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今晩は。今日は午前中から、雨が降ったり止んだりの天気になりました。強くはありませんが、霧雨よりかは少しは雨らしい雨でしょうか。小雨と言った方がいいのかもしれません。 そのような天気ではありましたが、日中はまだそれほど寒くはありませんでした。ところが4時を回る頃から、急に冷え込んできましたね。我が家の現在の居間の温度は、20.5度です。ホットカーペットの上に座っていると、それほど厚着をしないでもいいくらいです。 今日は外出しませんでしたので、1週間分の新聞や雑誌の切抜き等をして、台紙に貼り付けていました。あちこちの寺院の本尊、万葉集、ご当地検定めぐり、園芸、古墳関係・・・などを切り抜いては、ファイルに綴じています。 昨日の新聞には、平安後期の集落跡が精華町の下馬(げば)遺跡で発見されたと報道されました。この遺跡の近くには、昔、官道「古山陽道」が通っていたところです。今回の発掘では、総柱式の掘っ立て柱建物跡や土師皿(はじさら)、瓦器(がき)などのほか、白磁の壺や椀などが出土したようです。 さて今夜は、以下の花たちの写真です。 上2枚は、トックリワタの花です。 来週、近場の植物公園を訪ねたいと思っています。昨年12月中旬に行ったきり、どこの植物園にも行っていませんでしたから。 来週は、バイト以外予定が2~3しかありませんから、天気さえよければバイト終了後散策等に出かけことにしています。
2010/01/31
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おはようございます。今日の京都・南部の天気は、降水確率20~60%、曇りから雨で、気温は4~10度前後の予想です。現在はまだ降っていませんが、どんよりした空です。お昼ごろには、雨になるでしょうね。 今朝もまた、京都市内の天寧寺境内からお送りします。 続きはまた、明日に・・・ 昨日は初めての試みのカラオケでしたが、全員で11名が集まりました。みな、終わった後は満足げな顔をしていました。 選曲もなかなかいいですね。自分の声の「質」や「大きさ」等にあわせて、歌っています。「白い花の咲く頃」(岡本)、「雨のオランダ坂」(渡辺)、「待ちましょう」(津村)、「白いランプの灯る道」(奈良)、「テネシーワルツ」・・・・・いやあ、もう大変な熱気をというか、若さを感じました。ONIGAWARAを除いて、皆さん73歳以上の方々ばかり。まだまだ元気ですね。お一人の方は、若かりし頃、プロの歌手を目指した方ですから、上手でしたね。ちなみに、76歳です。ONIGAWARAと(約)10歳違いです。ですが、とても年の差なんて感じられません。
2010/01/31
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今晩は。今日は、少し風邪気味です。全く心配することはありませんが、午後からの懐かしのカラオケ(第一回)は、参加はしたものの大事をとり聞き役にまわりました。 カラオケはさすがに先輩ばかりですから、軍歌が出る(4曲)などそれぞれ思い思いの歌を歌っていました。 トップバッターは「山小舎の灯」(近江俊郎)、「旅姿三人男」(ディック・ミネ)、「緑の地平線」(楠木)、「同期の桜」、「誰か故郷を想わざる」、「海の進軍」(さすがのONIGAWARAも聞いたことはありましたが、覚えていませんでした。)と続きました。これらを含めて46曲でした。それはそれは懐かしい曲ばかりで、46曲中3曲だけわかりませんでした。「海の進軍」(伊藤久男?)、「紀元二千六百年」(坂本博士)、「美貌の都」(宝田明)だけでした。 前置きはこれくらいにして(後半に続く)、以下のお花たちの写真でもご覧いただきましょうか。 ONIGAWARAのブログをご覧いただいている方々には、本当に懐かしい方の歌が出てきました。高峰三枝子、豆千代、菅原都々子、鶴田浩二、岡晴男、藤山一郎、服部富子、奈良光江、エト邦枝、東海林太郎、神楽坂はん子、津村謙、岡本篤郎、渡辺はま子などなど・・・(字が間違っているかもしれませんが、ご容赦ください。)そうそうたるお名前でしょう? こうした懐かしい方々の歌ばかりですから、想像がつきますね。それにしても祖母の影響でしょうか、昭和初期の歌を覚えているONIGAWARAも、ちょっと変わっているかもね。
2010/01/30
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おはようございます。 今朝は、京都市内の天寧寺からお送りします。 真ん中に見える山は、比叡山です。額縁門とも言われています。 絵になる景色です。このように、比叡山を背景にした寺院は、少なからずありますね。 他人の頭まで写ってしまいました。 続きはまた、明日にでも紹介します。今回は、天気がよかったので、比叡山がよく見えました。 今日は、午後からカラオケです。カラオケ好きの仲間が10人ほど集まり、明治・大正そして昭和初期の懐かしい歌でも歌おうか・・・と言うことになっています。 明治元年には、「宮さん宮さん~ノーエ節」なんて歌がありました。明治33年には「東雲節」、明治41年には「人を恋うる歌」、明治42年には「ハイカラ節」などがありました。明治時代の歌を歌う人が、果たしているかどうか。大正時代にも、いい歌がありますね。「金色夜叉」、「宵待草」、「浜辺の歌」・・・「酋長の娘」は大正15年ですね。昭和に代わる、少し前でしょうか。ご存知ですか。ONIGAWARAはもちろん昭和の生まれですが、それでも何曲かは知った歌があります。なぜか、知っています。お婆ちゃんの影響かも・・・
2010/01/30
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おはようございます。 朝のゆっくりした時間帯というのは、いいものですね。今朝も、ゆっくり出勤です。別な部署に当たったときはやむを得ず早出しますが、普通の時は(お中元・お歳暮時期でない限り)ゆっくり出勤しても、まあ間に合います。 今朝は、歴史ウォークの写真準備をしていませんでしたので、植物公園の花たちを紹介します。 接写し過ぎてボケた写真もありますが、何とか見られる写真でしょう? 昨年12月中旬に撮ったものです。 明日は、天寧寺からお送りする予定です。お楽しみに。
2010/01/29
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おはようございます。今日は、少し暖かくなりそうです。気温は6~14度前後になりそうですが、雨のち曇り・・・とは言え、降ったり止んだりでしょうか。今のこの時点では、雨は降っています。 今朝は、上善寺境内にある長州藩士の首塚です。 これが、首塚です。きちんと正面から撮った写真があったと思ったんですが・・・ 1864年(元治元年)7月19日、蛤御門の変(禁門の変)で、新撰組に討たれた長州藩士 入江九一などの首塚ですね。前々日の朝に、ネットから借用した説明文がありましたね。 大日如来坐像石仏です。 上善寺は観光寺院ではありませんが、参拝は自由です。 今朝は、ゆっくり出勤です。やはり、いつもの自分の部署はいいですね。今朝は、これから朝食を摂って出かける予定です。
2010/01/28
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今晩は。 今夜は、以下のお花たちの写真です。昨年、12月中旬に撮ったものです。 植物園の温室では、年中、何らかのお花が咲いています。我が町にもありますが、近場にさらに2ケ所の植物園があります。お花の写真がなくなればそのうちの1ケ所を訪ねれば、150~200枚くらいの写真をすぐデジカメに収めることができます。 最近、歴史ウォークの写真ばかりです。「園芸」分野に登録していながら、全く分野の違う寺社や遺跡の写真等が多くなっています。時々は、こうしたお花の写真も掲載しないと楽天さんから叱られそうですね。出来る限りは、これからも載せたいと思います。
2010/01/27
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おはようございます。今日の天気は、どのように予想されているでしょうか。時間が早いので、ネットで検索することにしましょう。 我が町は、降水確率0%、晴れから曇り、気温は0~10度前後の予報ですね。 さて今朝も、京都市内の上善寺境内からお送りします。昨日の朝、次回に紹介すると話していた長州藩士の首塚ですが、申し訳ありませんが明日の朝に掲載させていただきます。 龍の蛙股のようですね。 こんな写真って、つい撮りたくなりますね。あちこちの寺院では、このような障子というのでしょうか、よく見かけますね。 今朝は昨日よりも早い出勤になりますので、この辺で終わります。明日からは、6時前ですからゆっくりです。
2010/01/27
