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朝、ダイニングにいくとすさまじい新聞紙のばらまきが。 犯人はムスメである。最近ほっといているとちまちま袋からだしてほおりだしてうっとりしている。マウントポジションからのグーパンチで折檻(ウソ)。 かみさんがいう。「まー赤ん坊にも仕事がないとねえ」大人の仕事ふやしてどうする。ワークシェアリングとはこれか(違)?たしかにこの悪戯をやっている間はおとなしいのでたすかる。キモの座り方に母の強さを見た。 こういういい意味でのテキトーな対応ができなくて参ってしまうひとっているのだろう。またされるのを承知で袋へ戻す。戻しているととたんに高速で接近してくるのはなぜだムスメよ?またまたぐーぱんち(←やってないって)。 NHKをつけるといろいろと地方番組が連続で放映。高知のちびっこ相撲の少年の顔つきに感動。まだ小さいのに下半身ができている。面構えもいい。カラダもでかい。あんなのの頂点にいる大相撲って絶対バケモノの世界だ。みんな曙をバカにするけれど喧嘩売ってみな。片手でコロされるから。と何かといっているのだが。相撲取りの凄さってもっと売ってよテレビ局。 ユメがない。じゃなかった、コメがない。ないのでナンカレーセットをひっぱりだす。意外とうまいので愛用中。 いつのまにか昼寝。「平山@FC東京はダイエットのために昼寝を制限中」という記事がスポーツサイトに載っていた。そんなことまで記事にされてしまうってたいへんだねJリーガー。 買い物のために車をだす。 最近の酔っ払い運転追放キャンペーンはいい。日本に自動車時代がはじまってからつい最近までの甘い対応は「仕事で飲むこともあるからしょうがないじゃん酔ってても」という開き直りからきていたと思う。接待費が減り、仕事で飲むことそのものが減ってそういうアリバイ・言い訳がなくなったから厳しい声があがるようになった。いい傾向だ。 携帯をかけながらとか飲み物を飲みながらとか「ながら」運転にもやがては波及していくことだろう。アメリカではすでに厳しいらしい。法律でどうこうなる前に運転そのものにもっと集中したほうがいいかも。と思いながらつい飲み物を飲んでしまうのだが。 かみさんがDPEで写真のプリント指定をしている間ホームセンターをぶらつく。クリスマスの飾り付けが売り始めていたのはおどろいた。それともハロウィンでも電飾のかざりをつけるようになるのだろうか。うちもいつかはつけねば。その前に庭をなんとかせねば。ねばねば。 帰宅してムスメを面倒みながら浦和レッズ戦再放送を観戦。もはや試合は決まっていた。京都弱すぎ。 夕食はキャベツとベーコンとニンジンと玉ねぎとペンネのパスタ。ひたすらゆでたものにとろりとかけるソースはヨーグルト風味に卵とバジル。でぶいぜ。でも好評。(♂)
2006年09月30日
朝来たスパムメールに笑う。文の中身は目が覚めると家のイヌに襲われてカラダが火照って云々、というやおい本みたいなSFみたいなアホな内容。そんなやつはいねえって。それより「メールの際は私のことを伏姫と呼んでください」というまとめの文に感心。書いているヤツは高学歴とみた。 どう考えても無茶なスケジュールの仕事数件。追い込みで1日電話を握る。 半期の予算消化とか、売り上げのでっちあげとかあわてた結果のミスとか。いろいろな大人の事情が絡んであわあわするのだが、あわあわしても大声出しても動くものは動き、動かないものは動かない。感情を抑制して電話をかける。 自分が考えるスタートの時間と終わりの時間に軽くボーダーをひき、モノの動きをチェック。欲しがっている側に伝え、おくる側にも情報を流す。暫定的な要素と決定事項と。エンピツとボールペンを脳内でつかいわける。さらに担当営業に伝える。こういうとき自分の会社のインフラのぼろさに殺意を覚えるわけで。 急がせておいて急ぎの電話がつながらんってどうなんとるんじゃあ!(いまどきPHSってどない?)旧通産省の敗戦の結果に怒りを覚える。どうせならPHSで世界を征服しておけ半端な開発しやがって。 開発といえば。 YS11の開発についてある軍事ライターが書いていた。「いいものをつくれば売れる」というのは思い込みであり、基本はハードではなくソフト、マーケティングである。エンジニアの自己満足を重視したのは攻撃力重視で整備しやすさなどを犠牲にした結果敗れた日本軍の装備と変わらない、と。 言われてみれば技術に淫するのって日本独特であると思う。技術に美学をもち「酔った」部分と「家電のココロ」のバランスがこの国を支えてきたのだろう。 自分の会社もかつては技術が売りだったのを考えると考えるべきところがある指摘である。きっとあらゆる事業展開と言うのはアーチスト集団から素人集団へ切り替える作業をいうのだ。なんてな。 ケンチャナヨーとか、マイペンライとか各国のええ加減癒しコトバを脳内に流しつつ1日をクリア。よっしゃー。1件だけ土曜日に電話する内容を残しニコニコと退社したら先輩Kからメール。「PCつけっぱなしだぞ」・・・すみません。(♂)
2006年09月29日
かみさんから素敵な(←やだなこのフレーズ)ビデオをみせてもらった。 正確には「聴かせて」もらったに近い。なにせ落ち着いて撮影したくとも片手はムスメでふさがっている。画面はぐらぐらゆれ、人のあたまやら前の人の背中やら←タシロマ●シビデオみたいだ。さらにBGMには特典としてムスメのばぶばぶ声が。 育児仲間に某有名クラシック団体の人がいて、子育てセンターで歌うというので野次馬にいったのだ。 凄かった。 場を暖めるためにあれやこれやつかみをするエンターテイナーとしてのうまさもあるのだが、なにより声の深みである。場を圧倒(というより支配)する声。会場のサイズにあわせた客席のすみからすみまで無駄なくたぶん届くであろう歌。 マンガで音符がうまるベタな表現があるが、まさにあんなかんじだ。くすぐるような伴奏者のテクもさえてもうおなかいっぱい。凄くいいものを見たときに人の背中は緊張する。画面からは全身で歌うひとと全身で聞くひとたちがいた。 小さなビデオであっても伝わってくる立体感。生でみたらどんなのだったのか。 自分と同じ地平線上にいる凄い人。いま、そこらへんにいる幸福。ひさびさになにか錆が落ちる気がした。なにが錆びているのかわからないけれど。 ・・・そんな凄い演奏でも彼女の息子たちは何度も聴かせると退屈するらしい。嗚呼家族って。(♂)
2006年09月28日
