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<ようやっと> YOMIURI ONRAINより=============== 山形県鶴岡市の加藤紘一・元自民党幹事長(67)の実家と事務所が放火され、全焼した事件で、鶴岡署は31日、現住建造物等放火などの容疑で逮捕した右翼団体「大日本同胞社」構成員堀米正広容疑者(65)(東京都新宿区歌舞伎町)を山形地検鶴岡支部に送検した。 これまでの調べで、堀米容疑者は、動機について「加藤氏の発言を不満に思った」との趣旨の供述をしている。加藤氏は小泉首相の靖国神社参拝を批判しており、堀米容疑者はこうした加藤氏の発言に反発したとの疑いを強め、追及する。(2006年8月31日14時29分 読売新聞)(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20060831ic11.htm)================ 当初名前がいつまでたっても出てこないので,「もしかしたら・・・」なんて余計な勘繰りをしていましたが,名前が公表されたので勘繰りではなく,推測ができそうですね。 正直なところ,自分には日本人のように思えます。 確かに自分も加藤氏には正直腹の底が煮え繰り返る思いがすることもしばしばある。 しかし,人の主張・発言を暴力で封ずるのは絶対に,絶対にあってはならないこと。 これはもし自分がそうされた時のことを考えればおのずとそういう結論に至るはず。そうした自然な感情から離れた理由を探すと,第一にある主張というのは他の主張の存在とそれとの対論・議論によって磨かれ又は引き立たされるものであること(要するに異なる意見の排除は,自己の意見の輝きを失わせてしまうことにもなるということ),第二に民主主義というのは多様な意見の存在を前提としていて,その優劣を決するのはその構成員一人一人の自主的な判断によるべきものであること,等が挙げられる。今回の対象は政治家ということもあるから,さらに民主政治の過程を暴力でゆがめることは,暴力による統治を認めるも同然のことで,近代国家では絶対に許容できない,ということも理由の一つに挙げられる。 まして人の家に,しかも人が住んでいる家に火を放つなど言語道断。今回はたまたま人がいなかったからよかったようなものを,もし人がいて,なおかつこれが他の家に延焼でもしていたら・・・ この犯人は厳罰に処していただきたい。 <この方はいったい何を期待されるのか・・・> さて,上記の記事に関連して奇妙なオピニオンを見たので紹介します。 これは読売新聞 2006(平成18)年8月31日 朝刊の第38面に載っていた記事です。 よくわからないのは,赤線を引いた部分(下手くそでゴメンナサイ)。煩を厭わず書き出してみると,こう書いてあります。吉田教授は次のように言っています。 「社会全体がテロに対し寛容で,今回も国民の反応は鈍い。異論に対し,非寛容な社会が作られつつあるように感じる」 「社会全体がテロに対し寛容」?何を根拠におっしゃってるんでしょうか。国民が表立ったアクションを起こさないことを根拠に,テロを「寛容」に受け止めているなどという推論が根拠なら,その誤りは簡単に指摘できますね。 「行動しないからといって寛容であるとは限らない」 またデモなどに参加するなど表立った行為をすることを避ける傾向にある国民性からすれば, 「行動しないからといって,それが寛容の表明であると推定できない」 従って,何か他に根拠が必要ですね,教授が持論を正当化するためには。 それと,「国民の反応も鈍い」ってなんですか?いったい我々に何を期待されておられるんでしょう。 デモでもしろと?それとも加藤氏に激励メールを送れとでも?いったい何をすればよろしいのでしょうか?何をすれば「反応も鈍い」という批判を免れることができるんでしょうか。 ま,もっとも「非寛容な社会が作られつつあるように感じる」ってことで,単なる感想の類を述べておられるようなので,ここまで突っ込むのは可哀想なのかもしれませんがね。 ところで,こういう筋のとおらない文章を書く人って,アチラ側の人に極めて多いのですが,調べてみたら,この教授はこんな人でした。Wikipedeaより==============吉田 裕(よしだ ゆたか、1954年11月2日 - )は埼玉県入間市出身の歴史学者。専門は日本近代史。天皇の戦争責任などについても論じている。南京大虐殺肯定派に属し、精力的に活躍している。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E8%A3%95)============== なーんだ,確信犯だった(w ということです。
2006年08月31日
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<『あしがら』> Sankei Webより============ 海上自衛隊で6隻目となるイージス護衛艦(7700トン)の進水式が30日、長崎市の三菱重工業長崎造船所であり、「あしがら」と命名された。攻撃、防御両面で改良された最新鋭のハイテク艦で、今後、電子機器や武器を装備して平成20年に就役する予定。 イージス護衛艦6番艦の進水式には、防衛庁の高木毅政務官、吉川栄治海上幕僚監長、香田洋二佐世保地方総監らが出席。在日米軍関係者や市民、造船所作業員らも見守る中、「あしがら」は滑るように海に船体を進めた。 イージス護衛艦は数100キロをカバーする高性能レーダーや同時に10以上の目標を攻撃・防御対象にする装備があり、海自はすでに4隻を実戦配備。「あしがら」は、昨年進水して平成19年に就役予定の5番艦「あたご」と同様、射程を伸ばすなどの改良が施されている。 「あしがら」と「あたご」はこのほか、後部甲板に新設されたヘリコプター格納庫や、相手レーダーから探知されにくい特殊形状のマストなどの特徴がある。 海自のイージス護衛艦は、7月5日の北朝鮮による弾道ミサイル発射の際には2隻が日本海と太平洋で警戒監視活動にあたった。 (08/30 11:17)(http://www.sankei.co.jp/news/060830/sha041.htm)============ 『こんごう』クラスももう6隻目になるんですね。6隻目の名前は『あしがら』。例の金太郎で有名な山です。マストの形を改めたのは結構なことだと思います。今までのマストは個人的にあまり好きでない形でしたので・・・ 参考までにネームシップの『こんごう』の写真を掲載。自衛隊からお借りしてきました。 ちなみに帝国海軍の重巡洋艦の『妙高』級の3番艦に『足柄』という船がありました。 やはり60年も経つと船の形もずいぶん違います。 しかし,「護る船」ばかりでなくて,「護られる船」もほしいところです。シンボルとしての意義しかないんでしょうが(笑)。 <河野洋平氏,語る> Sankei Webより=============== 河野洋平衆院議長は29日、福岡市で講演し、対中国外交に関連し「『インドと日本が組むと中国に対する牽制(けんせい)になる』と言う人がいるが、必ずしも牽制のカードになる状況ではない」と述べ、インドとの連携強化を提起している安倍晋三官房長官の姿勢に疑問を呈した。 河野氏はさらに、7月の北朝鮮の弾道ミサイル発射について「(北朝鮮の)やり方は論外だが、十分な議論もせずに直ちに経済制裁だと言っていいのか」と指摘し、安倍氏が北朝鮮への「圧力」を重視していることを念頭に外交努力を訴えた。 (08/29 22:20) (http://www.sankei.co.jp/news/060829/sei106.htm)=============== 自民党の主だった「例の」人々を上げると,N(二階),Y(山崎),Ks(加藤,河野(洋),古賀。3人いるので複数形)ってなりますかね。NYKs,『ニュークス』とでも名づけましょうか(w 本日はその中の河野(洋)大先生のご登場です。 河野氏の前段の主張は残念ながら正しいかもしれません。 我が国が遺憾ながら長い間インドを重視してこなかったこと,インドも(表面的に)経済興隆著しい「中国」に目が向きつつあること等から,日印の連携強化を「中国」に対する対立軸にするにはちょっと行動が遅すぎた感があります。 しかしまぁそういう状況を招いたのは昔の外交担当者の責任であるところ,その昔の外交担当者の一員であった河野氏(ご存知のように氏は外相を経験されています)が上記のように恰も他人事であるかのような発言をするのも変な気がします。自己批判でもされておられるのでしょうか。 いずれにしても,10億の人口を擁する巨大で将来性に富んだ国家との連携を深めることは我が国にとって有益でありこそすれ,決して不利益ではありませんから,どんどん強化すべきでしょう。それがたとえ「中国」に対する牽制にならなくとも,関係強化はすべきです。「中国」に対する牽制にならないからといって,関係強化をおざなりにしていいということには決してなりません。 後段については,対話をする気のない国相手に「更なる外交努力を」なんていうのも外相経験者らしからぬご発言で,いささか首を傾げたくなります。 対話のテーブルにつかない北朝鮮を,テーブルにつかせるために,段階的に「圧力」カードを切っていくことは,我が国が効果的な「対話」を進めるのに必要なことでしょう。 氏がどういった圧力を想定して以上のような発言をされたのかわかりませんが,それが我が国と北朝鮮との間の交渉過程において,一切の圧力があってはならない,という趣旨であるならば不適切というべきだと思います。 <え?~今日の面白画像~> なんですか?これ?「人に物をなくされた場合,その人のものをなくしかえせばお互い様」という観念が前提にあるようですが・・・ さすが,としかいいようがありません。
