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午前中、ムスメを見ながら窓拭き。 年末掃除アイデアに必ず載っている「水で濡らした新聞紙で拭けばあらカンタン!」というヤツをそのまま採用。ドイツ人に怒られない程度に窓磨き。 ドイツに旅行したときガイドが言っていた。ドイツでは窓掃除が必須なのでアジア人の住んでいるところは窓の汚れでわかるらしい。はたしてドイツ人が日本にきて窓を磨いているのだろうか?と聞いてみたいところだ。これだけ雨降ってドイツ人の意地をどこまでみせられるのか? ムスメがいろいろいたずらするのを阻止しているうちに時間がたつ。 午後からようやく障子貼りにとりかかる。実家では父がやっていた年末の大仕事であったがやってみてわかった。たしかに時間があるときじゃないとめんどくさい。糊をばりばり剥がし、障子をおおざっぱに切り、仮に貼り付けてコードレスアイロンで貼る。おもったよりうまくできて悦にいったのもつかの間、誤って1箇所破る。泣きながら補修。ああ貼ったばっかりなのに。 (1)剥がしたら徹底的に剥がさないと貼るときノリのジャマになって苦労する。 (2)アイロン貼りと通常のでは剥がす方法が違う。 (3)霧吹きはいるが定規は不要。 以上、来年度へのひきつぎメモ。 さて車を洗うか・・・と思った瞬間日が暮れて断念。ああ何もできてない。 夜は蕎麦を食い、紅白を観ながらカンビール。全体にテンポがよくて気持ちいい。アンジェラアキとDJ OZMAいい仕事してます。アレンジレンジの演奏に6月の悪夢がよみがえったサッカーファンは何万人いるのだろう。TOKIOの「宙船」かっこいいじゃん。中島みゆきversionを先に聞いてしまったので男vocalが新鮮。 裸がダメでリアルなボディスーツならいいっていう基準もよくわからん。どう違うんだ?さんざん前の宣伝で「OZMAの裸に北島三郎激怒!」みたいなニュースを流しておいてクライマックスに北島三郎本人がでるという演出もぐー。プロレスみてえ。とんちきいてます。 紅白の批判と巨人戦の批判は似ている(去年も書いていた)。だれもが口にするが口にすると陳腐になる。これからロックでありたいなら(なんだそれ)褒め殺せ紅白。 しかし来年の紅白まで顔をみないであろう歌手が何人いるのだろう? あらゆるジャンルをまとめて観られるという意味ではきわめて幕の内弁当的だ。なんと日本的なイベントであろうか。これさえみておけば試験はばっちり!といったところか。知ったところでトクはないが。あるのか?GAMのメンバーを言えたところでなんだというのだ。 だんだんわからない顔が増えているが、不思議と演歌が好きになるわけではないんだよなー。(♂)
2006年12月31日
午前中買出しにでかける。が、早めにでたのに駐車場が渋滞。かみさんだけ降ろして離脱。 こういうがちゃがちゃした雰囲気って嫌いじゃない。ってところに自分も東アジアの人間なんだなあと思う反面、いいかげん横並び休日やめようよと思う。休みなのにみんな疲れてるのってヘンだろう。 渋滞するってわかっててもみんな車乗るし。新幹線の乗車率って恥ずかしげもなくJRが発表しているけれど、ぎうぎうに詰め込んでおいて値引きもねえどころか高い値段って正気の沙汰じゃないだろう国鉄? というわけで、少し離れたところに停め、カーナビ内の音楽の整理。アーチスト名がでてこない曲にぷちぷち入力。ヒマだねオレも。 だいぶ時間がたったのでかみさんを拾いに店へ。拾って別の店に運び、帰宅。 大掃除にとりかかる。といいたいところなのだが。 ムスメが最近散らかす喜びに目覚めて、こちらがかたづけるやさきに雑誌イレやら引き出しやらバラバラとばらまく。別に目的はない。ただ散らかすのだ。むかつくぜ。 そのたびに言って聞かせるのだが、聞いてないよという顔をする。 そんなコに育てた覚えはありません・・・って、これから育てるのだが。 いたずらサルと闘っているうちに昼になったので離乳食を食わせる。こういうときだけおとなしい。 せめて景気づけにJ-WAVEを聴く。水周りの掃除。網戸の掃除。ああ明日こそは障子を張り替えねば。窓も拭きたいし。あと車掃除だよ。以上備忘録。 あっという間に2日が終わってしまった。まるでこの1年のようだ。はじまれば長いのに、終わるのは一瞬。これからもこんなんだろうか。こんなんだろうな。 夕食は野菜をこんもりいれた水餃子。(♂)
2006年12月30日
納会で、バンドの話になる。 「今度の旗開き、またメインイベントでバンドやるんスよー」へえーいーねえ(またかよ)。なに中身は?「ニルヴァーナ。去年やって、もうわかったんですよ。どうせならやりたいことをやったほうがいいって」へえー。 と言いながら、心の中でツッコミをいれる。 おいおい、組合イベントでおっさん相手にグランジ聴かせてどうするんだ。間違ってるよロック魂。10代じゃないんだから。 よくバンドをはじめたキッカケに「もてたかったから」という人がいる。正直すぎて笑ってしまうが、こういう話を聞くとあらためて思う。 「もてたかったから」という理由やよし。 強力な自意識。他者への欲望。それらを昇華した表現への衝動。そういう邪心・色気があってこそ表現に艶がでてくるのではないのか。 そういう点では客層をまったく意識しないこの選曲はBADだ。社内の女性社員が少ないことを差し引いてももてポイントがない。少なくともカート・コバーンの名前を出してピンとくる人間は何人もいないだろう(当社調べ)。 札幌にいたころ上司に無理やり連れていかれたいなたいパブロックの店を思い出す。当時若いリーマンであった私の目の前に現れたのは若い兄ちゃんのバンド演奏を聞きながらチークを踊るおっさんおばはん集団であった←たぶん今の私ぐらいの年齢かそれ以上であろう。ドンビキというのはこういうときにつかう言葉である。いま思えばあれは需要と供給なのだ。あそこでグランジなんか演奏したら私が店のオーナーならクビにするだろう←即だ。 どうせならもてることをやれよ。キャーキャーいわれるような。 ・・・それができないからあのバンドメンバーに独身者が多いのだろうか。余計なお世話だが。 ところで、なにならもてる音なんだい?(♂)
2006年12月29日

会場のようす ↓ 広いです。音楽世界とあってます。客層も原作ファン・ドラマファンだけではなくてクラシックファンが多かったような印象。パンフによれば、「熱狂の日」音楽祭とのコラボレーションらしいです。 楽器コーナーでは↓ とんち効いてます。だれでもすわれるこんな席も↓ハリセン↓ミルヒの小道具↓雑誌がいいです。プリゴロ太↓トラウマ(笑)↓うまくチープにつくってますとにかく、小道具をみるだけでもファンには価値があります。演奏もすばらしいのですが。(♂)
2006年12月28日
