この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
広告
posted by fanblog
2019年09月18日
映画「クレオパトラ」-愛と野望の悲劇
「クレオパトラ」
(Cleopatra) 1963年アメリカ
監督ジョセフ・L・マンキーウィッツ
脚本シドニー・バックマン
ラナルド・マクドゥガル
ジョセフ・L・マンキーウィッツ
撮影レオン・シャムロイ
音楽アレックス・ノース
〈キャスト〉
エリザベス・テイラー レックス・ハリソン
リチャード・バートン マーティン・ランドー
第36回アカデミー賞/美術賞/撮影賞/衣装デザイン賞/視覚効果賞受賞
世界史を彩(いろど)る絶世の美女クレオパトラ。
もちろん、写真が残っているわけでもありませんし、その容姿を実際に見た人は2000年以上昔に亡くなっているのですから、クレオパトラが本当はどんな姿かたちをしていたのかは想像するしかありません。
当時の硬貨にクレオパトラの横顔の肖像が使われていて、それほどの美女でもなかったようだ、後世の作り話として美女とされたという話もありますが、人を惹きつける魅力を持っていたことはたしかなようです。
美女の宝庫のようなハリウッド映画界でも、クレオパトラを演じられる女優はそういなかった中で、当時ハリウッドきっての美女エリザベス・テイラーが100万ドルという破格の出演料で古代の王女を演じたのですが、美貌はいうに及ばず、周囲を圧するカリスマ性、恋と野望に燃える戦乱の美女を存在感たっぷりに見せてくれました。
20世紀フォックスが社運を賭けて作り上げた壮大な歴史ロマン大作。
空前のスケールと堂々たる風格。
20万人を超えるエキストラなど、30年代から続いたハリウッドの黄金期に陰りが見え始めた中で、その底力を見せつけた超大作です。
でも、ひとつ気になるのが、シェイクスピアの戯曲「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」でよく知られた英語表記の名前シーザーは、現在ではユリウス・カエサルが主に使われるようになっていて、ラテン語のこの方が当時の発音に近いからという理由のようですが、映画の登場人物たちは「シーザー」と呼んでいるのに、字幕では「カエサル」であったり「ユリウス」であったりするのは、なんかヘンだな、と思ったりします。
歴史上の人物の名前は、作家や歴史家によって呼び方を変えられたりしますし、日本でも、小谷城の城主で織田信長の妹、お市の方の夫である浅井長政(あさいながまさ)が現在では“あざいながまさ”と濁音になったりしてますしね。
ここでは英語の表記そのままに「ジュリアス・シーザー」を用いることにします。
紀元前48年。
エジプト最後の王朝となるプトレマイオス朝は政局の混乱にあります。
そんな中でクレオパトラ(エリザベス・テイラー)は弟のプトレマイオス13世(リチャード・オサリヴァン)と共同統治を行いますが、プトレマイオス13世を支持する宮廷側近たちから疎(うと)まれはじめたクレオパトラは王宮から追放の憂き目にあいます。
一方、ジュリアス・シーザー(レックス・ハリソン)は「ファルサルスの戦い」で敵対するポンペイウスを破り、エジプトへ逃亡していたポンペイウス追討のためにアレクサンドリアへ入城します。
エジプトと信頼関係にあるローマ帝国の執政シーザーがアレクサンドリアに来ていることを知ったクレオパトラは、暗殺を恐れて絨毯の中に身を隠すという奇策を用いてシーザーと密かに会い、同盟と支援の後ろ盾を得ます。
クレオパトラをひと目見たシーザーは、その美貌と知性に惹かれ、野望を秘めたクレオパトラはシーザーの愛人として同盟の結束を図ると同時にエジプトのファラオ(王)として返り咲きます。
イタリア半島を制圧し、覇権を拡大して強大な勢力となったローマ帝国の実力者シーザーでしたが、絶大な権力を手にしたことで独裁色を強めだしたシーザーに対して元老院は激しく反発。
信任の厚かったブルータスにも見限られたシーザーは元老院議員たちの手によって惨殺されてしまいます。
シーザーと共にローマに滞在していたクレオパトラは、シーザー暗殺を知るとエジプトへ帰りますが、シーザーを失ったローマは内政の混乱を深めていきます。
紀元前42年。
分裂したローマ帝国は自由主義・共和主義を標榜するブルータス(ケネス・ヘイグ)らが率いる軍と、シーザーの片腕として知られるマーク・アントニー(リチャード・バートン)率いる三頭政治側の軍が「フィリッピの戦い」で激突。
アントニーが勝利を収めますが、エジプトがブルータス側を支援していたことで、アントニーはクレオパトラとの会談に臨みます。
かつてシーザーを魅了したクレオパトラの美貌は色あせることなく、アントニーはその魅力に惹かれてゆき、クレオパトラもまた、軍人でありながら人間的弱さを持ったアントニーに惹かれ、二人は激しい恋に落ちていきます。
クレオパトラとの関係からアントニーはエジプトに接近。
ローマでは、シーザーの後継として頭角を現し始めたオクタヴィアン(ロディ・マクドウォール)が軍を掌握。
東のアントニー、西のオクタヴィアンと勢力が二分したローマは、紀元前31年、「アクティウムの海戦」で雌雄を決することになります。
クレオパトラのエジプトはアントニー側の支援に回りますが、結果はアントニー側の敗北となり、圧倒的なオクタヴィアンの勢力の前になすこともなくアントニーは自決を図りますが、急所を外れたために死にきれず、宮殿に閉じこもっていたクレオパトラの横で息を引き取ります。
アントニーの死を看取ったクレオパトラもまた、イチジクの籠に潜(ひそ)ませたコブラに腕を噛ませ、アントニーの後を追います。
