在のタブ式のように正式名称があるのかもしれないが、それは生憎わからない)は、実際にジュースの缶に蓋をしている部分と栓の部分の2つによって構成されている。その遊びというのはその2つの部分がネックになる。その部分を千切って蓋の部分に栓を引っ掛けて弾くと栓の部分がまるでパチンコのように飛び出していくというものだ。この飛距離を競って随分没頭したものだった。この遊びの利点は鬼ごっことかかくれんぼとかと同じで気軽に出来ることだった。ジュースのゴミ箱の周りには栓なんか腐るほど落ちていたし、ちゃんと洗えばすぐにおもちゃに早変わりだったからだ。各言う私も小学校の2年生くらいまではこの遊びを嗜んでいた1人だった(笑)しかしながらそれから数年後にそのタイプのジュースの缶は無くなってしまった。おそらく冒頭に挙げた理由からなのだろう、確かにジュースを飲む度に2つのゴミが出るのでは生産的だとは言い難い。今のタイプのジュースの缶では出来ないのが少し寂しくもある、時々無性にやりたくなるからだ。だが…その遊びはまだ出来る。何故ならば、私の地元はど田舎だからだ。田舎には往々にして駄菓子屋というのは数軒あるものだ。しかもそこはお婆ちゃんが道楽でやっているような細々とした…しかしながら地域に根ざしたものであることが多い。私の町にもそんな駄菓子屋が数軒あって、儲かってはいないだろうが学生達の憩いの場になっている。そこはもう今やコンビニなどで普通に売っているお菓子などに混じって見たこともないようなレトロなものも置いてあることが多い。そんな一角にジュースコーナーがあって…そこには普通のジュースに混じって昔のタイプのものが置いてある。はっきり言って中身の保証は全く効かない。もう生産していないことを考えると、飲んだ時の副作用はどうなるかわかったものではないが、しかしながら前述した遊びをする分にはうってつけだ。なので時々、実家に帰った際の本当に時々にそのジュースを買ってその遊びをすることがある。今やってみると大して面白いことだとは思えない、小学校2年生の私が何故ああも没頭したのかはわからないのだが、それでもなんとなく懐かしい気がして…何度も何度も飛ばしたことがあった(笑)ちょっとだけ昔の、ちょっとだけ無邪気だった頃の話だ。
Jul 12, 2007
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夜とは言え、道路は大きなトラックや会社帰りの車で賑わっている。あぁ、今から帰れるのか、ふとそう思った。特に理由があるわけでもない。何故そんな状況になっているのか、それは今日の仕事が夜勤だからだ。夜勤の時間帯については以前のブログにあげたので敢えてもう一度は説明しない。その真意がどこにあるのかは、賢明な方なら察して欲しいものだ。つまりは…表沙汰にしにくいソフトな問題を孕んでいるということだ。その夜勤の休憩中に外を歩いているとそのような光景を見た。普通の会社員とはこうあるものなのか、ふとそんなことを考えた。思ってみれば私がしている仕事は本当に末端の仕事だ。言ってみればビルの清掃員のような…雑用的な存在だと言える。しかしだからと言って僻んでいるわけではない、大切な仕事、特に末端の仕事というのはそれをする人がいないと上層部が上手く回転しないということがしばしば起こる。つまりアカデミック且つグローバルな活躍をしている影には私達のような末端の役務をこなしている人がいるということだ。それが誇りに思えるかどうかはまだわからない。それはきっと自分が今の仕事で一人前になってから、その先に自然と転がっている概念だと思うから。仕事における責任感、その仕事でも業績や結果、そんなものはそれを目指している時点では手に入れることは出来ない。それは結果ではなく過程であって…そこをゴールとして見据えている人には辿り着くことができない概念だと私は思う。責任感を持つようになった、仕事で結果を残せるようになった、それはあくまで主観的な主張の上にあるもので、客観的な事象を指すことでは決してない。それはいわばもっと遠くにある崇高な目標の途中経過の遺物に過ぎないものを他者が評価するものであるべきだ。その境地に辿り着いて始めて自分の歩んできた道を振り返る、そんな社会人に私はなりたい。いつもながら話が脱線した、しかも今回は精神論の方へと…(汗)そのように外の喧騒を眺めていると、同じように休憩する為に岡島さんが来た。岡島さんと言えばくだんの合コンの件で色々とお世話になった人だった。その岡島さんは合コンに来ていた女の子に恋をしていて、そのことでよく私に相談してきた人だった。何故私なんかに相談するのか、それは私がその合コンの場にいたこと、そして私が岡島さんと同い年だということで話しやすいからだと思われるが…直接本人に聞いたことがないのでその辺りは定かではない。しかしながら私自身も岡島さんに悪いイメージはなかった。何と言うか…岡島さんはピュアなのだ。そしてピュア過ぎるが故に様々な社会上の軋轢に苦しんでいるという人だった。私はそれなりに小さな社会でもまれて少しは大人になったつもりだったが、岡島さんのピュアさ加減といったらそれは凄まじいもので…はっきり言ってしまえば何も知らな過ぎるのだ。岡島さんは今でも実家暮らしで1度も家を出たことがない人だった。そしてアルバイトの経験もほとんどない、所謂ソフトな意味での箱入りだ。それ故にアルバイトなどで培われるマナーや社交辞令という概念がそのまま抜け落ちており、人の言ったことを何でもかんでも鵜呑みにしてしまう傾向にあるようだった。初めて岡島さんと話した時はそのことを先輩にいじられているので、それが岡島さんの「キャラ」かと思っていたが、どうにもそうではないようだ。二人だけで話すことが多くなってくると、岡島さんのピュアさ加減がどんどんわかってきて、興味が沸いてくるとともに、少しだけ羨ましくなる。はっきり言って今の私は懐疑的だ。素直に信じたいと心では思っていても、すぐにその裏にある本音を探ろうとしてしまう。それが大人になることだと言ってしまえばあまりにも呆気ないのだが、しかしながら…できれば子どもの頃のように何の色眼鏡もなしに物事を推察したいと思うのもまた事実だ。そういう部分は様々な経験に裏打ちされた概念であり、自分を幾層にもコーティングすることは最早大人になることへの第一歩だと言っても過言ではない。しかしながら岡島さんにはそれがない、むしろコーティングする前の綺麗な状態がそこにあるような…とても鮮烈なイメージを持たせる人だった。そういう部分を垣間見る度に可笑しいと同時に羨ましくなるのだ。私もこうありたいと思うが、それを望む時点でその境地から程遠いことは自明なのだ。それを考えるとブルーになる。休憩時間に岡島さんの口から発せられた言葉は、また例の合コンの女の子に関することだ。いくら私がアドバイスしたところで最終的な決定を下すのは彼なので、私はそこまで深く立ち入ったことを聞くつもりはないと何度も言っているのだが、それでも彼はその話をしてくる。私に何を求めているかは定かではないが、それでも岡島さんを見ていると何か言ってあげたくて仕方なくなる。世話焼きの気質が少しだけお目覚めのようだ(笑)
