2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全26件 (26件中 1-26件目)
1
今年一年このブログによっていただいて、読んでいただいた方々に厚くお礼を申し上げます。ちょっと(?)説教臭い話もあり、スピな話もあり、ビジネス的な話もあり、でわけわからなくなってしまった、ごった煮なところを立ち寄っていただき読んでいただけるだけでも、門等にありがたく思っております。来年はちょっと愚痴は控えて、前向きに生きていくメッセージが増えればいいなぁと思ってます。本当に一年ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
2008.12.31
コメント(2)
はい、昨日のちょっといえかなり疲れたものを読んでいただいた方、すみません&ありがとうございました。今日は大分復活。結局…掃除はちゃんと粗塩をいれて行わなきゃダメよね。って思いました。え?そんなこと?と思われたあなた、甘いです!汚れのネガティブエネルギーは半端ではありません。本当に振動域を下げさせられました。マジで逆恨みややら悲しみやら疲れやらで心ボロボロでしたから。うん、感情デトックスが出たと思えば、自分の大掃除もしたということで。そしてあまり惣菜ばかりなのも良くないですね。パワーがあんまり回復しないから。ちゃんと調理したものが良いですねうん、自分でちゃんと火を通したものでないと。元気が有り余っているときはいいのですが、疲れているときは逆にきちんと家庭で火を通したもの、または元気な人が作っているものでないと。パワーが回復しません。あと外での適度な運動。というか無心に歩いたり、自転車をこぐこと。どうも私は自分の足で動いているとき&風を感じている時が一番気持ちの浄化や整理がしやすいようです。一人で泣いたり怒ったりしながらだから、かーなーり怪しい人ですが、部屋で一人でいるよりもあふれ出る感情がこもらないので、すっきりします。うん、かなり怪しいな。まあ、いいや。知人に見られなければ。あと美味しいもの。ささやかなものでいいのです。今回はタイ焼きで復活時々以上に餡子が食べたくなるのでちょうど良かったです。まあ、体重のことは考えるのはよそう。今は心の健康が大切。そんな年の瀬ですが、皆さんも忙しさに負けずに頑張りましょう。あと一日、どんなふうに過ごしますか?
2008.12.30
コメント(0)
母が入院し、父親がその面会やら洗濯やらで年末の大掃除を放棄してしまった(せざるえなかった?)ために独りでお掃除頑張ってます。が、やはり台所は強敵でした。特にレンジ周り。ざっくりやってもやっても汚れが落ちないとこがあったりして、如何に台所の主が掃除をさぼっているかがわかりました。それでも大分落ちたけどね、ちょっとすっきりぴかぴかには程遠い…。それにしてももうちょっと普段やっとけばもっと楽なんだけどな??丸一日家にいるのにさ~。と入院してしまった人に文句を言ってみたりその為か逆に疲労感だけ増したりしてあまりの疲れに夕飯はお惣菜を買ってきただけで終わり。まあ、いいか。休みに入って3日は頑張ったから、手を抜かないと。あと二日で正月の用意はできるのでしょうか。チョイ不安。あ、美容院も行ってこなきゃ
2008.12.29
コメント(0)
最近スピにハマっていますが、逆にはまればハマるほど、スピだけでは現実生きていけいないなぁと思います。だからといってビジネス、いわゆる資本主義に、極端にいえば拝金主義にだけ偏ってもいけない。両方ともバランス良く必要だと思います。ちなみに資本主義(ビジネス)≠拝金主義なので気を付けてくださいね。お金をもうけることがメインな目的なのは同じですが、その動機が違います。拝金主義はお金が儲かるためには手段をいとわないものです。汚職や偽装をする人達はこれになりますね。資本主義は世の中の役に立つことをして、対価としてお金をもうけることです。世の中が良くなるもの、誰かが助かるものを作ったり提供し、信用を得ることですね。閑話休題。スピばかりやって、現実社会を生きていくための知力や手段を持たないでいては、おかしなことになってしまう。同時にビジネス的に利害関係のみを追求していくとやがて拝金主義になり、やはりおかしなことになってします。でもやはり今の日本はまだ資本主義社会なので、資本主義社会のビジネスのルールは知っておかないといけない。同時に特に心のよりどころである信仰がなくなってしまった日本において、スピリチュアリティの必要になってきている。ビジネスと精神性は矛盾している、という人がいますが、それは表面しか見えていないためにそう見えるだけ。根源はすべて同じにつながっています。ただ枝葉の出方が逆方向に向いているだけです。だからあなたのハートでのバランス感覚がとても必要になってくるのです。どちらかに傾き過ぎてもダメ、ちょうど良いように育てなくてはいけないのです。ですから本物のビジネスで成功した人はそこがうまく育っている人が多いです。さて今のあなたのハートはどんなバランスになっていますか?来年はどんな風に育てていくのでしょうか。すべては貴方のハート次第です。
2008.12.28
コメント(0)
すべてはどれだけ自分が受け入れるか、ということにかかっていると思う。受け入れずに足掻くのも選択肢の一つとしてあると思うけど、それをすればするほど自分で自分の首を絞めることにもなるし、遠回りをすることでもある。でもそれを自分で選択した以上は、それに付随する色々なプラスもマイナスもポジティブもネガティブも引き受ける覚悟が必要。ただ単に自分の思い描く安楽な世界だけを夢見て、苦しい状態になるたび嘆いているのはやはり違うと思う。同時に今を受け入れるのと諦めて自堕落になるのも違う。受け入れるというのは次の機会をうかがって、ジャンプするために力をためることでもある。諦めるのはジャンプせずに落ちていくことである。思い描く世界を実現するために行動するのはありだし、そのために努力するのは構わないと思う。でも思い描くだけで、現実との落差を嘆いてばかりで行動しないのは問題あると思う。ただ行動の仕方、というのはあると思います。見当はずれの努力をしても、物事は成り立たない。通常努力をすれば成果は現れる。それがないということは方向性が間違っているということ。または貴方の思い描く世界があなたにとって誤っている場合も努力が実らないことがあります。もしくはあなたがその幸せを受け取ることを無意識に拒否している場合。そうすると思い描く世界にたどり着けないのです。どちらにしても今の状況を、自分なりに受け入れること。それがすべての始まりだと思います。たとえそれがどんなに不本意だとしても。そこから変える努力が始まるのですから。
