全30件 (30件中 1-30件目)
1
アメリカがまだマッドメン時代の真っ只中にあり、男性は男性であり、女性は秘書だった1960年代のこと、ミシガン州からアメリカ議会議員に選出された最初の女性マーサ・グリフィスは、ユナイテッド航空の上級副社長チャールズ・M・メイソンに手紙を書きました。「メイソンさん、あなたは何を経営しているのですか?航空会社ですか、それとも売春宿ですか?」そしたらメイソンは、「結婚もせず3年以上仕事を続けたスチュワーデス(CA)は"間違った種類の女"」だと断言したのです。グリフィスは1964年、公民権法に性差別の禁止を盛り込むことに尽力した人物です。メイソンのコメントは、まさに60年代のスチュワーデスの地位を象徴するだけでなく、当時のほとんどの働く女性に対する世間の認識について述べていたのです。当時、女性は夫の許可なしにクレジットカードを作ったり、賃貸契約書に署名したりすることができず、セクハラや妊娠中の女性の解雇が合法で、弁護士のわずか3%、医師の7%のみが女性で、女性の収入は男性より40%低かった時代です。60年代~70年代にかけて、多くの航空会社が安全性でも目的地でもなく、スチュワーデスを売りにしました。この時代、スチュワーデスに採用される条件として、独身であることが求められ、結婚した場合、体重制限を超えた場合、32歳または35歳に達した場合は解雇されていました。1967年の就航後、サウスウエスト航空はホットパンツ、ヒップベルト、白いロングブーツと云ったきわどい制服で知られるようになってました。スチュワーデスに乗客の安全を守る意識よりも、セックスアピールを求めるようになってたのです。1970年代、パシフィック・サウスウエスト航空のスチュワーデスが着用させられていたのは、パステルカラーの超ミニ制服にロングブーツでした。物議を醸したナショナル航空の「Fly Me(私を飛ばせて)」キャンペーンをはじめ、60年代~70年代にかけ、アメリカの多くの航空会社が性差別的な広告を展開しました。Fly Meキャンペーンは「私はジョー、一緒に飛んでください」とキャッチフレーズを掲げた魅力的なスチュワーデスを起用したキャンペーンです。コンチネンタル航空のコピーは、「私たちはあなたのためにシッポ(尾翼)を振ります」 でした。70年代、コンチネンタル航空機内には、「ポリネシアン・パブ」があって、乗客にサービスするのがスチュワーデスの役目。ですが、飲み過ぎた乗客がスチュワーデスに性的な暴行を加えることも少なくなかったのです。スチュワーデスは、男性客にサービスを提供し、魅了し、誘惑することを役割とする性的対象として扱われていたのです。航空会社はチケットと一緒にセックスを販売するビジネス、つまり空で非常に儲かる「プレイボーイクラブ」を経営してたのです。1965年、10,000名の「スカイガール(スチュワーデス)」のポジションに対して100万人もの女性が面接を受けました。合格者は「チャーム・ファーム」というスチュワーデス寄宿学校に送られ、そこで髪、化粧、爪、服装の厳しい規定を遵守することを教えられました。つけまつげとガードルが必須項目。飛行機の安全性を習得するスキルは、外見よりはるかに低レベルでよかったのです。見た目が良いことと同じくらい重要なのは、スリムであることです。チャームファームでは、体重制限に近い「女子」がクラスから引き抜かれ、ランダムに計量が行われました。医務室に体重計が置かれ、スチュワーデスはほとんどが男性の同僚の前で体重を量らなければならなかった。そして、会社の医師がダイエット薬を処方しました。万一、スチュワーデスが妊娠した場合、スチュワーデスを辞めるか、違法な中絶方法を見つけるか、病気休暇を取って秘密裏に出産する必要がありました。32歳になった後に解雇されたスチュワーデス少なくとも6人が自殺したのです。1970年に女性解放運動が勃発すると、女性の権利を求めるスチュワーデス団体は、性差別的な広告と企業差別に抗議して多数の訴訟を起こしました。ジョンソン大統領は性差別を違法とする公民権法に署名し、1968年に雇用機会均等委員会を設立しました。これは性別が職業上の正当な要件ではないと云うことです。メアリー・パット・ラフィーは、ノースウエスト航空に対し、同一賃金法に違反したとして集団差別訴訟を起こしました。ノースウェスト側は何度も控訴しましたが、ラフィーは1984年、ついに勝訴したのです。彼女は史上最大の金額判決、6,300万$の未払い金を勝ち取りました。1971年にすべての航空会社で女性の雇用制限が解除されました。結婚禁止は80年代までにアメリカの航空業界全体で廃止されてます。重量制限は90年代に訴訟と交渉を通じて緩和されました。70年代の終わりまでに、スチュワーデスという名称は性別に依存しない「客室乗務員(CA)」に置き換えられました。また、80年代~90年代には、多くの男性がCAに応募できるようになります。現在、シンガポール航空は「シンガポール・ガールズ」として知られる女性CAの画像を広告素材に使用することを依然として使ってる数少ない航空会社の1つです。しかし、航空機を強調する広告が優先され、シンガポール・ガールズは段階的に廃止され始めています。シンガポール航空は昨年になって、女性CAに出産時の退職を強制しないこと約束しました。最初のスチュワーデスの制服は、耐久性と実用性を備え、乗客に対して自信ある印象を与えるようデザインされました。1930年代、最初のスチュワーデスは看護師と同じような制服を着ました。ユナイテッド航空初のスチュワーデスは緑色のベレー帽、緑色のマント、ナースシューズを着用してたのです。イースタン航空など他の航空会社もスチュワーデスにナース服を着せてます。ハワイアン航空のスチュワーデスは、アロハシャツを制服として着用してます。初期の制服の多くは非常に軍事的な外観を持っていました。しかし、航空会社がスチュワーデスの広告的価値を認識し始めると、1930年代後半~40年代前半にかけて、より女性らしいラインや色が登場し始めたのですね。そして60年代~70年代の、セクシーな制服へと変遷していくのです。
Sep 30, 2023
コメント(5)
18世紀、ドイツのザクセンにオルフィレウスと呼ばれてた男がいました。ほんとうの名前はヨハン・エルンスト・エリアス・ベスラー。1712年、この男は不思議なモノを発表しました。「自動輪(the wheel self-rotated)」。自動輪は、動力なしで永久に回転し続ける木製車輪です。オルフィレウスが自動輪に手をかけて、少し力を加えると、車輪は回転をはじめます。普通は手を離すと徐々に回転が弱まっていきますが、自動輪は徐々に回転を強めていったそうです。やがて、毎分50回転ほどの回転数で安定し、そのまま回転し続けたのです。「自動輪」には2つの物理上の重大な矛盾があります。「エネルギー保存の法則」と「エントロピー増大の原理」です。エネルギー保存の法則は「エネルギーの変換前後でその総和は変化しない」と云うもので、オルフィレウスの自動輪だと、最初オルフィレウスが手で回したエネルギーは車輪の回転に変換されましたが、それで終わり。その後、新たなエネルギーを加えることなく、勝手に回転を続けることは物理学上、絶対にあり得ないと云うことです。エントロピー増大の原理は、「熱力学第二法則」とも呼ばれ、例えばただ1つの熱源から熱を受け取って働き続ける熱機関は実現不可能だとする法則です。では、オルフィレウスはこの物理法則をどのように克服して自動で回転を続ける車輪を作り上げたのでしょう?誰にも分かりません!オルフィレウスの発明は世間から詐欺だと酷評されて、怒って自動輪を破壊してしまったからです。自動輪の原理を記した文書も残っていないので、自動輪がホントウに永久機関かどうか実証できないのです。Amazon なんかで「永久機関」と名うったオモチャが売られてます。上部のすり鉢状の皿から1度ボールを落とすと、永久にレールに沿ってボールは回転を続けるのです。コレの仕掛けは台座の裏にあります。レールが台座に接触する部分に電磁石が貼り付けられてるのですね。ここに永久磁石を貼り付けると、ボールがレールを通ってきた瞬間に磁石に引っ張られてストップしてしまいます。しかし、ボールが電磁石の上を通過する瞬間に電気を切って磁力を無くし、勢いでボールを走らせてると云う仕掛けです。なので電気の供給を止めると、ボールは手で落とした1度っきり、ピクリとも動きません。「ラジオメーター」もエネルギーあっての羽の回転ですね。ラジオメーターの内部は真空に近く、羽根の片面を白く、片面を黒く塗った針で支持しただけの羽根車に赤外線を含む光をあてると回転する仕掛けです。光が当たると黒い側が高温になり、黒い羽根の方の空気の分子が激しく振動します。そうして羽根の両面に圧力の差が出来て回転するだけなので、光(エネルギー)が継続されないと羽はストップしてしまいます。私の世代だと「水飲み鳥」もそうです。The Original Drinking Birdこの水飲み鳥は基本的には熱機関で、温度差を利用して熱エネルギーを運動エネルギーに変換してるだけです。これのサイクルだけで動いてるので、頭部を湿らせる水がなくなると停止してしまいます。エネルギー源は周囲環境の熱で、このオモチャも永久機関ではありません。サイクルはこのように繰り返されます。1.頭部から水が蒸発する2.蒸発により頭部の温度が下がる3.温度の低下により頭部のジクロロメタン(塩化メチレン)蒸気が凝集する4.温度の低下と凝集により頭部の気圧が下がる5.頭部と胴体の気圧差により管内の液面が上昇する6.液体が頭部に流れ込むことで重心が上がり、前方へ傾く7.傾くことで管の下端が液面より上に出る8.蒸気の気泡が管を通って上昇し、液体は下降する9.液体が胴体に流れ、頭部と胴体の気圧が平衡する10.液体が胴体へ戻ったことで重心が下がり、鳥は元の直立状態に戻る惑星の自転はど~説明する?これには角運動量保存の法則が適用されるので回転し続けるのです。角運動量保存の法則は、ある点のまわりのその力のモーメントがゼロの場合、その点のまわりの質点の角運動量は一定に保たれると云うもので、惑星で云うと外部(他の星や宇宙)と相互作用しない限りその運動状態を変えないだけで、外部に対しても何らの変化を与えることがないと云うことです。それに対して永久機関は単純に運動を続けるのではなく、外に対して仕事を行い続ける装置のことで、惑星の自転とは関係ないのですね。永久機関は物理法則から考えたら絶対に不可能です。それでも18世紀から科学者や技術者は永久機関を実現すべく精力的に研究してきました。19世紀になってやっと、永久機関の実現は不可能だと理解しましたが、それまでの研究は物理学の発展に大きく寄与しました。
Sep 29, 2023
コメント(7)
蛍二十日に蝉三日とはよく云ったもので、旬の時期と云うのは短いものですが、最近は天候不順で旬そのものが無くなってきてるような。ホタルってのは近年まったく見なくなりました。生息環境の破壊や汚染が主原因だけど、ホタルの繁殖に熱心な土地でも、訪れる観光客のマナー違反で繁殖が思うように進まないとか。観光客のマナー違反ってのは、ホタルを採集したり、ホタルに照明を向けることで交配ができないと云ったこととか。ホタルの減少は世界的な問題で、気候変動が原因で2001年~2018年にかけて徐々に減少していき、現在に至ってるらしい。ホタルはメスの成虫が光を放ちますが、人工光による光害がこのホタルの光り方に影響を与えることが分かってます。人工の光にさらされると、メスは光を放つことが少なく、身を隠すことが多くなるのです。アメリカのアラバマ州に「ディズマルズ・キャニオン」と呼ばれる、自然ランドマークに指定された素晴らしい渓谷があります。ここは私有地らしく、商業的に運営されており、入場には料金がかかるんですね。しかしハイカーには大人気の土地で、毎年多くの観光客が訪れる地です。しかし、ここを訪れる人々の目的は渓谷散策もさることながら、もっと別のものに興味があるのです。それは夜間しか見れないので、訪れる人は小屋かテントで1泊するのが必須なんですね。人々が見たいと熱望するのは薄気味悪いコレです。学名「オルフェリア・フルトニ」と云う北米固有のキノコバエの幼虫です。ニュージーランドやオーストラリアで見られるツチボタルの親戚で、苔むして湿った渓谷の壁に住んでいるのですね。この幼虫がディズマルズ・キャニオンに生息していることから「ディズマライト」という通称で呼ばれてるのです。ディズマライトは、苔、腐った木、岩の隙間、裸地などに粘着性の巣を作り、エサや仲間を引き寄せるために明るい青緑色の光を放つのです。ホタルはお尻にひとつのランタンですが、ディズマライトは上下2つランタンがあります。その光で飛んでいる獲物を巣に捕らえ、網にかかると、網内の化学物質が獲物を麻痺させると云う仕掛けなんです。ディズマルズ・キャニオンは、ディズマライトが見つかる数少ない場所の1つなんですね。ディズマライトの光は、峡谷の壁を覆っています。幼虫の数は、卵からかえる晩春と初秋の年2回にもっとも多くなり、ホタルにも負けない光のショーを見せてくれるのです。ディズマライトのライフサイクルには4つの段階があります。 最初の段階は卵です。 卵は粘着性のある茶色のボールで、洞窟などの天井にぶら下がっています。 卵は約7~9日後に孵化して幼虫になります。この幼虫の段階で発光するのですね。幼虫の期間は、エサの入手状況にもよりますが、通常6~9ヶ月続きます。そして第3段階は蛹です。幼虫は粘着性の糸を使って保護バリアを作ってバリアの中央にぶら下がり、蛹の「皮膚」で身を包みます。約2週間後、ブヨの成虫として羽化するのですね。成体のオスは交尾するメスの蛹を探し、交尾が終わると死亡します。成体のメスは交尾直後に130個以上の卵を産み、その後 死亡するのです。しかし気候変動は世界中の発光生物に影響を及ぼしており、ディズマライトも例外ではありません。残された時間も、あるいはそう長くはないのかもしれないのです。
Sep 28, 2023
コメント(7)
