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2020年02月27日
映画「ノー・マンズ・ランド」−予想を超えたラストの残酷な滑稽さ
「ノー・マンズ・ランド」
(No Man’s Land) 2001年
ボスニア・ヘルツェゴビナ スロベニア イタリア
フランス イギリス ベルギー
監督・脚本・音楽ダニス・タノヴィッチ
撮影ウォルター・ヴァンデン・エンデ
〈キャスト〉
ブランコ・ジュリッチ レネ・ビトラヤツ
フィリプ・ショヴァゴヴィッチ
第54回カンヌ国際映画祭脚本賞/ セザール賞最優秀新人監督賞
第74回アカデミー賞外国語映画賞/他受賞多数
ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争下、両軍の中間地帯(ノー・マンズ・ランド)に取り残されたボスニア兵とセルビア兵の二人の憎しみや、ふとした会話から芽生え始める融和。
しかし、ボスニア兵の死体(後に生きていることが判明)の下に仕掛けられた地雷の撤去をめぐって、国連の防護軍やジャーナリスト、サラエボ本部の二転三転する緊迫した状況が展開され、一瞬たりとも目が離せません。
戦争の残酷さを、ときにはユーモアを交えて突き付ける反戦映画で、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が扱われますが、戦争という普遍的なテーマを追求しているためなのか、その背景となっている紛争の説明はほとんどありません。
なので、簡単に経緯をたどってみましょう。
中世から20世紀初頭にかけてヨーロッパに君臨して絶大な権力を誇ったハプスブルク家の帝国のひとつオーストリア=ハンガリー帝国が第一次世界大戦を経て解体され、1918年にバルカン半島の西にユーゴスラビア王国が誕生。
第二次世界大戦ではナチス・ドイツや他の諸国によって侵攻を受け、ユーゴスラビア王国はそれらの国々の支配地域のために分断されてゆきます。
後にユーゴスラビアで大きな影響力を持つことになるチトーの登場と、ナチス・ドイツの降伏、ゲリラ戦を戦い抜いたパルチザンたちの手によってユーゴスラビアの統一と独立がなされ、ユーゴスラビア連邦が樹立。
しかし多様な民族を抱えたユーゴは民族紛争が激化、内戦に突入します。
1991年にはスロベニアが独立。続いてマケドニアが独立。
さらに分離独立とセルビア系住民との対立からクロアチア紛争が勃発し、激しい戦いの末にクロアチアが独立。
1992年にはボスニア・ヘルツェゴビナも独立しますが、ボスニアからの独立を目指したセルビアとの間で、「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」が勃発することになります。
映画「ノー・マンズ・ランド」はボスニア・ヘルツェゴビナの紛争における戦場の一コマを扱い、人間同士の憎しみや、戦場においてひとつの命を救うことの困難さと地雷という小さな兵器ひとつに右往左往させられる悲劇的な滑稽さを描いた人間ドラマです。
ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争地帯。
闇に紛れて霧の中を進むボスニア軍の兵士たちは道に迷ってしまいます。
セルビア軍の陣地にまで入り込んだことが判ったときにはすでに遅く、夜明けと共に始まったセルビア軍の攻撃にさらされたボスニア軍の兵士たちは壊滅しますが、チキ(ブランコ・ジュリッチ)とツェラ(フィリップ・ショヴァゴヴィッチ)の二人は、両軍の中間地帯(ノー・マンズ・ランド)にある塹壕の附近まで走り込み、容赦のないセルビア軍の砲撃によってチキとツェラは吹き飛ばされてしまいます。
砲撃を停止したセルビア軍の陣地から、古参兵(ムスタファ・ナダレヴィッチ)と新兵のニノ(レネ・ビトラヤツ)の二人が偵察に向かいます。
一方、塹壕の中で意識を回復したチキは、銃を手に物陰に隠れ、セルビア兵の様子をうかがいます。
地面に倒れているツェラの死体の他に誰もいないことを確認した古参兵は、ツェラの死体の下に地雷を埋め込みます。
どうしてそんなことをするのか、と聞くニノに古参兵は答えます。
「こうしておけば、こいつを動かそうとした途端に、爆発だ」
二人は立ち去ろうとしますが、物陰に潜んでいたチキは隙をみて飛び出し二人を銃撃します。
古参兵は死亡しましたが、ニノは負傷しただけで助かり、チキとニノの間には緊張した空気が生まれます。
チキの隙を見て銃を奪ったニノと、武器を失ったチキの立場が逆転する中で、死んだと思っていたツェラは意識を失っていただけで、体の下に地雷が設置されていることを知ったツェラは、自分が身動きの取れない状況に置かれていることを知ります。
簡単に取り外せるものと高を括(くく)っていたチキとニノでしたが、それは特殊な地雷で、自分たちの手に負えないとみたチキとニノは、両軍に停戦を呼びかけ、地雷撤去のために国連の防護軍が現場に向かうことになりますが…。
「世界の火薬庫」と呼ばれたバルカン半島(地政学的にはバルカン地域)。
多くの民族、宗教、言語が混在し、紛争の絶え間のないバルカンでは幾度となく国境線が塗り替えられ、作り替えられてきました。
戦争の世紀と呼ばれた20世紀が過ぎ、21世紀になった現在でも数々の紛争は世界各地で起きており、おそらく、地球上に人類が存在する以上、地上から戦争がなくなることはないと思います。
「ノー・マンズ・ランド」では、一体どうしてこんなことが起こるんだ! お前たちが悪いんだ! いや、お前たちだ! といったやり取りがチキとニノの間で交わされますが、紛争に明け暮れたバルカン地域の中で、もう何がどうなっているのか、そんな絶望的な状況をヤケッパチとも思えるユーモアをぶつけて描き出しました。
そこには勝者もなく、敗者もなく、ただ、無意味で残酷な結末が観る者に戦争の愚かしさを突き付けます。
監督はボスニア・ヘルツェゴビナ出身のダニス・タノヴィッチ。