4時間を超える超大作で、映画は前半と後半に分かれています。
前半ではシーザーとクレオパトラの出会いから、クレオパトラのローマ入城、ローマ帝国の内紛とシーザー暗殺へと、歴史的な流れを追って話は進みます。
見どころは何といってもクレオパトラのローマ入城です。
シーザーとの間に出来た息子(後のプトレマイオス15世)を横に従えて、周囲を圧する貫禄でローマへ入る場面は圧倒的なスケール。
この場面だけで何本かの映画を撮れるのではないかと思うような豪華で華やか、躍動感あふれる場面です。
シーザー亡き後の後半へ入ると、前半でひ弱に見えたオクタヴィアン(実際に虚弱体質だったらしい)が徐々に実力をつけ、シーザーの片腕とされたアントニーとの確執と全面戦争へと展開していきます。
後半の最大の見どころは、オクタヴィアン勢力対アントニー派による“アクティウムの海戦”で、ギリシャの西、古代都市アクティウムを本拠地として、その沖合いで行われた海戦でアントニーは屈辱的な敗戦の憂き目に遭うのですが、コンピューター・グラフィックスなど使わない時代の撮影技術は素晴らしく、史劇を得意とする往年のハリウッドの面目躍如たるものがあります。
監督は、脚本家でもあり製作も手掛けるジョセフ・L・マンキーウィッツ。
監督としては「三人の妻への手紙」(1949年)、「イヴの総て」(1950年)などの女性を中心としたメロドラマに本領を発揮したものが多いです。
「クレオパトラ」前半でもシーザーとクレオパトラのラブロマンスに重点が置かれ、クレオパトラの野望がからんだロマンスが展開されています。
マーク・アントニーに「聖衣」(1953年)、「史上最大の作戦」(1962年)のリチャード・バートン。
オクタヴィアンに「わが谷は緑なりき」(1941年)、「マクベス」(1948年)のロディ・マクドウォール。
子役から出発したマクドウォールは、ジョン・フォード監督による「わが谷は緑なりき」のモーガン家の末っ子ヒューの愛らしい少年役が素晴らしく、学校で教師にいじめられたヒューを見た谷の人たちが憤慨し、学校に乗り込んで教師を殴り倒すシーンはジョン・フォードらしい浪花節的名場面で、名作「わが谷は緑なりき」の中にあってマクドウォールの愛らしさが際立っていました。
もう一人、マーク・アントニーの側近で片腕でもあるルフィオを演じたマーティン・ランドー。
「クレオパトラ」の前作「北北西に進路を取れ」(1959年)では悪役でしたが、アントニーの片腕として時には激しくアントニーに意見をするルフィオは、忠実な部下であり、また友人でもあり、最後には味方がすべてアントニーを離れていく中で、最後までアントニーに忠実であり続けて殺されるルフィオは日本のサムライを見るようで、特に印象に強く残りました。
リチャード・バートンとエリザベス・テイラーの不倫騒動や、製作上の不手際、撮影上のゴタゴタなど、何かと問題の多かった「クレオパトラ」ですが、舞台裏の話はちょっと脇へ置いておいて。
4時間を超える大作ですが、愛と野望の悲劇として必見の価値はあります。
監督ジョセフ・L・マンキーウィッツ
脚本シドニー・バックマン
ラナルド・マクドゥガル
ジョセフ・L・マンキーウィッツ
撮影レオン・シャムロイ
音楽アレックス・ノース
〈キャスト〉
エリザベス・テイラー レックス・ハリソン
リチャード・バートン マーティン・ランドー
第36回アカデミー賞/美術賞/撮影賞/衣装デザイン賞/視覚効果賞受賞
世界史を彩(いろど)る絶世の美女クレオパトラ。
もちろん、写真が残っているわけでもありませんし、その容姿を実際に見た人は2000年以上昔に亡くなっているのですから、クレオパトラが本当はどんな姿かたちをしていたのかは想像するしかありません。
当時の硬貨にクレオパトラの横顔の肖像が使われていて、それほどの美女でもなかったようだ、後世の作り話として美女とされたという話もありますが、人を惹きつける魅力を持っていたことはたしかなようです。
美女の宝庫のようなハリウッド映画界でも、クレオパトラを演じられる女優はそういなかった中で、当時ハリウッドきっての美女エリザベス・テイラーが100万ドルという破格の出演料で古代の王女を演じたのですが、美貌はいうに及ばず、周囲を圧するカリスマ性、恋と野望に燃える戦乱の美女を存在感たっぷりに見せてくれました。
20世紀フォックスが社運を賭けて作り上げた壮大な歴史ロマン大作。
空前のスケールと堂々たる風格。
20万人を超えるエキストラなど、30年代から続いたハリウッドの黄金期に陰りが見え始めた中で、その底力を見せつけた超大作です。
でも、ひとつ気になるのが、シェイクスピアの戯曲「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」でよく知られた英語表記の名前シーザーは、現在ではユリウス・カエサルが主に使われるようになっていて、ラテン語のこの方が当時の発音に近いからという理由のようですが、映画の登場人物たちは「シーザー」と呼んでいるのに、字幕では「カエサル」であったり「ユリウス」であったりするのは、なんかヘンだな、と思ったりします。
歴史上の人物の名前は、作家や歴史家によって呼び方を変えられたりしますし、日本でも、小谷城の城主で織田信長の妹、お市の方の夫である浅井長政(あさいながまさ)が現在では“あざいながまさ”と濁音になったりしてますしね。
ここでは英語の表記そのままに「ジュリアス・シーザー」を用いることにします。
紀元前48年。
エジプト最後の王朝となるプトレマイオス朝は政局の混乱にあります。
