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2019年08月07日
映画「日の名残り」すれ違ってゆく男女の悲哀を描いた秀作
「日の名残り」
(The Remains of the Day)
1993年イギリス
監督ジェームズ・アイヴォリー
原作カズオ・イシグロ
脚本ルイース・プラワー・ジャブバーラ
撮影トニー・ピアース・ロバーツ
音楽リチャード・ロビンズ
〈キャスト〉
アンソニー・ホプキンス エマ・トンプソン
クリストファー・リーブ ジェームズ・フォックス
第66回アカデミー賞主演男優賞、主演女優賞、
監督賞、美術賞他8部門ノミネート
ノーベル賞作家カズオ・イシグロの同名小説を映画化。
台頭するナチス・ドイツに対する政治的判断を誤った貴族の没落を背景に、あまりにも謹厳で職務への忠実さゆえに愛をつかむことのできなかった男と、彼への愛を秘めながら、もう一歩を踏み出すことのできなかった女。
お互いに分かり過ぎるほど気持ちが分かっていながら、すれ違ってゆく男女の悲哀を、「眺めのいい部屋」「モーリス」の名匠ジェームズ・アイヴォリーが重厚に描いた秀作です。
1958年イギリス、イングランド東部オックスフォード。
広大な屋敷、ダーリントン・ホールの以前の持ち主ダーリントン卿(ジェームズ・フォックス)はすでに亡く、現在はアメリカ人の富豪ルイス(クリストファー・リーブ)の手に渡っています。
ダーリントン卿の元で長く執事を務めていたジェームズ・スティーブンス(アンソニー・ホプキンス)は、ダーリントン・ホールの持ち主が変わった現在も執事としてルイスに仕えています。
そんなある日、以前の女中頭ミス・ケントン(エマ・トンプソン)からスティーブンスのもとに手紙が届きます。
娘も成長して手が離れたから、もう一度働かせてもらいたい、といった内容に加えて、結婚生活の陰りをうかがわせる文面にスティーブンスの気持ちはゆらぎ、彼女の元へ出かける決心をします。
ダーリントン・ホールから外の世界へ出たことのないスティーブンスにルイスは車を貸し与え、
「世界を見たほうがいい」と言うルイスに対して、スティーブンスはこう応えます。
「世界のほうから、ここへやってきていましたから」
そして物語は20年前へとさかのぼってゆきます。
1938年、ダーリントン・ホールでは世界の要人が集まり、第一次世界大戦後の莫大な賠償金を負わされたドイツに対する扱いをどうするかで議論が戦わされています。
ダーリントン・ホールの持ち主ダーリントン卿はドイツへの復興援助を主張し、満場の同意を得ますが、それに真っ向から反対をしたのがアメリカ人のルイスでした。
若手の政治家として頭角を現し始めたルイスは、政治は貴族のようなシロウトがするものではなく、プロに任せるべきだと反論。満場の失笑を買います。
しかし、その年の3月にナチス・ドイツはオーストリアを併合。
11月には「水晶の夜」と呼ばれるユダヤ人への迫害が始まります。
時代が大きく動いてゆく中で、ダーリントン・ホールに新しい女中頭が採用されます。
勝気ではあるけど仕事熱心な女性、ミス・ケントンです。
初対面の面接からいきなり悪感情を持ったスティーブンスとミス・ケントンでしたが、厳格な中にも繊細な一面をのぞかせるスティーブンスにミス・ケントンは次第に興味を持ち始めます。
執事という仕事の中で最も重要な特性は“品格”だと考えるスティーブンスは、その言葉通り、柔らかな物腰と穏やかな話しぶりの中に、禁欲的な気高さを感じさせる風格を備えた男性でしたが、男女間の恋愛については、低俗な恋愛小説から学び取ることしかできない、生身の女性心理を理解できない男でもありました。
やがてミス・ケントンは以前からの同僚であったベン(ティム・ピゴット・スミス)に求婚され、スティーブンスへの密かな想いに迷い苦しみながら、ベンとの結婚に踏み切り、町を去ってゆきます。
世界は大きく動き、親ナチスの姿勢を鮮明にしていたダーリントン卿はユダヤ人排斥にも加担しますが、貴族的な人間性を失うことのなかった彼は自分の罪を悔い、世間からも非難を浴びながら次第に正気を失ってゆき、静かに世を去ります。
