2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全25件 (25件中 1-25件目)
1
つい先日(確か9月26日だと思います)、NHKニュースで「東京ローズ」の死が伝えられました。海外ニュースとして放送されたわずか1分程度のニュースでしたが、二つの祖国を持つ悲劇の女性の死に心から哀悼の念を捧げたいと思います。東京ローズの本名は戸栗郁子(とぐりいくこ)と言い、ロサンゼルス生まれの日系二世で、第二次大戦中に米軍向けの謀略放送ゼロ・アワーでDJを担当し、将兵たちから東京ローズの通称で慕われましたが、戦後になって反逆罪で逮捕されました。米国人として裁かれて有罪になったのは、中国人として裁かれた金璧輝・川島芳子の場合と一緒です。(アジアのマタハリと呼ばれたこの女性も数々の伝説を残していますね)もう一人、中国人であるはずが日本人であると証明され、無罪となって銃殺刑を免れた李香蘭・山口淑子さんもいますが、このようなケースは特別でしょう。 ミュージカル「李香蘭」がロングラン、幾度も再公演を続けているのはご存知かと思いますが、東京ローズの名を知る人は殆どいないのではないでしょうか。(コロンビア・ローズじゃありませんよ)当時、二つの祖国をもつ戸栗郁子は両国の関係に、当然ながら無関心ではいられなかったのでしょう。南カリフォルニア大学大学院を卒業して同盟通信に入社し、ジャーナリストの道を歩みだしたところで日米開戦となりました。軍からNHK海外局勤務を命ぜられ、選択の余地はなく謀略の一端を担いました。DJではアンと名乗っていましたが、東京ローズと呼ばれて有名になってしまったことから、人生が狂ってしまったのです。李香蘭・山口淑子と東京ローズ・戸栗郁子に共通しているのは、卓越した能力で幾百万を越す人たちを魅了したことです。手懐づける宣撫工作と戦意を喪失させる懐柔工作には、二人はまさに好都合だったのでしょう。 戸栗郁子は禁固刑判決を受けてから、大統領特赦になるまで10年も獄中にいましたが、その時期には李香蘭こと山口淑子はハリウッド女優として近くにいました。二人が出会う機会があったならばどんな言葉を交わしたのでしょうね。戦争で誰もが苦難を強いられ多くのものを失いましたが、慰労や償いの対象となった人たちはごく限られた人たちのみです。数奇な運命に弄ばれたこうした女性たちも、いずれは忘れ去られ時代の渦の中に呑み込まれていってしまうのでしょうね。ご興味のある方はドウス昌代著「東京ローズ」という本がありますのでお読みになってみて下さい。ちなみに東京ローズは一人ではなかったというのが、どうやら事実のようですが、結局は戸栗郁子さんがその罪を全て負って服役したようです。もちろん私は戦後生まれ、戦争を知らない子供として育ったのですが、なぜか終戦直後の東京の風景に大変心惹かれてしまいます。私が物心ついた頃はすでに「もはや戦後ではない」といった時代に入っており、ヤミイチや進駐軍、繁華街の風景など、どれも直接自身の目で見たものなどひとつもないのですが、何故か古い写真などを見ると郷愁を感じてしまうのです。不思議ですね。東京ローズについては、ひときわ思い入れがあるのはボズ・スキャッグスの詩のせいかもしれません。ハーバーライトという曲の出だし、「東京ローズを母に持ち~」ボズの物悲しい独特の声、その歌い出しを聴いて背筋がゾクっとしました。港に立って海の向こうを見つめる少年の姿が、当時の自分の母を思う気持ちとダブったのかもしれません。それともうひとつ、カタチこそ違いますが、自分もディスクジョッキーという仕事に携わっていたことも感情移入した理由かもしれません。一人対不特定多数という構図、本人の意思とは関係なく、その場所でその時代が作られていく不思議さみたいなものを感じていました。そんな、思い入れの深かった「東京ローズ」、戸栗郁子さんの訃報にあらためて故人のご冥福を深くお祈り申し上げたいと思います。(合掌)
2006年09月30日
コメント(5)
そうです、今日は金曜日です。なんとなくゴーインな日記になりましたが、決戦の金曜日続編です。というのも、昨夜もまた近所の定食屋へ行ってしまいまして、なんとそこで委員長が目撃したモノは。。。。(ってかそんなタイソウなもんじゃないけど)本日のスペシャル「海老丼」冷やし山菜そば付$9.50おい、話が出来すぎだろ!さすがの私もチョイ驚きでした。しかも、例のカラオケ好きジジイも居るではありませんか。(話作ってないですよ~、実話です)まあ、昨夜は委員長のスタッフも一緒でしたので、特に変わった日でもなく、いつもどおりの晩飯風景だったのですが、この「海老丼」にはちょっと驚きましたね、正直言って(笑)ひょっとしてこの食堂のチーフって、委員長のブログ見てたんじゃなえーだろーな、とか疑っちゃいましたね。ただ、海老丼というところがミソで、これはカツか天ぷらかが明確ではありませんね。そこで委員長は同席した我がスタッフにそれとなく尋ねました。委員長「この海老丼ってのは海老カツ丼のことかなぁ」スタッフA「いや、フツー、海老丼って言ったら海老の天ぷらが乗ってるんじゃないすか」スタッフB「だったら、海老天丼って書かない?フツー」(ここでカラオケ好きジジイが口を挟みます)爺「いや、フツー天丼と言ったら海老天だから、あえて海老丼とはしないんじゃないの」スタッフA「でもここ(この店)の場合、メニューの天丼には海老天の他に野菜天とか乗せてあるじゃないですか、だから野菜天とか他の添え物がない単なる海老天ノミっつー意味じゃないすか?だって冷やし山菜そば付ですよ」委員長「なるほど。ケッコー読みが深いね」スタッフB「う~ん、でもそれだったら天丼+冷やし山菜そばって書きませんか、フツー」スタッフA「だから、それはどんぶりが小さくて、更に海老天も小さいんだよ。しかも海老は2本くらいしか乗ってない、そんな感じじゃないの」爺「そんなに心配ならチーフに聞いてみればいいじゃない」委員長「そうなんですけど、別にそれを頼むわけでもないし、まあ食膳のクイズみたいなもんですね、これは」スタッフA「じゃあ、どっちか賭けてみますか?」委員長「賭けるってナニを?」スタッフA「決まってるじゃないですか、メシ代っすよ」スタッフB「で、誰が食べるの?」スタッフA「いや、オレ、今日はあまり腹減ってないから、冷やし山菜そばだけ食いたいなーとか思って、そんなら誰か賭けに乗った人が海老丼食うっつーのはどうですか?それだったら賭けに負けても半分は食べれるからそんなに損しないし」スタッフB「オレは食いたくネェ~なぁ~」爺「私もちょっとコレストロールが心配だから・・・・」委員長「ってことはオレが喰うのか~?う~ん気乗りしないけど、まあいいか」スタッフA「じゃあオレは海老天丼に賭けますからね。天ぷら以外の丼だったら、オレが勘定払います」ということで、待つこと数分、運ばれてきたのは小さなどんぶりがふたつ。ひとつは、冷やしそばに山菜が乗っててつゆが掛かっています。もうひとつは、御飯にエビフライの卵とじが乗っています。ヤッター!おれの勝ちだぁ~!って喜んでる場合じゃありません。二日続けてのカツ丼は、食べる前からすでに胸焼け状態です。く、苦しいぃ~。。。。。。「賭けには勝った。カツには負けた。」セレンディビティ~二夜連続カツ丼シリーズ完結編。もう、しばらくはカツ丼食べたくない。。。。。。。
2006年09月29日
コメント(4)
道楽者のくせして生意気コイたせいか、今日もイマイチ疲れ気味の親爺です。(^^;現在低気圧がマリアナ諸島を通過中で、昨夜から雨が続いております。今日は朝からずーーーっと雨が降ってます。観光客は可哀想だね。でもゴルファーは雨でも出かけますね。コンジョーありますね。ってか、頑固ですよね、おっさんたち。。。風邪でもひかなければ良いけど。。。。昨夜は某先輩のサイトで「カツ丼」の話がでたもんで、何故か夕飯はフラフラと近所の定食屋に立ち寄ってカツ丼を食べてしまいました。年のせいか、ちょっと胸焼けしたりして、ウダウダしておりましたら、ご近所のご隠居が登場してきまして、「おっ、珍しいねぇ~、ひとりかい?」などと声をかけられまして、「どうだい、一曲?(マイクを持つ仕草)」とお誘いを受けました。このご隠居、今年初めに「緑内障」の手術をしたばかりで、右目の視力がほとんどなく、夜間の運転は危険な為、こうして夜の運転手兼お友達を探しているのです。しょーがねぇーなぁ~、と思いつつも、お年寄りにはタイヘン優しい委員長ですから、ご隠居を我が車に乗せて、毎度御馴染み倒産間近のカラオケクラブに出かけたのでした。しかし、このご隠居、元某大手ゼネコンの建築設計士ですから、お金持ちではあるのですが、家族を日本に置いたまま、何故か南の島でリタイヤ後ひとり暮らしをしております。まあ、家庭環境とか個人的事情は興味もありませんので深くは知りませんが、土建屋さんの海外体験談はヒジョーに興味深いものがあります。このおっさんは満州育ちで、幼少時に終戦を迎え、中国では壮絶な体験をしたそうです。その後、勉学に励み、建築士の免許を取り、大手ゼネコンに就職、東南アジアから中東、アメリカまで世界各国を巡ってきた凄いジジイです。(そのワリにはちょっとケチだけどね)話が飛びましたが、このおっさん、歌が好きで、とにかくマイク持ったら話しません。これで上手かったら言うことはないのですが、だいたいカラオケ好きに歌の上手なヤツはいないってのが定石です。このおっさんもご多分に漏れず、「下手」です。(笑)しかも、最近は耳も遠くなり、時々自分の声が聞こえないとか言う始末です。やれやれ困ったもんだね、と思いつつも、自分もしっかり歌ったりしてそれなりに楽しんだわけです。実は数日前にカミさんの車の中でドリカムのCDを見つけてしまい、なんだあいつこんなもん聴いてるのか、とか思いちゃっかり拝借して聴いておりました。まあ、さほど感動はしませんでしたが、1曲だけ耳に付いた曲がありました。「決戦は金曜日」なんじゃこりゃ、レッツグルーブのパクリかぁ?しかも後半はシェリル・リンのGOT TO BE REALそのまんまじゃん。てなことで、ちょっと気になって聴いてるうちに結構はまってしまいまして、知らぬ間に頭にこびり付いてメロディーを口ずさんでおりました。早速、カラオケに挑戦!惨敗!悔しいから思いっきり踊ってやった。ザマーミロ(ってナニが?)いやいやこの曲は難しい。元々女性ヴォーカルのキイで親爺の声が出るわきゃないんですが、心はいつも少年ですから、やってみたかったのです。でも、この曲、結構踊れましたね。おねーちゃんたちも喜んでくれました。そしてご隠居も一言「へぇ~、○○さんて意外なかくし芸があったんだね」だって。ということで、南国の夜は更けていったのです。モチロン、ワリカンですよ~(笑)
2006年09月28日
コメント(5)
連日ムツカシイことを書き殴ってしまい、普段使わない脳味噌を酷使したせいか、今日はちょっとお疲れモードの道楽オヤジです。個人的にメールなどで色々とご意見なども頂きまして、たまにはこういったマジメなテーマも良いかななどと思いました。でも、所詮はどーらく者の戯言ですから、それなりに読んで頂ければ幸甚と存じます。みなさま、あまり突っ込まないように(笑)まあ、委員長が居住しているところが、未だに第二次大戦のツケを背負っている土地柄のせいか、時にずっしりと重たい場面に遭遇することもしばしばで、戦後60年とは言え、沖縄同様、本土の防波堤として犠牲になった戦地では、本質的な部分で斜に構える見方があるのは仕方のないことだと思います。道楽者的表現で言えば、「そう簡単に戦争反対とか、平和な世界とか言って旗振るなよ」ってとこでしょうかね。言い方変えると、「原発反対」って叫んでロックコンサートやるようなヤツらに、「そんならアコースティックの楽器使ってアカペラでやれ!」ってなとこです。電気楽器使うな!ってね。お前らが一番電気無駄に使ってんだろって。なんか勘違いしてるんじゃないかなって思うわけです。チャリティー・コンサートでもボランティアでも良いんですけど、そーゆーことに参加することが芸人から文化人への転進だと思い込んでるフシがありますね。なんだかよくわからないけど自分たちは貴い行為をしているのだと、大きな錯覚していると思えてなりません。まあそれでお客さんが楽しんでくれて、その売上が少しでも世の中の役に立てばそれで良いだけのことで、所詮は担がれる神輿なんだから、くだらねーノーガキ垂れずに収まってれば良いのです。神輿が一人歩きしてはいけませんね。どうせ芸でメシ喰うしかできないんですから、ムツカシーことを言ったりしてはいけません。ストーンズなんかを見習うべきです。ジジイになっても小難しいことひとつ言わずに遊んでます。(笑)まあ最近は芸で食ってんのか、単なる若さで喰ってんのかわからん奴らばかりですが。。。。。ジョン・レノン財団でも、寄付金とか支援金の使途については公認会計士が付いてビシッと監査してます。ヨーコ・オノ・レノン夫人もおっしゃっているように、本当の慈善と言うのはその資金の使い道まできちんと管理して本当の慈善事業なんで、売り上げたお金がどこでナニに使われているか、きちんと管理する責任だってあるのです。そこまで見届けなかったら、それは単なる金持ちのどーらくにしかなりません。もちろん、この会計士だって慈善で働いてるわけではありませんから、財団から給料が支払われているわけですね。いわゆるアチコチにあるNPO(非営利団体)だって同じです。そんな構造も知らずに簡単に「慈善」を口にしてはいけませんね。過去、戦争反対の旗振って、戦地で救援ボランティアとか言って危ないトコに出かけて行って、みなさんに迷惑をかけた若者などもおりましたが、日本国内にもたくさんボランティアを必要としているところがあるのですから、わざわざ遠い外国などへ出かけずとも、もっと謙虚に貴い行為に励んで欲しいものです。まあ、道楽親爺としては一言コゴトを言わせてもらえるならば、日本という国で生活できる、あるいは日本人として生を受けたことに対する感謝の気持ちを忘れてはいけないってことですね。とりあえず日本で生活する国民は、たとえ国籍が違っていたとしても、最低限の義務教育は受けられるのだし、日常生活が死の危険に晒されている環境でもなく、夜だって安心して酒飲んでフラフラできる「平和」を享受しているのですから、これを当たり前だと思ってしまってはいけません。ということで、今日は頭がちょっと疲れてるせいか、年寄りの愚痴っぽくなりましたが、今目の前にある「平和」を知らずして「反戦」はありえませんから、みんなでもっとよく自分を見つめ直しましょう。最後に、私は日本語のヒップホップ(ラップ)は嫌いです!(えっ?)