「ノー・マンズ・ランド」以降も「「鉄くず拾いの物語」(2013年)、「汚れたミルク/あるセールスマンの告発」(2014年)、「サラエヴォの銃声」(2016年)など、社会性のある話題作を発表。数々の賞を受賞しています。
ボスニア兵チキに、俳優でミュージシャンでもあるブランコ・ジュリッチ。
セルビア兵ニノにクロアチア出身のレネ・ビトラヤツ。
サラエボ本部のソフト大佐に「アマデウス」(1984年)、「眺めのいい部屋」(1985年)、「オペラ座の怪人」(2004年)などの名優サイモン・キャロウ。
セクシーで美人の秘書を常に従え、状況を把握しながらも大事の中の小事は切り捨ててしまう、イヤな軍人像でありながらも強い印象を残しました。
野心に燃えるマスコミのジェーン・リヴィングストン特派員にカトリン・カートリッジ。
この人は「ノー・マンズ・ランド」の翌年2002年「デブラ・ウィンガーを探して」の出演を最後に41歳の若さで病死しています。
二転三転するストーリー展開、ひとり取り残されるツェラの映像と哀切な歌が流れるラストは、愚かしくも滑稽で、かつ残酷な人間世界の断面をえぐり出したといえます。
ボスニア・ヘルツェゴビナ スロベニア イタリア
フランス イギリス ベルギー
監督・脚本・音楽ダニス・タノヴィッチ
撮影ウォルター・ヴァンデン・エンデ
〈キャスト〉
ブランコ・ジュリッチ レネ・ビトラヤツ
フィリプ・ショヴァゴヴィッチ
第54回カンヌ国際映画祭脚本賞/ セザール賞最優秀新人監督賞
第74回アカデミー賞外国語映画賞/他受賞多数
ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争下、両軍の中間地帯(ノー・マンズ・ランド)に取り残されたボスニア兵とセルビア兵の二人の憎しみや、ふとした会話から芽生え始める融和。
しかし、ボスニア兵の死体(後に生きていることが判明)の下に仕掛けられた地雷の撤去をめぐって、国連の防護軍やジャーナリスト、サラエボ本部の二転三転する緊迫した状況が展開され、一瞬たりとも目が離せません。
戦争の残酷さを、ときにはユーモアを交えて突き付ける反戦映画で、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が扱われますが、戦争という普遍的なテーマを追求しているためなのか、その背景となっている紛争の説明はほとんどありません。
なので、簡単に経緯をたどってみましょう。
中世から20世紀初頭にかけてヨーロッパに君臨して絶大な権力を誇ったハプスブルク家の帝国のひとつオーストリア=ハンガリー帝国が第一次世界大戦を経て解体され、1918年にバルカン半島の西にユーゴスラビア王国が誕生。
第二次世界大戦ではナチス・ドイツや他の諸国によって侵攻を受け、ユーゴスラビア王国はそれらの国々の支配地域のために分断されてゆきます。
後にユーゴスラビアで大きな影響力を持つことになるチトーの登場と、ナチス・ドイツの降伏、ゲリラ戦を戦い抜いたパルチザンたちの手によってユーゴスラビアの統一と独立がなされ、ユーゴスラビア連邦が樹立。
しかし多様な民族を抱えたユーゴは民族紛争が激化、内戦に突入します。
1991年にはスロベニアが独立。続いてマケドニアが独立。
さらに分離独立とセルビア系住民との対立からクロアチア紛争が勃発し、激しい戦いの末にクロアチアが独立。
1992年にはボスニア・ヘルツェゴビナも独立しますが、ボスニアからの独立を目指したセルビアとの間で、「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争」が勃発することになります。
映画「ノー・マンズ・ランド」はボスニア・ヘルツェゴビナの紛争における戦場の一コマを扱い、人間同士の憎しみや、戦場においてひとつの命を救うことの困難さと地雷という小さな兵器ひとつに右往左往させられる悲劇的な滑稽さを描いた人間ドラマです。
ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争地帯。
闇に紛れて霧の中を進むボスニア軍の兵士たちは道に迷ってしまいます。
セルビア軍の陣地にまで入り込んだことが判ったときにはすでに遅く、夜明けと共に始まったセルビア軍の攻撃にさらされたボスニア軍の兵士たちは壊滅しますが、チキ(ブランコ・ジュリッチ)とツェラ(フィリップ・ショヴァゴヴィッチ)の二人は、両軍の中間地帯(ノー・マンズ・ランド)にある塹壕の附近まで走り込み、容赦のないセルビア軍の砲撃によってチキとツェラは吹き飛ばされてしまいます。
砲撃を停止したセルビア軍の陣地から、古参兵(ムスタファ・ナダレヴィッチ)と新兵のニノ(レネ・ビトラヤツ)の二人が偵察に向かいます。
一方、塹壕の中で意識を回復したチキは、銃を手に物陰に隠れ、セルビア兵の様子をうかがいます。
地面に倒れているツェラの死体の他に誰もいないことを確認した古参兵は、ツェラの死体の下に地雷を埋め込みます。
どうしてそんなことをするのか、と聞くニノに古参兵は答えます。
「こうしておけば、こいつを動かそうとした途端に、爆発だ」
二人は立ち去ろうとしますが、物陰に潜んでいたチキは隙をみて飛び出し二人を銃撃します。
古参兵は死亡しましたが、ニノは負傷しただけで助かり、チキとニノの間には緊張した空気が生まれます。
チキの隙を見て銃を奪ったニノと、武器を失ったチキの立場が逆転する中で、死んだと思っていたツェラは意識を失っていただけで、体の下に地雷が設置されていることを知ったツェラは、自分が身動きの取れない状況に置かれていることを知ります。
簡単に取り外せるものと高を括(くく)っていたチキとニノでしたが、それは特殊な地雷で、自分たちの手に負えないとみたチキとニノは、両軍に停戦を呼びかけ、地雷撤去のために国連の防護軍が現場に向かうことになりますが…。
「世界の火薬庫」と呼ばれたバルカン半島(地政学的にはバルカン地域)。
