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(国は一番信用できないもの) 弁護士が少なく、裁判が遅々として進まないことを解決しようとして、司法試験の合格者を増やす目的で作られた法科大学院制度の下での、今年の司法試験受験者の合格者率が25%台になった。 しかも、法科大学院制度の下では、3回受験して合格できない人は受験資格がなくなるので、大量の法学難民が出ている。これを受けて、雑誌などで、「制度が欠陥であり」、高い金をかけて法科大学院に行った人は「国家的な詐欺にあったも同然」という内容の記事が見られる。こうした記事を読むと、本当に日本人は甘いと思う。 文句を言っている人の話を総合すると、「政府の当初の目標は7割合格だったので、会社を辞め、高い金をかけ、入学したのに実態は違っていた」である。この話を聞くと、「それなら、政府の言うことなら、何でも信用するのですか」と言いたい。 古今東西、一番信用できないのは、政府ではないか。言うことが変わるのは政府ではないか。借金が返せなくなったら、徳政令を出して借金を棒引きにするのも政府だし、太平洋戦争が終わったら、戦時国債は一切償還しないとして、紙切れにしたのも政府である。(当初10校程度が猛反対でほとんどフリーに) 法科大学院の設立の際に取材をしたので、経緯を知っているが、元々、文部科学省は旧帝大8校と、早稲田、慶應、一橋大だけに法科大学院の設立を認める案を作っていた。授業を受けた者の7割の合格を目指すなら、院の質を高くしないといけない。それなら、旧帝大クラスが限界と考えたのだ。 これに対して、毎年、司法試験に多くの合格者を出している中央大学が噛みつき、これに明治、法政など他の6大学が追随した。関西では、私学のトップを自負する関学、同志社が落とされては一大事とこちらも猛烈に運動をした。また、国立大学でも、関西の神戸大や、旧帝大ではないが、広島大学などがねじ込みだした。 文部科学省は、中央大や関学、同志社、神戸大などは入れざるを得ないかと枠を広げ、20校くらいに拡大することを考えたが、旧帝大だけというなら、ともかく、関学、同志社が入るなら、関大、立命はそれなら、当方もということになるし、中央、明治が入るなら、青山や学習院も、当方もということになり、大学の数はどんどん膨れ上がっていった。 文部科学省は、最後には、どこはよくて、どこは駄目という線引きをするのは無理だと思うようになり、法科大学院を設置したい大学はどうぞという姿勢になり、結果的に、一定以上、名前があり、法学部がある大学は、「エッここが」と思える大学までも含む、何百という大学で法科大学院を設置することになった。 当時、猛陳情をしていた大学の関係者に話を聞いたことがある。その時に、彼らが言ったのは、「法学部がある大学で法科大学院を設置しないと、あそこはレベルが低いからということで、学部の学生が集まらなくなります。法科大学院設置は大学としての死活問題なのです」ということである。(合格基準はかなり下げているという話) 雑誌などで何回も受験して、不合格になった人の話を載せているが、彼らは自分の仕事を辞めて、何百万円も費用がかかる法科大学院に入った。上に述べたように、院生の7割を合格させようとしたのは、全国で10校の時の話である。 それが、何百に膨れ上がって、ここは絶対学生が集まらないと思えるような大学も法科大学院を設置したのだから、7割合格という目標が崩れたと考えるのが、社会人の常識である。設置する大学の数が異常に膨れ上がって、質は大丈夫かという記事は何回も出た。 それを、上位大学ではなく、下の方の大学に入り、約束だからと言って、合格させろというのは、あまりにも世の中の動きや常識を知らない人の言うことである。 もっと言うと、司法試験関係者の話では、法科大学院制度になってからは、それまでよりも、合格基準を引き下げ、従来なら落ちるような人も合格させてきたという。その証拠に、ここ数年、司法試験に合格し、司法修習生として研修を受ける人で、研修についていけずに、落伍する人の数がうなぎ上りに増えているという。それだけ、甘くされて、なおかつ、合格しなかった自分が法律の専門家を目指したこと自体が間違いである。(3年受けて合格しない人は適性がないという話) 従来の制度の下でも、何年も司法試験の勉強をして合格せず、何浪かの後に、試験を受けることをあきらめる人が結構いた。こうしたことについて、専門家の意見を聞いたことがある。その時に、専門家の言った話が興味深い。 「司法試験は3年くらいのサイクルで、試験問題の内容が変わってくるのです。ですから、本当に適性があり、目指す人は法学部の2、3年から受け、4年、卒業後1年目で大体受かるのです。それを3年受けて受からない人は、基本的に法律に向いていないと割り切り、方向転換をしないといけないのです」 もっと言うと、法科大学院ができてから、弁護士が異常に増えた。その結果、折角資格をとっても、仕事がまったくない弁護士が多くなっているという。 司法試験に受かり、研修を終えた後、どこかの弁護士事務所に居候させてもらい、多少とも仕事に関与して勉強できるのはほんの一握りで、ほとんどの人は事務所も机もなく、携帯電話でクライアント候補の人とやりとりだという。それでも、仕事があれば、良い方だという。 歯科医師は多く作りすぎた上、最近の子供は母親が甘いものを食べさせないし、歯磨きにうるさいので、虫歯の子供が極端に減った。その結果、歯科医師は仕事の取り合いで、歯科医師会の話では、歯科医師の現在の平均年収は350万円程度で、一生懸命勉強をして大学に入り、資格をとっても、生活していけない人が多くなっているという。弁護士も同じ状況になってきているのである。(働きながら、勉強をするということ) 法科大学院の試験に3回落ち、文句を言っている人は、多分、合格して、仕事がなかったら、「これだけ、投資をしたのに、仕事がない。国が何とかしろ」と言い出しかねない人たちだと筆者は思う。 投資話も同じで、世の中には、そんなにおいしい話が転がっている訳ではない。何百万円支払えば、弁護士の資格が手に入りますと言われたら、そんなことはあり得ないと考えるのが、大人の常識ではないだろうか。 筆者の知人で大学院を卒業して就職し、医療関係の業界で営業を3、4年経験した後、大学院のMBAのコースに合格し、会社を辞めて、全日制の大学で勉強をしている人がいる。MBAの勉強を始めてから、連絡をもらい、決断の話を聞いた。 筆者は、MBAコースを取るのはよいが、卒業後が大変ではないかと聞いた。それに対して、彼の答えはこうである。「この大学では、2年間勉強すると、中小企業診断士の資格がほとんど誰でもとれるようになります。自分はこの資格をもって地元に帰り、しかるべき企業に再就職をして勤務し、一定年齢になって可能であれば、独立して、地元に帰り、町おこしのお手伝いをしたいと考えています」と。 彼は結婚していて、仕事をしながら、奥さんは弁理士の資格をとる勉強を続け、後1,2年専門の勉強を集中すれば、資格がとれるという状態になって、会社を辞め、勉強に専念し、現実に資格をとった。 そして、その資格で再就職をした。奥さんの再就職を受けて、彼は会社を辞めて、MBAの勉強に入り、今は奥さんに食べさせてもらっているという。過去2年間、自分が奥さんを支えてきたのだから、選手交代という訳だ。 働きながら、勉強をし、資格をとるというのは、これくらいの計画性と、生活のめどを立ててやるものではないだろうか。法科大学院の勉強で1千万円を越える借金を作って、勉強をしてきたという人の話が雑誌に載っているが、それなど計画自体が無謀としか言いようがない。失敗した場合はどうするかを考えるのが大人ではないか。 会計士も、弁護士も、中小企業診断士もそうだが、国家資格はあくまで資格であって、資格をとったから、すぐ仕事があるものでははない。現在、資格をもち、顧客を抱え仕事をしている人がいる訳で、新たに資格を取った人はそういう人と競争をして、客を取らないといけないのである。 飲食店もそうで、開店したから、すぐ客が入るものではない。開店して1年間は無収入を覚悟して開業しないと、その店は続かないとよく言われる。独立するのも、店を始めるのも、すべて自己責任である。国の責任ではない。
2010.09.27
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福祉団体に不当に便宜を図ったとして、逮捕・起訴された厚生労働省の元局長の無罪判決の後、大阪地検の主任検事が、データを改ざんしたとして、検察の威信を揺るがす問題だとして、大きな話題になっている。(地検だけの話ではない) この問題を取り上げる人の多くは、地検の体質を論じ、だから、地検は信用できないとか、取り調べの可視化をしろとか言っている。検察という組織がレベルが落ちたのは、今回のことに限らず、これまでのいくつかの案件で、詰めをしていないといけない点でぬかっていたことが明らかになるなど、間違いないことである。 しかし、これは検察庁だけの問題ではない。今は他の役所でも、企業でも、学校・大学でも、同じことが起きている。理由は簡単だ。ものごとの基礎、手順がきちんと身についていないのだ。(新聞記者の現場で起きていること) 友人の朝日新聞のデスクから聞いた話だが、ある企画提案があったので、了解をして若手の記者を取材に行かせた。取材の後、原稿が出てきたが、その内容が過去の経験則から、どうしても納得できないので、記者に原稿の内容1つ1つについて質問をしていった結果、信じられないような話が出てきたという。 新聞社やテレビなどマスコミの取材は、狙いを決め、それに沿って取材を始める。取材をしていく内に、事実その通りの話が聞けて裏がとれ、当初の狙い通り、原稿や番組になることもある。 その一方で、取材をしてみると、当初の話が違っていて、狙いが外れることも少ない。例えば、誰かが隣人からひどいことをされて困っているという情報があり、現場に行って取材をしてみると、苦情を言ってきた人の方に問題があり、話が逆などということはよくある。 我々の記者時代には、当初の狙いと違う内容が出て来ると、それを取材を統括する責任者のデスクに報告して、ボツにするか、事実に基づいて原稿の狙いを事実に合わせて変えたりして、原稿にしたり、番組にしたりした。 ところが、今の若い記者は、取材して、当初の狙い通りの話が3で、それと反する話が7の場合、7は切り捨て、当初の狙い通りの話3だけを取り上げ、それだけで原稿を書き、当初の狙い通りに話を作って、原稿にしてくるという。 友人のデスク曰く、「今、現場から上がって来る原稿は怖くて、そのまま使えないので、原稿を見た後、デスクが自ら、もう一度、取材対象に事実関係を確認するのは必須なのです」。友人の読売新聞のデスクも言う。「今、現場から上がってくる原稿で、犯人と被害者の名前が逆なんていうのは珍しくないのです」。 だから、テレビの番組の「あるある大辞典」のように、事実と違う内容が放送され、大問題になり、番組そのものがなくなってしまったりする。クレームをつけられ、テレビ局や新聞社が謝罪をする事例は枚挙の暇がない。(スイッチの入ったロボットで方向転換ができない) こうしたエピソードを聞いて、採用で学生と接すると、納得できることが多い。今の学生や若者は、方向や方針を決めると、それに向かって、とにかく突き進む。途中で違う条件が出てきたり、話が違うと思っても、当初の方針を変えようとなかなかしないのだ。 例えば、ある業界でこんな仕事がしたいというような話の時、その学生が前提としている話が実態と違う場合、それをデータやエピソードを交えて説明し再考を促すと、以前なら話を聞いて方針を変えたり、少なくても、聞いた事実を確認しようとする動きをした。しかし今の学生は、「私はこう考えていますので、これで行きます」と言って、当初の方針をまったく変えようとしない人が本当に多い。 例えて見ると、電池のスイッチを入れられたロボットが、事情が変わったも、当初の指示通りに動き、絶対通れない高い壁に何回も無駄にぶつかって行く。そんな感じなのである。(なぜを教え、考えさせずに、丸暗記を強要する) どうしてこんな風になってしまうのか、機会があって、学校の教育現場に行ったり、教師や塾の講師と話をしたり、また、小中高の生徒向けの参考書、教科書などを見ると、その理由がわかる気がする。 まず、教科書でも参考書でも、基礎の基礎、なぜ、こうなっていて、それが全体にどういう影響を与えているかということの記述が本当に少ない。非常に多いのは、入試の過去問を出し、その解き方はこうだという説明である。そして、学校や塾の現場での教師や講師の指導の仕方も同じである。 少し考える生徒が、「なぜ、どうして」と質問すると、今の教師や講師のほとんどが、「そんな余計なことを考えずに、とにかく、この通り暗記しろ」というという。 超難関の中高一貫校の中学入試で、どれくらい勉強したかと大学生に質問すると、「小学5、6年生で、毎日10時間は勉強しました。夜寝るのは深夜0時近くでした」と言う人が多い。 我々が中学や高校受験の時を思い出しても、超難関校受験の人間でも、1日の勉強時間はせいぜい3,4時間であった。なぜ、こんな差が出て来るかと言えば、基礎を教えず過去問中心の指導だからである。 小学や中学で習うことは、かなり詳しくなぜということを説明したとしても、1科目に1冊、少し分厚い参考書があれば十分で、それを習得するのに毎日10時間勉強で1年間、2年間などかかりはしない。基礎、本質ではなく、事例ばかりやっていくから、膨大な量になり、毎日10時間勉強しないと、処理できないのだ。(大学はアルバイトとサークルだけで、鍛錬はなし) このように、本質を考えず、なぜを考えず、基礎を習うことをせず、とにかく、言われた通り結果だけ出せと言われ、小中高時代を過ごして、難関大学に入ると、次にあるのは、勉強ではなく、とにかくアルバイトとサークルである。 今の学生に1週間、1日をどう使っているかと聞くと、ほとんどの学生がアルバイトとサークル活動で8、9割の時間を費やし、大学の授業の占める割合は1、2割だと答える。つまり、大学ではほとんどの大学生が何も教わらず、見識や人間性を深めるトレーニングなどしないで、卒業するのである。 そうした人間が社会に出れば、今回の大阪地検の検事のようなことをしても、不思議はない。筆者自身、体験があるが、事務所や自宅に営業の電話がかかってきた。興味がない話なので、相手が少し話し始めた段階で、「興味ありませんから」と電話を切ると、その本人から再度電話がかかってきて、「こちらは一生懸命説明しているのに、途中で切るのは失礼でしょう」という。 こうした体験は一度ではないし、友人、知人と話をしても、同じ体験をしている人が多い。つまり、この営業マンは「自分は一生懸命覚えたことを説明しているのだから、相手はそれを聞く義務がある」と思っているのだ。なぜ、どうしてということを考えさせられず、とにかく暗記だけをしてきた結果が、この論理になるのだ。 戦後、特に、少人数学級とか言われるようになってから、教育を受けた人間が、既に30歳代、40歳台になってきている。なぜ、どうしてを考えず、道筋、論理、あるべき姿などは考えず、ひたすら暗記をして人間が、社会の中堅になってきていること自体、非常に怖いことである。 戦後、教育をないがしろにしてきて、人間が壊れてしまっている。そんなことを感じる今日、この頃である。