そんな中でクレオパトラ(エリザベス・テイラー)は弟のプトレマイオス13世(リチャード・オサリヴァン)と共同統治を行いますが、プトレマイオス13世を支持する宮廷側近たちから疎(うと)まれはじめたクレオパトラは王宮から追放の憂き目にあいます。
一方、ジュリアス・シーザー(レックス・ハリソン)は「ファルサルスの戦い」で敵対するポンペイウスを破り、エジプトへ逃亡していたポンペイウス追討のためにアレクサンドリアへ入城します。
エジプトと信頼関係にあるローマ帝国の執政シーザーがアレクサンドリアに来ていることを知ったクレオパトラは、暗殺を恐れて絨毯の中に身を隠すという奇策を用いてシーザーと密かに会い、同盟と支援の後ろ盾を得ます。
クレオパトラをひと目見たシーザーは、その美貌と知性に惹かれ、野望を秘めたクレオパトラはシーザーの愛人として同盟の結束を図ると同時にエジプトのファラオ(王)として返り咲きます。
イタリア半島を制圧し、覇権を拡大して強大な勢力となったローマ帝国の実力者シーザーでしたが、絶大な権力を手にしたことで独裁色を強めだしたシーザーに対して元老院は激しく反発。
信任の厚かったブルータスにも見限られたシーザーは元老院議員たちの手によって惨殺されてしまいます。
シーザーと共にローマに滞在していたクレオパトラは、シーザー暗殺を知るとエジプトへ帰りますが、シーザーを失ったローマは内政の混乱を深めていきます。
紀元前42年。
分裂したローマ帝国は自由主義・共和主義を標榜するブルータス(ケネス・ヘイグ)らが率いる軍と、シーザーの片腕として知られるマーク・アントニー(リチャード・バートン)率いる三頭政治側の軍が「フィリッピの戦い」で激突。
アントニーが勝利を収めますが、エジプトがブルータス側を支援していたことで、アントニーはクレオパトラとの会談に臨みます。
かつてシーザーを魅了したクレオパトラの美貌は色あせることなく、アントニーはその魅力に惹かれてゆき、クレオパトラもまた、軍人でありながら人間的弱さを持ったアントニーに惹かれ、二人は激しい恋に落ちていきます。
クレオパトラとの関係からアントニーはエジプトに接近。
ローマでは、シーザーの後継として頭角を現し始めたオクタヴィアン(ロディ・マクドウォール)が軍を掌握。
東のアントニー、西のオクタヴィアンと勢力が二分したローマは、紀元前31年、「アクティウムの海戦」で雌雄を決することになります。
クレオパトラのエジプトはアントニー側の支援に回りますが、結果はアントニー側の敗北となり、圧倒的なオクタヴィアンの勢力の前になすこともなくアントニーは自決を図りますが、急所を外れたために死にきれず、宮殿に閉じこもっていたクレオパトラの横で息を引き取ります。
アントニーの死を看取ったクレオパトラもまた、イチジクの籠に潜(ひそ)ませたコブラに腕を噛ませ、アントニーの後を追います。
4時間を超える超大作で、映画は前半と後半に分かれています。
前半ではシーザーとクレオパトラの出会いから、クレオパトラのローマ入城、ローマ帝国の内紛とシーザー暗殺へと、歴史的な流れを追って話は進みます。
見どころは何といってもクレオパトラのローマ入城です。
シーザーとの間に出来た息子(後のプトレマイオス15世)を横に従えて、周囲を圧する貫禄でローマへ入る場面は圧倒的なスケール。
この場面だけで何本かの映画を撮れるのではないかと思うような豪華で華やか、躍動感あふれる場面です。
シーザー亡き後の後半へ入ると、前半でひ弱に見えたオクタヴィアン(実際に虚弱体質だったらしい)が徐々に実力をつけ、シーザーの片腕とされたアントニーとの確執と全面戦争へと展開していきます。
後半の最大の見どころは、オクタヴィアン勢力対アントニー派による“アクティウムの海戦”で、ギリシャの西、古代都市アクティウムを本拠地として、その沖合いで行われた海戦でアントニーは屈辱的な敗戦の憂き目に遭うのですが、コンピューター・グラフィックスなど使わない時代の撮影技術は素晴らしく、史劇を得意とする往年のハリウッドの面目躍如たるものがあります。
監督は、脚本家でもあり製作も手掛けるジョセフ・L・マンキーウィッツ。
監督としては「三人の妻への手紙」(1949年)、「イヴの総て」(1950年)などの女性を中心としたメロドラマに本領を発揮したものが多いです。
「クレオパトラ」前半でもシーザーとクレオパトラのラブロマンスに重点が置かれ、クレオパトラの野望がからんだロマンスが展開されています。
マーク・アントニーに「聖衣」(1953年)、「史上最大の作戦」(1962年)のリチャード・バートン。
オクタヴィアンに「わが谷は緑なりき」(1941年)、「マクベス」(1948年)のロディ・マクドウォール。
子役から出発したマクドウォールは、ジョン・フォード監督による「わが谷は緑なりき」のモーガン家の末っ子ヒューの愛らしい少年役が素晴らしく、学校で教師にいじめられたヒューを見た谷の人たちが憤慨し、学校に乗り込んで教師を殴り倒すシーンはジョン・フォードらしい浪花節的名場面で、名作「わが谷は緑なりき」の中にあってマクドウォールの愛らしさが際立っていました。
もう一人、マーク・アントニーの側近で片腕でもあるルフィオを演じたマーティン・ランドー。
「クレオパトラ」の前作「北北西に進路を取れ」(1959年)では悪役でしたが、アントニーの片腕として時には激しくアントニーに意見をするルフィオは、忠実な部下であり、また友人でもあり、最後には味方がすべてアントニーを離れていく中で、最後までアントニーに忠実であり続けて殺されるルフィオは日本のサムライを見るようで、特に印象に強く残りました。
リチャード・バートンとエリザベス・テイラーの不倫騒動や、製作上の不手際、撮影上のゴタゴタなど、何かと問題の多かった「クレオパトラ」ですが、舞台裏の話はちょっと脇へ置いておいて。
