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2月28日金曜日。2月は今日で終わり。想定外の寒さが起こって困ったが何とか3月を迎えられそうだ。朝は冷え込んで油断できない寒さだったけど、午後は予報通り気温が上がって温かくなった。以前から気になっていた鷺沼の造成地を彷徨ってみた。以前ここは農地でよくウォーキングに出かけていたのに、最近は再開発事業で立ち入れない地域があり、その中が一体どうなんてるのかとても気になっていたのだった。自宅からすぐの陸橋が通行止めになっているので、はるばる鷺沼小下の道から農地に入っていった。至る所にロープが張られていて長閑な農地の雰囲気が様変わりしていた。重機も入って造成をしていた。ずっと先には幕張新都心の高層ビルも良く見える。 あのヒマワリ回廊があった農地がこんなことになっていて私は唖然とし、かなりがっくりもきた。でも市の再開発計画の一環で止むをえないのだろうな。憂鬱な気分になりながらも歩ける地面を探してうろつき回り、最後には以前にも来たことがある山縣飛行士殉空の碑を見つけてほっとした。周囲には栴檀の大木があってその黄色い実が樹上には盛大に実をつけ、地面にも無数に転がっていた。全く無人の荒れた荒野の雰囲気に呑まれて荒野好きの私もかなり空しかった。 山縣飛行士殉空の地碑と栴檀の木でも気になっていた再開発地帯の現在を見て、一応納得はした。あのヒマワリ回廊は蘇らないけど地域の発展のためにはしかたないのだと自分を納得させた。
2025年02月28日
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2月22日から24日は三連休だったが最強寒波が襲来した。にもかかわらず娘家族はその寒さと積雪の長野県を訪ねたという。以前から松本城には行きたかったとのことで松本城の写真を送ってくれた。私は数えきれないほど松本を訪ねているがこの時期には行ったことがないので松本城がどんな感じなのか興味深かった。 柳の枝が垂れ、雪もない松本城 松の木には雪吊りが作られている 松本城入口 天守閣の中長野県はかなりの積雪があったと思うが松本市はほとんど大丈夫だったのだな。ここ以外にも梓川の流れを観にいったという。娘の名前はこの川から取ったのだが、この写真のようなちゃちい川のイメージではなく、上高地の河童橋付近を流れる世にも美しい清流の梓川だ。でも娘が自分の名前が付けられた梓川を探しに出かけたことはとても素晴らしいことだと思う。いつか機会があれば娘と上高地を流れる本当の梓川を訪れたい。 ちょっとイメージとは異なる梓川
2025年02月27日
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2月26日水曜日。仕事を休んで夫を病院へ連れていった。このところ頻尿の訴えが強くあり、前回に続き2回目の通院である。朝イチでまず三橋病院へ行っていつもの薬をもらう。ここまでは順調だった。次は津田沼中央総合病院へ。10時の予約で頻尿の治療だ。まず超音波の検査をする。夫はその間にも何度もトイレに行く。次にドクターの受診を受けた。超音波検査の結果は前立腺の肥大があるが癌ではない、しかし直腸に腫瘍があるので消化器外科を受診してくださいとのこと。頻尿の治療薬を処方してもらった。消化器に回ったがドクターが一人しかいないということで長く順番が回ってこず、長時間待たねばならなかった。私は脊椎菅狭窄症のしびれが出てきてじっと椅子に掛けてるのがものすごく辛かった。珈琲でも呑んで気晴らししたかったが順番がいつ来るかもわからず、離席も難しかった。やっと消化器科の順番が回ってきて、若いドクターが肛門から触診してくれたが、何もないと言う。じゃあ、CTを撮ってみましょうと言われて、CT室へ回った。ここでまた順番待ちをしてCT撮影。夫はヨチヨチ歩くのがやっとで動作がものすごく遅い。衣服の脱ぎ着は更に時間がかかる。撮影着に着替えさせたが、撮影技師さんたちもなかなか手間がかかったことだろう。やっと「これで終わりです」と言われ、会計で待ち、薬局で薬をもらって終了した。朝から飲まず食わずで院内のあちことを回っていたので、ひどい空腹だった。院内のストアでサンドイッチを買って夫と食べた。帰宅したのは午後3時だった。朝8時から午後3時まで7時間に渡る病院通いだった。夫も私も疲労困憊してものも言えなかった。
2025年02月26日
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2月24日水曜日に花嫁街道から烏場山にハイキングした。下りは花婿コースを経て黒滝に降り、そのまま抱湖園(ほうこえん)に下った。前回来た時は黒滝から道なりに下っていくと自然に抱湖園に到着したのに、今回は黒滝に直接降りれなかったことですごく遠回りし、地元の人に聞きながらやっとたどり着いた。でもここまで来て抱湖園の元朝桜を見ないで帰ることはできなかった。予想通りと桜の花が全山に広がって薄いピンク色に山が染まっていた。何とか優雅な景色でこのピンク色の山腹を観たらだれでも吸い寄せられてしまうだろう。桜の花は満開を過ぎて爛熟傾向だった。 桜の枝に小鳥が沢山留って飛び回り、春爛漫の風景だった。風が吹くと花びらが舞って一段と春の風情を感じさせてくれた。寒かったのでランチを取る場所がないままで下山したので、桜の木の下に座っておむすびを食べた。