2008.12.27
コメント(0)
![]()
本日買いました、「コーセルテルの竜術士物語 7巻/石動あゆま/一迅社」。ほのぼの竜術士子育て物語、と言った方がよほどしっくりきますね。通産11冊目のお話です。前半は本当にほのぼの、後半ちょっとシリアスが入ってますが、楽しかったです。つーか、基本、龍や竜は大好きだったりします。ちなみに私の中で「龍」は東洋ドラゴン「竜」は西洋ドラゴンと区別しています。でももともとリュウという漢字は古代中国であは「竜」の字しかなかったそうな…。…と「創竜伝」で田中芳樹氏は書いておりました。それはさておき。基本ほのぼのファンタジーなので、戦闘ものが好きな方はやめておいた方が無難でしょう。次は8月頃発売とか…。早く続きが読みたいのに~~ドラゴン好きな方にはお勧めかも?ただし基本ヒト型で、ほとんど本体でてきませんが…。年末年始に是非一冊
2008.12.26
コメント(0)
そういえば世間はクリスマスでしたね~。今年は(も?)自分にプレゼントをし損なってしまいました。つーか、毎年悩んでなんか買う気にならずにスルーをしています。まあ、年始用と新年早々始まるバーゲンに色々考えておりますが。一番の失敗はケーキを食べそこなったこと。ケーキ好きに母が入院したために、大きいの買うのをどうかと考え、そうしたらなんかどうでもよくなってしまったのと、ケーキ屋の人だかりに戦意を喪失したのがあります。うーん、でもその分新年のおめでたお菓子に回そうと計画中。でも何故かクリスマスにちょっとでも特別なことをしないと妙に自分を大切にしていないような気がするのはなぜでしょう?そんなわけないのにね。というわけで新年にたっぷりなみなみと自分を癒すことに決めましたその分年末たっぷりと大掃除しなくてはね~。あ、年賀状も新年無事に迎えれるかな??
2008.12.25
コメント(0)
不思議なもので、私は常にどこかに属しながらも、属さない生き方を望んでいる。チームの外に独りでいるのでなく、でもチームにどっぷりと浸からずに、常に自由にあちこち行きたい気持ちがあります。チームにいるのが嫌でなく、ただ、その中にだけ存在するのが息苦しいのです。グループによってはその中の掟やルールに忠実にどっぷり浸からずに、あちらこちらへ行くのを厭うところもあり、そいう場所には所属できないのです。ですから本当に女の子だけのディープなグループは苦手。「自分たちが一番正しいの!」として他を排除する動きをするところもいることができません。アットホームと称し、行事参加が強制的で、不参加の人を敵視するなんてもってのほかです。必要以上に縛られるのも拘束されるのもだめです。ルールとか約束事は守ることは苦ではないけれど、「こうでなくては」「ああでなくては」と型に嵌めようとすることや人はとにかくだめです。なぜ、と聞かれても特に困るけど、本当に苦手で息苦しくなります。どうしてもとなると逆にそこの場所を捨てる方を選ぶくらい。逆にオープンで、いつでも歓迎・出て行きたければどうぞ~、というちょっと放任主義というか、ある程度個人の意思を認めてくれる場所は居るのが楽ですね。人に強要して変な緊張感がある場所より、オープンでそれぞれが其々の意思で集まって協力するというのが、理想です。とにかく「強制的」な言い方、「~~しなければいけない」というやり方を示されると反発する。「協力」や「お願い」は進んで手を貸したくなる。親は私を「天の邪鬼」と呼んだが、それは違うと思う。より人間的に温かくて明るい方を選んでいるに過ぎないと思う。さて、あなた方はどうでしょうか。
2008.12.24
コメント(0)

本日はアートトレックで開催中のアンディ・レイキーの展示即売会「エンジェル・クリスマスin名古屋」に行ってきました~。行く前から妙に呼ばれているようで、なぜか地下鉄に駅に着いたらすぐ乗れ、乗り換えもスムーズでした。今回は特別企画としてインナーチャイルドセッションが特価になっていたためか、ついた時はマオさんはセッション中でした。今回は委託・借り物も含め大型の見たことのないものが結構多く、充実した感じなのと、先週の東京個展直後だったのもあり、新作がたっぷりと見れました。ついてしばらくすると何故かお客様が次々帰って貸し切り状態に。「じっくり見る人が来るとこうなるんですよ~」とShiroさんはおっしゃってましたが…しばらく見ていたけら、やっぱり眠くなって来て、あくびの連発…。というか癒されてました。なのでボーっとしながら作品を眺めたり、作品とチューニングが合うと(?)咳がでて浄化が始まっちゃたりしてました。涙も知らずに流れていたり。まあ、女性の浄化日にあたっちゃったのも、一因かもしれませんが。ついでにアメリカのアンディ出演の番組DVDを見せてもらったり。ほんとうにもう、勝手に涙が出てくるので、大変でした。ちなみに今回も購入はしておりません。気になる子はいたけれど、「なんか違うんだよねぇ」って感じだったので、止めておきました。でもやっぱり気になるけどね~、ハートの天使。そういえば今回も初購入の方の立会いをしてしまいました。前回もそんな感じで…、呼ばれたのかなぁ、アドバイザーとして。今回ネックレス(アンディがデザイン・日本で制作)もあったので、どうしようか考えたけど、なんとなく気が進まないので、最終日に見に来ることにしました。それでも気になったら購入しようと。十分癒されて、少しお菓子も頂いたて、お暇しました。色々とありがとうございました~そして帰りも地下鉄がすごくタイミングよく来たので予定通りに帰宅できました。つーか、誰の差し金やねん。ちなみにこの絵画展、12月29日の17:00までです。最終日以外は11:00~19:00です。年末の忙しいさなかですが、行く価値はあり。癒されてきてくださ~~い。
2008.12.23
コメント(0)
