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今年度の初チャレンジ第一弾。横浜在住の切り絵作家の森屋真偉子(もりやまいこ)さんとの展示のお知らせです。詩人大越桂×切り絵作家 森屋真偉子コラボ展 「みえない手」昨年11月にできあがった詩集「あしたの私は幸せになる」から、まいこさんの心にビビビと響いた作品と切り絵のコラボ。続々と美しい世界が届けられています。みえない手みえない手のぬくもりが近づいているくらやみを照らす明かりの中にやさしいことばの中に同じ月を見ているあなたの大きな手を思い浮かべているこの詩は、震災後2ヶ月に満たないころ、支援によって生かされている命への感謝を込めて書いた。震災から7年が経過しました。今、読んでみると、それから脈々と継続し、熟成し、育ち、次へ手渡す人々の様々な思いに包まれて、一層感謝の気持ちが膨らんでいることに気がつきます。なんか、人間はすてたもんじゃないぞ。まいこさんの感性はシンプルですっと一本の線のように無駄がない。たたずまいもそんな人なんだけれど、作品をみるとさらに納得するのだ。私の詩から生まれる形の世界は点が面になり、泉の底に届くわずかな光の線が次々と放射状に広がる。木洩れ日を通して水面から水の濃度を携えてきらきらするように動きだす。語り掛けないけれど沈黙の中に愛情が広がる。いつのまにか、泉の底の湧水と対流を起こしてくるくると光の線を描いてできあがる作品たち。見ているだけで、止まっている私も動きだす。光のダンスみたいな幸せな気持ちになる。作成にかかった時間の集中力とエネルギーと思いがぎゅっと現れる瞬間に立ち会えるのはすごくうれしい。6月3日から25日まで。長町遊学庵びすた~りにて。6月17日(土)午前11:00~ ランチコンサートもあります。渡辺祥子さんの朗読&松坂優希さんのピアノ半澤恵子さん&穀田千賀子さんの手話通訳も動く芸術あと1ヶ月に迫り、準備もたけなわ。がんばってます。いよいよだぞ==。楽しみです===。みなさん、ぜひぜひ、おいでください。お楽しみに
2017.04.25

芯 身体の外にも 身体の中にも 幾重にもある衣を ときどき ほどいて 対話しよう やわらかく 繊細でも すっくとまっすぐな 私は 今何を 語りたいの 春の香り、どん、と正体はタケノコです。むいて、むいて、むいて、の様子を聞きながら、思ったこと。春のいろいろな変化で身体も心もいつのまにやらずいぶん緊張していたな。誰に何をどのタイミングで伝えたらいいのかと、神経をつかっていたかもね。
2017.04.24
はる芽吹きみしみし新芽とんとん葉脈ろんろんする草するするつぼみぱくん光るるる風さらら香りす~んす~んす~んはあ~深呼吸
2017.04.22

毎年始まる黄色の季節。そうです!今年も希望の種の配布が始まりました。震災復興を願って、サカタのタネさんとひまわりの花をたくさん咲かせるプロジェクトの季節です。さっそく届いたたくさんの種袋の黄色が、ぱっと春を運んでくれます。今年も咲かせるぞ~と元気が出てきます。タネ袋にはひまわりの花畑の詩を載せていただいています。全国あちこちでひまわりだよりも聞かれるようになり、とても励まされます。 ひまわりの花畑 ひまわり畑の真ん中に 両手を広げて寝ころべは 広がる黄色の絨毯が 私を空まで押し上げる ひまわり畑の真ん中に 友達さそって寝ころべば 元気が黄色に広がって つないだ手と手あったかい ひまわり畑の真ん中に みんなで一緒に寝ころべば 花と笑顔が重なって 町中きらきら光りだす つないだ手と手 輝く笑顔 青い空と花畑 みんな仲良し いつまでも さあ~配るぞ~今年もいっぱい笑顔の花を咲かせましょう!プロジェクトへのお申込みはこちらから。もちろん私からもお分けできます。http://www.sakataseed.co.jp/special/kibounotane/index.html早速通所している太白区障害者福祉センターにお届けしました。日当たりのよいエントランスに満開になるのが今から楽しみですよ。(^o^)/
2017.04.20

