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今日で多くの学校の夏休みはおしまいですね。親子が長い時間一緒にいると、お互いに疲れて、棘のついたままのバラの花を投げませんでしたか?親にとっては長い人生のほんの一時のことで、忘れてしまうことが多いのですが、子供は刺さった棘の痛みを大きくなっても覚えていること多々ありです。でも時には言いたくなりますよね。そして言わなければならないこともあります。そんな時、目を合わせて言うことが大切では?と思います。目と目を合わせて話すとあまり大きな棘は取ってしまおうかなと思ってしまうものです。
2003年08月31日
今朝の新聞にある医師の言葉があった。医者はガンの治療に関して「転移する可能性はある」「転移を防げる可能性はある」と多くのデータをもとに言うのだが、患者は「私の場合を知りたい」。もちろん医者も「あなたの場合を伝えたいために検査必要・・・」その医師は「患者に分かるように説明することの難しさを痛感」とあった。病院に通訳に行くと命に関わる問題もあるので緊張する。その時の医者の説明を自分が理解できないと通訳はできない。でもこの医師のように‘伝える難しさを痛感’している方なら、丁寧にやさしい言葉で話してくれるでしょう。医者から説明されたことを、帰宅してから「こう言われたけど、どういうこと?」と友達などに聞いたことありませんか?
2003年08月30日
「塩分を控えなさい」といわれ、直接振り掛ける塩は減らしたが、味噌汁は濃く、ラーメンのスープは最後まで飲み干す。お笑いのネタのようなことが現実にあるのです。高齢の母親を介護している人が保健婦さんに「牛乳を`多め’に」と言われ、1日1Lあたえ続け、その結果は・・・「ベットの上で手足を動かすリハビリを繰り返しさせてください。」と言われ、1時間毎にやって、母親は熱をだしてしまった。‘多め’‘繰り返し’や‘適宜’‘適当に’この概念は言った自分のと聞いた相手のが一緒とは限らないことを、手話通訳になって知りました。
2003年08月29日
役所の説明会の通訳に行くと難しい言葉が多くある。在宅と居宅。在宅サービスとか、在宅介護は聞くが、在宅サービスの中に居宅療養管理指導とかの言葉がある。この二つのことばの違いはあるようだ。漢字を見れば意味が分かるが耳から聞いて(ひらがなで入ってくる)意味を瞬時に捉えるのは難しい。在宅でもいいような気がする・・・が。市民に理解してもらえるマニュアルでなければといつも思う。
2003年08月28日
最近テレビで字幕ではなく、中の会話などを強調するために文字を大きく画面に出すのがある。これを日本語獲得のレベルが低い人が、見て日本語を獲得していく場合がある。「‘もし貸して’ってどういう意味?」と聞かれた。「その前後はどういう会話だった?」と聞いたがわからず。「どこで見たの?」と聞いたら、テレビのバラエティ番組とのこと。それは「もしかして」だったらしい。その人は‘もし’は知っているが‘もしかして’は知らなかった。他にお笑い番組の文字で覚えた言葉を意味だけ調べて、使う相手(上司にたいしてなど)を間違ってしまうと相手に不快感を与えてしまう。尊敬語、謙譲語、丁寧語などやはり日本語って難しい。
2003年08月27日
言葉はコミュニケーションの手段、道具で知っているだけでなく、使えてこそ、言葉だと思うのですが、これらは受験用になってしまっている感がします。もちろん書き言葉として理解できる必要はありますが。 いつごろからか日常会話に「匙をなげちゃだめ」とか「鶏口となっても牛後にはならないでほしいな」なんて親が子に使わなくなり、使えなくなってしまった気がします。でも受験問題には相変わらず出ている。受験でしっかり学んだ方へお願い!もう一度日常会話に使って日本語を豊かにしてください。
2003年08月25日
外国から日本に来た人からの電話。「匙を投げる」の‘匙’ってなに?」との問い合わせ。時々分からない日本語があると聞いてくる。「スプーンのこと」「投げたら危ないね。」「そういう意味ではなく・・・」彼女は日本に来たとき「これから日本語を覚えて母語との通訳者になる」と張り切っていたが6年経って日本語の難しさに`匙を投げた’様子。‘さじ’は今は日本人でもあまり使わなくなっているが、こういう言葉の中に残っている。漢字があり、ひらがながあり、カタカナがあり、またカタカナで外国語が入りやすく、漢字で漢文からのがあり、と日本語って本当に豊かな言語だけどそれ故にマスターするのが難しいですね。
