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昨日、一昨日とフラメンコの先生のリサイタルでした。一昨日は会場のお手伝いで、チケットのもぎりと会場の避難誘導灯を消す為、出入り口で係員をやりました。昨日はチケットがあったのでゆっくり椅子に座って鑑賞。やっぱりすごく良かったです。しかも昔同じクラスで、出産などで辞めてしまった人などがいたので、ちょっと強引に先生の楽屋に連れて行ったりして。とにかく興奮して「来月からガンバロ~」モードに。でも、ちょっと待って、私辞めたがっていなかったっけ?なのになんでやる気モードに入っているの?結局フラメンコは辞めたくないのかな?どうなんだろう。ちょっと考えてみても分からない。色々な気持ちがごちゃごちゃとあって、ネガティブな考え方や後ろ向き名考え方がとにかく全部一度なくなっているみたいな変な感じ。リサイタルを見て、一種の非日常を経験した為に気分転換になって、スッキリしているのはともかく、何でまたすっきりモードに入っているのだろう。ごちゃごちゃ考えて、とにかく捨て去りたいと考えていたのは一体なんだったんだろう。ただの気の迷い、だったのだろうか。フラメンコを好きか? と問われれば好きとは答えれる。でも本当に何が何でもそれだけで生きていけるか、というとかなり疑問がある。大体ここ2~3年、自宅でフラメンコを聞いたり、勉強したりする気が無くなり、スタジオでしか行っていない、という不真面目さだった。自主練習もしていない、する気もなく、ただ「好き」と言う思い込みと習慣と惰性で続いているようなものだった。なので一度手放そうと思ったのだが(貯金がそこを付いたのを期に一カ月お休みをした)それも上手くいかない感じがする。何故か常に引き戻されているような感じもする。去年も一度、自分の中で辞めるのを前提にお休みしたときも、結局周囲からの言葉の圧力(?)で一月も経たずに再開したという経験がある。もちろん再開したときは心の芯が喜んでいたのを憶えている。しかしそれから色々あり、やはり辞めたく思っていた。何故か辞めれないという呪縛(思い込み)を感じ、漸く休むと言う形できたのに、何故また戻ることを考えているのだろうか。結局私はフラメンコをやりたいのだろうか。よく分からない。さて、どうしたものだろうか。
2008.05.31
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割と定期的に見る夢があります。定期的、といっても同じ内容の夢ではなくて、同じ傾向の夢。一つが電車に乗っていて、行きたい方向へいけない夢。これは自分がどうしたら良いんだろうと思っているときによく見ます。ちなみに電車は近所の名鉄電車だったり、JRだったり、地下鉄だったり、新幹線だったりします。ここ2年くらい定期的にみてました。再就職してからは見ないなぁ。二つ目が駅の夢。電車に乗る夢を見るときは必ずなのでセットですね。電車に乗らなくても出てくることがあります。三つ目が勉強する夢。場所は学校だったり、会社(?)のセミナールームだったり様々で、殆ど勉強する内容も場所も同じ事が無いです。でも机に向かって先生(又は講師)の人の講義を聞いているパターンと自ら勉強するパターン。昨日のさつきのひかりさんのヒーリン後を受けたあとの目覚める前もなんか机にむかって勉強する夢を見ていた気がする。憶えていないのですが。他の方はどんな夢を多く見ているのでしょうね。
2008.05.28
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「執着を捨てる」って書くと時々妙に反発する人がいます。自分自身の好きなもの、こだわりを捨てろと言うわけではありません。いい意味でのこだわりをもつことは一向に構わないと思います。貴方がまだ好きで好きで仕方がない、そのことに命夜時間やお金を賭けることにためらいが無く、楽しくて仕方がないのであれば、それはまだまだ貴方が行っていて良いことです。しかし取り付かれた様に「こうでなければ」「ああでなければ」というものは、逆に自分を不自由に縛る縄のような物なのです。つまり過度の執着を捨てる、事がテーマです。ずっとこだわってやってきたものが重荷になっていることはありませんか?それのために柔軟性を欠き、不自由になっていませんか。ずっとやってきたために、なんとなく習慣になっていたり、本当はもう辞めたいと思っているものはありませんか。そう行ったものは全て手放してOKなのです。貴方の本質が本当はもう嫌で嫌で仕方のないけど、今までの経験やお金や時間を勿体ないと思い、不必要に執着して手放さずにいる必要はまるっきりありません。そうして手放さずにいて、新しい可能性を閉ざしていることのほうがよほど貴方にとって損失なのです。手放したからといって貴方がそれを永遠に失うと言う意味ではありません。それがあった時期、楽しさなどの経験は貴方の中にちゃんと在り、無駄だったり失ったりすることは無いのです。忘れることはあっても本当は消滅することはありえないのです。それにまた貴方に本当に必要なことであれば、それはまた廻り廻って貴方の元に辿り着きます。ですから手放すことに躊躇しないでください。大丈夫です。それに貴方は今の貴方が楽しく前向きになる事を行い、囲まれる義務があります。そうならないものは手放してしまいましょう。しかし手放したくても手放せない人間関係などは逆に視点を変えましょう。自分の見え方、考え方に執着せずに、いかに自分が楽しめるかを考え出してはいかがでしょうか。それが出来るようになった時、貴方は本当の意味で悪い執着から抜け出せるのではないでしょうか。貴方は悪い執着に取り囲まれ、身動きが取れなくなっている状態の自分を好きですか?貴方はよい執着に囲まれ、楽しく身軽になっている自分が好きですか?どちらでも貴方は何時でもどんな時でも選ぶことが出来るのです。次回は「自分で選ぶと言うこと」です。
2008.05.26
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世の中には不幸思考をしながら、「何故不幸せなんだろう」と思っている人が意外にいます。こういう人たちの特徴として、事あるごとに「ウザイ、ムカツク」という言葉を発します。そうして周りに人たちにも不幸をおすそ分けしまくるのです。でも本当に自分を不幸にしているのはその自分達の思考であることには気付きません。そうして回りが悪い、世間が悪い、社会が悪いと言い、更にあら捜しをすることに余念がありません。でもね、そういう思考を止めることで、不幸体質(思考)から簡単に脱却できるのです。悪いのは今の社会や常識に適応していない自分の考え方。それを適応させる為には社会を知ることが大切です。自分が生きている社会がどのような価値観でどのように動いているか。更に言うなら社会と言うのは玉石混合、見る目を養わなければ玉は拾えません。それを知らずして自分の中に篭り目隠しをしたまま不平不満を言っても誰も相手をしてくれません。同じ不幸体質の人が同情してお互いをさらに貶めてくれるだけです。でもそれって幸せですか?不幸せを回りのせいにして不幸の主人公を演じていても、誰も救い上げてはくれません。そんな暇があるなら自分で自分を幸せに導くように行動したほうがよほど良いとは思いませんか。不幸体質(思考)から脱却するコツ、それは自分を変えること。ただそれだけです。出来ないって思って可能性を閉ざさなければ、何時でもそれは可能です。さあ、貴方はどうしますか?