最近思うのは、幸せな人は「受け取る幅が広い」ひとで、不幸せだと感じる人は「受け取ることができない」ひとだとよく感じます。更にいうならば、受け取る力がある人は自己肯定力もあるし、よい所に目を向けれる人で、幸せになることに前向きです。逆に受け取れない人は自己否定が強く、悪い所にしか目が向かないず、幸せになることに非積極的なのです。んふつう人は幸せになりたいものではないのそう思ったあなたは普通です。でもね、人は「常に幸せを追い求めていないといけない」と思っているので、幸せを受けて取ってしまうと追い求められないので、幸せを無意識に拒否してしまうもの(byHideroさん)だそうです。幸せになると追い求めることが出来ない。だから常に追い求めるためには自分が幸せになってはいけない、という理屈だそうです。不思議ですよね。幸せになって、更に幸せを求めてもいいのに、幸せはたくさん持っていてはいけないと思っているところが。幸せになれる人は「幸せ」に対して貪欲なのかもしれませんし、タブーと見ていないだけなのかも知れません。でも幸せなれない人が「幸せ」に対して貪欲なのではなく、タブー視しているだけなのかもしれません。「幸せになる」価値がないのだと思い込まされているだけなのかもしれません。其の制限を外してしまいましょう。貴方は幸せになって良いのです。誰も文句は言いませんし、あなたが幸せになったことをみて幸せになる人はいるのです。もし、あなたが幸せになることで、文句を言う人がいたなら、その人はただ単に「受け取れない人」で、あなたに嫉妬しているだけなのをです。放っておきましょう。そして貴方が十分に幸せになって余裕が出たら、その人たちに手を差し伸べてあげましょう。そうしないと貴方が不幸の渦にのまれてしまいます。まずは自分を幸せにしてください。それからほかに分かち合ってください。順番はくれぐれ間違えないように
2008.12.22
コメント(0)
残念ながらマンガの話ではございませんジグソーパズルをご存知ですか?あの凸凹の組み合わせの小さなかけらを集めて作るパズルです。600ピースくらいならやったことある人もいるかと思います。これが1000、2000くらいになると結構難しくて、うんうん唸りながら色を合わせてみたり、形で推測してみたりするのですが、意外な色が意外なとこにくっついたりしてびっくりすることがあるのです。最近思うのは人生の出来事はそのジグソーパズルのワン・ピースようなものだと思うのです。その時その時の問題や課題はその時は「なぜこんな目にあっているのだろう」「なんでこんなことが起こるのだろう」と思うことも結構あったりします。しかも「いったいどこに向かって私は進んでいるんだ??」なんて思うことも。でもある一つのことがきっかけでぱーっと目の前が広がるように、「あ、こういうことだったのか」とわかることがあるのです。ジグソーパズルで言うならば、一つのピースがハマったがために、自分が作っていたのが赤い屋根だったり、黄色い花だったのが見えてくるようなものです。でも赤い屋根や黄色い花だけが出来たからと言って、パズルは終わりではありません。そこが終わるとまた次のピースを集めて、組み立てて、何かまた別の形を作り続けないとパズルは完成しないのです。生きていくこととはそれと同じように一つの物事の全体像が見えると、また次のピースを集めて次のパーツを作る作業に入るのです。そうするとどうしてもつなげないピースと形の断片が見えてきます。形の断片が見えてくると、今度は形づくられたものとモノをつなげる~~たとえば赤い屋根と板の壁をつなげて家を完成させる~~作業に入ります。そうして一つ一つのパーツを今度は繋げておおざっぱな全体像が見えると、他にどうつなげてよいかわからなかったピースが、どこに埋まるか分かってきます。そうしてジグソーパズルは完成します。同じように私たちが生きているうちに出会ったさまざまな物事や出来事は、結局「自分の人生」という大型ジグソーパズルを作るためのワン・ピースに過ぎないような気もします。見えてくるのは後になってから。いま大変だったり、「なんでこんなことを」と思うような経験が後になって生かされてくることもあるかもしれません。ですから今大変なことも真剣に取り組めば、違う景色が見えてくるかも知れません。さあ、あなたは今、ピースを集めていますか?それともパーツを繋いでいるのでしょうか?全体像は見えてきましたか?それとも最後まで分からないのでしょうか?どちらにしてもその全体像が見えるのは人生の終わりかもしれません。そう思うと一つ一つが大切に思えてきませんか?ですからやけくそな気持ちになっても、放り投げたくなっても、それでも前に進むのを忘れないでください。
2008.12.21
コメント(0)
今日は色々なことが起きました。色々なことを感じました。色々な事が見えました。同時に色々と考えさせられました。うまく言えないけれど、きちんとお伝えしたいと思います。そのためにしばらく今日のことは書かないでおきます。自分の中でじっくりじっくり寝かせて、そしてちゃんと自分のものになった時に自分の言葉でお伝えしたいと思います。
2008.12.20
コメント(0)
色々な情報を一気に受け取ると混乱します。何が正しくて何が間違っているのか。特にひとつの事柄に対して、極端から極端の情報を一気に受け取ると、自分の中で消化不良が起きてしまう。特に人によっての真実は価値観によって変わるので、本当にどうかは判断しにくい。ある人の目を通してみたものがすべてではないし、自分の目を通してみたものだけがすべてではない。答えはどこにも転がっていない。答えは探すものではない。自分で一つ一つの情報を色々な角度から見て、吟味して、つなぎ合わせて、推測して、導き出すしかない。そしてその答えさえ、ある情報によっては再検討する必要が生じる。今の世の中「これがすべてで、何より正しい」と言えるものがかなり少ない。それにより不安になったり何かに依存したり、やけくそになったり見ないふりをしたくなるけど、でもそれをやっていては余計に足元がおぼつかなくなる。できるだけの情報を集め、事実と虚偽をふるいにかけて見分ける力が必要となってくる。同時に断片をつなぎ合わせる力も必要になってくる。そうしてぼんやりと見えてきた輪郭をさらに検討して導き出すしかない。「答え」ってそういうもの。そんなことを強く感じる。docomoのCMじゃないけどね。あれはある意味、本当のこと。
2008.12.18
コメント(0)