某動画サイトで遊んでいたら岡村靖幸の映像に出会う。 ぼっさぼさのかつてのオーケンみたいなヘンな髪型。まだ痩せている。NHKの往年の音楽番組「ジャストポップアップ」のビデオからのとりこみ。司会はたしか松岡英明。 うれしくなってしまった。ギブソンを手にする岡村。かっちょいい。 たぶんこれを録ったひとは同世代。自分もあのころやたらビデオに撮りまくっていた。いまみたいにDVDほど安く買えるわけでもなくそういう努力(?)でソフトを得ていた。という話になると「いまの若いやつはエアチェックって言葉を知らんのじゃあ」とジジイ口調になるわけで。たっぷり貯めこんで、邪魔になって捨てた。もったいねー。 考えたいのはこの記録への情熱についてである。 たぶんこれを流したひとはコレクションをだれかにみせたかったのだろう。自分だってもっていたら流したい。レアだもの。 でも私はいまは映画ですら、録画を最小限にしている。あのころのやたら溜め込むソフトへの情熱はなんだったのか。溜め込んで観て、また観返して。 結局は新鮮さがあるかどうかなんだと思う。いろいろなものを観て、観返して血となり肉となり、最後は贅肉になりはじめる。だからやめる。 たしか24を機に大人はクリエイティブなものの素直な吸収ができなくなる、とだれかがいっていた(ソース不明)。そのかわり25からは編集能力があがるという。あたっている気がする。 もちろんいまも刺激は必要なのだけれど、胃袋が小さくなってそんなに入らなくなっている。そんな私でもときどき胃袋にがつんと染み渡るものに出会うことがある。 渋滞のラジオで浅井健一「危険すぎる」を聴く。まつわりつくボーカル。すげえ。ガツンとキた。 溜め込む能力はもうなくても、刺激が鈍くなっているだけ凄い刺激に出会える。これもまたじじい力か。へんに老け込む必要はないけれど。(♂)
2006年09月27日
夕方、会社の関係の交通安全運動の絡みでかりだされる。 このへん子供いないんだからやんなくてもいいじゃんとぶーぶーいいながら交差点へ。ほんとはうちともう一社が参加しているはずなのだが影も形もない。きやがれ●●自動車。モチベーションがジーコジャパンのキャバクラ7なみにさがる。 農家のおじさんがかぶるような微妙な帽子に旗。血中おやじ度がかなりあがる←いいかげん自分がいい年だと認めなくてはいけないのだが。 青になったらアリバイ程度に旗をあげ、左折車をばんばん通す。やる気がまったくないのはどしゃぶりの天気もあるがこの運動のあほらしさだけを実感しているからで。交通安全協会というわけのわからないピンハネ団体を食わせるためだけにやっていると思うとなんだかねえ。 数字上は事故件数がさがるらしい。困るなーそういうの。数字だけだもの。 やってみて思うのだが、ほとんどのやつは青が点滅してから渡りはじめるのだ。そのへん日本人というか。なにを急いでいるのだ。だったら自己判断でやってくれ。というかんじでみてみないふりをする。 左折ドライバーの立場でいうと非常にアタマにくる。巻き込み左折のとき自己判断でなく信号に従わなくてはいけない日本の交通法規においてはこういう歩行者にはほんとに困るのだ・・・自分もやっているのだが、それは内緒。 たとえば某美術館の前の交差点などはでっかい展覧会があるとジジババが信号で交差点でやはり点滅時にむりやり渡るので車も自然と長く渋滞してしまうのだ。対策をとれ国立近代美術館(警備員は置いているが)。 神保町まで道をきかれたので丁寧に教える。とりあえず天気も悪化の一方だし、いいことをひとつしたので上司に天気を理由に撤退許可を得て退散。はーやれやれ。(♂)
2006年09月26日
室井祐月が祖父という存在について言っていた。彼女には子供がいて面倒を両親にみてもらって単身赴任(?)しているという。 だれにも愛されていないんだから孫の面倒をみてもらえばいいんです。孫なら愛してくれるんだから。 あくまでネタであるのでそのまんまの意味で捉えるのは危険ではあるが笑いながら考えてしまった。 男親の位置ってなんだろう? たとえばドラマ「大草原の小さな家」では父は対外的な問題にたちむかい、娘をさとしまさに「父」ある。が、これだけ経済的なモノが男女で差がなくなり家庭の対外的な不安要因が減っている(というより不安要因の解消に役にたちそうにない)時代ではなかなか父であることは難しいのではないか。 ・・・そんな話はカビが生えている、といわれそうだが。 レディコミのある分野において「やさしい理解のある夫をもつ女が野卑な男に溺れていく」という王道パターンがあると指摘したのは「さるまん」だが、この潜在的なキャラクターにヒントがある。 たぶんみんなやさしすぎるのだ。そして理解がありすぎるのだ。 扱いづらい女性を男がかえって注目するように、父親は厳しくわからずやのアナログな存在でいたほうがいいのかもしれない。扱いづらいことでかえってだれもがなんだかんだと扱う、マックのような。なんとなく父を「しょうがないねー」と文句をいう対象になっている家の方がまとまっている気がする。対外的な脅威にたちむかう存在よりは家庭内の「仮想敵」になるのが「大黒柱」の役目だ←言いすぎだろう。 まあ扱いづらいと簡単に捨てるのが時代の傾向ではあるのだが。 権威とかむちゃにつくる必要もないが、ふと不安について考えてみた。(♂)
2006年09月25日
車を洗う。 先週の長旅にやられて埃が積もっている。カラーリングを(ディーラーのススメどおり)埃が目立たないものにしておいてよかった。広い上をふき、水を流す。爽やかな風が気持ちいい。去年ぐらい寒くなると思われる冬にもこんなのんびりしたことができるのだろうか。 1時間もかからず終了。 小さいころ、近所の人でスバル360に乗っている人がいた。いくら私が昭和生まれとはいっても当時にしてみても古い車で、乗っている姿はユーモラスだった。年式を考えると相当大切に乗っていた人だったのだろう。今の車も車検を考えずに&ディーラーの顔もたてずに意地になってのっているとそういう存在になるのだ。とりあえず丁寧に掃除はしておこう。 よく「味のある」という言い方をする古び方ってあるが、あれって掃除に掃除を重ねていよいよヨゴレが落ちなくなった結果なんだと思う。それは汚れとはいわず、勲章というべきか。 草取りをして昼食。朝の残り。 午後親子で近くのデパートの北海道展へ。昨日のスーパーで満足したじゃん!といいつつついてくる夫のけなげさよ(自称)。町中の混雑の中のベビーカーがいやだったのでダコビーで運搬。ムスメを抱いていると席を譲ってくれる。 す、すみません。 はたして会場はすごい混雑。ソフトクリームを喰らい、コロッケとカレーパンを購入。 ムスメの視点からみるとすごい人だかりにみえるだろう。インストアマーチャンダイジングが発達している今日だが意外と見落とされているのはこの子供の見あげる感覚かもしれない。実際の購買行動というよりはったりの部分だ。すげえ店だなーと思わせたければ積み上げろ店員諸君。 帰宅して軽くドライブ←車の管理のため。 ポルノグラフィティをかけながら近くを軽く走る。カラオケいってねえなーという話から昔狂ったようにだれもが行ってたのはなんでだろうね?という話。選曲については会社だったらだれもが知っている曲にするんだよ、という暗黙のルールの話からふと気づく。 だれもが知っている曲ってねえじゃん。カラオケやつぶれるわけだ。嗚呼こんなところにも世代の断層が。 夕食は糸蒟蒻と豆腐と玉ねぎをからめて牛丼。(♂)
2006年09月24日