2008.05.25
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本日は休日の為、朝目が覚めた後に寝直しました(笑)目覚める前にも何か夢を一本見ていたような気がしたのですが、そちらは忘れました。で、気になったのが今朝の夢。今朝の夢で一番残っているのが、持っているお気に入りにアンディ・レイキーの絵が壊れる夢。実際にそんなはずは無いのですが、3つに割れてしまって右往左往する夢です。持っている実物とは若干違っている絵でしたが、コレを持って買ったスピ系のお店に相談に行かなきゃ~と困っているゆめ。そして何故か会ったことの無いレバナさんの展示会(?)みたいなものを見に美術館みたいな場所に行く夢。それからその最中にメールが来て、「未読メール」表示が無いのに操作すると、縁が切れている旧友からのメールが着信してて、画像付きで「ヒーラーになって今、岡崎(又は安城)で癒しフェスティバルに参加しているからおいで」と言う内容でした。そういう思いっきりスピ系の夢でした。起きてから気になったのは、実は岡崎で癒しフェスティバルをしている、という夢は2度目ということ。実際には全然そこでそんな催しはないのです。でも何故か青空市場よろしくテントが張ってあり、そこでいわゆる「すぴこん」が行われているのです。前回はそこに一般客で参加して、今回はそこにおいでといわれる夢なのです。思わずそちらの方向に誘われているのかなぁと思ってしまいました。現在手元にあるもので、手放そうか(辞めようか)悩んでいるものがあるので、余計気になったりして。そう言えば明日「名古屋すぴこん」です。ただ単にそれに行った方が良いって言われているだけかな。まあ、ただの夢なんですけどね。
2008.05.24
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そういえば、このタイトル、十五が二つあるんですね~。私の凡ミスです。めんどいんで、そのままになってます。仕事をしてから丁度一ヶ月あまり、最近他者批判が復活しています。そんなことしても仕方がない、相手は年下なんだから~と思っても何故かずーっと頭の中で起こりっぱなしの私。とにかく昨日の帰り道は頭の中での批判を止めることが出来ず、昨日は右往左往してました。家に帰ってから無理矢理止めましたけどね。他者批判をし続けている状態が自分がとても嫌だったので。でも気を抜くと勝手に批判し続ける思考がエンドレスに流れ始めるのでまだまだ要注意です。このやたら他者批判をするのも親からの譲受のインプリティングでもあるんですが。でも今回はそれもなんか微妙。起こって他者批判しているのに、自分の中心は感情に振り回されていないという、以前に書いたやっていることと真我がズレてしまっているような感覚。強いて言うなら冷静になりながら怒る演技をしているような微妙な感覚。今の会社での「自分」を自分が冷静になりながら今まで仕事で現れていた「自分」を思い出しながら演じているような。また勝手に条件反射的に動く自分を客観的に見ているような不思議な感覚。他者批判をしながら冷静に過去の自分を照らし合わせて、ああ、こういう風に見えていたのねぇと感心している自分がいるんです。うん、過去の自分って本当に不幸体質(思考)だったんだなぁとつくづく思いました。でもそう言う人のいる会社に入ってしまったと言うことは、まだそういう面があるということなんでしょうね。気をつけなければ。それはさておき、分裂症と言うわけではなく、本当にちゃんと自分の感覚が在りながらそう感じるあたり、一体何なんだろうと思います。それに今の会社に対して相変わらず所属意識が薄く、何時やめようかと考えているあたり、どうかと思います。でも行動に移さないってことはいるべきところにいるってことなのでしょうか。色々と矛盾を抱えて、とりあえず目の前のことにのみ対応している自分に少々危機感を感じ始めました。
2008.05.22
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昨日も恒例さつきのひかりさんのヒーリングでした。ここしばらく書いてなかったのはただ単に、書く内容がなかったから。(つまりほぼ寝落ちしたってことです)今回は前日から腸の大掃除が起きていて、「浄化の波がきているのかも~」等と思っていました。コールイン前に「ANGEL MEDICINE CD」を聞いてから、お風呂に入ってお水を飲んで、布団に入ってコールイン。ちなみにエンジェル・メディスンCDはトラウマなどを手放す為の誘導瞑想CDです。結構お勧め。私は本を読まず、CDのみ聞いています。何か本は読む気にならないんですよね。それはさておき、コールイン前に満月だということなので、細くカーテンを開けて月の光を浴びながらヒーリングを受け取ることにしました。コールイン直後、いつもはお腹のあたりに感じるエネルギーが、何故か膝のあたりに感じました。膝の下とか手のひら(グリーンの水晶握っていたから?)がメインでした。それが落ち着くとボーっと熱くなり、しばらくはボーっとしていました。そしたら何故かまぶたの裏に青白い(?)光でイルカが飛び跳ねているイメージが…。あっちこっちで数匹くらい。えーと、何でイルカなんでしょう?テーマが「ロシレムによるヒーリング」なので石のハズなんだけど???と思っているうちに寝落ちしたようです。ちなみに明け方にリアルな夢を見た印象があるのですが、内容までが憶えていない。久しぶりに目覚めはすっきりでした。すっきり目覚めるようになったと言うことは不要なものの手放しが進んだ、ということかもしれませんね。今まで好転反応か何なのかヒーリングの翌朝はすごく疲れていて、気分も最低なことが多かったのですけどね。さて次回はどんなテーマになるんでしょうね。楽しみです。***追加***さつきのひかりさんのヒーリング、次回テーマが「レムリアの癒しの光」になりました。気になる方は申し込んでみてください。ただし、ヒーリングはサプリメントと同じで、一回受けたから何かが劇的に変わるわけではありませんのでご注意ください。
