全29件 (29件中 1-29件目)
1
今日は快晴。でもまだ気温が低い。 ハクモクレン、サンシュユ、レンギョウ・・白と黄色の花木がいっせいに咲き出した。ウメもまだ終わったわけでない。いっぽうソメイヨシノは固いつぼみのまま。 花の咲き出しは新鮮でいい。若々しい。それをハクモクレンに感じた。
2006年03月31日
コメント(5)
グスタフ・クリムトや彼によって描かれた絵について解説することが、このブログの趣旨ではない。 彼の有名な作品、「接吻」(1907-08)の原画は、国立オーストリア美術館にあるという。しかしそのコピーはネット上でいくらでも観ることができる。 それはそれとして、その「接吻」が傘にデザインされていることに驚いた。むろん元の作品が与えるインパクトや色彩の鮮明さはないが、傘全体が醸す雰囲気はユニーク。黄金的な輝きがあるのは、原作の金箔の光を伝えようとしたものか。 少々高いけれど、こんな傘を差してみませんか?
2006年03月30日
コメント(2)
斑入りのカキドウシ(グレコマ)を買ったとき、グランドカバー植物と思いこんでいたので、小さい淡紅紫色の花を見つけたときのオドロキ!写真では接写でそれなりの大きさに見えるけれど、仙人のカメラではこれ以上近づけないのです。(もし近づけても腹這いにならないと・・) 唇形の花形や花のイメージは、野草のムラサキサギゴケ(2005年4月11日のブログ)にとても似ている。ただムラサキサギゴケの花はまだ見かけない。 カキドウシの左隣には、只今生育中のノジスミレが、そしてその下には幼い姿のマツバウンラン(2005年4月17日のブログ)が集っている。
2006年03月29日
コメント(4)
撮影場所は去年と同じ場所。(2005年4月5日のブログ) でも、人がそうであるように、毎年同じではないな。カラスノエンドウはいなかったし・・セイヨウタンポポは、オオイヌノフグリと二人で場所を占めていた。太陽がさんさんと当たる小さな斜面で、ぬくぬくと輝いていた。日本が自分の故郷のように・・
2006年03月28日
コメント(7)

右端の山の向こうが西条盆地 仙人は若いころから自転車散歩が好きだ。ただ、使う自転車は実用車に近く、服装も普通で、ヘルメットも被らないから、街中では買い物客と区別がつかない。このブログでも自転車散歩は、背景としてふんわり出てくるだけ。唯一トップに掲げる自転車の「走行距離」が、結果を直に物語っている。 広島県の南部にある黒瀬町は、去年、東広島市に合併。東広島市の中心街がある西条盆地の南に位置する。仙人の家は標高が220m、ここを出発して5キロで50mほど下ると、黒瀬町の北東端。黒瀬町は細長く延びた「氾濫原」のような地形で、黒瀬川が蛇行しながら、ゆるりと流れる。南西端には、二級ダムがあり、二級峡があるが、北東端からの標高差は20mちょっと。両岸の堤防を適当に乗り換えながらサイクリングをすれば、その距離は約15kmになる。 好天だった、一昨日の土曜日にこのコースを探索した。春はこれからといった風情。みどりは乏しく、ときに生える、松や竹林が目立つ。咲いていた花は、菜の花が少しだけ。だが、ツクシを摘む、老夫妻、若いペア、子ども連れが点々。 釣り客も多い。なかでもあるペア、行きも帰りも同じ姿勢で、同じ場所に、近接した位置でじっと立っていた。なんか時が止まったみたい。「絵」になるなと思ったけれど、写真は遠慮しました。 堤防の裏側では春の農作業が進む。なにを植えるのか、それは分からない。しかし、耕耘機があり、ビニールを多用する現代農業なので、「ミレーの世界」ではない。 川面にはマガモが浮かぶ。とくに下流側に多かった。仙人の目にもその一帯は落ちつく風景。マガモにもペアあり、集団あり。近づきたくても、どれかがクウェーと警戒音を発し、遠くへ泳いでいってしまった。どうも信用ないね。 375号という国道に戻ると、車が大渋滞。それにひきかえ堤防の道では、1kmにつき1、2台しか出会わなかった。それは道幅が狭いからだろう。自転車散歩での利用がもっと欲しいですね。
2006年03月27日
コメント(8)
