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商いは商内とも表記され、国語辞書では、売り買いする商売や売り上げのことを言います。 マーケットにおいては、売買取引をすることであり、また取引が活発な時を、商いが多い、取引が少ない時を商いが少ないと言います。 “商いの春秋”(1990年3月 日本経済新聞社刊 田島 義博著)を読みました。 著者には流通関係の諸問題をテーマにした多数の著作があり、本書には商いや流通革命などを中心とした随筆がいろいろ収められています。 ここに収めた114編の随筆は、年号が平成と改まった直後の1月10日から、12月28日までの1年間、日経流通新聞に連載されたものです。 「商の春秋」というタイトルは編集長がつけてくれたもので、単行本にする時、掲載順とは関係なく、テーマの似通っているものを、6つにグループ分けました。 田島義博さんは1931年熊本県生まれ、1950年に熊本県立済ー黌高等学校を卒業しました。 幼少時に両親を失い祖父母に育てられ、高校時代に祖父が亡くなり、高校卒業後は三池炭鉱で働きました。 後に会社から奨学金を得て一橋大学に進学しましたが、大学3年時に結核を発病し2年間の療養生活を送りました。 1955年に一橋大学社会学部を卒業し、翌年、社団法人日本能率協会に入社し、後年、「マネジメント」誌編集長、「市場と企業」誌編集長等を歴任しました。 1961年にシカゴ大学に留学、1963年に能率協会を退社し、同年、自ら流通経済研究所を設立しました。 同年9月から学習院大学経済学部専任講師となり、以後、助教授・教授を歴任し、1970年に経済学部長に就任しました。 1991年に学校法人学習院常務理事、1992年に専務理事となり、2001年に名誉教授、2002年に学校法人学習院第24代院長・理事長に就任しましたが、在任中の2006年に75歳で急逝しました。 日本商業学会会長、日本ダイレクトマーケティング学会会長、社団法人消費者関連専門家会議会長、通商産業省大規模小売店舗審議会会長、国税庁中央酒類審議会会長、農林水産省食品流通審議会会長を務めました。 経済産業省産業構造審議会、国税庁国税審議会、農林水産省食料・農業・農村政策審議会等多くの政府委員も歴任しました。 「日本の流通革命」(1962年・マネジメント新書)、「流通機構の話」(1965年・0976年・1990年・日経文庫)、「現代のセールスマンー情報を運ぶ人たち」((1969年・日経新書)、 「インストア・マーチャンダイジングー流通情報化と小売経営革新」(1988年・単行本)、「店頭研究と消費者行動分析ー店舗内購買行動分析とその周辺」(1989年・単行本)、 「新版 フランチャイズ・チェーンの知識」(1990年・日経文庫)、「ゼミナール 流通入門」(1997年・単行本)、「インストア・マーチャンダイジングがわかるできる-流通情報化と小売経営革新」(2001年・単行本)、 「卸売業のロジスティクス戦略ーサプライチェーン時代の新たな中間流通の方向性」(2001年・単行本)、「マーチャンダイジングの知識 」(2004年・日経文庫)、 「歴史に学ぶ流通の進化」(2004年・単行本)「人間力の育て方」(2005年・単行本)などの著書があります。 商いは飽きないことであり、具体的に、 売る商品・サービスに飽きない、営業・売り込みに飽きない、交渉・説得に飽きない、気配り・心配りに飽きない、自分とスタッフの教育に飽きない、向上・改善に飽きない、創意工夫に飽きない などが挙げられます。 春秋は春と秋であり、年月や歳月、年齢やよわいを意味します。 また、中国の史書に『春秋』があり、魯国の年次によって記録され、中国春秋時代に関する編年体の歴史書です。 体裁は、年・時(季節)・月・日 - 記事、となっています。 年限は、上は魯の隠公元年の紀元前722年から、下は哀公十四年の紀元前481年までの242年です。 