多くの民族、宗教、言語が混在し、紛争の絶え間のないバルカンでは幾度となく国境線が塗り替えられ、作り替えられてきました。
戦争の世紀と呼ばれた20世紀が過ぎ、21世紀になった現在でも数々の紛争は世界各地で起きており、おそらく、地球上に人類が存在する以上、地上から戦争がなくなることはないと思います。
「ノー・マンズ・ランド」では、一体どうしてこんなことが起こるんだ! お前たちが悪いんだ! いや、お前たちだ! といったやり取りがチキとニノの間で交わされますが、紛争に明け暮れたバルカン地域の中で、もう何がどうなっているのか、そんな絶望的な状況をヤケッパチとも思えるユーモアをぶつけて描き出しました。
そこには勝者もなく、敗者もなく、ただ、無意味で残酷な結末が観る者に戦争の愚かしさを突き付けます。
監督はボスニア・ヘルツェゴビナ出身のダニス・タノヴィッチ。
「ノー・マンズ・ランド」以降も「「鉄くず拾いの物語」(2013年)、「汚れたミルク/あるセールスマンの告発」(2014年)、「サラエヴォの銃声」(2016年)など、社会性のある話題作を発表。数々の賞を受賞しています。
ボスニア兵チキに、俳優でミュージシャンでもあるブランコ・ジュリッチ。
セルビア兵ニノにクロアチア出身のレネ・ビトラヤツ。
サラエボ本部のソフト大佐に「アマデウス」(1984年)、「眺めのいい部屋」(1985年)、「オペラ座の怪人」(2004年)などの名優サイモン・キャロウ。
セクシーで美人の秘書を常に従え、状況を把握しながらも大事の中の小事は切り捨ててしまう、イヤな軍人像でありながらも強い印象を残しました。
野心に燃えるマスコミのジェーン・リヴィングストン特派員にカトリン・カートリッジ。
この人は「ノー・マンズ・ランド」の翌年2002年「デブラ・ウィンガーを探して」の出演を最後に41歳の若さで病死しています。
二転三転するストーリー展開、ひとり取り残されるツェラの映像と哀切な歌が流れるラストは、愚かしくも滑稽で、かつ残酷な人間世界の断面をえぐり出したといえます。
2020年02月16日
映画「鬼戦車T-34」- ナチスの包囲網を突っ切れ! 爆走するT-34
「鬼戦車T-34」
(Жаворонок) 1965年 ソビエト
監督ニキータ・クリーヒン
レオニード・メナケル
脚本ミハイル・ドウジン
セルゲイ・オルロフ
撮影ウラジミール・カラセフ
ニコライ・ジーリン
〈キャスト〉
ヴャチエスラフ・グレンコフ ゲンナジー・ユフチン
ワレリー・ポゴレリツェフ ヴァレンチン・スクルメ
第二次世界大戦のさなか、ドイツ軍の捕虜収容所で捕虜となっていたソ連の兵士たちはドイツ軍が開発中の新型砲弾の射撃訓練の標的にされていて、このままでは殺されてしまうから逃げようぜ、といって脱走を図るお話で、ソビエト兵3名とフランス兵1名の4人が一台の戦車に乗り込んだまま逃走を図った実話によります。
捕虜収容所からの実話をもとにした脱走劇といえば「大脱走」(1963年)が有名ですが、この「鬼戦車T-34」も娯楽性にあふれた、かなり見ごたえのある映画です。
1942年、ドイツ東部の捕虜収容所。
ソ連軍の捕虜イワン(ヴャチェスラフ・グレンコフ)は戦車操縦の経験を買われ、収容所で行われている戦車の整備を命じられます。
戦車の整備には他のソ連兵もあたっていましたが、イワンだけがドイツ軍に特別視されていることで、彼は捕虜仲間からは冷たい視線を向けられます。
ドイツ軍が取り組んでいたのはソ連戦に対しての新型砲弾の実験で、ソ連の最新戦車T-34に向けての射撃訓練でした。
演習場での訓練にあたって、その標的とされた戦車に乗り込んだのはイワンを始めとして、ピョートル(ゲンナジー・ユフチン)、アリョーシャ(ワレリー・ポゴレリツェフ)、そして、フランス兵ジャン(ヴァレンチン・スクレメ)の4名。
次々と砲弾の飛び交う中、イワンの操縦するT-34は砲弾をかわして走りますが、このままではやられてしまうと判断したイワンは、衣類を燃やして煙を出し、砲弾が命中したフリを装い、ドイツ軍が油断をしたスキを見て、そのまま演習場を突っ切って逃走を図ります。
慌てたドイツ軍は、30分以内に捕まえろ! とT-34捜索に軍用犬まで駆り出してやっきになりますが、相手は戦車とはいえ快速をもって聞こえたT-34。そう簡単には捕まりません。
森を抜け、街を突っ走り、街道を爆走してT-34はソ連領を目指しますが、じりじりと迫りくるドイツ軍の包囲網の前にジャンが倒れ、ピョートル、アリョーシャも死に、行動力の権化のようなイワンだけが残り、ドイツ軍が待ち構える中、道路を突っ切ろうとしたT-34の前に、道を横切ろうとした少年がつまずいて倒れ、戦車を止めて駆け寄ったイワンをめがけてドイツ軍の銃弾が火を吹きます。
原題は「ヒバリ」。
爆走に次ぐ爆走、記念碑や映画館をぶち壊し、死に物狂いで突っ走る戦車の映画で“ヒバリ”とはのどかすぎて感覚がズレているような気もしますが、チャイコフスキーのピアノ曲にもあるように、ロシアでヒバリは新しい生活をもたらす、といったような特別な意味があるらしく、T-34に乗って必死で逃走するイワンたちにとって、その先にあるものは新しい人生であるはずでした。
邦題の「鬼戦車…」というのは少年漫画にでも出てきそうな題名で、映画の内容からすればたしかに鬼のような戦車の話であるのには間違いないのですが、一方で、次第に芽生え始めるイワンたちの友情や、捕虜のロシア女性たちの牧草地での労働、花畑、森林、流れる小川、それらの詩情あふれる映像などは素晴らしく、娯楽性の中に抒情性を盛り込んだ、深みのある内容を持つ映画です。
それまで、ソ連の戦車は快速性はありましたが防御力に難点があり、その快速性を受け継ぎながら防御力を強化したのが機動戦を重視した中戦車T-34で、実戦投入されたのが1941年6月に始まった独ソ戦序盤のバルバロッサ作戦でした。
T-34を攻略すべくナチスは新型砲弾の開発を急いだのですから、「鬼戦車T-34」の主役はまさしく戦車T-34になろうかと思いますが、「ヒバリ」という原題が示すように、T-34をヒバリになぞらえ、それに乗って新たな人生に進もうとしたイワンたちの人間ドラマでもあるともいえます。
