この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
広告
posted by fanblog
2019年02月19日
映画「レベッカ」存在と非存在のミステリー
「レベッカ」(Rebecca)
1940年 アメリカ
監督アルフレッド・ヒッチコック
原作ダフネ・デュ・モーリア
脚本ロバート・E・シャーウッド
ショーン・ハリソン
音楽フランツ・ワックスマン
撮影ジョージ・バーンズ
第13回アカデミー賞作品賞, 撮影賞受賞。
〈キャスト〉
ジョーン・フォンテイン ジョージ・サンダース
ローレンス・オリヴィエ
「昨夜、私はまたマンダレイへ行った夢をみた」
若い女性の追想で始まるダフネ・デュ・モーリアの長編小説「レベッカ」が原作。
保養地モンテカルロで「わたし」は、城のような広大な屋敷を所有する貴族マキシム・デ・ウィンターと知り合います。
妻を亡くしたばかりのマキシムには暗い影が漂っていますが、「わたし」は20歳以上も年上のマキシムに惹かれ、マキシムもまた、“見すぼらしい上着とスカートをつけ、…哀れな小娘にすぎない、世間を知らない初心(うぶ)な「わたし」”に惹かれてゆき、簡素ではありますが、二人は結婚式を挙げます。
ここまでなら、「わたし」のシンデレラストーリーなのですが、マキシムと共にイギリスに帰り、広大なマンダレイに到着した日から「わたし」には悪夢のような日々が始まります。
マキシムの前妻、死んだはずのレベッカの存在が「わたし」の日常に大きな影となってまつわりつきます。
貴族社会の出来事なので、一般的には馴染みにくいように思えますが、ヒロインの「わたし」は身寄りのない、どちらかといえば内気な性格の女性であるため、読者は「わたし」の気持ちに寄り添いやすく、「わたし」と同じように疑心暗鬼にとらわれたミステリアスな世界に足を踏み入れることになります。
また、この物語の特徴的なところは、ヒロインの「わたし」に名前がなく、大きな影の存在となるレベッカはすでに死んでいて存在していません。
レベッカは知性あふれる美貌の持ち主でした。
そのレベッカの影に怯え、夫であるマキシムの愛情をも信用できなくなる「わたし」は、レベッカを崇拝する女中頭デンヴァース夫人の策略によって精神的に追い詰められてゆきます。
ですが、意外な方向へ話は進み、まさにどんでん返しといってもいい結末が「わたし」と読者を待っています。
映画「レベッカ」は、デヴィッド・O・セルズニックが製作に乗り出し、巨匠アルフレッド・ヒッチコックが監督を手がけました。
2時間を超える映画ですが、小説を読んでから映画を観ると、ストーリー展開が速すぎるのと(逆にいえば、あれだけの長編を2時間少しの時間によくまとめ上げたと思います)、この時代の映画の特徴で、俳優たちのしゃべるセリフが早口のため、せかせかした印象を受けます。
それはともかくとして、
「わたし」を演じたジョーン・フォンテインは、アカデミー主演女優賞にノミネートされ、受賞は逃しましたが、素晴らしい美貌でありながら、レベッカの大きな影に絶えず怯える少女のように繊細な表情は、とても魅力的。
レベッカの謎の死と、それにまつわるマキシム(ローレンス・オリヴィエ)の行動は、原作をそのまま映画化することは憚(はばか)られたようで、映画は多少ソフトなものになっていますが、それでも、レベッカという女性の強烈な個性が前面に現れるクライマックスは、まさに意外性の極地ともいえます。
存在する「わたし」に名前がなく(名前が表記されず)、レベッカという名前を持つ女性は、すでに死亡していて存在していません。
原作者ダフネ・デュ・モーリアの投げかけた存在と非存在が織りなすミステリーは、人間心理の内面に潜む二面性を描いたものでもあるかと思います。
監督アルフレッド・ヒッチコック
原作ダフネ・デュ・モーリア
脚本ロバート・E・シャーウッド
ショーン・ハリソン
音楽フランツ・ワックスマン
撮影ジョージ・バーンズ
第13回アカデミー賞作品賞, 撮影賞受賞。
〈キャスト〉
ジョーン・フォンテイン ジョージ・サンダース
ローレンス・オリヴィエ
「昨夜、私はまたマンダレイへ行った夢をみた」
若い女性の追想で始まるダフネ・デュ・モーリアの長編小説「レベッカ」が原作。
保養地モンテカルロで「わたし」は、城のような広大な屋敷を所有する貴族マキシム・デ・ウィンターと知り合います。
妻を亡くしたばかりのマキシムには暗い影が漂っていますが、「わたし」は20歳以上も年上のマキシムに惹かれ、マキシムもまた、“見すぼらしい上着とスカートをつけ、…哀れな小娘にすぎない、世間を知らない初心(うぶ)な「わたし」”に惹かれてゆき、簡素ではありますが、二人は結婚式を挙げます。
ここまでなら、「わたし」のシンデレラストーリーなのですが、マキシムと共にイギリスに帰り、広大なマンダレイに到着した日から「わたし」には悪夢のような日々が始まります。