2006年08月30日
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<「24」他>CNNjより============ ロサンゼルス--米テレビ界の最優秀作品に与えられえるエミー賞の第58回受賞式が27日、当地で行われ、ドラマ・シリーズ部門でFOXテレビ「24」が作品賞と主演男優賞(キーファー・サザーランド)の主要2部門を制した。 主演女優賞は、NBC「Law & Order:Special Victims Unit」のマリスカ・ハージティー。 助演男優賞は、このほど最終回を迎えたNBC「ザ・ホワイトハウス」のアラン・アルダ。助演女優賞は、ショータイムで放送された「Huff-ドクターは中年症候群」のブライス・ダナー。 またコメディー・シリーズ部門では、NBC「The Office」が作品賞を獲得した。主演男優賞は「名探偵モンク」のトニー・シャルーブ、主演女優賞はCBS「The New Adventures of Old Christine」のジュリア・ルイス・ドレイファス。 助演男優賞は、HBO「Entourage」のジェレミー・ピヴェン。助演女優賞は、8年間の放送が終了したNBC「ウィル&グレイス」のメーガン・ムラリー。 授賞式では、「ダイナスティ」「チャーリーズ・エンジェル」など数々のテレビシリーズをヒットさせ、今年6月に83歳で死去した大物プロデューサー、アーロン・スペリング氏などの功績を称える一幕があった。 (http://cnn.co.jp/showbiz/CNN200608280016.html)============ ドラマ部門で作品賞を受賞した「24」は日本では地上波ではフジ系が,CSではFOXが放送していますね。自分はシーズン1の途中でだれて,それ以降見てませんが。面白いかどうかはここのご判断に任せます。 主演男優賞を受賞したキーファー・サザーランドは,名優ドナルド・サザーランドを父に持つサラブレッド。昔は「三銃士」「ア・フュー・グッドマン」「評決の時」「フォーン・ブース」なんかに出演していましたが最近は『「24」に出てる人』といったほうが通用するのかな。 昔は雰囲気が似てるという程度にしか感じませんでしたが,やはりよく似ています。 去年,エミーを総なめにした「LOST」は現地のHPの情報だと脚本賞で受賞したようです。そういえばシーズン2,録画したまままだ一本も見てないな・・・ 主演女優賞を獲得した女優が出ているのはおそらくアメリカで11シーズンまで放送し,まだ続いている「ローアンドオーダー」のスピンオフ作品でしょう。 コメディ部門で主演男優賞を受賞したトニー・シャルーブは2年連続の受賞かな。おめでとうございます。 それにしてもアーロン・スペリング氏が亡くなっていたとは知りませんでした・・・合掌 <意地でも成立させたい古賀誠> なんてのはオーバーだと思いますが,そんな危惧もまんざらはずれではないあの亡霊を復活の兆しを見せています。Sankei Webより=============== 杉浦正健法相は28日、自民党内で賛否が分かれている人権擁護法案について、法案推進派の古賀誠元幹事長、二階俊博経済産業相らと党本部で会談し、自民、公明両党による「与党人権問題懇話会」を30日に開き、法務省が大幅修正した案を提示することで一致した。 法務省は外国人の人権擁護委員就任を規制する国籍条項を設けることで反対派に配慮し、来年の通常国会での法案提出を念頭に検討を進める考えだ。しかし、新首相就任が確実視される安倍晋三官房長官は同法案に反対してきた経緯があり、曲折が予想される。 同法案の原案は人権侵害の定義があいまいで、新設の人権委員会が令状なしに捜査、押収できるなど権限が強大すぎると批判されたほか、メディア規制に関する条項への反発もあった。このため当時、与党懇話会幹部だった古賀、二階両氏は法案提出を断念していた。 (08/29 01:01)(http://www.sankei.co.jp/news/060829/sei008.htm)=============== 次の首相と目されるあのお方はこの法案に猛烈に反対されておられたので,多分次の国会でも出るということはないのではないかと楽観的になりたいのですが・・・ それにしても古賀と二階(もうこいつらには敬称をつける気にもならない)はいったいどこの国の政治家なんでしょうかね。 というよりも,二階さん,あんた他にやることがあるだろうが! <二階のやるべきこと> 読売オンラインより=============== 東シナ海の日中中間線付近で中国が新たな天然ガス田開発を進めている可能性が高いことが28日、明らかになった。 政府関係者によると、新たなガス田は、日本が境界線と主張する日中中間線から約70キロ・メートル中国側にあるガス田「平湖」付近と見られる。 安倍官房長官は28日午前の記者会見で、「東シナ海の日中間の境界画定がなされていない状況で、中国側が(日中)中間線西側の我が国領海基線から200カイリ以内の海域で開発作業による既成事実の積み重ねを行っていることに対し、我が国として強い関心と懸念をその都度中国側に伝えている」と述べた。 そのうえで、「引き続きわが国の主権的権利を確保すべく、対話を通じた迅速な解決を目指したい」と強調した。(2006年8月28日13時5分 読売新聞)(http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20060828ia04.htm)=============== 人権擁護法がどうとかやっている暇があるなら,どうして資源の保全という本来の活動をしないんですか,二階さん?それがあなたの本来すべき仕事でしょう?そう思われませんか,二階さん? まぁ,「親中派」と呼ばれることをあえて否定されないのですから,その態度も納得できますが,日本のために働く気がいないのなら,さっさとお辞めください。国民が迷惑します。 あまりに腹が立ったのでメールを送りつけてやりました。=============== 初めてメールを差し上げます。 本日の読売新聞の報道によりますと,先生は古賀先生と法務省を訪れ,人権擁護法についてお話されたとか。 不思議なんですが,先生は確か経済産業大臣ではあられませんでしたでしょうか。中国が新たな油田を開発しているとの報もある中,いったいなにをそんな悠長なことをされておられるんでしょうか。先生の本来の職務はどうなさいましたか。 先生は「話し合い」で解決できると大言壮語されておられましたが,解決のめどさえ立っていませんね。先生のおっしゃる解決というのは,中国へガス田を差し上げるということなんでしょうか?だから,もうあの問題は解決したのだ,だから人権擁護法云々できる時間がある,そういうことでしょうか。それならば最初からそうはっきりとおっしゃっていただけませんか? もし本当に解決する気があるならば,寝る間も惜しんで尽力されるのが筋ではありませんか。あなたの信念がどうあろうと,経済産業大臣という要職を拝命された以上,それに命をかけて,日夜職務に専心する気概がなくてなんとされるのですか。 所管外のことをやられるくらいお暇なのならば,ガス田の問題に真剣に取り組んでください。先生には真剣みが著しく欠けておられると思います。 =============== ぶちまけたい人は下記へどうぞ。 nikai345@nikai.jp
2006年08月29日
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リンクさせていただいている諸Qさんが,フジの試合表記について以下のようなコメントをしてくださいました。 「自称「スポーツ通」の私がこの問題に付いて答弁します。まず結論から言いますとフジの問題とかそう言う次元では無いのです。ある原則が有るんです。テレビも新聞もそうだしバレーに限らずプロ野球サッカー等でもそうですが開催国(今週WGの開催国は韓国)との対戦の場合(野球、サッカーではホームチームを先に表記する事が決まりになってるんです。例を言うと阪神×巨人の場合甲子園開催では阪神×巨人と記載されますが、東京ドームでは巨人×阪神と記載されています。別にフジや産経が売国になった訳でないので安心しましょう。」 というわけで,別段これはとんでもないことだというわけではないとのことです。 先ほどの記事は誤りそのものですので,削除いたしました。 誤りを指摘してくださった諸Qさんには感謝いたします。おかげで早い段階で誤った情報を削除することができました。 先ほどの記事を読んでくださった方,誤った情報を流し,申し訳ありません。心よりお詫びいたします。 小市民