目の下には房総の青い海が広がっていた。のどかだった。抱湖園からビニールハウスの連なる道を下って海側の道に降りた。以前はビニールハウスにも花が咲き乱れ、路地にもストックやキンセンカなど色とりどりに花が咲き乱れていたが、今はあまり花が無かった。地元のおじいちゃんに聞くと、数年前の台風の被害と高齢化でビニールハウスの花卉栽培をする若い後継者がいなくなったのだと言う。ここ数年の間に様変わりしてしまったのだった。花のない路地にはソテツが巨大化していた。赤い実がなっていて珍しかった。海岸通りには菜の花がいかにも当たり前に沢山咲いていた。先日吾妻山でも菜の花を観たが、ここの菜の花は日常だった。 ソテツ畑とソテツの実 一面の菜の花地域の変化を目の当たりにする抱湖園訪問になった。この後、再び和田浦駅に戻って3時間かけて帰宅した。地元だけど遠い南房総のハイキングが終わった。次行ける日があるだろうか。
2025年02月25日
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2月24日月曜日。天皇誕生日の振替休日。今日は天気がイマイチ安定性に欠けたし大寒波の最終日ではあったが、雨は降らないので超久しぶりに南房総の花嫁街道(烏場山)にハイキングに出かけた。地元千葉県の手軽な山なのだがアクセスに時間がかかるのが難点、最寄り駅をこの寒空の中、早朝5:33分に出て登山口のある和田浦に到着したのは8:35分である。地元の山で3時間もかかっている。和田浦駅はフェニックスが延び延びと青空にそびえる南国的雰囲気の駅だった。駅前から40分ほど車道を歩いてやっと登山口に到着。山道に入り、樹林帯を登っていく。第一展望台⇒第二展望台⇒経文石⇒ジガイ水⇒駒返し⇒見晴台と次々と目安となるものが登場してよいアクセントになった。地元山岳会の皆さんが完璧は道標を作って下さっている。南房総の温暖な気候なので植生も奥武蔵など同じ低山でも少し異なっていて、スダジイのトンネルなど特色ある樹林帯だった。 烏場山遠望 スダジイの林 真っ赤な青木の実日当たりのよい地点では少し温かかったがこの日は冷たい北風が絶えず吹いてすごく寒かった。南房総にいる実感が全くなかった。やっとたどり着いた烏場山山頂は折よく晴れて青空が広がって気持ちよかった。ハイカーは少なく群馬から来た女性2人、茨城から来たご夫婦の4人しかいなかった。 山頂にあるおふく人形 多数の標識が並ぶ烏場山山頂 富士山と富山が縦に並ぶ北風の寒さにめげてすぐに移動し、下りは花婿コースで下山。穏やかな登り下りを繰り返す。黒滝に降りたかったのだが道の崩壊のため下れなかった。それでも諦めきれなかった私は下山した道からぐるりと回り込んで黒滝まで川沿いを登った。黒滝は以前よりすっかり小さくなり水量が減っていたが、周辺の流れは人が入らなくなったこともあるのだろう、とても美しかった。 参考タイム 最寄り駅8:33⇒千葉・君津⇒和田浦8:35 8:45⇒登山口9:20 9:25 ⇒第二展望台9:03 9:10 ⇒烏場山11:22 11:30⇒黒滝⇒花園広場13:16
2025年02月24日
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2月22日土曜日。吾妻山から下山して帰路に向かう途中、横浜で下車して山岳カメラマン・渡辺幸雄さんの写真展に行った。会場はカモシカスポーツ横浜店である。カモシカスポーツ横浜店は巨大だった。いつもいくのは高田馬場店でもっとこじんまりしている。その2階が写真展会場だった。渡辺幸雄さんとは3年ほど前、まだ篠原ガイドが存命のころ、北アルプス槍ヶ岳付近で橋尾歌子さんと一緒にいた所で遭遇した山岳カメラマンだ。今回の写真展は柏澄子さんのFBで知り、丁度花の季節の吾妻山とペアで訪ねたのだった。「山と渓谷」で観ていた低地オーロラの写真、黒々としたシルエットの滝谷の背後に広がる天の川、穂高山脈の端から端までを写した長大な写真などいずれも素晴らしいものだった。いわゆる山岳美だけを強調したものではなく、山岳と星や空に愛着と憧憬をもって作品が作られている独特の世界だった。 滝谷と天の川 低地オーロラ渡辺さんともコーヒーを吞みながら(カモシカスポーツはコーヒーがフリーサービスされ、しかもそれが本格的で美味しい)色々山の話や友人の情報で盛り上がり、とても楽しいひと時を過ごせた。こんな一流かつ有名山岳写真家ときさくに話せるなんてとても嬉しい。 渡辺幸雄さんと 来訪者で賑わっていました
2025年02月23日
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2月22日土曜日。朝から元気が出ないでグズグズしていたが、やはりこんなに天気が良い休日にぼんやりしていてはダメだと思い直し、スタートが遅くなったものの東海道線二宮駅から一登りで行ける吾妻山へ向かった。三連休とあって電車はかなり混んでいた。二宮駅から役場コースで30分ほど、300段の階段を登る。坂道の両側には水仙が群生してかぐわしい香りが漂い、とても優雅な気分を味わった。途中にある浅間神社をお参りし、水仙の道を登りきると広大な芝生が広がる山頂へ到着した。 吾妻山役場コース口登山口 水仙の群生 浅間神社 菜の花のはるか向こうに少し雲がかかった富士山が見えた。相模湾なのか海も広がっている。 真っ黄色の菜の花が一面に咲き広がっていて甘い香りが漂っていてとても気持ちが良かった。ミツバチなら吸いにいくような甘さだった。花に海も山も広がって開放感たっぷりだった。大勢の皆さんが思い思いに休憩してランチを広げていた。帰りは梅沢口へ下山、昔ながらの参道が続き、途中に吾妻神社があった。そこに何と河津桜が満開になっていて超嬉しかった。温かい湘南の地だということを実感させられた。 河津桜咲く吾妻神社