DDTってご存知の方は太平洋戦争を生き残った戦中派の人たちが中心ですね。日本では終戦直後の石鹸が手に入らず衛生状況の悪い時代、アメリカ軍が持ち込んだDDTと云う殺虫剤をシラミなどの防疫対策に使いました。この時代、外地からの引揚者や、児童の頭髪に粉状のDDTを浴びせる防除風景がよくニュース映画で流されたものです。都市部では、米軍機から市街地に空中撒布することもありました。発疹チフス退治 DDT散布/大阪(昭和21年=1946年)上の画像がDDTの散布風景ですが、どっかで見たことある風景やなぁと考えてみたら、「ゼロコロナ政策」の中国で同じような防疫してましたね。DDTは戦後直後の衛生状態が改善した後は、農業用の殺虫剤として利用されました。DDTは有機塩素系の殺虫剤で、農薬でもあります。これの成分が殺虫効果に優れてると発見したのはスイスの科学者パウル・ヘルマン・ミュラーで、ニュラーはこの功績によって1948年にノーベル生理学・医学賞を受賞してます。そのDDTがアメリカで急激に普及したのは日本の事情が大きく影響してたのです。戦前までアメリカで虫除けと云えば「モスキートコイル (Mosquito Coil) 」でした。モスキートコイルとは「蚊取線香」のことです。当時の蚊取線香の原料は「除虫菊」です。皮肉なことに、日本に除虫菊が渡来したのは、1886年(明治19年)アメリカからだったのです。それが最もさかんに栽培されたのは和歌山県で、和歌山県のみかん農家だった上山英一郎が1895年(明治28年)に渦巻き型の蚊取線香を作ったのです。上山英一郎は「金鳥(KINCHO)」でお馴染み、「大日本除虫菊(株)」の創業者です。このころにはアメリカで除虫菊はほとんど栽培されておらず、モスキートコイルの原料(除虫菊)は日本からの輸入だったのですね。ところが太平洋戦争が勃発して、日本からのの除虫菊供給が途絶えてしまったのです。で、目をつけたのがDDTと云うことで、これによってDDTがアメリカで実用化されました。「鳥達が鳴かなくなって生き物の出す物音の無い春」と云うのが1962年(昭和37年)に出版された「沈黙の春」と云う著書の冒頭で述べられてることです。著者はレイチェル・カーソン。ペンシルベニア生まれで、60年代に環境問題を告発した生物学者です。「沈黙の春」は発売から半年で50万部売れ、ニューヨーク・タイムズのベストセラー・リストに選ばれてからは更に売上をのばしました。農薬として使う化学物質の危険性を取り上げた「沈黙の春」は、後のアースディや1972年の国連人間環境会議のきっかけとなりました。人類史上初めて環境問題に人々の目を向けさせ、環境保護運動の始まりとなったのです。彼女が取り上げたのはDDTです。広く農薬として認知されてますが、はたして安全なのか?DDTの成分が自然環境では非常に分解されにくく、また食物連鎖を通じて生物濃縮されるのです。「沈黙の春」を読んだケネディ大統領は大統領諮問機関に調査を命じました。これを受けアメリカ委員会は1963年、農薬の環境破壊に関する情報公開を怠った政府の責任を厳しく追及。DDTの使用は以降全面的に禁止され、環境保護を支持する大きな運動に広がったのです。カーソン没後1980年に、当時のアメリカ大統領ジミー・カーターから大統領自由勲章の授与を受けてます。わが国では1971年(昭和46年)に販売が禁止されました。世界的にも環境への懸念から先進国を中心に、2000年までには40カ国以上でDDTの使用が禁止・制限されてます。「沈黙の春」によって、当時 あまり知られていなかった農薬の残留性や生態系への影響が公になり、社会的に大きな影響を与えました。彼女の指摘によって、生体内に蓄積し食物連鎖により濃縮され、問題が発生する可能性のある農薬に基準値が設けられ、規制されるようになったのです。日本でも、当時は安全と思われてたBHC(国内で最も消費された有機塩素系殺虫剤の一つ)によって汚染された牛乳や牛肉を摂取した人の脂肪組織や肝臓、腎臓等に分布、蓄積されることが判明しました。母乳からさえBHCが検出され人体汚染も発覚したのです。BHCの急性中毒になると頭痛、めまい、吐き気、嘔吐などを引き起こし、重症の場合は呼吸困難、チアノーゼを起こして死亡するケースもあります。国内では1971年に使用が禁止されましたが、国際的にも使用が規制されています。しかし、発展途上国では安い殺虫剤DDTの農薬としての使用は最近までほとんど減少していません。生態系破壊はそのままなのです。世界的にはDDTを農薬として使うことは禁止していますが、マラリアの感染対策のためにハマダラ蚊の防除に限って使用が認められています。しかし逆にDDTに耐性を持つ蚊を増やす結果を引き起こしているのです。現在、主にDDTを製造しているのは、中国とインドで、マラリア対策用として輸出されてます。
Sep 27, 2023
コメント(6)
2009年の秋、星を観察していた人々はこれを壮大な天体現象と思ってました。「これ」とは、実は宇宙の「尿捨て場」だったのです。スペースシャトルの宇宙飛行士は定期的に尿を宇宙に放出する必要があったのですね。尿が宇宙に放出されると、瞬時に凍って氷の結晶の雲になります。それが地上からは、太陽がこの氷に当たって水蒸気に変化する様子を見ていたのです。アポロ9号の宇宙飛行士ラッセル・シュワイカートはかつて「軌道上で最も美しい光景は...日没時の尿捨て場だ」と語ってました。尿が出口ノズルに当たると、「瞬時に1,000万個の小さな氷の結晶となって、ほぼ半球状に放射されます。線香花火の飛沫のようです」。宇宙では、排便回数を最小限にするため、薬を服用することも今までありました。また、尿意や便意の感じ方が地球上とは違うため、宇宙飛行士はもよおしてから、ある程度時間が経過したら排泄するよう指示もされているようです。宇宙の排尿排便が地上と違うことは容易に想像できますね。なにしろ、下の画像のように髪の毛でさえ無重力でこんな状態になってしまうのですから。宇宙で世界初のそそうをしたのは、マーキュリー計画でアメリカ初の宇宙飛行に成功したアラン・シェパード宇宙飛行士です。1961年のこの飛行はたった15分28秒の弾道飛行だったのですが、発射直前に便意をもよおしたのですね。ところが、この時代の宇宙服には排泄機能が備わってなかったのです。しかたなく、宇宙服のなかで用を足して、そのまま宇宙に飛び立ちました。つまりシェパードは宇宙服の中で、自分の排泄物にまみれながら飛行を続けたのです。アラン・シェパードの厄災がNASAに本腰入れてトイレ開発するきっかけになりました。マーキュリー計画とアポロ計画の間に行われたジェミニ計画は、2名の宇宙飛行士を宇宙に送る能力があり、1965年~1966年までの間に10名の宇宙飛行士が地球周回低軌道を飛行しました。このジェミニ計画では排泄物を特別な袋に格納してたのですが、ジェミニ7号で格納している袋が2週間の地球周回ミッション半ばで破裂してしまいました。ジェミニ7号に搭乗していたジェームズ・ラベル宇宙飛行士は、「野外便所に2週間閉じ込められてるようだった」と語ってます。続くアポロ計画では、排尿する場合、宇宙飛行士はコンドームのようなものをペニスに装着しました。コンドームは短いホースでバッグに接続されています。排尿は頻繁におこるので、宇宙飛行士はキャビン周りに浮遊する尿の飛沫に対処しなければならないことがよくありました。バッグに集められた液体は容器に保管され、乗組員は定期的に宇宙空間に捨てました。これが宇宙に放出されると、尿滴は太陽光の下でホタルのように光り点滅したのです。冒頭で述べたスペースシャトルの場合と一緒です。アポロ計画では、幅が約20cm で輪の形をした口に接着剤がついた大便回収袋を使用していました。宇宙飛行士は排便する度、ビニール袋をお尻にテープで貼り付けましたが、宇宙では「下」に行くものは何もないですから、彼らは手を使って糞便を袋に押し込む必要がありました。排便が終わると、袋に薬品を入れないと大腸菌が便を分解してガスを発生させ袋を破裂させてしまうため、使用後はバクテリアを殺すための錠剤を投入し、良く揉む必要がありました。ある宇宙飛行士は、「同乗者が真の仲間であるかどうかは、相手が自分の袋を揉んでくれたかで判断できた」と冗談を飛ばします。当時、服を脱ぐ工程も含めトイレは1回、約45分掛かりました。地球に戻った後の科学的調査のため排便袋は投棄されず飛行カプセル内に保管されてました。このため、ミッションが終わる頃には、どう見てもカプセル内の臭いはかなりひどいものになっていました。着水後にハッチを開けるのが仕事だった「フロッグマン」たちは、アポロの乗組員を回収したとき、悪臭に尻込みしたと云われてます。アポロ計画でもっとも悲惨な思いをしたのはアポロ8号のフランク・ボーマン宇宙飛行士です。下痢で液状化した便だと通常の袋では対処しきれないため、ジェミニ計画から下痢止め薬が用意されてたのですが、ボーマンは服用するタイミングを逸してしまったのです。そして...無重力の船内は分離した下痢と嘔吐物まみれになってしまい、仲間がペーパータオルを使ってできるだけ船内を清掃しなければならなかったのです。昔はミッションから降ろされたくなかったため、宇宙飛行士は体調不良や不調を極力隠そうとしていたのですね。アポロ10号の乗組員、ミッションコマンダーのトーマス・スタフォード宇宙飛行士、月着陸船パイロットのジーン・サーナン宇宙飛行士、司令船パイロットのジョン・ヤング宇宙飛行士の交信記録が公開されてます。スタフォード「あ!...誰のだ?」ヤング「誰のだって、なにが?」サーナン「あれはどこから来たんだ?」スタフォード「紙を早く取ってきてくれ。塊が浮いてるんだ」ヤング「俺じゃないよ。俺のやつじゃないよ」サーナン「俺のでもないと思う」スタフォード「俺のはもっとベトついていた。捨てろよ」(3人笑い)1973年~1979年まで地球を周回、アメリカが初めて打ち上げた宇宙ステーション「スカイラブ」計画では、宇宙で初めて男女共用個室トイレが登場しました。トイレの座席はプラスチック材で覆われ、身体が浮かないようにシートベルトが取り付けられていました。排泄物は空気で吸引されますが、お尻に当たる空気が冷たいのだとか。尿の回収にはロート型器具が使われ、固形排泄物は袋に回収され、加熱・真空室で乾燥されました。尿は少量を冷凍保存し、固形排泄物は乾燥後すべて保存され、医学分析のため地球へ持ち帰られました。今までは男性宇宙飛行士ばかりでしたから、トイレ事情もあっけらかんとしたものでしたが、1983年のスペースシャトル・チャレンジャーで、サリー・ライドが女性として初のスペースシャトル乗組員として搭乗すると事情は変わってきます。いくらスカイラブ計画で個室トイレが完備されたとしても、とりわけ放尿器具の形状は男性と女性で違ってきます。下の画像はISS(国際宇宙ステーション)の放尿器具ですが、おおむね このような形状のものがスペースシャトルでも採用されてました。スペースシャトルのトイレでは、身体からわずか数十センチ下で、1分あたり1,200回転するフードプロセッサーのようなブレードが装備されました。排泄物をトイレットペーパーと一緒にどろどろのパルプ状にして汚水タンクの壁に投入する仕組みです。50回にも及ぶスペースシャトルのミッションでは、数多くのトイレ問題が発生したことが報告されてます。たとえば、宇宙空間の低温と低湿度にさらされた時、凍った糞便が粘性を失い、ブレードに叩かれて塵になり、宇宙船のキャビンに広がってしまったこともあるそうです。これは「ポップコーン現象」と呼ばれました。ISSには現在、ロシアモジュールに1台、アメリカモジュールに1台、合計2台のトイレが設置されていますが、どちらのトイレもロシア製で、アメリカはロシアから約1,900万$でトイレを購入しています。尿や便は漏れない容器に入れて、他のゴミと一緒に無人輸送船に積まれ、大気圏再突入時に燃焼処分されています。新しいトイレがNASAで打ち上げられようとしてます。新しいトイレは、現在のユニットより40%軽く、65%小さく、エネルギー効率が大幅に優れています。このチタン製のトイレはひとつ2,300万$もしますから、世界でもっとも高いトイレと云えます。もちろん、これまでのトイレと同じで、水で流すのではなく、空気で吸収する仕組みです。今後はトイレで使った水を循環させて飲料水にする方向になります。そうでないと火星旅行のように非常に長期間の飛行に必要な水を充分運べないからです。すでにISSには2009年に尿を飲み水に変える装置が設置されていますが、問題は女性宇宙飛行士の生理のことです。無重力状態でも経血が体外に排出され、生理周期も影響されないことが確認されていますが、ISSに搭載された装置は経血のろ過は考慮されていません。また、宇宙に持って行ける生理用品も数量が限られるため、多くの女性が短期ミッションではピルを服用して生理を止める選択をしているようです。しかし、火星まで片道2年掛かると云われる長期ミッションでは、ピルの服用以外に、IUD(子宮内避妊用具/効用3~5年)や注射による避妊薬(効用2~3年)なども検討されてるそうです。
Sep 26, 2023
コメント(9)
ピューマ(アメリカライオン)は、ライオンやトラ、ヒョウ、チーターなどと同じネコ科の生き物ですね。このピューマに最も近い野生のにゃんこに「ジャガランディ」と云うのが居ます。ジャガランディはテキサス南部からアルゼンチン北部までの北、中南米に生息するにゃんこで、平均体長は約65cm 、体重約6kg と一般的な飼い猫の倍くらいかな?ジャガランディの子供は斑点を持って生まれますが、すぐに色褪せて無地の体毛になります。このジャガランディには2つの色の種類が居て、灰色のものをジャガランディ、赤や茶色のものはエイラと呼ばれていました。ところが全く同種なんですね。同じ親から生まれた子供の中にも灰色の子と茶色の子が混在することがあるそうです。ジャガランディは、よくイタチやカワウソと間違えられます。ほっそりと細長い体、短い脚、小さく平らな頭、長いシッポ、どこから見てもイタチやカワウソ似です。でもにゃんこなんですね。下の画像はアルゼンチンの路上で少女が野良猫の赤ちゃんを保護したら、成長してジャガランディだと分かり、泣く泣くアルゼンチン動物保護財団に引き渡したと云う子供です。ちっちゃいときから育ててたので、まさに普通のにゃんこと同じ。人間にまとわりついて、じゃれてばかり居たとか。動物園などで飼育すると15年くらい生きるようですが、ジャガランディを動物園で見かけるのは極めて稀らしい。と、云うより、アメリカで最も研究が進んでいないネコ科の生き物なんですね。ジャガランディは多種多様な鳴き声を持っており、13種類の異なる鳴き声が記録されていますが、残念ながら鳴き声を記録した動画が見つかりませんでした。代わりに保護されたジャガランディがどんなに飼い猫と行動が似ているか動画をご覧ください。Playing with a rescued jaguarundiジャガランディは多様な環境に適応する能力が最も優れている生き物で、乾燥した低木地帯、沼地、サバンナの森林地帯から原生林に至るまで、どこでも生活できます。昼行性か夜行性かは生活する場所によって変化しますが、地上や樹上を素早く移動することができ、泳ぎも上手いそうです。彼らの食べるものも非常に多様で、小型げっ歯類からウサギ、アルマジロ、オポッサム、ウズラ、七面鳥、爬虫類、カエルなど。水たまりに取り残された魚を食べる様子も記録されています。こんな にゃんこ飼ってみたいと思うでしょうが、一般家庭で同居するのはお勧めできないらしい。そりゃあ、ピューマの親戚ですからね。しかし、なんともカワイイお顔してますね。なんと云っても、にゃこ族は魅力的です。
Sep 25, 2023
コメント(7)
今、巷で話題になってる「量子コンピュータ」。名前は聞き覚えあっても、何のことか分からないと云う人が大多数ぢゃないでしょうか。現在、量子コンピュータの開発競争をしている主な企業はIBMとGoogle、マイロソフト、インテルなど大手企業ばかりです。量子コンピュータは、「量子力学」現象を利用するコンピュータとあります。量子力学は、粒子の振る舞いを顕微鏡レベルで研究する物理学の分野です。素粒子レベルで粒子がどのように振る舞うかは、私たちの周りの世界を表す方法とは根本的に違います。もう、これだけでカンベンですね。とにかく現在の最も強力なスーパーコンピュータでさえ解決できない問題を解決する可能性を秘めてるとあります。構造は、従来のコンピュータとは似ても似つかないものです。実際、現在のところ量子コンピュータは従来のコンピュータほど高速で安価、効率的に処理できるほどの能力はないらしい。これは1946年に開発された世界初のコンピュータ(真空管を使った)「ENIAC(エニアック)」と同じで、将来、量子コンピュータが実用化されると「黎明期はこんな古典的な機械だったのか!」となるのでしょう。とにかく量子コンピュータは量子原理を使用して動作するので、量子力学の専門用語「重ね合わせ」「もつれ」「デコヒーレンス」と聞き慣れない言葉の羅列が普通に使われてます。「粒子」の動きで計算と云っても、まったく想像すらできない世界ですね。まぁ、現在のPCだって使う側からすれば、なぜ動くのか?なんて意識してないから、一緒と云えば一緒ですが。量子コンピュータは、金融のポートフォリオ(金融資産の組み合わせ)で市場の動きを予測しての最適化や化学システムのシミュレーションなんかに使われるらしい。もちろん企業の研究開発に使われるのは論を待たないワケですが、現在でもスーパーコンピュータを必要としてる企業はほんの一握り。そのスーパーコンピュータより桁違いのスピードを達成する量子コンピュータなんて、必要とする企業、どんだけ有るのかしら?非常に重い処理を必要とする映像制作の現場でも、スーパーコンピュータを導入してる企業なんてどこにも無くて、みんな高性能のPCで用が足りてるのですから。一時期、中小企業向けのスーパーコンピュータが販売されたけど、ほとんど売れなくて、そのうちPCにとって変わられたみたいに、ダウンサイジングの方が先行するんぢゃないですかねぇ?量子コンピュータの歴史って意外に古典的なんですね。最初に提案されたのは1982年です。実際に製造されたのは2016年のIBMが開発した量子コンピュータが最初ですが、量子の研究そのものは1960年代から始まってます。今では個人が所有できる量子コンピュータまで売られてます。中国の深圳にある「SpinQ」のデスクトップ型の「Gemini」(572万円)、「Triangulum」(792万円)、そしてもっともサイズが小さく価格も安いのがポータブルタイプの「Gemini-Mini」(118万8,000円)。これらの量子コンピュータ、計算能力は人間のほうが速いらしい(笑)売る方も、あくまで「教材」と位置づけているそうです。まぁ、この程度のものと云うと、1976年に販売されたアップルの初代PC「Apple 1」みたいに遠からず骨董的価値しかないものになるんでしょうね。それでも欧米人で買ってる人はいるみたいです。