2006年08月27日
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これは12世紀に建てられたクトゥブ・ミナールと呼ばれる石の塔です。鉄骨もコンクリートも使わずに73メートルの塔を仕上げています。たいした技術です。 上の2層だけ色が下と違って白っぽいのがおわかりになるでしょうか。これはこの塔があるとき壊れたのを宗主国である英国が新たに作り直したことによります。だから,この2層だけ材質が違うわけです。 ちなみに,インド人の青年とちょっとした会話をしたのはここから少し離れた木陰のベンチででした。 これはあの立派な塔の隣にある中途半端で崩れてしまった塔です。 先のクトゥブ・ミナールは石を丁寧に重ねて作ってあるのですが,こちらはクトゥブ・ミナールを作った王様の息子が「あんな塔,簡単に作れる!見てろ」とばかりに,砂と土の混合物(今で言うコンクリートのようなもの)で柱を作り,その外側をきれいな石でかためて作ろうとした,いわば「手抜きの塔」です。 こんな手抜きの塔が長持ちするはずがなく,建ててすぐにあえなく崩れ落ちました。今は見るも無残な残骸しか残っていません。その後息子は「やーめた!」と塔を作るのをあきらめてしまいました。 これはクトゥブ・ミナールと同じ時期に立てられた鉄塔。なんとステンレスでもないのに錆びていません。すごい精錬技術です。 このあと観光客用のデパートに行ってお買い物をしてきましたが買い物から帰ってくると調子が悪かったので,そのあと次の日の昼までホテルで寝ていました。その間の写真はありません。予定ではガンディーの火葬された場所,晩年暮らしていた家を訪れた後,敷地内にあるガンディー財団で平和のお祈りをささげることになっていました。 昼食後,予定通りに行動してきた集団と合流し,あるムスリム寺院の跡に行ったのですが,良い写真がとれてませんでした。唯一まともに撮れていたのは以下の写真だけ。 これはその寺院のシンボル。 この国を統治するには多くの宗教に寛容でなければならないと知っていた王様が,ムスリムの寺院のいたるところにこのシンボルを掲げました。 真中のハスはヒンドゥーと仏教のシンボル。ダビデの星はご存知のとおりユダヤ教のシンボルです。 多宗教であるヒンドゥーにも寛容を示したこのムスリムの王様,なかなかたいしたものです。(確か通常ならムスリムは多宗教に対しては不寛容なはずですから) この後は,インド政府公認土産屋で買い物。ここで自分は銀メッキのティーセットを,父は母と妹にジュエリーを買いました。 その後はバスで市内をぐるぐる。以下はその写真になります。 こちらはインド大統領官邸。旧インド総督府です。 総督というのは国王(又は女王)が任命する彼(又は彼女)の名代。その総督が執務を執る場所として恥ずかしくないよう立派な建物が建てられています。 ちなみに最後のインド総督はルイス・マウントバッテン卿。東南アジアで日本と戦いました。 現在の英国女王エリザベス2世のプリンスコンソートであられるエジンバラ公爵フィリップ・マウントバッテン殿下の伯父にあたります。 いかにも貴族といった顔立ちであらせられます(ちなみに男色家だったそうです)。 この方は日本人嫌いだったそうですが,「軍は純粋に政治的な性格の裁判にかかわるべきでない」と,東京裁判を批判していたそうです。 ネット上では結構有名な話なので,より詳しいことが知りたい方は検索かけてみてください。 バスの中から撮ったインド国会です。 またリスがいました(笑)。大統領官邸前の並木道です。 最後の一枚。貧民の人たちが住むことになるアパートです。
2006年08月26日
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最近とんと騒がれなくなりましたが,「昭和天皇メモ騒動」はまだまだ記憶に新しいことでしょう。 以前,富田氏のメモの利用の仕方について批判をしましたが,今日は別の観点から富田氏に欠けていたものを指摘してみたいと思います。 同内容の指摘は既に各所でなされていると思いますが,何度指摘しても指摘しすぎるということはないでしょうし(それだけ責任が重い),ちょっとこれに関連して面白い記事を見つけたのでそれを紹介する意味も込めて,屋上屋を重ねる愚を犯す危険を顧みず書いている次第です。 さて,富田氏に欠けていたものを指摘するにあたり,次の記事をご紹介します。シラク大統領の報道官を9年間勤めたカトリーヌ・コロナ氏の話です。 彼女はフランス大統領選において,シラク氏の対抗馬であるジョスパン氏に投票するなど,個人的にはシラク大統領と考え方に相違がありました。実際彼女自身も「ハートはどちらかといえば左」と述べています。 そのコロナ氏が報道官を辞めたときどうしたのか,以下がそのエピソードです。============= 報道官時代のメモはすべて破棄。「私が仕えたのは国家。それを個人的な目的に使うのは正しくない」と述べ,回想録の類を書くつもりもないそうだ。 以上,「エリゼ宮物語」61 産経新聞 平成18年8月23日(水) 13面(執筆は同紙パリ市局長,山崎昌子氏)。============= 実に立派な職業意識ではないでしょうか。意見の相違にもかかわらずシラク大統領が重用しただけのことはあります。シラク氏には人を見る目があったというべきかもしれません。 翻って,我が国の宮内庁長官の富田氏はどうでしょうか。 天皇の発言はそれが大変な重みを持っているということは富田氏のようなエリートならば当然理解できたはず。その天皇に近い職業にいたものとしては,天皇の発言(内容の如何に関わらず)が外に出ることは望ましいことではないと容易に判断できたでしょう。 そうであるならば,自分が宮内庁長官を辞めたときにコロナ氏がしたように彼はメモを燃やすべきではなかったのではないでしょうか。仮にやめるときは回顧録を書くつもりであったので残しておいた,というのならば,少なくとも回顧録を書くのを断念した時点,あるいはもう先が長くはなく,回顧録を書くことが物理的に不可能になった時点で焼却すべきではなかったでしょうか。それが宮内庁に勤めたものとしての職業倫理というものでしょう。 富田氏は遺言で彼のメモは死後すべて焼却するようにと指示していたということですが,必ずしも遺族が故人の遺志に従うとは限らない以上,富田氏には少なくとも職業人として重大な過失があったといわざるを得ないと思います。 何もコロナ氏のような国家に仕えたという意識までもてとはいいません。どうせ一部から「不健全なナショナリズム」だのなんだのとお決まりのセリフを聞く羽目になるでしょうから。 しかしコロナ氏がもっていたよりもはるかに少ない程度の職業倫理さえ富田氏に備わっておれば,今回の騒動のようにメモが外に出て一騒動起きる,ということはなかったはずです。 そう考えてくると,メモが流出した当時,関係者が各紙にいっていたとおり,富田氏が人柄では一流だったとしても,職業人としては三流であったといわざるを得ないと思います。
2006年08月25日
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第一次大戦時,英国の植民地軍として従軍し,戦死したインド兵を顕彰するインド門です。フランスの凱旋門を真似ています。 ここで物売りにたかられました。帽子や子供のおもちゃをセールスしてきますが,「I dont want it」の一点張りでお断りしました(「need」を使うとそのあともたかられることがありましたが,「want」を使うとさっと退散します。何ででしょうか・・・)。 ※意味不明なことにカンマが使えないそうなので,「ドント」の表記はカンマ抜きで表示してあります。 ここからでは見えませんが,門の上の方「INDIA」と書かれた下の部分に出征した地域の名がずらりと書かれていました。 インド門の向こうに見えるのは大統領官邸(旧インド総督府)です。戦死者を顕彰するにこれほどふさわしい場所はないでしょう。 手前に黒い石の台が見えるでしょうか。ちょうどポールで隠れてしまっていますが,この台に逆さに小銃が立ててあって,その上に鉄兜が乗せられています。これが,第二次大戦で植民地兵として従軍し,散っていった兵士たちを顕彰するための像になっています。(ちなみに,無宗教です) 警備の兵隊さんたちです。 インドで軍務に従事する人たちはシク教徒(我々が一般にインド人と聞いて想像するターバンを頭に巻いた人たちです。ちなみに,シク教はヒンドゥーやイスラムのように食べてはいけない肉はないとか。)が多いとか。この人たちもシク教徒かもしれませんね。 ネタジ(「指導者」・「頭領」の意)・スパス・チャンドラ・ボースを記念した公園です。