午前中外出。依頼をすませ、年末のご挨拶。 今年もお世話になりました。 この時期の挨拶が頻繁でありながらだれもかれもが心がこもっている気がするのはつかの間の解放感のせいかしらん。みんな笑顔になる不思議。 でも冷静に日数をカウントするとたいした日数ではないんだよなあ。この期間に年末と年始があるというだけで長い休暇のような気がする。とことん自分が日本人だと思う。 帰社後自分が現在の部署にきてからコツコツファイルしていた資料を大量廃棄。なにも考えずにファイルするのをやめて来年はもっと絞ろう。捨て力強化年間ということでひとつよろしくオレよ。仕事の「賞味期限」を考えることで内容の緩急がつけられるだろう。時間という観点でのファイリング。優先順位を決めること。見切りをつけること。 午後、わりあてられた部屋の掃除。ぶーぶー言っててもはじめるとつい真面目に雑巾がけしてしまうのってなんだろう。「年末は大掃除」というDNAでも埋め込まれているのか。 車も洗い、めでたく納会。長いビールコップをもらったせいでついつい飲みすぎる。ビンカンをかたづけたり人に注いだりしてごまかす。 最後までいて適当にかたづけをやり退散。それでもまだ6時40分。その足で東京国際フォーラムにむかう。酔いざましにひたすら歩く。東京駅にさしかかると光のイベントがやっていたのでたちどまって携帯でとっていると警備員に「ここではたちどまらないでください」といわれる。 おいおいだれのためのイベントなんだ。 ふつうたちどまってみるだろうよこれだけ派手なら。ときどき観る側をまったく考えない主催者側のセンスに頭にくるイベントがある。モナリザが来たときのパニックであるとか、パンダ人気の動物園であるとか。カネ払わせておいて3秒以内に立ち去れとか平気でいうセンスってなにかね?まあこれは無料だから文句もいえないってか。 君達はミニスカートで階段を登りながら尻を隠すアホ高校生か?頼んでもいないのにみせているくせにみるなという。 とブツブツいいながら会場到着。おめあては「のだめフェスティバル」である。 生演奏と、グッズ販売と、出店。ゴリゴリのクラシックばっかり演奏しているのかと思いきや、往年のグループサウンズを弦楽四重奏で(※と適当なことを酔っ払って書いているが、演奏はトウキョウ・メトロポリタン・ブラスクインテッドだった。どこが弦楽だよ)やったりとか結構もりだくさんの選曲。会場中に流れる生演奏に浸る。ソフトクリームを食べる。美味。ドラマでつかわれた小道具に夢中になり、携帯で撮りまくる30代を許せ。しかもこれで無料とは。満足満足。 クリアファイルと裏軒どんぶりをおみやげに帰宅。(♂)
2006年12月28日
布施克彦「昭和33年」(ちくま新書)を読む。 面白い。 昔は夢と希望があった、という幻想をうちくだくデータの数々。外交は危機を迎え、政治は低迷し、公務員はデタラメをやり、下流社会が存在していたあの時代。「昔はよかった」幻想の呪縛からの解放をうたう本書。ぜひ「3丁目の夕日」を観る前におすすめ。泣けそうな映画をわざわざ観ないよ、という私のようなへそまがりの人には納得の1冊か。 幻想をうちくだくと同時に将来の不安を笑って否定するかんじは好感度高し。どっちにしろ、過去を語ることはだれもが司馬遼太郎的歴史観(いままでやってきたことは間違ってなかった)から逃れられないのだなあと思ったり。 歴史の物語の癒しの効用から一歩先へ。なぜベクトルがいい方向にいったか?というのは各論で語れても総論で語れないものかしらん。「勝ちに不思議の勝ちあり」(野村克也)なんだが。それがわかれば現在の混迷から抜け出せるのだが。 浦沢直樹「PLUTO」最新刊をようやく読む。 あごひげの眼鏡の男が指をたてフレームの真ん中をなおしつつ目を光らすポーズが表紙なのだがどうみてもそのアクション、碇ゲン●ウじゃないか。という論調はすでにあるのだろうか? 内容を読むとやっぱり確信犯。原作どおりの役回り。ああゲンドウだなあという納得。もはや90年代以降、SFに登場する狂った科学者(かつ独裁者)はゲンドウ(あ、いまゲンドウっていっちゃったね by 川淵三郎)的アクション、あるいは風貌を踏襲しなくてはいけないのだろうか?昔はタモリがコントでやるへんな白衣の格好がマッドサイエンティストの定番ではあったが。 今後は作品中メガネに指をやったとたんそういう人種だとジャンルわけしていいかも。名前もずばり、 ゲンドウ系 今後そのようなネーミングでひとつよろしく。って、だれにいってるんだか。(♂)
2006年12月27日
大手町を車で通ったら、観光客の集団をみた。 珍しくない風景だが、ただ1点ひっかかったことが。 ガイドの手に鯉のぼりが握られていたことだ。 顔を見ると日本人らしい。ついわが道を歩みそうな引率するガイジンどものツカミであろうか。 「OH!サカナ~!Great!」とかいわせて「Yeah!」とかコール&レスポンスしたいのだろうか。手元にデータはないので他国にあるかどうかはわからないが小さな棒になびく魚という道具は文化的なインパクトはある。それはわかるが、 ダメだろう日本人なら。 海外の日本好きの家に招かれると葬式の提灯がインテリアとして飾られている、などという話をよく聞く。ガイジンがやるのはいいのだ。由来をこっそりいって教えたりすれば国際交流というやつにもなろう。 しかし日本人ならダメだ。5月ならともかく。 かみさんがドイツに行ったとき、名物だというのであるパンを買ったら地元の人から「それはクリスマスのときにしか食べないよ」と笑われたという話をしていた。いいじゃん美味しければ、という考え方もあるけれど、たとえばおせち料理を真夏に食うかね?たとえば伊達巻を? つまりはそういうことなのだ。小さいけれど、大きなこだわり。そういうのを大切にすることが、文化というやつなのであろう。 それともただの旅行会社のPRグッズなのか?だれか教えて。(♂)
2006年12月26日
午前中出勤。 年末らしくいらない資料の整理。なにも考えずに定型サイズにしてファイルしていたツケを精算。ある程度は資料有効期限をつけないと身の回りがタイヘンなことになる。これは捨てる!って考えることは決断力もいるし体力もつかう。ダイエットしたければゴミ捨てですよ奥さん(だれ)。 午後、仕事の状況をみてボスに相談して帰宅。医者に直行するも休診の時間帯。泣きながら一度帰宅(一部ウソ)。蜜柑などむさぼりつつ、すっかり赤ん坊になってしまったムスメを見ながらすごす←だから赤ん坊だろうもともと。 気をとりなおして外出。 はたして医者はインフルエンザ予防接種をうける中学生と風邪にやられた大人でごったがえすがなんとか3番目にすべりこむ。50代ぐらいであろう眉毛の太い医者に「風邪ですね」と認定のお言葉をいただく。つい家でも真似してしまう。「風邪ですね」だからなんなんだ。一種のヒーリング?違うし。 でも人は他人からレッテルを貼られたがっている。視点が落ち着かない人をみるとつい思う。この人が「みせたい」路線を否定するとコロリなんだろうなあ、とか。 あなたは「みせたい路線」とひとからいわれますが実は「否定」ですね。 残念ながらつかったことはない。演出や家庭教師のバイトで笑いをとるためにつかったことはあるが。つかえば精神世界の詐欺師になれるのかもしれない。つかうか。いつつかうんだ? それよりは医者で「なんだかわかりませんねえ」といわれたら怖いなあと思ったりして。 帰り際「PLUTO」と「よつばと!」とを悩み「PLUTO」を購入。その足でスーパーにいき豆乳鍋の素を買う。いつのまにか1人分ずつにわかれた3個パックになっていた。これは結構スグレモノ。いい仕事だ紀文。宣伝したからなんかくれ。 野菜をがっつり食って「のだめ」も観ずに寝る。(♂)
2006年12月25日