2025年02月22日
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2月21日金曜日。午前中は家事とウォーキングして寛いだ。どこの街角にも梅の花が満開だった。午後は月イチの押し花教室で八千代台まで出かけた。今日からは新しい作品を始めた。今年の干支にちなんだ蛇をテーマにした小品だ。小さな蛇の形をトレーシングペーパーに写し、薄紙花シールに乗せて押し花を置いていった。胴体はまだ良かったが眼玉が小さくてとても難しかった。目玉で表情が変わってくるので可愛い蛇にしたいと思って、あれこれ目玉を工夫したものの、あまり可愛い目玉にならなかった。 見本 蛇ガール 二匹作ってみました。次回は蛇の胴体に模様を付けたりヘアー飾りをつけたり少し可愛く見えるように花を加えていこう。大きな作品は手間がかかるが小品もそれなりに細かくてなかなか難しい。
2025年02月21日
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2月20日木曜日。3週間ぶりに出勤して職場復帰した。改修中で足場だらけだった体育館は改修が終わっていて美しい外観を春の日の中に輝かせていた。白の外壁にブルーの差し色が上品だ。このブルーは袖ケ浦の波を表現しているらしい。中庭のあちこちに紅梅や白梅が満開になっていて平和そのものの風景だった。ああ、これが学校だと感じた。 自分の持ち場に行ってみたら黒板に温かいメッセージが描かれ、ハート型の綺麗な色の折り紙が貼られていてすごく嬉しかった。心が温まった。気持ちよく迎え入れて頂いて感謝の念で一日仕事した。やはり私は仕事が好きだ。学校が好きだ。
2025年02月20日
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2月19日水曜日。今日は病院通いもなく平穏な一日だった。予定が入ってないと落ち着かずあれこれ動くのに予定がないとほっとする。近くの梅林公園に地元の梅を観にいった。全体的には七部咲という感じだったが白梅と紅梅それに緑色した梅の花などもあって梅林公園ならではだった。 薄緑色の梅の花 こんな花も咲いていた公園でしばし観梅した後は花咲エリアをウォーキングし、最後はプラッツ習志野にたどり着いた。図書館脇の珈琲専門店「フィロコフィア」でカフェオレを呑んだ。ものすごく濃厚でミルクの濃さが際立っていた。表面にミルクで描いたチューリップ模様が浮き出ている。面白いのはこれが呑んでも量が減っても型崩れしないの残っていたことだった。とても不思議に思われた。 最初 カップ満量の模様 残り2センチ程度まで呑んだ時の模様その後は図書館で雑誌を沢山読んで寛ぎ、更に行きつけの美容院でパーマを当て髪をカットして明日の出勤に備えた。
2025年02月19日
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2月18日火曜日。二月も半ばを過ぎてる今になって最強寒波が1週間も居座るという。今日は予報通り冷たい風が吹きすさぶ寒い日だった。でも外に出なければ被害は少ないのでまず形成外科で眼瞼下垂手術後のケア。ドクターが私の眼の写真を撮って終わり。登山の話をちらっとして「もう年なので」とか言ったらドクターは「私は昭和17年生まれですよ」と言う。驚いた。外見的には髪は黒く皮膚は艶がよく皺もない。朝は8時から診察開始している。私より5歳年上の83才くらいだろう。そんな年齢で眼瞼下垂の手術をしている。すごいドクターだと感心してしまった。弱音をはく私に「私より5歳も若い。自分で自分を年寄だと決めつけないこと」と彼は私に言った。ちょっと目が覚めた。このところ膝がきしみ、脊椎菅狭窄症のビリビリジンジンが続いてしんどい日が続き、すっかり気弱になってしまっている私。以前の意欲に満ちた自分とは別人のような老人モードに陥っていて、年なんだからこれでいいんだよと年齢を受け入れてしまっている。5歳も年上の現役ドクターから良い刺激をもらった。体の不具合を直してまた登りたい山に登れるようにしようじゃないか。そうじゃなきゃ私じゃないよね。帰りにパティシエ横山によってケーキを奮発し、帰宅後3人でお茶した。たまにはよい。
2025年02月18日
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2月16日日曜日。前半は三浦アルプスをハイキングして疲れたが、午後はそのまま逗子駅に戻り、再びバスに乗って20分足らずの距離にある神奈川県立近代美術館葉山館を訪ねた。三浦アルプスとセットになっている美術館だ。所が改装中で常設展などはなく、栗本隆という人の企画展だけだという。止む無くその企画展を観た。近代美術なのでこの分野は着想がものを言う。この栗本さんも常人なら思いつかないような作品を造っていて、改めて近代アートとは何かと考えさせられた。老化は体力だけではない。美的な感受性もどんどん失われて美に対しても鈍化してきている。今日はちょっと鈍化した感性に刺激を入れた。 神奈川県立近代美術館葉山館外観 栗本隆 企画展ポスター 栗本さんの作品 船らしい ポスターに載ってる作品のミニチュア屋外にも彫刻など何点か常設の作品があってこちらは馴染みがあって親しみを持てたし、良さが分かった。 柳原義達 裸婦 座る 石人 イサム・ノグチこけで
