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今日は。ようやく晴れ間が戻ってきましたが、それでも時折り小雨が・・・外は寒いわけではありませんが、肩をすくめて歩いている方もいます。 本日2回目のブログも、三千院の境内からです。 しばらくの間、順不同で掲載します。お許しを・・・ 先日、ブログに写真登録を試みていましたが、一度に30枚は無理でした。1日の登録枚数が、20枚程度に限られているのでしょうか。 ただし、写真の大きさにも関係するかもしれませんね。まあ、ONIGAWARAの場合は、1回のブログで最高10枚まで、掲載することにしています。
2009/01/31
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おはようございます。昨日の午後から降り続いていた雨が、現在はやんでいます。と言っても、一晩中降っていて、さきほど4時を回ったころから小雨になっていました。今日も、午前中は雨の予報ですね。 さて今朝から、京都市左京区大原の「三千院」を紹介していこうかと思います。三千院は、知らない人がいないほど有名ですね。 三千院の上り坂、左側の紅葉です。 これは、橋のたもとのお店の一角にあったお庭です。 何とか人がいない門を撮ろうとねばってはみたものの、ひっきりなしに門を潜り抜ける人たちで、結局はだめでした。 次回から、いつものように境内の写真紹介になります。三千院だけで、63枚撮っていました。したがって、2~3日は、三千院の境内ばかりが登場します。我慢して、ご覧いただくしかありませんね。
2009/01/31
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今晩は。今日は、2時過ぎから雨になりました。バイトの往復は、大丈夫でした。 さて今夕は、深泥池の紹介です。 案内板には、まだたくさん書かれていたんですが、デジカメのバッテリーが途中で切れてしまい、残念ながら残り部分が撮れませんでした。ONIGAWARAのように撮りまくる場合は、予備のバッテリーを持ち歩かないといけませんですね。(もっとお知りになりたい方は、いつものようにウィキペディアから借りてきましたので、クリックしてご覧ください。) ところがまた、撮りまくった後が大変です。2GBのSDカードですから、800枚以上撮れますよね。ですが、PCに取り込むときがまた大変なんです。名前を忘れてしまいましたが、ある機械を使わないと取り込めません。2~3000円のものですが、あまりにも大層過ぎますので、まだ買ってはいません。 このように考えてくると、せいぜい100枚~120枚程度に抑えて撮るのが賢明かもしれません。でもね、せっかく行くんですから、撮りたいだけ撮る・・・痛し痒しですね。
2009/01/30
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おはようございます。TVの天気予報がまだですので、新聞から拾ってみます。今日の京都・南部は、曇りから雨の予報です。明日もまた、雨のようですね。 さて今朝は、深泥池の近くにある貴舩神社の紹介です。 案内板を要約(?)すれば、深泥池旧街道には保元二年(西暦1157年)に、京の六地蔵の1つ、御菩薩池(みどろいけ)地蔵(現鞍馬口地蔵)が祀られ、室町時代には関所が置かれました。当神社の御祭神は高?神(たかおかみのかみ)、雨水を司る龍神で、古くから鞍馬山麓の貴船に鎮座せられる貴船神社の分社として、深泥池の農民によって勧請したもののようですね。 貴布禰総本宮貴船神社は平安遷都より、皇居の御用水と人々の生活用水や農業用水である賀茂川の水源にあたる所から川上神< 弥都波能売神(みすはのめのかみ)>と水を司る高おかみ神が御祭神として朝野の尊崇が篤く、洛中からの参詣が絶えなかった。 しかし、本宮への参詣に遠くて大変だったので、寛文年間(西暦1660~70年頃)の10月23日に、御分霊が行なわれ、街道筋の当地に鎮座され、農耕をはじめ、住民の安寧、除災招福の守護神として信仰され、今日にいたっている、・・・と書かれているような。 秋葉神社は、貴舩神社境内の安産地蔵尊が祀られているお堂のすぐそばの高台にあります。 平安の頃より火伏せの秋葉神社であったのが、神仏混交の形態だったために、明治の廃仏毀釈によって、賀茂社の社家によって打ち壊されてしまいます。その翌年の大火によって村は焼失してしまいますが、その焼け跡のどの家々でも漬物樽も焼けてはいたけれど、中身は焼け残っていたと言います。その焼け残りの茎を食したところ、「酸い茎」やとの声があがり、これが現在の漬物「すぐき」へと受け継がれている・・・ということですね。 今日は、曇りから雨・・・バイトの往復中、降らないよう願っています。
2009/01/30
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今晩は。今日は、本当にいい天気でした。ジャンパーを着ていると、汗が出るくらいでしたね。 今日は、ワイフのお母さんの命日でした。午後から、二人でお母さんのお墓参りで、京都の五条坂にある大谷本廟まで行ってきました。 帰りには、いつものように近場を散策・・・。で、今日は、以下の写真に見られるような場所等を見て回りました。 ワイフは、長年、京都には住んでいますが、私のようにはあちこち出かけはしません。したがって、京都市内でも限られた場所しか見ていないように思います。 どこの塔か、ご存知ですね。あまりにも有名な五重塔です。 京都のガイドブックには、必ずと言っていいほど、この塔が載っていますね。 載っているのは、こちら側から撮った写真が多いのではないでしょうか。正解は、八坂の塔でした。 聖徳太子が建立した、日本最初の宝塔ですね。 それでは、ごゆっくりと案内板をご覧ください。 ・・・・・ そんなわけで、大谷本廟から八坂の塔、庚申尊、二年坂、高台寺、圓徳院、霊山資料館、八坂神社等・・・そして、お腹が空いたところで高島屋まで行き、軽い食事をして帰ってきました。 今日はお天気がよかったこともあり、たくさんの人出でした。
2009/01/29
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おはようございます。今日の京都・南部の天気は、降水確率0~10%。気温は、16度を予想しています。昨日より、5度も上昇の予報ですね。 今朝は、大悲山圓通寺から最後の写真紹介です。 前に紹介した門には、散策の方々が写っていましたので、お寺さんを出るときに再度撮りました。 これもまた、2度撮りました。 写っている建物は、開山堂ではなかったかと思います。 このころは、紅葉がまだ・・・ これは、圓通寺の鬼瓦です。 この日の散策にはあと2ヶ所行きましたが、最後に行った場所では、デジカメのバッテリーが充電不足で、最後まで撮れなかったハプニングがありました。 あと2ヶ所とは、貴舩神社と深泥池です。この2ヶ所を紹介した後は、12月7日に行った散策地を紹介予定です。以後は、12月分を省略して、この1月に行ったところから紹介していくことにしています。