Jul 11, 2007
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横の部屋がどうにもおかしい。というのもそのことには最近になって気づいた。朝も早い時間、早いとは言っても所謂通勤ラッシュの時間にはなんということはない、普通の横の部屋なのだが、その時間を過ぎた頃、ちょうど朝の10時をまわった辺りから不穏な音がしだす。まずは金槌で何かを打ち付ける音だ。察するに釘か何かを打っているのだと思うが…横の部屋も私が住んでいる部屋と同じ構造だと仮定すると、そんな釘を打ち込む隙間などないように思える。ここでちょっと話は脱線するが…京都の賃貸物件にはある特徴がある。それは以前のブログにも挙げたかもしれないが、兎に角「敷金礼金」が異常に多く必要だということだ。それ以外にももう1つあるのだ。京都に来たことがない方は、京都には日常舞妓さんがうろうろしているというイメージを持っている方がいるらしい(地域にもよるが、ある意味正解ではある)。その先入観と同じようなもので、京都の賃貸物件には長屋があるのだと思っている人がそれなりに多いらしい。決してそんなことはないのだが、建物を大切にするという観念に関してはかなり重要視しているという特徴がある。それを証拠に、京都の賃貸物件の多くは壁に何か釘のようなものを打ち込んでそこに何かをひっかけるようなものを作ってはいけないというルールが蔓延している。以前に兄の部屋に遊びに行ってびっくりしたのだが、兄は当たり前のように壁中に絵や葉書を飾っていたものだった。京都にしか住んだことがない私にしてはそれが許されるということに少なからずカルチャーショックを受けた。しかし壁に何も飾れないというのは辛いというものだ。それに飾るという用途以外にも何かをかけるという役割を持たせている人もいる、なのでその為の措置として「この壁のこの区画だけは釘を打ち込もうが画鋲で刺そうが好きにしていい」という場所が設けられているところが多い。そのようにして建物が汚くなるのを防いでいるのだろう。まぁ経営側に立ってみるとそれがベストだということはよくわかる。上記のことから、横の部屋で行われていることはそれである可能性も否定できないのだが…それならば1日で終わることだ。しかもそんなことなら手で金槌を振るって釘なりを打ち込めば終えることも可能だ。しかし横の部屋で行われていることはそんなレベルではなかった。なんとインパクトまで持ち出しているのだ。そしてその騒音たるや凄まじいものだった。いつも朝はいないので気づかなかったが、まさかそんな騒音を横の部屋が出しているとは思ってもみなかった。横の部屋というだけで隣の部屋ではない可能性もある。私のアパートは思った以上に壁が薄いので、その可能性も否定できないというわけだ。怒り心頭で乗り込んでみたものの人違いでした♪では済まない問題だと言える。煩いなぁというよりも、個人で住んでいるのにインパクトを持っているということに驚いた。これは管理人に進言すべきことなのだろうか?まだ入居して一ヶ月弱だ、出来れば波風は立てたくないが…我慢にも限界があるというものだ(苦笑)
Jul 10, 2007
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時期的には遅れたが、やっと天野月子さんの5連続リリースのCDを全部聴くことが出来た。因みにだが、今回は完全に趣味の話になってしまうので、つまらないことうけあいだ。まぁこんな内容があってもいいかもしれない。はっきり言って、天野月子さんの音楽は秀逸という評価しか出来ない。日本の所謂J-POPというものに飽き飽きしていた私だったのだが、最高の音楽センス、生ける才能に邂逅できたのはある意味奇跡だったのかもしれない。しかしながらこの人がテレビに出ているところを見たのはそうない、それは露出云々の話ではなく、単純にそこまで表立って注目されていないことに起因している。ご本人の意向はさておいておくとしても、テレビにはあまり出ない人だと私は認識している。しかしながら何故テレビに出ないのか、その要素が逆に好きだというのもまた事実だ。インディーズ時代に狭義な世界で名を馳せた人というのはその後メジャーデビューすると世間の注目を度外視し音楽性だけを見るとどんどん衰退していくという傾向が強い。勿論全てがそうだとは言わない、しかし今のJ-POPの人気アーティストの中にもその傾向に当てはまる人は多い、あくまで主観だ。そういう観点で言うと、天野月子さんはメジャーデビューしてもその音楽性は色褪せることはない。それはメディアに汚染されていないからだと私なりに思っている。話題性ばかりが先行してしまうものというのは必然的にハードルが上がってしまうというものだ。そのプレッシャーをどう感じるかは完全に本人次第なのだが、そのような期待がされていない(と言っては失礼かもしれないが、あくまでメディア主観でものを見るとすると)場合、結果リリースされた曲は等身大の見解をされることになる。あくまで天野月子フリークの私の意見では、天野月子さんはそういう意味で期待を裏切ることはないと思っている。兎に角全てにおいて凌駕しているという評価を持っているわけだ。私がこの人を知ったのは数年前、ちょうどホラーゲームにはまっている頃だった。その頃やっていたゲームはカメラを武器にして古い日本家屋や滅びた村を探検するといういたって簡単な趣旨のものだった。しかしながらその怖さたるやそこらの普通のホラーゲームと称されているものを軽く凌駕しており、特に暗闇でヘッドホンをして小さな音まで拾うようにゲームを進めるとかなりの怖さを味わうことができる。怖いものには目がない私としてはすぐにはまってしまい、かなり頑張ってようやくクリアしたのだが、エンディングで流れた唄が天野月子さんの唄だったのだ。