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新幹線で行こう新幹線で行こう 仙台新幹線で行こう 盛岡新幹線で行こう 福島新幹線で行こう 山形新幹線で行こう 東京新幹線で行こう 新潟新幹線で行こう 北海道どこだって新幹線が連れて行ってくれるんだ風切ってものすごいスピードであっという間にきみに会いに行くものすごい台風で東北宮城はものものしく避難の一日だ。今日は施設も休み、ケアも休んで、ひたすら台風情報にあけくれている。仕事によっては大変な被害を予想して、もう諦めの境地の人もいるのだ。弱者の私は、家に守られて、ひたすら小さくなっている。交通情報では新幹線も運休ですが、先週出かけた新幹線車両基地を思いだしてできた弟の作品。中央円の運転席からあちこちに友達の住む町がある。友達の顔を思いだしていたら空が明るくなってきた。台風も去ったかな。家にいても旅した一日。みなさん気をつけて!!
2016.08.30

ようやく涼しくなった。ぐっすり眠れるのがうれしい。厳しい夏だったと振り返りながら。新しいチャレンジのころたんが見事に収穫できたことがこの夏一番の収穫だ。初めてのころたんが本当に大きくなるのか、気をもんだ。特に2本のうち、1本が夏枯れしてしまったとき。私も双子で一人だけ生き残ったことに重なって、祈るような気持ちになった。台風も猛暑も乗り越えての収穫。小さい子は間引きもした。助けられないいのちもある。しばらく鑑賞した。大切に二つのころたんを並べてみる。なかなか食べてしまう気になれなくて、まだまだ飾っている。同じく今年の初チャレンジ、白いゴーヤも収穫した。珍しい形や色には、初めから重宝がられて大切にされるものと、珍しいことを奇異に思われて遠ざけられるものがあるのだ。植物や野菜は、品種改良でよいものを作りだそうという努力のもとに生まれているのだから大切にされることが多いのだろう。一方、病気や障害のように本人の思いとは無関係に突然「違い」を突きつけられるものもある。一つの価値も見え方、見られ方、立ち位置、色々な要素に囲まれてその価値が決まる。周りしだい。かわいい、めずらしい、どんな味かな?とわくわくの気持ちで迎えられたころたんを見ながら人としてはとても小さく、本来できることが備わらず、それでも大切にされている私のことを思う。障害や病気も、嫌がられるだけでなく、いい面も知られるようになればいいのに。何でも両面あることが理解されるといいのに。と、育て終わってみたら、ずいぶん違うきもちに変化した。苗を植えたときはただ、わくわくだけしていたのに。この夏の収穫。果実と一緒に、私の心も収穫した。園芸は深い。
2016.08.28
私が爪、というとネイルの象徴。しかし!昨日は弟の爪は事件だった。爪をはがして早退してきた。そこからわらわらと通院のばたばた。外科、整形、皮膚科渡り歩く。結果、対処なし、なのだそうだ。つまり、爪が生えてくるまで、じ~っと待つ。のだそうだ。半分はがれた、ぴらぴらの爪のままで===(;O;)爪がはがれるなんて、想像しただけで恐ろしい。本人もびっくりしたに違いなく、深夜も不安のあまり別の皮膚をかきむしり出血。騒ぎでみんな寝不足だ。オリンピック選手の活躍に励まされて、もうひと踏ん張りなのだ。選手の家族も同じように戦うのだろう。暑さの中、みんなばてばてぎみなのに、またストレスとの長い戦いが始まる弟だ。闘病の家族も同じように戦う。せめてはやく涼しくなってほしい。
2016.08.19

花火 MASAMITSU 花火瞼に残る光の帯は重なり重なり夜の中に昼の月浮かばせるひと夜の浴衣花模様重なり重なり袖の中落ちた小さな月しまうばらばらはじける音通り過ぎぽっかり遠くに月残る
2016.08.16
仙台も30度越えの猛暑続きです。ふーふー、と暮らしている。私も弟も暑さにはからっきし弱いので、一気に体調を崩してしまう。世間に厳重警報が出るのだから、一番の弱者でもある。おかげさまで、今のところ、私たちはかなり元気だ。これまでの数かずの失敗を糧に、繊細に管理してもらっているおかげだ。平日フル回転しての週末、母が熱中症になった。夕方、急にダウンして横になってしまって心配した。初めてなので自分でも驚いていた。人の世話をしているうちに自分がお留守になったのだろう。それでも口は達者で、いつものように口うるさい。横になりながら指示が出るので、それはそれでやっぱりうるさい。自分で動けない分、指示が増えるのだ。私の薬を分けてあげたり、弟がアイスノンを取り換えたりした。幸い、一晩でよくなったけれど、聞くとあちこちで元気な人たちにもだいぶこたえている。暑さも怖いものだ。まだまだ、気をつけよう。もうすぐ夏休み。
2016.08.10