自分の中に「絶望」が居座ってます。普段は隠れて見えないけど、何かの折にひょっこり顔を出し、すべてを投げ出したくなります。「死にたい」気持ちもセットに出てきますが、自分が本当に「死にたい」というよりは「絶望」の方が大きいのがわかります。原因は子供の頃、というか幼い頃。特に小学1年になる前くらいまで色々あって思うようになった「両親にとって私は要らない子。本当はどうでもいい、必要ない子」というのが大きいようです。でもそれが辛すぎて、心の奥に閉じ込めてしまっているようです。そういえば、先日とある方に「ハートチャクラが動いていないみたい」と言われたので、なんでだろう、と自分なりに考えていました。今は怒ったり何かする時の感情は「わくわく」以外はほとんど頭で判断して動いているのに気付きました。とくに怒っている時は全然「心」は凍りついたように動かないので、平気で酷いことがいえたりします。でも昔はそうでなかった。幼いころは傷つけば胸が痛かったし、人を傷つけるようなことを言ったり相手を責めたりするだけで心が痛くて仕方がなかった。そしてその痛みが辛くて仕方がなかった。そのことを母親か父親に話したところ「そんなことで一々心が痛くなる方がおかしい」と言われて、また辛かったことがある。幼いころからの人間関係も、幼いながらも意地悪や悪口が大好きな人、人が傷つくのを見て喜ぶ人もいて、結構サバイバルなことが多かった。対抗するために一々心を痛めていては仕方なかったので、徐々にそう感じることを封じてしまっていった。大人になっても色々と辛いことが多くて、どんどん感じることを閉ざしていった結果、ほとんどのことを「ハート」ではなく、「頭脳」で判断するようになって行ってしまった。だから怒っているときもどこか他人事というか、実感がないので平気で酷いことを口に出せるようになってしまっている。其の閉ざした扉のその最奥に「絶望」がずっと巣食っている。この「絶望」が一番「ハート」にとってキツかった。だから封じて見えないようにしてしまった。それが何かの折に現れて、すべてを放棄して破壊してしまいたい衝動にかられる。だからすべての者に対して本当の執着もなければ、大切にしようとする気持ちも壊れかけても修復する気も起らない。「まあ、いいや」と投げてしまう。それではだめだから、この「絶望」を解放し、自分を癒すしかないのだろうと思う。少しづつでも、もう見ないふりをすることなしに。今私が自分のためにやらなくてはいけないこと。
2008.12.17
コメント(0)
仕事をしていると結構いろいろあるもので、ミスや失敗やらその他もろもろあたりまえです。ミスや失敗は怒って(怒られて)あたりまえ、なのですが、これがまた怒る方法を間違えると再発防止どころか、隠れミス、隠れ失敗の上塗りによる多大な損害が出ることがありますので要注意です。とにかく一番やってはいけないのは、「感情的になって人間否定も込みで人の話を聞かずに怒鳴る」ことです。そんなの当たり前?でも意外に皆さんやっているのですよ。特に肩書を持っているから偉い、と勘違いされている方に。ちなみに「怒鳴る」と「怒る」は天と地ほどの差がありますのでご注意ください。たまにむやみやたらに怒鳴りまくれば相手(部下)が言うことを聞くと勘違いしている人もいます。確かに表向きは従順になるかもしれません。でも内心はまるっきり従順でないし、「またか、うざいなぁ」と思われて煙たがられているだけです。されに尊敬どころか軽蔑されていたりします。時には「怒鳴られると嫌だから」という理由で、報告が滞ることも考えられます。そうなると簡単なミスも隠されて、とんでもない爆弾となって表面に現れることもありますので、要注意です。怒り方には怒鳴っていい場合と、行けない場合がありますのでそれはきちんと区別してくださいね。大人な貴方がたには言わなくてもわかると思うので、どういう場合に怒鳴ればいいかの説明は割愛させていただきます。次に怒る相手をちゃんと判断しましょう。ミスした相手を怒れば良い。そう思っている貴方はミスした人間が特に新人や経験が浅い場合、実はあなたの(または先輩の)教育が悪いだけのことがよくあります。つまり指示が曖昧だったり、いい加減だったり、指示した人間が分かっていないことがあるのです。ミスした人にだけ怒っても「私は言われたとおりにしただけで、何で指示したほうに注意しないの?」という不信感を抱かれるだけです。もちろんこの時も感情的に怒鳴るのは厳禁。やりたければやってもいいですが、貴方の株が急落するだけです。きちんとどこが悪いかを把握して、要所を抑えるようにしてください。そうしないとまた次の新人も同じミスをします。もしかすると、あなたの会社のシステム自体に問題があるかもしれません。きちんと把握して次につなげるようにしてください。。たまに怒鳴らなければ相手が言うことを聞かない、と思っている人もいます。でもそれは貴方の人間性と人徳の問題であって、相手の問題ではありません。むやみやたらに相手を怒る前に、まずどこを注意すればいいのか、どう支持をしたらミスをなくせるのか、よりよくするにはどうすればいいかを考えながら怒るようにしましょう。怒鳴らずに冷静に要所をおさえて注意すれば、あなたに対する尊敬度及び株は上がりますのでうまく使ってください。
2008.12.15
コメント(0)
さっきまで書いていた記事が書いている最中に消えました・…。…書くなってことかにゃ??でも途中までは書き直すぞそれはさておき、最近はやたらピンクが好きになりました。なので部屋のアイテムも少しづつですが、確実にピンクに変わっています。でももともとあったグリーンとかブルーのもあるので、まだまだゴチャットした印象ですが。しかもそのピンク好きは部屋のアイテムのとどまらず、服も浸食しています。というか、ピンク色(しかもきれいな色)でないと買う気がおきなくなりました。最近ユニクロさんのニットがキレイめカラフルなので助かってます。あとベネトンさんね。でも最近ベネトンもダーク系のカラーが多くなってちょっと困る。どうして日本てこうダークカラーが好きなんでしょうねぇ。ちょっとうんざり。とにかく私はやたらピンクのモノに惹かれてしまいます。そのうち部屋の家具もFrancfrancのピンクの家具に変えるかも?そうなったらさすがにくどいかなぁ。そんなわけで当分まだまだピンクを集めてしまいそうです。一体何なのでしょう?でも今の服はターコイズグリーン(笑)これはこれで気に入っているけどね。
2008.12.14
コメント(0)