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今晩は。今日も、夕食前のひと時です。今日は気温はあまり上がらないようでしたが、それでも外は暖かく感じました。日が照っていたせいかもしれませんね。 今朝は、早く出勤したので定刻に帰ることができました。明日もう1日、早くに出勤予定です。今朝出勤したら、また一人病休が出たとのこと。その分、負担がかかってきますね。 健康には、いつも注意しないといけませんね。それに今の世の中、どこで事故に巻き込まれるかわかりません。交通事故も、犯罪も、危険がいっぱいです。こうした事故に遭遇しないためにも、一人ひとりが気をつけないといけませんね。 交通事故も犯罪も、早めの対処が必要です。勇気を持って、早めの対応に着手することが大事になると思います。ONIGAWARAも仕事柄、いろんな事故の対応に当たってきましたが、それでも難しいことの方が多かったです。ですが、常に早期に解決し、その後の対応に問題なく当たってきました。 もう時効になりましたが、あるところで、年間200件もの調査に当たりました。次から次と問題が発生して、その調査に四苦八苦した経緯がありました。そうなると、出勤するにも足が重くなってなかなか前に進むことができません。帰りは、いつも11時過ぎでした。 でも、そんな経緯があったからこそ、今のONIGAWARAがあるのかもしれません。苦労の後には、やはり楽が伴ってきますね。 さて今夜は、以下の写真紹介です。久しぶりのお花たちですが、すでに紹介していた(?)かもしれませんが、昨年12月中旬頃に撮ったものです。まだであれば、幸いです。 ブログファンのおかげで、この1月18日に3500回目の更新をしました。一応、5000回更新を目指していますが、なかなか大変ですね。 今日のこの写真掲載で、今年元日から408枚になりました。そんなわけで、ネタ(いろんな説明)には困りますが、写真だけはたくさん紹介できそうです。
2010/01/26
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おはようございます。今日の我が町の天気は、降水確率20%、曇り、気温は2~8度前後の予報です。最近は、寒暖の差が激しいですね。 今朝は、京都市内の上善寺からお送りします。 本堂です。 上2枚が、地蔵堂です。 元治元(1864)年7月19日の「禁門の変」において,鷹司邸附近で戦死した長州藩士入江九一・原道太・半田門吉・奈須俊平・田村育蔵・緒方弥左衛門・小橋友之輔と無名の1人計8名を、当時堺町御門警衛隊長であった越前藩桑山十蔵が、主君松平春嶽(1828~90)の許しを得て,越前藩菩提寺の上善寺に葬りました。明治38(1905)年,旧長州藩主毛利家により塚周辺が整備されました。後日、その首塚を紹介します。 今朝は早い出勤になりますので、さわりだけの紹介で終わります。
2010/01/26
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おはようございます。今日の我が町の天気は、降水確率50%、曇りから雨、気温は3~10度前後の予報です。 今朝は、上御霊神社の案内板が抜けていましたので掲載します。それに北門になるのでしょうか、門前に花御所八幡宮という石柱がありましたので、ついでに掲載しました。 花の御所とは? (ネットから、そのままコピーさせていただきました。) 室町幕府第三代将軍足利義満(あしかがよしみつ)は,永和4(1378)年,北小路(きたこうじ,現今出川通)室町に新しい邸宅を完成させました。それは室町殿(むろまちどの)または室町第(むろまちてい)と呼ばれ,室町幕府の名の由来となりました。ついで康暦元(1379)年,その北の花亭と呼ばれた邸宅に移りました。鴨川の水を引き,花がたくさん植えられた庭園の美しさから両邸宅を合わせて「花の御所」と呼ばれました。「御所」というのは天皇・皇族や将軍など,身分の高い人の住居を指すことばです。 花の御所の範囲は,南は北小路(きたこうじ),北は毘沙門堂大路(びしゃもんどうおおじ,現上立売通),東は烏丸小路(からすまこうじ,現烏丸通),西は室町小路(むろまちこうじ,現室町通)の東西一町・南北二町と考えられています。現在の今出川町(いまでがわちょう)・築山南半町(つきやまみなみはんちょう)・築山北半町・岡松町・御所八幡町(ごしょはちまんちょう)・裏築地町(うらつきじちょう)・上立売東町(かみだちうりひがしちょう)にあたります。 この地にはもともと崇光上皇(すこうじょうこう)の御所がありましたが,永和3(1377)年に焼失し,その跡地には菊亭(きくてい)家の邸(今出川殿)が建てられました。それも焼失した後に花の御所が建設されたので,それらの遺構をいかしたものと推測されています。 花の御所ができるまで,室町幕府は三条坊門万里小路(さんじょうぼうもんまでのこうじ,現中京区柳馬場通御池あたり)にあり,三条御所とよばれていました。ところが,内裏のすぐ北に幕府が移って,この地が政治の中心となりました。 花の御所の造営により,上京(かみぎょう)は公家ばかりでなく武家の町ともなり,周囲には門跡寺院や武家の菩提寺などが建てられ,商工業者の町となった下京(しもぎょう)とは対照的な為政者の住まいする地となりました。 上御霊神社(北門?)の民家の前に、緒方光琳宅跡の石柱が立っていました。 道を挟んで、このような赤い実が生った木がありました。何と言う木でしょうね。 以下に、閑臥庵(禅宗・黄檗宗のお寺)の紹介です。これは、ONIGAWARAも知りませんでした。この近くに、昔、大学の寮があり、よく通っていたのに気づきませんでした。 一応、門なんでしょうね。 閑臥庵では、普茶料理が食べられるようですね。普茶料理は、精進料理です。宇治市の黄檗山萬福寺でも食べられますが、かなり前から予約が必要です。 当日に行って食べられるところは、萬福寺の門前に「白雲庵」というお店があります。精進料理とは言え、なかなかおいしいですね。萬福寺でずいぶん昔食べたことがありましたが、料理の見事さ、おいしさは格別でしたね。白雲庵でも食べましたが、こちらの方も萬福寺には負けないおいしさでしたよ。 今朝は一人勤務のため、5時過ぎには出勤します。
2010/01/25
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今晩は。今日は風が少しあったものの、外は暖かかったですね。2時ころから、ワイフと散歩しながら、1kmほど離れたスーパーに買い物に行ってきました。 我が家の住人はみな肉食系なので、魚を食するのは年数回くらいしかありません(お寿司の場合は別として)。今日は久しぶりに縞ボッケ(真ボッケでもよかった)が食べたくなり、スーパーに行ったのですが、ホッケはありませんでした。仕方なく、ブリを買ってきました。どのように食べるか(焼くか煮るか)は、ワイフが決めてくれるでしょう。 ただし、私は道産子ではありますが、魚でもけっこう苦手なのがあります。ホッケ、サンマ、サケ、ニシン、カレイ、タイは食べますが、サバ、イワシ、カツオは苦手です。魚はみんな生臭いでしょうけれど・・・お寿司であれば、タイ、ハマチ、マグロなどは食べますが、サバのお寿司は駄目です。 今夜のブリは、果たして生臭くないでしょうか。先ず煮たものであれば、一口くらいは食べてもすぐ生臭さで駄目でしょう。照り焼きにした場合でも、一切れは無理かもしれません。ぶりはワイフが選んだので、仕方なく・・・私はホッケがないので、サンマを希望したのですが・・・生臭くない魚っていないのでしょうかね。(笑い) 要は、好き嫌いが多いと言うことですね。 今夜は、朝の続きで上御霊神社境内の写真です。いろいろありましたが、一度紹介していましたから以下の写真で終りにします。 明日から、6日連続の勤務です。そのうち、別部署が2日ありますので、またまた早い出勤になりそうです。明日の場合は一人勤務ですから、5時半には仕事していないと・・・私と同じ部署の方も、一人勤務の日は早く出勤しています。他の人に、迷惑かけたくないという気持ちは一緒ですね。現在、私の部署で一人、別部署で二人欠員になっていますが、補充はされません。世の中は、まだまだ不景気ですね。
2010/01/24
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おはようございます。今朝は、メンテが早く終わっていた(?)ようですね。いや、なかった(?)のかもしれませんが。 いずれにしても、バイトは休みでしたからこれから写真でも掲載しようと思います。 今朝の写真紹介は、京都の上御霊神社です。 御霊神社を標示している石柱ですが、上御霊(かみごりょう)神社です。こちらは南門の方です。 本殿(拝殿)です。 上御霊神社は2年くらい前になりますか、一度紹介したように思います。 したがって、次回の紹介で終わりたいと思います。
2010/01/24