2010.09.26
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(謝罪を求める中国にどう対処するか民主党政権) 尖閣列島問題で民主党政権は信じられない愚挙として、中国人船長を釈放した。しかし、中国政府はそれでは済ませず、日本に「謝罪」と「賠償」を要求してきた。こんなことは十分想定できることで、今の民主党政権なら、ここでも膝を屈し、中国に謝罪するのだろう。 尖閣列島は日本固有の領土である。敗戦で、アメリカ軍が支配した後、沖縄返還と一緒に尖閣列島も米軍が返還してきた。戦前、尖閣列島には日本の工場もあり、人も住んでいた。そこへ、中華民国の漁民が漂流し、日本が救助して送り返してあげた時、中華民国から感謝状も届き、それが残っている。 それが1960年代に、国連の調査で、この海域に地下資源が眠っていることがわかり、以来、中国が虎視眈々と狙っていて、大陸棚が続いているので、自国の領土だと言いだした。 今回、中国が船長の拘留延長の後、抗議行動をエスカレートさせ、フジタの社員4人の拘留、レアアースの禁輸など激しい行動に出たのは、日本の法律に基づいて、船長の処分を決めることを何としても阻止しようとしたのである。それを認めると、尖閣が日本の領土だと、中国が認めたことになるからだ。(原理原則を守り、貫くのが外交交渉) 国際政治や、海外との交渉にあたっては、こうした原理原則が何よりも重要である。そして、譲るにしても、こちらの要求も必ず、相手に受け入れさせ、双方の主張の中間で解決しないといけない。今回のように、フジタの社員の釈放も要求せずに、一方的に船長を解放するなど、信じられない行動である。 こうした信じられない行動が政府の決定から出て来るのは、戦後の教育で、国とは何か、国民とは何か、国旗とは、防衛とは何かというようなことを全部捨て、教えて来なかったことが大きな原因である。 よく日本人から出て来る話に、「自衛隊の戦艦を減らせば、福祉にもっと金を回せる」ということがある。これは車を持っている人が自動車保険をかけるのを止めて、無保険で車を運転しながら、乳母車を買おうという話である。 保険というのは、安心を買うための金を支払うものである。何もなかった時に損をした気持にある日本人は、何か起きた時に呆然として、保険をかけていなかった時に、悔やむ人である。意味が違うことを比較すること自体が間違いなのに、それがわかっていない。(歴史、国歌、国旗を無視してきた国) 君が代、国旗問題も同じだ。世界のどこの国に行っても、国歌や国旗に敬意を示すのは、その国民にとって当然のことで、それが嫌な人は、その国の国民であることを止め、他の国の国民になればよいと、世界のどこの国でも言われることだ。 だが、今の日本では、学校で教師が堂々と、国歌を歌うことや、国旗に敬意を示すことを拒否して、それで、何の罪にも問われないし、非難もされずに、生活をすることができる。その国を愛し、歴史を勉強し、外国人に聞かれた時に、国や歴史を語れる日本人は今、どれだけいるだろうか。採用選考で受けにきた学生に、日本の歴史について聞くと、大化の改新でも、忠臣蔵の意味でも、ほとんど説明できる人はいない。優秀な大学の学生でである。(歴史も童謡も知らない) 今の学生はGHQも知らないし、ABCラインという言葉も知らない。それどころか、江戸時代の林子平も鴨長明も本居宣長も知らない。名前くらいは知っている人もいるかもしれないが、どんな人で何をしたかは、100人の学生の中で、ほぼ100人が知らない。 小学校では、我々が習った童謡や小学校唱歌を今の子供はほとんど教えられていない。だから、「蛍」も「海」も「赤い靴」も知らない。横浜の山下公園で、赤い靴の銅像の前で、子供の銅像の話をしようとすると、「何それ?」と言われる。 おとぎ話も教わっていないから、因幡の白うさぎも知らないし、金太郎の話も知らない。おとぎ話は歴史的に事実が変形して語り継がれていることが多い。だから、おとぎ話はどこの国でも、親が子供、または、学校で教えるものである。でも、日本では教えない。(自国で防衛しない国を属国という) アメリカの属国になっていると、戦後の自民党政権を攻撃する人は多いが、自国の防衛を他国の委ねた国を、世界的には、独立国とは言わない。日本はまさに、アメリカの属国で60数年来たのである。 経済発展をし、戦後の貧しさから抜け出た時に、憲法を改正して、軍隊を持つべきだという主張が自民党から出されたが、社会党、共産党、学者、マスコミが猛反対したために、そうした試みは失敗し、相変わらずアメリカの属国の状態が続いてきた。 アメリカでは、軍人が海外赴任をする時に、その軍人が飼っている犬猫を、普通の民間人がその期間、代わりに飼ってあげるという制度がある。軍人の方も当然のように頼むし、民間人の方も「軍人は国ために海外に行くのだから、我々も支援しよう」という思いで、引き受ける。(「プレイベートライアン」の意味) 「プレイベートライアン」という映画があった。これは、男4人兄弟の3人が戦死し、残された1人も最前線で戦っていることを知った大統領など政府首脳が、残った男性ライアンを最前線まで行って救出し、少なくても息子の1人は親に残してあげようという話で、彼を救出するために編成された部隊のほとんど全員は死ぬ。 1人を助けるために、10数人が死んでも助けに行くという話自体、ナンセンスだと日本人の誰もが思うと思うが、それでも、それを実行するのがアメリカで、アメリカは国民1人と言えどもおろそかにせず、救出するというのである。 この映画はアメリカ政府や軍はあなたを見捨てないという偉大な宣伝映画である。でも、それを堂々と上映し、多くの人に見せ、それを見た国民が、また、国は自分たちの見守ってくれているという意識で忠誠心の育成になるということを理解し、映画は作られ、国民もそれを見るのだ。 今の日本では、こうした映画自体、ナンセンスだと思われ、企画にものぼらないだろう。しかし、国家や愛国心というものは、そうして教え、引き継いでいくものなのである。(レアアースも中国以外から入手できる) 今回の尖閣列島の問題が起きた時、中国人観光客が来なくなるとか、レアアースが手に入らなくなってしまう、どうしようというような反応があった。貧しくなれば、残飯でも拾って食べるというような習慣が日本人に身についてしまっているのだ。 レアアース、かつては希土類と言われたもので、レアアースや、レアメタルの問題は中国に依存しすぎで、経済安保上、問題だということは言われてきた。かつて石油危機の時に、中東に石油を依存しすぎはよくないということで、石油の輸入先を多様化したことがある。 希土類も一緒である。専門家に言わせると、世界でこうした土が取れるのは中国だけでなく他にもあり、1千億円くらいあれば中国依存状態から脱することができるという。不況であっても、こうしたことは真っ先にしないと、また、同じことが起きる。中国は味をしめたのだから。(かつては外国人が尊敬した日本人) リーマンショックの後、百年に一度の経済危機と言われる中、日本の企業は短期間で業績を回復した。その大きな原動力はアジア、中国への輸出である。日本を代表する企業で、売上高の3分の1が中国というような会社もある。 これなど、今回の尖閣問題がなくても、非常に危険な話である。アメリカ依存で大やけどをしたのに、今度は中国依存で、また、大やけどをしようとしている。 今の日本はかつて、沖縄が琉球の時代に、日本と中国の2つの国に貢物を出していた時と同じ状態である。両大国の顔色を見ながら、どうにかやっていく。日本がそんな国にいつなり下がったのだろうか。 織田信長の時代に、日本に渡ってきたキリスト教の宣教師たちが、日本人は文化のレベルも高いし、誇りも高い。礼儀もわきまえ、人間として、尊敬もできると書いている。 今回の尖閣列島の問題は、日本人にもう一度、国や防衛、領土などを考え直させるよい機会となる。それで、戦後ずっと、忘れてきたものを思いだし、再確認しないようなら、日本は京大の中西輝政教授が言うように、本当に「中国日本自治区」になってしまう。その瀬戸際に今、我々はいるのだ。
2010.09.25
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(信じられない中国人漁船船長の釈放) 尖閣列島で、海上保安庁の船に体当たりしたとして逮捕された中国人の船長が、処分保留のまま釈放された。政府は「那覇地検が決定したことで、政府は関与しない」としているが、そんなことを信じる人間は誰もいない。 そして、船長、船員の逮捕・拘束の後、中国が強硬に抗議し、レアアースの日本への輸出禁止をしたり、フジタの社員4人を拘束するなど、やりたい放題をしてきたことに、日本は屈したのである。今度のことは、日本は強硬に対応すれば、屈するのだということを世界に示したものである。 今回の事件は、発生時から、日本のマスコミでは、識者と称する人やテレビ番組の司会者が「日本は対応に慎重に」と言い続けていた。そして、今回の船長釈放でも、町の声が「日本の姿勢としてそれでよいのか」というのに対して、やはり、識者と称する人は「日本は面子や強硬論ではなく、より高い次元で大人の対応をしたのだと思えばよい」というようなことを言っている。(領土侵犯者は警告を聞かないと射殺は常識) 世界の国家間の問題が起きた時に、領土の問題は、戦争に結びつくし、領土侵犯者は警告しても言うことを聞かない時は、射殺してよいというのが、国際常識である。射殺をしろとは言わないが、世界では、そういうことだということを日本人は知らないと、対応を間違える。 何年か前に、アメリカのハローウインの時に、アメリカ人の家庭を仮装衣装で訪れた日本人留学生が、「フリーズ」という言葉でも静止しなかったとして射殺される事件があった。この事件は、米国の裁判では当然のように、射殺をした人は無罪となった。それが世界の常識なのだ。 戦後の日本では、敗戦の経験から、戦争を放棄し、防衛は米国に依存し、自ら血を流すことをして来なかったので、こうした問題にどんどん鈍感になってきた。国や家族を守るためには、何をしないといけないか。世の中にはルールを侵す人間や国家がいくらでもいるということすら、日本人や日本政府の頭からはなくなってきている。 だから、問題が起きれば、「話し合いで解決を」「話せば、理解してもらえる」というユートピア思想が日本には蔓延している。そうした姿勢だから、何十人、いや百人は越えているとも言われる、北朝鮮による組織的な日本人拉致も、まったく解決の糸口さえ見えない。(釈放するなら、最初から逮捕などするな) 今回の尖閣列島問題の日本政府の姿勢は最初から疑問だらけである。最終的にこれだけ腰砕けになるなら、最初から逮捕などすべきではない。自民党政権時代に金正日の長男が日本で見つかり、入国管理法違反で、拘束されかかった時、報告を受けた当時の田中真紀子外務大臣は、拘束せずに、国外に放逐することを命じ、さっさと長男を外国に出してしまった。 これはこれで、当時、警察関係者などが、拘束して北朝鮮と交渉すれば、何か日本も得ることがあるはずなのにと、文句を言ったというが、武力を持たず、相手ときちんと交渉する気持も心構えもない日本としては、田中氏がしたような対応しかないのだと思う。 そして、これであれば、政府間で今回のようにもめることもない。今回は拘束し、そして、話がどんどん大きくなっていった時でも、担当大臣や官房長官が「尖閣列島は日本の領土であり、国内法で粛々と対応する」と言っておきながら、最終的に腰砕けになって、船長を釈放という最悪の展開になった。恥を大きくしただけである。 民主党政権は、囲碁で言えば、一手、二手の先も読めない人たちである。Aケースならどうする。Bケースならどうするというシナリオさえ考えず、事の展開で驚き、慌てて、屈辱の決定をしているのだ。 これで、海上保安庁の現場は、まったくやる気を失うだろう。どんなに理不尽な領海侵犯があって、現場は怪我や死を覚悟して相手を逮捕しても、頭ごなしに政府が釈放してしまうなら、ばかばかしいから、何もするなということになる。これで、領土侵犯はどんどん増えて来るだろう。(トラブルは押し返して終わらせる) 今回のケースは国際世論に訴えるという作戦でも、日本政府はまったくお粗末だった。中国は、船長の実家を取材し、彼がいかに良い人物であるかということや、今回の逮捕で、祖母が死んだということなど臭いくらいに、お涙頂戴の話を報道し続けた。 これに対して、日本は、漁船が海上保安庁の船に体当たりしてくる映像を持っているのに、これを使おうともしなかった。中国が強硬な態度を示し始めた時に、さっとこの映像を公開していれば、流れは大きく変わっていたはずである。