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近頃我家では「前世療法」なるものがちょっと流行っております。っていうかMY WIFEがとある友人に勧められてちょっと遊んでる、みたいなものです。ワイス博士の前世療法という本とCDのセットを買ってきまして、毎晩退行催眠のような真似事を繰り返している我妻でございます。本人曰く「未だ成功できない」そうです。なんでも過去生を実体験できるそうで、真っ暗な部屋でCDヘッドフォンで瞑想しているその賢明な姿を見て、何故か笑ってしまうのは不謹慎でしょうか。(笑)その昔、私共夫婦が暮らし始めました頃、20数年前ですか、その当時はエドガー・ケーシーなる過去世を読める超能力者に二人してはまったこともあり、元々この手のモノは嫌いじゃないので、さすがにシリアスにはなれませんが、それなりに楽しんでおります。まあ、一時ディスコ業界から実社会に飛び出した頃、心の葛藤が凄まじく、おなじみの精神世界へと引き込まれていったようなこともあり、自分ではある程度の結論を持ってはいるのですが、どうも根が道楽者のお調子者ですから、夫婦して遊んだりしちゃうわけです。(笑)信じるのか?といわれれば、信じますと答えますが、決してそれが全てだとは思えないし、闇雲に突っ込んでいくほど若くもないし(笑)、まあそこそこ余暇を楽しむという程度のものです。最近は養老孟子先生の脳の本とか読んでみて、なんとなくこのあたりのことも理論立てて理解できるようになったし、遺伝子研究や宇宙理論なども、道楽者的見地から考察して漠然としたかたまりのような認識はあります。判らないことを理屈で理解しようとするのが人間だし、それを止めて盲目的に信じてしまえば思考の停止状態で、それこそ危ない世界となってしまいます。そりゃ、誰だってものを考えずに、信じ込んで生きるほうが楽に決まってますからね。ということで、私もちょっと試しにこのCDに挑戦してみましたが、どうもナレーションの女性のイントネーションというか発声の仕方が気になって、精神が集中できない、という状態でした。DJなどという職業に携わっていたせいでしょうか、語りかけてくる声がどうにも気になってしまい、とうとう過去の世界には辿り着けませんでした。(笑)実は以前にもこのブログで紹介しましたが、MY WIFEはスプーン曲げとかもできるし、直感というか霊感もかなり強いので、ひょっとするとトンでもない世界が待っているかも知れない、などと道楽者的想像や期待に胸膨らましたのですが、「う~ん、全然ダメみたい」ということで、そろそろギブアップかもしれません。実際に過去の生を知ったからって、とてつもなく人生が変わるとも思えませんが、昔の時分はどの時代をどんな風に生きていたのだろう、という想像は結構ロマンがありますよね。たまたま私が住んでいるこの地、サイパンも島全体が墓場のような島ですから、心霊体験などということだれば、それは日常茶飯事、回りで起こっています。もちろん、そうだと言えばそうなんで、ただの気のせいさ、とか偶然だろと言われれば、感じ方の違いで見え方が違うということかもしれません。でも神秘とか未知とか、謎は沢山あった方が楽しめますよね。男と女だって「謎」がたくさんあった方がロマンスも広がりますもんね。
2006年08月30日
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このところニッポンも文明のほころびみたいなものが出てきたのでしょうか。断水とか停電なんて今や日常生活からは想像もつかない出来事なんでしょうね。委員長の子供の時分は割と日常的な出来事として起こっていました。まあ、停電なんてのは電力会社じゃなくてアパートのヒューズが飛んで真っ暗なんてのが殆どでしたけどね。(笑)アパート8世帯でひとつのブレーカーですから、どっかで電熱器とか使うとすぐにバチンッといって真っ暗になっちゃう。冬場は特にコタツだの電気アンカだの色々使いますから、すぐにいっちゃう。でもって、長屋の中の電気に少々詳しいおっちゃんとかが出てきてヒューズ取り替えて、復旧みたいな感じでした。間に合わせで針金突っ込んだりして、結構危ない生活してましたよね(笑)あと、台風とか来るとまずは水電気が止まりますね。電柱が倒れて送電線が切れたとか。水道管が土砂で塞がったとか。子供はそれが結構楽しかったりしてね。そりゃテレビもゲームもない時代ですから、そんなことが一大イベントになったりします。委員長の暮らすサイパンでは未だに断水、停電は当たり前ですから、サバイバルに関してはたぶん充分対応できると思います。(ってかなんの自慢にもならんね)なんてったって、水は元々塩水で飲めませんし、配給も午前5時~午後6時までしかありません。じゃ、あとはどうすんだ?って。通常は大きな水槽タンクを作って昼間のうちに水を溜めておき、夜間はその水を使います。飲み水は別のタンクに雨水を溜めてろ過して使います。最近は浄水機の普及でだいぶ少なくなったけど、以外と自然の水はおいしいんですよ。現地人、特に子供たちなんかは喉が渇くと、そこらへんの椰子の実を取ってきて割って飲んだりしてます。(昔のまんまですね)良いか悪いかわかりませんが、たまにはこういった不便な思いをするというのもまんざらではない気がします。普段当たり前だと思っていることが、実は色々な形で生活に関わっているのだということを考えるには良い機会かもしれませんね。なんでもかんでも自然を手放しで称賛するのもどうかと思いますが、便利という名の下に身体感覚をないがしろにしてしまうことだって沢山あるのだということですね。こんな風に言うと、さも自分が自然派人間で文明の利器に警鐘を鳴らしているような感じですが、私だってそんな不便な生活を好きでやってるわけじゃありません。(笑)たまたま住んでいるところがそういう環境なだけです。ちょうど十年ほど前になりますが、母親にこっちで一緒に暮らさないかと尋ねたことがありました。そしたら母はこう答えました。「何十年も不便な暮らししてきて、こうして歳をとってようやく便利な暮らしが出来る世の中になったっていうのに、なんで今更不便なところに住まなきゃならないんだい」そうですねぇ。青春時代を戦禍に巻き込まれ、戦後の復興と共により快適な暮らしを求めて頑張ってこられた世代の皆様にとってはかけがえのない暮らしですよね。まあ、色々と問題は残っていますが、昔の暮らしがよかったなんていうのは多少心苦しくて申し訳ない気もします。畑には肥しが良いんだ、とか言っても、誰だって今更汲み取り式の便所には戻れませんよね。ということで、たまには不便な思いをすることも生活環境を見直す上では必要なことかもしれません。もちろんその逆で、より便利な思いをすることも必要なんでしょうね。
2006年08月29日
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のんびり平和なサイパンの日曜日。突然の騒音に我が家の静寂が破られました。我が家(アパート)のすぐ前はビーチです。毎週日曜日はここでビーチBBQ~地元の人々のパーティが行われます。時に子供のバースディパーティだったり、時に地域コミッティのパーティだったり、ビーチ清掃ボランティアのパーティだったりと、要は公共のバーべキュー施設なわけです。ビーチ清掃の場合はゴミ拾いをした後でBBQパーティですから、掃除したゴミよりも皆で飲んだり喰ったりしたゴミの方が多いのです。(笑)そして今日はなんとディスコパーティー!突然のGI IT TO ME(リックジェームスですね)が大音響で鳴り響き、近隣のアパートは一斉に窓を閉めカーテンを引きました。まあ、時々催される屋外カラオケパーティよりはまだマシだけどね。(笑)しかし、今日のサウンドはいつもと違って妙にプロっぽいので、窓から眺めていると、な、なんとDJがマイクを持ってしゃべりだしたのです。(ほんとかよ~)って、マジです。ひょっとしてFUNKRASH!?みたいな感じでしたね(笑)Hey! Get on down babay!とか叫んでいます。なんだかなぁ~。曲は続いてSuper Freek!これはひょっとして70年代ディスコメドレーでしょうか。オハイオプレーヤーズのファイヤー、スキンタイト、AWBのピックアップザピーセス、カットザケーキ、ワイルドチェリーのプレイザットファンキーミュージック、なんじゃこりゃって感じです。これほぼリアルタイムで書いてます。おっと、スローダウンです。ライオネルリッチーのセイユー・セイミー、おお、MCがついにかぶせて歌いだした。All rigt here we go! なんて言ってます。ちょっと現場を覗いてみますね。。。。。。。。おお、誰も踊ってません。BBQの煙がもくもくと上がっておいしそうな匂いが漂っております。(腹減ったなぁ~)We got special request, aha sweet sweet song・・・・・MCが入りました。あれっ!?EW&Fだぁ~。委員長のお気に入りです。Can't hide love(てか結構マニアっぽいリクエストだなぁ)久しぶりに聴いてます。いいなぁ、このハーモニー、最高です。「You can't hide~僕の愛が欲しいんだろ?隠せやしないよ、君のフィーリング・・・」何年ぶりだろ、この曲聴いたの。曲が終わってしばし沈黙・・・・・・。ダダダッ~(おっと次はGETAWAYかぁ)ブチッ!ジャッジャッジャッジャ~(REASONかな)ブチッ!どうやらCDで選曲しているようです。次はTHAT'S THE WAY OF THE WORLDでした。どうもこのDJはかなりのEW&Fファンのようです。邦題は「暗黒への挑戦」だったかな。でもこの曲は彼らのベストソングといえるのではないでしょうか。サウンドもメッセージも素晴らしい傑作だと思います。ボリュームが少しダウンしました。さすがに苦情がきたのかなぁ。まあそれにしても、委員長の日曜日にマッチした今日のビーチパーティでした。どんな奴らが集っているのか興味がありますね。後でちょっと覗いてみようっと。
2006年08月27日
