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昨日はコピー転載させて頂きました阪本啓一さんの「お話」に関して、戦友会メンバーのyakitoriさんから熱いメールを頂きまして、久しぶりに清々しい気持ちになれた道楽者親爺です。なんでも伯母様がヘレンケラー女史とご縁があったそうで、以前にもお伺いしたことのある御祖父様のお話に胸が熱くなりました。これもご縁ですので、いずれ機会がありましたらご紹介させて頂きたいと思います。さて、私ら道楽者一家もご多分にもれず SUMMER VACATION をいただくことになりました。つきましては1週間ほど日記はお休みさせて頂きます。そこで、大きなお世話とは思いましたが、私なんぞの日記よりも、もっと皆様のためになる本など読んでいただければと、またまた阪本啓一さまメルマガからコピー転載させて頂きました。決して手抜きではありません。何故か二日続けて配信されてきたものですから。(汗;本当に連発してメルマガが届いたのです。これも何かの因縁(しくみ)ではないかと思ったりしてます。なんかとてもタイミングがよくて、なんか示し合わせたような内容に驚きました。●神主さんがなぜプロサッカーチームの経営をするのか 池田弘さん著、東洋経済新報社オフィスからの帰りに読む本がなくて、あわてて入った駅前書店に平積みされていた。カバーイラストが本当に神主さんがサッカーをやっているもので、面白いなあ、と思ったんだ。帯に、「ヒルズ族と対極の成功法則」とあって、さらに、「人の心を活かした経済活動が日本を救う」とある。全く同感であって、中を見ずにジャケ買い。混みあう東急東横線で横浜に向かいながら立って読み進めるうち、つい先日実物を見たばかりの新潟ビッグスワンが出てくるのでびっくりした。http://bigswan.greenery-niigata.or.jp/アルビレックスって、そんなにすごかったんだ! ともう一度驚く。以下、ランダムに引用。やはり全文をじっくり読んでみて。村上ファンドの墜落をはじめ、やはり、「バランスを欠いた経営」は、自然淘汰されつつあるよね。ぼくがどこかの本で書いたMBAはMBAでも、「(M)まっとうな(B)バランス感覚を備えた(A)商人」がいまこそ、経営には必要なんだ。企業の志。志ある経営。(以下「本」より抜粋)------------------------------------------------------------------利益というのは、ある意味、自分以外の人から受けた恩恵仕事とは、自分が社会から受けているさまざまな恩恵への見返りとして、だれかほかの人に役立つことをすることいちばん大切にすべきは、地域社会本当の成功要因は「目に見えない力」「新潟がんばれ」とアルビレックスを応援する声は、実は、新潟の人たちが自分たち自身を応援する声でもあります自然を大切にし、人間同士が信頼しあって助けあう世界が望ましいという、日本人の根底に流れる心を大事にすることはとても大切なことです----------------------------------------------------------------------●船井幸雄先生シリーズ○『気の力』海竜社、岡崎久彦氏(元外交官。タイ大使などを務めた)との共著ソニー創業者井深大さんも、最晩年の研究課題は「氣」だった由。ぼくも氣を生活に取り入れるようになって、ビジネスがますます加速し始めている。いわゆる、「ツキ」がやってきている。もともと健康だけど、ますます健康が増進した。氣について知るには、最適の本。○『これから5年、いよいよ正念場』、徳間書店船井先生の長期的予測はこれまですべて当たっている。そして、近未来の先生の予測は、アセンションが起こる、というものだ。アセンションについては、船井先生だけではなく、いろんな人が異口同音に言っていることでもある(たとえば、アラン・コーエンなど)。ロミさんこと友人の中野裕弓さんからはぼくは直接聞いている。JOYWOWのスピリチュアル・コンサルタントからも深いところをレクチャーしてもらっている。船井先生の本書は、「では、ビジネスや経営は、どうするべきか」について、教えてくれる。素晴らしい一冊。○『昭和史からの警告』、ビジネス社、副島隆彦氏との共著大学受験は共通一次試験以前のシステムで文系だったから、社会二科目だった。ぼくは世界史と日本史を勉強した。本書を読むと、特に現代史がいかに歪められたものか、がよくわかる。かつ、日本人の歴史観は、その多くが意識する・しないに拘わらず、司馬遼太郎史観に影響を受けている。実は甚だ危険であって、特に幕末、明治、昭和戦前史、太平洋戦争開戦時における「秘密」については、「信じようと信じまいと」本書を一読、頭に入れておくとかなり視野が拡がると思う。副島さん、筆が過激なので、アレルギーを起こす人がいるかもしれないけれど、そこは船井先生の言葉で毒消ししてください(笑)。このほか、船井先生はほぼ日刊といっていいほど本を出しておられる(笑)。それだけ先生が危機感をお持ちということで、いま、ぼくが一番注目している思想家・実践家です。●スピリチュアル・ライフ 中野裕弓さん著、DHC本書は特に働く女性にオススメ。キーーーーーーーーーッツとなってしまう忙しいあなた。本書を読めば、中野さんが「ストレスまみれのOLだった」ことがわかる。そんな中野さんがいかにして、スピリチュアルに目覚め、楽に生きることができるような考え方を手に入れたのか。6月だったか、中野さんとお話していたとき、「7月に出す本では、かなりカミングアウトしたのよ」とおっしゃっていて、すっごく楽しみにしていたのだけど、素晴らしい本です。いまだにスピリチュアルな世界に対して「オカルト」とか言って軽蔑したり、「阪本さんは影響力が大きいのだから、あまりそういう方面の発言はしないほうがいいですよ」と「善意」のアドバイスをしてくれる人がいらっしゃる。しかしもともと日本はスピリチュアルなものを自然に生活に取り入れている国なのだ。初詣しかり、食事のときの「いただきます」「ごちそうさま」しかり(英語には該当する言葉も習慣もない)。「バチがあたる」とか、本を踏めなかったり。世界は主観で成立している。現実とは、人間の認識である。で、あるならば、自分の主観と認識のウィングを拡げれば、世界も現実も、より多層に、豊かになるんだ。ビジブルな世界だけで勝負しようというひとは、ちょうど自転車をこいで坂を上るに等しい。スピリチュアルなインビジブルを味方につけるということは、その自転車を電動自転車に乗り換えるようなもの。楽になるよ。(以下「本」より抜粋)-----------------------------------------------------------------ところが、どんなに身を粉にして働いても、誰も私を認めてくれないのです。認められるどころか、ある時など、髪振り乱して残業する私の背中に、上司の冷ややかな一言が投げつけられたことさえありました。「仕事が多くて残業しているの? それとも効率が悪くて終わらないの?」--------------------------------------------------------------------------------------果てさて中野さんはこの後どうなったでしょうか。ということで、早速私もこれらの本を入手して読んでみたいと思います。では皆様も Have a nice vacation!See you next week.
2006年07月27日
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今日は、私がここ数年来刺激を受け続けている人物のお話をさせて頂きます。彼の名前は阪本啓一さんといい、ビジネス・コンサルタントを生業とされている方です。セス・ゴーディン著「パーミッションマーケティング」をはじめ、米国のビジネス書の翻訳なども多数手掛けており、新しいマーケティングの世界を切り開いている若手実業家です。私自身も随分と影響を受けた彼のマーケティング理論は、心技一体の人間味溢れる感覚から現状のタコツボ的ビジネスシーンを変えて行こうとするパワーに満ち溢れています。ご興味のある方は一度サイトを覗いてみて下さい。http://www.palmtr.com/そんな阪本氏が9年前に始めたメールマガジンを通じて、私も彼の成長と共に「智のお裾分け」に参加しているのですが、最近は私の扱うテーマが少々ビジネス(マーケティング)の世界からはみ出してしまったようで、同じ土俵であまりコミュニケーションを取らなくなってしまいました。昔は五つ星ホテルのマネージメント&マーケティングに切り込んで行ったり、スターバックスの戦略やヨーロッパのブランディング理論など、私も夢中になった時期がありました。ある時などは「ちくわぶ」のブランド形成(笑)についてとか、落語の世界と商品戦略を絡める遊び心もあって、大変にエキサイトしたこともあります。彼も私同様母子家庭で育ち、音楽を好み、趣味でバンドなどもこなす多才な人間ですが、私と根本的に違うのは「志」があるということでしょうか。彼は苦学して大手企業に就職、営業部門で体験した数々の矛盾や疑問を、自らの力で変革を試みるため起業したという、大変志の高い人物です。まあ、いうなれば勤勉な努力家ですね。比べて私は怠惰な徒労家といったところでしょうか。(笑)さて、前置きはこれくらいにして、今日は彼からの久しぶりのメルマガが届き、是非皆様に読んで貰いたくてコピー転載することにしました。「奇跡の人」ヘレン・ケラー(1880-1968)。この1歳7ヶ月の赤ん坊の、目が見えず、耳が聞こえず、話ができないことを嘆いていた両親の相談にのった人物がいた。彼は、聴覚障害を専門とする教育者であり、研究者で、余暇に発明をしていた。アレクサンダー・グラハム・ベル。ベルは、テンションが落ちてしまっているケラー夫妻に、日本に、盲目の大学者がいたことを話した。塙保己一(1746-1821)。以来、ヘレンと両親(特に母親)は、くじけそうになると、保己一のことを思い出し、こころを励ました。ちなみに、ベルがなぜ保己一のことを知ったのか。当時のことゆえ、グーグること(笑)などできはしない。ウィキペディア(Wikipedia)もない。ベルのもとに日本の文部省から派遣された留学生・伊沢修二という男がいた。彼が、保己一の話をしたのだ。ちなみに、ベルが電話を発明し、最初に通話実験をした相手が、この伊沢だ。ヘレン・ケラーは、1937(昭和12)年、渋谷の温故学会を訪問し、そこにある保己一のブロンズ像に触れた。何度もなんども触れた。懐かしい顔をした。保己一が命をかけて残し、現在もまだ使われている『群書類従』の版木に触れ、驚きの声をあげた。ちなみに、温故学会は事業家・渋沢栄一(1840-1931)が保己一の残した仕事(版木など)が火災に遭わぬよう建設したもので、昔の事業家の文化的素養の深さ・豊かさを感じる。ドラッカーが、「日本人はせっかく日本語が読めるのだから、もっと渋沢栄一のことを勉強するべきだ」という言葉を残している。ぼくはこの7人、塙保己一、ヘレン・ケラー、渋沢栄一、伊沢修二、ケラー夫妻、ベルの残した生涯を見るに、「人の使命」に対して思いを馳せずにはいられない。渋沢も保己一と同じ埼玉県北部、生家は直線距離でも20キロあまりしか離れていない。「人はみな、天から封書をもらって生まれてくる」という名言は、哲学者・森信三先生だが、全くその通りだと思う。保己一は、『群書類従』全666巻、版木約17,000枚を完成したわずか2年後に亡くなっている。考えさせられるよね?彼ら先人たちの人生を知り、共通して感じることは、「生きる力の素晴らしさ」だ。どうですか?この先ノーガキをタレると軽薄な評論家に成り下がってしまうので、くだらねーことは言いませんが、やはり事業家の文化的素養の深さ、豊かさはその「志」に根付くものなのでしょうかね。最近の、大手とか一流とかいわれる企業、あるいは事業家の皆様の素行を見るに付け、今まで自分たちが施されてきた「教育」というものに疑問を感じてしまいます。戦後の厳しい時代を、先人の期待を担ってニッポンという国を任されてきた緒先輩方は、後に続く子供たちにどのようなツケを残しているのでしょうか。ひょっとして、便利この上ない「責任」という言葉の使い方を身を持って教えてくれているのかもしれませんね。「全ての責任は私にあります」(だから?)「辞めることではなく、踏み止まって責任を果たしたいと・・・」(具体的に言うと辞めないでどうするわけ?)「責任を持ってお詫びいたします」(って金銭的補償はあんたの財産を使うわけじゃないよね)もちろん昔の事業家は素晴らしかったとか、手放しで褒めるつもりはありませんが、少なくとも人間としての尊厳があったように思えます。
2006年07月27日