……そして20年後。
ミス・ケントンからの手紙を受け取ったスティーブンスは彼女との再会を果たしますが、孫の誕生と世話のためにダーリントン・ホールでの仕事ができなくなったことを彼女に告げられ、雨のそぼ降るバス停で、再会を約束することもなく、バスに乗り込んだミス・ケントンをスティーブンスは黙って見つめ、滲む窓ガラスに映るミス・ケントンの涙をこらえた表情が次第に遠ざかってゆきます。
今や名優の域に達したアンソニー・ホプキンスですが、かつて出演した「ジャガーノート」(1974年)、「エレファント・マン」(1980年)などの作品にヒット作はあったものの、神経質なイギリス人といった印象で存在感に乏しく、目立つような俳優ではなかったのですが、それがどうしたことか、突然、強烈な個性派俳優として名を挙げたのが「羊たちの沈黙」(1991年)の高度な知性と異常な精神病を併せ持ったハンニバル・レクター博士でした。
それからの活躍は、ハンニバル・レクターとアンソニー・ホプキンスがダブッて見えるほど強烈なレクター博士のイメージがつきまといました。
本作「日の名残り」ではアカデミー賞の主演男優賞にはノミネートで終わりましたが、その落ち着いた物腰からにじみ出る仕事に対する禁欲的な姿勢と、逆に恋愛に関しては臆病なほど内向的なスティーブンスの人間性は、それまでの自信に満ち溢れたレクター博士のようなキャラクターとは打って変わった人物像を作り上げました。
ミス・ケントンに「ハワーズ・エンド」(1992年)、「父の祈りを」(1993年)、「いつか晴れた日に」(1995年)など、数々の主演女優賞に名前の挙がる実力派のエマ・トンプソン。
個人的には「日の名残り」と同年の作品である「父の祈りを」で演じた女性弁護士ギャレス・ピアースの熱演がとても印象に残っています。
ダーリントン卿に「インドへの道」(1984年)、「ロシア・ハウス」(1990年)、「パトリオット・ゲーム」(1992年)のジェームズ・フォックス。
富豪のアメリカ人、ルイスに「スーパーマン」シリーズ、「デストラップ・死の罠」(1982年)のクリストファー・リーブ。
クリストファー・リーブは1995年に落馬事故を起こし、脊髄損傷のため車イス生活を余儀なくされましたが、以後も社会活動など精力的な活動を続けていましたが、2004年に心不全を発症、惜しまれながら52歳で世を去っています。
第一次から第二次への世界大戦を背景としていますが、物語の主な舞台となるのはダーリントン・ホールで、世界の趨勢(すうせい)という大局的な渦の中ですれ違う男女の恋を、20年の空白を経ながらも結局は別れてしまわなければならない悲哀を描いています。
でも、湿っぽく終わるのではなくて、ミス・ケントンと別れ、ダーリントン・ホールへ戻ったスティーブンスがルイスと一緒に部屋へ迷い込んだ鳩を逃がしてやるラストは、暗さから明るさへと解き放たれてゆくダーリントン・ホールを象徴しているようで、爽やかな後味を残しました。
1989年に英国最高の栄誉ある文学賞といわれるブッカー賞を受賞したカズオ・イシグロの同名小説を映画化したものですが、映画は原作より一歩踏み込んだといいますか、スティーブンスとミス・ケントンのロマンスは、原作では遠い日のほろ苦い思い出としてポツリポツリと語られるのに対し、映画ではかなり掘り下げて描かれました。
原作のテーマ性と格調の高さを損ねることなく描かれた恋愛映画と見ることもできますが、男女のロマンスを前面に出したことで映画的な成功を収めたといえます。
映画に劣らず原作はかなり感動的です。
大英帝国の過去の栄光と、その中心的役割を果たしたダーリントン・ホールでの国際会議。
イギリスの美しい田舎の風景と共に、そこに生活する素朴な人々との交流を通して、スティーブンスが過去を回想するという形式で語られてゆきます。
大きく動いてゆく時代の中で、ダーリントン卿とスティーブンスの主従関係を軸に描かれた小説「日の名残り」は、偉大な執事としての特質「品格」をストイックなまでに追究したスティーブンスと、没落してゆく貴族社会の華やかな過去の想い出、また、ミス・ケントンとの淡いロマンスと永遠の別れなどが溶け合って、深い哀愁を帯びた感動を与えてくれます。