ボースは以前も書きましたが,ガンディーの非暴力不服従とは対をなす,いわゆる武闘派です。インドの若者の間ではガンディー以上に人気があるそうです。 ボースが指差しているのは・・・ これ,ラール・キラー,通称「赤の要塞」。インド支配の象徴だったということです。 鳥のような鳴き声がすると思って上を向くとそこにいたのはリス。デリーは緑が多いだけでなく,猿や牛,リス等動物もたくさん住んでいる都市です。 リスの鳴きまねをしてみたら,驚いたのか「?!」と,こちらを向いてくれました。すかさずシャッターを切った自分。そばにいたインドの警察官がニコニコしながらこちらを向いていたのは多分「こんなとこまできてリスを撮るなんて珍しい人だなぁ・・・」ということだったんでしょう。 ボース公園の外です。手前にかがんで何かしている人たちはそれまでここで物を売っていた人たち。この写真の前に警官が一喝して店じまいをさせました。さっきまでニコニコしていた警察官がえらい剣幕で怒鳴りつけていました。(ちなみに,昔,なじみのインド料理屋にいたネパール人は「インドやネパールの警察官はすぐ手を出してくるから怖い」といってました) しかしそれも我々観光客が(たとえば変なものをつかまされたとか,ぼったくられたとかいうような)いやな思いをしないように,という配慮だったようです。 なおその日の午後,この公園のそばにあるモスクで爆弾テロがあったそうです。 次に行ったのはフマユーン廟。タージマハルはこれを手本に作ったとのことです。 ごらんのとおり,大変美しい建物です。 急な階段を上って・・・ 中をのぞいたら,お墓でした。奥の壁を見ていただけるとわかるように,ご多分に漏れずいたずら書きをしている奴がいます。不心得な輩はどの国にもいるようです。 ここフマユーン廟には王様と奥様と部下が埋葬されています。ここは部下の間だったと思います。 お墓を撮るのはあまりよくないかなぁ,と思いつつ「撮らせてください」と拝んでから一枚撮らせていただきました。今気が付きましたが,写真右手からまん中にかけて丸い白いものがいくつか写っています。他の写真を確認してみたところ汚れではなかったようです。なんなんでしょうか・・・ 王様と奥様が埋葬されている間の天井です。あの丸いドームの内側はこうなっています。 なに撮ってるんだろ(笑)。こちらはトイレの前にいたリス君です。 バスに戻る途中にみかけた日陰で休んでいた犬です。いわゆる野良犬ですが,近づいていくと尻尾を振って迎えてくれました。 インドでは犬は大変かわいがられているそうで,街のあちこちで見かける犬は買主がいなくても十分に食事と愛情を与えられているようです。
2006年08月24日
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どうしても投稿したい記事があったので,ご紹介します。 偽メール問題で国対委員長を追われた民主党の野田佳彦氏のメールマガジン「かわら版」の8月20日付の記事はまさに正論と思われます。================2006年8月20日 「パフォーマンス参拝」 No.648 小泉総理の靖国神社参拝は、歴史観の欠如した単なるパフォーマンスに過ぎず、いたずらに国内外を混乱させるだけです。 小泉総理は、終戦記念日(8月15日)に靖国参拝すると01年の自民党総裁選で公約していました。その公約を守っただけだと、総理は認識しているのでしょう。しかし、公約だからこそきちんとした説明責任が必要なのではないでしょうか。「心の問題に他人が干渉すべきではない」などという開き直りや言い逃れは今回は許されません。真に心の問題であるならば、そもそも公約に掲げること自体がおかしいのです。 小泉総理は、昨年6月2日の衆議院予算委員会において、靖国神社に合祀されている「A級戦犯」を「戦争犯罪人という認識をしている」と明確に述べています。このように総理が「A級戦犯」を戦争犯罪人と認めるかぎり、総理の靖国参拝の目的が平和の希求であったとしても、戦争犯罪人が合祀されている靖国神社への参拝自体を軍国主義の美化とみなす論理を反駁できません。むしろ、中国の江沢民前国家主席の「歴史問題は終始強調しなくてはならず、永遠に話さなくてはならない」というような非合理な態度を助長するだけです。 私は、「A級戦犯」と呼ばれる人たちはもはや戦争犯罪人ではないのであって、戦争犯罪人が合祀されていることを理由に内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対する論理はすでに破綻しているという立場です。 第一に、昭和27年5月1日の木村篤太郎法務総裁通達によって戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われるようになりました。さらに、戦犯として拘禁中に死亡した場合はその遺族に扶助料を支給する法改正もされました。これは国内法上「戦犯は存在しない」と政府も国会も認識したからではないでしょうか。 第二に、衆参合わせて四回に及ぶ国会決議とサンフランシスコ講和条約第11条の手続きに基づく関係11か国の同意のもと、「A級戦犯」は昭和31年に、「BC級戦犯」は昭和33年までに赦免・釈放されました。刑罰が終了した時点で受刑者の罪は消滅するというのが近代法の理念であるはずです。ということは、全員が赦免・釈放された時点で「戦犯」は存在しなくなったと解釈すべきでしょう。既に「A級戦犯」として絞首刑になっている7名の人々も同様に解するのが自然だと思います。 昨今、他国に追従したり、天皇陛下のお言葉を政治利用するような論調が横行していますが、その多くが「戦争犯罪人」と「戦時指導者の政治責任」を混同しています。いわゆる「戦犯」については、昭和20年代後半の国会で積み重ねられた真摯な議論と法改正を踏まえ、その法的立場を再確認することが急務です。 平成18年 8月20日 野田よしひこ==================(上記記事URL:http://www.nodayoshi.gr.jp/kawara/kawara_top.html) ちなみに,昨年以下の質問趣意書を提出したことをご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。 http://www.nodayoshi.gr.jp/report/inpage/news_04.html 野田先生に敬意を表します。
2006年08月23日
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インドは一日お休みで,今日は今月19・20日と横田基地で行われた日米友好祭の航空機展示の様子をご紹介します。(写真は20日のもの) 最初は,フェアチャイルド A-10「サンダーボルト」攻撃機。OA-10かもしれないですが,自分の能力では識別不可。 空中にあって味方の地上部隊を直接援護するための機体。 サンダーボルトの機首に装備されている30ミリガトリング機関砲。 真横からの一枚。 お次はジェネラル・ダイナミックス F-16「ファイティングファルコン」。戦闘機です。 個人的には次に出てくるF-15より形が好き。 別の機体で正面から見ています。しびれます。 次はマクダネル・ダグラス F15「イーグル」。一般的には最強の戦闘機といわれてます。われらが自衛隊も保有してます。これは沖縄は嘉手納から来ている米空軍の機体。 なんともでかいエアインテークです。左側に見える穴からのぞいているのは20ミリバルカン砲。 こちらはわれらが自衛隊の機体です。 マクダネル・ダグラス F-18「ホーネット」。次の自衛隊の主力戦闘機という噂もささやかれているとか。 これもホーネット。 グラマン(現在はノースロップ社と合併して「ノースロップ・グラマン社」) EA-6「プラウラー」。 こちらは電子戦機といって,戦うのではなく,上のF18などと行動を共にしつつ,敵のレーダーをかく乱したりして,彼らを支援するのが目的の機体です。 こちらは特別ゲスト。韓国からいらした高高度偵察機のロッキードU2です。初めて肉眼で見ました。世界史上のいろいろな事件に絡んでいるミステリアスな機体です。 普通の飛行機よりも警戒線が遠くに引いてあったので,あまり近寄れなかったのが残念。この機体だけ自動小銃で武装した警備がついていました。 U2の車輪。さぞかし飛ばすのは難しいことでしょう。 横からみたU2。 うしろから見たU2。 電池切れが近づいていたため急いでとったボーイングE3「セントリー」,早期警戒管制機。空中のレーダー基地と思ってもらえればほぼ間違いはないと思います。 それにしてもでかいレーダーです。 ロッキード P3「オライオン」対潜哨戒機。自衛隊の機体です。 この機体が我が国の領海を日夜監視しています。 正面から見たP3。いつもご苦労様です。 電池切れ前,最後の一枚。デモ飛行中のベルUH1「イロコイ」です。ヴェトナム戦争で大活躍した汎用ヘリです。 なお,給油機と輸送機,対潜ヘリは割愛しました。
2006年08月22日