2009/01/29
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今晩は。今日は、天気予報どおり、外はまあまあ暖かい1日でした。明日にはまた寒くなるでしょうが、夜間には雨とか・・・そして金曜日は、雨の1日になりそうです。 先ほど、散髪してきました。少し後ろ髪が伸びていましたので、首のあたりがもぞもぞして気持ちが悪く、それでちょっと早いと思いつつもかってもらいました。こちらの方では、1回の散髪料金は、3800円です。地方によっては、高いところも、安いところもあるかもしれませんね。 白髪交じり、また薄くなりつつある散髪時間は、1時間弱で済みます。行きつけの散髪屋さんですが、私一人でしたから、今日は1時間をちょっと超えました。あまり着飾らないONIGAWARAですから、頭の方も簡単に済ましてもらっています。(笑い) さて今夜は、3001回目として「大悲山圓通寺」境内からお送りします。 「柿落葉 踏みてたずねぬ 円通寺」・・・高浜虚子の句のようですね。 今回もまた、ネットから借りてきましたので、圓通寺についての説明をご覧ください。 圓通寺は、岩倉幡枝の地にたたずむ寺院で、元々は江戸時代初期に後水尾天皇が造営した幡枝離宮の跡であり、当時は幡枝小御所とも呼ばれていました。その後、修学院離宮が完成した後に、後水尾天皇(上皇)の長年の祈願であった禅院開創の気運が高まっていき、また宮家や幕府要職の尽力などを得て、文英尼公を開基に迎えて建立されました。その際に、後水尾天皇(上皇)から「大悲」、「円通」の直額を賜って、霊元天皇の勅願所となりました。それにより、大悲山圓通寺と呼ばれるようになりました。以後は、皇室の勅願所として、後水尾天皇以降の歴代皇族の御尊碑が祀られています。 圓通寺の借景庭園について 圓通寺の客殿の東前面に広がっている枯山水庭園は、比叡山を借景とした借景式の枯山水庭園の代表とも言えるもので、国の名勝に指定されています。この地は、後水尾天皇が長い時間をかけて探し求めた場所で、東側に向いた約400坪の苔に覆われた平地に、紀州から取り寄せた大小40個程の海石を配置させた枯山水式の平庭です。さらにその庭園の周囲は、ツツジやサザンカなどが混ざった生け垣で囲われています。本堂から眺めると、その生け垣は低いように見えますが、実際には160センチほどの高さがあります。その生け垣の外に生える杉と檜の木立の間から、霊峰比叡山を望むことができます。この形状は、後水尾天皇の幡枝離宮の庭園をそのまま現在に伝えており、四季折々の風情を味わうことができます。 と、まあこんな調子で、これからもいろんな場所を紹介していこうかと思っています。 したがって、暖かくなったら、現在以上にあちこち散策しなければいけませんね。
2009/01/28
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おはようございます。今日は、全国的に晴れ間の多い1日になりそうです。気温も、けっこう高そうなところが・・・でも関東地方は、気温の低いところが・・・ 今日の近畿地方は、11~12度くらいの気温で、少し暖かそうですね。 さて今朝は、京都市左京区内の「大悲山圓通寺」境内からお送りします。昨夜、一部、比叡山を背景にした庭園を紹介しましたね。続きをご覧ください。 上の写真と、同様な箇所になってしまいましたね。少しだけ、ずれていますが・・・ 紅葉がまだ、残っていました。 「大悲山圓通寺」は境内の写真はOKですが、内部は撮影禁止です。紹介したらどんなにいいだろうなと思うところがたくさんありました、ちょっと残念ですね。 境内の中でも、実は、1ヶ所だけ撮影禁止のところがありました。途中まで見学できますが、そこから先は・・・ ですが、見てはいけない場所は、どうしても見たくなるものですね。果たして、何があったのでしょうか。 常陸宮様の参拝記念樹がありました。今朝は、更新3000回目のブログになりました。 続きはまた。
2009/01/28
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今晩は。今日は、バイトの後、緑のボランティアで近くの運動公園の花壇の除草作業をしてきました。10名ほど参加し、あっという間に片付けてしまいました。冬の花壇ですから、生えている雑草もしれています。 この寒さの中ですが、パンジー、ビオラ、ストックなど咲いています。チューリップが、もう芽を出してきていました。これは、昨年11月はじめに植えつけたものですが・・・ さて今夜から、大悲山圓通寺の紹介になります。 案内板にもありますが、このお寺さんの庭園は、比叡山を借景としています。ここからの眺めは、最高です。寺院建立のころは、もっと素敵だったでしょうね。 部屋の中から撮っていたら、もうちょっとはましな写真になっていたと思うのですが、残念ながらそこまで頭が回らなかったですね。 さてこの圓通寺の写真紹介は、あと2回くらいになるかと思います。
2009/01/27
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おはようございます。今朝は、少し冷え込んでいるのでしょうか。起きたとき、一瞬だけそう感じました。身震いすることはありませんが、少し薄着だったせいかもしれません。 さて今朝は、次の目的地に向かう途中で立ち寄った史跡 栗栖野瓦窯跡です。 以下の写真は、どこで撮ったかな。今朝は登録枚数が少なかったので、おまけの1枚です。 妙満寺の辺りだったかも・・・ 次回は、圓通寺からお送りする予定です。 「鬼瓦の部屋」も、やがて更新3000回を迎えます。嫌々始めたブログも・・・いつの間にか月日が経ちました。
2009/01/27
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今晩は。今日は、多少なりとも、暖かい方ではなかったかと思います。 今朝は月曜日ということもあり、通常の荷物はそれほどでもありませんでしたが、私の部署の方は1029個と結構多かったですね。次の勤務表からは、バイト仲間が均等に入れるように要望は出しておきましたが、さて、どうなることやら・・・ 金銭的なことを言えばカドが立ってしまいますが、時給が同じでありながら、部署により公平差が出てくれば、時には交替して欲しいことだってありますよね。 どこの職場でも、この人に任せておけば安心ということはあります。でも、安心と言われる人には、どうしても仕事量を多く任せてしまいがちです。片方の方は暇を持て余している、つまり公平差に欠けるわけですよね。 安心して仕事を任せてくれるということは、信用があるということで有難いと同時にうれしいことですが、決して他の人のためにはなりません。今更どうってことはないですが、まだ現役のころ30年間、ずっと今と同様のことをやっていました。 ほぼ同時期に奉職して方で、京大大学院修了で能力がありながらも、やらせてもらえないという人もいました。もちろん1種合格・・・高等科研修にも行きました。私の場合は、一回受けて落ちましたので、以後は受けませんでした。でも、役職に就いたのは、私が先でした。能力的にも、人格的にも決して劣らなかった方でしたが、とうとう係長どまりでした。未だに、その謎が解けません。 何の話から、こうなったかな。つまらない話は、この辺でやめましょう。 今朝の続きで、妙満寺から最後の写真紹介です。 仏舎利大塔の壁面のいたるところに、形はいろいろでしたが、このような仏さんがありました。 境内から見える比叡山です。 そのアップ写真です。 本堂など見学しましたが、内部の写真撮影はしませんでした。安珍・清姫伝説の鐘がありましたが、そんなに大きなものではありませんでした。安珍・清姫伝説は、皆さんご存知ですよね。お忘れの方は、例のごとくウィキペディアから借りてきましたので、クリックしてご覧ください。すべてに目を通すのであれば、少々、長いかも・・・・・よ。