でも、民主党政権の姿勢は、「中国を刺激しないように」である。涙が出てしまう。 筆者は何も戦争しろとか、過激に戦えと言っているのではない。問題が起きた時には、落ちどころを考え、少なくても、自分たちに不利にならないようなところまで押し返して、終了させないといけないということを言っているのだ。今回の政府の対応では、そうしたことはまったく見えない。 今、発売の雑誌「ウエッジ」に京都大学の中西輝政教授が「今のままで行くと、日本は中国の日本自治区になってしまう」と書いているが、まさに、今回の民主党政権の対応は、この道への加速させたと言える。(何のための親米だったのか) 小泉元首相は、マスコミ的には、「格差を拡大し、失業を増加させた」、「米国ブッシュ大統領の忠実な番犬、ポチ」とか言われている。しかし、数字、データはまったく違うことを示していて、小泉元首相のしたたかさを示している。 まず、格差拡大、貧困拡大だが、小泉氏の在任期間中に、ジニ係数は縮小した。ジニ係数は格差を示す国際的な指標である。この係数は1980年代から2000年までずっと大きくなり、格差は拡大していった。しかし、小泉氏が首相をしていた期間は、ジニ係数は小さくなり、格差は縮小した。データが示す事実である。 また、彼が首相に就任した時は、ITバブルが破裂して、世界の国が不況に突き進んで行っている時で、日本も企業業績は悪化し、株価も大幅下落し、失業は増大していた。こうした中で、小泉元首相は、大幅な為替介入や低金利で円安を誘導して、企業の輸出を促進するとともに、規制緩和を行い経済を活性化させた。 このために、対米輸出が急激に増大し、日本は世界の先進国の中でいち早く、企業業績が回復し、それまで、年間50兆円水準だった輸出が80兆円へと大幅拡大した。輸出の最大のターゲットはアメリカである。これを実現するには、アメリカと仲良くし、文句を言われないようにしないといけない。 ポチと言われようと何と言われようと、輸出に文句を言われないといけない。そう思い、実行したのである。ところが、そうして、日本の経済を立ち直らせた小泉氏をマスコミは「日本を壊した首相」と書く。事実をまったく隠して、事実と違う宣伝をした。日本を壊したというなら、今回の民主党政権の方が遥かに日本を壊した。属国という、屈辱への転落の道への破壊である。
2010.09.24
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菅改造内閣で、長妻厚生労働大臣が更迭された。これについて、本人はかなり未練があるようで、更迭されたことが不満で、記者に「厚生労働省を改革しようとして、一定の成果が出始めていたのに更迭は残念だ」と語っている。しかし、これほど自分が置かれている状況を理解できない政治家も珍しい。(当初原案では、厚生労働大臣ではなかった) 長妻氏は消えた年金問題を指摘して民主党のスターになり、テレビなどマスコミにも多く登場し、民主党が自民党から政権を奪取する上で大きな力になった。しかし、それはマスコミが作り上げた虚像の部分が大きい。 政治家同士は互いに力がわかっているので、鳩山政権では、それだけ功績があった人だが、最初の人事構想では、厚生労働大臣ではなく、別のもう少し軽いポストを用意されていたという。 しかし、本人が鳩山前首相に副大臣でもよいからと、厚生労働省入りをねじ込んだので、まさか、スターを副大臣にする訳にもいかないので、大臣にしたという経緯がある。(役人の説明を理解できず、それで細かく指示をする) こうして大臣になったはよいが、官僚の受けは最悪だった。厚生労働省は年金問題だけでなく、医療問題もあるし、薬事行政もある。労働問題もある。官僚がそうしたことを説明しても、長妻氏は理解できないのだ。 わからないなら、それをある程度官僚に任せるか、副大臣など別の関係政治家に担当してもらうしかないが、自分が自分がという意識が強いので、人に任せることができない。かと言って、理解できないので、自分で抱え込むようなり、行政はストップ状態となった。 その癖、どんなことでも、官僚が逐一、自分に報告しないと、気がすまず、どうでもよいような細かなことまでも指示を出し続けた。あまりの厚生労働省の役人の評判の悪さに、驚いた民主党政権は前の鳩山首相の時代に厚生労働省の役人に、長妻氏のどこがどう悪いのかアンケート調査をした。 その結果、100%に近い役人が、彼の下では仕事はできないと答え、具体的なお粗末さを答えた。官邸はびっくりしたが、長妻氏は国民的にはスターなので、官僚から反発されているので、更迭しましたという訳にはいかない。 官邸は、それとなく、官僚とうまく付き合い、上手に使うようにアドバイスしたが、一向に変わらない。それは長妻氏サイドの大いなる勘違いがあるからである。 彼は、「自分は年金という厚生労働省の大きな問題を明らかにしたので、官僚は自分を敵視し、憎んでいるのだ」と思いこんでいる。今回の更迭の時でも、その思いの上での発言となっている。(改革派の役人の心をつかむことが大切) これは全く違うし、それこそ、空気読めないの典型である。マスコミは官僚は一枚岩のように報道しているが、それは違う。現状を守ろうという人もいるし、現状に危機感を持ち、改革したいと思っている人も結構いる。それを利用して、自分が出世しようと考えている人もいる。 だから、それまで、その役所を散々攻撃してきた政治家が大臣になると、局長、次官クラスは警戒するかもしれないが、味方をしてその省庁を改革しようという動きをする役人も少なからず出て来る。 菅氏が厚生労働大臣になった時、長年、役所が隠していた薬害エイズ患者のデータを見つけたのは、そうした改革したいと思っていた役人の協力があったからである。菅氏は少なくても、厚生労働省のそうした改革派の心をつかんだのである。 ところが、長妻氏に対しては、改革をしたいと思っている役人すら協力しようとは思わず、ほぼ、全員が即刻交代してほしいと答えたのである。いかに、人間として、政治家としての資質に問題があったかが理解できる。それに対して、朝のワイドショーで、みのもんたは「長妻さんには活躍を期待していたのに、なぜ変えるのか」と文句を言っていた。彼は会社を経営する人もでもあるのに、信じられない発言である。(一芸に秀でているから、他の分野もは間違い) 日本人は、誰かが何かで業績をあげると、その業績の評価ではなく、その人全体を高く評価するという傾向がある。その典型が、何かの専門家である人、法律の専門家の弁護士や、大学の教授、タレントをTVでその人に関係ないことにまで、コメントさせ、その意見をどんどん流すことである。 何かで優れている人は、他のことでも、それなりに見識があるであろうという考え方である。大学教授や医者など、高度の専門知識が必要な仕事をしている人なら、それ以外のことでも、理解でも、間違った発言はしないという前提なのである。 でも、それは全くの間違いである。医師や教授、弁護士としていかに優秀でも、専門以外分野のことはまったく駄目という人はいくらでもいるし、犯罪を犯す人もいる。(軍人恩給からスタートした年金制度) そもそも、長妻氏の功績とは何だったのか。彼は年金記録の杜撰さを国会で質問し、消えた年金として、マスコミが大々的に報道することで、スターになった。では、彼が質問するまで、誰も気がつかなかったのかと言えば、そうではない。関係者の間では周知の事実だったのである。 日本における年金制度は、明治時代の軍人に対する恩給からスタートする。それが戦後、公務員や一般会社員などにも広がり、今の国民皆年金制度へとなっていったのである。 そして、戦後、年金制度を作って行く上で、この軍人恩給を扱ってきた人たちが、その実務を担当し、特別領域となって、厚生省では、事務次官でも、口出しができない領域になっていった。 そして、年金が国民全体に広がって行く時に、当時はコンピューターもほとんどない時代で、全部手作業だった。また、企業が人を雇って、健康保険や厚生年金に加入させる際に、申請された名前をそのまま受付けざるを得ないので、架空の人はいくらでも存在したのである。(不可抗力なデータ未整備も多い) 戦後も大分経ち、コンピューターが普及し、色々な制度が整備されて行く中で、手書きの年金台帳の整備、コンピューター化は大きな問題となった。厚生省は決して効率的ではないが、次第にそれを行い、整理をしていった。 しかし、結婚して姓が変わった人は少なくないし、移転先が不明の人も多くいる。同姓同名の人もいる。加入者に連絡をとり、確認のできたものから、コンピューター化をしていった。だが、連絡のとれない人は多くいた。消えた年金問題の根の問題はそれである。 厚生労働省に限らず、役人は自分勝手をするし、放っておくと好きなことをやりだす。そうした意味で、役人に対する監視は極めて大切である。だが、マスコミや、それの影響を受けた世論には、ナンセンスであったり、時代背景を無視したものが少なくない。 年金の記録は、役所の不注意で消えたものもあるが、企業が本人からは給料から天引きしていて、役所には納めていないものも数多くある。また、姓の変更や転居で連絡がとれず、宙に浮いたものもあまたある。こうしたことを無視して、一方的に役所が悪いと責める論調はおかしいと筆者は思う。 だから、民主党政権になり、長妻氏が野党時代に、民主党が政権をとったら、1年位で、消えた年金問題は解決すると言っていたが、既に民主党政権になって、1年である。未だに、年金問題は多くが未解決のままで残されている。 鳩山前首相が、普天間の米軍基地を「できれば国外、最低でも県外」と言って、当事者の涙ぐましい努力で、やっと辺野古の海の埋め立てを代わりの場所にするということで、日米、地元が曲がりなりにも合意したものを崩した後、「政権をとってみて、これほど、米軍の存在を大きかったとは知らなかった」と言ったが、年金問題も同じである。(制度が悪いのではなく、問題は運用) 年金問題を整備していく一番の近道が国民総背番号化である。欧米では常識となっているこの制度は、日本では、マスコミ、一部の進歩的と言われる知識人などの反対で、実現できていない。だから、膨大な時間と金をかけながら、作業が遅々として進まないのだ。 世界の常識となっている国民総背番号化はこれからの社会で不可欠のものである。制度は必須である。問題が起きるとすれば、その運用においてである。役人は国会の議論でものごとが決まった後、法律を作っていく過程、また、法律を運用する上で必要な省政令の策定過程で、国会で決まったこととまったく異なる内容を盛り込んでくる。 今回のテレビ放送のデジタル化でも、NHKに受信料を払っていない人はNHKサイドで補足でき、受信料を払っていない人がテレビをつけると、テレビ画面に、それこそ、放送内容が見えないくらいに、「NHKと契約してください」という内容の文章がびっしり出る。デジタル化とまったく関係ないことが、こっそり役人の手で潜りこまされたのである。 役人は、法律や運用を国会の議論とまったく違う方向に行くようにしてしまのが、得意中の得意である。ここを監視し、違反者には罰を与えるということをしないといけないのである。今の日本の行政改革の議論は、ここが抜けていて、制度そのものだけを議論をしているので、結局はおかしな方向に向かっているのである。 話を内閣改造に戻すと、今回の閣僚の顔ぶれをみて、民主党には本当に人材がいないことを痛感する。民主党に政権を任せて、鍛えるという発想もあると思うが、今の日本にはそんな余裕はない。難破船になりそうな国をまったく航海技術や経験がない人が船長、機関士で船を操縦している感じである。
2010.09.19
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(予定通りの人事を、仕方なくと報じるマスコミ) 民主党代表に再選された菅首相が党の人事と閣僚人事を決めて発表した。その過程や決定した後の新聞、テレビの解説を見ると、本当にいい加減であり、かつ、小沢氏との対立を必要以上に煽っていて、報道を受ける人間の側が余程しっかりしていないと、振り回され、誤った認識を与えられてしまうと感じる。 まず、民主党の幹事長人事だが、菅首相が、旧民社党系の川端氏に就任を依頼して難色を示され、その後、何人かに話をもっていったが、いずれも受けてもらえず、仕方なく岡田氏に依頼し、やっと決まったというような報道の仕方である。 筆者は今リアルタイムで、この政局を取材している訳ではないが、この報道の仕方に大いに違和感を感じる。筆者の理解では、菅首相は最初から、岡田氏に幹事長の就任を頼むつもりだったのだと思う。 しかし、岡田氏は民主党代表選挙中でも、政治と金の問題で強制起訴される恐れのある人が代表選挙に出馬すること自体、いかがなものかと思うと発言するなど、反小沢の色彩を鮮明にしていた。その岡田氏にいきなり幹事長の就任要請すれば、小沢陣営の反発は必至で、それを和らげるために中間派などの人の就任要請をし、断られたのでやむを得ずという形にして、岡田氏に持って行ったと見るのがごく自然の見方であり、結果的に順当な人事で落ちついたということである。(対立を必要以上に煽るマスコミ) 菅首相は、一応の挙党態勢を心がけているということを示すために、小沢氏と興石氏に代表代行の就任を要請した。実権がなく、形だけの代行なので、両氏は固辞した。しかし、これも予定の行動である。双方が依頼があることも、依頼しても断ることも知っていてのセレモニーである。ただ、そのセレモニーは必要だから、両サイドは淡々とそれを演じた。 ところが、マスコミの報道は、会談はわずか10分であり、突っ込んだやりとりをする時間もなかったと報じる。最初から、両サイドとも、突っ込んだやりとりをするつもりなどなく、セレモニーをしたと書くのでは面白くないので、そうした書き方をする。 そして、小沢サイドの過激な発言をする議員にコメントを求める。その議員は、予定されたように過激な発言をする。予定通り、シナリオ通りの話がとれたとばかりに、そのVTRをテレビは放送する。そして、「ほら、こんなに両派は仲が悪く一触即発なのだ」とコメントするのである。 