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19XX年07月27日(水)マドリードの宿 'Hostal Naranco' を発つ。自転車旅の初日は、70km南の古都トレドまで。日陰のない道で、ひどく暑かったことを憶えている。三方をタホ川に囲まれたトレド旧市街は、中世の町並みそのままとのこと。'Las Sevillas' という宿に落ち着く。
2008.10.31
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地図で見ると、頼りない橋が2本連続しています。里川と久慈川を渡る橋。「関東外周山つなぎの旅58日目」でのこと。地図に載っている頼りなさのとおり、両方とも乗用車1台がようやく通れる程の幅しかありません。しかも、里川に架かるほうは木製 ・・・・。里川のが「新落合橋」、久慈川のが「落合橋」という名前のようです。橋脚が短く欄干が低い構造、こういう橋を他所でも見たことあるような ・・・・そう、高知県・四万十川の「沈下橋」。帰って調べてみると「久慈川水系には、いくつかの沈下橋が存在している」という記述。関東地方では、茨城県に多く残っているようです。「新落合橋」は、「映画『フラガール』のロケにも使われた」という記述もありました。
2008.10.29
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2008年10月25日(土)曇 07:27JR常磐線常陸多賀駅着、前回の続きを歩き始める。天気予報では晴れると言っていたのに、空一面灰色の雲。これから晴れてくるのだろうか・・・。国道6号線を越え、街を外れる。平地から谷筋に入ると、急に寂しい林道に変わる。谷を跨ぐ常磐道の下を通り、更に奥へ進む。道が未舗装になり、通行止めゲート。車3台と数人のおじさん、これからキノコ採りのようだ。尾根まで上がれば山道があるはずだが、なかなか見つからない。どこかで見落としたのかと不安になるころ、08:25「←風神山 高鈴山→」の道標に着く。ハイキングコースを風神山へ向かう。標高250m前後の尾根を登降する山道だが、雑木林に遮られて展望は全く得られない。道標のない枝道・巻き道が多く、勘を頼りに進路を選ぶ。半ばを過ぎる辺りから軽装のハイカーがちらほら、地元のひと達が気軽に来るコースらしい。09:25風神山(242m)、東屋でひと休み。天気は相変わらず曇、ここも展望なし。風の袋を背負った漫画チックな「風神の碑」をデジカメに収める。下りは舗装路、国道6号線に出る。 国土地理院5万分の1地形図では、この辺りに日立電鉄線が載っている。そういう路線があること自体今回はじめて知ったのだが、すでに2005年の廃線。かつて踏切のあった場所を通ると、レールを取り払われた跡地に雑草が伸び、そういう路線の存在したことさえ地図がなければ分からなくなっている。稲刈りの済んだ田圃の一本道、垣根にぶら下がったカラスウリは鮮やかなオレンジ色に。11:00里川と久慈川、ふたつ続けて沈下橋を渡る。前日の雨で水嵩が増し、水は濁って黄土色。何が釣れるのか知らないが、里川には釣り人が竿を並べる。予定より1本早い便に間に合いそう、足を早める。12:00今日の終点・水郡線額田駅に到着。昼食のパンを紅茶で掻き込む。12:09発の電車で帰途に就く。天気予報は大はずれ、青空は一度も顔を見せなかった。常陸多賀駅→額田駅:22.7km
2008.10.25
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19XX年07月26日(火)明朝マドリードを発ち、自転車旅を始める。スペインと言えば「アンダルシア」。グラナダ・セビリア・コルドバなど、太陽のイメージの濃い街々がある。当然、南へ向かう。日本で入手できなかった地図は、マドリードにて調達。中央部は 'FIRESTONE' 、南部は 'MICHELIN' 。道路地図なので地形の高低が分からないけれど、仕方ない。
2008.10.23
