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2021.06.01
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カテゴリ: 読谷村



沖縄本島中部の読谷村「伊良皆集落」に「サシチムイ(佐敷森)」と呼ばれる緑豊かな森林があります。この森は国道58号線と米軍嘉手納基地弾薬庫の間に位置し、琉球三山(北山/中山/南山)時代を統一した第一尚氏王族の陵墓がひっそりと佇んでいます。「佐敷森」の名前は第一尚氏の出身地である「南城市佐敷」を偲んで名付けられ、王族が眠るこの森は混乱の世を生き延びた一族の誇りと、親子三代の強い絆を物語る逸話が込められています。


(殿内火之神/トゥンチヒヌカン)

国道58号線を嘉手納町から読谷村に入り「伊良皆」の信号を超えて直ぐ右に東に進む農道があります。真っ直ぐ進むと「ヒーハナジモー」がありますが、現在は米軍嘉手納弾薬庫の敷地内にあります。農道の一番初めを左折すると「サシチムイ(佐敷森)」に進む小道が続きます。まず初めに右手に「殿内火之神」があり「サシチムイ」を背に建てられており、祠内には中央の霊石を囲むように3つのビジュル石が祀られています。「サシチムイ」の入り口にある「殿内火之神」は聖なる森の"お通し"を意味する拝所となっています。


(前ヌカー)

(前ヌカー脇の香炉と水甕)

ちなみに「殿内」とは琉球士族の総地頭職にある親方家を指す尊称で、王族である御殿の下に位置し高い格式を誇る家柄を指します。「殿内火之神」から続く「新綱引き(チナヒチ)道跡」を100メートルほど進むと右側に「前ヌカー」があります。状態の良い石垣で囲まれたこの井泉には現在も豊富な湧水があり、井戸の上部には2つのウコール(香炉)が祀られています。さらに井戸に向かって左側にはもう1つの香炉と非常に古い石造りの水甕が設置されていました。


(ウフカー)

(唐ヌカー/ウブガー)




(ユナサモーの拝所)

さらに農道を北に進むと沖縄戦の際に造られた「軍用機秘匿場跡の石畳」が続きます。この石畳に沿った右側は「ユナサモー」と呼ばれる森の御嶽となっています。「ユナサモー」には拝所が森の御嶽に向かって建てられおり、祠内には中央奥に御嶽を祀る主体のウコール(香炉)があり、前方に4基の香炉が設置されていました。御嶽の神と天地海空を意味するウコールが祀られ、集落の住民により祈られています。


(イーヌカー/上ヌカー)

「サシチムイ」の麓に「イーヌカー(上ヌカー)」があり、周辺では一番大きく湧き出る水量も最大となっています。「伊良皆集落」の住民の飲料水や生活用水に利用され、収穫した野菜を洗ったり衣類の洗濯をした井戸であったとも考えられます。「イーヌカー」は旧正月には若水を汲み、年中行事の中で祈りを捧げる神聖な場所であります。井戸の上部には祠が設置されておりウコールが祀られています。現在は農業用水として利用され、この一帯は現在も伊良皆の人々により整備や清掃がされて大切に守られています。


(平田子之墓の鍾乳洞)

(平田子之墓)

(平田子の家系図)

「イーヌカー」の直ぐ脇に「サシチムイ」の森があり、中腹には「平田子之墓」があります。「平田子(ひらたぬしー)」とは琉球三山時代を統一して琉球王国の初代国王に即位した「尚巴志」の長男です。「尚巴志」は父である「尚思紹」の次男「平田大比屋」が南山攻撃で戦死した際に「佐敷王子」だった長男を跡目に継がせました。こうして「尚巴志」の長男は平田家の養子となり「平田子」となりました。「平田子之墓」には「平田子」の家系図を示す石碑があり、息子が「高荘平田」その息子が「休林平田親雲上」さらに、その息子が「平田親雲上嗣嵩」と家系は続いてゆきます。


(尚巴志王之墓の石碑)

(尚巴志王之墓に向かう森)

(第一尚氏王族陵墓の石碑)




(尚巴志王/尚忠王/尚志達王陵墓の鍾乳洞)

(尚巴志王/尚忠王/尚志達王陵墓)

(陵墓の脇に続く鍾乳洞)