内容は、王や諸侯の死亡記事、戦争や会盟といった外交記事、日食・地震・洪水・蝗害といった自然災害に関する記事などが主たるもので、年月日ごとに淡々と書かれています。 本書は論文や評論ではなく、随筆という形で、いろんな角度から自由に、商業や流通のことが書けるのは大へんな魅力だったということです。 かつて流通の勉強を始めた時は陽の当たらない分野でしたが、このところ国際的なテーマになり、しかも、流通をめぐって日米構造協議がスター小した年に、1年間も書き続ける機会を与えられたことは、全く好運でした。 9月末までは週2回、10月からは週3回というペースで、大へんでなかったと言えば嘘になります。 とくに4月から学習院大学の経済学部長になったため時間に追われ 推敲が十分できなかったこともありました。 しかし何よりも、随筆の書き方が身についていないため、あれも書きたい、これも書きたいと、気ばかり焦って、詰め込みすぎの生硬な文章になったのではないかといいます。 「商の春秋」の章は「商の始まり」から始まり、最後の「私のたまりば」の章は「フィナーレ」で終わっています。 今ではだれでも知っている判じものですが、30年近く前、意味がわからなくて、連れの舞妓に一本とられたことがあるそうです。 京都の木屋町から高瀬川をひとまたぎして、河原町の裏手に入ったところに、「しるこう」という店があります。 初めてそこへ利休弁当を食べに行った時のこと、土間の椅子に腰を下ろすと、床の間に奇妙な飾り物がありました。 大豆を盛った五合マスが二つ並べてあって、そこに「春夏冬」と書いた短冊が立っていました。 意味がわからなくて首をひねっていると、舞妓が、「これはネ、あきないはマメにますます繁盛と読むんどすエ」と講釈してくれました。 秋がないからアキナイというのはわかりましたが、さて、アキナイがなぜ商業を意味するのでしょう。 飽きることなくマメに励むからだという説がありますが、飽きずに励まねばならないのは、商業に限ったことではありません。 「秋に担う」がつづまったという説もあります。 出来秋に収穫物を担って、里から町に売りにくるのを言うとも、出来秋の農家収入を狙って、逆に町から里へ物を売りにゆくのを指すともいいます。 どちらにせよ、「あきなう」「うらなう」「おとなう」などの変化語尾「なう」は「~する」という意味ですから、秋に売り買いするのが「あきなう」「商い」になった可能性は強い。 商売あるいは商人を意味する商賈=しょうこの商は、もともと行商のことであり、賈は店売りを指すと教わったことがあります。 商を訓ずる時、秋の行商の連想から「あきない」となったことは十分考えられます。 そして、年の初めに昭和が平成に変わり、一時代を作った人たちがずいぶん亡くなりました。 本当に昭和が終わったという感じがします。 平成元年は十大ニュースを選ぶのに苦労するほど、国内でも海外でも大事件が相次ぎました。 「商の春秋」は締め切りに追いまくられ、フィナーレを入れて114回とはよくネタがっづいたものです。 流通の分野で規制緩和が時代の潮流になってきたのも、平成元年の特徴でしょう。 消費者本位の流通という原点が示されて、日本の流通もこれからまだ、ひと皮もふた皮もむける必要があります。 天安門広場事件もありましたが、ペルリンの壁が崩れたのは、世界史的な出来事でした。 1989年はフィナーレですが、新しい時代の鼓動は確かに始まっています。商の春秋/商の始まり/倭人伝の市/目黒と目白/万葉の市/生産の詩/主計と主税/ミセとタナ/店と見世物/たまゆらの酒/富士見酒/そうは問屋が/仲間取引/江戸店もち京商人/金持ちになる妙薬/よき手代/家職三代/見直される江戸時代/大岡越前守/明治の実業家流通革命のながれ/一冊の本/アイダホーポテト/経済の暗黒大陸/上田辰之助先生/聖トマスの流通正義論/ヤンキー・ベドラー/ウィリアムズパークの町並み/小売りの輪/タテ割り・ヨコ割り/小さな小売店/グルメの流通/歯抜け商店街/競争も重量制に/ボランチャイズ/M&A/お国ぶり/日独流通協議/流通ビジョン/日米構