ある朝のこと、落ちつけぬまどろみの夢からさめたとき、私は寝床のなかで一匹のばかでかい毒虫に変わった自分に気がついた。 肩こりという話ではなくてムスメからもらった風邪菌のかたまりらしい。じゃなかった、である。熱こそないがのどやら関節やらそれらしい症状が。寝まくり宣言をして、急遽つくってもらった卵かゆとリンゴを食べてまた床へ。風邪薬もないのに眠りに落ちる。重症。 2時間ほどして起こされ予約していたケーキをとりにドライブ。とはいってもこんな状態なのでかみさんに運転してもらい、もっぱら同乗させたムスメのお守。「風邪だ~」(オレ訳)と泣き喚くムスメをあやしつつ、こっちが泣きたい。予約してあるからといってもこの地域はみんなそうらしく、ケーキや渋滞が発生。なんとか入手して家に戻る。つくづく鼻持ちならない街だ。あ、オレもだ。 食欲がまったくわかないのでまたもやリンゴをおもくそ齧って、頭の悪くなりそうなフルーツゼリーを啜って寝る。これまたすぐに意識を失う。3時間ほどして起き、今度は食欲がでたのでパンを食う。いい傾向だ。これまた国民的英雄青猫機械がプリントされたゼリーを食ってまた床へ。東海林さだおのエッセイを読むが楽しく読める。よし、いい傾向だ。 すぐに眠りに落ちる。 夕方、用意していたチキンとケーキとリンゴジュースでささやかな宴。チキンがおいしい。なんとかカラダが戻っているようだ。ところでなんで七面鳥なの? 検索。「七面鳥」「クリスマス」「由来」 クリスマスに七面鳥を食べる習慣はアメリカからヨーロッパへ逆輸入されたものだという。1620年にイギリスからアメリカへ移り住んだピューリタン(清教徒)が初めての収穫祭に、野生の七面鳥を食べたことがヨーロッパへ伝わり、クリスマスのメニューとして定着していった らしい。3●年の人生で初めて知る。クリスマスなんざ毛唐の祭りだぜ、と思うこともあるが家族が集まるのはいいと思う。 ムスメは風邪をひいたらすっかり甘えん坊さんになってしまった。「いただきます」も「ごちそうさま」も「何歳?」もやらない。かったるくてやれないのだろう。といいつつ無理やりやらせる。 病気をすると心細くなる反面、病人だからいいじゃんというずうずうしさもうまれる。吉本ばななの小説で幼少に病気しすぎて性格が悪くなってしまった女の子が主人公のモノがあったが。庇護をする側とされる側という関係はあまり長くやってはいけないのだろう。親子や恋愛でよくある歪んだ関係。歪んだといっていいのかどうか。 食後、先日借りたクリスマス会のライブビデオを編集。あらためて演奏の質の高さに感動しつつ夜もふける。WOWOWのYAZAWAのライブに心をひかれつつもまた眠る。目が腐らないかねこんなに寝て?(♂)
2006年12月24日
背中になんかがたまっている。凝りをとおりこして激痛。ストレッチをやると明らかにイタイ。イタ気持ちいいのではなくて痛いのだ。 たぶん岩盤浴でもやれば溶けそうなのだが、とヒマOLみたいなことをつぶやくとかみさんから「ヒマOLみたいなことをいって」とそのまんまのダメだしをされる。 せめて汗をかこうと軽く30分ほど外をジョギング。汗が滲むと汗がでた部分はラクになるが。 でない部分はそのまんまイタイ。シャワーを浴びる。熱さがクる。 諦めてとりあえずカフェイン断ち宣言。お茶もやめておこう。水分をとらねば。 布団を干し、洗濯物を干す。となりの家はいつも5時ごろには干してあるのだが、何時に起きているんだ。遅れること4時間。だらだらとつるす。さぞかしだらしない家だと思われているに違いない。 昼になったので床を拭いて、味噌汁をつくる。白菜としめじと大根。鍋いっぱいの幸福と達成感。内臓を動かす熱さ。東海林さだおは味噌汁を飲むとなぜ「あー」といってしまうのか?というツッコミをいれていたが。やはりこういう調子が悪いときにこそでてしまう。あー。 カゼ気味のムスメとかみさんが寝たので私も寝る。手には「クマのプー太郎」第1巻。背中の痛みは軽くなったがなおらない。エステ(えっちじゃないほう)にでも行きたい。 と、またヒマOLみたいなことを口にしながら干したての布団の気持ちよさよ(感嘆表現)。(♂)
2006年12月23日
本日部署の忘年会。 はやめにでたので「ウコンの力」を飲みながらのほほんと会場についたら全員集まっていたので焦る。野郎ばっかりだとスタート時間が早い。すみません遅れて。 部署の再編でこのメンバーでの飲み会は最後ではあるのだが。しみじみというよりは忘年会のひとつ、というあっさりした、むしろ晴れ晴れとした気持ちでいられるのは組織として機能していないせいか。 高い会費のわりには無理やり個室にいれてもらったような部屋(カラオケモニターがあったのはどうかと思うし照明暗いよ)と、椅子席(ふつうお座敷だろう。場がばらけすぎ)と、しょぼいツマミ(鍋がでればいいってもんでもないだろう)にがっかり。 って、幹事のセンスに厳しいツッコミいれてもどうかと思うが。食べ物があんまりあんまりなのでついビールをはやめに飲む。 酔いがはやめにまわる。 気をとりなおして、酔いをごまかすべく挨拶がわりに注いでまわる(幹事がやれよ)。ふだんそれほど接点のないひとでもアルコールをいれてまわればいつのまにか場も暖まるというもので。あっちでもこっちでも火がつく。 あまりに急いでアルコールをいれたので下戸ZONEで休む。どうやったら給料あがるのか、というバカ話とか昔話を上司としつつ。 とくに具体的になにをするわけでもないけれど、こういうムラのイベントはでておくものだ。とりあえず居場所がわかる。多くの場合、だれかと1対1という辛い状況になるからいろいろとストレスになるわけで。さっさと酔っ払って皿をどかしたり動けばいいのだ。って最近ずうずうしくなっただけかもしれないのだが。 早い1年。終わってみればいい年だったような気がする不思議。来年も同じコトを今の時期思うのかしらん。(♂)
2006年12月22日
「ダ・ヴィンチ」に連載されている作品がようやく単行本になっていたのに気づき購入。 傑作。 「瀕死のエッセイスト」がみつめる日本、そして世界。モー娘からW杯まで、世界は極彩色に満ちている。全頁がカラーで彩られ、踊れない者からみた踊る時代の姿がつづられていく。 覚めた視点がリアル。 マンガ「スカイハイ」があの世を扱いながらこの世の賛歌になっていたように。メメントモリと叫べば叫ぶほどみえてくるのは生への執着である。闇を語れば語るほど光がみえ、死を口にするほど実感するのは生だ。 脱力ギャグを得意とする著者だがだまされてはいけない。この脱力、相当高いテンションをあげた上での表現である。絵こそゆるゆるだが頁からは暴力的なパワーがみなぎっている。 刹那的な生き方をするギャルどもに「長生きするよ!」と断罪するネタに笑う。生き急いでいる(つもりの)やつらに一番のダメージはこのひとことだろう。 そしてそうやってうっかり長生きしているひとたちでこの世の中は出来ている。 メメントモリ。 晴天の絵に一滴、墨をたらす。予定調和を乱すからこそみえる調和。ひろいね空は?(♂)
2006年12月21日