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え~、しばらく現実社会の生産活動が多忙で日記が中断してしまいましたが、あまりにも懐かしい方々との再会がドカドカと続きまして、ちょっと頭がクラクラしております。(笑)なんか怒涛のように一気にやって来たディスコ戦士との出会いで、自身の中の記憶が再び呼び戻され、なんだかタイムスリップをしたような感じでもありました。さて、今日は気を取り直して(笑)、当時の名刺入れから古い名刺が数枚見つかりましたので、紹介させていただきましょう。これは単なる名刺の紹介ですから伏字にする必要はありませんよね。(笑)もちろん、当時の名刺の殆どがレコード会社の洋楽宣伝担当者ですから、皆様の中にもお名前を聞いて懐かしく思われる人もいらっしゃるのではないでしょうか。仮に今も現役でご在職ならば、私と違ってかなりの出世をされていると思います。まずは日本フォノグラム株式会社・渡部光一氏です。肩書きは洋楽部(ポピュラーグループ)・・・だけ。そんなもんでしたっけ? 確か80年代に入って退職されたと聞きました。次がポリドール株式会社制作本部・宣伝部ポピュラー宣伝課・西貝清氏。住所は目黒区大橋1丁目となっています。なんといっても当時のポリドールはJBが所属しておりましたので、ディスコ業界では燦然と輝いておりました。ディスコDJあたりにはまず試聴盤などは恵んでくれませんでしたね。続いてビクター音楽産業株式会社洋楽部ポピュラー編成1課・飛山勉氏。トビちゃんの愛称で親しまれたやや長身のまじめ風青年でした。ビクターはディスコ関係ではハッスル・ホンダ氏の影響力が強く、プロモしなくても良いようなネタばかりでしたから、試聴盤も大活躍しました。アラベスクとかもね、一部には嫌われていましたが、ヒット連発のワリにはトビちゃんは腰が低かったので評判は上々でした。EPICソニー企画制作1部企画制作課・吉川成昭氏。オフィスがカッコよかったですね。青山のツインビルでした。確かジャクソンズのフィルムを見に行った覚えがあります。都内のDJが一同に会して試写室でフィルムコンサートがありました。凄かったですねぇ、このインパクトは。ちょうどマイケルがオフザウォールを出した頃でした。後半はマイケルの一人舞台だったですね。このミーティングの帰り、何故かみんなでマイケルの目になっていましたっけ。(笑)RVC株式会社洋楽部宣伝課・秋場功司氏。RCAレコードですね。渋谷の仁丹ビルの正面だったと思います。KC&サンシャインバンドが超メガヒットでした。RVCとはディスコ以外にもご縁がありまして、邦楽部制作室・小杉理宇造氏はちょっと色物系のROCKバンドを手掛けておりました。更に邦楽部編成課・木津課長は後年小林克也さんのDJ入ディスコオムニバスを制作しました。なんとアシスタント・プロデューサは鈴木昇治くん。最後にアルファレコード株式会社宣伝課・小林隆敬治氏。このオフィスは当時出来たばかりで、スタジオを改造した建物でちょっとカッチョ良かったです。場所は港区芝浦3丁目。ひょうきんで人懐っこい性格のタカハル君は割とDJにも人気がありました。確かこの頃はシーナ&ロケッツのユーメイドリームかなんかプロモしてたような気がします。もうひとつオマケで、ちょっと変わったのがありました。スマイリー小原 スカイライナーズサパーラウンジThe同期ナイトプロジェクト(PM24~AM4)歌舞伎町和幸ビルB1なんだかよくわかりませんね。(笑)早い話、サパークラブです。数人のJAZZマンが演奏していて、ホステス兼シンガーが歌うといった業界向けのナイトラウンジでした。当時の彼女が働いていたので、何度か遊びに行きましたが、スマイリーさん、ビシッとドーランに目張り(笑)入れて、踊りながら相手してくれました。さすがにディスコダンスは知りませんでしたが、「マナマナって踊り知ってる?」って言われました。そーいえば、昔ヒットパレードでやってましたっけ。マナマナ~ってコーラスの入った楽曲、たしかテレビでスマイリーさんが踊り振付けてたのを見た覚えがありました。「あれはねぇ、私が日本に持ってきて流行らせたの~フフッ」って、低音で笑ったのにはかなりインパクトありました。不思議ですね。こうして名刺を眺めているだけなのに当時の思い出が甦ってきます。まだあるんですけど、全然思い浮かばないのも何枚かあります。そのうち思い出したらまたご紹介しますね。
2006年08月26日
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さて懐かしの画像ネタもいよいよ最後です。委員長がSOUL MANとして輝きだした頃、新宿のアフロ小僧やら踊り好きが集まったお店がQ&Bでした。会社はビバヤング、V-oneなどをチェーンに持つN本観光でした。キャバレー・クインビーで伸し上がった会社ですから、店名の由来はQueen&Beeの略でしょう。オープンは確か1974年だった思います。歌舞伎町一番街から西武新宿線新宿駅側に入った路地の一角にありました。ビル自体を所有していたので、妙な構造だったのが印象的です。通りに面した1階が入り口で、階段を上がるとキャッシャーがあって、更にもう1階上がるとホールに出る、といった妙に雰囲気のあるお店でした。これはビルの1階がキャバレーで、その入り口がQ&Bの反対側、西武線沿いの道路に面していたからで、ディスコとキャバレーを同じビルに持ちながらも、入り口を反対に分けた当時の戦略(笑)が覗えます。そんな構造からか、お店の天井はやたら低くて、いかにも危なそうな雰囲気が漂っていました。ビバヤングやV-oneに比べると、やはり歌舞伎町だぜぃ、というような、不良好みの危険なお店を演出しておりました。立地的な面からも西武線沿線のお客が多かったのも特徴ですね。(笑)そしてなんと、あのジュリーこと鈴木の昇ちゃんがDJデビューをしたのがこのQ&Bでした。なんか似合いませんね。(笑)ちなみにその時のマネージャーが後にビバヤングで店長になったドイさんでした。ちょっとイケイケの危ない人で、ジュリー君は彼とここでひと悶着あってこの店を辞めました。まさかその数年後、ビバヤングで再び顔を合わせるとは当人も思っていなかったでしょうね。ということで委員長がDJとしてこの店に入った時、相棒は後のインディペンデント・ハウスで人気者になったジョイ吉野でした。そして見習い兼ウェイターでキースことトオル。数ヵ月後にジョイが辞めてやってきたのがシュガーパイガイ氏でした。ちょっと「甘くて良い男」って本当に穏やかな人でした。彼も元々はエンバシー出身のソウルマンでしたが、この時は社会復帰に向けてリハビリに入っていたようでした。(笑)さあ、そしてその当時の写真がこれです。これはDJブースの横です。Q&Bのブースは横から出入りしました。正面、向かって左側がブースです。そしてこの右側に非常階段みたいな通路があって、トイレが上階にありました。なんかへんな造りでしたね。この頃、シュガーパイガイ氏がヒゲを伸ばし始め、よおしそれならオレもってなことで、当時崇拝していたEW&Fのモーリスホワイトの真似をしてヒゲを伸ばすことにしました。ちょっと不精ヒゲが伸び始めた頃ですね。女の子は子供じゃありませんよ。いくらなんでもこの頃はまだ21かそこらですから、こんな大きな子がいたら大変です。彼女は当時の仲間のマリコの従姉妹でした。浅草からわざわざアフロのカツラかぶって遊びに来てくれました。当時、この店で流行らせたファッションがハイヒールスニーカーに注目して下さい。(笑)あの頃はみんなニットの仕立てで張り合っていましたが、委員長たちはあえて汚いカッコで行こうとつまらない見栄を張っていました。ですから、ここに集ったソウル小僧たちは皆ジーンズにスニーカーでした。お手本にしたのは、The Voices of East HalemのRight on be freeというジャケットだったと思います。ちなみにこのグループは「SOUL TO SOUL」という映画で、当時委員長たちが憧れたファッションで歌って踊ってます。そんなこんなしているうちにグループが大きくなっていって、しまいにはステッカー作ったり、刺繍入れたりして、なんだか暴走族のような形態になっていきました。バカの集まりですね(笑)そのうちにダンサーズなどが自然に出来上がって、委員長はトゥモローUSAへと移り、その後には恐怖のSOULマン・ベルが入りました。残念ながら、その後店内で怪我人が出るほどの大喧嘩があってQ&Bの幕は下ろされました。私事ですが、つい最近NETを通じてシュガーパイガイ氏と再会しました。感激でした。当時の一番楽しかった時代を過ごした仲間の中でも、心から先輩と呼べる素晴らしいソウル・ブラザーのお一人でした。
2006年08月23日
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お部屋のお片付けとゴミ掃除。ちょっと疲れました。(笑)さすがにネタ切れです。ということでもう1軒、伝説のお店が見つかりました。福生で忘れられない思い出といえば。。。。。ある初夏の昼時、駅からラッキーテーラーへ向かう道すがら、ちょっと古びた真赤なコンパチブルムスタングが私の背後から近づいてきました。「何処行くんだい?」(ってなことを言ってたと思う)声をかけてきたのは白人のマッチョマン。緊張してニヤニヤしている私に彼は、「You're beautiful」だって。(さすがにこのくらいはわかります)そして私は「THANK YOU」と言って早足で立ち去ろうとしました。車は私の横をスローでずっと付いてきます。更にマッチョ野郎はさかんに何か言っております。たぶん、送っていってやろか、とか、乗っていけよ、とかいってたのではないかと思います。どっちにしろワケわかんないんでシカトして歩きました。あきらめたのかマッチョ野郎はニヤニヤして「BEAYTIFUL」と最後に叫んで走り去りました。これは私の後姿(デカイアフロに赤のジーンズ)を見て女だと思って声をかけてきたのか、それとも男と知って声をかけてきたのか未だに謎です。(ってかそんなもんどっちだって良いだろ)当時は後姿で女と間違われたことがよくあったのでさほど気にもしてませんでしたが、オカマは別として、男に声をかけらた初めての体験でした。
2006年08月22日
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このところ異常な盛り上がりを見せる中高年SOULフリーク!昨日もMYスクラップコレクションをひっくり返してみたら、こんなコラムが出てきました。スキャナーが古いので読みにくいかもしれませんが、1976年当時のお話です。これって著作権に引っかかるかなぁ?でも既に廃刊になってるから良いよね。筆者からクレームが上がったら皆さんフォローして下さいね(笑)
2006年08月21日
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みんな~っ!見つけたよムゲンの写真。kyさん、ご指摘どおりの画像です。今日も委員長のノーガキは飛ばしますね。何か云いたいことがあったら書き込んで下さい。皆様それぞれ思い入れの時代がおありのようですが、それはそれなりに記憶の糸をたどるようで楽しめます。他にももうちょっと探してみるね。ガサゴソ。。。。PS.とにかく委員長は今サイコーです。素晴らしい出会いが続いてます。それから戦友の皆様からも色々と幸福のお手紙(笑)を頂いて嬉しいです。皆様、多少時代のズレもありますが、素晴らしい方々ばかりでJAP's SOUL FAN もまんざらではないと実感しております。ということで私の尊敬するSUGAR PIE GUYさんが活躍する2chも覗いてみて下さい。今まで2chって気持ち悪くてあまり見たことないんですケド、この板は皆様紳士的だし、当時のことがかなりリアルかつ本気で書かれてます。もちろん戦友会の皆様も仮面を被って(笑)登場してますので、正体探しも面白いかも。http://that4.2ch.net/test/read.cgi/disco/1145689610/
2006年08月19日
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なんだか昔話に花咲く今日この頃ですが、せっかくですので古い、ふる~い地図を見つけましたのでUPします。1978年頃のディスコマップ地区別掲載です。(笑)今日は、私はもうノーガキたれませんので、懐かしい思い出のある方は是非とも思いの丈をぶちまけて下さい。今日の日記は当時を偲ぶ中高年の皆様、爺婆ディスコフリークの皆様に解放いたします。一応健全なブログ目指して更正をはかっておりますので、皆様の御常識の判断でお書き込み下さい。なお、下ネタ系は現存する当事者にご迷惑にならぬようお気遣いお願い申し上げます(爆!ではごゆっくりとご回想下さい。まずは新宿からまいります。いやいやいや、さすがにごった煮的分布図に当時のフィーバー(笑)ぶりが覗えますね。続いて六本木にまいります。やはりこの当時はなんといってもスクエアビルがディスコの中心でしたね。さあ、最後は赤坂です。やはり港町です。落ち着いた感じが地図に漂っております。ちなみに私は79年から81年まで赤坂二丁目のモルタルアパートに住んでおりました。たんす歩道橋付近でオリビア・ハッセーとすれ違った時はぶっ飛びました。その歩道には私と彼女の二人しかいなかったんですよ。って、くだらねージジイの独り言でした。では皆様の熱いコメントお待ちしております。BOMB!
