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2019年10月25日
映画「硫黄島からの手紙」- 激戦36日間の攻防 戦いの中で兵士たちは…
「硫黄島からの手紙」
(Letters from Iwo Jima)
2006年 アメリカ
監督クリント・イーストウッド
脚本アイリス・ヤマシタ
撮影トム・スターン
〈キャスト〉
渡辺謙 二宮和也 伊原剛志 加瀬亮 中村獅童
第79回アカデミー賞音響編集賞/第64回ゴールデングローブ賞最優秀外国語映画賞/全米映画批評家賞/サンディエゴ映画批評家協会賞/他受賞多数
東京都から南に約1100?q。小笠原諸島の南の端に位置する硫黄島は、東西8?q、南北4?qの小さな島です。
活火山の火山島であるため硫黄の臭いが強く、それがそのまま島名の由来になっています。
昭和19年(1944年)、本土防衛のため、大本営は小笠原諸島の防備の強化を開始。
陸・海部隊合わせて6245名が硫黄島に進出。
さらに参謀本部は小笠原諸島防備の増強を決め、第109師団を創設。
栗林忠道中将を師団長に任命し、栗林は昭和19年6月8日に硫黄島へ着任します。
栗林着任のほぼ一週間後の6月15日、米軍はサイパン上陸と合わせて硫黄島を空襲。
激戦の火ぶたが切って落とされます。
「硫黄島からの手紙」は、前作「父親たちの星条旗」に続く、二部作ともいえる硫黄島の激戦に取り組んだクリント・イーストウッドの監督作品で、アメリカ映画でありながら登場人物のほとんどが日本人で占められた異色作。
「父親たちの星条旗」がアメリカ側の視点でとらえた硫黄島のその後であったのに対し、「硫黄島からの手紙」では硫黄島の激戦そのものに焦点を当て、本土防衛のために捨て駒とされた絶海の孤島で、圧倒的な物量を誇る米軍に対し、日本軍2万129名が戦死。さらに米軍の戦傷者は2万8686名という壮絶な戦いを強いられた日本軍兵士たちの心の葛藤を丁寧に、そしてリアルに描き切った傑作です。
2006年。
硫黄島の戦跡調査隊は、日本軍がアメリカ軍を迎え撃つために潜(ひそ)んでいた地下陣地を調査中、おびただしい数の封書を発見します。
それは、硫黄島で戦い、死んでいった兵士たちが家族に宛てた手紙で、栗林忠道中将を始めとする帝国陸軍小笠原兵団の肉声ともいえるものでしたが、その手紙が家族の元に届くことなく、多くは遺骨となった彼らは、この島で何を思い、激しい戦いの中でどう生きたのか。
昭和19(1944)年6月8日、太平洋戦争の戦況が悪化する中、硫黄島を本土防衛のための砦とするため、日本軍守備隊として小笠原方面最高指揮官・栗林忠道中将(渡辺謙)が島へ降り立ちます。
駐在武官としてアメリカやカナダでの生活経験を持つ栗林の着任は、それまで、精神論に固執し、兵士たちに厳しさを押し付ける上官たちと違い、命の大切さを説く新鮮で暖かみのある指揮官として、応召兵で陸軍一等兵の西郷(二宮和也)たちに明るい光を投げかけます。
また、1932年のロサンゼルスオリンピック馬術競技金メダリストの西竹一中佐(伊原剛志)も愛馬と共に硫黄島へ着任。
チャーリー・チャップリンや“ハリウッドのキング”と呼ばれたダグラス・フェアバンクスとも親交のあった、ハンサムでダンディーな西の存在もまた、西郷たちの過酷な灼熱の日常に新鮮な風と空気を送り込むことになります。
しかし、アメリカ軍を迎え撃つために徹底抗戦を叫ぶ副官の藤田中尉(渡辺広)や伊藤大尉(中村獅童)たちに対して、米軍との兵力の差があり過ぎることを憂慮した栗林は、地下壕を掘り、島全体を要塞化してゲリラ戦に持ち込む作戦を提言。藤田中尉たちとの間に摩擦が生じます。
栗林の指揮のもと、地下陣地の構築が始まり、昭和20(1945)年2月19日、圧倒的な兵力をもってアメリカ軍が硫黄島への上陸を開始。
地下陣地に立てこもった日本軍は、トーチカのすき間から一斉に射撃を開始します。
日本軍とアメリカ軍では、兵力や物量の上であまりにも違いがあることから5日ほどで終了すると思われていた硫黄島の戦いは、36日間に及ぶ激戦の末にアメリカ軍の戦傷者の数が日本軍の戦死者の数を上回る結果となり、上陸部隊指揮官のホーランド・スミス海兵隊中将に「この戦いを指揮している日本の将軍は頭の切れるヤツだ」と言わしめた硫黄島の戦い。
