全31件 (31件中 1-31件目)
1
ラジオでローカルヒーローの特集をやっていて笑う。前から話にはきいていたが。もう数え切れないぐらいになっているらしい。 検索エンジンで「ご当地 戦隊」と検索すると(推奨)大量にひっかかる。ご当地モノの宣伝(例:路面ライダー@松山)とか、環境保護を訴えるモノとか。 戦隊モノに影響をうけた世代がおっさんになっているのだろう。としみじみする一方で、独自色をだそうとして横並びになってしまうのね、と呆れたりする。そのへんが役所だ。あ、いまどきの人名のつけかたもそうだね、という暴言は人の子の親になったらしないけど。してるじゃん。 バブルはじけたてのころの私の就職活動でも、埼玉県警からきた勧誘DMがすごろくになっていて、悪の組織「サイタマノワール」と戦え!フレッシュマン!と書いてあった記憶がある。あれがご当地ヒーローの走りでは?とか思ったりする。調べていないけれど。 私の知人がかつて某玩具メーカーで「司法戦士サイバーン」(裁判で悪を倒す)という企画をだしてボツったらしい。判決パーンチ!とかいうんだろうか。サイバーンって・・・口に出して読みたい日本語だ(笑)。 みんな好きなんだね戦隊モノ。 先日かみさんが会社の後輩から聞いたジェネレーションギャップの話。ある年代から下の「戦隊体験」では5人の戦隊メンバーのうちふたりは女性らしい。たまたま先日みていたらやはりそうだった。時代の要請か。ファンタジーの世界も男女雇用機会均等法(笑)よかったね田島陽子さん。 はじかれたのはデブキャラ(カレー好き)か?コドモキャラか?どこにいくデブよ。悪の組織側だろうか。人として当然の流れだろう。デブばっかりの軍団・・・強そうだな。がんばれ路面ライダー。(♂)
2006年03月31日
繁忙期が終わり、思ったより精神的な負担が少ない。喜んでいいのか悪いのか。複雑。 仕事が減っているのか。仕事が減れば会社の業績もかんばしくないわけで。 前年の経験をふまえていろいろ精神的に武装できたのは収穫であった。食事にむちゃな部分がでなくてよかった。これ以上太ったらブタだ。 精神的な「ディフェンス」と、事故を起こしそうなポイントを想定して打てる手はうつ「オフェンス」。そのバランスは今後の課題だろう。 鬼塚というかつてのボクシングの世界チャンプの話。試合に臨むにあたって負ける自分を想定していたらしい。リングの上でKOされている自分という最悪の状況から時計を巻き戻して相手の手をイメージしたうえで自分の打つ手をイメージトレーニングで組み立てていく、と聞いたことがある。 規模は違うが、今回進行管理をするにあたって近いことができた。ほんとは事故をおこさないことを最優先事項におかれなくてはいけないのだが。それを徹底しすぎると次々おこることに対処できなくなる。 打てる手はうつ。手に竹やりしかなければ竹やりで闘いながら撤退。次の手段を探す。最後にこっちのモノにできればいいのだ。ミクロからマクロへ。(♂)
2006年03月30日
世間もすなる花見と言うものをしてみんとてするなり。 自衛隊の近くを通っても、首都高を通ってもピンクの彩が。なにもせずにかえれようか。帰宅時間もあるのでせめて気分だけでもとぶらつく。 ふだん使う駅からちょっと歩いて神田界隈を散策。人・ひと・ヒト・HITO・・・ってすごいよマサルさん(意味不明)。車に乗ってみているとあー花だなあというのんびりした感じだが、実際に歩くと花より人がすごい。人もすごいけどそんななかで必死に携帯やらカメラで撮ろうとするアジアンな情熱もすごい。そんなに日本人サクラが好きだったのか。毎年みるけどみるたび新鮮。 隣の会話に耳を傾ける。「なんか繊細な」「ねえ?」 友人同士だろうか。みなまでいうな、といううなづきあうような会話が微笑ましい。花オンチな私でも、眩暈がする。 季節は違うのだけれど、小声で鼻歌。 「こーなーゆきーyeah!」それはレミオロメン。 でも千鳥が淵にむかって雪がふるように咲いた花をみればその曲が口に出る。水辺に向かって伸びる枝が美しい。ライトアップもされて、満腹。 ところで、どうでもいいことだが、雪とか、歌舞伎の花吹雪とか、結婚式のライスシャワーとか。なんで人間は空から景気よく降るものを人はよろこぶのだろう。出産の追憶?花を見ながらそんなことを考えてしまった。 気分だけで今日は帰宅。(♂)
2006年03月29日
不謹慎だがあえていう。怒りながら書いている。 オレの帰る時間に飛び込むんじゃねー。 いっそのこと名前を場内放送してさらしたら予防策になるだろうか。「本日の記録。○○○男、○○歳、○○県○○市」とか。 早く帰った意味がないじゃん。 電車でとびこむとJR職員が遅延を詫びるが、あれほど無意味な謝罪はない。某ホテルの謝罪時の誠意のなさを1トーヨコという単位とするなら、5トーヨコだ。根拠はないが。 本音をいえば「勝手にとびこんだんだし知らないよ」だろう。私がJR関係者ならそう思う。肉片拾って頭もさげさせられる。こんな不条理があるだろうか。第一飛び込み防止対策がとれるのか。 先頭車両をやわらか戦車(←検索推奨)にするとか。 そんなことを考えて人身事故で遅れた電車を待っていたら罰があたったのか。今度は乗ったバスが交差点で故障。 ぶるんぶるんぴー。「車内の灯りを1回けします」ぶるんぶるんぴー。「・・・・ギアがはいらないので降りてください」まじかよ。 急遽後続バスにのりかえる。ぎゃふん。 ほんとに日本なのかいここは? ところで、乗り換えたバスに貼られていた広告で「おかあさんといっしょ」の新しい歌のおにいさんを発見。 茶髪だしソバージュだし白シャツの襟はだけてるし首からネックレスさげてるしいわゆるイケメン(WATER系)。こんなやつにこどもをあずけていいのか全国の母よ。どうみても加藤鷹にしかみえん。「おかあさんといっしょ」というタイトルの意味はこどもじゃなくてこの男の座右の銘か!と勝手に納得しているのだが。どうだろう。 イケメン子供番組侵攻がすすんでいる。視聴率をとりたくば母!将を射んと欲すればまず馬を射よ(違)? 仮面ライダー→「おかあさんといっしょ」→ときて、不可侵領域はどこだ。最後の砦はドラえもんか。がんばれドラえもん。(♂)
2006年03月28日