2006年08月19日
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いよいよ自爆ネタ画像も品切れです。今日は委員長最後のお店となった赤坂シンデレラの写真デス。私の記憶に間違いがなければ、1982年の1月を以って閉店となりました。この写真はその前年81年に社員旅行で行った海水浴の時の写真です。千葉の鴨川だったと思います。店長の二郎さん、支配人の今○さん、主任のハ○マ君、厨房のチーフ、瀬○口君、あと名前忘れた(ごめんね)この時のDJは私とユウジでした。この時の宴会で「北国の春」を歌ってご祝儀1万円貰いました。会社は在日系でパチンコ、キャバレーなどの御馴染み多角経営(笑)でした。その辺を考慮して、「泣かせて賞金を取る」作戦が見事あたり1万円をGETしました。「あの、ふ~るさとへ、かえろかな~、か~えろ~か~なぁ~」(ウルウル)この慰安旅行は全店舗合同でしたから、もちろん新宿シンデレラの五郎さん以下スタッフも全員一緒でした。この時の新宿はモンチとサム岡田でしたね。でもって、もちろん夜は部屋から臭い煙がモクモク上がって、その匂いを嗅ぎ付けて、五郎さんが部屋に飛び込んできました。「誰だっ!クサなんか吸ってんのわぁ~?」一瞬、全員がはだけた浴衣を直す間もなくキョーツケで直立不動。緊張の一瞬。。。。。「オレにも吸わせろ」ドッカーン!そこへ二郎さんまで登場。「あんまりおおっぴらにすんなよ」さすが兄貴ですね。(笑)ということで大広間での宴会は盛り上がりました。ただ、この頃はディスコばかりでなくキャバレーもすっかり衰えをみせていて、パチンコ部門だけが元気で、従業員の半分以上はパチンコ店の店員でした。向かって右隣がユウジです。シンデレラ閉店後は六本木のギゼへ潜り込みましたが、結局半年持たなかったかなぁ~。その後新宿シンデレラも閉店して、委員長のディスコ生活にもピリオドが打たれ、この後は過去のツケの精算業務に追われ、社会復帰にむけてリハビリに励みました。(励みすぎて頭もすっかりハゲました)シンデレラ閉店後、二郎さんは四ツ谷でカラオケスナックを始め、五郎さんは新大久保でポーカー屋を始めました。カラオケ店の方には何度か顔を出しましたが、それでも1年は持ったのかなぁ~、その後は音信不通です。二郎さんには色々とお世話になったので、機会があれば一度お会いしたいものです。19歳で業界デビュー、新宿で始まった道楽者の放蕩三昧デタラメな生活も遂にこれまで。1982年1月赤坂シンデレラにてディスコ業界を引退した委員長でした。
2006年08月18日
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いや~こんなに興奮した日も珍しいことでした。昨日は朝から晩まで驚きの連続、ワクワクしっぱなしという感じでした。理由はナイショ(笑)です。そのうちわかることですから。。。。。楽しみはできるだけ長持ちさせたいので(^^ということで今日はちょっと思いついたことを書きますね。セレンディピティどうも日本人はなんでもカタカナ外国語にしたがりますが、早い話「偶然」ってことですね。「予期せぬ掘り出し物」「掘り出し物上手」「運命のイタズラ」とか、「偶然の出会い」「偶然の発見…」というような意味です。念のため言っておきますが、ここに書くことはほぼウケウリですから、私自身がこんな高尚な理屈を生み出したわけじゃありませんのでお間違いなく。(って誰もそうは思わんか)運命というのは努力した人に偶然という橋をかけてくれる「狙ったものよりも、その横にもっと面白い発見がある」という考えもそうですね。「発見」という言葉をいきなり宇宙のどこかに恒星を発見するようなものだと考えるのではなくて、今まで「分かっていたのに気がつかないことが明示化されること」であり、「これまでの結びつきではない、別の結びつきを見つけること」だと考えることです。セレンディピティというものが成立するのは、何かを求めている人がある事柄をずっと探しているからで、元々はそこにあったかもしれないものなのだが、意識することによって「前景化」(foregrounding)して見えてくる、ということです。何かを意識して散歩すれば、町の様子が違って見えてくる、というようなことでしょうか。シンクロニシティなんでもカタカナにすると頭よく見えると思ってるんでしょうか(笑)早い話が共時性ってヤツです。共時性とは、心理学者ユングの言葉で、意味は「同じ意味を持つ、ふたつあるいはそれ以上の、因果的に無関係な出来事の同時生起」です。日本語は難解ですか?(笑)これも偶然と呼ばれるものに近い現象で、ふとしたきっかけで別々の物がある意味で結ばれるというものです。というより、結ばれていたことに気が付くということでもあるので、冒頭のセレンディピティとシンクロ(笑)してます。なんで突然こんなことを書いたかというと、昨日の私がまさにそんな一日であったからなんです。「不思議だなぁ~」なんて思いつつも、「偶然とは思えんね」なんて考えになって、こりゃひょっとしてはじめから繋がっていたのかなぁということになったんですね。そう考えていくと、なんだか色々なことがすべてひとつの糸で紡ぎだされているような気がしてきて、久しぶりにワクワクしてきたんです。うまく説明できる例が思い浮かばないのですが、なんというか、種はバラバラなんですけど、みんな同じ畑にばら撒かれたみたいな感じですか?(余計ワケわかんない?)つまり、開花する花の種類はみな違うんですけど、育つ土というか畑は同じ、というようなことです。でもって結論から言うと、私は今までこれを表現するためにウダウダしていたのかぁ~というような直感を得たみたいな感じです。その表現するものはまだきちんとした形にはなっていないのですが、バラバラだった種がようやくひとつの畑の中で繋がり始めたってことです。でもって、もうひとつ大人になった(笑)のは、この畑にばら撒かれた種同士もお互いに繋がりあって開花を目指してるってことにも気が付いたことです。種が育っていくために根が畑の養分を吸収するんですが、時には隣の根の養分まで吸収しちゃったり、時にはうまく養分を吸収できずに痩せてっちゃったり、そんなこんなでお互いに作用しあってるわけですね。そこでこの偶然とか共時性について思いをめぐらすと、今までバラバラだと思っていた種も、実は太陽の光に向かって育つという共通の流れに乗っていることに気が付いたんです。ひとつとして例外なくみな同じ育ち方をしているんですね。私ゃ宗教家でも哲学者でもありませんが、たまたま自然に近いところに住んでるせいか、そんな発想が生まれたのかも知れません。って、屁理屈かもしれませんが、この、たまたま(偶然)、この地に住んでるということさえも共時性の中にあるのかと思えるようにもなりました。ということで、同時多発(ってテロじゃないよ)で私の意識を高揚させてくれている同胞の皆様にあらためて感謝致します。今日は殊勝かつ真摯に、道楽者同胞の皆様に御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございます。
2006年08月17日
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自爆ネタ画像シリーズ続編デス。1980年 新宿でディスコのDJをしていたJULIE&RONNYは生活苦脱出のため、DJ派遣会社「エスメラルダ」を創業しました。早い話、もぐりのプロダクションです。きっかけは当時この二人が在籍していたディスコ・トゥモローUSAの売却に伴い、失業の危機を回避するため徒党を組んで生き延びようとした苦肉の策でもありました。それまで二人がそれぞれ抱いていたライバル意識、妬み、恨みも、迫り来るビンボーという恐怖を前にして、都合の良い屁理屈と開き直りでイッキに乗り越え、あらたな生存競争に立ち向かうため手に手を取ってセコイ商売に乗り出したのでした。そんな二人が立ち上げた株式会社エスメラルダ、社長と常務の初めてのお正月スナップです。なんでしょうか、この二人の嬉しそうな顔は?とりあえず過去の経緯は全て水に流して「ゼニ儲け」しようぜ、といったゴーマンさが窺い知れる記念写真ですね。(笑)この私の「揉み手」はなんなんでしょうか。「セコセコ、セコセコ、ナニワ商人だす」ってなことなんでしょうか。(笑)髪型もしっかりフツーの人を演じております。安物のホストクラブみたいな~(爆!たぶんこの写真は新宿ワンプラスワンでのショットだと思います。身売りされてしまったトゥモローUSAの階下、一回り以上小さなディスコでとりあえずタッグを組んだ記念すべき日でした。そして社長ジュリーはワンプラスワン、常務ロニーは新宿クレージーホース、この二つのお店を皮切りに次々と縄張りを広げていくことになったのです。これは新宿クレージーホースのDJブースです。私の前でサラを回しているのは、後に新宿シンデレラに移り閉店玉砕したサムです。そして、このクレージーホースでせっせと派遣DJの養成に精を出しました。ホリ、コンノ、マモル、ユウジ、シンジ、アクタロー、etc。。。一体何人くらいいたのでしょうか。見習いと呼ばれていた彼らも、後年は皆それなりにハコに入って一丁前なシゴトをしていたんですから、まんざらデタラメな会社でもなかった気がします。新宿では破竹の快進撃を続けるエスメラルダとアンチ派の対立もあり、新宿DJ戦争・仁義なき戦い・東亜ビルの乱(笑)などもあり、目先の青春に血道を上げた大馬鹿野郎たちの伝説なども数多く生まれたの時代でした。(笑)有頂天になる頃には足下からジワジワと崩壊が始まっているというセオリーどおり、この2年後には見事自爆したエスメラルダですが、これはやったものにしかわからないことで、良きも悪しきも同じ時代を同じ目的で生きた仲間を今でも自慢に思っています。特に、似たもの同士ながら性格が正反対だったジュリーとは最後まで対立してしまいましたが、たとえ小さな世界とはいえ、ひとつの時代を共に生きた素晴らしい思い出は私の生涯の「宝」です。そして、この同じ時代を生きたこれら全ての戦友たちにあらためて敬意を表したいと思います。
