全18件 (18件中 1-18件目)
1
先日新聞にうなずくコメントがありました。 医は仁術という言葉がある。 人に恐怖をあおって、予防注射や薬を押し付けるのではなく、十分な休養と睡眠をとり、身体を動かし太陽に当たり、野菜や果物を中心とした食生活をすることを教えることが医療倫理ではないだろうか。 GDPの成長にはほとんど後見しないが、少なくとも私はそれが一番の新型インフルエンザ対策だとおもっている。 日本の医療費は34,1兆円(2007年)でGDPの役9%をしめる巨大産業である。それより大きな利権が存在する。 ---- (ビル ドッテン) 最近、外国の方がメンタルなことをのべられるのが多くなりました。 日本人の日本的思考を自信もって思い出さねばならぬようです。
2009年11月30日
コメント(0)
{蚊に襲われてたまらない。 そんな時多くの人は殺虫剤を手にし、襲い来る蚊に向かってシュッシュッと噴射する。そうすれば確かに蚊は死んで落下する。 しかし蚊は大群で襲ってくるのだ。 その大群に対して毒性の高い殺虫剤を噴射し続けていくならば、やがては自分まで毒にやられて参ってしまうだろう。 蚊の大群をやっつける武器は殺虫剤。 だからこの戦いでは、蚊がまだ大群にならないうちにやっつけてしまうことが重要とされている。} {もう一つは「なぜ蚊が発生するのか」考えかた。 よくよく考えてみたら、すぐ近くに汚いドブがあった。 そこでは蚊が卵を産みつけ、それが次々と孵化し羽化して蚊の成虫になり続けている。 そこで、そのドブにきれいな水を流して、流れを造りだす。 すると汚かったドブがどんどん浄化され、やがて蚊は卵を産みつけなくなる。 そこまでには多少の時間がかかるが、これでもう蚊の大群に襲われる心配はない。 蚊が消えていくのは時間の問題である。} ある医療裁判の例話として持ち出されたがん治療の話です。 「がん細胞がどんどん分裂増殖して転移もするから、がん細胞を摘出したり殺したりすることががん治療の基本で早期発見、早期治療を唱える現代医学」 それにたいして、「がんの発症は免疫機構が破壊された結果であるから、治癒するには免疫力を元の健康状態にもどすこそが基本」とする治療法です。(ソマチッドと714Xの真実稲田芳弘) 手術に成功したが、2年後に再発で私の友はなくなりました。 血液が前身を巡ってる1個の生態であり、全身的な病気が局所化したものががんだとすれば、部分をきりとっても体質が同じであれば又発症するのでしょう。人体の免疫機構は次の条件で破壊されるといいます。 汚染されたものを食べたとか、事故や手術の外傷的ダメージなど身体的条件。食べ物によるアレルギー、環境の中の毒物、薬品などの化学的要因。肉親などを亡くすなどの突然のショックなどのメンタルなショック。無力感、抑うつ感など心の中にこもるストレス。精神的こだわり、思い込み、植えつけられたイメージなどの深層心理的な影響。 物質面ばかりでなく、メンタル面も重要なファクターになることは、これからの生き方を考えねばなりません。 インフルエンザ対策も予防接種と平行してこれらの事項を注意しましょう。
2009年11月30日
コメント(0)
御祭神 白兎神を主神とし保食神を合祀している 鎮座地 鳥取市白兎603番地 例祭日 4月17日お輿途御行事あり 白兎神社は古事記、日本書記に記されている由緒の明らかな所謂「因幡の白兎」で有名な神社である。 古事記に曰く淤岐ノ島にながされた兎、海の和邇を欺きて気多之前まで渡らむとせしが欺きを知りたる和邇により悉く衣服を剥がれ泣き悲しむ兎に八十神の命の命もちて海塩を浴みて風に当り伏せば前にも増して痛みはげしく、ここに大穴牟遅神(大国主命)その兎に教えたまはく「今急くこの水門に往きて水もて何時が身を洗ひて、水門の蒲黄を取りて敷き散らしその上に輾転てば汝が身、本の膚の如と必ず差えなむものぞ」と教えたまいき。 かれ教えの如せしかば、その身もとの如くなりき。 日本医療の発祥の地であり古来病気傷痍に霊験あらたかな神様である。 尚、大国主命と八上姫との縁を取りもたれた(仲人された)縁結びの神様でもある。 (境内案内板より) 蛇足ー 淤岐ノ島は、白兎海岸沖の小さな島とされていますが、語呂読み通りの隠岐の島とした方が時節にあってるのではないでしょうか。 ここ白兎海岸より端を発して鳥取砂丘、浦富海岸から丹後まで山陰ジオパークが認証された今、ユーラシア大陸から分離して日本海を生み日本列島形成し、大陸の痕跡残る地質が語られる大きな舞台に、せめて隠岐の島からにしてあげた方が気宇壮大でいいと思います。