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最近我家の子供たちは「ことわざ」にハマっております。どうもゲームやアニメとかの影響だと思うのですが、まあニッポンの文化に触れるにはちょうどいいだろってことで、道楽親爺は時々このことわざの解釈を説明しています。それにしても子供の感性というのは面白いですよね。特にウチの場合は環境がちょっと変わっていますから、言葉とその意味のシュミレーションというかイマジネーションの発想がどうも風変わりで楽しめます。もともと教科書になっている本が「ドラエモンのことわざ辞典」とかですから、マンガを見て理解するパターンが出来上がっているようで、テレビやゲームの最中に突然思いついたように質問してきます。たとえば、最近人気のスポンジ・ボブ・スクエア・パンツという、しょーもないおバカなアニメ(っていうかマンガだよね)があるのですが、ゲラゲラ笑っていたかと思うと突如としてオヤジに質問が投げかけられます。「あのさぁ~、これってエビでタイを釣るってこと?」とか「あ~このことだったんだぁ、アブハチとらずって」とか、妙にぎこちないことわざが飛び出します。大体、ハチは知っていてもアブなんて知りませんから、この説明から入らなければならないのには往生します。更に「それは二兎を追うもの一兎をも得ずとも言うんだよ」などとオヤジは墓穴を掘ってしまいます。「イットってナニ?」「ウサギのことだよ」「あ~、ニワトリとか数えるときに使うヤツね」「えっ?トリはイチワ、ニワだろ」「えっ?なんでワなの、イチトリをSHORT CUTしてイットって言うのかと思った」万事がこんな調子です。それでも頭の中ではイメージ的には理解しているようで、日本のアニメとかで「全ては水の泡だったかぁ」なんてシーンが出てくると、「これは今までのドリョクがダイナシになっちゃうってことだよね」とか言います。オヤジ的にはこの表現は結構気に入ってるんですけどね。(笑)台無しなんて言葉をどこで覚えたのか、時たまこういうセンスがたまらなくFUNKYです。こんな繰り返しを続けていくうちに漠然としたイメージながらも、少しずつ言葉の意味を理解していくのかなぁと思うと「継続は力なり」ということわざが湧き上がって来ます。そういえば日常会話だって継続して繰り返すから脳の中にバイパスが生まれてくるわけで、この「繰り返し」ほど人間の生活に密着した行動はありませんね。スポーツしかり、音楽しかり、すべては日々の繰り返し、継続することで培われていくものです。決して一足飛びに身に付く能力なんてありませんよね。でも道楽者はこの地道な努力が案外苦手です。(笑)っていうか、自分の興味のあるモノ以外には努力する気など毛頭ありません。どっちかというと一足飛びにスーパースターになって輝くことなんかを夢見てしまいます。その昔、私がバンドごっこで夢を見ていた頃、「ギターが上手くなる薬とかないかなぁ~。飲んだらビューッと上手くなっちゃうような」などと、まさしく夢見たりしてました。結局それはギターが上手くなりたいんじゃなくて、ギターの上手い人(自分)になりたいってことなんですよね。ところが「踊り」とかは、そんな考えが起こる前にとにかく毎日暇さえあれば踊ってました。今振り返ってみれば、これって満足度と快感値の関係のような気がします。ギターを弾き始めた頃は、もちろん上手くなりたいって気持ちはありますが、それ以上に弾くことが楽しかったから続いていたわけで、それがある程度のところまできたら、今度は弾く楽しさより注目される快感を求めるようになった、というようなことかもしれません。では「踊り」はどうだったかというと、これはもちろん注目される快感はもちろん求めてはいましたが、それよりもなによりも上手く踊りたいという欲求の方が強かったような気がします。だから明けても暮れても鏡に映る自分を見ては体を動かしていました。う~ん、そうかんがえると継続にはその行為を楽しむ精神性も必要と言うことになるのですかね。スポーツの場合はどうなんでしょうか?やっぱり達成感でしょうか。ある目標に向かっていく達成感みたいなものが、スポーツにはありますよね。もちろん楽器演奏や舞踏なども、決められたスコアや振り付けをきっちりとこなす達成感というのもありますが、私の場合はそれよりも前に、遊びを楽しむワクワク感みたいなものの方が強かったような気がします。別に目標なんてなかったし、ただ毎日踊ることが楽しくて、ひたすら踊りに明け暮れていた、そんなふうだったと思います。そんな繰り返しをしているうちにそれでメシを喰うようになっていた、みたいな感じですか。なんというか、スポーツとかの「継続」って忍耐とか根性が付いて回るような気がするのですが、どーらくに関しては我慢してまでは続けないというお手軽で気楽な反面、夢中になれる魅力がどこまで継続するか、あるいはワクワク感がどこまで持続するかに掛かっているような気がします。ということで今日のテーマに戻りますが、じゃあ私たちが普段使っている「言葉」はどうでしょう。赤ちゃんから幼児、子供から少年、少年から青年という風に育っていく過程で絶え間なく継続されていく行為が「会話」です。たぶん幼児期から子供になる頃は言葉を覚えることは、無意識のうちにもワクワクしたことではなかったかと思います。実はこの感覚、私自身も外国に出てあらためて感じたことなのですが、言葉を覚えて使うという行為は結構ワクワクするんですよね。「あっ、通じた、俺の言ったことが通じたよ(笑)」みたいなね。でもって、これはたぶん自分の幼い頃と同じような感覚ではなかったかと思うわけです。言葉を覚え始めた頃、親や兄弟、友達と言葉を使ってコミュニケーションができる、という充実感というかワクワク感、これは非常に大事な気がします。未開の地に突き進む探検隊みたいなもんですか。(笑)ですから、この言葉「継続は力なり」を信じて、みなさんもワクワクすることを見つけてどんどん探検隊を繰り出しましょう。ワクワク感を持って「どうーらく」を続けていけば、ある日それは思いがけない「力」となって、きっとあなたの人生を楽しませてくれると思います。ってことで、再び道楽者からの「どーらくのすすめ」でした。
2006年07月26日
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昨日は少々重たいテーマでノーガキをコイてしまったので、今日は皆様が元気になるようなお話にします。(ちなみに昨晩のNHKスペシャルもかなり重たいテーマ「増える女性の鬱病」やってました。)ということで、青春真っ只中(笑)の皆様はもちろんのこと、人生の賞味期限ギリギリの方にもやや有効だと思いますので、今日は肩の力を抜いてお読み下さい。私の体験や偉いセンセのウケウリとかを交えたエピソードです。私は職業柄色々な業界の様々な方々と接する機会に恵まれ、その出会いの度に凝縮された人生のエッセンスを学んだり、感性が触発されたり、思いがけない発想をインスパイアされたりと、大変貴重な勉強をさせて貰っています。これは人生大学という学校で幅広いジャンルの講師や教授の講義を受けているようなものです。しかも授業料なしで。(笑)私はこれを人生大学社会学部哲学科と呼んでいます。(笑)ただ、講義を受ける私自身の許容量によっては、たとえ素晴らしい講師との出会いがあったとしても、その時に自分がその講義を必要としていなければなんら身に付くことはありません。つまりこれがよく言われる「乗り越えられない壁はない」ということだと思います。その都度自分の前に立ちふさがる壁は、その時点で自分の器量に伴ったものであるということですね。物理的な問題は別として、精神的には自分の器量以上の壁は現れないということです。だから必ず乗り越えることができるということになります。さて、まず私がこの数年最も影響を受けた養老孟子先生のウケウリです。「知行一体」とは、脳へのインプットである知と、脳からのアウトプットである行がひとつになるという意味である。よく赤ん坊が自分で動かした手をじっと見つめている光景を目にしますが、それは手が動くということを脳にインプットすると同時に指を動かすという行動をアウトプットしていくことであり、人間は常にこうしてインプットとアウトプットを同時に行って脳と体が一体化しているということです。「文武両道」とはよく言ったもので、インプットとアウトプットがスムーズに行われるシステムこそが体と脳のしくみです。そう考えると、声を出して本を読むという行為はまさに「知行一体」、目から入った文字は脳に入り、読む作業と一体化し、それが声となって読み上げアウトプットされ、更にその声が脳にインプットされていくという理想的な循環システムを作り出すわけです。数年前に著名な哲学者の行徳哲男さんという方にお会いしたことがありました。名前が凄いですよね。徳を行う哲(さとる)男、著名な方らしいです。ある朝のこと、ちょっとした経緯で知人を介して観光客の道案内を頼まれました。ちょっと風変わりなオッサンが尋ねたい場所があるらしいので、その道案内をして欲しいということでした。早速そのオッサンの滞在するホテルに迎えに行くと、そこには作務衣(サムイ)を着た初老の男性が知人と共に待っておりました。さほど変わったオッサンということもなく、それなりに道案内をしてホテルに戻る道すがら、車内で私の知人と交わしているちょっとした会話が耳に入ってきました。「解決は行動でしか得られないものです。問題をあれやこれやといくら考えたところで、考えているだけでは何も解決することはできません。問題は行動でしか解決できないのです」ちょうどその時私自身が小さいながらもある問題を抱えていて、この一言が自然に耳から入っていってストンと心の中に落ちました。その時私の脳裏に閃いたのが「因縁」という言葉でした。何かの因縁(しくみ)がこの人に答えを持たせて私に出会わせてくれたのだという直感です。この初老の男性の言葉は受け入れる器があってこそ生きてくるわけで、器が違えばまさしく馬の耳に念仏、猫に小判(笑)、単なる年寄りの小言にしかなりません。これも表現を変えればインプットとアウトプットがマッチした結果と言えます。人間の出会いというのは不思議なもので、数多くの出会いの中から特定の人物を選別するのはその時の心模様ということになります。この方をホテルまで送ってお別れするとき、私は自然に、ごく自然に深く頭を下げていました。初対面の方にこれほど自然に頭を下げることができたのは初めての体験でした。もちろん口からは自然に、ごくごく自然に「ありがとうございました」と声が出ていました。「知行一体」もうひとつのエピソードは私のこのブログです。これもある出会いがきっかけになって始めたことですが、書くというアウトプットと読むというインプットを繰り返していくうちに、今まで自分の気づかなかった感性に触れることができました。というよりは、心の中でくすぶっていた本質、核に突き当たったということです。自分で書いたものを読んでまた書く、これはブログというシステムがあってこそめぐり合えた素晴らしい遊びでした。自分の書いたものを自分で読んで、また考えて書く、といった繰り返しの中で自分自身の感性を触発していったのかもしれません。これが単なる「日記」だったらここまで続かなかっただろうし、少なくとも何人かの人が読んでくれているということが励みにもなりました。そして今までずっと心の中でモヤモヤしていた何かが飛び出してきたのです。今はもうただひたすら自分のために書いてるのですが、たとえどんなカタチになろうとも、私の書いたものが誰かの感性を触発したり、人生を生きる上で何かのきっかけになってくれたら最高だと思っています。そしてこのブログこそが「行動なくして解決なし」を実践した結果です。まあ、ありきたりの言葉ですが、まずは動かなければ何も始まらないということですね。
2006年07月25日
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昨日は久々に何もしない休日で、一日中ぼーーーーっと過ごしました。別に鬱とかではないのですが、とにかくなにもヤル気が起こりませんでした。根がどーらく者ですから、怠け者をやらせても一番を目指してしまいます。(笑)親爺の夏休みといった感じで、とにかく家でゴロゴロして付けっ放しの御馴染みNHKで大相撲~大河ドラマなどをボーっと見ておりました。久しぶりに一家団欒揃って夕食を済ませた後、相変わらずボーっとテレビを見ていたらNHKスペシャルなどという番組が始まり、一人の無職青年の生活を映し出しました。彼は34歳で無職。住む家もなくシゴトを探して東京に出てきたものの、就職先も見つからぬまま路上生活をしています。確か出身は東北あたりだったと思いますが(あまり真剣に見ていなかったので覚えてません)、高校卒業以来きちんとした就職をしておらず、常に非正社員のまま年齢を重ねてきたという身の上でした。もちろんそれを彼が望んだわけではなく、企業が正社員を求めていなかったため、パート的な生産工場の仕事しか得られなかったということでした。系列工場を転々とはしたものの、それでも10年ほど勤めて多少の蓄えもできたようですが、安定した正社員の道は開けないまま解雇されてしまいました。すぐに建設関係のパート職を見つけてなんとか食い繋ぎましたが、やはり不況のあおりで継続した仕事にはならず、蓄えも食い潰し、住むところも失い、とにかく食い繋ぐためにシゴトを得る機会の多い東京に出てきました。早速彼はハローワークに出かけ職探しを始めましたが、すでに34歳という年齢の彼が働ける職場は制限があり、正社員としての就職はまず不可能でした。それでも斡旋されたビル清掃のシゴトに面接に行き、なんとか就職の目途が立ちました。早速、職安に報告に行くと、先方から居住地の問い合わせが来ており、彼の路上生活が発覚してしまい、結局就職はできませんでした。ヒジョーに暗い話ですが、この後、話は秋田県の農業を営む一家に飛びました。米価の暴落で農業が立ち行かなくなり、廃業して転出していく農家が多いため村落が廃村していく姿がそこにありました。一家でなんとか食い繋いで行く姿は、なんだか昔の農家そのままのようでちょっと妙な気がしました。もちろん父兄は出稼ぎに出たりしてますが、それさえも建設業の不況からパートの仕事も減り、収入は益々落ちていくという現実でした。その秋田の地の商店街も農家の不況から転出していく商店が相次ぎ、閑散とした商店で暮らす老夫婦も今後の生活に切実な問題を抱えていました。介護費用の減額と健康保険料の値上げでした。この奥様はアルツハイマーで入院中、ご主人一人が細々と洋装店を続けているという老夫婦ですが、もちろん生活費を稼ぐまでには収入はなく、生活保護を受けなければやっていけないような状況でした。ところが、この生活保護を受けるためには、所有する全ての財を放棄せねばなりません。ご主人が奥様の葬儀代として大事に抱えている百万円ほどの貯蓄があるかぎり、生活保護の対象からは外されてしまいます。「弱いものは早く死ねと言うことです」ご主人がポツリと洩らした一言です。そして最後のトドメが50歳で子供二人を育てるお父さんのお話でした。私と同じ歳なので、ここんところはちょっとマジになりました。このお父さんは10年程前に奥様を亡くし、中学生と高校生の二人の息子さんを男手ひとつで育ててきました。とことが数年前に会社のリストラで解雇されてしまい、少ない貯蓄も食い潰し、現在はガソリンスタンドでパートの仕事をしています。もちろんパートですから、それだけでは生活が成り立たないので、この他に2つのスタンドをアルバイトとして掛け持ちしています。それでも生活するだけで手一杯、息子の大学進学について悩む姿は他人事とは思えませんでした。