先日の古希のお祝いのお礼電話を父からもらう。 頼んでいたバカラグラス(イニシャルと日付いり)が無事届いた由。シンプルで気にいってもらったとのこと。安心安心。次は喜寿でつくるから、と軽口。そのうちグラスだらけになるかしらん。 勤めていた会社の健保でも古希の祝いがあったらしい。いまどき珍しい企画だ。十数人に声をかけて来たのが7人。他は病気とか諸事情により来られないとの連絡があったとか。「まあいろいろあるんだろうね」と父。 勤めていた会社の管理職の平均寿命が60代と聞いていたのでたいして病気もしていない奇跡を思う。酒に溺れていたわけでもなく、運動していたわけでもなく、ストレス解消をどこでしていたのか。「よっぽど不真面目に働いていたんだね」とつっこむ。実際は母の栄養管理か?あとはタバコをやめてくれればいいのだが。 午後快適な空気に誘われてひさびさに昼寝。重い眠りに自分の気づかない疲れを実感。疲れを疲れと思わないのはタフというより麻痺なのだろう。やたら疲れを訴えることもないけれど、積極的に「疲れる」場があってもいい。 夕方3人で近くの大型スーパーへドライブ。立体駐車場で妙な車の入れやすさに感動。設計のセンスだろうか。それとも照明配置か。同じ立体でも運転していてストレスを感じる空間もあるのに。 食品フロアで北海道展をやっていたのでジンギスカンを買う。 そういえば。だれもが忘れているがW杯ドイツ大会の応援歌はジンギスカンだった。いまとなってはトリビアだが。ジーコジャパンの間違いはあそこから始まっている絶対。闘う音楽じゃないよ。でてこい植田●日。 鯛焼きを買って食う。休憩所で食えと書いてあるけれどガキむけガチャポンががんがん騒音を出している横で休憩はとれねーよと文句をいいつつお好み焼き風鯛焼き美味。時間が遅かったので赤ちゃんコーナーで離乳食を買ってムスメに食わせる←ダメ親。赤ちゃんコーナーの店員の覇気のなさに軽くいらいら。腹式呼吸で話せ若者。 帰宅。当然夕食はジンギスカン。(♂)
2006年09月23日
仕事のストレスの多くは責任の所在の扱いについてのものである。 あいつが悪い、とか自分がすべて悪いとか。とりかたはそれぞれだが他人を責めれば進歩がないし、自分を責めてばかりでは病気になってしまう。 こればっかりは性分で、他人のせいにするやつはいつでもそうで、自分で背負うやつはいつでも背負ってしまう。ストレスの量というのは世間ではつねに一定なのかもしれない。 考え方を変えろ!というのは簡単だがはっきりいおう。不可能だ。できないならどうすればいいのか。 考え方を混ぜろ!というのが正しいのではないか。 発想そのものはクラッチをつなぐのに似ている。性分にしたがうなら、他人を責めやすいひとは自分の発想の逆「じぶんがわるい」という視点をもってきて、次に自分の本来の発想で問題点を考える。次にまた逆・・・と繰り返すことですこしは冷静な考えにもっていける。と同時にストレスを少しは回避できる。 ちなみに私はいつでも自分が正しいと思っている・・・・と大声でいえたらいいのだが。 どこかのセンセイは寄生虫を体内に飼って健康だとのたまっているようだが、精神的なモノも意外と同じかもしれない。純度を下げたほうが多くのものは健全だ。内なる悪魔を飼え。(♂)
2006年09月22日
現場に対してボスがぼやいていた。 予算が動かせる責任ある立場のひともいるんだから、もし解決しない技術的な問題があるなら機械買うとか手がうてるだろうに。言い訳ばっかりでなんにもやらないんだよなー。 あたりまえの話だが。残念ながらよくある話ではある。リーマンの典型的な姿は飲み屋でくだをまくことだろうが、つねに文句だけならダメだろう。ましてやえらいひとならなおさらである。 文句には言い方がある。 それはおそらくライセンス制か回数券制なのだ。使い切ったら言うべき資格をとる方法がハードルをあげて用意されている。「ふだんちゃんとやっているか」とか。言うだけ大臣じゃだめだ←いっぱいいるけれど会社でも。 不平不満があるのはリーマンなら当然である。むしろないほうがおかしい。問題意識のあらわれなわけで、ただ漫然とやっていれば不満のない生活にはなるが、進歩はない。 「不平を言わない人が運を呼ぶ」と言われるのは、言わないことで不満の整理能力があがるせいではないか。言わない代わりに少しでもストレスを回避しようとあれやこれやいろいろやる術を覚えるのかもしれない。 だから抱えている問題があるなら、それは種類がある。なにか手をうてるのか。自分にはできなくて他人(パートナーあるいは上司)にはできるということはないか。そういうアピール、交渉がとれるか。それとも飲み込み、アルコールとともに流すのか。不平不満の編集アレンジ能力が会社の力ではないのか。 ちまたではリサイクル流行りだが不平不満も然りである。ただただ排出するだけなら環境を破壊していくことは間違いない。 ・・・そんなことを考えている飲み込んでいる。(♂)
2006年09月21日
秋の「バカ売れ服」マーケティングレポート速報(cancam) 美しい日本語だなあ。ばかうれふく。声にだしてみる。秋です。沁みます。 秋を制する「新生★エビちゃんOL」(cancam) 新生とか元祖とか本家とか。どんどん増殖して抗争を繰り広げて欲しい←平成仮面ライダーのようだが。いっそのこと「続」とか「新」とか語尾に「z」とか「2nd season」とか「Hiper」とか。いかがだろう。どうするエビちゃん? 狙ったメンズから必ずメールが返ってくる勝利の方程式(今月のcancam) まず複数形ありきなんですか。 「お嬢モテ」vs.「イイ女モテ」頂上決戦!(vivi) プロレスみてえ。 今月はcancamぶっちぎりで圧勝でした。次回もこの調子でハッスルハッスル(棒読み)♪ (♂)前回のネタ
2006年09月20日
「strawberry shortcakes」を読む。 細く重い線。小声で囁くような文体。都会でもがき、なにかを抱えて生きる女性を描いた連作集。サイ3963氏にはハチクロと重ねて読んでしまう作家と言われたがどちらかというと山本文緒の小説の読後に近い。 胸につかえ、喉にひっかかる、だれにもいえない切迫。不快なはずなのにひきこまれる都会人の共(狂?)感。空気が濃密。作品に「詰まった」空気があるからこそ読み終わった後にほっとする。魚がエラを動かすように、体温が低いがたしかな生命感はある。 自分が日常で忘れている、麻痺させているアンテナがこの作品にある。なにもかも晒しては生きられない。ひりひりする部分に背をむけ、ストレスを避けてへらへら生きている私だが。 なにかつきつけられているような。 最近、精神的飢餓というか退屈について考える。自分の日常は平凡ではあるかもしれないが退屈ではない(と思う)。たいしたことをやってもいないのにやたら退屈がっていた。なにをしていたか?といえばもてあますのは気持ちだけで行動にはうつっていなかったわけで。 なにもないところからなにかをみつける術を覚えていくのを大人というなら、私は大人だ。それとも小さなことを見つけることで満足しているハードルの低いやつだとあのときの自分は思うのだろうか。 「青年期とは大人から子供への移行がゆるやかになった近代が生んだ副産物である」と聞いたことがある。 たしかにそのころと何が違うかといえばメシ食うので精一杯なところだ。たぶん青年的な悩みの多くは生活感が解決するのだろう・・・っていったらもともこもないかしらん。 青く、苦い作品。(♂)
2006年09月19日