2009/01/26
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おはようございます。今朝は私が起きる前に息子が起きてきて、エアコンを入れておいてくれました。したがって、暖かい状態でPCに向かっています。 さて今朝もまた、顕本法華宗大本山妙満寺境内の紹介です。 「雪の庭」です。昨夕、掲載した案内板がありましたね。そちらを、もう一度ご覧ください。 本堂です。 「中川の井」です。京都七名水の一つと言われたようですね。 ・・・・・ 話がそれますが、寝る前の「読書」というのは、すごく効き目のある「眠り薬」になりますね。ONIGAWARAだけかもしれませんが、ものの2分も経たないうちに寝てしまいます。 退職して1年ほど経ったころ、胆石の手術をしました。その手術前の麻酔、これも効き目が早かった。注射液を注入している間に、もう意識がなくなっていましたね。 ・・・・・ 今朝も、忙しい部署についていますので、早めに出勤します。自転車で通勤していますが、風を切りながら走るのは、この時期、とても気持ちがいいですね。そして、早朝に散歩している方が何人もおられ、驚きです。寒い中ですが、元気よく歩いています。でも、お若い方には、会ったことがありません。お若い方は、5時過ぎの時間帯は、まだ夢の中なんでしょうね。
2009/01/26
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今晩は。今日は、日中、それほどしばれる(北海道弁?)ほどではありませんでしたね。もう直に、こちらの方では春を迎えるでしょうか。 そう言えば、昨日、奈良の若草山の山焼きがありましたね。ふもとの奈良公園などには、寒い中、16万人もの方々が山焼きに見入っていたとか。約33ヘクタール、あの若草山全体を燃えつくしたんですね。 ONIGAWARAはまだ、この若草山の山焼きは見たことがありません。京都の五山の送り火は何度か見ていますが、こちらの山焼きの方がすごそうですね。一度は、見ておくべきですね。 さて今夜は、京都市左京区にある、顕本法華宗総本山妙満寺の境内からお送りします。 本堂です。 上2枚、一部分ですが「雪の庭」です。 「雪の庭」・・・明日の朝のブログで、数枚続けて出てくる予定です。一応、この案内板を頭に入れておいて欲しいと思います。 顕本法華宗総本山妙満寺には、「霊鐘 安珍・清姫伝説の鐘」、それに一部上掲した「雪の庭」、それに、今朝早朝に紹介した写真の中に、インド・ブッダガヤ型の「仏舎利大塔」がありましたね。 明日もまた、お楽しみに・・・
2009/01/25
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おはようございます・・・と言っていい時間帯なのでしょうか。現在、25日午前0時15分を回りました。 ミニ新年会を終え、一応、24日中(23時55分)には帰宅しました。今日は日曜日ですから、いつものように2時からメンテに入ると思います。 したがって、いつもの時間に起きたとしても、ブログができないのではなんにもなりませんから、これから寝る前の時間を利用して、写真登録(紹介)だけしておこうと思います。 上の2枚は、実相院の鬼瓦ではなかったかと思います。菊の紋が入っていますので、間違いないと思います。 これは、昼食を摂ったお店の軒にありました。 これは、次の目的地に向かう途中で撮りました。 これから紹介していこうと思う、「総本山妙満寺」の鬼瓦です。 一見して、日本風の建物でないとわかりますでしょう? 今、ミニ新年会でのアルコールが多少入っていますので、次回にまた、紹介していこうかと思います。 おやすみなさい。
2009/01/25
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おはようございます。今朝は、寒さはあまり感じませんが、少し風があるようです。お隣の雨戸が、ときどき音を立てています。 我が家にも雨戸はあるのですが、家を購入して以来、ほとんど開け閉めしたことがありませんので、サビついているのか、風が吹いてもガタガタ音がしません。ご近所と同じ年に購入した家です。造りは向きによって多少違いますが、雨戸は一緒のはずです。 そのことは別にして、今朝は、史跡 岩倉具視幽棲旧宅から、最後の写真紹介です。2~3枚は、どこかに紛れ込んでしまいましたが、10枚掲載します。 慶長元年と銘が刻まれていますね。 紅葉が光をいっぱいに浴び、とてもきれいでした。これが、12月4日の撮影とは思えないくらいです。同日の散策中には、紅葉は別の場所でも見られましたので、まだ見納めではないですよ。4日以後の散策の写真でも、見られるかも・・・ さて次回からですが、この旧宅からどこへ行ったんだったかな。物忘れが・・・何分にも年寄り(?)なので、ご勘弁を。それよりも、どこになるかお楽しみに。 今日は、夕方からバイト仲間のミニ新年会です。
2009/01/24
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続きです。史跡 岩倉具視幽棲旧宅のそばにある、「対岳文庫」の展示室内の写真です。 皆さん方は、ご覧になられた写真ばかりです。岩倉具視はもちろんですが、大久保利通(?)などのお顔が・・・ 展示室内には、もっといろんなモノがありましたが、これだけ撮ってきました。フラッシュを使用していましたので、直接光があたらないよう横から撮りました。
2009/01/23
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おはようございます。雨上がりの後は寒くなると思うのですが、ONIGAWARAの体感温度が暖かめに感じます。体調はいたって好調です。休みになる方が、却ってその日の体調管理に気を使ってしまいます。 さて今朝も、史跡 岩倉具視幽棲旧宅からお送りします。 これは何の花? 実? 種? 次回は、この旧宅のそばにある展示室の写真でも紹介しようかと思います。旧宅の庭園写真も、少し残っています。 今日は、ワイフがバレーもバドミントンもないということなので、午後からカラオケに行くことにしています。今年に入り、夫婦でカラオケに行くのは初めてです。お互いに、新年会や打ち上げ会(これも、新年会と同じようなもの。)には何度か行っていますが・・・ 明日の晩は、バイト仲間と「ミニ新年会」です。それぞれの部署の方が、有志で行くことになりました。それに、部署の課長を誘いましたので、幹事役を引き受けました。宴会場と二次会のカラオケの場は予約していますので、またまた遅くご帰還になる予定です。