2009年11月28日
コメント(0)
「大国主命と薬膳」 講師は全日本薬膳食医情報協会理事福井先生。テーマがこれ。 医食同源なる言葉は聞きおよんでいますが、実際の薬膳については皆目の無知の私、今日の薬膳講演のテーマが私の食欲をそそりました。 人間の身体は自然万物との調和の上になりたっていて、他の生物と共存してる事、いわゆる「天人合一」の考えを元とし、地元で取れた食材を自然の循環に照らしバランスよく摂ることが薬膳の基本らしいです。 地産地消が一番病気になりにくい体つくりが出来、輸送コストが掛からぬ事は社会経済も元気になることになる原点です。 さて、具体的理論と薬膳は、100余名の薬膳資格取得者の初級、中級の新進気鋭のお兄さん、お姉さん方、全国でも突出した人数とか、この方々に任せて、食欲をそそったもう一つの大国主命さんにズームアップ。 「大黒さまと白兎」は古事記、日本書記にも記された有名な神話で、鳥取の観光地にもなってる9号線沿いに白兎海岸と銘うって存在します。 かつては、「大黒さまと白兎」は、教科書で小学校1年生でおしえました。 戦争に負けてから、神話はうそごととして、取り下げました。 ひつじ小屋で、父なき身ごもりで生まれた救世主を信じる進駐軍に、神話はウソだと言われ取り下げねばならぬ国も哀れでした。 大国主命の兄者の神たちが、ワニをだまして丸裸にされた白兎に、海の水で傷を洗い、風に当たってれば治ると教え、その通りにした白兎は前にもましての痛みに泣き苦しみました。 そこえ兄者達の荷物を背負わされた大国主が来かかりました。 「今すぐ、真水で身を洗って、蒲の穂をとって敷き散らしその上に寝転んで静かにしてたら、元の肌になるよ」とおしえてくれました。 白兎は、大国主命の言うとおりにしましたら、元の身になりました。 というのが神話のあらすじです。 さて、蒲の花粉は生薬として、蒲黄(ほおう)と呼ばれ、外用で傷薬、内服で利尿作用があるとされており、大国主命の処方は、日本医療の発祥が鳥取だと物語ってる事になります。 このような因縁がある鳥取での薬膳は、魂が違うんだと先生は力説したかったんだと思いました。 「大国主と薬膳」おおきな謎掛けのテーマです。 先生は、関東にお住まいですが、倉吉の出身で倉吉のプロジュウサーもひきうけていらっしゃいます。 これから、薬膳の効果が、活力となって街に湧き出すのが楽しみです。 講演後に薬膳料理を、堪能させていただいたて、5-6歳若返った気持ちで帰宅し、寝についた事を付記しておきます。
2009年11月28日
コメント(2)
「西郷隆盛話せる男、国の為なら死ねと言うた」 豪快な豪傑節である。 鹿児島で西郷と呼び捨てにしたら、どやされるとしたものだ。 国のために第一線で働いていただく国会議員さん、政権の立場が変わると、ボケとツッコミが交代するのはあまり頂けないですね。 いいものはいいもの、あしきはあしきものと次元を上げてお国のためにやってほしいものです。 又、肝心の時になって、大将が秘書に裏切られるのはどうしてですか。 秘書が勝手にした、大将はしらないじゃ不可解ですよ。 ばれたから罷免した、そんな得体のしれない奴に懐預けてたんですか。 それとも責任被ってハラキリの美挙ですか。 一丸というのは、一連托生ということ。 もし部下が悪い事したら、親方は責任取る位の雅量持ってくださいよ。 部下に罪擦り付ける位なら、お国のためのお仕事やめましょう。
2009年11月27日
コメント(0)