現在うちの母親の体調があまりよろしくありません。なので家事のほとんどができない状態です。ええ、別にそれは一向に構わないんです。代わりにやるのもね。わかんないのは「体がつらい~、めまいがして立ってられない~」と言いながら家じゅうをふらふら歩くこと。つーか、本当にめまいがして立ってられないなら、寝てればいいのに。ちょっと寝ては起きだして「体調悪い~」と言いながら歩きまわる。ゾンビですか?貴方は!!しかもお願いしておいていちいち見に来るし…。寝ててください。はい。いくら私が基本的に他人の事どこ吹く風としても、本当の体調の悪い人をほっておいて自室にこもったりしませんから!!体調の悪い振りならまるっきりほおっておきますが。一番母親自身が向き合わないといけないのはその人間不信ではないのかなと思います。とにかく信じてない。自分のことも。だから余計にダメになっているんだろうなぁ。しみじみ。まあ、本人の問題なので、しばらく様子見ようと思います。
2008.12.13
コメント(0)
最近、自分の行動パターンのほとんどが、母親の譲り受けだということに気づいた。特にネガティブなパターンは100%と言っていいくらい。幼いころに強要されたり、自分と同じになるようにいじめられた結果のような気がする。それを見てよくヒステリックに怒っていた母親を見ていたので、本当にこの人は自分でい七所を蓋をして生きているんだな、としみじみ思う。そして自分の思い通り、わかる範囲で動くことを強要して支配していたのだとも思う。でもそうやって母親のパターンを取り込んでいることに気づけば気づくほど、本来の自分とはどういうものなんだろうと疑問に思う。本来の自分はどう行動するものなんだろう。そのカギは幼いころにあると思う。そのころ、母親に強要されたり、世間体を強いられなかった時分、どうやって考えていたのか。それを考えると今みたいにイジイジ考えたり、ぐずぐずとしていたりしなかった。ただ単に外からの拒否や「親の想像していた子供らしい行動をしない」という拒否や叱責が怖くてだんだんそうなっていっただけなのをつくづく感じる。でもそれはきっとほかの人も同じことで、だんだんと足枷や鎖を身にまとわらされて、なってしまったものだと思う。もちろん生まれ持って出た性格もあるだろうけど、底抜けに明るく能天気に前向きなところであれば、心配症もちょっと用心深い、というだけですんだものかもしれない。それを言っていても仕方ないので、今からでもできるだけ多くの重荷や鎖や足枷を取り外したいと思う。なかなか外れてくれないし、外れたと思ってもすぐに飛びかかってくるし、なかなか難儀をしているが、でも気付いたものだけでも取り外さないと、まただんだんと行動が狭くなってします。何かの本に「大人になるというはどんどんと自由になること」と書いてあったのを覚えている。本来大人になればそうなるものなのかもしれない。けれど今は大人になればなるほどがんじがらめになって、身動きが取れなくなっているように感じる。けれど気づいてそれを外そうとすれば本当は外れるものだと思う。気づいて外そうとするかどうかの問題だと思う。なかなか重くて大変かもしれないが、この縛り付けている鎖や足カセや重荷をできるだけ早く捨てて落とそうと思う。本来の自分に戻るために。
2008.12.12
コメント(0)
![]()
と、いうわけで12月5日に発売された「こんな女でごめんあそばせ」です。最近やたらと蝶々さんの本はチェックしています。だって読むとパワーが出るんだもん。パワー不足な女子に本当にお勧めです。これは06年に発売された単行本を文庫化したもの。もちろん中身はおまけ付きです。Hanakoという雑誌(個人的にはあまり合わない…)で連載されていたエッセイをまとめたものだけど、うん、やっぱり濃い。人間力というか生きている密度というかそういうものが桁違いに凝縮されている、って思う。パワーというか、何というかが一般人とはケタ違い。なのでエッセイなのに読むのにやたら時間がかかります。またかい。いくら400ページ弱とはいえ、通常の小説なら仕事に行きながらでも二日くらいで読み終えるのに、今回も1週間近くかかりました。本当に本来人間ってこういうもんなのかなって何度も思うし、自分って人生損している?なんて自問自答までしてしまう。それくらいまで山あり谷あり笑いありスピあり(ネガティブはあまりない)な彼女のエッセイを読んでいるとつくづく思う。そもそも縛られるのがあまり好きでないロマ系な前世持ちなので、結構ああいう風来坊は憧れる、というかとても感覚的にしっくりと来る感じがする。底抜けに明るくてでも情が厚いところもね。今まるっきり逆な人生を送っているけどねそんなこんなでな時の常備薬としても、また女性の一面を研究するにもお勧めの本です。読んでみてください。ちなみに単行本はこっち
2008.12.11
コメント(0)
「まず自分を愛さなくちゃいけない。けっこうたっぷりなみなみと」これは蝶々さんの「小悪魔流。」って本の後半に書いてあることなんですが、一回目読んだとき、結構衝撃的でした。昔々の私(っても5年くらい前)は「自分を愛する」って意味がよくわからなかった。とにかく自分の至らない点・嫌な面ばかり見て、更に自分の粗さがしをして、勝手に他人の輪から離れて、籠っているくせに、周りが悪い、更には他人を一方的に勝手に嫌っていた。でも「このままの自分じゃ嫌だ!」って思いがあって、風水とかビジネスとかいろいろ学んだりして、結構自分のこと好きになっているつもりだったが、それじゃまだ全然足らないんだと思ってしまった。というか思い知らされた。じゃあ、どうすればいいのか。会社や近所等のお付き合いはともかく、本当に自分の自由になる時間(プライベート)は自分の気持ちの良いことをすることと変な無理をしないこと。友達づきあいから自宅でくつろぐとこまで。……だそうです。それが出来ない人ってのは、実は三つくらいに分かれる。方法をまるっきり知らなくて立ち往生している人と、方法を知っているのに行動に移れない人と行動したつもりになっている人。人は自分のやったことのない方法はまるっきりわからないので、方法を教えてもらわなくては行動に出れないものである。下手すると方向間違いのほうへ行ってしまうのでこういう人は要注意。または知っていても「自分は出来ない」っていう思い込み…というか思い込まされて…があるのでなかなか行動できない人もいる。