かみさんが1●年ぶりの舞台を踏んだ。 とはいっても子育てセンターのクリスマス会の話。友人の歌の手伝いである。歌のネタにあわせてでるサンタの役だ。 さすがに年末のこの時期、休んで観に行きますというわけにもいかずしぶしぶビデオ鑑賞。 あいかわらずの歌声に痺れる。こういう声って天から授かったものだ。そして努力のたまものである。ナマで聴けないのがつくづくくやしい。あーライブやってくれー。 しかしビデオの凄さはそれだけではなかった。 かみさんが登場したとたん泣き叫ぶ子供は百歩ゆずってよしとしても(彼女は心外だろうが)。赤ん坊にとっては視覚刺激はちょっとしたことでかなりキツかろう。ましてや背中からテンション漂わせてでていく赤い人をみたら泣き喚くだろう。 それよりは。すげーのは。 舞台で歌が歌われようが、踊られようが、プレゼントを貰おうが、ひたすら頼まれもしないのに(頼まれているのかもしれんが)隣と喋りつづけるおばはんである。一部だが。その一部が目立つから困るのだ。 べつにいましゃべんなくても、クリスマス会にきたらクリスマス会を楽しもうよ。っていうか楽しむだろう普通。何を喋っているのかしらんが。 たぶん目の前にヨン様が現れようがノドン2号を打ち込まれようが6カ国協議を再開しようが喋りつづけるのだろう。きっと喋らないと死んでしまう病気なのだ。うさぎのように←違うし。可哀想な人生。そして一流の歌を知らないままこいつらは一生を終えるのだ。可哀想に。 同情してあげる。(棒読み) かみさんがそれほど早く産んだわけでないことを考えるとおそらくわれわれより年下のママであるはずなのだが。 まだ一瞬でも聴こうとしてアレならわかるのだが、最初からゴキゲンなトークである。うちのムスメでさえ緊張の漂う場では黙るというのに。はなっから世界は口と小さな耳しかないのだろう。すぐ目の前にある宝石になぜ気づかないのか? せーかいはーひーとつー♪せーかいーはひーとつー♪ あれは彼女らのためにあった曲であったか。 ひとーりひとーりがおんりーわーん♪ そういう意味の歌じゃないだろう。 ある意味ここまでアホお話好きだと集中力という才能を評価してあげるべきか。なにもやらんが。塩ぐらいまいてやるべきか。石も投げてやっていい。 おばはん。それは性別でもなく年齢ではない。人種であり生き方だ。Life As a OBA-SAN(by俺) ちなみに今月のVIVIの見出し「大人ギャル宣言!」ようするにこいつらのことっスか? その阿鼻叫喚の中で熱演する友人とかみさんを観ていたら、平壌スタジアムのピッチに立つ日本代表の気持ちがよくわかった。たかだか100人でこのストレスなら、10万人に囲まれて試合したらどんな気持ちだ? ・・・っていうか、そんな機会でわかんなくていいから。わかりたくもないし。お口にチャックだそこ。おめーだおめー。 と、えんえん怒りを書き連ねる私こそがおばはんかしらん?(♂)
2006年12月20日
40代の女性が警察官に食ってかかっている場面を帰宅途中のスーパーの前で遭遇。 ネタ発見!と取材すべく接近したが、残念ながら会話終了。こちらの意図に気づいたか? 女性の最後の台詞が凄かった。 男なんてみんなそう!あんたも!あんたも!(といいながら警官をゆびさす) おおナマで聞いちゃったよベタな台詞。どうみてもヒステリーである。 愛はヒステリー♪それは中森明菜。しかも歌詞違うし。 ついその台詞の前後の説明補足を考えてみる。 「前髪切ってもきづかないの!」 「雑誌の袋とじを上からのぞくの!」 「買い物につきあうとすぐ疲れるの!」 「ゴムダンの面白さがわからないの!」 「ス●ップの森くんよりカ●●ーンの赤西くんがエライっていうの!」 「鍋のシメの雑炊にかける卵は八の字じゃないとダメだっているの!」 いわねえって。 なんだったんだろう。男性への期待値の高い人だったのか?だとすれば幸福な人だ。 絶望、それは希望の裏返し。希望、それは絶望の果てに。(♂)
2006年12月19日
先輩Kとけろ氏と新宿で忘年会。コマ劇場の横の屋台村でトリを食う。 トリフォアグラ美味。ナマ春巻き美味し。月曜からガンガンアルコールを流し込む。そんな奇特な人種はいないせいか、屋台村とはいっても閉めている店も多いのは残念だったが美味しいからすべてよし。 店員が料理の種類によって人種が違うところに新宿を実感。インリンみたいな店員やら、チャーリーとチョコレート工場にうじゃうじゃでてくる人みたいな店員がいておもしろい。ゴージャス?←違う。ドラマ「王様のレストラン」で店に箔をつけるために無理やり店員にド素人のフランス人を雇うというネタがあったが。視覚も結構重要かも。 結構飲んで食ってリーズナブル。ついついアルコールもすすむので焼酎で打ち止め。 会社の話をネタにしつつ。騒ぐ。オレだけ? そういえば店に行く途中エロかっこいいひとの宣伝バスを発見。めいっぱいプロモビデオが流れるディスプレイが車体全体にはりつけてあってアルバムタイトルがあしらわれているのはかなりのインパクト。街宣車なみに音楽がかかっていたのでついみとれる(撮影は失敗)。 いっそのことあの車体を突然オープンにして「なんちゃってこーだ」とか「自称こーだ」とかうじゃうじゃ出勤させたらどうだろう。場所柄かなりのインパクトだろう。やりたい人も結構いると思うのだが。 ただ違うのはエロかっこいいのではなくてエロいひとばっかりになる可能性はあるが。新宿だし。 メンツは重要。ありがとう2人。(♂)
2006年12月18日
汗がこんなに!!(3●歳 会社員 東京都) ぼくはこの3●年間、肩こりに悩まされてきました。とくにここ何日かはひどくてのたうちまわってました。女の肩こりは勲章かもしれませんが(なぜ)男のそれはただの運動不足です。わかっちゃいるのですができないのが現代人の生活というやつです。さえない顔でさえない毎日をおくっていました。なにもかもうまくいかず、自暴自棄な毎日をおくっていました。 ときには肩こりが強くなりすぎて眼精疲労、偏頭痛までおきる始末。仕事にも支障がでて、水分を多めにとったり、風呂を長めに入ったりしてもとれないつらさにすわ!はやりのなんとかウイルスか?とか思ったものです。そんなところで流行に乗ってもしょうがないのですが。 そんなときブログ仲間のけろ氏がいいものがあるよと教えてくれました。やりかたはどこでも売っているホッカイロを首のうしろに貼り付けろというのです。半信半疑でやってみました。 しばらくするとどうでしょう。じんわりほんのりとあったまって汗がでて肩が軽くなるではありませんか。 おかげでいまでは仕事もうまくいき、宝くじもあたって彼女もでき(略)・・・以上、雑誌のあやしい通販風の体験記にしてみた。あくまでネタである。でもこれ効くわー。べつにホッカイロ業者からなにかもらっているわけではないが(くれるならくれ)。おためしあれ。(♂)
2006年12月17日
ムスメの誕生日がすぎたので写真館に行く。いい感じの額にはまった写真が壁一面に並ぶ、浅田次郎の「地下鉄に乗って」の舞台のような店だ。 いまならアルバムが無料!という店の陰謀にみごとにはまりいそいそと10時着でドライブ。お宮参りでつかった店だ。あのときは泣き叫んでたいへんだった。「今度また泣いたらやっぱりあの写真館にはモノノケがいるんだよ」とか言って笑っていたのだが。 泣かないどころかスタッフに営業。ゴキゲンである。 前の組が赤ちゃん連れで泣きやまないのでしばらく待たされる。撮影の場所から漏れてくる鳴り続ける鈴は機嫌をとるスタッフの努力の様子であろう。サンプル写真をみながら時間をつぶす。わけのわからないミズッぽい男3人連れの写真など。まったく予備知識のないままみる集合写真は面白い。勝手に想像でプロフィールを書いてみる。 たてかけられた古ぼけたアルバムを開くと子供をファンタジー風のファッションと背景できめた作品集(!)であった。店主の娘か?グラデーションをかけられて撮られているのはかなりすごい。下手すれば脱がせかねない演出である。さすがにやりたいとは思わないが。情熱にあてられる。すげえなあ。って写真館来てる時点で同罪なんだが。 撮影は短時間で終了。家にむかう。 ムスメのためにかみさんが友人からいただいた「のんたん」の絵本を声にだして読む。 のんたんがサンタを待つ話。ネコにはネコのサンタが、クマにはクマのサンタが来るという設定は面白かった。この本のいいところは文章だ。声にだすと楽しい。ちゃんと韻を踏んでいる。カエルのサンタやらワニのサンタやらパンダのサンタやらがソリを曳いている絵はオカしい。カエルサンタの袋にはハエが詰まっているのだろうか(byかみさん)。などとツッコミながら読む。 昼食後昼寝。4時間爆睡。泥のように眠る。アウトドア派でもないのだがうつらうつらとしていると海が浮かぶ。自分が漂うイメージ。ベタなvisualのセンスに赤面。胎児記憶かしらん。前世?ゆーらゆーら。(♂)