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お世話になったタージ・マハルホテルの一室です。 何を血迷ったかバスルームを一枚(笑)。ちなみにユニットバスでした。 そうそう,トイレは西洋人仕様なのか,足の長い人々に合わせて作ってあったので,足が床まで届かなかった・・・ インドの紙幣。全部ガンディーの肖像画が入っています。如何に尊敬されているかがわかります。 翌日朝,ホテルから撮ったデリー市内の様子。こんな感じの都市なのかなぁ,と右手を見てみると・・・ 近代的なビル群が立ち並んでいました。長い歴史+経済発展=デリーって感じです。 なお最近,どこかのテレビ番組で「インドにビルはない」と間違えた事実を伝えた経済学者がいたそうですが,大嘘ですので信じないでください。それは上記の写真を見ていただければわかりますよね? 一日目の観光で一番最初に行ったところ。ガンディー最後の地です。ガンディーが暗殺されたその日の足跡が再現されています。 以前も書きましたが,ガンディーはこの日普段どおり民衆に話を聞かせるため広場に行こうとしていました。 足跡の拡大。夜になると足跡の前のほうの穴に明かりが灯り,ライトアップされるようになっているようです。 足跡はずっと続き,ここで途切れています。あの石碑が建っているところがガンディー最後の地です。 石碑によって撮った写真です。ガンディー最後の言葉が刻まれています。「あぁ,ラマ神よ」と書いてあるそうです。 ガンディーはいつもこの椅子に座って広場に集まった民衆に語りかけていたそうです。ガンディーはここに向かっている途中,先ほどの場所で暗殺されました。 ガンディーの言葉です。自分の乏しい英語力で真意が伝わるかどうか恐れますが,一応下に訳を掲載しておきます。 「非暴力こそ,原子爆弾でさえ破壊できない唯一のものだ。広島が原子爆弾でなぎ払われてしまったと聞いたとき,私は微動だにしなかった。むしろ,私は「もし世界が非暴力を選ばなければ,人類は破滅の道をたどらざるを得ないだろう」と,自分に言い聞かせたのだった」 これは先ほどガンディーが座っていた椅子の隣に掲げられていたガンディーの言葉。ガイドさんの説明とあわせて意訳してみました。 「私は,世に存する邪悪を祓う希望のために祈っている。非暴力を信ずるものたちよ,私と共に祈ろう」 バスに乗って次の目的地へ向かっているバスの中から。デリー市内はどこもこんな雑多な感じです。でもなんとなく懐かしい気がします。こういった場所に暮らしたことはないんですが,それでも懐かしさが感じられました。なんでかよくわかりませんが。 右より黄色い屋根のついた乗り物がかの有名な「オートリクシャ」。天然ガスで動いているので環境にやさしい。環境にやさしいのはいいんですが,とろいので交通渋滞の元になっています。なので,近い将来,オートリクシャは使用が禁止されるとか。 お店です。ジュースのほかに果物を売っているようですから,日本でいうところのスーパーみたいなもんでしょうか。 こんなところでもしっかり商売しています。 これはさる有名な金持ちが食うのに困っている貧乏な人々のため,彼らに無料でご飯を食わせてあげるためにつくった場所なんだとか。 インドの金持ちは社会貢献をかなりするようで,こういった場所があちらこちらにありました。 「聖なる動物」の牛さんです。日陰でだれています。なんでも牛はシヴァ神の乗り物なんだそうです。この牛の主のシヴァ神はどこに行っているんでしょう? これは貧民街です。最下層の人々が住んでいるところ。崩れそうになっている(というか既に崩れている?)家が立ち並んでいます。 近い将来これらは取り壊され,ここに住んでいる人々は政府がこうした貧民のために現在建設中のアパートに移住させられます。 これも貧民街。 インドの交通事情をよくあらわしている一枚。本来は何車線なんでしょうか(笑) こんなところで運転する勇気のある方,いらっしゃるでしょうか・・・ バス停です。 でも,この人たちは必ずしもバスを待っている,とは限りません。 インドでこうした休んでいるような感じの人々がいる場合,それは仕事中の人である場合もあるんだそうです。 日本人からすると「休んでるんだろ?」ということになりそうですが,彼らの認識では「仕事をしている」ことになっているんだそうです。 国立博物館内の写真はたいしたことないので,割愛します。 昼食を取って午後第一番目の見学先,多宗教の寺院,ロータス寺院です。蓮の花をかたどっています。その美しさ故,観光客は絶えません。 ネットでは「シク教の寺院」と説明しているところもありますが,多分誤りだと思います。もしそうならば,ターバンを巻いた人たちが多いはずですがあまり見かけませんでしたし,現地のガイドもシク教の寺院だとはいってませんでしたし。ひょっとすると,開祖はシク教がオリジナリティの人だったのかもしれません。 次の観光先,ラクシュミ・ナラヤン寺院では写真をとらなかった(カメラの持ち込みが禁止されていたので)ので,写真はありません。 夜に行われたレセプションの写真は別段紹介するまでもないので割愛します。 ではパート3をお楽しみに。
2006年08月21日
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半年遅れで写真を公開いたします。心だけインドに飛んでみてください(笑) これから初めて飛行機に乗るということで,かなり舞い上がっていました。上がこれから乗るエア・インディアの機体。ここからだと遠くてわかりませんが,窓の外の模様もインドチックです。なお,事情通によると,このパイロットはかなり上手だったそうです。 離陸直後,房総半島沖でしょうか。海が荒れているのがわかります。このとき自分は耳鳴りというかなんというか,飛行機に乗った方だったらわかると思うのですが,それに襲われてました。 ・・・と,そのとき,上から水がドバドバっと落ちてきました。 その直後にとった写真。割れ目の真中あたりに水滴が見えるでしょうか。 雲の中にいます。エンジンがフル回転して,時々大きくがたがた揺れるのを見ると,ちょっと怖かったり・・・ 雲の上に出ました!一面青と白の世界です。 初めての機内食。二色のカレーとインディカライス,パンとヨーグルト,ちょっとした添え物,名前は忘れましたが何とかっていうインドの北のほうで食べる奴(真中上に見える平ったいやつです),それからやたら甘いデザートとオレンジジュースという内容。これから牛の如く5回も飯を食わされます。案外ぺロッといけましたが。 日本で当時公開中の「プロデューサーズ」をタダ見しながら味わいました。 どこなんだかよくわかりませんが,初めて見た地上です。島でしょうか。沖縄あたりだと思うんですがよくわかりません。 このあとカメラにはそういう島や陸地ばかりが収められていますが,つまらないので割愛。 台湾沖でしょうか,白い航跡を引いて2隻の大型船が(おそらく方向からして)我が国に向かって航行中です。写真外にもう1隻貨物船がいましたがそれも含めてうつすと何が映ってるかよくわからなくなるので,手前の2隻だけ写真に収めました。 下は多分タンカー,上はコンテナ貨物船のように見えます。もしそうならばどちらも相当大型な船ですが,1万メートル上からだとアリみたいに見えます。 シーレーンの重要性がちょっと感じられる一枚。 ここまでくると飛行機に乗った感動もかなり薄れてまして,写真はほとんどとらなくなります。 トランジット先のバンコク・インターナショナル・エアポート(タイ)での一枚。これだけじゃ,どこの国だかわかりませんね・・・ このときに乗ってきたタイの空港の職員にめちゃくちゃかわいい子がいて,国際的なナンパをしそうになっちゃいました(笑)。 軽食(サンドイッチが昼食の後に出ました)についで3回目の食事です。夕食ということになってますが,昼食からあまり時間は経ってません。父曰く(ウンザリした顔で)「腹減ってないんだけど・・・」 タイで載せたのか食事の内容もごらんのとおり,インドというよりタイって感じです。 我々は東から西へと移動しているので,太陽を追っかけてる感じです。これはベンガル湾上空に沈み行く夕日。写真だと美しさが伝わらないかもしれませんが,ホントにきれいでした。 ちなみに写真右上部に見える光の筋は,おそらく窓に反射した機内灯です。
2006年08月20日