朝食はビュッフェ。ムスメの席をてきぱきと準備してくれた上にパンが美味。ますますホテルに好印象。サービスってのはこうやってやるんだよ横濱大大陸間旅籠(執念深いね)。 父は早朝に早く目が覚めたので待つのももどかしいとばかり実家に先に帰ったらしい。主役なんだからのんびりすればいいのに。マイペースっぷりに自分のDNA再確認。 用事で早く帰る次兄一家と別れ、車に乗って実家へ。 ひさびさに走る道はかつて自転車で爆走したコース。よろけながら市街地までつっ走っていた10代。さぞドライバーには邪魔だっただろう。とハンドルを握りながら思う。いまここをいまの自分が自転車で走ったらただのヘンなひとだ。自転車にも走り方、年齢にあわせた資格がある。もうあのころのライセンスは失効だ。あってもつかわないけど。 とりよせの弁当で昼食。朝がごちそうだったせいか昨日のご馳走のせいかみんな箸がすすまない。私だけバクバク食う。さすがに腹いっぱい。 みんなが手をつけていない具だけ皿にとりわけ、冷蔵庫にしまいその他のゴミを分別。なんとなくかいがいしく動く自分に貧乏性をみたりみなかったり(あとあと聞いたら煮物の味が好きでなかった母は好みで煮替えたらしい。すげえよ主婦)。 子供がたくさんいる風景はいい。「癒し」とも違う。しばらくみなかった、キラキラした風景がある←あーうまくいえない。生活環境のバランスとしていま日本に足りないのはそれだ。数として子供が少ないのに加えて安心な場所がない。大人の精神的風土・視覚的な欠損として「少子化」がある。大人を大人にするのはコドモの存在なのだ。 ・・・といいつつ私は甥や姪と全然遊んでやらないダメな叔父なんであるが。 箱いっぱいの子供服を義姉からいただいて帰宅。大漁大漁♪(♂)
2006年09月18日
父の古希の祝いで川越プリンスホテルへ。 長旅のお供にテキトーなCDでもとコレクションから「1998GRAMMY NOMINEES」という輸入企画盤をひっぱりだす。タイトルには「タイタニックのテーマ」とか無難なラインナップ。かみさんが適当に昔買ったものの一度も聴いたことがないらしい。買った記憶すらないという。 ふーん、とディスクをほおりこむ。 驚いた。 スピーカーから流れてきたのはずいぶんとぬるいセリーヌ・ディオン(自称)。なんじゃこりゃあ!とジャケットをみると小さくcover versionの表記。 アルバムジャケットには「ハンソン」とか「アール・ケリー」とかグラミー賞の受賞者の写真こそでているものの、演奏者のブックレットもない。演奏のヌルさを含めなかなかサイテーな出来に怒るよりもへらへら笑いながらドライブ。 昔はこういうソフトをよくみた。かみさんはだれだかわからない人が演奏しているピンクレディのカセットを聴いたことがあるそうだ。8年前にもこういうのが売っていた事実と買う人が身近にいたことにかなり驚く。 アホらしくていい、たまには。もう聴かないけど。 道はすいていてカーナビの予想通りに到着。ホテルに置かれたチラシには「叶姉妹トークショー」。だれが行くんだ。ちなみに値段は部屋8000円+ショー入場料金25000円。「セレブな夜をあなたに」だそうだ。微妙だ。安いのか高いのか。わかんないよセレブ。 予約の段階で部屋が狭いのでベビーベッドが置けないと聞いていたので、部屋ではムスメの寝る場所の確保のためにベッドを壁際によせる。ムスメはめったにない風景にカラダを倒してごろんごろんと背中から転がる。イヌだ。電話のいたずらを防ぐために枕で隠し、落ちそうな隙間に別の枕を埋める。さらに転落防止のために大人のカラダでdefenceすることに。 時間になったので家族写真を撮るために「写場」へ←この言い方ってホテル独特だが老舗っぽくていい。ホテル内の写真館で揃いの写真を撮る。大人8人子供6人。にぎやかなうちに撮影は無事終了。 宴席は中華。甥が寿限無にちなんだ挨拶をやり(子供らしく照れてグダグダな出来だったが)、姪が別室(ホテル側で他のお客のことを考えて用意してくれた!ありがとう)でバイオリン演奏。子供たちがムスメと遊びたがったので大人は(というより私は)ひたすらメシを喰い、酒を飲む。あちこち撮る。 なにもしないかわりに父のグラスが空かないようにだけ気をつける。父は静かにちゃちゃをいれながらも楽しそう。 飲み会の写真はだいたい平坦でつまらなくて顔がだらけていてキライなのだが、めったにない組み合わせがあるのでバシャバシャ撮る。関係性のある写真、時間軸のある写真。構成の妙があるのが家族写真だ。なにより笑顔にウソがなくていい。 最近の高校生が1千万円クラスの楽器をもっているのがざらだと教室でいわれた話。美人の看護師さんでも独身がごろごろいる話。など大人の話をしつつ。 夜もふけて兄の部屋で精算&2次会。お互いの子供の別の顔の話などしつつビール。父はとっくに撃沈。母はつきあう。なんだかんだいって親は子供のいいところをみるのだなあ。親としての話をするときに自分のキャリアを思う。なんだかんだ語ろうとしても自分はまだ「初心者」だ。 ところで兄の部屋のドアをあけると姪(幼稚園)が「ハダカー!」とさけびながらハダカで部屋を走り回っていた。ちょっとは捻ろうぜ姪よ。(♂)
2006年09月17日
午前中宅配便に荷物を持ち込む。 中身はバウンサーと寝返りクッション。ほんとはそれをもちこむのを言い訳に飲み友の赤ちゃんをナマで観にいく予定だったのだが、ぼやぼやしていると赤ん坊がでっかくなってしまう。ということで、車に積んで営業所へ。 荷物を包む緩衝材ないですか?と聞くと兄ちゃんはけげんな顔を一瞬したのだが探してくれる。適当なサイズのプチプチの緩衝材とキティちゃんのダンボールをGET。ありがとう。確認してはいないがマニュアルどおりだと断られていたかもしれない。社員のアドリブもきいていいかんじだぜ佐川急便←宣伝してつかわす。 ガスをいれて帰宅。 大槻ケンヂ「リンダリンダラバーソウル」(新潮文庫)を読む。本人も後書きでばらしているのだが、映画「ビッグウェンズデー」に着想を得て描かれている。80年代後半のバンドブーム。Jポップというコトバもない時代。大槻自身の栄光と挫折・再生をテーマとした自伝的小説。 判っちゃいるのに重い。泣けるとも違う。やるせない、せつない。といったところか。でてくるバンドのほとんどを知っている。とほほ。同世代だ。 高校の通学途中の駅前にマニアックな貸しレコードやがあって、インディー系が充実していた。たいしてないお小遣いとにらめっこしながらどれを借りるか悩んだものだ。その店もいまはもうない。貸しレコは死語だがそのうちCDショップというコトバも消えるのだろうか。合掌USAタワレコ。 あのころは努力がなくて妄想と野望だけがあった。月日が流れ私もただしく挫折(のようなこと)と再生(のようなこと)を経験しながらいまに至っている。 映画「キッズリターン」のベタな台詞ではないが、まだはじまっちゃいないのだ。って思い続けたい。そんなことを考えると笑いながらもさらりと読めない。青いかなー。そういう意味では「卒業」できているかどうか知る、踏み絵のような本だ。 夕方かみさん実家へ。洋菓子をつまみながらお茶。ムスメ、最近「ばいばい」を覚えて人の顔をみればバイバイする状況でなくてもぶんぶん手を横にふる。TPOを考えろムスメよ。 スーパーをぶらついたらキャラつきのふりかけの宣伝POPになぜか福原何某が起用されていて、「●ちゃんも応援してます!」と書かれていた。なぜふりかけの宣伝にキャラそのものをつかわない?福原何某をつかってどの層をつかまえようというのだ。卓球ファンか?そもそも福原ファンっていうのもわからない。花マルマーケットみているヒマな主婦層とみたが。どうだろう。 夕食は豆腐とワカメの味噌汁をつくる。実家でいただいた炊き込みゴハンと煮物で早めの夕食。(♂)