ちょっと男泣きするシーンもあったりして、正直言って身につまされました。救いは子供たちが父親の立場をそれなりに理解しているので、この親子はたぶん乗り切っていけるのではないかなぁ、と思いました。と、ここで、更に極めつけのトドメが刺されました。親に生活を放棄された子供たちの施設にカメラが入っていきます。もちろん昔から子捨てはありましたが、最近のケースは複雑です。ある少年の場合は、母子家庭で高校に入る頃まではなんとか生活していましたが、ある日母親が帰ってこなくなり、後は自分ひとりで生活を続けていったという話でした。彼は現在30歳。池袋で路上生活をしています。彼は読み捨てたマンガ雑誌を拾い集め、1冊50円で買い取ってくれる業者にこれを売って毎日の生活費を稼いでいます。「5時間掛かってやっと400円作って、5分でメシ喰っちゃう」カップ焼きそば食べながら洩らした彼の一言です。最後にまとめで御馴染み評論家のセンセー方のおはなしです。「本人の意思ではなく就職できずにもがいているこのようなケースは今後更に増えていくでしょう」「これは政府の無策の責任であり、皆がこのような事実に目を向けて対峙していかなくては、益々混乱は深刻化していくでしょう」ごもっともでございますが、現実を切り取って見せてくれるまでは良いのですが、ではどうすれば良いのかということがきちんと論じられていませんね。「セキニン」って言葉は大変に便利な言葉です。「責任を持って対処致します」とか「責任を持ってお詫び致します」とか言ってますけど、この責任は誰が所有する責の任なのですかね。ただ頭下げるだけなら「セキニン」を持ち出す必要はないと思います。漠然とした企業や組織といった大きな塊の中に埋没しているセキニンは、その代表者である社長でさえ実感を伴ったセキニンを成就していません。これが個人の所有する「セキニン」であったなら、謝罪弁償とか、指詰めとか(笑)ボウズとか明確な形で現れてきます。といことで、道楽者の意見としては、お年寄りの方々には大変申し訳のない言い方ですが、そんな国だの社会だのに最初からもたれかかるからムカつくので、さっさと縁を切って自分の掟で生きることをお薦め致します。元をただせば国の経営者はみんなで選んだセンセー方なんですから、今更文句を言ったところで手遅れのような気がします。せっかくボーダーレスの世界になってグローバル化(笑)しているんですから、何も日本に生まれたからってニッポン人として生きる必要はないと思いますね。少なくとも餓死したり、血や体を売らなければ生きていけないような国じゃないんですから、そんなトコに生まれたことをラッキーだと考え、もっと生きる張り合いのある場所を自分たちで探せば良いことだと思います。
2006年07月24日
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今日はチョイ古ネタですが、米国のゴシップ雑誌「MAKEOVER」から「やり過ぎ」の後遺症、あの人は今~衝撃の画像をお届けいたします。最近チャーリーズ・エンジェルがリメイクされて話題になりましたが、元祖エンジェルと言えばこの人、ファラ・フォーセットでしょう。そういえばこのヘアスタイル流行ましたね。サーファーブームと相まってこんなファラもどきが巷に溢れた時代がありました。ちなみに私はこの時代、どちらかというとランナウェイズのシェリー・カーリーにはまっておりました。(奥様は魔女でタバサという子役やってた娘ですね)そんなこたぁどーでも良いですね。ではどうぞ、あの人は今。。。。。どうでしょうか?それなりに美しくお年を召されたようで、年増の色気も漂っております。(ゴホン!失礼)えっ? これじゃつまんないって?道楽者の与太話にしてはまともすぎますか?はいはい、ちゃんとオチも付いてますよ、ご心配なく。なんてったってネタ元はゴシップ雑誌ですからね。タイトルの「やり過ぎ」ってのは、整形のやり過ぎってことで、最後はこうなるという非常にベンキョーになるお話です。ではしっかりとごらんになって下さい。表紙を飾った衝撃の画像。使用後の後遺症ってとこですか。凄いですねェ~。年齢的にももう60歳は超えているでしょうから、無理もないっちゃ、無理ないですけど、痛ましい写真です。左下はパメラ・アンダーソンです。清純派から肉体派ですか。しかし豊胸が・・・・・。右下はアナ・ニコルです。これはスリムに変身ってとこでしょうか。さてこの雑誌、中身はこんな感じで「あの人は今」満載なんですが、とにかく美容整形の特集みたいにその内容が詳細に記述されてます。もちろんそのページのパートにはドクターがちゃんと紹介されてますので、コレ見て医者に走る改造人間希望者が殺到したことでしょう。ということで、皆様も改造の際はくれぐれも老後の見てくれなども考慮に入れて下さいね。
2006年07月22日
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全国の道楽者の皆様こんにちは。日々「貧乏の直し方」を模索する非生産活動推進員会です。ビンボーはどうすれば直るのか?切って直すか、クスリで直すか、はたまたビンボーにはビンボーをもって直すのか、などと思考を重ねつつ頭髪も薄くなる今日この頃の委員長です。なんちゃって。しかしこのところの石油の値上がりには閉口しますねぇ~、ホントに。飛行機なんぞはSURCHARGEなどと言って勝手に値上げを断行しましたが、一般庶民にとっちゃ世の中全体が便乗値上げのようで、これじゃビンボーを直す糸口さえ益々見つからなくってしまいます。私の暮らす南洋諸島は海に囲まれた孤島ですから、殆どの物資が輸送(輸入)に頼らざるを得ませんので、もう毎月毎月モノの値段がどんどん上がって天井知らず、おまけに電気代や水道代も上がっていくので、一般市民のビンボー人たちは大変に苦しい生活を余儀なくされております。 スーパーや卸業者でも日持ちの悪い商品は姿を消し、船便で大量に入荷して在庫期限の長いものに次々と切り替えられていってます。だから生鮮食品とかが減り、冷凍モノや防腐剤の効きまくった食品が店頭の花舞台を占めるようになりました。もちろん金さえ出せばなんでも買えるんですけど、1本7ドル(約730円)もする長ネギなんてお箸を持つ手が震えて食べれませんね。(笑)とまあ、こんな状態が続くと当然のごとく犯罪が増え治安が悪化します。最近はポーカーゲーム屋(日本のパチンコみたいなもんですね)がよく強盗に襲われてます。昔っから強盗に襲われるのは銀行と博打屋と相場が決まってますね。確実に現金があるところですから、下手なところに泥棒や強盗に入って何も獲物がなかったなんてことになると生産効率が大変に悪いので、多少のリスクは負っても確実に、しかもそこに現金があるという場所を狙うのは定石です。更に、ガソリン代の値上がりから、このところガソリン泥棒も増えて来てます。なんか昔のツッパリ時代を思い出しましたね。バイクのタンクにチューブ突っ込んで、口から吸い込むなんて方法でよくガソリンかっぱらったりしましたっけ。まさかこの歳になって、イイ大人がこんなドロボーをする時代が来るとは想像もしませんでした。(笑)そういえば、昔見た映画に「マッドマックス」ってのがありましたが、パート2では近未来の世界はガソリンを求めて人々が争う時代のお話でした。まんざら絵空事でもなかったんですかね。主役のメル・ギブソンもすっかりハリウッドスターになってしまいましたが、この頃は中々良い味出してましたよね。確か第一作目はオーストラリアのマイナー会社が制作した佳作だったと思います。監督はジョージ・ミラーでしたっけ。(あまり記憶がはっきりしてません)この映画、レースシーンの撮影中に実際に人が死んだとか、V8エンジン搭載(当時は画期的だった)のターボチャージャーとバイクの対決とか、話題満載、族関係者(笑)に人気のあった映画でした。私も彼女と二人アフロヘアーで新宿東映の隣にあった映画館(名前忘れた)に見に行きましたが、場内はキュッ、キュッと革ジャンの擦れ合う音が耳について、映画に集中できなかった覚えがあります。周りを見渡すと、リーゼントに革ジャンばっかじゃ~ん、てな感じでしたね。(アフロはちょっと場違いみたいな)ストーリーは何てこと無かったケド、ファッション的には不良が好きそうな感性を持った映画でありました。パート2はきちんとしたスポンサーが付いてメージャー映画となり、カーアクションも更にグレードアップしてストーリーもそれなりに肉付けされ中々面白い作品でした。ジャイロコプターとか、改造車だらけの西部劇風近未来アクションってな感じでした。そういえばシリーズ3作目にはティナターナーなんか出てましたよね。確かテーマソングも歌ってました。まあ、あの頃のメル・ギブソンは、その昔の黒澤映画で活躍した三船敏郎扮する素浪人(用心棒)とかにキャラが似てたし、そのワイルドな感じがカッコよかったですね。話は戻りますが、このまま石油価格が下がらないようだと、貧しいところからやられていきますので、犯罪が増えていくのは必至でちょっと怖い感じがします。いつの時代も、どんな世界も、結局は弱いところから先にやられていきますから、生活苦に喘ぐビンボー人の我々は開き直って暴れたりするしかないのでしょうか。(おっと、あぶねぇな~)まあどうかひとつ皆様も地域の安全にはくれぐれもご注意下さい。いつ羊が狼に変わるとも限りませんので、せめて心の準備くらいはしておかないと、いざと言うときにダッシュが利かない体になってしまいますよ。
2006年07月21日
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昨日インドネシアの津波のお話をしましたが、なんと昨夜サイパンで地震が起きました。といっても微震だったんですけど、なにせタイムリーだったものでちょっとビビリました。サイパンは元々サンゴの上に浮かんでるような島なので、地震はほとんどなく、まあ1年に一度グラッと揺れるくらいのもんなんですが、あまりにもタイムリーだったので「もしや」という気もしました。そういえば数年前に一度「津波警報」が発令され、住民に強制避難命令が出たことがありましたっけ。しかも日本海沖の地震があってすでに丸一日経ってからのことでした。私はバカバカしくて家にいてテレビを見ていたのですが、パトカーがやって来てとにかく避難しろと言われ「しょーがねぇーなぁ」とブツブツ言いながら家族を車に乗せて山の上を目指しました。ってか、サイパンて高い山は一つしかないし、その道もひとつしかないので、避難民(笑)たちの車は山道のはるか手前からどーんと渋滞しておりました。まあ、長年住んでる者にとっちゃこんなジョークは日常茶飯事ですから「やれやれまたかよ」みたいなもんで、せっかくここまできたんだからもう少し遊んでいこうか、ってなヤケクソ状態でウダウダしておりました。そのうちみんなももう昇るのは諦めて、道の横に駐車してちょっとしたピクニック状態。ちょうど夕暮れ時でキレイなSUNSETなどを眺めつつ、知り合いも一緒にウダウダしてたりして、子供たちも遊び出して、なんのこたぁないフィールドトリップとなってしまったのでした。避難解除のサインもないまま、「あーあ、疲れたから帰ろうかぁ」みたいなムードの中、まただらだらと車を走らせ帰途につきました。子供たちはそんな大人のウダウダにエキサイトしてしまい、どこかレストランで御飯を食べようとか言い出して、結局無駄な出費と時間の浪費で良い親はとんだ災難でした。そんな経験もあるので、私は地震の被害や津波の心配よりも、またこの南洋諸島独特の素晴らしいジョークが飛び出すのではないかとハラハラものでしたが、お蔭様で誰も何も言わずに、下手したら地震があったことすらわからぬまま夜が明けました。(良かったね)とまあ、そんなのんびりとした次の日の朝(ってか今日の朝ですね)、なんと私のサーバーがダウン、しかもウィルス攻撃の嵐、なんじゃこりゃ、ってことで、アチコチ苦情の電話や調査の電話をしてみて気が付いたのは、サイパン唯一の電話会社のサーバー本体が異常なトラブルに見舞われていて、結局あっちこっちで混乱状態が起こっていたのでした。まあ、ウィルス攻撃と言っても、本当にウィルスが入っているかどうかはわからないんですけど、妙なメールが100通以上、それも日米二ヶ国語でぶち込まれていたのです。しかし、最近のこの手のメール、凝ってますよね。ちゃんと個人名で「御礼」とか「ご無沙汰してます」とか「返信」とかとってつけたようなタイトルが入っています。英文の方もに多様なもので「Thanks」とか「Your information」とかなってて、うっかり開いてしまいそうなメールばかりでした。しかし、それにしてもこれだけの量がいっぺんに入ってきたら、誰だって怖がって削除しちゃいますよね。そこら辺がリサーチ不足ですね。(何のリサーチ?)ということで、今日はまともな日記が書けませんでした。いわゆる厄日でした。残念ですが、明日また出直しますね。
2006年07月20日