Sep 24, 2023
コメント(7)
時差ボケってのは経験しないと分からない苦しみですね。タイやベトナムみたいに日本との時差が2時間しかなかったり、台湾みたいに時差が1時間では全く問題なくて、到着と同時に元気に活動できるのですが、アメリカもニューヨークに行ったときはかなりのものでした。なんせ日本と13時間の時差です。つまり日本の深夜が、ニューヨークでは午後の1時。私のときは、現地でお世話していただいた日本人に「とにかく寝るな!こっちの寝る時間まで起きてろ!」云われて必死にガマンしました。つまり日本で午後11時に寝るとしたら、ニューヨーク着いてから36時間ぶっ通しで起きてたことになります。行きの機内で充分寝てりゃ問題ないでしょうと云われても、行きで12時間半のフライト。そんな寝られるモンぢゃなくて、結局 映画観たり、音楽聞いたり。ニューヨークから西に移動して、帰りはサンフから出発だったので飛行時間11時間で済んだけど、これがニューヨーク発だったら14時間かかりますからゾツとします。この36時間ぶっ通し起きがガマンできず、ニューヨーク着いてから、うっかり昼寝すると最悪の事態になります。なんせ体内時計が乱れてるのですから、日中は倦怠感や眠気、逆に夜間は不眠に悩まされ、1日を通じて慢性的な疲労、頭重感などに悩まされます。特にニューヨーク行きみたいに、東行きは1日の時間が短くなるので時差ボケが出やすいのですね。行ったことないので分かりませんが、ハワイ行きだって日本と5時間の時差(実質-19時間)あるので時差ボケする人はかなりいるのでは?だいたい5時間の時差あたりが時差ボケ発生の境目と云いますね。時差ボケは特に早寝早起きで、毎日規則正しい生活をしてる人に出やすい。朝型の体内時計の方が、時差による生活リズムの急な変化に順応しにくいためです。健康の秘訣が、海外に出ると「負」に変わるのですね。時差ボケを防ぐ方法はいろんなとこで述べられてますが、やはり飛行機内での睡眠がポイントのひとつですね。光を完全に遮断するにはアイマスクをつけて眠るのがイチバン。脳は暗闇を感知すると、体内時計を調整するホルモンのメラトニンが分泌され、眠りを誘うからです。そのためには窓の日よけ(シェード)も下ろして外光が入らないようにするのも方法ですね。ちなみに飛行機が離発着するときは、必ず日よけを上げなければなりません。離発着時がイチバン事故が起こりやすいので、外の状況を確認するためと、夜間は外の光に搭乗者の目を慣らすためです。そのために日没後に離発着する便は、機内の照明も暗くしてるのですね。アイマスクと同時に低反発のトラベルピロー、例えば従来からある「C型枕」や最新の「Trtl」「オーストリッチピロー」といった首や頭を覆うタイプの枕は、360度全方位で頭を支えてくれます。が、オーストリッチピローを被るのは、かなり勇気もいりますね(笑)ちなみに中国人を空港ロビーで見かけると、よくC型枕を首につけたまま歩き回ってる姿見かけます。これが、なんともヘンなんですね。また、長時間のフライトで足や背中にかかる負担を軽減するために、前の座席の下に引っ掛けて使う「フットハンモック」使用も有効な方法のひとつです。できれば、耳の穴を完全にふさぐようぴったりと装着できるシリコーン製の耳栓も用意するといいとか。ただ、これを使うと外部の音が完全に遮断されて、かえって違和感あるので私は好みではありませんが。ドイツの研究者の報告では「時差ボケを心配していると、時差ボケが悪化する」ことが分かったらしい。そのためにも、事前の万全な準備は怠りなくですね。たまにフライト中に眠るためだったり、到着後の不眠症を解消するために「睡眠薬」使う人がいますが、旅行中はリスクも大きいです。特にアルコールと同時にに服用してしまうと、精神の不調や意識がもうろうとした状態を引き起こすリスクが大きいらしい。それより、到着するのが朝から昼過ぎまでなら、カフェインをとることで体を慣らす方がいいみたい。また、到着地の普通の時刻(朝、昼、夕)に食事をとることもよいそうです。
Sep 23, 2023
コメント(6)
「害獣」いやな言葉ですね。よく本州だったらツキノワグマが、北海道だったらヒグマが人里に出没して人を襲ったとか、高齢者の男性が山で山菜採りしてたらツキノワグマに突然襲われたとか。元はと云えば、人が山中にゴミのポイ捨てしたりして、クマがヒトの食物の味を学習していくことから始まったことが多い。そうでなくても、人間側が原因の環境破壊により生息地のエサ不足、生息地そのものを失った事で人間の住む地域に野生の生き物が出没。またはアライグマやマングースと云った本来日本にいるハズのない生き物を人間が持ち込んだことが原因だったり。しかも山村の過疎により、森林の手入れもままならないケースが多い。だいたいクマが出没する可能性のある地域で、ひとりで山中に入って山菜採りなんかをする精神状態が私には理解できません。北海道に赴任してたとき、道の至るとこに「クマ出没注意!」のカンバンが立ててあって、そう云うとこを通過するときは車での衝突も含めて用心に用心を重ねてたけど、あまりに日常化すると無防備をキケンと感じなくなるのですかね?クマでなくても、イノシシやニホンジカ、ニホンザルなんかも同じことだと思うのですが...それと比べて欧米の動画サイトなんかを観てると、よく家の庭にクマの親子が出没したり、ときにはクーガー(マウンテン・ライオン)やピューマ(アメリカライオン)が出没して、ひとしきり遊んだ後、自然に帰っていく動画が掲載されてます。撮ってる家人も平気で彼らが遊ぶのに飽きて去っていくのを静かに見守ってるだけ。おそらく、こんな地域の人は野生の生き物が興味しめす残飯などは放置しないんでしょうね。よくアメリカのキャンプ場では「ベアーボックス(Bear Box)」と呼ばれる鉄製の箱が設置されてるのを目にします。そこに食べ物や飲み物はもちろん、ヘアスプレーや歯磨き粉など匂いがするありとあらゆる物全て入れるようにと指示されます。こうすることによって、クマが人間の食べ物なんかに興味を持つことを防いでいるのです。こんな記事がNETに載ってました。カリフォルニアのオレンジ郡公園管理局がある日、クーガーが出没しているのでトレイルを閉鎖したのですね。ところがクーガーを捕獲したワケでもないのに、翌週には再開したのだとか。そしてトレイルの入り口にはこんなカンバンが。「あなたはクーガーの土地に入ろうとしています。クーガーはこの付近に生息していて、いつ現れるか予測できません。充分に注意してください。クーガーは警告なしに人を襲うことがあります。あなたの安全は保証できません。危険があることを充分理解するよう警告します」。つまり野生生物の生息域に人が入ってくるのだから、安全はあくまで自己責任と云うこと。あくまで野生生物が主体と云うことです。そして公園管理局のHPには「もしクーガーに出くわしたらどうする」のアドバイスを掲載。「逃げるな!」「地面にしっかり立ち、両腕を振り回し、大声を上げろ!」「それでもクーガーが襲ってきたら、石を投げつけろ!」「クーガーにあなたが獲物ではなく、攻撃してくるかもしれないと思わせろ」「なるべく身体を大きく見せろ。もし小さな子供を連れていたら肩に担げ」「しゃがんでも無駄だ。クーガーはあなたより先にあなたを見つけている」自然は野生動物のものだから、人間がそのテリトリーに入るときは危険を承知で楽しむべし。自分の身は自分で守れ。根底にあるのはそんな考えなのです。ここにはガラガラヘビも数多く生息してます。トレイルの入り口にはガラガラヘビの注意喚起のカンバンも立たってます「ガラガラヘビをこの付近で見かけるかもしれません。彼らはこの自然コミュニティの大切な仲間です。彼らから攻撃してくることはありません。しかし、邪魔されたり追い詰められたりすると、彼らは自分を守ろうとします」。地球温暖化で絶滅の危機に瀕してるホッキョクグマ(シロクマ)の残りは、約26,000頭と云われてます。ホッキョクグマの獲物はアザラシです。そして狩りをするのは海に浮かぶ氷の上。しかし温暖化によって、北極圏の氷が解けだす時期が早まっているのですね。狩りができる期間が短くなり、栄養不足に苦しむクマが年々増えているのです。氷の解け始めが1週間早まると、クマの体重が10kg も軽くなると云います。地球温暖化対策が適切になされなければ、2100年までにホッキョクグマは絶滅すると云われてるのです。そんなホッキョクグマと共存してる町がカナダのマニトバ州北部にあるチャーチルです。チャーチルは、南のタイガ林と北西のツンドラとの遷移地帯(植物の姿が自然に移り変わっていく)にあります。そして、この地は秋に内陸部から海岸へと移動するホッキョクグマが見られることで有名で、「ホッキョクグマの首都」と云うニックネームを持ってます。チャーチルの住民や観光客は決してホッキョクグマに餌付けなどしません。あくまで自然のままに、この町でしばらく滞在したあと、通過するホッキョクグマとうまく共存してるのです。ホッキョクグマと人との適正な距離を保つ仕事は、チャーチルの保護官の役目です。チャーチルの住民の大半はホッキョクグマと遭遇した経験があります。歩いていて「角を曲がったらホッキョクグマと出くわした」なんて話ですが、大抵の場合、人がクマに驚くのと同じくらいクマも人に驚いて逃げ出すのですね。チャーチルにつながる道路がないため、ホッキョクグマ見物の観光客は飛行機でここまで来なければなりません。ホッキョクグマは後ろ足で立った時、最大で2.7m を超えます。そんな巨大な肉食動物、それも数多い頭数と共存するため、ときにはチャーチルの夜の静寂が、空に向けて放った散弾銃の銃声で破られることも珍しくありません。好奇心から町に入り込んだホッキョクグマに対して、逃げるように促すためです。普段から住民は家や車のドアに鍵をかけません。もし外でホッキョクグマと出くわした場合、避難場所として飛び込めるようにです。保安官のバン=ネストは、「ホッキョクグマと人間の両方を守りながら、訪れる人々にホッキョクグマとのよい思い出を作ってもらいたい」と述べているのですね。ホッキョクグマの屋外観察は専用のバスでおこなわれます。
Sep 22, 2023
コメント(6)
テニスでプレイヤーのどちらかが1ゲームも取れないことをベーグルと呼びますが、今日はそっちぢゃなくてパンのベーグルのこと。ベーグルって外はカリッなのに、内側は柔らかくてもっちりで私も好物なんですが、もともとはユダヤ人の食べ物とは知りませんでした。ベーグルの起源についてはさまざまな説が存在してて、判然としてないのですね。それだけベーグルの歴史が古いと云うことですが、そんな説のひとつに現在のポーランドがある東ヨーロッパに住んでいたユダヤ人パン職人が13世紀に遡るってのがあります。当時は、ユダヤ教徒とキリスト教徒を分離するため、ユダヤ商人たちの活動を細かく規定した反ユダヤ政策がありました。そのなかでパン職人には少しばかり自由が多く与えられ、ユダヤ教徒だけでなく、キリスト教徒のためにもパンを焼くことが許されてたらしい。でユダヤ教徒、キリスト教徒に関わらず人気だったのが低脂肪の生地を輪の形に成型して茹でた「オブワルザネク」と呼ばれるパンでした。オヴヴァルザネクはポーランド語です。ポーランド語の名詞「オヴヴァルザネク(obwarzanek)」は「事前に茹でる」という動詞「obwarzać」に由来し、焼く前に生地を茹でる独特の製法を指します。オヴヴァルザネクは茹でてから焼いて、粗塩、ケシの実、ゴマなどをまぶしたリング状のパンです。これもベーグルと同じように、外はカリカリ、中は甘くてしっとり。ポーランドでは伝統的に路上で売られていて、特にポーランドの都市クラクフで人気のスナックです。なのでオヴヴァルザネク自体の名前も「オヴヴァルザネク・クラコウスキー」と呼ぶのが一般的です。それでも13世紀のユダヤ人の作るオヴヴァルザネクにはユダヤ教徒向けと、キリスト教徒向けで違いがあったらしい。キリスト教徒がオヴヴァルザネクを買い求めるのは、「四旬節」の間、脂肪分の多い食べ物を控えていた期間に買うのが多かったのです。四旬節と云うのは、イエスが荒れ野で40日間断食したことに由来して、キリスト教徒自体が40日の断食したり質素な食事に徹することです。ユダヤ人向けはキリスト教徒向けより小さく、1人分の大きさに作ったものを、日常的に食べるパンとして販売してました。ど~も、ポーランド人はオヴヴァルザネクとベーグルを区別してないですね。クラコウスキー市民は、イディッシュ語(東欧のユダヤ人が話してたドイツ語に近いユダヤ語)では「ベーグル(バイギェル=あぶみパン)」と呼び、ポーランド語では「オヴヴァルザネク(ゆでパン)」と使う言語の違いだけだったようです。どっちにしても牛乳や卵、バターを使わない東欧系ユダヤ人の宗教上の食べ物だったのですね。このベーグルが1880年代にユダヤ系ポーランド人移民によってアメリカに広まりました。最初の上陸地はニューヨークです。この時代、ポーランド移民はニューヨークのアッパー・ニューヨーク湾内にあるエリス島のアメリカ移民局で入国審査受けましたね。20世紀初頭までにポーランド系アメリカ人は、100万人以上移住したらしいです。今でもニューヨークのグリーンポイントにはポーランド人街があり、イーストヴィレッジにはウクライナ人街があります。当初、アメリカでベーグルは珍しかったのですが、20世紀後半になって広く北アメリカで一般的なものになったそうです。それでもアメリカのベーグル発祥の地、ニューヨークのは特に有名ですね。ニューヨークのベーグルの方が日本のより大きいのは、アメリカのハンバーガーが大きいかったり、サンドイッチの量が多いのと同じですね。とにかくボリューム重視のアメリカ人。そしてニューヨークスタイルがポーランドのと違うのは、バーガーみたいに横にスライスしてなんでも挟むこと。こうなるとユダヤ教徒の食べ物ではなくなったワケです。ニューヨークに行くとベーグルショップがたくさん見つかります。私もニューヨークで食べました。先程述べましたように、ニューヨーカーはよくトーストしてクリームチーズかバターを塗ったベーグルを食べますが、ベーグルショップではサーモン、チキン、ツナなどの具材を挟んだベーグルも豊富です。ニューヨークのベーグルショップで特に有名なのは「ラス&ドーターズ」ですね。いつもお客さんが列を作ってます。北アメリカでは、他にモントリオールのベーグルもよく知られてます。こっちは1918年からウクライナのキーウからの移民によって広められました。モントリオールスタイルのベーグルは、生地に麦芽と鶏卵を使い、塩を使わず、蜂蜜を入れた湯で茹であげ、薪を使って窯で焼き上げるのが特徴です。ニューヨークスタイルは膨れて表面が堅いのが特徴ですが、モントリオールスタイルはもっちりした食感で、ニューヨークのに比べて甘く、小ぶりで穴が大きいのが特徴です。
Sep 21, 2023
コメント(7)