4時間を超える大作ですが、愛と野望の悲劇として必見の価値はあります。
2019年06月25日
映画「革命児サパタ」メキシコ革命の英雄を描く
「革命児サパタ」
(Viva Zapata!) 1952年アメリカ
監督エリア・カザン
脚本ジョン・スタインベック
撮影ジョー・マクドナルド
音楽アレックス・ノース
〈キャスト〉
マーロン・ブランド アンソニー・クイン
ジョセフ・ワイズマン
カンヌ国際映画祭主演男優賞(マーロン・ブランド)
第25回アカデミー賞助演男優賞受賞(アンソニー・クイン)
20世紀初頭のメキシコ。
ポルフィリオ・ディアス大統領による独裁政権のもと、地主と農民との間に土地問題にからむ地主への不満が持ち上がり、農民たちはディアス大統領に直訴に及ぶことになります。
地主との問題は裁判に訴えろと言う大統領の言葉に、農民たちは納得して引き上げようとしますが、一人だけ、その場を去ろうとしない若者がいました。
「裁判をして、一度でも農民が地主に勝ったことがあるか」
と若者は言います。
続けて言うだけのことを言うと、若者はその場を立ち去ろうとしますが、大統領は彼を呼び止め、「お前の名前は?」と訊きます。
若者は答えます。「サパタ。エミリアーノ・サパタ」
農民たちの名簿の中にサパタの名前を見つけた大統領は、彼の名前を黒丸で囲みます。
映画冒頭のこのシーンは、後にサパタが権力の座についたときに社会的立場における自己矛盾の伏線として重要な意味を持つのですが、それは後のお話し。
★★★★★
パンチョ・ヴィリャと共にメキシコ革命の風雲児としてその名を馳せたエミリアーノ・サパタ。
映画は、革命の発端と、後にディアス大統領の辞任とともに革命の英雄となったサパタの姿を生き生きと追いながら、失意に沈み、裏切りの中で暗殺されるサパタの半生を、マーロン・ブランド、アンソニー・クインなどの名優たちの熱演によって描いてゆきます。
メキシコ革命は、フランス革命などもそうであるように様々な勢力が台頭して成し遂げられてゆきます。
ディアス大統領の圧政と、ディアスと対立するフランシスコ・マデロのアメリカへの亡命。革命の立役者でもあったマデロとサパタの確執。また、大統領となったマデロを殺し、勢力を広げる反革命の旗手ビクトリアーノ・ウエルタ将軍。
ウエルタ政権を打倒するために樹立された様々な革命軍と、その集合体である護憲革命軍。
護憲革命軍北部師団を率いるフランシスコ・ヴィリャ(パンチョ・ヴィリャ)。
護憲革命軍の指導的立場であり、後にヴィリャやサパタと対立することになるベヌスティアーノ・カランサ。
しかし、映画「革命児サパタ」はメキシコ革命を詳しく知らなくても分かり易い内容になっています。
脚本を担当したのがノーベル文学賞作家ジョン・スタインベック。
「怒りの葡萄」「二十日鼠と人間」「エデンの東」など、人間の内面に深く踏み込んだ作風は「革命児サパタ」でも十分に発揮されていて、貧しさと栄光、愛と裏切り、報われることのない流血からの反抗といった、スタインベック調の生き生きとした人間ドラマが展開されていきます。
★★★★★
監督は「欲望という名の電車」の名匠エリア・カザン。
カザンというと、どうしてもハリウッドの赤狩りにともなう政治的背景が取りざたされてしまいますし、1998年に行われたアカデミー賞の授賞式で、映画界に対する長年の功労として「名誉賞」が与えられたとき、大勢の拍手の中で、一部からはブーイングが起き、ニック・ノルティ、エド・ハリスなどは憮然とした表情のまま、表彰を受けるカザンを見つめていたのがとても印象に残っています。
そういうこともありますが、「革命児サパタ」そのものは優れた映画だと思いますし、マーロン・ブランドはもちろん、サパタの兄ユーフェミオを演じ、助演男優賞を受賞したアンソニー・クインの粗野で豪快な役回り、戦い続けながらも報われることのない不遇の地位から革命の意義を見失い、弟であるサパタとの確執の芽を宿しながら殺されてしまう悲劇の男ユーフェミオは、最も人間くさい人間の典型であり、「革命児サパタ」の中で強烈な印象を残しました。
強烈な印象ということでは、反ディアス大統領派の勢力の中を小賢しく立ち回り、最後にはサパタを裏切ってしまうフェルナンド・アギーレを演じたジョセフ・ワイズマン。
「007/ドクター・ノオ」(1962年)では、悪役ノオ博士を演じて強烈な印象を残し、ドクター・ノオのイメージは1973年の「燃えよドラゴン」の悪役ミスター・ハンにそのまま受け継がれています。
ただ、映画としてはフェルナンド・アギーレの人間像がイマイチ分かりづらかったのが難点ですが、終盤のサパタ暗殺の場面は「俺たちに明日はない」(1968年)のラストにつながる壮絶なシーンでした。
しかし悲惨な結果として終わるのではなく、サパタの愛馬が山へ逃げかえり、英雄となったサパタが白馬の印象として人々の記憶に残ることを暗示したラストは秀逸でした。
追記
貧しい農民出身で文盲として描かれたエミリアーノ・サパタですが、実際には裕福な農場所有者の息子で、ブルジョア的エリートでもあったようですから当然ながら文盲ではなかったはず。
貧しい文盲としたのは、革命を成し遂げる原動力は下層に生きる農民階級であることを強調しようとしたのか、貧しい農民の中から生まれた英雄として親しみやすさを出そうとしたのか。
いずれにしても、文盲であることで、雲の上の英雄というよりは、民衆を代表する英雄として好感が持てたのはたしかです。
監督エリア・カザン
脚本ジョン・スタインベック
撮影ジョー・マクドナルド
音楽アレックス・ノース
〈キャスト〉
マーロン・ブランド アンソニー・クイン
ジョセフ・ワイズマン