2006年08月16日
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二十数年前にロバータ・フラックから直筆でもらったメッセージです。愛は音楽、音楽は愛日本語にしちゃうとちょっと間抜けな感じがしますね。(笑)昨日はちょっと重たい話だったので今日は明るい話題です。人生は山あり谷あり、海あり河あり、男あり女あり、ってことで良いことがあれば必ず悪いことがあるし、悲しいことがあれば次には必ず楽しいことがある、って当たり前のことなんですけど、この当たり前を素直に受け入れらるようになるには少々時間がかかるという事でしょうか。(なんのこっちゃねん?)実は昨日戦友のYUKI姐さんから「福耳」のDVDが届き、久しぶりにニッポンの音楽を堪能した委員長でございました。YUKIさんありがとうございました。やっぱり私の周りでは今ZOOMブームなんでしょうか(笑)そういえばマツダの新車のCMでもZOOMって言ってませんでした?(ってかなりしつこいですね)ということで、送って頂いた画像はシオノギミュージックフェアでした。~今宵星のかけらを探しに行こう~大変良かったです。本当に久しぶりに、バンドというか、仲間というか、歌を歌う楽しさ嬉しさみたいなものを思い出させてくれました。それで頭に浮かんだのが今日のタイトル「LOVE IS MUSIC, MUSIC IS LOVE」だったんです。そうですね、もう長いことこのフィーリング忘れてましたね。人が歌を歌うのは、裸の自分に出会えるからなんでしょね。ちょっとキザですか?でも、歌って本当に不思議ですよね。どんなにイジけてたって、どんなに突っ張っていたって、どんなに落ち込んでいたって、歌を歌うときってありのままの自分ですよね。頭の中にはなんのバリアも鎧もまとってません。歌を歌ったことの無い人っているんだろうか?そんなことをふと思った委員長でした。そしてロバータ・フラックが与えてくれたメッセージの本当の意味が判ったような気がしました。人間が持つ最高最大の治癒能力、それが「歌」だったんですね。歌を歌う、音楽を奏でる、その瞬間こそ人が人としての本来の姿を現すときなのでしょう。それは万人に与えられた人生の「特効薬」です。楽器なんかできなくたって、音痴だって、たとえ声が出なくたって、耳が聞こえなくたって、目が見えなくたって、人として生きている限り、誰もが心に奏でるメロディーを持っているはずです。ということで、「音楽」に胸ときめかせていた頃の自分を取り戻して、みんなでもう一度声を出してみましょうか。戦友の皆様へもう一度みんなで夢のかけらを拾いに行ってみませんか? SING A SONG!
2006年08月15日
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え~昨夜はちょっとベビーな映画を見てしまい、目覚めの重たかった委員長です。映画のタイトルは「UNITED 93」。すでにもう皆様ご存知の911同時多発テロの犠牲になってしまった、ユナイテッド航空93便のお話です。お話というよりも、あの悪夢の1日を証言や記録をもとに再現したというようなドラマでした。ホワイトハウスに突っ込む予定であったこの機を、乗客たちが死をもって食い止めたという美談というかレクレイムというか、なんにせよ非常に重たい映画であったことに違いはありません。何気ない日常生活の一場面が一瞬にして「修羅場」と化してしまう、しかも確実に死ぬことは免れ得ない、もしそんな状況に自分が遭遇したら・・・・・、あまり考えたくないテーマですね。映画のエピローグでは、テロリストたちのホワイトハウスへの自爆を阻止した乗客たちの勇気を讃えると共に、鎮魂と尊敬の言葉で飾られていました。犠牲となった方々にはあらためてご冥福をお祈り申し上げます。8月15日の終戦記念日を控えたこんな時期にこのような映画を見たと言うのもなんだか因縁めいていますが、NHK特集では毎年恒例の戦史シリーズをやっており、人類最大の命題である「戦争」について思いをめぐらさずにはいられない一夜となりました。戦後61年を経ても、戦史、戦記の解釈は様々で、毎年新たな「事実」が露見され歴史の解釈に問題を投げかけているようですが、基本的な構造「操られる人と操る人」に変わりはなく、思想、宗教やイデオロギーによってコントロールされている現実では「平和」すら単なる概念のひとつに過ぎないような気がします。かろうじてメディアの発達が人々の視聴覚機能を大きく進化させてくれたので、イデオロギーによる洗脳という手段はもはや無効となりました。しかしこのメディアは両刃の剣で、人間の持つ情報収集能力を高めてはくれましたが、その情報を処理する能力の向上まではカバーしきれていません。というよりは、この情報処理能力こそが一番肝心な機能です。例えばご紹介した映画「UNITED93」ですが、一説によると空軍によって撃墜されたというような情報もあります。いくつかの証拠(写真や映像)、証言も存在しているようです。また、米国政府はこのテロの情報を事前に察知していたとか、御馴染みユダヤ陰謀説など荒唐無稽な情報まで様々です。ただ、メディアは昔からプロバガンダに利用されてきたことも事実です。ということは、こういった映画の作り手や情報の送り手の懐まで入り込んでいかなければ、真の情報に辿り着くことはできないということでもあります。なぜこの時期にこの映画を作ったのか?という問題の立て方ですね。その昔は、送り手側のメディアが「生」の情報を得た時点で、これらの情報をきちんと処理して流していたから受け手側である一般大衆もある程度はその情報を「鵜呑み」にしたとしても、さほどの混乱はおきませんでした。逆説的に言えば「情報操作」ということにもなりますが、この操作する側にメディアとしての使命感、あるいは情報発信に対する責任感が存在していたのも事実です。ところが昨今のメディアはもうすでに死滅状態であり、自ら情報を処理する能力を放棄したばかりでなく、自ら責任も無くただ垂れ流すだけのバイパス機能として位置付けてしまいました。しかしながら、悲しいかな長年受け継がれてきた受け手側のパターンはそう簡単に崩れることなく、未だに新聞、テレビの情報を手放しで受け入れてしまう体質は根強く残っているのです。そして今一番厄介なことは、この受け手側が求める「安心」にあるのです。今自分達の目の前で起こっている現実、事態を説明してくれるメディアが必要なのです。たとえそれが間違った解釈であっても、隣人と同じ解釈をしてくれる、優しくて安心な説明が必要なのです。そして送り手側はその安易な「安心」を脈略もなく次々と送り出します。北朝鮮では「目的」があって情報が操作されています。ニッポンでは目的も操作もなく情報がただ流されています。ふたつの国の同じセオリーを探すとすれば、使う人と使われる人、操る人と操られる人、この構造だけはまったく同じですね。
2006年08月14日
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今日はまずこの写真を見て頂きましょう。千葉ZOOMサイパン支店でしょうか?つい先日オープンしたばかりのお店です。サイパン島はチャランカノア地区のビーチロードに面したビルの1階です。思わずマスター&YUKI姐さんの顔を捜してしまいました。(笑)ご覧のとおり韓国系のレストランのようですが、「なんだよ、いきなり~」ってな感じでございました。更に昨日は土曜ナイトシアター、新作映画を見るべく島内唯一のムービーシアター・コンプレックスに行ってみると、なんでしょうか?サイパンではZOOMがブームになっているのでしょうか。(笑)ということで個人的、ジジイ的にはちょっと盛り上がってしまった委員長でした。さて、連日お届けしている面白画像ですが、もちろん今日もとっておきの1枚をアップいたします。道楽者の昔話にも幾度と無く登場しましたソウルブラザーJOE、彼のLAでのデビューバンドのバイオから写真が1枚見つかりました。そして、これも以前に日記に書きました、元もんた&ブラザースの名ドラマー、マーティ・ブレイシー氏がこのメンバーにおりました。右下のひょうきんなブラザーが若き日の彼です。ターバンを巻いているのがJOE氏です。バンド名はHOTSNOW。ファンキーですね。ちなみにデビュー曲もテープに収録してありますので、そのうちCDに落とし込みたいと思っています。もちろんファンキーなダンスナンバーです。しかし、このマーティ氏とは75~6年頃、新宿のV-oneで知り合い縁ができ、その後歌舞伎町のトゥモローUSAでジョーと出合って、めぐり合わせの妙な因縁を感じました。これら古い写真を掘り出した際、数枚の秘蔵レコードのようなものも見つかりました。その中にはこのJOEが日本でデビューを飾ったMYXのアルバムも入っておりました。懐かしかったぁ~。でもプレーヤーがなくて残念ながら音は聞けませんでした。もちろんサイパンに持ち込んでも再生は困難なので、そのまんま、また封印をしてきました。いつか機会があったら日本でCDにコピーしたいと思います。しかし、この秘蔵盤コレクション、凄かったぁ~。平山美紀やEW&Fのピクチャーレコードとか、なんでこんなの取っておいたのだろう?って自分でも不思議な選別でしたね。500枚近くあったコレクションは日本脱出の際にすべて処分したと思っていたのですが、レコードケース(これも懐かしいですよ、木箱のキャリーケース)にぎっしりと詰め込まれたこれら秘蔵盤はどのようなつもりで残しておいたものなのか、自分でもまったく記憶にありません。なんだかタイムカプセルを開いたような感じでしたね。そのうち機会があったらまたご紹介させてもらいますね。