月曜日は調子がでない。エアロスミスのライブ盤を聴いてもテンションがあがらない。春だからだろう。そういうことにしておく。 せめてガムを噛む。噛む→脳への刺激→リラックス、とさかんにスケート連盟のスポンサー(←悪意満ち満ち)が宣伝しているが、ふだん噛まないのでかえって緊張するような気さえしてくる。かみあわせが悪いのか。 かみあわせの害をやたらいう傾向はあまりスキではない。宗教みたいだ。しまいにはガンが治った!とか薬事法違反みたいなことを言い出しそうだ。どんどん暴走して面白がらせてくれればいいが。「彼女ができた!」とか、「金もちに!」とか。ブルワーカーみてえ。 アサイチにメールをチェックしてつぎつぎ返事。決定回答と暫定回答をとりあえず流す。むちゃなスケジュールの話が数件。一部は自分の判断で断り、先方に確認するのに追われて午前中が終わる。 何社かまたがる手配を数件処理して午後がすぎる。さっさと退社。 早く帰るとろくなことがない。どうしてかえると碌な電話が来ないのだろう。事故のフォローでやった手配でまた事故をおこす。こっちの指示が間違っているわけでもなくさらに徹底をしているにも関わらず間違えるのって嘗めているとしか思えない(怒)。 たまには追いかけて携帯に電話が来て「給料あがるから!」とか「井上和香がいまからぜひ会いたいって!」という電話があってもいいはずなのだが。そういうことは皆無だ。というのはオレだけだろうか。求む帰り際のいいハナシ←ねえよ。だから果報は寝て待てというのか(違)。 帰り道本屋をぶらつく。小林よしのりの本を立ち読み。「アメリカの掌で踊らされている」という主張だけはうなずくところあり。金融政策が心配だ。経済に詳しいわけではないけれど、文化でも政治経済でもいい、アメリカと一心同体じゃないジャンルってあるのだろうか。 PLUTO3巻をGET。付録は浦沢直樹まんがノート(笑)。 調子がでないならせめて姿勢だけはよく歩こう。首をのばして遠くをみて歩こう。猫背は疲れが溜まる。なにに疲れているのだろう。(♂)
2006年03月27日
午後ムスメが寝たのでかみさんは買い物。私は部屋のかたづけへ。 とたんに泣き始めたので相手をする。ああたまには見逃せムスメよ。ベビーマッサージをやるとよろこぶがバリエーションが限られているのでやっているこっちが飽きる。腹の上にのっけてごろごろする。これをやると暖かいせいか機嫌がいい。難点はやめるとぎゃあぎゃあ騒ぐことか。 歌を仕入れたい。琴を母が教えているというあまりない環境にありながら音楽の授業が嫌いだったおかげで(?)子供の歌のバリエーションが少ない。もっている童謡集を眺めてテキトーに歌う。テキトーに覚えなければいいがムスメよ←って歌うなよ。とっさに口から出てくる歌がCMソングなのもどうかと思う。恋の~ダウンロード♪ しばらく床に転がしてレイバックイナバウアー(←寝返りの練習)をさせておいてコーヒーをいれる。親が来るからといって奮発して買った小川珈琲店の豆。美味。 映画をみるかどうか悩み、2時間とられるのは癪なのでテレビ東京で「デンソーカップ大学日韓定期戦」を観戦。巻(ジェフ千葉)の弟が出ていた。面構えは兄よりふてぶてしくていい。試合はA代表と同じ悪い癖がでて、殴られないと目が覚めないツジツマあわせのような試合になる。文化だなあ。学生らしいミスが試合をきめた印象。 韓国のほうがカウンターもいいし、ポジションもいい。この年代の特徴なのか日本全体なのかわからないがコーチングに問題あり。声に出せ日本語。逆転劇には痺れたけれど、ほめていいのかどうか。「粘りのあるチーム」ととるか、「主導権が握れないチーム」ととるのか。 膝の上にのっけて親に電話。いとこの結婚式の話などをする。「この前写真整理したら、この1年結婚・出産・葬式・卒業とみんなあったよ」と笑う。ゆりかごから墓場まで。人生の変わり目か。 かみさんが帰ってきたので風呂に入れる。最近体をそらすのが楽しいらしく、全体重を首をもっている私の左手にかけてくる。落としそうで怖い。話しかけて注意するが聞くはずもなく。目をみてぶつぶつ注意。通じないけど。 風呂上りにビールを飲みながら都知事会見をみる。やっぱり面白いなあ慎太郎発言。「東京大空襲は日本嫌いのある将軍が側近にとめられたにも関わらず日本嫌いを公言してだねわざわざ低空飛行して焼夷弾で非戦闘地域を攻撃したんだよ」「公用車を政治家に会うのにつかうのをみなさん批判するけどね、政治家にあうのも仕事のうちなんだよ。今日だって職員は3時4時まで働いているんだよ」「記者会見でたいした話はでないよ。知っているある外国人ジャーナリストは命はってますよ。それくらいやらないとすごいすっぱ抜きはできないんだ」「花粉症対策は自分がなってみないとやらなかった。そういうもんでしょ人間って」もっと言えー。←細木なんちゃらの発言(暴言妄言)を待っているおばはんの気分。(♂)
2006年03月26日
午前中、親子3人で近所の病院の内覧会に行く。 不動産でもないのに内覧会かよ!と驚きつつじっくり眺める機会もないし子供がお世話になることもあるだろう、とベビーカーをガラガラひきずって現地へ。子供の多い地域への新しいアピールの仕方なのだろう。人手はいるにせよどんな業種でもつかえる方法だ。 受付の方から説明をうける。「大人がおさえつけると子供はストレスになるのでこれで固定します」とか「これは~につかう機械です」とか。小児科以外もみせてくれて、お土産(飲み物とシールとマグネットとメモだった)もらって安心安心。「できればお世話になりたくないですめばいいのですが」など余計な言葉が頭に浮かぶが口に出すのはやめておく。 昔は知らないが、最近の病院は色彩へのこだわりが面白い。すごす環境への意識。アメニティとかいうんだっけ?もしかしたら行きたくない病院ばっかりのほうがみんな健康に気合をいれるかもしれない。なんてね。 受付にMRが動員をかけられて案内業務をさせられていた。たいへんそうだねリーマン。 その足でもらったお茶をもって近所の公園でピクニック。ベビーカーでムスメがうとうとしているのをいいことにだらだらとすごす。公園からみおろす赤い屋根の可愛い家からは半裸のおっさんが布団を干す素敵な風景。家はファンシー、住人はセクシー(嘘)。家のデザインとむさくるしい住人の組み合わせがミスマッチ。公園の車止めをとおりぬけようとしてベビーカーがひっかかって2人であたふたする。こんなところにもバリアーが。結界? 夕方から新宿で大学の先輩Uと4月の同窓会の2次会打ち合わせ(と書いて飲み会と読む)。打ち合わせもしつつ、サッカーとWBCの話。 芝居でもサッカーでも(あるいは違う分野でもいい)チームに圧倒的にうまい凄いヤツがいれば他の役割がはっきりときまってくる。集団で必要なのはセンターフォワードだ!などと喋りつつ。 そんなこんなで4時間ビール。ギネス最高。(♂)
2006年03月25日