ポンペイと云うと、イタリアはナポリ近郊、ヴェスヴィオ山のふもとにあった古代都市ですね。西暦79年のヴェスヴィオ噴火の火砕流によって地中に埋もれ、遺跡は「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」として世界遺産に登録されてます。実はヴェスヴィオ火山は突然噴火したワケではありません。その予兆は西暦62年から大地震としてなんどもポンペイに住む人々を震撼させていたのです。にも関わらず、人々は避難もせずポンペイの街に住み続けたのですね。そして西暦79年の8月に噴火。12時間にわたって、細かい粒子の灰、次に泡状のガラスの岩、そしてその後灰色の軽石がポンペイの街に降り注ぎました。その後、噴火の様子が変わりました。爆発によって岩石、灰、ガスの熱い雪崩が火山の側面に勢いよく降り注いだのです。この灰流は2日間にわたって続き、2万人いたボンベイ市民のうち、何らかの理由で町に留まった約2千人が犠牲になりました。ヴェスヴィオ火山の火山活動は30万年にわたって続いており、過去17,000年間に7回のとてつもない大噴火があり、それは現在も続いてる周期なのです。18世紀半ばになって初めてポンペイは発掘されました。発掘された遺跡からたくさんの壁画が発見されてます。それらの壁には、また数多くの「落書き」も残されてたのです。発見された中で最も古い落書きは西暦78年に書かれた「ガイウスがここにいた」というメッセージです。他にも愛のメッセージや、他人の悪口、お悔やみの言葉、商売のやり取りといったものから、政治のPR、グラディエーター(市民の楽しみのため、死闘する戦闘員)大会の宣伝など公共イベントの告知も見つかっています。まぁ現在で云えばFacebookやTwitterといったSNSのメッセージ投稿と同じですね。ポンペイ遺跡では「テルモポリウム」も発見されています。テルモポリウムは温かい食物を提供する古代ローマの飲食店のことで、現代で云うファストフード店のようなものです。こう云う場所は貧困層や自分の台所を持つ余裕がない人が利用しており、上流階級の人々からは軽蔑の対象になってたそうです。2019年にきれいな模様で装飾されたカウンターの一部が発掘されたのがキッカケで、店の全容が明らかになりました。カウンターには土瓶(ドーリアと呼ばれていた)が埋め込まれています。カウンターに描かれたニワトリやイヌの骨も周囲で見つかっています。温かい食べ物を入れるための深い土器もカウンターに備えられており、ブタ、ヤギ、魚、アヒル、カタツムリの痕跡が見つかってます。パエリアのように一緒に調理された食材もあり、ワイン容器の底ではワインの風味と色をよくするために加えられていたソラマメも見つかったそうです。テルモポリウムの前には貯水池や噴水、給水塔が設置された広場があり、テルモポリウム内の馬にまたがるニンフのフラスコ画は、広場にある噴水に捧げるために描かれた可能性があるらしい。テルモポリウムの部屋からは、50歳以上の高齢者のものと思われる人骨が発見されました。この人骨は火砕流が到達した当時、テルモポリウム内のベッドにいた人物であることが周囲から発掘された木材片から判明しました。テルモポリウムの1階は客が飲食する場所で、階段があって2階に昇るとゲストルームがあったのです。つまりファストフード店と同時に旅館の機能ももっていたのですね。こうしたテルモポリウムはポンペイだけで80ヶ所も見つかってます。
Sep 20, 2023
コメント(7)
一昨日、日曜日に放送されたTBSの「世界遺産」で、アフリカ中部のガボン共和国にあるイヴィンドゥ国立公園が放映されてましたね。中部アフリカ最大と云われるコングウの滝や森にぽっかりと空いた「バイ」と呼ばれる湿地など見どころが沢山ありました。ガボンは産油国で、かつ人口が少ないので国民所得はアフリカでは高い部類に属します。TBSの「世界遺産」で放映されたイヴィンドゥ国立公園は東京都より面積が広い地域で、CO2吸収量がアマゾンと同等と云われる手つかずの熱帯雨林に囲まれてます。この放送で取り上げられた「バイ」と呼ばれる湿地は、絶滅の恐れある小型のゾウ「マルミミゾウ」が地面を踏み固めた跡にできたらしい。そのバイに絶滅危惧種のニシゴリラなど、いろんな動物が集まってきて生き物の休息地と成ってるのですね。ガボンの素晴らしいところは、こうした自然に手を加えず環境保護に熱心なことです。イヴィンドゥ国立公園の道も舗装もせず地道のままにして、学者向けの生き物観察小屋もひっそりと目立たなくして生き物の生態にできるだけ影響を与えないよう配慮しています。余談ですが、ガボンの中部にランバレネと云う町があります。このランバレネは、シュヴァイツァー博士の活動中心地で、ここに診療所を建てて診療を続けました。シュヴァイツァー博士が1965年に没した後も病院は存続し、ガボンを代表する病院となっています。シュヴァイツァー博士ってドイツ人ですが、フランスの実存主義哲学者サルトルの親戚でもあるのですね。そのシュヴァイツァー博士は、「風月堂のゴーフル」が大好物で、ランバレネを訪れる日本人は必ず持参したそうです。きのうパパゴリラ!さんの更新で、来月、八ヶ岳にオリオン座流星群を見に行くとありました。オリオン座流星群ってのは毎年10月19日~23日にかけて見られる明るい流星群ですね。今年は22日9時AMごろがピークと予想されていて、前日22時ごろに月が沈むので、それ以降が最も流星が見られる時間帯になるそうです。私たちの太陽系が属する銀河系には、2,000億個の星があると云われてます。そんな銀河が、この宇宙には2兆個も存在すると考えられてます。それぞれの銀河にある恒星の数が平均して3,000億個と仮定すると、宇宙に存在する星の数は「6×10の23乗」つまり「600,000,000,000,000,000,000,000個」存在することになります。そんな宇宙の規模から見たら、私たちが暮らしている地球なんて、ほんのゴミ以下の存在でしかありませんね。そんなゴミ以下の存在の地球には人類を含め、既知の生き物だけで約175万種もいるらしい。哺乳類だけでも約6,000種。まだ知られていない生き物も含めた地球で暮らす生物の総種数は大体500万~3,000万種あるだろうと見積もられてます。そんな地球の生き物、地球の歴史の中で5回におよぶ大きな絶滅を経てきました。一度生まれた種の90%~99%は絶滅したと云われてます。その絶滅原因の最大なものはペルム紀の大量絶滅のように大規模な火山活動によって酸素濃度が激減したと云うように地殻の変化によるものや、小惑星の激突による寒冷化などがあげられます。では現代は?何を云いたいかお分かりですね。現在、1年間に4万種もの生きものが絶滅していると云われてます。絶滅の危機にさらされてる生き物の最大の敵は人間です。密猟、乱獲、外来種の侵入、森林伐採、地球温暖化などすべて人間が生み出した生態系の崩壊からきています。ゴミ以下の地球に暮らす、たった1種の生き物(人間)のために、この世から6回目の絶滅の縁にたたされているのです。そうでなくても、人間は原子力発電を開発して自分たちでさえ致命傷になる環境でのうのうと生活している。すべて何の見込みもない未来に先送りして。どころか、その人間そのものが絶えず争いをして自分で自分の首を締めているのですから、何をか況んやですね。だいたい人間と云うのはどこまで云っても争い事に熱心で、映画「スタートレック」では宇宙の偉大な知的生命に接触して、地球上で争いなんてしてられないと地球連合を作ったと思ったら、その地球連合軍が他の星とまた戦争をする。ウクライナの世界遺産「聖ソフィア大聖堂」と「ペチェルシク大修道院」がロシアの破壊で「危機遺産」に変わったなんてその最たるものです。バカな話しです。世界中の武器を全て放棄して、他国への侵略はいっさい考えず、原子力を廃止して、環境保護に邁進、弱いものに寄り添う気持ちがあれば、まだ遅くはないのですから。そうすればゴミ以下の地球でも、素晴らしい文明が築けるのにねぇ。人間と云うアホのために、ゴミ以下の地球が消滅しても、宇宙規模から考えたら取るに足りないことで済まされるのが悔しくないのでしょうかねぇ。それとも...こんな光景を待ち望んでいるのか。まぁ、それもいいかも...月が地球と接触するときWhen Moon Touches Earth | Moonfall 2022
Sep 19, 2023
コメント(6)
昨年、民放連(日本民間放送連盟)に加盟してる44局が現在行われてるAM(中波)放送を打ち切って、2028年秋をメドにFM局への転換を目指すと発表しました。現在、全国のAMラジオ局は、難聴対策や災害対策のために、FM波でも同時放送する「ワイドFM(FM補完放送)」を行ってます。FMの電波は小さい送信アンテナで送り出すことが可能なので、山頂や鉄塔に設置することができ、災害による放送設備の被害を抑えることができるのですね。かつ、AMの電波と違ってビルなど建物内でも電波が届きやすく、電気雑音による影響も少ないのです。ぢゃあ、これまで通りAMとFM両放送でいいぢゃない。と、考えますよね。ところが局側の事情があって、放送設備の老朽化がどことも激しいのに、スポンサー頼みの民放局はAM、FM両方の設備投資は経営面で厳しいのです。で、どっちかひとつ取るとなると、メリットの大きいFM局1本に絞ろうと云うことになったのですね。そうなるとAM専用のラジオしか持ってない方は受信できなくなるワケです。今ではインターネット全盛で、インターネット広告費がラジオの広告費を上回ったのは2004年(平成16年)。インターネット広告費が雑誌の広告費を上回ったのが2006年(平成18年)に、新聞の広告費を上回ったのが2009年(平成21年)とはるかな昔になります。ラジオそのものの聴取時間も平均すると、NHKで約15分、民放で約20分くらい。ほとんどニュースや天気予報で、それも新聞や雑誌を読みながらのながら聴取がほとんどです。聴取者の大多数は個人経営の人たちですね。それも高齢者がダントツに多い。70歳以上の男性では、58分と平均値より随分長いです。そもそも日本でラジオ放送(AM)が発展したのは1923年(大正12年)の関東大震災が契機と云われてます。情報伝達メディアとしてラジオの必要性が認識されるようになり、それまで無かったラジオ放送局の開局を急がせたと云われてます。「アーアー、聞こえますか。...JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにち只今より放送を開始いたします」これが日本で初めてラジオ放送を行った第一声です。JOAKと云うのは、現在のNHK東京ラジオ第1放送のことです。これが実施されたのは1925年(大正15年)ですから、関東大震災の1923年から急ピッチで放送機能が構築されたのが伺われます。この日本初のラジオ放送にはオモロイ逸話があります。放送が実施されたのは3月22日なんですが、ホントウはキリのいい3月1日に開始する予定だったのです。ぢゃあ、なぜ実施日を遅らせたのか?それは...放送用の送信機が入手できなかったためです。もともとは、当時、日本に1台しかないアメリカはウェスタン・エレクトリック製の放送用送信機を使う予定だったのです。ところが、同じように放送準備をすすめてた大阪放送局(NHK大阪放送局)に横取りされてしまったのですね。そこでJOAKは、東京市電気局電気研究所が放送実施のために購入したアメリカのゼネラル・エレクトリック製の無線電信電話機を借り、放送用に改造して使用することにしたと云うワケです。ちなみに当時の受信機性能では、送信出力が弱かったため、東京市内(現在の23区に相当)でないとよく聞こえなかったそうです。それからはどんどんラジオを所有する人が増えて、ラジオ聴取契約(現在のNHK TV受信契約に類する)する世帯は1931年(昭和6年)に100万を突破し、1939年には400万を突破しました。ラジオ聴取契約をすると「聴取章」と云う小型のバッジが送られてきます。これを玄関先や門柱など外から見やすい場所に表示する義務があったのですね。こうしてラジオ受信機の普及が進み、音楽、演芸、スポーツ中継、ラジオドラマなど多彩なプログラムが提供されるようになり、当時の娯楽の主役になったワケです。それが覆されたのが1941年(昭和16年)の太平洋戦争開戦です。ラジオ放送は戦局の進行と共に大本営発表を行なうための機関と化していくのですね。プーチンがおこなってるロシア国営放送と同じで、プロパガンダの道具となっていったのです。そして1945年8月15日の「玉音放送」によって戦前・戦中の放送の幕が閉じられます。戦後、高度成長期の日本のエレクトロニクス産業発展の基礎を作る要因の一つに「ラジオ少年」がいます。1950年代前半は物品税が高く、メーカー製のラジオを購入するより、秋葉原などから真空管などの部品を買い集めて自作したほうが安かったので、ラジオを自作する人が多かったのです。それが「少年技師(後のラジオ少年)」と呼ばれたのですね。1955年には東京通信工業(SONY)が日本初のトランジスタラジオを発売します。1958年にはラジオ受信契約数が1,481万件を越えピークとなりました。ところが1959年を境にTV受信機が急速に普及し、ラジオの斜陽化が始まるのですね。1959年?現在の上皇(当時の皇太子 明仁親王)が正田美智子(現在の上皇后)さんと結婚され、パレードのTV中継が行なわれた年です。これが日本中に爆発的なTV普及の波をまきおこしました。それではラジオが絶滅危惧種かと云うと、「radiko(ラジコ)」みたいにスマホなどでラジオが聴ける無料サービスが活気づいてるので、ラジオそのものが聴かれなくなったと云うより、時代に合わせて受信環境が変化しているとも考えられますね。それでも地上波、インターネット経由問わず、依然として若年層を中心に「ラジオは聞いたことがない」と回答してる割合も高いので、厳しい状況であることは間違いないです。
Sep 18, 2023
コメント(7)
私が映画の撮影現場を見たのはバンコクに居住してた1978年、「巨人の星」や「あしたのジョー」「タイガーマスク」の原作者 梶原一騎の実弟 真樹日佐夫が主演、夏樹陽子が共演の映画「カラテ大戦争」のロケを見たのと、ロスに行って"ボナベンチャー・ホテル"に滞在してたとき、たまたま泊まってるホテルのロビーでエディ・マーフィが演技してるのを見たくらいでした。とにかく映画の撮影、それもロケハンとなるとタイヘンですね。今、公開されてるのかな?ウェス・アンダーソンが監督してるコメディ映画「アステロイド・シティ」のメイキング映像が公開されてました。映画の設定は砂漠。実際の撮影場所はスペイン、マドリードの南東50km にある「チンチョン」。1956年の映画「八十日間世界一周」でも、メキシコに見立てて撮影現場になりました。ウェス・アンダーソン監督と云えば、CGなどの合成をいっさい使わないので有名。砂漠の街アステロイド・シティは、建物のみならず、岩や山、サボテンまでもが人の手で造られたセットです。こう云う場所になると、スタジオと違って出演者やスタッフの食事やトイレがタイヘンですね。だいたい撮影現場では、ゲストスター以上の役だと、ソファーベッド、トイレ、シャワー、冷蔵庫、レンジ、テレビ、ラジオすべて完備のトレーラー部屋が用意されます。役者によっては1人でトレーラー1台使う人もいて、スターはジムつきのトレーラーとかシェフがいるトレーラーとかもついてくるらしい。その他大勢とスタッフは砂漠なんかだと簡易トイレでしょうね。日本だとお粗末な「ロケ弁」が相場ですが、最近は撮影地域のキッチンカーを契約して賄ってることも多いそうです。キッチンカーと云っても、日本のは小型なのでせいぜいカレー1品くらいをサービスできる程度。どっちにしても、日本のロケハンってのは賄いが貧素ですね。ハリウッド映画と云うと、巨大なキッチンカーを仕立てて豪華な食事ってのを目にしますが実情はど~なんでしょう。アメリカでは、さまざまな民族的宗教的バックグラウンドを持つ人がいるため、米軍の戦闘食でさえベジタリアン用やイスラム教の人のために個別にレーションを用意してます。それでロケ飯でもシェフは、食べられないものがないか事前に聞いておくようです。イスラム教の人は豚肉を食べませんので、チキンなどを解りやすく分けておくとかします。都会の中のロケだったら、朝食や撮影スケジュールによっては夕食もホテルで食事できるでしょう。しかし、砂漠の撮影で何日も現地に留まるとなると、朝昼夕の三食賄なわねばなりません。こうした料理提供は映画会社に所属しているのではなく、撮影専門のケータリング会社が請け負ってるのですね。アメリカの映像制作現場には、それぞれの分野に決まった労働組合があります。役者やモデルだと「サグ・アフトラ(SAG-AFTRA)」と云う組合。プロデューサーだと「全米製作者組合」と云うように。契約社会ですから、制作側はそれぞれの組合と話し合って待遇を決定していかなければなりません。撮影時の食事提供も、こうした契約によって約束されてるのですね。調理は出来合いのものを使わず、現場で作業することが多いそうです。三食とも基本的にはビュッフェ形式ですが、ケータリング会社によってはオーダーメイドのアラカルトにも応じてるとこがあります。撮影の規模が大きいと、調理スタッフもタイヘンですね。それ相応の種類も出さなきゃならないし、先程述べた民族的宗教的バックグラウンドを持つ人のための料理は別に作らなきゃならないし。特に砂漠のような特殊な環境下での撮影なんかでは、食べることが唯一の楽しみなんでしょうから。こうしたケータリング・カーを駆使しての食事サービスはハリウッドだけではなさそうです。欧米では普通におこなわれてるみたい。映画「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」なんて、56.7℃の世界最高気温を記録したこともあるカリフォルニアのデスヴァレーで撮影したらしいですから、ここなんかのケータリングなんてハンパなかったでしょうね。食材を新鮮なまま保つだけでも一苦労のような。