2006年08月13日
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連日自爆ネタに近い画像でお楽しみいただいております道楽者日記ですが、本日はまたまた衝撃の画像をお届けいたします。(笑)1970年代後半、新宿のディスコを席巻した驚愕のダンスムーブメントがありました。誰が呼んだか名付けてオカマダンス!元々はファッションショーでモデルがポーズを取って歩く「モデルウォーク」が原型といわれておりますが、諸説百般、ナニをもってしてオカマダンスというのかは明確な定義などございませんが、当時、このムーブメントの中心に存在したひとりの人物がおりました。もちろん当時の新宿のこの騒ぎをご存知の方ならば、まず知らない人は居ないであろうというくらいに有名な渦中の人物でありました。そしてこの人物こそがオカマブームの火付け役とされています。私自身もことの真意、あるいは詳細までは把握しておりませんが、新宿ツバキハウスから始まった新しいディスコの遊び方が、当時のパンクやヘビメタ系などのファッションマニア、今風に言えばコスプレ系でもいえるグループと混じり合って、より一層自分たちをアピールするパフォーマンスとして徐々にディスコを凌駕していったものではなかったかと思います。そのうちコスプレも過激になっていき、最後は二丁目~三丁目界隈のプロのおにいさま方なども巻き込んでしまい、ある日を境にブレイクした、というような流れでありました。オカマダンスと呼ばれるものの、このジャンルは非常に錯綜、倒錯した世界でありまして、当時人気のあった男性ファッションデザイナーがヨーロッパへ行って「穴」を開けられ、その影響でファッション業界に巻き起こったバイセクシャル的同性愛なども大きく影響を与えていたといえるでしょう。特に池○満○夫氏など、著名な方々が地中海系の特殊ビュジアル表現を好まれたということも中性的なファッションを指示する土台であったかもしれません。中近東ファッションを手始めにヨーロピアン、パンク、テクノといった具合に、当時は極めて異色なジャンルでありました。そういえばYMOというグループが世界的注目を集め始めたのもこの頃ではなかったでしょうか。中国の人民服やプラスティックをレリーフしたファッション、更に男性用メイクなども市場に登場してきて、従来の常識を覆す発想に世界のビジュアル系アーティストが注目しました。そんな時代の先駆者ともいえる謎の美少年がこの人です。ちょっと古い雑誌からのコピーなので見難いかも知れませんが、彼(彼女?)が「エル」です。ツバキではもちろん著名人であった「エル」は、数人のモデル風の男女とダンスフロアに登場して、ファッションショーさながらモデルウォークで歩き回り、周囲の注目を集めました。そのうちにこの踊り(?)ウォークを一般人も真似をして踊るようになり、次第にディスコでも流行り始めた、というようなことでありました。私も特に印象深いのが大橋純子さんの「シンプルラブ」ですね。ただ、彼(彼女)は、世間一般に言われるオカマではなく、ファッションは女性ですが、豊胸しているわけでもなく、特別女に見せようとしていたわけでもありませんでした。時には胸も露わにシースルーのジャケットを着てあらわれたりして、一種独自のムードを持った子でありました。言ってみればデビュー当時のピーター?みたいでした。この中性的な独自の雰囲気が周囲の注目を惹きつけたのかもしれませんね。結局このディスコブームも奇抜な衣装やホンモノのオカマの乱入などで、最後はグチャグチャになって終焉を迎えたわけですが、ブームの元祖はいつの間にか姿を消しておりました。そういった意味でもミステリアスな彼(彼女)の存在は忘れ難い思い出のひとつです。
2006年08月12日
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1976年新宿歌舞伎町東宝会館7階にオープンしたアメリカンディスコトゥモローUSA。当時はビルボード誌にも世界最大のダンスフロアとして紹介されたほどの大型ディスコでした。そして委員長率いるダンシングチームBAD CHILDRENがデビューを飾ったお店でした。オープン当初、この写真が大きく引き伸ばされビルの1階のパネルに飾られていました。コマ劇場の隣、歌舞伎町のど真ん中に聳え立つビルの玄関に張り出された大型パネルは、当時の新宿で遊ぶガキどものヒーローでした。正直言ってSOUL DANCERSっていうのが、きちんとしたカタチでディスコに出演したのはこれが初めてのことではなかったでしょうか。それでも写真のメンバーは発足時のメンバーではなく、二代目メンバーです。このブログの昔話でも書きましたが、デビュー間もなく男性メンバーのトオル、テツの二人が抜け、変わりにチャーリー、KGの二人が入って新生バッドチルドレンとしてレギュラー出演となりました。そしてこの数ヶ月前に行われたUSAのオープン記念のイベントが「平尾まさあきショー」でした。凄いですね、深町純さんとのコラボ(笑)です。「星はなんでも知っている'76」ディスコアレンジがお得意の深町先生ならではのリバイバルサウンドです。そして平尾先生の秘蔵子としてこの時紹介されたのがこのコーラス3人組でした。確か当時未だ14~5歳の中学生トリオだったと思います。ルックスはともかく歌は抜群に上手かったですね。平尾先生は黒人コーラスグループ風にしてデビューを目論んでいたようでした。この時のレパもシュープリームスとかスリーディグリーズなどのヒット曲を歌っておりました。そしてこのバンドのブラスセクションが後にスペクトラムと変身していったわけです。残念ながらこのコーラスグループのその後はどうなったかわかりませんが、それなりに時代を先取りしていた平尾先生の感性には今更ながら感服いたします。しかし先生のファッションも中々素晴らしいものがあります。(笑)でも、結局はこのディスコパーティも私らダンサーズがすっかり喰ってしまって、いまひとつ納得いかないといった感じの平尾先生でした。そりゃそうですよね。当時はまだSOULブーム全盛期ですから、「星はなんでも知っている~」じゃね、踊れませんよね。その後もポールアンカ・ダイアナ'76とかロカビリーのディスコアレンジみたいなものばかりですから、ちょと違うんじゃないの、みたいな感じでした。サクラで盛り上げるため踊らされた委員長たちの踊りに客の視線が集まってしまい、結局焦点ボケしたイベントと成り下がってしまいました。それでもお店の宣伝と言うか、プロモ的にはインパクトのあるパッケージショーにはなりました。
2006年08月11日
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かれこれ1週間近く「JAPANツアー」ネタでお送り致しました道楽者日記ですが、とっておきのネタとして、ニッポンで見つけた懐かしの写真をご紹介させていただきます。多少ジジイの自慢話も入りますが、その辺はテキトーに聞き流して頂ければ幸甚と存じます。(笑)時は1978年10月。東芝EMIレコード主催「全日本ダンスコンテスト決勝大会」が東京で行われました。会場は記憶に薄いのですが、千駄ヶ谷だったか四ツ谷だったか、どこかの公会堂か公民館みたいなところだったと思います。決勝大会というくらいですから、全国のディスコで予選を行い、その代表者が集まったというような、当時としてはかなり大掛かりなコンテストでした。課題曲はもちろん東芝EMIのプロモ作品ばかりでしたが、タイプとしては当時勢力を伸ばしつつあったいわゆる「おかま」とか「ヨーロピアン」とかいったディスコサウンドだったと思います。クラウディアバリーの「ブギウギダンシングシューズ」とかだったかなぁ~。5~6曲あったと思いますが、私好みのFUNKYサウンドではなかったということしか覚えてません。当時の私は23歳。ディスコもSOUL~FUNK時代も終焉を迎え、そろそろアフロも落とし時かなぁ~などと迫り来る時代を憂いていた頃です。そんな時に持ち上がった大イベント「全日本ダンスコンテスト」は業界人としても、ディスコマニアのひとりとしても、ひとつの区切りになるイベントでありました。そのころの映画「ROCKY」などの影響も受けつつ、かぶれ易い性格の道楽者でありました委員長は「よおし、俺の青春最後のチャレンジだぁ~」などとすっかり入り込んでしまい、ここで優勝を勝ち取ってダンサーとしての現役引退の花道にするんだ、と舞い上がってしまったのでした。過去、幾度と無くヤラセコンテストで苦い思いを味わってきた委員長。もちろん委員長自身も業界の裏方役としてこういったヤラセに関わっていたこともあり、中々信用のできるコンテストなどなかったディスコ業界で初めて、レコード会社が主催する一大イベントに心ときめいたのでありました。当時の相棒のジュリーこと鈴木昇治氏も「ロニー出ろよ、これはマジだから、やってみろよ」などとすっかりその気にさせられて、挙句の果ては常連客など取り巻き連中の応援なども受けて、しっかりと出来上がってしまったのでした。とは言うものの所詮道楽者のいい加減野郎ですから、練習とかするわけでもなく「どうせロクな出場者が出てくるわきゃねぇし、まあ優勝はいただきだろ」くらいなゴーマンどころか、悪いもの喰ってぶっ飛んだジャンキーにも近いオメデタ野郎丸出しでした。そして、いよいよコンテスト当日、取り巻き応援団と共に会場に乗り込んだ委員長でした。(ってか、予選はどうなったんだよ、予選は?)え~、この時の新宿地区予選を任されていたのがジュリーこと鈴木氏でしたので、「ロニーが出るんなら予選なんかいらないよな」ってなことで、まるでシード権は当たり前のようなオオモノ気取りで大会に臨んだのでした。