2003年08月24日
1昨日のNHK「クローズアップ現代」で「あなたのやる気引き出します」というタイトルの中で‘コーチング’なる職業があること初めて知りました。要はその人のコミュニケーション力をアップさせて、やる気を出させるなりわいらしい。企業の上司が学んでいた。部下と話す時は視線を同じ位置にするとか、顔を横向けたまま話さないとか、笑顔でとか。視覚言語(手話)を使う人にとっては当たり前のことをお金を出してコーチしてもらう時代なのか・・・その上司曰く「いままで自分の言葉でしか話していない。その言葉を部下も持っているのか、通じているのかどうかなど考えたことがなかった。」と。‘変わるコミュニケーション’‘双方向のコミュニケーション’という言葉があった。コミュニケーションって一方通行ではなく、双方向をいうのではなかったのか。上司から部下へ、先生から生徒へ、親から子へだけでなく、その逆からもことばの花束がいったり、来たりさせたいものです。
2003年08月22日
古いのですが、今年5月25日の朝日新聞に「経営はコミュニケーション」というタイトルでキャノンの御手洗社長が書かれた記事がありました。「トップの役割は重い。言葉を発し、耳を澄ませ、自分の言葉が届いているかを見定めなければならない。」とこの記事をしめくくってあった。社内でのコミュニケーションの大切さを書いた記事でした。手話通訳でいつもきちんと通じているか否かを確認する癖の私はうれしくなった。 社内でもメールで会話してしまうと、その文章(自分の言葉)が相手の心に届いているか否かはわからない。アイコンタクトがあれば、通じているかどうかは、ほぼ分かります。
2003年08月21日
夏休みになると毎年ラジオでこの番組をやっている。台所仕事をしながら時々聞いている。4~5歳のかわいい声での質問「海の水はどうして地球からこぼれないのですか?」「太陽はどうして動くのですか?」とか「雲はどうして浮かんでいるのですか?」私の楽しみは先生方がその内容を小さい子供にどのように伝えるか。先生方は普段は大学生とか大人と話しているのでしょうが、小さい子相手に最初は言葉に気をつけていらっしゃる様子。しかし、一生懸命伝えようと内容に気を取られると時々、言葉選びを忘れるみたい。3番目の質問の答。「水の小さい粒が‘集合’」(‘集まって’の方がいいんだけど・・)。「大きい水玉になって‘落下’(‘落ちる’でいいのでは・・)一つ一つ通じたか確認する癖がついてしまった自分。楽しいというより疲れてしまいます。書き言葉のように漢字を見れば意味がわかるのが多いのと違って、耳から入る話言葉は五十音の組み合わせを変えたひらがなで入ってくるので、相手がそれを漢字に変えて意味が取れるかどうかを考えてしまうのです。
2003年08月20日
今日はお知らせです。今朝NHKテレビで最近風しんにかかっている人が増えてきたというニュース。何故?と思い見ました。予防接種の制度が変わった時に、そのはざまで接種してない年齢の人が出産年齢になってきているとのこと。戦後のある時、沖縄で耳の聞こえない赤ちゃんが沢山生まれました。その原因はお母さんが妊娠中に風しんにかかったからです。その年アメリカで大流行していた風疹が米軍関係者によって沖縄に入ってきたのです。その子供たちのためにろう学校が一校建ったのです。彼らを描いた映画が‘遥かなる甲子園’です。昭和・・年4月4日~昭和62年10月1日生まれの人が(・・の部分見落としました。すみません)予防接種からはずれた人たちだそうです。風疹は聴覚だけでなく、視覚、心臓などにも障害がおこることがあるらしいので、心配の方は保健所で聞いてください。
2003年08月19日
今朝の家人との会話。「ブラスター対策した?」答え「してないはずがない!」答えにホッとしたが‘ない’が二重の言葉って自分はこのごろ使ってないな・・・と。二重否定は肯定の意味でなく、強い否定と間違って取ってしまう人と会話することが多く、意識的にこの言い方は自分で使わないようにしてきた。むかし「私は英語を少ししか話せません。」より「少し話せます。」の方が間違いなく通じると言われた。 今日本には外国からの人が多くなってきている。小学校に行くとクラスに2~3人いる。その子供の親と話す時には是非こんなことも気をつけてください。せっかくの親切の花束が届かないことがないように。ああ・・難しい!
