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夫と、突然話が盛り上がって、週末に海水浴場へ行って来ました。マリンスポーツの趣味もなく、リゾートへ旅行に行っても、海よりホテルのプール派・・・な私たちにとっては、本当に珍しいことだったのですが、とにかく思い立ってしまったので、早朝から車で出かけたのでした。 海辺のワインディング・ロードとばした夏は誰もいない浜辺見つけて ふたり二度と 二度と 離れたくないBABY もう きみの目を今までのようには見れないBABY もう 二度とぼくの目には見えない(「海辺のワインディング・ロード」作詞:忌野清志郎)峠道のカーブをいくつも越えて辿り着いたのは、熊野灘に面した、入り江の小さな海水浴場。人出も多くはなくて、海の家も一つあるきりの、静かな浜辺でした。→新鹿海水浴場 波や、潮風や、さえぎるもののない強い日射し。強烈な、そして大きな力を持つ自然の中にいると、やっぱり、子どもにかえってはしゃいでしまうものですね。水着からはみ出している贅肉には、お互いに目をつむって(笑)たまには、若かりし頃の二人に戻る、こんな時間もいいなと思った一日でした。でも実際にはもう若くないので、翌日はドッと疲れました・・・トホホ。【とっても透明度の高い海だったのです。それを記録したくて、自分の足を撮る・笑】 「海辺のワインディング・ロード」、オリジナルはRCサクセションですが、矢野顕子のピアノバージョンも好きです。Home Girl Journey / 矢野顕子
2007.07.28
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佐伯チズさんの本が世に出始めて、ベストセラーになった当時、私の周囲でも瞬く間に大きな話題になりました。女友だちの間で知らぬ者はいない、という感じで、即、その美容法を実践していた人も多かったはず。「化粧品の効果は、その値段や効能より『使い方』にある」という考え方は新鮮だったし、家にある自分の化粧品ですぐに実行できる手軽さもよかった。とは言え、元来が無精者の私は、やれば絶対効果があるとわかっていながらも、「ひと手間」が面倒で(苦笑)すっかり有名になった“ローションパック”などは、ごく稀にしかやらないのですが…(今は、ローションパック用のコットンなんて便利なグッズも出ているので、コットンをはがす手間も省けるらしい)彼女が紹介していた美容法の中で、「メイク落としの際にダブル洗顔は不要」というのは、実行してみて、本当に肌の状態が上向きになったのを実感できました。これはホントにお奨めです。今まで常識と思っていたことが、実は、メーカー側の戦略によって作られた、本来の肌にはなくてもいいものだったのかも…ということ、これを啓蒙したという点で、佐伯さんの功績は大きいと思います。そして、今、私の周囲で続々と始める人が増えているのが、「田中宥久子の造顔マッサージ」!先日、久しぶりに会った友達を一目見て「あれっ、痩せた??」と思わず口にしたら、「体重は変わってないよ、たぶん造顔マッサージの効果だわ」と、ものすごく嬉しそうな答えが返ってきました。え~、やっぱりあれ、効果あるんだ…と思っていたら、その後も次々と聞こえてくる「私もやってる」の声。今や、流行のDVDはビリーか宥久子かという感じで(笑)皆、がんばっているようです。確かに考えてみれば、エステに1、2回行くのと同じお金で、DVDもクリームも買えるんですからうれしい話ですよね。私も、以前に田中さんがNHKの番組に出演されて、マッサージ法を紹介していた時に録画をしていたので、試しに初めてみました。リンパ液を流してむくみや老廃物を押し流す、このマッサージ。やっている間の顔は、はっきり言って百年の恋も冷めるようなすごいものになってしまいますが、結構気持ちいいです。後は、怠け者の私が継続できるかどうか…が問題な訳ですが。誰かに「痩せた?」と言ってもらえる日を夢見て(笑)がんばります。佐伯チズさんも、田中宥久子さんも、共に還暦を過ぎてますます輝き、ご活躍されている女性。人生の苦しい時期があっても、負けずに仕事を続けてきた…という点においても、尊敬すべき方たちだと思います。「若さ」の表面的な美に頼れなくなってから、「きれいな人」を目指すためにはどうあるべきか…お二人とも、ご自身の生き方も含めて、身をもって示してくれているような。四十を過ぎたら、顔に生き方が出てくるのは男女を問わず同じことかな、とも感じます。外面も内面も、磨き続ける努力をしていきたい…と、目標(だけ)は高く掲げておこうと思う今日この頃。