(ってか、それってすでにヤラセじゃねぇか)さて、会場に入り参加登録の列に並んだ委員長、毎度御馴染み東芝レコードの関係者の顔ぶれに混じってチョット太めのアフロのオッサンが目に入りました。そうです、それは全日本ディスコ協会会長勝本氏でした。なにやら関係者と打ち合わせをしている模様です。その瞬間、委員長の夢はガラガラと音を立てて崩れていったのでした。「ま、またかぁ~」少なくともこの当時、協会とは反目に回っていた委員長ですから、どう頑張ったって優勝はありえません。しかも大会の案内を見ればしっかりと審査員に勝本氏の名前が載っているではありませんか。もちろん協賛はディスコ協会です。当時のディスコダンスコンテストの殆どがレコード会社との協賛で、半ばプロモーションの一環で行われていたものですから、審査員を務めるレコード会社の関係者や会場のディスコの店長とか社長はお飾りに過ぎず、イベントにそれなりの威厳を持たせるためのものでした。ですから、当然審査といったところで踊りなんぞわかるはずも無く、審査員の中の一番の知識者、たとえばそのお店のDJとか、協会から派遣されてきたショーダンサーのリーダー(っていうかほとんど会長ですね・笑)とかの一言で決まる、みたいな出来合いの審査でした。「結局はこうゆうことなんだな」そう悟った委員長はしっかりと醒めてしまい、逆に開き直って、こうなったら会場を爆笑の渦で沸かしてやろうという道楽者らしいとんでもない考えが浮かんだのでした。コンテストは公会堂のステージに全員が上がって踊りまくる、といった趣向でした。委員長は出だしこそ派手な踊りをパーッと見せましたが、後はオカマダンスやら麦踏みダンスなどでおチャラけてしまいました。これがディスコのアウトロー・ロニーのせめてもの抵抗だったのです。せっかく応援に来てくれた取り巻き連中はこの行動がまったく理解できないようで、ひどくがっかりしたようでした。ということで、優勝はテディ団氏でした。写真中央に白いスーツにイタリアンカラー、白いソフトをかぶった痩せ型の男が彼です。確かこの頃、チャーがこんな恰好をしていて、流行だったような記憶があります。そして前列のゼッケン2番が委員長です。どうですこのふて腐れた顔。完璧に居直ってます。そしてこの時に3位を獲得したのが、ディスコ協会エンバシ代表で出ていたY氏でした。彼こそダンテリの店長Y氏ですね。先日テリーと行ったダンテリで彼の顔を見て当時のことが思い出されました。確か当時はジャニーズ系のファッションで、SOULとは程遠い演出で登場してきていたと思います。写真の後方、たぶん顔まではわかりずらいと思いますがヘアバンドして横に俯いている男性が彼だと思います。ちょっと背が低かったので、かなり上げ底のハイヒールスニーカーを履いていましたっけ。当時踊っていた方々はその後どのような人生を歩まれたのでしょうね。自慢にもならない自慢話ですが、せっかくなのでもう一枚、このコンテストの翌月、大妻女子大で行われた学祭イベントにゲスト出演した委員長の姿です。自慢の衣装、ジャンプスーツを総天然色でご覧下さい。(笑)取り巻きは当時のファンのおねーちゃんたちです。当時から本腰の入ったスケベ野郎のわたくしでございますが、こうしたファンのおねーちゃんたちとは一切危ないカンケーを持たないとうのが昔からのポリシーでございました。これは業界の大先輩であるダイタン商事の小林社長からキツク戒められた言葉であったからです。「商品には手を出すな」ダウンタウンBWバンドの歌にもありましたが、芸人にとってのお客様は商品以上の大切な「しのぎ」ですから、ここで間違いを起こしたらその先は無いということを常におっしゃられておりました。もちろん同業者も同じで、まさしく商品に手を出したら、その後の自分の商品価値は落ちるという戒めでもありました。一概には言えませんが、こうしたケジメのつけられない業界人で大成した人を私は見たことはありません。じゃ、守ったお前はどーなんだ?と言われれば、もちろん大成はしませんでしたが、少なくとも業界人としてのプライドだけは未だに守り続けている自負は残っています。自慢にもならぬバカのプライドですが、これだけは道楽者のせめてもの勲章として大事にしていきたいと思っています。ただね、業界仲間でもどーしょーもないくらいハチャメチャなことやったヤツもいて、それはそれでとことん行っちゃえばそれも芸風かなとも思えるんですよね。物事なんにおいても、中途半端が一番ダメなような気がしますね。
2006年08月10日
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連日ご紹介してまいりました道楽者の日本旅行記ですが、いよいよエピローグです。今日は千葉県の銚子で遭遇した「風景」をお届けいたします。私の義父が眠る「お墓」は銚子電鉄の観音駅の近くにあります。東京から「しおさい号」に乗って銚子駅に降り立った道楽者一家は、そのまま銚子電鉄に乗り込みました。昔ながらのチンチン電車は、銚子駅と外川駅を結ぶ超ローカル線です。湘南の藤沢-鎌倉間を結ぶ湘南電車のようなものでしょうか。銚電(ちょうでん)は田園の中をゴトゴト走る単線ですので、湘南のように海岸線を見ることはできませんが、非常に素朴で心和む電車です。<車内での会話>娘「どうして田んぼの中を電車が走っているの?」父「あのね、これは田んぼじゃなくて畑ね。田園風景っていうんだよ」娘「あーそうか、田んぼはお米を作るところだよね」父「そうそう、これはねたぶんネギ畑じゃないかな」娘「だれかおならした?なんか匂うけど」父「これはね、肥しといって畑の肥料の匂いなんだよ」というような非常に心温まる親子の会話でした。(笑)さて、銚電は観音駅に到着です。中々おしゃれな駅でした。それなりに観光客を楽しませるような配慮が覗えますね。非常にのどかです。このあたりの街並みも古い建物や商店が昔の形を残しており、さすがに漁師の町というか海の町というか、石垣が多く屋根の低い家が軒を連ねています。商店もガラス戸が多くなんとなく懐かしい感じがしました。そんな細い路地を進むとこんな風景に目が留まりました。野良猫でしょうか?それにしては毛並みが素晴らしいです。でも餌がただばら撒かれているところをみると飼い猫じゃないのかなぁ~。後ろの猫は餌の順番待ちでしょうか(笑)立ち止まってカメラのシャッターを切っても逃げようとしません。ってことはやっぱり飼い猫なのかなぁ。それならちゃんと餌皿くらい出してやれば良いのに。などとブツブツ言いながらもこの光景にしばし立ち止まってしまった道楽親爺でした。さすがに東京ではこんな光景は目に出来ませんね。野良猫(?)さえも田舎はのんびりしているようです。さて、この後はお墓参りをして犬吠崎の展望台を経て、再び銚子駅から「しおさい号」に乗って帰途につきました。そして昨日ご報告したとおり、親爺プラスおたく三きょうだいは秋葉原駅で途中下車しました。電脳おたく三兄弟です。
2006年08月09日
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さて道楽者一家の夏休みもスケジュールを無事こなしつつ、今回のJAPANツアーのもうひとつの山場であります祖父(私の義父ですね)のお墓参りのため、一家は千葉県の銚子へと向かいました。MY WIFEの父親は銚子では名家とされる地元豪商の長男として育ち、若い頃は文学や演劇に燃え、単身上京して道楽などに勤しんだようですが、やはり戦争という波に飲み込まれ、自ら志願して陸軍中野学校に入学、後に作戦参謀として満州に渡りました。実家が商家ということもあり御馴染み銚子商業を出たものの、本人は文学の道を志し、某新人賞などを獲得し随分と将来を期待されたようですが、結局は戦争の渦に呑まれ最後まで夢を全うすることは叶わなかったようです。それでも生前は帰郷するたびに色々な話を聞かされましたが、満州での青春はとてつもなく素晴らしいものだったようです。敗戦時は満州でソ連軍に捕獲されシベリアに抑留されてしまい、共産主義の思想教育なども施されたようです。本人はこの戦争体験を書物として残したかったようですが、とうとう最後まで書くことができなかったようです。まあそれは私たちの想像を絶する壮絶な体験だったのでしょう。なんとか無事帰国してこられただけでも奇跡に近いことだったのかもしれませんが、帰国後はそれなりに道楽が復活してすったもんだして私の家内が生まれました。(えっ?)まあこの時代は、どこのウチにも色々な「事情」ワケありみたいなことが往々にしてあったようですから、戦後のニッポンのよくあるお話のひとつですね。ということで、私の家内も幼少の頃から波乱万丈な人生を生きておりまして、道楽者の因縁は持って生まれたものだったのかも知れませんね。さて、道楽者一家は1年ぶりにお墓を掃除し、墓前に花を手向けお線香を上げ手を合わせたのでした。「お義父さまの分もしっかりと道楽をまっとう致します」そう心に誓った委員長でした。お墓参りの後は、せっかくだから犬吠崎まで行って美味いものでも喰おうということになり、相変わらずいやしい一家は銚子電鉄にガタゴト揺られ岬まで出ました。早速一家は食堂に入り、海鮮丼を注文しました。「おおっ、うまそう~!」海鮮丼を前に盛り上がる家内と末娘の「なぎさ」です。食堂のおばちゃんに「銚子はやっぱりいわしだよ」と言われ、「私もここの生まれだから・・・」と意気投合したヨメさんは、いわしの天丼をぺろりと平らげました。そして、末娘の名前「なぎさ」と同じ看板が・・。(娘のミドルネームはMELODYと言います)「おまえココで働いたら人気者になれるぞ」とかワケのわからないことを言い出してヨメに叱られた道楽親爺でした。ちなみにこのあたりの食堂はみなヨメさんの幼馴染だそうで、恥ずかしいからあまりはしゃがないように注意を受けました。