2009/01/23
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おはようございます。今朝は、少し寒いような・・・昨日から降っていた雨は、現在は、やんでいます。でも、今日も雨かもしれません。 今朝は、実相院から徒歩で10分弱の「史跡 岩倉具視幽棲旧宅」の紹介です。 この案内板をご覧いただけば、ONIGAWARAの説明は必要ありませんね。 以後、2回くらい写真紹介できるでしょうか。 岩倉具視については、またクリックしてご覧ください。いつものように、ウィキペディアから借用してきました。相当長いですから、読んでいるうちに「飽き」がくるのが必定。また、挑戦して読み始めたら、1日があっという間に過ぎてしまうかもしれませんね。 今朝は、ちょこっと手間取ってしまいました。これから、数時間、バイトで汗を流してきます。 さあクリックしたら最後、じっくりと最後まで読んでくださいね。すべて読めば、岩倉具視については学者並みになれますよ。
2009/01/22
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今晩は。とうとう雨になりました。まあ、時期が時期でも、雨も降らなければ木々や植物、農作物等も困ります。 却って、恵みの雨にもなりますよね。冬でもあり、そんなにたくさん降るわけでもありませんから、ちょうどお湿りでいいのかもしれません。 さて今夜も、せっかくですから、実相院の庭園等の紅葉でも見ていただきましょう。 掲載順がバラバラですが、お許しくださいね。これがONIGAWARA流、手抜きブログですからね。 これで、実相院からは最後の紹介になります。次回は、どこになるやら・・・ ・・・・・ 余談ですが、今年に入ってから毎夜、寝る前に眠り薬になる(?)ので、少し古い雑誌(2001年12月号「歴史街道」)に目を通しています。特集1は、聖徳太子。特集2は、梟雄(きょうゆう)たちの戦国史。 2~3行に目を通せば、もう夢の中です。したがって、いつも同じページで、いつになったら次のページに進めるやら・・・昔から、読書は苦手。格好の「眠り薬」になっています。それで翌朝はすっきりで、お目覚めです。(笑い)
2009/01/21
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おはようございます。昨夜は、夕食前になぜか睡魔に襲われ、2~30分うとうとしたためなかなか寝付かれず、やっと12時過ぎたころに寝付きました。 今朝は、やはり4時には目が覚めてしまい、そのまま起き出しました。いつもどおり、出勤の準備を整え、PC前に座りました。 そんなわけで今朝もまた、昨夕に続いて、京都市左京区の「実相院」境内の紅葉写真です。 実相院の案内は、昨日、写真紹介していますので、今朝は写真のみです。実相院は門蹟寺院でもあり、庭園と境内は撮影できますがそれ以外の撮影は禁止です。 したがって、庭園とその周辺のみの写真になります。続きは、また次回に・・・
2009/01/21
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今日は。朝はそれほど感じませんでしたが、今はバイトで汗をかいたため、少し寒く感じます。少し前に、お風呂にお湯をはりましたので、このブログを登録したら入ります。 6~7分もあれば、200L(に設定している)お湯が入ります。少し熱めにしていますので、入るときに水をいれれば、ちょうどいいくらいになります。ジェットバスにも早変わりしますから、疲れがよくとれます。 下記掲載の写真は、12月4日に撮ったものです。まだ紅葉がきれいでした。一部は紹介したように思いますが、今回と次回あたりで「実相院」の紅葉を載せたいと思います。 写真を見る時期が冬でも、何やら新鮮に見えるのでは? 次回には、実相院の庭園からお送りする予定です。いかがでした。きれいでしょう? カメラと腕がよければ、もっときれいなのでしょうが、ONIGAWARAのことですから、この程度で我慢していただきますね。
2009/01/20
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おはようございます。今朝もまた、少し暖かい朝でしょうか。我が家の居間の温度は、ちょうど16度です。 さて今朝は、大雲寺・遮那院の案内板の紹介です。というのは、お寺さんの中には入りませんでした。でも、以下の三面石仏、藤原藤房(万里小路中納言)髪塔の写真は、大雲寺境内の中ということでしたから、林の奥の方に建物があったのでしょうね。 三面石仏です。以下に、アップ写真が・・・ 左右に、仏さんが彫られているのですが・・・見えますか。 三面石仏のすぐ隣が、藤原藤房(万里小路(までのこうじ)中納言)髪塔でした。 この三面石仏や万里小路中納言髪塔は、石座神社の前の通りを、少し歩いたところにありました。道幅は、車2台がやっとすれちがうことができるほど狭かったように思います。 藤原藤房(万里小路(までのこうじ)藤房)は、お公家さんであることはわかりますが、あまり聞いたことのない名前ですね。 三面石仏の左側の林を撮りました。まだ紅葉がきれいでした。次回からも、「紅葉」の写真が出てくるかも・・・
2009/01/20
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おはようございます。早いお目覚めです。したがって、今朝は(書いてみないとわかりませんが)少し長いブログになるかも・・・写真も、たくさん載せることにしましょう。 京都市左京区内の、石座神社境内の写真です。それに、いつぞや紹介した山住神社(1月14日・・一部写真をすでに削除しています。)との関わりについて、ネットから借りてきましたので、是非ともご覧ください。(下記に・・・) これが、本殿(拝殿)ですね。 正面です。 ちょっと長いかもしれませんが、読んでいただくと両者(石座神社・山住神社)のことがおわかりいただけるかと・・・ ”京都市左京区に岩倉という地名があります。そこの西河原町に山住(やまずみ)神社、そして上蔵(あぐら)町に石座(いわくら)神社が鎮座しています。この「岩倉」という地名は、この地にある磐座からちなむものです。しかしまずそれを紹介する前に、この両社の複雑な変遷史を説明します。 石座神社は、当初は西河原町の山住神社の事をさしていました。この旧・石座神社(現在の山住神社)の祭神は石座明神と言い、岩倉地域の産土神でした。しかし天禄2年(971)、円融上皇の廟として大雲寺が、やや北の地(つまり現在の上蔵町内)に創建された際、そこに石座明神の鎮守社を移すように勧請されることになりました。そして長徳3年(997)、八所明神と名付けられた鎮守社が上蔵町に創建され、岩倉地域の鎮守は、そっちの八所明神の方に移りました。 