2007.07.27
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ずっとお休みしていた着付けのお稽古を再開しました。来月早々に、教室の生徒が一堂に会する、毎夏恒例のゆかたパーティーが予定されています。それで、当日の着付けの練習を兼ねて、先生にコーディネートの相談にのっていただきました。しばらく実家に滞在していた時に、祖母の遺した着物類に目を通したのですが、以前ブログにも書いた通り、残念ながら腕の長い私には、ぴったりの着物はありませんでした。でも、帯ならサイズは関係ないじゃない?・・・と思い、一つだけ、今年のゆかたパーティーで締めよう・・・と譲り受けてきたなごや帯がありました。レモンイエローとベージュの中間色のような地色に、銀色の糸で雲か波のような模様が散らされ、目にも鮮やかな真っ赤なエンゼルフィッシュが、でかでかと刺繍してあるデザインです。私の記憶の中の祖母は、いつも割烹着姿で、包装紙も紐も何でも取っておかなくては気がすまないような性質のおばあちゃんでした。着るものも地味好みで、華美な贅沢さとは無縁の女性でした。だから、戦前の、大正浪漫の影響を受け継いだ時代のものとわかってはいても、初めてその帯を見た時には、びっくり仰天したものです。でも、孫娘の私が「おばあちゃん、お話して」とねだる時、祖母がいつも語ってくれたのは、童話や昔ばなしではなくて、自分自身の思い出。嫁入り前の娘時代のお稽古事、女学校での生活、よく観にいったタカラヅカの舞台・・・祖母の記憶の中で大切に再生され続けた、青春の輝き。その煌めきが、エンゼルフィッシュのきらきら光る鱗に凝縮されているようで、ぜひこの帯を締めてみたい!と思ったのでした。半衿と足袋を合わせてあらたまった装いにするべく、いつも売り切れて買えなかったゆかた屋さんの大うそつきゆかたスリップも購入しました。帯揚げはわざわざ夏用のものを買わなくても、ガーゼを買ってきて自分で染めたっていい。帯締めは丁度似合いそうなのがあるから・・・etc.先生にも色々とアドバイスをいただき、後はきれいに着るだけ!・・・と思ったら、何と思わぬ落とし穴。この帯、実際に締めてみると、一般的ななごや帯よりもずいぶん長さが短かったのでした。角だしに結びたくても、ての長さが全然足りませんでした。まさに、手も足も出ないとはこのこと??(涙)また、通常の着付けだと、てを左肩にかけて帯を身体に巻きつけますが、それだと前の部分の模様が出ないことが判明。先生曰く、「こういう『逆勝手』の帯もあるのよ」ということなんですが、左右が逆になっただけで、跳ね上がる着付けの難易度・・・結局、ふだんの倍以上時間がかかって、汗だくになってしまいました。ちょっと当日が思いやられ、自主トレに励まなければ!と焦っているところです。【ちなみに、こんなデザインの帯です。】(見かねて、先生自ら目の前で締め方を実演してくださったのを、お手本用に撮影しました)【絞りのゆかたや仕立ての長襦袢など、色々お世話になっています。とても対応がきめ細かくて、信頼しているショップです】
2007.07.25
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日曜日の夜、何となくつけていたNHKで、参院選特集が始まりました。よくある、各党の代表がワーッと討論をする形式ではなく、党首の講演を録画で放映するというスタイルでした。最初に安倍首相が登場し、演説の前置きとして、中越沖地震の被災者へのお見舞いの言葉が述べられました。そこで、「???」と、私の脳内に吹き荒れた違和感。だって、亡くなられた方のご冥福をお祈りし、被害に遭われた方へお見舞いを・・・と、口にしている総理の表情がニコニコ笑顔モードなんですから。本当に、命を落とされた方やその家族の心情を思い、本当に、家や穏やかな暮らしを失った人を思っているなら、いくら何でも、その表情にはならないんじゃない??