両派が全力で代表の座を目指して戦って、まだ、その余韻が残っているのだから、確執や怨念がないと言ったら嘘になる。しかし、マスコミが煽って書くほど、両者の力関係が拮抗していて、口もきかないというほど険悪ということでもない。それを対立は決定的と言って、煽るのである。(「格差を拡大した小泉」の嘘) マスコミはキャッチコピーが好きである。対立の図式も好きである。それがまったくの嘘でも、百回マスコミが言う内に、その嘘が真実のように定着してきて、国民の多くが信用するようになる。そして、間違った事実認識で、選挙などでの行動になっていく。とても、怖いことである。 わかりやすい例が「格差を拡大し、貧困を拡大した小泉政権」というキャッチコピーである。朝日新聞が書きだし、それを多くの政治家、評論家、学者、コメンテーターが何回も言う内に、あたかも真実であるかのように定着してしまった。 しかし、これはまったくの嘘である。豊かな人と貧しい人の格差がどれだけあるかということを示すジニ係数というのがあり、OECDなどがそのデータを公開している。日本は、小泉氏が首相になる前の1980年代、90年代と格差はどんどん拡大していった。 だが、小泉氏が首相に就任し首相にいる間、ジニ係数はどんどん下がり彼はその5年間の在任期間に、格差を縮小したのである。また、彼は、今回、菅政権が切羽詰まって行った為替介入を大々的に行い、円安誘導を行った。当然、企業の輸出は大幅に増え、彼の業績で企業業績は向上し、それとともに、株価は急激に回復し、失業率も大幅に低下した。それが事実である。 それを小泉憎しの思いから、「格差を拡大し、貧困を拡大した小泉」というキャッチコピーで小泉氏を攻撃し、更に、その後継の自民党の首相を叩きまくり、民主党政権誕生に最大の原動力になったのはマスコミである。その結果は、どうなったかは、この民主党政権下の1年が示している。まさに、害悪を振りまいているマスコミである。(国民を誤誘導するマスコミ) 筆者は小泉氏の信奉者でも何でもない。彼の治世には、誰でもそうだが、問題も当然あった。しかし、世界的に見れば、彼の治世5年は非常に高い評価を得て、株価も上昇し、失業率も低下した。 彼は5年経っても、まだ人気があり余力もあった。続投を求める声も多かった。しかし、彼は続投を選ばずに、退任した。なぜという心を彼は明かさないが、筆者は、自分を攻撃し続けするマスコミ、学者、そして、それを信じる国民に嫌気をさし、もういいよという思いで、政権の座から退いたと思えてならない。 マスコミは、権力者を批判し、チェックするのが仕事である。だからと言って、自分の好き嫌い、利害で、事実を捻じ曲げ、国民の間違った情報を意図的に与える権利はないし、それは自殺行為である。今の日本のマスコミは、その自殺行為を続けている。そして、それを誰も非難しないし、止めようともしない。 新聞やテレビが大合唱を始めると、国民は1つの方向に簡単に誘導されてしまう。そして、そうした時は、国民や国家が非常に危険に晒されることになる。それは、太平洋戦争で嫌という程、日本人は経験済みである。一番、戦争を煽り、国民を戦争に駆り立てて、朝日新聞が、今、そんなことは知らないとばかりに、正義面をして、原稿を書いている。(小沢派の面々の顔つき) 筆者は、ずっと書いているように、民主党政権は早晩行き詰まると考えている。政権能力はないし、ビジョンもない。官僚が「自民党時代よりも好き勝手ができる」とばかりに、本当に喜び、好き勝手を始めている。 ただ、その菅首相でも、金の亡者、権力志向の極めて強い小沢氏よりは増しだと思う。彼は、まだ、人の意見を聞く耳を持つし、批判されれば、立ち止まることもする。しかし、小沢氏に権力を与えたら、彼は誰の意見も聞かないし、途中で止まることもしないので、日本は破滅の道を突っ走っていたことだけは確かである。 それにしても、小沢陣営として、テレビに顔を出す人のひどさ、気持ち悪さは何とも言いようがない。過激な発言をする小沢派の男性議員は、山岡氏を初め、松木氏も誰も、顔つきがギラギラして、いわゆるヤクザ顔である。金の権力のためなら、何でもするという感じである。 更に、小沢ガールズと言われる女性議員は、自分がテレビに出て、国民にどう見えているか、自分で考えたことはないのだろうか。小沢氏および、その秘書との密会を週刊誌に書かれた青木愛氏を初め、権力と金のためなら、何でもしそうな顔つきだということを示している。 顔そのものは、確かに美形かもしれない。しかし、気を許せば、刺されかねないというタイプである。それが顔に出ている。彼女たちがテレビに出れば出るほど、そのアコギさが見え、支持者が減っていくということを考えないのだろうか。 そして、何よりもそうした同じようなタイプの人間を次から次と見つけ、それを国会に送り出す小沢という人は、本当に人を見る目がないとしか、言いようがない。自分が人からどう見えているかという発想がないのではないか。 筆者は長年、記者をしてきたので、数多くの人を取材してきた。そして、今は、人事採用担当として、毎年何千人の学生と面接をしている。その体験から、人は顔を見れば、美醜ではなく、その人の性格、生き様が概ねわかる。顔を見て、一言、二言話をすれば、わかる。そして、その判断は9割はあたっている。その体験からして、小沢支持の議員の顔つきは男性も女性も最悪である。 小沢氏も完全に悪人の顔である。心穏やかな人はあんな顔つきにはならない。手相見ではないが、顔はその人の人格を表している。そして、その悪人に200人もの国会議員が投票をする民主党という政党を支持する国民についても、筆者は理解できない。
2010.09.17
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民主党の代表選挙はご存知のように、菅首相が小沢氏に圧勝した。これで、金権政治家で、利益誘導の典型である小沢氏が勝つという悪夢は避けられた。しかし、円高対策1つを例にとっても、菅首相が今の日本の危機の時に何をしようとしているかが見えず、日本は未曽有の危機状態であることに変わりはなく、民主党政権がメルトダウンの秒読みであることは間違いないだろう。(国会議員200人が小沢氏に投票の非常識) それにしても、代表選挙で国会議員の半分が小沢氏に投票した。新人が多く、選挙で小沢氏に世話になったという人が沢山いるということを割り引いても、200人の国会議員が小沢氏に投票するということは全く信じられない。民主党の国会議員の質がいかに低いかという表れである。 小沢氏については、国会議員を引退した野中広務氏が月刊文藝春秋で、「悪魔が来りてホラを吹く」というタイトルで原稿を書いている。京都の町会議員、町長、府会議員、副知事を経て、国会議員となり、政界の実力者として、裏の裏まで知り尽くした人物が雑誌上で、小沢氏について様々なエピソードを書いている。 野中氏は小沢氏以上に剛腕として知られた人だが、嘘をついたり、ないことをでっちあげるような人ではない。政界の引き際も立派だった。その野中氏が書いている内容は、筆者が知っていることもあるが、知らないこともいくつもあり、しかも、その内容が凄まじい。(クェート援助支援金数千億円を着服) 読まれた人もいると思うが、そのいくつかを紹介したい。イラクがクェートに攻めこみ、世界諸国がクェートを助けるために救援軍を送り、日本も1兆3千億円あまりという巨額を拠出した。ところが、これが実際には相手に1兆円しか渡っていないという。つまり、3千億円あまりが行方不明だというのだ。当時、その金を扱っていたのが小沢氏である。 小沢氏は新進党や自由党の解党の時に、党に税金から渡された交付金が行方不明になり、小沢氏が着服したというのが政界の常識であるが、これは数億から十数億の金額である。しかし、クェートの時は行方不明の金額が数千億円と目がくらむような巨額であり、桁が違う。 また、沖縄の普天間の米軍基地の移転が大きな問題となっているが、その移転先の候補地に、小沢氏が色々と土地を買っていることも明らかにされている。沖縄県民の重大問題に関連して、それで金を儲けようとしているという話は、政治家として信じられない。 かつて、成田空港や関西国際空港、更に道路建設などで、候補地に政治家が先行投資で土地を買いまくり、それで金儲けをしたという話はいくらもあった。その多くは旧田中派に関連するものである。小沢氏は旧田中派の直系であり、まさにその手法を沖縄の基地問題で使っているということである。 他のことはともかく、この2つの話は政治家という以前に人間として、人間以下の行動である。もし、これが事実でないと小沢氏が言いきれるなら、名誉棄損で訴えるべき内容である。でも、小沢氏はしないだろう。なぜなら、野中氏は自信に満ちて原稿を書いている。裏付けとなる証拠を持って書いているという印象である。(大恩ある人を見舞わない人間が信用できるか) 筆者が小沢氏を人間として、まったく評価しないのは、長く行をともにした腹心、同僚がことごとく愛想をつかして、小沢氏のもとを去って行っていることである。 また、小沢氏が実力者になるにあたって、小沢氏を強力に引き上げ、支援した大の恩人である金丸信氏が脱税で逮捕された時、それを支援せず、むしろ、逮捕の方に持って行ったこと、そして、逮捕された金丸氏を一度として、見舞いに行かなかったことである。 筆者が親しくしていたある有名な企業経営者が刑務所にいる金丸氏を見舞った時、金丸氏は見舞いの礼を言うとともに、「小沢は一度も見舞いに来ない」とこぼしていたという。人間、失意の時ほど、その回りにいる人の真の心が知れるという。小沢氏は金丸氏から受けた大恩からすれば、誰よりも真っ先に見舞いに行かないといけない立場にいる人間である。 今回の野中氏の原稿では、小沢氏が金丸氏の見舞いに行かなかったことは書いているが、それだけでなく金丸氏の死後、小沢氏が墓参りをしないだけでなく、金丸氏の死後、追悼で出された本に寄稿を依頼したり出版記念パーティーへの出席を頼んだりされたが、いずれも断ってきたことを書いている。 政治家としてどうのこうの以前の問題として、人間として、信用できない人に、人の心がわかる政治などできる訳がない。小沢氏にあるのは、政治家として、いかに金儲けをし、権力を手に入れるかである。こうした人間に、200人の国会議員が首相にしようとして投票したのである。 もっとも、当初、国会議員では、小沢氏が6,7割を押さえていると報道されていた。それが、国会議員でも、菅氏が僅差でも勝ったということは、少しはましなのかもしれない。 今回の代表選立候補について、野中氏は「追い詰められての立候補であり、政治家として自滅の道を歩き出した」という趣旨のことを書いている。選挙結果が出る前の原稿であり、結果を見ても、まさにその通りの様相である。(何もできない無策が続く民主党政権) 小沢氏の話はこれくらいにして、勝利した後の菅首相を中心とする民主党政権が何をするかが大きな問題である、今の日本の状況からすれば、子供手当や農家の戸別補償などをする余裕はないし、政策としても、優先順位がずっと下のことで、まずは、今の円高対策、景気対策をしないといけないのだが、今の進み具合をみると期待薄である。 公明党の元書記長、矢野絢也氏が雑誌上で、「民主党にこれほど、政権能力がない未熟な政党であるとは思わなかった」と書いているが、筆者は野党時代からの言動からして、民主党に政権能力はないとずっと言い続けてきた。マスコミも国民もなぜ、これくらいのことがわからなかったか、今でも理解に苦しむ。 民主党が政権をとって、過去1年くらいと、これからの1、2年は後世の歴史家が日本にとって、最悪の無策時代と評する時代になると思われる。緊急対策が必要な時期に、日本にとって、本当に不幸なことである。しかし、これも国民が選んだことである。間違った選択をした以上、そのツケは国民が自分で甘受するしかない。 まずは、市場は菅政権が何もしないということを見越して、15年ぶりの1ドル=82円台になった。無策が更に続けば、円高は更に進み、企業の海外進出は更に進み、日本で働く日本人には、仕事が奪われる状態が進んでいく。(尖閣列島問題は試金石) そして、尖閣列島をめぐる中国漁船の扱いが菅政権の試金石であると考える。中国はベトナム、フリッピンなど多くの国と領土紛争をしている。そして、相手が弱い、弱腰だと見た場合、武力を背景に、自分の主張を強引に通している。こうした国には、毅然とノーという姿勢が必要なのに、日本の姿勢は弱腰そのものである。 そもそも、夜中の零時に呼び出しをされた大使は、ノーを言わないといけないのに、言われるままに出かけていった。政治的に非常にデリケートで、重大は判断が必要な国の大使に、経営者OBを送ること自体大きな間違いである。 丹羽氏は経営者として会社を改革した人である。また論客であることで知られるが、そうしたことと、大使の実務はまったく別の能力である。大使の辞令発表があった時にあきれたが、案の定重大事案に立ち往生である。 中国の共産党の機関紙系列の雑誌で、沖縄や日本領の南の諸島は中国の領土だという主張が掲載され出したいう。中国や韓国に気を使い、話せばわかるという姿勢で対応してきたことが、逆に相手をより強気にさせた象徴のような出来事である。国と国の争いは話せばわかるというものではない部分がある。時には強い姿勢が必要だが、民主党にそれができるとは思えない。多くの資源があり、漁場としても、豊富な資源に恵まれた場所が中国に奪われていこうとしている。
2010.09.15