第二の故郷銚子。そして犬吠崎の展望台から見た海は荒々しい波と磯の香りで一杯でした。そして、この海浜と田園の中を走る銚子電鉄も大変に趣のある電車でした。長女と次女と親爺です。長女の名前は「ゆうき」。ミドルネームはCHERRIEです。せっかくですから長男「せいや」もご紹介しておきましょう。彼はちょっとクールです。(ってかゲームバカ?)最近はアキバ系予備軍として家族から非難を受けています。将来が楽しみな道楽野郎ですね。血筋ですから間違いなく道楽者の道を進むでしょう。ということで、一家はこのあと新宿に帰るのですが、親爺は千葉で下車してZOOMへ行こうと企んでおりましたら、なんと長男が「おとーさん、この電車秋葉原にも止まるんだよね」の一言で親爺の野望は脆くも崩れ去ったのでした。「おまえら一体日本になにしに来たんだ」と八つ当たり的に怒った親爺ですが「良いじゃないよ、せっかくなんだから連れてってあげなさいよ」とヨメの罠に落ちた道楽親爺でした。チキショー、うめぇこと言いやがって、ホントはガキども押し付けて自分はマツモトキヨシに行くくせに・・・・・と心の中でぼやくものの、まんざらアキバは嫌いじゃないし、しょーがねぇなと言いつつ、この夜は最近オープンしたばかりというヨドバシカメラへ行きました。(なんだ結局自分も楽しんでるじゃん)なお、ウチのヨメはサプリおたくです。マツモトキヨシに2時間以上平気でいられるクスリ好き化粧品好きオタクです。なんせサプリと化粧品だけのお土産で小型スーツケース1個は埋まります。しつこいようですが、千葉ZOOMに行って踊りたかった。(TxT)今度は仕事にかこつけて単身でのりこむぞぉ~。
2006年08月08日
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2006年7月30日(日曜日)道楽者一家は電脳アキバ系の実態をレポートするために秋葉原電気街へと繰り出しました。まずは子供達の目指すゲームソフト販売店へ直行です。この日のためにネットを屈指して集めた情報を元に、道楽者三姉弟は中古ソフト屋を直撃!さすが日曜日はもの凄い人、人、人で、普段こんなに沢山の人を見ることの無い道楽親爺は眩暈にも似た戸惑いを覚えながら、歩道の木陰でひと息ついておりました。そのうちに歩行者天国で大通りが解放されると同時に更なる人波が押し寄せてきたのでした。待つこと小一時間、ようやく戦利品を手に意気揚々と店から出てきた子供たちは親爺のことなど屁とも思わず、「次はドンキホーテね」の掛け声と共に大通りを横切っていくのでありました。電車の乗り方も切符の買い方もようわからんくせに、まるでアキバの常連のようにこの電脳街を縦横無尽に歩き回るガキらにさすがの道楽親爺もタジタジといったところでした。「私は電気関係はまるでダメだから、おとーさんお願いね」と言って、ひとりショッピングに出かけた道楽者女房を恨めしく思いながらも、こうなったらオレだって楽しむぞぉ~と勢いをつけてドンキホーテに突入しました。結局このビルの各階を約30~40分かけてくまなく探索。トドメは娘二人が小物をお土産に買うというので更に小一時間が費やされました。息子は上階にあるゲーセンでひとりゲームに興じ、親爺は疲れ果ててお茶でも飲もうかと階を上がれば、なんとそこはあの噂のメイド喫茶ではありませんか。な、なんと、入店街の列にすでに10数名が並んでいます。しかも男女入り乱れて皆押し黙ったままマンガを読んでいます。こりゃチト場違いだったね、と苦笑しつつ更に上階に進む道楽親爺に更なる衝撃が!なんと最上階は「ご指名メイド喫茶エグゼクティブ」だったのです。入り口に張り出されたメイド嬢の顔写真を見て指名するという、「なんじゃここはソープかい?」と一人呟く親爺はこの異様な風景に遂に絶句してしましました。「・・・・・・・・・・・」そんな親爺を尻目に次々とツアー・スケジュールをこなしていくガキどもは、「おとーさん、ホコテンだからコスプレ見に行こう」と各自デジカメを持って大通りに出て行ったのでした。(やれやれ)そしてそこで親爺が目にした驚愕のパフォーマンスとは・・・・・これがコスプレおたくというヤツなのでしょうか?最近有名なパフォーマンスらしいです。なぜかこのおっさん、リボンダンスみたいなこともしてくれます。しかもカメラの前でポーズまで取ってくれました。そして、ふとその後方に目をやるとなにやら栄光の影で愁う一人のメイドが・・・・新宿三丁目デビュー前のトーシローといったところでしょうか。なんだか倒錯した異常な世界に紛れ込んでいく親爺~、昨日のディスコパーティーの夢が超時空空間に吸い込まれ行く~。こんなツアーはいつまで続くのでしょうか。そして道を行き交うロリータたち。この娘たちをようやくフツーの人に会えたような気持ちになり、彼女等を見てホッとしてしまう親爺はすでに電脳アキバ族の仲間入りをしてしまったのでしょうか。そして極めつけは駅前に立つピカチュー!しかし、この体型に違和感を覚えない親爺はやっぱりどこかのネジが少し緩んでいるのでしょうか?でもSAIPANじゃこの手の体型の人、当たり前だからね。(でも、さすがにピカチューはいねぇーだろ)ということで、この悪夢は夜まで続いたのでした。ZOOM行って踊りたかったよ、親爺は、ホントに。(T_T)
2006年08月07日
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さて7月29日に戦友テリーと再会した委員長は、新宿GET跡地にあるというお好み焼き店にて盛り上がった後、Studio 530氏と会うために再び新宿西口へと移動したのでありました。その昔、六本木のディスコMAGICでニアミスをしたご縁のStudio 530さんですが、この日が初対面にも関わらずすっかり打ち解けてしまう道楽者の集まりでした。さすがに旬のお店「ワタミ」は、なんと入店15分~20分待ちということでエレベータ前で道楽者の特技ウダウダ連発ですっかり盛り上がってしまいました。飲む前からすでに出来上がり状態で着席した一団は更に舞い上がりつつ、現代日本の経済的矛盾と格差や、近代史における官僚体制の変遷および近隣アジア諸国の経済発展におけるバイアグラ普及と大麻栽培のノウハウまで、ニッポンの将来を憂う中高年らしい談義でしばし盛り上がりました。この雰囲気こそ当時の業界人が仕事の帰りにウダウダと盛り上がった俗に言う「ミーティング」そのものでした。Studio 530さん、頂きましたCDコレクション、毎日通勤の車中で聞かせて頂いております。車内はまるで80年代の六本木某ディスコそのままの臨場感に、道楽者親爺51歳は何故か胸が高鳴り興奮のひと時でございます。(ってか動悸が高鳴ってる気がしないでもない)ありがとうございました。さてワタミですっかり出来上がりすぎたジジイ3名+乙女一名は、なんとムボーにもこれから踊りに行こうなどと言い出す始末です。(ジジイの勢いほど怖いものはありません)ちなみに「エビジュウ」とか「ダンテリ」とかサイパンの親爺には耳慣れぬ言葉が飛び交い、「そうだ某I氏の店に行こう」とか「エビジュウならロニーさん好みの音だから」とか、今更ジジイの音の好みなんぞどーでも良いと思いましたが、どうもこれはトコトン行かなければならない状況に言葉を失う委員長でございました。Studio 530さんはさすがにジジイの勢いの怖さを知り尽くしているだけあって、このムボーな提案を無難に交わしつつ終電に走り去っていきました。ということで、テリー&ロニーの標本コンビ+看護人あにゃもにゃ女史の3名は目黒まで出てタクシーで白金ダンステリアへ向かったのでした。「オウトン転がして行くべぇ」などと太古の昔に消滅したと思われる不良死語なども飛び出し、すっかりタイムスリップした往年のソウルブラザースでした。「客が入ってなかったらエビジュウに移れば良いよ」と看護女史のアドバイスもございましたが、なんとダンステリアは異常なまでの盛り上がりを見せておりました。おお、この雰囲気こそおいらの時代の匂いじゃん、と一気にタイムトリップした委員長はレジにいたおねーちゃんに入場料をお支払いして店内へと進みました。しかし、この感じ、昔っぽくて良かったです。雰囲気的には昔のハレムみたいな感じでしたね。階段を下りていきなり金を取られるみたいな。(笑)さて店内はすでに懐かしのサウンドでジジイ、ババアが踊っているではありませんか。なんじゃこりゃ?って気もしないではありませんでしたが、そうだオレもジジイなんだ、と納得しつつしっかりとその場に同化している自分が少々怖くなりました。(笑)DJブース近くの席につくや、なんと隣にはニックさんが座っておられました。なんせ30年以上もお会いしてませんから、写真でそのお顔を存じ上げていなければたぶん見分けが付かなかったでしょう。っていうか、見ず知らずのジジイにしか見えませんね。ご挨拶のひとつでも申し上げようかと思いましたが、状況はその昔同様、常連だかファンだか取り巻きが同席されていたのでご遠慮申し上げました。しかし、昔のステップを爺婆が踊るこの光景は筆舌に尽くしがたい妙な空間でございました。なんだかGETとエンバシを足して二で割って、居酒屋で掛けたようなお店です。ソウルシーシー、ソウルチャチャ、連発で飛び出す大昔のステップは、GET流ですね。これはたぶんニックさんのカラーなんでしょうね。ちなみにDJは勝本さんのご子息だそうで、爺婆を相手に中々奮闘いたしておりました。ただ曲の合間にブランクが入るのはちょっといただけませんでしたね。(笑)選曲は70年代~80年代までのソウル~ディスコでしたが、旧ステップ以降の踊りはなんかちょっと時代考証がズレているような気がしました。まあ、ここはノスタルジックムードを売りにしてる店ですから、そんなノーガキはどうでも良いのですが、なんかちょっと違うかなぁ~って感じでしたね。