2年ぶりに弟がレスパイト外泊した。このところ、調子が悪くて、やっとこさでお泊りができるまでに回復したのだ。ここまでが大変だった。年に一度の誕生日外泊だったのだが、今年はお花見レスパイトとなった。なんとちょうど仙台は桜が満開のこの日。私も弟の通所施設も花見行事となり、後ろ髪をひかれる思いで出かけた弟である。行事にこだわる弟である。一時は、施設の花見に行くからおとまりしない!と不穏で気持ちが揺らいでいたが、そこはうまい母の誘導で「自分だけ特別花見つき一泊の旅」ということで、楽しみに切り替えることができた。はらはらして見守った私も一安心。久々の静かな夜。静か~静か~、でものすご~~~くよく寝た。家族みんな、よく寝た。おかげで寝坊したし~~~~。(^o^)/私一人の介護は楽だ~ラクダ~という母であった。私一人なんてなんでもな~い、というのであった。私一人でもけっこう仕事がある介護だと思う。それくらい二人は大変だし、案外弟の介護の方が大変なことがよくわかる。翌日、体調もまずまずで落ち着いて帰宅した弟の顔をみて、みんな安心した。たった一日の外泊でも、失敗すると復旧には何年もかかるのだから、あ~よかった。花見もキレイだったと聞いて、あ~よかった。そして、案の定、帰宅したとたんにいつものばたばたが始まった。たまにいないとゆっくり休めてうれしいけど、ばたばたするのもやっぱりかなわんな~と思う。とはいえ、いないとちょっと寂しいし、4人そろって、いつもの我が家感であった。あったものがなくなってわかる。いつものことがいつもでなくなってわかる。たまには息抜きして、それぞれが元気回復するというのが、在宅介護には必要だ。気をよくして、自信を深めて、また行こうかな、という声を聞いてみんなステップアップを感じた。それには、毎日を安定させることがみそなのだ。私も、弟も、自分の小さな体調変化に敏感になって、小さな不調のうちに復活する力を蓄えよう。そしてわたしもいつか、レスパイト外泊で家族を休ませてあげたい。
2017.04.17

私の部屋に飾ってある大きな光の絵「創造」。24時間この光に見つめられて照らされている。毎日、新しいことが創造されている。毎日リセットして、新しい時間が流れる。嫌なことも、失敗も、苦しみも、まあいっか、とやり直せる。そんな新しい気持ちになる。その作者Chieさんにまた会えました~そしてまたまたお話ししながら、次の扉が開きました。ブログに語られるChieさんの言葉も好き。http://blog.livedoor.jp/chieart/世の中にたくさんの人がいるのに、直接出会える人はほんの一握りなのだと思う。そのすごい出会いに今、こうして立ち会えていられることが、なんとすごいことかとまた感謝しました。やっぱり、生きているってすてきだ。仙台は桜満開。今年の桜を今感じることができることがすごいってことに、また感謝。
2017.04.15
28歳の私は29年前に誕生した。双子の姉は死産で、私は超未熟の819グラムだった。NICUで一番奥の保育器に入っていた。それから、それから、色々なことが山のようにあったが、常に病院にお世話になってきた。もはや第二の実家のようである。誕生した時にお世話になった看護師さんが、この春退職された。病棟師長さんになり、病院の看護部の偉い人になり、それでもずっとお会いするたびに声をかけていただいた。病院のあちここちでお会いするたびに元気にしていることを喜んでもらっえるだけで励まされた。思い出はたっくさんある。29年前にお会いしたときは若者だった看護師さんも両親も、赤ちゃんだった私も29年分としをとった。ずっと見守っていただいたことは何よりうれしい。こどもが大人になるように、大人とも別れがある。一つの時代がバトンタッチされるのだ。いずれ長年お世話になった主治医とも別れる時がくる。考えるだけでもココロ細いけれど、いつまでもおんぶしてもいられないのだ。どこかで卒業して独り立ちしていかなくてはならないのだ。そのために何を準備して、何を練習していけばよいのか。大人になった私たちが当事者として考えることがたくさんある。大人になった私たちが次のこどもたちにバトンタッチしなくてはならないのだ。
2017.04.10
こどもは大人になる。実に当たり前のことだ。病気や障がいがある子供も大人になる。すごく普通のこと。と、言いたいところだが、私達のように病気や障害が重いと、なかなか生き延びることが大変だった。実際成人をむかえるのを目標にしていた両親と、成人式を一緒に祝えたときにものすごく起きな目標を果たした気持ちになった。そのあとの二十代はおまけのような青春で、とにもかくにも元気に過ごすのが目標になっている。急変したら先の保障はない切迫感がいつもつきまとい、1年ずつ、誕生日ごと、春がくるごとに胸をなでおろしている。病気を抱えて安定して大人に差し掛かるのは嬉しいことだ。まだ元気でいられるみたい、と思うとやってみたいことも次々と浮かぶ。それでもまだ「野望」というくらい、私には特別なことばかりだ。健康な人の当たり前が特別なことばかりだ。普通の人は病気が慢性化して大人になっても、医療は受け皿がある。難病でも難病の専門医がずっとみてくれるだろう。