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(先進国の中で、一番低俗な日本のテレビ番組) 地上波の日本のテレビ番組を見ると、とにかく、お笑いタレントのオンパレードである。司会だけでなく、並び大名と言われる並んだ席で、司会者に振られて何かコメントをする人もお笑いタレントと、何も特に芸はないがテレビによく顔を出しているテレビタレントだらけである。そして、リポーターもこうした人が務めている。 今の若い人は、こうした番組を見続けていて、それが普通だと思っているかもしれないが、日本でも、少なくても10年前はこうではなかったし、欧米の主要国に旅をすると、こうしたシーンはほとんどなく、日本のテレビ番組の低レベルに気付かされる。 日本に来た外国人がホテルなどで日本のテレビ番組を見て、言葉はわからなくても、どういう人が出て、何をしているかは大体わかるので、それを見て、「これだけ技術や教育が進んだ日本で、どうして、これだけひどい番組を流しているのか」とよく質問してくる。 日本のテレビがこのようになってきたには理由がある。それは日本のテレビ局、いや、日本企業社会が抱えている大きな二重構造があるのである。(高収入で何もしない人がゴロゴロ) 東京や大阪のキー局と言われ、その制作番組を全国に流している放送局の社員の給料は高いことで知られる。女子アナで入社、数年の人は年収が1千万円になり、社内には、部下を持つ部課長職の管理職でなくても、ほとんど仕事らしい仕事をせずに、年収1500万円以上の人はゴロゴロしているという状態である。 かつてのバブル時代や高度成長時代なら、それも半分理解できなくはないが、今は不況で広告収入が激減し、赤字のテレビ局が増えてきているのに、そうした状態が続いている。一度高くした給料を下げるのは至難の技というのが人事の世界の常識である。 そうすると、どうするか。番組の制作費をカットするしかない。放送局の番組制作は社内ではほとんどしていない。下請けのプロダクションが企画、取材、制作をほとんど行い、最後の事前収録段階で、テレビ局のディレクターが立ち会い、その目の前で番組が収録される。余程のことがない限り、その段階で、テレビ局が文句を言って作り直しをすることはない。 こうした下請け制度は別にテレビ局だけではなく、自動車や電機業界でも、建設業界でも、広く日本社会で行われている。今は流行らなくなったマルクス経済学でいうところの、「日本経済の二重構造」である。 しかし、自動車や電機、建設など他の業界では、トップの企業が大きければ、一次下請け、二次下請けといわれるような会社も上場企業で、それなりの配分がされている。ところがテレビ業界はまったく違うのである。(制作費1億円で、制作会社には5百万円) ねつ造、やらせなどで問題になった「あるある大辞典」という番組では、その後、なぜ、そうしたことが起きたかが検証された。そこで、凄まじい下請けの実態が浮き彫りにされた。 スポンサーだった自動車会社は番組の提供料として、1億円を支払っていた。しかし、番組を全面的に下請けして、取材から制作まで手掛けていた会社に渡されていたのは、たった5百万円であった。 テレビの制作費、取材費は交通費も、宿泊代もかかる。取材をするのには、ビデオカメラを担いで取材するカメラマンの他、ライトマン、音の収録係、取材ライターなど多くの人が現場に行く。事前リサーチで取材し、データを集め、面白いと思った内容を、今度はカメラをもっと再度取材に行く。 そして、収録した膨大なビデオを今度は細かく編集して、番組に作り上げて行く。編集マンは別の人で、専門家がこれにあたる。また、放送の際の字幕処理なども、これはこれで別の担当者が必要である。こうした膨大な作業の末に、番組が出来上がるのである。 業界に関係ない普通の人には、数字感覚が理解できないかもしれないが、人気のある報道番組できちんと取材すると、10数分の取材企画で、数百万円の費用がかかる。そういう中で、50分くらいの番組を取材、制作して5百万円となったら手抜きをするしかない。(芸なくテレビ常連で年収数千万円) 普通にきちんと取材をすれば、大きな費用がかかる。スタッフも何人も必要だし、時間も手間もかかる。ではどうしようか。そこで、外に取材に行かずに、社内で済ませようということになる。スタジオは会社のものだし、それを使うのだから、経費はほとんどかからない。 今度は出演陣である。司会者がいて、少し名の通ったゲストコメンテーターと言われる人が、何人か出演して、司会者の説明や質問にコメントをするというスタイルで1時間番組に出た場合、その出演者には、特別料金の人は別として、通常は1人あたり、手取り(税抜き)で7万円から10万円くらいが支払われる。 リハーサルを含めると、1時間番組でも、1時間半から2時間は拘束される。それで、7万円は安いと思う人もいると思うが、テレビによく顔を出すタレントは、月にそうした番組に何回も出る。1週間に1回放送される番組にレギュラーで出ていれば、月には4.5回だから、1回7万円で月額30万円にはなる。 いくつかの番組からお声がかかってくるタレントは、月に百万、2百万円という金額になる。年収はあっという間に、千万円単位になる。別にテレビドラマや映画に出ている訳ではなく、別にこれという芸がある訳ではないタレントがよい生活をしているのは、こうした事情があるからである。(無料出演でも顔が売れるという発想) しかし、特に芸のない人、特に頭の回転が優れてよい人でないと、何回出ても話は一緒で、視聴者から次第に飽きられてくる。そして、1人7万円でも、何人か出れば、月にすれば、一定の金額になる。 そこで、目をつけられたのが、無名とか、ほとんと知名度のない、お笑いタレントである。一応お笑いとして練習もしているし、とっさに何かを言うことも始めてではない。何もできないで、名前だけ知られているタレントよりは、テレビ局側も気軽に使いやすい。 少し有名になると、タレントの方も、何かをすることを指示されても、例えば、何かを食べろと言われても、何かわからないものは食べたくないというような反応になる。これに対して、無名に近いお笑いタレントは指示されたことは何でもする。話も自分でオチまで考えている。余程使える。 こうしたタレントは、プロダクション側は、売り出すのに懸命なので、出演料は7万円など要求しない。千円単位でよい。場合によっては、無料でもよいという対応になる。テレビと言うのは不思議な媒体で、何もない人でも、テレビに何回も出ている内に、顔が売れてくる。そうすると、他から仕事が来るようになる。 だから、出演料は無料でも、広告料だと思えば、とにかく、出る方が得だという考える人も少なくない。NHKの紅白歌合戦が他局の歌番組に比べて、ずっと安い出演料で歌手を出演させているのは、紅白に出たということで仕事が来るということを出演者もNHKも理解し、暗黙の合意ができているからである。(CS番組視聴者が急増) 最近、テレビ番組でクイズの番組が多い。クイズを出題し、並び大名のタレントがそれに答えていくという番組である。このクイズ形式は、視聴者も参加できるし、知識が得られるというので、一定の視聴率もとれる。 そして、放送するテレビ局にすると、本や資料を少し調べるだけで、制作費はほとんどかからないから、非常に安く制作ができる。その結果、クイズ番組ばやりということになってしまっている。 最近、東京のフジテレビで朝の奥様向け番組で、究極の手抜き番組が登場した。それは、10時くらいから始まるのだが、内容は、今日の朝のワイドショーで、どの局は何を伝えましたというように、それぞれの番組で放送された内容を紹介していく番組である。 司会者はテレビ局の局アナの男性がして、並び大名は3人。少し顔が知られているテレビタレントやテレビによく顔を出すが、別の仕事をしている人である。3人への合計20万円くらいに出演料を除けば、費用はほとんどかかっていないという番組である。 筆者は、お笑いタレントを中心に、スタジオで並び大名がコメントする形式の番組だらけの日本のテレビ番組は、テレビ局の自殺行為だと考える。自分たちは腹一杯に、たらふく高いビーフステーキを食べながら、視聴者には、100円ショップの品物を見せているような感じである。 日本のテレビ番組がひどいと言われ出して少し経つが、次第に視聴者のテレビ離れが起きてきている。アメリカのテレビドラマや、CNNなどの報道番組を流すCS放送の視聴者が1千万人を越え出したという。当然である。番組作りにかける費用が違う。当然、作りの丁寧さは全く違う。筆者もそうだが、日本のテレビの地上波をほとんど見ないという人が増えている。 それでなくても、ネットとの競争に負けて、大変だと言われるテレビ局は、近い将来、大きな改革をしないと、テレビ局という仕事の仕組み自体、何かということが問われるようになってくると思う。
2010.09.11
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(自分が都合がよいように記者に原稿を書かせる役人) 「大学卒業者の4割が就職できない」という情報が大きく取りあげられ、今の不況の深刻さを表す現象として、色々なところで話題にとりあげられている。そして、政府も大きな予算をつけてこの問題に取り組むと報道されている。 しかし、事実と大きく違う。今は役所が調べた様々な情報がネットでも公開されているし、独自に調査をした大学の教授や情報会社のデータなども公開されている。こうしたデータを調べてみると、実態が見えて来る。 大学生の就職の話は、文部科学省が発表したデータによると、今年の春、大学の学部を卒業した学生(院生を除く)は54万1千人で、その内、就職をした者は32万9千人で、就職率は60.8%である。 このデータをもとに、役所は不況で学生が就職できない大変だと騒ぎ、テレビなどもさかんに4割の大学生が就職できない異常事態ととりあげ、案の定、厚生労働省や文部科学省は対策予算を要求という記事となった。 しかし、だから、40%の大学卒業者が就職できないから、大事件、かつてないことだという話が違うのである。(大卒者の3割は就職を希望しない) まず、大学を卒業しても、自分の意思で企業や役所などに就職しない者が多くいる。大学院に進学する者もいるし、自分の親の家業を継いだり、手助けで家に入る者もいる。企業就職は嫌だと考え、自分の意思でフリーターになる者もいる。 そもそも、今に始まったことではなく、過去もずっとそうだが、大学の学部を卒業して就職を希望する学生は、卒業者の7割程であり、約3割の人は就職をしない。だから、卒業者54万千人を母数でものを考えてはいけないのである。 今年の3月卒業者の場合、文部科学省、厚生労働省の共同データだと、就職希望学生は35万8千人である。大学の学部卒業者で就職を希望した者は全体の66%くらいなのである。 では、それ以外の人は何を希望し、どういう道に進んだかと言えば、大学院に進んだ者が7万2千人、医師で臨床研修に進む者、専門学校に進学した者などが2万2千人などとなっている。就職も進学もしないフリーター、プータローになった者が10数万人いる。(勉強をしなくても、入学、卒業をさせてくれる大学) 毎年、何千人の学生と面接などで接していて感じることは、大学にほとんど行かない者、大学には行っているが、就職する気がほとんどない学生はかなりいる。自堕落な生活をしている者、ほとんど何も考えていない学生が多い。 それはそうだろう。今は高校から大学に進む人は5割いる。中学の授業にすら満足についていけなかった者が大学に進むのだ。授業がチンプンカンプンでついていけないし、自分自身、勉強したいという意欲もないので、授業に出ていない者は少なくない。 それでなぜ、大学に進学できるかと言えば、今の大学生の5割が推薦入学か、AO入試という名の推薦入学だからである。大学も少子化で、トップクラスの大学を除くと、大学生の数の確保に苦労している。だから、推薦入学でとにかく、学生を確保しようと躍起なのだ。 大学に入って、中退すれば、卒業者にカウントされないが、今の大学はほとんど大学に行かなくても、卒業させてくれるところが大半である。 筆者が採用を担当している会社は他社と同様に、説明会参加希望者にはWEBでテストがあり、合格した人が説明会に参加する。大学はMARCH以上、大半が早慶、関西なら関学、同志社、および国公立大学のレベルである。 その学生に中学レベルの試験問題を出して、ほとんど解けない。「掃き溜めに( )」で、括弧を埋めてくださいという問題を出して、「鶴」「ツル」と書く学生は5%くらいである。 企業にもっと大学生を採用しろというが、こうした学生を採用しても、仕事にならないから、中でも少しましな学生をとどこの会社も考える。採用したくても、採用に値する学生が本当に少ないのだ。(多くの学生が秋から年明けに内定を得る) 大学生の就職率の話に戻すと、実態は、就職を希望する学生の内、91.9%が就職ができているのである。そして、就職がいつ決まるかということだが、バブル時代のように余程の好況時は別として、4年生の10月1日の時点で、内定を得ている学生は過去20年くらいで6割くらいである。 大手企業の採用内定のピークは4月からゴールデンウイーク明けにかけてである。優秀な学生は概ねこの時期に内定企業を得て、就職活動を終わらせる。 10月1日という日は、企業が内定者を集めて、内定式を行う日であり、大手企業はここで採用活動を事実上終え、次年度の学生に対する活動に切り替わる。しかし、この時期に就職を希望する学生の4割が就職が決まっていないのだ。それは過去20年程ずっとそうである。 偏差値が高くない大学の学生、優秀でない大学生でも、就職活動を始めて、しばらくの間は、超大手企業、有名企業を目指すから、当然、内定はとれない。しかし、内定企業がなく、10月位になると、さすがに自分を知り、目線を下げ、中堅企業を目指すようになるので、内定が出て来る。 10月時点で内定を得ている学生が6割だったのが、12月には70%台になり、2月になると、80%台になる。そして、4月1日の入社日には90%台の人が就職先が決まるのである。だから、現時点で、大学4年生で内定がなくても、あせることはないのである。(問題が多い、記者クラブ制度) 役人が情報、データを自分たちに都合がよいように加工して、マスコミ流し、マスコミもその通り書くということを書いたが、なぜ、そうなるかと言えば、それは外国にはない日本独特の記者クラブが大きな原因である。 新聞社の記者は役所、政府が発表するデータ、情報をほとんどそのまま原稿にする。