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またまたジャワ島で津波被害が出ました。つい最近タイのプーケット島を視察してきたばかりの私にとって、このニュースは正直言ってちと重たかったです。今朝のニュースでは死亡が200人以上になっていましたが、今後死亡確認が更に増えることと思われます。いくら注意して警戒していても地震のように突如やって来る自然災害は防ぎようがありません。インドネシア近辺はこれからも地震が起こる可能性がありますから、近隣の住民は本当に気の毒です。特に生活環境は決して良とは言えず、殆どの住民が貧しているでしょうから、特に稼ぎ手を亡くされたご家族には心痛やりきれないものがあります。今更子供みたいなことは言いたくありませんが、ある地域ではモノが溢れ過ぎて破棄しているというのに、ある地域では雑草も食べつくした飢餓が蔓延しているといったような極端な現実、世界がもう少し歩み寄ることができないものなのでしょうかね。立派な大学で豊富な知識をいくら蓄積したところで、その知識の使い道が間違っていたら本末転倒、元も子もないですね。まして知識を使うことすらしてなかったら、学問の意味すら無効です。ということで、たまにはこんなシリアスなことを考えつつ、ちょっと暗くなった道楽親爺でした。まあ、人間なんて常に死と隣り合わせで生きているのですから、そういう意味ではこれも平等といえるのかもしれませんね。死なない人間なんているわけはないので、生の帰着点として死があることは万人共通のお約束です。ただ、この「死」がいつやってくるかということがお約束の条件に含まれていない、あるいは当人が知らないから「生」が成り立っているという逆説も真であるでしょう。こんな風に考えていくと最終的には「宗教・哲学」とか「信仰」に向かっていってしまうのですが、そんなに大それたことではなく、せめて自分の家族や隣人と仲良くやっていくことが、今の自分にできる最低限の「思いやり」であり、それが平和の実現かなと思っています。そりゃみんな生身の人間で感情をもって生きているんですから、絵に描いたような平和がいきなりやってきたりはしませんよね。家族だってずーーっとシヤワセな関係が続くわけじゃありませんから、山アリ谷アリ、楽あれば苦あり、愛あれば憎あり、究極の関係である恋人同士だってずっと同じ感情を維持することは不可能です。ってことは平和の実現は無理ってことですか?(たぶんね)これは逆説の論理で、不可能だからこそ可能性を求める「夢」が見られるので、夢の中で生きることが素晴らしいことだからシヤワセを感じることができるのかなとも思います。だから皆様も健康で平和な夢を沢山描いて下さいね。(ってちょっと強引な結論ですか)そして私はカラオケでサザンの「ツナミ」を歌うのはしばらく止めます。(こーゆーオチに持っていくから道楽野郎で不真面目だって言われちゃうんですねー)
2006年07月19日
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昨日は旧友の米国人J氏が久しぶりに訪ねて来ました。彼との数ヶ月ぶりの再会で、昨晩はしっかりと盛り上がってしまった道楽親爺です。彼はその昔、ケント・デリカット氏などとニッポンに布教(モルモン教ですね)に来て日本語を習得、日本人妻と結婚後一女をもうけ、その後ダイビング関係の仕事でSAIPANを訪れそのまま居ついたという、まさにアメリカンヒッピーの血統を持つような男です。もちろんモルモン教は遠い昔に縁を切っておりまして、酒は飲むしタバコも吸うし、ナイトクラブでおねーちゃんとカラオケなんぞも歌ったりします。しかもニッポンの歌を。風貌的にはディブ・スペクターみたいな感じですかね。数年前まではサイパンで撮影制作のコーディネーターとして名前を売りましたが、メンバーとのトラブルや不景気も手伝ってか、このところ彼のビジネスもイマイチ芳しくないようです。更に家庭内不和もあり、つい最近バツ2になってしまったとのことで、その報告も兼ねて私のところにやって来たとのことでありました。残念ながら外見がどうもチャラチャラして見えるせいか、彼の才能や実力がきちんと評価されていません。言ってみれば器用貧乏みたいな感じで、日本語の理解度もかなりのもので、性格もどちらかというと日本人気質みたいなものを持ち合わせているせいか、最後の段階で泣き落としにあったり、支払いを踏み倒されたり、そのシゴトに対する正当な報酬を貰わずに利用されることが少なくありません。私はそんな彼に絶対マネージャーが必要だと言い続けているのですが、これもまた探すのが中々に難しい問題です。ということで、最近の情報交換なども行いつつ、道楽者特有のバカ話で盛り上がっていきました。(ってか、結局そーゆーことになるんだよね)2~3年前でしょうか、彼は「サバイバー」というテレビ番組のコーディネートを手掛け、マリアナ諸島~パラオ~マイクロネシア群島などを巡ったことがありました。その時の話で、高橋カツノリを連れてマジョロ島というところに渡った時のエピソードが爆笑でした。マイクロネシアの島々には伝統的な「サカオ」という地酒があります。正確には酒ではないのですが、他に表現の仕方がないのでそう呼びます。これはある植物の根から搾り出した汁で、アルコールとは違った覚醒作用があります。バリのマジックマッシュルームとかメキシコのペヨーテとかにも似た、地元の儀式などで使われる「聖酒」のようなものです。見た目は泥汁、形態はとろろ芋、味は樹木系の土味(?)で、さほど幻覚作用はありませんが、非常にメローな状態で覚醒していきます。このサカオを大きな盃に入れて、島の酋長から客人へのもてなしとしてぐるりと円座になって回し飲みしていくのが伝統的な儀式です。さて、酋長が一口飲んだ盃が高橋カツノリ氏に手渡され、この盃を受けた彼はこれを一気に飲み干してしまいました。ここでコーディネーターのJ氏は「ヤバイッ」と思ったのですが、これはドキュメンタリー番組だったので、この儀式の一部始終をVIDEOに収めるためクルーがカメラを回し続けていたため、静止することもできずハラハラと見守っていたそうです。酋長は更に新しい盃を持ってこさせて、再び彼に献杯します。何を勘違いしたかカツノリ氏は、これもまた一気に飲み干したそうです。ど~ん!(まさにそんな感じですね)身動きできなくなったカツノリ氏、目はパッチリと開いたままその焦点は一点に集中したままいつまでもそこに座っていたそうです。これって、「金縛り」みたいな感覚で意識はあるのですが、ど~んとそこに張り付いたような感じで、非常にメロウな、メロウな覚醒が続きます。(言葉じゃ表現不可能ですね)結局その後誰もどうにもできずそのまま夜を明かしたそうです。いくらドキュメンタリーだって、そこにただじーっと座っている人の映像を撮ったところで絵にはなりませんよね。もうひとつオマケに、そのツアーでコースライ島の近くの小さな島を訪れた際、カツノリ氏が伝統的な「海釣」をするということで、島一番の漁師を紹介され、フンドシ一丁のそのおっさんが船を漕いでくれて漁にでたそうです。なんのことはない、その日はボウズにちかく、小さな魚が一匹釣れただけだったそうでした。さてその夜、その島の大統領主催の歓迎パーティがあり、正装して出かけてみると、そこで待ち受けていた大統領はなんと昼間一緒に漁に出た島一番の漁師だったそうです。時間の流れと言うか、生活がのんびりしてますよね。こんな話を金髪の白人が流暢な日本語で日本人のおっさんに話しているのも、傍から見たらその話以上に面白いことかもしれませんけどね。
2006年07月18日
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世界的規模で月曜日はかったるい日だと思うのですが、皆様はいかがでしょうか?私の場合、週始めの月曜日は特にミーティングが多いので早朝から英語の使用頻度が高く、休み明けのぼ~っとした頭には少々厳しい一日となります。(ってか、ぼ~っとしてるのはいつもなんですけど)しかし言葉と言うものは中々難しいものですね。特に英語は目的中心の直接的伝達ツールですから、日本語のようにぼかした表現みたいなものが少ないので時にひどく疲れることがあります。例えば、「その件については良く検討した上で返事します」なんて日本語を、英語圏の人間に伝えるのには苦労します。大方の日本人がこのセリフを聞いたら「ああ、この件はあまり関心がないのだな」とか、依頼とかの場合だったら「たぶん却下だろうな」と言う具合に、どちらかと言えばネガティブな意味合いを含んでいると捉えてくれます。ところがこれを直訳的に英語にしてしまうと、例えば、I try to review this once again and then I will let you know.とかやってしまうと、日本人的な意味合いなどもちろん理解する術もなく、「おっと、こりゃ期待できそうだ」みたいに受け取られてしまい、数日後執拗にRESPONSEを求められたりして困惑してしまいます。ナニワ商人的に言えば「考えときまっさぁ」みたいな、やんわりとしたお断りのつもりが、「もう一度見直して返事する」みたいなポジティブなニュアンスに変わってしまいます。もちろん、こんなニュアンスを含んだ的確な表現もちゃんとあるのでしょうが、いかんせん私の語学力ではこの程度が精一杯です。後は受け側の人間的吸収力に頼らざるを得ません。ピッチャーがヘボでもキャッチャーが上手ければ8割以上は汲み取ってくれますからね。とまあ、こんな感じで数少ないボキャブラリーと文作能力を屈指して、非常にハイテンションな月曜日の朝がスタートするのです。午前中は最低でもたっぷり2時間は英語漬けになりますから、午後は頭の中がぼーっとなってしまい、母国語まで乱れ始めてしまいます。(妙な敬語喋ったりしてね)しかし、そうして考えてみると英語ってダイレクトで気楽なんですけどね。その昔、大先輩から「まずは目的から先に話しなさい」という的確なアドバイスを頂いたことがありますが、YESかNOかはっきりとさせた上で意見を述べていかないと、結果的に自身の意見と反対の意で捉えられることが間々あります。だから、好きか嫌いか、行くか行かないか、買うか買わないか、こうした目的をきちんと相手に伝えてからでないと、最後に相手から「で、結局あんたはどっちなの?」などとイライラされたりしてヒンシュクをかうこともあります。食事を誘われたりした時など、日本人的な受け答えで「今日はちょっと・・・」みたいな断り方をすると、ハッキリしないヤツみたいに思われたり、気軽に「今日は約束があるから」みたいなことを言ってしまうと、後で「昨日はどうだった?」なんて聞かれてしまい、「いやぁ、昨日は家でテレビ見てたよ」なんてポロッと口から出てしまったりしたら、「アイツは嘘つきだ」みたいなことになったりして、中々難しいものがあります。(笑)よく日本人は嘘つきだ、とか言われるのはこんなことが原因だったりします。逆に、英語的頭になってるときに日本人同士で会話すると、「オレは嫌いだ」とかストレートに言ってしまい、「なんだこいつ失礼なヤツだ」とか思われたりして、益々頭の中が混乱して爆発しそうになります。(脳が壊れるぅ~、みたいな)ということで、こうして鬱陶しい月曜日がボチボチと過ぎていくのです。(なんのこっちゃねん)
2006年07月17日
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ニッポンの道楽者のみなさんこんにちわ。梅雨明け前の日々、皆様いかがお過ごしでしょうか?こちらサイパンもすっかり雨季に入り、降ったり止んだりの毎日です。昨日は一日中どんよりとした曇天で雨も多く鬱陶しかったのですが、今日はからりと晴れた南洋諸島の夏ぅ~という感じでやたら暑いです。道楽オヤジは日曜日だというのに、これから営業用ゴルフに出かけなければなりません。地元観光産業関連の集まりで、月一回のペースでこのような親睦ゴルフがあります。これがディスコダンス大会とかカラオケ大会なら、夜涼しくなってからのオツトメなので気が楽なのですが、この炎天下にいい年コイて半日も汗をかくというのは非常に厳しいものがあります。そういえば、先週はサイパン唯一のディスコから案内状が届き、70's DISCO PARTY なる企画にペアでご招待などというものでした。レターのレイアウトはいかにも70年代と言わんばかりの、スタジオ54の写真をバックに協賛スポンサーのロゴが散りばめてありました。まあ、マーケティング的にもこの年代を集めればそこそこの売り上げになると見込んだのでしょうが、裏を返せばそれほど最近のディスコは若者が集わない(笑)ということになるのでしょうか。そりゃそうだよね。今時の子供たちは遊ぶものが一杯で、昔の「ブーム」みたいにひとつのことに夢中になるなんてことはもう起こらないのかもしれませんね。十年ほど前はヒップホップが少し盛り上がりましたが、やはり長続きはしませんでした。もうひとつの流行をみんなで追いかけるなんて現象自体が過去のものといえそうです。まあこれは子供たちばかりでなく、私ら中高年だって流行に左右されるなんてことはもうしばらくお目にかかっていませんよね。それだけ個人が情報を自ら処理していく能力に長けてきたということにもなりますが、それはあくまでもうわべだけのことで、根本的にはニッポン人の体質として「寄らば大樹の陰」という精神性に支配されているような気もしないではありません。確かに流行とかブームとかにはなりませんが、根底に流れる精神性は「皆と同じ」が一番安心なわけで、この流れにちょっと外れると本人が不安になるという、一種独特の国民的カラーが生まれつき備わっているように思えます。それは、外見こそオリジナリティというような体裁をとって、皆が好き勝手なカッコで自分を表現しているように見えますが、何故か行動は右に倣え、みたいに強い流れに引っ張られているようです。それって人と違うカッコしてるってだけのことで、中身はな~んも変わってませんよね。職業柄、ニッポン人の生態を目の当たりにすることが多いのですが、ファッションこそ皆それぞれ思い思いの姿をしていますが、何故か皆で同じ団体バスに乗って、ガイドブックに乗っているマニュアルどおりのルートを通り、お決まりのコースで食事して、買い物して、また団体バスで帰る、というパターンは、何十年も原則がほとんど変わっていないように思えますね。それで決まり文句のように「癒し」とか「リゾート」とか言います。本当になんのこっちゃねんです。挙句の果てが、パソコン使えますか?とかDSL接続できますか?コンビニありますか?だって。もっと凄いのになると、ビーチの砂がついてべとべとになって気持ち悪いとか、ナマコがいて気持ち悪いとか、一体あんたたちはここをドコだと思ってるんですか?と聞き返したいくらいです。テレビ画面でしか見たことのない景色や自然、いわゆるバーチャルというんですか、そんな匂いも手触りも無い画像を見て勝手にイメージを描いているのでしょうかね。こんなことばかり言っていると、小言爺になってしまいますが、団体行動のおのぼりさんとか呼ばれていた頃の方が未だマシだったような気がします。田舎者とか百姓とか罵られても、見聞する姿勢としては少なくとも自分たちが何者であったかはわかっていたはずだと思います。(妙な洗脳を受けたという弊害もあったけどね)情報まみれの現実から逃げることも後戻りすることもできない今こそ、皆でしっかりと目を開いて「情報」そのものをその目で確かめましょう。どーらく親爺からのメッセージです。OPEN OUR EYES ! OPEN YOUR MIND !