2006年12月16日
得意先と飲む。話題の中で共通の知人について、なぜあいつがもてるのか?という話に。 この切り口そのものはモテナイ度が高い。はたして「なぜ」がわかったといって同じことをやってももてるわけではあるまい。いかにも飲み会のネタではある。またおたがい既婚者ということがポイントだ。いまさらおそいというかどこで活かすというのか。 といいながら、理由としてあがったのが「他人の眼をきにしないこと」と「まめさ」である。 相手にどう思われようと、周囲にどう言われようと気にしないで、恥ずかしげもなく声をかける。 ストライカーのセンスといおうか。FWの仕事をある選手は言っている。「自分がプレイしているのはフットボールではなくてストライカーだ」点をとれればあとは試合はどうなろうと知ったこっちゃない。といったふてぶてしさか。アホさともいうけれど。 同じようにメンタリティとしてあるのは「つきあえれば知ったこっちゃない」ということなんだろう。 べつに計算しているわけではない。DNAレベルの話か。 となるとなぜ?というのはあくまで後付の分析であって実際は もてるやつはうまれながらにしてもてる。 のかもしれない。結論:もてたければうまれかわりを待て。ってほんとかよ。(♂)
2006年12月15日
仕事が忙しいわけでもなく、やる気がないわけでもなく、イヤな想いをしたわけでもないのだが調子が悪い。飲み会だって予定が入っているし、退屈しているわけでもない。 ただの運動不足だ! と往年の青春ドラマの教師(どうしてああも勉強だけをしているやつを虐待していたのかね王道の設定だと。勉強好きな子供もいるだろうに)のようなことをいってみたりする。夏ばてということばがあるなら冬バテ・冬ボケか。 本を読む量が足りない。言葉はときどき充電してやらないとバッテリーが切れるのだ。テレビも観ていない。 と現在の文章の中に「ない」が多い。いかん傾向である。 同僚の蜜柑氏が会社ですれちがいざまいいことを言った。 バッティングセンター行きたいっすねえ。もやもやっとしたものをすかーっとねえ? いいかもしれない。あたらずともボックスに立って棒切れをふりまわすのはさぞかし爽快だろう。あたればなおさら快感だろう。打ってデストラーデのガッツポーズを決めたい←古いよ。 検索・・・千代田区にねえじゃん。でも近々行くのだセンター。下手なひとがいっぱいいるとこがいい(ヘタレ)。 キャッチボールでもいいなあ。グローブないけど。そういう原始の衝動(?)って満たそうと思うと意外と近くにないものだ。できれば日常生活に差しさわりのない活動をしたい。 まずは走るか。(♂)
2006年12月14日
季刊「サッカー批評」にかつての高校選手権得点王森崎嘉之がとりあげられていた。興味深く読む。聴き手が「消えたマンガ家」の著者とはヒネリが効いている。 選手権決勝でハットトリックを決め、当時の協会会長に「すばらしい得点感覚。将来の日本代表をめざせる逸材」(NUMBERより)とまでいわれながらジェフ市原(当時)でレギュラーをとることもなく都落ちのようにチームを移り22歳で引退。気になっていた。 普通の生活をしっかりしている様子が頼もしい。 「日本代表にならないかぎりサッカーで飯を食うのは難しい」と言うコメントは正しい。メディアがとりあげないプロスポーツの陰の一面だろう。 以前読んだ別の雑誌ではファーストタッチに問題があったという指摘があった。そういう技術だけではなくいろいろなタイミングのズレがブレイクにつながらなかったようだ。自分で選んだ道ではあるし言い訳といってしまえばそれまでだが。プロサッカー黎明期の人材にそれをいうのは残酷だろう。そして悲劇の原因は黎明期ゆえの混乱、無責任なメディアから才能が守られなかったことにある。しょうがない、で済む問題ではないだろう。 才能への見切りがもしかしたら最後の「得点感覚」だったかもしれない、とも思う。 NFLは引退してもNFLの一員だという誇りをもたせるために定期的に現状報告をさせる、というのを聞いたことがある。Jリーグでもできないものか。司法試験に受かるJリーガーがでた一方でオレオレ詐欺の片棒をかついだ元Jリーガーもいる。社会の一員という意識をもたせるのは悪いことではないだろう。 野球選手よりもその後が気になるのは栄光の時間が短い競技生活に自分の芝居と重ねあわせているからかもしれない。自分に栄光があったかどうかはともかく。 見切りをつける姿に軽く痛みを感じるのは勝手な思い入れではあるが。小声で応援してしまう。森崎氏にはぜひ成功して欲しいものだ。NAK●TAになれとはいわないから。 ところで、先日バイク好きの男に息子を将来を見越してポケバイに乗せる?と聞いた。答えが傑作だった。 「絶対乗せない。ああいうプロスポーツはね、子供をたくさん持っていてひとりぐらいそういう一か八かなギャンブルをやらせてもいいかな、って親がやらせるんだよ」そんなもんかね?(♂)
2006年12月13日
喜国雅彦のマンガで「夜中に銭形のマネをするといたたまれなくなる」というネタがあったが。 つい、やってしまうことがある。 今日みかけたおっさん週刊誌の見出し「ロシア美女のポロリウム」 ダジャレじゃん。と思いながらひとり家路をたどりながら口にだしてみる。つい。 ぽろりうむ ・・・・寒いね。心底冷える気がする。 そういえば、前から気になっているのはあの男の歌声だ。どうしてそんな表現になったのか。 ぼえー どんな声だよ剛田クン? これまた、口に出す。うん、沁みる。ブルースかもしれない。違うだろ。(♂)
2006年12月12日
先輩Kが仕事の都合でいけなくなったのでかわりに鑑賞。ごちです。 旅客船に乗っている客たちの謎からはじまる物語。 月。海。退屈。所在のなさ。虚無。天使。夢。生。死。記憶。母性。言葉遊び。あざやかな舞台装置。 ・・・って、おもいっきり王道の80年代演劇。幻想の扱いが懐かしい。劇団3○○とか南河内とかこういうかんじだったなあとか思いながらみる。 竹中の演出を実感できるのは役者の動きだ。「動ける」演出によって、全員が同じ意図のもとに動いている肉体感覚。舞台がせまく感じる軽快な動きが気持ち良い。一瞬たりとも場が空かない。 が、正直長い。 よくも悪くも演出家というより俳優竹中直人の優しさがでてしまった。出番への気遣いか?これだけたくさん詰め込んでいるなら削っていい。客を考えれば大胆に編集できるはずである。インターミッションは入ったとはいえ、イメージがつづく構成に消耗。いくら笑いをいれてもその展開が重ければつらい。 井川遥の面白さは収穫。つい扱いがテキトーになりがちな小劇場において女優陣が魅力的なのはいい。 ラストだけは音も雰囲気もいい。誠意がかんじられる舞台ではあるのがもっと整理してほしい。叙情に浸りすぎていて消化不良。(♂)
2006年12月11日