呉智英「犬儒派だもの」(双葉文庫)を読み始める。 半端な知への厳しいツッコミ、保守派革新派を言葉の使い方の面で両方嗤う切り口はあいかわらず面白い。水木しげるのエピソードが秀逸。天然は最強だ。あらゆる知性を超越する。 なんでこのひとの本がカンノー小説ばっかりだしている出版社から出ているのか不思議。ジャンルとしてはサブカルチャー扱いになるのか?うっふんなカバーデザインの「なんちゃらの悦び」とか「人妻なんちゃら」の隣にある風景はいつみても可笑しい。 文中、あるサブカルチャー系出版社で活動していた漫画家の自殺を扱っている。呉は怒っていう。編集者が漫画家を殺したようなものだ、狂気を育ててしまったのだと。 もちろん表現者は自分の表現に対して自己責任を負わなくてはいけないにしても、こういう「温床」を周囲がつくってしまうことはあるだろう。あのひとは芸術家だからとか、アーチストだからとか天才だからとか。そして育ったものは毒草だったりするのだ。 以前自分も「あなたの劇評がキッカケだ」といわれたことがあるのだが、当時はただ照れ笑いを浮かべただけだがいまならはっきりいえる。「だめだよ騙されたら」 たぶんそのときの劇評はとても半端に甘さがあったのだろう。その結果甘い蜜だけ吸おうとして表現者として勘違いをさせてしまったのだと思う。わからないけれど。 たとえば子供むけの毒々しい着色料のお菓子は大人になればだれもみむきもしなくなるように、もっと批評はけばけばしく武装させたほうがいいのかもしれない。だれがみてもこいつはいかがわしいよ、と思わせたほうが読む側も差し引いて読むから批評に対する客観性がうまれるかもしれない。 ・・・ってわざわざ考えなくてもいかがわしいですかね?(♂)
2006年03月24日
ボスが同じ課の先輩Kについてぼやいている。 悪いことじゃないからいうけどさー(←という言い方をするときはだいたい悪いことだと思っている)このまえ接待される会があって。将来もあるからと思ってKを連れていったんだよ。でもあいつなかなかひとの話に入ってこないんだよなあ。 ・・・べつに難しい話じゃないんだよ。ただの雑談だしさ。相手の社長もようやく気付いたんじゃない?「K君はなにが趣味?」とか気を遣って聞いてようやく「芝居」とか「映画」とか答えるんだけど話がつづかないんだよなー。 「どこか行くより何か買ったほうがいい」とかいうし。呆れたのか社長も「Kクン、それじゃあ世界は狭いまんまだよ。東京で全部用が足りるじゃない。だれか紹介しようか?」っていってくれるんだけどさあ。 「前そういう紹介で会ったことがあるけれどあんまりうまくいかなかった」っていうんだよ。普段話しているようであんまりそういう話ってでないしさあ。そろそろちゃんとしてほしいんだけどねえいい歳だし。 フォローするわけじゃないんですけど似たようなもんですよ私も(←だいいちフォローになってない)。芝居とかきっかけで世界を広げることもできるんじゃないですか(オレはできてないけれど)。 うーん芝居が悪いっていってるわけじゃなくて(←註:以下同文)、ひとりで行くなってことだよ。せめてだれか誘って行けって。まったく困ったもんですよ、いやほんとに。 うーん。平行線だ。 年齢的に違うしましてや年上だからこれまたフォローにならないのだが、私も昔はそうだった。好きな芝居や映画がこいつにはわかる、こいつにはわからないと見極めたうえで誘ったものだが。女子供にゃあわからないよといったらかっこいいが(よくねえだろ)、実際はその世界への独占欲が強くて分け与える余裕がなかった。わからせる努力というのが臆病でできなかったのだろう。じゃなかった、できなかったのだ。 あなたの知っている世界の中身そのものには価値がないけれど、それを知っているあなたは面白いよ。調味料には魅力はないけれど、調味料がかかった素材にはみんなが興味がしめすよ。 とオタクが気づけばもっと自分営業の場が広がると思うのだが。むずかしー。(♂)
2006年03月23日
同僚が、卒業式をみてひとこと。 「卒業式だよ」卒業式だねえ。「あんなにいっぱいいてさあ」いるねえ。 「明日からニートがいっぱいだよ」 ・・・・なぜ断言する?(♂)
2006年03月22日
ムスメのお宮参りで撮った写真ができてきた。 写真館のアンティークの家具に囲まれて撮られた写真はムスメ単独のものはとてもキレイに撮れていて、さすがプロ!というところ。プロを捕まえていうのもなんだけど。 でも両祖父母&われわれ夫婦もいれた家族写真は泣きはらしていた顔がごまかせず、ぷにぷに面で結構笑えた。将来ぎゃんぎゃん泣いたエピソードを笑いとともに思い出すことだろう。こういう写真はちょっとぎこちないぐらいのほうが好みだ。ぎこちなさに「ハレ」を感じるではないか←っていう感覚は古いかしら。というかひねくれている? 子供専用の写真館(今回撮ったのは普通の写真館)ではおもちゃを大量にそろえてしばらく遊ばせて撮ると聞いたことがある。それなりに時間がかかるので料金もそれなりにするらしいが、遊びを通じて無心になる表情をプロが拾っていくそうだ。そこまでして美しく撮りたいか?というと自分はひいてしまうが、これは個人的な好みだろう。 遊びが写真向きの顔をつくるのだとすれば、大人ならパチンコでもさせればいいのだろうか。大人の場合は無心がかえって「素」の醜さをさらしてしまう可能性は十分にあるけれど。 素というよりOPENな表情を売るアメリカ人などは写真で撮ったらいい写真か?というとどうかなあとも思うし。 カメラをむけた瞬間だれもが意識して被写体面になるのがつまらないなあとも思うが、今風のざらざらしたあえて素人っぽい撮りかたも好きではない。じゃあなにがいいんだか。 「平成の歩き方」で木村何某がパノラマカメラの登場で集合写真の緊張感はなくなったと指摘していたが、パノラマに限らず撮影機材の氾濫によって写真の意味が変わってきたのだろう。 結局自分にある写真の理想とはたぶんめいっぱい背伸びしてつくったあげく垢抜けずぎこちない、昔の写真なのかもしれない。そんなのもうムリなのはわかっているけれどね。(♂)
2006年03月21日
