まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2025.04.25
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カテゴリ: 日本史・世界史
NHKプラスで『フロンティア』を見ました。
2023年末の《日本人とは何者なのか》の再放送ですが、
知らないことがたくさんだった。

なぜ今までこの番組を見てなかったのかしら?…(^^;

自分の過去の記事との整合性も気になったけど、
▶ NHK古代史ミステリー「邪馬台国の謎」卑弥呼の内政と外交。
▶ NHK「古代史ミステリー」東日本の前方後円墳とヤマト王権。

とりあえず、さほどの矛盾はないように思う…。





1.縄文人はホアビニアンの末裔だった!

以下は、Google AIの解説。
ホアビニアンとは、東南アジアに存在した古代の人類集団です。ホアビニアンは、約4万年前に東南アジアに到達した人類グループで、その後、一部は海岸沿いを北上して約3万8000年前に日本列島に到着し、縄文人を形成したと考えられています。2018年の研究で、ホアビニアンのDNA解析結果が発表され、縄文人の遺伝子と非常に近いことが確認されました。ホアビニアン文化は、縄文文化と共通する狩猟採集文化であると考えられています。東南アジアでは、北から農耕民が流入し、ホアビニアンのDNAは失われたと考えられています。


ホアビン人祖先は「深く枝分かれした東アジアの祖先」と表現され、東南アジアの大部分の地域の先住民狩猟採集民集団を代表すると推測されている。古代の標本の中で、彼らは中国北部の後期旧石器時代の天元人、日本の縄文人、 アンダマン諸島のオンゲ族とジャラワ族、(「マレーシア・ネグリト」としても知られる)セマン族、マレー半島内陸部のマニク族ともっとも高い遺伝的親和性を示している。
東南アジアにおける新石器時代の出現は、中国南部からの移住による人口移動と並行して起こった。新石器時代の東南アジア大陸部の標本は、主に中国南部の古代集団に関連する東アジア系の祖先を持つが、これらの標本の多くは、ホアビン語系祖先との混血も、より小規模に示している。現代集団において、この東アジア系とホアビン語系祖先の混血は、オーストロアジア語族と最も強く関連しており、オンゲ語の標本をホアビン語系祖先の代理として用いたモデルでも再現可能である。

https://en.wikipedia.org/wiki/Hoabinhian

縄文人は、
東南アジアのホアビニアンから分岐し、
最初に東アジアにたどりついた集団。

まだ大陸と繋がってたころの日本で、
1000人ぐらいの規模から始まったらしい。

氷期が終わって海面が上昇し、
日本列島が大陸から切り離されたために、
大陸のホアビニアンがほぼ駆逐されたあとも、
縄文人だけがガラパゴス的に繁栄した。


大陸でホアビニアンの遺伝子を受け継いでるのは、
タイのマニ族のような少数民族に限られており、


ところが、日本人は、
おおむね農耕民族ではあるものの、
縄文人の遺伝子を1割ほどもってるので、
その意味では「ホアビニアンの末裔」といえる。



日本の「サンカ」伝説との関連も気になりますが…。
古代難民説
サンカ(山人)は、原日本人(あるいは縄文人)であり、ヤマト政権により山間部に追いやられた異民族であるとする説。これは柳田國男の山人論に基くが、柳田はサンカと山人を区別して記述している。現代では分子人類学による科学的な遺伝子解析が進展したこともあり、そのような説には否定的な見解が多い。

https://ja.wikipedia.org/wiki/サンカ




2.かつて日本の6割が渡来人になった?