それは「蝶」という曲なのだが、これがまたゲームの世界観を色濃く投影しつつ、それを以て尚深みのある音楽性を醸し出していた。普通ゲームをクリアするとその余韻に浸るものなのかもしれないが、私は次の瞬間CD屋さんに向けて自転車を漕いでいた。「あの唄をフルコーラスで聴きたい!あの人は誰だ、もっと聴きたい!」その一心で自転車を漕いでいた。ゲームの内容も勿論のこと、私はそのゲームをすることによって天野月子さんに出会えたことを幸運に思った。そのゲームをクリアしてから一ヶ月後、私の家は天野月子さんの唄で溢れていた。何かに憑依されたが如く片っ端からCDを借りたり買ったりしたものだった。そして今でもその熱は冷めることはない。秀逸な音楽性や驚くほどの音域の広さ、そこに惚れたと言ってもいい。勿論この意見は私個人のものであって、天野月子さんを知らない人の方が多いこともわかっているし、同じような考えを他のアーティストに抱いている人もいるだろう。感性なんて人それぞれだ、上記の内容を押し付けるようなことはしないし、自分の意見にそぐわない人を異端だと思うほど子どもでもないつもりだ。しかしながら1つだけ言えることは…これを読んで興味を持った人は1度聴いてみることをオススメする。きっと後悔はない、そうはっきり言える。今日の日記はまるで…私がポニーキャニオンの回し者みたいだが…決してそうではないので悪しからず(笑)
Jul 9, 2007
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あぁ…やってもうた_| ̄|○こんなスタートなのには理由がある。そもそも悪いのは洗濯機か私かと言えば明らかに私なのだ、しかし何かのせいにしないとやっていられないのもまた事実で…。事の発端は私の家に私と同期で入ってきた洗濯機にある。洗濯機を持っていない家庭などないだろうからこんなことを言うのは明らかにおかしいのはわかっているのだが、それでも一応説明をしておくとしよう。洗濯機には当然ながら洗濯をする機能が付いている。しかし現代がいくら文明が発達しているとは言っても、最初から最後までがオートメイションになっているわけではない。洗剤を入れないといけないし、スイッチは押さないといけない。自明だが洗い終わった洗濯物は干さなければならない。そのような手間をオートメイションにするということは今のところ確立できる技術ではないのかもしれない。しかしそれ以上に思うところがある。それはオートメイションにしてもいいのかどうかということだ。技術が発達するということは、それに伴う人の負荷を機械が持つということだ。今の技術でも充分に自然から逸脱しているものを更に加工するということがどういうことなのか、それは言わずもがなだ。楽とか便利とかそういう次元の問題ではない、マクロレベルでの負荷が高まるということだ。それはそのまま地球レベルでの負荷に繋がる。人は寒いので火を起こすという方法を考え付いた。それだけでは対したことではないが、もっと簡単に暖を取るために機械仕掛けのヒーターを考え付いた。その発達の段階で確実に起こっていること、それは二酸化炭素の増加だ。まぁその辺りの議論をすると甚だ話が脱線してしまうのでやめておくとして…。結局のところ何が言いたいのかと言うと、今の技術上洗濯機には洗剤を入れないと洗ったとて意味はないということだ。それをまさに…やってしまったということだ。未だ洗濯機のある生活というものに慣れていない。洗濯をする為にはいつもちょっと遠くにあるコインランドリーまで行かないといけない。そうなると簡単に行けなくなる。細かく洗濯するという人はそれでもいいのかもしれないが、私のように性格的に細かいかどうかが微妙な場合、面倒だというレッテルを貼ってしまうことがある。なので今は洗濯機があるという状況に慣れていないというのが実際のところだ。近いところにある名所にはなかなか行かないのと同じ原理なのかもしれない。帰ってきて何気なく洗濯機が閉まっているのに気づき開けてみると数日前に洗ったばかりの洗濯物が入っていた。しかもよく考えてみると洗剤を入れないで洗っていたのだ。言ってみればただ水で軽く濯いだだけの状態だ。その洗濯物から生乾きの嫌~な匂いがしていた。生乾きの匂いが臭いということはわかってはいたが、実際のところ私はその匂いを経験したことはなかった。奇しくもその時初めて生乾きの匂いを嗅ぐことになった。ちょうど1週間の〆なのでもう一回洗うという意味も兼ねてもう一度洗うことにしたのだが、何故か乗り気ではなかった。もう一度するということがこんなにブルーになるとは思わなかった。まぁそんなバカなこともしつつ…来週末から少し旅行に出る予定だ。行き先は静岡県浜松市。古くからというか何と言うか、兎に角友人に会いに行く為だ。それは私の為ではなく、勿論向こうの友人の為ではなく、まぁお互いの為だと言える。久しぶりの旅行でうきうきしているのも事実だし、それ以上にその友人に会えるのが楽しみだ。お酒の席でぶっちゃけトークをすることが楽しみな私としては嬉しい出来事だと言える。静岡は遠いと思うか思わないか、それは人次第だが、以前に様々なところを一人旅していた私としては名古屋くらいならコンビニ感覚で行けるという自負がある。なので静岡くらいならちょっと足を伸ばす感覚だと言える。1週間の始まりでそろそろブルーになってくる時間帯ではあるのだが、このようなことが週末に待っているとなると…1週間の仕事にモチベーションも発生してくるというものだ♪
Jul 8, 2007
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お昼はお弁当。という色気もないような休日を過ごしているのだが、今日は七夕だ。そういえば、去年の今日には七夕の由来を書いたことがあった。七夕の由来は悲しいものだと思っている人がいるかもしれないが、決してそうではない。私的な解釈だが、あれは戒めだと思っている。会える会えると思っているからこそ気持ちのすれ違いもあるというものだ、あのように遠距離(という表現が正しいかどうかはわからないが)で1年に1度しか会えないという距離でも上手くいくものは上手くいく。むしろ会えない距離にいるからこそお互いがお互いを想う気持ちで大きく左右されることになる。まぁ一般論かもしれないが、今はそれを強く思う今日この頃だ。七夕と言えば願い事を書いた短冊を笹に結ぶという風習が有名だ。あれは何故ああするのか、子どもの頃不思議に思ったことがあった。今はどうかはわからないが、私が子どもの頃は願い事を書いた短冊を結ぶ笹は家の外に飾っていた。