2006年09月27日
コメント(2)
ゴーマンかましてよかですか?どうも調子コクと止まらない性格なもんで、今日もちょっとノーガキこかせて頂きます。(やたら字が多くてゴメンね)遂にあべ内閣の誕生です。政界のサラブレッド、家系的にも生粋の政治家として人気もある新首相による新政権を前にして、気になることをひとつ書いておきます。昨日も書きましたが、情報を持つ者と持たぬ者。IT時代とは言うものの、いくら情報収集機能が充実したって、肝心の情報の中味がクズだったら、逆にそんなものはない方が良くありませんか?昔は新聞が唯一の情報源でしたから、書く方も読む方も「志」がありましたね。今は誰でも手当たり次第、勝手に情報を発進、収集して評論できますから、情報の選択、ふるいにかける能力が絶対不可欠です。たとえば円の中心に重大な情報があるとすると、そこまで辿り着くまでには外円から中円、中円から中心へと入り込んでいかなければなりません。ところが、この外円部にばら撒かれている膨大な情報のほとんどが、好奇心はそそるが中味の薄いネタばかりです。これでは中心部に進む前に横ばいして円を回るようになってしまいますね。概ねこの外円を回っているのがインターネットの実情ではないでしょうか。そのようにして、特にディベートの下手な日本人は、討論のテーマを見極める力に問題があるような気がしてなりません。すぐに横道に逸れたり、チープな人情論とか安易な平和論とかに入りこんで短絡的かつ抽象的な結論を求める習性があるように思えます。ゆうなれば、どこぞの宗教団体みたいで、「そんな考えでは地獄に落ちる」とか「今もこうしている間に貴い命が奪われているのです」とか、安易な情感に訴えるくせに具体的な策をきちんと提示せず、「良心に従った解決」とか「人類の平和を願いましょう」とか、その着地点が非常に曖昧なものばかりです。このような自己満足的で、人に後ろめたさや罪悪感を押し付けるようなやり方には少々問題がありますね。ディベートは論点を明確にして議論することですから、単純な善悪論にしてはいけません。お互いにきちんとした情報を基に筋道を立てた議論を重ね、解決策を模索していく、というのが正しいやり方ではないでしょうか?まあ、そんなことを踏まえて今後の政局あるいは新総理の動向を皆でしっかりと見極めていきましょうというのが当非生産活動推進委員会からの提言です。そこで、安倍さんが関わってきた問題で、更にこれからの争点になるであろう事柄の一部をキーワードとしてあげておきますので、ご興味のある方はどうぞご自身でもきっちりとお調べになってみて下さい。私の持論的見解を申させて頂けば、アメリカというのは恐ろしい国でございます。とは言うものの、所詮どーらく者の戯言ですので、親爺の意見はあくまでも参考としていただくためのものでしかありません。皆様の目で見、耳で聞いたことが皆様にとっての唯一のリアリティですので、どうか勘違いをされませんように、一言お断り申し上げておきます。(笑) 靖国神社と皇室~米国が仕掛けた時限爆弾靖国神社は1869年(明治2年)に、天皇のために明治維新で戦死した兵士を慰霊(顕彰)するための政府機関「東京招魂社」として創建されたものです。ですから当時は神社ではありませんでした。したがって当時は宮司もいませんでした。その後、政府が陸軍省、海軍省を設けるとその共同管理下にはいり、1879年に「靖国神社」と改称され、宮司、神官も着任し、初めて宗教施設となりました。 当時の日本憲法には、政府の宗教への干渉(援助)を禁じる政教分離原則もなかったので、この「神社」の財源は国家予算でした。祭神として慰霊される対象は、明治維新後は西南戦争や外国との戦争の戦死者に拡大され、日中戦争(靖国神社の表現では「支那事変」)の戦死者まで含めて、第二次大戦(同「大東亜戦争」)以外の戦争だけですでに累計30万柱前後に達しました。(靖国神社Web「靖国神社概要」より)。 1945年(昭和20年)に日本が第二次大戦に敗れ、米軍に占領されて主権を喪失した時、米占領軍GHQは靖国神社を宗教法人として国家から独立させると同時に、日本国憲法を日本に押し付けました。英文で作成された日本国憲法は、弟9条で日本が軍隊を持つことを禁止し、20条で「政教分離原則」により国家が宗教に関与することを禁じました。また89条では国家が宗教法人を公費で援助することを禁止しました。その後、宗教法人令が改正され、新憲法が制定され、政教分離原則が規定されると、靖国神社は国家から独立した宗教法人となりました。 このとき陸軍省、海軍省も解体されたので、同神社に祀られるべき戦死者を確認する機関が消滅したため、戦死者の霊を神社に祀る「合祀」の手続きも停滞しました。その上、戦後の同神社は主たる財源であった国家予算を失いましたが、第二次大戦の戦死者(戦没者)など200万柱以上(前掲「靖国神社概要」)が戦後、新たに祭神(英霊)となったため、彼らの遺族(個人や企業)の寄付(靖国神社奉賛会の会費や寄付金)を財源として、同神社は生き延びることができました。日本がサンフランシスコ講和条約を締結、批准して主権を回復した1951年以降、未合祀の戦死者200万以上の合祀を求める世論が、その遺族を中心に全国的に巻き起こり、これに応えて1956年、政府(厚生省引揚援護局)が、1953年に成立していた恩給法と戦傷病者戦没者遺族等援護法で「公務死」と認められた者を「祭神名票」に記載して靖国神社に通知し、神社側はこれをもとに合祀したのです。 ちなみに自決(自殺)は公務死にあたりませんので、明治天皇に殉死した乃木将軍は靖国神社に祀られていません。恩給法は50年代以降たびたび改正され、最終的には「公務死」の犠牲者に第二次大戦の戦勝国が指定したA、B、C級の戦争犯罪人(戦犯)も(日本の国内法では犯罪者ではないという理由で)含まれることになりました。このため、第二次大戦を指導した政府高官、いわゆるA級戦犯(靖国神社の表現では「昭和殉難者」)も合祀対象となり、1966年にA級戦犯14名の名前が祭神名票に記載されて同神社に送付され、1978年、この14柱は合祀されました。(この合祀については、昭和天皇が不快感を示されたという「メモ」が最近公表されましたが、「天皇陛下のため」また、「靖国で会おう」と言って国のために犠牲になられた方々が眠る靖国神社に、未だ天皇陛下は参拝されておりません。)このように靖国神社は戦後、財政的には国家から独立しましたが、祭神の決定に関しては主体性も責任感も持っていません。そしてこれは靖国神社自身が明言しています。「もちろん新たな祭神合祀にあたっての決定権は、昭和21年2月2日の『宗教法人令改正』によって一宗教法人となった靖国神社にあるわけですが、神社創建以来『戦時または事変において戦死・戦傷死・戦病死もしくは公務殉職した軍人・軍属およびこれに準ずる者』という合祀の選考基準に変わりはなく、戦争による公務死に該当するか否かは靖国神社当局が勝手に判定し得るところではありませんので、国の認定に従うのは当然の手続きだといえるでしょう」(靖国神社Web「昭和殉難者の靖国神社合祀」) 以上のように靖国神社は元々宗教施設ではなく、軍の付属機関としての官僚機構であったわけです。靖国神社は多数の日本国民にとって精神的に特別な空間、一種の聖地であることは間違いありません。しかし、その空間を管理する神社当局の性格は、役人の天下り先になっている無責任な「特殊法人」とあまり変わらないのです。 普通の特殊法人なら、なんらかの方法で国の資金を注入してもらえますが、形式上宗教法人である同神社の場合、国の資金援助を得ることは、日本国憲法20条、89条に違反するので、不可能です。このため同神社の財源はおもに戦没者(祭神)遺族の寄付(会費)に依存することになりますが、殉職自衛官が靖国神社に祀られないため、今後寄付をしてくれる遺族が減ることはあっても増えることはありません。ということは、このままの状態が続けば、国からの援助も受けられず、戦没者遺族からの支援も減少し、放っておいても靖国神社は破綻してしまうということになりますね。 そこで思い出していただきたいのが、現職総理大臣が参拝した際に献上した「たまくし料」です。これは寺院等でいうところのお布施とか、読経料にあたるものですが、これを公費として認めるか、というところが国家による財源負担の可能性を模索したひとつの試みであったわけですね。ところがこれは認められませんでした。そしてもうひとつのキーが皇室の存続です。戦後、日本は11宮家の廃絶と庶系庶子の相続禁止(側室制度の廃止)をGHQに押し付けられ、皇室典範が皇位継承権があると認める男系男子の誕生確率を著しく引き下げられたのです。「男系」とは「男性皇族の父親から生まれた」という意味です。皇太子殿下の長女、愛子内親王は男系女子で、彼女が天皇になった場合は「男系の女性天皇(女帝)」となります。彼女が男子を出産しその男子が天皇になった場合は「女系の男性天皇」、女子を出産しその女子が天皇になった場合は「女系の女性天皇」となります。 二千数百年とされる皇室の歴史を見ると、確かに女帝は何人か存在しますが、いずれも男系の女性天皇であり、しかも、本来の皇位継承者である男系男子が即位するまでの「暫定天皇」にすぎません。その典型は持統天皇(在位690~697年)で、彼女は自分と夫の天武天皇の息子、草壁皇子が早世したため、草壁皇子の息子(天武天皇の孫)を確実に即位させるため、皇位を他人に渡さないために、その孫(文武天皇)が成人するまでの間皇位を預かったのです。(「系統を保持する天皇」と書いて「持統天皇」)。 つまり、遠い祖先の血をひく男系男子、現代風に言えば、初代神武天皇のY染色体を受け継ぐ皇族のみが正統な皇位継承者であり、そうでない者、男系女子皇族には緊急事態における暫定継承しか認められていないのです。そして、女系男子、女系女子の皇族は、1人も即位した例がありません。 もうおわかりですね。皇室もこのまま放っておいたら自然消滅することになります。日本国の根幹をなす皇室と靖国神社を自然消滅させ、大統領制をもって新生ニッポンを統括するのは誰だ?ということです。自衛隊の問題も含めて、争点をはぐらかされてはいけません。日本のアイデンティティに関する重大な問題を、安易な戦争反対論や国家神道軍閥論などとごちゃ混ぜにして議論してはいけないのです。ましてや韓国、中国などがここに口を挟むことなど論外であり、内政干渉と言わざるを得ません。天皇がどーなろうと靖国神社がどーなろうと、オレ達の知ったこっちゃない、と思われている方々もいるでしょうが、少なくとも皆様が育った国のアイデンティティがなくなるということがどーゆー結果を招くか、これだけは真剣に考えて欲しいと思います。私もすでに国などという概念は捨てたつもりでおりますが、単なる国籍とかではなく、日本人であるということだけは死ぬまで消すことの出来ないアイデンティティですので、この点だけはちょっとムキになって吼えたいと思います。今日はちょっとマジで過激になりましたが、戦後GHQが仕掛けた時限爆弾がそろそろ炸裂しそうな様相を呈していますので、少なくともきちんとした「情報」を得た上で、私達の国の行く末を皆様一人一人にお考え頂きたいと思います。なお、資料として、「ゲノムの箱舟」「龍の仮面(ペルソナ)」等の著者佐々木敏氏の見解、ハマコー氏(浜田幸一)の、「日本国を大統領制にする」米国の陰謀論などを参考にさせて頂きました。
2006年09月26日
コメント(5)