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<歓迎!李先生>Sankei Webより===============【台北=共同】台湾の李登輝前総統の事務所は19日、前総統が「純粋に観光、文化交流を目的」として9月12日から17日まで訪日すると発表した。李氏を「台湾独立勢力の代表的な人物」とみる中国の反発は必至だ。 李氏は今年5月、日光や松島など松尾芭蕉の「奥の細道」ゆかりの地を約2週間訪問する計画だったが、3月と4月に肺結核で入院し、訪問を延期していた。 今月13日の会見で、9月の訪日を希望し、長期の旅行は「身体的にきつい」として日程短縮の意向を示していた。 李氏は2001年4月、心臓病治療のため約16年ぶりに訪日。04年末に再び日本を訪れ、名古屋、金沢、京都などを観光した。 (08/19 16:53)(http://www.sankei.co.jp/news/060819/kok055.htm)=============== ついに台湾民主化の父が来日します。例の如く隣の共産主義独裁国家がネチネチといってきてますが,無視無視。 李登輝先生の来日を心より歓迎いたします。アジアの偉人,李登輝先生 <窓際族に呼びかける売国奴。これぞ最高のお笑いネタ>Sankei Webより=============== 民主党の鳩山由紀夫幹事長は19日朝の民放テレビ番組に出演し、17日夜の超党派議連「国立追悼施設を考える会」幹部らの会合で、自民党の山崎拓元副総裁や加藤紘一元幹事長らに政界再編を促したことを明らかにした。 鳩山氏は、自民党総裁選で独走状態にある安倍晋三官房長官が次期首相になった場合、「アジアとの関係がますますおかしくなる」と主張。山崎、加藤両氏が森喜朗内閣に反旗を翻した平成12年の「加藤の乱」を念頭に、「ここでもう一度、決起でもしたら」と持ちかけた。しかし、山崎、加藤氏らの反応は「必ずしも『分かった』という話ではなかった」ことも認めた。 (08/19 13:44)(http://www.sankei.co.jp/news/060819/sei052.htm)=============== 鳩山という人はその名のとおりハトぽっぽであられることで有名ですが,ついにそれのみならず,派閥の領袖であるにもかかわらず派閥のメンバーである武部幹事長にしばしば批判されるエロ拓こと山崎拓氏と,窓際というよりも手すり際で平均運動をしているかの感のある加藤紘一氏という自民党二大冷飯喰らいに「決起」を呼びかけるセンスのなさを露呈しましたね。 別段コメントすることもありませんが,一言「バッカみたい」といわせてください。 <さて,その武部幹事長は・・・>Sankei Webより=============== 自民党の武部勤幹事長は19日午前、総裁選で安倍晋三官房長官の勝利が確実との見通しを示した上で「今回の外国訪問もその視点で必ず安倍氏の話をしている。安倍新体制をみんなでサポートすることが重要だ」と挙党態勢の必要性を強調した。訪問先のプノンペンのホテルで同行記者団に語った。 武部氏は、山崎拓元副総裁らがアジア外交の勉強会を発足させ、安倍氏をけん制する動きをみせていることに触れ「総裁選が終わる前から足を引っ張るような特異な動きだ。不純で理解できず、党内の支持は得られない」と批判。山崎氏に「副総裁や幹事長までやった人だから、大局を見て実力者らしく若い人をもり立ててほしい」と自重を求めた。 アジア外交については「中国と良好な関係でなければアジア外交はうまくいかないという論理はナンセンスだ。アジアの国々は中国の覇権主義を恐れている。中国にこびるような『土下座外交』は良くない」と指摘した。(共同) (08/19 11:14) (http://www.sankei.co.jp/news/060819/sei044.htm)=============== この間の選挙で復活当選して以来,エロ拓は完璧におかしくなりました。その前から「新しい歴史教科書」の採択阻止運動など胡散臭いことはしていたようですが。 以前は,「外国人参政権反対」なーんていってましたが,今聞いたら「そんなことはいってない」とかいいそうですね,冗談抜きで。 この方,もはや議席に必死にしがみつくだけのただの利権保持屋。もはや公明党の言うことに「マンセー」としか反応しないただのマリオネットです。 一日も早い政界引退を望みます。「政治家」なんて誉めすぎ! <今日の一葉> リアル韓国歴史教科書です。 妄想が激しすぎてついていけません・・・ゴメンナサイ
2006年08月19日
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<著者に心からの賛辞を捧ぐ> 今,ネットで熱いのは東海新報社のコラム「世迷事」です。 8月15日付のコラムは各所で紹介されていますが,16日,18日と続いてホームラン級の打球が続いています。=============== ☆★☆★2006年08月16日付 二十一年間、心の中にオリのようにたまっていたものが、スーッと引いていった。いうまでもなく終戦の日の昨日、小泉首相が靖国参拝を果たし、総裁選時の公約を守ったからである▼首相によるこの日の参拝は、中曽根元首相が最後で、その後の歴代首相は他の日の参拝すらしていない。例外は故橋本龍太郎元首相だが、一度だけ参拝したものの、中国から横やりが入ってシュン。だからこそ外交カードにもされてきたのだが、小泉さんに代わってから事情は一変した▼いくら「行くな」と?ゲンメイ?されても「これは心の問題だ」と取り合わず、就任以来一貫して参拝を続けてきたのは正解だった。中韓が陰に陽に小泉はダメだ、と日本国民に思わせるような工作を続けてきても、その手には絶対に乗らなかった小泉さんの、いい意味での依怙地さ、頑固さは評価されていい。ようやくノーといえる首相が登場したからである▼この問題はもっと早くトゲを抜いておくべきだった。それは参拝から一転して自粛に回った中曽根大勲位の大失点で、以後の歴代はそれを見習い、非参拝を正当化してきたが、怯懦はみごとに見抜かれ、そこを突かれ続けてきたのである。中韓にとって靖国問題など枝葉のことで、本当の狙いは日本をゆさぶり、国論を分断させることにある▼国のために戦って散っていった英霊たちが望んでいるのは、この国が平和で未来永劫続くことであり、その思いが受け継がれて今日の繁栄がなった。なのに首相の任にあるものが、さわらぬ神にたたりなしと逃げ回るのが情けなかった。小泉さんがそのことを思い、断固として範を示したのは当然のことであり、そこに理屈など要るまい。ここで譲っては千載に悔いが残るのみである。☆★☆★2006年08月18日付 小泉首相の靖国参拝阻止に"失敗"したマスメディアは、小泉首相以上に意固地になって、小泉がダメなら安倍があるさとばかり次期に標的を定めたらしい。江戸の仇を長崎で討つというわけである。そうは問屋がおろしてくれるだろうか?▼昨日の岩手日報には共同通信が実施した世論調査の結果が載っている。それによると終戦の日を選んだ小泉さんの参拝を是とするのは半数を上回った。ところがおかしいことに、次期首相の靖国参拝自体は反対の方が多かったというのだ。小泉さんならよくて安倍さんはノーという論理思考はどこからくるのだろうか?▼以前の世論調査だと反対が半数を上回っていたはずである。そこでメディアは「国論が二分する問題に」うんぬんと説明していたが、どうして逆転したのか、そこが国民感情の微妙なところである。なるほど大新聞のいうことも一理はあるが、小泉さんの節を通す姿に、主権国家として主張すべきは主張するということの大切さを見たからではないか▼靖国参拝に小泉以前の歴代首相が及び腰だったことは、そのまま外交にも投影されて常に譲歩を許してきた。だからこそ相手はよけい居丈高になり、さらに妥協を迫られるというその繰り返しが続いてきた。だが前記世論調査によれば、二十代では後継首相も靖国参拝を-とする声が反対を上回った▼これを若い世代の保守化と短絡的に解釈はできまい。あきらかに新しい風が吹き始めてきたのである。それとは別に中国も韓国も予想されたような反発、行動を示さなかった。これも風向きが変わったことを意味する。急速にしぼんでいく風船に空気を入れようとしてももう膨らむまい。穴があいてしまったからだと気付くべきだろう。================ 応援メッセージをよろしくお願いします。 http://www.tohkaishimpo.com/scripts/dokusya/dokusya_bbs.cgi <ミサイルの次は核実験ですか> CNNjより================ワシントン(CNN) 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による核開発問題で、米軍や情報機関当局者は17日、北朝鮮が地下に隠す核関連施設の地上で電信ケーブルの束のようなものがとらえられ、地下核実験の準備作業の可能性もある、と述べた。 ただ、この状況の変化は小規模とされ、断定は出来ない、ともしている。ケーブルの存在を突き止めた手段については言及しなかった。 地下核実験の場合、電信ケーブルは、遠隔地にいる専門家が状況をとらえるために使われるとみられる。米政府高官はまた、地下の核施設でトラックの不審な動きがあり、その後にケーブルの束が確認された、としている。 北朝鮮は今年7月5日、長距離弾道ミサイル「テポドン2」などのミサイル計7発を発射。国連安全保障理事会は非難決議を出し、北朝鮮はさらに態度を硬化させている。北朝鮮核をめぐる6者協議は昨年の11月以降、招集されておらず、北朝鮮は米国が打ち出した事実上の金融制裁の解除を出席の前提条件にしている。 北朝鮮は過去に、米国の偵察衛星を意識したとみられる、核関連の「不審な行動」を示したこともある。(http://cnn.co.jp/usa/CNN200608180019.html) ================ 本当かどうか知りませんが,本当なら今度こそ北の将軍様は息の根を止められるでしょう。 <天気予報でも反日> ここまで目が曇らされてしまうとは,よほど強い薬なんですね,「反日」というのは。 ちなみにこの画像は,今現在九州に暴風雨をもたらしている台風10号の進路予想です。