かつて「尚巴志」が北山討伐の際に駐屯し、妾(めかけ)の「喜納東松田ノロ(祝女)」の故郷である読谷村伊良皆の森の岩陰に「二代目尚巴志王」の遺骨を埋蔵し「三代目尚忠王」と「四代目尚思達王」の遺骨は同村喜納の東側にある「竹山慶念堂」に葬り、後世になり伊良皆の「サシチムイ」の森に移動されました。陵墓の鍾乳洞からは現在も水滴が滴り落ち、墓前のウコール(香炉)には献花、酒、果物、お賽銭が供えられ、常日頃から参拝に来る人々が絶えない事が分かります。陵墓に向かって左側には鍾乳洞穴が奥深く続いており、非常に神秘的な雰囲気に包まれています。


(屋比久子之墓の鍾乳洞)



首里の天山稜で「尚巴志」「尚忠」「尚思達」の遺骨を焼き討ちから守った「屋比久子(やびくぬしー)」は一緒に遺骨を持ち出した「平田子」の息子で「尚巴志」の孫にあたります。祖父の遺骨を「サシチムイ」に葬った「屋比久子」の墓も同じ森に位置しています。「屋比久子之墓」は丁度「平田子之墓」と「尚巴志王之墓」の中間にあり、現代に至ってもなお「第一尚氏王族」の陵墓は「平田子」と「屋比久子」に守られている形となっています。墓前には父親である「平田子之墓」と同じ扇子の模様が彫られたウコール(香炉)が設置されています。


(佐敷村字佐敷みひち門中参拝記念碑)

「尚巴志王/尚忠王/尚志達王陵墓」の入り口に「佐敷村字佐敷みひち(御引)門中」の参拝記念碑があり、現南城市のこの門中は「第一尚氏王族」を氏神と称して崇める氏子(うじこ)です。「門中(もんちゅう/ムンチュー)」とは沖縄県における始祖を同じくする父系の血縁集団の事です。「門中」は17世紀後半以降、士族の家譜編纂を機に沖縄本島中南部を中心に発達し、のちには本島北部や離島にも拡がりました。 その活動形態や組織結合の度合いは地域によって大きく異なります。


(宮城島東江門中参拝記念碑)

更に「サシチムイ(佐敷森)」の陵墓には「宮城島東江門中」の参拝記念碑も建立されています。うるま市宮城島宮城自治会の「なぁぐすく字誌」(2005年11月発行)によると「宮城島東江門中」は中山系で宗家は佐敷の新里にあると言われています。始祖は尚巴志の父(尚思紹王)の兄弟の分かれで、三山統一後に宮城島に逃れた者がいないか調べに来た際に、宮城島の女性と結婚して島にそのまま住み着きました。両門中は「神シーミー(神清明/門中シーミー)」や「東御廻り(アガリウマーイ)」に毎年訪れて参拝しています。


(平田子のマーイサー)

「尚巴志」「平田子」「屋比久子」の墓が祀られる「サシチムイ」の麓にある「イーヌカー」には大岩があり、これにまつわる「大力平田子(だいりきひらたしー)」という民話が読谷村に伝わります。

『「平田子」は伊良皆に住むようになってからは畑仕事をしていたそうです。ある日、牛に犂すきを引かせて田を耕していると、金丸(のちの尚円王)からの刺客が佐敷森に「平田子」を探しに来たのです。すると「平田子」は田を耕していた大きな牛を捕まえて引っ張り畦あぜに放り上げました。さらに「イーヌカー」脇の土手にあった非常に巨大な石を「平田子」が一人で持ち上げ放り投げたのです。「こんな大きな牛を掴まえて放り投げるし、更にこんなに大きな石も取って放り投げるのだから恐ろしい人だ」と刺客は逃げ帰ったのでした。』


(サシチムイ/佐敷森)

この民話にちなんで「イーヌカー(上ヌカー)」の脇にある大岩は現在「平田子のマーイサー(大きな石)」と呼ばれて多くの人々に愛されています。そして、琉球王国の初代の王「尚巴志」は実の息子である「平田子」と孫の「屋比久子」に現在も守られ、更に所縁の深い「佐敷村字佐敷みひち(御引)門中」と「宮城島東江門中」に毎年参拝され「第一尚氏」一族は「サシチムイ(佐敷森)」に安らかに眠っているのです。






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最終更新日  2022.08.01 23:02:19
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