2008.05.21
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私のパソコンの傍に小さなガラスのコップ(盃?)に塩を入れて盛り塩をしています。もちろん空間浄化の為、もあるのですが、盛り塩をしてから家鳴り(ラップ音とも言う)が一時期無くなったため、するようにしているものです。本人が不安定だと余り効果ないですけどね。以前より全然マシ。でも、このパソコンの傍に置いてある盛り塩、時々不思議なことが起こります。それはコップの淵に濡らしてもいないのに塩の結晶がびっしりとついていることがあるんですね。本当にまるで濃い塩水を乾かして出来た後のような白い結晶。窓際なのですが、水気はなし、それにどう考えても外側までこびりつく形で塩が結晶がへばりつくって一体どういうことなんだろう?ちなみに雨天だろうが何だろうが起きない時は起きないんです。しかも部屋の入り口に置いてある盛り塩にはそんなことは起こらないのです。うーん、不思議。まあ、強いているなら、丁度テレビで心霊関係のちょっと恐い話が流れたくらいかなぁ。でも関係あるのかな?ちなみに最近では先々週それがおきてました。その時はオー○の泉で杉本彩さんの映画の関係で安部貞さんの話をしてました。あー、写真とったのにPCに取り込むの忘れている。今度またアップしますね。ちなみに今は塩と一緒に小さめの水晶と、紅水晶が置いてあります。紅水晶に色が濃くなってます。塩って不思議ですね。
2008.05.20
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「感情と直感の違い」基本的に感情と直感は似ていますが、実は全く違っていたりします。よく直感を信じなさい、といわれますが、これは瞬間的にポンと来るものです。そうしてよく考えても理屈で納得できない、自分で「ええ?何で?」と感じることもあります。前後の脈絡無く言葉でふと思ったり、と言うこともあります。一方で感情は何かに反応しています。○○があったから、うれしい、悲しい、腹が立つ、嫌だなどは感情です。基本的に何かがあったために動かされているのです。ただ直感も時には感情として現れることがあります。よく分からないけど腹が立つ、なんか嫌な感じがする、うれしくて仕方が無いなどがそれに当たります。この場合原因を探ってもハッキリとした「コレ」というものが無いことが特徴です。場所や物が原因の場合、そのものが離れると「何でこんなに感情的になったんだろう?」と疑問に思うことが多々あります。またいつもの場所なら時間帯的に良くない時に嫌悪感として現れることもあります。それで後から「ああ、こういうことだったんだ」と分かることも多いのです。そういう場合もありますが嫌な感じがしたから直感的に、と言うわけでなく自分の好みでいっている場合もありますので気をつけてください。直感の特徴としては、前後関係無く、本当は良い(悪い)と思うはずが逆に感じる、他の場合はともかく今回のみ、冷静に考えると用事なんか無いのに気になるというものがあります。時には自分の好みや嗜好とは関係が無いはずなのに、ずーっと何故か気になって仕方がない、という場合もあります。それが来た時には無視をせずにしたがってみてください。意外な人生の展開が待ち受けているかもしれません。次回は「執着を捨てる」です。
2008.05.19
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最近ブームのスピリチュアルですが、一般レベルと初級・中級レベル、本当の中級レベル、上級レベルとあります。ハッキリ言いまして、最近のブームから入った方は下手に中級・上級レベルには近づかない方が無難です。ほんとにディープな世界なので、ちゃんと理解していかないと「この人大丈夫?一種の精神疾患と違う??」な感じです。もっとも本当にそちらに縁がある方は、嫌でも流れ的にそちらへ行ってしまうので、余り深く考えない方が良いでしょう。ちなみに一般レベルとはいわゆる江原さんと美輪さんが「人として」の話をしているレベルですね。本当に前世がどうとか、守護霊が、などと話す前の心や生きる姿勢としての問題。二昔前には一般的な道徳とか人としてどうあるべきか、と言った話ですね。道徳・倫理と言うと堅苦しく古めかしいイメージの為か、スピリチュアルとして語られるのもどうかと思いますが。いわば今リタイヤ寸前の団塊世代が下に伝えることをおろそかにしてきたものが形を変えて復活しているだけだとは思います。でもここが一番大切なところ。これが無いと、スピの世界が逃避に使われるようになるんですね。初級が占いとかオーラソーマとかレイキやヒーリングと言ったところ。ヒプノセラピーもここに入れていいと思います。ここは日常の世界をより良く生きるためのヒントを得る場所。目に見えない何かを得て、日常に生かす為。ただここでは気をつけなくてはいけないことがあります。大変なことを引き寄せない為に。さてそれは次回に書きます。
2008.05.18