しかし、映画「硫黄島からの手紙」は指揮官である栗林忠道中将を英雄視することなく、酒を酌み交わす間柄の西少佐とも確執の芽があることを淡々と描いていきます。
招集された一等兵・西郷の目を通して語られる「硫黄島からの手紙」は、戦場には不釣り合いなほど静かに流れるピアノの音色が、悲愴な血の臭いを浄化させるような不思議な雰囲気を醸し出し、死と静寂の世界を創り出していきます。
それは、戦場の兵士たちも家庭にあれば良き夫であり、戦争がなければごく普通の家庭人として平凡で静かな人生を送りえたであろう哀切さを、兵士たちが家族に宛てた手紙とともに、普通の生活が送れることへの裏返しの哀しさが込められているように思います。
そしてアメリカ軍上陸に始まる激戦は、ドリームワークスを率いるスティーヴン・スピルバーグが製作に参加していることもあって「プライベート・ライアン」のノルマンディー上陸に劣らない壮絶さ。
敗色が濃くなり、玉砕を叫び自決を強いる地下壕での凄惨さ。
栗林の命令を無視して夜間攻撃を仕掛ける伊藤大尉の無謀さと、だらしのない滑稽さ。
投降する日本兵に対し、こんな奴らのお守りはゴメンだとばかりに射殺してしまうアメリカ兵の非人道性。
けっして一方に肩入れすることなく、戦場で起こることのすべてをありのままに描こうとするイーストウッドの姿勢は、見る者の心に深い感動となって染みこみます。
栗林忠道中将に「ラストサムライ」(2003年)、「インセプション」(2010年)など、ハリウッドでも知名度の高い渡辺謙。
西郷一等兵に、アイドルグループ「嵐」のメンバーで、「母と暮らせば」(2015年)などの二宮和也。
伊藤大尉に、歌舞伎役者で、「利休」(1989年)、「レッドクリフ」(2008年)の中村獅童。
馬術競技金メダリストの西竹一中佐に、「病院へ行こう」(1990年)、「十三人の刺客」(2010年)の伊原剛志。
余談として、現在では硫黄島の読みは“いおうとう”に統一されていますが、歴史的には“いおうじま”“いおうとう”の両方があり、映画にも登場する「硫黄島防備の歌」の中でも“いおうじま”と歌われています。
明治時代に作成された海図にも“いおうじま”と表記されていて、アメリカ軍はこの海図をもとに“イオージマ”と呼んでいたようです。
2006年 アメリカ
監督クリント・イーストウッド
脚本アイリス・ヤマシタ
撮影トム・スターン
〈キャスト〉
渡辺謙 二宮和也 伊原剛志 加瀬亮 中村獅童
第79回アカデミー賞音響編集賞/第64回ゴールデングローブ賞最優秀外国語映画賞/全米映画批評家賞/サンディエゴ映画批評家協会賞/他受賞多数
東京都から南に約1100?q。小笠原諸島の南の端に位置する硫黄島は、東西8?q、南北4?qの小さな島です。
活火山の火山島であるため硫黄の臭いが強く、それがそのまま島名の由来になっています。
昭和19年(1944年)、本土防衛のため、大本営は小笠原諸島の防備の強化を開始。
陸・海部隊合わせて6245名が硫黄島に進出。
さらに参謀本部は小笠原諸島防備の増強を決め、第109師団を創設。
栗林忠道中将を師団長に任命し、栗林は昭和19年6月8日に硫黄島へ着任します。
栗林着任のほぼ一週間後の6月15日、米軍はサイパン上陸と合わせて硫黄島を空襲。
激戦の火ぶたが切って落とされます。
「硫黄島からの手紙」は、前作「父親たちの星条旗」に続く、二部作ともいえる硫黄島の激戦に取り組んだクリント・イーストウッドの監督作品で、アメリカ映画でありながら登場人物のほとんどが日本人で占められた異色作。
「父親たちの星条旗」がアメリカ側の視点でとらえた硫黄島のその後であったのに対し、「硫黄島からの手紙」では硫黄島の激戦そのものに焦点を当て、本土防衛のために捨て駒とされた絶海の孤島で、圧倒的な物量を誇る米軍に対し、日本軍2万129名が戦死。さらに米軍の戦傷者は2万8686名という壮絶な戦いを強いられた日本軍兵士たちの心の葛藤を丁寧に、そしてリアルに描き切った傑作です。
2006年。
硫黄島の戦跡調査隊は、日本軍がアメリカ軍を迎え撃つために潜(ひそ)んでいた地下陣地を調査中、おびただしい数の封書を発見します。