”たまわり”なんてなんと謙虚な言葉の響きでしょう。 昨日、三朝で、”たまわりの湯”という銭湯に入りました。 大瀬まで用があり、出掛けたついでに、温泉にはいってみようと足をのばしました。 妙見さんが白狼を助けてくれたお礼に授かったという三朝温泉起源の”株湯”は、湯治の原点を残した飾り気のない素朴な温まる湯場です。 でも駐車場に10数台からの車がいて、どうも満杯のようで引き返しました。 最近、インターネットで温泉の起源を知り”株湯”に出掛けてくる方が増えたようで若者にも多く会います。特に連休最後の日で多かったんでしょう。 せっかくきたので、もう一つの銭湯に行きましたら、時間が10時半からとのことで、時間つぶしに川岸を散策してみました。 ネオンと三味の音であでやかな夜の三朝と対照的な静かな散策路がありました。 与謝野鉄幹、晶子、野口雨情、面々の歌碑やお地蔵さんがあって、山影の朝露にぬれた落ち葉を踏む感触も新鮮でした。 川向こうのホテル、旅館は、玄関の華やかさと違い裏側のお部屋空間で、朝日があたり、夕べのお客さんも帰り一段落の様子がテスリに乗っけた座布団などで窺えます。 たまわりの湯は、まだだーれもいない1番風呂、手桶も、腰掛もきれいに積んであり、真丸い湯舟からはお湯が溢れでていました。 湯気でかすんだ鏡をふくと、久しぶりにみた白髪のわが顔が笑っていました。 湯舟に入ると、ザーッと溢れるお湯に思わず腰をあげ贅沢な心地でした。 温泉は限られた地にしかありません。 その天恵の財産を世人に振舞うのが守り人の勤めと、たまわりの湯と命名し一般客に開放された地域振興会の方々の心根が粋です。 受付の年配のおばさんの応対と笑顔も又素敵でした。 周辺の地域人もこの恩恵をうけ、元気になり、温泉が発展し観光客も安心してどんどん来訪あるように協力したいものです。 そして、心ゆたかな1日を送った事はゆうまでもありません。 異説白狼伝説 三朝温泉
2009年11月24日
コメント(0)

ここは、はるか下手に平野があり大河の流れは姿もみえない丘陵の高台です。道路の上を水が流れていきます。写真の上は水路です。 そして下の平野と同じく、稲穂が実る田園がひろがっています。 溜池を造り、かなたの山懐から水路を導入し、数個の溜池をつなぎ丘陵地の灌漑を円滑にし水田を造りあげました。 先人のこの洞察力と団結力は見上げたものがあります。 ここを通る時、熱い思いがわきあがってきます。 この先人のバトンしかと受け継ぎ、次につたえる使命があります。 一見してみてください。狼谷溜池ダム(大山池)円筒分水工
2009年11月23日
コメント(0)

22日、ため池替えに手伝って、昼食が又、野趣豊かな無上の昼食を頂き、午後竹林の整備に切り倒した竹を担ぐのを手伝いました。 5時近くまで作業、家に帰って今度は上方落語会に豊田家に直行、誠にあわただしいい1日でした。 無上の野趣豊かな昼食の報告しようとしたら、上まぶたと下まぶたが合同合宿し、昨夜ブログ途中放棄しました。 あらためて報告する前に昨夜の落語会で、桂小文吾さんの「道具屋」の噺で面白いことがありました。 「鯉の滝登り」の話がでまして、昼間の鯉とり、昼食の鯉こく、鯉に関係が次々にあるもんだと苦笑、活字違いのこいにぶっかると最高でしたが。 さて、竹ずつで炊いたご飯ご存知ですか。? 手前の小さな口の竹ずつが米と水がはいったもの、大きな口で今野菜をいれてるのが、肉と調味料が入った料理筒です。 下から火を燃やします。 強くなく、弱くなく、竹を燃やさぬように、中に熱が通るように。 竹をナタで割りご飯をとりだします。 ご飯がでました。 鯉こくの味噌汁を世界に一つの竹の器につぎます。 「どう、おいしいか?」 「うまいよ」 作った者も初めて、出来具合がきになります。 こんなおいしいの食ったことない味でした。 食事にはいったので、撮影する事を忘れ写真はなしです。 これはNPO活動で、薬膳料理や竹りんの整備、地域文化活動等を行っています。 団体の所長さん、社長さん、農家のお父さん、会社員のおにいさん、みんながもくもくと作業してる姿は、命令もなく、自主的で、自分の家の仕事の延長のように気楽に動いています。 ジョークあり、笑いあり、都合つく人が来て、都合あったら帰り自由の活動です。 池に水が貯まったら、又池に還す鯉も来年には又一回りおおきくなってお目見えすることでしょう。 目の前の山も白いものがおりています。 ここもやがて雪の中になるでしょう。 新型インフルエンザに負けないように気つけましょう。