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今晩は。日が西に傾くにつれて、段々寒くなってきました。日中は気温8度前後の予想でしたから、散策中はそれほど寒さは感じませんでしたが、それでもお昼を過ぎるころになると風が少し出てきて、少し肌寒さを感じてきました。 今日は、八坂神社前が集合場所でした。そこから、有楽町稲荷神社、八坂女紅場学園正面門前、崇徳天皇御廟、安井金毘羅宮、建仁寺、祇園甲部歌舞練場、十二段屋、そして花見小路で解散でした。 その後、一緒に行った方と京阪電車祇園四条駅近くで昼食を済ましてから、二人で最寄り駅まで戻って来ました。そこからは、単独行動でした。行き先は、いつものと・こ・ろでした。(笑い) さて今夜は、大本山相国寺塔頭である慈照院境内ほかから、最後の写真紹介です。 慈照院の側には、東西に分かれて「桂宮東ノ墓地」・「桂宮西ノ墓地」がありましたので、立て看板のみ写してきました。 はて、これはどこの塔頭の「鬼瓦」であったか。 次回は、どこになるでしょうか。お楽しみに・・・
2010/01/23
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おはようございます。今日は、昨日よりも少し寒い感じです。ネットで、我が町の天気予報を見てみると、降水確率は0%、晴れから曇り、気温は0度から8度前後の予想です。寒いと言えば寒いかもしれませんが、ウォーキングにはいいかもしれません。今日は、京都の花街と幕末の史跡を訪ねます。前回と一部重なるところがありますが、その辺りは素通りになるでしょう。 今朝はまた、昨年11月末に行った大本山相国寺の塔頭である慈照院庭園の紅葉写真の紹介です。 モミジの絨毯を敷き詰めたような・・・ 今日の歴史ウォークは10時集合ですが、近くに住んでいる方と一緒に行くことにしていますので、9時の電車に乗る予定です。 昨日は、ワイフと二人で7時間と10分ばかりカラオケを楽しみました。カラオケ店に大きな厨房があり、いろんな料理を注文することができます。40人前後入れる小ホールがあり、忘年会や新年会、その他のいろんな会合に使われています。昨日は、中華風の料理を何種類か頼んで、飲んで食べて・・・これでは、いくら歌ってカロリーを消費しても駄目ですね。
2010/01/23
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おはようございます。バイトが休みとなれば、朝もゆっくり・・・さて今日の天気は、いかがでしょうか。 我が町の天気を、ネットで調べてみようと思います。降水確率0%、曇りから晴れ、気温は0~11度前後の予想です。 今朝もまた、京都にある大本山相国寺の塔頭慈照寺境内からの写真でも見ていただきましょう。これは、昨年11月の下旬に撮ったものです。 時間があれば、ゆっくり境内や寺院の中を見たかったですね。この慈照寺では、住職さんからいろいろ説明していただきました。 市などの観光協会に登録されているガイドさんに案内していただくと、普段見られないところも見せていただけますから幸せです。 明日もまた、いいところを案内していただけると思います。ですが、ONIGAWARAも大概のところは行っていますから、せいぜい1~2ケ所くらい新しい発見があるかもしれません。 今日は、正午からカラオケです。
2010/01/22
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今晩は。朝からすっきりしない天気でしたが、皆さん方の地方はいかがでしたでしょうか。今日は6時半に出勤しましたが、自分の部署が終わった後、別の部署(区分機)の手伝いに行き11時まで残業して帰りました。 機械に人間が使われる、まさにその通りの結果でした。区分機の何百かに分かれた箇所の1ヶ所がいっぱいになると、ブザーが鳴り、点滅でその箇所を知らせてくれます。わずかの時間にあちこちの箇所が点滅・・・あっちに走り、こっちに走り処理していくので大変な労力を使いました。さすがのONIGAWARAも、今日は疲れてしまいました。午後からカラオケに行く予定が、昼食を食べ終わったらもう動きたくない・・・お腹を少し休め、1時間ほどして入浴したら、やっと疲れも飛んでしまいましたが、大好きなカラオケは中止にしました。でも、明日があります。明日は、ワイフがバレーボールの練習を休むとのことで、二人でカラオケに行くことにしました。二人で、また6~7時間歌うことになるでしょうか。お昼も、当然のことながらカラオケ店で済ますことに・・・飲み放題、歌い放題(フリータイムで9時間いけます)、後は数点の食べ物やおつまみを頼んでも、けっこう安いです。 部屋(ふさがっていれば別ですが)も機種も、いろいろ自分で選べますから、一人でもけっこう行っています。ポイントも、ずいぶん溜まっていますね。今年中には、1回分はポイントだけでいけそうです。(笑い) さて今夜は、大本山相国寺の塔頭である慈照院境内から、以下の写真紹介です。 上の2枚の「鬼瓦」もなかなかのものですね。 このところ、1週間に1度くらいになりますが、新聞や雑誌からの切り抜きをしてファイルに綴じています。これまでにも、適当にファイルにしていました。その中で、いろんな連載モノを切り抜いています。たくさんありますが、いくつか紹介すると、「書の美」、「遺跡関係」、「園芸関係」、「仏像」、「簡単な料理のレシピ」などです。そして、A4のPPC用紙に貼り付けてファイルに綴じています。老い先短いONIGAWARAではありますが、まあ趣味として退屈しのぎにでもなればと、ときどき目を通しています。 しかし、そんなこんなでよく溜まりますから、古いものは適宜廃棄しています。現在、木製の書庫がそれらのファイルでいっぱいになりました。でも、古くから集めていますので、中には面白いものまでありますね。 明日から3連休です。明日の金曜日はカラオケ、土曜日は歴史ウォークに参加します。
2010/01/21
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おはようございます。昨日は暖かかったですね。17度前後あったようで、4月中旬くらいの暖かさだったとか。まして、大寒にもかかわらず。 今日の天気は、いかがでしょうか。降水確率40%、雨から曇り、気温は5~15度前後の予報です。午前中まで、どうやら雨のようですね。現在、少し降っています。 さて今朝は、これも大本山相国寺の塔頭でしょうか、以下の写真をご覧ください。 相国寺北門前の般若林です。中には入っていませんでしたので、門前から撮りました。 はて? これはどこであったか。 はて? これもまたどこであったか。通り過ぎただけの塔頭もありましたから・・・ これは、紛れもなく慈照院です。慈照寺ではありませんよ。慈照寺と聞けば、銀閣寺のことですね。 門を入ったところのお庭です。次回にまた、院内のお庭等を紹介します。 区切りがいいので、今朝はここまでにしておきます。今朝は、6時ころに出勤です。いつもよりゆっくり起きましたが、まだ5時になったばかりですね。 明日から3連休です。
2010/01/21
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おはようございます。今日の天気は、降水確率0%、晴れから曇り、気温は6~17度前後の予想です。 今朝は、昨日同様早いブログ登録ですが、相国寺塔頭の大光明寺からお送りします。 今朝もまた、ネットから借用してきました。 梵王山大光明寺は、開山夢窓疎石国師、開基広義門院西園寺寧子により、暦応2年(1339)に建立されました。 門院は、左大臣西園寺公衡の長女として正応5年(1292)にうまれ、第93代後伏見天皇(1288-1336)の皇后となりました。門院は、深く仏教に帰依され、また夢窓国師によって禅学を修し、延元元年(1336)、後伏見帝薨去されると落飾、尼となり、暦応2年(1339)伏見離宮の傍らに一寺を建立もって帝の菩提を弔い、ご自身の法号をもって大光明寺と称しました。光厳天皇、景仁親王、光明天皇の母として北朝を良く支えられました。正平12年(1357)、65歳をもって薨ぜられました。詠まれた歌も多く、「玉葉集」「新千載集」「続千載集」などに載っています。 伏見宮始祖栄仁親王(門院の御孫)薨じ、寺内に葬り、以来当寺は伏見宮家歴代の菩提寺となり、歴代の御位牌がまつられています。 慶長19年(1614)、徳川家康によって相国寺塔頭として再興されました。 今朝も、早い出勤です。
2010/01/20