カンヌ国際映画祭主演男優賞(マーロン・ブランド)
第25回アカデミー賞助演男優賞受賞(アンソニー・クイン)
20世紀初頭のメキシコ。
ポルフィリオ・ディアス大統領による独裁政権のもと、地主と農民との間に土地問題にからむ地主への不満が持ち上がり、農民たちはディアス大統領に直訴に及ぶことになります。
地主との問題は裁判に訴えろと言う大統領の言葉に、農民たちは納得して引き上げようとしますが、一人だけ、その場を去ろうとしない若者がいました。
「裁判をして、一度でも農民が地主に勝ったことがあるか」
と若者は言います。
続けて言うだけのことを言うと、若者はその場を立ち去ろうとしますが、大統領は彼を呼び止め、「お前の名前は?」と訊きます。
若者は答えます。「サパタ。エミリアーノ・サパタ」
農民たちの名簿の中にサパタの名前を見つけた大統領は、彼の名前を黒丸で囲みます。
映画冒頭のこのシーンは、後にサパタが権力の座についたときに社会的立場における自己矛盾の伏線として重要な意味を持つのですが、それは後のお話し。
★★★★★
パンチョ・ヴィリャと共にメキシコ革命の風雲児としてその名を馳せたエミリアーノ・サパタ。
映画は、革命の発端と、後にディアス大統領の辞任とともに革命の英雄となったサパタの姿を生き生きと追いながら、失意に沈み、裏切りの中で暗殺されるサパタの半生を、マーロン・ブランド、アンソニー・クインなどの名優たちの熱演によって描いてゆきます。
メキシコ革命は、フランス革命などもそうであるように様々な勢力が台頭して成し遂げられてゆきます。
ディアス大統領の圧政と、ディアスと対立するフランシスコ・マデロのアメリカへの亡命。革命の立役者でもあったマデロとサパタの確執。また、大統領となったマデロを殺し、勢力を広げる反革命の旗手ビクトリアーノ・ウエルタ将軍。
ウエルタ政権を打倒するために樹立された様々な革命軍と、その集合体である護憲革命軍。
護憲革命軍北部師団を率いるフランシスコ・ヴィリャ(パンチョ・ヴィリャ)。
護憲革命軍の指導的立場であり、後にヴィリャやサパタと対立することになるベヌスティアーノ・カランサ。
しかし、映画「革命児サパタ」はメキシコ革命を詳しく知らなくても分かり易い内容になっています。
脚本を担当したのがノーベル文学賞作家ジョン・スタインベック。
「怒りの葡萄」「二十日鼠と人間」「エデンの東」など、人間の内面に深く踏み込んだ作風は「革命児サパタ」でも十分に発揮されていて、貧しさと栄光、愛と裏切り、報われることのない流血からの反抗といった、スタインベック調の生き生きとした人間ドラマが展開されていきます。
★★★★★
監督は「欲望という名の電車」の名匠エリア・カザン。
カザンというと、どうしてもハリウッドの赤狩りにともなう政治的背景が取りざたされてしまいますし、1998年に行われたアカデミー賞の授賞式で、映画界に対する長年の功労として「名誉賞」が与えられたとき、大勢の拍手の中で、一部からはブーイングが起き、ニック・ノルティ、エド・ハリスなどは憮然とした表情のまま、表彰を受けるカザンを見つめていたのがとても印象に残っています。
そういうこともありますが、「革命児サパタ」そのものは優れた映画だと思いますし、マーロン・ブランドはもちろん、サパタの兄ユーフェミオを演じ、助演男優賞を受賞したアンソニー・クインの粗野で豪快な役回り、戦い続けながらも報われることのない不遇の地位から革命の意義を見失い、弟であるサパタとの確執の芽を宿しながら殺されてしまう悲劇の男ユーフェミオは、最も人間くさい人間の典型であり、「革命児サパタ」の中で強烈な印象を残しました。
強烈な印象ということでは、反ディアス大統領派の勢力の中を小賢しく立ち回り、最後にはサパタを裏切ってしまうフェルナンド・アギーレを演じたジョセフ・ワイズマン。
「007/ドクター・ノオ」(1962年)では、悪役ノオ博士を演じて強烈な印象を残し、ドクター・ノオのイメージは1973年の「燃えよドラゴン」の悪役ミスター・ハンにそのまま受け継がれています。
ただ、映画としてはフェルナンド・アギーレの人間像がイマイチ分かりづらかったのが難点ですが、終盤のサパタ暗殺の場面は「俺たちに明日はない」(1968年)のラストにつながる壮絶なシーンでした。
しかし悲惨な結果として終わるのではなく、サパタの愛馬が山へ逃げかえり、英雄となったサパタが白馬の印象として人々の記憶に残ることを暗示したラストは秀逸でした。
追記
貧しい農民出身で文盲として描かれたエミリアーノ・サパタですが、実際には裕福な農場所有者の息子で、ブルジョア的エリートでもあったようですから当然ながら文盲ではなかったはず。
貧しい文盲としたのは、革命を成し遂げる原動力は下層に生きる農民階級であることを強調しようとしたのか、貧しい農民の中から生まれた英雄として親しみやすさを出そうとしたのか。
いずれにしても、文盲であることで、雲の上の英雄というよりは、民衆を代表する英雄として好感が持てたのはたしかです。
2019年03月21日
映画「ホロコースト-アドルフ・ヒトラーの洗礼-」法王庁の沈黙
「ホロコースト-アドルフ・ヒトラーの洗礼-」
(Amen.) 2002年
フランス/ドイツ/ルーマニア/アメリカ
監督コスタ=ガブラス
脚本コスタ=ガブラス
原作ロルフ・ホーホフート「神の代理人」
撮影パトリック・ブロシェ
〈キャスト〉
ウルリッヒ・トゥクル マチュー・カソヴィッツ
ウルリッヒ・ミューエ
原題は 「Amen」 。
キリスト教世界における祈りの言葉の後に唱える言葉が原題となっています。