写真の場所は、去年こうだった。2005年3月18日のブログ。 お礼肥をたっぷり与えたかもしれないけれど、こんなに増殖するとは・・ブドウムスカリの球根の値段が安いのは、この旺盛な繁殖力のおかげ?さて、今年はどう対処しよう? 上のブログを読むと、「来シーズンは白やバイカラーのムスカリにも挑戦してみよう」とあるが、約束を果たしませんでした。どうもすみません。()
2006年03月26日
コメント(7)

そろそろ「菫の花咲くころ」なのだが、うちの庭に生えているスミレといえば、やっと葉っぱを伸ばしたところ(写真)。 きのう、自転車散歩をしていたら、ノジスミレ?の花を見つけた。縁石とアスファルトの間にできた隙間に、1株だけ、折からの好天でぬくぬくとしていた。温度に恵まれていち早く咲いたのだろう。 それにしても、去年はこの場所にスミレはなかったはず。どうか生きながらえてくれたまえ。夏が暑いから・・
2006年03月25日
コメント(2)
辨天娘の里は前に紹介した。(2005年11月21日) 今日、話題にするのは、今年度仕込みの「純米・槽汲(ふなくみ)」と同「純米・槽汲-あらばしり」のペア。いずれも原料米は玉栄、精米歩合65%、アルコール度数18~19%。前者は、積み重ねられた酒袋から自然に垂れ落ちた「中汲み」を直接瓶詰めしたもの。「あらばしり」は、酒袋から垂れる最初の部分だけを瓶詰めにした。「中汲み」より漏れてきたもろみ成分が多く、白く濁っている。したがって長い間静置すると、底におりが溜まることになる。 さて、両者を比較するのは、とても難しい。仙人の感度限界ぎりぎり。開栓直後に、室温で一口飲んだ印象では、「あらばしり」で甘い花の香りが漂い、「中汲み」ではもっと固い香り。しかし次第にその印象が薄れていき、とても「こく」のある味に。瓶詰めしてからの時間経過も関係するかもしれないが、「あらばしり」では残存する炭酸ガスが多い気がした。また濁りの影響があり、「中汲み」より味が丸くなる。それにしてもこんな贅沢な日本酒は、少数のひとにしか行き渡らない。それは残念なこと。 頂くお酒の温度は、さらに難しい問題。「あらばしり」は室温で何日か飲んだあと、冷蔵庫に仕舞った。冷酒でもいけるようだが、味が抑え気味。言い方を変えれば、味を殺してしまうかもしれない。 「中汲み」では、お燗も勧められている。ただアルコール度数が高いままお燗するのではなく、杜氏は「割水燗」を勧める。さっそく仙人も試みた。日本酒の標準的なアルコール度数(15~16)にするべく、1~2割の水を加えた。このとき驚いたことに、香気があたり一面に広がる。温度はたまたま45℃くらいだった。加える水の善し悪しとか、お燗の程度とか、調べることがまだ残っているものの、原酒とはまた違う「さらっとした」世界が広がった。ちょっとしたマジックですね。
2006年03月24日
コメント(0)
2つの川に挟まれた大阪中之島。江戸時代には諸藩大名の蔵屋敷が建っていたという。広島藩蔵屋敷と久留米藩蔵屋敷の間には、蛸が脚を広げた姿の松があり、「蛸の松」と言われていたとか。このネーミングは「タコ焼き」の大阪にふさわしい? 写真の松は、元の位置を離れ、対岸に新しく植えられたもの。横には「検察庁」の建物がある。中に食堂が見えたので、玄関に近づいたら制止された。「なんのご用ですか?」たしかに「善良な庶民」には用がないね~。福島方向へちょっと歩いたら、韓国料理のお店があり、野球の清原の新しい色紙がポツンとおかれていた。
2006年03月23日
コメント(2)
霞んだ晴。春霞と言いたいところだけれど、黄砂でないでしょうね? ヒバリが朝から、家の前の電線で囀っていた。間もなく飛び去ったが、最近はすっかり定着した。いっぽう昨日は、近くの水源地でウグイスの鳴き声をやっと確認。一羽は鳴きが達者だったけれど、もう一羽は只今練習中。 庭でピンクのチオノドクサが咲いた。去年より10日早いようだ(2005年のブログ)。花の事情は植物によりいろいろ?長い間土に潜んでいたので、久しぶりの再会です。
2006年03月21日
コメント(2)