そして本人はその方法をやりたいのに・やっているつもりなのに、無意識に昔のプログラミングが出てきて邪魔してしまう人。私は現在三番目タイプ。最後のパターンの人はもう一つ一つのやることを「なんで?」「どうしてそうする?自分がやりたいのは?それで気持ちいの?」って突っ込みを入れないと、自分をどんどん我慢させたり、捻たり、いつも不足感にあえいでいたり、それが幸せと錯覚していっちゃう人です。で、そいう人ってのは大抵幼いころに大人にそう調教されて去勢されていることがほとんど。本当に戦時中の不足感とか、その時の淑女貞淑などを強要されたのをそのまま持っている人にひがみとか恨みとか妬みなどとそれが一番という思い込みのもとをそのまま受け継がされているんだと最近はおもう。または「私がそうなんだから、他の人も同じように不幸じゃなきゃ嫌」っていう自己中な考え方、なのかな?そこまで行くとよくわからない。そんなこんなで自分を愛する方法も判らずに自分を幸せでない状態へ追いやっている人は多いと思います。人によっては幸せになる価値がないと思いこんでいたりね。そんなことはない。みんな幸せになる価値がある。そうそう、「自分のこと愛せない」って人。それはそれでいいのではないでしょうか。まず愛せない自分を許してOKを出すことから始めてください。「まあ、今は仕方ないよね」って。そこからやらないと、「自分のことを愛さなくてはいけない」なんて義務感でがちがちに自分を縛ってしまい、歪んでしまうことがある。それはそれで本末転倒なので、やめましょうね。
2008.12.10
コメント(0)
最近聞いていませんが、CMで流れていたので気になった事。「貴方のためだから」ってやつ。なんのCMかは忘れましたが、そうやって残業を押し付ける上司と、人のケーキを取り上げる二人の友人のやつ。まあ、流れ的にはわかりませんが、本当にこのCM見ていると「はぁっ??(何バカなことほざいとるんじゃあ!)」って気になります。でもね、私の経験から言って、「貴方のため」っていう人の言うことややることは基本的にその人のためになっていないことが多いです。本当にその人のためという口実を作って、自分が「誰かのために何かをした」という自己満足のために行うことが多いです。自己満足のために他人に何かする人は、それを断られると基本的に怒り出します。「何で?」→→→「自分が満足できると思ったのに満足できなくなったから」かわいそうな誰かのために自分は何かをしてあげたという満足感または優越感が感じる機会がなくなる。そうなるとその不足感を満足させてくれないことに不満になる。その相手にそれをぶつける。ってことです。よく女性のぐちで「○○してあげたのに感謝がない!」「××してあげようと思ったのに断るなんて、失礼な」と怒っている人がいますが、それは相手が悪いわけではありません。自己満足と自己優越感をその人から得たいという下心をもって接した愚痴を言っている方に問題があるのです。貴方はそんな愚痴を言ったことありませんか?そんな時の貴方は相手のことなど考えていないのです。自分のことしか見えてないのです。実は無意識に相手を自分を満たす道具にしている失礼なことをやっているのに気付きましょう。ちなみに、本当にその人のことを考えている人は、心配やいつでも助けるよというメッセージを出すくらいで、いちいち怒ったり、文句を言ったりしないものです。と言うかなぜそこで怒ったり相手に文句を言わなくてはいけないかが理解できないのです。自分のことより相手のことを考えているからです。「そんなことない、私は相手のことを考えているよ!」と反論したい方。申し訳ないですが、貴方は相手に「『貴方の事を考えている』ということを理解してほしい」だけです。うん、それって結局「自分のこと」ですよね。理解されてないと思うから、相手が悪いって思うので結局貴方は自分のことしか考えていないのです。残念ですが。自分の本当の気持ちをちゃんとまっすぐに受け止めてください。ごまかさないようにしてください。
2008.12.08
コメント(0)
昨日12月6日は私にとってのヒーリング・デイでした。朝遅く起きたけど、掃除をしてお出かけ。1時からクリスタル・ボウルの演奏会でした。今回もクリスタル(ローズクオーツ2個+ラピスラズリ+カルサイト)を持って行きました。場所は「愛と光とともに」のセッションルーム(という名のご自宅にての演奏会でした。演奏会が始まる前クリスタルなどを浄化のために並べ、首にしていったクリスタルのペンダント・指輪も配置。ぬいぐるみが置いてあったので、他の方が誠さんに「ぬいぐるみも浄化できるんですか?」と質問。すると「クリスタルボウルは何でも浄化できますよ」とのお答え。しかしそのぬいぐるみは単体だけでは陰の気を持っている~というのをペンジュラムで確認していただき、またほかの方がお持ちのクリスタルも判定。通常時計回りに回るけど、石が疲れているとその周り方がいびつになるというのを教えてもらったりいろいろしました。それから陰陽の話になり、石はたいていの場合は陽の気を持っているという話をしてもらいました。そうやってみていくと私の持っていたラピスラズリは反対回りにネガをかなり吸い込んでいるね、という話になり、それだけ隔離して配置しました。そうこうやっているうちに、時間が過ぎたので、演奏会開始。ゆっくり寝っ転がって聞きました。しかし始って早々、私は咳がでてなかなか止まらない状態に。…って浄化されてるあたり、色々たまっていたのね。さらに今回私は一つの目論見があったのです。この状態ならクリロズに行けるかな?というもの。なかなか記憶のお持ち帰りができないので、行っているのかいないのかいまいち判断できなかったのと、クリボウ演奏中なら波動が高くなっているから、行っても記憶のお持ち帰りが可能では?という考えのもと。しかし結局イメージとして青い屋根の白い洋館を庭に立ってみているイメージだけで、進展なし。集中力も切れたので、今回は(も?)無理せず音に集中することに。すると過去2回の演奏会では響くのを感じなかった腰のあたりに音が響くのを感じ、やっぱり少しづつでも浄化されているんだなぁと実感。今回あまり寝た感じはしなかったのですが、気がつくと終了、一時間はたっていました。その後ペンデュラムでお疲れの石を一つ一つチェック。見事浄化されているのを確認しました。私のラピス君も無事浄化完了。