と、思ったのでした。どう見ても、聴衆に振りまこうと用意していたスマイルを、勢いあまって出しっぱなしにしてしまった!という感じ。さぁ笑うぞ、と気合が入りすぎて、顔筋がそのまま凍り付いてしまったような・・・私は、妙なところで神経が細かいというか、「言葉と表情がそぐわない」人の姿に敏感なところがあるようで、TVのニュースで、アナウンサーが悲劇的なニュースを営業スマイルで読み上げたりすると、むかっ腹が立ってくるのです。(特に、若い女子アナにはよく見られる事象と思う)でも、ニュース原稿は、間違えずに読まれさえすれば、それでいいとも言えます。それに引き換え、やっぱり、ウソをつくことが許されないと(建前でも)されている職業の方が、よりにもよってお悔やみやお見舞いを言うときに、こういう『心がない』ちぐはぐな状態では・・・百歩譲っても、『上っ面ぐらい完璧に整えられないで、どうする!!』と、つくづく嘆かわしく思った次第です(そういえば、本当に面の皮に絆創膏を貼ってた大臣もいましたが)。それにしても、ここ数ヶ月、安倍首相の目の周囲に何ともいえぬ暗い険が目に付いて、何か、人相悪くなったなぁ・・・と思えて仕方ないのは、私だけでしょうか。与野党ともに、惚れるような面構えの政治家をなかなか見つけられないのは、残念。(ちなみに私の場合、歴史上の人物で一番好きな顔の持ち主は、勝海舟センセイです)【政策に関する自分の意見に、どの政党の政策が一番近いかがわかる、話題のサイト】「投票ぴったん」(すごいネーミング)、投票へ行く前に試してみるのはいかがでしょう?http://www.votematch.jpn.org/Infoseek参院選特集はこちらから
2007.07.23
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昨年、ワールドカップ観戦にドイツへ行った時のこと。ニュルンベルクで行われたクロアチア戦は、炎天下の試合で、スタンドでキックオフを待つ時点で、すでに汗がにじんでくるような暑さでした。サッカー観戦で、時折うんざりさせられることの一つに、「大きな声で、周囲に聞こえよがしに自慢や薀蓄をたれる」部類の人と、近い席に居合わせてしまうことがあります。(ゴール裏よりは指定席の方が、遭遇する頻度が高いように思います)その時も、少しずつ観客で埋まり始めたスタンドの一角で、不自然なほどの大声で会話をしている男性がいました。曰く「暑いなぁー、でもアサディに行ったときの暑さはこんなもんじゃなかったよなぁ」・・・はいはい、イランまで予選の応援に行ったことが自慢なのね。でも、大きな声は応援の時用に取っておけばいいのに・・・と、ちょっと辟易しておりましたら、別の方角から女性の声が「暑いですよね。重慶もすっごく暑かったんですよ」それを聞いて、アサディ氏(仮名)は「あ、重慶行かれたんですか」と答えたきり、すっかりおとなしくなってしまった、というお話。サッカー観戦(特に日本代表の試合)がお好きな方ならピンと来られたと思いますが、そう、重慶というのは、前回のアジアカップが行われた地。反日ブーイングの嵐(のみならず、ペットボトルがサポーターに投げつけられるという実力行使もあった)に負けず、代表を応援してきた・・・という点において、「アサディ<重慶」という順位づけが、両者間の暗黙の了解としてなされた、ということだったんですね。私は傍観者に過ぎなかったのですが、まるでコメディのようで、未だに忘れられない光景です。それにしても。ジーコ監督の時代の、最も幸せなピーク期があの、逆境の中で次々と奇跡を呼んだ大会だったのかもしれない、と、今でも思います。PK戦の大逆転、ロスタイムでの同点と延長戦での勝利、開催国相手の大アウェー状態での優勝・・・どれも、テレビの前で感涙にむせんでしまった、忘れられない試合ばかり。しかし、去年、4年間育て続けてきた夢を、たった9分間で粉々に打ち砕いたオーストラリアを相手に、今大会でもまた、PKを制して準決勝に進出するとは。様々な状況、条件を考えたら、90分で決着がつけられた試合だったとは思いますが、きっと時間が経てば、PKで決着がついた瞬間の、安心と歓喜と興奮が入り混じった記憶だけしか残らないんだろうな。