それは今ほど防犯防犯と煩く言われていない頃で…尚且つ田舎ならではの風習のような気がする。後は土地的な問題もあるかもしれない。兎に角折角短冊を付けた笹を家の中だけにおいておくということはしなかった。そのように衆人環視とも言えるような状況で自分の願いを書く、自分の願いが周りに見られるということで、願いが叶うか否かの努力を自分でしているかを周りに見てもらうという意味があるのだとずっと思っていた。しかし色んなことを知っていくうちにそうではないということがわかった。我ながらリアリズムで生きていることを痛感したものだった(笑)昨日の日記で飲み会のことを書いたのだが、実は飲み会に使ったお店の玄関前に笹が飾ってあった。そこにはそのお店を利用した人が各々の願い事を書いた短冊を笹に飾るように出来ていて、私達の飲み会が終わって帰ろうとした時にはもうどこにも短冊をかけられないというくらいに短冊がかかっていた。先輩方が社長を見送ったり二次会の画策をしている途中、私はふと思い立ってその短冊に何が書いているのか気になって表立ったところに飾ってあるものを見るでもなしに見ていた。そこには普通の微笑ましいお願い事が書いてあった、例えば「けー君が健康でありますように」「看護の国試に受かりますように」などなど、誰もが持ちえるようなお願い事が書いてあった。その中には「なおちゃんの性格が治りますように」など少し意味のわからないものもあったが、私が一番興味をそそられたのはこの一枚だった。それは願い事というよりもむしろ独白に近いもので…察するにこれから1年どのように過ごすかの決意表明のようなものだった。その短冊には「右から左へ聞き流す」と書いてあった。こんなことをするのは関西人らしいというかなんというか…今になって思うとくだらなさで満ち溢れているのだが、その時は酔っていたせいかどうかわからないがかなりツボに嵌ってしまった(笑)ウケ狙いにしてもせめて前向きのことを書けばいいものの、どうして後ろ向きのことを書いたのかその心境のほどは定かではないが、これが一日でこの日一番ナイスな短冊だった。飲み会のことはほとんど覚えちゃいないが、これだけは鮮明に残っている。
Jul 7, 2007
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飲み会って続くと辛い…。というわけで今日も飲み会だった。この前にやった飲み会というのは、会社の中でも所謂親交的なレベルで行われたものだった。それは会社の上層部はほとんど知らずに行われたものだった。今回の飲み会というのは会社レベルで新人の歓迎と、総務の送別を兼ねたものであるという…所謂オフィシャルな飲み会だった。何故会社レベルで2回も飲み会を行うのか…それには根深い問題がある。まず大前提にあるものとして、会社の重役クラスと会社のトップの仲がよろしくないということだ。会社の形式が派遣をするということは以前にも書いたのかもしれないが、現場を知るという観点でそこにノータッチな部署…つまりは本社勤務をしている部署と人員、そこと実際に派遣されている…つまり私のようなぺーぺーからベテランまでの社員の間に友好的な関係は表面上でしか存在しない。その理由は入社1ヶ月の私でもわかるくらい単純明快なもので、それでいて根本を突いている問題だと言える。要は本社勤務をしている人達は現場の実情を知らないのだ。どのような環境で働くか、それに伴う賃金はいくらなのか、そのようなファクターは確かに大事だが、あくまで机上でしか議論していないと言える。労働条件なんか派遣されていっている以上は相手先のさじ加減でいくらでもどうとでもなることだ。そのようなことで不当な扱いを受けることも、時間外労働に対する正当な報酬がないなどの諸問題はざらに起こっている。以前に夜勤が17時間あるということに少しだけ触れたかもしれないが、これだって問題と言ってしまえば問題だ、1日24時間を3シフト制にわけて、1つのポジションを8時間×3で24時間にするならまだわかるが、昼間を8時間にして、夜を残りの17時間で埋めようという考えが気に入らない。しかも作業をするとは言っても夜間なので仕事とは言っても突発的な仕事なんてありえないし…休んでいる時間の方が多い。それならば余計に3シフトに…とまぁ、挙げだしても終わらないくらいに連なっていくものなのでこれくらいにしておく。ちなみに今まで列挙したものは私自身の考えであって、職場に同じような考えをもった人などごまんといる。1ヶ月職場にいただけでこれだけの軋轢を感じているのだから…ベテランさんの不満など私の想像を軽く凌駕していても不思議ではない。そんなことを言いながら、そのような環境が不満な人などあまりいない。それは本当の意味でその派遣先をまわしている方々の問題であって、一般的な立場の私を始めとするような人には関係ないように思える。何が不満なのか、それはそのような状況を会社のトップが認識していないことだ。会社のトップの考えは一様で、「働いている」それだけだ。「どのような形式で」「どのようなスタンスで」「どのような環境で」そんなことは一切関係ない。ただ現状働いていさえすればそれでいいというのが正直なところなのだ。だからこそ会社のトップ、突き詰めれば本社勤務の人間と現場勤務の人間には大きな溝がある。これは埋めようと思って埋まるものではない、それは観察眼乏しい私でさえ感じていることだ。そんな状況でのオフィシャルな飲み会、胃が痛くないわけがない。社長にアピールしようとか、重役に取り入ろうとかフツウの考えは私にはなく、ただただいるだけの存在になろうと心に決めていた。いざ飲み会が始まるとやはりというかなんというか…私が自己紹介する場面になった。飲み会を含めるともう4回目の自己紹介になるのでネタも尽きるというものなのだが、まぁ当たり障りない自己紹介をしておいた。特に問題もなく飲み会は終わったのだが、やはり疑問は残るものだ。一般的に言うところのアットホームな会社のあり方ではない。アットホームをうりにしているようだが、それはきっと社長の独断と自己満足によるものだろう。そんな会社なのに私は何故いるのか、それは私が所属している課が楽しいからだ。上層部の理不尽、頭ごなしの文句に慣れているのかどうかはわからないが、私の所属している課はいい人ばかりだ。そこで仕事をしているということが私にはありがたくも学ぶことが多い。末端と言ってしまえば末端なのだが、そのような繋がりを確実に持っていることは大きなことだと感じる。