それでもテリーに誘われるまま踊りだしたら、それはそれなりに楽しかったですね。なんだまだ踊れるじゃん、みたいな~、オレもまんざらじゃないじゃん、みたいな感じですか(笑)やっぱり根がディスコ野郎ですから体が勝手に動き出すみたいなもんです。調子くれて「ロジャーかZAPP」などリクエストしまった委員長でした。ちょいとヘビーな曲になると昔のエンバシみたいな感じで、JBとかテンプスとかかかるとそれはもうモロにGETだし、昔の遊び人にとってはこういうお店が必要なのかもしれませんね。「ロニー、バンプやろうぜ!バンプ!」とか騒ぎ出す戦友テリーはすでにSTONEDというか異次元の世界を駆け巡っておりました。ジジイが尻ぶつけ合って踊る姿は白金ダンテリの悪夢となったのではないでしょうか。できれば婆でも良い、女と踊りたかった。(笑)しかし店内には若いにーちゃん、ねーちゃんもチラホラいて、ステップや昔の踊りなんぞに目もくれず好きなように踊っている姿は少々興味深いものがありました。そうです、いくら昔の曲だからって別に昔の踊りで踊る必要はありませんね。爺婆は昔を懐かしんで古い踊りを踊ってるだけなんですから、若者は自分たちの感じるままに踊るのが自然です。ということでそろそろ踊りつかれた頃、遂に勝本御大が登場しました。いや~、懐かしかった。早速ご挨拶を申し上げましたが、さすがに私なんぞはご記憶にはないご様子でした。30年以上も会ってないし、私ゃもともと勝本組じゃないし(笑)、無理もありませんね。なんか一回り萎んでしまった感じです。それでも伝え聞いた御大の近況よりは幾分お元気そうで何よりでした。さあ、これで思い残すことはありません。一同は再びオウトン転がして新宿に戻りました。夜が明け始めた青山通りを抜けて新宿に降り立った時、本当に昔の昔の自分が甦りました。懐かしかったぁ~。始発待ちのファーストフード店でその夜の反省など(笑)を語るひと時さえも、当時のシーンの再現、昔のまんまでした。よおし、この勢いで明日は千葉のZOOMに行っちゃうぞぉ~!と心に誓った委員長でした。(結局この野望は達成されませんでした・涙ごくっ)新宿地下通路で涙のお別れ。何故かハグしたジジイ二人でした。(ってモーホーじゃないよ)テリーありがとう。俺たちまだ行けるよな。もう少し頑張ってみようぜ。道楽親爺久しぶりの感動の一夜、JAPANツアー最高の東京ナイトでした。最後までお付き合い下さいましたあにゃもにゃ女史にもこの場をお借りして慎んで御礼申し上げます。どうぞ今後とも狂い咲き老人の介護をひとつよろしくお願い申し上げます。(笑)ということで道楽者のJAPANツアーはいよいよアキバ探検報告に入ります。
2006年08月06日
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美しい友情、涙の再会。30年ぶりに再会したSOUL BROTHERS!いやいや、まさに戦友会らしい成り行きに任せた素晴らしい夜でありました。しかしブラザー・テリーは全然変わってませんでしたね。FUNKYなノリもホント昔のまんまでした。待ち合わせも、その昔よく乗り合わせた小田急線の新宿駅地上改札口。とにかく会った途端に興奮状態でした。早速、テリーの提案で「ゲット」の跡地にできたという「お好み焼屋」さんに繰り出しました。新宿西口のガードをくぐって南口へ出て、その昔ビバヤングのあったヒカリ会館(ここはビジネスホテルになってました)、ソウルトレインのあったビルなどを経てプリンスビルに到着。それにしてもこの一角は30年前とさほど変わっちゃいませんでした。成人向け映画館(笑)も未だ健在です。そういえば76~7年頃、この並びにストリップ劇場を潰してディスコした店がありましたっけ。舞台に花道まで付いたダンスフロアで、なんだか妙な店でした。もちろんすぐに潰れて、またストリップ劇場に戻りましたが、言ってみればそれだけ当時のディスコブームが水商売的にも相当な影響を与えていたと言うことでしょうねプリンスビルの入り口も当時の面影が残っていました。おお、このくそせめぇエレベータはそのまんまじゃん。(てか当たり前な気がする)とにかく結構興奮気味の親爺たちは脈絡もないままに勝手なことを喋り捲ります。オブザーバーあにゃもにゃ女史はこの二人の会話に少々押され気味でありました。店内に入ると、そこはもう昔の面影など全く無く単なる「お好み焼き」のお店でした。テーブルについたものの、「このあたりがフロアーだったよなぁ」とか「DJブースは正面だったかな」とか「レジは昔もこの位置だった」とか勝手なことを勝手に喋くりまくって、取りとめもないまま親爺たちは興奮冷めやらぬといった状態でした。(よくありがちな昔話に花咲くジジイみたいな~)と、そこへオシボリが運ばれ、おねーちゃんがオーダーを取りにやって来ました。おっと、日本人ではありませんね。「あなたはどこの人?」(目ざとい道楽親爺が声をかけました)「ネパールです」(バングラ系だと思っていましたが)「あ~そう(ってナニがそうなんだよ)。ナマステー」(御馴染みの手を合わせてご挨拶)「ナマステ~」(彼女も手を合わせてくれました)てなことで、ここのウェイトレスさんはみなネパールのようです。ブタ玉だのイカ玉だのキムチもんじゃだの、なにを頼んだのか覚えていませんが、ブラザー・テリーは「野菜の鉄板焼きはないの~?」と親爺根性出し丸でしつこくネパールのおねーちゃんに食い下がりましたが、「あ~、野菜玉あります」と返され、「いや、そうじゃなくて、こう(手振りが入りました)、野菜だけをこの鉄板で焼きたいんだけどさ~」と更に突っ込みます。困ったおねーちゃんはスーパーバイザーらしきもう一人のおねーちゃんを連れてきました。「あのォ、ヤサイは生野菜があります」「そうじゃなくて、ヤサイをココ(またも手振りが入りました)で焼くのはないの?」「ああ、それならヤサイ玉があります」「・・・・・・・・・・」見かねたあにゃもにゃ女史からタオルが投げ込まれ、ヤサイ焼きの夢はそこはかとなく破れ去りました。当時のゲットのレイアウトを思い浮かべて見ましたが、確かエレベータ前正面入り口の左手にレジがあって、左手から店内に入ると正面にDJブースがあって真中がダンスフロア、両脇にテーブルといったようなカタチだったと思います。全体に細長い感じは今も同じです。(てか構造上当然だと思うんですけど)とまあ、かれこれ30年も前の話ですが、私も常連と呼ばれるほどゲットに通っていたわけでもなく、19歳の頃にはすでに業界デビュー(笑)していましたから、さほどの思い入れはありませんが、遠い夏の日の面影を偲びつつ生ビールで乾杯をした3人でありました。PS.追伸デス。昨日ご紹介いたしました千葉ZOOMの花火大会は8月5日の間違いでした。すぐに訂正しましたが、明日だと思っている方、申し訳ありませんが本日ですので、無理しても行って下さい。そのうちこの埋め合わせはします。(って軽く言うなよ)どうも南洋ボケの上に時差ボケが重なったようですんませんでした。(汗;汗;汗;)
2006年08月05日
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恥ずかしながら道楽者51歳ジジイ、今朝がたサイパンに戻ってまいりました。ということで今回の夏休みはニッポンへ行ってまいりました。実は我が娘18歳長女が来年高校を卒業したらニッポンに行きたいなどと言い出しまして、なんとムボーにも親子でオープンキャンパス、学校見学などに行ってしまったのでした。親爺的にはこれは半分言い訳で、合間見てどーらくしようと目論んでいたのですが、家族の執拗な抵抗にあってしまい、結局どーらくはほとんど出来ませんでした。(涙、涙・・・)一応ジジイの裏スケジュールでは、土曜日に戦友テリーと会って、日曜日はゆーじさんとこにお見舞いに行ってから千葉ズームのステップナイトという段取りだったのですが、日曜日は子供たちの「連れてけアキバ!」コールにとうとう丸一日電脳アキバ系ということになってしまいました。いや~凄かった秋葉原。どこで調べたのか、「コスプレおたくは日曜日にしか出ないから」と言われ、結局朝から晩までアキバ電気街を縦横無尽に疾走した道楽者一家でした。なぜか母親だけがこの日は解放されて、マツモトキヨシ~サプリメント~大手デパート催物会場ツアーでHAPPYな一日を過ごしたようです。あきらめの悪いジジイは、翌日の墓参り千葉県銚子ツアーの帰途で離団してZOOMへ逃れようと試みたのですが、「もう一度アキバに寄りたい」というまたしてもガキどもの強力なリクエストに飲み込まれていったのでした。てなことで、結局今回のニッポン滞在で会えたのは戦友テリー&HIS GANGのみでした。いやいや、それにしても約25年ぶりの再会でしたから、異常な盛り上がりを見せてしまい、なんと親爺たちはダンテリなんぞへと繰り出してしまい、朝帰りなんぞと言うとてつもない乱行と相成ってしまいました。お付き合い頂きましたStudio530さん、あにゃもにゃさん、どうもありがとうございました。某I氏ともお会いできそうだったのですが、残念ながら叶いませんでした。ということで、このアキバツアー、ダンテリツアーの模様などは画像付きで後ほどご紹介したいと思います。まずは職場復帰とブログ再開のお知らせです。末筆ですが、千葉ZOOMは8月5日「花火でディスコ」で盛り上がりそうですので、近隣の皆様は是非ともご参加下さい。花火を見て、ビールを飲んで、しかもその後は踊るという大変豪華な、中高年が幼少の頃夢見た「遊び」の幕の内弁当のようなイベントに是非とも皆様お出かけ下さい。はっきり言って、千葉の花火大会は凄い!隅田川や多摩川よりもすごい!(はずだ)
2006年08月04日
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