2009年11月23日
コメント(2)

灌漑用水池を干して、保全、点検をするということで参加さして頂きました。 縄文、弥生、奈良時代の複合一大遺跡地帯。今は山の中。 溜め池の出来る前に、人口的にたたらの窯築粘土、奈良時代の寺院、国分寺等の瓦の原料を掘った跡では? これが神秘の池の底、満々と澄み切り、先頃まで紅葉を写してた面影はいずこに。人口の掘削跡がみられるも堤防のためなのか、流水による河川拡大にしては不自然な面もあるようで? それにしても、排水口が堤防下の底にあり、その止水栓は4メートル上でハンドルで螺旋を回し明け締め出来るようになっていて、画面の人がハンドル回してる1メーター下に第2の排水溝の止水栓があり、その第2の止水栓も人がいるところより4メター上で螺旋ハンドルをまわすようになっており、ここも1メーター下に第3の止水栓がついていて、さらに4メーター上の岸辺に螺旋操作のハンドルがあり、除除に水を抜いていくように細工してあり、安全面は立派なもの感心しました。 堤防際に緊急排水管が口をあけていて、オーバーフロウしないようになっています。 さすが2重3重の安全策が山の中の池にもちゃんとしてあるんですね。 こんな池の鯉が沢山とれましたが、軽トラックで池横につくった仮タンクに移し、池が満杯になってから池に放すそうです。
2009年11月22日
コメント(0)
まい朝、新聞にかじりついてどうなったか「三人の二代目」を国会の仕分け作業と同じ目線で読んでいます。 堺屋太一氏の新聞連載歴史小説で、戦国時代の毛利輝元、上杉景勝、宇喜田秀家のそれぞれが、先代から大領を受け継ぎ2代目として、信長、秀吉、家康とのからみあいの物語です。 当地は、尼子に平定され、それを追って来た毛利がこれを駆逐し毛利になびきました。 織田信長の庇護で播磨上月城に籠った山中鹿之助、尼子勝久を毛利軍が攻める時に、南条元続、小鴨元清も同道し、九州豊後大友戦にも同道しています。 1578年上月城で尼子は滅びましたが、このとき山中鹿之助の子供を託され戦場から秀吉に逃げ込んだのが若き日の亀井滋矩、後の鹿野城主で、鹿之助別れに息子に武士にはなるなとさとし、子、山中新六幸元は富豪鴻池の元祖になったというお話も鹿野の、鹿之助を祀る幸盛寺には鴻池の寄進があるを聞き納得です。 この天正6年(1578)は、秀吉が鳥取攻めに来る2年前の中国路での攻防。 荒木村重が信長を裏切り、高山右近が村重を裏切り信長につき。 宇喜田秀家が毛利から秀吉に着こうかと旗色をうかがってるところ。 二代目毛利輝元が、伯父らに初めて出軍の号令を掛けようとしてるところ。 ここ山陰では、秀吉に諫を通じたのが毛利に知れ、山陰担当の吉川元春が山陰平定にとりかからんとする折、毛利の全軍が播磨に集中できない困った構図です。 天正8年(1580)からの秀吉の鳥取攻めで、織田と毛利の陣取り合戦は山陰に移ります。 倉吉岩倉の城は吉川軍に落とされ、羽衣石南条もあわやと言う時、信長が天正10年(1582)に死に、和議がなりつかの間の和平がきました。 天下分け目の関が原が慶長5年(1600)3人の2代目も負け組みであったようです。 どうもそれは、2代目だからの理由があるらしいようですが。 このとき羽衣石城主南条元忠も大阪城で死にました。 元岩倉城主、小鴨元清も流浪し作州で不慮の死をとげました。 果たして2代目たち3人は逆境をどんなにして乗り切るのでしょうか楽しみです。
2009年11月21日
コメント(0)
野党退場、与党強行採決は、どこかで聞いた言葉だ。 与野逆転で、悪しきを改め、良きを進めると期待すが、以前として同じ国会運営だ。 同じ穴の狢とはかくのごとし。 理由はどうあれ、こんな採決しかできない国会は零点である。 国民の代表として、出てる事を第一に考えてほしい。 権力争いしてる江戸末期の藩騒と同じだ。 地球、世界は大きく動いている。 人民は贅を求めていない、公平をもとめてる。 大事な事は、論を尽くして与野退場なく決して欲しい。 行政の矛盾、暗部を明らかにし、公平を進める技は今回の与党の良き事と賞賛すべきことであり、今、野党も一致して、国会全体で改革に傾注すべきことだ。 方便を数でごまかす手法は、友愛マニフェストにはないはず。 国会対策委員長が立場かえればかくあると笑って答えていたあの顔は魔顔である。