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今晩は。今日は、外は暖かかったですね。やはり、13度前後にはなっていたでしょうか。バイト中も全身汗びっしょり・・・帰宅後シャワーを浴び着替え。たまたま、娘が検診のため帰っていたので、昼食は讃岐うどんのお店へ。その足で、お隣の八幡市まで娘を送ってきました。ワイフも一緒で、久しぶりのドライブと言ったところでしょうか。 今朝は4時45分から仕事を始め、9時半までには何から何まで全て片付けました。ここまで本当にやる必要があるのかと思いますが、性分なんでしょうね。与えられた仕事は、何が何でもやらねば気がすみません。人の手を煩わせるのは嫌いな方で、また仕事に追われながらするのも嫌いなものですから、早い出勤で片付けています。だから、ワイフにも笑われています。忙しいにもかかわらず人員の補充もしてもらえない、何でそこまでしなければいけないのか、というわけですね。ONIGAWARAは、生まれつきの馬鹿かもしれませんね。現役時代も、同じでした。だから、いつもしんどい仕事ばかり、押し付けられていたんでしょうね。でも、いい勉強させていただきました。 さて今夜もまた、お墓の写真紹介です。 相国寺の墓所の入り口に「禁門変長州藩殉難者墓所」という石柱が立っています。残念ながら、この墓所内の殉難者のお墓は撮り損ねました。 元治元(1864)年7月19日禁門の変において鷹司邸附近で,会津・薩摩藩などと戦って破れた長州藩士の戦死者約200余名がいたようです。そのうち,湯川庄蔵,有川常槌ら20数名がこの地に葬られたと言われています。 そして、以下の写真にあるように、伊藤若冲、足利義政、藤原定家のお墓がありました。 上掲の写真、これが何であったか・・・いつものように聞き忘れてしまいました。 相国寺の東門を通り抜けると、林光院の境外墓地に薩藩戦死者のお墓があります。甲子役・鳥羽伏見戦(戊辰役)で戦死した薩摩藩士が埋葬された墓地ですね。 林光院は東門内の南側にある相国寺の塔頭の一つで、足利義嗣の牌所であり、もとは紀貫之の屋敷だったいうところです。この薩藩戦死者のお墓は元治甲子(1864)禁門の変と慶応戊辰(1868)の鳥羽伏見の戦いで亡くなった72名を葬った薩摩藩戦死者のお墓ですね。 明日の朝もまた、早い出勤になります。今日と同じ、いつもと違う部署です。明日は、今日以上に忙しい・・・との情報が入っています。(笑いですね。)
2010/01/19
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おはようございます。今日の天気は、降水確率0%、晴れ、気温は3~13度前後の予想です。暖かい1日になりそうです。 今日は、ONIGAWARAのブログでは記念すべき日です。と言うのは、今朝のこのブログが3501回目なのです。一応、目標として5000回更新を目指していますので、あと1500回、3年半でクリアしようと思っています。まあ、その頃まで生きていればのことですが。 思えばちょうど5年前(05・01・21)のこと、嫌々ながら始めたブログでしたが、いつの間にか3500回を更新してしまいました。多分、私の行っているPC教室でも、3500回更新をした方はないと思います。我ながら感心するやら驚くやら・・・です。先生もびっくりかと・・・ そんなわけで、今朝は3501回目・・・大本山相国寺境内の写真です。 今回、相国寺の案内板を撮っていませんでしたので、ネットから借用してきました。 「大本山相国寺は、足利義満が発願し夢窓疎石が開山。京都御苑の北側、今出川通に沿って並ぶ同志社大学舎の間に総門へ続く参道口がある。総門までの舗装路は、両側に大学のシンボルとなっている赤レンガの建物が続く。 相国寺の本尊は釈迦如来。開基(創立者)は室町幕府三代将軍の足利義満で、開山は夢窓疎石。南北朝の争乱を経た天授4年・永和4年(1378)、義満は政庁を兼ねた邸宅「室町殿」を5年の歳月をかけて完成している。北は上立売通、南は今出川通、東は烏丸通、西は室町通に面した南北に細長い敷地ながら当時の土御門内裏(だいり・天皇の住居。儀式や執務なども行われた)の約2倍の広さであったという。邸宅には常に多くの花が咲いていたことから「花の御所」と称された。現在の相国寺の西側一帯がそこに当たり、今出川通と室町通が交差する北東角に「足利将軍室町殿跡」と書いた石碑がある。 永徳2年(1382)足利義満は「室町殿」の東隣に自らの仏道修行の場として禅寺の創建を発願。造営は義満の禅の師匠である春屋妙葩(しゅんおくみょうは)と義堂周信(ぎどうしゅうしん)であるが、春屋は開山始祖を固辞。30年前に亡くなっている師匠の夢窓疎石(むそうそせき(1275-1351))を第一世とし、自身は第二世を条件に引き受けたという。春屋は夢窓疎石の甥で、弟子である。建設開始10年後の明徳3年(1392)に落慶したが、春屋は伽藍完成を待たず嘉慶2年(1388)に没している。春屋が亡くなった後、義満は義堂を師と仰ぎ、たびたび相国寺へ参禅していたという。 余談だが、相国寺建立前の康暦元年・天授5年(1379)、義満24歳のとき、夢枕で『今年は大病を患う恐れ有り、ただし、堂を一つ建てることで救われるだろう』のお告げにより春屋妙葩を開山として、嵯峨に宝撞寺(ほうとぷじ(現鹿王院)を建立。また、応永元年(1394)将軍職を息子の義持に譲って出家した4年後、公家西園寺家の山荘を譲り受け北山第(山荘)を造営。荘内に造った舎利殿が現在の金閣寺(正しくは鹿苑寺)。なお、義満は応永15年(1408)に病死している。 しかし、相国寺は創建間もない応永元年(1394)の堂宇焼失に始まり、応永10年(1403)に落雷で100mもの高さの七重塔を焼失するなど再建と焼失を繰り返す歴史をたどっている。中でも「応仁の乱(1467~77)」の兵火による焼失は甚大であった。境内に細川晴元(東軍)の陣地が置かれたため、山名宗全率いる西軍の激しい攻撃に遭うとともに、西軍に買収された僧の放火で堂宇を焼き尽くしている。この応仁の乱で、「室町殿」(花の御所)も焼失している。 この後、相国寺は再建されたが、天文20年(1551)に細川晴元と松永秀久の争いにより再び全焼。天正12年(1584)、西笑承兌(さいしょうしょうだい)が入寺し、豊臣家や徳川家そして後水尾天皇の援助を得て復興されたが、天明の大火(1788年)で再び伽藍の多くを焼失している。現在の伽藍は概ね文化年間(1804~18)に再建・整備されたものである。 境内、鐘楼東北側の宗旦稲荷社は、伝承によると茶人千宗旦に化けて近所の茶人にお点前をしたなど、境内に棲む白狐を祀る。また墓地には、足利義政・伊藤若冲・藤原定家の墓。東門を出たところに禁門の変・伏見鳥羽の戦いで亡くなった薩摩藩士の墓がある。なお、義満が建造した金閣寺(鹿苑寺)と、八代将軍足利義政が建立した銀閣寺(慈照寺)のいずれも相国寺の境外塔頭である。」 ちょっと長いですが、適当にはよって読んでください。太字部分については、次回にでも写真紹介します。 今朝は、3時半起床です。いつもより、30分ほど早く出勤です。
2010/01/19
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おはようございます。今日の天気は、降水確率0%、晴れ、気温は0から11度前後の予報です。久しぶりに10度を超える気温です。 今朝はまた、大本山相国寺境内から「宗旦稲荷社」の紹介です。 案内板には、以下のように記されています。 「江戸時代の初め頃、相國寺の境内に1匹の白狐が住んでいた。その狐は、しばしば茶人、千宗旦(1578年~1658年)に姿を変え、時には雲水にまじり座禅を組み、また時には寺の和尚と碁を打つなどして、人々の前に姿を現していた。 宗旦になりすましたその狐は、近所の茶人の宅へ赴いては、茶を飲み、菓子を食い荒らすことがたびたびあったが、ある時、宗旦狐は、相国寺塔頭、慈照院の茶室びらきで、点前を披露していた。驚いたことにその点前は、実に見事なもので、遅れてきた宗旦は、その事に感じ入ったという。 これも宗旦の人となりを伝えた逸話である。 その伝承のある茶室 頤神室(いしんしつ)」は、現在でも慈照院に伝えられている。茶室の窓は、宗旦狐が慌てて突き破って逃げたあとを修理したので、普通のお茶室の窓より大きくなってしまったという。宗旦狐は、豆腐屋の店先から油揚げを盗み、追いかけられて井戸に落ちて死んだとも、猟師に撃たれて命を落としたとも伝えられている。化けていたずらをするだけでなく、人々に善を施し、喜ばれていたという宗旦狐の死を悼み、雲水たちは祠をつくり供養した。それが今でもこの宗旦稲荷として残っている。」 今朝は一人勤務なので、早めに出勤します。
2010/01/18