マキシムの前妻、死んだはずのレベッカの存在が「わたし」の日常に大きな影となってまつわりつきます。
貴族社会の出来事なので、一般的には馴染みにくいように思えますが、ヒロインの「わたし」は身寄りのない、どちらかといえば内気な性格の女性であるため、読者は「わたし」の気持ちに寄り添いやすく、「わたし」と同じように疑心暗鬼にとらわれたミステリアスな世界に足を踏み入れることになります。
また、この物語の特徴的なところは、ヒロインの「わたし」に名前がなく、大きな影の存在となるレベッカはすでに死んでいて存在していません。
レベッカは知性あふれる美貌の持ち主でした。
そのレベッカの影に怯え、夫であるマキシムの愛情をも信用できなくなる「わたし」は、レベッカを崇拝する女中頭デンヴァース夫人の策略によって精神的に追い詰められてゆきます。
ですが、意外な方向へ話は進み、まさにどんでん返しといってもいい結末が「わたし」と読者を待っています。
映画「レベッカ」は、デヴィッド・O・セルズニックが製作に乗り出し、巨匠アルフレッド・ヒッチコックが監督を手がけました。
2時間を超える映画ですが、小説を読んでから映画を観ると、ストーリー展開が速すぎるのと(逆にいえば、あれだけの長編を2時間少しの時間によくまとめ上げたと思います)、この時代の映画の特徴で、俳優たちのしゃべるセリフが早口のため、せかせかした印象を受けます。
それはともかくとして、
「わたし」を演じたジョーン・フォンテインは、アカデミー主演女優賞にノミネートされ、受賞は逃しましたが、素晴らしい美貌でありながら、レベッカの大きな影に絶えず怯える少女のように繊細な表情は、とても魅力的。
レベッカの謎の死と、それにまつわるマキシム(ローレンス・オリヴィエ)の行動は、原作をそのまま映画化することは憚(はばか)られたようで、映画は多少ソフトなものになっていますが、それでも、レベッカという女性の強烈な個性が前面に現れるクライマックスは、まさに意外性の極地ともいえます。
存在する「わたし」に名前がなく(名前が表記されず)、レベッカという名前を持つ女性は、すでに死亡していて存在していません。
原作者ダフネ・デュ・モーリアの投げかけた存在と非存在が織りなすミステリーは、人間心理の内面に潜む二面性を描いたものでもあるかと思います。
2019年02月13日
映画「疑惑の影」- 憧れの叔父さんは殺人魔?
「疑惑の影」(Shadow of a Doubt)
1943年アメリカ
監督アルフレッド・ヒッチコック
脚本ソーントン・ワイルダー
アルマ・レヴィル
サリー・ベンソン
音楽ディミトリ・ティオムキン
撮影ジョセフ・ヴァレンタイン
〈キャスト〉
テレサ・ライト ジョゼフ・コットン
ヘンリー・トラヴァース マクドナルド・ケリー
カリフォルニアの静かな町サンタローザ。
銀行家ジョセフ・ニュートン(ヘンリー・トラヴァース)の長女であるチャーリー・ニュートン(テレサ・ライト)は、何不自由のない生活でありながら、自分の人生に変化を求めて、平凡な生活に嫌気がさしています。
そんなチャーリーのもとへ、かねてからの憧れであった叔父のチャールズ・オークリー(ジョゼフ・コットン)が現れます。
チャーリーと同じ名前を持つ叔父のチャールズ(チャーリー)がやって来たことで彼女は大喜び。
チャールズ・オークリーは成功した実業家であり、名声も高いことからニュートン一家は彼を歓迎。町での講演も依頼されたりします。
そんなチャールズですが、実は彼には連続未亡人殺人の容疑がかかっていて、姪のチャーリーは少しずつチャールズの挙動に不審を覚え、やがて殺人事件の真相を知ることになります。
★★★★★
巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督によるサスペンス・スリラーですが、「疑惑の影」という題名にいささか惑わされてしまいます。
映画半ばで疑惑はほぼ解明され、後半からはスリラーへと変化してゆくからです。
ミステリータッチでありながら、少し肩透かしをくったような展開になりますが、スリラーに突入してからのチャーリーに迫る命の危機や、ラストの列車のシーンなど、正統派スリラーの醍醐味を十分に味あわせてくれます。
チャールズ・オークリーはニュートン家に滞在することになり、家族の集う食事の最中、彼はこんなことを言います。
「暇を持て余した金持ち女は醜いブタだ」
この発言は繰り返され、カメラはチャールズ・オークリーの横顔にズンズンと迫ります。
チャールズ・オークリーという男の内面がカメラの演出で巧みに表現され、ラスコーリニコフ的な歪んだ社会感覚がチャールズの内奥を占めているのだということがあぶり出されていきます。
また、チャーリーの憧れであったカッコイイ叔父さんが実は…。
