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通所している施設に喫茶がある。障害をもっている人たちが働く場所です。社会人なりたてのころは、働ける人はいいな、と思っていたものですが、働く人は働く人なりに課題に向きあいながら日々頑張っていることを知るにつれ、もっぱら利用者になって売上貢献するのも私にできること!と思うようになった。今日は個人面談をどうせやるなら、喫茶の女子会トークに設定して、久しぶりにでかけた。長町にある太白区障害者福祉センター1階のせんしょう庵にて。いつもなら、自宅や施設の活動部屋で三者面談なのですが、喫茶に飲み物があるだけで、和やかになるからあら不思議。さっそく新作メニューのコーヒーゼリーパフェの登場です。ソフトクリームは柔らかさがちょうどよく、氷でシャリシャリのゼリーは通訳の母が楽しんだ。支援スタッフも飲み物を注文して、自由に話せる雰囲気になった。常日頃から伝えることに苦労している私です。コミュニケーションに障害があると、それはそれは、沢山のハードルがある。悩みが深まると身体症状に現れてしまうのも、また悩み。最近は口内炎をまたかんで、いてて~(≧▽≦)の日々です。一人一人のコミュニケーションの癖は、何かちょっとした出来事の対応や言葉によくあらわれるので、私はそんなひとつひとつをかき集めてどんな人かを知ろうと常に周囲にアンテナを張っている。弱視なので周囲の情報が伝えられればいろいろなことがよくわかり安心する。圧倒的に受け身な存在の空間では、相手のコミュニケーションの量と質にゆだねることになる。相手が伝えたいことが伝えたいように伝えられる。本当はリアルタイムですぐその場で伝えられれば疑問や誤解も減るし、伝える努力をしているけれど、まあ、こっちはまだまだ修行中だ。周囲を知るための情報量がよく与えてもらえるようになってきたのは、視覚支援の充実だとも思う。見えない私に対して実況中継してもらえる言葉の存在がありがたい。しかし、まあ、ときどきはだらっとしたいときもあるし、そんな時にざっくり気さくな人と一緒になるとほっとする。しかし、その中でも大切なことをきちんと見ていてもらえるととても安心する。贅沢!活動内容の希望を伝えられてほっとしたら、だんだん欲深くなった。もっとこんな風だったら楽しいな、と思うようになった。すると伝えられる情報の中身が気になるようになった。知りたい情報を知りたい。これがまた、うまく伝えられない。自分一人が思うことをどれくらい伝えればいいのか、わがままかとあきらめたり、こんなもんでこれ以上はしょうがないのか。しかし、重度の私たちも普通の女子で、家族の一員で、地域の一人で、、、、という特別の中の普通、というか、普通の中の特別のびみょーな感覚を、体感してもらう伝え方をしなくてはなりません。そうはいっても。普通の人たちも、普通なりの中で個性のぶつかり合いをしているし、集団になればそのカラーも異なる。リーダーによって物事は180度変わるし、さじ加減、駆け引き、表裏、それはそれはいろいろなことがよくわかります。相手をよく知るには、こちらも開く気持ちと姿勢で相手のチャンネルに周波数を合わせることも必要だ。健常者の社会に障害者は合わせる価値観はもうナンセンスだけど、障害者の周波数にさあ、全部合わせてね、というわけにもいかない。特別な配慮は確かにある。でも、それが全てでもない。お互いに歩み寄るタイミングも感性もそれぞれだ。それは別に障害がなくても同じこと。だからこそ、いろんな人と、いろんな話をすればするほど、面白いのだとも思う。理解を共有すればするほど同じ土俵に立っていく。受け身で周囲の情報を受け止めることで終わりにしないで、発信しよう。頑張って伝えよう。開ける道がきっとたくさんあるだろう。いいたいこといわせてもらえるのはありがたいのだと思います。いわせてくれるみなさんのおかげなのです。まだ伝える方法は少ないけれど、希望はある。雰囲気を変えて談笑できた女子会面談は、とても気持ちが伝わったと思いました。みなさん、ありがとう。パフェの力が大きかったです(^^♪