造協議新機軸を求めて/トマト銀行効果/菊のかおり/荒尾のなし酢/物ばなれ/成長と膨張/中国皿まわし/セールスマンの死/メンデルの法則/前頭葉のあらし/歌舞伎マニア/ノリとハサミ/実験店舗は十軒/情報化の夢/ラッキョウの皮むき/無店舗小売業/エレクトロ・リテイリング/流通ロボット/エレクトロマネー社会社会は変わる/違いのわかる男たち/もぐらたたき/サービス・エース/男は黙って/営利庵/文化摩擦の背景/経営のものさし/原則のない原則/外交官とレディー/ツケ回しの合理化/危険がいっぱい/ドナウの流れ/戦争と平和/病める社会/川柳づくし/価格革命/静かな夏/国栄えて山河破る/心のオアシスぜいたくは素敵/ぜいたくは素敵/精神的高貴さ/キコさんブーム/浩宮さまのご研究/ゼミ旅行/プランドとセンス/メンドリ社会/女はなぜ買うか/祖母の生活技術/わけあり商品/銀座の柳/食は文化なり/食の東西/トンカツ型洋風化/肝っ玉おかみ/京の老舗/禁煙・僅煙・勤煙/冬虫夏草/忙しい道/文字の国私のたまり場/男の和服/私のたまり場/故郷の花/銀座の原価計算/ホットケさま/外国人ホステス/外国語学習法/民謡をたずねて/ババロア/初めての地方博/ラスベガスの思い出/ダイスの目/ハーネス・レース/麻雀の話/パチンコ/マリンスポーツ/相撲とのつき合い/三年後の国技館/フィナーレ
2020.04.25
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河岸とは川の岸のことで、特に、船から荷を上げ下ろしする所を指しています。 川岸には市場がたち、特に、魚市場の魚河岸がその中心であり、全国各地にみられます。 ここで河岸は魚市場のある河岸の意味になり、呼称は日本橋から江戸橋にかけての河岸に魚市場があったことに由来します。 ”河岸の魚”(1979年3月 国際商業出版社刊 町山 清著)を読みました。 「魚河岸」が「東京中央卸売市場」と名をかえても江戸以来魚河岸を舞台に、めんめんと引き継がれてきた河岸の魚と庶民文化についてのあれこれを紹介していまする。 魚河岸とは、江戸時代から日本橋付近にあった魚市場、つまり日本橋魚河岸と、東京都中央区築地にあった中央卸売市場、つまり築地市場の水産物部の通称でもあります。 江戸に幕府が開かれた当初、魚類は現在の芝浦一帯の地域で売買され雑喉場=ざこばといいました。 品川沖でとれた魚類はとくに新鮮でしたので、江戸の前の海でとれた魚、すなわち江戸前の芝肴=しばざかなとして珍重されました。 魚河岸は元来、摂津より来住した漁師たちが、幕府に納める魚類の残余を、市中一般に販売したのに始まるといわれます。 その後、徳川家康は江戸の繁栄策として、郷藩三河の出身者にも魚類販売の利権を与えました。 日本橋北詰から荒布=あらめ橋に至る河岸一帯に市場を設けて、各地から入荷する魚介類のうちの優れたものはすべて公儀御用としてこの市場で扱わせました。 河岸の隆昌は日を追って盛んになり、日本橋界隈は魚介専門の店やこれに関連する店などで大商店街を形成しました。 日本橋の魚市場は,慶長年間の1596年から1615年まで開かれたとされ,幕府の特許を得た魚問屋が営業していました。 江戸の隆盛とともに,本小田原町,本船町,安針町を中心として栄えました。 日本橋の魚河岸は明治時代以後も隆盛を極めましたが、1923年の関東大地震により600戸を超す卸売店、仲買店が焼失しました。 そこで、芝浦埋立地に仮設の臨時市場を設け、同年12月に築地に移転しました。 仮営業・調整の時期を経て、1935年2月に東京市中央卸売市場として本格業務を開始し、都内消費量の大半を取り扱いました。 そして、2018年10月に施設の老朽化・過密化などの理由により、江東区豊洲に移転しました。 著者の町山 清氏は明治38年6月12日浦安生まれで、天明年間より代々続く魚問屋八代目です。 尋常小学校を出て修業に入り,戦後、仲買い復活運動に功績があり、黄綬褒章,勲四等瑞宝章を受章しました。 