ノーガキこいてもよかですか?以前にも言いましたが、ニッポンは「中流意識」という、なんの根拠もないシンボルによって体の良い「擬似社会主義国」になっているわけですが、これはこれでまんざら悪くもありません。ニッポンのどこの県に行っても、ノートや鉛筆を買うお金もなく学校に行けないとか、学校には行けるけどお弁当を買うお金もないとかいう子供はまず居ません。逆に最近は生徒の数より学校が多すぎて廃校が進んでいたりしますね。比べて、あの大国アメリカでは、州によっては学校にも満足に行けない子供たちがゴロゴロいます。逆にパワーエリートと呼ばれる人たちの住む州、あるいは地区では、資本民主主義にのっとった高水準の教育がその子弟に施されています。まあアメリカらしいといえばそれまでなんですが、一目でわかる格差が存在します。これは、町=共同体は自分達の手で作るというフロンティア精神が根付いているせいもあるのでしょうが、逆説的にいうと、これらのパワーエリートが集団で移動したりした場合は、その町、州が破綻するという構造にもなっているわけです。身近な例で言うとロスなんてのが良い例ですね。十数年前になりますが、例の暴動事件以後、エリートグループが軒並み移動したために経済破綻を起こしてしまいました。要は、パワーエリート達が負担する税金で自治が賄われていたのですから、彼らが町を出てしまえば、教師の給料は払えない、警察官の給料も払えない、従って役所の維持も満足にできない、ということになれば当然治安は乱れ、教育水準は落ち、経済は破綻していく、ということになります。当然そういったところで生まれた子供たちは、きちんとした定職も得られず退廃していくか、町を出て行きます。更にその子供達の子供も同様の道を辿って益々ドロップアウトしていきます。町を出て行けるような人はまだマシな方で、何の生活基盤もない者にとってはそこで食い繋ぐ以外に生きる道はないわけです。古い話で恐縮ですが、ロスの暴動は市警の警官たちが、ある黒人容疑者を集団で暴行したことがきっかけとなりましたが、これは決して黒人に対する人種差別に対する怒りが爆発したというような単純な構図ではありません。現に高級住宅地に居住していた富裕層の黒人家庭も、そのかなりの世帯が被害にあっています。日本でもTV放映されたので皆さんのご記憶にもあると思いますが、暴動で襲われた商店のほとんどが韓国系、中国系でした。暴動の本質は、俺たちにも仕事をよこせ=最低の生活を保障しろ、といったことだったわけです。ちなみにスパイク・リー監督が独自のジョークと感性でこの事件を模倣した「DO THE RIGHT THING」という映画がありますのでご興味のある方は是非ご覧になってみて下さい。よく日本は学歴社会とか言われますが、アメリカの学歴差別はもっともっと厳しい存在で、無学歴者がきちんとした職に付くことの困難さは日本の比ではありません。その無学歴という規準も考えられないくらいに差が大きいですね。文盲なんて当たり前だし、下手したら満足に英語(国語)すら話せない生粋(?)のアメリカ人がゴロゴロいます。それに比べて、少なくとも日本の義務教育は世界的にみてもかなりの水準を維持していると思います。ここらへんも「中流意識」を生み出した管理社会の長所でもあり短所でもあるのですが、私の言いたかった情報を持つ者と持たぬ者というのはこういうことなんです。自分達の暮らしている町がどういう構造で動いているのかもわからぬまま、貧困は進んでいきます。わからないから進むといった方が正しいかもしれませんね。ニッポンでは県が倒産したとか(笑)、県の財政が破綻して小学校にも行けない子供たちがドラッグを売り始めたとか、そんなことにはなっていませんから、かろうじて国としての富の分配はそれなりに機能しているのでしょう。これは税金を中央集権に一旦集めておいて地方に分配すると言う、かなり公平分配システムによる管理社会のおかげです。とはいうものの安心していてはいけませんね。なまじ「中流意識」みたいな生ぬるい環境にいるので、自分たちが良識ある人物である、あるいはグローバル的常識人であると錯覚を起こしている人が多すぎるような気がします。特に現状のメディアの垂れ流す「情報」に右往左往する姿は、ニッポンの将来を物語っているように思えてなりません。次から次へと繰り出されるNEWSに、世界情勢さえ把握しているような錯覚を起こしている我々ですが、実はその根本的な部分の情報はもうすでに我々のサーッキットの上を回ってはいません。インターネットなる素晴らしい情報収集システムの恩恵を甘受している我々ですが、そのシステムですら「戦争」による兵器開発の副産物であることを認識しているのでしょうか?ちょっと大袈裟かもしれませんが、近代文明に登場してきたアイテムのほとんどが軍需産業によって生み出されている事実を知れば、抽象的な反戦や平和活動など、みな他人事であると言えます。別に偉そうなことを言いたいわけでもないし、平和運動に対して否定的なことを言いたいわけでもありません。ただ、我々が本当に平和な世界の実現を望むのであれば、こういった事実もひとつずつ検証していくことが必要であり、それは取りも直さず「中流意識」に甘んじることなく、適切な情報を適切な判断で吟味するという地道な行為なくしては生まれてこないのではないでしょうか。それは、戦地に行って救援活動をするとか、街頭に立って募金活動をするとかいった行動にのみ存在する行為ではなく、実はもっともっと我々の身近なところに、生活に根付いたところに存在する価値のある行為があると思うんですね。道楽者的表現をさせてもらえば「オレ達を除け者にしておいて、お前等だけで一体何企んでんだぁ~!」ってことです。(笑)そんなことを騒ぎ出す道楽者が、一人二人と出てきて一般市民を先導したりすると、アダルトサイトがぱぁーっと出てきて目線を掻っ攫っていったり、どこかで庶民が一攫千金仕留めたニュースが流れてきたり、さもありなんという皆が喜びそうなゴシップ裏ネタなんぞがまことしやかに語られたり、右往左往、とにかくもう今は情報の渦に巻き込まれた状態です。そんなクズのような情報に皆が関わっている間に、本当のスグレモノたちはしっかりと着実に「世間」という魔物をコントロールしているのです。ということで、今日の結論、道楽親爺からのメッセージは、またまた言わせてもらいます。「OPEN OUR EYES!」しっかりと目を開いて生きましょう。
2006年09月25日
コメント(10)
先日中華的電影DVDショップでレンタル騒動のあった映画「トラ・トラ・トラ!」ですが、なぜ再びこの映画を急に見たくなったかというと、実はある本を読んだからなんです。その本がこれです。黒澤明 vs ハリウッド「トラ・トラ・トラ!」その謎のすべて田草川 弘 著http://item.rakuten.co.jp/book/4025617/著者は、1966年秋、この映画の製作が始まった時から、日米のシナリオ翻訳に携わったフリー・ジャーナリストで、もちろん大の黒沢監督ファンです。皆様のご記憶にあるかどうかはわかりませんが、多少なりとも映画ファン、黒澤ファンを自称する私にとっても、この映画は大変に印象深い作品でもあります。真珠湾攻撃を日米の双方から描くという試みに加え、日本の巨匠黒澤監督が描く戦争映画は映画ファンのみならず、各方面から注目を浴びた超話題作でありました。ところが製作発表も無事終わり、いざクランクインしたものの、突然の監督降板は、事件ともとれるセンセーションを巻き起こしました。当時、中学生だった委員長も、理由はともかく期待した映画が頓挫したことにひどく落胆した覚えがあります。当時は日本を代表する巨匠黒澤監督、三船敏郎など、映画関係者のゴシップなどが飛び交い、真相はまさしく藪の中という感じで、映画は後任の監督によってクランクアップしましたが、興行的には世界的な成功には及びませんでした。さて、この本では、この映画の一番肝心な部分であるシナリオ翻訳にかかわった著者が、未だに明らかにされていないこの降板劇の謎に、じっくりと、かつ確実に資料と見聞を重ね、丹念に確信に迫っていきます。486ページという大作ながら、莫大な資料からその全貌を顕わにしていく過程はちょっとしたサスペンスあるいは事件モノのドキュメンタリーのようで、一気に読める素晴らしい出来栄えでした。著者があとがきで述べているように、テーマは非常にシンプルな2点です。ひとつは幻の大作「虎・虎・虎」で描きたかったのは何か?ふたつめは、その試みは何故「解任」という無残な挫折に終わったのか?ということを著者自身が答えを求めて彷徨った、まさに真摯な記録です。もちろん著者も言っておられるように、著者自身はこの回答を書いてはいません。あくまでも読者それぞれにその回答を委ねています。映画ファン、あるいは黒澤明ファンならば絶対必読の一冊です。私自身の感想から言わせてもらえるならば、タイトルが示すように、これは黒澤明とハリウッドとの戦いとも云えます。そして、この対立の構図は図らずとも映画のテーマ「真珠湾攻撃」とは何であったのか?という対立のシルエットでもあり、黒沢監督自身が導きだした言葉にも表れています。「この作品は勝利の記録でもなければ、敗北の記録でもない。一口で言えば、日米両国の誤解の記録であり、優秀な能力とエネルギーの浪費の記録です。つまり典型的な悲劇の要素を根底にした作品と言える・・・」(本文より抜粋記載)製作発表で黒澤監督が語った言葉です。そして最後まで監督がこだわり続けた「これ(この映画)はトラジティ(悲劇)だ」という言葉が、この映画制作自体と重なり合ってひどく心に引っかかります。映画産業の構造、システムの違い、言葉の障害、あらゆるものがこの映画制作にネガティブな要因としてのしかかってくる姿は、まさに第二次大戦に突入せざるを得なかった日本帝国、牽いては真珠湾攻撃の総責任者山本五十六と黒澤監督がダブってきて、その異様さも十分に伝わってきます。私自身もこの時期、この年齢で、このような著作と出会ったことに何かの因縁を感じてしまいました。まあ、私は単なる平民、一般市民、フツーの道楽オヤジですが(笑)、気分だけでも日米の溝に翻弄される「男」の気持ちを味わうことができたのはちょっとした感激でした。
2006年09月24日
コメント(6)
このところ生産活動に忙しい道楽親爺です(笑)今日は戦友会千葉支部・女子挺身隊のYUKI姐からのメッセージをお届けします。委員長は草刈りが忙しいので今回は参上できませんが、近隣の戦友会有志は是非とも千葉ZOOMへ行って盛り上げてやって下さい。 •★ 9/24(日)ALL STEP Night ★今度の日曜日 恒例のステップナイト 70年代を中心に 大先輩方の踊っていた60年代のシブイところから 80年以降 進化して出来上がったところまで またまた思う存分楽しんで下さい!曲もステップも その数は莫大なもので DJは選曲に頭を悩ませてしまいます。聴きたい曲や踊りたい曲は是非リクエストしてみて下さい。♪ゲスト♪矢作プロインストラクターfromダンステリア ワンポイントレッスンしてくれますから お楽しみに!それと 今回はショウケースもありますよ!•★ 10/20(金)Disco Re-Creation ★ ♂¥2500/2D ♀¥2000/2DDJYujiが戻ってキマシタ~!来月は楽しいコトがいっぱいです•★ 10/28(土) Halloween Party★ ¥2000/2D今年もバッチリ仮装して あの賞品をGETしましょう!!HP→http://www.carcon-nomura.com/zoom/ (BBSも覗いてネ)もよろしく! う~ん、おいらもハロウィンパーチーには参加したいなぁ~。もちろん衣装はラメラメのジャンプスーツに白髪のデカアフロ(ドッカーン!)