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最近漸く本当に冷静に自分を見つめることが出来るようになってきたように感じます。今までは「こうしたら良いよ」「ああしたら良いよ」と言うことに影響を受けて、自分の主体性が無く、そのいいことをしているつもり、進化したつもりになって、有頂天になっていました。またあるときは感情的になって、それを直感的に、又は自分の都合のいいように理論武装して冷静になったつもりで、物事を判断していました。そうして自分は進歩しているつもりになって自己満足してました。結局気がつけば何も変わっていない自分がいる。もちろん以前より知識が増え、視点が変わり、考え方が変わり(だから冷静に自己分析が出来たりもするのですが)、行動も少しづつ変わりつつある。その中で私に本当に必要なのは回りの物事をある程度突き放して見ることが大事だと言うことでした。相変わらず私は周りのエネルギーなどを取り込みやすく、影響されやすいため、下手すると他人の感情の影響で自分が本当には感じていないことを自分のものとして、自分自身を見失いやすいところがあります。これに『自分の』『自分が』『自分は』というエゴイスティックな主観が混じると、冷静なつもりでいても客観的に見れず、本当の自分とは違う影響を受けまくって歪んでしまった主観的に「客観的に見たつもり」になって滅茶苦茶な判断をしたものです。最近少し、「自分の」という感情的(?)な気持ちを排して物事を見てみたら、かなり冷静に物事が見れることに気付きました。本来大人なら出来て当たり前、なのかも知れませんが、個人的にはどうしても上手く出来なかったことです。それが「自分」というものの所属意識から来ているとは思っても見なかったのです。なので一つの物事を『自分の』という所属意識を排して『自分の物ではない』としてみることは、逆に冷静に物事をために有益なことでした。ただ、余りにも所属意識が希薄になりすぎると、特に同性から「冷たい」と言う評価になるので気をつけなければいけませんが、私のような人間の場合、それくらいの気持ちで物事を見たほうが、無難なのかもしれません。それに冷静に物事を見たほうが、先行きや、そのようなものがハッキリと見え、下手にテン張ったり、がむしゃらにする必要が無くなるなぁと思うのです。それこそ本当の幸せに近づくためのものかなぁと感じています。
2008.05.17
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「スピリチュアルヒーリングは株と同じ?」最近よく言われる、スピリチュアルブーム。同時に色々叩かれていますが、ハッキリ言って結構的外れな八つ当たり的な批判も多々あります。ブームになったために、それを利用して濡れ手に粟の金儲けをたくらむ輩もたくさんいます。そのためにいろんな被害も出て、さらによく知らないのに毛嫌いする方もいらっしゃる。でもそれ自体ちょっとおかしな判断であるんですね。例えば株の世界。これも「株」と言うものがそもそも何なのか、それを知らずして自己判断せずに証券会社の言うなりに株を買っていると損をし続け、挙句の果ては財産を無くします。証券会社にカモにされてしまうんですね。(ちなみにきちんと知識などを抑えている人には、そんなこと出来ないものです)スピも結局、無知でいることと自己判断をせずに受け身でいることが被害を生むのです。知っていれば引っかからないようなことも、知らない為にその場の雰囲気などで大枚をはたいてしまった、ということが起こりかねません。株と違って目に見える判断がしにくいですが、色々調べていくと見えてくるものが必ずあります。スピのヒーリング等も株と同じで色々なセクターがあります。それによって価格が色々異なるのです。ですからその世界の相場を知ることが大切。最近はネットで捜せば幾らでもヒットするので、そこの中から見比べれば大体どれくらいの金額が一般的なのかが分かります。ちなみに株はセクターによって、さらに東証一部上場株と、2部やジャスダック、未上場のもので価格帯が大分違います。一部上場株でも価格は千差万別。同じくスピのヒーリング等も一流とひよこでは価格が違います。もちろんそれに伴う中身も違うのが一般的。但し株価操作で価格を吊り上げて売り抜けをしようとするデイトレがいるように、価格をやたら上げて「一流」を装う偽者も多々います。株の場合は決算書や社会の流れを見れば、見せ玉で価格を不当に吊り上げているのか判断できますが、スピのヒーリングの場合なかなかそう言ったものがありません。せいぜいヒーラーのブログをざっとチェックして人間性を確認するくらい。でも最低限それをしないと本当に偽者に引っかかります。後は直感。以外にバカに出来ないんですよ、この要素が。例えどんなに周囲が進めても自分がなんか嫌な気がしたら辞めておいた方が無難です。化粧品と同じで他の人に良かった商品が自分に合うとは限らない。ですから「○○さんが勧めたから大丈夫」といって自己判断せずにいたら痛い目にあいます。必ず自己判断はしてください。それとこの世界の法則で、どんなに良いヒーラーを捜しても自分と同じレベルの人としか巡り会えない、というものがあります。結局自分次第、という自己責任の世界でもあります。但し悪質な詐欺・セクハラなどの被害にあったら自分だけで判断せず、必ず周りに助けを求めるようにしてください。この世界、人の弱みに付け込む人も多いそうですから。ちなみに悪質なものに引っかからない為にも、ちゃんと知識をえることが大切です。どうせならせっかくのスピブームをそれなりに知って楽しでください。
2008.05.16