株式会社丸清商店社長、東京魚市場大口卸協同組合理事長,魚がし会会長を務めました。 さし絵を描いた沢畑久雄氏は明治44年9月10日茨城県日立市生まれで、久慈浜水産公民学校を卒業し、昭和2年から叔父の魚問屋で修業に入りました。 株式会社佐和久商店社長、東京魚市場卸協同組合理事長、丸商水産物卸協同組合理事長を歴任しました。 私たちの身近にあった「魚」が、どんどん遠ざかっていきます。 食生活の多様化と海の汚染や200海里問題に象徴される、「魚が手に入りにくい状況」がその原因でしょう。 魚離れという言葉を聞かされると、魚と暮らしてきた著者をはじめ、河岸っ子たちは、とても悲しいといいます。 そんなおり、毎日新聞社からお魚のちょっといい話を書いてみないかと勧められ、週一回、約一年の連載で取りあげた魚は30種ほどでした。 毎日新聞連載では「四季の魚」のタイトルでした。 実際に書き進めると、細長い日本列島沿岸では、北と南では旬が春と秋で異なっていたり、とりわけ養殖や冷凍技術の発展で旬という言葉そのものが死語になりつっあることを改めて痛感したといいます。 本書では、普段よく目にする見慣れた魚だけでなく、めったにお目にかからない珍しい魚も多く取り上げられています。 四季を通して美味な鰆は、字からして春の季節感をたっぷり味わわせてくれます。 実際にたくさんとれるのは、内湾では3~4月の産卵前と晩秋で、量も大差ない。 駿河湾などではむしろ秋が主力で、この時期がうまい。 昔は、両国の川開きには、サワラの照り焼きが必ず酒の肴にあがったもので、「お盆ザワラ」といい、夏のサワラも結構いけます。 また「寒ザワラ」というのもあり、文字通り寒中にとれ、この時期のものは身がしまっています。 サワラの漁期は、春は4、5月の瀬戸内海で、晩秋は駿河湾が主力、冬の寒ザワラは相模灘、つまり小田原沖で1~3月です。 サワラはサバやカツオの一族のサバ科サワラ属で、暖流の魚です。 サバ科の魚は総じて紡錘形の典型をなすものが多いですが、サワラは細長くやや平べったくおなかか狭いので、狭腹=さわらの名がついたといわれます。 サワラの未成魚をサゴチといいますが、これもほっそりスッキリ、いわゆるる柳腰を「狭腰=サゴシ」といったものがなまったものでしょう。 関西では、成魚のサワラもサゴシと呼びます。 サワラ属の中には、今あげたサワラ、いわゆるホソザワラのほかに、やや薄べったいヒラサワラ、台湾や東シナ海にいて2米以上のウシサワラ、ヨコシマサワラ、タイワンサワラなどもいます。 サバ科の魚というとサバ、マグロ、カツオなど赤身の魚を連想しますが、実は白身の魚もたくさんいて、このサワラも一応白身の扱いです。 問屋でも、新米がうっかり乱暴に扱うと、「このバカヤロウ」と親方のバ声がとびます。 身割れさせては、二束三文の値打ちもなくなるからですが、「サワラぬ神に崇なし」などというダジャレのゆえんであります。 このためサワラを運ぶには、「サワラ箱」という特殊な箱を用いています。 江戸時代、初鰹と同様に、サワラも幕府ご指定の「お買いあげだった」、といいます。 江戸川を経て中川にさしかかると、向こう岸に葵の御紋の高張りちょうちんが二丁の舟に積んで日本橋に向かいます。 すると、役人はのぼってくる舟をめっけては船体改めで、いい魚ほどねらわれます。 お買いあげ、といっても、お役人が勝手に値決めする、いわゆる「あてがい扶持」です。 本当に幕府、つまり千代田城の御納屋の幕府調進所に納められたのかどうかも分かりませんでした。 そこで、文政12年に魚河岸の西の宮 利八以下5人の問屋主人が幕府に直訴しましたが、5人が獄死する事件がありました。 この御納屋騒動で多少改善されましたが、幕府の徴発は維新まで続きました。 この5人の義人を弔う五輪の塔は、今も両国・回向院にあるといいます。 新聞で書き残した特ダネをたっぷり書きこみ、「河岸の魚」と表題を改めた本書には、こういった興味津々のお話が満載です。河豚/鮟鱇/白魚/青柳/蛤/鰤/赤?と鮫/海老/鰹/針魚/鰆/鰯/太刀魚と鱧/蟹/鮎/鰺/鯔/鱸/烏賊/鰈・鮃/沙魚/?/鮪/梶木/鯖/鱚/穴子/鯒と女鯒/鯛/黒鯛/初荷/あとがき