いよいよ暑いです。夏====!!朝からギンギラギンの日差しです。そんな中の七夕まつり。前夜からすごい人出になっているようです。私は部屋を涼しくして、とにもかくにも陽射しから逃げています。しか~し!夏こそ頑張るメロンのころたんは、ギンギンの太陽の下、元気に育っております。苗やさんのサカタのタネさんから、まりまりこさんが来仙。プロちゅうのプロに仙台でも元気に育っている様子を見てもらってよかったな!(^^)!いただいた苗のうち一つは夏枯れしてしまったので、残る一つを大切に育てています。写真を見ると順調に実がなっているので、この暑さが来てどんどん大きくなれそう。自分で落ちるくらい熟すのを待つ。もう少しガマン。ころたんスムージーももうすぐ。http://sakata-tsushin.com/oyakudachi/recipe/genre/desert/まりまりこさんは丸森の齋理幻夜まつりに来たという。復興のひまわりをたくさん育て、花と種を配布したそうです。復興支援にひまわりが役だっているというのが県内にもあるというのはうれしいことだ!!震災後、花の冠の詩をきっかけにして始まったサカタのタネさんとの交流です。5年をすぎ、あちこちからひまわりさいたよのお知らせをいただくし、私というとひまわりといっていただくこともある。当たり前のようにひまわりを育てる活動の広がりがうれしい。私も元気をもらい、いつか丸森にも行ってみたくなる。(あっついけどなあ・・・36度とは)ころたんの存在は昨年教えてもらっての挑戦だ。今年は新しく王様トマトの存在も教えてもらった。どんどん知らなことを教わり、交流が途切れず広がることがなによりとても楽しいと思う。http://www.sakataseed.co.jp/special/ousama/いつか会社がある横浜にも行ってみたいなと思えてくるし、トマトスムージーも作ってみたくなるし。思っただけでなぜだか元気が出てくる。来年も会いましょう!きっと報告したくなることがたくさんになりそうだな。まりまりこさん、ありがとう!!夏を元気にのりきろう!(^^)!
2016.08.07

夏本番。仙台七夕の準備も始まった。一番に七夕に触れるのは毎年、通院している病院のロビー。ボランティアさんや職員の人たちが作る本格的な七夕飾りだ。高いロビーの天上から見事に飾られる。入院していたころから、その吹き流しのしたをかさこそ紙の音を聞きながら通るのが楽しみだ。街中の喧騒や暑さにはなかなか近づくことができないので、冷房の効いた快適な場所での七夕鑑賞はいつも仙台人を実感して夏を喜ぶひとときになっている。先日の検診日にさっそく吹き流しを通りながら、いまのところ何とか夏風邪もひかないで元気でいることを喜んだ。吹き流しが大きいせいもあるのか、いつもその紙の河の向こう側に、先になくなった人たちがにこにこ笑っている世界があるような気持ちになる。お盆が近いせいもあるかもしれないし、七夕の星空を連想するからかも知れない。今年は障害者施設の事件が思い出されて、報道以来、なんとなくいつもそのことが頭のどこかに住み着いている。街の七夕飾りにはいろいろな思いを込めたものも多く、平和を願うものや、原爆被害の鎮魂など、それらが静かな祈りになっている。飾りを作る労力は大変なものだが、その作業の時間に込められた思いがずっしりと美しさに姿を変えていることを思いながら今年もたくさんの人が鑑賞することでしょう。我が家では毎年、弟が玄関先に飾りを作る。今年は、食べたいものオンパレードになったようだ。弟らしいね。私も自分の短冊を書こうと思う。明日の花火のころまでに。仙台も30度を超える毎日だ。みなさん、夏を元気に乗り越えましょう。
2016.08.04