2009年11月20日
コメント(0)
「あなたはどなたですか?」 「えっつ} 友は、言葉につまったといいます。 彼の母御は卒寿が4,5年前だったから、94,5歳になります。 久しぶりに帰省したら、彼の母親からいきなり、「あなたはどなたですか?」と聞かれてショックを受けたといいます。 弟のほうは、覚えてるようですが、彼は頭が白髪になってるので、母御には黒髪の優男が記憶されてるので眼中になかったようです。 昔の記憶は、詳細に覚えてるようですが、最近のはあいまいのようで、達筆の筆ももてず、愛読の書も忘れ、木漏れ陽に椅子にもたれて居眠りの境地は幼児にもどったようだったといいます。 人生の努力と経験の記憶も一つずつ手放して、生まれ赤子の境地にかえって、現世を卒業していくものだろうなと語っていました。 無常という厳然たる掟が存在するのは如何ともしようのないことです。 又時間を作って、会いにいくんだと友は淋しげに笑みました。
2009年11月18日
コメント(0)
年賀状が売り出され、一色年末気分をかもしだします。 賀状をかいてると気分が年のENDを感じさせるのでなるだけ締め切りまで持ち越すようにしていました。 「賀状来て 正月きたかと思い出す 自炊の生活楽じゃなし」 学生時代に賀状に返事かいて正月にポストしたこともありました。 今年はそんな悠長なことはいってられません。 6月に97の母がなくなったから喪中の挨拶状をみなさんが賀状かかれる前に出さねばなりません。 昨日はワードでハガキを作ってみましたが、中々意のままにならず悪戦苦闘、出来たら今度は罫線が中々消えず、漸くさぐりあて出来上がったのが今朝方でした。 前の年賀状をみてたら、母の賀状があり、もう居ないということが新たに思い出され、息苦しくなり、遠く離れた生活してた不幸を悔やむ始末でした。 普段は離れて生活してたので、亡くなった事も薄らいでいますが、実際に亡くなった実感をハガキなどで味わうと天国があるんだと納得しようとしますが感情のほうが納得しませんようです。 今日はもう止めて、あしたにします。おやすみなさい。
2009年11月13日
コメント(0)
手を翻せば雲となり、手を覆えば雨 紛々たる軽薄なんぞ数うるを用いん 昔漢文で習ったことを思い出した。 国会討論を聞いていたら何だか頭をよぎった。 立場をかえればこうも考え、対処、現象がかわるのか。 正反合が弁証法の原理。 与、野が反発しあって中庸をもとめるのかも。 でも21世紀、人類が地球を暖める時代。 国境すら返上せねばならぬ時代というのに。 154万の新型インフルエンザ患者が日本に増えた。 学級閉鎖1800となったという。 半日から1日に肺炎、脳症が併発するという。 呪縛におびえてはならぬが空気がいやに重苦しい。 うがい、手洗い、マスクでウイルスに対抗。 竹槍で戦争したことをおもいだす。 与も野も同じ殿堂のお殿様。 議して決せぬ小田原評議とならぬよう。 帰りたいのにかえれない北朝鮮拉致同胞忘れまい。健康最前線
2009年11月09日
コメント(0)
中国山地は花崗岩地帯で、なかでも風化したいわゆる真砂土化したものに砂鉄が含まれ、古来この砂鉄を採るたたら産業が栄えました。 水に流して砂は軽くながれ、砂鉄は重いので足元に留まります。 だからこの水を得るためにナンKも向うから山の上、下を穿って井出をつくています。水はなければならぬものでした。 その土木技術、高低の測量は、みあげたものがあります。 次に砂鉄を溶解する燃料は松が一番火力があってよかったようです。 ここ鳥取中部地区は松の産地と言われただけあって、重宝がられたようです。 も一つ、窯をつぐ粘土がいりますが、大山からの火山灰そうが粘土化して手ごろな場所にたたらの窯ができました。 たたらで砂鉄と炭が同量要ったようで、炭はかさばるので、砂鉄の方を炭のあるほうに持っていったようで、「砂鉄7里、炭3里」といわれました。 花崗岩地帯でない火山灰そうのところにたたら跡がおおくあります。 その粘土ですが、平安朝代からの寺院建築や国分寺などおおくの廃寺跡といわれる建物が作られたようですが、その瓦をどこで作ったかまだわかっていないようです。 あるいは、大山池の中、その周辺の池が瓦の土を取った跡かもしれません。 池の水を流して、底を干す作業が、農閑期の今行うそうで、是非池の底をみせてもらいに行こうと思っています。