2006年07月16日
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全国の非生産活動愛好家の皆様お元気ですか?最近は非生産的な行為を円滑に行うための生産性、あるいは生産効率などに思いを馳せる委員長であります。無償の行為=非生産活動を続けるためには、社会的生産活動を行わなければならないという本質的矛盾に敢然と立ち向かう非生産活動推進委員会こそがニッポンの未来、いや世界の未来を変える唯一の組織であると信じております。(てか、言ってる本人も自分の言ってることがよくわかっておりませんが)まあ、簡単に説明するとNPO(非営利団体)も資本によって動いているということですね。ということで、前置きとは全く関係なく本日は非生産活動推進委員会ならではのヘリクツ哲学編です。え~、今日はちょっと趣を変えて男女の追い求める幻影についてノーガキをばコカせて頂きます。私の持論でありますが、人間の営みの根底にあるのは生殖活動でありまして、突き詰めて言うならば遺伝子によって「体」はコントロールされているというものです。ウケ売りはリチャード・ドーキンス博士の「利己的な遺伝子」とか、竹内久美子さんの「そんなバカな」などの著作でございますが、人間という生物の生存目的は遺伝子の存続=生殖活動が起動力となっていることはまず疑いのない事実だと思います。「利己的な遺伝子・改訂版」http://item.rakuten.co.jp/book/4032279/「そんなバカな」http://item.rakuten.co.jp/book/644284/ですから、人間の生活とは究極的に「生殖行為」のためにあると言えます。最近は種の存続以外の擬似生殖行為なども氾濫しておりますが、同性愛に代表される非生産行為は今に始まったことではなく、人類の歴史と共に随分と昔から行われてきた独自の生態でもあります。このテーマもヘンタイ、(ゴホン!いや失礼しました)大変興味深い内容ですが、今日のテーマからは少々外れますので、また別の機会にお話しさせて頂きます。さて、遺伝子にコントロールされた男女の身体は、お互いの種の存続、繁栄のための生殖活動を求め、無意識のうちに磁石のように引き合い、次々と生産活動を執り行うのですが、ここでひとつ厄介な問題が生まれてきます。遺伝子の存続を目的とするならば、必然的に自身の遺伝子をできるだけ生存能力の強い相手、あるいは生存が見込まれそうな相手を選んで増殖を開始するわけで、これには外的要素も無意識のうちに充分に考慮され、家族構成、社会的環境、先天性体質なども微妙に加わるのですが、基本的に数多くの生殖機会を求めるということもひとつのセオリーであるわけです。ここで男女の大きな違いが現れます。女性は出産という最終目的がありますから、生殖後の本能としてディフェンスに入ります。1回の生殖で行える増殖は1回ですから必然的に遺伝子を守ることが生殖後の母親としての存在理由になります。逆に男性の場合は自身の生殖能力がある限り、できるだけ多くの生殖行為を行って遺伝子の増殖と存続を目指します。まあ、このあたりの話はごく一般的なものですが、遺伝子が受け継がれた後、いわゆる自分達の遺伝子を受け継ぐ跡継ぎが生まれた後も、実は目に見えぬ本能が働き、遺伝子の存続のための実生活上の複雑な行為が存在するのです。例えば、極端な話になりますが、貧困状態に置かれた同種の兄弟姉妹は、ごく自然な形で一番生殖能力の高い種を後継者として選び、存続のための環境を作り出していきます。時には実の親が一人の後継者を残して、他の子供を抹殺するなどと言うことも起こりえるわけですね。(もちろん動物にこのような行為はよく見られます)ここにも生産効率という図式が当てはまります。また、よく爺ちゃん婆ちゃんが孫を異常に可愛がるという行為にもこのような図式が当てはまります。そりゃなんてったって遺伝子存続の最先端に位置するのが「孫」の存在ですから、この遺伝子を守るためなら恥も外聞も無くディフェンスに回るのが生殖の役目を終えた一般的人間の生きる道です。さて、このテーマは奥行きがありすぎて多方面に飛躍しがちなので、今日のテーマはこの生殖活動の原動力ともなる「快感の追求」に絞り込みます。男はとにかく自身の遺伝子を数多く残すことが存在目的としてありますから、できるだけ生存能力の強そうな女性を見つけては遺伝子を注入して回ります。これも小さな集団で考えると合理的な生理として納得のいく行為です。よくいわれる一夫多妻による生殖行為は、受け継がれた遺伝子を持つ子孫同士が生存競争を繰り返して、生き残った強い遺伝子が時代へと受け継がれる、といった具合により優れた遺伝子として淘汰させる合理的なシステムでもあります。戦国時代のような昔ならば、大変わかり易い殺し合いという形で生存競争が行われます。現代に至っては、直接的な殺人行為こそありませんが、家庭内暴力だとか、イジメだとか、テレクラとか出会い系サイトとか(笑)色々なカタチに変えて行われている行為でもあります。ちょっと脱線しましたが、では生殖行為自体を促す「欲求」としての性欲は何から育まれていくのでしょうか。それが「快感」であるわけですが、この快感は男女で描く本能的イメージが正反対に位置しているのです。男性の場合は過去の「快感」の増幅あるいは復元であり、過去体験した素晴らしい快感を追い求める原理によって生殖行為が触発されます。あの素晴らしい快感をもう一度男は常に過去に体験した最高の快感の再現が願望としてあるのです。では女性の場合はどうかというと、前述したとおり、種の存続に関わる出産は一回に付き一度という制限がある上に、存続が完了した時点で「快感」を誘発する前に種の保護が先立ちますので、一回毎の使い捨て「快感」となります。したがって、女性は常に新しい快感を求めて次のステージへと進んでいきます。え~、この道楽者理論に当てはめて男女の「別れ」を考察しますと、非常にわかり易いパターンが見えてきます。女が男と別れる場合、ほとんどが永遠の訣別、復縁などはもっての外、まず過去は引きずりません。原則的に女は別れた男とは二度とヤラないのです。快感理論で言うと、もうこの男から得られる快感には見切りが付いたので、次のステージへ進みたいという潜在的な願望が具体化されます。ところが男の場合、ほとんどが過去の余韻を引きずっていますし、復縁あり、思い出の中に快感を備えております。(笑)これは快感理論で言うところの、色々試してみたけど、やっぱりあの快感に勝る女はいなかった、というような母胎回帰的願望を常に抱いております。わかりやすく言えば、女の場合は常に新しい快感を求めて男を比べていくのに対して、男は常に過去の快感との比較で女を求めていく、といったところでしょうか。そう考えると、やはり女性の快感追及の欲求は男のそれに比べてかなり貪欲なものであるように思えます。男なんてのは所詮勃起してなんぼ(ゴホン、失礼しました)、結局は種馬みたいなもんですから、その単一的かつ直線的な一瞬の快感のためにせっせと暮らしているわけで、生殖能力が減退すれば、それはもう男としての価値がないように思え萎縮する、非常に繊細な動物のような気が致します。(意外と情けないよね)それに比べると女の快感は分散的広がりを持っているので、未だ知らない「快感」がいくつも存在し、それを知るたびに更に奥行きを増していくのです。(ふ~ん)昨今はバイアグラなどという妙なクスリのブレイクで多少は幻影としての過去の快感を追うジジイも増えておりますが、裏を返せば、なんだかんだ言った所で「立たなきゃダメ」とはっきり言われてしまったようなものですから、いくら虚勢を張って「男」を掲げてみたところでシンボルが掲げられなければ「男」じゃないということですね。(笑)世のジジイたちはこの事実を何とか隠蔽するために、哲学だの政治だの学問だのといった屁理屈でゴマかしてきたわけですが、みんなそろそろ正直になりましょう。(えっ?)そして世の女性たちは、このように実は繊細な男心(というか小心者?)を理解して、あまり高望みせず身近な快感で満足しましょう。(えっ?)絶倫とは人間が創り出した妄想です。(ドッカーン!)松任谷由美さんも歌っております。男は最初の男になりたがり、女は最後の女になりたがる男と女の追い求める幻影は絶対に交わらないのかもしれませんね。
2006年07月15日
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昨夜11時頃、突然私のセルラーに馴染みの無い声で「Are you ○○san?Hello, this is Dan…..」というような妙な電話が入りました。英語もちょっと聞き馴れないネイティブな発音、しかも私のFIRST NAMEを「さん付け」で呼ぶこの男は一体誰?こっちでは通常呼び出しは苗字を使うので、名前を呼ばれる場合は初対面の人とか、多くはどこぞのリストを頼りに電話をしてくるセールス野郎です。まあしかしこんな夜遅く働いているヤツも無いだろうってことで訝しく思いながらも耳をこらして会話を続けると、ようやく相手の名前が聞き取れました。「Hi, this is Dancan」おっと、彼は私の義兄弟ではありませんか。彼はイギリス人で私の嫁の実姉の旦那です。(笑)ということでこんな時間に、しかも義姉でなく旦那自らがセルラーに電話してくるってことは、これは緊急事態か事件だと思い、一瞬にして冷や汗を伴う緊張感に包まれました。「Oh, I’m sorry, ○○-chan(義姉) couldn’t get in touch with ○○-chan(嫁) I think she’s got wrong number」ってなことで、義姉が私の嫁に電話したけど繋がらなかったので携帯に電話したとのことでした。(あーよかった)そこで私からもう一度自宅の番号を反復して一件落着。さて家に戻ってみると、案の定オバンの長電話は続いておりました。よくもまあそんなに話すことがあるもんだと感心しながら、かれこれ1時間近くだらだらと話し続けたあげく、「国際電話なんだから、そんな話電話でしてたらキリがないでしょう。だから続きは日本に戻ってから・・・」とか言って、更に20分経過。。。。。。。。。さあ果たして国際長電話の内容はといえば、かいつまんで言うと、義姉のところの大学生の長女が一人暮らしを始めて金が掛かってしょうがないという、極々庶民的な話題でございました。この長女は昨年から東海大相模へ通学していたのですが、なんせ千葉県幕張から神奈川県相模までの道のりは遠く、時には終電に間に合わず遠タクをぶっ飛ばして帰る日などもあり、結局学校付近に住むことになったようでした。まあ、この子も大変に面白いキャラの持ち主でありまして、幼少の頃はゲゲゲの鬼太郎に憧れてちゃんちゃんこに下駄履き、自家製の目玉親爺を肩に乗せジャスコに買物にいくような娘でした。中学生になると不良少年に憧れてヤンキー言葉を使うようになり、トランスミュージック等とかいうものにもハマり、中卒で働くなどと言っていたのですが、昔ディスコでDJをしていた叔父さんのお説教などで諭され、なんとか無事高校を卒業、現在に至っております。プライバシーの問題がありますので写真等ご紹介はできませんが、中々に顔立ちも良く身長も175cm痩せ型とスタイルも良く、高校生の時にモデルクラブから声が掛かり、最近ではその道に興味も湧き始めたようです。まあ、この親にしてこの子アリみたいなのは何処のウチも一緒でしょうが、義姉家の問題児はやはりこの長女にあるようで、次女は勉強好きの秀才タイプで性格も控え目、よくできた娘で心配がないのですが、これから先この長女がどのような問題を起こすかが少々悩みのタネでもあります。偶然かどうかわかりませんが、数日前にも友人から似たようなメールを貰い、同年代の親として同じような悩みを抱える年頃なのかなぁ、などと呑気に納得した道楽親爺でした。この友人と言うのは、以前(それでも10年以上も前になりますか)サイパンで農園の経営を任されていた方で、子供の名前や家族構成が似ていたこともあり、大変懇意にさせて頂いておりました。性格も似たようなところがあって、この旦那は結婚後単身インドに乗り込んで農家で働いたというツワモノです。彼いわく、農作業の後、焚き火を囲んで沈み行く夕陽をみて恍惚となったそうで、なんでも焚き火には大麻の葉がどっさりと塗され、周りの人間は全員でこの煙を吸い込んでシヤワセになったそうで、そんな素晴らしい体験に基づいた人生を生きる人でした。そんな家庭で育った長女が今年入学したばかりに高校を中退してテキヤになったそうで、それを聞いた私もさすがに耳を疑いました。テ、テキヤって、あのテキヤさんですか~。フーテンの寅さんでおなじみの~。友人は酷く心配して、サイパンの高校に行かせたらどうだろう、と思案して私に相談してきたのでした。元々サイパン生まれだし、のんびりしたところで暮らせば少しは人生に対する構え方も変わるのではないかと、多少の期待も持っていたようですが、こちらのお嬢様の決意は固く、とりあえず9月まではテキヤを続け、その後は定時制の高校に通うということで一件落着したようです。この友人同様、私も子供にとやかく言えるほどのまともな親ではありませんが、なんだかニッポンに子供たちは相当に疲れが出ているかと思わざるを得ませんでした。そんな友人や親戚の子供たちに比べて、我家の子供たちは、もういいっていうくらい田舎の子らしい田舎の子で(どーゆー意味やねん)、逆に心配です。長女18歳は毎日毎日くだらないマンガを書いていますが、すでにここ数年書き溜めたストーリーマンガがどっさりあって、その殆どが弟妹だけの身内ウケで、更にくだらねーネタを考えちゃコツコツ書いています。まあ、英語と日本語がちゃんぽんなので、ユニークって言えばユニークですが、まずこんなマンガ誰も読まねぇだろうなと思いつつも、「せっかく描いたんだから、どこかの出版社にでも原稿持ち込んでみたら」と言っても、その辺はちょっと消極的で、「自分で楽しんでるだけだから」と言って躊躇します。最近では道楽親爺の昔話をネタにマンガを描きたいとか言い出す始末です。とはいうもののまんざら悪い気はしないので、親爺は自分の高校生時代の「お使い係」いわゆるパシリの少年の話や、万引きで捕まって補導された話などを面白可笑しく話してやったら、やたらウケてしまい、更に調子付いた親爺はディスコで踊っていた頃の話をパパイヤ鈴木の本などを交えながらノーガキを垂れて悦にいっておりましたら、さすがに母親が割って入り父娘して怒られてしまいました。「そんなバカなことばかり自慢してないで少しは娘の将来のことをきちんと心配しなさい」と言われてしまいました。親爺は心配だからこそ、世の中教科書どおりには回っていないということや、若いうちはハッタリで八割方勝負がつく、とかいう実体験を踏まえた親らしい話をしたつもりだったのですが、どうも我家は平和すぎるのか、ニッポンのお友達に比べて悩みの質が違うようで、こんな我家の子孫たちはこれから一体どんな人生を歩んでいくのか、それなりに楽しみな道楽親爺です。もともと子供にはまったく期待してませんからね。ちなみに息子はゲームのキャラとか映画のキャラとかに異常に凝ってます。末娘は「下妻物語」を見て以来、子供用ミシンを使って縫い物に凝り始めました。映画は刺繍なんだけどね。彼女の頭の中では縫い物という線で何かが閃いたのかもしれません。ということで、今日は我家のつまらない日常をお送りしました。