2006年09月22日
コメント(7)
昨夜からタイの首都バンコクではクーデター勃発、軍によって戒厳令が宣言されました。欧州のハンガリーでは首相退陣を叫ぶグループが暴徒化して混乱が続いています。そんな過激なニュースで今日は始まりました。はてさてニッポンはというと、そうです、いよいよ自民党新総裁、安部内閣の誕生です。しかし、安部さん、なんと委員長と同い年なんですねぇ~。51歳にしてニッポンを切り盛りする人物、片や51歳にして芝草を切り盛りする人物(笑)、この親爺二人にどれほどの違いがあるのでしょうか。「へん!オレは今だってその気になれば道の上で踊れるんだぞぉ~」などと、つまらねー自慢をしてる場合ではありません。(自慢なの?)とにかく世界的な規模で、管理する側と管理される側の対立が深くなっています。もちろんこの溝を深くしているのは、持つ者と持たざる者の格差ですね。簡単に言っちゃえば、金のあるヤツとないヤツの対立なわけで、おめーらばっかり美味いことやりやがって、チキショー!みたいなもんです。(笑)ちなみにこの、金のあるヤツとないヤツは、情報を持つヤツと持たないヤツに言い換えられます。つまり、有益な情報を持つヤツ=金を持つ、クズの情報を持つヤツ=ビンボーなヤツという図式になります。時たま、有益な情報を持っていても金を作れないヤツもいます。(笑)まあ、もうひとつ突っ込んで言うと、金を持っているヤツのところにしか有益な情報は回らない、という言い方もできます。そして問題は、このあるヤツとないヤツの格差ですね。昔はこの格差も色々なバリアが張られていて、搾取される側に知恵をつけさせないような上手いシステムで回っていたのですが、格差が広がれば搾取される側は理屈の前に飢えが襲ってきますから、必然的に牙を剥かざるを得ないといったことにもなります。いわゆる「一揆」ですね。それでもニッポンの場合は適度に飼いならされていたというか、国民の殆どが「中産階級」みたいなシンボルによって自分たちはシヤワセなんだと思い込まされていたわけで、まあ、いうなれば政府が零細企業の社長さんたちを集めて、皆さんはもう立派な中小企業の経営者なんですから頑張って下さい、みたいにおだてられて走らされてきたみたいなもんです。狭い2DKとかのアパートで所帯持って「中産階級」を謳歌していた頃は、それでもまだまだシヤワセだったんですよね。満足すること、感謝すること、それが人の生きる道、仏の教え、神の知恵、みたいな念仏唱えさせられて、こじんまりとした国民生活を与えられていたわけです。えー、誤解のないように言っておきますが、私ゃ、仏の教えや神の知恵を否定してるのでもなければ、満足する、感謝する、そのような貴い生活信条をけなしているのではありません。それはそれで人間として個人的なことですから、皆様の信じたとおりの人生を全うして頂ければよろしいかと思います。ただ、私はちょっとへそ曲がりなものですから、どうも一般大衆とか世間とか呼ばれるモノが広げる風呂敷に包まれたくないというか、「それはそれはごもっともでございます」とか「はいそうですか」と言って無防備に受け入れることができない性格なんです。数日前に「貨幣の暴走」について話しましたが、平和な国ニッポンもこのまま放っておいたら、「格差」は更にどんどん広がって、気がついた頃には手も足も出ない状況になる、というのが道楽親爺、いや、非生産活動推進委員会委員長の推測です。会社には人をシヤワセにしながら成長するものと、人を不幸にしながら膨張していく2種類があると思うんですね。利潤追求と経費削減による圧倒的な企業行動を原動力とする会社。日本の家電メーカーなどが良い例ですね。中国やアジアへ生産拠点をシフトして、日本特有の協力体制で共存してきた企業(下請け)を犠牲(不幸)にして、一時の業績向上を追い求めるも、結果自らも不幸の道を走ることになってしまった。こういった企業行動モチベーションはアメリカ社会をみれば一目瞭然で、誰が求めるグローバルスタンダードかってことです。これこそまさにバブル(泡)のような会社ではないでしょうか。さらに金融会社などは人の不幸がスタートラインです。(早い話が金貸しやんけ)元々、会社・企業の本質は地元で雇用を促進し、利益を地域に還元し、更なる経済発展を目指す、ってなことだったと思うんですよね。これって古くさい理論でもないし、かといって目新しい理屈でもありません。先人達の商道徳はしっかりしていますよね。今だって本質は変わっちゃいません。いつのまにか老舗の哲学をカタカナにし始めた頃から少しずつズレが生じてきたんでしょうね。マーケティングだのプレゼンテーションだのビジネスナレッジだのセグメントだの花だ提灯だと言ってるうちに、商道徳の心までカタカナにしてしまったのでしょう。こんな時代だからこそ、企業で働く人たちがシヤワセになること、お客さんが喜ぶこと、地域の人たちに感謝されること、そんな当たり前なことをもう一度見直す時代に入ってきたのかもしれませんね。(一部、阪本啓一氏の言葉を引用させて頂きました)
2006年09月20日
コメント(4)
道楽親爺の「雨乞いの儀式」(笑)が功を奏したかどうかはわかりませんが、干からびたサイパンの大地にスコールが降り注ぎました。10日ぶりくらいで発生した低気圧のおかげで、大雨が降ること約1時間、とにかくもの凄い雨量でした。たぶんこの低気圧は4~5日後に日本近辺で台風になることでしょう。しかし、灼熱のアスファルトに叩きつけられたような雨は、まるでスチームアイロンのように道路が湯気に包まれて、この光景はちょっと不思議な世界でもありました。文字通りバケツをひっくり返したような雨で、車のワイパーはまったく役立たず、前方を注意深く目を凝らしてハンドルを握り徐行運転。道路からはまるでサウナなみのスチームの湯煙。温泉だよこれじゃ。これで一気に涼しくなりました。島の緑も水を大量に吸い込んで、心持ち生き生きとして見えるから不思議です。大雨の後、自然からのプレゼントは御馴染みのレインボー、虹の登場です。綺麗ですね。特に雨雲のグレーを背景にした虹はことのほか色が鮮やかです。海に掛かった七色の帯は山の向こう側まで半円を描きます。実際には七色というよりは4色くらいの帯なんですが、まあその色の美しさは言葉では表現できませんね。島の生活に潤いを与える三大「癒し」は、SUNRISE、RAINBOW,SUNSETです。なにはともあれ、これら自然の光景を目にしたときはワケもなく嬉しくなります。日の出、日の入りは、人間が息吸い込んで吐くのと同じことで、毎日お決まりのスケジュールどおりやってきます。曇りの日もあれば雨の日もあるし、オレンジ色の光の玉となって水平線に沈む日もあります。どんな日でも朝は明るく夜は暗い、そんな当たり前の毎日が過ぎているのですが、美しい太陽の姿に遭遇したときは感無量、とにかくHAPPYになります。みいんなこの太陽の下で生きてるんだよなぁ~。実感が湧きます。爺さんも婆さんも大人も子供も女も男も犬や猫もミミズもミジンコもミトコンドリアも、みんなみんな同じ太陽を見ているんですよね。SAME UNDER THE SUNONE NATION UNDER A GROOVEPEACE!
2006年09月19日
コメント(4)
別にムツカシイこと書くつもりはありませんので念のため。(笑)昨日の本(宇宙授業)を息子と一緒に見ながら色々なこと話しているうちに、ふと思いついたことがあったので書きますね。息子が、相対性理論のところで、「アインシュタインが子供の頃ひらめいたことを、何十年もかけて証明したのが相対性理論でしょ?」と言ったので、「うん、そうらしいね。どんな人にもひらめきはあるんだけど、それを皆にきちんと説明できなければたんなる空想や想像になっちゃうんだよね」と親爺はエラソーに答えました。なんだよ、結構うまいこと言うじゃんオレ(笑)、みたいな感じで、自分で言ったコトながら妙に納得してしまいました。そうなんですよね、科学っていうのは、今、目の前にある、いわゆる「不思議」なこと、起こっている現象を物理的(?)に説明して理解するってことなんですよね。それを「証明」とか言いますけど、要は起こっていること、現象を理解するための手段なわけです。だからといってそれが全てというわけでもありませんね。たとえば電気なんかをみても、プラスとマイナスがあって、電流が流れていることは理解していても、じゃあ電気って何?って言われれば、電気そのものを説明することはできませんよね。難しい化学記号なんか使って説明はできますが、じゃあ電気そのものはなんなの?って言われたらたぶん答えられないんじゃないでしょうか。まあ言ってみれば応用術みたいなもので、それをどう使うかっていうのが科学の基本のような気がします。私が昨日書いた「遠心力」だって、じゃあその遠心力そのものは何って聞かれても答えられるはずありませんよね。そこにそういう力があるってことだけです。そういったことが、どうも人間の本質的な部分で深く関わっているような気がしてなりません。それが科学の対極に位置する宗教みたいなものではないでしょうか。科学では解明できない不思議な力とか不思議なモノがあるのです、みたいな言い方しますけど、今言ったように元々科学だって根っこの部分は解明なんて出来てないんですよね。科学っていうと理屈っぽい話みたいな感じは否めませんが、概ね宗教にはこの証明とか解説する姿勢すらないように思えるんですね。それは、人の心の根底にある、不思議とか謎への期待感みたいなもので、そうであって欲しいとか、わからないものに対する根拠のない依存みたいなものでしょうか。だから最終的には「信じるか信じないか」みたいな抑圧的な結論になってしまいます。特にUFOとか心霊とか、その手の類の話になると必ず同じ結果が導き出されますね。「科学では説明のできない力がそこに存在するんだ!」とか口泡飛ばして興奮する人が多い(笑)ですが、アインシュタインだって何十年もかけて説明してきたんですから、そんなに簡単に言い切らないで下さいって言いたいですね。その存在する力を誰も否定はしていません。誰だって科学万能だなんて思ってやしませんし、「神」の存在を否定するつもりもありません。ただ、もうちょっと前向きに行きましょうってことです。オーム真理教の教祖が死刑判決を受けましたが、「早くヤツを吊るせ」みたいな世間もどうかと思います。私にしてみれば、科学や宗教よりも怖いのがこういった世間です。(笑)オカルトとか呼ばれる類の話も、世間が関わるから問題になるんですね。誰も相手にせず放っておいたら信者の半分以上は、途中で辞めちゃいますよきっと。霊を見たとか感じたとか、超能力を得たとか言うのはごく個人的なことですから、どう関わろうと勝手ですけど、それで人を抑圧したり押し付けてはいけません。この辺も、さっき言った、人の根本的習性になぞられる特権的な構造があるように思えます。お前らには見えないけどオレには見える、だからオレは凄いみたいな。さらにそれを後押しする世間も考えものです。ウチの奥さんだってスプーン曲げくらいできますよ。だからなんだってことですね。別にそのことで我家の生活が異次元に迷い込んだってこともありません。(笑)霊が見えるとか言う人、そんなもの見えたらオカシイんじゃないでしょうか、フツーは。(笑)自分が見て関わっているぶんには構いませんが、人を巻き込んではいけません。昔は私のまわりのも「神」と会ってきたなんていうヤツらがたくさんいました。歌舞伎町界隈には特に、自分が神になっちゃったヤツもいたし。(笑)私も島全体が墓場のようなところに住んでますから、ワケのわからない現象に遭遇したことや、全身鳥肌が立つような経験も幾度となくしてきました。もちろん心霊関係の本や宗教の本もたくさん読んだし、霊媒者とか言う人たちにも随分とお会いしてきました。結論的に言っちゃうと、「自分の直感を信じなさい」の一言に尽きます。背後霊だの守護神だの、私には結局わかりませんでしたが、自分自身が感じることが本人にとって間違いのないことだと思います。だから直感を引き出すために常に感性を磨いておきましょう。えっ!?感性を磨くにはどうすればいいかって?そんなこたぁ、自分で考えなさい。自分のことなんだから。そんなマニュアルがあったらとっくにみんなやってますよ。あんだけ宗教や心霊科学の本がマニュアル的に「真実」を語っているんだから、少なくともニッポンの人口の半分くらいの人たちが覚醒あるいは解脱して、平和が具象化されていなければおかしいんですよね、ほんとは。
2006年09月18日
コメント(4)
あぢ~っ!今日もまた熱い暑い南洋諸島の一日が始まりました。しかし、このところサイパンは雨がまったく降ってません。地熱というのでしょうか、とにかく上から下からジリジリを焙られている感じですね。ロースト爺だよこれじゃ(笑)さて、道楽オヤジの遠吠えが日本まで届いたかどうかは知る由もありませんが、このままじゃいかん、ということで今朝はちょいと早起きして、涼しいうちに早朝読書を敢行しました。いうなれば脳の消毒ですね(笑)宇宙授業(SPACE LESSON)中川人司 著(大阪府立住吉高校教諭・元宇宙航空研究開発機構JAXA職員)http://item.rakuten.co.jp/book/4082292/キャッチコピーに惹かれて買ってしまった一冊です。「宇宙のことを考えると、自分がちっぽけな存在に思えるけれど、ちょっぴり謙虚になることで、今までよりぐんと大きくなれる。」脳科学者茂木健一郎・解説これは昨日までの重たい脳を軽くするにはピッタリだと、せっかくだから早起きして清々しい気分で読みました。内容は、これがまたBREAKFAST 読書にぴったり。子供が親にぶつけた疑問・質問に真正面から答える、みたいなひじょうに解りやすくシンプルな本です。質問は44項目あって、各問いに2ページ前後で明快な回答が用意されています。だからといって、子供だましのような稚拙なものではなくて、しっかりとした現在の宇宙科学の立場から、一般人にもわかるように説明をしてくれています。本を開くと、著者の前書きに続いてまず第一問「宇宙人はいますか?」です。う~ん、こりゃチト本選びを間違ったかな、とも思いつつその回答を読み進めると、大変解りやすい解説にかぽんと引き込まれてしまいました。なんだか小学生の頃に戻ったようで、理科の授業を受けているような感覚です。あまりにもシンプルかつストレートな本なので、内容は書かずにおきます。脳が疲れている人(笑)、現実からしばし逃避したい人(笑)、なんとなく宇宙というものに興味がある人、絶対にお勧めです。薄い割には高額な本ですが、たぶん後悔はされないと思います。(^^)まさしく本のタイトル通り宇宙授業、宇宙学入門編といったところでしょうか。特に高学年のお子様をお持ちの方は是非とも常備していただきたい一冊です。我が家も子供たちの文庫に納めることにしました。(ウチの場合、日本文を読むのがちょっときついけどね)まあ、これじゃここで紹介した意味もないので、私が特に印象に残ったページをちょっとご紹介しておきましょう。問い13「地球の遠心力」みなさんはもちろん遠心力はご存知ですよね。勢いよく回れば回るほど外側に引っ張られる力が大きくなるという力です。(以下本文より抜粋)遠心力は回転の角速度(1秒間に回転する角度)と、回転の半径で決まります。回転の角速度が大きいほど遠心力は大きくなります。角速度が同じであれば、半径が大きいほど遠心力は大きくなります。地球は1日24時間で1回転(自転)していますが、赤道上にいる人が一番大きな半径でまわっていることになり、一番大きな遠心力を受けます。日本くらいの中緯度では中くらいの遠心力を受けます。北極点や南極点にいる人は遠心力を受けません。(以上本文より抜粋)このページを読んで、先日この日記に書いたサイパンの地元民の頭痛を思い出しました。人間の血液の循環も、海の潮の干満同様に地球の自転、牽いては太陽系惑星の周期とも微妙に関係しているのでしょうね。そういえば、赤道上では渦が巻きませんものね。赤道上で水を排水溝に流すと、渦を巻かずに直下するんですよね。もちろん上半球とした半球では渦が逆周りになります。朝の清々しい気分の中でこんなことを考えていると、脳みそが涼しくなります。「空が青いわけ」なんてのも、きちんと説明してくれてますよ。私を含め、どうも人は超常現象とか不思議とかにロマンを託す傾向があるようですが、今わかっているこれらの科学的理論もまんざら理屈とは云えぬロマンが詰まっています。なんとか立ち直り始めた道楽親爺の日曜日がスタートです。