ユキヤナギの植え込みがほんのり緑になったので、近づいてみると、新芽が萌えている。小さい葉っぱに囲まれて、なお小さい花芽がポチポチと・・ ユキヤナギはソメイヨシノの周辺によく植えられいる。背が低く、なよなよとしているから、ソメイヨシノの裾飾り。だがソメイヨシノと開花が同じタイミングのため、「サクラ」といっしょでは振り向いてもらえない。()
2006年03月20日
コメント(2)
コブシの冬芽がふくらんで、春の陽射しの下、「毛皮」がキラキラ輝いている。あと何日すると、白い花びらが顔を出し、やがて開花するのだろう? コブシが開花すれば、すぐそばのソメイヨシノも、ちょっと遅れて開花する。名付けて、「サクラのお祭」に対するコブシの「前夜祭」。だから、コブシの行方を追えば、サクラの開花も分かるというもの。
2006年03月19日
コメント(4)
今日は、雨、何を寝ぼけているのと言われそうな話題。 ひとから頂いたシクラメンの一鉢について、昨シーズン2回、ブログを書いた(1月29日と3月19日)。それを読むと、去年は1月29日頃に1番花が咲き、それでも前年より一月遅れたと書いてある。 そのシクラメンも今年は4シーズン目だが、昨年よりさらに50日遅れて、開花が3月になってしまった。今や球根の直径は10センチを超え、いくらシクラメンが宿根草でも、「寿命」があるのではと心配になる。去年の写真と比べればお分かりのように、花色が白くなった気がする。まさか「白髪」が増えたわけではないだろうが・・()さて来年はどうなるの?
2006年03月18日
コメント(8)
きのうアップのウチワサボテンには、「団扇」の集まった「大団扇」のちょうど真ん中あたりに、2つだけ、紫色の果実が残っていた。他の果実は、寒さで腐ったのか、鳥に食い荒らされたのか、断片が「団扇」の上に散らばっていた。 それにしても、「団扇」の縁に並んだ実は、表面に艶があって美味しそう。思わず採って、中身を確かめたかったけれど、それはいけないことなので・・()
2006年03月17日
コメント(2)
ウチワサボテン(団扇サボテン)のことは知識が乏しい。だが、これを見たときには、ただもうビックリしてしまった。 第1に、ブロックでできた、見上げるようなのり面に、ものの見事にハンギングしている。サボテンがハンギングするとは!決して写真の上下を逆さにしたのではない。 第2に、この類のサボテンは、そんなに寒さに強くなかったのでは?山の中で高度のある所(標高>300m)だから、気温がマイナス5度以下に下がることは確実。でも南に面したコンクリートブロックが熱を蓄積して、サボテンを助けているのかな?
2006年03月16日
コメント(4)
オウバイの黄色い花が咲いていた。中国名で迎春花。 当地では滅多に見かけない。だから、例年に比べて開花が遅いのか、普通なのか分からない。 2005年2月23日にアップした写真は、花びらの数が多いので、ウンナンオウバイかもしれない。いっぽう、こちらは6枚きっかり。だが6枚なので、偽物の「枝垂れ梅」ということに・・
2006年03月15日
コメント(0)
天候が冬に戻ってしまったので、サイクリングの際に撮った、花でない写真を・・ 並瀧寺は真言宗御室派のお寺で、広島新四国八十八ヶ所、第三十七番札所。西条盆地北西の山の中に埋もれていた。目の前には、並瀧寺池が水をたたえている。もともとは急な谷に高い堰堤を築いた溜池のようだが、今は周囲の森に溶け込んで、自然の湖と見まがう。(地図はこちら) 寺の歴史は西暦733年まで遡るとか。往古は大刹だったと伝えるが、その面影が残っていない。おりしも本堂の屋根を葺き替え中。萱葺き屋根はどれくらい保つものか知らないけれど、そうとう傷んでいるものね。 この「自転車散歩」は、近いうちに「みなが仙人のHP」にアップする予定です。→3月16日にアップしました
2006年03月14日
コメント(2)
当地ではオオイヌノフグリが、田んぼの畦といい、道端といい、水路の土手といい、もういっせいに咲き出している。去年も、おととしもこうだったかと、自分の記憶を疑うくらい。そしていっきに咲けば、どれもこれもフレッシュな花ばかり。 写真では、カラスノエンドウの葉がチラホラ。やがてオオイヌノフグリに代わって天下を取るのかな?