くたびれたけど、面白かった!自分には運が無いから、と、PK戦の始まる前にロッカールームへ行ってしまったオシム監督。でも、あと2試合、何としても目指すサッカーを貫いて、3連覇の快挙を成し遂げてほしいです。なお、先に書いたクロアチア戦は0-0のドローに終わった試合でしたが、日本の最大のピンチは、相手に与えてしまったPKでした。これを入れられたらもう終わりかもしれない。祈るような思いで見つめていたゴールマウスに、立ちはだかっていたGKが川口選手でした。相手の蹴ったボールを見事に防いでみせるや、スタンドで誰かれ構わず抱き合って喜んだ私たち。その時は、サポーターの間の意味のない順位づけなんて忘れて、老若男女、誰もが同じ気持ちになっていたと思います。こういう瞬間は、サッカーがくれる幸せの一つですよね。実は、代表GKの中では楢崎選手がご贔屓の私ですが(元フリューゲルスファンなので)、PKの場面になると、GKが正剛じゃなくてよかったぁ、と思うのでした(笑)
2007.07.21
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去年、当時の文化庁長官だった河合隼雄さんが脳梗塞で倒れられた、というニュースを小さな新聞記事で見つけたときは、喉のあたりがキュッとしめつけられるようなショックを受けました。その後も、意識が戻られない重篤な容態が続き、長官職は後任に譲られ・・・約一年を経て、とうとう、訃報に接することとなりました。私が、中学・高校時代を通して、授業以外にも多くのことを学んだある先生は、教職の傍ら、ユング心理学を研究し、カウンセリングを学んでおられました。まだ「学校カウンセラー」なんて存在が日本で認められていなかった、二十数年前のことです。日本におけるユング研究の第一人者が河合隼雄さんです。その先生が、よく河合さんの著書や、言葉を生徒たちに伝えてくれました。生徒たちに課題図書として紹介してくれた「大人になることのむずかしさ」という一冊の本が、どれだけ、自分と周囲の折り合いがつかない、思春期の嵐のような私の内面を鎮め、救ってくれたか。以来、河合隼雄さんという存在は、私にとって大切な羅針盤となりました。臨床心理士の仕事の現場で、時代精神や社会のしがらみにうまく対応できない、たくさんの(多くは若い)人々と全力で向き合ってきた、その経験の重み。それが一つひとつの言葉、文章から滲み出て、生きにくいこの世を生きていく力を・・・と、語りかけてくれたように思います。一度だけ、文化庁主催のお堅い講演会を聞きに行って、ご本人のお話を直接聞きました。やわらかい関西弁、柔和な笑顔が印象的でした。思えば、かつての私の恩師は、大げさにうなづいたり、こちらの目をまじまじと覗き込んだりするようなことは全くなかったけれど、静かに目の前にいてくれるだけで「あぁ、先生は私の話を全身で受け止めてくれている」と、素直に信じられるような人でした。その佇まい、河合さんにも通じるものがあったように思います。訃報を聞いて、本棚から吉本ばななさんとの対談集を取り出し、読み返しました。なるほどの対話この対談集は、京都の町屋で撮影されたという、火鉢をはさんで向かい合う二人が表紙になっていて、掲載されている対談中のショットもとてもいい写真ばかり。もちろん、二人の言葉も味わい深く、考えさせられたり元気をもらったり出来るのだけれど、ここではばななさんの「あとがき」を引きたい。「いつもお忙しい河合先生は、あわてて出発したうえにすっかり雨があがっていたので傘を忘れてお帰りになってしまった。(中略)傘には小さく「カワイ」と名前が書いてあった。 一人の人の人生がここにあるんだな、とその傘を見て私は強く感じ、胸がしめつけられた。 その町屋の居間でお茶を飲んでいるとき、 『こういう造りの家にいると、なつかしいし、くつろいで眠くなってきた』と河合先生はおっしゃっていた。 でも、じゃあそこで三時間くらい寝ていくか、とはいかないスケジュールが切なかった。 天職にあり志がある人の常で多忙を極める毎日だと思うので、そんなふうにちょっとくつろいだ気持ちになれる場所が、地球の上でたくさん、たくさん河合先生を待っていることを、心からお祈りしています。」この一節を呼んで、涙がにじんで仕方なかったです。河合さんの魂が、これから地球を離れた夢の世界で、安らかな旅路を辿られることを。深い感謝とともに、祈っています。今日は本当に哀しい日でした。