2020.04.18
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1990年代とは1990年から1999年で、世界ではソ連が崩壊しアメリカの一人勝ち時代になり、後半からIT化とインターネットの爆発的普及により、ネット社会の時代が始まりを告げようとしていました。 しかし、日本では90年代を失われた10年と表現することもあるように、長期の停滞の始まりでもありました。 ”未来企業-生き残る組織の条件”(1992年8月 ダイヤモンド社刊 P.F. ドラッカー(著)/上田惇生他訳)を読みました。 1990年代の世界経済の中で企業は経営・組織をどう変えるか、ビジネスマンの心得るべき情報や知識は何か、などについて今にも通じる内容で行動指針を明示しています。 ピーター・ファーディナンド・ドラッカーは1909年オーストリア・ウィーン生まれ、ユダヤ系オーストリア人経営学者で、現代経営学あるいはマネジメントの発明者です。 ビジネス世界の新しい動向をたえず予見し、激動が続く経済や社会の中で、企業やビジネスマンに大きな示唆を与えていました。 1929年に、ドイツ・フランクフルト・アム・マインのフランクフルター・ゲネラル・アンツァイガー紙の記者になりました。 1931年にフランクフルト大学にて法学博士号を取得しました。 1933年に発表した論文がナチ党の怒りを買うことを確信し、退職して急遽ウィーンに戻り、イギリスのロンドンに移住しました。 そこでジョン・メイナード・ケインズの講義を直接受ける傍ら、イギリスの投資銀行に勤めました。 1937年にドイツ系ユダヤ人と結婚し、1939年にアメリカに移住し、処女作”経済人の終わり”を上梓しました。 1942年にバーモント州ベニントンのベニントン大学教授となり、1943年にアメリカ合衆国国籍を取得しました。 1950年から1971年までの約20年間、ニューヨーク大学教授を務め、1959年に初来日し、以降も度々来日しました。 1971年にカリフォルニア州クレアモントのクレアモント大学院大学教授となり、以後2003年まで務めました。 2002年にアメリカ政府から大統領自由勲章を授与され、2005年にクレアモントの自宅にて老衰のため95歳で死去しました。 未来学者、フューチャリストと呼ばれたこともありましたが、自分では社会生態学者を名乗りました。 われわれは未来についてふたつのことしか知らない。 ひとつは、未来は知りえない、もうひとつは、未来は今日存在するものとも、今日予測するものとも違うということである。 そして、続けて、 それでも未来を知る方法はふたつあるといいます。 「一つは、自分で創ることである。」 成功してきた人、成功してきた企業は、すべて自らの未来を、みずから創ってきました。 「もう一つは、すでに起こったことの帰結を見ることである。」 「そして行動に結びつけることである。」 これをドラッカーは、すでに起こった未来と名付けました。 あらゆる出来事は、その発生とインパクトの顕在化とのあいだにタイムラグを持つのです。 1990年代は、5つの重要な分野において、企業を取り巻く社会経済環境と、企業の戦略、構造、経営に広範な変化をもたらすことになる、といいます。 まず第一に、「世界経済は、企業人や政治家や経済学者が、今なお当然と考えているものと著しく異なったものとなる。」 経済関係は、二国間というよりは、ますます貿易ブロック間の関係となってきます。 90年代に、ECや北米自由貿易地域に対抗する東アジア貿易ブロックとも言うべきものさえ、日本を中心とする緩やかな関係として出現してくるでしょう。 相互主義は、日本および日本の後に続くアジアの虎たちのような、近代的ではあるが、非西欧型の国家を、西欧主導型世界経済の中に融合させるための方法です。 