2025年02月17日
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2月16日日曜日。やっと自分の時間を確保できて春先に適した三浦半島のハイキングに行ってきた。早朝5時47分の電車に乗って総武線快速で一直線で逗子駅まで。このシンプルさが良い。逗子駅からバスに乗って葉山マリーナなどヨットで賑わう葉山の海を眺めながら登山口へ。これも楽しみの一つ。坂の上の真っ白な葉山教会からスタートした。まだ9時前なので男性が一人いただけだった。一登りして仙元山。山頂のすぐ下に設置されたブランコに乗って海を見ながら漕ぐのが毎回の楽しみ、至福のひとときを味わう。一枝だけど河津桜が可憐な花をほころばせていたのも嬉しい。 葉山教会 ブランコに揺られて 河津桜そこから本格的な登山道に入り、登り下りを続けて数えきれないピークを踏んでいく。三浦アルプスはご当地アルプスではあるが、タイガーロープが張られている箇所が無数にあるため侮れず、けっこうなトレーニングルートになっている。観音塚で石仏を拝み、そこからは忍の一文字、篠竹のトンネル、椿のトンネル、大桜などポイントを確認しながら無限の登り下りを続けて乳頭山まで。 篠竹のトンネル 椿のトンネル 乳頭山頂乳頭山で横須賀港のひろびろとした景色を眺めながら、ささやかなランチで一休み。次はすぐ下にある田浦梅林めざしてこれまた急下降して着いた梅林は三分咲というところだったが、部分的に紅梅白梅が美しく咲いて目を惹いていた。あたりには芳香が漂って高貴な雰囲気を醸し出していた。 横須賀港の眺め 田浦梅林本日の前半はここまで。後半は神奈川県立近代美術館葉山館を訪ねた。参考タイム 最寄り駅5:47⇒逗子駅7:34⇒風早橋8:00⇒仙元山8:30 8:45⇒ 観音塚⇒大桜⇒乳頭山11:59 12:15⇒田浦梅林
2025年02月16日
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2月14日金曜日。今日は面倒なタスクを三つもやった。まず朝10時から夫のデイケア施設の管理者が変わるので新しい施設管理者が我が家に訪れて説明と契約。これに90分ほどかかり押印して終了。次は市役所に行って世帯主分離と健康保険の支払者の変更。これも手間がかかった。大仕事を二つ片付けたので本日はこれでおしまいにしても良かったのに、かねてより気になっていた自分の膝の根本的治療を目指して、その道で超有名な船橋整形外科まで車で行った。これが想定外に時間がかかり、疲労困憊した。この病院は最近新しくクリニックを増設し、外来はクリニックで、入院は病院でと言う風に変化していた。初めて訪ねるクリニックは巨大で何もかもスマート対応になっていたが、スタッフの対応が丁寧なので困ることはなかった。 船橋整形外科クリニック 受付付近 受診告知板しかし莫大数の患者が押し寄せるため、待ち時間が長すぎた。受付時間が15時12分、ドクターが診察を開始したのが18時45分!!!。3時間半も待っていたことになる。座り続けているとどんどん腰が痛み、膝から下に脊椎菅狭窄症の神経症状が出てきてとても辛い。止むなく、院内の廊下をうろついた。超一流病院だけあって、ここで怪我など対応している有名スポーツ選手やチームの写真が沢山展示してあった。 オリンピック体操チームと千葉ジェッツやっとお目にかかった初見の上野圭信ドクターは適格でさすがと思った。膝を触診して水が溜まっているかもしれないとレントゲン撮影を指示し、結果、私の骨は年齢を考慮すると素晴らしい骨だとほめられた。しかし骨は良くても周辺の軟骨や半月板など中がボロボロになっている可能性があるという。そこでMRIを撮影することになり、一か月後に予約を取った。会計が済んで全てが終わったのは20時半頃だった。さすがにもう患者は数人しか残っていなかった。帰宅したら夜の9時前、疲れすぎて何もする気になれなかった。超有名一流病院を受診するにも体力がいる。
2025年02月15日
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2月13日木曜日。ものすごい強風が吹き荒れた一日だった。千葉県下あちこちに強風注意報が発令されていて、わが市より更に酷い強風で黄色い砂嵐が吹き荒れていた街もあった。しかし強風にめげて行動しないのはもったいないと思い、免許証更新のために幕張の免許センターに行った。我が家の車は軽で軽いのでこういう強風の時は吹き飛ばされそうになる。できるだけスピードを上げず慎重に運転して何とか目的地に到着した。免許センターでは既に高齢者講習や認知機能検査など教習所で受験済みなのでスムーズに進んだ。視力検査と写真を通過すればオーケーだった。 最後に部屋に集まって新しい免許証が出来上がってくるのを待った。出来上がった免許証は眼瞼下垂手術後の腫れぼったい瞼のままで写った写真になっている。でも小さい写真だからまあ、いいやという気分だった。さあ、これからも無事故・無違反の安全運転で3年後の更新を迎えたい。