山の上に建つとてもきれいなところでした自立について長いこと考えている。30歳を前に、三十路プロジェクトのひとつでもある。自分の将来をどのようにしていくかを自分で決めるにしても、材料が必要だ。近頃、にわかに、30代の10年を意識するようになって、できることから行動しようと決めた。タイミングよく施設の社会体験で重度障害者・難病ホスピス太白ありのまま舎を見学させていただいた。すでに知る人ぞ知る、の歴史のあるありのまま舎だが、1994年開所の頃に5歳で一度コンサートにお邪魔して以来という。残念ながらそのコンサートのことは忘れてしまったが、その後のありのまま舎のとりくみは折に触れてきた。医療と切り離せない生活をしているので、病院と自宅の間ともいえる場所が充実することはとても大切だ。それでも、何でも一人でできる人が利用できるのだと考えていたので、少しばかり近くて遠い場所でもあった。施設の中は落ち着いた雰囲気で、居室になっている個室も見せていただくことができた。自分ならどのように過ごすのか、具体的にイメージを膨らませた。ひとつひとつ重ねて、人との関係を作り、時間を豊かにして、居心地のよい空間ができる。入居しているみなさん一人一人に個性があり、自由に生活している様子が伝わった。思いがけず小さい時に一緒に入院した友達に会うことができた。思うように一人で暮らすなんて、なんとすごいことかと思う。私にはとてつもなく長い道のりのようにも思うけれど、まず一歩自分の目で見ることができたことが前進だったと思う。丁寧に説明してくださったやり取りの中に誠意があふれていた。施設は人がつくる、とまた思った。次に何ができるか。考えてみたい。
2016.08.03

遠くでまだお祭りの音がなる。蝉が鳴く夕方のかえり道ぶらぶら。10年ぶりに町内夏祭りに出かけた。毎年夏休みの始めに公園にやぐらが組まれると、弟がそわそわし始める。翌日、通所しているしている施設の町内夏祭りの代休日だ。それなら、体力配分も大丈夫、思い立ってリクエストしてみた。まさかの申し出。家族は信じがたい様子だったが、夏の夕方の町内をブラブラするのもいいではないか。今年は、盆踊りやステージ発表の音がぐんと近く感じられているのだから。家族みんなでゆるゆると公園に向かう。普段車であっという間の道のりも、案外ガタピシと坂道がデコボコしている。車道と歩道を行ったり来たりしながら公園に近づくと、すでにもうかなりの人混みである。ここでも聞こえるだろう、とごった返す人ごみに入るのをやめようとする父。いやいや、せっかく来たんだから中を見てくる、と母。もちろん進む派の私。ステージ前の観覧席を見つけてもらい、ずんずん進む。人をかき分けかき分け。子供も大人も、賑やかな大きな音も。いっぺんに車いすを包み込んだ。あっけにとられた。う~~ん。やっぱり、この喧騒は少しばかり強すぎる刺激か。と思っているうちに、町内でいつもお世話になっている会長さんが見つけてくれて、力強い握手となる。家族で来てくれてありがとう!!それを聞いて、マイナスの気持ちは吹き飛んだ。私もこの地域に住んで、この地域の一員なんだと、急に強く思った。普段は静かな街並みで、町内の人々とそんなに出会うこともないけれど、こんなにたくさん「この界隈」に生活している。それぞれの仕事や、気持ちをもって、毎日を過ごしている。ふと、なぜ、夏祭りはやるのだろう、と考えた。昔は収穫祭や、農耕への祈りなど、それぞれの意味をもっていたことだろう。現代の人々は季節も忘れそうになりながら、忙しくあわただしく、毎日を暮らしている。価値も信念も多様になり、隣の人ともそう深く交流しないことさえあるのだ。それでも、同じ今年を、同じ場所で、偶然かもしれないけれど、その中にここを選んだという必然も加え一緒に賑やかに楽しく過ごせることを喜び、形にすることに意味があるのだ。近くに住んでいるのに、普段なかなか会えない友人と会った。薬局でお世話になっている人が子供と一緒に来ている。お母さんの顔に会った。帰り道に遠回りして、4人でぶらぶら帰った。すっかりあたりは暗くなったのに、セミがまだ鳴いていた。自分の町がこんな表情をしていることに、案外驚き、新鮮だった。やっぱり、いい街だ。
2016.08.02
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