しかし、演習用の戦車ですから砲弾は無く、燃料も限られています。
「暁の七人」(1975年)のような悲劇的な末路が透けて見えるのですが、行動力あふれるイワンの存在が大きいためか、悲壮感はあっても一面では「俺たちに明日はない」(1967年)や、「明日に向かって撃て!」(1969年)のようなアメリカン・ニューシネマ的雰囲気を持っています。
ソ連映画といえば、国家予算をつぎ込んだ長大な映画が多い中で、エイゼンシュテインに代表される芸術的に優れた映画、レフ・トルストイの原作を忠実に映画化した超弩級の大作「戦争と平和」(1965年)、戦場での勲功によって、母親に会うために休暇をもらった通信兵の心の動きを追った「誓いの休暇」(1959年)などの名作があります。
そういったソ連映画の中で「鬼戦車T-34」は娯楽性、抒情性ともにすぐれた傑作で、分けても、捕虜となって農作業に従事しているロシア女性たちの間を縫って走るT-34と、味方だ! と叫んで戦車の後を追いかける女性たちの悲愴と歓喜の入り混じった映像は、白黒であるだけ余計に現実感をもって迫ります。
また、街に突入したT-34が、ドイツ将校たちのたむろする酒場を目がけ、実弾の入っていない砲身を向けて脅し、ビールをかっさらってくる場面の粋なこと。
アメリカン・ニューシネマならぬ、“ロシアン・ニューシネマ”と呼んでもいいような傑作です。
監督ニキータ・クリーヒン
レオニード・メナケル
脚本ミハイル・ドウジン
セルゲイ・オルロフ
撮影ウラジミール・カラセフ
ニコライ・ジーリン
〈キャスト〉
ヴャチエスラフ・グレンコフ ゲンナジー・ユフチン
ワレリー・ポゴレリツェフ ヴァレンチン・スクルメ
第二次世界大戦のさなか、ドイツ軍の捕虜収容所で捕虜となっていたソ連の兵士たちはドイツ軍が開発中の新型砲弾の射撃訓練の標的にされていて、このままでは殺されてしまうから逃げようぜ、といって脱走を図るお話で、ソビエト兵3名とフランス兵1名の4人が一台の戦車に乗り込んだまま逃走を図った実話によります。
捕虜収容所からの実話をもとにした脱走劇といえば「大脱走」(1963年)が有名ですが、この「鬼戦車T-34」も娯楽性にあふれた、かなり見ごたえのある映画です。
1942年、ドイツ東部の捕虜収容所。
ソ連軍の捕虜イワン(ヴャチェスラフ・グレンコフ)は戦車操縦の経験を買われ、収容所で行われている戦車の整備を命じられます。
戦車の整備には他のソ連兵もあたっていましたが、イワンだけがドイツ軍に特別視されていることで、彼は捕虜仲間からは冷たい視線を向けられます。
ドイツ軍が取り組んでいたのはソ連戦に対しての新型砲弾の実験で、ソ連の最新戦車T-34に向けての射撃訓練でした。
演習場での訓練にあたって、その標的とされた戦車に乗り込んだのはイワンを始めとして、ピョートル(ゲンナジー・ユフチン)、アリョーシャ(ワレリー・ポゴレリツェフ)、そして、フランス兵ジャン(ヴァレンチン・スクレメ)の4名。
次々と砲弾の飛び交う中、イワンの操縦するT-34は砲弾をかわして走りますが、このままではやられてしまうと判断したイワンは、衣類を燃やして煙を出し、砲弾が命中したフリを装い、ドイツ軍が油断をしたスキを見て、そのまま演習場を突っ切って逃走を図ります。
慌てたドイツ軍は、30分以内に捕まえろ! とT-34捜索に軍用犬まで駆り出してやっきになりますが、相手は戦車とはいえ快速をもって聞こえたT-34。そう簡単には捕まりません。
森を抜け、街を突っ走り、街道を爆走してT-34はソ連領を目指しますが、じりじりと迫りくるドイツ軍の包囲網の前にジャンが倒れ、ピョートル、アリョーシャも死に、行動力の権化のようなイワンだけが残り、ドイツ軍が待ち構える中、道路を突っ切ろうとしたT-34の前に、道を横切ろうとした少年がつまずいて倒れ、戦車を止めて駆け寄ったイワンをめがけてドイツ軍の銃弾が火を吹きます。
原題は「ヒバリ」。
爆走に次ぐ爆走、記念碑や映画館をぶち壊し、死に物狂いで突っ走る戦車の映画で“ヒバリ”とはのどかすぎて感覚がズレているような気もしますが、チャイコフスキーのピアノ曲にもあるように、ロシアでヒバリは新しい生活をもたらす、といったような特別な意味があるらしく、T-34に乗って必死で逃走するイワンたちにとって、その先にあるものは新しい人生であるはずでした。
邦題の「鬼戦車…」というのは少年漫画にでも出てきそうな題名で、映画の内容からすればたしかに鬼のような戦車の話であるのには間違いないのですが、一方で、次第に芽生え始めるイワンたちの友情や、捕虜のロシア女性たちの牧草地での労働、花畑、森林、流れる小川、それらの詩情あふれる映像などは素晴らしく、娯楽性の中に抒情性を盛り込んだ、深みのある内容を持つ映画です。
それまで、ソ連の戦車は快速性はありましたが防御力に難点があり、その快速性を受け継ぎながら防御力を強化したのが機動戦を重視した中戦車T-34で、実戦投入されたのが1941年6月に始まった独ソ戦序盤のバルバロッサ作戦でした。
T-34を攻略すべくナチスは新型砲弾の開発を急いだのですから、「鬼戦車T-34」の主役はまさしく戦車T-34になろうかと思いますが、「ヒバリ」という原題が示すように、T-34をヒバリになぞらえ、それに乗って新たな人生に進もうとしたイワンたちの人間ドラマでもあるともいえます。
しかし、演習用の戦車ですから砲弾は無く、燃料も限られています。
「暁の七人」(1975年)のような悲劇的な末路が透けて見えるのですが、行動力あふれるイワンの存在が大きいためか、悲壮感はあっても一面では「俺たちに明日はない」(1967年)や、「明日に向かって撃て!」(1969年)のようなアメリカン・ニューシネマ的雰囲気を持っています。