2025年02月14日
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2月12日水曜日。本日めでたく眼瞼下垂手術後の抜糸が終わった。朝8時半の予約だったのであさイチでドクターが瞼の糸を抜いてくれた。チクチクと痛かったり糸を抜くような動作や鋏で切るような音もした。でもあの手術の痛みを考えればこんなことは何てことはない。ドクターが抜糸した糸をガーゼに乗せてものをくれた。とても小さく細かい。改めてじっくり鏡で顔を見てみたら、左目がいかにも作りましたというような怖い瞼になっていて嫌悪感を感じ、すぐサングラスをした。1か月ほどで落ち着くとのことだったがこの瞼になるのだろうか。自分のイメージではないような目元になっている。病院の手術例の写真では3か月後の顔写真が掲示されていたのでやはり3か月ほどかかるのだろうか。とすると4月ということになる。けっこう試練だな。
2025年02月13日
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2月11日火曜日。宝登山で蝋梅の圧倒的な量と花を一人で心ゆくまで楽しんだ。晴天で奥武蔵の山並みがクリアに見えた。ギザギザの稜線が特徴的な両神山、よく登る武甲山の三角形の山容など異なる方向から見る山は新鮮だった。 蝋梅と武甲山日当たりの良い斜面でランチした後は宝登山神社奥宮を訪ねた。参拝に長い行列ができていて驚いた。高尾山並みだ。ここの狛犬は狼で、私はこれが大好きだ。前回初めて見た時はその姿から何とも言えない神秘性と未来永劫のようなものを感じて強い感銘を受けたが、今回はその独特の表情に目がとまった。この狼は若いのだろうか、可愛い顔に見えて愛おしかった。 奥宮の狛犬(狼)名残惜しい気持ちではあったが、下山にかかりドロンコの坂道を滑らないように歩いて山麓まで下り、長瀞にある宝登山神社に寄った。こちらも素晴らしいものだ。秩父三大神社の一つで手の込んだ彫り物が色鮮やかなで豪奢だった。 宝登山神社の彫り物ここにはヤマトタケルが禊をした井戸というものもあって驚いた。ホントか?見どころ満載の神社を出て最後は旅の終着地・秩父鉄道長瀞駅まで歩いた。ユルユルハイキングだったけど久しぶりだったこともあってけっこう疲れた。でもすごい気分転換になった。 小さく可愛い秩父鉄道・長瀞駅
2025年02月12日
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2月11日火曜日。建国記念日。やっと重い腰を上げてリハビリハイキングに出かけた。訪ねた山は蝋梅の花が満開の宝登山で長瀞アルプスルートを歩いた。熊谷駅から超ローカル線秩父鉄道に乗ったらハイカーばかりでその8割が宝登山登山口のある野上駅で下車した。ハイカーの列が見えなくなることはなかったので道に迷うことは全くかった。それに以前来た時より指導標など整備が進んでいて何の不安もないルートになっていた。野上駅から少し車道歩きをし、樹林帯に入ってしばし急坂を登る。その後穏やかな登り下りの続くいわゆる長瀞アルプスで快適に歩ける。しかし今日は陽射しはあるが、冷たい強風が吹き付け、ものすごく寒かった。目の術後の抜糸もまだなのでサングラス、幅広ネックゲーター、手袋、耳当て付き帽子となりふり構わない防風対策で行動した。 落葉した樹林帯を登る 宝登山直下の階段 宝登山頂最後の急坂の階段を登りきると宝登山頂で思わず「おおっ!」と声を上げるほど見事な蝋梅園が広がっていた。甘い香りも漂っていた。蝋梅が段々のなった斜面に何百本も黄色い花を咲かせていた。惜しげもなく明るい花を見せていて気持ちよかった。 見事だった。多分最も最盛期で花盛りとはこの時期になろう。沢山の人が詰めかけても止むを得ない。青空の元に黄色い花が映えて最高だった。
2025年02月11日
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2月10日月曜日。裏日本の皆さんには申し訳ないほど連日晴天が続いている。今日もまたロングウォークを試みた。耳当て付き帽子、ネックゲーター、手袋、サングラスの完全防備をし、最近新しくロングウォーク用に買ったミニリュックサックを背負っていざ、出発。本日も行く先を決めず、可能な限り知らない道を歩き、総歩数2万歩以上を目標に置く。歩いた道は自宅⇒梅林公園⇒花咲迷路⇒屋敷近隣公園⇒天津神社⇒幕張台公園⇒屋敷農地⇒千葉市幕張農地⇒幕張の住宅⇒屋敷近隣公園⇒プラッツ中央図書館⇒自宅 20712歩。予測外のことも起き、困惑した。花咲方面の道をヨチヨチ歩いていたら、下痢になり、公園のトイレを探したが公園そのものがない。どうにもならず茂みを探して難を逃れたが手を洗えない。やっとのことで幕張台公園にたどり着き、手も洗ってひとごこち着いた。ヤレヤレだ。冷えるせいか最近下痢が続き、困っている。 家族の姿も見えた幕張台公園 青空がご馳走だその後、どこに行こうかと思案し、天津神社に足を延ばした。創建600年らしいがとても小さな氏神様が鎮座ましましていた。素朴さが良かった。 天津神社 ビニールハウスが並ぶ農地そこからは屋敷の奥の農地に入った。まるっきり知らない土地で畑しかなく心もとなかったが道があるんだからどこかに出るだろうと気楽に考えて歩いた。屋敷の先は千葉市幕張の農地かつ荒れ地かつ造成地だった。農地の間はのどかで空気も澄んで清々しかったが、造成地には重機が入り巨大な穴と盛り上がった土で荒涼としていた。もう午後2時近くだったので何とか自宅に帰れる道を探さねばと真剣に道を探した。ついに花見川の支流を発見し、それにそって遡上して最終的には屋敷近隣公園にたどり着いた。無人でモダンなモニュメントが青空の中に輝いていた。 この辺りで結構疲れて大休みした。紅梅と白梅が見事だった。