2006年03月13日
コメント(4)
今は弱い雨。予報ではこれから寒くなると言う。 写真は2,3日前のもの。カメラについている、レンズによる望遠に加え、電子的処理による望遠を使ったので、写真のフォーカスはボケボケだ。でも、なんか「雰囲気」が漂えば上出来かな? 鳥にヨワイ仙人だから、サギはサギでも、チュウサギは当てにならない。こちらにも目を配りつつ、餌を追うのはたいへんだね。
2006年03月12日
コメント(0)
2月27日にアップしたミツマタのつぼみ。「毛だらけ、粉だらけ・・」で、お世辞にも可愛いものでなかった。 それがなんと可憐に変身したことか。撮影場所は東広島。広島市の縮景園ではもう「女盛り」がすぎてしまったかな?
2006年03月11日
コメント(4)
春が来たぞと知らせる野の花が、ほんとうにうまい具合に、まとまって咲いていた。それは菜の花、ホトケノザ、オオイヌノフグリの3種。 菜の花は黄色が明るいし、ホトケノザが赤紫、オオイヌノフグリの瑠璃色には野草に珍しい透明感がある。色の組み合わせも悪くない。それに水もが空を映して青っぽく光っていますね。 付:ホトケノザのクローズアップは2005年4月2日のブログ)。
2006年03月10日
コメント(4)
午前10時現在、気温8度、薄曇り。 きのう(3月8日)はとても暖かく、うちの上空でヒバリが鳴いていた。ただ2,3度歌って止めてしまった。のどの調子がいまいちだった? 去年のブログでは、3月16日にヒバリがさえずったとある。それより早いように思えるが、いつも家にいるわけではないから・・ウグイスはまだ。 ところで、おっちょこちょいの七つ星テントウムシが一匹、たまり水でもがいていた。「早く助けてよ~」と叫ぶのを抑えて、写真をパチリ、パチリ・・ 「七つ星」は益虫のはずだから、間もなく救出した。しっかりアブラムシを食べて、太ってくれよ!(固い着物だから不可能か)
2006年03月09日
コメント(2)

グルコースとは違うが、2月22日のブログに書いたのと同じような意味が、左のデザインに含まれている。実はこれも、化学物質の構造に基づくデザイン。 普通に見れば、昔、男の子が遊んだ「ベーゴマ」をいろいろに色づけし、回転させたりしながら、グラフィックに配置したと思えるだろう。あるいは、もっと深淵な空想も・・たとえば、遠い宇宙の星雲。 下に示した「イラスト」は、「シクロペンタジエン」という化合物を図形で表したものの一つ(こういう図形を描くための化学用ソフトがある)。いったんこれを採用すると決めれば、あとはどのように図案化するかだけ。 この手のアイデア、すぐネタが尽きてしまうかな?
2006年03月08日
コメント(4)
3月1日のブログに書いた「エルミタージュ美術館展」、その2。 私は花に興味を持っているので、油彩のモチーフにどんな花が使われるのか注意して見た。だが展覧会の趣旨もあるのだろうが、花をモチーフに使っていた作品は、写真に示す一点のみ(ダニエル・ゼーゲールス作)。花輪に描かれていて判る花は、バラ、サワギキョウのようなロベリア、アザミ、ナスそっくりの花、くらい。(写真は350円のクリアファイルを接写したもので、いちおう、著作権料を払っています) 後で知ったことだが、16、17世紀のフランドル地方はヨーロッパ園芸の中心地で、多くの花の画家を生んだという。ヤン・ブリューゲルは(1568-1625)その代表格で、花の背景が黒く塗られているのが特色とか(花にフォーカスするため?)。「花束」という絵では、バラ以外にチューリップ、アイリス、スイセン、アネモネなどが描かれている。 上の写真に戻ると、明らかに「幼子キリストと幼き洗礼者ヨハネ」にフォーカスがあるが、他方、バラにもスポットが当たっている。そこで気になるのは、なんとなく現代のバラに比べ、花びらがシャッキリしないこと。これは描き方というより、バラが違うから?・・調べてみた。 バラの観賞は、ギリシャ・ローマ時代から盛んだった。これらのバラは中世を通じて栽培されたものの、中世前半においてはヨーロッパで重要視されず、むしろイスラム圏で尊重されたという。しかし、十字軍を通じてバラの観賞がヨーロッパで見直される。改良されて見事な花になったのは、フランス革命(1789)の頃だったらしい。マリー・アントワネットのバラ好きは有名。 こう考えると、16、17世紀のフランドル地方は、バラを改良する途上にあったということだろうか。
2006年03月07日
コメント(2)
今日は快晴。今日のネタがないなと思っていたら、ツマグロヒョウモンの雌がやってきた。季節の指標になっているモンシロチョウより早い。 枯れた芝生で休んだので、カメラを用意して庭に出たものの、人影を鋭く感じて、遠くへ飛んでいってしまった。 写真日記を基本にしているから、「おぼえがき」に登場した過去の写真を引用しよう。(雌の蝶、産卵姿勢の蝶、幼虫。幼虫はご覧にならない方がよいでしょう!)