日本は世界の他の国にはない独特の記者クラブ制度というものがあり、全国紙は全部、主要地方紙、通信社、NHKは役所の中に設けられた記者クラブに毎日常駐し、ここを拠点に取材活動をし、原稿を書いている。 その結果、役所の発表する情報は、朝日、毎日、読売、日経などが同じ席で聞き、クラブに戻って記者同士がどうかくか、相談したりした上で、原稿を書く。当然、ほとんどの原稿が同じ内容、トーンになる。 NHKを除くテレビ局は、記者はクラブに配属されているが、人数が少なく、歴史的にも、13社会という主要新聞社、通信社が入っている記者クラブに入れてもらえなかったということもあり、原稿は通信社からのものを受け、それを報道する。 地方新聞社は、原稿はほとんど通信社のものを受けて、それをニュースとして報道する。結果的に、日本では、新聞もテレビも同じ内容、トーンで情報が流される。 欧米ではこうした記者クラブ制度がないので、新聞もテレビも扱う情報が様々である。大手の新聞社の一面の記事は各社でバラバラである。しかし、日本では各社ほとんど一緒の記事となる。その理由は記者クラブにある。(マスコミと小泉元首相が衝突した理由) 記者クラブは13社の特権となっていて、それ以外の新聞社、テレビ局、雑誌社、フリーのライターなどは記者会見に出席できない。これはおかしいと、特に外国の報道機関が文句を言って、少しづつ開放されてきたが、共同記者会見は一緒だが、その後の、幹部の懇談による解説などは、相変わらず13社に限定されていることが多い。 だから、懇談で裏事情を説明されて、原稿を書く日本の新聞社と会見だけを聞いて、建前の話で原稿を書く外国の通信社のニュースが全く逆のトーンになることもしばしばあった。外国から非関税障壁と常々批判されることである。 にも、かかわらず、ずっと記者クラブ制度が続いている理由は、役所や企業にとって、この記者クラブ制度は世論形成の上で都合がよく、便利だからである。13社にとっても、利権なので、当然と思い、特権を放そうとはしない。 この問題におかしいとして、13社や地元新聞社だけでなく、会見や面談を広く公開した、田中康夫長野県元知事はマスコミの集中放火を浴びた。 歴代の首相、大臣、政治家はこの13社を特別扱いし、便宜を与え、特ダネも提供してきた。しかし、記者クラブではなく、直接国民に話しかけ、語りかけ、人気を博したのが、小泉元首相である。 怒った13社が小泉攻撃を徹底して行った。しかし、小泉という人は庶民の心を把握していたので、マスコミが叩けば叩く程、逆に国民の支持を得た。マスコミが抵抗勢力となったのである。その事情は、上杉隆氏の著書「小泉の勝利、メディアの敗北」に詳しい。 しかし、小泉氏が退陣した後、その後の自民党の首相は、小泉氏程の能力がなかったし、自民党憎しで固まっていたマスコミ、特に大手新聞社はその後の自民党政権を叩きまくり、民主党政権誕生につながってのである。
2010.09.08
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(剛腕独裁者を国民が選んだ国が辿った道) 民主党の代表者選挙は選挙戦真っ盛りだが、小沢氏支持を言う有権者の理由として、現在の閉塞感を小沢氏なら何とかしてくれるのではないかという、剛腕期待が多い。 しかし、現状は閉塞状態で、それを打破するために、剛腕を期待するというのは、歴史的にみると、ドイツのヒットラーなどのように、独裁者への道である。 独裁者はヒットラーも、インドネシアのスハルトも、フィリピンのマルコスも初期の頃にはよい政策をとったりしている。しかし、独裁者の回りには次第にイエスマンが集まり、本当の民衆の声が独裁者に届かなくなる。 そして、周囲の人間が独裁者に怯え、イエスマンになり、また、時には権力者の威光を利用して、自分も権力のおこぼれにあずかりたいということになる。結果的に、状況は前よりも悪化して、最後は国がガタガタになり、国民が塗炭の苦しみを味わうという最悪のケースを迎えるというのが歴史的事実である。(日本は与えられた民主主義の悲劇) 何回も書いているが、民主主義は最上の制度ではない。最悪を避けるためのベターの制度なのである。そして、それを維持していくためには、時間も金もかかる問題点が多い制度である。 しかし、それでも、最悪の独裁者よりはよいということを認め、ほとんどの先進国が採用している制度だということを認識しないといけない。 先進国の多くが、民主主義を民衆の王権などへの闘争で勝ちとってきた。だから、問題のある制度だが、自分たちが血みどろの闘争の中から手に入れて来たベターの選択であるということを多くの国民が理解し、努力して、それを支持し、維持している。 ヨーロッパの主要国では、封建王政に対して、まず貴族が不満を持ち、王権との権力闘争に勝ち、自分たちの意見が通る制度に変えた。イギリスでは貴族たちが自分たちの主張を認めない王を殺害し、言うことを聞く王族の人間を連れてきて、王に据えたりしている。しかし、それでも、それは貴族の民主主義でしかない。大衆、民衆がやがて貴族民主主義に不満を持ち、更に貴族民主主義を打破する市民革命を行い、現在の「主権在民」を勝ち取ってきた。 日本はどうかというと、明治維新は下級とは言え、士族が起こした革命であり、ヨーロッパでいう「貴族革命」なのである。欧州では、その後に、フランス革命のような「市民革命」が起きている。ロシアでも皇帝一族は民衆を代表する形の共産党に殺害されている。 ところが、日本では、明治維新による貴族革命の時代が太平洋戦争の敗戦まで続いた。そして、戦争に負けて、日本を占領したアメリカ軍、GHQが日本の軍の解体、財閥解体などを行い、民衆の力による革命ではなく、占領軍が上から与えてくれた民主主義を国民は手に入れたのである。 血みどろの闘争で手に入れたものではないので、民主主義とは何かということの根本を理解せず、相変わらず、お上意識が強い人が多い。自分が行動して投票行動で国を変えていくという態度ではなく、行政や政治に依存し、その行動が問題だと、不満だけを言うという人が多い。(小沢首相は戦争への道もあり得る) 結果、県知事選挙が30%台というようなことになってしまっている。マスコミのインタビューでも、「どの政党が政権をとっても一緒」という、無責任な評論家的な発言になる。 だから、今回のように、自民党から民主党に政権が変わり、更に、その民主党がお粗末だと、自分が動くのではなく、誰かに何とかしてほしいという発想になり、独裁者の剛腕期待というようになってしまうのである。 でも、それは、それこそ、左翼陣営の人がよく言う、「戦争への道」である。左翼の人は、首相が靖国神社に参拝したり、自衛隊の海外協力などがあると、必ず「戦争への道」ということをよく使ってきた。でも、自民党では右翼的思想の人は一握りで、多くの人はハト派であり、戦争に突入しようという発想など全くない。 むしろ、怖いのは独裁者に権力を与えることである。この週末の新聞紙上で、同志社大学の浜教授がコラムで、今回の民主党の代表選挙について、「スカスカのスイカと、お化けスイカの争い」と書いている。そして、スカスカスイカの菅氏に多くは期待できないが、金権まみれで、自民党の最も古い体質を持った小沢氏が権力を握ったら、この国はとんでもない所に行かされる危険がある。消去法で菅氏だということを書いている。全く同感である。 小沢氏が権力を握ったら、それこそ、戦争への道、核軍備への道さえあり得る。彼は元々、自主防衛論者であるのだから。また、今、彼は記者会見や街頭で、官僚を指導する政治と盛んに言っているが、彼が官僚べったりで官僚丸投げだったことは、彼の過去の行動でも明らかである。(小沢氏は田中角栄の申し子) 小沢氏の政治主導は、金権主導で、利権の構造の復活である。民主党が選挙で自民党に勝つにあたって、小沢氏の力が大きかった。それで、彼は何をしたかと言えば、旧自民党、田中派のように、民主党が政権を取ったら、利権をあげるというような話をして回り、かつては自民党支持だった団体の多くを民主党支配にしたのである。 これは事実で、多くの取材記者が、その事実を書いている。だから、利権を求めて、医師会にしろ、農協にしろ、民主党になびいたのである。小沢氏のどこを叩いても、金、利権の話ばかりで、彼が日本をよくするという話にはならない。 田中角栄が元気な頃、急激な円高で、新潟の燕三条の洋食器の会社が輸出ができなくなると悲鳴をあげた。この時に、新潟県庁は業者の構造改革の絶好のチャンスと考えた。しかし、田中角栄の政治力で、洋食器業者に多額の補助金が支給され、構造改革は頓挫した。小沢氏の考え方は農家への戸別保障もそうだが、田中角栄そのものである。(マスコミにも親小沢の動き) ただ、筆者が何と書こうが、週刊誌の情報では、小沢氏の優位は動かないらしい。小沢支持というと格好はよいが、小沢氏の権力を傘にして、自分の利権、ポストを得ようとする人が小沢氏の回りに集まってきて、小沢氏の意思と無関係の動きを始めているからである。 今朝のテレビの朝のワイドショーで、ある局が「街頭演説でも、小沢氏コールが東京でも、大阪でも出ている」と何回も言っていた。小沢という人は勝つためには何でもする人であり、街頭に多くのサクラの動員をかけ、その人たちに、小沢コールを言わせているのだが、それすらも、読めない人間が取材リポーターをしている。嫌、既にマスコミも小沢氏が有利と見て、勝ち馬に乗ろうとしているのかもしれない。筆者が記者時代から、よく役人や企業経営者から、「マスコミがもっと、世の中をリードしてくれないと」と言われた。しかし、マスコミこそが大きな権力構造で、意図的に世論を誘導する悲しい体質である。 先週発売の週刊誌で、元公明党の書記長で、今は政治評論をしている矢野絢也氏が「あまりにも未熟だった民主党政権」というコラムを書いている。彼のような、政治の世界で長くいた人間でも、民主党が政権をとれば、何かしてくれると思ったようで、それが違ったことを嘆く内容である。 しかし、筆者はこの感想に逆に驚く。企業経営でも社長や役員は誰でもなれるものではない。それなりの経験と手順を踏んでなるものである。何も知らない素人がいきない何かをしようとすれば、失敗するのは明らかである。今回の民主党政権のお粗末さはそれを国民に示したのである。 ただ、マスコミの誘導があったにせよ、民主党に政権を与えたのは国民である。その悲しいツケを国民は当分の間、噛みしめ、苦労に耐えないといけない。そうした意味でも、最悪の選択だけはしてほしくないが、今の流れだと最悪の選択になりそうである。
2010.09.06
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(企業で大問題になってきている「ゆとり教育世代」) 企業で長年、採用担当をしているので、もう10年以上、毎年、数千人の大学生たちと接してきている。過去の経験から、この学生はどんな人で、どうした思考パターンでというようなことが概ね理解できていたが、いよいよ社会人になりつつある、ゆとり教育世代にはそれがまったく通用しない。 そのゆとり教育世代と採用活動で付き合ってみて感じるのは、これまでの日本人とは、まったくこれまでと違う人種が育っていることである。既に企業の人事担当者の間では、大問題になっているが、このゆとり教育世代を企業は、どう扱ってよいか、ほとほと困り果てている。 ゆとり教育世代の全体としての特徴は、とにかく自己主張が強いことである。意識の中心に常に自分がいて、人の意見、アドバイスはほとんど聞かない。明らかに向かないと思えるようなことに、それを言っても、まったく聞く耳を持たない。 自分の考えが正しく、それが思い通りにならない時には、自分に何が足りないのか、何が問題なのかと考えるのではなく、周りや、他の人が悪いのである。 だから、自分にとって、都合が悪くなったり、気が向かなかったりすれば、相手が先輩であろうが、友達であろうが、約束は守らなかったり、約束した時間に来ないなどというのは日常茶飯事である。(内定辞退でも謝らず) 企業の採用選考に合格して内定を得た後、他社に決まって、内定辞退をするということが起きる。今は多くの会社で、内定を出す時に、人事担当者が自分の会社に来るかどうか意思確認をし、誓約書を書かせる所が多い。 学生は約束しないと内定がもらえないからと、誓約書を書いた上で内定を辞退する人はこれまでも結構いた。しかし、その時の断り方が、これまでとゆとり教育世代はまったく違う。 これまでの人たちは、一応、約束をし、誓約書まで書いているのだから、ひたすら謝り、許しを請うという態度だった。しかし、ゆとり教育世代は、謝ることをほとんどしない。それどころか、なぜ自分が他社を選ぶに至ったか、経緯、理由を滔々と説明し始める。 企業の人事担当者が「何だかだ言っても、君は約束を破ったのだよな」と言うと、彼らが言う言葉は決まっている。「私の人生は私に決める権利があるので、人に文句を言われるいわれはありません」。辞退を謝りに来るのではなく、自説を説きに来るのである。(授業内容の減少よりも、大きな問題) ゆとり教育は、詰め込み教育の弊害を是正しようとして、ものをもっと考え、色々なものを見聞きしようという趣旨で始まった。考え方それ自体は悪くはなかったが、実際にそのゆとり教育で育った学生たちと付き合ってみて、結果は最悪である。 時間にゆとりをもって、自分の頭で考え、自己主張をするということだが、小中学生時代にこうした教育をすると、余程、指導する教師が見識を持って、自己主張したことに対して、問題点を指摘して、是正指導したり、より広くものを考えるように導くということがない限り、自己主張はイコール、独善に陥ることになる。 小中学校の教師と接していて、そうした指導をできる教師は全体の内で数パーセントにしか過ぎない。年配世代だと、自分が小中学生時代には、尊敬でき、大きな影響を与えられた教師というのが、1人や2人は誰でもいた。しかし、今、公立の小中学校では、そうした教師は1つの学校で、1人か2人しかいない。 そうなると、こうした教師に接する機会がないまま、小中学校を終える生徒がほとんどということになる。今の時代、教師に威厳も、識見も常識もないのだ。