2006年09月17日
コメント(2)
あぢ~っ!とにかくムチャムチャ熱い暑いサイパンからお届けする親爺の遠吠え第二弾どぇ~す。例年この時期は、マリアナ諸島近隣で低気圧がやたらと発生して雨ばかりが続き、これが北上していって日本を通過する頃にはしっかりと台風となって海は大荒れってなことになるのですが、今年は雨が少なく、その分ジリジリと肌を焦がす灼熱の日々が続いています。さらに悪いことに、値上がりが続く石油のせいで電気代がスカイロケット状態、どの家庭もエアコンの使用が制限され、毎日サウナで汗を流すような毎日です。我家も大奥より、エアコンの使用規則が発令され、全員が寝苦しい夜を喘いでいるのです。(汗;そんな悪条件、不快環境の影響でしょうか、鬱とまではいきませんが微妙に屁理屈が多くなる道楽親爺です。(ってかはっきり言ってあんたは鬱になるほど繊細ではない!)はい、そのとおり、鬱になるほど殊勝な精神は持ち合わせていません。(爆)まあ、色々と周囲の生理的環境のせいもあるのでしょうが、実は最近、道楽親爺は恐ろしい本を読んでしまい、たぶんこの内容が精神的な部分で大きく影響しているのかもしれません。それがこの2冊です。パンツを脱いだサル・栗本慎一郎著http://item.rakuten.co.jp/book/1786299/シリウスの都飛鳥・栗本慎一郎著http://item.rakuten.co.jp/book/3656044/これは連作になっていて、日本人のルーツを解き明かすヒント、如いてはヒトについてのおおまかな結論を見出したといえる著作です。元々私は栗本ファンというかある意味信者(笑)でしたので、20年前に氏が問題提起した「パンツをはいたサル」から「パンツを捨てるサル」に続く一連のパンサル理論に多大な影響を受けてきたわけですが、遂にこれがようやくひとつのステージの終焉を迎えたのでした。私がヒトという生命体で意識を持って生きている、その思考の基礎になっている屁理屈を大きく分類すると3つの考え方に分けられます。まずひとつが相似象論で、これは、人間が作り出すもの全ては人間自身の持つシステムを模倣したものである、というものです。身近な例で言うと、各国のイミグレショーン(入国管理)システムは、人体において赤血球が外部からの雑菌侵入を管理している免疫システムと相似しているし、また、視覚、聴覚の延長線上に望遠鏡や音波探知機などがあり、インターネットについて言えば人間の神経系統の進化と相似しているということです。まあ簡単に言うと、ヒトの作り出すものはすべて自分の体の構造を模倣しているということですか。二つ目は、この相似現象に関連して、人体形成を行っているシステムは遺伝子によってコントロールされているという「意思を持つ遺伝子」理論です。これはリチャード・ドーキンス博士の著書「利己的な遺伝子」が元になっていますが、人間の体を作る設計図は遺伝子が描くといったもので、その遺伝子の目的は遺伝子の存続ということになります。遺伝子が自らの存続をかけて人体を構成していくという理屈は、いわゆる「本能」と呼ばれる、時に理解不能な人間の行動に対するひとつの解釈であることは間違いないと思います。さて、三つ目は、この二つの屁理屈を統合したものが、遺伝子によって設計されたヒトが作り出した世界、いわゆる今私たちが生活しているこの現実もまた相似関係にあるという当然の帰結です。そして、「パンツを脱いだサル」で著者はスリリングな推理(というか私は事実だと思っています)で、今までの謎をすべてクリアしてくれたのです。しかし、著者は、ではどうすれば良いのか、という一番大事なことを語ってはくれていないのです。そりゃあんまりだ、今まで信じてきたのに、こっから先は自分でなんとかしろと突き放されてしまったのです。え~、屁理屈の好きな人は別として、やたら字が多くて読むのがメンドーくさいという方は、所詮道楽親爺の愚にも付かないノーガキですから、この辺で別のサイトに飛んで下さい。(笑)この後小難しいこと書きますので、たぶん疲れます。(汗;なお、ご興味のある方はこれらの著作をご自身でお読みになって下さい。所詮私の書くことはウケウリですから、本を読んでもらった方が数百倍は役に立つと思います。まあ、屁理屈好きな方は、暇つぶし程度に読んで頂ければ幸いです。(笑)ということで私の尊敬する栗本先生が与えてくれた最後通牒は、「貨幣がヒトの手を離れて勝手に増殖を開始した」ということです。なんのこっちゃねん?と思われるかもしれませんが、太陽黒点による熱病に逝ってしまった道楽者の戯言として、どう解釈するかは皆様にお任せいたします。そういえば、ターミネーターという映画で、ヒトが創り出した機械がいつの間にか意識を持ち始めてヒトを支配しようとする、という未来のお話がありましたが、この機械を貨幣に置き換えて考えてみると少しは理解し易いかもしれません。宗教、民族、国家という三つの巨大な制度を成長させたヒトが、近世から近代にかけて市場社会という(本来なら虚構に過ぎないはずの)土俵を作り上げて、この三つの巨大な制度をフルに機能させ、遂にはそれを組み込み、そのメカニズムの基軸から生まれて、結局はそれ以外のあらゆるものを凌駕する権力となった貨幣を生んだということであり、その結果、自分自身の存在そのものを自己目的化した貨幣が自己回転運動を開始したということです。(ちょっとややこしいですね~)最後に本文から一部を抜粋してご紹介しておきますね。買えるが買わずに「飼う」道へ-グローバル・スタンダードの真の意味前文省略~つまり、この約500兆円が日本経済の実力ということになろう。ニ、三の大きな国際資金資本が集まれば、容易に買える金額だ。でも買いに来ないのは、そのままではそこから「上がり」が見込めないからだ。~中文省略~ここまで見てきたことから容易に理解できるように、このグローバル・スタンダード化というのは、民族主義的に見れば、日本の資産をグローバル資本に売れるように標準化してしまうという、「売国」運動である。~中文省略~繰り返すが「グローバル・スタンダードにのっとれ」という主張は、裏を返せば「グローバル資本に乗っ取られろ」というのが本意である。
2006年09月16日
コメント(2)
昨晩も「たんたかたん」で一杯やりつつ、ボチボチと戦友便りを作成致しました。昨日の「焼き入れ」はリック・ジェームスでした。80年代に入ってから急激に盛り上がった人ですが、その後MCハマーが「スーパーフリーク」をサンプリングしたりしてディスコフリークには人気の高かったアーティストです。80年代、イマイチ低迷していたモータウンの救世主リック・ジェームス。そういえばこの頃、ジャーメイン・ジャクソンのレッツゲットシリアスとかでモータウンも巻き返し攻勢をかけましたが、ディスコではなんと言ってもソーラーレーベルが席巻してましたっけ。あの2枚組ライブに収録されていたウィスパーズのビートゴーズオンは酷かったけどネ(笑)さてリック・ジェームスさん、私、個人的にはさほど思い入れのあるアーティストではありませんが、モータウンの古い型を破ったという面では評価は高いのではないでしょうか。ライブを見る限りでは、結構面白いヤツです。ヘビメタとファンクの融合みたいな、当時としてはちょっと新しかったビジュアル系ですか?(笑)ちなみに、エディ・マーフィーの「星の王子様ニューヨークに行く」っつう映画の中で、エディお得意の七変化でリック・ジェームスをパロったシーンがあって、これがブラザー世界でのリックジェームスの位置づけかな、なんて私は思ってます。(笑)確か、ファンカデリック~パーリャメントのジョージ・クリントンがあてつけに「100%PUREファンクと呼べるのはオレ達だけだ」とか言っていたのを思い出しました。しかし、その昔サタデーナイトライブに出てた頃のエディ・マーフィーってメチャメチャ面白かったのに、やっぱメージャーになっちゃうと無理はしなくなっちゃうんですかねぇ。最近はディズニー映画とかにも出てきちゃって、昔からのファンとしてはちょっと物足りなくなってしまいましたね。でも彼のユーモアってか、パロっていうかギャグは、なんとも言えないノリが最高でしたね。私、思うに、このノリってビートたけしとかのノリに近い感じがするんですけどね。ブラックジョークっていうか、自虐ネタっつーか、民族的にしか理解できないような笑いも一般社会に投影して笑いものにしてしまうみたいなノリです。まあ元々ブラックなんだから今更ブラックジョークってのも変ですけど、黒人が黒人の生活を切り取って見せるあたりは、たけちゃんの下町ネタとか山形いじめネタに近いものがありますね。それと、金も名誉も得たところで、当たり前のわかりきったことを言わないところが魅力でしょうね。「人生とは」とか「世の中は」とかとってつけたようなノーガキをこかない。いつまでも裏通りのガキのまんまって感じが共感を呼ぶのでしょうね。そんなタケちゃんも最近はあまり過激なギャグが出ないところをみると、所詮はメージャー選手ってことになるんでしょうかね。それとも歳かな。生活が落ち着いちゃうと出てくる味も落ち着いちゃうんですかね。でもジョージ・クリントンなんか未だにワケわかんない親爺ですよね。懲りずに大麻で捕まったりしてるし(笑)音楽コンセプトも益々ワケわかんなくなってるし。別に良い歳して犯罪を犯すのがカッコよいわきゃありませんが。(笑)そんなんだったら、どこぞの大学教授、ウエクサなんたらとかも不良親爺ですね。(爆)でも、誰が何と言おうと好きなことだけやってるクリントン親爺は永遠の不良ですね。まさしくFUNKYな生き方を体現しているおっさんではないでしょうか。昔不良だったアーティストがBIGになるっていうドリーム。ビンボー人の子供たちの憧れです。でもこうしてビンボーなままジジイになってしまった道楽者(笑)は、負け惜しみじゃなくて、「憧れ」の対象が、生涯不良のままで生きたいというのに変わりつつありますね。そりゃもうこの先BIGになれるチャンスがないからだろ、って確かにそれもあります。この後の人生を考えてもどうせ大した変わりはないだろうけど、そーいった諦めとかじゃなくて、なんか心の中の一番大事なところがシクシクするんですよね、この頃。(笑)このまんまで良いのかな?ってね。このまま当たり障りなく年取っていくだけで良いのかって、漠然とした思いなんですけど。(そんなこと考えること自体がすでに終わってるんじゃないの)なんだか上手く言えないんですけど、ジジイにもジジイなりの突っ張り方があるんじゃないのか、って思い始めてるんですね、この頃。あれだけ夢中になったYAZAWAさん、いつ頃からでしょうか、全くと言って良いほど聴かなくなってしまったのは。「今でも現役でパワーあるぜ」って友人は言うんですけど、全然興味湧かないんですね。なんでだろって思うんだけど、ひとつの理由に、それは彼のアーティストが職業になってしまってるからかなって思えるんですね。もちろん昔だってバンドとかシンガーという職業だったんですが、自分の経験から言ってもそのあたりの線引きってのが結構曖昧と言うか、微妙で、就職した職業とは違って、いつも綱渡りみたいな、どっちに転ぶかわからないっていうテンションの高さがあったと思うんですね。マイナーな時代は。だから叫びも生まれてきたんですけど。それがまあ、生活も安定して家族も出来たりすると、その枠からは外れて何かを創ろうとかやろうとかいったことにはだんだん繋がらなくなってくる。そこらへんから、シゴトを淡々とこなす単なる職業親爺になっていってしまうんでしょうね。芸人で言えば、たぶん方向性がステージングとか、興行成績とか、マーケティングとかにシフトしていっちゃって、本来中心であるべく「叫び」=「表現」=「アート」の創造から、「総合アート」とかいう都合の良いテーマに移行していくんじゃないでしょうかね。料理人とかに喩えて言うなら、昔は安い酒場でも美味くて生きの良い料理を作って喜ばれていたんだけれども、腕を買われて高級割烹に行ってみると、腕だけじゃなくて料理を盛る皿の一枚、醤油挿しにまで拘るようになり、さらに高級料亭で花板さんになる頃には、店の作りから従業員までひっくるめて造りたくなる。これが登りつめるってことならば、登る山の頂点は一箇所じゃなくて、隣にも向こう側にも頂点はあるわけで、どこで満足するかってことが「職業化」への第一歩みたいな感じでしょうか。え~くだらない道楽親爺のぼやきにも似たノーガキですが、結構本気で「不良の真髄」を考える51歳道楽者の今日この頃でした。
2006年09月15日
コメント(4)
昨晩、とある友人からお酒を頂きました。その名も、たんたかたん~!しそ焼酎らしいです。私は下戸なもんで、飲んでもせいぜい缶ビール1~2本、水割りだったら時間をかけて1~2杯といった、大変に健康的かつ低燃費安上がり体質ですから、時々お土産で頂くお酒はそのまんま使い回しで他家への供物となります。(笑)今回も本来ならば、そのまんま封を切らずに贈答品ストックに納まるハズだったのですが、名前が面白かったのでちょっと一杯やってみることにしました。実はこの焼酎名、以前からレストラン等で見かけて気になっていたので、ちょうど良い機会だし、焼酎なら時々飲むのにもお誂えだ、というような屁理屈コキながら水割りで頂いてみました。感想~美味かった。ほんのりとしたシソの風味が焼酎独特のにおいを消してさわやかな味でした。これなら下戸の委員長でも充分晩酌程度に飲めそうです。ということで、珍しく焼酎ボトルが我家の食器棚に並びました。しかし、最近は色々な焼酎が出ているようですね。芋、麦、米は当たり前って感じでかなりの種類があるようです。ちなみにサイパンでは椰子の木から採る椰子酒っていうのがありますが、これはちょっとしたジュースみたいで甘くて口当たりが良いから、飲みすぎて倒れるなんてことも時々あります。これは椰子の木に点滴みたいにチューブ管をくっつけて樹液を溜めて発酵させたものです。いわゆるココナッツ・ワイン、発酵酒ですから、放っておくと「酢」になってしまいます。しかし、どんなところに行っても地酒ってのがありますが、一体この酒を発明した人は誰なんでしょうかねぇ?(つまんねーこと言ってんじゃないって?)蒸留酒と発酵酒、さらにビールのようなもん、どんな発想から生まれたのでしょうかね。やっぱ、セレンディビディかなぁ。(笑)まあ、ふとしたきっかけから気持ちよくなることを知ったみたいなもんでしょうかね。そういえばマジックマッシュルームとか、サボテンのペヨーテとか、幻覚作用を起こす植物を初めに試した人は偉いですよね。だって下手したら毒素とかで死んじゃったかもしれないわけでしょ。そう考えると、なんか人間って強欲な気がしますね。屍を乗り越えて気持ちいいことを追求する人類の未来には一体どのような未来が待ち受けているのでしょうか?って、今日はくだらねー話になっちゃいましたね。(今夜もたんたかたんで一杯やるぞ!)