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今晩は。今日も、まま暖かい1日になりました。午後からワイフのお供(運転手役)で買い物に、その後、今度はワイフが私のお供になり散歩に。駆け足と歩きを、半々くらいずつ約1時間しました。ワイフは走るのは慣れていますが、私の方はハアハア・・・500mほど走り、そして500mほど歩く・・・その繰り返しを何度かしています。 帰宅し、すぐにシャワーです。汗びっしょりかいた後のシャワーは、気持ちがいいですね。疲れもすぐに飛んでしまいます。今年に入り、こうした散歩はほぼ毎日しています。それでも、ONIGAWARAの体重はなかなか・・・です。PCの前に座れば、甘いものとお茶ですから、これがいけないのです。わかっていても、つい・・・甘~い甘~い誘惑に負けています。(笑い) さて今夜は、14日行った大黒寺の続きです。ここには、以下の写真のように伏見寺田屋殉難九烈士の墓があります。それに平田靱負の墓があります。 伏見寺田屋殉難九烈士の墓:寺田屋事件では、有馬新七、柴山愛次郎、弟子丸龍介、西田直五郎、橋口伝蔵、田中謙介、橋口壮介、森山新五左衛門、山本四郎の9名と道島五郎兵衛がなくなりました。道島五郎兵衛のお墓は、京都は東山にある泉涌寺にあります。 平田靱負の墓:宝暦2年(1752)、9代将軍徳川家重の名で薩摩藩主島津重年に治水工事(濃尾平野の木曽・長良・揖斐川の治水工事)が命ぜられました。家老の平田靱負(ゆきえ)は幕府の意図(背後には、強大な薩摩藩の力をそぐ幕府の狙いがあった。)を知っていましたが、この難工事を完成させました。しかし、莫大な工事費用(一説によれば、四十万両(今のお金で約三百億円)がかかり、その責任をとって平田靱負は切腹しました。 上記の寺田屋事件、平田靱負の切腹事件については皆さんよくご存知ですから、ここでは省略します。 バイトも3日間休んでいると、出勤した時が大変です。明日は一人勤務ですから、5時には仕事始めておかないと、ほかに迷惑かけることになります。また、明後日、明々後日は別部署の仕事ですから・・・これまた大変です。
2010/01/17
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おはようございます。今日の天気は、降水確率20%、曇り時々晴れ、気温は0~8度前後の予想です。 今日は、阪神大震災から15年が経った日です。私は、大津市でこの大震災に遭いました。ぐらぐらと揺れたと思ったら、机の上の本などがばらばら落ちました。すぐに飛び起き、先ず役所に走りました。宿舎と役所は目の前、すぐに勤務職員はじめ他の人たちに負傷者等いないか確認の上、建物への被害がないかどうか点検して、上司に報告・・・役所は全体的には異常なしでしたが、それからが大変・・・ 大津市内では、震度5強でした。それから、上司ほかでTVを見たら、神戸市がすごい状況になっていました。 上級官庁にTELするも、電話回線が通じない状態になっていました。お昼近くになり、勤務地ほかの勤務地からは、無線を通じて話せる状況になりました。 長い勤務生活の中で、一般の人には理解できないような体験もたくさんしました。でも、それらの実体験は忘れられても、この阪神大震災だけはいつまでも忘れることはできませんね。 さて今朝は、大本山相国寺境内の写真紹介です。 奥に見える建物は、同志社大学の一部の建物です。 境内は広いですね。 今朝はメンテがありましたので、続きはまた明日にします。
2010/01/17
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今晩は。今日はバイトが休みであったため、ワイフを誘って、2回散歩に行きました。お互い少し太り気味なので、いい運動になりました。やはり、体を動かさずにいると、体長にはよくありませんね。ONIGAWARAの場合は、体を動かさないとすぐ体重が増えてしまいますから、1日でも怠けていると駄目なのです。人1倍食べることにもありますが・・・ 今夜は一番新しいところで、14日に行った「大黒寺」の紹介です。京都・伏見の五福めぐりの最後に行ったお寺さんです。昨年の今頃にも紹介したかと思いますので、案内板と境内にあるものを紹介します。 案内板にも謳ってありますが、通称、薩摩寺としても親しまれています。 本堂前にある、「金運清水」です。 屋根には大黒天、軒瓦には薩摩の紋である「丸に十の字」が書かれています。 「おさすり大黒さん」です。 薩摩義士の碑です。 伏見義民殉難士の墓です。 明日の朝は大本山相国寺、夕方には大黒寺を紹介する予定です。
2010/01/16
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おはようございます。今日の天気は、いかがでしょうか。我が町の天気は、降水確率20%、曇り、気温は2~8度前後の予想です。 さて今朝は、昨夜の予告どおり「大本山相国寺」の紹介です。 昨夜紹介の相国寺の門です。門を入るなり、鬼瓦が出迎えてくれました。相国寺法堂や塔頭等の鬼瓦です。ごゆっくりご鑑賞ください。 囲んだ中のモノは何でしょうか。珍しそうな・・・ 鬼瓦であって、ONIGAWARAではありませんよ。いくらニックネームとは言え、ONIGAWARAはこんなに恐いことはありませんから。 しかし、ジーパンをはいても似合わない、ブレザーを着ても似合わない・・・しか~し、ダブルのお揃いスーツを着れば、大手会社の会長か社長と言った風体ですから、ONIGAWARAも身につけるものによっては、ずいぶん変わってしまいます。でも退職後、たくさんあるダブルのスーツを着ていく機会が、年に2~3回しかなくなってしまったのは、本当に寂しいです。バイトやカラオケ・歴史ウォーク・ボランティアに行くのに、ダブルのスーツは必要ありませんからね。まだ裾上げしていないスーツもあるのに・・・残念。
2010/01/16
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今晩は。今日は、日中、気温は7度前後でしたが、外はまま暖かかったように思います。夕方、1時間強散歩して運動不足を解消しましたが、相も変わらず体重は80kgを行ったり来たり状態です。汗をかいた後、入浴して体重を量ったところ80.3kgと、またまた80kgを超えていました。食べすぎなんでしょうね。昔から甘いものが好きですから、これがいけないのですね。(笑い) この調子では、ショートケーキも羊羹も控えないと・・・ ONIGAWARAの側そばから「甘いもの」が消えてしまったら、この世は真っ暗闇になります。 さて今夜も、京都御所内からお送りします。 これは、14日に紹介していた「縣井(戸)」の全体写真です。 蛤御門の案内板です。門自体を載せても仕方ありませんでしたので、案内板だけ・・・(いつぞや紹介していましたからね。) 以下は、少し遅くなりましたが、紅葉でも楽しんでください。 明日からは、以下の写真にある「大本山相国寺」に移りたいと思います。 2~3日前、市から「高齢者のための総合ガイドブック 生き生き手帖」なるものが配布されました。どこの自治体でも、65歳になると送ってくるようですね。 それよりか、まだまだ若いと思っていましたが65歳になってしまいました。でも、仕事の上では、30歳代~50歳代の方々には負けていませんよ。 そんなONIGAWARAを見て、発着の事務処理やPC事務を・・・と言う話も出てきています。しかし、これらの話には耳を貸さないことにしています。(笑い)
2010/01/15
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おはようございます。今日の我が町の天気は、降水確率10%、晴れから曇り、気温は-2から7度前後の予想です(ネット)。 ちなみに、京都府南部の天気は、降水確率午前・午後とも20%で曇りから晴れ、気温は7度を予想しています(NHK・TV)。 さて今朝も、京都御所内からお送りします。 御所内にも神社があります。白雲神社です。 白雲神社は、琵琶の宗家として知られる西園寺家に受け継がれてきた鎮守社で、妙音弁財天と称する市杵島姫命を祭神とし、「御所の弁天さん」の名で親しまれています。北山殿(金閣寺の前身)の妙音堂に祀られていた妙音弁才天の木造は鎌倉時代の神像彫刻の傑作として重要文化財に指定されています(非公開)。 また明治2年(1869)、後に内閣総理大臣となる西園寺公望がこの地にて開いた私塾立命館は、現在の立命館大学の名のルーツと言われています。 下記掲載の西園寺邸跡の案内板もご覧ください。 御所内すべて歩いたわけではありませんので、ほかに何があるかわかりません。とにかく、御所は広いですね。 バイトは、今日から3連休です。したがって、今日は昼前からお出かけです。
2010/01/15
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今晩は。今日も寒い1日になりました。午後から、京都・伏見の五福めぐりの5つ目の寺社(大黒寺)へお参りに行ってきました。 過去に五寺社それぞれ紹介しましたが、いずれまた、そのときに紹介していなかった写真等を紹介しようと思います。 今夜は、昨年11月28日に行った京都御所や相国寺ほかを散策した時のもの(これまでに紹介していなかった)を、紹介します。 御所内はまだ、本当に紅葉というほどではありませんでした。 この「縣井」・・・ご覧になられる方は、稀でしょうね。知らない方が、多いかもしれません。建物らしきものが覆っていますが、もうほとんど朽ちかけています。 「出水の小川」・・・見て通り過ぎる方が多いでしょうね。 ここは、閑院宮邸跡です。当然のことながら、中には入ることができません。 同じ御所内でも、歩くコースにより旧邸宅などの案内板などがあり、今回は上掲のように閑院宮邸跡前を通りました。 京都市内だけでも、学生時分からすればずいぶん東西南北歩きましたが、それでもまだ100分の1にもなっていないかもしれません。これからしばらくの間、京都市内だけを紹介していこうと思っていますが、まだ奈良県内のあちこちの分が残っています。これまで、御所市内の紹介は一度もしていませんでしたね。京都市内紹介の合間を見ながら、さわり部分だけでも紹介していこうかと思っています。