2003年08月18日
先日ある人の話を聞いていた時、ドキッとしたこと。「この前のパーティでの心残りは・・・」と話され、そのパーティを企画したのは自分だったので、何か手落ち?とドキッとして聞いていると、続く話で‘心残り’ではなく、‘心に残ったこと’の意味でした。この人は‘心に残ったこと’の意味と‘心残り’という言葉が連結されてしまっている。‘夢の中’と’夢中’は意味が違う。自分はこの意味の違いをどうやっていつ覚えだんだろうと考え込み、いつも「日本語って難しい!」で終わる。
2003年08月16日
終戦から58年。日本が変わると共に、ことばも変化。今日は雨がしとしと降っています。この‘しとしと’が通じない人が時々いる。‘ざあざあ’や‘ぽつぽつ’は、通じる。‘かわいい’‘あいらしい’‘いとしい’などが「かわいい!」一語になってきた。心の微妙な違いを表すことが出来る豊かな日本語は何処へ?と言いたいが、現在はもっといろいろな言葉を覚える必要があるから、一緒かな。プラスとマイナスで。「ユビキタス社会」と「時空自在」どちらを覚えれはいいのでしょうか。国立国語研究所さま。新しいことはを獲得していくのも結構大変。
2003年08月15日
手話を始めた頃、先輩から言われた言葉。「ろう者に話して、終わりに、通じたか否かを聞くために‘わかった’と聞くときの注意。’わかった?’と聞いて‘わかった’と答えられても、それは‘わかった’という手話がわかっただけで、その前に話した内容がわかったのではないことも多くある」と。その後、こんな場面にだびたび出会う。言語を習得する前に聞こえなくなった人の中には、その後の言語習得がなかなか難しい人がいる。 夏休みも後半になり、毎日、長時間子供と付き合っているとお母さんのイライラも積もり、「ガミガミ・・・・」そして「わかった?」。子供はお母さんの怒りが声の調子で、顔で、わかるから、それらから逃れるために、内容が理解できなくても、とりあえず「わかった!」。お母さんの送った棘のついたままのばらは、きれいだけど、受け取った子供は痛くてすぐに捨てるのでは?
2003年08月13日
学校に行ってお母さんたちに子供とのコミュニケーションについて話すことがある。先生からも参考になったと言われることが多くある。でもおかしい。先生は子供に伝えるというコミュニケーションのプロでなけれはならないはず。いつも子供に通じているか否かを確認しながら、話すべき人である。ほとんどの先生はプロであると思うが。 ある小学校の校長先生がいい話をしてくれた。ある日全校生徒の前で話しているとき、あまりにもうるさいので「静かにせんか!」と言ったら、一年生がにこにこして皆、がやがやと寄ってきた。「静かにせんか!」の‘せん‘を否定ととっていて「静かにしないで!」と理解したのである。その後はいつも一年生が理解できる言葉でと心がけているとのこと。 今夏、夏休みに入る前に多くの小学校で「渋谷のような‘危険‘なところへは行かないように」と校長先生からお話があったと思う。しかし、この‘危険‘は海で「危険なところに行ってはだめ」の‘危険‘とは違うし、交通量の多い道路を歩いている時の‘危険‘とも違う。 先生がやさしい気持ちで投げたことばの花束が生徒がきちんと受け取れているかどうか。
2003年08月12日
人は自分の気持ちを伝えたい時、美しい花束を贈るときがあります。その時「ことば」はほとんど要らない。相手への思いを胸に花を選び、束ねられた花が思いを代弁してくれるから。でもあなたの思いが伝わらなかったこと、ありませんか。日々の生活では花束でなく、人は言葉(日本語、英語・・)というコミュニケーションの伝達手段をつかいます。コミュニケーションの役割は一つは知識、情報、感情などを誰かに伝えたり、連絡する伝達。もう一つは人と人との結びつき、共同化する働きです。元々は人と人とが会って、目と目を合わせてことばを使ってやりとりしたのですが、今はメールなどでコミュニケーションできるので、後者が苦手な人が増えているのではないでしょうか。 私は手話という言葉を使って耳の聞こえない人と話します。手話は目で見る言葉ですからいつも相手と目と目と合わせてはなします。しかし通じないことも多く、伝えることの難しさと共に日本語の難しさを毎日痛感しています。自分が選んでことばの花束を送ったのに、相手に届かず枯れてしまうこともたびたび。手話ではなく、日本語でどんな言葉が誰に伝わらないのか、どうすれば伝わるのかを考えていきたいとおもっています。
2003年08月08日
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