てっぺんのてっぺんのクリークが薄い分、現場の協力体制は強固なものになっているのかもしれない。飲み会の後、私の課だけの主任クラス以上の飲み会があった。主任クラスなので私は参加できないと思っていたが、私に期待してくれている係長が私も呼んでくれた。始まった会議は重く、そして社員の深層を抉るような内容であることもあった。時間的にも日付が変わるくらいなので普通なら眠くなるのだが、話の内容がソリッド過ぎて眠たくもならずずっと聞いていた。今になってみれば…私に何故その会議に参加させてくれたのかはわからない。しかし話の根底にあるものは、難しい専門用語でも難解な業務依頼でもなく…意識の問題だった。自分はプロフェッショナルであるという自覚、それに付随する業績、結果を残すこと、それは難しいことではない、自分自身の考え方1つで見えてくるものだということだ。私に出来ることは1つしかない。一刻も早く1人前になることだ。その意識を再確認することが出来ただけでも、得るものは非常に大きかった。
Jul 6, 2007
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どうして家には要らないものが増えていくのだろう、時々真剣に悩むことがある。要るものと要らないものの限りなく一般的な線引きというのは用途の多さというところがあるだろう。例えばダンボール箱1つをとってみてもわかる。ダンボールの箱はそれ1つが部屋にぽつんと置いてあってもさして意味はないような気もするが、ひとたび物を入れるという観点では非常に役に立つ場面が多い。しかしここで忘れてはならないのは「物を入れ持ち運ぶという状況があるかどうか」ということだ。いつかは物を運ぶかもしれない、いつかは引越しとかでダンボールが必要になってくるかもしれない。このような考え方が堆積したものが所謂要らないものと呼称されるものになるのかもしれない。このような傾向というのは人によってまちまちなのかもしれないが、私は特に顕著なような気がする。豪華な(あくまで主観)お菓子が詰めてあったような箱や、小物の包み紙などは、絶対に使い道があると信じてやまない節がある。むしろそういうものを取っておかなかったと仮定して、そのような要らないもの必要なシチュエーションに出会ったら、それがなかったらどんなに困るだろうと自分の一挙手一投足を悔いるようなことがあるに違いないと思っているのも否めないわけで…。結局は意地になっているだけかもしれない。一番酷い時には文房具を大事に持っていたことがあった。それは少しオシャレな造りになっていて、私の小さな頃のお気に入りのものの1つだった。今になって思うと、男なのに文房具を大事にしている辺りが変わった子どもを物語っているような気もする(笑)兎に角それが宝物のような存在だった。しかし実際に文房具が必要なシチュエーションでそれが華々しいデビューを飾ることは1度たりともなかった。その文房具には定規や消しゴム、ハサミやボールペンなど多くのものが収納されているものなのだが、使い道をしっかり見定めていればかなりの汎用性を発揮するということはわかっていた。しかしお気に入りの消しゴムを使って角が削れてしまうということを嫌う、定規を使ってボールペンで線を引いて定規の側面にボールペンの跡が残ってしまうのを嫌う、ハサミを使ってハサミの刃に切ったものが残ってしまうことを嫌う、ボールペンでものを書いてインクが減ってしまうことを嫌う、このような我侭にも似たような感情によって、その文房具セットはただのお飾りになってしまったのだ。大切な人から貰ったものや、思い出の詰まったものは使いにくいということはよくあることだ。それが消耗品なら尚更だ。それらにとって使い道なんてただの、思い出をすり減らすだけの「邪魔者」に過ぎない。私の文房具もそうだった、結局1度も使わないで今でも実家の学習机の2番目の引き出しに入っている。しかしそれらのものはそこにあるだけで意味がある。使い道なんて要らないのかもしれない、そこに「いる」ことが価値であり、全てだ。しかしながら、どこかで文房具にも一般的な価値があると信じていたのかもしれない。文房具なんて家を探せばいくらでも出てくるものだ、そのものである必要はない。やっぱり私は物が捨てられない。それは価値があるか否かではなく…呼ばれなくてもそこにいるような存在が欲しいからだ。出番を待っているそれが変に愛おしく思えてしまう以上、私の部屋からイラナイモノがなくなることはないのかもしれない(笑)
Jul 5, 2007
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意気揚々という言葉が不思議だ。意気揚々とはなんというか、元気な様子やうきうきした様子のことを指すような言葉だ。「意気」の意味はまだいいが「揚々」というのが不思議に思えて仕方ない。揚という字は揚げるという意味だ、それを考えると気持ちがからっと上がっているのが意気揚々という意味だという解釈が出来る。からっと揚がったというのは少し変だと思ったのだが、意味を調べてみて納得した。揚げるという言葉には「高まる」という意味もあるらしい。国旗の掲揚という言葉にも入っているように、そのような用途もあるというわけだ。こういうくだらない系統の疑問がたくさんあってもう飽和状態だ。客観的に見るとバカバカしいかもしれないが、こういう事例を見ると、如何に自分が漢字の意味を知らないのかを痛感するというものだ。そんなわけで意気揚々と夜勤を終えて帰って来る途中、妙な違和感を覚えたことがあった。今回のテーマがそこにある。職場から家へ最短距離で帰る時、必ずと言っていいほど商店街を通ることになる。S商店街と呼ばれるそこは商店街が多い京都市内でも随一と言えるほど寂れているところで、店だって太陽が沈めば閉店するところばかりというある種健康的なお店ばかりが並んでいるようなところだった。商店街の寂れ具合はきっと通っている人達よりも商店街を運営している人の方が深刻な問題であるようで…活性化を図ってか否かよく商店街内放送をしている。寂れる一方であるところはひたすらにイベントを催すという通説があるように、S商店街も例外ではないようだった。休みになる度になにかしらのイベントを催しているようだった。ただの通り道としてしか利用していない私としては興味の対象にもならないのでそれに関する放送をしていても右から左へ聞き流しているような感じだったのだが、繰り返し繰り返し放送しているのを聞いているとどうしても耳に残ってくるものだ。