2006年07月14日
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その昔ディスコに狂った中高年の皆様「戦友会」女子挺身隊(笑)YUKI姐からSOUL DISCO「ズーム」のイベント告知デス。明けそうで明けない梅雨空の下、高校野球千葉大会が始まりました。我が家の前は20年見続けている最高2回戦止まりの高校ですが今年は部員がかなり多く地元のナントカで是非3回戦まで進んでもらいたいと思っている配信担当のYukineyです(この時期ブラスバンドの応援ソング「狙い撃ち」が耳についてしまって...) ☆ Disco Re-Creation 踊りを忘れてしまった大人たちへ☆7/14(金) 男性¥2500/2D 女性¥2000/2DEuroファンの皆様 お待たせいたしました!いよいよ明日になりました 2ヶ月毎の恒例イベントです DJ陣も「EURO」夏のスタート!と気合はアゲアゲ!聴きたいナンバー 踊りたいナンバーのリクエストはBBSでDJYujiまたはDJAmayaまで~未確認情報ですがDJAmayaが先着数名にMixCDプレゼント?!もある?!かも?!そんな訳で 早い時間から飛ばしてきましょう! ☆7/30(日)ALL STEP NIGHT☆¥2000/2D 日曜イベントにつき8:00~1:00の予定ですステップ・・・脈々と受け継がれ そして進化したもの 頑なに守り続けたもの 40年という時間はやはりすごいです。貴方の青春の真っ只中はどんなナンバーが流行っていたのでしょう?その忘れられない1曲がオンエアされます ゲスト?ショウタイム? 次回メルマガにて発表します ☆8/5(土)花火大会☆千葉市民花火大会はZoomから直線距離で1.2Km Zoom特設観覧エリアへご案内します 屋外では缶ビール(1チケット¥500)缶ジュース(2本で¥500)の販売のみとさせていただきますが、花火打ち上げ終了後は 店内にてそのままいつものZoomを楽しんで下さい。 pm6:30より開店してお待ちしてます HP→http://www.carcon-nomura.com/zoom/ からBBSへ進んで下さい。 リクエスト・質問・ご意見 お待ちしています。
2006年07月13日
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昨日の写真を見ていてふと思ったのですが、70年代前半にディスコ・ブームの先駆けともなった踊り場時代、そこに屯していた不良の殆どがツッパリ系、今で言うところのヤンキーは一体いつ頃まで棲息していたのでしょうか?(笑)もちろん私もご多分に漏れずリーゼントのコンポラ野郎だったわけですが、実のところこの踊り場のファッションと言うかムーブメントが変わっていった境目って、みなさん覚えてますか?まあ、どーでも良いことなんですケド、なんだか昔のこと思い出してるウチにふと疑問に思ったもので、こういうくだらないことを考え始めると止まらなくなる体質なもんで。(笑)私自身は高校を卒業してからしばらくはツッパリ系で通していましたが、どうもイマイチ踊り場での目立ち方が足りない(笑)と日々悩んでおりました。踊り場自体も古い小箱から大箱の生バンド付きみたいな流れになってきて、コンポラやアイビーのツッパリがダンスフロアを牛耳るというパターンが少しずつ排斥され始め、踊りが一般大衆に解放されてきた時代でもありました。もちろん昔ながらの踊り場では、昔ながらのシキタリにしたがって常連のツッパリグループが先頭切ってステップ踏んでたわけですが、いつの時代も世代交代、あるいは覇者交代が行われ、良い歳こいて突っ張っているのも恥ずかしいことになってきて、リーゼントは面影を残しつつもソフトバックなどに変わり、細いスーツは衿幅の太いスリーピースやエンブレム付きのブレザーなどに衣替えして、後輩の手前目一杯背伸びして余裕を見せる大人に変身を図ったものでした。私自身を振り返ってみても、高校生を終了した時点で地元の先輩方が相変わらずリーゼントにボンタンなどを履いて商店街でグダグダしている姿を見るにつけ、色褪せた青春(笑)、ここだけ時間が止まっているようにも思え、その先輩方についていく中高生のツッパリ少年たちがひどく子供っぽく思えたものでした。これじゃ近所のガキ大将、たんなるお山の大将じゃん、てな感じでしたね。いつまでも地元商店街で近所の子供たちを引き連れては悦に入っている先輩方が、妙にガキっぽく思えた頃でもありました。とはいうものの自分だって充分ガキなんですけど、新宿で遊ぶようになって踊り場の常連になり始めたあたりから、地元のツッパリグループとは次第に疎遠となり、精神的にはツッパリを卒業し始めていたわけですね。大きな流れで言うと、ツッパリ小僧の初等教育はやはり暴走族であり、自分の足で遠出ができるっつーことが背伸びの第一ステップでした。ここでバイクの買えないビンボー野郎たちは、仕方なく近所のビンボー人のバカたちとつるんで目立つことをして対抗します。ケンカとかかっぱらいとかカツアゲとか、とにかくバイクグループに対抗して自分達のステイタスを守るため次から次へと悪事を行うべく惜しみない努力を重ねます。そのうち本職から声が掛かってツッパリを卒業していくヤツやら、早くも塀の中に落ちるヤツなども現れ、そこまでは本腰入れて修行を積めないフツーのツッパリ小僧は急に萎縮して、せめて高校くらいは出ておかないと将来が不安だとか、とってつけたようなことを言ったりしますが、もうこの時点で卒業しようがしまいが手遅れなことに気が付く由もなく、無意味な反省をただ繰り返します。元々バイクなんぞが買えたり、教習所に通えたりする家庭環境にいるツッパリ小僧はそれなりに時期が来ると、「落ち着いた」などと称しては社会体制にうまいこと順応していく要領の良い連中が多く、そんなバカの背比べをしているビンボー人の小僧たちだけが、引き返せない見栄を張り続け、お決まりのドロップアウトをしていくわけですね。え~、多少はヒガミ根性もありますが、私自身の経験から言わせて貰うと、私の時代の不良は大変わかりやすく、高校を卒業した時点で人生がきちんと分かれていったものです。大学進学組は手のひらを返したように「大人」になっていき、高卒組は家業をついで「大人」になるか、夜の世界へまっしぐらといった感じでした。高校中退組はしっかりプータローか、某組の構成員とか、中高生を集めてチームを組織して中古車売買の仲介やステッカー製造販売等のビジネスを展開していきます。この道を目指した者の中から「ねずみ講」のヒーローなども数多く生まれました。(笑)ということで、私はバイクも買えないビンボー人の倅として、地元でチマチマとツッパリ修行をしていたのですが、高2の夏頃から踊り場デビューを果たし、ついに自分の生きる道をそこに見つけたのでした。それからはビンボーながらも稼いだ金はすべて踊り場に注ぎ込み、知らぬ間にその界隈の常連の一人として名を連ねるようになっておりました。まあ、簡単に言っちゃえば、自己顕示欲を満たしてくれるステージを見つけた、というようなもんですね。遂に自分を認めてくれる世界を見出したといったところでしょうか。ところがこのステージも時代と共に変化してゆき、高校を卒業する頃には古いステップで目立つことも叶わぬようになっていったのでした。更に踊り場も大箱になると、いくらステップで先導しようとしても、フロアが広すぎて自分の周りが付いてくるのがせいぜいで、人垣越えた向こう側ではネクタイ姿のおっさんや、OL風のおねーさま方が好き勝手に踊っているではありませんか。「今まで苦労して築き上げた俺の地位はどうなるんだ」と地団太踏んで悔しがってみたところで、時代の波にかなうわけはありません。そうこうしている内に踊り場の常連たちも一人ふたりと「落ち着いた大人」(笑)になって消えてゆきます。更に年下のツッパリ小僧などが勢力を伸ばしてくるに至っては、「もうオレも落ち着いたから」とか余裕を見せてコンチだアイビーだと大人風を吹かしている場合ではありません。せっかく見つけた自分の生きる世界なのに、ジワジワと追い込まれてきたのでした。年下のツッパリを見下して、なおかつ世間の皆を注目させる、そんな自己顕示欲を満たす必殺技はないのだろうか。。。。。もうおわかりですね。この時代、ニットフレアにアロハを着たアフロが踊り場に急激に出現し出しました。時代は「ニュー・ソウル」、踊りは「バンプ」、そして踊り場は「ディスコ」と呼ばれるようになっていった1970年代中頃のお話です。
2006年07月13日
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日々ファンキーな生活を送る中高年の道楽者のみなさまこんにちわ。ビンボーと道楽に奉仕して50年、非生産活動推進委員会がお送りする道楽者日記、本日は委員長が主宰する「戦友会」有志から頂きました「差し入れ」のお話です。その前に、以前から皆様にお知らせしようと思っていたサイトがありますので、ちょっとご紹介させて下さい。ウェブ同窓会「この指とまれ!」 http://www.yubitoma.or.jp/既にご存知の方もいらっしゃると思いますが、これはインターネットを利用して「同窓会」を支援するという企画サイトです。もちろん無料ですのでどなたでも登録できます。小・中・高・大と学校別、卒業年度別で整理されたリストにメッセージを載せることにより、疎遠になっているクラスメートとの再会の可能性が生まれます。もちろんすでに登録されている方のリストも公開されますので、長年会っていなかった級友との再会や、他校生との音信なども得ることができます。まあ、私らの歳になるとネットの利用率はあまり高くないようで、登録者も少ないのですが、もう何十年も会っていないクラスメートの一人とでも再会できれば、それはそれでまた楽しいものです。ということで、ご興味がございましたら是非登録して旧友との友情を復活させて下さい。さて、本日の道楽者日記は「戦友会」のメンバー、あるFUNKY戦士の方より70年代ディスコ関連の雑誌をお送り頂き、久しぶりにディスコ・ネタで盛り上がってしまった道楽親爺のお話です。特に旬のモノとして、ドン勝本氏のディスコダンスの本というのを頂きまして、ページを捲る度に懐かしさがこみあげてきました。御大も未だ現役で頑張られているようで、本の内容には色々とコキたいノーガキなどもございますが、せっかく頂戴した「差し入れ」にケチをつけるようでは道楽者のメンツが立ちませんので、ここはいつものへそ曲がり根性をぐっとこらえて、少年のような素直で清々しい心で写真入りダンス解説を読ませて頂きました。(昨日のゴーゴーにも似たものがありましたが)写真と足ステップの図解が載っているのですが、こりゃ初心者にはまず無理だろうなぁ~と思っていたら、なんと巻末に付いているではありませんか、教則DVDが!じゃ~ん。す、凄い!って何が凄いのかわかりませんが、とにかくこれは笑った。(ゴホン、失礼)いや、御大のユーモアと受け取ってもよろしいのではないでしょうか。ということで、ステップの話はさておき(こらこら、これはダンスの教則本だろ)、この本の制作に関わった方々のお名前が後記に列記されておりまして、この中に懐かしい名前がチラリホラリと大変和やかな気持ちにさせて頂きました。特に発行者:鶴巻希一郎の名前にはちょっと驚きました。彼はその昔、キー坊(西川きよしじゃないよ)と呼ばれていたジ・アザー時代からのステッパーで、クック、ニック&チャッキーなどともリアルタイムで青春を謳歌した(笑)元祖踊り場人間の一人です。委員長とは70年代後半、新宿西口にあったV-one時代に少々ご縁がありまして、その名前を見た時、あの当時のことがつい昨日の出来事のように甦ってきました。いや~、ホントに懐かしかった。更に、Special Thanksには鈴木しょう治、ペケ、モンチなどなどの名前もあり、当時の場面が走馬灯(笑)のように甦ってまいりました。なにはともあれ、誰もが関わった「ディスコ」という世界で、こうして今も何らかの繋がりを持ち続けていることがとても素晴らしいことなのだとあらためて思います。なにひとつ自慢のできることのない私のような道楽バカですが、自分がその若さ一杯突っ込んで走り抜けた時代の「カタチ」がこうして今も残っていることだけでも、シヤワセだと思いました。今更昔のことをどーとか言ったところで、それは単なるジジイのくだらない昔話にしか過ぎませんが、少なくともあの時代の狂気にも似た熱(フィーバー?笑)を知る人間が、まだこれだけいるのだと思うと本当に嬉しくなります。やはりそれは、いくら言葉で語ってみたところで体験した者でなければわからないことが沢山あるわけで、その同じ気持ちを実体験として分かち合えるということ素晴らしいことだと思います。まあ、欲を言えば、そんな昔話をあまり神格化(笑)しないで、粋な遊び人の洒落として現役の遊び人達に伝えていけたら良いのではないかと思います。ということで、少々爺臭いノーガキになってしまいましたが、最後に私同様ニッポンから離れて暮らす戦友のひとりに2枚の画像を贈ります。I dedicate those pictures below for sister Cherrie in Indiana, right on!Special thanks for brother BBQ Chicken, I appreciate it.(ジジイの小言:おっちゃんJBの舎弟とちゃうかったん?サルソウルってサルサ系やん) (ジジイの小言:で、でかい~アフロが~。一人だけ直毛がいるぞ!)写真の日付は75年となってますが、ざっと30年前ってことですか。70年代のSOUL小僧の頂点とも言えた六本木ソウルエンバシーのスタッフ勢揃いです。
2006年07月12日