2006年09月16日
17日に父の古希のお祝いで兄弟が集まることになっている。 それぞれの家族単位で実家は行っているものの、全部の家族が一度に集まる機会も実家の広さとか考えれば物理的にあまりないだろう。そんなことと思うと自分の歳を感じる。 仲が悪いわけでもないのだが、こういう機会はたぶん努力しないと今後もないのだ。得意先の社長がいっていた。「兄弟はね、親が死ぬと他人になるんだよ」あまりに極端な意見ではあるがわざわざ会おうとしないと会わなくなるのは恋人といっしょだ←どんな例えだ。 さらに商売とかやっていてカネが絡むと境界線がもっとはっきりするのだろう。自分たちは違うが。そういえばドラマ「ER」や映画「プリティ・リーグ」でとくに生き別れたわけでも仲たがいしたわけでもない家族の再会そのものをとても劇的に扱う場面があった。ドライなアメリカ人はもっとそうなんだろう。日本もそろそろか。 3人ともテキトーな性格なのでプレゼントもなんとなくメールのやりとりであたふたときめ、きめたのはいいのだが当日まにあわない。 というわけで兄からメール。「花束はあるので目録を用意しておくように」 目録? さっそく検索エンジンでモデルを探す。「贈呈目録おつくりします」という業者のサンプルを探して真似をする。かみさんが加工した写真サンプルをはりつけたワードに文章をつけて、フォント指定。あっちをあけ、こっちをあけ、 で、できあがり(写真)。 バカでも私でもできるレイアウト。いい時代だなあ。昔にくらべればだれでもできる環境になっているはずなのだが、それでもセンスの差がでるのって面白い。レイアウトの美学そのものは数値化できないから当然といえば当然なんだけど。 あとは、早く届けブツ。(♂)
2006年09月15日
飯田橋を車で走っていたら、有名人をみた。 バロック音楽の作曲家みたいな髪型。長身。特徴のある黒い台襟。漂う気品。 H校長である。車からでもわかった(笑) いまだにテレビにでているひとをみてはしゃぐのって、東京に何年いるのだオレは? 驚いたのは服装だ。テレビとまったく同じ。あれしかもっていないのか←余計なお世話。それとも皮膚か?もっとも普通の服ならわからないだろう。さすがに目深なキャップ・グラサン・チノパン(熱愛発覚芸能人ファッション)だったらがっかりするが。 わかりやすい。「H校長と台襟」は「中尾彬とねじりマフラー」「石田純一と肩掛けトレーナー」ぐらいSETだ。わからせてくれてありがとう←なんだそれ。 故ナンシー関か石川三千花か、台襟はカタギじゃない覚悟が伝わる服だ、と言い切っていた。たしかに平和運動が好きなDV直木賞男もそうだし有名演出家とかもよく着ているような気がする。覚悟という点では結局ネクタイなきネクタイといっていいのか。 私も一着白シャツであるのだが、なかなか着る機会がないんだよなー。首が短いせいもあるけれど。 しかし、「H校長みたよ」っていうと言った相手の全員が「あの服きてた?」って聞くのってどうなの。(♂)
2006年09月14日
電車の中で中国人らしき男が本を読んでいた。 「村上春樹」「~威的森林」おお、ノルウェイの森じゃん。 ・・・といいながら全然読んだことないオレってかなりのひねくれものだ。ネコもシャクシも緑とアカの本を抱えていたあのころ。私の世代で読んでいないのってたぶん相当の変わり者だ。ふだんまったく本を読まないやつまで読んでいたものだ。そういうのをみると余計読みたいと思わなかったのだが。 えー、ちなみにセカチューも電車男も東京タワーも読んでませんが。何か?何読んでるんだいオレ?本好きを公言して恥ずかしくないのか。ついでにいうとタイタニックもインディージョーンズもみていません。時流をまったく考えない。永六輔と改名するべきか。 それはともかく、気になったのは表に書かれた字。 「福原愛」 なんだろう。「あの愛ちゃんも泣いた!」とか書かれているのだろうか←「あの」ってなんだよ。 最近やたらと本を売るために芸能人の名前をつかう例が多いが、こうやって外国語で同じ宣伝路線を見るとちょっと恥ずかしい。私の好きな本多孝好のオビとかでつかうのやめてくださいね出版社の方。 ところで誰のススメだったら釣られるんだいオレ?(♂)
2006年09月13日
将来の経営者になるであろうひとと飲む。 私は経営のけの字も縁がないのでおよそ社長と名がつくひとは尊敬する。キャバクラの呼び名であれ尊敬する。自分がカゼをひいたら社員もという役割。毎日がaway gameだ。凄い。ただし城南電機のジジイのようにほんとに自分もろともつぶれる会社というのもどうかとは思うが。 自分に突然「社長」の辞令がでたらと考えるとSFの世界である。人事権をドラえもんの独裁者スイッチなみに濫用してしまうかもしれない。いやたぶん濫用するだろう(確信)。 ところが彼はぼやく。父が許せないと。おおドラマのようだ。 社長(父)はだれにでも人当たりがいいんですよ。会った人誰もがあのひとはほんとにいいひとだねというんです。 じゃあ家でその反動がでたりしました?家に帰ると暴れるとか。 それはないですね。でも社長の代では業績が落ちる一方なんです。自分としては許せないところがありますねそこは。いいひとじゃだめだろうと。 フォローのような反論のようなことをいってみる。 TOPはむしろそれくらいのほうがいいんですよ。本田宗一郎は本能のままで発言する根っからの技術屋だったけどナンバー2が経理と営業をがっちりおさえていたからバランスとれてたみたいですよ。長嶋茂雄もそうじゃないですか。実際はしっかりしたヘッドコーチがとりしきるからアタマが好きに発言して、好きな采配を揮えるんですよ。いまの立場は耳の痛いことをいう役割でいいでしょ?そのうちいやでもハンコもたされるんだから。 と無責任なことをいってみる。そういえば新撰組も同じ組織構成だ。 いまだにお父さんに反発というのも若いですねえ。だいたい折り合いつけてみんな親のやりかたを「しょうがねえなー」と流すようになるでしょいまぐらいの歳なら?本気になって怒っている間は父親を意識しすぎですよ。「超えて」ないですよまだ? というとようやく笑う彼であった。 うーん、まあ外野ならなんでもいえるよなー。血とカネが直接リンクしている親族経営、たいへんそうだ。(♂)
2006年09月12日