2006年09月14日
コメント(4)
え~、昨日の続きで中国人経営のレンタルDVDショップのお話です。実は昨日も仕事の帰りに寄ってクライング・フリーマンとチームアメリカという映画を2本借りてしまいました。(この店のファンになっちゃってる?)ということで、昨晩は夜を徹して一気に全部見終わりました。CRYING FREEMANは日本の劇画の映画化ですが、これが中々面白かったですね。小池一夫原作、池上遼一作画のゴールデンコンビが描いた傑作を、実写版で見るっていうのは、どうも過去の経験から言ってがっかりさせられることが多かったのであまり期待はしていませんでしたが、これが中々どーして良く出来た映画でした。まあ、ストーリー自体は今の時代とはちょっとマッチしないかもしれませんが、とにかくキャスティングが凄くて、ここまで劇画のイメージを尊重した実写ってのも少ないのではないでしょうか。池上作品のキャラクターをビジュアル的にほぼ忠実に再現しています。演技の方もそれなりだし、脇を固める日本人の役者も徹底して劇画タッチでした。あの名優MAKOさんもヤクザの親分役で登場してましたが、存在感のある役者さんですよね。あと国際映画女優(笑)の島田陽子さん、加藤雅也さんも出てます。一言で言って「フランス人監督が日本のヤクザ映画を撮ったらこうなる」っつー映画でした。とにかくカッコよかった。アクションとかビジュアル系映像のお好きな方にはお薦めです。さて、本日、道楽親爺がご紹介するもう1作は「TEAM AMERICA」という人形劇です。確か今年日本でも公開されたのでご存知の方もいるかと思いますが、こちらも一言で言って「アメリカ人らしい最高のおバカ映画」です。私らの年代ならばまず思い出すのが「サンダーバード」ですね。この手のドラマはやはりアメリカが一番でした。日本の場合だとひょっこりひょうたん島とかチロリン村だったもんね。当時は操り人形劇と言えばサンダーバード、キャプテン・スカーレットなど、人形とは思えないほどのキャラクターに入れ込んだ想い出があります。そんな人形劇で展開される映画は、なんと北の将軍様と戦うUSA代表戦隊の冒険活劇です。しかし、こんなもの良く創りましたよね。オタクだアニメだとか言ってニッポンのポップカルチャーが祀り上げられていますが、私にはこんなふざけたことに大金を注ぎ込めるアメリカ人のバカさ加減と言うか、道楽コンジョウというか、あらためて頭が下がりました。いやホント。映画としてのテーマは・・・・・・・・・・、人形劇でどれくらいの常識を打ち破れるか?あるいは、どれだけ常軌を逸脱できるか?といったところではないでしょうか。たぶん、この手の洒落とかジョークとか馬鹿フィーリングがわからない人にとっては、10分も見ていられない、とんでもない映画です。劇場で見たら怒って「金返せ!」って言いそうです。とにかく、子供の持つ想像力やロマンをこれだけないがしろにして、よくもまあこれだけ好き勝手なことをしたなぁ~って感じです。圧巻は人形劇史上初のベッドシーン(っていうかこれRated Xだと思う)に挑戦した製作者の心意気に胸が打たれました。(笑)しかしこんなものに大金を投じたプロデューサーや映画会社の懐の深さにも感服しましたね。アメリカはチャレンジの国。傍から見て、それがたとえひどくくだらなくバカみたいなことでも、挑戦することに美学を持つ、マサに道楽者の鑑のような「遊び心」に溢れた国「アメリカ」を再認識致しました。ということで、一気にビデオを見まくった道楽親爺はひとつ気がかりなことがあったので、またもやレンタルショップを訪れたのでした。(まったく懲りないねこの人は)「この映画(チーム・アメリカ)はRATED-R(成人指定)だから、子供用CARTOONの棚からはずした方が良いよ」(と、大きなお世話をやく優しい親爺を演じる道楽ジジイ)相変わらずクールな中国人のおねーちゃんはあっさりと言いました。「ウチには子供は殆ど来ないから良いの」(えっ!?そうなの)「じゃあなんで子供用のCARTOON専用棚があんだよ?」せっかくのアドバイスにまたしても思わぬ返答にふて腐れる親爺。クールなおねーちゃんはカウンターから立ち上がって、店の奥にあるカーテンをシャーッと引き開けました。「それはね、こっちのアダルト借りに来る人たちがね、子供の御機嫌とる為に借りるコーナーだから気にしなくて良いの」が~ん! カーテンの裏側には、なんとエッチビデオコーナーが・・・・。恐れ入りました~。そこまで深いマーケティングを考えておられたとは。。。。恐るべし中国商法。。。。。。。。(なんかクセになりそうな店です)
2006年09月13日
コメント(6)
我家の近くにレンタルDVDショップがあるのですが、どうも看板からしていかがわしさが漂うお店なので、ず~っと敬遠しておりました。なんせ入り口がネオンぎんぎんで、VIDEO RENTALというやたら太字の看板にとってつけたよう映画ポスターが散りばめてあります。もう見るからに中国人のお店なんですけど、他にもレンタルショップは沢山あるので特別ここに入る必要もなかったのでいつも素通りしておりました。 たまたま昨日はそのお店の隣のダイブショップに用があったので、立ち寄りついでにちょっと覗いてみることにしました。ドアを開けると取っ手に吊るされた金棒が揺れて、チリ~ンチリ~ンと鳴り響きました。(ビンボーくさっ~)閑散とした店内には異常な数のDVD、っていうかほとんどのパッケージはCDサイズで、とにかくギッシリって感じで棚に並んでいます。奥にカウンターがあって中国人のおねーちゃんがひとり座ってテレビを見ています。う~ん、中国だ、などと思いつつ店内を観察。パッケージのタイトルはすべて中国語・漢字がくっついています。しかも棚が間に合わないのか、数枚のパッケージが重なって並んでいます。なんだかな~、と手にとって見るとその空パッケージは埃だらけ。思わず店員のおねーちゃんに聞いてしまいました。「こりゃみんなコピーだろ?」(まあ当たり前っちゃ当たり前だよね)するとおねーちゃん、冷静にしかもヒジョーに醒めた表情でお返事してくれました。「コピーではありません。すべてオリジナルです」おい、これの何処がオリジナルなんや、あんたオリジナルっつー意味がわかっとらんのやないか、と心の中で叫びつつ、よおし、そんなら借りて見てやろうじゃないか、と決意を固めた道楽親爺でした。(なにもそないにムキにならんでもよかろうが)とは言うもののあまりの数の多さにどこになにがあるのやら、インデックスくらいつけたらんかい、とブツブツ言いながら片っ端から手にとって選択すること約30分。英語のオリジナルタイトルの3倍以上もある中国語タイトルが邪魔になって、なんの映画か理解するのにも時間を要します。中国漢字の羅列に眩暈を感じ始めたとき、親爺の目に飛び込んできたのがニッポン映画のジャケットでした。「仮面の忍者赤影」おおっ、こりゃスゲー!(ってなにが?)なんでこんなところにこんなモノがあるんだという感じで、なんか瓦礫の山から宝を引き当てたような興奮に打ち震える50過ぎのジジイ一名。(笑)こうなると道楽者コンジョウがにょきにょきと頭をもたげてきて、陳列棚を片っ端からくまなく点検する親爺は本腰を入れて邦画を探し始めたのでした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(更に30分経過)結局、役所コウジさん主演のユリイカ?とかいう映画と、太平洋戦争なるドキュメント映画の2本を掘り出してクタクタになりました。(思ったほど収穫がなかったね)戦記ものは嫌いじゃないので、ついでに「トラトラトラ」も借りることにしました。これは、つい最近知った本で、黒澤明監督がこの映画の監督を降板したドキュメントに興味があったので、数十年ぶりに見直してみようという気持ちから借りることにしました。カウンターでレンタルの手続きをしてお金を払おうとしたら、4枚で$5と言われ、どうも計算が合わないので、1枚いくらか確かめると、VCDは1作$1、DVDは$2とのことです。そうか、これはVCDだったのか、だからパッケージが小さかったんだ、と納得。仮面の忍者赤影以外の3枚はすべてVCDなので$3、プラスDVD1枚$2で合計$5、3泊4日でこの料金なら文句も言えないなぁと思いつつ支払いを済ませると、「はいどうぞ」と言って手渡されたレンタルパックはなんと9枚。「えっ!?オレこんなに借りてないよ」と驚きのあまり声を上げたジジイに中国人おねーちゃんは再び冷静に醒めた口調で、「ユーリカは4枚組、太平洋戦争とトラトラトラは2枚組、赤影が1枚で合計9枚、返却日は水曜日、はいありがとさん」と言って再びテレビ観賞に戻りました。そうかぁ、VCDは録画許容量が少ないから枚数が増えるんだね、と納得。更に、だったら$1でも妥当な値段だな、などと勝手に解釈してお店を出ました。さて、早速帰宅してプレーしてみると、確かにすべて著作権は取得してある販売用商品ではありました。すべて香港製ですが、COPY RIGHTのステッカーがきちんと貼ってあったし、本編前のWARNINGもきちんと中・英でテロップが流れていました。しかし・・・・・・、字幕の中国語が大きすぎて、気になって気になって、どうもイマイチ映画の中に入りこめませんでした。更に、トラトラトラに入っていたのは最近の映画パールハーバーでした。なんじゃこりゃ、間違えたのか?でもせっかく借りたんだから見るだけは見て、その日のうちに文句を言いに行きました。「おねーちゃん、これ、おいらの借りた映画と違ってるよ。これはパールハーバーでトラトラトラじゃなかったよ」親切そうな親爺になって、穏やかにクレームを申し出たジジイに対して、おねーちゃんはまたも冷静かつ醒めたトーンで一言。「これは同じ内容の映画なの。パールハーバーのお話。題名は違うけどお話は一緒」が~ん!そ、そんな手があったのかぁ~。。。。。。。これにはさすがの道楽親爺も一本取られました。怒るというより、参りましたって感じでしたね。(笑)しかし、日本人を前に平然とこーゆー理屈をコク、このおねーちゃん、さすが中国人。いやいや久しぶりにコンジョウのあるおねーちゃんに会いました。(コンジョウがあるの?)なんとなくこのお店のファンになってしまった変な親爺一名。急に親近感の湧いたおねーちゃんに「他になんか日本の映画ないの?」と聞くと、「これは?」と言って出してきたのは、なんと松任谷由美さんの1990年のライブビデオでした。もひとつオマケに「戦史・硫黄島」というドキュメント映画。なんか勢いでこの2本も借りてしまいました。ということで、今晩はこれらをゆっくりと観賞することにします。(やれやれ)
2006年09月12日
コメント(5)
このところ熱い暑い日が続くサイパン島から道楽親爺のノーガキをお届けします。サイパン唯一の日本語放送、NHK衛星放送は毎年この時期に電波が乱れ映像が途切れることがあります。なんでも太陽黒点の影響だということです。ちなみにサイパンは今の時期は雨季で、湿度も高くスコールもあり、炎天下は頭がボーっとして思考能力が低下します。まあ、私の場合は一年中ボーっとしていて典型的な「南洋ボケ」なんですけど、なぜかこの時期は地元の人達が皆一様に頭痛を訴えます。不思議なことに日本人や他国の民族はそーでもないのですが、この時期に限って「HEAD ACHE」症状の10人中8人までが地元民なんです。まあ元々お休みがちな民族なんですが(笑)、この時期の頭痛だけは本当に辛そうで、これも南洋独自の疾病形態なのでしょうか。あと、この太陽黒点のせいかどうかはわかりませんが、犯罪が多発するのもこの時期が多いような気がします。特に異常性を帯びた犯罪が目立つのも特徴ではないでしょうか。短絡的というか衝動的というか、突然狂った、みたいな事件や事故が多いように思えます。もちろんこれはサイパンに限らず世界的に同様な事件が同時多発しているような気がします。今日9月11日が特別な日だからそんな風に考えてしまったのかもしれませんが、太陽と地球の関係というか、天体と地球生物の相関関係には何らかの「力」が相互作用しているように思えます。人間は自らの力に過信しすぎてしまったのかもしれませんね。こんなことを言うとどこかのチープな占星術師か預言者みたいですけど(笑)、いずれにせよ自然の前には人間なんて無力ですから、少なくとも同胞とTIME SHAREしていく方法を模索していく以外に道はなさそうですね。
2006年09月11日
コメント(3)