2025年02月10日
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2月9日日曜日。連日のロングウォークに多少飽きて、というより自宅からどの方面に歩くか案が尽きてしまったのだ。ということで今日は気分転換と断捨離を兼ねて少し手仕事をしてみた。まず子猫の壁掛けだ。小さな猫のぬいぐるみを3個つないでリボンで結び壁に掛けられるようにした。 猫1 猫2 猫3続いてナマズだ。こちらは2匹しかないが色が青・黄色・赤でメリハリがある。2匹を針で縫い合わせ、上部にリボンを取り付けて完成。自室のベッド上の壁に取り付けた。少しユーモアのある壁面になった。 ナマズ2匹 ペット吊るし
2025年02月09日
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2月8日土曜日。陽射しはあるが風が強くてなかなか辛い一日だった。でも積雪量が半端なくて道路も閉鎖しいつも雪かきに苦労されている北陸・東北・北海道などの皆さんのことを思えば何てことはない。今日は同世代の友達二人の家を訪ね、あつかましくも家の中に上がり込んで沢山お喋りした。二人とも超久しぶりに顔を見ての話しだったので盛り上がった。1軒目のSさんの家で1時間ほど、2件目のAさん宅では何と3時間ほど話し込んでしまい、夕日が沈む夜6時頃まで話続けてしまった。 コーヒーと手作りケーキをご馳走になる 玄関脇の花二人の共通点は立派な一軒家に住み、夫を亡くして独り暮らしをしているということ。立派に成長した子供はいるがみんな家を出て近くにはいないと聞いた。滅多に人と話すこともないそうで、二人とも喋りまくった。 花盛りの侘助の大木があり見とれた私もサングラスを取って目の手術跡をさらしながらしゃべり、聞いた。話が尽きなかった。たまにはこういう時間も必要だ。沢山しゃべって清々して帰宅したのだった。
2025年02月08日
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2月7日金曜日。今日は昨日より気温は低くても風が無かったため、まだ穏やかな気分で過ごせた。手術した目は少しづつ腫れが減ってきているが、やはり縫った跡がはっきり見え、ひきつり感がある。昨夜は思い切って顔を洗ってみた。と言っても目の周りを触るのは怖いので目以外の部分だけを洗った。久しぶりにさっぱりした。仕事は3週間年休処理しているので毎日暇だ。でもこの顔をさらして外出するのも憚られる。止む無くサングラス、マスク、帽子と言う完全防備で気ままな暇つぶしウォーキングをした。無計画で足が向くまま、気が向くままでスタートした。普段歩いている道ではなく通ったことのない道を歩くことを目標にして、可能な限り知らない道を歩いた。自宅⇒マラソン道路⇒二中裏⇒実籾本郷⇒千葉市⇒ショイカーゴ⇒実籾本郷公園⇒中央図書館⇒自宅という行き当たりばったりのルートで20147歩だった。実籾本郷奥の殺人事件が起こってもわからないような荒れ地や農地をうろうろ歩いて知らない街を彷徨った。心が解放されて本来の自分の姿に戻れたような気がした。 菜の花咲く二中裏の道 途中に見つけたパン屋さんでランチ JA農産物直売所 ショイカーゴ 水ぬるむ実籾本郷公園
2025年02月07日
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2月6日木曜日。無料部屋でシビアな経験をした翌日、無事退院できた。ドクターは風呂も洗顔もシャンプーもオーケーと告げたが、まぶたは縫われたままでお岩さんのようにハリハリに腫れている。とてもじゃないが怖くて目の周りを触る気にはなれない。何もする気になれないまま家の中でダラダラ過ごして今日まで3日が過ぎた。今日はこの冬一番の冷え込みで朝からまるで冷蔵庫の中にいるよう。炬燵の中に足を入れても足が冷たい。午後になってやっとこんなことしてたら動けなくなるという危機感に襲われて散歩に出かけた。いつもの藤崎方面ではなく鷺沼古墳を訪ねてみた。寒々とした公園には誰もいず、白い埴輪が木陰で寂しそうに佇んでいる。 この防人の埴輪はいつ見ても寂しそうで心に残る。東国から連れてこられた農民なのだろうか。一回りして道沿いの住宅の塀に紅梅が色濃く咲いているのを見つけた。美しく力強い。ちょっと元気が出てきて更に進むともっと大きな枝に沢山さいているのを見つけた。色が少し薄いがほぼ満開で青空に映えて素敵だ。梅の季節なのだ。綺麗な紅梅が沈みがちだった私の心に灯をつけたくれた。元気ださなきゃ。孫の葵ちゃんだって勉強に吹奏楽にあんなに頑張っている。婆ばも頑張ろう。
2025年02月06日