よくつかわれるがウソ。という言葉はよくみかける。スポーツ報道に多いのはなぜだろう。たとえば、 憧れの長嶋さん(長嶋体験のあるアスリートで現役はいない) 記憶に残るプレイ(実はスポーツニュースのダイジェストでしかみたことがない) 父に捧げる一勝(試合の間そんな雑念入らないよ) ・・・常套句にいちいち突っ込むのもどうかと思うが。でもウソは邪魔だ。プレイに差障る。だからツッコむ。 本書は予算の限られたある球団が金満球団と互角に戦うためにデータを駆使する記録である。試合中はもちろん、チーム編成においても球界の常識に反し純粋にデータからでた結論に従ってデータを活用していく。 「盗塁は意味がない」「出塁率がすべてである」「ボディより動体視力」従来の野球の常識にとらわれず徹底的にデータからでた結論にこだわる姿は痛快ですらある。そしてそれを仕切るGMはメジャーリーグの挫折の過去をもち、ロジカルにというよりマッチョにその路線を推し進める。 データに淫し、勝利に関わる数字を追う人々。伝統のスポーツの意地か、データを拒絶する球界の人々。数字に関わる人たちがどんな関わりであれ人間臭いのがおもしろい。 数字からでる答えがひとつではなく、あくまで切り口であるという視点が新鮮。ヴァーチャルな世界で「わかった気になっている」自分を見直したくなる一冊。(♂)
2006年03月20日
頭が痛い。 毎年この時期になると頭が痛い。たぶん去年も同じことを書いている。季節の変わり目と血液のどろどろと連日の仕事による睡眠不足とまあいろいろあるのだろうけれど。頭遺体。じゃなかったいたい。ついでに唇は口内炎で裂けている。内臓の故障が口にでている。 大人なら!コレステロールだらけのものを食え! とか掟ポルシェが歌っていたが。ダメだ。こういうときにそういうツケがくる。 かみさんにいってひたすら布団で惰眠をむさぼる。たいして眠くはない、と思っていたらいつのまにかオちる。 二日酔いのときもそうなのだが、こういうとき自然と胎児姿勢というか、拳闘姿勢になるのが不思議。胎児記憶による安心感のためなのか、それとも内臓を暖めるための姿勢なのか。ってまあシロウトなりに考えをめぐらせてみる。 頭痛が軽くなったころ起きてムスメと遊ぶ。気まぐれで相手してもキャッキャッとはしゃいでくれるのがうれしい。 夕方急に外出の用事ができて髭を剃る。頭をなでつける。服をひっぱりだす。 頭痛が消えていく。 結論:偏頭痛の特効薬は睡眠と気合。ということで。(♂)
2006年03月19日
ムスメをベビーカーに乗せて出かける。 いままでは歩ける範囲しか行かなかったのをあえてバスや電車に乗せてみる。みんなやっていることではあるが、実際にやってみないとわからない。ということでおっかなびっくり出る。 バスでは降りるときに一声かけると後ろの出口を開けてくれた。昔はそれができなかったらしい。どうしていたのか。あんまり外出しなかったのか? バス停から改札までエレベーターをつかう。ベビーカーぎりぎりサイズにつくられた改札をとおり、ホームまでをエレベーターで降りる。もともとエレベーターはつかわない主義だが、こうやってつかってみてあらためて思う。 健康な奴が気安く駅のエレベーターつかうんじゃねえよ そういうおまえも担いで降りろといわれれば返す言葉もないが。 杖や車イスの方はもっと大変だろう。わざわざ張り紙で入り口に「体の不自由な方以外はご遠慮ください」と表示されていた。実際に困っているひとは多いのだ。健康なひとが平気で乗るようになったのはここ最近の傾向だと思う。データはないが。天誅だキミタチ。 電車に乗ったら乗ったでベビーカーをどの場所に置くかで困る。空いているうちはいいが、電車はそういうツクリになっていない。 目的の駅につき、今度またエレベーターに乗る。乗ったら降りる方向が違うつくりになっているのがありがたい。そのまま直進できるというだけでとてもラクだ。しかし別の場所では急なスロープにびびる。これってバリアフリーというより「戦艦ポチョムキン」になるのではないか? 人ごみの中をかみさんと3人で歩く。歩きタバコに閉口し、ちょっとした階段のある場所に困り、騒がれたら騒がれたで騒がせる場所に困り、こうして子ども連れはあきらめて車に乗るのだろう。 帰りのバスで運転手さんがベビーカーをヒモで固定してくれた。もしかしたら安全上の基本手順なのかもしれないけれど、気遣いがうれしい。 とにかくとても消耗した日。車椅子体験というのをよく子どもにやらせているがベビーカーでもやったほうがいい。世の中はまだまだバリアだらけだ。そんなプチ社会派な一日。(♂)
2006年03月18日
ふがいない業績に業を煮やしたうちの会社の社長が吼えたらしい。 受注だ!とにかく受注だ!船だって飛行機だっていいから仕事をとってこい! それを聞いた某営業Y、小声で 飛行機って受注に資格いるからムリだよ。 ・・・そんなトリビアはいいから。(♂)
2006年03月17日
雑誌を眺めていたら、かつてのバイト先に出入りしていたクライアントさん(なんでもかんでも「さん」をつける習慣はいやなんだけど。監督さんとか社長サンとか)がインタビューに出ていた。 「次長Kさん」 懐かしい!とか、出世してんじゃん。とか、マスコミ露出!とか、いろんな想いがうずまいて思わずバイト仲間に記事を写メール。いまだに知っている人(といってもむこうは私の顔も忘れている)がメディアにでるとはしゃいでしまう私。三十路ですがなにか? 安いぜ。 「笑っていいとも!」で人気曲線を株価のレーダーチャートにして芸能人をあてるクイズ企画があるが、有望株とはこういうひとをいうのだろう。 年をとると立場がいろいろで面白い。気づけば堀江前社長だって年下だ。買いの入っているひと。売りばっかりのひと・・・ と、他人事として語るのではなくて自分もそろそろ「配当」をださなくてはいけないのだが。実際は粉飾決算の日々だとしても。 流布できる風説だけでもほしいもんだ。オレオークション。さていくらよ?(♂)
2006年03月16日
スポーツの経験がないに等しいのだが、スポーツノンフィクションは好きだ。かみさんにはペーパースポーツマンと呼ばれている。全然うれしくないが(怒)。 監督が流動的な状況で出す指示にはとても興味がある。芝居の最中に演出が役者を怒鳴るのは出演者でないかぎりまずありえない。憧れである。脚本のないところでの脚色。すごい。 たとえば全盛期のヴェルディ川崎。ビスマルクとラモスと柱谷がハーフタイムに怒鳴りあいになったとき、当時チームを率いていたネルシーニョはそれ以上のパワーを持って怒り狂ってみせ3人を呆れさせ場を静め、冷静に指示をだして修正したという。 海千山千の連中を束ねそれ以上にカブく計算と熱情。日常にとりいれられないだろうか?と思う。「怒ってみせる」ぐらいはやっているが。難しい。ヘタにやるとうそ臭くなるし。怒っても怖くないと逆効果だし。可愛い♪とかいわれた日にゃあどうよ。そんな経験ないけど。 笑えばいいと思うよ ってなんだっけ?(答えは不要)そうだ笑えばいいのだ。どんなときも。笑うだけでなく笑わせれば上出来だ。人を無条件に微笑ませる存在。それを天使と呼ぶ。 本書はデブでマザコンの精神科医が現代人の抱える病理とむきあう物語。というと病院モノだが、実際は「狂っている」患者よりイっちゃっている医者が癒すデタラメな展開。だんだん醜い主人公が(ちょっと前の言葉でいうなら)「キモ可愛く」みえてくるから不思議。笑いつつほろり。自分の悩みすらたいしたことなく思えてくる。 みんな弱いねー。でもいとおしい。(♂)