2016.09.28

待ちに待った3冊目の詩集ができました。読む詩集の次には、どんな詩集にしましょうか・・・・と考え考え・・・。今度は見ても美しい本にしていただきました。自分で染めた和紙や書をたくさん入っています。27歳の今の気持ちを文章にすることも含めて、作成するのはとても楽しい仕事でした。今回も沢山の人に支えられて誕生した詩集です。わくわくと送り出します。あしたの私は幸せになる ぱるす出版 1400円+税一人でも多くの人と出会うことができますように。ひとつでも好きなことばに出会った人が幸せになれますように。
2016.09.25
明日は通所している施設のバザーです。第6回を迎える今年も、もりだくさんの商品を用意して地域のみなさんとの触れ合いを楽しみに準備してきました。みなさんのご厚意によりよせられた品物の数々。充実の手作り品。作業で頑張った商品もたくさんあります。仙台市太白区の地域で活躍しておられるわらしべ舎さんやポッケの森さんの出張販売もあります。バルーンアトラクションのトミーさんのパフォーマンスもあります。晴れ女の私が頑張って雨を遅らせるように祈ります!!みなさんどうぞ遊びにきてくださいね~~社会福祉法人 つどいの家・アプリ太白区山田本町3-20022-743-1882
2016.09.21

秋の連休が終わります。ずっと天気もぱっとしなくて、雨も多かった。何もしないでひたすら寝ていた。寝ているストレスも大きいのだけれど、それ以上に夏の疲れが急に押し寄せた。弟は疲れて仕方がないと泣くし、親も横になって伸びていた。あっちからもこっちからも、寝息が連続する。眠れているうちはいいのだ。私もよくわからない緊張で全身がこわばってひどい目にあった。脱水かと思うと、水分過剰でむくみ、動きが減ると皮膚までこわばる。一つだけよかったことは、新しい洗顔料とアロマオイルでリフレッシュしたこと。ラベンダーとベルガモットのブレンドオイル 相当よく眠れる香り 生活の木重曹入り洗顔フォーム 石澤研究所秋を楽しむどころか台風情報と都庁の地下水問題に不穏は続く。ギアチェンジして秋を始めたい。夏の疲れにご用心、です。
2016.09.19

もっと先へ思ったことがうまくつたわらないと、めっぽう苦しい。場の役割や、構成している人の役どころ、その一人一人の性格、伝えるタイミングなんかを考えて、いつどんなふうに???と機会を伺う。そうしているうちに、どんどん時が過ぎて、タイミングを逃すことも多い。いい意味で、ま、いっか、と思えること。もう少し問題を集めてから提案しよう、と思うこと。これは、胸にしまっておこう、と思うこと。などなど、何もしていないように見える私も、いっぱいいろんなことを考えているのだよ。家庭の中では、決まったケアと生活の流れで、長い時間をかけて、快適を追及してきている。ケアの人が変わっても、余裕をもって覚えてもらえるまで待ったり、人による違いを楽しんだりできる。社会となると、そうはいかない。毎年春に移動はあるし、一年ごと施設の体制も変化する。メンバーの変化がそれほどなくても、自分をとりまく様々な環境の激変を肌で感じる。重度重複障害がある私たちの変化は、一般の尺度からは、スピードもメモリも小さいので、読み取るコツハは微細な目を養うことである。もともと、性格的にもっている人もいれば、そうでない人もいる。メモリが大きい、ということは、おおらか、という長所ももっている。一人の中にどの要素ももっているこことは、なかなか困難だ。いろいろな私たちがいるように、支援者にもいろいろな人がいる。その、みんなが、チームになって一年をまわしていくのだから、あんまりのんびりしているとあっというまに、一年が終わってしまう。やっと慣れてきたころに、またリセット~~~、というストレスは案外深刻だ。