2006年08月18日
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<誰だ?分祀すれば問題は解決するといった奴は> Sankei Web より==============分祀でも靖国参拝容認せず 韓国政府が内部確認 韓国の聯合ニュースは16日、小泉純一郎首相ら日本の政治家の靖国神社参拝問題について、A級戦犯が分祀(ぶんし)されても参拝は容認できず、問題解決とはならないとの考えを韓国政府が内部で確認したと伝えた。 韓国政府は15日の小泉首相の靖国参拝に対し「A級戦犯が合祀(ごうし)されている靖国神社」との表現で非難したが、今後は分祀問題よりも首相ら政治指導者の歴史認識の改善が最重要との方針で対応する姿勢を示したといえそうだ。 韓国の青瓦台(大統領官邸)関係者は聯合ニュースに対し、靖国神社内の「軍事博物館」である遊就館が侵略戦争を美化する施設と指摘、分祀した後に政治家らが参拝しても容認できないと述べた。(共同) (08/17 00:31)(http://www.sankei.co.jp/news/060817/kok006.htm)=============== やっぱりね~ といった感想しかもちませんでしたね。 結局彼らの目的は日本を自称「偉大なる先進国」の犬にしたいだけなんでしょう。 これから韓国の言うことは一切無視ですね。どうせなら断交したいんですけどね,このストーカーどもと。 あ,そうそう。この件とは関係ないんですが,彼らの脳内では2052年の極東の地図はこうなっているそうです。 ・・・よくわかりません。 <予想はしてましたが「運動」なんだそうです> 皆さん,この方を覚えておられるでしょうか。 「売国奴!」「この転向者め!自己批判しろ!」 などと,右から左からありとあらゆる声が聞こえてきそうですが,いわずとしれた,あのお方です。 このおじいさんが読売新聞の特集「時代の証言者」でこんな告白をされてます。 読売新聞 平成18年8月16日(水曜日) 朝刊11面より(ネット上にソースなし)============= 「自衛隊は違憲だと,これまで強く主張してきたのは社会党と共産党だ。しかし,自衛隊の廃止を真正面から打ち出すことはできなかったし,していない。ある程度是認しながら,運動論として反対ということを言ってきただけなんだ。」============= やはりあれほど浮世離れしたお花畑的主張の数々は政治ではなく運動でなきゃ展開できませんよね・・・ 運動は政界ではなく,お遊技場でしてください。国民が迷惑します。 ※意外と画像の使い方が簡単だとわかったので,本日より画像を駆使することにいたしました。
2006年08月17日
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<戦争と「縁」> 本日は終戦記念日。 であると同時に,実はインド共和国の独立記念日でもあります。 アジア最大の親日国の独立記念日が,我が国がポツダム宣言を受諾した日にあたるというのも何かの縁なのかもしれません。 「縁」といえば,若い人々の中には,今日という日は遠い歴史の出来事であって,自分たちとは何の縁もない日だと思っている人もいるかもしれません。自分もかつてはそう思っていましたが,その認識を変えた事実をここで示したいと思います。 自分の父方の祖父は戦時中,海軍兵学校の試験にパスしました。大日本帝国海軍,連合艦隊は英国譲りの紳士的なイメージのためか,陸軍に比べて人気があったと聞いておりますから(あくまで伝聞ですが),きっとそれほど簡単なことではなかったでしょう。 しかし,祖父はおっちょこちょいなことに,その後の身体検査に朝寝坊して遅れました。遅れて検査場についたとき,門は硬く閉ざされていたと聞いています。 祖父は海軍に奉職することはかないませんでしたが,商船学校を卒業していたため,階級を付与され(当時の商船学校出にはそのような扱いがされていたそうです。階級だけでなく軍刀ももらえます),内海で軍需工場用の物資を運搬する貨物船の船長をすることで国に奉仕し,そのまま終戦を迎えました。 ところで,うちの父は戦後昭和22年生まれですから,父が生まれるには祖父が生きて終戦を迎えることが絶対条件でした。そこで翻って考えると,帝国海軍,連合艦隊は終戦時ほとんど全滅状態で,多くの将兵が太平洋に眠っていました。仮に祖父が身体検査に遅れず,晴れて帝国海軍軍人となっていたならば,父は生まれず,従って自分も生まれていなかったでしょう。よほど幸運でない限り・・・ そういう風に考えると,実は大東亜戦争は自分にとって非常に身近なのだ,と思うようになりました。実際,自分の存在がかかっていたわけですから,身近に感じざるを得なくなったというのが真相でしょうか。 自分は大東亜戦争(あるいは「太平洋戦争」といったほうが親しみやすいでしょうか)に無関係だ,と思う若い人は,おじいさんやおばあさんの話を聞いてみるといいかと思います。実は自分と大東亜戦争の距離は自分が思っていたほど遠くはないのだ,ということが認識できるでしょうから。 <大東亜戦争なかりせば・・・> さて,ここでもし大東亜戦争がなければ・・・というよく左翼人士が語る夢物語を考えてみます。 確かに戦争がなければ,我が国は多くの人命を戦争で失うことはなかったでしょう。これだけ考えれば非常に結構なことだとも思えます。 しかし果たしてそれですんだか,というところまで考えを及ぼさなければ,戦争がなければそれで本当に良かったのかどうか,という問いに対する答えは出ません。 そこで仮に戦争がなかったら,つまり我が国がアメリカの要求をすべて受け入れたとします。どうなるでしょうか。日本は満州から手を引き,インドシナから撤兵し,かつ日清日露で先人たちが血を流して得た大陸の領土を手放さなければならなくなります。その結果はどうなるのでしょう。 それに関しては有名なマッカーサー発言(上院外交軍事委員会にて。1951年5月3日)がありますので引用してみます。(小堀桂一郎さんが編んだ「東京裁判 日本の弁明」より。原文は旧仮名遣いですが,修正してあります)====================問 5番目の質問です。赤化支那に対し海と空とから封鎖してしまえという貴官の提案は、アメリカが太平洋において日本に対する勝利を収めた際のそれと同じ戦略なのではありませんか。答 その通りです。太平洋において我々は彼らを迂回しました。我々は包囲したのです。日本は8000万に近い膨大な人口を抱え,それが4つの島にひしめいているのだということを理解していただかなくてはなりません。その半分近くが農業人口で、あとの半分が工業生産に従事していました。 潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまで接したいづれにも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの時点においてか、日本の労働者は、人間は怠けている時よりも、働き、生産している時の方がより幸福なのだということ、つまり労働の尊厳と呼んでもよいようなものを発見していたのです。 これほど巨大な労働力を持っているということは、彼らには何か働くための材料が必要だということを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有していました。しかし彼らは手を加えるべき原料を得ることができませんでした。 日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い。その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。 もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。」==================== 実は緑色の部分も非常に重要な部分なのですが,今ここで重要なのは赤色の文字の部分。さて,国内に1000万からの膨大な失業者が出た場合,その国はどうなるでしょうか。 当時の日本の人口は,終戦間近い時期に踊る「1億特攻」という言葉に惑わされがちですが,マッカーサーのいう数字より少し少ない7100万位であるといわれています。戦争で300万からの人命が失われていますから,開戦するか否かの決断を迫られたいた時期にはおよそ7500万の人口を有していたことになるでしょうか。 さて,そうすると国民の1/7が路頭に迷うことになりますが,そうなるとどうなるでしょうか。