そこでそれなりに聞きながら歩いていると、その放送の一部に少し変な表現があることに気づいた。放送によると、今週末に何か商品が当たる抽選会を行うので奮って参加して欲しいとのことだった。しかしそれを伝える為に用いている言葉が「楽しい抽選会をしますので…(中略)…参加してください」というような内容のことだった。これがどうしても気になって仕方なかった。確かに言っていることは普通なのかもしれない、抽選会を行うことは楽しいことなのかもしれない。しかしその抽選会が「楽しいかどうか」は開催側が決めることではない。その判断を下すのはあくまで参加者の方であって、最初から楽しいと決めるのは早計ではないだろうか?このような表現をしているのはこういう類のものだけではない。例えば「美味しい果物」とか「気持ちいいマッサージ」とか「面白い話」とかもそうだ。美味しいかどうかは食べないとわからないし、それを美味しいと思う人もいればその果物が嫌いな人にとっては美味しいものではないに違いない。気持ちいいマッサージも同じで…その部分をマッサージしてくれることによって気持ちいいと感じる人もいれば気持ちいいと感じない人だっている。面白いも言わずもがなだ。形容詞というのは往々にしてそういうものであることが多い。特に宣伝するという観点においてはその傾向が顕著になる。まぁくだんの抽選会において「楽しい抽選会」と言った方が楽しげなイメージは伝わってくるし、宣伝効果はあるのかもしれない。しかしながら正しい表現をするという上ではあまりよろしくはないと思われる。あくまで私個人だけの話をするのならば、一番信用できない形容詞を含んだ宣伝が「美味しい胡瓜」だ。これだけはどうしても信用することができない(笑)確かに食べてみれば今までの私の中での胡瓜のイメージを払拭するだけの美味が待っているのかもしれない、しかしそのような呼び声を聞いたからと言ってそれを手にとって購入するというような冒険は…今のところできそうにないのが現状と言ったところか(笑)
Jul 4, 2007
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週末にやらなければならないことを全て片付けていたこともあって、週明けは晴れやかな気持ちで仕事に望むことが出来た。学生の頃は週明けとは言っても講義がないこともあったし、それによって肩透かしを喰らってしまうということも珍しいことではなかった。だからこそその時に掃除なり洗濯なりをしておけばいいと先延ばしにしてしまう癖が出てしまう。それは意志の力を持ってすればなんとかなることなのかもしれないが、それはつまり…あと2機ある時のマリオはそこまで緊張感ないかもしれないが、もう1機もない時に操作するマリオには手に汗握るプレイが待っている。という状況に似ている。例えが少しわかりにくいかもしれないが、つまりは余裕があるかないかで気持ちには大きな違いが出るということだ。仕事をしているという状況はそれに近似している。休むということは許されない、自分の存在如何で仕事の能率は変化するのだ。役に立つ立たないを超えたものがそこには介在している。学生気分でいると一番引き締めないといけないところはそこなのかもしれない。朝ちゃんと起きないといけなくなった以外の代償はやはりある、それもその一部であることは言わずもがなだ。しかしながら今日は早起きをしなくてもいい日だった。勿論仕事が休みとかそう言う意味ではなく、今日は初めての夜勤だったからだ。私の会社の夜勤は少し変わっている。それは仕事の仕方一つをとってしてもわかることなのかもしれないが、そんなプライマリーなところではなく、むしろ仕事の時間が問題なのだ。一般的な夜勤というのはおおよそ聞いただけの話なのだが、夜の10時くらいに始まって朝の7時くらいに終わるものだと思っていた。この「おおよそ」というのは所謂コンビニの深夜のアルバイトと同じクオリティを予想していたからこその意見であって、決して統計をとったわけではないということは予め付記しておかなければならない。しかしながらそれを差し引いたとしても、私の会社の夜勤はそんな生易しいレベルではない。所謂日勤が終わった時間から次の日勤が来る時間までが夜勤の労働時間として充てられている。日勤が朝の9時から夕方の6時までとされているので…単純計算しても夕方の6時から朝の9時までが夜勤の労働時間だという計算になる。そんな馬鹿なと思うかもしれないが、会社側は大真面目だ。しかしそれだけではない。私の会社は24時間機械が稼動していないといけないところだ。機械だって完璧ではないので、24時間動いていると大なり小なりミスは犯す。それは機械に責任があるとかないとかそういう問題ではなく、その機械を統率している人間側に責任があるのだ。そのようなミスが起こった場合(というかそんなミスは毎日起きるが)そのようなミスがあったということを勤務者全員が知らなければならない。仮にミスが無かったとしても、この仕事はこの段階まで終わっているということを次の勤務者に伝える義務があるのだ。そうしないと円滑に仕事は進まないし、何よりも24時間稼動という機械の利点を生かした仕事スタンスではないと言える。そうなると…業務時間内に仕事の引継ぎをしなくてはならなくなる。職場に着いていきなり仕事というのは先ほど書いたような理念に反することになるし、なにより業務時間に引継ぎ時間が食い込むという無駄が生じることになる。会社によってまちまちになるが、私のところは前後1時間の引継ぎ時間を設けている。様々なファクターを確実に次の人に継承していくにはそれくらいがちょうどだと見込んだようだ、まぁ妥当なところだろう。その時間も加味して考えてみると…プラス2時間されることになり、合計は17時間働くことになる(笑)考えてみるとそれは法律的に「うん、オッケー♪」と言えるレベルではない。出すところに出せばいくらでもどうとでもなることだ。しかし敢えて誰も文句を言わないのはその17時間労働が会社に計上している業務内容とは異なっているからだ。ブログという形上、これを書いているのがどこの誰だかわからないという匿名性がある。だからこそリスキーなことでも書けるという利点を生かしてここに口外してはいけない内部事情を綴ろうと思う。「17時間労働、うち休憩1時間」それがこの労働の基本的事項だ。しかし実際に緊張状態を伴ったままに実質16時間も働けるかと言えばそれは難しい話だ。深夜は日中に比べて、そして労働時間に比べてすることは少ない。仕事の特性上、実際に仕事をするという場に於いては誰か1人がそこにいれば事足りることになっている。