Sep 17, 2023
コメント(5)
ドイツのダルムシュタットより5km ほど南の丘の上にフランケンシュタイン城と呼ばれる城があります。このフランケンシュタイン城で1673年に生まれた錬金術師のディッペルと云う男がいました。地域の伝承によると、ディッペルは死体泥棒だと非難されてたそうです。イギリスの小説家メアリー・シェリーが1818年に出版した小説に「フランケンシュタイン」と云うのがありますね。そう、数々の映画のモチーフになった「フランケンシュタイン」です。原作者のシェリーは夫妻でスイスにいるバイロン卿を訪ねる途中、フランケンシュタイン城のある地域を旅しました。滞在先で嵐の夜に怪談話をしている最中、この作品の着想を得たとされています。フランケンシュタインに描かれる怪物はなんか哀れを感じますね。死体だった身体を切り刻まれてつなぎ合わされ、静かに寝ていたのが、意志と関係なくまた起されてしまう。そして、その醜い容貌から人々に忌み嫌われ、再び殺されると云うなんとも理不尽な運命。そのフランケンシュタインの物語を女性版にしたのが、今年公開された映画「哀れなるものたち(Poor Things)」です。監督はギリシャ出身のヨルゴス・ランティモス。この監督、今までカンヌ映画祭などで数々の受賞歴があって、とりわけ2018年にオリヴィア・コールマン、エマ・ストーン、レイチェル・ワイズが主演した「女王陛下のお気に入り」では、ヴェネツィア映画祭から始まって、英国アカデミー賞、ゴールデングローブ賞など名だたる映画祭の賞を総なめしました。そして、今回のテーマ「哀れなるものたち」でベネチア映画祭「金獅子賞」を受賞するのです。この作品、主演のエマ・ストーンの演技に尽きますね。彼女は、この作品でプロデューサーも兼任してます。この作品でフランケンシュタイン博士に相当するゴドウィン・バクスター博士は映画「スパイダーマン」のゴブリンのような怪しい悪役が多い俳優"ウィレム・デフォー"が演じてます。顔をみると、こっちの方がフランケンシュタインそのものですね。物語で不幸な女性ベラ(エマ・ストーン)は自ら命を絶ちます。そのまま静かに眠らせてやってりゃいいものを、天才外科医ゴッドウィン・バクスター博士(ウィレム・デフォー)によって生き返られさせてしまうのですね。しかし、手術のときベラに移植されたのは「胎児」の脳。そうして幼くなった彼女は貪欲に多くのことを学んでいくのです。もっと世界を見たいと考えたベラは、口先だけで放蕩気味な弁護士のダンカン・ウェダーバーン(マーク・ラファロ)と駆け落ちし、大陸を渡り歩いていくのです。大人の体を持ちながら新生児の目線で世界を見つめるベラは時代の偏見から解放され、平等や自由を知り、驚くべき成長を遂げていくと云う物語で、ベースはフランケンシュタインながら、まったく違う主張をしているのがよく分かります。主演のエマ・ストーンと云うと、2014年にマイケル・キートンと共演した映画「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」とか、ゴールデングローブ賞やアカデミー賞を総なめした2016年の映画「ラ・ラ・ランド」など話題作が多い女優さんですね。「ラ・ラ・ランド」では、アカデミー主演女優賞を受賞してます。映画「哀れなるものたち(Poor Things)」オフィシャル・トレーラーPoor Things | Official Trailer
Sep 16, 2023
コメント(7)
昔、ネットを騒がせたにゃんこ写真のこと。あまりに有名なので、ご存知の方 多いでしょう。おっと!チャッピくんとミミちゃんのことではありません。問題の写真は下の画像にゃんこです。はたして、この子は階段を「登ってる」のでしょうか?それとも「降りてる」?ぱっと見た瞬間は階段を下りているように見える人が多いんぢゃないでしょうか?なにせ階段の縁があること、猫の背後に明るい壁が見えるので「降りてる」とする人が。しかし、こう云う見方もあります。画像は階段の上から見下ろした視点で、しかも階段の縁は上向きの滑り止めだとして「登ってる」と主張する人も。にゃんこの背後にある白い部分は「床」だと。科学的な検証を試みた人の中には、「階段のセメントの中には明らかに小さな石が塗り込められている。すなわち、階段横側の材質は建設当時流体だったことを意味している。仮に写真が下から撮影されたものならば、このように階段を作ることはできない」と。生物学的な主張では、階段を下りるにゃんこはバランスを取るために尻尾を上げ、反対に上るときはバランスを気にする必要がないため尻尾は下げたままらしい。そうでしたっけ?おっと、うちはマンションで部屋に階段ないから検証しようが無かった。また、マインズ・ジャーナル紙のこんな主張もあります。この画像は、あなたが生まれつき「ポジティブ」な性格なのか、それとも「ネガティブ」な性格なのかが分かると云うのです。にゃんこが階段を登っているように見えたら、人生に対して楽観的な見通しを持っている可能性があると。「あなたの心は、人生でより高みに上がる方法を模索するように訓練されているのです」。逆ににゃんこが階段を降りてるように見えたら、性格はより悲観的で懐疑的だと。「あなたは、人を簡単に信用せず、行動する前に計算し、優しすぎると思われる人々を逆に警戒している」ことを意味すると。ホンマかいな!?まぁ、性格診断は別にして、同じ画像を見ても、見る人によって見え方が違うのは、目から入ってきた情報が曖昧だったりすると、脳は経験に基づいて推測しなければならなくなるからですね。アメリカ、ハーバード大学の心理学者リチャード・ラッセルが提示したこんな画像があります。ふたりの人物、左が「女性」で、右が「男性」に見えますね。ところが左右とも同じ人物なんです。単に色の明暗だけが違うだけです。原因は皮膚の明暗が顔のコントラストを変化させると云うこと。すなわち最も暗い部分(唇と目)と最も明るい部分(皮膚)の違いの度合いに影響を与えることなんです。平均すると、男性より女性の方がコントラストが高いのですね。このことを分かっていたとしても、脳はコントラストの性差に引きずられて解釈してしまうのです。脳には既に持っている情報が組み込まれています。それを用いて目の前の情報の曖昧さを解釈しようとするのです。ビジュアルアーティストであり、視覚認知の権威でもあるジャンニ・サルコーネの「愛のマスク」はもっと有名ですね。下の画像です。「愛のマスク」の中には1人の人物?あるいはキスを交わす2人の男女?画像の輪郭は2種のグループ分けが可能で、脳はどちらを選べばいいか確信を持てなくなるのです。つまり、われわれの視覚処理には物体を「特定」しようとする強い傾向があると云うことです。
Sep 15, 2023
コメント(6)
火星と云うのは、あるイミ地球と似てる惑星です。大気こそ地球の6/1000しか有りませんが、地球の谷や砂漠、極地の氷冠を思わせるような表面形状をしています。それよりも、自転周期や黄道面に対する回転軸の傾きが似ているため、1日の長さや季節が地球とほとんど同じなんですね。木星や土星などガスから出来てる惑星と違って、火星は地球と同じ岩石でできた惑星。火星の別名「赤い惑星」とは、表面の岩石や砂が酸化鉄(赤さび)を多く含んでるため赤く見えるからですね。2021年にNASAが打ち上げた火星探査用ローバー「キュリオシティ」がマストに搭載されたナビゲーションカメラを使って日没直後の雲を撮影した画像が公開されてます。この雲は水の氷でなく、凍った二酸化炭素、つまりドライアイスでできているのです。キュリオシティの稼働期間は今年5月時点で3,900日、走行距離は29km を越えました。このキュリオシティの異変に気づいたのは2013年の秋です。アルミニウム製の6輪の車輪のひとつに、予期せぬ穴が開いてたことが確認されたのです。車輪の摩耗はある程度予想されていましたが、想定よりも摩耗が早く起きており、穴が開いた箇所以外の車輪でも窪みや損傷が生じていることが写真から確認されました。NASAは2020年、キュリオシティに続いて「パーサヴィアランス」と云う火星探査用ローバーの火星着陸に成功しました。パーサヴィアランスにはキュリオシティから多くの教訓が取り入れられています。とりわけ損傷を受けたキュリオシティのホイールよりも頑丈になるよう設計を見直しました。キュリオシティの50cm ホイールよりも幅が狭く、直径が大きい52.5cm の太くて耐久性の高いアルミニウム製ホイールが採用され、湾曲したチタン製のスポークが付いています。パーサヴィアランスで有名なのは「インジェニュイティヘリコプター」と呼ばれる太陽電池式ドローンですね。火星の希薄な大気中でも安定して飛行し、パーサヴィアランスの理想的な走行ルートを偵察するために使用されました。さて、キュリオシティやパーサヴィアランスを管理しているのはNASAの「マーズ・サイエンス・ラボラトリー(MSL)」と云うとこです。この組織の目的は過去と現在の火星における、「生命を保持できる可能性」について調査することです。そのためパーサヴィアランスの使命には、・微生物が生息可能な過去の環境を特定する。・火星に生息していた過去の微生物の痕跡を岩石の中から探す。・岩盤コアと土壌のサンプルを収集し保存する。そして...「人間のための準備」つまり火星の大気から「酸素」生成を試行することです。パーサヴィアランスには、酸素生成装置「MOXiE」を搭載しており、2021年~今月7日まで合計16回の実験を行ってきました。MOXiEは火星大気の主成分、二酸化炭素を800℃まで加熱して電気分解。これで酸素原子を取り除き、カプセル内に酸素を安全に保管する機器で、「プラズマリアクター」と呼ばれてます。残された一酸化炭素は再び大気中に放出されます。火星の大気には酸素がわずか0.13%しか含まれておらず、かと云って地球と火星の距離を考えると「酸素を地球から持ち込む」と云うのは長期活動では非現実的です。で、MOXiEを持ち込んで実験したワケですが、背景には将来の火星における有人探査計画が有るのですね。MOXiEの16回に及ぶ酸素生成実験で得られた純度98%以上の酸素は全部で約122g です。「それだけ!?」ですよね。まだ実験段階だからですが、これだけの酸素量で小型犬1匹が約10時間、人間が3時間にわたって呼吸が可能な量らしいです。NASAの副管理パメラ・メルロイは「火星の大気を使って生成された酸素は、将来火星で活動を行う宇宙飛行士の呼吸に役立てられる他、ロケットの推進剤としても役立てられる可能性があります」と述べてます。NASAは今後、酸素生成装置で生成された酸素を、液化酸素の形で安定して保存するシステムの開発を行う予定らしいです。NASAの酸素生成装置があれば、1990年にシュワルツェネッガーが主演した映画「トータル・リコール」みたいに火星で酸素欠乏のため目ん玉飛び出しなんて有りませんね。もっとも実際には人が宇宙空間に投げ出されたとしても、破裂もしなければ沸騰も凍りつきもしません(笑)エアロックから放り出されても、酸欠で失神するまで15秒くらい。死ぬまでには数分かかります。
Sep 14, 2023
コメント(6)
「パリ、テキサス」や「ベルリン・天使の詩」など数々の名作映画を撮り続けてきたドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダースが2014年に手掛けたドキュメンタリー映画があります。「セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター」。この作品はたったひとりの写真家をターゲットに、その写真家が戦争、飢餓、宗教、環境などに向き合った姿を映し出したものです。その写真家とは「神の目を持つ」写真家として有名なブラジル出身のセバスチャン・サルガド。サルガドが最初に着目されたのはブラジルの世界最大の金鉱山を撮った「セラ・ペラダ(Serra Pelada Gold Mine)」です。この鉱山では、労働者が膨大な量の鉱石を手で運ばなければならない劣悪な労働環境で、また非常に奥地のため日常生活に必要なものが手に入らない環境にも関わらず、鉱山経営者によって生活必需品が大幅につり上げられた価格で販売されてたのです。また、鉱山そのものの管理は軍事政権がおこなってましたが、鉱山への女性の立ち入りとアルコールの持ち込みを禁止してました。ところが近くの町では何千人もの女性と未成年の少女が金と引き換えに売春に従事させられてたのです。現在、セラ・ペラダ鉱山は放棄され、手作業で作られた巨大な露天掘りの跡は水で満たされてます。しかし、この鉱山では大量の水銀が掘り出されていたため、鉱山周囲の広い地域は危険な汚染に毒されたままで、鉱山の下流で魚を食べている人々は水銀レベルがどんどん上昇しているのです。サルガドが初めてカメラを手にしたのは1970年のことです。建築の勉強をしていた妻のレリアがジュネーヴでペンタックスSPとタクマー50mm レンズを購入したことがきっかけで、サルガドは写真にのめり込んでいくのです。1900年代初頭には国際コーヒー機構や世界銀行と契約してルワンダやコンゴ、ウガンダ、ケニヤなどアフリカ諸国で農業経営の指導に従事してましたが、1973年に仕事の合間に撮影していた写真を本業とするため拠点にしていたパリに戻り、フリーランスのフォトジャーナリストとして活動を始めるのです。サルガドは、1979年にロバート・キャパたちによって結成された世界を代表する国際的な写真家グループ「マグナム・フォト」に所属していました。1993年、サルガドは移民や難民問題をテーマに6年もの歳月をかけて撮影を続け、「エクソダス(Exodus)」と「エクソダスの子供たち(Les Enfants de l'exode)」と云う2冊の写真集を発表しました。写真シリーズ「エクソダス」では、現代の暗い側面、つまり容赦ない搾取と、最も劣悪な状況下で懸命に生き延びようとしている何百万人もの難民の運命を記録しました。そんなセバスチャン・サルガドをテーマに取り上げた映画「地球へのラブレター」がタイトルとは裏腹に私達に痛みを感じさせる作品なのはお分かりですね。作品の冒頭でヴェンダース監督がサルガドが撮影した1枚のトゥアレグ族の盲目の女性写真を目にして「毎日見ても、いまだに涙が出る」と云うシーンが登場します。そしてサルガドは戦地から地上の楽園を探す旅へと旅立つのです。2004年~2012年にかけて世界各地の美しい自然を撮影するプロジェクト「ジェネシス=創世記(Genesis)」を実施し、2013年に写真集「ジェネシス」としてまとめられました。「セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター」予告編
Sep 13, 2023
コメント(6)