2007.07.19
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台風の影響で、花火大会も地元の祇園祭りも延期となり、三連休の外出の予定がすべて中止となりました。大雨の音を聞きながら、夫はボーナスで新調したPCのセットアップに熱中。私は台風情報を横目に、三度の食事の支度の合間に本を読んだり、昼寝をしたり・・・静かに家の中で過ごしていました。そんな、言わば「ぐだぐだ」な(笑)時間の流れにちょっとアクセントをつけたくなった時、「・・・お茶でも飲む?」という一言は、とても有効だったりします。わが家には、日本茶やティーバッグの紅茶といった「普段用」の他に、ちょっと贅沢するぞ、という気分の時にいただく「とっておき」のお茶がいくつか常備されています。冷たい飲み物が美味しいこの頃の季節は、茶葉をジャグにいれて冷水を注ぎ、冷蔵庫で一晩じっくり置いた「水出しアイスティー」が大のお気に入り。今は、マスカットと洋梨のフレーバーが爽やかな、マリナドブルボンのシェル・ダジュールを愛飲しています。 ちなみに、温かい飲み物が恋しいときにお気に入りなのが、ダルマイヤーのティーバッグを使って淹れるチャイ。これは、昨年のドイツ旅行の際に、ミュンヘンのダルマイヤーでまとめ買いしてきたもの。残り数を確かめながら、少しずつ楽しんでいます。ちょっとしたいただきものに、自分では買わないようなフレーバーティーをいただいたりするのは嬉しいもの。その逆もあり・・・ということで、この頃は贈り物にも紅茶を選ぶことが増えました。それにしても、日々の何でもない穏やかな時間が、実はどれほど幸せなことか。災害に遭ってそれを失ってしまわれた方々の姿をテレビで見る度に、思い知らされます。新潟の被災地の方々に、心安らかな日常が訪れる日が早く来ますように。
2007.07.17
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タイトルだけ見ると、何のことやら?な日記になりそうですが(笑)古いお寺のお堂で、ひょうたんのお化けに出くわした・・・という話ではなくて、美味しいものに出会った、といううれしい記録です。佐賀の七山村というところにお住まいの、たまおきともこさんという女性が一人で作られているお菓子のお店、それが「ほいあん堂」です。国産の小麦粉や未精製の砂糖といった、材料からこだわった素朴な焼き菓子を中心とした品揃えで、量産が出来ないゆえに「知る人ぞ知る」という存在のお菓子屋さんなのだそうで…久しぶりに行きつけのカフェに顔を出しましたら、お茶うけに・・・と、こんな愛らしいお菓子を出してくださいました。【それが『ひょうたん板』だったのです。指先でつまめる可愛いサイズ。】オープン直後からの常連客である私、時折、店主ご夫妻のおやつをおすそ分けしてもらう特別待遇を受けるのです。以前も、まっちんのわらび餅のことをブログに書きましたが、この「ほいあん堂」のお菓子は、まっちん(カフェの店主とは同い年のお友達だそう)も大好物なのだとか。さて、「ひょうたん板」を早速いただいてみると・・・まず、ポリポリと音の出る歯応えが楽しい。そして、噛むほどに口の中で様々に変化する美味しさにビックリ。甘さが前面に出ているのではなくて、まずは香ばしさ、そしてシナモンの香りが広がる。最後に、素朴な砂糖のうまみがじわっと来る・・・という感じ。私は、決して人より味覚が鋭い方ではないと思うのですが、それでも「あぁ、素材の美味しさがそのまま詰まってるんだ」ということがよくわかる、やみつきになりそうなお菓子でした。でも、素人が同じ材料を集めてただ作るだけでは「素朴なお菓子」というだけで終わるのだろうなあ・・・「素朴、かつ上品な美味しさ」というところに、プロの手腕を感じた次第です。作り手の誠実なお人柄も伝わってくるように思いました。なかなか買えない、というところがまた、美味しさに拍車をかけるのかもしれません。「ほいあん堂」で検索したところ、東京をはじめ、全国のカフェやギャラリーに出品されることもあるようです。どこかの街で出会いがあったら、ぜひお試しいただきたいお味です。