そして明治時代になると、八所明神の方を「石座神社」と呼ぶようになり、西河原町の従来からの石座神社は「山住神社」と呼ばれ、石座神社の御旅所となって現在に至る運びとなりました。 本来の石座神社・・・つまり、当地の産土神のにいます社であるのは、上蔵町の方ではなく、西河原町の方だということがお分かりいただけると思います。なので、今回ここで紹介したいのは、現在は山住神社と呼ばれている、石座神社旧地の磐座についてです。 さて、山住神社は現在も社殿がなく、4m×4mくらいでしょうか、それくらいの巨石を磐座として祀る、原始信仰ゆかしい社です。そして、その巨石の手前には1m程の小さめの立石があり、簡易の木柵・小形屋根で守られています。この立石のほうは後世の人々が信仰上置いた人為的な祭石に違いありませんが、奥に構える巨大な磐座は、おそらく古来からその場にあった自然石で、その起源は歴史時代以前に遡りうるでしょう。 また、山住神社の由緒略記によると、この社(磐座)は、背後の山(標高170m程度。比高70m程度)を神奈備山とする、原始神体山信仰的役割をも備えていたといいます。そうであるならば、山住神社は磐座信仰・神体山信仰の2つを兼ねそろえた、非常に貴重な実例として挙げることができるでしょう。 前日紹介した、不動の滝の写真が1枚残っていました。失礼しました。 今朝は、5時から仕事予定です。それでも、時間内にバトンタッチできるか疑問ですが、やるだけやってみることに・・・無理はしないことにして。
2009/01/19
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今日は。今日は天気予報があたり、午後から雨になりました。ちょうど散策が終わり、解散したあたりから降り出しました。 御香宮・・金札宮・・大黒寺・・寺田屋・・薩摩伏見藩邸跡・・西岸寺(油掛け地蔵)・・千歳家住宅(特別公開)・・などを見学しました。 今回は、本当に久しぶりに植物の紹介です。今日行った、「金札宮のクロガネモチ」を紹介します。 すごい根元ですね。 一説によれば、このクロガネモチの木は、樹齢1000年余とか。この金札宮自体が、結構古い神社ですから、ひょっとしたら1000年を大きく超えているのかも・・・ まして、こんなに大きなクロガネモチの木は、見たことがありません。でも、国内には大木のクロガネモチがあちこちにあるようですね。 いずれ、金札宮の写真紹介をします。 余談ですが、今年の正月に行った、香川県観音寺市内の宗林寺境内にもあるとか・・・
2009/01/18
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おはようございます。今日は、曇りから雨の予報です。30~80%と非常に高い降水確率です。気温は、そのせいでもありませんが、10度前後のようですね。 昨日は、阪神大震災が14年前に起こった日でした。復旧に全力を尽くしてきた国・兵庫県・神戸市ですが、まだ長田区あたりは、当時のにぎわいはありません。現在、商店街もままならぬ様子ですね。 さて今朝は長いメンテ(予定では、2:00~10:00)でしたが、やっと終わったようです。 昨日はテレコになっていましたが、大雲寺旧境内からお送りします。 案内板には、以下のように書かれています。 源氏物語ゆかりの地 大雲寺(だいうんじ)旧境内 北山の「なにがし寺」候補地 当地は『源氏物語』「若紫(わかむらさき)」に登場する北山の「なにがし寺」の候補地の一つとされ、元は大雲寺の境内地(寺は一九八五年に石座神社東に移転)で、現在は北山病院の敷地となっている。 寺は紫式部の母方の曾祖父藤原文範(ふみのり)が、出家した娘婿の真覚(しんかく)上人のために建立、円融天皇の御願寺となり、四九院の僧院からなる叡山西麓最大の天台寺院で、真覚の師が三井寺(園城寺)の僧であったことから寺門派の一大拠点ともなった。 その後、冷泉(れいぜい)天皇皇后昌子内親王による堂舎の建立で寺は拡大、岩倉観音院とも称し、この時の法要は盛大で、紫式部の父の藤原為時(ためとき)は何度も話題にしており、紫式部も訪れた可能性がある。 ここが「なにがし寺」候補地とされる理由は、都から比較的近い距離にあって高僧が住み、かつて庭に遣水(やりみず)のほか、趣きのある滝があって、光源氏が瘧病(わらわやみ)の祈祷(きとう)を受けた老僧の巌窟(がんくつ)を想起させる雰囲気があることによる。旧境内には冷泉天皇皇后昌子内親王岩倉陵がある。なお「なにがし寺」の候補地としては早くから鞍馬寺が挙げられる。 観音水 (閼伽井) 屋形です。 閼伽井の中は、このようになっていました。 不動の滝は、病平癒を願う人々が沐浴する行場ですね。滝下へおりる段がついています。滝は常に落ちていて、敷石に当って飛沫を上げているはずが、この日は滝の水は落ちていませんでした。散った紅葉が、行場を埋め尽くしていました。 石座神社の前に、大雲寺旧境内を紹介しました。 今日は歴史ウォークです。我が家から、2kmほど離れた界隈を散策します。
2009/01/18
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おはようございます。今朝は、少しだけ暖かく感じます。日中は、天気であればいいですね。 今朝は、時期遅れの「紅葉」写真を・・・12月4日の撮影ですが、まだ見られました。 岩倉陵(冷泉天皇皇后 昌子内親王墓)の前から、石座(いわくら)神社の屋根を・・・ ただし、あくまでも紅葉が主ですからね。 岩倉陵への石段です。なぜ、ここに鳥居が? 石座神社の鳥居です。この左方向に行ったところが、岩倉陵です。 岩倉陵への登り道です。 今朝は、ブログへの登録写真がテレコになってしまいましたので、石座神社の写真は次回あたりになりそうです。申し訳ありません。
2009/01/17
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今晩は。今日も、あと数時間で終わりですね。今日は、多少、昨日に比べて暖かい1日ではなかったかと思いますが、ひょっとしてONIGAWARAだけの体感温度かもしれません。 今時分は、コタツやエアコン、ストーブの前で”寒い、寒い”と言っている人がいるかも・・・ ・・・・・ 今朝は昨日にもまして忙しく、頭からつま先まで汗をかきました。帰宅後、お風呂に入りすっきりしたところで、ワイフに淹れてもらったおいしいお茶を飲み、ほっと一息つきました。 夕方から、PCのメモリーを大きいのに替えてもらうため、現在、教室に来ています。ついでながら、ブログの背景も替え、気分も新たに更新に取り組んでいます。 娘の撮ってきてくれた浜名湖周辺の写真も、今回で終わります。明日は今朝同様に、京都市内からお送りする予定でいます。 ・・・・・ 今朝は久しぶりに、元の部署でバイトできるかと、張り切って出かけましたが、いつもの方がインフルエンザに罹り、1週間ないしは10日間近くお休みするとのこと。それで、急遽、部署を代わったため、大汗をかいたというわけでした。元の部署と取り組み方も違いますので、それこそ全力投球となりました。 そのため誰にも迷惑かけることなく時間内にでき、締めくくりして(完了入力をして)10時まで残業しました。 ただし、明日から、もう一人の方が出勤するまで、我慢(?)の毎日になるでしょうね。