2010/01/14
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おはようございます。今日の天気は、降水確率20%、曇りから晴れ、気温は-3から4度前後の予想です。風が出ています。今冬、一番の寒さになりそうですね。今朝は、半袖セーターから長袖セーターに替えました。 さて今朝は、ごちゃまぜ写真紹介です。1年ほど前になるでしょうか、紹介したことがありますが、今回のは昨年11月中ごろの散策時に撮ったものです。 もう桜が・・・甘樫丘東麓から下りる際、中腹に咲いていました。暗く写っていましたので平均化したら、こんな感じになってしまいました。 甘樫坐神社です。 甘樫坐神社前の向原寺のものです。 ここは、通り過ぎただけです。 基壇跡ですが、何と言う寺院だったか。 こちらも○○古墳のようですが、遠方から撮りました。 これも○○古墳だったかな。何分にもメモを取らないONIGAWARAですから、すぐに頭から消えてしまいます。 今日も、いい汗かいてきます。その分、明日から3連続休みです。
2010/01/14
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今晩は。今日は-1から5度前後の気温予想でしたが、日中は日が照ったり曇ったり・・・風もけっこう強かったですね。皆さん方の地方は、いかがだったでしょうか。朝の出勤時、5時前でしたが、小さな水溜りには薄氷が張っていました。今年、初めてのことでした。 今夜も、夏場の花たちの紹介です。皆さん、ご存知の花たちです。 ちょっと面白い雲の形でしたので、パチリ・・・ 250ピクセルにしましたが、縦・横のためサイズがばらばらです。きちんとサイズを統一したらよかったですね。ご容赦ください。 昨日は午後から、京都・伏見の五福めぐり(五寺社のうち三寺社)してきました。あと一寺社が残っています(初詣で一寺社行っている)が、15日までに行って来ることにしています。五寺社とは、長建寺(願かけ寺)、乃木神社(勝ちま栗)、御香宮(安産守護の社)、藤森神社(勝運守)、大黒寺(大黒天)です。 今朝のバイトは別部署でしたが、一人のため忙しかったです。5時少し前から始め、最後の入力が終わるまで5時間かかりました。明日はいつもの部署が終われば、応援に行くことになるでしょう。 でも、この冬場の時期に汗をかくほどですから、いい運動になります。ONIGAWARAとしては、いい運動をさせていただいて給料をいただけるのですから感謝ですね。
2010/01/13
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おはようございます。今日の我が町の天気は、降水確率20%、曇りから晴れ、気温は-1~5度前後の予想です。 今朝は、史跡川原寺跡と橘寺をシルエットように(要は、暗く写ったためです。)紹介したいと思います。 以下の写真が、橘寺です。 いすれも、過去に紹介したことがありましたね。覚えておいででしょうか。 川原寺は案内板の通りですが、橘寺(たちばなでら)は、明日香村にある天台宗の寺院です。正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と言います。橘寺の付近には聖徳太子が誕生したとされる場所があり、寺院は太子建立七大寺の1つとされていますね。これらについては、写真紹介の時に説明していたのではないかと思います。もちろん、相当の手抜きでしたが・・・ 今朝は別部署での仕事になりますので、5時までには出勤しないと8時の引継ぎまでには間に合いそうにありません。
2010/01/13
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今日は。午後3時半をまわりました。お昼前から雨になり、つい出そびれてしまいました。その理由は、ワイフが午後からバレーボールの練習に出かけるため、京都・伏見の体育館まで車で送ることになってしまいました。また、帰りはお迎えをしなければなりませんので、出足をくじかれてしまった・・・というわけ。仕方なく、お留守番を引き受けた格好です。 ところで、毎日、歴史ウォークの写真ばかりでもつまらないと思いますので、ちょっと古くなりましたが、夏場の花たちでも紹介しようかと・・・ それぞれの名前がわかればもっといいのですが、覚えるのも早いが忘れるのも早いONIGAWARAのこと、いつもこんな調子で「手抜き」を実行しています。 ところで、過日、京都の瑞泉寺を訪ねました。浄土宗西山禅林寺派で、山号を慈舟山と言います。そこで、瑞泉寺と聞けば、何を思い出すでしょうか。 ここには、豊臣秀次と殉死者、それに子女妻妾たちのお墓があることで知られていますね。秀次は関白左大臣にまでなられた方ですが、今でいうクーデターを計画したということで高野山に追放され、そこで切腹して果てました。 ところがところがであります。豊臣秀吉は、秀次の侍臣や子女妻妾たち30数名まで処刑にしてしまいます。俗に、「秀次事件」と言われるものですね。 それにしても、処刑やその後の残酷なやり方です。現在の三条大橋西詰めの河原において、公開惨殺という方法でした。そして遺骸は、近親者に引き取らせずに、その場に掘られた大きな穴へまとめて投げ込んだというではありませんか。そして、三条通を往来する人々に晒されたんですね。 秀次は秀吉の養子だったんですが、そのクーデター計画とやらが「謎」ですよね。いくつかの「謎」が考えられていますね。 おっと、これ以上話を進めると、ONIGAWARA流手抜きになりませんから、この辺で中止とします。書き出すと10000字ではすまなくなる恐れがでてきますから・・・ それにしても秀次はさておいても、侍臣や子女妻妾までとは、秀吉も冷たい人間ですね。今日の雨のように・・・
2010/01/12
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おはようございます。今日の天気予報は、どうなっているでしょうか。我が町は、降水確率60%、曇りから雨で、気温は3~9度前後を予想していますね。 今朝の紹介は、史跡 伝飛鳥板蓋宮跡の写真です。以前は、石組みされたきれいな写真を紹介したかと思います。 伝飛鳥板蓋宮について、不勉強のONIGAWARAの説明を聞くよりは、案内板を読むだけで納得いきますよね。 さらに詳細をお知りになりたい方は、ネットで「史跡 伝飛鳥板蓋宮跡」を検索してください。 飛鳥板蓋宮は、皇極天皇が643年に遷った新宮であること、またその後に大化改新の幕開けとなった蘇我入鹿暗殺の場所でもありましたね。 つまるところは、中大兄皇子と中臣鎌足らが、蘇我入鹿暗殺を謀り、645年(皇極天皇4年)6月12日に朝鮮三国が調を奉る儀式に乗じて、この宮の内で入鹿を討ち果たしたと伝えられていますね。そのあたりについても、できれば「日本書紀」を紐解いて欲しいと思います。ONIGAWARAには、翻訳されていてもなかなか理解しにくいです。先日、飛鳥寺のお側にある「蘇我入鹿のお墓」の写真を紹介しましたね。 さて今朝も、間もなく出勤です。いつも楽しく体を動かしています。14日まで5連チャンになります。仕方ないですね。前もって、歴史ウォークのため何日と何日・・・休みをくださいと申告していますので、時には連チャンが続くこともあるのです。今月も、何日休みを取っているか・・・幸せですね。その分せいぜい、歴史の勉強をしなければ・・・ね。
2010/01/12
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おはようございます。今日の我が町の天気は、降水確率20%、曇り、気温は2~12度前後を予想しています。 今日は成人式ですが、出勤です。年中無休の職場・・・いつも幸せを感じながら体を動かしています。今朝も出勤前のひとときです・・・ 飛鳥寺のすぐ近くにある蘇我入鹿のお墓です。 八釣集落の古墳群を散策して、この飛鳥寺近くに歩を進めてきました。この付近には、石神遺跡・飛鳥京跡ほか多数あります。明日香は、何度行っても飽きのこない場所ですね。 この辺り(写真にある所)は、舒明天皇の飛鳥岡本宮・また彼の后であった皇極天皇の飛鳥板蓋宮があったところではないかと言われているところですね。しかし、この二つの宮は同じ遺跡です。 いつ頃だったでしょうか、この辺りの紹介もしたように思います。記憶は飛んでいますが、この辺にあった「弥勒石」とか「伝板蓋宮跡」を写真紹介したと思います。 あまり詳しい話はONIGAWARAには無理ですから、この程度にしておきます。 のんびり、の~んびりのONIGAWARAの生活ですが、体を動かすことが大好き人間、それに運動不足解消のために始めたバイトですから、動ける間は動こうかと思っています。あくまでもマイペースを通していますので、「あせらず・あわてず・あきらめず」の心境でしょうか。 朝、いつも3時半から4時頃までには目覚めてしまいますので、早朝のブログ登録をしています。特別なことがない限りは、(例えばメンテ・・・)早朝登録を続けています。