私たちは重度重複障害デパートの店長だ。きょうは2階の具合がわるいけど、その影響で6階の調子もよくない。案外7階をみなおしたら全部いい感じになった、なんてことがよくある。売り場の責任者だけでは売り上げは伸びないし、時々特別企画もうまくいくと、みんながやる気を出したりする。店長だけが盛り上がってもギクシャクするし、あまり強いリーダーが調子に乗ると、不満もつのって爆発する。総合力とか、想像力、謙虚な連携のきもち、感謝の心、しかも瞬発力も。そんな高度なチームに支えられて、やっと思うようなお買い物ができるというわけ。どれだけビップなの~と思う。いくらいいチームでも人が変われば一から見なおし、一人ひとりのいいところを発掘し、ほめて伸ばし、力量に限界がみえてもガッカリさせないようにして、みんながいいとこ取りで互いに成長できるようにする。あうんの呼吸になるにはすごく時間がかかり、努力もいる。やっと構築した小児科の想像力でできた船を大人の船ばかり停泊する大きな港に参加して新たな営業をしなければならない。考えるだけでもは~っと、ため息が出る。大人の医療現場で、認知症がベースにある人たちはとたんに一般病棟からお断りされるという。認知症専門病院はあらゆる診療科に対応するのだという。なんだか私たちの置かれた状態と似ているようで、「わかりにくい人たち」の扱いにみんなが困っている様子が重なる。話が通じる人たちだけでさえ大変な医療現場では、もう手一杯ということかもしれない。話が通じる、ということ自体、話ができることとイコールでもない。色々な人がいろいろな分野で、いいとおもうことを実行している。なんとなく思うのは、案外これまでどこにもなかったような発想や視点で、やっちゃえ~、とお試ししてみる態度の中にいいヒントが隠されているような気がする。初めは、なにそれ、といわれるだろうけれど。だから、やったことないけど、やってみちゃう?という人に会うと、嬉しくなる。
2017.04.09
28歳の今年度が始まり、これから数年をかけてレスパイトをに挑戦することにした。レスパイトは在宅介護している家族の休息を含めて、一時外泊するものだが、医療が加わる私達にはなかなかハードルが高い。これまでも生活の安定とともに、あちこち探したものの、ベッドや看護師さんやの不足から受け入れ先が限られている。病気で入院するのとは違うので、普段の医療ケアを受けながらそれなりに充実して過ごす、となると必要は理解していても事業としては赤字になるという。経済的な問題も大きい。ちなみに、私は県内でいくつかある施設でもう新規受け入れは困難というので、岩手、山形と他県の病院を紹介されていた。当然遠い。あきらめていたところに、最近になっていくつか病院の新事業が始まった情報を聞いた。さっそく相談したり、面談したり、といろいろな施設を検討することにした。宮城県では療育センターがこども病院と合併して、福祉と医療が一体化した。それはとてもうれしいことだが、療育センターで発達を支援してもらってきた多くの障害者のうち2割が成人である。一方、こども病院はこどもの医療にかかわりたい医療者が中心のため、成人障害者への対応がいろいろと困難な面もあるようだ。子供時代にまるごと支援してもらって今がある大人の私達が、実際に体調を崩した時にどこの患者になれるのか。さらに、レスパイトするおそらく成人の内科でどれくらいお世話になれるのだろう。きけば、通常の大人の人と私達重症心身障害者では、熱の上がり方ひとつとっても全く違って、内科の先生もとまどうのだという。もともとの病気も様々だし、一人一人ちがう重傷者に対応するのだから、そうだろうな、とも思う。それでも、レスパイトは大抵安定しているときに利用するのだから、大人の診療科の人たちにも私たちに慣れてほしい。コミュニケーションが難しい場合もあるけれど、小児科は卒業、かといって大人のところもできませんといわれてしまうと、本当に私達は行くところがなくなってしまうだろう。小さい時は地域の医院に通って覚えてもらったものの、成長に伴う状態の変化で次第に大きな総合病院になっていった。一般の診療科の先生たちの中には、重度の私をみて、何も考えていない人だという対応の人もいた。がっかりした。医学部では病気をみないで、人を診る、という教育をしていると聞いているが、大人といえどもいろいろだ。専門性を保ちながら、地域の一般の中でも生活と医療の質をあげようとしているのだから、贅沢な話かもしれない。もし、一般の先生たちが私達を診るのがちょっと怖いな、と思うのならば、そうでなくなるように連携する方法を考えなくてはならない。よくわかる人たちだけのなかで守られているのは、ラクチンだけれど、それ以上の世界に行くことはできない。複雑に絡む問題をどこからときほぐしていこうかな。とりあえず、へとへとな親を休ませたい、というのがレスパイト実現への動機その1だ。