2009/01/16
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おはようございます。今朝は2時50分ころに、北海道・東北地方で地震があったようですね。震度は、2~1ということでした。震源地は、千島列島ですから津波などの影響はないということでした。マグニチュード7.5ですから、列島近くでは被害がなければいいがと思います。 今朝は、ずいぶん早めに目覚めてしまい、ラジオで音楽(フォークソングなど)を聞いていました。音楽の途中で、地震のニュースが流れました。 今朝は、岩倉陵(いわくらのみささぎ)です。これは、冷泉天皇皇后 昌子内親王のお墓ですね。 昌子内親王については、ウィキペディアから借用してきましたので、ご覧になりたい方はクリックしてくださいね。 人名の読み方は、なかなか難しいですね。ONIGAWARAは、バンザイです。つまり読めないため、諸手を上げ「降参」ということです。 今でも、この方の読み方は、スラスラとはいきません。ヤマトトトヒモモソヒメ(倭迹迹日百襲姫)・・・英語を勉強していたころは、多分、スラスラ読めたのでしょうが、この年齢になると、どこで区切り云々さえ、また口がモグモグ状態になってしまいます。(笑い) 今朝は写真が少ないですが、どの「陵」も、写真を何枚も撮ることはありません。陵内に入れば別ですが・・・そして、陵はどれも同じようなものですから・・・ 今朝は、4時45分ころに出勤予定です。あと、もう少しですね。体を動かせる、また、不況の時に仕事ができる・・・有難いことですね。
2009/01/16
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今晩は。今日もまた、晴れ間はありましたが、寒い1日でしたね。 今朝は早出出勤して、さらに残業までして帰りました。まあ、それだけ忙しい部署ということですね。今朝は他の部署からも3人手伝いに来てくれましたが、時間内にはできませんでした。 したがって、委託業者には2度来てもらい、私の部署の分を片付けてから帰宅しました。明日は、配置上は元の部署ですが、出勤時からまた忙しい部署に就くことになっています。 上掲の写真も、浜松湖周辺と浜松城内の写真です。あと1回分残っていますので、明日の晩にでも、時間があれば掲載します。明日の晩の予定が、現在、はっきりしていません。明日にならないと、決まらないというのも変な予定ですが・・・まあ、予定はあくまで予定ということになりますか。
2009/01/15
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おはようございます。今日も、少し寒い感じですね。でも、道産子にとっては、これが普通ですから、体にぴりっときますね。 さて今朝は、次の目的地に向かう途中で撮った写真の紹介です。 このようなお地蔵さんを祀った所を、時々、見かけます。 まだ紅葉を、ところどころで見かけました。 このようなお面が、あるお家の玄関のドアにかかっていました。さて、次回は・・・
2009/01/15
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今晩は。今日も、あと6時間ほどで終わります。早いですね。新年が明け、今日はもう14日です。一つ年を重ねるごとに、1日が過ぎるのを早く感じます。まあ、それだけ充実した日々を過ごしているということでしょうか。 それに自分の好きなこと、やりたいことに没頭できるということが、一番幸せなことですね。例えば、親が医者だとか、弁護士だとか・・・その親が子供に医者になれ、弁護士になれと押し付けることは、果たして子供にとって幸せなことなのでしょうか。一概には言えませんが、中には自分から進んで親と同じ職業に就くという人もいるでしょうけれど・・・ 今頃になって、なぜこのようなことを・・・と思う方がいると思います。私の場合、子供の進学に関して(娘は自分から選択して進学)、息子といろいろ話し合いました。当初は、息子の将来を考え、ずいぶんと押し付けがましいことを言っていました。でも息子は、高校を卒業したら就職すると頑張りました。根負けしたわけではありませんが、自分が選んだ道だから決して後悔しない・・・この言葉を聞き、私は折れました。 私もまた、高校を卒業したら就職するつもりでいました。実際に、就職先も決定していました。ところが、次兄がそのころ大学院に入っていました。その次兄が京都におり、これからの世の中は大学を卒業しなければ一人前になれんぞ・・・というわけです。 どうしようか迷った挙句に、取り敢えず、次兄の言うように京都に行ってみようと思い出てきました。それが、私の運命を変えてしまいました。(ちょっと、大げさかな。)次兄の言うとおりの道を歩いてきました。まあ、最終的には、運が付きまくった(?)感じになりました。 ただ一つだけ、次兄の言うなりにはなりませんでした。次兄が亡くなる少し前、自分の会社を継いでくれ・・・には、逆らってしまいました。経営学を学んだわけではありませんから、せっかく次兄の遺志を継いで経営者になったとしても、倒産させてしまったら申し訳ない、このことが頭から離れませんでした。でも、やる気になれば何でもできるものだと、後日、後悔はしましたが・・・。(笑い) まあ、それでも現在、こうして自分の好きなことをやっているわけですから、我が人生に悔いはなしですね。 どこのお城でしょうか。 徳川家康公の像です。 上掲の写真は、浜松城内の景色等です。娘が、昨年暮れに撮ってきてくれました。
2009/01/14
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おはようございます。今朝の我が家の居間の温度は、15.5度です。昨夜、ワイフたちが遅くまでエアコンを点けていたようで、暖かいです。今朝は、早めの出勤をしようと思いましたので、目覚めたときに起きました。起きたのは、4時でした。 部署が違ってくれば、お正月が終わった後で忙しくなるのもあります。昨年9月から、そちらの方に配置されるのが多くなり、現在では4:1(1は9月前の部署)くらいの割合になっています。仕事の上では、何でもこなせるというのは、時にはバカをみる(?)こともありますね。便利屋みたいで・・・ そのことは別として、今朝は、昨日の朝の続きで、「山住神社」の紹介です。 立石と磐座(いわくら)です。 この「根」もすごいですね。 神社横の集会所のような家の鬼瓦(これは、鬼瓦とは言えないですね。)です。 今、宇治植物公園では「押し花」展が行われているようです。また温室では、カリアンドラ、コチョウラン、ポインセチア、ドンベアなどが。園内では、パンジーやビオラ、ロウバイ、カンツバキ、寒桜などが咲いているでしょうね。今年はまだ行っていませんので、近じか行ってみようかと・・・
2009/01/14