今年、環境がいろいろ変化したので、私という人間を理解してもらうのに努力している。毎年、秋から冬にかけてその一年の集大成になる。どんな人たちと何をしたのか、思い出も紅葉のように色濃く鮮やかになるか、そうでないかの秋だ。今年は、自分の目標を年の初めに伝えて、その「先」を何とか伝えたかったがうまくいかなくて苦労している。困っているうちに、涙になってしまった。しかし、いつもと違うのは、その涙を、支援してくれるみんなが即考えてくれた。知恵を出し合っての話しあいが一歩先の景色を見せてくれた。すごい連携だな!感謝した。これまでの私を知っている人の知恵をかり、イエスとノーのサインを読み取れる人の助けをかり、私の悩みをかみ砕いた言葉で通訳してもらい、色々な情報が集まるうちに、風穴が開いてくる。小さいことをはやめに伝えると、解決も早いのだな、とまた思う。それでも、自由に話せるひとなら、自分のタイミングで直接行動できるのに、とうらやむ。私たちは多くの時間と調整とを辛抱強く行わないと先へ進めない。しかしこうして、気持ちに風穴があくと、どうせ通じない、とあきらめていたことが、時間をかければ通じることが大きなエネルギーになっていくのだ。特殊技能に支えられるこのコミュニケーションは、キーマンでもある親がいなくなれば消滅する可能性がある。その孤独に耐えられるかを考えると、それこそつらい。まだ打つ手はあるはずなのだけれど何もかも時間がかかるだろうな。それを思うとまたへこむ。業種を超え、年齢を超え、言語を超え、色々な壁を超えて私のコミュニケーションが成り立っている。そのことをありがたく、できるだけ継続していくためには何が必要かを、当事者として考えていかなければならないのだとまた強く思っている。たくさんの先人が、見たこともない世界に向かって努力したのだ。自分に間に合わなくても、思うことをあきらめない力がほしいです。
2016.09.15

情熱の赤い鳥つき! ぐんと涼しくなって長袖の出番になった。半年ぶりでも新鮮。同時に秋のおしゃれも気になりだす。やっとこさで暑い夏を乗り越えて、一息つくと、仙台はあっという間に冬が来る。毎年恐ろしい冬だけに、秋のありがたみがひしひしと押し寄せる。短い秋にいろんなことやらなくちゃ、とつい期待も大きくなるし、思ったことを思ったようにできない自分も鮮明になる。結果落ち込む。というパターンをいい加減卒業したいな、と思う今日この頃。それには、何かを始めること。楽しいことを計画すること。そうしているうちに、よしっと、気合が入ってくる。夏の間に、あとりえの看板と名刺を新しくした。イラストレーターのまいこさんが私が描いた雲の絵にロゴを描いてくれた。あまりにもかわいいので、同じ模様で円形の名刺も作ってもらった。これまたぐんばつのできばえ。限定枚数なので配れた人はラッキーアイテムになるかもね(^_-)-☆あとりえは高等部を卒業した時に、社会人になることを意識したくて始めた自営の創作工房です。何かを企画したり発信するときの事務所にしている。看板もリニューアルしたことだし、これからは重度重複障害の私たちのコミュニケーション支援を考えていくライフワークともリンクして行きたい。一人では心もとないことでも、みんなの知恵を集めてわいわいと楽しくやりたい。自分の思いを発信する一方向の満足から、双方向だったり広がりのあるつながりを育てていきたいなと思う。まずは知恵を集めることかな。みんなとあれこれ話をしていきたい秋の始まりです。
2016.09.13