だらだらと8時に起床。 目玉焼きを焼いて昨夜つくった味噌汁(白菜大根シメジいり)をよそう。ガスでガンガンあっためられるのがうれしい。夏なら冷蔵庫の収納を考えて電子レンジにしなくてはいけないのだが。 味噌汁はいい。日本人にうまれたからには必須課目だ。コメの扱いと味噌汁だけできればたぶんひとりぐらししても困らないだろう。つくれるというのとつくるというのはまた距離があるわけだが。 昼から友人宅に遊びにいくかみさんとムスメを車にのっけてドライブ。アシがわりに。 古紙回収日らしく住宅街にずらりと並べられた某「アカが書きヤ●ザが売ってバカが読む」古新聞の風景に驚愕。やはり影響力はあるのだね朝●新聞。困ったもんだ←修正。バカじゃないひとも読んでいるよな。なぜかフォローしたりして。 入試問題採用率NO.1と威張っているけれどあれは大学教授が専門バカで新聞しか読まないからというだけで、べつにいばることじゃない。かといって私が読んでいる産経はどうなのかといったらねえ。右翼新聞だし。 パンや→ケーキや→駅にいってくさのなぎ氏を拾う。ナビに入力した友人宅まで送り届けて帰宅。ひさびさのひとり暮らし。とりあえず珈琲をいれ、パンにチーズを乗っけて焼く。 だが洗濯物を干し、雑紙をまとめ、いらん書類を廃棄していたらあっという間に呼び出し。その足で駅へ。くさのなぎ氏を駅までとどける。 コメ買って帰宅。(♂)
2006年12月10日
土曜日は休む。 と、ほぼ決めているので仕事をそのように組んでいる。金曜日まで仕事の動きの様子をみて提出している。宗教をもたない私にとっての信仰のひとつだ。でも休みの届けをだすたびに朝礼でボスに休みのとりかたについてくどくど説教されるのってどうよ?同僚の視線がイタイ。オマエがヘンなタイミングでだすから巻き添え食ったじゃねえか、みたいな。 あーすみませんね(棒読み)。 「法律上強制力をもって言ってはいけないのですが」と前置きしつつ「ふだんできないことをやる日だ」なんだと語られる。やることやってんだからいいじゃねえかと思っていると昨日の台詞は凄かった。 「イヤミにとられるかもしれませんがイヤミです」参りました。そういうひねりのなさはとても好きですボス。でも休みます。 ただ携帯電話と言う楽しいツールを持たされているので結局なにかあると電話はかかってくるのだ。そしてそれでコトは足りる。もういいかげん事務系は土曜日休みにしようよくだらねえ。そんなに水道電気代払いたいのかね? だいいち平日休めないじゃんカゼでもひかないと。そもそも病気のために休暇をつかうのだってほんとうは法律違反なんだよ。 隣の課なんて上司が放任のせいで休暇のとりかたについては無法地帯となっているのだがそれについての公式見解はどうなのよ。どうしてうちばっかり。待遇に格差があるよ。ろくにボーナスでないんだったらせめて休みをくれ。 そういうわけで休む。 かみさんを歯医者へ運ぶ。焼き蕎麦を炒める。お歳暮を買いにドライブ。珈琲。昼寝。ムスメを風呂にいれる。ドラマ「戦場の郵便配達」(※1)鑑賞。ってやったことはそれくらいだけど。神田に行かないというだけでなんでこんなに疲れない? こんなときつくづく自分はリーマン体質だと実感する。自営業の休日ってまったく想像がつかない。休みを自己管理しているなんてほんと尊敬する。 与えられた自由なんて~さ♪みたいなバカロックの歌詞があるけれど。すみませんおもいきりそれに慣れてます私。だめですか?とりあえずロックじゃないよな。※ 佳作だったけど構成はすばらしかった。 60度から70度にまで温度があがる現場。支給されるのは1日水筒1本の水。掘っても1日に1メートルしかすすまない。そんなところに全長20キロの要塞をつくったという話はすさまじい。 兵隊役は役者の身体意識が高い人と低い人に差がでてしまっていた。カラダつくってこいよ、とかツッコミいれるのはドラマでは厳しすぎるかしらん。筋肉というよりは意識の問題。 戦争について相棒とおたがいの想いを語る場面よりは、飛行士に支給された食事をみんながうらやましそうに見つめている場面のほうがリアルだ。結局はどう思ったかという時代背景を考えて語る「正義」よりは、空腹のときに人はどうするか、という「やさしさ」のほうがリアルに描けるのだ。 そしてドラマよりも実際の写真が雄弁である。昔のひとも笑うのだな、というあたりまえの写真の風景に自分の立ち位置・歴史の延長線上にいる彼らを実感した。彼らがいたから私がいる。 「恥ずかしながら還ってまいりました」という台詞が昔よくわからなかったが。これを見てわかった。生の重さ。勝村政信が好演。(♂)
2006年12月09日
ここ何日か続いている1つの仕事のトラブルで、発注先への信用の限度額を超える。 もとはといえばこちらのトラブルが原因である。見積もり段階でかかる時間もあらかじめ聞いていた。それも社内には報告していたのだが、さまざまな事故でまったくなかったことにされている。 ガキみたいに「ああいったじゃん!」と社内でゴネる手もある。発注先が当初言っていた納期を営業に機械的に、あるいは教科書的に繰り返せばストレスもない。所詮サラリーマンなんでそういう発想もある。 ただそれでは最終納期にまにあわなくなる。したがってしりを叩く。というより時間的な短縮の可能性を問う。しかしナメているのかああ聞いても受け流し、こう聞いても受け流し。こちらはそれだけ時間がかかるならという最大限の譲歩をみせているつもりだが、誠意がまったく感じられない。引取りの手配をとってもいいとまで言っているのだが。 会社というよりフロントに立っている男がバカなのだ。 ぱかっ というより、ぴきぴきぴき とひびが入る。少しずつ。そしてその反応の理由が、そいつがこっそりだしている外注への交渉をめんどくさがっているだけだと知りさらに精神的に劣化がすすむ。 今日、別の仕事の話をしにいったときに「とくに納期を言っていないならあとでいいじゃないすか」まえからひとことふたこと多いと思っていたが。これでレッドゾーンを超える。 ひきあげるから、というと相手の電話の声が微妙に変化が。そういうカードがあるとはきづかないまま話していたらしい。 しばらく干す市場の状況をよく勉強していただくことに決定。 信用のもろさというか。ひとことふたことの怖さというか。積もり積もっていくなにか。自分も立場を超えた余計な一言が多い。仕事には超えなくてはいけないラインと超えてはいけない聖域がある。反面教師にしなくては。 結論:どんな立場であれ、人当たりのいいひとほど慎重に扱え。って自分でいうかね。 そういうわけでそこからブツをひきとり同業種の会社にむかい相談。細かい説明、リスクの説明。反応の速さ。最初からこちらの会社に来ればよかった。誠意のあるなしにあまりに差があってびっくりである。星野のスローカーブの後にクルーンの直球をみたときのような。ってどんな例えだ。 営業の要望をよく聞き、裏をとり、技術的な別の提案をする。この場合は超えなくてはいけないラインをうまく超えられたと思う。 ・・・って、その自画自賛が余計なひとことなのかもしれないが。 それよりは、「ライン」をもっとはっきりさせたほうがいいだろう。超えていいのか。よくないのか。私はだれの味方なのか←もちろん会社優先なのだが。はっきりしない態度には「旗」をはっきり掲げるべきだ。 いまだに、「はっきり返事をしない」日本人リアクションに慣れていない。社内でも掃いて捨てるほどいるけれど。顔を思い出すと血圧があがる。なにに腹がたつって、腹がたつことにだ。同じ土俵に立ってるのってあほらしい。高いところからぬるーく笑ってやりたい。っていうか、笑うことにする。 信用はコップ1杯に満たされた水のようなものだ。減らすのは一瞬だが増やすことは難しい(by俺)。(♂)
2006年12月08日