ソ連映画といえば、国家予算をつぎ込んだ長大な映画が多い中で、エイゼンシュテインに代表される芸術的に優れた映画、レフ・トルストイの原作を忠実に映画化した超弩級の大作「戦争と平和」(1965年)、戦場での勲功によって、母親に会うために休暇をもらった通信兵の心の動きを追った「誓いの休暇」(1959年)などの名作があります。
そういったソ連映画の中で「鬼戦車T-34」は娯楽性、抒情性ともにすぐれた傑作で、分けても、捕虜となって農作業に従事しているロシア女性たちの間を縫って走るT-34と、味方だ! と叫んで戦車の後を追いかける女性たちの悲愴と歓喜の入り混じった映像は、白黒であるだけ余計に現実感をもって迫ります。
また、街に突入したT-34が、ドイツ将校たちのたむろする酒場を目がけ、実弾の入っていない砲身を向けて脅し、ビールをかっさらってくる場面の粋なこと。
アメリカン・ニューシネマならぬ、“ロシアン・ニューシネマ”と呼んでもいいような傑作です。
2020年02月12日
映画「エクリプス」− 降霊術が呼び起こした超常現象, スペインでの事実を基に映画化
「エクリプス」
(Verónica) 2017年 スペイン
監督パコ・プラサ
脚本パコ・プラサ
フェルナンド・ナバーロ
撮影パブロ・ロッソ
音楽チュッキー・ナマネラ
〈キャスト〉
サンドラ・エスカセナ アナ・トレント
1991年にスペイン・マドリードで実際に起きた事件を基に作られたとされる作品。
父親を早くに亡くした15歳の少女が父親の声を聞きたいばかりに、日食の日に学校の地下で同級生3人と文字盤を使って降霊術を行います。
でもそれは悪霊を招き寄せる結果となってしまい、その日を境に少女の身辺には異変が起き始めます。
日本では“コックリさん”として知られる降霊術で、科学的にはいろいろな説があるようですが、それだけでは片付けられない事態も起きていますから、危険な遊びには違いなく、悪霊が入り込む場所を提供している側面もありそうです。
映画「エクリプス」が面白いと思ったのは、ありがちなホラー映画ではなく、超常現象を正面から受け止めて、安易に怖がらせようとするのではなく、エンターテイメントの要素を加えながら霊現象の異様さを丁寧に描いたところ。
原題は「ヴェロニカ」で、これは主人公の少女の名前。
邦題の「エクリプス」は事件の背景になる“日食”のことですが、映画の内容からすると原題そのままに“ヴェロニカ”のほうが適切だったんじゃないかな、と思います。
少女ヴェロニカは、働きづめでいつも家にいない母親の代わりに妹二人と小さな弟の世話をしているお姉さんで、亡くなった父親に対する強い気持ちから事件を引き起こすのですが、そんな異常現象のさなかでも妹たちを必死に守ろうとする母性の持ち主として強い印象を残し、オカルト的要素の中に少女ヴェロニカの人間性を描くことに成功していると思います。
1991年6月15日、必死に助けを求める少女の声で警察に電話が入ります。
刑事が現場に急ぎ、部屋のドアを開けて中へ入ると、懐中電灯に照らし出された光景に刑事の表情は凍り付きます。
その三日前。
ヴェロニカ(サンドラ・エスカセナ)は、いつものようにベッドで目覚め、気持ちのいい朝を迎えます。
妹たちに食事の催促をされながら、小さな弟のおねしょを着換えさせ、慌ただしく学校へと向かいます。
その日は日食があるというので、学校では観察のための準備が始まっています。
でもヴェロニカは観察には向かわず、親友のロサとその友達のディアナと共に学校の地下室へ忍び込み、文字盤を使って霊を呼び出そうとしていました。
(日食が霊を呼ぶのに都合がいいためのようです)
ヴェロニカが求めていたのは、亡くなった父の声を聞くことでした。
好奇心と遊び半分で始まった降霊術は、悪霊の侵入を招き寄せる結果となり、ヴェロニカは気を失って倒れ、学校で診察を受けて事なきを得ますが、その日を境にヴェロニカと妹たちの身辺では異常な出来事が次々と起こり始めます。
恐怖にかられたヴェロニカは、母のアナ(アナ・トレント)にも相談しますが、忙しいアナはヴェロニカの話をまともに取り合おうとはしません。
超常現象と向き合わざるを得なくなったヴェロニカたちは再び文字盤を使い、死者との交信によって悪霊との別れを告げようと試みるのですが…。
監督は「REC レック」(2008年)でパニックホラーの第一人者に躍り出たパコ・プラサ。
ヒロインのヴェロニカにスペインの新星サンドラ・エスカセナ。
15歳にして初潮がなく、歯列矯正器具をつけながらも同年齢の女子生徒より背が高く、大人びた雰囲気を持ちながら清潔感の漂う、少女と女性が同居しているようなヴェロニカの存在がこの映画の魅力を高めています。
「エクリプス」を見ていてアレッ? と思ったのは、ヴェロニカたちのお母さんのアナで、どうもどこかで見たことのある気がしていたのですが、なんと、あのスペイン映画の秀作「ミツバチのささやき」(1973年)でフランケンシュタインの存在を信じるいたいけな少女アナでした。
6歳の少女もいつの間にか50歳を過ぎてしまいましたが、子どものころの面影はどこかに残っているものです。
なにしろアナは可愛かった。
「画像は“ミツバチのささやき”より」
事実を基に作られた映画ということで、怖がらせ感見え見えのホラー映画というのではなく(それはそれで面白いですが)、次々と襲い掛かる霊現象には不気味な現実感があります。
“自己犠牲”が主題と思えるような「エクリプス」、ラストはなんだか切なかった。
監督パコ・プラサ
脚本パコ・プラサ
フェルナンド・ナバーロ
撮影パブロ・ロッソ
音楽チュッキー・ナマネラ
〈キャスト〉
サンドラ・エスカセナ アナ・トレント
1991年にスペイン・マドリードで実際に起きた事件を基に作られたとされる作品。
父親を早くに亡くした15歳の少女が父親の声を聞きたいばかりに、日食の日に学校の地下で同級生3人と文字盤を使って降霊術を行います。
でもそれは悪霊を招き寄せる結果となってしまい、その日を境に少女の身辺には異変が起き始めます。