それは、硫黄島で戦い、死んでいった兵士たちが家族に宛てた手紙で、栗林忠道中将を始めとする帝国陸軍小笠原兵団の肉声ともいえるものでしたが、その手紙が家族の元に届くことなく、多くは遺骨となった彼らは、この島で何を思い、激しい戦いの中でどう生きたのか。
昭和19(1944)年6月8日、太平洋戦争の戦況が悪化する中、硫黄島を本土防衛のための砦とするため、日本軍守備隊として小笠原方面最高指揮官・栗林忠道中将(渡辺謙)が島へ降り立ちます。
駐在武官としてアメリカやカナダでの生活経験を持つ栗林の着任は、それまで、精神論に固執し、兵士たちに厳しさを押し付ける上官たちと違い、命の大切さを説く新鮮で暖かみのある指揮官として、応召兵で陸軍一等兵の西郷(二宮和也)たちに明るい光を投げかけます。
また、1932年のロサンゼルスオリンピック馬術競技金メダリストの西竹一中佐(伊原剛志)も愛馬と共に硫黄島へ着任。
チャーリー・チャップリンや“ハリウッドのキング”と呼ばれたダグラス・フェアバンクスとも親交のあった、ハンサムでダンディーな西の存在もまた、西郷たちの過酷な灼熱の日常に新鮮な風と空気を送り込むことになります。
しかし、アメリカ軍を迎え撃つために徹底抗戦を叫ぶ副官の藤田中尉(渡辺広)や伊藤大尉(中村獅童)たちに対して、米軍との兵力の差があり過ぎることを憂慮した栗林は、地下壕を掘り、島全体を要塞化してゲリラ戦に持ち込む作戦を提言。藤田中尉たちとの間に摩擦が生じます。
栗林の指揮のもと、地下陣地の構築が始まり、昭和20(1945)年2月19日、圧倒的な兵力をもってアメリカ軍が硫黄島への上陸を開始。
地下陣地に立てこもった日本軍は、トーチカのすき間から一斉に射撃を開始します。
日本軍とアメリカ軍では、兵力や物量の上であまりにも違いがあることから5日ほどで終了すると思われていた硫黄島の戦いは、36日間に及ぶ激戦の末にアメリカ軍の戦傷者の数が日本軍の戦死者の数を上回る結果となり、上陸部隊指揮官のホーランド・スミス海兵隊中将に「この戦いを指揮している日本の将軍は頭の切れるヤツだ」と言わしめた硫黄島の戦い。
しかし、映画「硫黄島からの手紙」は指揮官である栗林忠道中将を英雄視することなく、酒を酌み交わす間柄の西少佐とも確執の芽があることを淡々と描いていきます。
招集された一等兵・西郷の目を通して語られる「硫黄島からの手紙」は、戦場には不釣り合いなほど静かに流れるピアノの音色が、悲愴な血の臭いを浄化させるような不思議な雰囲気を醸し出し、死と静寂の世界を創り出していきます。
それは、戦場の兵士たちも家庭にあれば良き夫であり、戦争がなければごく普通の家庭人として平凡で静かな人生を送りえたであろう哀切さを、兵士たちが家族に宛てた手紙とともに、普通の生活が送れることへの裏返しの哀しさが込められているように思います。
そしてアメリカ軍上陸に始まる激戦は、ドリームワークスを率いるスティーヴン・スピルバーグが製作に参加していることもあって「プライベート・ライアン」のノルマンディー上陸に劣らない壮絶さ。
敗色が濃くなり、玉砕を叫び自決を強いる地下壕での凄惨さ。
栗林の命令を無視して夜間攻撃を仕掛ける伊藤大尉の無謀さと、だらしのない滑稽さ。
投降する日本兵に対し、こんな奴らのお守りはゴメンだとばかりに射殺してしまうアメリカ兵の非人道性。
けっして一方に肩入れすることなく、戦場で起こることのすべてをありのままに描こうとするイーストウッドの姿勢は、見る者の心に深い感動となって染みこみます。
栗林忠道中将に「ラストサムライ」(2003年)、「インセプション」(2010年)など、ハリウッドでも知名度の高い渡辺謙。
西郷一等兵に、アイドルグループ「嵐」のメンバーで、「母と暮らせば」(2015年)などの二宮和也。
伊藤大尉に、歌舞伎役者で、「利休」(1989年)、「レッドクリフ」(2008年)の中村獅童。
馬術競技金メダリストの西竹一中佐に、「病院へ行こう」(1990年)、「十三人の刺客」(2010年)の伊原剛志。
余談として、現在では硫黄島の読みは“いおうとう”に統一されていますが、歴史的には“いおうじま”“いおうとう”の両方があり、映画にも登場する「硫黄島防備の歌」の中でも“いおうじま”と歌われています。
明治時代に作成された海図にも“いおうじま”と表記されていて、アメリカ軍はこの海図をもとに“イオージマ”と呼んでいたようです。