「神戸どうぶつ王国」はハシビロコウやマヌルネコなど、他の動物園ではなかなかお目にかからない珍しい動物を豊富に揃えてて魅力的な動物園です。ここに「熱帯の森」と云うミナミコアリクイとかマタコミツオビアルマジロやフタユビナマケモノなど珍しくってカワイイ生き物が展示されてるゾーンがあるのですが、そのゾーンに「ブッシュドッグ(ヤブイヌ)」と云うこれまた日本の動物園では他に「よこはま動物園ズーラシア」とか「高知県立のいち動物公園」とか六ケ所しか居ない生き物がいます。神戸どうぶつ王国がイチバン多くて、現在4頭います。「ヤブイヌ」と云うからには、ワンちゃんの仲間ですが野生です。しかし、ちょっと見には「クマ?」見間違えるようなご面相。野生のイヌ科では、最も原始的な種なんですね。だいたいアルゼンチンやコロンビア、ガイアナ、スリナム、パナマ、パラグアイ、ブラジル、ベネズエラ、ペルー、ボリビアなど中南米に生息しています。このブッシュドッグの最大の特徴は「バック走」が得意なこと。敵に出くわすと、藪の中を前向いたまま後ろ向きにバック走して逃げてしまうのです。そして、もうひとつ大きな特徴が「水かき」があること。とにかく泳ぎが上手で、潜水もできます。もっぱら水中でカピバラや魚などの狩りをします。ブッシュドッグの身体は57cm ~75cm ですが、シッポは10cm ~15cm しかありません。体重は4kg ~7kg くらいですね。寿命は10年くらい。高知県立のいち動物公園によれば飼育下での繁殖が難しいらしい。日本での飼育数はどんどん減って行ってるのが現状なんですが、生息地の中南米でも人による生息地の破壊や河川の汚染、不法密猟などで国際自然保護連合 (IUCN) が準絶滅危惧種に定めてます。ブッシュドッグと云うのは孤高の存在で、北米のどのイヌ科とも密接な関係がないんです。生物学者でさえ、ブッシュドッグの最も近い「いとこ」が誰であるか正確に特定することができないんですね。彼らはジャガーなど捕食者を避けることができる日中に活動し、最大12匹の集団で生活しています。スミソニアン博物館の動画Why Bush Dogs Are So Different From Other Dogsそれでは最後にお約束のブッシュドッグの赤ちゃん画像を。これまたカワイイですよ~
Sep 12, 2023
コメント(7)
速記と云う職業がありますね。速記文字や速記符号とよばれる特殊な記号で言葉を簡単な符号にして、人の発言などを書き記す仕事です。それを後から、普通の文書に清書するのですね。今だったらボスレコーダーがあるので、そのまま会話を収録できますが、今でも速記の職業は残っています。速記には、手書き速記だけでなく、速記専用タイプライター(ステンチュラ)などの機器を使った機械速記もあるのですね。特殊な能力を必要とするので、速記者を雇うのは費用がかかりました。この速記を不要にしたのが、もはやアンティークに興味ある人以外、絶滅危惧種どころか絶滅してしまった「タイプライター」です。文字キーを打鍵することで、活字を紙に打ちつけて印字する機械ですね。そのタイプライターも20世紀前半に普及した機械式タイプライターが、60年代になると電動タイプライター、70年代になると電動にメモリ機能の備わった電子式タイプライターに置き換わっていきました。タイプライターのメリットは、カーボン紙を挟んで複数枚の紙に同時に印字することで文書の複写もできたことです。そのタイプライターを不要にしたのは80年代に流行った「ワープロ」、そしてPCのワープロソフトですね。タイプライター全盛期にあった職業があります。「タイピスト」。タイプライターで清書作成する専門職です。20世紀中頃の欧米では秘書、電話交換手に加えてタイピストが女性の代表的な職業と云われました。そのためタイピストを養成する学校もありました。アルファベットは26文字しかないので、記号文字を含めてもキーボードがコンパクトで済むのですね。フランス語は26文字のアルファベットに7つの綴り字記号と2つの合字。イタリア語になると、英語のアルファベット26文字に対し、全部で21文字しかありません。そんなでタッチタイピングが容易にできるのです。PCで日本語ローマ字入力する場合は、アルファベット26文字中、19文字しか使わない(C,F,J,L,Q,V,Xは除外)のでもっと楽チンです。ぢゃあ漢字やカタカナ、ひらがなをタイプライターで印字する場合は?タイプライターに日本語ローマ字入力は有りえませんよ~タイプライターは、キーボードの文字をそっくりそのまま打つだけです。1984年~85年にかけて「グリコ・森永事件」と云う食品会社を標的にした一連の企業脅迫事件がありました。すべての事件が犯人特定できず時効を迎えて、警察庁広域重要指定事件で初めての未解決事件となったものです。 このグリコ・森永事件で、犯人は脅迫状を手書きではなく、印字したものをバラ撒きました。この印字に使った機器は、「細丸ゴジック体横打用」と云う活字の形状から判明してます。日本タイプライター(現 キヤノンセミコンダクターエクィップメント)が製造していた簡易型の和文タイプライター「パンライター」です。これはいわゆる「和文タイプライター」です。和文タイプライターは日本語の文章を活字で作成する機器です。「日本の十大発明家」に選出されてる杉本京太によって1915年(大正4年)に発明され、それ以降ワープロ登場以前まで広く使われてた機器です。杉本京太は前述のグリコ・森永事件で犯人が使用した日本タイプライターを興したその人で、同じように漢字を使う「華文(中国語)タイプライター」も製造しました。日本語はご承知の通りアルファベットみたいに26文字だけで事足りるのと違って、膨大な漢字があります。なので欧文タイプライターの構造では全く用をなさないのですね。そこで杉本は使用頻度の高い2,400字を選出して、独自の配列で文字庫に並べた活字を、前後左右に動くバーで選択してつまみ上げ、円筒に巻かれた紙に向かって打字すると云う機構を開発したのです。つまり、一文字一文字拾っては印字する。まどろっこしいですが、これより他に方法が見当たりません。2,400字から外れた文字は無いのですが、たいていこれだけあれば用が足ります。と云うより、使い始めは、この2,400字の配列を覚えるだけで一苦労。他の字体や文字もオプションで用意されてて、その都度活字の入った文字盤全体を交換して使います。昔、私も和文タイプライターを使ってるスタッフに頼んで打たせてもらったことありますが、なんか肩がこるのですよね。聞いたら、普通の机でタイプ打ちをやってるからだと。和文タイプライターの場合はもっと低い専用の机があって、そこにタイプライターを置くと、機器の高さがちょうどマッチするのだとか。会社の事務所だったので、普通の事務机でタイプ打ちをしてたワケです。どっちにしても、欧文タイプライターのようにブラインドで打つことはできません。なので考えながら、同時に印字するなんて芸当はできないワケで、下書きの「清書」専用機器です。それでもガリ版(謄写版)みたいに、手書き文字ぢゃなくて、ちゃんとした活字で印刷できるのですから、当時としては画期的な機器だったのですね。おっとガリ版そのものをご存知ないか。ガリ版はロウ紙と呼ばれる原紙を、専用の金属製ヤスリ盤の上に載せ、先の尖った鉄筆で上から文字を書く機器です。昔の学校ではどこでもガリ版でしたが、これの発明は例の発明家エジソンなんですね。印刷するときに、青インクがベタベタ手や服について臭いったらありゃしませんでした。
Sep 11, 2023
コメント(4)
今、巷で何かと話題になってる「水星の逆行」。8月24日から始まって、今月の16日に終わりますね。昨年暮れから逆行は始まってて、年明けに逆行を迎えたのが最初で、今年は今回で3回目になります。「逆行」と云っても水星がクルっと向きを変えて、回転方向を逆に行くワケではありませんね。もし私たちが太陽に居て、太陽から惑星を見ていたら、どの天体も規則的に進んでいくのが見えるだけです。ところが私たちは地球にいるので、地球の内側には水星と金星、外側には火星や木星、土星などが見えるワケです。しかも地球そのものも太陽の周りを公転してます。惑星の逆行は、高速道路で遅い車を追い越すときをイメージすれば分かります。追い越す車はしばらくの間、反対方向に動いているように見えますね。これと同じで、惑星の逆行は2つの星の公転速度の違いによって引き起こされるのです。例えば火星。火星は地球よりも軌道上でゆっくりと移動します。火星を通過するとき、地球は火星よりも速く動いてるので、火星は逆の方向に動いているように見えます。ちなみに火星の逆行を見るのは、2024年まで待たなければなりません。12月6日に始まり、2025年の2月24日に終わります。このように順行から逆行したり、また順行に戻ったり、その動きは地球から観測すると、まるでふらふらと惑っているように見えます。そこから「惑星」という名前が付けられたそうです。で、星の現象と云うのは得てして「占い」で利用されますね。「水星逆行中はトラブルが多発!」なんて云いますが、単なる物理現象ですからもちろん根拠はありません。地球が宇宙の中心にあると思っていた時代の天文学者は、惑星の逆行にかなり戸惑ったようです。コペルニクスが地動説を発表した16世紀になって初めて、天文学者たちは逆行運動が実は見え方だけの問題だと理解したのです。惑星の逆行とともに、よく話題になるのが「惑星直列」。太陽系内の惑星が、太陽に向かってほぼ一直線に並ぶ現象ですね。これも「天変地異が起こる」と恐れる人がいますが、はたして?いかにも科学的な話では、惑星直列がおこると、惑星の引力や潮汐力が重なって地球に作用するので、地殻にひずみが生じ、地震や火山噴火などの災害が頻発すると云う説もあります。1983年に惑星直列によって富士山が爆発すると云うウワサが出回りました。惑星直列による重力の変化は、月と太陽による潮汐の数十万分の1以下なので、あり得ない話なんですね。実際には、3個以上の惑星が完全に一直線に並ぶことは、過去10万年まで遡り、現在から10万年後まで測るとしても観測できない程、まさに天文学的な確率でしかありません。なので先ずあり得ない現象なんですが、よく映画でも取り上げられますね。スタンリー・キューブリックの傑作映画「2001年宇宙の旅」では、太陽ではなく、木星に向かって一直線に並ぶシーンがありました。2001年公開の映画「トゥームレイダー」では、アンジェリーナ・ジョリー演じる主人公が、自宅の巨大望遠鏡で惑星直列を観察するシーンがでてきます。とかく占いと云うのは、土星が魚座に入ったとか、冥王星が水瓶座に入ったとか、惑星と星座の位置関係でやるのが多い。だけど星座そのものが、いろんな地域や文化、時代に応じて各種あったのに、なぜに紀元2世紀にプトレマイオスが決定した48星座だけを使うのか?日本のシミュレーション天文学者 作花一志によると、天動説だった1503年12月24日に水星、金星、火星、木星、土星、そして地球と太陽が過去6,000年間でもっとも直列に近い形に並ぶ現象をしたそうです。
Sep 10, 2023
コメント(6)
1973年に南米チリでクーデターをおこし、大統領に就任したアウグスト・ピノチェトと云う、とんでもない極悪非道な男がいました。なんせクーデター直後に戒厳令を敷くと、人民連合系の市民を競技場に集めて、2,700人も容赦なく虐殺したのです。その後も、共産主義者の虐殺、拷問は続き、分かってるだけで10万人の犠牲者がでています。カトリック教会の司教がピノチェトに憚って拷問の用語を避け「肉体的圧力」を止めるよう申し入れました。そしたらピノチェト自らが「拷問のことかね?」と返し、「あんた方(聖職者)は、哀れみ深く情け深いという贅沢を自分に許すことができる。しかし私は軍人だ。国家元首として、チリ国民全体に責任を負っている。共産主義の疫病が国民の中に入り込んだのだから、私は共産主義を根絶しなければならない。彼らは拷問にかけられなければ、自白しない。拷問は共産主義を根絶するために必要なのだ」と、拷問を正当化したのです。結局、ピノチェトの政権は1990年まで続きます。「ヨーロッパ最後の独裁者」と呼ばれる、ベラルーシのルカシェンコと同じように「チリの独裁者」と呼ばれたピノチェト。そのピノチェトが退陣する引き金は、1988年に行われた国民投票での敗北です。これによりピノチェトの政権は終わりを告げました。2000年になって、チリの市民団体がピノチェトを告発します。事件を担当する判事がピノチェトを殺人及び誘拐罪で起訴。しかし、最高裁はピノチェトの健康状態から裁判に耐えられないとして罪状を棄却してしまったのです。ピノチェトには2,700万$もの不正蓄財と香港の銀行に9トンもの金塊を所有している事が明らかになりましたが、高裁は嫌疑不充分で家族ともども放免されてます。ピノチェトは、2006年に心不全のため軍病院で91歳の幕を閉じました。さて、ここからが今日の本題なんですが、パブロ・ララインと云うチリの映画監督がいます。ベルリン国際映画祭やゴールデングローブ賞で受賞歴のある非常に有能な監督です。右派の政治家である両親の下に生まれましたが、ラライン自身はピノチェト政権の強固な反対者です。そのララインがピノチェトを主人公にした映画を制作しました。しかもピノチェトは、250年も生き続けてる吸血鬼として。タイトルは「エル コンデ」。この作品は、1973年のピノチェトがおこした軍事クーデターから50周年にあたる今年の9月15日にNetflix で放映されるそうです。その後、世界公開も控えてます。さて、「エル コンデ」のピノチェト、チリの廃墟になった邸宅で暮らしてます。しかし250年も生きてきて、もう生きるのに疲れた。そうして、血を飲むのを止めて、永遠の命の特権を放棄しようと決意するのですね。ところがピノチェトには年老いた気難しい妻を始め、その妻と口論の絶えない子供たちから、白系ロシア人の退役軍人から執事になった男などややこしい扶養家族がわんさか。しかも扶養家族たちは、ピノチェトが略奪した数百万$を隠した場所を特定し、それを入手できるようにするため、将軍の書類を法医学的に検査することにも同意してるのです。この作品では、ピノチェトをフランス革命期にフランス軍の反動吸血兵として成人し、マリー・アントワネットに忠誠を誓い、アントワネットの首を略奪した吸血鬼として描かれてます。ピノチェトはヨーロッパ中を漂流し、ドラキュラがイングランド北部ヨークシャーにある港町ウィットビーにたどり着いた(1897年のブラム・ストーカーの小説「ドラキュラ」のこと)ころ、ピノチェトはチリのサンティアゴに到着し、チリの軍隊に加わってクーデターをおこすと云う設定です。ピノチェトの財産を計算するために、数字に強い若くて美しい修道女シスター・カルメンが家を訪れます。カルメンはエクソシストでもあり、不気味な笑みを浮かべながらピノチェト一家全員を尋問し、彼らの数々の悪行や不満をすべて明らかにさせるのです。この作品は、国民と国の生き血を吸いながら生き続けるファシズムを倒すことがいかに難しいかを、面白おかしくコメディタッチで描いてます。あえてモノクロ作品にしたのは、ドラキュラ=ゴシックのイメージを損なわせないためでしょうね。El Conde Trailer #1 (2023)
Sep 9, 2023
コメント(6)