2017.04.07
障害が重く、医療ケアも必要な私達だ。色々な経緯で在宅生活を送るまでには、入退院を繰り返し、色々な診療科にかかりながら、やっとこさで整えてきた道のりだ。生まれつきの病気で障害が残ったとしても、それなりに安定しているうちはいいのだけれど、育ちの中では別の病気を発症したり、一つがよくなっても別の問題が出てきたりと、安まるヒマがない。そのつど、あっちこっちの医療にお世話になるものの、そうこうするうち、重複する障害に振り回されて、そもそもひとりの生活者としてのベースが揺らいでくることもあった。療育、教育を経て社会人になっても、まだいろいろなことが縦割りで、自分がどっしりどこに所属すればいいのかよくわからない。健康な人は子供から大人への医療の区切りは15歳。高校生からは大人の診療科に行く。社会制度は20歳で、私たちも年金や選挙の手続きをした。問題は医寮と福祉の間にいる複雑さだ。医療だけで病院に付きっ切りのときは教育も福祉も案外後まわしで、優先順位が高くなっていた。次第に安定して生活を整える移行期には、医療と福祉を行ったり来たりしながら過ごした。それはそれで不安定だったが、なんだかどれかを優先すると他をあきらめなければならない感じが長かった。医療も生活も保障する、というのはけっこう贅沢な話なのだろうか。家族や地域による力の差があるし、それらを切り開くのにはとてつもなくエネルギーを要することを体験した。子どもはみんな大人になって行くのに、色々な要素を併せ持つ障害が重い私たちは、色々な場所で制度と制度のはざまにすっぽりとはまってしまう。そもそも一人一人がとても異なるうえに少数派なので、ひとくくりにできない難しさもある。色々な出会いとタイミングで困難を解決しながら、今の生活があることは、関わった人の努力の賜物でもある。それでも、まだ安心して大人になっていけない、というところにはそこはかとない不安が残る。にもかかわらず。困っていることがあるから世の中は進化する。なんとなく不安、というのは一番不安を誘うものだから、具体的に困っていることを解決していきたい。いやいや、それがけっこう気力を必要とするのだけれど。。。。大人になるのは大変だ。
2017.04.06
3日、4日と通院して、今年度が始まった。障害が重複している私は、まだずっと小児科にかかっているのだけれど、その中でも思春期から緊張が強まって、神経専門医にもかかるようになった。専門ドクターのスペシャル処方で緊張がみるみる緩んで今は快適に過ごしている。ところで、私は重度加算が沢山ついている筋金入りの「重い患者」だ。普通の小児科も15歳で卒業して一般内科にいくところを、もう28歳になったのに小児科でまるっと診ていただいている。生まれたころは成人できるかどうか、などといわれていた私達が、今では優に三十路を目の前にできるくらい医療が発達した。40代の先輩はあまり知らないが、私たちの世代がひょっとしたらおじさんおばさん重度重複障がい者の最前線を走るのかもしれない。最前線ということは、いつもたくさんの課題にぶちあたるということでもある。さしあたって、大人の私達がいったいいつまで小児科にいていいのだろう、という大問題だ。ここ数年はあまり風邪も重くしないで回復できるようになったので、入院回数も日数も減った。減ったおかげでつながりも途切れてしまったりする。この2日で大人とこどもの問題がまた顕在化している。続きは明日。少し掘り下げて考えてみようと思う。
2017.04.05

まっさら 一度しかない今日がはじまる まっさらな手帳に 初めての予定を書く 文字がするすると伸びていく 乗り遅れないように 道の先を見極めよう 食べたものだけでできる身体 感じたものだけでできる心 新しく付け加えられるものに 出会う旅の始まりだ まっさらなわたしに 一度しかない今日がきた 初めの深呼吸で 胸いっぱいに 可能性を吸い込んだ 新年度が始まりました。私は通院からスタートします。一番大切な仕事が体調管理し、元気に過ごすこと。最も大きな力を貸してもらう主治医のちよこ先生に会いに行く。今年はがんばりたい計画がいろいろある。何より元気でいたい。変化の多い季節を乗り切って、その先の航海に進みたい。みなさんにとってもいいスタートになりますように。一日ずついいことを積み重ねていきましょう。
2017.04.03
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