大体において祈りの言葉は「あなた(神)の王国が来ますように」、または、主(神)に対する感謝の言葉で締めくくられることが多いのですが、その後に、是認の言葉として「アーメン」が唱えられ、そうありますように、そうです、といった意味を持ちます。
原題から判るように、「ホロコースト-アドルフ・ヒトラーの洗礼-」は宗教をテーマとして、バチカンがナチス・ドイツのユダヤ人迫害に対して非難の声明を出さなかったという史実をもとに、社会派の巨匠コスタ=ガブラスが取り組んだ意欲作です。
ナチス親衛隊中尉で、化学者として飲料水を殺菌する研究などをおこなっていたクルト・ゲルシュタイン(ウルリッヒ・トゥクル)は、知的障害を持つ姪が多数の精神障害者と共に“病死”という口実で安楽死させられたことを知ります。
ナチスによる“望ましからざる者たち”の事実上の抹殺、「障害者絶滅計画」でした。
さらにある日、ゲルシュタインは、医師で上官の将校(ウルリッヒ・ミューエ)らに連れられ、強制収容所でユダヤ人の大量虐殺を目撃します。
ナチスの蛮行を目の当たりにし、数万単位のユダヤ人が次々とガス室送りになることを知ったゲルシュタインは虐殺をやめさせるべく、“神の代理人”である宗教界に頼ろうとします。
プロテスタントの信者であるゲルシュタインは、仲間たちと話し合いの場を設けますが、誰もが彼の意見に耳を貸さず一蹴されてしまいます。
カトリックの総本山であるバチカンに訴えるしかないと考えたゲルシュタインはローマ法王庁の外交官に接触しますが、ここでも相手にされず、一時は落胆しますが、偶然にもその場にいた若い修道士リカルド(マチュー・カソヴィッツ)は、ゲルシュタインと共にナチスの蛮行を食い止める戦いを開始します。
自らもナチスの親衛隊員であるゲルシュタインは自己矛盾を抱えながらもバチカンへの接触を続け、法王への説得を試みますが、法王ピウス12世はナチスと敵対関係になることを恐れ、ゲルシュタインの訴えを退けてしまいます。
暗黒の時代における光の消滅
16世紀にマルティン・ルターが始めた宗教改革は、当時のローマ・カトリック教会に対する抗議の声でもありました。
マリア崇拝、クリスマスのミサ(クリスマスはキリストの誕生日ではなく、古代ローマの太陽崇拝に基づいています)、豪華な教会装飾など、神の言葉よりも教会の権威を高めることに執着し、堕落していたカトリック教会に対して非難の声をあげたのです。
プロテスタント(抗議する者)と呼ばれたマルティン・ルターはカトリック教会から離れ、プロテスタントとして神の言葉“聖書”を軸に宗教改革を推し進めてゆきます。
映画「ホロコースト-アドルフ・ヒトラーの洗礼-」は、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺において、何の抵抗も示さなかった宗教界(特にローマ・カトリック教会)そのものを指弾した映画であるといえます。
素晴らしく重厚な映像で、俳優の演技も素晴らしいものでしたが、やはり、何らかの形で虐殺のシーンは欲しかったと思います。強制収容所でゲルシュタインが壁の穴から虐殺の様子を見る場面では、ゲルシュタインの表情ですべてが語られてゆくのですが、親衛隊員である自らの立場と、命を懸けてまで虐殺をやめさせようとする心情をクッキリと浮かび上がらせるためには、「シンドラーのリスト」(1993年)における赤い服の少女のようなシンボリックな映像か、目を背(そむ)けたくなるような、心に突き刺さるシーンが必要だと思いました。
しかし俳優たちの演技は完璧なもので、中でも若き修道士リカルドのマチュー・カソヴィッツの情熱と宗教の絶望感に打ちのめされる姿は強く印象に残りました。
宗教界の最高権威といえども人間社会のひとつの組織体にすぎず、ヨーロッパを席巻したアドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツに対して保身と無力をさらけ出してしまったのは、ある意味、仕方のないことだったのかもしれませんが、神の名に値しない汚点を残してしまったといえます。
刺激的な映像が少ない分、俳優の演技がかなりの見どころを占めます。それだけに余計な刺激に惑わされずに宗教というテーマを追求することができるという利点があり、コスタ=ガブラスもそのあたりを考慮していたのかもしれません。
でも「ホロコースト-アドルフ・ヒトラーの洗礼-」という邦題には首をひねりたくなります。
“ホロコースト(大量虐殺)”の場面は出てきませんし、ヒトラーそのものも登場しないからです。といって原題そのままに「アーメン」では何だかよく分かりませんしね。題名を考えるのも難しいものです。
フランス/ドイツ/ルーマニア/アメリカ
監督コスタ=ガブラス
脚本コスタ=ガブラス
原作ロルフ・ホーホフート「神の代理人」
撮影パトリック・ブロシェ
〈キャスト〉
ウルリッヒ・トゥクル マチュー・カソヴィッツ
ウルリッヒ・ミューエ
原題は 「Amen」 。
キリスト教世界における祈りの言葉の後に唱える言葉が原題となっています。
大体において祈りの言葉は「あなた(神)の王国が来ますように」、または、主(神)に対する感謝の言葉で締めくくられることが多いのですが、その後に、是認の言葉として「アーメン」が唱えられ、そうありますように、そうです、といった意味を持ちます。
原題から判るように、「ホロコースト-アドルフ・ヒトラーの洗礼-」は宗教をテーマとして、バチカンがナチス・ドイツのユダヤ人迫害に対して非難の声明を出さなかったという史実をもとに、社会派の巨匠コスタ=ガブラスが取り組んだ意欲作です。
ナチス親衛隊中尉で、化学者として飲料水を殺菌する研究などをおこなっていたクルト・ゲルシュタイン(ウルリッヒ・トゥクル)は、知的障害を持つ姪が多数の精神障害者と共に“病死”という口実で安楽死させられたことを知ります。