2006年03月15日
進行管理という自分の部署の仕事の性格上、優先順位をとる立場に沿った喋り方を要求されることがよくある。電話を切った次の瞬間には違う得意先には違う言い方になっている。 私は蝙蝠さんよーん♪とわりきって桜の大紋をふりかざせばいいのだが、あんまりふりかざしつづけているとつい口にでている。 なにさまだよっ だれにいっているかというと自分にだ。人間が正直(とかいてバカとよむ)にできているのでつい口からでる。そして飲み込む。 苦い。 微々たるものとはいえカネを貰っているのだからわりきらなくてはいけないのだが、現場の話を伝えるときも、お客さんの話を伝えるときもなんでいまこんなにえらそうに喋っているのだ!とツッコミをいれる自分にやかましいと上段蹴りをいれどやしつけながらえらそうにしゃべる。小心者だ。立場や名刺・看板で迷わず会話できるやつがうらやましい。そういうやつが出世するのだ。 重松清の本で「われわれの世代は子どもに対して自信がもてない」という一節があり世代は違うにせよバランスを重視する戦後教育の結果かなあと思って読んでいたのだが、仕事をしているとそういうときがある。仕事に限らない。相談に対してこたえるときに気付けばその答えから責任を遠ざかろうとする自分がいる。相談もそうだし、励まし、ダメだし、コミュニケーション全体がそうだ。だめじゃん。 とにかく「絶対真理」(←ヘンなことばだけど。って註をつけてしまうのがもうだめ)が説けない。 バランスとはうまい言い方なだけで結局責任を回避しているのだ。 逆に責任とは「ある間違いを背負うこと」だ。自分の価値観に従ったある結論を伝え、批判を受ける覚悟のことだ。 自分が正しいことを疑うからつらいのだ。自分のは間違っている?→お、意外と正しいじゃん!と誤りを前提に発言を検証したほうがいいかもしれない。 いっそのこと信用されなければいいのか・・・ってそういう話じゃないだろ。 というわけで今日もウソをつく。(♂)
2006年03月14日
月曜日は重い。 心身のキリカエの日なのでしょうがないといえばしょうがない。ギアをローにいれたまますごす。サイドブレーキがはずれない。ぶろろろろ。 日曜日も働けば軽くなるのだろうか。たしかに月曜日は軽くはなるかもしれないが1週間が重くなるだろう。 その1週間を軽くするためにはそのまえの1週間を働けばいいのだろうか。そうすると1ヶ月が重くなるだろう。1ヶ月を軽くするためには・・・キリがない。借金か労働は。 昔のひとは偉かった。太陽暦のない時代どうしたら土日休まずに働けるのか。むしろ当時のひとにはいまの生活をみて「なんで長く休めるんだ」といわれるのかもしれない。全員がワーカホリックの国。すげえよ。テンションは違うだろうけど。スターリンがみたら大喜びだな。ってなぜスターリン? 三年寝太郎なんて話があるが、あれが児童作家がつくった話でなく伝説だとすれば、実際はもっと短いのかもしれない。脳内イメージで3年というだけで。実際は1ヶ月とか。どうだろう? 休まないかわりにマツリのはじけっぷりは凄かったのではないか。リオのカーニバルなどめじゃないだろう。抑圧された日常の解放。抑圧とは感じていないにせよ。現代のリーマンはマツリがないかわりに飲み屋でくだをまく。そういえば最近飲みに行っていない。はじけてしまうだろうか。やだなー。 と、はじけないかわりに鬱々と綴っている。うつうつ。(♂)
2006年03月13日
タイトルにつられ、自分が親1年生なのもあって観る。内容はハウツーものではなくて人間工学のドキュメンタリーだった。それならタイトルは「子どもの事故は半減できるか」だろうNHKスペシャルのパターンなら。 でも興味深く観る。 ある医師が子供(「供」は差別の意味があるとかいうな。めんどくせー)の不慮の事故にパターンがあることに気づき国に対策を訴えることから番組がはじまる。しかし国は動かない。医師は建築家や遊具の専門家など、各分野のスペシャリストと組んでプロジェクトをたちあげる。 アメリカではすでに国家主導で医療現場から事故データを共有するシステムになっている。自動的に玩具メーカーなど関係各方面に報告がいくことで事故が30年で半分になったという。 訴訟社会とそうでない国との違いであるとか、なせばなると思っている国と我慢を美徳とする国との違いであろう。それでもこういう消費者保護への意識は見習うべきものがある。 チームは滑り台のらせん階段から転落して腎臓を損傷した事故をとりあげ、現場でどういう状態で落ちたかをダミーをつかって検証する。衝撃の力を測ると同時に親がいて防げたかという要素を調べる。 親がいて防げたかという視点は重要である。日本の場合子供を大切にしすぎる文化の一方で親に過剰に役割を背負わせる傾向があるからだ。 次に子供を集めらせん階段で走らせ、導線を追う。わかったのは歩幅が狭い子供はインコースを攻めるので内側が危険であるということだ。大人は広い外をまわるので手すりはそちらを中心につくってしまう。盲点である。 プロジェクトのメンバーは遊具業界団体に改善を申し入れ、業界団体も了解。内側を塞ぐ柵と手すりを設置。さらに自治体にもデータの共有化の働きかけをしてレポートは終わる。 業界団体の代表が「われわれも事故に対して困っていた。どうしたらいいかわからなかったのでありがたい」と言っていたのがいかにも日本的だ。問題があってもぼやくだけで改善をしづらい風土が自分の職場にもあると思う。自分の職場では命はあずかってないにせよ。 事故にあった親が「撤去などになってほしくない。うちの子の事故が役にたってよかった」といっていたのが印象的であった。こんな大人ばっかりならいいのに。 事故の恐怖をあおりすぎている部分はあるにせよ(言葉は悪いがカネにならないのに)使命感をもってだれかが動いている社会的意義・啓蒙という意味で非常にいい番組。続編もとむ。(♂)
2006年03月12日