すまなかったねぇ。次のレイキの交流会に移る前の休憩時間に、お願いしておいたブレスを受け取りましたお任せ、にしたために2本でした。通常は1本希望ならそう作っていただけます。2本というのはメインのほかに細めのモノがつくのです。最初の印象は結構カラフルで色々な色があることにびっっくり、というか「ええ??」って感じ。誠さんが言うには組んでいてどうしても単色系にはおさまらなかったらしい。奥さまの幸さんも「最初はちょっとびっくりしたけど、出来上がってみたらたかさんのイメージになりました」と言われました。…どんな人間やねん、私。こないだからちょっと疑問。しばらく左手のひらに乗せておいたら、クリスタルとチューニングがあった時の、鼓動とかビリビリ感というか、そういうのがすごかったです。「すごくビリビリ来るんですけど?」と聞いたら、「たっぷりパワーチャージしてありますから」とさらっと答えられました。ありがとうございます。それからレイキの交流会。習ってないのに、何で?と言われるとやはり興味あるから。3回目のためかすごく掌が熱かったり、頭のてっぺんがビリビリしたり何か入ってくるの感じたり。もちろん場の設定が素人でも感じられ使えるようにしてあるからだという話ですが、これがレイキをきちんと習っている人ならどんな感じなんだろうと興味を持ちました。来年あたり習おうかな。そしてお開き。あ、この時にブレスと私を繋いでもらいました。その為か着けた時に違和感はなし。もちろんその前に触ってコミュニケーションとっていたのもあると思います。いったんごはんを食べに出て、夕方から<クリスタルボウルと朗読会>。絵本の読み聞かせとクリスタルボウルのコラボなのですが、結構これがいい感じ。クリスタルボウルで気持ちいいで寝たいのと、朗読のこえも気持ち良くて、でも絵本の絵も見たい、というちょっとしたジレンマがありました(笑)場所が集会所のため椅子に座って聞いたのもあるでしょうが、本当なら寝っ転がって聞けるような畳とか、絨毯の引いてある場所の方が気持ちよかったのかも。その後、言葉のプレゼント&朗読と参加者による詩の朗読、最後にクリスマスソングを歌っておしまいでした。午後からのクリボウ演奏会からずっと一緒に参加した方が言うには、予行練習をした時の方がもっと心にきたということでした。まあ、色々な条件によって違うのかも?そして家に帰ってから、寝る前に月花さんのヒーリングをコールインにて受取り。エネルギーが来たかな?と思ったら紫とか白とかの光が目をつぶった状態で万華鏡みたいに入れ替わり立ち替わり、でした。そして寝落ち(笑)。いつ寝入ったのかも本当に覚えていませんでした。癒されました。でも翌日(本日)直に好転反応?イライラが湧き出し、でも本人は「???」状態。なんていうのでしょう。反応はイライラなのですが、本人の芯からイライラしているわけでなく、条件反射的に出ている感じ、と言えばいいのでしょうか?なんか演じている感じが抜けない。ちょっとこれは自分で見つめていかないといけない状態だなぁと認識しました。
2008.12.07
コメント(0)
今朝、会社に行く時に駅を一つ乗り過ごしてしまいました。地下鉄に乗って座れたので、あけがたに見た夢の断片が気になっていたので、眼を閉じて思い返していました。で、いつの間にか寝たらしく、降りる駅に気付かず、次の駅に着いた時に目が覚めました。もう大慌てで戻って、会社へ走って行ったんですけどね。というか、ここ数日の疲れがたまっていたみたいです。ずーっと体調がイマイチだったのと寝てもなぜか明け方に目が覚める、という寝方をしていたので、疲れが解消しきれていなかったようです。でも、まあ、明日はヒーリング・デイなので、ゆっくり癒されようと思います。わーい、クリスタルボウルの演奏会だぁがっつり寝るぞ(笑)
2008.12.05
コメント(0)
最近すごく思うのですが、この世の中には色々な人がいて、色々な分担をしています。社会で例えるなら色々な業種があり、そのひとつの業種の中でも色々な会社があります。その会社によっても、色々な職種ができる人が寄り集まって会社という組織を成り立たせています。営業というお客様に色々な良いことを提案する人がいて、実際にお客様に提供する品物を作っている人がいて、その材料を調達する人がいて、その工程や納期を管理する人がいて、お金の流れを管理・調整する人がいます。またその全体を見て、どうしたらよりお客様に喜ばれるかを考える人がいます。つまり会社という場所は規模の大小はあれど、それぞれがそれぞれの仕事をしてお客様に喜んでいただいているわけです。もし、営業が自分が仕事取ってくるから偉くて、経理や事務をやる人が劣っていると馬鹿にしたらどうなるでしょうか。この人たちが怒って居なくなって、営業の仕事の裏方の仕事をしなくなったら、実は困るのは営業なのです。そういった裏方の仕事をする人がいるからこそ、営業は営業の仕事に専念し、たくさんの仕事を取ってくることができるのです。また逆もいえます。営業が仕事を取ってこなかったら(モノを売ってこなかったら)事務は仕事がなくなり、仕事がなくなり会社にいられなくなるのです。似たようなことは会社間でもありますし、業種間でもあり、世の中は結局持ちつ持たれつだということがわかります。「自分は力があるから」「相手は力がないから」と思っている間は貴方は井戸の中の蛙なのです。それこそ先端技術の研究をしている教授が幼稚園の先生を「遊んでお金をもらっている」と非難しませんよね。最先端のヘアカットスタイリストが町の床屋さんを最先端の技術を知らないからと見下したりしないですよね。(実際にしている人がいたらそれは人間性の問題)それぞれがそれぞれの求められるところでそれぞれの役割をこなしているだけです。もちろん人間性の問題はありますが、自分の役割を精一杯行っている限り、他人がとやかく言う問題ではないのです。もちろん精一杯やってなくて非難受けるのは当たり前のこと。でも精一杯は人によってキャパが違うのも事実。ある人の精一杯が別の人には手抜きに見えたりする。逆もまたしかり。その場合、一方的に非難するのでなく、甘やかすのでなく、人を思いやればいいのではないでしょうか。でも本当は自分のことを精一杯しているんであれば、他人の事など見ていないもの。もし他人が気になるなら、あなたが精一杯役割をこなしていないのかもしれません。貴方は役割を精一杯こなしてますか?