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今日は30年代の外国のPOPSをご紹介しちゃいましょう。 ニッポンのグループサウンズが登場し始めた頃でしょうか。全体的にイメージは英国風ってか、カレッジPOPSみたいなおとなしい感じですね。ビートルズ爆発前夜といったところでしょうか。もちろんローリングストーンズもこの時代は未だ流行の定番ファッションですね。では当時の踊りはどんなもんだったのでしょうか? ちょっと時代が錯綜してますが、60年代の踊りはこんなんだったんですね。私はまだ小学生でしたからはっきりとした記憶がありませんので、踊りと課題曲(笑)がイマイチ合致しませんが、ツイストとモンキーダンスは覚えてます。そういえば近所の商店街とかでツイスト大会なんてのがあって、子供のクセに出張っていってウケた覚えもあります。もう潜在的な道楽者の片鱗を覗かせていたようです。(笑)しかしこの図解が凄いですね。ゴーゴーですね。ゴーゴー喫茶とかが登場した時代でしょうか。そういえばベンチャーズでサーフィンなんて踊りもあったような気がします。ノッテケ、ノッテケ、ノッテケな~みに、ノッテケ、サーフィン、な~みに乗れ乗れとか言って踊ってたような・・・・かすかな記憶が・・・・このあとニッポンはグループサウンズが大爆発して、GS時代の到来となりました。そしてROCK史上最高最強のブリティシュROCK、ビートルズとストーンズが世界を変えた栄光の時代へと続いていったのでした。てか、この時代、私は未だ小学生でしたからね、ビートルズよりはモンキーズ、ストーンズよりはタイガースだったですね。スパイダースも好きだったなぁ~。ゴーゴーゴー、かぜが泣いている、ゴーゴーゴースパイダースは浜口倉之助さんでしたね。そういえばGSの終焉ってどんな感じでしたっけ?あまり覚えがないんですけど、自然に消えていったって感じでしょうか。寄せ集めの最強バンドPYG結成までは覚えがあるんですけど、結局いつの間にかなくなってったという気がします。中学校に上がった頃だから、次の流行に移っていったんでしょうけどね、あの熱狂の後は何を追っかけてたのかなぁ~。。。。。。
2006年07月11日
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昨日は「スーパーマン・リターンズ」見てきました。このところコミックスからのネタが続く米国映画ですが、まあまあの出来栄えではないでしょうか。マンガでしか表現不可能な映像もこうした実写で見れるようになったのですから、やはり技術の進歩は目を見張るものがあります。なにせ私らの時代は円谷プロ全盛期で、ミニチュアセットに着ぐるみ、ピアノ線で吊るすといった見る側の想像力なくしては成り立たないような(笑)SF映画でしたから、最近の映像技術には感心させられるばかりです。でもこれら技術の根底にあるのは子供の頃に夢見た架空の世界であり、子供時代に描いた想像の世界を実現させることへの「夢」であることは間違いありません。頭の中で描いた架空の世界を現実の世界に展開するという「夢」を抱いた子供たちが大人になって創り出した世界、それが「夢工場」と呼ばれる映画制作の世界です。想像の現実化っていうと、最近はちょっと危ない世界を具象化させようとする人も多くなって来ているようですが、行為自体に根本的違いはないように思えます。問題は夢の見方が間違ってしまったというとこでしょうか。ということ、で今日も私たちが夢を紡ぎ始めた時代のお話の続編です。 日本人歌手としてビルボードのトップランキングに輝いた名曲「上を向いて歩こう」坂本九さんのシングル盤レコードは300円でした。スキヤキ・ソングとして未だに歌われているくらいですから、レトロとも思えませんね。そういえば「明日がある」とかも同様、この時代の和製ポップスって本当にポップスらしい曲が多かったですよね。森山加代子さんは「白い蝶のサンバ」で復活するまでしばらくのブランクがありましたが、私にとっては30年代の方が印象に強かったですね。弘田三枝子さんとか木の実ナナさん、もちろんザ・ピーナッツとか、アメリカの風をニッポンに吹き込んだアイドルって感じでした。それにしてもこの時代のアイドルって、アイドル以前に「歌手」としての地位というか、実力というようなものが確立されていたような気がしますね。最近はどうも反対でアイドルだから歌を歌うみたいな感じで、本末転倒のような気がします。パラダイスキングもこのあたりが絶頂期ではなかったでしょうか。元々はダニー飯田さんのスチールギターでハワイアンバンドだったのが、ポップスを歌うようになって、そのうち演歌系にも顔を出しってな感じで、やはりお茶の間の人気者でした。そして私個人的には青山ミチさんの大ファンでした。もうこの当時からすでにブラック系の血が騒いでいたのでしょうか。彼女のパンチのある声は、後年やってくるR&Bブームの先駆けでした。ポールとポーラが梓みちよと田辺幸雄。もちろん鼻タレ小僧はこの当時原曲なんぞは知りませんから、日本語版がオリジナルだと思っておりました。ほりまさゆきさん、今風に言うとジャニーズ系ですか?(笑)ということでカラーバージョンでどうぞ! ドーナツ盤2分30秒をレコードの溝が擦り切れてなくなるほど聞きました。マンボやチャチャで踊っていたのはダンスホールでしょうか?このあとツイストがブレイクしてモンキーダンスとかスイムとかサーフィンとか色々なバリエーションが出てくるんですよね。っていっても私はこの当時4~5歳ですから、はっきりとした記憶は残ってません。ただ駒沢に住んでた従姉妹のおねーちゃんが弘田三枝子にそっくりだったので、よ~くレコードを聴かされました。森山加代子は森永ポールチョコレートのCMがしっかり頭に残ってます。ザ・ピーナッツは「ザ・ヒットパレード」「シャボン玉ホリデー」ですっかりお茶の間のアイドル化してましたから大ファンだったですね。もちろん決定打は「モスラ」の双子の妖精でした。インファント島に住む妖精。。。。可愛かったですね。きっちりユニゾンで喋る二人の声とあの歌は未だに心の中に生きています。「モスラ~ヤッ、モスラ~、トガタタクヤ~」夢の中にも随分出てきました。小学校前の子供のハートを鷲づかみにしたアイドルは昭和30年代のスーパースターでした。なんだか記憶がごっちゃになってますが、従姉妹のウチが国道246の道路沿いの真中(マナカ)にあって、駒沢大学の近くにあったガソリンスタンドで行われた「フラフープ大会」とかに出場した覚えがあります。この時BGMでガンガン流れていたのがこれらポップスだったような気がします。風呂屋の娘ヒサエちゃんと一緒に大きなフラフープを腰で回して大人の注目を浴びた快感は、今でもしっかりと心に残っています。コレが病み付きになって道楽の道へ進んでしまったのかもしれませんね。(笑)最後に当時私が大好きだったグループ・スリーファンキーズについて一言。メンバーは、長沢純、鈴木やすし、高橋元太郎の三人です。ちょっとピンときませんか?そうです、あのTV番組「ザ・モンキーズ」の声優さんたちです。この三人に太田博幸が入った四人がドラマ・モンキーズの吹き替えをやっていました。スリーファンキーズってグループ名も当時はセンスが飛びすぎていたかもしれません。(笑)ちなみに彼らのヒット曲・・・思い出せません。テレビで見た「ぶっとんだ」という一曲だけ覚えてます。クレージーキャッツっぽいのりの曲でサビメロが、「ぶっとんだぁ~!ぶっとんだぁ~!だいぶっとんだぁ~、そら逃げろ!」ってか、なんじゃこりゃってかんじでしたけど、私的には非常にウケまくりました。踊りながら歌うんですけど、コミカルというよりはやはりファンキーでしたね、アクションが。(まさかこのグループからうっかり八兵衛が出るとは思ってもいませんでしたね)ということで、道楽親爺5歳、ファンキーの洗礼、初体験の思い出でした。(笑)
2006年07月10日
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中高年のみなさまこんにちは。ビンボーとドーラクを追求する非生産活動推進委員会がお送りする道楽者日記、本日はサンデースペシャル「昭和30年代のお嬢様特集」です。連日懐かしの画像をUPしておりますが、少女漫画についての書き込みを頂きましたので、調子付いて画像3連発でお届けいたします。まずはカラーでいきます。どうですか?きいちの塗り絵。確か1冊10円だったですかね。切抜きの着せ替え人形が泣かせますね。まさに時代を反映しています。先日もご紹介しましたが、少年雑誌のふろくとか、とにかくこの時代はボール紙でなんでも作ってしまうという、職人肌、ニッポンの技術がふんだんに盛り込まれて夢がありました。今のようにレプリカとかフィギュアとか、そのまんまのカタチをお金で買うという直接的な遊びでなかった分、子供たちにも想像力が要求されました。いわゆるアナログですね。はい、そしてこれが貸し本屋でおなじみの作品と作者です。下段の漫画家ランキングが凄いですね。梅図かずおさん、やっぱ人気ありました。そういえばこのところニッポンのホラーが世界的に注目されていますが、ルーツはこのあたりにあったのではないでしょうか。つのだじろうさんの「うしろの百太郎」とかもマジで怖かったですね。お兄さんはファンキー・ドラマー・つのだひろさんってのも面白いですケド。さあ、3発目はお嬢様御用達「チョコレート」です。この頃のお嬢様は駄菓子屋なんぞには現れませんでしたね。近所のハナタレ小僧の憧れは川向こうのお嬢様でした。忘れもしません。小学校2年生の夏。初恋のクラスメートと学校の外で出会ったあの日。彼女は母上様に手を引かれ、マーブルチョコレートを握っておりました。私は近所のハナタレを引き連れて駄菓子屋から意気揚々と出てきたところでした。手にはソースせんべいと梅ジャム、口には真っ赤なすももをくわえた私を見るなり、にやりと笑ったその笑顔は光り輝くオーラに包まれておりました。お母様は私らガキどもを見て、一瞬ひるんだ様子でしたが、「お友達?」と一言。彼女はウンとうなずいて「○○君」と名前を呼んでくれました。そのとき、何故か自分がものすごく恥ずかしい身分であるように思え、黙って駆け出してしまった淡い恋物語の終焉でございました。未だにこのときの気持ちが自分でもよくわかりませんが、何故か自分がとんでもない世界の住人のような気がして、いたたまれなくなったのは何故だったのでしょう。あ~傷心のマーブルチョコレート。。。。しかしチューブ入りチョコってのも凄かったですよね。チューブからチョコをちゅうちゅう吸い込むんで、いよいよ無くなった頃を見計らって、今度はおしりの方からチューブをバラして吸い込みます。途中でチューブが壊れると悲惨でした。ポールチョコレートは森山加代子さん全盛期の頃のCMでしたね。小学校高学年になる頃には「チョコベビー」が遠足のお菓子人気ナンバーワンでした。小出しにして食べるってとこが、おしゃれで少女チックだったですね。好きな女の子に「チョーダイ、チョーダイ」とか言っておねだりすることで、自分をアピールしたりしました。逆に興味ない子に「食べる?」とか言われて「いらねぇ」とか冷たくしたりして、子供って結構残酷ですね。(なんのこっちゃねん)不二家のペンシルチョコとかパラソルチョコってのも懐かしいですね。ミルキーはママの味。ってか七五三の千歳飴じゃんって感じでした。(笑)でも不二家のえんぴつチョコとかウチの娘も未だにかじってますから、さすが歴史を感じますね。そしてチョコレートの王者はなんと言ってもグリコアーモンドチョコでしょう。初めて食べた時の衝撃は未だに忘れません。おいしかったなぁ~。私は未だに旧タイプの板チョコ型が好きです。ガリッとかじるあの感触がたまらなかったですね。ウチのバーちゃんは「種が入ってた」って言ってぷっと吐き出しましたっけ。これ、よく笑いのネタで使われてますけど、実際皆同じことしたんですよね。(笑)
2006年07月09日
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昭和30年代~あの頃の雑誌は子供たちのロマンでした。特に月刊誌はそのふろくの量で競い合っていました。タコ糸で縛られた雑誌の盛り上がり、殆どがボール紙で作られた模型とか、別冊の小冊子が何冊付くとか、たまに「少年探偵団手帳」とかBGバッジとかがお年玉特別ふろくとかにあると、みんな目の色を変えて本屋さんに走りました。そのうちマンガ雑誌も月刊から週刊に変わって、子供達の流行も加速されていきました。そんな時代の代表雑誌をご紹介しちゃいましょうね。おまけに少女雑誌もいってみましょう。 この当時の少女漫画は「キラキラ瞳」と「星の王子様」みたいなメルヘンチックなものばかりでしたから、まず男の子は読まなかったし、絵がとにかく凄かったですね。ちばてつやさんの「ユキの太陽」は私も文庫本でコレクションしてました。男女共用みたいな少女漫画はまだまだ少ない時代でした。絵柄も塗り絵系みたいな感じで、宝塚のマンガバージョンみたいなもんですか。「ベルサイユの薔薇」とか「はいからさんが通る」あたりから、男の子とかもちょっとは読者になっていったのではないでしょうか。そういえばこの時代「貸本屋」ってのがありましたっけ。平凡とか明星とかの雑誌や、単行本のマンガも随分とありましたね。1冊10円とか20円だったですかね。レンタル業の草分け的存在です。ニッポンのマンガ~アニメ文化の黎明期に子供達の夢を育んだ「貸本屋」から数々の作家が生まれたのも事実ですね。それでも少女漫画の地位はイマイチマイナーでした。ストーリー仕立てとかツボが少年マンガとは、やっぱちょっと違っていたのですかねぇ。
2006年07月08日
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昭和30年代のテレビヒーローたちは、夢と希望と物欲を運んでくるようになった。というわけで、今日はテレビヒーローが日本経済の高度成長期を迎え、商戦の中に投入されていった元祖キャラクターグッズをご紹介しちゃいましょう。当時の画期的出来事といえば、やはりテレビに人気アニメが登場したことでしょう。そして、中でも空前絶後のヒットと、その後に続くニッポンのアニメ文化のルーツといえば「鉄腕アトム」と「鉄人28号」が上げられるのではないでしょうか。何故かロボットアニメが同時期にスタートしたというのも因縁めいてますが、スポンサーもお菓子会社だったというあたりが当時の経済事情を物語っているように思えます。それでも、男の子、女の子の両方に支持されたアニメといえば、やはり鉄腕アトムが一番ではなかったでしょうか。操縦する人間次第で善悪に分かれてしまうロボット鉄人に比べ、人間的要素を持つ電子頭脳ロボット・アトムの描き出す世界観、人生観は大人にもメッセージを投げかける奥行きのあるドラマでした。確か私の通っていた小学校でも、教師に認可を受けた唯一のアニメだったと思います。しかし明治製菓はこれで莫大な利益を紡ぎだしたのではないでしょうか。シールやワッペンは全国的な規模で一気にブームが広がりました。上原ゆかりさんのCMも未だに覚えています。この後、ロボットモノはエイトマンへと進化して、お菓子からふりかけの時代に入ります。(笑そういえば、アトムの明治と28号のグリコ、追随して森永の狼少年ケンも一大旋風を巻き起こしました。チッチとポッポの子狼や片目のジャックとか渋いキャスティングも、ちょっと子供心を刺激しました。更にハナタレ小僧が夢中になった「忍者部隊月光」は新しいヒーロー戦士でした。拳銃を使った「くのいち」隊員に「馬鹿、我々は忍者だ。拳銃は最後の武器だ!」と言ってしかりつける水木ジョーさんの手裏剣を投げる姿に感動したものです。独自のブロックサインが流行りましたねぇ~。拳骨叩いてチョキとかパーだして、野球のサインにも似てました。まあ、このあたりのキャラが元祖ではありますが、今思い出すと数え切れないほどのヒーローがいたんですよね。スーパージェッター、宇宙少年ソラン、風のフジ丸、宇宙エース、パピイ、ロボタン、丸出だめ夫、おそまつ君、天才バカボン、もーれつア太郎、あれっ時代錯誤してきた?