義父母監修のもとようやく雛祭りの人形をしまう。 嫁にいきおくれるとかなんとかいうのはともかく、こんなもん全国で汗水たらして並べているとすれば日本人はようやるなあ。細かい部品。ごっつい台座。もっとつくりが簡単にならないものかね?とか思うが、この面倒くささ、仰々しさこそが文化と言うやつなんだろう。 いつか書いたような気もするが、思い出すのはかつてあった川越の名物パンやの話(いまあるかどうかは未確認)。 ポイントはつくりかたである。 パンに、餡子とバターをはさむ。レシピとしてはそれだけなのだが、なぜか主人は パンをひらく→ふたをあける→アンをいれる→ふたを閉じる→フタをあける→バターをいれる→フタをとじる という手順をいちいちやっていたらしい。そんなもん一気にパンならべてバター→バター→バター、アン→アン→アンだろう!と考えるのがふつうだが、なぜかそこのご主人はその手順にこだわった。 ISO取得するならいいが、そういうグローバルな話ではなく衛生状態が悪かったころの名残かもしれない。対外的な宣伝文句としては「1コ1コシェフが丁寧にしあげました」となるのだろうか。モノはいいようである。 さらに、相撲の時間になるとたいへんなことになる。主人は相撲好きだ。したがって↓ パンをひらく→ふたをあける→アンをいれる→ふたを閉じる→フタをあける→バターをいれる→フタをとじる→取り組みをみる おいおい客商売だろう。と思うのだが。客である川越市民忍耐強いのかアホなのか(たぶん後者)、ひたすら並んでいたらしい。だから全体の動きとしては↓ パンをひらく→ふたをあける→アンをいれる→ふたを閉じる→フタをあける→バターをいれる→フタをとじる→取り組みをみる→行列が伸びる 主人よりすごいのは客か。さすが城下町(意味不明)。 だからこの人形を時間かけてしまい、また来年だすのもまたアホらしいといえばそれまでなんだけど、それをやれるゆとりというのかなんというのか。あればいいなあ来年も。ってもとからゆとりなんかないんだけど。 ムスメよはやく大きくなってぐうたら父の代わりにならべてくれ。何歳からやらせるもんなのか。やらせるべきなのか。そのときは「おまえのためを思ってだ」とか「心を鬼にして」だとか世間並みのベタなことをいってやろう。わくわく。(♂)
2006年03月11日
帰りぎわ、利用する駅にて。 最終電車に客を急がせる駅員が叫んでいた。殺気だって叫んでいた。魂のSHOUT(以下、原文のまま)。届け世界に。ちゃっちゃっちぇっちゃっちゃちまーー!訳じゃなかったふりがな:3番線発車しまーす 空耳ではない。しかも2回も。・・・わかんねーってふつう。 聞き取れたオレを褒めていいのか悪いのか。(♂)
2006年03月10日
私は芝居をサッカーチームにたとえることがよくある。 「ゴールに意識がいってないよ」「だれが中心なのかわからない」「監督が意思統一の徹底をしていない」「ひとりでだらだら持ちすぎてんじゃねえ」 不思議と芝居が台詞というボールをまわす競技にみえてくる。実際テンポのいいものは内容もいいものだ。 同じことを最近相談事で考えるとあてはまることがわかった。自分の部署は業務の進行をやっている関係でいろいろな話がくる。基本的には相談者をワントップのFWにみたててこっちはあらゆる方向からパスをだし、怒鳴り、相手の体勢を整うまでキープして・・・ 需要というボールを転がすスポーツだと思えばいいのだ。 つい、相談というと相談者にシンクロしてしまうのだが、相手の泣きが入ってようがほっておいて冷静になにが一番大切かというゴールをめざして無責任にいろいろプレゼンしていけばいい。 無責任と冷静さは兄弟である。 相談者はこちらの感情なんかみていない。自分のことしかみえていない。そいつの姿をみせてやればいいのだ。現状分析。具体的にとれる策。ベスト。ベター。そして50点の答え。最悪防がなくてはいけないこと。 最後に決める要素がエゴであるのもサッカーに似ているではないか。 勝ったらオレのもの。負けたらFWのせい。そういうことでよろしく。(♂)
2006年03月09日
つきはじめの混乱は机の汚さに原因がある。 そんなのあたりまえだろうちゃんとしろといわれるかもしれないが、扱う点数が増えるとつい広げたくなるのが人情というものだろう。しかしスペースは限られている。そこで混乱するのだ。わかっているならなおせオレよ。 まずは時系列に資料を並べ、1コ1コ処理したほうがいい。 次にしまうという時間をどこに置くかだ。そのたびに資料そのものを地道にしまうのが正しいのだが、自分の性格からいってでっかいハコをもってきてマクロな意味で処理の終わったものはほおりこむ。捨てる、しまうという細かい動作は退社直前にやるというのはどうだろう。全体のおさらいにもなるし。 作業の中から「迷う」ロスをなくしたい。迷うことが精神的にストレスになり、また途中で入ってくる電話や相談でPC再起動のような状態になるのだ。 いいよなあガイジンのオフィスは。個室とかあってさあ。 ・・・とまた妄想の海を泳ぐところであったが。やつらは文化の違いによってプライバシーへの意識が高いとかなんとかいわれているけれどなんのことはない、集中するための知恵だと思う。 そう、集中だ。雑談を減らせ、じゃなくてなくせ。電話は手短に、かつ1回で終わるように。何かを処理するときにリンクする作業があればポストイットでも貼っておけ。それ以外に雑用が発生したらA4とかデカい紙に箇条書きだ。なくさないように。 あとは、自分をいかに忙しくみせるかだ。忙しくするのはいつでも外に飛び出せるようにヒマになるためなので、ヒマではなくて正確には待機状態なのだが、わかってくれないひとは演説をはじめてしまう。聞いている間も手を動かせるようにしておいたほうがいいだろう。人間シュレッターになるとか、判型が似た資料を集めるとか。手を遊ばすな。 ここまでできれば、完璧。明日からやってみよう。(♂)
2006年03月08日
月はじめはつらい。繁忙期だともっとつらい。請求書の処理と見積もりとトラブルがいっきにくる。毎月同じことを書いているということは進歩がないのか。ないのだろう。 ミネフジコのような秘書を脳内募集して妄想の海に泳ぐのもいいが、いい加減軽蔑されるだろう読んでいる知人友人に。あるいはムスメに。 だから消極的な心構えで精神的な安全弁をつくってみる。 残業がつづく状況と言っても、徹夜をしなくてはいけない仕事についているひとには「帰れるからいいじゃん」といわれるだろう。 忙しさを嘆いても「仕事があるだけいいじゃん」といわれるだろう。 リーマン稼業をぐちっても自営業からは「いいよなあさぼったって潰れるわけじゃないし」といわれるだろう。 ぼやくポイント自体は他人には美味しいようにみえたりするわけで。どうすりゃいいのか。最終的に自分の消耗を減らせばいいのだ。エネルギー配分について考えてみる。 たとえば駅伝で、本当に強いチームはペースが崩れない。 テレビ的には誰かがポカをしてだれかが挽回する冒険映画の王道みたいな展開がいいのだろうが、実際は勝利に必要なのは冷徹にラップを刻むチーム構成である。 そういえばフードファイトでもホントに強いヤツは一気食いをしない。淡々と口に運び気づけば勝っている。 つまりこの時期の自分の仕事のすすめかたというのは一気になにかを処理というのではなくて、あっちをすすめ、こっちをすすめというコツコツと積み重ねるしたやりかたが結果としてはいちばん消耗が少ないのではないか?妙に燃えたりすることもなく地道にすすめる仕事へのゴール。どうだ? それができないからうだうだぼやいているのだが。 次に、達成感をあげるために打ち上げを用意するのはどうだ。箱根だってあの大手町の感動的な迎えがなければあんなに盛り上がらない。だから仕事の対価として個人的な打ち上げを企画すればいい。それをめざしてモチベーションがあがるだろう。 ・・・ところで仕事の対価って、いくらよ。ビール何本飲めば精神的に満たされるんだい?(♂)