2008.12.04
コメント(0)
とある方のコメントをよんで、心がザワザワしています。ん?でも何で??自分が直感的に決めて、というか心の声に従って決めてやったことが、何でほかの人の言葉でざわめくん?ぶっちゃけ自分の心が定まったいないっていうのはあります。本当に自分の気持ちが定まっていれば、周りの言葉などにざわめくことはないのですから。他人の反対の言葉は、言い換えればそのことをクリアにすれば出来るということでもある。反対の言葉であれば…ね。だけど今回のは誰かがこう言っていたよ、という又聞き情報。しかもすごく「中途半端」なもの。これでは好意なのか悪意なのか、横やりを入れてみた方だけなのか、ちょっと判断しかねる。そもそもその人はかなりそういう面では本来信頼のおける人のはずなのに、何でまた聞きの、しかも自分の意見もないことを書いたんだろう、という疑問もある。まあ、私がちょっとした情報で「揺れる」のも分かっているはずなので、なおさら「なんで?」って思うんですね。私自身の気持ちをきちんと決めて意図しろ、いちいち揺れるなってことなのかもしれません。でもね、私が意図して、考えてやってみて、それで失敗するならそれでOKだという気持ちもある。やりたいからやる。それに伴って色々なことを感じたり、失敗したり、後悔したり、うまく行って喜んだり、楽しんだりすることすべて自分で引き受ける覚悟をしている。他人がそのことに対していう僻みやっかみ非難もね。自分でやったことをウジウジと他人のせいにしたりしたくない。そんなことしてネガティブな気持ちを振りまくなんてしたくない。なのでやっぱり私はやりたいことをする。もちろんその場限りではなく、ちゃんと俯瞰してみたり、間口を広げ見たり、気持ちの方向性の変換をはかったりしながらね。誰かがこう言ったから、ああ言ったからと責任の転換をすればするほど、自分を大切にしているようで、貶めている。そんなことして自分を不幸な場所において自己憐憫に浸っていたくもない。(ま、たまにそういう気持ちになることもありますが)なので人のやることに異議のある人は誰かの言葉でなく、自分の言葉で言ってきてください。って思う。毎回。ただ単に嫌ならそれでもOK。そこからどう考えどう動くかは私の自由だから、がたがた言わないでくださいっておもう。というのも今まで、自分の気持ちを言うのがわがままだとわかってたり、思い通りにならなかったり、根拠が薄くて負けそうな人ほど他の人の言葉で屈服させようとすることが多かったので、チョイ強気な言葉になってしまった。まいった、何だろこの思考回路。
2008.12.03
コメント(2)
昨日の続き。とりあえずワークショップも終わって、ご挨拶して帰宅~なのに何故かやたら邪魔が入り前に進めないし、ワーク中の咳が出て止まらない。なんで??と思っていたらワークの代金を払うのを忘れていたのを思い出しましたというか何故かそういう流れにならなかったのですっかりお互い忘れていたという…。なので急いで戻ってお支払。その後はスムーズに、なぜか信号も全然待たずにタイミングよく変わり、あまり待たずに帰りました。うん、結構タイミングはよくスムーズに行ってしまいました。でもなぜか帰りの電車の中である男性が鞄につけていたアクセサリーが気になりました。うん、フツーの革のアクセサリーというかファスナーマスコットで適当に作ったような、何のモチーフかわからないものなのに、どう見ても私には人の頭に右から左へ穴を貫通させて輪っかを通し、どこか別の場所の繋いであるように感じたのですね。これが何を意味するかよくわからないままなのですが、すごく気になったのを書いておきまあす。家に着くとタイミングよく(?)父方の実家からお歳暮が届いていて、ちょっとそっちの家の話題になりました。そういえば家を出る時に感じていたいつもの反発やらなんやらが解消されていて、わだかまりなく話せる気持ちになっていました。でも、まあ、いつもの習慣のしゃべり方をしてしまうことはあるのですが閑話休題。そしてその実家の方の話題になり、今の本家の状況がわかりました。ちょうどそのあたりの事がワークで出てきて、本当にこのタイミングの良さって何?と思ってしまいました。さつきのひかりさんのヒプノから帰った時もまるで見計らったかのように、とある冊子の特集がその時の課題(というかこれからこうしたほうがっていうアドバイス)まんまのことが書かれていたりして、びっくりしたのですが、今回も本当にタイミングよすぎです。それから、その日の晩にお風呂に入ったときの感覚もおんなじ。なんかちょっとピリピリする感じが水から受けるんですね。対処法を教えていただいていたので、今回はすぐにそれは消えましたが。さらに翌日、普段は目に留まらないようなところの新聞広告が気になったりして。「苦悩から光へ」ってテーマで愛知の交響楽団が演奏会をやるっていう広告なんですが、普段目に留まらないところの広告が目に入り、思わず「え??」って思いました。というかそういうテーマでコンサートやるのでしょうか??…そうことも有るのかも?もしかしてメッセージ??って疑問が一杯。でも判断材料がないので保留にしましたけどね。材料が足らなくて判断できないときは一時保留もあり、とビジネススクールであったし、気持ちとして今判断すべきでないって感じたので早急に決めつけるのはやめました。といった感じでした。それと、帰る前に「ワークすると波動が上がっているから、食事とか気をつけないと気持ち悪くなることがありますから注意してください」って言われて対処法を教えてもらったんですね。半分素直「はーい」と返事し、半分「??」で帰ったのですが、うっかり無意識にいつもの調子でいつものヨーグルトを食べたら…。すいません、本当に気持ち悪くなりました。どうも一度自分の体で実験、もとい体感してみないと気が済まない性分で、それが無意識に出たみたいです。さらに味覚とかが敏感になっていて、あまり自分に合わないものが入っていると、対処してもちょっと気持ち悪くなるって現象が。面白いと思う半分、味覚がそれだけブロックされて感じなくなっていたんだなとわかり複雑な気分です。さて、これからどうなるんでしょうね。また日にちを置いて振り返って書いてみたいと思います。
2008.12.01
コメント(0)
全26件 (26件中 1-26件目)
1