2006年07月07日
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え~昨日は久しぶりに戦友yu-jiさんからのメッセージを頂きまして、ちょっと嬉しかった道楽親爺です。yu-jiさん、どうぞゆっくり養生して下さい。委員長は復活の日を楽しみに待っています。ということで今日もメンコ・ワールド第二弾をお届けいたします。L.少年ジェットの「ウーヤーター」に負けぬ奇声で対抗する「イーカンポー」鉄人騎士M.七色仮面の正体は蘭光太郎、初代主演は後の特別機動捜査隊波島進さんでした。二代目は千葉真一さん。N.月光仮面の御馴染みポートレート。O.少年ジェット最初の敵はジャック・ジェームス。P.で、出た~。アンドロメダからの使者ナショナルキッド。松下電器がメディアと組んで創り出した初めてのヒーロー、ナショナル電気の使者です。今だったらパナソニック・マンとかになるのかなぁ(笑)しかし、当時は仮面が多かったのにキッドとは恐れ入りましたね。キッドの持っているピストル型懐中電灯が欲しかったなぁ~。エロルヤ光線銃でしたっけ。Q.名探偵船越宏 少年ジェットとタッグを組んだ謎解き探偵。R.少年ジェット第三の敵紅さそり 実はブラックデビルか。なんかブラックデビルって何を演じてもブラックデビルでしたよね。圧倒的な個性のキャラでしたけど、この俳優さんって不思議な方でしたよね。ちょっと日本人離れしてたし、他のドラマで見たこと無かったなぁ。S.七色仮面と戦う蛇笛と共に人を殺す残忍なコブラ仮面。このドラマは基本的に仮面の正体を暴くという結末までの引っ張り方が良かったですね。T.国際スパイ段首領ジャック・ジェームス。そう言えば当時はよくこういった外国人風の名前が使われていましたね。それだけでなんか圧倒的悪役といった感じがしました。U.海底人8823はやぶさ。土に足を滑らせ転倒している所を助けられるという情けない登場シーンを持つ男。運動神経を痺れさせる不思議な音波銃を持ってました。確かカタカタカタとかいう妙な音が出て、撃たれた人は手足が麻痺して動けなくなるという、中々優しいヒーローでした。海から出てくるところがなんとも良い味を出してましたね。V.月光仮面の宿敵どくろ仮面は、メンコでは意外な人気がありました。その不気味さが秘密かも知れません。サタンの爪と並んで悪のヒーローとしてのキャラは見事でした。でも、いつもあんな恰好をしてウロウロしてたら目だってしょうがないですよね。そういえばマリンコングなんて怪獣もいましたっけ。ネーミングが凄いです。海のゴリラですか?W.こうもり仮面謎の怪人?残念ながら私は記憶にありません。X.1960年代SF映画最新鋭の宇宙兵器。当時の最新兵器ってデザインはさほど凝ってなかった割には機能も大したことなかったですね。ヒーローが登場するまでのツナギみたいな。前置きのワリにはあまり役に立ったためしがありませんでした。(笑)Y.少年ジェットごっこで一番情けないキャラクターは名犬シェーン。でもジェットの食べる菓子パンのようなカップケーキをちぎって食べさせてもらえるという唯一の役得が売りでした。最年少のおみそと呼ばれる子がよくやらされた役です。ただ、ジェット役の子の後をついて回るだけでした。
2006年07月06日
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今日は凄いですよ。メンコのヒーロー総進撃です!A. 愛車ラビットに乗る少年ジェット。白いマフラーは正義のしるし。スーパーカブと名犬シェーンが同じ速度で走る姿が今も目に浮かびます。少年ジェットは今日も行く。。。。。B. 七色仮面 通称パイナップル仮面30年代生まれの小僧たちにとっては月光仮面より印象が強いのではないでしょうか。初代主演は特別起動捜査隊の波島進さん、二代目は千葉真一さんでした。C. まぼろし探偵 日曜日の9時頃だったですかね番組枠は。なんと共演は吉永小百合さんでした。両親にも正体を隠す心優しい少年でしたね。D. ご存知月光仮面はメンコの王者 なんといってもメンコ時代のヒーローと言えば月光仮面でしょう。鼻タレ小僧の宝物でした。E. 当時の絵本に描かれた宇宙超特急未来のロケット。F. 名探偵船越宏は少年ジェットの先生G. 正体不明黒いシャッポの男 当時の冒険活劇には正体不明の謎の○○ってのが多かったですね。見てる方は正体バレバレなんですけどね、結構ハラハラ、ドキドキして見てました。H. 少年ジェットの宿敵ブラックデビル いやいや、なんと言ってもこの人こそ当時の脇役・悪役ナンバーワンではないでしょうか。その風貌は怪盗ルパンを思わせる異国情緒溢れた顔立ちに、ヨーロピアンセンスたっぷりのファッション。そして何故か電柱の上とかに上ってステッキを振り回してました。「ゼットよ、また会おう、ハハハハ~」って、なんでジェットって言えなかったんでしょうか?I. 七色仮面のバイプレーヤーへぼ探偵金有左門の助手、三子。ヒーロードラマに必ず登場する間抜けな探偵は名脇役の定番でした。少年ジェットには「とんだもんた」ってのがいました。J. 七色仮面の二挺拳銃は何連発だったのでしょうか。散々撃ちまくったあげく、肝心なところでタマが無くなるという「絶体絶命」はお約束でした。K. 七色仮面の三悪党スリーエースのひとりダイヤ。何故かこのドラマに登場した悪役も皆仮面を付けていました。仮面シリーズですか。「七つの顔のおじさんの、ほんとの顔はどれでしょうね」まあしかし、七色仮面の登場シーンにじーんと痺れた少年は、ウルトラマンへと成長していったのですかね。変身モノというか、スーパーヒーローのルーツはこのあたりだったのでしょうね。
2006年07月05日
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今日7月4日は「LIBERATION DAY」で、昨夜からお祭り騒ぎで盛り上がっているサイパン島です。(ってかアメリカのお祭りですね)ということで、昨日に引き続き昭和30年代の懐かしのスナップをご紹介しましょう。ちょっと見づらいかもしれませんが、右上は「まぼろし探偵」になりきる当時の鼻タレ小僧ですね。(笑)確かマンガの方はエイトマンでも御馴染み桑田次郎さんだったと思います。そして、その左隣が「怪傑ハリマオ」。石ノ森章太郎さんのマンガです。テレビでは実写版が放映されていましたが、風呂敷を頭に捲いてばーちゃんのサングラスをかければすぐに変身できるそのアイテムが庶民的でした。実話をモデルにしたお話でしたが、ストーリーはほとんど覚えてませんね。このあと「ジャガーの眼」とか「アラーの使者」「七色仮面」などスーパーヒーローが目白押しでした。何故か提供はカバヤ食品で、お菓子とテレビがセットになった販売戦略の草分け的存在ではなかったでしょうか。「赤胴鈴の介 」はうじきつよしさんのマンガで、テレビの前はラジオドラマがあったようです。右側のスナップは当時の人気者がモデルになった「おめん」ですね。このお面一枚で「ごっこ」の主役の座を確保できた小僧達の必須アイテムです。ちなみにこの当時のヒーローを語らせたら「なぎらけんいち」さんでしょう、やっぱり。ちくま文庫から出ている「下町小僧」なぎら健壱著は東京の昭和30年代の風景が、当時の子供の視線で描かれています。まさに団塊の世代の人ですが、銀座で育ったなぎらさんのお話は、私たちのおにいちゃん、おねえちゃんのお話を聞くようで、別の意味でも懐かしさに溢れています。30年代の爺婆にはおすすめの一冊です。(760円+税)お手頃です。(笑その続編のようなものでもう一冊「日本フォーク私的大全」は下町の小僧なぎら少年が思春期を向かえ、大人になる過程で体験する学生運動やアメリカ文化を織り交ぜた自伝的エッセイです。当時音楽に関わった人はこれも絶対お薦めです。ちなみに以前ご紹介した映画「パッチギ」のテーマ「リムジン河」の顛末も載っていますから、合わせてお楽しみいただけます。偶然私もこの本を読んでから映画を見たので、当時の時代背景がよく理解できました。
2006年07月04日
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今日は古き良き昭和30年代の画像をお届けいたします。まずは30年代のトピック・アイドルオムニバスです。みなさんはいくつ覚えていますか?「3番サード長島背番号3」は国民的ヒーロー、ハナタレ小僧のスーパースターでした。「トヨペット・コロナ」懐かしい響きです。こまどり姉妹とザ・ピーナッツ、双子の歌手のライバル、演歌とポップス、共にお茶の間のアイドル第一号ってところでしょうか。オート三輪ってごくフツーに道路走ってたし、自動車っていうとフツーに三輪車が当たり前でした。これって今思うとオートバイに荷台が付いてただけって感じもしないではありません。(笑)月光仮面のおめん。よく被って遊びましたね。でも縁日とかでしか売ってなくて、お祭りの日は必ずお面被って帰ってきました。NHKの人形劇+着ぐるみドラマ「ブーフーウー」。お姉さんが三匹の子豚のぜんまいをまわして舞台に置くと、着ぐるみキャラクターが動きだすという、ちょっと手の込んだ仕掛けでした。スバル360はこの時代の大ヒット商品ではなかったでしょうか。お手ごろ価格の自動車。乗用車が一般家庭に普及し始めるためのエポックマイカーでした。しかし360ccで4人乗りってのも凄かったですね。急な坂はみんなで下りてお尻を押したりして。。。。良い時代でしたね。そしてテレビと共に時代に颯爽と登場したスパースター、それはやはり力道山でしょう。空手チョップはニッポンの誇りです。もひとつ空前の大ヒットを生み出したタカラのだっこちゃん。凄かったですね、このブームは。東横百貨店のおもちゃ売り場に大行列ができて、しかも売り切れ在庫なしというメディアヒットの草分けでしょう。東京オリンピック開催で一気に国際文化人の仲間入りを果たした日本人。もはや戦後ではない、といった新しい時代の幕開けでした。ダンス合戦。凄いですねこのファッション。なんか今でも受けそうな感じですね、バラエティー系で。(笑)そして電気製品が一般家庭にだーっと普及した頃の三種の神器が「テレビ」「冷蔵庫」「洗濯機」でした。格安扇風機も当時はみな争奪戦に明け暮れました。あの頃の夏は暑かったね。。。
2006年07月03日
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昨日はサイパン島の電話局にトラブル有りでサーバーがダウンしてしまい、結局丸一日NET接続ができませんでした。しょーもない田舎ですからね。ホント緊急時はどーすんだろとか思いましたね。ということで、昨日書くつもりだった日記ですが、え~本日もDVD映画のお話デス。前回の「下妻物語」に寄せられました、たまさんからのコメントでキーワードを頂きましたので今日は「パッチギ」のご紹介です。実は今回購入しましたDVDは、元を正すと我が娘からのリクエストでございまして、以前にもお話しましたが長女18歳が通うハイスクールには日本人が彼女しかおらず、最近話題のニッポンのカルチャーについてクラスメートから頻繁に質問が寄せられると、返答に窮した彼女はその度に親爺に問いかけるといった具合なわけです。でもって、特に韓国人や中国人(香港人ですね)の子達が日本文化(ポップ・カルチャー)に興味を持っているようで、ヒット映画などが自国のサイトとかで紹介されると、必ずウチの娘に問い合わせがくるといったような次第です。夏休みに入る前に彼女に寄せられた溢れるほどの質問がこの2本の映画でした。「ロリータ・モモコ知ってるか?」(下妻物語)「日本に北朝鮮の学校があるのか?」(パッチギ)「ダイカンヤマにはあんな日本人の娘が沢山いるのか?」(下妻物語)「なんでリムジン河を歌ったんだ?」(パッチギ)え~、たぶん質問を受けた彼女の頭の中は、深い海の底を這いずり回る提灯アンコウのようだったと思います。(笑)ということで、これらの質問はそのまんま道楽親爺のもとに委ねられたのですが、いくら道楽者だからって、今のニッポンの状況なんてわかるわきゃないし、せいぜいインターネットでキーワードから検索するのが精一杯でした。とまあ、こんな状況から、今回たまたまタイ・ツアーで日本に立ち寄る機会がありましたので、お父さんのお財布の中身と相談して、数枚のDVDを買い込んできたというわけです。なんで長女ばかりに優しいんだと少々の不満が家族の口から親爺に浴びせられましたが、「おまえ(末娘)にはバンコクで買ってきたチャイナドレスがあるだろう」注)彼女はプレステの「鉄拳」に出てる中国人キャラのファンです。「おまえ(長男)にはタイシルクのパジャマを買ってやっただろう」注)彼は幼少の頃から唯一パジャマを着用しないと寝付けないという妙な習慣があります。(そりゃ妙じゃなくてフツーだろ)彼以外は大抵Tシャツにパンツ一丁です。(笑)「おかーさんにはトムヤンクンのインスタント・パックとドライ・ドリアンを買ってきたし・・・」注)母はインドとかバリとか東南アジア系のキワモノが非常に好きです。という具合に、家族のみんながシヤワセになるようなお土産を取り揃えたつもりの言い訳がましい親爺でした。相変わらず前置きが長くなりましたが、本題の「パッチギ」については、これはもうとにかくトップシーンから私らの時代の不良そのまんまの姿が描かれています。ただ、実際にテーマになっている時代背景は私らのもうひとつ上の世代、いわゆる団塊の世代ですね。だからグループサウンズに始まり、ビートルズが出てきたり、フォークが出てきたり、学生運動やヒッピーとか、昭和40年代のネタ満載のお話です。舞台は京都で、いわゆるええとこのボンが朝鮮高校の女の子に恋をした、というようなラブストーリーを中心にその周りで起こるドタバタ人情喜劇みたいなものが散りばめられた青春コミックスみたいなドラマです。ドラマの根幹を貫いているのはニッポンのフォーク史上、エポックメイキング的伝説を残したグループ、フォーククルセイダース、略してフォークルのエピソードでした。当時、私もしっかりと記憶に残っていますが、フォークルの「リムジン河」というレコードが発禁(発売禁止)となった事件をベースにその裏側をうまく描いています。これは南北に分かれた朝鮮民族と国家間の微妙な軋轢を背景にしているのですが、小難しい理屈や政治色を飛び越えて、その時代を生きた少年たちを中心とした風俗的描写は井筒監督ならではの手法ではないかと思います。ちなみに、フォークルはこのリムジン河の発禁処分にたいして、この曲を逆回転させて新たな楽曲「悲しくてやりきれない」として見事再生させてヒットさせました。もちろんこの曲もきちんとこの映画のテーマを盛り上げる重要な挿入歌となっています。しかしこの映画に登場する抗争シーンは、本当に見事なまでに当時の雰囲気を甦らせてくれています。朝鮮高校との抗争はニッポン各地で起こっていたことですし、俗に「チョーパン」と呼ばれた朝鮮パンチ=パッチギのタイトルどおりの乱闘シーンは、経験したものでなければわからない臨場感がありました。私も個人的に言わせて貰えば、世田谷の梅が丘にはこの北朝鮮を目の敵にする右翼学校・国士舘高校がありましたから、朝高(チョンコウ)対士官(シカン)の出入りは日常茶飯事でした。駅前に蛇腹の学ラン、ボンタンに長ぐつ姿の生徒が整列していれば、もうこれは「チョン狩り」と呼ばれる一大抗争事件の始まりで、地元の不良予備軍は後について新宿駅まで見学に行ったものです。朝高生が新宿の某地点に集まるという情報を元に、いわゆる「シキテン」とよばれる偵察部隊が駅構内を探索、朝高生グループを発見と同時に国士拳法とか浪士隊とか呼ばれる軍団が戦国時代の戦のようになだれ込んで乱闘となります。外野で見物する不良予備軍はその乱闘の凄まじさを目の当たりにして、わけもなく興奮したものでした。中には線路に飛び出して逃げ惑う者や、改札口を飛び越えて繁華街へ飛び出す者など、これはある意味ニッポン右翼対北朝鮮左翼の戦いに近いものだったのかも知れません。っていうか、闘っている戦士たちにはそのような政治的教育はあまり施されてはいなかったと思いますが、これはある意味国家間の戦争に巻き込まれた国民の姿だったのではないでしょうか。(なんちゃって)なんか映画の話からだいぶ飛躍してしまいましたが、ストーリーは極めて単純、コミック化されてますが、取り扱っているテーマは見る人によって幾分違ってくるのではないでしょうか。でも私が一番感動したというか、目を覚まさせられたというか、この映画から受け取った大きなメッセージがありました。それは、「歌は情熱だ」という、子供の頃に体で感じたあたりまえのことでした。映画の中で主人公の男の子が歌う「リムジン河」、とてもすばらしかったです。映画の中のことではありますが、彼の人生で体験したすべてが歌になっている、そんなパッションを感じさせてくれました。何故歌を歌うのか。それは自分の中でうごめいているわけの判らないものを昇華させるための心の叫びです。フォークだって、ロックだって、みなこのパッションから始まっていったのですね。それが今はどうでしょう。商業主義といっちゃあおしまいですが、本当にこのモヤモヤとした心の叫びを歌うアーティストが一体何人いるでしょうか。ヒットチャート目指して、印税目指して、しまいには著作権だの言い出すアーティスト。私らの時代とは随分かけ離れたところに来てしまった音楽業界のような気がします。そういえば、なぎらけんいちさんもフォークについての認識の違い、誤解について語られておりましたが、ある意味メッセージソング、あるいは人間の生について歌っていたものがいつのまにかラブソングとかポップソングとかにすりかえられていった、というような表現をされていました。これも親爺の愚痴かもしれませんが、もともとロックなんてものは、何か叫びたい、何を言いたいのかわからないけど、この体の中にあるエネルギーを吐き出したい、そんなところから出発したものだったと思います。最近の音楽を聴いて無関心になってしまったのは、あながち時代や感性の違いばかりとは言えないような気がします。歌から、演奏から、声から、訴えかけてくるものが感じられないんですよね。なんだか音楽室で音楽の勉強をしているみたいな感じですか。どれもこれも雛形にはまり込んでるみたいな。それも音楽だけに限らず、文学、アート、ファッションとどれをとっても心の底、魂の奥底から湧き上がってくるような情熱のある作品が少ないような気がします。なんか商売でやってるみたいな、そんなんばっかりですね、このごろは。えー、話が長くなりましたが、決して昔が良かったとかいうノスタルジーではなくて、音楽、ROCKの原点を見せ付けられたというような感じの映画でした。PASSIONを忘れるな!ってがーんと殴られた感じでしたね。それがROCKERじゃないのかい、って言われたようで、いくつになっても捨ててはいけないモノがあるだろうって諭されてしまったようなもんです。おまけにエンディングはサディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにお願い」でした。憎いねぇ~!
2006年07月02日
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