2010/01/11
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今晩は。今日も無事に1日が過ぎようとしています。平々凡々の生活、これがONIGAWARAにとっては最高の生き方かもしれません。生き方にもいろいろあるでしょう。第二の人生を趣味に興じる方、老いてますます勉学にいそしまれる方、ご夫婦・あるいはお一人で旅行や温泉を楽しまれる方などなど・・・ しかし、ONIGAWARAのようにのんびり・の~んびりと、そして物事にこだわらずに過ごしているのもまた珍しいかも・・・ 今夜は、こんな写真を紹介します。「太古の力 童の驚」です。どこにあるのか、ご存知の方が多いと思います。えっ!何ですか、地元の方も知らない?・・・それはないでしょう。 修羅石ですね。 天空の鏡石です。 辟邪というようです。ONIGAWARAの持っている「広辞苑」(昭和30年5月第一版第一刷発行ですから、かなりの年代物になっています。当時で2000円。)で調べてみたら、載っていませんでした。現代版では、載っているかもね。 したがってネットで調べてみました。そうしたら、「中国で邪悪をさけると考えられた空想上の霊獣。石,青銅,土で作り宮殿,墳墓のまわりにすえ,また墓中におさめることは,漢一唐の間に,とくにさかんに行われた。天禄辟邪というが,はじめは一つのものであろう。尾が長く,たてがみ、翼、角などいろいろの特徴をもつ。」とありました。 天禄辟邪でも調べてみましたが、やはり古い辞書なのでありませんでした。 星座石です。 案内板をアップしてみましたが、いずれも見難いですね。申し訳ありません。 でも、辟邪を中心に、天空の鏡石・修羅石・星座石が配置され、なかなか素敵ですね。 最後になりましたが、どこにあったかと言えば、近鉄橿原神宮前駅東出口前でした。
2010/01/10
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おはようございます。今日の我が町の天気は、降水確率10%、曇りから晴れ、気温は2~10度前後を予想しています。昨日の日中は、まだ暖かい方でした。F会主催の講演会に参加させていただいた後、講師の先生を交えて懇親会にまで参加させていただきました。帰宅途中も、多少のアルコールとおいしい料理のおかげで、寒さを感じずに我が家に到着しました。 さて今朝の写真紹介は・・・ 明日香の「案内表示板(道標)」と「鬼瓦」です。 550ピクセルで統一したら、ずいぶん縦長になりました。 ONIGAWARAはこれまで数回明日香を訪ねていますが、案内表示板(道標)としてはこの2種類がああったのではなかったかと思います。明日香を訪れた方の中には、別の案内表示板を見られた方がおありかもしれませんが。 あ、そう言えば、もう1種類あったような。主要道路の案内表示板が。 さてと、ところで以下の写真の「鬼瓦」、どこかでご覧になられた方はおりませんか。 やはり「鬼瓦(ONIGAWARA)」には、これくらいの迫力がないといけませんね。 以下の写真が、ヒントです。それに上から1枚目・3枚目・4枚目にもヒントが隠されています。 裏側から、それも真正面から撮っていませんので、わかるかな。このお寺さんは、以前にも紹介したことがあります。 今日は日曜日ですが、バイトは休みではありません。今朝は、メンテがなかったようですね。いや、もう終わっていたのかも・・・
2010/01/10
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おはようございます。今日の天気(京都・南部)は、降水確率20~10%、曇りから晴れで、気温は8度前後を予想しています。そして我が町の天気は、降水確率30%、晴れから曇り、気温は1~9度前後を予想しています。 さて今朝の紹介するものは・・・八釣・東山古墳群です。 この辺りの丘陵地は、どこを掘っても何らかの古墳が出てくるのでしょうね。 今日は、午後から明日香に行きます。F会の定例会です。今回は講演のため、ウォーキングはありませんが、講演のあと懇親会に出席します。帰宅は、10時前ころになるでしょうか。
2010/01/09
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今晩は。今日は、まだ暖かい方でしたね。午後から、ちょっとお出かけしていました。ワイフも、今年最初のバレーボール練習・・・息子は、急遽、静岡に出張になったようです。 今年もまた、我が家の住人は何かにと忙しくなりそうですね。 以下の写真は、昨年11月15日に宇治市内の興聖寺の琴坂の紅葉を見に行った時の写真です。その半月前にも行ったんですが、紅葉は見られず半月後に再度行きました。でも、まだ紅葉には早かったですね。紹介する時期が過ぎていますが、没にしてしまうのも・・・ そんなわけで、載せることにしました。 宇治橋上から、「川鵜」と「鴨」でしょうか。 琴坂の紅葉は、本当に「絵」になりますが、残念でした。 話が変わりますが、今朝の新聞には奈良・桜井茶臼山古墳で国内最多の銅鏡が確認されたと・・・卑弥呼が中国・魏から鏡をもらった年とされる「正始元年」(240年)の銘文が入っているようですね。 明日の講演会でも、話題になるかも・・・
2010/01/08
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おはようございます。今日の我が町の天気は、いかがでしょうか。降水確率20%、曇りから晴れ、気温は1~9度前後を予想しています。 今朝は、桜井市内の「平野古墳」の写真紹介です。 下の2枚は、次の目的地である八釣集落の方向です。 この平野古墳は、桜井市高家(たいえ)にあります。古墳もさることながら、漢字の読みなども面白いですね。高家・・・「たいえ」なんて。また、前回紹介の妻木(むき)晩田遺跡の読み方も面白かったですね。
2010/01/08
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おはようございます。今日の天気は、降水確率40%、曇り、雪になるかも。気温は1~8度前後の予想です。 今朝もまた、妻木晩田遺跡の写真紹介です。 妻木晩田遺跡の紹介は、今朝の分で終わります。明日から、飛鳥その他の写真紹介をしようと思います。 今朝は、少し強い風が吹いています。雨戸が、時折がたがたと音を立てています。我が家の雨戸、家を買ってから11年になりますが、どの箇所のもまだ1度も使用したことがありません。さびついているかもしれませんね。使わないと何でも駄目になりますからね。 今朝も、いい汗かいてきましょう。
2010/01/07
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今晩は。今日は3時頃から、ワイフと1時間強ウォーキングとランニングをしてきて、その後、入浴して汗を流したところです。夕食にはまだ早いので、本日2回目のブログでもと思い、取り掛かりました。 今夜は、昨年の11月14日に行った飛鳥からの写真紹介です。 近鉄電車桜井駅前です。集合時間までに少し間がありましたので、駅周辺を歩いてみました。 線路沿いに、このような祠がありましたが、案内板がなく何を祀っているのかわかりません。 電車の窓から大きな寺院の屋根が見えていましたので、そこに行ってみました。そこは、天理教の教会でした。 崇峻天皇倉梯岡陵(くらはしのおかのみささぎ)です。近鉄桜井駅から、数台のタクシーに分乗してここまで来ました。 崇峻天皇が宮を営んだのは、ここ倉梯(くらはし)の地であったようですね。御陵の手前の左手に民家のような金福寺という寺があり、その寺が倉梯柴垣宮(くらはししばがきのみや)跡だとも伝えられています。残念ながら金福寺の写真は撮っていませんでしたが、陵と宮跡は、細い道を挟んで隣りあわせにあります 崇峻天皇がここ倉梯柴垣宮(くらはししばがきのみや)で暗殺されると、敏達天皇の后であった額田部王女が豊浦宮で即位しますね。確か、推古天皇でしたね。 陵の横を流れていた??川(?)です。 崇峻天皇倉梯岡陵を後にして・・・歩く、歩く。 今井谷の八講櫻です。この櫻の木を見たのが11月ですから、エドヒガンの枝垂桜は見ることができませんでした。樹齢は、推定300年だとか。この櫻は「満願寺」の境内にあります。この満願寺の山号が「八講山」であることから「八講櫻」と呼ばれたようです。咲いたら、見事でしょうね。 道を歩いていると、このような石碑(?)がいくつかありました。 当日は、高家・明日香方向に歩きました。 ・・・・・ まだ妻木晩田遺跡の写真が残っていますが、こちらの方は朝のブログで紹介します。