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今晩は。今日もまた寒い1日でしたが、相も変わらず動き回っています。元気の源は、よく食べ、よく眠り、よく動くこと・・・ではないかと思っています。 したがって、寒いからと言って、暖かい家の中でごろごろしていては健康によくありませんね。よく食べ、よく眠り、よく動き、それに自分の趣味を持ち、それに多少取り組んでいれば、ストレスも感じることはないと思います。 ONIGAWARAの場合、上記のことを実行していますので、精神的にも、肉体的にも健康そのものです。 さて今回は、娘が暮れに浜名湖方面に出かけました。そのときの周辺写真を紹介します。携帯電話のカメラで撮っています。 娘もどちらかと言えば、動き回るのが好きな方です。母親は体育系、娘もまた体育系に進みました。似たもの親子ですね。 今日は、たまたまTVを見ていたら、「寝覚めの床」が出ていました。いい所ですね。 「七とせの あとおや おもうたれかまた ねさめの床の 雨のよすがら」 誰の句だったかな。
2009/01/13
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おはようございます。京都南部・・・降水確率50~50%、気温は6度を予想。曇り・雪マークです。 さて今朝から、昨年12月4日の歴史ウォークの紹介になります。先ず、山住神社からお送りしたいと思います。 山住神社前を流れる疎水でしょうか。多分、○○川と名前があると思いますが・・・ 石造りの鳥居はたくさんありますが、山住神社と書かれた石造りのモノは珍しいですね。昔は、石で造っていたとは思うのですが、経年により朽ちたモノもあるのでしょうね。ここのは、まだそのまま残っていましたね。 この神社には社殿がなく、もともと磐座(いわくら)と呼ばれる日本の古代信仰の遺跡ですね。 猫が最初2匹、その後にもう一匹現れましたので、デジカメに・・・親子でしょうか。 この項はまた、次回に。
2009/01/13
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今日は。外は晴れていますが、家の前を通る方たちは、肩をすくめて歩いています。けっこう寒そうですね。その点、道産子の私は、今朝の出勤時、みぞれが降っていましたが元気そのものでした。 やはり、道産子には雪がうれしいものです。冬である以上は、せめて10cmでも雪が積もって欲しいですね。そうでないと、寒さだけでは冬という感じがしないのです。こんな風に書けば、こちらの方たちには叱られそうですが・・・ 今、PCでゲームを楽しんでいたんですが、頭休めのためブログをすることにしました。プールしてある写真も、消化しなければなりません。先日もお話したとおり、12月中に撮った写真もたくさん残っています。今朝は、「津田の松原」の写真を紹介しました。この残りの写真が数枚ありますので、それを掲載して「津田の松原」を終わりにしたいと思います。 夏場は、海水浴場にもなるところです。したがって、冬場よりは春・夏は、もっともっときれいでしょうね。その時分にまた、訪ねてみようかと思っています。 5月ごろには法事が予定されていますので、その時にでも、もう一度行ってみたいですね。ワイフの実家からは、車で1時間弱で行けますから・・・そうすればまた、古墳等を1つ2つは訪ねられます。 法事が、こちらのウォーキング等に重ならなければいいのですが・・・
2009/01/12
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おはようございます。京都・南部の天気は、降水確率60~20%、気温は4度を予想しており、雪マークがついています。寒くなりそうですね。 今朝も、昨夜の続きで「津田の松原」から写真紹介です。 海は広くていいですね。田舎の海を思い出します。ONIGAWARAの生まれたところは、日本海の荒海沿い、そして、だし風(北風)の強いところです。 この橋は、「願い橋」・「叶え橋」です。と言っても、往路が「願い橋」で、復路が「叶え橋」です。 すごい松でしょう?この根の盛り上がり・・・「根上がりの松」です。このような松が、あちこちにあります。 この橋は、「出会い橋」です。 1月2日の撮影ですが、あいにくの曇り空でした。
2009/01/12
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今晩は。今日は、日は照っていたものの寒い1日になりました。朝はゆっくりと起き、のんびりした時間を過ごしました。 今日は、夕食前に2回目のブログに取り組むことにしました。 このお正月の2日に、香川県さぬき市内を訪ねました。「茶臼山古墳」等(いずれ紹介することになると思います。)を見たくて訪ねました。そのついでに、「津田の松原」へ足を延ばしました ここは、瀬戸内海国立公園ですね。 懐かしいお名前が看板に・・・嵐寛寿郎さん、阪東妻三郎さん、月形龍之介さん等のお名前が見えますね。 津田の松原・七福神巡り・・・一応、回ってきました。見事な松ばかりでした。 こちらの方からは、「願い橋」です。向こう側からは、「叶え橋」です。 これはほんの一部ですが、見事な松林が続いています。根あがりの松・・・たくさんあります。 次回から、続いて1~2回紹介できるかと・・・まだ、昨年12中に行ったウォーキングの写真が、200枚ばかり残っています。この「津田の松原」だけを紹介したら、京都市内の紹介に移ります。 昨日は、「飛鳥のみち、飛鳥へのみちーすべてのみちは、飛鳥に通ずー」について、講演を聴きました。そして、講演にちなんだ「道」を歩きながら、いろんな跡地など説明していただきました。軽衢(かるのちまた)、軽寺、和田廃寺、古宮遺跡まど・・・ これらについても、2月に入ったころに紹介できるかもしれません。でも、なかなか頭がついていきませんので、写真紹介だけで終わってしまうかも・・・今年は、ずいぶん歴史ウォークの回数が増えていますから、あまり期待しないでくださいね。
2009/01/11
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おはようございます。今日もまた、寒い1日になりそうです。バイトが休みで、今朝は先ほどまでベッドの中でした。いつものように目覚めてはいたのですが、早い時間帯はメンテと思い、そのままTVを見ていました。 さて今朝は、石上神宮境内から最後の写真紹介です。境内の中で放し飼い(?)になっているウコッケイです。 行った当日は、一部、まだ紅葉が見られました。 たまたま、白(すべて白ではありませんが)と黒のウコッケイがいたのでアップしましたが、ぼやけてしまいました。 何匹いたでしょうか。参拝者が、傍に近寄っても逃げはしません。ずいぶん慣れています。神宮境内に放し飼いになっているのは、珍しいですね。 天理教の拝殿(?)だったでしたでしょうか。同様の建物がいくつかありますので、どれが本殿か・・・多分と・・思った写真を、撮ってみました。 寒い1日、雨のところも、雪のところもあるようです。お風邪を召しませぬように気をつけてください。
2009/01/11