1982年に日本で馴染みのない国の映画が興行収入年間1位になりました。南アフリカ共和国のコメディ映画「ミラクル・ワールド・ブッシュマン」です。南アフリカ・ボツワナ共和国の砂漠に居住する、ブッシュメンと呼ばれていたサン人の生活をコメディタッチで描いた作品です。この作品の主役は"ニカウ"。実はアフリカ南西部に位置するナミビアの俳優なんです。この映画は世界的な大ヒットでシリーズ化し、ニカウは1983年に来日しています。ニカウの生年月日は不詳です。パスポートには1943年生まれと記載されてましたが、パスポート作成の際に生年月日を記載する必要があるため係員が便宜的に書いたものです。映画では裸同然の姿が話題を呼びましたが、ホントウは庭師で、小学校の校庭で映画制作者にスカウトされた時はTシャツ着てました。ニカウの祖国ナミビアは、第2次大戦後、1990年の独立まで、南アフリカによって国際法上違法な併合をされてました。それで映画「ミラクル・ワールド・ブッシュマン」は、南アフリカの映画だったのです。ナミビアは全土が乾燥帯で、世界でもっとも古いと云われるナミブ砂漠が広がっています。また東端に近い地域はカラハリ砂漠に属します。北部の内陸部クヴェライ=エトーシャ盆地にはアフリカ最大の塩湖「エトーシャ塩湖」が広がってます。エトーシャ塩湖とその周辺はエトーシャ国立公園になってます。ナミビアってのは年間300日が晴天で、6月~8月の冬期は乾燥。9月~11月が小雨季。2月~4月が大雨季と月によって気候が目まぐるしく変わる地です。そのナミビアには豊富なダイヤモンドとウランの鉱脈があり、これがナミビア経済を支えてるのですね。治安はアフリカ諸国でも有数に良好だとされてます。またナミビア政府は、2030年までに温室効果ガス排出量を91%削減する目標を掲げており、そのために再生可能エネルギー開発を強力に推し進めてる国でもあります。その再生可能エネルギー開発が、ナミビアの経済をさらに発展させる可能性を秘めてるのですね。燃やしても二酸化炭素を出さないクリーンなエネルギーとして注目が集まる「水素」。この水素の生成にナミビアが非常に適してるのです。実際、ナミビア政府は2021年に、グリーン水素協議会を設立して、水素の開発を最も重要な国家戦略に位置づけてます。考えてもみてください。国土の大半が砂漠のナミビアでは、太陽光発電設備なんて無尽蔵に作れます。風力発電など再エネ資源が豊富な国なんです。しかも大西洋に面してるので水素の原料「海水」にも事欠きません。生産目標は2030年までに100万~200万トン、2040年までに500万~700万トン、2050年までに1,000万~1,200万トンを設定しており、2050年には全世界取引量の5%~8%を見込んでます。この背景にはプーチンによるウクライナ侵攻によって、天然ガスの安定供給ができなくなったヨーロッパから、ドイツ系企業のハイフン・ハイドロジェン・エナジーが、ナミビア初の大規模グリーン水素プロジェクトを計画したことから始まります。このプロジェクトでは大規模なグリーン水素発電所の建設を予定しており、投資予定額は94億$に上るそうです。グリーン水素のほか、アンモニアやメタノールなども生産計画に含まれており、生産された製品は国内消費だけでなく、ヨーロッパや日本などへの輸出も計画されてます。西村経産大臣も8月6日~8月13日まで、アフリカ5か国を歴訪して、ナミビアではクリーン水素分野での協力についても議論されました。日本政府は国内の水素製造と海外からの水素の購入を合わせた水素の導入量を、2040年までに年間1,200万トンに拡大する目標をかかげてます。そのため今後15年間で官民合わせて15兆円の投資を行う予定です。西村大臣に同行したみずほ銀行・みずほ証券はナミビアのグリーン水素コミッショナーと水素・アンモニア等に関する意向表明書に署名。また伊藤忠商事は、ナミビア南西部の大規模グリーン水素プロジェクト開発に参画することが決まってます。日本だけではありません。アメリカも6月に「国家クリーン水素戦略」を発表し、2030年までに年間1,000万トンのクリーン水素製造を目指すとしてます。欧州委員会は2020年にEUの水素政策の基礎となる「水素戦略」を発表。2030年までに最大年間1,000万トンのグリーン水素の域内生産目標を掲げました。2050年までに2.5兆$(約275兆円)の巨大市場に成長すると云われる「水素」。世界の「水素技術総合的競争力ランキング」で、2位の中国にダブルスコアという圧倒的な競争力を持っているのが、なにを隠そう日本なんです。その国内でダントツのトップを走ってるのが「トヨタ」。EVで完全に出遅れたと云われるトヨタの企業戦略が見えますね。その下にもニッサン、ホンダ、パナソニック、住友電工、京セラ、日本特殊陶業、日本ガイシ、東レなど日本企業がトップ20社のうち、9社を占めてます。その水素開発で最も先端をいってる日本の県は山梨県です。山梨県は現在、水素を作る技術で全国有数の研究拠点になってるのですね。水素関連の研究施設が集まってるのが甲府市の米倉山です。施設の中心になっているのが、水素を作る「水電解装置」。太陽光や風力などの再生可能エネルギーで水を電気分解して水素を作る装置です。実は2021年の東京オリンピック・パラリンピックの聖火台や聖火リレートーチにここで生成された水素が使われてたのです。大会関係者らが移動に使う燃料電池車500台のうち、10台分にもここの水素が使われてました。日照時間が長い山梨県では太陽光発電が盛んですが、日ざしが強かったり、電気の需要が少なかったりする日は、発電しすぎて余った電気がムダになってしまいます。それで水素の将来性に早くから着目して、東レとタッグを組んで水電解装置の開発に乗り出してたのですね。東レとタッグを組んだのは「水素イオンを通すフィルター」の開発のためです。今では従来製品の2倍の水素イオンを通すことができるようになりました。このプロジェクトの最終目標は、独自に開発した水素製造システムを海外に輸出していくことです。今年5月、世界保健機関(WHO)はおぞましい予測を出しました。気温上昇で今世紀末までに年間900万人以上が死亡する恐れがあると云うのです。特にアフリカ諸国や貧困国、小さな島で構成される開発途上国など、温暖化ガス排出に最も関与していない国が気候変動による健康被害を受けるとみられています。
Sep 8, 2023
コメント(5)
懐かしいセリフですね「2位じゃダメなんでしょうか」。2009年に民主党政権が事業仕分けで、次世代スーパーコンピュータ「京」の開発計画に関して、蓮舫議員が放った言葉。これによって「京」の開発計画は凍結されてしまった。最先端科学技術の世界では、トップをとってなんぼ。トップであれば使われてる技術で特許もとれますが、そうでなきゃ誰も見向きもしない。スーパーコンピュータ「富岳」は2020年6月以来、4期連続で計算速度トップでしたが、昨年5月にアメリカの最新鋭機「フロンティア」にトップを奪われました。富岳は、産業応用で使う計算の処理速度を測る「HPCG」と、ビッグデータの解析能力の指標となる「Graph500」の2部門で、7期連続トップを維持しました。そもそもスーパーコンピュータってのは何なんでしょう?スーパーコンピュータとPCの動くしくみに違いはありません。スーパーコンピュータってのは、「科学技術計算」に特化した大規模かつ高速な計算能力を有するコンピューターのことです。大きさではありませんが、普通のPCと比べて規模が大きくなるので、必然的に大きなガタイを有するのですね。科学技術計算が目的なので、「浮動小数点演算」の処理能力が高いことが問われます。浮動小数点ってのは、数字を「X」 x 「Y」 ^ 「Z」(XかけるYのZ乗)形式で表現することです。例えば100.05と云う数字を1.0005×10 ^ 2と表現するのが浮動小数点で、コンピュータの計算形式です。世界初の「普通」のコンピュータは1946年に弾道計算用として開発された「エニアック」です。真空管式ですが、これまで機械式計算機で24時間かかってた計算を30秒でやってのけました。世界初の「スーパーコンピュータ」は、アメリカのコントロール・データ・コーポレーション(CDC)が1964年に開発したCDC6600です。開発はスーパーコンピュータの父と呼ばれるシーモア・クレイで、彼は後に自身で「クレイ」社を設立します。シーモア・クレイはクレイ社を設立すると「世界で最も高価な椅子」を開発します。1976年のことです。「世界で最も高価な椅子」は、クレイ社のスーパーコンピュータ、第1号「CRAY-1」のことです。このCRAY-1が商業的に成功した最初のスーパーコンピュータと云われてます。「高価な椅子」の「椅子」はCRAY-1の台座基部がソファーとして腰掛けるのに好都合だったからです。1992年にロバート・レッドフォードが主演した映画「スニーカーズ」に、このCRAY-1に腰掛けてるシーンが登場します。では「世界で最も高価な」とは?CRAY-1の初号機は1977年に「アメリカ大気研究センター(NCAR)」に納品されましたが、このときの本体価格が790万$。当時の為替レートは1$=約280円だったので、当時の価格で22.1億円ほどになります。これに加えてハードディスクが100万$。この椅子は間違いなく世界で最も高価な椅子だったのです。そのため、クレイのスーパーコンピュータは、ごく少数しか売れませんでした。それが逆にクレイのマシンを導入するのは極めて名誉なことと云う風潮になったのですね。その風潮を利用するため、クレイの営業マンはクレイを導入した国の国旗が並ぶデザインのネクタイを使用しました。ちなみに「富岳」の価格は1,300億円です。CRAY-1は、フロン冷却システムを含めて重量5.5トンありました。消費電力は115kWですが、これに冷却システムと外部記憶装置を加えると倍の電力が消費されました。ものすごく熱くなるので、放熱用に全体を「逆C」の字形にして放熱効果をよくするように作られてました。CRAY-1日本第1号機は1980年にセンチュリ・リサーチセンタ東京本社に、同年に第2号機が三菱総合研究所に設置されてます。
Sep 7, 2023
コメント(6)
鳥のヤマシギ(山鴫)の仲間で、北米に生息する唯一のヤマシギに「アメリカヤマシギ」がいます。成鳥で25cm ~30cm 。日本で見られるヤマシギと同じように、長くまっ直ぐなクチバシを持ってます。クチバシの長さは、6cm ~7cm くらいですね。アメリカヤマシギは、秋にカナダ大西洋岸やバージニア北部あたりから南に移動した後、メキシコ湾岸と大西洋岸南東部の州で冬を過ごします。ほとんどのアメリカヤマシギは10月に渡りを開始し、12中旬までに越冬地に到着します。そして2月になると鳥たちは再び北へ向かいますニューヨークでは春をつげる鳥として歓迎されてます。マンハッタンのニューヨーク公共図書館本館裏手にあるブライアントパークが特にアメリカヤマシギが渡ってくる地として有名ですね。野生のアメリカヤマシギの最大寿命は8年くらいです。オウムやフクロウみたいにとてつもなく長生きではありませんが、ウグイスやコマドリなんかと同じくらいですね。で、このアメリカヤマシギの歩き方が独特なんですね。まるでイケイケのお姉さんがダンスしてるかのような。と、説明しても想像つかないので、こちらの動画で確認してください。American woodcocks demonstrating some movesアメリカヤマシギの主食はミミズなんかなんですね。このリズミカルなロッキング行動は、ミミズなんかを地表に近づけるためにやってると云う人もいますが、はっきりした理由はわかりません。どっちにしても、オモロイ生態ですよね。
Sep 6, 2023
コメント(7)
私はオペラと云うものがまったくニガテなんです。なのでドイツ・オペラの巨匠リヒャルト・ワーグナーが26年もの歳月をかけて創りあげたオペラ史上最大級の作品「ニーベルングの指環」もまともに観たことありません。「ニーベルングの指環」で唯一知ってるのは、1979年に巨匠フランシス・フォード・コッポラが監督して、マーロン・ブランドが主演した映画「地獄の黙示録」で使われた「ニーベルングの指環」4部作の2作目「ワルキューレ」で最も有名な「ワルキューレの騎行」ぐらいですね。「地獄の黙示録」ではベトナム戦争時、ロバート・デュヴァル演ずるキルゴア中佐率いる(空の)騎兵隊がベトコン村を武装ヘリで奇襲する場面で、ヘリに積んだオープンリールデッキから大音量で「ワルキューレの騎行」を流しながら村に迫っていきます。もう、この映画のハイライトのひとつだし、「地獄の黙示録」ファンだったら先刻ご承知のシーンですね。Ride of the Valkyries' | Apocalypse Nowワーグナーの「ニーベルングの指環」は、ドイツの叙事詩「ニーベルンゲンの歌」に北欧神話を加味して作られてます。当初は北欧神話の英雄、シグルズの物語をモチーフにした「ジークフリート(シグルズのドイツ語読み)の死」として着想したのですが、次第にワーグナー自身の構想がふくらみ、とてつもない長編の作品になったのですね。北欧神話の「シグルズ(ジークフリート)」が愛した女性の名前はジブリアニメのファンだったら先刻ご承知の名前ですね。「崖の上のポニョ」のポニョの本名はここから取られてます。王女"ブリュンヒルド(ブリュンヒルデ)"。予言の力やルーン文字の知識、魔術の知識を持つ美しいワルキューレ(戦場の女神)です。このブリュンヒルドが主神オーディンに逆らったため、眠りの呪いをかけられてしまいます。こうして彼女はヒンダルフィアル山の上にある、炎に囲まれた館の中で、深い眠りにつくことになるのですね。そんな彼女を救い出したのがシグルズ(ジークフリート)です。シグルズはブリュンヒルドにかけられた眠りの呪いを解くと、優しく愛の言葉をささやきました。ブリュンヒルドもこれを受け入れ、ふたりは結婚の約束を交わすのです。ところがシグルズは後にこの婚約を破棄すると、ギューキ王の娘グズルーンと結婚してしまいます。一方、ブリュンヒルドもブルグントの王グンナル(グンテル)と結婚させられ、しばらくは平穏な結婚生活を送っていましたが、シグルズの妻グズルーンとの口論からシグルズへの想いが再燃。シグルズを忘れられない気持ち同時に、裏切られたと云う思いから、夫とその弟をそそのかしシグルズを暗殺してしまうのです。ジークフリート(北欧神話のシグルズ)と云うと、ドラゴンを屠り、その血を浴びて角のごとく傷つくことのない強靭な皮膚を手に入れたと云う話が有名ですね。なのにブリュンヒルドの夫に殺されてしまう。なんかヘンやなぁ。これはジークフリートの肩甲骨の一点だけ弱点だったのですね。ジークフリートの墓はドイツのオーデンヴァルトにあるオーデンハイム村にあります。なんで元々、北欧神話だったのがドイツに墓あるのか?(笑)ドイツ人は「ニーベルンゲンの歌」の話がよほど好きらしく、ヴォルムスを起点にヴェルトハイムまで「ニーベルンゲン=ジークフリート街道」が整備されてます。ただ「ニーベルンゲン街道」と「ジークフリート街道」は起点・終点は同じでも、北と南で別の街道なんですね。このふたつの街道は観光街道として、つとに有名らしい。さて、残されたジークフリートの妻クリームヒルト(北欧神話のグズルーン)としては憤懣やる方ない。そこで一計を案じます。たまたまフン族の王エッツェルから求婚されたのを幸いに、これを受け入れ、フン族の武力を利用して仇のブルグント国を滅ぼそうと画策するのですね。数年後、エッツェルはフン族の国にブルグントの使節団を招待するのです。騙し討ちです。これに安々応じてしまったルグントの使節団は壮絶な死闘の後、王が捉えられ、クリームヒルトにニーベルンゲンの宝のありかを白状させられそうになります。しかし、これを断ると、クリームヒルトはジークフリートの剣で打ち殺してしまうのですね。クリームヒルトもまた、悲劇の女性です。ジークフリート殺害の復讐を遂げたと思ったら、捕縛された捕虜を斬ったことに憤ったフン族の客将ヒルデブラントにより殺害されてしまうのです。だいたいクリームヒルトの目的もジークフリートの復讐なのか、ニーベルンゲンの宝なのかよく分からないですものね。「ニーベルンゲンの歌」は1924年にオーストリアの監督 フリッツ・ラングによってサイレント映画が制作されてます。第1部「ジークフリート」、第2部「クリームヒルトの復讐」の2部からなり、総上映時間5時間近くにもなるドイツ・サイレント映画の黄金時代を代表する傑作と呼ばれてる作品ですが、ここでは割愛。興味ある方はYouTube ででも探してください。
Sep 5, 2023
コメント(5)