今日はちょっと気になった「本」を紹介します。タイトルは「嘘つきアーニャの真赤な真実」、著者は米原万理さんです。米原さんは1950年東京生まれ。ロシア語会議通訳、エッセイストとして最近話題になっている女性です。1960年から64年までプラハ・ソビエト学校で学び、2002年にこの本で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しました。そしてこの本は、著者が過ごしたプラハ・ソビエト学校での体験を綴った自伝的なお話です。なんせ時代が時代ですから、人類の究極の理想を追い求めた共産主義者、社会主義者の親達によって連れてこられたチェコスロバキアで、席を同じくした同盟国の子女たちとの生活、回想から、その後の友人達との再会など、時代背景に描かれる世界情勢の渦の中で育まれた世界観は、私のように民主主義国家の資本主義体制下で適当に飼いならされて育ったものにとっては相当な刺激となりました。いや~とにかく面白かったです。著者のユーモアのセンスも、社会主義体制の中で葛藤する思春期の感性も素晴らしく斬新に見えました。著者の語る「シモネッタ」はマサに秀逸です。特に私が衝撃を受けた(ってちょっとオーバーですか)部分を抜粋しますね。これは、ソ連学校時代、著者と大の仲良しだったユダヤ系ルーマニア人、アーニャと、三十年ぶりにプラハで再会したときの会話です。イギリス人と結婚してロンドン郊外に住んでいるアーニャは、すでにロシア語も忘れ、社会主義とも訣別し、すっかり別人になって語り始めます。(以下本文より抜粋掲載)「あの頃は、世の中のことすべて白か黒かで割り切っていた。今では、白か黒かなんてあり得ない。現実は灰色をしているものだって学んだけれど」素直に頷けなかった。そのような一般論に逃げ込んでアーニャが自己を合理化していくのが嫌だった。「アーニャはソビエト学校でも愛国の強さでは右に出る者いなかったでしょう。あれも、白黒の世界だったの?国籍を変える時は、辛くなかったの?」「マリ、国境なんて二十一世紀には無くなるのよ。私の中で、ルーマニアはもう10パーセントも占めてないの。自分は、90パーセント以上イギリス人だと思っている」さらりとアーニャは言ってのけた。ショックのあまり、私は言葉を失った。ブカレストで出逢った、瓦礫の中でゴミを漁る親子を思い出した。虚ろな目をした人々の姿が寄せては返す波のように浮かんでくる。「本気でそんなことを言っているの?ルーマニアの人々が幸福ならば、今のあなたの言葉を軽く聞き流すことができる。でも、ルーマニアの人々が不幸のどん底にいるときに、そういう心境になれるあなたが理解できない。あなたが若い頃あの国で最高の教育を受けられて外国へ出ることができたのは、あの国の人々の作りあげた富や成果を特権的に利用できたおかげでしょう。それに心が痛まないの?」次々とそんな想いが頭の中を駆けめぐるのだが、口ごもってしまって、言葉にならない。アーニャは、顔を上気させて滔々とまくし立てる。「そうよ、マリ。民族とか言語なんて、下らないこと。人間の本質にとっては、大したものじゃないの。今わたしは英語でしゃべり、マリはロシア語でしゃべっているというのに、お互いにほぼ100パーセント分かり合っているでしょう」「類的存在としての人類ってわけね」精一杯皮肉を込めて言い返したつもりだが、アーニャは、さらに高揚した口調で続けた。「人類は、そのうち、たった一つの文明語でコミュニケートするようになるはずよ」「アーニャ、私たちの会話が成立しているのは、お互い英語とロシア語を程度の差はあれ、身に付けているからよ。あなたがルーマニア語でしゃべり、私が日本語でしゃべったら、意思疎通はできないはず。だいたい抽象的な人類の一員なんて、この世にひとりも存在しないのよ。誰もが、地球上の具体的な場所で、具体的な時間に、何らかの民族に属する親たちから生まれ、具体的な文化や気候条件のもとで、何らかの言語を母語として育つ。どの人にも、まるで大海の一滴の水のように、母なる文化と言語が息づいている。母国の歴史が背後霊のように絡みついている。それから完全に自由になることは不可能よ。そんな人、紙っぺらみたいにペラペラで面白くもない」「・・・・・・・・・・・・」(以上本文より抜粋掲載)このあとしばらくのやり取りがあってこの章は終わります。え~、くだらないノーガキはコキませんが、道楽親爺はこの著者マリさんの言った、抽象的な人類の一員なんて誰一人いない、という言葉にもの凄いインパクトを受けました。抜粋部分がちょっと硬めの文章なので誤解されると困りますが、本の内容はもっと気楽に読める楽しいお話です。ただ時代背景や、社会主義国での出来事なので、時折こうした硬めのエピソードが織り込まれています。まあ、平和ボケした私らニッポン人には、せめてこの程度の知識というか情報だけでも得ておいた方が良いかなと思いました。大変ありきたりな結びですが、どんなところで暮らそうが人間は悩み続け、考えながら生きているんですよね。あたりまえなことなんですけど、なんか実感の湧く一冊でした。
2006年09月08日
コメント(0)
古い古い音楽テープやビデオテープを処分しなさいと言われて、かれこれ半年以上になりますが、CDやDVDへの焼き入れもはかどり、そろそろゴミ処分も終了に近づきつつあります。まあ、なんだかんだ云っても、この焼き入れのために外付けレコーダーと、DVDレコーダーを2台ばかりオシャカにしてしまい、結構経費もかかりましたが、こうして整理してみると、テープの数だけCD&DVDが残ったわけで、スペース的にゆとりはできたものの、結局ゴミの数自体は変わってないってことなんですね。なんだかな~。それでも奥方は満足されたようで、収納スペースができたことで納得がいったようです。しかしCD&DVDは嵩張らなくて良いですよね。特にVIDEOテープコレクションなんてのは、重いし嵩張るし、よくもまあこんだけ溜め込んだなぁと溜息が出たほどです。DVD化はもちろん音楽VIDEOから始めたんですが、プライベートの8ミリビデオの編集や、映画のコレクションもかなりの数が残りました。中にはカビだらけのテープで復活不可能なテープもあって残念でしたが、それなりにコレクションとしては貴重なものも出てきて親爺的には満足です。MUSIC VIDEO優先でしたので、つい最近COPYが終了したフランス映画とか古い邦画は斬新な気持ちで見入ったりしてしまいました。NHKの「おしん」なんて、どうも歳のせいかやたら泣けてしまって、だらしないというか、みっともないというか、連日COPYしながら見てしまいましたね。なんか娘とオーバーラップして泣けちゃうんですよね。チャップリンなんかも良い味だしてますよね。根本的に私はペーソス・ギャグってのが好きじゃないんで、どっちかというとバスター・キートンみたいな底抜けギャグの方が趣味なんですけど、それでもツボにはまってしまうチャップリン劇には唸らされてしまいます。同じペーソスでも寅さんとかデンスケ劇場じゃ泣けんけどね。フランス映画では「死刑台のエレベーター」なんて、何十年ぶりに見てしまったのですが、マイルスディヴィスが映像とピッタリ合っててカッコよかったです。時代を感じませんね。センスの良さとムードはフランス映画ならではって感じです。確かこの監督、この映画を撮った頃は未だ20代後半だったと聞いた覚えがあります。(もちろん淀川先生の解説ですね)あとはイタリア映画のビツトリオ・デシーカ監督の名作「靴みがき」と「自転車泥棒」の2本も泣けました。第二次大戦直後のお話ですけど、公開当時は敗戦国としてニッポン人にも共感が沸いたことでしょう。この監督、子供を使うのが非常に美味いですね。そういえば戦後の名作は日本でも黒澤明監督の「酔いどれ天使」とか「天国と地獄」なんかも素晴らしい作品でしたね。古い名画って見るとクセになって立て続けに見たくなっちゃうから不思議ですね。私も、結局黒澤映画シリーズみたいに見てしまいました。「椿三十郎」名作用心棒の続編です。最後の居合い切りが当時もの凄い話題になりました。ちなみに私はこの映画、渋谷東宝で見ました。まだ5歳かそこらでしたね。でも、このラストシーンははっきりと覚えています。時代劇をみたら「七人の侍」が見たくなって、結局これも延々3時間半、見入ってしまいました。しかし、よく出来た映画ですよね。今見ても全然古さを感じないから不思議です。白黒映画って結構クセになるようで、次はフランス映画「地下室のメロディー」を見ました。この映画も5歳くらいのころ劇場で見た覚えがあります。これもエンディングのプールにお札が吹き上がってくるシーンをはっきりと覚えていますから、言葉やストーリーがわからなくてもインパクトのある映像だったことは間違いありません。アランドロンとジャンギャバンの洒落たサスペンス映画でした。なんだか今日は映画評論みたいになってしまいましたが、こうしてみると古くてもプロットとかカメラワークとか、しっかりと作ったものは時代を超えて残っていくということがわかります。ではMUSICはどうなのかなぁ?って思うと、これはちょっと好みや時代背景によって万民にウケるってのは難しそうです。しいて言えばJAZZ系はあまり時代を感じないかなぁ。私は個人的にナット・キング・コールとナタリーのデュオなんか、メチャクチャカッコよいと思うんですけどね。時代を超えて「粋」が伝わってくる、みたいな。歌詞もシンプルで古臭いんだけど、その古臭さが「粋」だなぁ、と思うんですよね。そんなことを考えつつノラ・ジョーンズのDVDを見たりして、果たしてこの娘は何十年後にも聴かれるかなぁ、などと余計な心配大きなお世話を焼いてみたりします。(笑)ということで、DVD焼き作業による道楽者の遺品処理が終了しましたので、これからボチボチと戦友便りを制作していこうかと考えております。古い映画も結構ありますので、ご所望される方はメールにてお知らせ下さい。非生産活動推進委員会ではこうした非生産行為に命を賭け、道楽者人生の使命と考えておりますので、どうぞお気軽にお寄せ下さい。60年~70年代のBLACK MOVIEも何本か出てきました。ただ、字幕が付いてないんだよね~。BEAT STREETも出てきたよ~。私ゃ、ブレイクダンスよりこっちの方が断然好きでした。お気に入りのウォーリアーズはテープにカビが生えて死んでました。(残念)そだ、ダンス甲子園のCOPYも出てきた。(笑)LLブラザーズの踊り、結構渋かったんだね。ランニングマンとかロボコップとか、親爺引退後の踊りはちょっと勉強になりました。戦友便りは生産効率がヒジョーに悪いので、少々お時間がかかりますが、戦友の皆様、気長に待ってやって下さい。最近は娘がPCを独り占めにしてるもんで、親爺の「焼き」に使わせてもらえません。合間を縫ってDVDを差し込むと「おとーさん、おねーちゃんの宿題が先だからね」とクギを刺されてしまいます。「こいつ、宿題やってるフリして実はチャットやってるんだぞぉ」とか云って食い下がるものの「チャットで友達に宿題のわからないところ聞いてるんだもん」と返され、「おとーさんの遊びは日曜日でもやんなさいよ」とケジメをつけられてしますのです。ということで、道楽者戦士の皆様、そのうち届く戦友便りを期待して毎日の厳しい現実を生き延びて下さい。私も頑張って生き延びます。。。。
2006年09月07日
コメント(8)
なんか昨日は「脳」について屁理屈コキましたが、偶然にも晩ご飯でご近所の暇を持て余した主婦2名と「脳」の話で盛り上がってしまいました。(セレンディビティ?)なんでもこのお二人はヨガ道場に通われることになったそうで、昨日はその第一日目ということで色々なノーガキを肴に盛り上がりました。ということで今日はそのノーガキの再現です。(笑)主婦A「だからさぁ、瞑想で自分を無にして宇宙と一体となるわけよ」主婦B「そうそう目を閉じて何も考えずにリラックスして、だんだん眠くなっちゃうのよね」主婦A「あなたそれじゃダメよ。寝ちゃったら。こう目をぎゅっと閉じたときに瞼に浮かぶヒカリみたいなのがあるでしょ、あれがさ、星みたいに見えてさ、それで宇宙の中に漂う感じで無になるのよ」委員長「でもさ、それって無じゃないんじゃないの?宇宙ってものを意識するってことは、やっぱり脳がものを考えてるってことだから、それは無我とは言わないようなきがするなぁ」主婦A「違うのよ、雑念を払って大気の中の自分が宇宙と融合するのよ」委員長「う~ん、無ってのは無でしょう。宇宙だとか雑念だとか、そんなものすらないものが無なんじゃないの?ってかオレも無になったことないからどーゆーものかわからないけど、とにかく宇宙だって念のひとつだから、やっぱそれは無の境地じゃないんじゃないかなぁ」主婦B「それよりさ生まれ変わりっていうかさ、過去生ってのはあると思う?」主婦A「私の友達がさ、中国の纏足に妙に興味があってね、履きたくて履きたくてしょうがなかったんだって。それである日退行催眠みたいなもので過去生を調べてもらったら、前世は中国人だったんだって」主婦B「へぇ~、じゃ私の前世はなんだったのかぁ」委員長「でもさ、纏足って中国人にとっては悪魔の風習で、女性だったらたぶん忌み嫌うっていうか恨んで死んでいったんじゃないかなぁ。歴史的に見ても中国人自身が犯罪的行為だったと認めているわけでしょ。そんな纏足に憧れるかなぁ~、ふつー」主婦A「あら、中国の貴族の間では纏足は美人の証だったのよ。だから彼女の前世も中国の貴族の娘だったっていってた」委員長「そうかなぁ~。貴族だったらなおのことそんな拷問みたいな風習で抑圧された心を来世に持ち越したとすれば、逆に纏足をみたら鳥肌が立つとか嫌悪感をもよおす、とかの方が信憑性があると思うけどな」主婦B「そーゆー見方もあるわよね」主婦A「とにかく輪廻転生はあるのよ。生まれ変わって成長していくの」委員長「まあ、オレだって否定はしないけど、頭から信じるってのもなぁ、どーかな。それにウチもいまカミさんがワイス博士に凝っちゃって、やってるけど中々うまくいかないみたいよ」主婦A「まあ、そんな商売みたいなのはどうか知らないけど、私の知り合いのはたぶんホントよ」委員長「でもさ、結局過去生がわかったとして、それがどうなるわけ?」主婦A「過去生を知って現在の自分の生がわかるんでしょ」委員長「うーん、やっぱりそれは文化病というか現代哲学が生み出した理屈のような気がするなぁ。ワイス博士の場合は精神疾患、たとえば理解できない恐怖心や心のトラウマを過去生に見出して治療するっていうひとつの目標があるわけで、それはそれなりに納得いくんだけど、フツーの人にとっちゃ過去生がなんだろうが、面白半分でしかないような気がするなぁ」主婦B「でもさ、昔自分が何だったかってちょっと興味あるよね」委員長「じゃあさ、アフリカとかアマゾンとかでさ今もさ原始的な暮らししている人たちがいるよね。あーゆー人たちにとって過去生がわかったからって現実になにか変化があるの」主婦B「そーだよね。今の暮らしに別に疑問を持たずにその日を生きるんだったら、あまり関係ないよね」委員長「そうでしょ?だからこれはやっぱ文明病っていうかさ、何故生まれてきたのかっていう価値観の中から生まれた新たな価値観みたいなことなんじゃないの」主婦A「なんでもいいのよ、とにかく人間は生まれ変わっているの」委員長「だから、オレは別に否定していないって。ただそんなこんなも全ては脳が創り出したことだから、もう少し脳を調べてみたら面白いんじゃないかって思うだけよ」主婦B「脳内革命とか?」委員長「古っ!10年前だよそれ。今はもっともっと脳の仕組みがわかってきてるんだから。たぶんこうして俺らが話していることなんかも結構解明されているのかもしれないよ」え~、このような愚にもつかないノーガキをこきつつ時は過ぎ、なんと時計は10時を過ぎておりました。お店をでたら良い月が暇な中高年爺婆を明るく照らし、「ルナルナ」などとわけのわからないことを言いつつ散会となりました。「あの月に人類が降り立ったっていうのもやっぱでっち上げのような気がするなぁ」もういいよ塀理屈ジジイ、ってな感じでバタバタと家路に向かう暇な主婦お二人でした。検問で捕まったら過去生を辿ってみましょう。おやすみなさい。