日本では“コックリさん”として知られる降霊術で、科学的にはいろいろな説があるようですが、それだけでは片付けられない事態も起きていますから、危険な遊びには違いなく、悪霊が入り込む場所を提供している側面もありそうです。
映画「エクリプス」が面白いと思ったのは、ありがちなホラー映画ではなく、超常現象を正面から受け止めて、安易に怖がらせようとするのではなく、エンターテイメントの要素を加えながら霊現象の異様さを丁寧に描いたところ。
原題は「ヴェロニカ」で、これは主人公の少女の名前。
邦題の「エクリプス」は事件の背景になる“日食”のことですが、映画の内容からすると原題そのままに“ヴェロニカ”のほうが適切だったんじゃないかな、と思います。
少女ヴェロニカは、働きづめでいつも家にいない母親の代わりに妹二人と小さな弟の世話をしているお姉さんで、亡くなった父親に対する強い気持ちから事件を引き起こすのですが、そんな異常現象のさなかでも妹たちを必死に守ろうとする母性の持ち主として強い印象を残し、オカルト的要素の中に少女ヴェロニカの人間性を描くことに成功していると思います。
1991年6月15日、必死に助けを求める少女の声で警察に電話が入ります。
刑事が現場に急ぎ、部屋のドアを開けて中へ入ると、懐中電灯に照らし出された光景に刑事の表情は凍り付きます。
その三日前。
ヴェロニカ(サンドラ・エスカセナ)は、いつものようにベッドで目覚め、気持ちのいい朝を迎えます。
妹たちに食事の催促をされながら、小さな弟のおねしょを着換えさせ、慌ただしく学校へと向かいます。
その日は日食があるというので、学校では観察のための準備が始まっています。
でもヴェロニカは観察には向かわず、親友のロサとその友達のディアナと共に学校の地下室へ忍び込み、文字盤を使って霊を呼び出そうとしていました。
(日食が霊を呼ぶのに都合がいいためのようです)
ヴェロニカが求めていたのは、亡くなった父の声を聞くことでした。
好奇心と遊び半分で始まった降霊術は、悪霊の侵入を招き寄せる結果となり、ヴェロニカは気を失って倒れ、学校で診察を受けて事なきを得ますが、その日を境にヴェロニカと妹たちの身辺では異常な出来事が次々と起こり始めます。
恐怖にかられたヴェロニカは、母のアナ(アナ・トレント)にも相談しますが、忙しいアナはヴェロニカの話をまともに取り合おうとはしません。
超常現象と向き合わざるを得なくなったヴェロニカたちは再び文字盤を使い、死者との交信によって悪霊との別れを告げようと試みるのですが…。
監督は「REC レック」(2008年)でパニックホラーの第一人者に躍り出たパコ・プラサ。
ヒロインのヴェロニカにスペインの新星サンドラ・エスカセナ。
15歳にして初潮がなく、歯列矯正器具をつけながらも同年齢の女子生徒より背が高く、大人びた雰囲気を持ちながら清潔感の漂う、少女と女性が同居しているようなヴェロニカの存在がこの映画の魅力を高めています。
「エクリプス」を見ていてアレッ? と思ったのは、ヴェロニカたちのお母さんのアナで、どうもどこかで見たことのある気がしていたのですが、なんと、あのスペイン映画の秀作「ミツバチのささやき」(1973年)でフランケンシュタインの存在を信じるいたいけな少女アナでした。
6歳の少女もいつの間にか50歳を過ぎてしまいましたが、子どものころの面影はどこかに残っているものです。
なにしろアナは可愛かった。
「画像は“ミツバチのささやき”より」
事実を基に作られた映画ということで、怖がらせ感見え見えのホラー映画というのではなく(それはそれで面白いですが)、次々と襲い掛かる霊現象には不気味な現実感があります。
“自己犠牲”が主題と思えるような「エクリプス」、ラストはなんだか切なかった。
2020年02月05日
映画「大いなる西部」− 大西部を背景に描かれる骨太い人間ドラマ
「大いなる西部」
(The Big Country)
1958年 アメリカ
監督ウィリアム・ワイラー
原作ドナルド・ハミルトン
脚本ジェームズ・R・ウェッブ
サイ・バートレット
ロバート・ワイルダー
音楽ジェローム・モロス
撮影フランツ・F・プラナー
〈キャスト〉
グレゴリー・ペック チャールトン・ヘストン
ジーン・シモンズ キャロル・ベイカー
チャック・コナーズ バール・アイヴス
第31回アカデミー賞助演男優賞受賞(バール・アイヴス)
オープニングの馬車の車輪の映像にからまるように流れる主題曲は、もうそれだけでスケールの大きさを感じさせますし、大作の重量感が伝わってきます。
水の利権にからむ対立と、古い因縁を持つ男たちの確執、恋と変節のドラマは、人間的な、最も人間くさい物語であり、「The Big Country」という原題が表しているように、それを包み込むように広がる、有史から続く大地の歴史の上で流れ去り、消え去ってゆく人間たちの物語でもあります。
映画には「シェーン」のような感動的なラストや、「第三の男」のような、ニヤリとさせる意味深なラスト、「太陽がいっぱい」では完全犯罪が崩れ去る名シーン、「猿の惑星」ではアッと言わせる名ラストシーンなどがたくさんありますが、名オープニングシーンというのは「大いなる西部」以外にはあまり思いつきません。
馬車が疾走して、その車輪をとらえた映像とダイナミックな主題曲。
それだけのシーンなのですが、翌年の「ベン・ハー」にも活かされることになる迫力ある馬車の場面は巨匠ウィリアム・ワイラーの力量なのでしょう。
さて、その駅馬車に乗って一人の男が西部にやって来ます。
男の名前はジェームズ(ジム)・マッケイ(グレゴリー・ペック)。
東部出身で紳士然としたジムは、土地の有力者ヘンリー・テリル少佐(チャールズ・ビックフォード)の娘パット(キャロル・ベイカー)と結婚するため、テキサスにやって来たのです。
パットの友人で学校教師のジュリー(ジーン・シモンズ)の家で再会したジムとパットは熱い抱擁の後に、パットの父ヘンリー・テリル少佐の牧場まで馬車で出かけます。