PJという下着カタログ雑誌がある。店頭では無料で配布、コンビニで売ってもいるらしい。 ちょっと昔のポップアートっぽい色彩感覚とけばメイクのモデルをつかったセンスある内容で、かわいいけどちょっとえっちなかんじはなかなかいい。と男の私がいうとやらしくて誤解されそうなのだが。まあいい。誤解じゃないし。 「ドルチェ感覚」とか「これを身に着ければお菓子の国の住人に♪」みたいなこっ恥ずかしいヘンな言語感覚も許そう。カタログだし。 ひとつだけ気になることがある。 HARA巻き BABA(ババシャツのこと) ローマ字にすればいいのかっ! この間抜けさかげん、なにかに似てると思ったら往年の学生服のカタログだった。「ストリート感覚あふれるBONTAN」「主張するBAKETSU」みたいなやつだ。ちなみに解説するとどちらもズボンの太さの名前だ。 しかしHARA巻きか。ZURAとかOMUTSUとかアホっぽいものはローマ字で書いたらいいのかね。(♂)
2006年09月11日
今日の産経新聞に最近話題の某カルトの洗脳の手口がとりあげられていた。狙われたら100%逃げられないという。 ターゲットは勉強ばかりしてきた大学生。社会矛盾を解消する手段としての教義を教え込む・・・って、あまりにデジャブ感のある話だが。 なんと現役大学生にはオ●ムの記憶がないらしい。(●に「シ」とか「ツ」とか「ネ」とか「サ」とかいれちゃうんだろうか?) たしかに彼らは当時コドモだろうがそうやって類似の事件が起きるところをみると日本人はほんとに忘れやすい民族だなあと思ったりする。食い物がいかんのか。社会的な学習のシステムがないのはなぜだ。長年放置されている世代の断絶というやつか。語り継ぐ悲劇という手段はないのか。こんなんじゃまたロクでもないコトがおきるぞニッポン。歴史教育ってなんのためにやっているのだ? 記事によれば。 先輩後輩・男女の人間関係が苦手な優等生タイプを狙い、「恋愛を認めないが良好な人間関係ときちんとしたみだしなみの団体」として自然に釣る。釣った一方で幹部が対象の心理・性格を分析しつつ洗脳の手順を決め、相談にのるフリをして人間関係に絡めとる。有名人やエリートにあわせ、団体の「すばらしさ」をあじあわせる。 家族や知人に誤解されると口止めし、メールや電話で密に連絡をとって洗脳。最終的な洗脳は自主的なカタチをとる。印刷物は残さない。洗脳が完了するまで宗教とは名乗らない。拉致などの事件は起こさないようにして社会問題化するのを防ぐ。 ・・・うわ、こりゃたしかに逃げられないわ。 人間関係を嫌いながら結局人間関係をエサにとりこまれてしまうっていうのも皮肉である。みんなさびしいんだね。と簡単にすませてしまうのもなんだけど。 ここはマス大山にならってアドバイス。「キミぃ!芝居をやりたまえ」 少なくとも社会復帰はできるから(たぶん)。カネと時間と体力はかかるが。 矛盾を面白がるのってオトナが教えられないものかねえ?矛盾があるから芸術も文化もあるだろうに。たとえば「文学」じゃなくて「戯作」を探せば世界は広いと思わないかい? 信仰がないからいかんのだろう・・・という私もクリスマスケーキを食って正月をむかえ葬式はお寺に行く典型的ニッポン人ではあるが。 今日から俺は教祖になった 宗教の名は俺教!(天才柳沢教授の生活 第93話) 姿勢としては正しい。悩んだらそう思え迷える若者。救われないけど、だれかを救うことはできるから。(♂)
2006年09月10日
午前中仕事の電話数件←休みだというのに。 こちらはちゃんとやってんのになーと指示の履歴を思い出しつついらつくが現状は自分の不徳のいたすところ。資料のファックスもしたし電話もしている。さらになぜその指示がでているか、という「意図」まで説明しているのだが。難しい。 足りなかったのはダメおしの確認か。野球の必勝パターンではないが、先制→中押し→ダメ押しが必要なんだろう。血圧上昇。イエメン戦の遠藤のシュートなみにあがる。怒りを抑えて遠方に行っている担当者をこれまた携帯でつかまえ、月曜日への指示。営業とボスに現状報告。携帯代だしてくれ。 家の修復に業者来宅。数ヶ月前の雷で電気系統に問題が発生。でっかい穴をあけて問題箇所を探したもののみつからず。今日はその修復と漏電のチェック。結論としてはある照明器具の設置のしかたに問題があったところで雷がとどめを刺したのではないか?という「疑い」の域をでず。メンテ担当者も私も頭に疑問符をはりつけたまま。 「雷が原因でないとすれば保険は効きませんが支払いはなにも発生しませんから」(あたりまえだ)ということでおひらき。事故原因が100%わからないのは業界を問わないらしい。 電気系統のユニットは最近は現場で配線をはわせてコードを調節するわけではなく、図面上で長さを出してしまって工場でつくって持ってくるそうだ。配置をしっかりやらないとスイッチに届かない事態が発生するという。合理性に感心しつつも、簡単に壁に穴あけるなよと思ったりして。 宅急便で「ふぐ」が届く。親戚の快気祝いのお返しでいただいたカタログギフトで頼んだものだ。何年ぶりかわからない味覚をかみさん実家にムスメともどももちこみ夕食。あまりの薄さに扇風機でとぶんじゃないの?とか軽口をたたきつつみんなで食べる楽しさよ。 長嶋茂雄がどんぶりにタレをたっぷりいれてじゃぶじゃぶ着けて食べたという逸話(都市伝説ではないらしい)を聞いたことがあるが気分はよくわかる。やらないが。だいいち肉固くないか長嶋さん? 義母が「美味しいけどさわぐほどの味覚じゃないよねー?」という。たしかに。私の兄は椎茸をはじめとするキノコ類が嫌いだが、松茸は食う。理由は「高いから」だそうだ。価格が問題なのか。だとすれば昨今の野菜は意地になってぱくついているに違いない。嗚呼資本主義。(♂)
2006年09月09日
ある得意先に行って社長と立ち話。 「おたくに○○さんっているよね」いるもなにも退職しました。私の元上司ですが。なにか? と答えると 「キライだったんだよなー。絶対あのひとで会社の印象を悪くしてたと思うよ」 あまりに直球な感想。怒るより笑ってしまった。いろんな思いとか遠慮とかない、脊髄反射のような意見。むしろ受け止めやすい。たとえばうだうだとアリバイのように長い味の分析をするよりは「まずいっ!」と言い切るグルメ評論家の方が好感がもてるようなモノだ。 ほんとは自分を教育指導してくれたひとではあるし、自分を否定されたと思って尊厳のために怒らなくてはいけないのだが。 思い返せば何か事故があったときの叱責たるやたいへんなものがあった。得意先からそういう声があがってもおかしくない。だからべつに腹もたたない。 ほんとは自分もそれくらい嫌われないとダメなのだろう。めざすものが事故防止ということを考えれば。好かれるだけが仕事ではない。 自分への親しさとみてそういうオープンな話をしたととらえることもできるが、どうなんだろうこの場合の線引き。怒る必要はないけど、ある一線をひいたコメントを返すべきだったか。笑いでもなんでもオブラートに包んでもメッセージとして「でも同じ会社の人間ですよ」と伝えるべきだったろう。大人なら。自戒。 それにしてもいまだに「嫌われる」のもそれだけのキャラのインパクトあってこそだ。愛されたり嫌われたり、ふり幅あってこそホンモノ。無難なひとはつまらない。 ・・・なんか、恋愛の話みたいだが。(♂)
2006年09月08日