第二に、「企業は、株式参加、業務提携、国際共同研究開発、共同販売、共同出資による子会社の設立や特別プロジェクトの実施、クロスライセンス等の提携関係を通じて、自らを世界経済へ融合させていくことになる。」 提携先は必ずしも企業に限らず、大学、医療関係機関、現地政府など、企業以外のものも多いです。 この傾向の原因はいくつかあり、多くの中堅企業はもとより、小企業でさえも、世界経済の中で活動していかざるを得なくなるという現実があります。 市場も同様に急速に変化し、融合し、交差し、互いに重複してきています。 第三に、「近代的企業組織は、1920年代に誕生して以来発展を続けてきたが、90年代には、過去一度も見られなかったような根本的な再構築を迫られることになる。」 仕事のあるところに人が移動するのではなく、人のいるところに仕事が移動するようになります。 また、いかなる意思決定も必要としない仕事や、直接人と会う必要のない仕事、つまり事務的仕事の大部分は、少なくとも欧米諸国では、今世紀末までに、外に移されていきます。 生産性の向上のためには、サービス業務を独自の昇進制度を有する独立の外部組織に委ねることが必要になります。 企業組織については、企業の大きさがこれからの10年間において、戦略上、重要な意思決定問題となってきます。 規模の大きさが企業に与えてきた優位性は、誰でも経営と情報を利用できるようになったことによって、大きく減少してしまいました。 企業の経営陣たるものは、ますます自らの適正規模、すなわち自らの技術、戦略、市場に合った規模を決めなければなりません。 第四に、「企業の統治自体が問題となる。」 株式を公開している大企業の所有権は、労働者階級の代表つまり年金基金と投資信託に移りつつあります。 ここ数十年におけるもう一つの基本政策、すなわち世界的規模における市場経済の復興も、際立った成功を収めました。 しかし、今までとは全く異質の新しい問題が生じつつあります。 環境、テロ、第三世界の世界経済への融合、核兵器と生物化学兵器の封じ込めと廃絶、軍備競争のもたらす世界的汚染の管理などです。 これからの10年は、政治的な不連続性の時代となり、今後はますます、国際的あるいは超国家的な政治問題が上位の問題となります。 本書は、組織にあって、日々の仕事を行なっている企業人に焦点を当てたものです。 各章は広範なテーマを扱っていて、しかもそれらは、執筆時からの5年間にわたって書かれたものです。 前方にいかなる変化か待ち受けており、それらの変化が、経済、人、市場、経営、組織に対し、いかなる意味をもっているかについて、理解を深めようと試みています。 また、どこで何をし、どこで何をやめるべきかについて、明らかにしようとしています。1部 経済(未来はすでに到来している/経済学の貧困/国境を越えた経済/貿易から海外投資へ/アメリカの輸出ブームの教訓/低賃金/90年代のヨーロッパ/検証を必要とする日米貿易関係/戦後日本の卓越した武器/日本と日本人についての誤解/ラテン・アメリカを助けることが自らを助けることになる/メキシコの切り札)2部 人(生産性の新たな課題/企業リーダーの神秘的特性/リーダーシップー格好よりも行動/人、仕事、そして都市の未来/ブルーカラー労働者の凋落/就業規則と職務制限を廃止せよ/共産主義官僚から経営管理者へ/中国の悪夢)3部 マネジメント(これからのミドル/上司の管理/アメリカ自動車産業の病いの原因/日本の新しい企業戦略/外を歩き回ることによる経営/企業文化/恒久的コスト削減/非営利組織が企業に教えるもの/非営利組織の統治/非営利組織による革命)4部 組織(会社の統治/未来のマーケティングに関する4つの教訓/企業の成績/研究開発/文書配送室を外に出せ/効果的な研究開発のための10のルール/「進歩のための同盟」への傾向/資本主義の危機/製造の新理論)終章 1990年代とその先
2020.04.11