という設定は、最も近しい人が善人の仮面をかぶった恐ろしい存在だったという、人間不信をおこさせるようなスリラーになるのですが、幼児期のチャールズ・オークリーの様子が姉の口から語られることによって、彼の歪んだ人間性の一旦を垣間見ることになります。
さらに特筆すべきは、可憐なヒロインを演じたテレサ・ライト。
後年のヒッチコック好みのブロンドの美女というより、清楚な雰囲気を漂わせた美人で、退屈な日常を憂(うれ)いていた彼女が、死を目前にする恐怖に追いやられてしまうストーリー展開は「青い鳥」を裏返しにしたような、寓話的な面白さを感じました。
ただ、欠点もいくつか見られて、時間的な制約があったのか、政府の調査員のジャック・グラハム(マクドナルド・ケリー)が刑事だと分かってしまう場面は唐突な感じで、編集でどこかのシーンがカットされたような印象が残りましたし、執拗に繰り返される「メリー・ウィドウ・ワルツ」はチャールズの暗い過去に関連があったように思われるのですが、それもいつの間にか立ち消えになってしまいました。
それでもヒッチコックの演出の冴えは随所に光り、ジョゼフ・コットンの名演技、テレサ・ライトの可憐な魅力、ヘンリー・トラヴァースのおっとりとした人間味とユーモアなど、戦時中の映画とは思えない、ゆったりとした時代性すら感じさせる佳作です。
監督アルフレッド・ヒッチコック
脚本ソーントン・ワイルダー
アルマ・レヴィル
サリー・ベンソン
音楽ディミトリ・ティオムキン
撮影ジョセフ・ヴァレンタイン
〈キャスト〉
テレサ・ライト ジョゼフ・コットン
ヘンリー・トラヴァース マクドナルド・ケリー
カリフォルニアの静かな町サンタローザ。
銀行家ジョセフ・ニュートン(ヘンリー・トラヴァース)の長女であるチャーリー・ニュートン(テレサ・ライト)は、何不自由のない生活でありながら、自分の人生に変化を求めて、平凡な生活に嫌気がさしています。
そんなチャーリーのもとへ、かねてからの憧れであった叔父のチャールズ・オークリー(ジョゼフ・コットン)が現れます。
チャーリーと同じ名前を持つ叔父のチャールズ(チャーリー)がやって来たことで彼女は大喜び。
チャールズ・オークリーは成功した実業家であり、名声も高いことからニュートン一家は彼を歓迎。町での講演も依頼されたりします。
そんなチャールズですが、実は彼には連続未亡人殺人の容疑がかかっていて、姪のチャーリーは少しずつチャールズの挙動に不審を覚え、やがて殺人事件の真相を知ることになります。
★★★★★
巨匠アルフレッド・ヒッチコック監督によるサスペンス・スリラーですが、「疑惑の影」という題名にいささか惑わされてしまいます。
映画半ばで疑惑はほぼ解明され、後半からはスリラーへと変化してゆくからです。
ミステリータッチでありながら、少し肩透かしをくったような展開になりますが、スリラーに突入してからのチャーリーに迫る命の危機や、ラストの列車のシーンなど、正統派スリラーの醍醐味を十分に味あわせてくれます。
チャールズ・オークリーはニュートン家に滞在することになり、家族の集う食事の最中、彼はこんなことを言います。
「暇を持て余した金持ち女は醜いブタだ」
この発言は繰り返され、カメラはチャールズ・オークリーの横顔にズンズンと迫ります。
チャールズ・オークリーという男の内面がカメラの演出で巧みに表現され、ラスコーリニコフ的な歪んだ社会感覚がチャールズの内奥を占めているのだということがあぶり出されていきます。
また、チャーリーの憧れであったカッコイイ叔父さんが実は…。
という設定は、最も近しい人が善人の仮面をかぶった恐ろしい存在だったという、人間不信をおこさせるようなスリラーになるのですが、幼児期のチャールズ・オークリーの様子が姉の口から語られることによって、彼の歪んだ人間性の一旦を垣間見ることになります。
さらに特筆すべきは、可憐なヒロインを演じたテレサ・ライト。
後年のヒッチコック好みのブロンドの美女というより、清楚な雰囲気を漂わせた美人で、退屈な日常を憂(うれ)いていた彼女が、死を目前にする恐怖に追いやられてしまうストーリー展開は「青い鳥」を裏返しにしたような、寓話的な面白さを感じました。
ただ、欠点もいくつか見られて、時間的な制約があったのか、政府の調査員のジャック・グラハム(マクドナルド・ケリー)が刑事だと分かってしまう場面は唐突な感じで、編集でどこかのシーンがカットされたような印象が残りましたし、執拗に繰り返される「メリー・ウィドウ・ワルツ」はチャールズの暗い過去に関連があったように思われるのですが、それもいつの間にか立ち消えになってしまいました。
それでもヒッチコックの演出の冴えは随所に光り、ジョゼフ・コットンの名演技、テレサ・ライトの可憐な魅力、ヘンリー・トラヴァースのおっとりとした人間味とユーモアなど、戦時中の映画とは思えない、ゆったりとした時代性すら感じさせる佳作です。