シェイクスピアを齧っていたせいか、「例え表現」をひとりでブレーンストーミングすることがある。膠着した会議であるとか、筆記用具だけがあって長い間電車に乗らなくてはいけないときであるとか。要するに暇つぶしだ。 たとえば、あるイベントの時間が延びていれば。 「森繁が までとどっちが速いか」 「紅天女が上演されるのとどっちが速いか」 「サクラダファミリアの完成とどっちが速いか」 「サザエさん最終回とどっちが速いか」 以前はこれに「タイガースの優勝と」が入っていたのだがすっかり強豪になってしまった。時間の経過はわからないものだ←しみじみ。 語彙を増やす訓練にはなっている。増やしたからといってブログにつかうぐらいだが。俳句のたのしみのように、組み合わせの妙を噛み締めてニヤニヤする。 ただ欠点がある。例えがフィットすればするだけ場合によっては腹がたつのだ。オレはそんなに待たされているのかと。そして即悪態につかってしまう。上記の例であれば。 紅天女の上演より先にやってくれるんでしょうねえ? ・・・言う相手を選ばなくてはいけないのだが。わざわざ説明するのはもどかしい。というよりこういう共通認識・共同体を支える物語であるとか、世代間をまたぐモノがないのがいまの日本語の貧困さにつながっているのではないか?だからってガラスの仮面を読めという話ではない。読むべきだとは思うが。 いままでで感心した表現:あいつゲームうめえ!小学生ぐらいすげえ 正しい。でもヘンなの。 表現といえば、ふと思い出したこと。 埼玉で聞いた太田道灌の話。蓑を借りようと民家に寄ったところ、家の女性が山吹を一枝黙って差し出した。意味がわからない道灌は怪訝な顔をして蓑を借りられないままその家をあとにするが、家来から説明を聞く。 七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞかなしき という歌にちなんだ行動で、要するに「みのひとつだになき」という返事だったそうだ。道灌は自分に学がないことを恥じてそれから歌道に励んだ、といういい話なんだが。 イヤミじゃねえか。(♂)
2006年12月07日
ユニセフからDMが来た。住所と名字だけのあて先が警戒心をかきたてる。 中身は予想通り寄付のおねがい。すぐ廃棄保留事項として扱う。 手紙2通に、振込み用紙とヘップバーンの写真の入ったしおり。手紙には手書き風のメッセージが入った付箋が貼られており、振込み用紙にはご丁寧に私の住所とはたして名字が印刷されている。 ずいぶん凝ったモノをつくったものだ。さらに寄付って、説得力ないよ。たぶん詐欺ではないんだろうが。 もちろん広報活動も大切なんだけど、凝れば凝るだけだまされてる感が溢れているのはなぜ? 住所を知った経緯が怖い。文面に「電話帳やダイレクトメールを取り扱う会社の各種名簿を基にお送りしています」とある。 大学入学のとき、学内の名簿書類にうっかり住所に大字をいれたがためにDMが来ると知ったルートがよくわかった。ああこの業者はあの名簿をもとに送っているのね、と。 情報ソースが知りたい。人名を書くときに★でもいれるか?ダンス★マンみたいだけど。 白い手首に巻くアレとか、エイズ啓蒙のある運動とか、寄付っぽくみえて実は別の団体が儲けているというのによく出会うのだが、もうすこし気持ちよくそういう活動に参加できないものかね? 先日ラジオで紹介されていたのは文房具などを買うと自動的に寄付されるというものだ。わかりやすくていい。なにが頭くるかって、カネの動きがよくわからない部分だ。なんとか詐欺といわれて某公共放送の人が叩かれているけど。後ろめたくなければ細かく公開すればいい。ブログなんかどう? 偽善グッズとうたった商品があれば買うね。泉谷しげるが「このライブは売名行為だ!」と自らのチャリティライブで叫んだように「この売り上げはあなたの虚栄心と発展途上国の発展に役立ちます」とかないかね?あったら買うね。だって魂がロックだぜ?どんな理由だ。(♂)
2006年12月06日
世間もすなるボーナス支給式なるものをしてみんとてするなり。 と、それはいいのだが、同時に鳴り物入りで発表された企画がいただけない。社内のモチベーションをあげるべく創設された特別賞。その名も、「●●賞」←恥ずかしいからやっぱり伏字にする。伏字には小学生にあげるような恥ずかしい名前をいれてみてくれ。はい楽ちゃん! 初回受賞者については珍しくふさわしい人選なのでなにもいうまい。ただ非常に腹がたったのはまるでふだんわれわれ、もとい、私が仕事をしていないように思われたわけで。 考えすぎだろうか。あるいはジェラシーだろうか。ためしに自分が受賞したときにうれしいか?というのを考えてみる。 ノン←即答。 問題はちっとも受賞したヨロコビが想像できなかったことだろう。 はたしてあの場にいて「星クンおめでとう!次はわしがとるったい」(←目から炎)というひとが何人いたであろうか。少しでも「●●賞をとるなんて・・・恐ろしい子!」とか思う人がいれば企画としては成功なのだろうが。 ある経営哲学の本でははっきり否定している。社長による特別賞はイッパツ狙いの仕事をやるようになるのでやめたほうがいいと。 ほんとかどうかわからないが、広岡達朗はV9時代のジャイアンツを評してこういっている。勝つのが当然の仕事であって特別なモノをもらう機会ではなかったと。勝って当然と選手たちに思わせないと目標が低く設定されてしまう、とも。 企画がマズいし名前もダメだし、あとは記念品次第かなあ。 といっていたらかみさんがひとこと。「社会人ならみんなのまえの表彰よりこっそりあげてもらっているほうがうれしいに決まってるじゃん。いくらもらっているかなんてだれにも知られたくないよふつう」 正解。 結論:みんなの前の1000円よりも給与明細の10円。・・・しかしセンスねえなー。(♂)
2006年12月05日
誕生日だ。だれの?私の。あと、惣流アスカラングレーも(wikipedia)。おめでとうアスカ・・・忘れてくれ。 老けてるなーとはやめにいわれるのと若いねえといわれるのと、男としてはどっちが得なんだろうか。それ以前に、年齢がネタになっている時点でたぶんそれしか話題がないような。 さて。 賞与支給にともなう面接をうける。いちおういい評価らしい。ほっと安心。待遇変わらないが。それよりスキルだ。誕生日にふさわしいスキルなのかどうか。 スキルの確認、といったら大げさだが最近よくやるのは、人を批判したときに「じゃあ自分ならどうする?」と置き換えてみることだ。もちろん心の中だけでだが。 たとえばありえないが突然自分に社長のお鉢がまわってきたらなにをやるのか?できるのか?あるいはそこまで大きくなくてもいきなりいま自分が管理職になったら?と考えるとまだまだ足りないことがいっぱいおもくそあるなあと思うわけで←前者は野心というよりは妄想。 もっと足りないことを明文化・具体化できればいいのだが。っていうか、しろ。 「社長」になる可能性はせいぜいキャバクラぐらいだろう、あったとしても。あ、それは「社長」じゃなくて「シャチョサン」か。よくわからんが。 ・・・と脳内ライオンズクラブの入会を悩んでいたら仕事のトラブル。胃が縮こまる想いをする。人相も悪くなり、電話の応対も悪くなる。嗚呼器が小さい。ぐおお。 と鏡をみる。あまりに人相が悪いので口角をあげる練習をする。笑える。まだ大丈夫。 笑う角にはなんとやら、という。実際ニコニコしている人には人が集まってくる。こっちまでニコニコしてしまう→そのニコニコをみてそいつの笑顔がまたPOWER UPという「正の連鎖」になるのではないか?という説をたてているのだがどうだろう。 もうすこし人の顔をいい顔でながめてみよう、と思ったりする誕生日。きらん←白い歯の音。(♂)