会社帰り、「ハチクロ」最終巻早売りでGET. どのプロットにも予定調和を許さない作者の描き方に感動。ちゃんとまっすぐ終わらせるのっていまどき難しいだろう。物語を破壊するほうが楽、というのはいいすぎにしてもよくある終わり方だ。丁寧に時を刻むラスト。すばらしい。 王道の少女漫画には庇護者のオトコ(というより女に都合のいいオトコ)が必ずでてくるがこの作品、その役割を果たしているキャラの活かし方がいい。それがこの作品をただの少女漫画にしていない理由だ。次回作品はゆっくり待ちたい。 はっきりしない天気のせいもあって昨日の「もやもや」の正体をいまだに考えている。カメラへの愛憎、なにかに似ていると思ったら役者をかじっていたころの役者への想いだった。カラオケを歌ったあとの自己嫌悪にも似ている。ならべていいのかわからないけど。 なんでこんなヘタクソかね?とか、こうあるべきなのに、これしかできない!という。だれもそこまで要求していないのに。だったらなにか努力すればいいのに、というところでなにもしていないジレンマもあったりして。理想と現実のギャップ。そういうギャップの克服って年齢とともにやっていくモノだができない分野もあるらしい。勝手な自意識の肥大。 多くの悲劇は目標の見積もりと自分の能力の見極めのギャップでおこる。 ハイキングの装備しかないのにロッククライミングしちゃったとか、ロッククライミングしたいのにハイキングの装備しか準備していないとか。ハイキングコースだと思ったらロッククライミングの場所だったとか。ロッククライミングの装備でハイキングしているとか。 やりたいこと。やろうとして満足できること。できること。できるようになれそうなこと。 走って汗でもかけばいいのかもね。なにも考えないで。 嗚呼青春スーツ(@ハチクロ)装着中の30代。ぷぷ。(♂)
2006年09月07日
社内報のカットの撮影を頼まれる。固辞。内容的にはたいしたモノではない。あるプロジェクトチームの集合写真を会社1階のアートスペースで撮る。それだけなんだが。 小生(誰)、カメラが苦手だ。どれくらい苦手かというとPCアレルギーのおっちゃんぐらい苦手だ。ちゃんと撮れる自信がない。手ぶれ恐怖がつきまとう。いまどきのカメラには防止機能がついていることは承知しているが。精神が手ぶれしている←なんだそりゃ。ほかにいないからといわれて、編集担当がバニーちゃんの格好で頼むのでしぶしぶひきうける(一部ウソ)。 ひきうけたとたんボスが余計なひとこと。「アートスペースのNさんが一眼レフで撮ってくれるっていってきたんだけどさー断ったんだよねー」むかっ腹で大声。「やっていただいたらいいじゃないですかせっかくやりたいっていってくれてるんだしこっちはやりたくないっていってるのにー」「だって悪いじゃん」この日本人め(へんな遠慮しやがって)。 ここで腹がたつというのもたぶん他人にはよくわからないと思う。かけっこが嫌いでしかも苦手な少年がしぶしぶクラスのために運動会の100メートルにでることを決意したのに行ってみたら自分のゼッケンはカールルイスが身に着けていたとか。そんなかんじだ。どんなかんじだ?やりたくないひとがやれる能力をこえてやろうとしているところに本来やるべきひとがあっさりでてきたときの腹立たしさか。って言い方が長くなるだけよけいわからなくなるかもしれないが。 そういうわけでアートスペースに行って準備。人数分の椅子の数指定ととる場所の指定。いちおう仕事らしいことをしてみる。いざ撮影開始。撮ること数枚。やはり件のNさんは一眼レフを用意して満面の笑みで立っていた(苦笑)。 「私も撮っていいですかねえ?」 だれが断るだろうか(反語)。どうみてもマシンはむこうのほうがいい。カメラが好きで、撮る機会があればどんなときも撮りたいひとなのだろう。私とは友達になれないタイプか(ウソ)。よろこんで頼む。頼みつつ自分の撮影したモノが不採用になることをこの時点で覚悟する。あくまで自己判断だが。 頼みながらもやもや(うわっ、だから最初から頼めばいいっていってるじゃんによー←個人的な感情 vs. 撮るなら絶対こっちだろう能力的には←論理的な結論)がせめぎあう。 さすがアート系のひとは仕事が丁寧だ。チームのメンバーがクビからPHSをさげているのをみつけるとすかさずはずすことを提案。 さらにもやもやが(なんで気づかなかったんだオレ?←適当な仕事の姿勢への後ろめたさ vs. まったくごもっともだよさすがだ←論理的な感心) 一眼レフ氏、気をつかってわたしに「ごいっしょに入られたらいかがですか?」撮ってくれるというのだ。 もやもやさらに倍。(考えてみたらオレこのチームとも社内報とも関係ないじゃん←むなしさ vs. 親切だなーこのひと←感動) ここだけは間抜けさがはっきりでたのでいつもの日本人顔を捨てて言い切る。「いえ!まったく関係ありませんから私は」はっきりいえたけど、なんだかわからなかっただろうねむこうのひとは。何で私がぴりぴりしているのか。 でも両方関係ないのはほんとだ。ボスにも「まったく役にたたなかったですよオレ?時間かえしてください」と噛み付く。こんなことで怒りたくはないのだが。人間が小さいぜ。 なんだろうこのストレス?要は考えすぎなんだろうオレは。 最小限のストレスにおさえるためには、一眼レフが目に入った時点で撮影をやめて撮影の権限委譲を自主的にして席に戻ったらよかったのだ。さらにいうなら、どんな状況であれ、立場のない仕事をあいまいにひきうけてはいけないのだ。仕事である以上、大義名分がなくてはなにかあったときにむなしさと無責任さがつきまとう。 それともカメラを好きになってさらにはマシンを越える撮影能力を身に着ければいいのか。待ってろHIROMIX!(無理)(♂)
2006年09月06日
knot-a-bagというベビー用品がある。 フタをあけるとヒモ状のモノがあって、必要なサイズに切る。それをひろげると筒になっていて、中にヨゴレオムツとかをいれ、両端を結ぶ(名前のとおりですな)とあら不思議。たちまち匂いがシャットアウトという優れもの。 ゴミがだせない平日や旅行で重宝しているのだが、かみさんのナイスなツッコミ。 「これってアメリカの匂いがするよね」 そうなのだ。ソニプラにあるような合成物というか、消毒液というかとにかくあらゆるアメリカ製品につきまとう匂い(ちなみにこれは中国製だった)。服・おもちゃ・そしてお菓子。24時間かれらにつきまとう匂いなのだろう。衣や住はともかく食でも同じ匂いがするってどうよ。何が入っているのだ。アホの素か。 そんなモン食っているやつらがつくった牛の肉をたっぷり食っていいんですか●●家? 日本製品にもそういう匂いがあるのだろうか。もっとも、電車の中でモノ食っても靴を脱いでもなんとも思わない人種が増えているところをみると嗅覚が死につつある国民なのかもしれないが。何年かあとが恐ろしい。 ・・・・何年かぶりにコーラを舐めた日に考えてみる。まじー。絶対これ何度も飲んだら頭悪くなるね。医者でなくてもわかる。 そんなモン食っているやつらに世界は支配されている。アホになったもん勝ちってことか。(♂)
2006年09月05日