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宿を決めるとき、近くで食料調達が難しい場合を除いて、「素泊」で予約することにしています。食事はコンビニ弁当で済ませ、旅費を節約するためです。「関東外周山つなぎの旅56日目」で泊まった大菅鉱泉も、500mほど離れたところにコンビニがあるので、「素泊」で予約するつもりでした。2軒ある旅館のうち、先に電話した「里美屋旅館」・・・「素泊はやっていないんですよ」という応え。これまでいろんな宿を予約してきましたが、素泊を断られたのは多分はじめて。で、もう一軒の「元湯旅館」に電話しました。「土曜日は満員なんです。日曜なら空いてますよ」。・・・というわけで、「里美屋旅館」夕食付で6000円になった次第。旅館の夕食は久しぶり。鮎の塩焼き・鰹のたたきはありきたりでしたが、こんにゃくの刺身と煮込みうどん(麺が不揃いに太く、もちもちした歯ごたえ。多分うどんではないと思う)に地元の食材を使い特徴を出していました。たまにはこういう贅沢もいいでしょう。
2008.10.14
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2008年10月12日(日)晴 05:00起床、助六寿司で朝食。05:50「里美屋旅館」を出発する。夜の間にぐっと下がって気温は10度、手がポケットに行ってしまう。手袋を持ってくればよかった。里川に沿って国道349号線を南下、交通量はまだ少ない。06:50上坪のコンビニで飲物を調達、旅館で汲んできた水は捨てる。ここで国道を折れ、県道36号線を上る。秋晴れの太陽に照らされて暖かくなってくる。頂上に高い塔のある山が正面に・・・あれがこれから登る高鈴山だろう。07:40御岩神社、鬱蒼とした杉木立はいかにも神域らしい雰囲気。本殿の脇が山道の起点、沢伝いの急登を経て森々たる「奥ノ院」に至る。更に登ると杉林が雑木林に変わり、「直登コース」と「迂回コース」に分岐。「直登コース」を進むものの、大岩に行く手を阻まれる。赤い目印テープを頼りに廻り込もうとするが、一般ハイカーが利用するとは思えない足元の悪い岩場をだんだん下って行ってしまう。諦めて「迂回コース」に引き返す。ぐるっと遠回りして出たのは広い尾根道、両側とも木々が茂って見晴らしは利かない。緩やかな登りが続いて、09:00高鈴山(623m)山頂に着く。麓から見えたのは雨量観測塔、よくある通信関係の鉄塔の倍ほどもありそう。北西方向に開けた展望テラスでひと休み。東には太平洋も遠望、・・・「関東外周山つなぎの旅」も年内には完結できそう。 しばらくコンクリート舗装道を下った後、再び山道に入る。途中、未舗装林道も経由しながら標高を落としてゆく。熊鈴の音がして、今日初めてのハイカーと挨拶。「コ」の字型にずらりと石仏が並ぶ「百体観音」でひと休みする。解説板によると、各地の観音巡礼札所のミニチュア版とのこと。10:30「おむすび池」で広い林道に出る。ここから「助川山市民の森」になり、ハイカーが多くなる。11:10山道が終わり、麓の住宅地に変わる。国道6号線を越え、日立市街を南へ。12:15今日の終点・JR常磐線常陸多賀駅に到着、12:17発の電車で帰途に就く。大菅→常陸多賀駅:26.9km
2008.10.12
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2008年10月11日(土)曇のち晴一時雨 08:44JR水郡線袋田駅着、前回の続きを歩き始める。久慈川に沿って大きく蛇行する国道118号線、3連休初日のため大型観光バスが何台も通る。歩道のあちこちに栗のイガが落ちているが、目ぼしい実はすでに拾われ、残っているのはせいぜい小指サイズ。09:50頃藤で国道を離れ、中学校の裏手から山道に入る。道は整備されているけれど、蜘蛛の巣が多い。利用するハイカーが少ないようだ。30分ほど雑木林を登ると尾根道は舗装林道と交差した後、廃道に近い未舗装林道に出る。長福集落を抜け、10:50簡易舗装路の行き止りに着く。ここが「男体山登山口」、駐車スペースに車はいない。「男体山」というと頭に浮かぶのは日光の男体山だが、こちらは「奥久慈男体山」。麓からも望める切り立った岩峰、その上の山頂まで急登が続く。山道から少し色づき始めた木が見られるものの、紅葉の見ごろはまだまだ先のようだ。11:45男体山頂上(654m)。一角を占める通信施設が目障りなのを除けば、ぐるり360度の山々を眺められる。