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2月3日月曜日。無事眼瞼下垂手術が終わって自分の部屋に戻ってきた。両目の端がうずいてくるのですぐに痛み止めを飲んでベッドに横たわった。病室は5階の無料部屋、4人部屋に3人が入り、前のベッドは同性代女性でかかとを切除して車いす生活でこれから足底板を作るとのこと、横のベッドは90才のおばあちゃんで寝たっきりのようだった。私は窓側で眺めがよく、幕張メッセや湾岸方面の夜景が美しく見えたし、ナースステーションもすぐ近くだった。洗面台もあるしこれで無料部屋ならいいじゃないと思ったのはあさはかだった。 眼帯がないので一能部屋の様子などおおまかな物を見える。ただ両目とも大きく腫れているので視野が狭く更にぼやけていて細かな字などは見えない。午後6時に夕食が届いた。あまりの質素さに驚いた。こうや豆腐と何かの野菜の煮つけ、あえ物とご飯で汁物もないしお茶もないしデザートもない。肉か魚のようなしっかりした動物性たんぱく質もない。ごはんは少しでせいぜい100gだろう。お茶や水は自販機で自分で買って下さいと言われた。このメニューは一体何なのだろう。娘に言ったら無料部屋だからだとのこと。無料部屋かつ高齢女性のメニューはこんな程度の栄養しかいらないということか。衝撃をうけた。更に困惑したのは横のベッドのおばあちゃんだ。か細い声で「すみません、お願いします」と一日中言い続けている。最初は驚き、可哀そうと思ってかまって声かけしていたが拉致があかない。看護師さんも時々来て声かけたりおむつかえたり介護はしているが一人につきっきりにはできない。おばあちゃんはそのうち「苦しい」「どうしていいかわからない」「お願いします」「助けて下さい」「参った、参った」などとにかく休む暇なく喋り続ける。大声ではないがこうしゃべり続けられると神経が休まらない。どうもおむつをしているのだがそこにできないのか、してもした実感がないのでずっと訴えているのか。その内看護師さんが来て「わあ、これは大変なことになっている」と言って処置を始めた。どうもうんちが漏れ出したか何かのようで部屋中、不快な大便臭が漂った。処置後もずっとその匂いが部屋にこもり続けたため、気分が悪くなった。とにかくこの大便臭を吸いたくないと窓を開けようとあれこれ試みたがどうにも窓が開かない。諦めてエレベーターに乗って1階に降りて無人の売店やホールで暇つぶしをした。これが無料部屋の現実かと思った。1泊だからよいようなものの、ずっと同室の女性はたまったものじゃないね。 院内コンビニこうしてなかなかシビアな体験をした。けちらないでもっと高い個室にすればよかったかも。いや、これでいいのだ。自分にも迫りくる老後を見たような気がした。
2025年02月05日
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2月3日月曜日。遂にこの日がきた。連日日替わりイベントが連続して多忙だったが、やっと試練と静養の日が訪れた。朝8時習志野第一病院形成外科に入院。娘が車で送ってくれて助かった。受付で入院事務を済ませ、コロナ検査を受けて陰性。すぐ5階の病室に案内され、手術着に着替えて血圧測定し、左手には点滴をつけて待機。 9時10分7階の手術室に上がると緑衣の手術着に身を固めた主治医が待っていた。女性の手術看護師二人も脇に控えていた。トイレを済ませ、手術台に横たわる。左手には点滴、右手にはSPO2値を測る器具を装着している。目の上にはライトが覆いかぶさるように見える。ドクターが私の学歴や職歴などを話し、看護師さんたちも話に乗ってきてしばし和やかな雰囲気に包まれる。お蔭で術前の緊張が和らいだ。ドクターが顔全面を盛大に消毒し、髪もしっかりまとめ上げていよいよ執刀。右目の目じりから麻酔の注射。「痛いので我慢」とドクターが言う。鋭い針が目の付近を通る感覚がして痛いが麻酔が効かなけば手術は不可能だから我慢するしかない。しばらくして感覚がぼんやりしてきたころ、「音がしますが何の問題もありませんので」とドクターが言い、ジーンという小さな音が始まり、すぐ肉を焼くような焦げ付いた匂いがし始めた。これって電気メスでまぶたを切ってるの?と思った。肉を焼く匂いがする合間に鋭い切り裂かれるような痛みが突然して思わず「痛い!!」と悲鳴を上げた。何が起こるかわからない怖さと実際に起こった痛みで体は硬直してこわばってしまっていた。所がここで困ったことが起こった。トイレに行って手術台に乗ったにも関わらず尿意を催してきたのだ。点滴のおかげだろう。我慢していたけどまだ右目も終わってないので最後まで持ちこたえるのは無理と思い、「おしっこがでそうなんですけど」と看護師さんに言うと、慣れたもので「大きめのおむつをしますからそこでして下さい」と処置してくれたので安心して放尿。すっきりした。切開のあとは糸で縫った。ドクターが糸の種類を~番とか指示し、顔の上に細い糸が触れた。じっくり糸が結ばれて右目が終わった。ヤレヤレ。とても長く感じた。少なくとも1時間はかかっているだろう。一息つく間もなくすぐ左目開始。今度は最初ほど怖くはなかった。麻酔は痛く、肉を焼く電気メスの匂いや痛い箇所も同じだったが、全体が見えていたので恐怖が薄らいでいた。こちらも1時間ほどかかった。ここで驚いたのは術後に目に眼帯をしなかったことだ。両目を完全にふさがれても困るが術後に眼帯無しというのもとても不安だった。ドクターに言うと眼帯無しでいいんだとのこと。全てが終わって手術室を出たのは11時半頃、やはり2時間はかかっている。鏡をみたらお化けのようなものすごい顔になっていた。眼の上が腫上がって、黒い糸がはっきりと出て目立つ。「わあ、恐ろしい」という顔だ。自分の部屋に戻ってすぐサングラスをした。とてもこの顔を人前にさらすことはできない。そうこうしているうちに両目の端がどんどん痛くなってきた。すぐ痛み止めを飲んでベッドに横になった。