2007.07.12
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実家での静養生活もあと僅か…となったある日。近くに住む友人宅での夕食に招かれました。お料理自慢の彼女が、コレクションの骨董のお皿をふんだんに使って、見事なテーブルコーディネートを披露してくれ、思わず歓声をあげてしまいました。キャーキャー騒がしいわね・・・今日のお客さまはどんな人なの?お父さんはお出かけしちゃった。気を利かせて、女同士にしてくれたのかな?車の音が聞こえなくなるまでお見送り。早く帰ってきてね。ワインがすすむと、お母さんはいつも「ハウスからイチゴ、持っておいで!」っていうのよ。この帽子のこと。これかぶると、皆がとっても喜んでくれるから、私もこの帽子が好きなの。5歳の黒ラブ犬、お利口さんで甘えん坊のこーちゃんが、たくさんの笑い声をもたらしてくれた、楽しい一夜でした。犬のいる生活を経験したことのない私ですが、ペットと共に暮すことの喜びを、こんな風に人のお宅で疑似体験させてもらうのは何とも愉快なことです。言葉は通じなくてもどれほど心が通い合うものか、犬がどんなに飼い主にまっすぐな眼差しを向けているか…たとえ短い時間であっても十分に伝わってきて、そのいじらしさには胸が熱くなりました。*入院とその後の静養期間を経て、医師の許可も下り、無事に夫の待つ家に帰ることが出来ました。当ブログもやっと、タイトル通りの『ふたり暮らし』の日々を綴っていけることになりました。今後も多くの方と楽しく交流できたらうれしいです。ご心配いただいた方々、本当にありがとうございました。*
2007.07.10
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ポール・マッカートニーの新譜を買いました。この頃、テレビ番組のBGMなどで、シングルカットされた「DANCE TONIGHT」を盛んに耳にします。弾むようなマンドリンの音色が心地よく、印象的で、その1曲が気に入ったばかりに買い求めたCDでしたが、大正解。大好きな1枚になりました。私とビートルズの音楽との本格的な出会いは、テレビ東京系で放映されていた「アニメ・ザ・ビートルズ」という輸入アニメ番組がきっかけでした。(製作されてから十数年経っていたはずですが、なぜか夕方の時間帯に毎日やっていたのです)たしか、ジョンの吹き替えは伊武雅刀がやっていたような…毎回のエピソードで、当然のごとく(?)リンゴが絶妙なボケ役でおかしかった。【ちなみにキャラクターはこんな感じ】 そのせいか、数ある名曲の中でも(順位づけなんて難しいけれど)その番組の主題歌だった「And Your Bird Can Sing」が大好きです。考えてみたら、私が学校帰りにアニメを見ていたのは80年代ポップス華やかなりし頃。その当時もポールは、マイケルやマドンナに混じって新曲をチャートの上位に載せていたりしたのだから、すごいなあ。このCDのタイトル「memory almost full」は、ポールが自分の携帯電話に表れたメッセージからとった言葉らしい。要するに「メモリーがもうすぐ一杯です」ということだけれど(「追憶の彼方に」という邦題はどうにかならないものか)…還暦を過ぎて、その人生の殆どを注目されて生きてきた人から出てくる「almost full」という言葉には、一瞬こちらをたじろがせる深い含みを感じてしまう。「EVER PRESENT PAST」「THAT WAS ME」「THE END OF THE END」…なんて収録曲の数々に、“円熟”という言葉のさらに先にある、酸いも甘いもかみ分けた枯れた味わいが伝わってくるようにも思いました。とは言え、サウンドもメロディも耳に心地よい楽曲の数々は、雨の日にも梅雨の晴れ間にもよく似合い、ただいまヘビロテ中です。ビートルズというリンゴの、甘い果汁の部分は、やっぱりポールという人の才能によるものなんだろうなぁ…と、偉そうなことを思ってみたりして。
2007.07.04
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