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防災とは、狭義には、災害予防及び災害応急対策をまとめた概念であり、広義には、これに災害復旧、すなわち被災前の状態に戻す意味を含めます。 ”東京防災”(2015年9月 東京都総務局総合防災部防災管理課刊 東京都著/かわぐちかいじ寄稿)を読みました。 各家庭において首都直下地震等の様々な災害に対する備えが万全となるよう、一家に一冊常備され日常的に活用できる防災ブックです。 災害の概念は広く、自然災害のみならず、人為的災害への対応も含めることがあります。 類義語として、防災が被害抑止のみを指す場合に区別される減災、防災よりやや広い概念である危機管理などがあります。 災害の防止策には被害抑止策と被害軽減策の2つがあります。 被害抑止策は被害が生じないように講じる対策で、土地利用の管理、河川の改修、建物の耐震化、災害の予報・警報などがあります。 被害軽減策は被害が生じてもそれを少なくし、立ち直りがスムーズになるよう講じる対策で、災害対応マニュアルや防災計画の作成、防災システムの開発、人材育成、災害の予報・警報などがあります。 次に、災害発生後の対応には応急対応と、復旧・復興対応があります。 応急対応は、救助、消火、医療、避難所の運営などであり、復旧・復興は、住宅や生活の再建、心のケアなどです。 また、自然災害のメカニズムやそれを抑止する技術の研究、災害予測、防災教育などについても知っておくことが重要です。 行政や企業などの組織が行う総合的な防災では、知識や技術、資金や利害関係の調整が求められるため、経営管理的な視点が必要となります。 この分野において、防災はクライシスマネジメント・リスクマネジメントの一部として認識されています。 災害対策基本法では、災害の応急対応はまず市町村が責任を負うことと規定しています。 市町村長には、関係機関や住民に災害の通知をする責務、避難勧告や避難指示、警戒区域の設定を行う権限、災害拡大防止のために物件を取り壊すよう要求する権限が与えられています。 また、都道府県は、市町村の後方支援や調整を担い、災害救助法に基づく事務も担うほか、被災により市町村が機能しなくなった場合には措置を代行することが認められています。 国は都道府県や市町村の更なる後方支援を担います。 また、国の機関である気象庁は気象・地震・火山などについて予報や警報を発表する義務を負っています。 災害時の対応は主体の違いにより、自助、共助、公助の3つに区分することができます。 自助では自ら対応し、共助ではご近所などの共同体で助け合い、公助では消防や自治体に助けてもらいます。 共助には、ご近所同士のように目に見えて組織化されていないものと、消防団や水防団、自主防災組織のように組織化されているものとがあります。 近代法が成立した国家では、政府や行政による公助の考え方が浸透しました。 市民と行政の役割分担が強化された現代では、日常生活で行政に依存する部分があり、災害時にもこの延長として市民は公助が機能することを期待します。 しかし、災害時には公助は限定的にしか機能しない上、災害が深刻であるほど公助の機能は低下します。 特に瞬時に大量の被災者が生じる地震の場合は顕著で、自助、共助の重要性は高いです。 「東京防災」は、東京の地域特性や都市構造、都民のライフスタイルなどを考慮し、災害に対する事前の備えや発災時の対処法など、いざというとき役立つ情報を分かりやすくまとめた防災ブックです。 紙版「東京防災」、ビニールカバー、オリジナル防災マップ、ステッカーなどのA5判の段ボール製のパッケージが、平成27年9月1日より順次配布されてきました。 東京都は都内の全世帯配布用として紙版「東京防災」を750万部作成しましたが、このうち予備の3万部が11月16日から市販されすぐに完売となりました。 28年3月1日から増刷分が全国の販売店で市販(税込143円)され、令和元年10月1日時点で1冊130円(本体価格)に消費税を加えた価格で販売されています。 