つまりは1人さえいれば他の人は休憩しようが寝ようが自由だということだ。ある程度仕事の流れを掴んでくると、一人いるだけで仕事というのは円滑にまわるようになっている。深夜だということで外注の電話もないし、その会社本来の社員も帰っているので急な仕事が舞い込んでくることもありえない。つまり外から見える17時間労働、日勤と比べてみれば明らかに実務時間は少ないという結果になっている。だべったり昼寝(昼ではないが)したりなんてある程度自由だし、会社内に残っているのは警備員だけという状況なのだ。しかもその警備員はICカードがないので仕事場には入れないという詰み具合なのだ。しかしながら時間的な苦労はある。なんだかんだ言いながらも深夜ずっと活動しなければならない、それを思うと一意で楽だとは言い難い。勿論それは仕事に慣れた先輩方の話であって…私は例外だ。まずは仕事を覚えるということをしなければならない。なので先輩方がゆっくりと昼寝や漫画を読んでいる間も私だけは仕事をしなければならないというわけだ。若干理不尽に思うかもしれないが、それは仕方のないことだ。私も「ちくしょー、なんで自分だけ…」と思って仕事をしているわけではない。慣れてしまえばいいだけの話なのだ。こうして初めての夜勤は16時間という労働時間を本当の意味でまっとうした形で終わった。なかなかしんどいかもしれないが、幸いにして私はずっと実家暮らしのインボックスではないし、アルバイト経験だけは誰にも負けない自負がある。夜勤だってもう数え切れないほど経験してきたので、さして苦労することもなかった。しかしながら最初から元気だと「恐ろしいほど長い時間の労働だぞ!?」と脅してきた先輩の面子が保たれないので、そこは気を遣って「いやぁ~、しんどいですねぇ…」と答えておいた(笑)3日寝ないで働いたことがある私としてはたった17時間くらい大したことではないなんて…とてもじゃないが言えない言えない(笑)
Jul 3, 2007
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ついに現われてしまった。これは私の責であるのが半分、そのような特質を持った人がいたという要因が半分…つまりはきっかけさえあればいつでも萌芽してしまうような危険性を持ったものだったと言える。そのきっかけを与えてしまったのは私だ。なので強くは言えないのだが…それにしても今回の職場にもいたとなると、かなりブルーになると同時に哀れみさえ感じるものだ。事の発端は私が新しい配属先に行くようになった頃から徐々に動き出していた。その頃私は金銭的な余裕があまりなく、前述したように家計簿をつけているくらいに無駄なお金を省くよう徹底していた。それはこの会社に入るまでの経緯が大きく関係している。私がこの職場を見つけるまで、就職活動をしていたわけだが、その間の生活費は塾の講師のアルバイトの報酬のみだった。しかもそれも1週間に2回という少ない且つ就職活動に支障が出ない程度にしていたものだったので、お財布の中身はいつも「それなり」だったのだ。それ故ばたばたとくだんの件が決まった頃にはほとんどお金を持っていないまま市内に越してきたことになる。そこから少しだけ親にお金を借りて、なんとか潤沢した生活ができるような金銭的補助をしてもらって、私の社会人生活はスタートした。それ故、1日3食のご飯もできるだけこじんまりとしたものにしようと努力していたし、過度に食べるとか欲望の赴くままに食べるというようなことはしないようにしていた。それが生活管理だと思っているし、おおよそ間違いではないはずだ。しかしながら新しい職場に行くと、そこには金銭的に潤った方ばかりがいらっしゃる。勿論行った時期が給料日の直後だったことも関係しているのかもしれない。お昼ご飯に平気で1000円以上を捻出するような方もいらっしゃる。質素上がりの私にはにわかには信じられないようなことなのだが、これが社会人クオリティなのかと感心していたものだった。当然のように私には一食で1000円を超える生活を毎日するということは出来ない。数回なら可能かもしれないが、あまり長続きすると今後に支障が出るからだ。なので会社の先輩から誘われても最初だからこそお供させていただいていたものの、自分の中でのボーダーを越えると、そこからはやんわり拒否することにしていた。そんな日が続いたある日、先輩の1人が聞いてきた。「何故お昼どこかに食べに行かないんだ?」と。私はお金がないことを前面に押し出してアピールするほど愚かではないので、あまり食欲がないとか、ちょっと切り詰めた生活をしているというようなことを仄めかすニュアンスのことを毎回言っていたのだが、ある時から妙な噂が立つようになった。それは私がお金に困って困って仕方ないというような内容だった。まぁそれ自体に嘘はない。お金に糸目をつけずに散財できるほど余裕があるわけでもないし、新天地の1ヶ月目というのはなにかと物入りで腰を据えられるようになるまでそれなりに時間がかかるからだ。しかしその噂は私が知らない間にどんどんエスカレートしていって、最終的には「家賃を払うお金もない」だの「ご飯を食べるお金がないから水を飲んで飢えを凌いでいる」とかそんな方向性にまで発展し出した。もう完全に噂が一人歩きしている、尾びれ背びれなんていうレベルではなくなってきている。勿論私がそんなことを言った覚えは毛頭ない。もし仮にそうだとしても、そんなことをわざわざ言うほど愚かではないつもりだ。これは絶対何かある…。そんな疑念を抱いていた矢先、歳は同じだが先輩社員である方から妙なことを聞いた。その方とはもう敬語もなくしたくだけた付き合いをしているのだが、その方と飲みに行った時にふとこんなことを言っていた。「きょうってお金ないから水飲んでるの?」またこの話か、と思いその方には責任はないものの、ふとそこで誰がそんな噂を広めているのか知っておくのもいいかもしれないと問いただしてみた。すると、そこに1人のベテラン社員さんの名前が浮上してきた。その方は特にどうというイメージのない方で、良くも悪くもないような…当たり障りないイメージを抱いていた。しかしこの一件で私のそのベテラン社員さんに対するイメージは失墜した。はっきり言ってもう話したくもない。できれば関わり合いになりたくない人だと痛感したものだった。しかし社会というのは往々にして自分の好みとは違う人とも折り合いをつけていかなければならないものだ。そこは子どもみたいに露骨な態度は示さないものの、できるだけ距離を置こうと決意した出来事だった。