今日は9.11。入院中にアメリカテロのニュースをラジオで聞いた。そして震災5年半。11の日が来るたびに、こころのどこかでこの二つを思いだす。月命日にご遺族はお墓参りするなど大切な日になっているだろう。まだつらい人もいることを報道で聞く。当事者にとっての出来事の大きさはいつまでも鮮明だ。戦後70年経っても体験者の語る言葉はとても重い。きっと震災やテロの体験者の言葉もこれからも色あせないのだろう。時間が止まったように感じる体験を受け止めるひとりひとりの心は、みんながみんな強くてたくましいわけではないのだ。同じ体験をした小さな心が寄せ集まって、励まし合って、慰め合って、ようやく顔を前に向けられるようになってきたのだ。病気や障害はとても個人的なことで、それらとはくらべものにならない孤独もあったが、苦しみや弱さに足を踏ん張って向き合ってみたときから時は流れ出した。初めはたった一人だと思っていたけれど、たくさんの人に助けられていたし、顔をあげたらみんなと目が合った。下を向いて独りぼっちはもったいないと本当に思う。11の日に、とても怖い思いをしたけれど、それ以上にうれしい思いを実感したのだから、きっと大丈夫なのだ。なんとかなるに違いない。困難は栄養。失敗はチャンス。問題は突破口。障害は視野を広げる。パラリンピックで大活躍の選手たちは、それができる恵まれた環境であると同時に、たくさん努力して夢をつかんだのだ。大抵のことは大丈夫だ、と元気をもらう。たくさんぼやいて、たくさん弱みを見せて、たくさん泣いて、最後にたくさん笑えばいいのだ。人生に苦悩はつきものだ。それでも、人生のよい面を見て生きていきたいと思う。病気が重くなって退院するとき、病院の近くに、とこの家に引っ越してきた。もうすぐ16年になる。その時から、大きなガマガエルも一緒に住んでいる。(らしい)2,3年に一度、夏の終わりに本当に一日だけ会える。動じない肝のすわった姿は堂々としている。初めはびっくりしたが、だんだん会うとうれしくなり、楽しみに待つようになった。我が家の守り神と呼んでみんな喜ぶ。今日は、家族みんなが庭の掃除をしているときに弟が発見した。今年も会えましたね。しかも11の日に。守られている感じ。どこから来てどこへ行くのか。わからないけど、応援にきてくれたように感じた。
2016.09.11
コミュニケーションに障害をもっている私は、それによって生まれるたくさんの障害に囲まれている。人が二人以上いる限り、そこには関係が生まれる。そこにある関係を双方向から料理しようという意志が生まれる。関係しない、という選択もひとつ。積極的に引きこもる人さえいる。私自身にコミュニケーションの力も手段もない時代には、外部の出来事と自分の中の出来事や思いをすっかり分断して、橋をかけようともしなかった。懸け方の方法も知らなかった。コミュニケーションのほとんどを言葉でやり取りする外部の世界に、言葉で参入できるようになってみると、その便利さによって広がる世界の広さを目の当たりにした。夢も野望も膨らんだ。しかしながら、私の橋かけ力はまだまだ微力で、業界での立ち位置もまだまだ弱小企業だ。ノウハウも少なければ、稼働人員も少なく、依然としてマイノリティーである。業界参入の始めの頃。視力も弱く、身体表現もほとんどできず、言葉も発することができない私は、全身をハリネズミのようにしてあらゆるアンテナを張って周囲を知ろうとしていた。一般に五感といわれるセンサーに付け加えて、全身を駆使する六感のようなものでいろんなことが案外わかる。いつもとんがり、アンテナの感度最高にして、びりびり電流を流すのは結構くたびれた。それでも、言葉のアンテナ一本だけしか通じないと思っていた世界にも、たくさんアンテナをもっている人がいた。そんな人とは、言語以外のアンテナで笑い合ったり楽しんだりすることができると知ったのは喜びかつ希望になった。そうなると、私の橋懸け業界と一緒にコラボできる人がいる、業界が違ってもなにかすごく楽しいプロジェクトができるにちがいない、とわくわくした。アンテナをたくさんもっているハリネズミも、普段は針を倒してのんびりしている。いざというとき、ばりっと立てて身を守る。こちらは攻撃の威嚇だけれど、私のアンテナは友好のアンテナだ。言語以外にもこんなアンテナいかがですか、と営業に力も入れなければ重度重複障害のわたしたちの橋はかからない。