1993年イギリス
監督ジェームズ・アイヴォリー
原作カズオ・イシグロ
脚本ルイース・プラワー・ジャブバーラ
撮影トニー・ピアース・ロバーツ
音楽リチャード・ロビンズ
〈キャスト〉
アンソニー・ホプキンス エマ・トンプソン
クリストファー・リーブ ジェームズ・フォックス
第66回アカデミー賞主演男優賞、主演女優賞、
監督賞、美術賞他8部門ノミネート
ノーベル賞作家カズオ・イシグロの同名小説を映画化。
台頭するナチス・ドイツに対する政治的判断を誤った貴族の没落を背景に、あまりにも謹厳で職務への忠実さゆえに愛をつかむことのできなかった男と、彼への愛を秘めながら、もう一歩を踏み出すことのできなかった女。
お互いに分かり過ぎるほど気持ちが分かっていながら、すれ違ってゆく男女の悲哀を、「眺めのいい部屋」「モーリス」の名匠ジェームズ・アイヴォリーが重厚に描いた秀作です。
1958年イギリス、イングランド東部オックスフォード。
広大な屋敷、ダーリントン・ホールの以前の持ち主ダーリントン卿(ジェームズ・フォックス)はすでに亡く、現在はアメリカ人の富豪ルイス(クリストファー・リーブ)の手に渡っています。
ダーリントン卿の元で長く執事を務めていたジェームズ・スティーブンス(アンソニー・ホプキンス)は、ダーリントン・ホールの持ち主が変わった現在も執事としてルイスに仕えています。
そんなある日、以前の女中頭ミス・ケントン(エマ・トンプソン)からスティーブンスのもとに手紙が届きます。
娘も成長して手が離れたから、もう一度働かせてもらいたい、といった内容に加えて、結婚生活の陰りをうかがわせる文面にスティーブンスの気持ちはゆらぎ、彼女の元へ出かける決心をします。
ダーリントン・ホールから外の世界へ出たことのないスティーブンスにルイスは車を貸し与え、
「世界を見たほうがいい」と言うルイスに対して、スティーブンスはこう応えます。
「世界のほうから、ここへやってきていましたから」
そして物語は20年前へとさかのぼってゆきます。
1938年、ダーリントン・ホールでは世界の要人が集まり、第一次世界大戦後の莫大な賠償金を負わされたドイツに対する扱いをどうするかで議論が戦わされています。
ダーリントン・ホールの持ち主ダーリントン卿はドイツへの復興援助を主張し、満場の同意を得ますが、それに真っ向から反対をしたのがアメリカ人のルイスでした。
若手の政治家として頭角を現し始めたルイスは、政治は貴族のようなシロウトがするものではなく、プロに任せるべきだと反論。満場の失笑を買います。
しかし、その年の3月にナチス・ドイツはオーストリアを併合。
11月には「水晶の夜」と呼ばれるユダヤ人への迫害が始まります。
時代が大きく動いてゆく中で、ダーリントン・ホールに新しい女中頭が採用されます。
勝気ではあるけど仕事熱心な女性、ミス・ケントンです。
初対面の面接からいきなり悪感情を持ったスティーブンスとミス・ケントンでしたが、厳格な中にも繊細な一面をのぞかせるスティーブンスにミス・ケントンは次第に興味を持ち始めます。
執事という仕事の中で最も重要な特性は“品格”だと考えるスティーブンスは、その言葉通り、柔らかな物腰と穏やかな話しぶりの中に、禁欲的な気高さを感じさせる風格を備えた男性でしたが、男女間の恋愛については、低俗な恋愛小説から学び取ることしかできない、生身の女性心理を理解できない男でもありました。
やがてミス・ケントンは以前からの同僚であったベン(ティム・ピゴット・スミス)に求婚され、スティーブンスへの密かな想いに迷い苦しみながら、ベンとの結婚に踏み切り、町を去ってゆきます。
世界は大きく動き、親ナチスの姿勢を鮮明にしていたダーリントン卿はユダヤ人排斥にも加担しますが、貴族的な人間性を失うことのなかった彼は自分の罪を悔い、世間からも非難を浴びながら次第に正気を失ってゆき、静かに世を去ります。
……そして20年後。