それにしても…どうしてそんな哀れなことをするのだろうか?人を貶めて何が面白いのだろうか?ちょっと周りからずれた人がいただけでそれを周りに言いふらす、しかもある事ない事をさも得意げに話しているその人の思考回路がどうしても理解できない。確かに中学校の頃にはそういう人もいた、しかしそんなことは子どものすることだ。もういい歳になってまでそんなことをしているという精神的な幼稚さに驚いてしまったものだ。私はAB型だ。AB型には対人関係で恐ろしいまでのドライさを発揮する節がある。気に入ったり、特になんとも思っていない人に対しては優しく、そして普通に接することが出来るのだが、一度でも悪い印象を抱いたり自分に危害を加えた人に対しては冷徹極まりないという傾向にあるということらしい。それは私にも当てはまることだと感じることも多い。いいイメージを保とうとか、好印象でいようというような媚びた考えは私の中には介在しない。しかしコミュニケーションは仕事だからせざるを得ない。その軋轢に悩んでいる今日この頃だ。心配事が1つ増えたブルーな出来事だった。
Jul 2, 2007
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久しぶりに同窓会をすることになった。しかも何故か海岸で。確かに私の地元は海と蟹だけで名を馳せてきたような節がある(あくまで比較論)高校の頃から事ある毎に海に集まってはみんなでカンパして集めたお金で花火とお酒をしこたま買って遅い時間まで盛り上がったものだった。そこだけが唯一周りの騒音のことを考えずに済むような、所謂隠れ家的な場所だったからだ。考えてみれば夏に飲み会をすると言ってもいつもその海の近辺だったし、体育祭の打ち上げもそこでした覚えがあった。なので同窓会をその海でするというのも全く不思議ではなかった。現に去年もそこでプチ同窓会をしたことがあったので、連絡をまわす時には「海で」と言えば誰も間違えない程度にまで普及している言葉だった。勿論私達だけの間でだが(笑)今回も恐らくその類のことだろうと思って行ってみることにした。幸いにして私は最近になって就職したこともあって、ネタはしっかり持っている。そういう意味でも参加するのに資格はあるわけだ。夜の帳が降り始めた頃、みんながぞくぞくと集まってきた。いつもの海岸でいつもの面子、毎年変わりないような顔ぶれが続く中、1人見かけない人を見つけた。私はその人を知っていた。しかし周りの友達は明らかにその人を知らないはずだった。しかしその人は異常にみんなと意気投合していて、さも同じ高校の同期であるかのような解け込みっぷりだった。まぁ私としても随分前から知っている人なのでそこまで問題はないと思い、いよいよ同窓会は始まった。最初の方は仲良く談笑をしていて、お互いの近況の報告や、伴侶がいるかいないかなどと他愛のない話をしていたのだが、どうしても私には解せないことがあった。それは、私は知っているがみんなは知らないはずのその人があまりにも馴染んでいることだった。そして何故ここにいるのかだった。連絡を取るにしても恐らく連絡先なんか私しか知らないはずだ。なのにここにいる…一体誰が呼んだのか?そして何故その人もここにいるのか?それが不思議で不思議で気持ちよく飲むことは出来なかった。一体どんな流れでそうなったのかはわからないが、その人と私が二人で話をすることになった。多分話の流れというやつなのだろうが…それにしても久しぶりに二人で話すのでお互いの近況報告なんかをしていた。そしてなんの流れなのかもわからないが、その後2人は喧嘩になった。勿論喧嘩とは言っても私は喧嘩の経験なんてほとんどないので、一方的に殴られ蹴られの暴行というわけだ。騒ぎを聞きつけて友達が集まってきたのだが、何故かみんながみんなその人の方を味方するので、一方的に私が悪いということになって一人殴られ蹴られ続けた。どれくらいそうしていたのかはわからないが、長い時間殴られ蹴られ続けた私はぐったりしてしまって、立ち上がる力も残っていなかった。するとその人が徐に私のポケットを探り出して財布を見つけ出した。何をするのかと思った矢先、なんとその人は私の財布を海に投げ捨てたのだ。財布にはお金以外にも様々大切なものが入っている。なんとしてでも回収しなければと思った私は動かない体に鞭打って海に飛び込んで財布をなんとか回収した。するとその人は海の中までもついてきて、財布を回収した私をまた殴り始めた。その一部始終を海岸で見ていたその人派の友達なのだが、数人また数人と私を助けるような動きを見せ始めた。海岸から手を差し伸べてくれたり、その人を引き離そうとしてくれた。結局私は助けあげられて、その後は友達と一緒に火にあたっていた。今まではその人派であったはずの友達はみんなやりすぎだろうとその人を非難し出して、かなり険悪なムードになってしまった。しかしその人は弁明も言い訳もせず、ただ黙って下を向いているだけだった。結局最悪な人だということでその場はその人を置いて二次会に行くことになった。その人がどうなったのかは知らない。という夢を見た。我ながらなんの脈絡もない夢だったので、起きた時に笑ってしまった。夢の中に出てきた「その人」という人は確かに存在している。しかし夢の中にあったようなことは実際にしているところを見たことはない。そんなことをする人だとは思えないし、まぁよしんばしたとしても、そこまで人を執拗にいじめるような人ではないと思っている。夢で印象が変わるということはよくあることだ。なんとも思っていない人でも夢に出てくればその人がいい意味でも悪い意味でも気になってしまうものだ。深層心理ではその人のことを気にかけていると感じてしまうこともままある。一番頻出する例としては夢に芸能人が出てきたというものだろう。そのせいでその芸能人を好きになってしまうということはよくあることだ。私にもそんなことはあった。何故か永作博美さんが夢に出てきたことがあった。別にどうとか言うわけではないのだが、それでもしばらくは永作さんのことが気になって気になって仕方なかったものだった。今は当然ないが(笑)それにしても夢の話、ここには結構書いてきているかもしれないが、この夢は1・2を争うほどに下らないというか脈絡がないものだったような気がする。ちなみに言っておくが、Rではないので悪しからず(汗)
Jul 1, 2007
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