工法も施工業者もまだ少なくて見つからないけれど、なんとか方法はあるはずだと思う。案外異業種で新規参入したい分野もあるかもしれない。言語業界は壮大であまりに大きく、コミュニケーションの他の方法を言うと、うさんくさい悪徳業者と誤解されることもある。そうだとしても、誰かとつながるコミュニケーションの楽しさを知ってしまった私は、もう自分の中だけの世界に引きこもるわけにはいかないのだ。今でも新しい橋を待っている人がたくさんいるのだ。それでも、まだまだプレゼン力も弱ければ、アピール力も不十分。営業もからきし弱い。悪戦苦闘は続く。挫折を力に。NHKの番組プロフェッショナルみたいだな。
2016.09.08

悩んでる悩んでる小学校の同級生が帰省したと連絡をもらった。飲み会に誘われた!!!!お~っと。嬉しすぎる(≧◇≦)そもそも、この連絡がどんなにすごいことかわかります???その1 連絡をくれたということがすごいその2 飲み会に私を誘うという発想がすごいその3 同窓会のメンバーにいれてくれていることがすごいその4 これらをフツーに考えてくれていることがすごい障害があるけれど普通に同級生と扱われていることがどれだけすごいかわかりますか~!!!いつもみんなとは違うことを先に考えることがなんとなくクセみたいになっているもんだから、同じように同窓会に誘われるなんて想定外だよ。なのでどんだけ、びっくり、かつ感動したか、わかってもらえるとうれしい。今回は予定が合わなくて参加できなかったので、翌日寄ってもらった。見せてもらった懐かしいみんなの写真にまた感動した。普通にひさしぶり~の感じでやってきては、自然体でいられるカッシーのすごさにまた感動する。今回はたくさん話そう、とやってきたカッシーだが、いつもながら母の通約は必要で、どうしても3人の会話になる。もちろん、タイミングを見て私の意見も聞いてもらえるのだけれど、どうやらカッシーにしてみたら、コミュニケーションの量にもっと見える形がほしいのかなと伝わった。そうはいっても、私の会話には時間もかかるし、何より通訳ヘルプを必要とする上に、私自身の思考がその場で流れている言葉を手掛かりにしながら一緒に考えを広げるという方法が主なので、置き去りにされてつまんないかな、と思わせるのかもしれない。1体1の会話では、もちろん相手との言葉のやり取りが中心で、その言葉の量で話し役と聞き役に分かれていく。言葉の多い人、少ない人、同じくらいでキャッチボールできる人、といるだろう。やり取りの中に、考えの交流があるのが望ましいのだろうけれど、言葉が少ないからといって会話に参加していないわけでもないし、全部つまらないわけでもない。見える姿は、ただずっとそこにいる、のだけれど、そこにいながら会話の輪の中でフンフンと想像を膨らませたり、なんじゃそりゃ、とつっこみを入れたりするのは楽しい時間だ。つまりもう会話に参加している。ことばが外に出ていないだけ。通常の言葉の会話になれているカッシーなので、試しに右と左の腕の動きでイエスノーの返事をする方法で会話してみた。ちゃんと通じた。できるじゃないの。というわけで、質問をもらって答える会話が成立。初めて通訳なしで二人の時間だ。通訳なし、しかも、同級生との会話ももちろん初めてだ。同じ土俵で、同じ時間を生きてきた感覚。いいじゃん、とか、そりゃちがうね、と心の中で話すことばがすでに違ってくる。カッシーの感想は、質問力が試されることと、誘導しているように思ってくる、という。私は会話の広がりの方が面白いので、今のところは何の話題でも興味深く、イエスとノーだけでもかなり深まると思っている。この調子なら言葉も伝わると思うし、十分の手ごたえでした。コミュニケーションの量と質。そして満足度。これらは段階的に変化するし場によって違う。そのど場面にも心のありかが静かに流れている。カッシーとならもっと面白いことになりそうだ。次回は車いすで行ける飲み屋を見つけ、吸引できる看護師になった友達を誘い、短い時間でも同窓会に参加してみたいと思う。また、ひとつ。野望ふくらむ。カッシー、マジでサンキューね。