2025年02月04日
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2月2日日曜日。昨夜、帝劇でレミゼラブルを観た興奮も治まりきらないのに今日は今日で、孫のAちゃんがアンサンブルコンテストに出演するので、はるばる八王子J:COMホールまで遠出した。雨の中で大変ではあったが、雪になるよりはましだ。上の娘と孫の結ちゃんも同行した。J:COMホールは八王子駅直結で傘要らず、とても便利だった。沢山の出場者とその関係者で激混みだった。大会運営、会場運営の皆さんも大変だろうなあ。先日の小平市での予選で403校の中から選ばれた22校がそれぞれの演奏曲を披露して演奏した。どの学校も素晴らしかった。小平三中の演奏は気迫に満ち、全員の力量も揃っていてずば抜けていた。日本橋中学校も明るく輝かしい金管楽器の響きが魅力的で他を圧倒していた。Aちゃん達も前回と同じ「マカームダンス」を演奏した。前より慣れていたように見えた。 22校のうちから審査の結果、金賞5校が選ばれ、Aちゃんたちは銀賞だった。残念ではあるが立派な演奏だったし、この本選に出場できただけでもすごいことだ。金賞5校のなかから小平三中と中央区立日本橋中学校が全国大会に歩を進めた。見事な演奏だったから「やはりね」と娘とうなずきあった。帰りは結ちゃんとまたしても中央線快速のグリーン車で両国まで一緒に帰った。 中央線快速グリーン車の無料乗車は3月末まで。これで3回目の結ちゃん多忙な日々が一段落した。明日はいよいよ眼瞼下垂手術で入院だ。休養しよう。
2025年02月03日
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2月1日土曜日。昼は散歩して春の到来を確かめた。その後夕方18時から帝国劇場クロージング公演でミュージカルレ・ミゼラブルを観に東京まで出かけた。上の娘と一緒だ。半年前に予約しておいたのがやっと現実の日が到来した。有楽町駅からすぐのお江戸のど真ん中、道々にはイルミネーションが輝き、帝国劇場が昔ながらの姿で夜のきらめきの中に輝いていた。到着時には既に大勢の観客で賑わい、田舎者の私など帝劇に行くだけで緊張と興奮だった。 レミゼラブルはなかなか素晴らしかった。言語は日本語で歌われていたので意味がよく分かった。舞台装置や照明、大道小道具などがものすごくダイナミックで絵になっていた。演出がすばぬけていた。ただ歌はピンマイクを通した声なので私はイマイチ馴染めなかった。大きな声は出ているけど静かな表現やデリケートな表現は物足らなかった。娘の話によるとミュージカルはこんなものだとか。要するにオペラほど歌唱力はなくてもできるが題材が現代なので観客には魅力的らしい。 大がかりなステージクロージング公演かつ最後の週・ファイナルウイークだったので特典があった。まず帝劇の絵が入ったトートバッグが全員にプレゼントされた。 帝劇のイラストがプリントされ落ち着いた色で使えそう。次にミュージカルの最後のカーテンコールのあと、ステージの歌手と聴衆が一緒になって劇中の有名ナンバー「みんなで歌おう民衆の歌」を合唱したのだ。観客は大声で歓喜の声をあげて叫び、最後にはテープも空中を舞ってものすごい大盛り上がりだった。空中から舞ってきたそのテープにはレミゼラブルの刻印がしてあって娘は記念にもらったのだった。娘の誘いのお蔭でとても気持ちよく寛いだ一夜を過ごすことができた。
2025年02月02日
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2月1日土曜日。今日からいよいよ2月が始まった。今日は陽射しがあるけど風はないという絶好のウォーキング日和だった。何とか外に出てみようという気になって散歩に出た。久しぶりに土を踏んで歩きたいという思いで歩き始めたものの、太ももが重くてものすごくゆっくりしか歩けない。全ての人が私を追い越してゆく。しかし言い聞かせる。「人と比べない 過去の自分と比べない 今を生きる」こうして超ノロノロながら自宅⇒大原神社⇒鴇田家住宅⇒ホタル野⇒屋敷近隣公園⇒中央公園⇒自宅というlongルートを歩いた。途中から腰が痛くなったりノロノロ歩行なのに太ももが攣ったりしてもう末期症状になってるかなと感じた。帰宅して調べてみたら19558歩だった。そりゃ、腰も痛くなるだろうな。でも歩いただけのことはあった。あちこちで春が近づいてきていることを感じさせる草花に出会った。重苦しかった気持ちにポッと一筋の明るさを感じ、心が軽くなった。 創建900年大原神社 美しいご朱印鴇田家住宅は無人で静かだった。ホタル野もまだ何もなく春の息吹は感じなかった。でもホタル野から屋敷方面に抜けるあぜ道に何と春告げ草のオオイヌノフグリ、踊子草が群生していて目を見張った。春はしっかりと近づいていた。 鴇田家住宅 ブルーのロケット型 オオイヌノフグリ 踊子草
2025年02月01日
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