2006年03月05日
コメント(2)
東広島の今朝、最低気温の予想がマイナス6度だった。だが快晴なので、気温はどんどん上昇している。明日の最低気温はマイナス2度。 「乙女菊」は、その名前につられて、昨秋買ってきた。耐寒性が心配なので、迷ったあげく室内に置いた。外に植えたら、今朝の寒さでも枯れたのでは? 仙人の持つ資料では、オトメギクは謎の存在。T社の春のカタログに載っている、山野草の「桜ヒナ菊」の仲間だろうか。これの開花期は、春~秋となっている。
2006年03月04日
コメント(2)
マツムシソウと言うよりスカビオサと呼んだ方が、通りがよいかもしれない。写真は矮性種として育成された品種のようで、「コーカサスマツムシソウ」の仲間らしい。 日本種のマツムシソウは、高原の秋を知らせる野草。長野県の霧ヶ峰から八子ヶ峰にかけて多いという文章を見たが、自分では明確に記憶していない。だが、より高山に生えるタカネマツムシソウとともに、私の意識に深く入り込んでいるようで、園芸種のマツムシソウを見るたびに心がうずく。 わが青春よ、よみがえれ!
2006年03月03日
コメント(2)
稲作のために水を貯める池は、いたる所にある。巨大な堰堤を築いたものから、流れ込んだ土砂で埋もれかかったものまで。周辺が新興住宅で囲まれたものから、森林で覆われたものまで。 緑や花や虫が少ないだけに、池で遊ぶマガモたちが目立ち、水もを揺らすさざ波が目にしみる。 鳥が去り、サルトリイバラの赤い実が自己主張をする、早春の池を写真にした。
2006年03月02日
コメント(2)
エルミタージュ美術館の秘宝を日本で公開する、「エルミタージュ美術館展」が、再び広島で開かれた。(前回の印象記は、2005年1月28日のブログに書いた) 前回が18世紀の女帝、エカテリーナ2世を中心として絢爛きらびやかであったのに対し、今回は、17世紀のフランドル地方(今のベルギーあたり)に住む中流家族や農民を描いている。 写真の視点で言えば、展示されている絵画にも、生きている今を記録しようとする同じ動機や情熱が含まれている。写真館でお金を出して撮ってもらう家族写真と同じ家族の肖像画、いわゆるポートレートに似た絵、お祭りや結婚式、競技会の集合描写。 それではこれらの絵画は、写真の代用品なのだろうか。だが「代用」と言えば、自分たちの方が科学技術的に優れているという意識がちらつく。 写真を写すとき最初にやることは、「フォーカス」を合わせること。今のカメラはほとんどオートフォーカスだから、それを省略して「構図」や「手ぶれ防止」が強調される。ただ「構図」も、デジタル写真では自分でトリミング自由だから、最後に残されるのは、「手ぶれ防止」(これも今は修正機能あり)と「撮影タイミング」。 写真でも17世紀の絵画でも、どこにフォーカスするか、それが重要なことに変わりない。しかしここでハタと気がついた。カメラでは等距離なら、目的以外の対象にもフォーカスが合ってしまうし、他方、対象が前後にずれていれば、同時にフォーカスを合わせることはできない。 ところが、である。展覧会の絵画はフォーカスが自由。等距離でも目的外のものは曖昧にするし、前後にそうとう離れていても、必要ならフォーカスを合わせてしまう。例えば、結婚式の絵で「花婿はどこにいるの?」なんていう話になる(花婿にはフォーカスされていない)。 さらに「フォーカス」を強調する手段として「光」が使われている。これは写真でもスポットライトを使うが、展覧会の絵画では「フォーカス」と自由に組み合わせているので、いたって明快に作画意図が分かる。 かくて展覧会の絵画たちは、今の写真でない。もっと言えば、フォーカスされた顔の表現に驚くべきものがある。それを「個性的に描かれた」と言うのは簡単だが、問題はその中身。たぶん写真では同時に存在しえない表情の「部品」が、組み合わされている気がしてならない。 写真の「限界」を感じて、疲れた1日でした。
2006年03月01日
コメント(2)
全29件 (29件中 1-29件目)
1


![]()