2010/01/06
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おはようございます。今日の天気は、いかがでしょうか。降水確率40%、曇り、気温は0~7度前後の予想をしています。寒い1日になりそうです。 さて今朝も、妻木晩田遺跡から写真紹介します。 この写真・・・ひょっとしたら紹介していたかも。 古代の風車? まさかね。現代の発電用風車です。偶然に写ってしまっただけのこと。 現在も、幾つかの復元棟を建てています。 パンフからですが、遺跡の面積は156ヘクタールにもなり、発掘当時国内最大級とされた吉野ヶ里遺跡(当時32ヘクタールですが、現在は調査が進み約2倍の面積になっています。)の2.5倍にも及ぶ大規模なものです。 今朝は、いつもと違う部署なので早く出勤します。
2010/01/06
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今日は。午後から五福神社めぐりでもしようかと思っていたんですが、雨が降ったり止んだりし始めましたので中止しました。この15日までの間にまわり、その神社にお参りした「寺社印」をいただき、五社まわった時点で縁起物の置物がいただけます。これまで、私とワイフの生まれ年の2回まわっています。今年は、息子のうまれ年になります。 そんなわけで、時間つぶしにちょっと早めのブログ(二回目)でもしようかと・・・ 以下の写真は、昨日の続き写真です。 上3枚の写真は、確か和田池だったと思います。この和田池の近くには、豊浦寺跡や甘樫坐神社があります。 今年の歴史ウォークは、9日の講演会から始まります。それまでの間に、これまでの復習をしておかないと・・・ これまで現場を数回訪ねたり、また説明を聞いたりしています。ですが、ONIGAWARAのこと、いつも説明を聞くのもそこそこにしてデジカメをフル活動させていたため、あまり頭の中にはとどまっていません。資料はたくさんいただいていますから、それに再度目を通すだけです。 今また、雨が降ってきましたね。昨夜は、けっこう強い雨だったようですね。ONIGAWARAは夢うつつながら、雷の音や雨音を聞いていましたから・・・
2010/01/05
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おはようございます。今日の我が町(京都・南部)の天気は、降水確率(終日)30%、気温は7度前後を予想しています。昨夜は10時半頃から11時頃(ベッドの中で夢うつつ状態)までと思うのですが、雷を伴う雨が降りました。雨には、雹が混じっていたのではないかと思います。なぜなら、自室のベランダのヒサシが雨の音以外の音が混じっていましたから。 現在、雨は上がっていますが、風が出ています。 さて今朝も、妻木晩田遺跡の写真紹介です。 上掲の写真は、洞ノ原墳墓群の場所で撮ったものです。ここは、約1000平方メートルの広さがあり、この範囲の中には24基の墳丘墓が発見されました。1世紀前半から2世紀の前半の約100年にわたって墳丘墓が築かれたようです。そして、単なる四角形から四隅が引っ張られた形のような「四偶突出型」に変更されていったようですね。また子供の墳墓でしょうか、小さな墳丘墓が10基以上発見されているようです。 今朝はバイトが休みですから、もう一度寝なおしです。続きはまた。
2010/01/05
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今晩は。今日は、まま暖かい1日でした。午後から、ワイフと自転車で城南宮までお参りに行ってきました。片道35分でしたから、けっこういい運動になりました。東高瀬川沿いの土手を自転車で走りましたが、天気もよくて気持ちよかったですね。 城南宮では、ご祈祷していただいた後、茶室で抹茶をごちそうになりました。毎年のことですが、災難除けのお守り等や娘の安産のお守りなどいただいて帰りました。そのほか、城南宮の曲水の宴の絵葉書、四神像(朱雀・青龍・白虎・玄武)の絵葉書を買いました。 さて今夜も、夕食前のひと時を・・・ 昨夕も一部紹介しましたが、続けて甘樫丘東麓で撮った写真です。 大和三山・・・残念ながら、三山とも撮れていないですね。あと1回分に、写っているかな。 こんな写真も、時にはいいでしょう?
2010/01/04
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おはようございます。今日の我が町の天気(ネット)は、降水確率20%、曇りから雨、気温は1~9度前後の予想です。TVでは、京都南部は降水確率30~60%、気温は8度、雪だるまマークがついています。 今朝もまた、妻木晩田遺跡の写真紹介です。 妻木晩田遺跡は、妻木新山地区・妻木山地区・仙谷地区・洞ノ原地区(西側丘陵)・洞ノ原地区(東側丘陵)・松尾頭地区・松尾城地区に分けられており、弥生時代の集落としては最大規模のようですね。 そして四隅突出型墳丘墓(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)というお墓が多いと言うことです。 続きはまた。今朝も出勤です。
2010/01/04
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今晩は。我が家の時計の針は、4時50分をまわりました。今日は、やはり寒い1日になりましたが、現在の居間の温度計は19.5度を指しています。昨日はエアコンをつけっぱなしでしたが、今日はまだホットカーペットでもいい気温です。 さて今夜の写真は、昨年11月14日、「飛鳥の諸宮をめぐる」コース途中で撮った風景写真です。 上掲の写真は、桜井市内の高家古墳群長瀬藪支群の道沿いから眺めたものです。一番上の写真の中央の小山は、箸墓古墳です。この日、纏向遺跡の説明会がありました。 この写真には写っていませんが、足元から下の方に古墳群があります。この桜井市高家地区には、100基を上まわる古墳が存在するようです。 鳥取県内の古墳等の紹介(あと4~5回)が終わりましたら、順次、紹介していこうと思います。 そして上掲の写真は、同じ日ですが、甘樫丘東麓から撮りました。大和三山(耳成山・香具山・畝傍山)のうち、耳成山と畝傍山が写っている(ちょっと、自信なし)ような・・・ 続きはまた。
2010/01/03
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おはようございます。今日は曇りから晴れの天気、気温は2~9度前後の予想です。昨日とほとんど変わらない予報ですね。 さて今朝もまた、妻木晩田遺跡の写真紹介です。 妻木晩田遺跡は、鳥取県米子市・西伯郡大山町にまたがる晩田山丘陵全域におよんでいるようで、現在、全体の約10分の1が発掘調査されているとのことです。 弥生時代に大山の麓に存在したであろう、当時の中心的な大集落であったと考えられています。調査結果から、弥生時代中期末(西暦1世紀前半)~古墳時代前期(3世紀前半)にかけての、竪穴住居跡420棟以上、掘立柱建物跡500棟以上、山陰地方特有の形をした四隅突出型墳丘墓などの墳墓34基や、環壕など、山陰地方の弥生時代像に見直しをせまる貴重な資料がたくさん発見されているようです。 したがって、上掲のような○○号墳というのがたくさんあり、わずかな時間でしたが、何枚かの写真が撮れました。 残りの写真はまた、次回以降に・・・ 昨年の写真では、飛鳥、宇治、京都御所、奈良県御所市、京都・嵐山周辺、枚方市内、京都・花見小路界隈が残っています。まだまだ、紹介する写真がたくさんありますから、楽しみにお待ちください。 今朝も、もう少ししたら出勤です。
2010/01/03
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おはようございます。お正月・・・早くも2日目です。昨日は、よく冷えました。ほんの少しではありましたが、我が家の周辺にも雪らしき白いものがぱらぱらと・・・。でも、地面に降り落ちればすぐに消えてしまいましたが。 今日の天気は、いかがでしょうか。降水確率10%、曇り、気温は1~9度前後の予想です。 さて今朝の紹介はと言えば・・・妻木晩田(むきばんだ)遺跡です。 妻木晩田遺跡事務所です。 今朝は、写真紹介のみです。 今日から、バイトには30分遅く出勤します。仕事の方は、多少、ゆとりができます。その分、15分から30分ばかりベッドの中にいることができますね。それでも、これまでの習慣で3時半から4時の間には目覚めてしまいますね。
2010/01/02
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