飛行機はと~ぜんエンジンの推力で飛んでいきます。では、飛ぶ方向を決めるのは?方向舵(ラダー)ですね。垂直尾翼の後ろについてる可動部分のことです。簡単に云うと、方向舵は左右の首振り運動をしたり止めたりするためにあるのですね。2つあるラダーペダルに左右それぞれの足をかけて、どっちか踏み込むと、シーソーのように別の片方は手元の方向に動きます。この踏み込む程度で舵角をコントロールするのですね。飛行機の機首を上向かせたり、下向かせたりする装置を昇降舵(エレベータ)と云います。主翼と尾翼を備えた一般的な飛行機だと、水平尾翼後部についてますね。動かし方は操縦桿を手前に倒したり、こっちに引いたり。これで上下左右に動けるワケですが、もうひとつ動きがありますね。飛行機を横転(ローリング)させる動きですね。オートレースなんかで、体重移動でロールするのと同じです。飛行機では旋回飛行をなんかをする場合にローリングさせますが、いくらバイクみたいに体重移動してもロールしませんので、補助翼(エルロン)を使います。補助翼ってのは主翼の後部、縁の外側に付けられてるアレです。アレと云うのは、飛行機に乗ったことある人で主翼部分近くに席をとったことある人だったら見たことあるアレです。こうした複雑な姿勢制御をするのに、よく「ロール・ピッチ・ヨー」が使われます。x軸(ロール)→y軸(ピッチ)→z軸(ヨー)の順に回転行列を決めるやり方です。この考え方って、今では流行りのドローン制御などでも使ってますね。この「ロール・ピッチ・ヨー」の内、ロール角とピッチ角、つまり鉛直に対する方位角を表示するのに使われるのが「姿勢表示器」です。パイロットが飛行機を安定させるのに使う計器ですが、もっぱら計器飛行に使われて、有視界飛行ではほとんど使われません。コックピットの写真を見たことある人だったら「あぁ~アレね」。姿勢表示器は、ロール角とピッチ角を表示する原理により、「飛行機から地上を見たもの(正VfA)」と「地上から飛行機を見たもの(逆VfG)」のふたつがあります。で、この姿勢表示器の構造がオモロイのです。機体のどっかにIC化されたセンサーがついてて、姿勢表示器はそのデータを表示させるだけと思ってたのですね。ところが、実際は姿勢表示器の内部にモーターで高速に回転して、常に水平を保つジャイロが仕掛けられてて、そのデータを表示させてたのです。これは要するに「地球ゴマ」の考え方と一緒です。この考え方、民間機でも軍用機でも同じで、実は人工衛星や宇宙船でも同じです。宇宙船では観測機器を観測対象に向けたり、通信アンテナを正しい方向へ向けたり、軌道制御時の推進方向を精密に保つために、衛星や船体の全体の向きを制御する必要があります。姿勢制御に必要なジャイロセンサやリアクションホイールをパッケージにした三軸姿勢制御モジュールを使っているのです。
Sep 4, 2023
コメント(5)
英語に「abacist(アバスィスト)」と云う単語があります。何かと云うと、「アバカス(abacus)」を使いこなす人のことです。では、アバカスは何かと云うと、ほとんど「そろばん」です。アバカスはもはや西洋では廃れてしまいましたが、アジアやアフリカなどでは今でも商人や事務員がアバカスを使って計算してることがあります。アバカスは、そろばんと同じように枠に金属の細い棒を張って、穴をあけた玉を通して滑らせるようにしたものです。アバカスの歴史はとっても古くて、確認されてる最古のアバカスは、紀元前2,700年にバビロニアのシュメールで発明されたものだそうです。近年になって、まだICやトランジスタが発明される前から計算機は幾種類もありました。私らの世代だと「計算尺」ですね。計算尺は、足し算や引き算に使うのではなく、掛け算や割り算、そして三角関数や対数、平方根など物理計算によく使われてました。私がハム(HAM)の資格試験を受けるとき、計算尺の持ち込みOKでしたが、最近は禁止されてるそうです。今も、もう使いもしないのに計算尺は大切にとってますが、断捨離の原理から行ったらダメですね(笑)この計算尺と同じ考え方で作られたものが、飛行機のパイロットが使う「フライトコンピューター」です。こうした計算尺の欠点は電卓なんかと違い"概数(およその数)"だと云うことですね。目盛りの見方によって計算結果が違ってくると云うこと。この計算尺が駆逐されるキッカケは1972年に発売された世界初の「ポケットに入る関数電卓」、ヒューレットパッカード(HP)のHP-35です。これだと数値が絶対値ででるので、そりゃあ計算尺みたいに概数しかでないものは駆逐されるハズです。関数電卓は私もカシオとキャノンの2台持ってますが、カッコ(括弧)計算なども見たまま入力できるので重宝してます。計算尺に似た考え方の計算機はかなり古くから有ったようです。下の画像は「フラー計算機(Fuller Calculator)」と云う、1921年ごろから作られた計算機です。先端にAのマークが刻印された真鍮製の指針がハンドルに取り付けられていて、シリンダーの目盛りを動かすことによって対数を表示する仕組みらしい。そろばんは、計算尺みたいに概数を示すのではなく、電卓と同じでそのものズバリの結果を表示しますね。云ってみれば、コンピュータと全く同じワケです。欧米人は日本人みたいに「珠算式暗算」ができないので、とにかく計算がニガテ。昔はアメリカなんかに行って買い物すると、店員のお釣り計算にイライラさせられること多かったです。そんなんで、欧米では電卓普及前からさまざまな計算機が売り出されてました。下の画像は「アデックス アダー メカニカルポケット計算機」と云うもので、付属のタッチペンで計算する桁の数字を下までスライドさせて、結果が上に表示されるもの。これは足し算しかできません。これと同じ原理の計算機が日本の「太陽計算機」などで発売されてましたが、欧米品の並行輸入のようです。電卓ない時代の事務所では「機械式計算機」が使われてました。大層な歯車が多数ついた計算機で、初期のものはハンドルまわして計算させ、それの進んだのがハンドル部分をモーターに代えた「電気機械式計算機」です。この計算機はフランスの物理学者"パスカル"も1640年代に製作しており、「パスカルの計算機」と呼ばれてます。さて、そろばんにも電卓と合体したものが売られてたの覚えてらっしゃるでしょうか?電卓が大衆化し、徐々にそろばんから電卓に移行するとき、足し算はそろばんで。掛け算は電卓で計算する人がいました。また、電卓の計算結果がいまひとつ信用できない人もいて、電卓で計算してから、そろばんで検算する人もいました。そんな需要に答えたのが、シャープの「ソロカル」です。電卓で計算したのを、またわざわざ そろばんで検算するなんて、なんともオカシナ話ですが、電卓が出始めたころは、結構こう云う人がいましたね。だったら電卓使わず、旧来通り、そろばんで良かろうと思うのですが。1978年に発売された「EL-8148」をかわきりに、1979年の「EL-8048」、そして1981年の「EL-428」、1984年の「EL-429」とシャープは次々にソロカルを投入していきました。イチバン最初の「EL-8148」の枠は木製でしたが、それ以降はプラスチック製。最後の「EL-429」は電源も太陽電池になりました。私が初めて入社したとき、まだ電動の機械式計算機を使ってました。今や機械式計算機なんて、ビンテージの最たるものですが、当時は普通に使われてましたね。それよりもっと多様されてたのは、そろばんです。なんせ持ち運び簡単だし、電源もいらなくて、ロール紙なんて消耗品もいらない。考えてみれば、よくできた計算機です。
Sep 3, 2023
コメント(6)
イタリアと云えば「ピサの斜塔」。ピサの斜塔は鐘楼ですね。ガリレオ・ガリレイが質量の異なる2つの球を落として、それらが同時に地面に到達することを観測したと云うエピソードが有名ですが、この逸話、実は創作だった可能性が高いそうです。ガリレオ自身が「そんなことしてない」と云ってるそうな。ピサの斜塔は、もともと斜塔にする予定で造られたワケぢゃありません。ところが建設途中に地盤の沈下により塔が傾いていることが発覚。これにより塔は目で見て明らかなほど傾いてしまったのです。そこで塔が倒れてしまわないよう、傾いている側とそうでない側で石の厚さを変えたり、最上階にある7つの鐘の重さを塔のバランスがとれるよう、異なる重さにしたりしてバランスをとってるのです。同じような経緯で、はからずも斜塔になったのが「ボローニャの塔」。そう細かく挽いた豚肉のソーセージ「ボロニアソーセージ」で有名なイタリア北部にある都市ボローニャに建ってる塔です。どれくらい傾いてるか、下からではなく上空から見ればよく分かるのですが、なかなか良い画像がなく唯一1枚だけ。チョット色彩とピントがよくないですが、ご覧ろうじろ。かなり傾いてるのが分かるでしょ。大きく傾いてるのが「ガリゼンダの塔」で高さ47m 、背の高いのが「アジネッリの塔」で高さ97.30m 。ピサの斜塔は1372年に完成してますが、2つの塔はそれより早い1119年に完成してます。登ることができるのは、背の高いアジネッリの塔だけですが、そのアジネッリの塔も実は2.23m も傾いています。この塔が傾いた原因はピサの斜塔と同じです。イザ建て始めてから、土台があまりにも脆弱なのが判明したのです。結果、ガリゼンダの塔は完成することなく、14世紀半ばに半分の大きさに縮小されました。2つの塔を建てたのはアシネッリ一族ですが、これは防衛のためと云うより、権力の象徴のためだったのです。当時、ボローニャではより高い塔を建てることで自らの権力と資財を誇示し互いに競い合ったのです。最盛期には100本近くの塔が建ってましたが、落雷や戦争で現在は24本だけ残ってます。そのふたつがガリゼンダ塔とアジネッリ塔で、今ではボローニャのシンボルとなっているのですね。今、登れる高い方のアジネッリの塔からガリゼンダの塔やボローニャの街並みが見れますが、エレベータはありません。高さ97.30m の頂上まで登るのは498段のらせん階段のみです。それも登る人と下る人が交錯するのが困難なくらい狭い階段です。このため、「健康に問題がある方は登るのを控えて欲しい」と公式サイトで謳ってます。アジネッリの塔に登るには、塔に直接行ってもダメみたいです。先ず、マッジョーレ広場にあるツーリストインフォメーションに行って、予約とチケットをとる必要があります。予約方式によって塔の階段の混雑を緩和する狙いでしょうね。塔からの眺めは下の画像で。たとえボローニャまでたどり着いたとしても、私の足ではとうてい498段の、それもらせん階段は登れませんね。無理して登ろうとしても、この混雑では後の人に迷惑がかかってしまう。しかし、アジネッリ塔だけでなく、ボローニャの街そのものがとてもいい雰囲気です。やっぱイタリアですね。
Sep 2, 2023
コメント(4)
先日、スーパーに買い物いったとき、鼻に酸素チューブをつけて、酸素ボンベをキャリーに載せてるお爺さんが、マスクもせず買い物してて驚いたことがあります。いくらコロナの影響が少なくなって、感染しても風邪程度の症状で済むのは元気な人のこと。みんながそうしてるからと、安易に考えてるのでしょうか?大多数が影響少なくても、自分には感染したら致命傷になりかねないと云うリスクを理解できてないのですね。マスクしてて息苦しいのは分かるけど、死ぬよりはマシと思うのですが...だいたいこの手の高齢者は先ず情報入手が極端に少ない。コロナで云えば5類感染症に位置づけられてから、感染者数の正しい把握は誰もできてないけど、それだけ潜在的な感染者数は多くなってるハズです。だけど高齢者に限って、こうした報道に疎い。リスクマネジメントで云うところの、「リスク特定・分析」が充分でないワケです。リスクが何であるのか分からなければ、手の打ちようがない。こう云うのは、単に年齢だけではありませんね。先日、90歳になるお婆さんが、自宅にかかってきたサギ電話を見抜いて撃退したって報道されてましたが、かと思ったら70代の女性が警察を装った男にキャッシュカードを入れた封筒を渡してしまい、返却されて後で封筒の中を見たらトランプにすり替えられてたって事件がありましたね。結局犯人は捕まったけど、1000万円が引き出されてたって事件。あれだけ警察やデパート、銀行マンが直接自宅を訪ねてキャッシュカードを確認するなんてありえないと報道されてるのに、わざわざ暗証番号まで教えてる。毎日、TVでバカみたいな娯楽番組ばかり観てて、ニュースを観ない?それとも頭に入っていかないのか?長野県の伊那市では過去に大きな水害があって、今でもそうした脆弱な土地に住んでる家族が多いので、災害危険住宅の移転費用を公的資金で援助する制度があります。ところが、この制度を活用して安全な土地に移転したのは数軒しかなく、ほとんどの住民はいつ訪れるか分からない災害に怯えながら旧来の土地に住み続けてる。そりゃあ公的資金だけでは移転費用全額を賄えなくて、持ち出しが多いのは分かるけど、かと云ってまた災害にあったら同じように費用が出ていく。家が全壊でもしようものなら、最初から安全な土地に移っておいた方がヨカッタと泣きをみるワケです。先日来の台風で家が半壊、全壊したお宅で保険に入ってた人でも、満額でた人も居れば、一部の金額しか保証を受けれなかった人も居ますね。修理にかかる前に、何をさておいても先ず壊れた箇所の写真を撮ってたか、撮り忘れたかの違い。そんな修理済みの家見せられて、保険会社だってホントに壊れたか判断つかないのに保証できるハズがない。これも保険契約書をちゃんと読んでるか、必要な情報を事前にチャンと入手してたかの違いだけです。だいたい田舎の高齢者ほど災害にあっても、「生まれ育った家だから」と移転をしぶる。もっと云うのが、「もう年だから、いつ死んでもいいよ」。「いつ死んでもいいよ」と云っても、最低10年は生き続けるのですな、こう云う人は。その10年の間に再び災害にあって、家を修繕しなければならなくなっても、銀行にどっぷり貯め込んでる人以外はローンなんて組めないでしょう。そうでなくても、今のような異常気象だと家そのものの考え方を変えないと。家を新築・改築するなら、私だったら1階は強固なコンクリート作りのガレージにして水害に備えますね。それと瓦屋根だと飛ばされる度に、ブルーシートで覆って修繕を待たないといけない。だったら最初から耐用年数が50年もあるステンレス鋼板屋根にした方が寒暖の影響は受けやすいけど飛ばされる頻度は少ない。ど~しても瓦でないとと云う人だったら、カナメルーフと云う金属瓦も売られてます。こうした屋根の方が瓦より軽いので、建物全体の負荷も少ないのですね。ことさら左様に、リスクマネジメントってのは先ず必要な情報を入手することに尽きるワケです。よく災害で、今までこんなこと起らなかったのに今回は想定外だったと云うのは、昨今の異常気象を鑑みると情報不足が否めないですね。情報が入手できたら次は「リスク回避」ですね。毎年のように台風さなかに田畑を見に行って増水した川に流された高齢者とか、白波が立ってて遊泳禁止の海で泳いでて遭難する若者とか、全部リスクがあるの分かってながらそれを回避しようともしない。先月、24日に和歌山県沖で起きた貨物船の衝突事故だって、まだ事故原因は判明してませんが、どの船員も衝突事故が多い海域と云ってるのに、双方の船が前方確認を怠った確率が高いとか。これもリスクのある海域で必要な措置を怠った結果です。その次が「リスク軽減(低減)」ですね。先月30日に私が更新した「アポロ11号のコンピューター」で、台湾のICメーカー「TSMC」が中国の台湾侵攻に対するリスク低減のために、熊本県菊陽町に半導体製造工場を建設すると述べました。台湾侵攻は一企業では止められないことですが、もしそう云う事態になっても、リスクを最小に抑える方策ですね。もっと身近な例では、地震で工場が半壊・全壊して操業がストップするのを回避するために工場の耐震補強をすると云うのがあります。その次に考えなくてはいけないのが、リスクを別のところに移してしまう「リスク移転」です。生命保険や死亡保険のように、いつ発生するか分からないけど、発生したときに対応する保険類がそうです。年金をかけておくってのも保険の一種でしたが、今の若い方は将来ど~なるか分からなくなってきましたね。今では会社でサーバーを立てて業務している会社より、専門のデータセンターのレンタルサーバーを借りて運営をしてもらう会社の方が多くなりましたが、これもリスク移転のひとつ。そうすることで専門職をおかなくてもよくなるのと同時に、面倒なサーバー管理のリスクから開放されるワケです。逆に自家用車で事故ったとき、自分の懐で賄える額だったらあえて車両保険を使わないケースが「リスク保有」と云います。そうして保険料が高くなるのを防ぐのですね。このようにリスクは避けて通れないし、いつどんなとこでも起こりうること。そのために常に頭を働かせて情報入手と事前の措置が必要になってくるワケですが、まぁほとんどの人は日常的にやってることですね。災害のために非常食や水の備蓄したり、断水対策のためにお風呂の残り湯を溜めておくとか。私ら高齢者の卑近な例では、段差の無いフラットな床にリノベーションするとか、足をとられるのでカーペット類は極力避けるとか。先ずは、いつお迎えがきても残された家族に迷惑かけないよう、断捨離を常に心がけるとか。
Sep 1, 2023
コメント(6)
全30件 (30件中 1-30件目)
1