ミス・ケントンからの手紙を受け取ったスティーブンスは彼女との再会を果たしますが、孫の誕生と世話のためにダーリントン・ホールでの仕事ができなくなったことを彼女に告げられ、雨のそぼ降るバス停で、再会を約束することもなく、バスに乗り込んだミス・ケントンをスティーブンスは黙って見つめ、滲む窓ガラスに映るミス・ケントンの涙をこらえた表情が次第に遠ざかってゆきます。
今や名優の域に達したアンソニー・ホプキンスですが、かつて出演した「ジャガーノート」(1974年)、「エレファント・マン」(1980年)などの作品にヒット作はあったものの、神経質なイギリス人といった印象で存在感に乏しく、目立つような俳優ではなかったのですが、それがどうしたことか、突然、強烈な個性派俳優として名を挙げたのが「羊たちの沈黙」(1991年)の高度な知性と異常な精神病を併せ持ったハンニバル・レクター博士でした。
それからの活躍は、ハンニバル・レクターとアンソニー・ホプキンスがダブッて見えるほど強烈なレクター博士のイメージがつきまといました。
本作「日の名残り」ではアカデミー賞の主演男優賞にはノミネートで終わりましたが、その落ち着いた物腰からにじみ出る仕事に対する禁欲的な姿勢と、逆に恋愛に関しては臆病なほど内向的なスティーブンスの人間性は、それまでの自信に満ち溢れたレクター博士のようなキャラクターとは打って変わった人物像を作り上げました。
ミス・ケントンに「ハワーズ・エンド」(1992年)、「父の祈りを」(1993年)、「いつか晴れた日に」(1995年)など、数々の主演女優賞に名前の挙がる実力派のエマ・トンプソン。
個人的には「日の名残り」と同年の作品である「父の祈りを」で演じた女性弁護士ギャレス・ピアースの熱演がとても印象に残っています。
ダーリントン卿に「インドへの道」(1984年)、「ロシア・ハウス」(1990年)、「パトリオット・ゲーム」(1992年)のジェームズ・フォックス。
富豪のアメリカ人、ルイスに「スーパーマン」シリーズ、「デストラップ・死の罠」(1982年)のクリストファー・リーブ。
クリストファー・リーブは1995年に落馬事故を起こし、脊髄損傷のため車イス生活を余儀なくされましたが、以後も社会活動など精力的な活動を続けていましたが、2004年に心不全を発症、惜しまれながら52歳で世を去っています。
第一次から第二次への世界大戦を背景としていますが、物語の主な舞台となるのはダーリントン・ホールで、世界の趨勢(すうせい)という大局的な渦の中ですれ違う男女の恋を、20年の空白を経ながらも結局は別れてしまわなければならない悲哀を描いています。
でも、湿っぽく終わるのではなくて、ミス・ケントンと別れ、ダーリントン・ホールへ戻ったスティーブンスがルイスと一緒に部屋へ迷い込んだ鳩を逃がしてやるラストは、暗さから明るさへと解き放たれてゆくダーリントン・ホールを象徴しているようで、爽やかな後味を残しました。
1989年に英国最高の栄誉ある文学賞といわれるブッカー賞を受賞したカズオ・イシグロの同名小説を映画化したものですが、映画は原作より一歩踏み込んだといいますか、スティーブンスとミス・ケントンのロマンスは、原作では遠い日のほろ苦い思い出としてポツリポツリと語られるのに対し、映画ではかなり掘り下げて描かれました。
原作のテーマ性と格調の高さを損ねることなく描かれた恋愛映画と見ることもできますが、男女のロマンスを前面に出したことで映画的な成功を収めたといえます。
映画に劣らず原作はかなり感動的です。
大英帝国の過去の栄光と、その中心的役割を果たしたダーリントン・ホールでの国際会議。
イギリスの美しい田舎の風景と共に、そこに生活する素朴な人々との交流を通して、スティーブンスが過去を回想するという形式で語られてゆきます。
大きく動いてゆく時代の中で、ダーリントン卿とスティーブンスの主従関係を軸に描かれた小説「日の名残り」は、偉大な執事としての特質「品格」をストイックなまでに追究したスティーブンスと、没落してゆく貴族社会の華やかな過去の想い出、また、ミス・ケントンとの淡いロマンスと永遠の別れなどが溶け合って、深い哀愁を帯びた感動を与えてくれます。