ナチスによる“望ましからざる者たち”の事実上の抹殺、「障害者絶滅計画」でした。
さらにある日、ゲルシュタインは、医師で上官の将校(ウルリッヒ・ミューエ)らに連れられ、強制収容所でユダヤ人の大量虐殺を目撃します。
ナチスの蛮行を目の当たりにし、数万単位のユダヤ人が次々とガス室送りになることを知ったゲルシュタインは虐殺をやめさせるべく、“神の代理人”である宗教界に頼ろうとします。
プロテスタントの信者であるゲルシュタインは、仲間たちと話し合いの場を設けますが、誰もが彼の意見に耳を貸さず一蹴されてしまいます。
カトリックの総本山であるバチカンに訴えるしかないと考えたゲルシュタインはローマ法王庁の外交官に接触しますが、ここでも相手にされず、一時は落胆しますが、偶然にもその場にいた若い修道士リカルド(マチュー・カソヴィッツ)は、ゲルシュタインと共にナチスの蛮行を食い止める戦いを開始します。
自らもナチスの親衛隊員であるゲルシュタインは自己矛盾を抱えながらもバチカンへの接触を続け、法王への説得を試みますが、法王ピウス12世はナチスと敵対関係になることを恐れ、ゲルシュタインの訴えを退けてしまいます。
暗黒の時代における光の消滅
16世紀にマルティン・ルターが始めた宗教改革は、当時のローマ・カトリック教会に対する抗議の声でもありました。
マリア崇拝、クリスマスのミサ(クリスマスはキリストの誕生日ではなく、古代ローマの太陽崇拝に基づいています)、豪華な教会装飾など、神の言葉よりも教会の権威を高めることに執着し、堕落していたカトリック教会に対して非難の声をあげたのです。
プロテスタント(抗議する者)と呼ばれたマルティン・ルターはカトリック教会から離れ、プロテスタントとして神の言葉“聖書”を軸に宗教改革を推し進めてゆきます。
映画「ホロコースト-アドルフ・ヒトラーの洗礼-」は、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺において、何の抵抗も示さなかった宗教界(特にローマ・カトリック教会)そのものを指弾した映画であるといえます。
素晴らしく重厚な映像で、俳優の演技も素晴らしいものでしたが、やはり、何らかの形で虐殺のシーンは欲しかったと思います。強制収容所でゲルシュタインが壁の穴から虐殺の様子を見る場面では、ゲルシュタインの表情ですべてが語られてゆくのですが、親衛隊員である自らの立場と、命を懸けてまで虐殺をやめさせようとする心情をクッキリと浮かび上がらせるためには、「シンドラーのリスト」(1993年)における赤い服の少女のようなシンボリックな映像か、目を背(そむ)けたくなるような、心に突き刺さるシーンが必要だと思いました。
しかし俳優たちの演技は完璧なもので、中でも若き修道士リカルドのマチュー・カソヴィッツの情熱と宗教の絶望感に打ちのめされる姿は強く印象に残りました。
宗教界の最高権威といえども人間社会のひとつの組織体にすぎず、ヨーロッパを席巻したアドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツに対して保身と無力をさらけ出してしまったのは、ある意味、仕方のないことだったのかもしれませんが、神の名に値しない汚点を残してしまったといえます。
刺激的な映像が少ない分、俳優の演技がかなりの見どころを占めます。それだけに余計な刺激に惑わされずに宗教というテーマを追求することができるという利点があり、コスタ=ガブラスもそのあたりを考慮していたのかもしれません。
でも「ホロコースト-アドルフ・ヒトラーの洗礼-」という邦題には首をひねりたくなります。
“ホロコースト(大量虐殺)”の場面は出てきませんし、ヒトラーそのものも登場しないからです。といって原題そのままに「アーメン」では何だかよく分かりませんしね。題名を考えるのも難しいものです。
2019年03月15日
映画「戦艦ポチョムキン」サイレント映画の傑作
「戦艦ポチョムキン」
(Броненосец ≪Потёмкин≫) 1925年 ソビエト連邦
監督・脚本・編集セルゲイ・エイゼンシュテイン
撮影エドゥアルド・ティッセ
〈キャスト〉
アレクサンドル・アントノフ ウラジミール・バルスキー
ロマノフ朝による君主政治が陰りを見せ始めた1905年、第一次ロシア革命が起こります。
国内ではストライキが頻発し、草原に燃え広がる野火のように革命の炎は全土に広がろうとしていました。
満州(現・中国東北部)の支配権をめぐり、ロシアは日本との戦争に突入しており、国内では不穏な社会情勢、対外的には日露戦争という混沌とした状況の中、日清戦争で勝利を得た日本は軍事力を強化。まとまりを欠いたロシアは日本との戦況において敗色が決定的なものになっていました。
1905年、日本海海戦で日本はロシアのバルチック艦隊を完全粉砕。ロシアの敗北が決定的になる中、遠く離れた黒海では一隻の戦艦が竣工されようとしていました。正式名称「ポチョムキン=タブリーチェスキー公」、略称「ポチョムキン号」です。
映画「戦艦ポチョムキン」は不穏なロシアの国内情勢を背景に、民衆による革命のうねりを鋭くとらえたサイレント映画の傑作です。
映画は史実としての「ポチョムキン号の反乱」から幕を開けます。
ウジの湧いた肉を食べさせられることへの反感から、水兵たちの間にストライキが起こります。上官たちは、命令に背いたとして数名の水兵たちを銃殺にしようとしますが、やがて指導的な立場になるワクリンチュク(アレクサンドル・アントノフ)によって上官たちへの反乱の火ぶたが切って落とされます。
水兵たちに乗っ取られた「ポチョムキン号」は港湾都市オデッサに寄港し、反乱の銃撃戦で死んだワクリンチュクの遺体を港に安置します。