おっさん週刊誌によれば世間のおばさんの狙いは赤マフラーにやけメガネ男から青ハンカチ野球少年にシフトしているそうで。「狙い」と書いてはみたがなにを狙っているんだ。 テレビをつけるともれなくテロ攻撃を家の小さな生き物から受けるうえに朝●新聞嫌いなので甲子園とまったく接点がないまま夏をすごした私としてはいまだにサイトー君の顔がわからない。わからなくてもなんとかなるのが日常生活だ。いつまでずっとわかんないままでいられるかしらん。知らないでいられる才能。役にたつだろうか。 この場合のおばさんがどの層をさすのか。周囲に韓国映画好きはいてもペ好きと公言するひとはいない。関西系拳闘brotherのファンがどこにいるのかよく判らないのに似ている。絶対実在しているはずなのになぜかまわりにいない。Vシネファンみてえ。あるいは赤川次郎ファンか。 というターゲットの分析(に名を借りた悪口)はともかく、問題は今後の展開だ。 アカから青→? マフラーからハンカチ。 ↓ 大布→小布。 ↓ 首にまくものからおでこを拭くモノ→? トックリセーターから野球のユニフォーム。 韓国人から日本人。 次にクるのは頭に黄色いハチマキをしめた冬服の韓国人だ!と断言してみる。いまのうちに黄色いハチマキをかたっぱしから買い占めると金持ちになれます。たぶん。 これを先物取引というのか(違)。(♂)
2006年09月04日
床屋に行く。 なにもいわなくても「いつもぐらいですね」と言われるこの店は好きだ。おされな髪型をみるたびにこのひとは「~(人名)みたいにしてください」と店でいったのかなあと想像して、口にだす瞬間の恥ずかしさを勝手に思いやったりする。みんなどうしているのだ? とはいえ少し前小太りだった上に軽く髪をたてていたから「ホリエ●んみたいな髪型にしてください!」と言ってるぜこいつはだせーと思われていた節はあるが←言いませんから口がさけても。罰ゲームならともかく。 一度帰宅してカレーをかきこみ、今度はディーラーへ。6ヶ月点検のため。1時間ほどかかるといわれて近くのブックオフをぶらつく。 以前横浜オクトーバーフェストでライブで聴いて感動したスムーズエースのアルバムを発見。ポイントをためてもらったチケットでGET。950円なり。コーラスグループの潔さでアルバム全部カバーというのがいい。「チェリー」「幸せであるように」「Missing」「Piece of my wish」「LOVE LOVE LOVE」って選曲のセンス、絶対オレと同世代だよ。 検査が終わる。異常なし。アルバムを聴きながら帰る。完成度に満足。 今度は秋の服を買いに外出。ただしお姫様用。お子様服のヘンな英語プリントを探しては翻訳して遊ぶ。「Discoverd Hope in the strange land」ってどういう意味だよ●●屋? 夕方近所の人がファイル片手に来訪。事前説明と違う高いマンションが敷地ぎりぎりにたつので反対運動にご協力くださいという誘い。了承。保守系の議員さんもすでにおさえているという。時間もあまりないとか。 はじめて知ったのだが、建設にあたり目立つところに貼られる表のいちばん下の日付には「その日から1ヶ月に住民から異議がなければすすめてOK!」という意味があるらしい。ふむふむ。 その近所の人は「私は政治とか宗教にはいっさい関わっていません」と強調していたが。デジャブ感のある語り口。会社の組合の外部団体でこういう喋り方をみた気がする。絶対昔にガクセー運動かなにかやっていたとみた。だってシステマティックな話のすすめかたといい、主張の戦術といい、素人じゃないもん。 嫌悪感というより、そういう組織的な動きがあるときに必ず手配師みたいなひとがだれかしらいる不思議さに感心。団塊の世代万歳!キョーサン主義万歳、とはいわないがあの年代の人をまとめるノウハウにはいつも感心する。なにかとグループ活動に支障をきたしている今日、逆に学校でその手口を教えたらいいのではないかしらん。 えのきだけとしめじで味噌汁。ピーマンとナスとエリンギと豚肉の炒め物で夕食。(♂)
2006年09月03日
江東区の友人宅に赤ちゃんグッズを届けるためにドライブ。 ・・・の予定が、ムスメの体調不良で中止。だらだらとすごす。医者によれば夏の疲れらしい。エアコンをつかおうがいろんな食べ物を食べようが、季節の変わり目にはちゃんと疲弊するのは人間らしい。バイオリズムを考えたら、四季のない国の肉体はどうなっているのだろう。丈夫に育ってくれムスメよ。 昼食は失敗したトマトの煮物の鍋に残っていたインスタントカレーをぶちこむという荒業にチャレンジ。その煮物は不味くはないが美味くもないあまりにあいまいな味。改善すべくふたりでプレゼン開始。というよりブレーンストーミングか。 「豆いれたらどう」「野菜はこれ以上いらんだろう」「ごっつい鶏肉とかどう?」「ニンニクないとパンチがないねえ」てんでんばらばらな夫婦会議の結果カレーに。発想がでぶいぜ。 結果うまくブレンドされたのでごはんにぶっかけてカレーライス。ロコモコ風とかハイブリッド昼食とか言い方はいろいろあるが、冒涜感と精神的満腹感があるのはなぜだ。おいしかったが、もう2度と出せない味だ。さらばカレーよ。 親に電話。再来週の父の70のお祝いの打ち合わせ。兄弟大集結がたのしみ。 昼から義妹来宅。目的は結婚式DVDの回収。 新婚旅行のお土産にASローマのビンテージ風Tシャツ(公式)をいただく。感謝。ナカタも所属したこの古豪のTシャツ、なにが凝っているかってチーム名をあえて欠けさせて貼り付けてあって古着風にしてあるのだ。イタリア人のセンスはぐーだ。 お茶をしつつイタリアの土産話など。写真から伝わる歴史の重みと空の青さが印象的。修復中でも観光客を意識して修復前の写真が工事用保護パネルに言い訳のように貼ってある写真に笑う。たしかにこれなら写真を撮っても違和感はない。 最近こういう歴史的な建物のもつ意味をよく考える。身近にある歴史はもっと誇っていい。たとえば京都の寺院ってアメリカにないぜ?パリにもないぜ?ってあたりまえだけれどなんか無視されているような気がするのはたぶん「歴史」のもつ意味があいまいなまま教育されているからだろう。日本にないものを探すより、あるものを覚えないかい?というほど詳しくもないけど。 夕方から赤ちゃんイスを見に近所の赤ちゃんグッズの店へ。さっそくいただきもののTシャツを着用してでかけたが結論でず。ひととおりみてツバだけつけて帰宅。スーパーで夕食の食材を買う。 かくいう私もテンションがあがらない。へばっているのかなー。(♂)
2006年09月02日
パーキングで靴をよくみかける。みかけるというか、パーキングをみるとつい靴を探してしまうというか。かなりの確率で発見する。 道端にそろえられたそれは橋の上だったりするとぎょっとするが、道路の上では間違いなくこういうやりとりがある↓ 「車買ったんだー」 「いいだろ」 「やべー」 「遊び行く?」 「いいねー」 「土足禁止ね」 「まじかよ」 「あたりまえだろ新車だぜ新車」 「脱ぎゃあいいんだろぬぎゃあ?」 (目的地到着) 「新車SAIKO!」 「だろ?」 「ところでおめー靴は?」 「・・・やべーよ」 運転手が停めたところに靴を忘れたというパターンに3000点。ところでその後どうしてるんですか土禁ドライバーのみなさん?ひとりだけ帰るの?それとも男は黙って裸足ですか。(♂)
2006年09月01日
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