2016.09.07

水の中 生まれる前は水の中 ゆらゆらぷかぷか遊んでた 初めてのピンクの水着で庭のプールに寝そべったおへそが一番深いところ 稚魚が成魚になるにつれ プールに浮かぶ瞬間に体重を忘れる自由を知った 湯船にあふれる湯の中で水の衣に包まれながら歩くゆらゆらぷかぷかしたころを小さな魚が水流に流され流されしたころをゆったり進むクジラになってゆうゆうと水の重さに沿いながらもう一度体重を手放す水の中 手足の重さに縛られるこの不自由な肉体も水の記憶が手をひけば太古のいのちにさえさかのぼる
2016.09.03

いよいよ収穫したころたんを食す。少し甘みが足りなかったのでコンポートにしてもらい、みんなはヨーグルトソースにした。私はもちのろん。スムージーに投入。コマツナとトマトジュースでリンゴの代わりにころたんメロンです。たっぷり180CCたっぷりいただきました。感無量の味だ。おかげで胃腸の調子もばっちりだ。台風で7割も梨の被害を予想してあきらめモードでインタビューされていた農家の方がいました。結果、どうだったのだろう。野菜も果物も、愛情をもって育てられていることを実感します。また台風が近づいている。早目の警戒が必要なようです。9月も元気に過ごしたい。
2016.09.02
台風が去った。上陸の爪跡は被害が大きく、震災もついこの前だったのに、と一日も早く元気になってほしいと願います。中でもお年寄りのグループホームで避難が間に合わずたくさん亡くなったニュースは、人ごとではない。生活の多くの場面で重度の障害があるということは、その何倍も準備も支援も時間も必要とする。何もない穏やかな日でもそうなのだから、何かがあればいっぺんに弱者になる。そのための備えは本当に大切だ。多くの人と多くの時間をかけても、少しずつしか進まない。けれども、多くの人が多くの時間をかければ少しずつ、進む。案外これは確実で、去年より今年、少しずつだけど、確かに安心が増えている。私も、何かの度にいつも避難のことを考える。日頃から私のケアには多くの重度加算がされている。そのおかげで日常生活が送れているのだ。タダですんでいるところには、多くの税金や助成があるおかげで成り立っている。それでも、足りなくて、さらに重度加算がある。年金をはじめ、お金のことは多くを親まかせにしているが、のほほんともしていられない。自分のお金で買い物をしたり、の自己決定や、わずかでも労働に対する賃金を施設から受け取る、年金、医療費、日頃からお金の話はよく出ている。大きな買い物を自分で決めるように相談されると、にわかに金額の価値に現実みが増したりする。重度の私に対するケアや、リスクの対応、専門性などに対する重度加算は、少しでも安くなればいいと思うけれど、価値に対する金額によって保障されている部分もあるのだな。現在月に2回の訪問リハビリで9000円医療費がかかる。無くしようかとも思うときもあるけれど、リハビリのおかげで身体も状態が保たれている。注入ポンプは30万を自費で支払った。これは自分の年金で買った。人によっては助成が認められない隙間の部分はまだたくさんあるだろう。重度の私たちが生きていくにはお金がとてもかかる。お金のおかげで私たちは生きていられるともいえる。重度という現実には、経済的な負担が大きく伴う。それでも守られる命であることにひたすら感謝している。台風の朝に、交通の乱れを心配した父が母に送迎を頼んだ。その間、私と弟は留守番になる。重度障害の二人を留守番させての送迎にも、重度加算がつく。しめて1回5000円。高い!それでも、そうしてまでみんなの協力のもと送迎が成立することにありがたがって出かけた父であった。重度加算はとてもとても重い。
2016.09.01
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