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昨日は日経新聞主催の「幸せキャリアの咲かせ方/渋井真帆」に行って来ました。実はこれ、申し込み締め切り当日の夜9時ごろに申し込んだと言うシロモノ。何故かふと渋井真帆さんのHPの地方での講演予定を見てみたら、名古屋があって、申し込み期限が当日だったと言うタイミングの良さ。それでそのまま招待状が来たあたり、時間帯的にも余り名古屋では申し込みなかったのかなぁと思ったり(笑)1年ぶりぐらいに渋井先生を見ました~。で、何故か相変わらず名古屋に来ると超テンション高くなり、話すスピードが速かったです。何も知らない方向けなので、前と同じなのか、何か別のプラスアルファがあるのかを聞きに言ったのですが、思ったよりプラスアルファがありました。ちなみに最初は訳本「チャンスがやってくる15の習慣」のはみ出しコラムが参考になりました。この本もとても参考になるのですが、まあ、一種のレジュメなので、本当に役に立つのはそれに乗っていない話~と言うことでちょこっとお話いただいたのです。うん、私自身が言葉の表面を額面どおりに受け取るクセがまだ抜けていないのに気付きました。目先の言葉に簡単に左右される悪癖は顕在。でもそれに気付いただけでもOKですね。後はその場で目先の言葉だけでなく、更に深く捉えるようにするだけですね。同時にこの時に、何故いまスピブームなのか、という今まで見えなかったある一面が見えてきました。でもこれはホンの一面。スピリチュアルブームには幾つもの要素が絡まってきて、しかも人間的本質に根ざした色々なことがあるので、この見つけた一面だけが全てではありません。最近たった一つの要素のみで起こるブームは無いですからね。それはさておき、後半の「初心者の為の日経新聞読みこなし隊」は当日の新聞を教材として配っただけあり、とても具体的でわかりやすい説明でした。後半は今までも2~3回くらい聞きましたが、今までのなかで活用術が端的に面白くわかりやすく感じました。多分前半の会社ではどうすれば人(上司や会社)に好かれるか(必要とされるか)とちょっと生々しい(?)具体的な話と、後半のその為に自分がどのように行動するべきか、の二部構成なのが良かったのだと思います。今までもそういう話の構成ではあったのですが、「15の習慣」を用いたことにより、より分かりやすく引き込むのが上手くなったと思いました。……ちなみに私の分析クセも相変わらずです。講演内容は詳しく書きません。それは時間とお金を投資して行動した人の特権と言うことで(笑)名古屋地区はまたしばらくありませんが、近畿地方など結構1日セミナーあるようなので、NIKKEIセミナーをチェックしてください。仕事やキャリアで笑いたい方必見です。ちなみにそんなのどうでもいいから行かないと言う選択肢もあり。どういう選択するかはその人の自由ですから。
2008.05.15
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「我(が)は必要か」ここで言う『我(が)』とは自意識と思っていただくとありがたいです。貴方は自分と言うものを持っていますか。大抵の方は持っていると答えます。ではその自分と言うものはちゃんと自立していますか。基本的に社会生活をおくる際に、自立した自意識と言うのは大切になってきます。自己の責任・立場・権利等をバランスよく保つには自立していないと上手く機能しません。また自分の意思の方向性をしっかり持つことにより社会とのかかわり方を健全に保つ為にも必要になります。但し余りにも自分の責任・立場・権利等を主張しすぎると、逆に社会から疎まれ、孤立し、結果として自分で自分を窮地に追いやることになります。逆に自分の責任・立場・権利を主張せずに周りに甘え流されると、自分の望むところに辿り着けず、難破し、これまた自分を窮地に追いやることになります。主張しすぎても、しなさ過ぎても結果は同じようになります。つまり自分の望む方向へ物事を意識する自我は必要ですが、過剰と思える自我~エゴ~は不必要なのです。社会の組織の中で生きるには我を殺すことが自分の為になり、また同時に我をもつことが必要になるのです。必要・不必要と言う前にいかにバランスをとるかが大切になってくるのです。ですから貴方は白か黒かハッキリさせてはいけないのです。バランスをとるためには俯瞰で物事をみる必要が出てきます。そのため物事を突き放して覚めた目で見る訓練をすると良いでしょう。そうして我を出すところ、殺すところを見極めて渡ることが一番必要なのです。ただ、やはり冷静に見て判断しても何か直感的に、又はなんとなく気にかかる、のであればそれは無視しない方が良いでしょう。その時はその直感に従ってください。貴方は我のバランスが取れていますか。次回は「感情と直感の違い」です。
2008.05.12
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先日ようやく買えた「もどってきたアミ 小さな宇宙人/エンリケ・バリオス著・石原彰二訳・さくらももこ絵/徳間書店刊」を読みました。ようやく、って言うのは文字通りです。一番最初に「アミ小さな宇宙人」のシリーズを知ったのはじぇいど♪さんのブログでした。かれこれ半年近く前。読んでみたいな~~と思いつつ、本屋で探しても全然見つからず縁が無いものだと諦めていました。しかしある時『文庫版が出ている』と言うのを書き込みに発見し、文庫の棚を捜してみるとあったんですね。但し続編のみ。一冊目の「アミ小さな宇宙人」は見つかりませんでした。しばらくして見つけましたが、その時は買わずにいました。そうしたらやたら滅多ら置いてあるのを見つけるようになったんですね。そこで「ああ、読む時期が来たんだなぁ」と解釈し、購入して読みました。内容に感動してすぐさま続編「もどってきたアミ 小さな宇宙人」を読もうと思って捜したら、あれほど置いてあった本屋にまるっきり陰も形もなくなっていました。あれ?と思って本屋をはしごしましたが見つからず、かれこれ三ヶ月近く経ちました。そこで私は「今月末に続編が買えるといいなぁ」とお願いしたところ、ふとある本屋に有るような気がして、立ち寄って捜したらなんと置いてあるではないですか。ちょっとびっくりして、でも読む時期が来たんだなぁと解釈し、次に来た時に無いと嫌なのでさっそく購入して読みました。読んでみて、それまで買えなかった理由が見えて気ました。理由はとても個人的なことなので割愛しますが、とても納得しました。こう書くと「ちょっとおかしいんじゃない、あなた。たかが本一冊に『読む時期』も何もあったものじゃないでしょ。ただ単に、偶々本の仕入れ担当者が気まぐれを起こして入れただけでしょ」と言う方がいるかと思います。確かに「たかが子供向けのファンタジーの本」一冊です。しかし内容はとても示唆を含んでいます。読んでいただくと「たかが子供向けのファンタジー本」ではないのがよく分かります。まあでも別の言い方をすれば「たかが子供向けのファンタジー本」です。内容の捉え方はその人次第です。気になる方は本屋・図書館の子供向けの本、又は徳間文庫の棚を探してみてください。ちなみに楽天BOOKSでは取り扱いがありません。(なんでやねん)AMAZON、7&iBOOKS、yahoobooksなどでは取り扱いがあります。