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おはようございます。今朝は、冷え込んでいます。日中の気温も、5度前後です。天気は曇りですが、降雨確率(雪になるかも)が高いですね。今日出かける奈良県内も同様で、やはり気温も5度を予想しています。 さて今朝も、石上神宮の境内からお送りします。 案内板をアップしました。 ワタカは写真に撮ることができませんでしたが、この池に生息しているようですね。 元日から5日まで撮った写真・・・総数で485枚ありましたが、これまでPCにどうしても取り込むことができませんでした。 その理由は撮りすぎで、私の持っているXPには、一度に対応できない枚数でした。せいぜい150~200枚どまりが限度のようですね。デジカメの画素数が大きいため、1枚あたり1.98MBにもなり、到底、現在のXPでは取り込むことが不可能でした。 したがって、マルチカードリーダライタとかいうものを使い、取り込みました。ブログ友達のTさんに、SDカードの取り扱いについて教えていただきました。有難うございました。 2GBのSDカードでも、PCが対応できないものであれば仕方がありませんね。 さて今日は、今年初めての歴史ウォークと講演会です。午前中は、講演会の内容に出てくるところを、実際に散策する予定です。そして、それを思い浮かべながら、講演を聴講することになります。終了後は打ち上げ会で、帰宅は11時前後くらいになるかと・・・ 8時前には、家を出たいと思います。
2009/01/10
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おはようございます。今日は、雨でしょうか。昨夜未明から雨が降っており、現在も小雨ながら降っています。久しぶりの雨です。 今朝もまた、石上神宮の境内からお送りします。 これらの鬼瓦も立派ですね。 今回、ONIGAWARAが撮った案内板が出てくる予定でしたが、紙面の都合で次回か、それ以後になりそうです。どこに入ってしまったかな。 ところで、最近、お米の8kg入り袋が売り出されています。5kgならまだわかりますが、なぜ8kgなのでしょうか。金額的には、10kg入りとあまり変わりません。 昨年は天候にも恵まれ、お米は豊作ではなかったかと思います。お菓子や乳製品は、同じ金額で中身が減っていますね。お米も同様の考え方から、中身を2kg減らし、金額的には安く感じさせているとしか思えないのですが。私から言わせれば、ちょっと汚いやり方に思えるのですが・・・。 つい先日、同じお米がいつもより200円安いので買おうとしたら、8kg入りとあり、買わずに帰ったことがあります。おかしな商売方法ですね。農水省のお役人が口利きしたのか、あるいはお米屋さんが独自に決めたものなのか、つい、疑ってしまいます。 お役人という話が出てきましたが、麻生さんは、「天下り」を認めるのでしょうか。この方も坊ちゃん育ち、政治には向いていませんね。一貫性がありません。 それではまた。
2009/01/09
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おはようございます。京都南部の天気は、降雨確率0~10%、気温は11度を予想しています。 今朝は、石上神宮(いそのかみじんぐう)の境内からお送りします。順不同ですが、これから、3~4回に分けて写真紹介します。 石上神宮の案内板が、次回あたりに出てくると思いますが、その前にネットから借りてきた下記の説明をご覧ください。 「大和朝廷が成立し、第10代崇神(すじん)天皇が在位されたのは3世紀後半と想定されている。天皇は山辺に近い磯城瑞籬宮(しきみずがきのみや)に都された。 この崇神天皇のときまで宮中に奉斎され、天皇と御座を同じくされていた天剣を、物部伊香雄命に銘じて十種神宝(とくさのかんだから) と共に石上邑に奉祀された。これが、石上神宮の始まりであるという。 垂仁天皇の時代には、五十瓊敷(いにしき)命が剣1000口を奉納され、神庫(ほくら)を管理された。 その後、かの素盞嗚(すさのお)命が八岐大蛇(やまたのおろち) を退治した天羽羽斬(あめのはばきり)剣もここに祀られた。いまも楼門前に鎮座する延喜式内社、出雲建雄神社の祭神を草薙剣の御霊ととなえ奉斎しており、我が国の霊剣はここに集まっていると伝える。」 *十種神宝・・・ネットから、これまた借りてきました。興味がおありでしたら、クリックしてご覧ください。結構、長いですよ。
2009/01/08
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おはようございます。今日の京都南部の天気は、降雨確率10%で、気温は10度を予想しています。 さて今朝は、石上神宮へ向かう途中で撮った「句碑」の写真紹介です。 ただし、この写真は、峰塚古墳への途中で撮ったものです。峰塚古墳は、昨年の大晦日に紹介済みです。 でも、この「句碑」は、石上神宮の境内にあった(?)ものかもしれません。どうしてかと言えば、この「句碑」のあったところから、すぐに石上神宮がありましたから・・・ 以下のは、石上神宮の一部です。 中途半端になりましたが、次回に本殿等を紹介します。
2009/01/07
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新年あけましておめでとうございます。ブログファンの皆様には、よいお年をお迎えになられたことと思います。遅ればせながら、本年もよろしくお願いいたします。 今朝からまた、いつものようにブログに取り組みたいと思います。 ・・・・・ 2009年を迎えた早朝(4時前)に京都を車で出発し、四国は高松(ワイフの実家)へ。あちこちのサービスエリアに寄りながらも、9時過ぎには到着しました。 早速、「滝宮神社」・「滝宮天満宮」で初詣し、そして、ワイフの両親のお墓参りを済ませました。 今回は、四国に来たついでに、どうしても見たかった「岡の御堂古墳」、「富田茶臼山古墳」へ行くことに。 それから、「石清水神社」、「津田の松原」、「富田神社」、「古枝前方後円墳」、「法然寺」、「栗林公園」、「石清尾山古墳群」のうちで見たかった「石船積石塚」や「鏡塚古墳」、そして「金毘羅さん」にもお参りしました。 そんなわけで、東さぬき市内や高松市内、丸亀市内(琴平)などを回りました。撮った写真枚数が、なんと400枚を優に超えていました。 ところが、なぜか、SDカードからPCに写真を取り込むことができません。いつものように操作しているのですが、どうしたわけでしょうか。7日から始まるPC教室で、教えてもらうまで待つしかありません。(笑) ・・・・・ 昨日はまた、例年のように、地元の「城南宮」にお参りして、ご祈祷をしていただきました。 ・・・・・ いよいよ今朝から、また、バイトです。そして午後から、早速、新年会が入っています。今年も、またまた、歴史ウォークやカラオケなどで忙しい年になりそうです。 今朝の鬼瓦は、京都市・大原地区の三千院、寂光院などで撮りました。桜・龍・鬼(鼻が大きくてだんご鼻、頭に何かのっていますね。)そして菊の紋ですね。四国では、象さんの鬼瓦にお目にかかりました。 それではまた。
2009/01/06
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