しかし、その途中、ヒマを持て余して草原でたむろしていたバック・ヘネシー(チャック・コナーズ)らにつかまり、馬車から引きずりおろされたマッケイは投げ縄で自由を奪われ、散々な目にあいます。
気の強いパットはライフルで立ち向かおうとしますが、ジムはそれを押しとどめ、大したことじゃないと、立ち去ってゆくバック・ヘネシーたちを見ながら、事もなげな様子ですが、ヘネシーたちに立ち向かおうともせず、なすがままにされてしまったジムの態度にパットは少なからず失望を覚えます。
もともと船長の経験のあるジムは海の荒くれ男たちには慣れていることもあって、ヘネシーたちの乱暴も西部の男たちのあいさつ程度にしか思っていなかったのですが、この事件は次第に大きく発展してゆくことになります。
パットの父ヘンリー・テリル少佐とバック・ヘネシーたちの父親ルーファス・ヘネシー(バール・アイヴス)は水源の領有権をめぐって勢力を二分しており、その確執は根の深いものであったことから、娘婿になるジムが辱(はずかし)められたことを理由に少佐は、牧童頭のスティーヴ・リーチ(チャールトン・ヘストン)たちを使ってルーファスたちの谷の集落を襲撃します。
暴力は暴力を生み、事態は混迷を深めますが、そんな中、水源を持つ土地の所有者であるジュリーに接近したジムは、両家のいざこざを解消させるために土地の権利を自分が買い取ることを提案。
水は両家に平等に分けることを主張します。
最初はジムの態度に疑問を感じていたジュリーも、やがて彼の人柄を信じ、水源の土地の権利はジム・マッケイの手に移ることになります。
しかし、少佐とヘネシーの根の深い対立は収束することなく、暴力でしか物事の解決を図ろうとしない少佐に見切りをつけたジムは、自分を信用しようとしないパットとも別れ、ことごとく敵対心をむき出しにしていたスティーブ・リーチと果てしない殴り合いの末、牧場を去ってゆきます。
やがて、ヘネシーがジュリーを誘拐して監禁したことから両家の争いは決定的なものとなり、ジムとバック・ヘネシーとのヨーロッパ式の決闘とバックの死。
さらに、少佐とルーファス・ヘネシーとの決闘へと事態は動いてゆきます。
監督は「嵐ヶ丘」(1939年)、「我等の生涯の最良の年」(1946年)、「ローマの休日」(1953年)の巨匠ウィリアム・ワイラー。
主演のジム・マッケイに「子鹿物語」(1946年)、「紳士協定」(1947年)、「キリマンジャロの雪」(1952年)などの名優グレゴリー・ペック。
牧童頭のスティーヴ・リーチに「地上最大のショウ」(1952年)、「十戒」(1956年)、「北京の55日」(1963年)のチャールトン・ヘストン。
ジムの婚約者でテリル少佐の娘パットに「ジャイアンツ」(1956年)、「デボラの甘い肉体」(1968年)、「課外授業」(1975年)のセクシー女優キャロル・ベイカー。
水源の土地所有者で、後にジムの恋人となるジュリーに「大いなる遺産」(1946年)、「ハムレット」(1948年)、「聖衣」(1953年)の名女優ジーン・シモンズ。
そして、
体の割に気の小さいバック・ヘネシーに、テレビシリーズ「ライフルマン」や「アフリカ大牧場」などで人気を博し、日本映画「復活の日」(1980年)にも出演したチャック・コナーズ。
グレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストンが延々と殴り合うシーンが話題となった「大いなる西部」。
すべてが壮大でスケールの大きな映画ですが、人間ドラマとしての物語性は起伏に富んだ厚みのあるものになっています。
ヘンリー・テリル少佐とルーファス・ヘネシーとの長きにわたる確執。
コソコソと立ち回って強がりながらも父親に頭が上がらず、ジムとの決闘に敗れ、結局は父親の手にかかって死んでしまうバック・ヘネシー。
そんな出来損ないの息子を罵倒しながらも、最後には愛情の片りんをのぞかせるルーファス・ヘネシー。
テリル少佐に対する牧童頭スティーヴ・リーチの感情の動きなど、人間の持つ心の複雑さを個人個人の造形に当てはめて描きだし、西部劇の枠にとらわれない人間ドラマになっています。
大陸の持つ広々とした世界に生きる人間たちのドラマは、あたかも神の視点で眺めてでもいるように、グレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストンの殴り合いにしても、テリル少佐とルーファス・ヘネシーの決闘にしても、大自然の中の点景であるかのように大地の中に溶け込んでいて、人間のいざこざやいがみ合いが小さなものであることを示しています。
いろんな意味でBigな「大いなる西部」は、大自然もBigなら登場人物もBigで、グレゴリー・ペックやチャールトン・ヘストンは190?pクラス。
チャック・コナーズにいたっては2メートル近い大男で、ジーン・シモンズに言い寄る場面などは、まるでお姫様に襲いかかる怪獣です。
ダイナミックな迫力と細やかな人間描写。いつまでも心に刻まれる名作です。
1958年 アメリカ
監督ウィリアム・ワイラー
原作ドナルド・ハミルトン
脚本ジェームズ・R・ウェッブ
サイ・バートレット
ロバート・ワイルダー
音楽ジェローム・モロス
撮影フランツ・F・プラナー
〈キャスト〉
グレゴリー・ペック チャールトン・ヘストン
ジーン・シモンズ キャロル・ベイカー
チャック・コナーズ バール・アイヴス
第31回アカデミー賞助演男優賞受賞(バール・アイヴス)
オープニングの馬車の車輪の映像にからまるように流れる主題曲は、もうそれだけでスケールの大きさを感じさせますし、大作の重量感が伝わってきます。
水の利権にからむ対立と、古い因縁を持つ男たちの確執、恋と変節のドラマは、人間的な、最も人間くさい物語であり、「The Big Country」という原題が表しているように、それを包み込むように広がる、有史から続く大地の歴史の上で流れ去り、消え去ってゆく人間たちの物語でもあります。