治安の悪化,政情不安,頻発するデモ・・・まるで第一次大戦時に革命が起こってひっくり返ってしまったどこかの国を思い起こさせる状況です。当時軍人には共産主義革命を目指していた人々もいたということですから,下手をするとクーデターなんかも起こりうる状況です。 共産主義を世界に広めようと狙っている北のほうの大国にはこれほど好都合なことはないでしょう。ありとあらゆる手を使って共産主義革命を誘発する工作をなしてくるに違いありません。この工作が見事成功し,日本に革命が起きてしまった場合。新たに生まれた「日本社会主義共和国」はどのような道をたどるでしょうか。その結果は,冷戦崩壊時明らかになった,共産主義国が味わった悲哀を見れば想像するに難くないでしょう。 共産主義革命が成功はしないで,ただ共産主義者と政府とで内戦が起こったという場合もありうるかもしれません。この場合,太平洋の向こうの国には大変好都合なことになります。内戦に介入して政府を助けて,恩を着せ,日本を大陸進出のための基地として大いに活用できるでしょう。あるいはソヴィエトも共産主義者を助けるために介入し,さながらソ連とアメリカの代理戦争の地となった朝鮮と同じ状況が生じるかもしれません。そうなれば,国民が塗炭の苦しみを味わうことは火を見るよりも明らかです。 あるいは虎視眈々とアジア進出を狙う英国やオランダ,フランスも介入してくるかもしれません。 1000万からの膨大な数の失業者が出て普通でいられる国はまずありません。「平穏無事に工業国家として身を立て,つつましく暮らす」なんていう左翼人士がお考えになるお花畑的夢物語は到底実現すべくもないでしょう。 このような状況にあって,指導者はどう判断すべきか。・・・難しいですね。お昼ご飯を牛丼にするか,豚丼にするかなんていう生易しい判断ではありません。 結局こういうあり得べき状況を考慮に入れ,先日述べた同時性の原則も考慮に入れると,戦争に突入する,いちかばちか賭けてみるという決断もやむをえないように思います。 もちろんその代償は大きなものでした。300万を超える同朋を失い,多くの人が愛する家族を失う羽目になりました。国土は爆撃で荒廃,ことに広島・長崎は原子爆弾で壊滅してしまいました。そして戦前に有していた海外領土はすべて喪失,国土は大幅に減少しました。加えて戦争に付随して多くの不幸な出来事もあったでしょう。しかし,戦争をしなければ今我々が享受している未曾有の豊かさは確実に享受できなかったでしょうし,場合によっては戦争をしたよりも多くの犠牲が払われなければならなかったかもしれません。ひょっとしたら,いまだに国土は南北に,いやそれ以上に細分化され,統一もままならない状況だったかもしれません。 このように当時の政府が「戦争をしない」という選択をしても,それがはたして後続にとって良い選択であったかどうかはまったく未知数なのです。 それにもかかわらず,「戦争をした」という選択を軽々に非難しても良いものか。終戦の日に多くの偏った報道に触れ,そう思わずにはいられません。
2006年08月15日
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かつて,フランス革命の体現者といわれた同国の英雄,ナポレオン=ボナパルトは次のように語りました。 「『歴史』とは,私の理解するところでは,個人と民族とを,それがその時代の直中から現れることのできたままの姿において捉えるものでなければならない。必然的に彼らの行動に大きな影響を及ぼすはずの外部的事情を考慮に入れ,その影響がどの程度に及ぶものであるかをはっきりと見なければならない。」(オークターヴ・オブリ編 大塚幸男訳 「ナポレオン言行録」(岩波文庫)p233,ラス・カーズによる『セント・ヘレナの物語』の抜粋から) 彼の言葉を現代風に言い換えるならば,要するに「歴史上の事実は,その事実・行為があった時点の事情を十分に考慮し,それがどの程度それらの事実・行為に影響を及ぼしているのかをしっかりと認識しなければならない」といったところでしょうか。更にアカデミックな言葉に言い換えるならば,「同時性の原則」を明らかにしたものということもできるでしょう。 歴史上の事実や歴史上の人物のなした行為を「良い悪い」といった価値基準で判断する場合,その判断はその当時の常識や社会通念をもって判断されるべきであって,現在の常識や社会通念で判断されるべきではありません。なぜなら,後者のように現在の常識や社会通念で判断すると,それは不衡平な判断をもたらしかねないばかりか,場合によっては歴史上の真実を見誤らせてしまう原因ともなりうるからです。 卑近な例をあげてみます。 たとえば,X君に告白してくれた女性がいたとします。その当時X君は,その女性のことが嫌いでしたので,彼女の告白を無視してしまったとします。その後,X君は長い間女性とお付き合いできる機会がありませんでした。 この場合,その出来事から3年後・5年後にこの事実を知ったX君の友人A君が「X君,君はどう考えてもその当時,その女性と付き合う必要があったんだよ。たとえ君がその子を嫌いであろうとね。それが賢い選択というものだよ」という発言をした場合,この発言は果たしてフェアといえるでしょうか。 あるいはその女性は,当時Y君と付き合っていたところ,その当時の倫理観では「他人の女性と付き合うことは良くない」というのが一般的だったとします。X君はその当時の倫理観に従ったため,この女性の告白を無視してしまったといった場合,A君が「そんな馬鹿な倫理観に従うなんて,君はなんて愚かなんだろうね。君の行為は大いなる失敗だ」という発言をした場合,この発言は果たしてフェアといえるでしょうか。 過去や歴史をあとからあれやこれやと勝手に評価することは,確かに自由なのでしょう。しかし,そういった評価にあたって,当時の常識や社会通念を用いるのではなく,現在の常識や社会通念を用いれば,その当時の当事者が選ぶことができない選択肢を選ぶべきだという批判をしたり,その選択をしなかったことを誤りだと非難することになるなど,適切でない状況が生じます。 それだけに留まるならまだしも,それを根拠に法的な諸手段に訴えるなど言語道断といわざるを得ません。 歴史上の事実を評論化然と批判することはた易いことでしょうが,果たしてそれをするのが妥当なことなのか,それが歴史をゆがめることにはなってはいないか。非難をする前にそのことをせめて自分に問い掛けることくらいは必要でしょう。
2006年08月14日
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<「A級戦犯」> 終戦記念日も近づき,また先帝陛下のメモ問題もあっていわゆる「A級戦犯」ブンシ論についてさまざまな違憲が主張されています。 最近は遺族が「合祀について許可をした覚えがない」と主張をはじめるなど,議論の様相も変化を見せてきているように思います。 さて,いわゆる「A級戦犯」については,既に多くの先生方によって論じられているところですから,素人の自分がブログで口を出す余地などないのかもしれません。 ただ,まぁ自分の頭の整理もかねて,少しお付き合いください。 1:問題のある極東国際軍事裁判 まず,「A級戦犯」を断罪した極東国際軍事裁判(いわゆる「東京裁判」。以下「東京裁判」とする)は,戦勝国が裁判官を勤めるなどその裁判所の構成において偏っており,近代刑事裁判において被告人が有するとされる「公正な裁判所における裁判を受ける権利」を侵害しているといわざるをえません。 また「平和に対する罪」は,「A級戦犯」が犯したとされる事実があった時点において存在しない構成要件であるところ,現在の刑事法の規定が,過去の事実を律することは,近代刑事裁判の原理であるところの罪刑法定主義のうち,事後法禁止の原則(遡及処罰禁止の原則とも。人は行為時に違法とされていなかった行為について処罰されることはないという建前)に悖るものです。 さらに,弁護側の弁論が制限されたり,訴訟資料の提出を妨げられたりするなど裁判手続において公正さを欠いていたようであり,そうすると,適正手続の法理にも反していたことになります。 以上の事情を考慮すると,東京裁判は内容云々よりも,すでにその構成において不当であり,「A級戦犯」が犯罪者として扱われるいわれはない,というべきだと思います。 2:仮に戦犯だとしても刑に処せられることにより,罪を償った 仮に以上の点をすべて論破されて,「A級戦犯」を犯罪者として扱わなければならなくなったとします。 だとしても,A級戦犯の人々は獄死された人以外はすべてその刑に服しており,罪を償っています。 にもかかわらずこれをいまだに犯罪者扱いすることは,適切でないというべきだと思います。 <TBS放送免許剥奪の署名> TBS放送免許剥奪について署名を募集しているようです。 ご協力をお願いしますm(_ _)m https://www.powup.jp/sign/tbs.aspx
2006年08月01日
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