2008.05.11
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金曜日にやってしまって感じたこと。話をしていて、何か言葉と自分の本質がずれているように感じることがありました。言葉に出していったことが丸っきりの本心では無い、わけではないのですが、上手く言えないのですが、レベル的にちょっと下の段階の言霊を使ってしまっているような変な感覚。この感覚を上手く表現することは難しいのですが、大人が子供に対して子供言葉を使って話しているような感覚に近いかな??もしくは母国語以外の言語で自分の言いたい言葉が見つからず、上手く気持ちを伝えられない感覚。本音のはずなのに言葉として出してしまったら何かがずれてしまったという感覚。妙な違和感。一体何なのだろう、と思ってしまう。自分の中身が自分が気付かないうちに変化してしまっていたような妙な感じ。「考えていること」と「自分の本質」は気付かないうちに変わってしまっていたのだろうか。自分の本質と脳で考えていることが一致しないことがあることには気付いている。でも元々脳で考えていることは自分の本質から発して「考えて」いるはずなのにどうしてこんなことが起きるのだろうか、とまた考える。考えて実行したことが自分の本心と言うか感覚的(直感的)におかしいと思うこともある。でもこのことは実行しないと違和感等として出てこないあたり、本心と脳の思考とがかけ離れてしまっているのだろうか。自分のことなのに分からないことばかりである。自分のことは一番自分がわからない。そんな感じがまた強くなる。仕方ないのでじーっと自分を見つめて自分を知ろうと心がける。いつのまにかコントロールを失って暴走しかねない自分をもう一度把握する為に。
2008.05.10
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時折、自分が感じていることと直感的に考えていることが180℃違うことがあります。他の人はそういうことは少ないようですが、私の場合結構良くあることです。そのためにすごく消耗することがあります。その原因の一つにペルソナを持っているというのがあります。ペルソナー心理学用語で仮面の意味から本来の自分と違う自分を作り上げ、表に出している人格のことなのです。私の場合のこれは余りにも自分の嫌なとこが耐えられなくてとにかく「大丈夫。何も問題ない」と思いたがる人格として現れてきます。本当はめっちゃ問題多くても、大変でも一時的に、又は強引に「何の問題もない、大丈夫」として大変なことに蓋をしてめくらましを掛けてしまうのです。そうして他からの援助や助けを受け付けない私がいるのです。同時にあることが出来なくなって残念がって嫌がって泣いている自分がいるのに、同時に出来なくなったことを喜んで『ああ、よかった』と思っている自分もいることがある。ツライことを辛すぎて受け止めきれず、または受け止めている時に他からの干渉として強引に良かったことを捜して自分を納得させるたがる自分がいる。そうやってつらい気持ちを正面から受け止め損なって、消化し損なって結果として相反する気持ちを持つ自分が存在している。結局そうやっているうちに自分の望みを一本化できず、散漫してしまい、本当の望みを追いかけること、追求することが出来なくなってしまっているように感じる。常に自分の好きなことを追及したがるのに、同時にそれから離れたがっている自分がいるのは、失敗することによって自分が傷つくことを回避したがっているだけ。成功することよりも失敗することも前提として行っているから一つのことに飛び込むことが恐くなる。いわばアクセルを踏みながら同時にブレーキも力いっぱい踏んでいる状態。なので結局十分に一つのことを追求できず、結果として中途半端に終わってしまう。何をやっているんだろうと思う。思いつつも失敗を前提とし、それを正当化しようとする。100%全力で物事を当たらなければ、結局失敗する。なのに元から失敗するからと100%で当たらずにいて、失敗して「ほーらね」みたいなことをしてしまう。と同時に失敗したことを悔やんでいる。本当に自分って何やっているんだろうっておもう。本当はこんなこと止めにしたいのに。それを止める術がわからない。まず、失敗すると思い込みたがる自分を何とかしなくてはいけないですね。保険をかけるのは大事だけど、前提にしてはいけないから。いい加減こんな困った自分は解放したいです。
2008.05.08