2009年11月05日
コメント(1)

私の近所に二宮金次郎さんの石像があります。 竹やぶがはびこり本よんでては、歩けない状態です。 この前は、赤線がはいった当地区の中学のヘルメットを誰かのいたずらでかぶっていましたが、今日はぬいでいました。 最近、また保育園の広場に二宮金次郎さんが建設されました。 原点にかえって、日本人らしさを取り戻そうという気運でしょう。 奉安殿と二宮金次郎は、国民学校のシンボルでした。 柴刈りってなーにと幼子に聞かれ、昔はねと説明し、1年生の孫が漫画本を学校がえりに読みながら帰ってきたのを交通事故になると怒ったことがあって、時代の差まで説明する羽目になりました。
2009年11月03日
コメント(0)
昨日の晴れから一転して、朝から冷たい雨の地区文化祭となってしまいました。 観覧に来たお客が一番喜んだのが、三朝温泉から汲んできたお湯を檜の浴槽にいれて腰掛けた足湯でした。 タンクに入れたお湯をトラックにつんで、そこからホースで足湯槽に継ぎ足しします。 この浴槽、テーブルも総檜造りで、老人会長さんが自分で作ったものです。昔さしもの大工の経験があり見事なできばえです。 今は建設業で息子さんに代を譲り、第一線は引退なさっています。 戦争で父さんを失い、母親を助け、兄弟を養う為に働いて、夜間の高校に通ったといいます。 とにかく勉強がしたかったそうです。 高校は無遅刻、無欠勤だったといいます。 建設業の仕事を薦めてくれたのも、ある大会社の社長さんで、お家の仕事をしてた時といいます。 以来誠意は誠意につながり、まわりが自分を育ててくれた事を誇りにしてられます。 そこでなにかみんなのために役にたちたいと考えて居られるのです。 脳梗塞でたおれられ、回復もかね、リハビリもかね足湯浴槽が出来たというわけでした。 去年は1個でしたが、今年はもう1個新品ができて2個になっていました。 老人会の有志が、手伝いし、お客さんに柿をむいてサービスしたり、お湯の加減をみたり、活気あふれていました。 勿論奥さんも会長さんのリード役で万般の気遣いで大活躍でした。 他区の公民館の役員さんが来て、仲間にいれてくださいと足をつけ、どうやら足湯の借受を申し込んでいました。 会長さんよろこんでOKしてたようです。 終了時間に大雨。 撤収にずぶぬれでトラックに会長さん上がって積み込みしてました。 皆さんもずぶぬれ。 インフルエンザもここはオフ?。 でも早くかえって着替えましょう。
2009年11月01日
コメント(0)
八丈島沖漁船転覆で4日ぶりに、海上保安庁の方々の努力で3人が救助されました。 船長さんが救命イカダでなくなり、4名がまだ行方不明といいます。 よくぞ転覆船の真っ暗闇の中で少しの水があったとはいえ、食なく、空気すら限定された中で耐えられました。 なくなられた方お気の毒でした。 行方不明の方どうかもう一度奇跡がありますように祈ります。 漆黒の闇というものは、明るさを経験した者には狂いだすほどの焦燥感を味あわせるものといいます。 潜水、泳力抜群の漁師なれば、かって知ったる船内からぬけだすことは不可能ではなかったでしょう。 冷蔵庫が扉を塞いで脱出できなかった事と、年配の方が飛び出すのをいさめ時を待つ事を選んだことがこの度の生還につながりました。 脱出した方は行方不明です。 生と死の分水嶺は明瞭でなく、渚の如く行き来して、彼岸と此岸を行き来するもののようです。 横たわる場所しかないと所で、死ぬ事はどうなんだろう、空気がなくなるのはどうなんだろうと考えたとおっしゃっていました。 察してあまりあります。 これからの人生どうか幸せでありますように。 ご家族のかたも大事にしてやってください。
2009年11月01日
コメント(0)
全18件 (18件中 1-18件目)
1