映画には「シェーン」のような感動的なラストや、「第三の男」のような、ニヤリとさせる意味深なラスト、「太陽がいっぱい」では完全犯罪が崩れ去る名シーン、「猿の惑星」ではアッと言わせる名ラストシーンなどがたくさんありますが、名オープニングシーンというのは「大いなる西部」以外にはあまり思いつきません。
馬車が疾走して、その車輪をとらえた映像とダイナミックな主題曲。
それだけのシーンなのですが、翌年の「ベン・ハー」にも活かされることになる迫力ある馬車の場面は巨匠ウィリアム・ワイラーの力量なのでしょう。
さて、その駅馬車に乗って一人の男が西部にやって来ます。
男の名前はジェームズ(ジム)・マッケイ(グレゴリー・ペック)。
東部出身で紳士然としたジムは、土地の有力者ヘンリー・テリル少佐(チャールズ・ビックフォード)の娘パット(キャロル・ベイカー)と結婚するため、テキサスにやって来たのです。
パットの友人で学校教師のジュリー(ジーン・シモンズ)の家で再会したジムとパットは熱い抱擁の後に、パットの父ヘンリー・テリル少佐の牧場まで馬車で出かけます。
しかし、その途中、ヒマを持て余して草原でたむろしていたバック・ヘネシー(チャック・コナーズ)らにつかまり、馬車から引きずりおろされたマッケイは投げ縄で自由を奪われ、散々な目にあいます。
気の強いパットはライフルで立ち向かおうとしますが、ジムはそれを押しとどめ、大したことじゃないと、立ち去ってゆくバック・ヘネシーたちを見ながら、事もなげな様子ですが、ヘネシーたちに立ち向かおうともせず、なすがままにされてしまったジムの態度にパットは少なからず失望を覚えます。
もともと船長の経験のあるジムは海の荒くれ男たちには慣れていることもあって、ヘネシーたちの乱暴も西部の男たちのあいさつ程度にしか思っていなかったのですが、この事件は次第に大きく発展してゆくことになります。
パットの父ヘンリー・テリル少佐とバック・ヘネシーたちの父親ルーファス・ヘネシー(バール・アイヴス)は水源の領有権をめぐって勢力を二分しており、その確執は根の深いものであったことから、娘婿になるジムが辱(はずかし)められたことを理由に少佐は、牧童頭のスティーヴ・リーチ(チャールトン・ヘストン)たちを使ってルーファスたちの谷の集落を襲撃します。
暴力は暴力を生み、事態は混迷を深めますが、そんな中、水源を持つ土地の所有者であるジュリーに接近したジムは、両家のいざこざを解消させるために土地の権利を自分が買い取ることを提案。
水は両家に平等に分けることを主張します。
最初はジムの態度に疑問を感じていたジュリーも、やがて彼の人柄を信じ、水源の土地の権利はジム・マッケイの手に移ることになります。
しかし、少佐とヘネシーの根の深い対立は収束することなく、暴力でしか物事の解決を図ろうとしない少佐に見切りをつけたジムは、自分を信用しようとしないパットとも別れ、ことごとく敵対心をむき出しにしていたスティーブ・リーチと果てしない殴り合いの末、牧場を去ってゆきます。
やがて、ヘネシーがジュリーを誘拐して監禁したことから両家の争いは決定的なものとなり、ジムとバック・ヘネシーとのヨーロッパ式の決闘とバックの死。
さらに、少佐とルーファス・ヘネシーとの決闘へと事態は動いてゆきます。
監督は「嵐ヶ丘」(1939年)、「我等の生涯の最良の年」(1946年)、「ローマの休日」(1953年)の巨匠ウィリアム・ワイラー。
主演のジム・マッケイに「子鹿物語」(1946年)、「紳士協定」(1947年)、「キリマンジャロの雪」(1952年)などの名優グレゴリー・ペック。
牧童頭のスティーヴ・リーチに「地上最大のショウ」(1952年)、「十戒」(1956年)、「北京の55日」(1963年)のチャールトン・ヘストン。
ジムの婚約者でテリル少佐の娘パットに「ジャイアンツ」(1956年)、「デボラの甘い肉体」(1968年)、「課外授業」(1975年)のセクシー女優キャロル・ベイカー。
水源の土地所有者で、後にジムの恋人となるジュリーに「大いなる遺産」(1946年)、「ハムレット」(1948年)、「聖衣」(1953年)の名女優ジーン・シモンズ。
そして、
体の割に気の小さいバック・ヘネシーに、テレビシリーズ「ライフルマン」や「アフリカ大牧場」などで人気を博し、日本映画「復活の日」(1980年)にも出演したチャック・コナーズ。
グレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストンが延々と殴り合うシーンが話題となった「大いなる西部」。
すべてが壮大でスケールの大きな映画ですが、人間ドラマとしての物語性は起伏に富んだ厚みのあるものになっています。
ヘンリー・テリル少佐とルーファス・ヘネシーとの長きにわたる確執。
コソコソと立ち回って強がりながらも父親に頭が上がらず、ジムとの決闘に敗れ、結局は父親の手にかかって死んでしまうバック・ヘネシー。
そんな出来損ないの息子を罵倒しながらも、最後には愛情の片りんをのぞかせるルーファス・ヘネシー。
テリル少佐に対する牧童頭スティーヴ・リーチの感情の動きなど、人間の持つ心の複雑さを個人個人の造形に当てはめて描きだし、西部劇の枠にとらわれない人間ドラマになっています。
大陸の持つ広々とした世界に生きる人間たちのドラマは、あたかも神の視点で眺めてでもいるように、グレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストンの殴り合いにしても、テリル少佐とルーファス・ヘネシーの決闘にしても、大自然の中の点景であるかのように大地の中に溶け込んでいて、人間のいざこざやいがみ合いが小さなものであることを示しています。
いろんな意味でBigな「大いなる西部」は、大自然もBigなら登場人物もBigで、グレゴリー・ペックやチャールトン・ヘストンは190?pクラス。
チャック・コナーズにいたっては2メートル近い大男で、ジーン・シモンズに言い寄る場面などは、まるでお姫様に襲いかかる怪獣です。
ダイナミックな迫力と細やかな人間描写。いつまでも心に刻まれる名作です。