2006年12月04日
大学のサークルの公演に行こうかと思ったが、あまりにここ数週間でかけっぱなしなのでとりやめる。連続鑑賞記録がとだえるのはくやしいが心身の消耗を考え自宅で静養。昨日飲んだし、布団でうだうだしていたいがなんとなく起きて掃除をはじめる。 ふと思い立って皿を洗う時間をはかってみた。 まあまあの量ではあったが10数分。つまり10数分だまって手を動かせば終わるのだ。皿洗いに限るまい。横着せずやれよ、と自分を叱咤し家事をやる。掃除もそうだ。どんなに時間をかけたってたかだが数十分。そういう隙間でどれだけなにができるのか。と考えたらもっと時間を惜しんだらいい。 でも今日は体内時計をゆるめる日に決定。 朝、コメを炊くのを忘れたので餅を焼く。ムスメの誕生日に用意した赤い祝い餅。薄く切ってジップしたものをひっぱりだしてグリルで焼く。もっちりと粘りと練りが効いていてうまい。醤油をかけて海苔を巻いて食う。餅って正月過ぎてから食っているイメージがあったが冬ならいつでもうまい。ということをいまさら認識。どんな認識だ。 昼はパスタ。タラコとツナをまぜ、ピエトロのドレッシングをかけて出来上がり。 午後から車を洗う。さすがに水垢のストライプのデザインでほっておくのはつらい。じゃぶじゃぶ洗い、拭くのはいいのだが冷たいよ水。 夕方から張替えの障子をみにいく。しかしこの障子のデザインはだれが考えたんだろう。こんな大げさな切り替えをする必要がまったくわからない。どうせすぐに穴をあけられるのだ。ムスメに。 といって貼るのをおっくうがる休日。なんかね、頭がまわらないよ。(♂)
2006年12月03日
12月の下北沢へ夕方むかう。 どいつもこいつも薄汚れたファーコートを着ているこの町がだんだん苦手になっているのは田舎暮らしの長いせいか。ファッションを除いては10年前と変わらない風景。いつまでも「若者の街」と呼ばれているということは10年前のワカモノはみんな卒業してしまうのかしらん。どこに行ったワカモノ? はーい(返事) さて内容。 「青い鳥」と落語「あたま山」をベースに男と女の幻想を描く二人芝居←という説明でいいのかどうか。 難解な戯曲をかろやかに、繊細に演じる俳優たちにはとても好感がもてる。VISUALも、劇空間の活かし方もいい。男はデカく、女は可愛い。それでもとはとれる←言いすぎだけど。 ただ、それでおもしろいのか?といったら正直難しい。戯曲のせいだ。といってしまうと話が終わってしまうのであえていうなら。 おそらくベースにある「青い鳥」へのズレが足りない。もっと「ごっこ」であるべきではないのか。フィットしすぎていた。内容的には「仮に役を身に着けている」かんじがほしい。狂った、ゆがんだ雰囲気が。 あるいは他者を問う台詞の際に裏切られる構成・切り替わる別の顔をもっと強調して、何層にも変わる二人の関係のチャンネル部分をわかりやすくみせればよかったのでは。役者の上手さからくるスムーズな展開が逆に見づらさにつながっている。 ザッピングするテレビのように、あるいはコラージュのようにところどころギクシャクさせたほうが作品としての奥行きがみえたと思う。場のつなぎが悪くていらいらする舞台は多いが、今回は良過ぎる←こんなダメだしはしたことないが。良い、というより「軽い」か。もっとかきみだしてくれ。 どうでもいい話だが、どこの劇場でも必ずヘンな色に染めた髪型の高泉淳子風のおばさんと仲代達矢風のあごひげのおじさんがいる。そしてかれらはなぜかみんなタートルネックだ。あれって演劇人崩れのスタンダードファッションなのかしらん。(♂)
2006年12月02日
江東区の飲み友Tの家に親子で赤ちゃんを見にいく。前からおたがい「行く行く」「来て来て」(なんかヒワイだ)という話があったのに体調とか行事とかタイミングがあわなかったのだ。 高速をとばしてふだん仕事で走る都心の道を家族といっしゅに通る。不思議な感覚。急に生活がおしゃれになったような。でもBGMは中島みゆき。 昼ごろ到着。古い物件と新しすぎる物件が混在している街とは聞いていたが、下町の雰囲気残るかんじは結構面白い。駐車場から家まで歩くときとおらされた道はブロック塀の隙間だったりして、気分は男の子だ。そういうわけでご対面。 ぱっちり真ん丸の黒目がちの目と立派な体躯は父譲りか。抱っこさせてもらうと懐かしい感覚。ちょっと前までムスメもこうだったのに。すっかり忘れている。なんというか、やわらかくてつつむような重さ。不安定だが軽い。 騒ぐでなくじっと抱かせてもらう。うれしい。小さい子はだいたい私を警戒する(理由不明)ので、それだけで好感度UP。足だけをばたばたさせる表現もまたかわいい。子供がいなかったときにはない感情だ。赤ちゃんってかわいいなあ(なにをいまさら)。 めずらしくムスメが抱っこしろと騒ぐ。嫉妬?生意気な(苦笑)。自意識他意識の芽生えともいえるから喜んでいいのかもしれないが。 いままで自分より年下の子が近くにいた経験がないせいか、注目を集められなくておもしろくないらしい。王道の世間的イメージとしてのひとりっこ育ちだなうっかりすると。早々にあきらめ親にかえす。残念。 1時間強お邪魔して退散。プレゼントまでいただき感謝。駐車場までおくっていただく気遣いはあいかわらずだ。すみませんありがとう。 高速道路が空いていたのであっという間に帰宅。(♂)
2006年12月02日
北の国からメールが届いた。 といっても電子メールだが。北の国・メール。組み合わせとしては完璧だ。下手すりゃ季語のダブりか。手書きならもっと風情があっただろうにという贅沢はいうまい。南より北の方がぬくもりがある気がするのは不思議。根拠はないけど。たぶんあのドラマのせいだ。富良野とは縁がなかったけど。 発信元は昔勤めていた会社でいっしょに働いていた女性。母親ぐらいの年齢だが年に似合わず熱い人で、考えて話せば考えてちゃんと答えてくれる人だった。就職したての青臭い男の戯言をよく受け止めてくれた。よくもまあろくに働いてないのにリクツばっかりこねていたものだ。 働くなら黙ってはたらけよ当時のオレよ。 内容は「雪が降っている」というような話。とりたててとりあげるようなモノでもないのだが、おたがい1年に1回あるかないかのメールや電話がうれしい。こちらも近況報告を軽く打ち返す。 上司とのやりとりで「あずましくない」とかつかっていること。関東の違う寒さのこと。 書くのはとりとめもない内容になってしまうのだが。それでもいいと思える安心感。とくに荒みがちな年末。こんなことでもハッピーになれる。 声をかけられるとうれしい。わかっているのになかなかできない。自分からよりも他人から。まっているうちに会うタイミングを失う。手紙も飲み会の誘いもいっしょかもしれない。同窓会とかもそうか。 なんでこうも臆病かね?なにを守ろうというのだ。築きあげたなにか?そんなものはなんにもないのに。 声をかけられたければこちらから声をかければいいのだ。なれなれしくなるのは怖いけど、なれなれしいと思ったら言ってもらえればいいだけだ。たいしたことはない。 ノックされるまえにノックしよう。叩きすぎはまずいけど。だれかをハッピーにさせればハッピーになれる。今日、私がハッピーにしてもらったように。 もっと、メールだしますねAさん。どうもありがとう。(♂)
2006年12月01日
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