ワクリンチュクの遺体は民衆に革命の気運を燃え立たせ、それが後にオデッサの階段の虐殺へとつながってゆくことになります。
世界映画史上最も有名な6分間「オデッサの階段」
ポチョムキン号は革命の象徴としてオデッサの民衆の大歓迎を受けます。
港に安置されたワクリンチュクの遺体の周りには人々が押し寄せ、どこからともなく続々と民衆が集まってきます。
このオデッサの港の場面は素晴らしく、自然主義の絵画を見るような美術感覚であると同時にオデッサの町そのものが美しいということもあるのでしょう。
現在はウクライナの一部ですが、ロシア帝国の時代には経済や文化の交流都市であり、多くの民族が共存する他民族都市でもあったことから、活気と混沌の入り混じる独特の魅力を持った町として、プーシキンやゴーゴリ、ゴーリキーといったロシアの文豪たちの創作の舞台となったようです。
そんなオデッサの港にポチョムキン号は寄港し、革命を叫ぶ民衆が続々と押し寄せたことで、革命を恐れる政府はコサックからなる軍隊をオデッサに派遣して民衆の鎮圧にあたることになります。
映画史上最も有名な「オデッサの虐殺」の場面は、狂乱と流血、階段の上から無表情に発砲し、市民を殺戮する軍隊、逃げ惑う群衆、倒れて踏みつけにされる子ども、息の絶えた子どもを抱え、抗議に向かう母親。
サイレントなので群衆の悲鳴は聞こえてはきませんが、ドキュメンタリー映画を観るような恐怖と混乱の映像は、阿鼻叫喚の殺戮の現場を目撃するかのような生々しい迫力に満ちています。
中でも赤ん坊を乗せた乳母車が階段を転がっていく場面は、後にブライアン・デ・パルマ監督、ケヴィン・コスナー主演の「アンタッチャブル」で、ユニオン駅の銃撃戦の中でそのまま引用されており、「オデッサの階段」の中でひときわ抜きんでた場面となっています。
技術的な面が盛んに評価されている「オデッサの階段」ですが、革命のうねりの中で避けることのできない流血と狂乱を見事にえぐり出した映像だと思います。
監督・脚本・編集セルゲイ・エイゼンシュテイン
撮影エドゥアルド・ティッセ
〈キャスト〉
アレクサンドル・アントノフ ウラジミール・バルスキー
ロマノフ朝による君主政治が陰りを見せ始めた1905年、第一次ロシア革命が起こります。
国内ではストライキが頻発し、草原に燃え広がる野火のように革命の炎は全土に広がろうとしていました。
満州(現・中国東北部)の支配権をめぐり、ロシアは日本との戦争に突入しており、国内では不穏な社会情勢、対外的には日露戦争という混沌とした状況の中、日清戦争で勝利を得た日本は軍事力を強化。まとまりを欠いたロシアは日本との戦況において敗色が決定的なものになっていました。
1905年、日本海海戦で日本はロシアのバルチック艦隊を完全粉砕。ロシアの敗北が決定的になる中、遠く離れた黒海では一隻の戦艦が竣工されようとしていました。正式名称「ポチョムキン=タブリーチェスキー公」、略称「ポチョムキン号」です。
映画「戦艦ポチョムキン」は不穏なロシアの国内情勢を背景に、民衆による革命のうねりを鋭くとらえたサイレント映画の傑作です。
映画は史実としての「ポチョムキン号の反乱」から幕を開けます。
ウジの湧いた肉を食べさせられることへの反感から、水兵たちの間にストライキが起こります。上官たちは、命令に背いたとして数名の水兵たちを銃殺にしようとしますが、やがて指導的な立場になるワクリンチュク(アレクサンドル・アントノフ)によって上官たちへの反乱の火ぶたが切って落とされます。
水兵たちに乗っ取られた「ポチョムキン号」は港湾都市オデッサに寄港し、反乱の銃撃戦で死んだワクリンチュクの遺体を港に安置します。
ワクリンチュクの遺体は民衆に革命の気運を燃え立たせ、それが後にオデッサの階段の虐殺へとつながってゆくことになります。
世界映画史上最も有名な6分間「オデッサの階段」
ポチョムキン号は革命の象徴としてオデッサの民衆の大歓迎を受けます。
港に安置されたワクリンチュクの遺体の周りには人々が押し寄せ、どこからともなく続々と民衆が集まってきます。
このオデッサの港の場面は素晴らしく、自然主義の絵画を見るような美術感覚であると同時にオデッサの町そのものが美しいということもあるのでしょう。
現在はウクライナの一部ですが、ロシア帝国の時代には経済や文化の交流都市であり、多くの民族が共存する他民族都市でもあったことから、活気と混沌の入り混じる独特の魅力を持った町として、プーシキンやゴーゴリ、ゴーリキーといったロシアの文豪たちの創作の舞台となったようです。
そんなオデッサの港にポチョムキン号は寄港し、革命を叫ぶ民衆が続々と押し寄せたことで、革命を恐れる政府はコサックからなる軍隊をオデッサに派遣して民衆の鎮圧にあたることになります。
映画史上最も有名な「オデッサの虐殺」の場面は、狂乱と流血、階段の上から無表情に発砲し、市民を殺戮する軍隊、逃げ惑う群衆、倒れて踏みつけにされる子ども、息の絶えた子どもを抱え、抗議に向かう母親。
サイレントなので群衆の悲鳴は聞こえてはきませんが、ドキュメンタリー映画を観るような恐怖と混乱の映像は、阿鼻叫喚の殺戮の現場を目撃するかのような生々しい迫力に満ちています。
中でも赤ん坊を乗せた乳母車が階段を転がっていく場面は、後にブライアン・デ・パルマ監督、ケヴィン・コスナー主演の「アンタッチャブル」で、ユニオン駅の銃撃戦の中でそのまま引用されており、「オデッサの階段」の中でひときわ抜きんでた場面となっています。
技術的な面が盛んに評価されている「オデッサの階段」ですが、革命のうねりの中で避けることのできない流血と狂乱を見事にえぐり出した映像だと思います。