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本日は何故か投げやりな一日でした。まあ、昨日さつきのひかりさんのヒーリングを受けた加減もあるんでしょうが、なんかもう、どうでもいい気持ちが結構出てて、冷静と言うか周りに起こることが他人事っぽくなってました。あきらめと、人生を投げてしまったようなそんな感じ。あらゆることが面倒くさい。どうでもいい。なのでとりあえず他の人がどういおうと私の中では「ああ、はいはい、それが望みならそうしてあげる。そうなっていれば満足でしょ。まあそれで私が傷つくわけでないから付き合いましょう、適当に」的な感じ。まあ、別の外面つくって相手の望むようにすれば、仕事先は「素直で仕事態度が良い」と思っているような評価になるんだから、なんだかなぁって思う。結局会社って所は、女性の場合は特に本人がどうしたいとかやる気があるか無いかや、会社の意図を汲んで仕事をするより、上の人の思うとおりの役割を演じればそれでOKなところがまだあるものだなぁと思ったり。そう思ってしまうこの会社は先が無いかもとちょっと見捨てている気分。少なくても女性にとっては先の無い会社です。腰掛には丁度良いのかもね。日本の会社は昔ながらのシステムも生きている場所がまだまだ多いので、しばらくは惰性で何とかなるだろうけど、遅くても10年先、早ければ5年先には分からないの状況なのにそれに対する危機感が微塵も感じられない会社も珍しいのですけどね。さらに家に帰ってきたら、本当に仕事をしたかったところから不採用通知がきて、更に悪化。なんか本当にどうでもいい、状態。今のところも積極的に嫌なところがあるわけではないのですが、何か閉塞感が嫌で仕方ない。このままなんとなくブスになりそうな予感がする。とりあえずまたチョット行き先を捜してみようと思いました。年齢的に難しいかもしれませんが、ギリギリまであがいてみようと思います。今のところ、何かチョット飼い殺しに近い感じを受けるのでよけいに。無理なら他の何かをまた探すことになるんだろうなぁ。一体私何がしたいんだろ、本当に。
2008.05.07
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「好きなことしていますか」貴方は最近好きなことをした憶えがありますか?もししていないとしたらそれは何故ですか?忙しいからですか、疲れているからですか?もし貴方が忙しいのであれば、なおさら無理矢理にでも何か好きだと思えることのための時間を作ることをお勧めします。好きなことをすることによって気分転換が出来、仕事の効率があがるからです。そんな時間は無駄だ、と思っても結局その時間を割いた分効率が上がる為、仕事だけしているよりも全然モチベーションも上がるしいい結果になるのです。もし疲れているならば、まずはゆっくり休むことをお勧めします。そしてその好きなことをする時のことをゆっくり想像します。それだけでも好きなことをしているのと同じ効果があるのです。好きなことをすると私達は自分の中からパワーが溢れてきます。使っても使ってもそれは減るどころか逆に次から次へと湧き出てくるようになります。逆に自分の好きでないことをすると、パワーが出てこなくなり、使えば使うほど枯渇するようになります。ですからできるだけ貴方が好きなことをするのを貴方は止めてはいけません。もちろん色々な関係でそれだけをやり続けるわけには行かないので、ある程度のところでやめなくてはいけないでしょうが、それでも可能な限り好きなことをするようにしましょう。つまり、もし貴方が好きなことを仕事にしているなら、疲れることなく仕事をこなし、逆に仕事をしないことが苦痛となり、結果として社会的な成功をすることになるでしょう。出来ることなら好きなことを仕事にしなさい、というのはそういうところから来ています。貴方が好きなことを仕事に出来なくても好きなことをする時間があれば、好きなことのために同じように仕事を頑張ることが出来るので、それもお勧めです。ですから好きな事をしていない人は出来るだけ好きなことを見つけて、それをする時間を作り楽しむようにしましょう。私達は好きなことの為には幾らでもパワーが溢れ、やる気に満ちた行動を取ることが可能です。もし貴方が疲れて気力が無く毎日が億劫なら、貴方は好きなことをするように心がけた方が良いでしょう。結果としてそれが自分の為にも周りのためにもなるのですから。次回は「我は必要か」です。
2008.05.05
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本屋に行ったらナチュラルスピリット発行の「SterPeople」の新刊が置いてありました。え~~、ご存知の方はご存知のとおり、これ雑誌なんですけど軽~くハードカバー一冊分のお値段します。もちろん内容も読み応えも結構あります。スンダリやTRINITYよりも真面目に作りこんである雑誌です。あ、上記二雑誌が不真面目というわけでなく、テーマの掘り下げ方が、という意味です。毎回買うわけでなく、立ち読みしてしまうパターンなのですが(興味があるページがほんのチョットだけなので)今回は流石に悩みました。ちなみにテーマは神道でした。最近特に一番興味のあることだったのと、産土神との繋がり方(と言っていいのかも疑問)のことや神様の奉り方など、一般的に出回っている初心者向けの本よりもチョット専門的に、でも素人向けの記事なのと、神道を知るためのお勧め本一覧が乗っていたんですね。ライヤ姐さんも産土神と繋がること、その土地の神様に感謝することは大切、と仰っていたし、お気に入りに登録させて戴いている伊弉諾・龍さんも神職の方ですし、そこのあたりからやはり自分の土地の神様などは気になっていたんですね。でも正式にどうすれば良いんだろう?と言うのもあったんです。そのあたりがさらっと載せてありましたので、すごく気になったんですね。もちろん専門職の方々にしてみれば、表面をさっと舐めたような不足だらけの記事でしょうが、素人にとってはその入り口の為のさらっとしたところを掴むことが大事だったりします。その雑誌をざっと目を通した後、神道の書籍が並んでいるコーナーを見たのですが、雑誌に載っていた本が余り無く、さらに初心者向けはどうしても基本知識(鳥居の種類とか主な神様の紹介・参拝の仕方や折々の行事など)のみしかなく、専門的なものとなると下地が無ければさっぱり訳分からないという両極端でした。まあ、古事記は読むとして(簡単な現代語訳は読みましたが)、次に何をどう読んで行けば良いのか、また日々どのような心がまえで神様と接すれば良いのかなど、知りたいけどどうすればそのような知識を勉強できるかがまるで分からない私にとっては面白い雑誌でした。本当は神主様にお伺いするのが一番良いのでしょうが、うちの近所の神社はどうも神主様が常駐していない?ような所です。社務所も常に閉ざされていてどうすればいいのかなぁ?と言った感じです。そこより一つ上の神社を聞いた方がいいのかなぁ?ご存知の方、よろしくご指導おねがいしまーす。