周囲に高い山がないお陰で、標高の割りに良好な展望。ちょっとお得な山頂という感じ。パンと紅茶で昼食休憩をとる。 下山は大円地越を経由するルート。登りで使ったルートより歩き易く整備されているところをみると、こちらがメインルートなのかも知れない。さっきまで曇っていた空が、どんどん青空に変わる。12:35車道まで下り着く。3連休にもかかわらず、ひとりのハイカーにも出会わなかった。山奥に数軒だけの持方集落。葉をすべて落したりんごの木に実だけが鈴なりで、紅梅のよう。峠を越え、13:40入合で国道461号線に出る。この時期、道端でよく目にするのがセイタカアワダチソウ。うまく名前を付けたもので、ひょろひょろとひとの背丈より高く、泡立つみたいに黄色い花をつける。 14:40馬次、ここからまた峠越え。下った折橋のコンビニで食料・飲料を調達する。ここで雨が降り出し、傘の出番。交通量の多い国道349号線を逃れ、里川対岸の田舎道を行く。16:40今日の宿・大菅の里美屋鉱泉旅館に到着。早速湯に浸かる。純和風の夕食で満腹になり、21:00就寝。「里美屋旅館」、夕食付6000円。袋田駅→大菅:34.6km
2008.10.11
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19XX年07月25日(月)1ッ星オテルから、更に安いオスタルに移る。'Hostal Naranco'。建物の1フロアだけで宿を営業している。4階建ての2階だったか3階だったか・・・。部屋の広さは(日本風に言うと)6畳ほど。ベッド・小テーブル・イスがあるだけ(だったように記憶している)。シャワーは別料金。「地球の歩き方」に載っていたので、日本人の利用も多かった。インターネットで検索したところ、今も営業しているらしい。現在の部屋代11~22ユーロを1ユーロ=140円で計算すると、1500~3000円(シングルが11ユーロだと思う)。当時もこのくらいだった。少し遅い時間になると、1階の扉を閉めてしまう。呼び鈴を押すと、主人が窓から扉の鍵を投げてくれる。このあとも地方からマドリードに戻る度、この'Hostal Naranco'に泊まることになる。
2008.10.09
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19XX年07月24日(日)マドリートの街を歩き回って、「日本では見ないなあ」と感じたものをふたつ。国立銀行の重厚な建物、スペイン銀行の前。黒光りする「短機関銃」を手にした警備の兵隊が仁王立ち、指が引金にかかっている。日本の警官も拳銃を携帯しているが、腰のケースに入っているので、剥き出しの実物を目にするのはこれが初めて。しかも、拳銃ではなく「短機関銃」。メインストリートの道端に、「物乞い」の姿が目立つ。憐れを誘う目的で幼児を伴なっていることが多い。真偽のほどは定かでないが、幼児を貸し出す商売まであると聞いた。せっかくマドリードにいるのだから、プラド美術館に行く。売店で買った絵葉書は、今も使わないまま引出しに眠っている。
2008.10.03
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「旧水田家住宅」を案内する県道89号線の道標には、「水田大臣生誕の地」とありました。09月27日、「南関東低山つなぎの旅19日目」でのこと。「水田大臣」って誰だっけ?全然思い浮かびません。帰ってから調べてみたところ、昭和30~40年代に通産大臣・大蔵大臣を務めた政治家「水田三喜男」でした。写真は見たことがあるような気もしますが・・・・。標高180mほど、日当たりがよさそうな丘陵の南斜面に母屋と長屋門。庭にソテツなども植わって南国的な雰囲気も感じられます。すきま風が多いであろう古い造りの住宅でも、比較的温暖な南房総の地なら暮らし易かったのでは・・・・。愛想のいい管理人のおじさんの他誰もいない「旧水田家住宅」で、「こういうところでのんびり過ごすのもいいかな」なんてことを想いながら、急に秋らしくなった空を眺めてひと休みしたのでした。
2008.10.01
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