PDFなら、東京都のホームページ(https://www.bousai.metro.tokyo.lg.jp/1002147/1006044.html)にて無料でダウンロードできるといいます。 この東京仕様の防災ブック「東京防災」の活用により、世界一安全・安心な都市“東京”の実現に向け、都民の「自助・共助」の力をさらに向上させていくとしています。 なお、東京都のオリジナル仕様ですが、他の地域でも活用できる情報満載です。プロローグ01 大震災シミュレーション/地震発生(地震発生その瞬間)/発災直後(発災直後の行動/自宅に潜む危機/外出先に潜む危機/発災時のNG行動)/避難(避難の流れ/避難の判断/避難するときの注意点/安全避難チェックポイント/助け合う)/避難生活(在宅避難/避難所/避難所生活の心得/避難所生活での留意点/要配慮者への思いやり)/生活再建(日常生活に向けて/生活再建に踏み出す/コラム・被災者の声に学ぶ/防災おさらいクイズ/地震そのとき10のポイント)02 今やろう 防災アクション/今やろう!4つの備え/備蓄(物の備え/最小限備えたいアイテム/備蓄ユニットリスト/非常用持ち出し袋/コラム・日常備蓄)/室内の備え(室内の備え/防止対策のポイント/移動防止器具・落下・転倒/転倒等防止対策チェック/耐震化/防火対策/水道の点検・ガス・電気/コラム・耐震シェルター)/室外の備え(室外の備え/地域の危険度を知る/火災から身を守る場所/コラム・防災公園)/コミュニケーション(コミュニケーションという備え/防災ネットワーク/マンションの災害対策/会社の災害対策/安否確認と情報収集/防火防災訓練/防災市民組織/消防団/コラム・災害図上訓練/防災おさらいクイズ)03 そのほかの災害と対策/大雨・暴風/集中豪雨/土砂災害/落雷/竜巻/大雪/火山噴火/テロ・武力攻撃/感染症/コラム・東京の活火山/防災おさらいクイズ04 もしもマニュアル/緊急(心肺蘇生法/止血/捻挫の応急手当・骨折/切り傷の応急手当/やけどの応急手当/傷病者の負担を軽減する/傷病者の体位管理/傷病者の搬送法/包帯の代用/消火器の使い方/屋内消火栓の使い方/スタンドパイプの使い方/可搬式消防ポンプの使い方/新聞紙で暖をとる/体温を調節する/足を保護する/脱水症状を防ぐ)/衛生(水道水の保存方法/水の運び方/断水時のトイレの使い方/簡易トイレの作り方簡易おむつの作り方/布ナプキンの作り方/少ない水で清潔を保つ/ハエ取り器を作る)/生活(簡易ランタンの作り方/乾電池の大きさを変える/食器の作り方/簡易コンロの作り方/パーテーションを作る/リュックサックの作り方/簡易ベッドの作り方/枕の作り方・クッション/ロープの結び方/避難生活で行う体操/子供の遊び/身近な素材の活用術)/連絡(災害用伝言ダイヤル/災害用伝言板)/ワークショップ(家族でやろう防災アクション/地域でやろう防災イベント)05 知っておきたい災害知識/知識(地震の知識/津波の知識/台風・大雨の知識/さまざまな気象情報/過去の大規模災害)/書類(生活再建支援制度と手続き/日常生活の支援制度)/医学に関する知識/ボランティアに関する知識/インフォメーション(緊急連絡先/防災に関するお問い合わせ/災害対応イエローページ/ピクトグラム凡例/東京の一日/災害時に配慮が必要な方に関するマーク等/災害時活動困難度を考慮した総合危険度/大震災発生時の交通規制/全国から見た東京/LET'S GET PREPARED 外国人向け今やろう/ENGLISH FOR EMERGENCY 非常時に使える英会話)安全のしおり(家族で今やろう/自分の情報/家族の情報/メモ)・インデックス(用語解説インデックス/世帯別インデックス/場所別インデックス)・奥付漫画(大地震発生の直前から直後までの東京をリアルに描いたオリジナル漫画です。自分自身に置き換えて想像し、アクションを起こそう)/TOKYO“X”DAY(かわぐちかいじ)
2020.04.04
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