2008.05.04
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なかなか進まないお掃除というかお片づけ。頑張ってスペースクリアリングをしたいと思いつつなんでこんなにモノがあるんだろう、と思ってます。でも最近やたらまたお掃除&お片付けしたい病が出てきたのでチャンスはチャンスです。先日何故か突然洗面所お掃除はじめちゃったしね。私の場合100%は目指さず、とにかく気が済むまでやるってとこにポイントを絞ってます。まずここだけ、とか壁だけはしっかり拭くとかそんなことですが。だから集中力が無くなったらお終い。1日で100%目指そうとするとツライからね。本日はなんとなく使っていて、場所をとっている容れ物を二つ処分しました。もちろん中身は捨てれるものは捨て、あちこちにある同じようなもののところに収納しました。うん、なんだ、この容れ物無くても全然問題ないじゃない。細かい容れ物があると便利だと思っていたのですが、私の場合逆にスペースをとるだけのように感じてます。もちろん引き出しの中の仕切りは必要ですが、不必要に買う必要は全然無いんですよね。容れ物があることによって逆にガラクタが溜まっていくような気もします。なのでまず容器を処分。次に中身を点検して処分できるものは処分する。中身を処分してから容れ物を捨てようとするから何時までたってもなかなか捨てられないんですよね。昔は物が溢れたら容れ物を買って収納してました。本当は今ある収納を整理して要らないもの捨てるほうが大切だったのに。今はまず中身を点検して処分するようにしています。こうやって色々処分していると、本当に必要なものって結構少ないって感じますね。勝手にこれを持ってなきゃアレが無きゃと思っていましたが、全然そんなことは無いです。それでもなかなか処分できないものはある。でもそれはそれでOK。捨てたくなった時に捨てればいいんです。そうやって肩の力を捨てることが一番のスペースクリアリングのコツかもしれません。さて、明日もお掃除できるといいなぁ。
2008.05.03
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最近ずぅーっと考えている。本当は自分は何をしたいのか。本当に自分は何処に行きたいのか。余りにも分からなくて、思わずバッチフラワーレメディのワイルドオートを楽天市場で頼んでみたりして。(バッチフラワーレメディとは:心の不安定さや否定的な感情に対処する為のエネルギー水です。 ワイルドオート:その中でもどうすればよいか分からない人生の岐路や転職を繰り返してしまう人のためのレメディです)でも、先ほどふと思った。分からない振りをしているだけではないか。本当は心の奥底ではもう決まっているのではないか。ただ、それが現実になるのが恐くて逃げているのではないか。思い描いた理想の夢が現実になる。これほど心震えるほどうれしくて、逃げ出したいほど恐いことはない。そう、本当の望みほど叶うのが恐いのだ。至福の状態が恐くてたまらないのだ。何故こんなに恐く感じるのか。日常が余りにも不満に満ち溢れていて、それが当たり前になっている。だから楽しいことうれしいことなどあり得ない、と思っている自分が居るのだ。同時に何時でもうれしいこと楽しいことが失われた後に来る絶望が恐くて、その前の幸運さえも手に入れることが恐いのかもしれない。結局自分の不幸せは自分で選んで引き寄せているようなもの。でもそう思うこと自体が自己評価を下げているのかもしれない。本当は幸せと幸せでないという二つのことしかないのかもしれない。そもそも幸せとは当人がそう捉えることが出来るか否かというだけである。一つの出来事にも幸せな麺と不幸せな麺がある。どちらをズームしてより感じるかによるのだ。閑話休題。私は一体何を恐れているのだろう。夢が現実になることか、一時的に幸せを味わうことか。それゆえに本当の望みから自分を遠ざけ続け、自分の望みが見えなくなっているのかもしれない。でもそれを他の人から教えてもらおうとは思わない。他人に言われた段階で、それは自分の選択でなく、強制されたなどと思い反発して選ばない道になってしまうから。本当の望みは自ら見出すしかない。自問自答をして自分を見つめている振りをして、そのポーズに安心して、本当の自分を見つめるのを避けているのかもしれない。色々なことを思うけど、そうやって自分を責めて反省していても仕方がない。本当に自分は何処で何をしたいのか。本当は分かっている。愛のある夢を持つ経営者がいる会社で経営者の補佐として裏方の仕事や縁の下の力持ちとして働きたいのだ。リーダー資質はないので経営者になろうとは思わない。だが、その視点をもって経営者の夢をかなえる手伝いをしたいのだ。ただ、そのために、どうすればいいのか見えてこないだけなのだ。本当にその望みを叶えたいのだ。自分で勝手にそんな人に出会って、それができるわけが無いと諦めた振りをしているだけなのだ。いや、本当は諦めてはいないのだ。常にあがいているのだ。今は静かに自分の力を溜めて磨くことに専念無くてはいけない。チャンスがきたら、その力を十二分に発揮できるように。チャンスを引き寄せる為に。今は自分を磨かなくては。
2008.05.01
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