2006年09月06日
コメント(0)
え~、相変わらず「過去生への秘密」に挑む道楽者夫婦ですが(笑)、暇つぶしに読んでた本にびびびっと来る何かを感じましたので、ちょっくらノーガキこかせてもらいます。まあ、毎度おなじみ、道楽者特有のウケウリなんですが、もし興味がおありでしたら「本」をお読み下さい。ネタは、ここ数年ドップリとはまってしまった養老孟司先生の「脳」シリーズの「脳のシワ」という本です。先生はこの本の中で、昔の人(四~五万年前の人類・旧人)と今の人(新人)との違いは、「新人におけるシンボル体系の存在とその豊富さであろう」とおっしゃってます。そんなこと唐突に言われたってよく意味がわかりません。噛み砕いて言うと、お金とかお守りとか、賭け事、博打、科学とか宗教、芸術とか演劇とかそれ自体は実用には役に立たず、約束事で成立するもの、そういうものが旧人にはあまりなかったというようなことです。もちろん我々が常識としているような種類の言語、これも旧人では欠けていたか、不十分であった可能性が高いとも言われています。(言葉はシンボル体系の典型ですから)先生曰く、そんなことがどーしてわかるんだと聞かれれば、「それに関する遺物が、旧人の遺跡からは出てこないから」とヒジョーにわかりやすく説明しています。(笑)それがクロマニョン人、すなわち新人になると、突然、洞窟の壁画が出てきたり、あるいはお守りらしい、わけのわからない細工物が出てくるので、そうではないかと論じています。旧人の場合だと、石で作った刃物の類ばかりで、実用性の高い道具を使用する実用的な人であったとも言えるわけですね。しかし現代の人たちは、それでは面白くないってことで、昔の人には、今の人にない超能力でもなかったのか、とか色々な想像をめぐらします。そして今の人が「超・なんとか」を好むのは、自然への感受性を失ったからであろう、というのが先生の脳のお話です。つまり自然を見ていれば、それ自体がほとんど超能力に見えます。よく考えてみれば不思議なことばかりなわけです。仮にあなたがその具体例を自分の体験から思いつけないとすれば、それはあなたがすでに自然への感覚を失っているということになります。それは自然がもはや不思議と思えなくなっているからです。それが冒頭に書いた昔の人と今の人との一番の違いということになります。自然の実在と、自然の不在、今の人はおおかた人工環境に住んでいるので、これはなんでもないようなことですが、人間の思考をすっかり変えてしまうはずだともご指摘されています。そこには自然がなく、あるのは人が作ったものばかりで、まわりがすべてそれなら、人はそれだけを考えるようになり、それしかない、となると、脳は脳が作った環境の中に住みますから、それ以外は邪魔になります。ちょっとややこしいですか?簡単に言えば、脳が創り出した環境には必ず答えがありますから、ああすればこうなる、こうすればああなるという図式の上に成り立っているわけですね。ですから、答えのない環境の中に置かれる状況が生まれると、脳が判断できない状態になってしまいます。実はそれは脳だけに起こったことではなく、骨とかにも起こっているんですね。たとえば噛むことに関係する部分は、昔の人では大変よく発達しています。比べて現代人はほとんど「家畜」といっても良いほど、固いものなど子供の頃から噛まずに育ちます。水や食物を探しにいく必要もなく、ただ冷蔵後を開ければ良いだけですから、そういったものの自然の「ありか」に対する感覚がもはやありません。気温は調節されているから体が調節する必要もなく、これを食べればこうなるという食物を食べ、こういう運動をすればこうなる、といった具合に、人工環境の生活から出来上がってしまうのが私達の「脳」です。それは決まりきった生活に慣れたいわゆる家畜の「脳」ですね。人は多くの動物を家畜化しました。次は人間の番です。家畜の骨の中には野蛮な脳は入れません。脳は体の一部ですから、野蛮な脳を納めるには野蛮な頭蓋骨が必要なんです。そして脳の最大の欠点は、脳は脳だけをいじろうとすることだそうです。一般にはそれを、文化とか、教育とか呼ぶようです。
2006年09月05日
コメント(2)
昨日は久しぶりに我家でバーベーキューをやりました。先週はビーチBBQを横目で見ていた我が子たちが「おいしそうだね」とか「あー、いいにおいがする」とか言っていたもんで、そんじゃ一発我家もやるか、BBQってなことで、日曜日の朝からセコセコと仕度を始めた親爺でした。まずは埃と錆びにまみれたBBQグリルを引っ張り出してきてキレイに洗いました。次はアパートのテラスの掃除です。このところ洗濯物を干す以外に使っていないベランダですが、テーブルやイスなどを持ち出してそれなりのセッティングをしました。次は買物です。ちょうど近所のスーパーでアンガスビーフのバーゲンがあったので、これはラッキー!とショートリブ、T-ボーン、サーロインと適当に見繕って買い込みました。賞味期限ギリギリの30%OFFです。でも、その昔横浜の焼肉「食堂園」のS社長が「肉は腐りかけが一番美味い」と言っていたので、妙に自信をもって大量に買い込んでしまいました。さて、味付けはもちろんエバラ焼肉のタレです。メンドーな仕込みでウダウダするより手っ取り早いし、まず失敗がありませんからどう転んでも食べれないBBQを作ることはありません。サラダはサニーレタスやらキャベツやらとにかくこっちも片っ端から買い込んで、御馴染みコールスローマヨネーズとかキューピーマヨネーズとか中華風ドレッシングとか、すべて混ぜて盛れば出来上がりみたいなお手軽料理です。親爺の料理は豪快なんだぞぉ~、とか勝手に盛り上がって行きました。まずはチルドビーフを大きなトレーに並べて、日本酒で消毒(笑)です。塩コショウを少々振り、手ですり込んで、仕上げはエバラのタレです。あとはラップで蓋をして夕方まで寝かせます。サラダはキャベツのみじん切りにコールスローマヨを加えて混ぜる。レタス各種は適当にちぎってボールに入れて冷蔵庫で冷やす。ジャガイモは茹でてから炒めたベーコンのスライスと混ぜてからオニオンのみじん切りを振って、キューピーマヨネーズで練りこみます。これでポテトサラダの出来上がり。さあ、後はSUNSETを待って炭に火を入れて焼くだけです。朝から気合を入れて準備したので昼前には仕込みも終了。気分爽快、ビールを一杯。私は酒は下戸ですから、ビール一本で気持ちよくなってしまう低燃費経済的親爺なので、日曜の昼時、すっかり良い気持ちになって転寝をしてしまいました。「おとーさん、ちょっとおなかすいたよ」娘に起こされてふと時計を見れば、なんともう5時近くではありませんか。慌ててグリルに炭を入れて火を起こす事30分。ちょうど海に夕陽が沈み始め、みんなでBBQディナーの準備です。おかーさんは今日はオシゴトなので、帰宅までに焼きあがれば上出来です。夕暮れのビーチで肉の焼ける香ばしいにおいが食欲をそそります。いやしいサカリの子供たちはグリルを前にフォークとナイフを持って待ち構えます。「そら、焼けたぞ、喰え~!」道楽者一家のBBQパーティーは獲物に群れたハイエナのように、買い過ぎとも思えた肉の塊を次から次へと消化していきます。「おい、おかーさんの分はとっとけよ」「はーい」親爺はこの心地良さに珍しくビールをもう1本。グリル火の熱で汗まみれの体に冷たいビールは最高です。「肉は美味いし、ビールも美味い、どうだサイコーだろ?」などと調子くれた親爺、またもうつらうつらして意識が遠退きはじめました。なんこの炭古いのかなぁ、ちょっと焦げ付きのにおいがきついなぁ。などとぼんやりした意識の中でまどろむ親爺の静寂を引き裂く女の叫び声。「あーっ!ちょっと、お肉が焦げてるじゃない。煙だらけじゃないよぉ~」帰宅されたMOMの乱入でシヤワセな親爺の日曜日が終了しました。
2006年09月04日
コメント(6)
非生産活動推進委員会からのお知らせです。戦友テリーとStudio530、DJ・INABAのSUPERジジイFUNKトリオがお送りするディスコイベント「FUNKRASH VOL.3」が明日大爆発致します。今回の会場はなんと六本木です。9月3日(Sun)18:00~23:30fERiA(フェリア) @六本木 \2,500 with 1drink DJs:DJ.Terry, DJ.Studio530, DJ.Inaba1970年代後半から80年代にかけてディスコでブイブイいってた中高年の皆様未だにディスコダンスに取り付かれている貴方そして、若くして何故かジジイの魅力に惹かれる貴方も明日六本木で思いっきり弾けて下さい。詳細はこちらのサイトをご覧下さい。http://funkrash.com/ということで、都内及び近県でグダグダしている道楽者は全員集合。日頃の道楽者の本領を発揮して下さい。残念ながら委員長は生活苦のため参加できませんが、来週のロトくじに夢を託して皆様のご健勝をお祈り申し上げております。
2006年09月02日
コメント(5)
え~、昨日はちょっとした買物に出かけた委員長ですが、支払いの際にカードが通らずムカつきました。高々70ドルくらいの買物だったのでCASHでも良かったのですが、今年から加入したコンチネンタル航空のONE PASSマイレージを増やしたくて、この頃は何でもカード精算がクセになっています。ただ、このカードはクレジットカードではなくCHECKINGカードというDEBITカードなので、口座の残高以上の使用はできません。米国ではパーソナルチェック(小切手)が広く普及していて、できるだけ現金を持ち歩かないような習慣があります。そして最近はこの小切手の発効の代わりにカードを使う、というのが一般的になってきていて、銀行のATMカードとの併用も普及してきました。ですから通常のクレジットカードではないので、上限枠をオーバーして通らないなどということは考えられないので、「なんだ70ドルも残高がないのか」と思われたようでムカついてしまいました。そこで、「じゃあこのカードでATMから現金をおろしてくるからチョット待ってろ!」などとタンかを切ってATMに出張った委員長でした。もちろんキャッシングは何の問題もなく、20ドル札5枚がシャカシャカと音を立てて出てきました。「どうだ、オレの口座には金が入ってるんだよ」と独り言をブツブツ言いながら、お店に取って返して、もう一度カードを入れるように説明しました。(いちおう以下の会話は英語で行われたものです。汗;;;)「ダメです。カード会社に問い合わせて下さいって・・・・」「そんなはずはないだろ、今、現にこのカードで現金を下ろしてきたばかりなんだから。それに残高だって、ほらこのとおりXXドルも入ってるだろ」「私にはわかりません」と、変な親爺に因縁こかれて往生する現地人キャッシャー。さっさとお金払って帰ってチョーダイってな態度です。渋々現金で精算した委員長はどーも納得がいかず、早速カード提携バンクに乗り込みました。「どうなーてんですか、おたくのこのカードは!」「どうされたんですか?」「ATMは使えるのに買物ができないなんておかしいじゃないか」「ちょっとカード見せてください・・・」といって、担当職員は端末からSTATEMENTを開くと同時にカード会社に電話を入れました。電話のやり取りの後「最近タイでお買物されましたか?」「いや、行ったのは6月だけど。それに精算はすでに全部終わってるけど」「ふむふむ・・・・」(なにがふむふむなんだよ)再びカード会社とやり取りがあって「8月26日に二千六百ドルの買物をされたことになっていて、カードはブロックされています」「えっ!? そ、そんなバカな」「誰かがあなたの番号を使用したようですね」「ちょ、チョット待ってよ、じゃオレ金が使われたってこと?」「いえ、ブロックされてますから、落ちてません」ということで、驚いたのなんのって、未だに信じられません。よくこの手の犯罪はテレビや新聞で目にしていましたが、まさか自分が被害者になるとは思ってもいませんでした。早速カードはハサミでジョキジョキ切断されて、新しいカードを発行してもらうことになりました。でも、これがDEBITカードで助かりましたね。もしクレジットカードだったら上限以内で引き落とされた可能性もあるわけですから、ちょっと怖いですね。(またチェックに戻そうかなぁ~)しかし、委員長の暮らすこんな僻地では、今やNETショッピングは欠かせません。なんでも銀行のおねーちゃんの話によると、ヤフーやアマゾンでもカードセキュリティを破って盗まれることもあるようなことを言っておりました。まあ、ひとつ安心といえば、上限も残高も高々知れてますから、どう転んでも最小被害で収まるってトコが救いですね。今回だって2600ドルで落ちなかったんだから、犯人だって100ドル200ドルの小口で何回も危ない橋は渡らないでしょう。(笑)ってことは、委員長は犯人にとって「はずれ」だったわけですね。なんだかなぁ~。。。。。。。
2006年09月01日
コメント(3)
全25件 (25件中 1-25件目)
1