こういうと、教職にある人たちからは反論が出るであろうが、子供たちの話を聞いても、尊敬できる先生は全校で1人、2人ということは、多くの生徒が同意する。 ゆとり教育の問題点として、数学や英語の授業時間が減り、子供の学力が落ちたことがあげられている。それはそれで大きな問題だが、それ以上に、人の話を聞き、自分の考えの足りないところを改めるというような人間としての基本の基本を訓練されていないから、コミュニケーションが成り立たないのだ。(ブランド企業志望を変えない) 今、大学生が就職できないことが大きな問題だとして、役所も問題視し、マスコミも大きく取り上げている。前から書いているように、今は同じ世代に半数の学生が大学に行っているので、いわゆるホワイトカラーの仕事を希望する人は余っている。逆に現場作業をする人は足りない。 しかし、今の大学生は、「大学まで行ったのだから、大企業に就職を」という姿勢を崩さない。超有名企業には、トップ国立大学やトップクラスの私大の学生が大量に受けに来るから、その他の大学の学生だと、余程の特記事項がないと、まず絶対と言ってよい程、合格はしない。 それを言うと、数年前までは、学生は超大手何社かを受けて相手にされず、こちらが、そうした実情を言うと、自分の体験からも、納得して、中堅の会社を受け出したりした。しかし、ゆとり教育を受けてきた世代は違うのだ。 あくまでも、大手企業を受け続け、それで合格がでないと、就職活動自体を辞めてしまうのだ。自分はこれだけ頑張っているのに、それを理解しない会社の方が悪いという考えからである。 目線を下げて、中堅、中小の優良企業を受ければ、合格するのだが、それをしない。人の言うことをとにかく聞かない。常に自分が正しいのである。 こうした実態があるにもかかわらず、役所やマスコミは、大学生が就職できないのは不況だから、企業の新卒採用主義が悪いからというような解説をする。 ゆとり教育を受けてきた学生は、そうした報道や政府の姿勢に、ますまず増長し、勘違いと自己主張をし続けることになる。マスコミでは、実態を知らない「なんでも評論家」「なんでもコメンテーター」が世間で言われていることをそのままに解説する。そして、それが日本全体の間違った常識になっていく。(ゆとり教育世代は文科省の犠牲者) ゆとり教育世代は、言ってみれば、受けるべき教育・訓練を受けずに大きくなった猛獣のようなものである。ある意味では、文部科学省の間違った政策の大きな犠牲になったのである。 そうした意味では、ゆとり教育を推進した人は万死に値するとさえ言える。教育は10年、20年と長く影響を与えるものである。官僚が少しの思いつきや、自分の責任逃れで、勝手に国や国民を間違った方向に導いては、それをやり直すのに、更に10年、20年の時間と必要となる。 しっかりした家庭教育で、学校のひどい教育を補ってもらえた人は少数派だと思う。ほとんどのゆとり教育世代は、これからの長い人生を大いに苦しまされることになるし、その若者を受け入れないといけない企業の苦しみの時代に入っている。 多くの企業で、採用は日本人にこだわらず、外国人を積極的に採用しようと言いだした背景には、こうしたこともあるのである。
2010.09.05
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民主党の代表選挙のために、菅首相、小沢氏の両氏が連日、記者会見をして、様々な質問に答え、それが記事になっている。 その中で、検察審査会での審査で、政治資金の関連で「強制起訴」の可能性がある点について質問された小沢氏は「玄人の検察庁が起訴を見送った事案について、『素人』が起訴すべきかどうか決める仕組みはおかしい」という趣旨の発言をした。 小沢一郎という人間が政治家のプロとして、いかに有能であるかどうかは全くの別問題として、この発言1つで、こういう人を絶対日本の総理大臣にしてはいけないと筆者は感じる。本当に危ない。民主主義とは何かを理解していないというよりも、民主主義を否定する発言である。(民主主義は「国民が主権者」であることを否定) 小沢氏に限らず、他の国会議員や地方議会議員から、時々、こうした趣旨の発言がある。議会での審議について、住民などから異論が出た時に、「我々プロの議員が様々な事情を勘案して検討しているので、『素人』の県民(市民、国民)の意思と違っても、我々がよいと思うものは通さないといけないのだ」と。 また、最近の裁判員裁判に関連して、テレビなどで発言するいわゆる有識者と言われるコメンテーターが、「一般の国民に死刑判決に関与させたり、むごい犯罪の写真などを見せて裁判に関与させるのは問題だ」というような発言をする。 更に、高級官僚は少し親しくなり、本音の話をするようになると、「国民は愚かですから、我々が導かないといけないのです。何も知らない国民の意思よりも行政のプロの我々の考えの方が上」というようなことを平気でいう。 こうした人は民主主義とは何か、近代社会での国家とは何か。そして、民主主義国家で最も尊重されないといけないのは何かということを再度、勉強し直してほしい。こうした発言をしただけで、議員なら、即、議席を返上しないといけないと筆者は考える。 民主主義で、最も尊重されないといけないのは「民意」である。主権在民である。色々な案があり、他の案の方が結果的にベストであったとしても、国民、県民がベストだといって別の案を支持したら、それは民意であり、それで決定しないと民主主義は成り立たない。 裁判員制度にしても、素人の一般国民にそんなことをさせるのかというようなことを言う人がよくいるが、元々裁判員制度ができた最大の理由は、「プロの裁判官の判決が、あまりに国民の常識から離れたものが多く出て来るようになり、もっと国民の常識の上に立った判断をしないといけない」ということである。(法律、規則を守るのは国民の義務) 憲法を初め、法律の中には、明らかに時代に合わない、これは問題だというものはいくつもある。しかし、それが法律で定められ、施行されている以上、それを守らないといけないのは国民の義務である。 交通法規におかしな点はいくつかある。しかし、だからと言って、交通違反をしておいて、「この法律はおかしいから、私は罰金を払わない」と言ったら、逮捕されるし、誰も支持しない。小沢発言はこの「交通法規は問題だから、罰金を払わない」と言っているのと同じだ。 だから、時代に合わない法律は、それが憲法であっても改正しないといけなく、どこの国でも憲法は頻繁に改正している。それを60年以上改正しないのは日本だけである。9条問題だけでなく、1字1句変えるなというバカなことを言う人が沢山いるからだ。 憲法問題はともかく、民主党の代表=首相である。その首相を争う人が現行の法律を、それも自分が適用されそうだから、法律や規則をおかしいと発言するだけで、候補者としてはいけないと考えるのが常識である。そう考えない民主党の国会議員とは何か、 小沢氏は政治と金の話はいくらでも説明するとも言っている。しかし、彼は逃げまくり、国会の政倫審にも出て来るのを拒否したし、この問題について、記者会見を開いて、記者の質問に答えたこともない。あるのは、自分の用意したメモを読み上げたことだけである。 後ろめたいことがなければ、堂々と記者会見をすればよいだけだ。それを逃げまくっていて、「何もやましいことはない」では、話が矛盾する。こうした人を過半の所属国会議員が支持し、代表に当選しそうな民主党とは本当に何なのかと言いたい。(少しでもベターな選択をするのが民主主義) 筆者は菅首相を評価するものではない。特に現在の経済危機の時に、経済顧問的な大学教授の意見を聞き、ほとんど何もしない姿勢はそれだけで失格だと言いたい。従って、小沢氏、菅首相のどちらが勝っても、日本にとっては国難であると考えている。 しかし、その菅首相でも、独裁者で、政治資金では限りなく黒に近く、権力を握らせたら、国民がとんでもないことになりそうな小沢氏よりはまだましだと考えるのだ。 民主主義はベストのシステムではなく、ベターの選択である。街頭インタビューで「どちらを選んでも、変わらない」という声がよく出るが、そういうことを言う人も民主主義がわかっていない。1センチでも、1グラムでも、ベターな方を選ぶのが民主主義なのだ。(小沢一郎の経歴、政策を検証する) 小沢氏を支持する国会議員は、彼の剛腕ぶり、有能ぶりを買うが、待ってほしい。政治家、特に、大臣として、政府の重職として、彼がその長い政治歴で、有能ぶりを発揮したことはほとんどない。 国の政策を左右する場面で、彼が大きな役割を演じたのは、ただ1つ。湾岸戦争の時に、自衛隊を派遣するかどうかで、国論を二分した時に、自民党幹事長として、マスコミに出て、各国と協調することの大切さを説き、自衛隊派遣を実現したことだけである。自主防衛論者の彼にしては、自説を言っただけである。 大臣としては、今から25年前に、中曽根内閣で自治大臣に就任したことが1回あるだけである。その時に、彼が何か特記すべきことをしたという記録もない。彼は自民党・竹下派の後継レースに負け、権力を別の形で得ようとして、自民党を離党した。天下国家を考えての離党ではない。私利私欲での離党である。 そして、自民党を破ってできた非自民党政権、細川内閣では、幹事長として、事実上の最高権力者になったが、大蔵省(今の財務省)の事務次官だった斉藤次郎(現・郵政グループトップ)と組んで、福祉目的税というような言葉で、唐突に消費税引き上げを画策して、無理やり細川氏にそれを言わせた。それがきっかけで細川政権は崩壊した。 あんなバカなことはせずに、細川政権がもう少し続いていたら、日本の今はもう少し変わっていたはずである。それを台無しにしたのは小沢一郎その人である。 政策面での、彼の無策ぶりを示しているのが、今回の共同記者会見で、普天間問題でも、財源問題でも、記者からの質問に何も具体的な政策は語っていないことからもわかる。腹案がないのである。 鳩山前首相時代に、普天間問題が暗礁に乗り上げそうになった時に、アメリカは実力者小沢氏に何とかしてほしいと、コンタクトをとろうとしたが、彼は逃げて、アメリカ政府要人と会おうともしなかった。(常につきまとう政治と金、親友が去っている事実) 彼には、政治と金の問題が常につきまとい、建設会社を恐喝に近い形で多くの資金を吸い上げ、豪邸も建てている。政治に金はつきもので、資金を集めることはよい。しかし、それを自分の懐に入れたら、それは「政治家」ではなく、「政治屋」になってしまう。 小沢一郎氏の過去の政治歴では、集めた金を政治活動資金にすることよりも私利私欲が優先である。妻も新潟の建設会社社長の娘をもらった。明らかな政略結婚である。この妻の妹は、竹下元首相の弟(現自民党国会議員、竹下亘氏)と結婚している。 小沢氏は新進党、自由党の解党の時、税金から政党に渡される政党助成金を自分の懐に入れ、返さなかったというのは、政治の世界を少し知っている人なら、皆知っている事実である。 そして、彼の人柄を知る話として、最もわかりやすい話は、彼と長く付き合ってきた人がことごとく、彼のもとを去っていっていることである。良かれと思って、少しアドバイスをしたり、苦言を呈すると、翌日から、会うことはもとより、携帯電話が通じなくなるというのだ。 壊したり、裏で画策することは得意でも、政治という場での政策で、むしろ、無能ぶりをさらけ出しているのが、彼の経歴であるし、人としての魅力、リーダーとして絶対必要な包容力がまったくない。1人、2人ならともかく、長く親友として付き合ってきたほとんどの人が彼のもとを去っている。そんな人をあなたは信用できるのか。 小沢氏は元々、消費税を大幅にあげることを主張していたし、自主防衛論者だ。中国にこびへつらう人だし、中国に代議士を大量に引き連れて行って、嫌がる中国首脳と一緒の記念写真を撮った権力誇示者である。彼が権力を握ったら、誰の言うことも聞かず、言っていたことを覆し、何でもありになりかねない。極めて危険である。 そういう意味でも、小沢氏に選挙に勝たせることは、国としての自殺行為であると、筆者は考える。過去の政治歴からして、豪腕説はまったくの神話であり、事実ではない。
2010.09.04