2006年03月07日
会社で株を薦められる。 といっても投資とかそういう景気のいい話ではなく、持ち株会の加入というやつだ。持ち株?=ストックオプション?という世界標準の話でもない。ほんとにおつきあい。 正直いまの業績で株を持っていても意味が無い。赤十字社の社員章や横浜FCのチームの株、大川興業の株のほうがよっぽど価値がある。ネコに小判。じゃなくて人間にまたたび。それくらい価値がない。 叩き売れるものなら叩き売りたいものだ。組合のイベントでオークションにでもかけたらどうなんだ。それができないようになっているのがずるいところではあるが。最初から塩漬けの株。わざわざ買う物好きがどこにいよう。ここにいるよ。というか買わされそうになっているのだ現在。 役職で~は~株、~は~株と規定の数をいうので、聞いてみる。じゃあ、~株以上買えば部課長より上になって威張れるわけですね?「そりゃあ威張れるよもちろん」とボス。 ウソつけ。 「えーと、強制じゃないけど、今度持ち株会の会長になったんですよわたし」とボス。 それ強制じゃねーか。 目的としては経営に参画してもらうということになっているそうな。ほほう。 説明の途中近くにいた先輩Kに話をふる。 「株のアガリで儲かってしょうがないって聞いたんですけど?」 先輩K「(棒読み)そうそう株で儲けた金でカンジュース買うのが楽しみでさあ」ああ世間の風は冷たいぜ。 インフォームドコンセント(ってほんとは医学用語だけどこの状況で入るのは正気の沙汰ではないだろう)はつづく。「内容としてはですね、こういう財務状況で、先週の株主総会で決まりました、しゃんしゃんと」 しゃんしゃんっって・・・正直すぎないすか? それでも加入していないのが社内にふたりほどいるらしい。そいつらの社会性のなさを糾弾すべきか。それとも他の人々が黙って入らされている状況を責めるべきか。 どっちもどっちだなー。入るしかないんだろうな。リーマンはつらいぜ。(♂)
2006年03月06日
ひな祭り疲れでだらだらすごす。 なにをしたわけでもないのだが。緊張がほどけてひさびさに遅寝。なにに緊張していたのか?自分が抱いたときにムスメが泣かなかったのもこちらの威嚇に萎縮していたのかもしれない(ダメ父)。 春の陽気のせいか、とにかく眠い。客に出した皿を洗い、白菜と豆腐の味噌汁をつくり、小松菜を刻む。かみさんが洗濯している間にムスメを見る。ムスメもまた昨日のダメージなのか、こちらのバイオリズムにシンクロしているのかやたら寝ている。いいコだ。いいコなのか。 だらだらついでに幸村誠「プラネテス」再読。 宇宙のゴミ掃除やを舞台に繰り広げられる物語。宇宙を前に自分探しに走り、そして自分探しから卒業する主人公に時代を感じる。20年前の作品なら自分を探し続け、未完で終わるんだろう。「愛することだけやめられない」くー。しびれる。台詞は直球でも、そこにいきつくまでの葛藤にぐっとくる。たった4巻しかないのにこの濃さはなんだ。SF苦手な自分にもツボおしまくり。 ああ、本読んでない。CD買ってない。バカになりそうだ。もう遅いか。それよりは片付けだ。なぜやらない。床は拭いているけれど、産卵、じゃなかった散乱しているおたくグッズの山よ。どうしてくれる。 そんな精神状態が部屋を飾っている。郵便ポストが赤いのも、部屋がちらかっているのもみんな春のせいにしようか。うがー。(♂)
2006年03月05日
両方の両親を呼んでムスメのお宮参り&お食い初め。 生まれたのはとっくの昔だが、寒さで延期していたのだ。ようやく春らしい気配がみえてきたので、地元の神社に行くことにする。 10時ごろ私の親の車到着。タクシーを呼び、2台体制でいざ神社へ。まずは併設の写真館で家族写真だ。 長い廊下をすすみ、階段をあがれば古ぼけた家具が揃った薄暗い部屋。壁には夜中に目が合いそうなグラデーションがかった写真の数々。スタッフはマジメな高田純次風(だれだよ)のおっさん。期待感が膨らむ。自分が考える写真館の雰囲気をちゃんと満たすのがいい。いいのか。 ここでトラブル発生。ムスメの機嫌がすこぶるよろしくない。単独の撮影で無理やり下から姿勢をささえたのがおきに召さなかったのか、慣れない涎掛けのせいか、泣くわ泣くわ。泣き喚くこと山の如し。 それでも写真館はプロである。泣き喚いたスキを狙って無防備な顔を撮る撮る。隙間にシャッター音。田代ま○しもビックリだ。 ムスメも負けていない。ソロ→親子、と順調に撮影がすすんで親子+両祖父母という番で泣き騒ぐ。むこうのスタッフも慣れたもの。「カーテンを閉めますのでご自由に。先に新入学生を撮ってますよ」と急遽授乳時間に。 それでもおさまりゃしねえ。先日覚えたばかりのぞうきんの歌を歌ってあやす。ようやくおとなしくなる。次回は新しい歌を覚えておこう。 最後の写真は「ふつう父側の母に抱っこです」という勧めにしたがって母の腕に。姪のときにつかった飾りをそのまま転用。首をかたむけろだこっちにむけだいわれているうちになんとか撮影終了。撮影が終わったとたんにご機嫌がよくなるというのもどうかと思うよムスメよ。 結論:痩せたければ写真撮影されろ←雨が降ろうが槍が降ろうがずっとにこやかでいつづけるモデルってすごいよ。尊敬。 その後、神社へ。祈祷料と髪の毛を渡して申し込み用紙に名前を書くとすぐ祈祷スタート。住所と名前を祝詞にはさむのって個人情報の観点からいってどうよ?というツッコミを密かにいれつつ頭をさげる。巫女の舞をはじめてみる。べつにとくにうまいわけではないが空気ができる。伝統の重みを感じる。神降臨。おおげさか。 その後場所を家に移してお食い初めと昼食会に。プロに頼んだだけあって、ムスメ用のお膳が美しく楽しい(写真)。さっきとはうってかわってまわりにサービスしまくりのムスメを中心にのんびり昼食。時間軸が狂う。明らかに家のほうがモデルのコンディションがいいのをいいことに撮影しまくり。 プロに勝てるぜ。 サービスしすぎたムスメは親より消耗。風呂にも入らずこれを書いている現在いまだに眠っている。サービスしすぎだよ。(♂)