{縄文人+弥生人} の二重構造モデルから、
{縄文人+弥生人+古墳人} の三重構造モデルに移ってる。
古墳人とは、古墳時代の渡来人のことです。


ヨーロッパでいえば、
{ケルト人+ラテン人+ゲルマン人} の構造に似てる。



なんとなく今までは、
縄文人+弥生人が「日本人」で、
古墳時代の渡来人は「外国人」ってイメージでしたが、
ゲノム比率で見ると古墳人が6割に達するそうです。

要するに、
侵略してきた海外勢力が過半数を占めちゃったわけね。

古墳時代は、
縄文時代や弥生時代よりも新しいのに、
今までそれが分からなかったのは逆に不思議ですが…(^^;



2023年のETV特集「誕生ヤマト王権」によれば、
ヤマト王権は平和的な豪族連合だったらしいけど、
https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/202103290000/


もはや縄文人や弥生人が抵抗できないほど、
古墳人の規模と文明のほうが圧倒的だったのかも。


中世ぐらいまでの日本は、
縄文人、弥生人、古墳人が入り交じるような、
多民族国家だった可能性が高い。

少数派の縄文人や弥生人は、
そんななかで差別されたかもしれませんね。

…とはいえ、
日本語の基礎になったのは、
たぶん古墳人じゃなく弥生人の言語なのよね。

古代の朝鮮半島では朝鮮語とともに日本語と近縁の言語である「半島日本語」が話されていたと考えられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本語
日琉語族が弥生文化とともに日本列島にもたらされたことは広く受け入れられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/大陸倭語



ちなみに、
古墳人は「天孫族」と言い換えてもいい気がするけど、

どうやら古墳人は、
東アジアの様々な地域から段階的に流入したらしいので、
そのなかの一部が「天孫族」なのでしょう。

つまり、王権時代の豪族連合のなかで、
大王 (のちの天皇) を擁する勢力が「天孫族」ってこと。



追記:
以下の中込滋樹のインタビューによれば、三重構造モデルは{縄文人+弥生人+古墳人}ではなく、{縄文系+北東アジア系+東アジア系}と表現するのが正確らしい。

─三重構造モデルということは、縄文人+弥生人+古墳人が現在の日本人になったということでしょうか。
中込「それは違います。我々の論文では、現在の日本人は、縄文人の祖先に加え、弥生時代と古墳時代それぞれに大陸からやってきた集団がもっていた祖先が合わさって三重構造を構成していることを議論しております。これは、現代日本人が縄文人+弥生人+古墳人という表現とは異なります。なぜなら、少なくとも今回分析対象とした個体に関しては、弥生人および古墳人がそれぞれ独自の祖先をもっているわけではなく、縄文人の祖先と大陸の祖先が混血した状態であったからです」
─それぞれの祖先集団がそもそも大陸で混血していたということでしょうか。
中込「表現として、二重構造モデルあるいは三重構造といったことを示す際には、縄文系と北東アジア系の祖先、縄文系・北東アジア系・東アジア系の祖先という表現にしていただけますと、論文の内容をより正確に反映したものになるということです」
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/5c41f349458d246ef40df6f866abaade5f2f04fe

追々記:
2024年には、理化学研究所がより詳細な研究結果を発表をしたそうです。

覚張氏らの研究の3年後に、現在の日本人の遺伝情報に関する理化学研究所の大掛かりな調査がなされ、日本人の祖先のなかの縄文系、北東アジア系、東アジア系の割合に関して、覚張氏らの説と異なる数値が出された。覚張氏は古墳人の60パーセント余りが「東アジア祖先」としたが、理化学研究所の詳細な研究に従えば、古墳人の25パーセント程度が「東アジア祖先」であったことになる。古墳時代末の日本列島の住民の約25パーセント前後が、高句麗や百済、新羅から古墳時代に移住した新参者であったことになる。
奈良時代の日本の人口を約600万人とする推計があり、古墳時代末の日本には550万〜560万人の人間がいたといわれている。そうだとすれば、日本人の祖先にあたる130万〜140万人の東アジア祖先の人びとを、「新たな移住者」や「外来の人びと」を意味する「渡来人」と呼ぶべきではあるまい。
https://toyokeizai.net/articles/-/858918?display=b


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最終更新日  2025.10.04 12:18:28


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