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(官僚の権益拡大の構図) 何回も書いているが、官僚と言う人たちは、本当にしたたかだ。自分たちにとって追い風の時は勿論、逆風の時でも、自分たちの権力拡大、権益拡大に全力をあげる。 多くのパターンは大変だ、大変だと大騒ぎして、世論がそんなに大変なら、役所は何とかしないといけないというムードを作る。そして、それだけ大変なのだから、対策をしないといけないというようになり、新規に予算を獲得していくのだ。 多くの国民が日本の農業は国際競争力がなく、老齢化が進み、援助、補助が必要だと考えている。だから、小沢氏などが熱心な農家の戸別保障という話になってくる。 しかし、農業問題の専門家に言わせると、日本の農業は強い。世界全体で第5位の規模、力を持っている。先進国の中ではアメリカに次いで、世界2位の力なのだという。現に日本の米や牛肉は、海外で高い評価を受け、リンゴの中南米からも注文が来るほどだ。 では、どうしてそうしたイメージを多くの国民が抱くかと言えば、農水省がそういうデータを嫌という程、記者に示し、記者に「日本の農業は弱い」という原稿を書かせているからである。(弱いことをアピールして対策費を獲得) なぜ、そうするか。食の問題は国家の存立にかかわるので、外国に席巻させる訳にはいかない。だから、農家に補助金を出して、外国との競争に耐えるようにしないといけないというように、国民が思う風潮を作り、農水省は巨額の予算を獲得するのである。 日本の食糧自給率は40%で大変だということがよく言われるが、日本のデータはエネルギーベースという海外では使われていない変な方式で計算している。理由は簡単だ。エネルギーベースにすると、自給率が下がるからである。 普通の国が使っている金額ベースだと、自給率は50%を越える。そもそも、肉牛などや牛乳などは、自給率がゼロやゼロに近い数字になっている。その理由は牛のエサが海外から入れているからという勝手の理由からである。データの都合のよい改ざん、方式の変更は官僚にとって朝飯前である。(国の補助で強くなった業界はない) 多くの予算を獲得すれば、天下りなどの組織も自然にできてくるし、利権も多く生まれてくる。官僚にとっては、おいしいことになる。 しかし、日本だけでなく、世界の経済の歴史でも、国が補助金をつけて保護した業界は、本来、淘汰されるべき弱者が多く生き残り、一生懸命に仕事をして、規模を拡大することができる強者の拡大を阻害する。結果、非効率が生き残り、業界としての競争力は保護で逆に弱まっていくのである。 農業の減反政策などはその典型で、全農家に一律に減反を強いた。その結果、海外と競争しても勝てるようにという発想の下で開墾された八郎潟の干拓地などは、行ってみるとわかるが、ペンペン草が生えているくらい無残な状態である。 今、民主党が成立させようとしている農家の戸別保障も、それで農家に補償金が入るということを見込んで、法律の成立を前に、既に、コメの価格などは下がってきていて、補償金が入っても、農家にとっては何のメリットもなくなってきているという。(事業仕分けは財務省の省益だけの話) 農水省だけではない。民主党政権下で一番、権益を拡大しているのが財務省である。国民に喝采を浴びた、民主党政権下で唯一の得点と言われる事業仕分けだが、実はどの事業が問題で、どの事業を仕分けるべきだというデータは全部、財務省に頼っている。 財務省は自分たちに都合のよいデータを出し、切りたい事業をこれは無駄ですと、民主党の議員に示す。それを元に民主党の議員がテレビ映りのよいパフォーマンスをする。結果は、財務省の思惑通りに進んでいる。 財務省が大所高所から、国のために仕分けを真剣に考えて、民主党の力を借りて、予算の仕分けをしているなら、それでも、まだ許せるが、自分の省庁のことは、切らないといけない部分も事業仕分けの俎上に乗せずに、逆に過去に無駄とか、民間化が相当と言われた事業を復活することを画策している。(「族議員」は「悪」ではない) 自民党は派閥政治だから駄目、族議員が暗躍するから駄目というのは、マスコミがずっと書いてきたことである。しかし、「族議員」という言葉は「悪」のイメージがあるが、実際は1年生議員の時から、どこかの部会に入り、自分の専門分野を作って、その勉強をしていっているというのが族議員の実態である。 この結果、かつての橋本元首相のように、厚生族として30年とか、森元首相のように文教族として何十年という議員が自民党には多くいる。こうなると、官僚が好き勝手に、自分たちの都合のよいようにデータを作り、権益を拡大しようとしても、「それは駄目」という歯止めをかけることができる。 キャリア官僚は1、2年で、自分の担当が変わる。従って、それぞれの分野に実はそれほど詳しい訳ではない。だから、族議員に権力でなく、知識、経験で勝てなくなってくるのだ。だから、自民党政権下では、不正や癒着もあったが、官僚の暴走に歯止めがきいた。 だが、今の民主党政権では、この族議員、つまり、それぞれの分野での専門家がいない。だから、必要な対策がとれないし、変な自称、専門家のアドバイスにひっかかり、普天間で前より事態を悪くしたり、円高対策も打てないのだ。 年金問題の追及で、国民的人気を博した長妻厚生労働大臣は、今では、あまりの無知、見識のなさ、定見のなさから、官僚からバカにされ、相手にされていない。だから、厚生労働省は確実に自民党政権下時代よりも、機能不全に陥っている。(官僚を使いこなせない人は大臣にはなるな) 自ら、通産省の高級官僚として活躍した堺屋太一氏が「官僚組織を解体しないと日本の再生はない」という趣旨を言っているのは、官僚の実態を知っているからである。 官僚は歯止めをかけないと暴走する。今、民主党政権下で、官僚は高笑いをして、好き勝手を始めようとしている。 かつて、東京都庁で青島幸男氏が都知事になった時、官僚を指導する知識も見識も、ビジョンもないために、官僚は好き勝手ができたと大喜びだった。大阪府庁での横山ノック氏が知事だった時も、同じである。 政治家が見識を持ち、ビジョンを持って、官僚に指示できるようでないと、官僚はまずはそっぽを向き、次第に、この人なら、何をやってもわからないだろうと、好き勝手なことを始める。そして、大臣を好きに使いだすのである。 菅首相が、ある日、唐突に消費税の話をし始めたことなどは、その裏に財務省官僚の入れ智恵があったと考えると、合点がいく。官僚は頭がよくて、ずる賢い。だから、自分たちの都合のよいように政治家を使う。それを見抜ける人でないと、大臣、ましてや、首相になってはいけないのだ。 こう書くと、菅首相はだめだが、小沢氏なら大丈夫という小沢支持派の議員の声が聞こえてきそうだが、小沢氏は農家の戸別保障政策1つとっても、俯瞰的に国の未来を見据え、ものごとを考えているとは到底思えない。 小沢氏は自分を大きく見せることがうまい政治家である。実際に首相になれば、すぐ化けの皮がはげるだろう。だから、彼は民主党代表選挙に勝っても、自分が首相にはならないだろう。 もし万一、勝って総理になったら、説明は一切せず、問答無用の政治姿勢は独裁国家になり、新進党が短期で離脱者が相次ぎ、崩壊したような状態になるのは必至である。 国民にとっては大いに不幸だが、その民主党を国民が選んだのだから、文句は言えない。
2010.09.01
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(鳩山仲介が失敗の意味) 民主党の代表選は鳩山前首相の元々不可解な仲介作業が不調に終わり、代表選挙に突入することになった。 元々、鳩山氏の仲介は、民主党結党の時に自分が資金を出したので、民主党を自分の党と思い違いをしていることと、仲介をすることで、総理大臣失格として政治的な影響力が落ちた自分の復権を目指していたということであり、勘違い、および、不純な動機である。 一時は代表選挙回避という話になりかけたが、今度は双方の応援団が、ここで妥協したら許さないという姿勢になり、小沢、菅両氏とも引くに引けなくなったのだというのが実情のようである。 それはそうだろう。金まみれの小沢支配から脱する脱小沢で人気が出た菅首相が、ともの金まみれの鳩山、小沢両氏に重要ポストを与えたら、それこそ、重大が看板がなくなり、国民の支持が得られなくなる。 一方、小沢グループの幹部は、菅政権になって要職から外され、党の資金も回らなくなり、これ以上、脱小沢を進められたら、干上がってしまうという危機感がある。 小沢氏が表舞台に出ることで、自分たちもまた、金と力を取り戻したいということである。小沢氏の政治的な手腕に期待というのは付け足しにしか過ぎない。政治家はそんなに理想主義者ではなく現実家だ。 マスコミは、「今の国の危機に、代表選挙で政治空白を作るのはけしからん」という一方で、小沢、菅、鳩山氏の話し合いでポストを決めて、代表選挙を回避したら、「密室談合だ」というに決まっている。マスコミは批判はするが、なら、どうするという対案はない。それがマスコミというものである。(政権能力がない政党に政権を委ねた国民にツケ) ところで、この1年弱の民主党が政権をとってからやってきたことは、今のような国の非常時に、何もできない無能な政権能力、そして、今回の代表選のバタバタをみての党として、水と油の集団がただ集まっている状態で、まとまりのなさなどを見て、つくづく感じるのは政権担当能力がない民主党に政権を委ねた国民の選択が基本的に間違っていたことである。 小沢一郎氏は政治資金問題で、限りなく黒に近い灰色である。検察審査会の結論で強制起訴になる可能性はかなり高い。検察が起訴しなかったのは、小沢氏が人事などで検察に揺さぶりをかけ、それに怯えた検察首脳が、政治資金問題を不問にすることで、小沢氏と政治的に取引をしたからだと言われている。検察さえ脅し、黙らせる人間が権力の座についたら、何が起きるかと考えるだけでも、恐ろしい。 更に、小沢氏は健康に問題があり、国会の審議でも議場にいないといけない時間の半分くらいしかいない。頻繁に休憩をとらないと、健康がもたないと言われている。だから、小沢氏が選挙に勝っても、総理大臣にならずに、自民党や公明党、みんなの党など、他の政党と連立を組み、他の政党の人間を首相にするのではないかと言われている。 健康問題をどうにか克服しても、もし、小沢氏が首相になったら、国会では、毎回、政治資金のことで質問が相次ぎ、国会は審議ところではなくなる。そんな事情を知っているのに、民主党内では小沢氏を支持する国会議員の方が多く、国会議員レベルでは小沢氏が圧勝だという。 テレビに出て、小沢支持を言う議員は、「今日のような非常時には、小沢さんのような剛腕が必要」という。こういう人にテレビの司会者は、なぜ、小沢氏が新進党時代には、強引な党運営をして、他のメンバーが小沢氏のやり方についていけず、党が解党状態になったことを知った上で、そんなことを言うのかという質問をなぜしないのか不思議である。(野党として有能と与党としての有能の違い) 一方の菅首相は、野党時代の論客のあの輝きはどうしてしまったのかというくらいの首相としての無能ぶりである。国が壊れそうなくらいひどい円高、株安に何もしない。経済運営音痴もよいところである。 評論家は今の経済対策は難しいとよく言う。しかし、そんなことはない。世界の主要国はほとんど同じことをしている。前にも書いたが、主要国は中央銀行が国債や公社債のようなものを買うことで、市中に資金を大量に出し、最悪状態を何とか忌避している。まずは、それを日本もすればよいだけである。難しくない。 それを何もしないから、日本だけが狙い撃ちされて、急激な円高、株安に向かっているのだ。日銀が対策を発表したが、及び腰の内容で、まったく話にならず、逆に失望を買って、円高、株安は進むだけである。最低、30兆円、40兆円という大幅な資金の放出しかないのに、小出しの10兆円で、しかも姑息なやり方では、バカにされるだけである。 菅首相の経済ブレーンは同じ大学の同窓生で、現在は国立大学の教授をしている人だというが、伝わってくる彼が言っているというアドバイスは、まったくトンチンカンである。大学教授だから、優秀だということはない。日本の教授には、時代遅れの人が多いし、教授に値しない人が多くいる。 民主党政権は、鳩山前首相が取り組んだ普天間問題でもそうだが、特定の知識人の言うことを根拠もなく信じて、失敗をしている。テレビによく出て、したり顔で解説の話をする、その知識人が、この案でアメリカは納得すると鳩山氏に吹き込んだと言われる。だから、アメリカが鳩山氏の案を拒否した時に、鳩山氏は「聞いている話と違う」と言ったという。(横で批評することと、自分が行動することは別) 民主党政権の誕生には、何回も言っているように、マスコミ、特に大新聞社の力が大きかった。政治部の記者はいつも政治家の周辺にいて取材をしている。中には政治家の相談に乗り、その意向に沿って行動している者も少なくない。是々非々の評論ではなく、当事者なのだ。だから、その当事者から外す行為をした小泉元首相を許せなかったのである。 しかし、横にいて相談に乗っていると、政治の当事者であるという意識で、自分が政治を動かそうという気になる。政治は簡単なもののように思えてくるのだ。だから、自民党から民主党への政権移行でも、問題なく国が動くと考えたのだ。だが、これが根本的に間違っている。 筆者は長年、経済部の記者をしてきた。政治部の記者と同じように、企業の経営者といつも付き合い、夜回りを頻繁にして、家族とも付き合い、経営者から様々な相談に乗ってきた。自分の経験でも、その内に、経営のことは何でもわかるようになってきて、経営者の行動を批評などするようになっていた。 しかし、記者を辞めた後、自分で小さな会社を作って、経営をしてみて感じたことは、「自分は企業経営について、何もわかっていなかった」ということである。実務でやってみると、エッと思うことだらけである。 その時に、記者時代に自分が相談に乗っていた経営者に悩みの話をしたことがある。そうしたら、それまで、自分を立て、相談をよくしてきた経営者が実に含蓄のあるアドバイスをしてくれた。だてに、大企業の社長を長年しているのではないということを実感した。政治でも、経営でも、批評と実践は全く違うのだ。(国民が自分で考え、行動する時) ずっと書いているように、マスコミにそそのかされて、国民は民主党を選んだ。だが、その判断自体が間違いだったのだ。筆者はずっと、民主党政権では政治はできないと思い、言い続けてきたが、それが現実になってきている。 今、一番喜んでいるのは誰か。それは官僚である。国民に人気が高い「事業仕分け」も、財務省が資料を作り、その意図に乗って行動するだけである。農家への補助金支給も、農水省は大喜びである。 役人は自分たちの権益拡大をするにはどうすべきかということを常に考える人たちである。日本の農業は世界第5位の規模と強さを持っている。にもかかわらず、日本の農業は弱い、援助が必要だと、ほとんどの日本人が思っている。それは農水省のPRが成功したためである。弱ければ、援助、補助が必要だ。そこに、利権がからみ、役人は甘い汁が吸える。 福祉もそうである。福祉、福祉という人は、そこに巨額の金が動くので、必ず利権が絡む。その利権を役人や、事情を知っている関係者がおいしい汁を吸おうとしているのだと考えて、見ないといけない。 大学生が就職できないので援助ということになれば、多額の予算がつき、関係機関が必要になり、官僚の天下り先ができるという構造になる。そうした図式を国民が理解しないといけない。官僚はしたたかなのだ。 政治家にも、官僚にも、是々非々の目を持ち、一方的に期待するのではなく、自分のことは自分でする決意をし、自分で考え、行動する。そうした覚悟が、民主党政権下では必要だ。
2010.09.01
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