2006年03月04日
義母からいただいたちらし寿司を食い、蛤のお吸い物を食す。ちらしうめー。食後はビアードパパのシュークリームがデザート。別腹、別腹。 蛤ってなに?性的なメタファー?と本気で聞いたらすげえ怒られる。オヤジギャグじゃないんだけどなあ。菱餅も、やがては京都という町の構造も民俗学に従えばそういう意味をもつと聞いたことがあるし。 というハンパな知識はさておき。 人生の一時期大学で勉強はしておくものだ若者よ。しないと脳がトリビアでいっぱいだ。私のように。 そういえば、ひなまつりってなんだろう。気になって検索してみる。 この検索と言うのはクセモノだ。わかったような気になる。ネット情報なので暫定的な知識という理解をしなくてはいけないだろう←そして暫定的な処置は最終決定に。そしてさらに脳に余計な知識が。 ともかく結果は以下。高貴な生まれの女の子の厄除けと健康祈願のお祝いとしての「桃の節句」が、庶民に定着したお祝い。単なるお祭りではなく、女の赤ちゃんのすこやかな成長を願う行事、お雛さまは赤ちゃんに降りかかろうとする災厄を代わりに引き受けてくれる災厄除けの守り神 そうなんだー(←本気で感心)。 ああそういえばつのだじろうの作品で流し雛を拾って兄妹が災難に遭う短編を田舎の蔵のカビ臭い少年マガジンで読んだ記憶が。って、こういう系統立っているけれど間違った知識体系の確立が私を誤らせるのだ。 バラクーダの歌じゃないけれど、季節のイベントって酒飲む機会(でなければ流通業がはりきるタイミング)だとしか理解していないひとって結構いると思うのだ。それとも俺だけか。 そう考えると勉強ってまだする余地あるなー。ひなまつり共通一次。絶対最下位だわ現時点で。(♂)
2006年03月03日
封筒詰め作業のために女子大へ。 女子大。JOSHIDAI.声に出して読みたい日本語だ。おお甘美なひびきよ(ロシア詩風)。4月の大学サークルのOB会のためである。少しでもお役にたてればと遅れながら仕事の後に参加。場所がなぜ女子大かというとOBがいるからである。こんな機会でないと入ることはまずないだろう。 1●年前に夏期講座で入ったことのあるキャンパス。時間は20時。夜もふけて(とは何時ぐらいでつかうことばなのだろう)記憶とすり合わせる風景はなく、ぴっちぴちぎゃる(化石語)に会うこともなく受付をすませて指定の研究室に急ぐ。首からさげるパスに時代を感じる。昔はバッジだったような(遠い目)。 作業は始まっていて、折りとセットと封入に別れて作業中。ひさしぶりの折り紙。慣れるまであたふたする。手も老化するのか? こんな単純作業でも性格がでる。もとい、単純作業だからこそでるのかもしれない。よくキャンプでつかえるひとつかえないひとがわかるというが、集団行動というのはそういうものなのだろう。 自分がどうだったかはさておき。 そんな中でも軽口はとびかう。手をやすめることなくつなぐ会話。観察していると(というより手のリハビリで口をはさめなかったのだ)結局は空気・呼吸を読んで言葉をだすのだなあとあたりまえのことに感心する。 そんなことに感心するなんてほんとに芝居やっていたのかオレは。 縄跳びの郵便やさん♪おはいんなさい♪というあの要領こそ、会話の極意だ←極意というのは言いすぎにしても、「息をあわせる」のは慣用句ではなくて実際に集団のパワーをうむ、というのを聞いたことがある。たとえばスポーツであればラグビーのスクラムとか。 自分が縄跳びを苦手だったのも思い出す。さもありなん。それスポーツなのか。 帰り電車がやばくなったので途中で退散。 ところで、出口をでるときにOBに聞かされた話。 ここはねえ、昔兵舎だったから出るんだよ ・・・帰り道ダッシュの30男を誰が責められよう。(♂)
2006年03月02日
帰宅すると眠らないムスメがぐずって泣き喚いているのでとめる妻を振り切って足首をつかんでジャイアントスイングをきめる。馳浩もびっくりだ。23回転でやめておく。 ・・・という「血と骨」のビートたけしのようなことはせず(←そんなシーンはない。あくまで妄想)、とりあえず抱き上げる。とたんにおとなしくなる。 思わずGOD HAND!と自画自賛←アホだ。原因はオムツであった。早急にとりかえる。 ジャイアントスイングはともかく。どうやったらあんなにちっちゃいか弱い生き物にそんな暴挙ができようか、いやできはしない。だいいちそんなことをやったら各方面から同じ仕打ちを受けるだろう。 ジャイアントスイングをされる30代の男。どんな気分だ? ゲンキン。それは赤ん坊のためにあることばだ。かまえばとたんに笑う。いままで泣いていたのをころりと忘れて笑う。私の兄は「泣いたカラスがもう笑った~」というからかいことばをよくつかっていたが。これもいまや死語だらう←旧かなづかいはかっこいいのでちょっとやってみた。RESPECT丸谷才一。 おとなしくなったところで夕食。 こちらは食事は終わったがまだぐずる。天気が悪いせいもあるだろう。今度は抱き上げて歌う。「ラララ雑巾~ラララ雑巾~♪ぞーきんをぬいましょう♪」という例のヤツだ。ほんとはベビーマッサージでつかうのだが、メロディがやさしいのでつかいながらゆらす。ゆらしながら目をみる。じっとみかえしてくる。さらに目をみる。みかえしてくる。 かえって興奮させているのか。 まだ眠らないので今度は柵をおろしたままベッドにねかす。軽く布団をかける。離れると騒ぎそうなので目をみながら体を軽く触る。すこしずつまばたきが増えていくので電気を消して呼吸をあわせる。全部布団をかける。 目をあわせつつ今度はこちらが眠りそうになっているふりをする。同じ動物なら眠ろうとしているモノの邪魔はすまい。という勝手な推理によるものだ。むこうはだんだん瞼が重くなっているようだが、こちらが逃げないか監視するために(?)ぱちくりやっているのでさらに寝たふりをする。 顔がすこしずつ上をむいていく。呼吸も一定になる。静かに柵をあげる。おやすみムスメよ。いい夢を。 ・・・静かに忍び足で離れるときの気持ちがなにかに似ていると思ったらジェンガ、または砂山の棒倒しであった。そーっ、どきっ。(♂)
2006年03月01日
全31件 (31件中 1-31件目)
1

![]()
![]()