2019年10月17日
映画「ダークレイン」- ホラーか、コメディか メキシコ発ノンストップスリラー
「ダークレイン」
(LOS PARECIDOS/THE SIMILARS)
2015年 メキシコ
脚本・監督イサーク・エスバン
音楽エディ・ラン
撮影イシ・サルファティ
〈キャスト〉
グスタフォ・サンチェス・パラ サンティアゴ・トレス カサンドラ・シアンゲロッティ
シッチェス・カタロニア国際映画祭作品賞/
バハ国際映画祭作品賞/モルビド映画祭作品賞/他6部門受賞
原題は類似性、類似的とでも訳すのでしょうか、それがこの映画の本質でもあると思うのですが、「ダークレイン」という邦題も地味ですが映画全体の雰囲気を表すのには適していると思います。
バスステーションに集まった男女が経験する不可思議な事象。
そこからのパニックを描いた本作は、最後の最後まで目を離すことのできない緊張感にあふれた映画で、文句なしに面白い、といっても言い過ぎではないと思います。
1968年10月2日。メキシコシティから遠く離れた深夜のバスステーション。
マルティン・アギラ(フェルナンド・ベセリル)はバスの券売係を30年間勤めた男。
その夜も、マルティンにとっては30年間の退屈な夜と同じものになるはずでしたが、異常なばかりに降り続く雨は、世界的な規模で災いを含む悪質な雨であることを電波状況の悪いラジオのニュースが伝えています。
ステーションの中にはウリセス(グスタフォ・サンチェス・パラ)が、妻の出産のために早くメキシコシティの病院へ駆けつけたいのに、なかなかやってこないバスを待ってイライラしています。
隅のほうには、白髪をお下げに垂らした老女のシャーマン(巫女)がベンチに腰掛けています。
そこへ、夫の暴力から逃れ、実家のあるメキシコシティまでバスで向かおうとする大きなお腹をした妊婦のイレーヌ(カサンドラ・シアンゲロッティ)が入ってきます。
しかし、異常に降り続く雨のためにバスがやって来ないと知ったイレーヌは、タクシーを呼ぼうとします。
4時間待ち続けてもやって来ないバスに業を煮やしたウリセスは、タクシーに相乗りして一緒にメキシコシティへ行かないかとイレーヌに持ち掛けます。
次にやって来たのは、医療器具をつけた8歳の息子イグナシオ(サンティアゴ・トレス)を連れた母親のゲルトルディス(カルメン・ベアト)。
一方では、バスステーションに住み込みで働いている若い女性ローザ(カトリーナ・サラス)の体に異変が生じ始めていました。
さらにマルティンにも異変が生じ、タクシーでバスステーションにやってきた医学生のアルバロ(ウンベルト・ブスト)はウイルスではないかと主張しますが、シャーマンの老女は悪魔の仕業であると言いだし、ウリセスが悪魔であると指差します。
自分はただの鉱山作業員だとウリセスは主張しますが、ローザの顔が変形し、長髪に髭をたくわえたウリセスの容貌そっくりに変わり、券売係のマルティンもウリセスの容貌になったことから、何かの化学実験の手先ではないかと医学生アルバロはウリセスを疑い出し、マルティンが銃を持ち出したことから、バスステーションの中はパニック状態に陥ります。
さらに、シャーマンの老女、妊婦のイレーヌまでもが濃い髭をたくわえたウリセスの顔へと変わってゆき、狂気と混乱が全員を支配していきます。
しかし、その様子を冷静に見つめていた人間がいました。
母親に連れられた少年、イグナシオです。
やがて、この異常な出来事の全貌がイグナシオの母親ゲルトルディスによって語られてゆくことになります。
舞台は1968年のメキシコ。
この年には世界各地で様々な紛争、事件が起こっています。
ベトナムでは「テト攻勢」により北ベトナム軍がアメリカ軍に攻撃を展開。アメリカの優位が崩れ、世界的な反戦世論が激化。
4月には公民権運動の活動家マーティン・ルーサー・キングの暗殺。
5月にはフランス・パリで学生による「5月革命」が勃発。それに触発された日本を始めとする世界数カ国でも反体制運動が拡大。
さらにJ・F・ケネディの実弟ロバート・F・ケネディ司法長官の暗殺。
ナイジェリアの内戦では数百万人が飢えのために死亡。
チェコスロバキアの民主化を抑えるためソ連軍がチェコへ侵入する「プラハの春」が勃発。
そして「ダークレイン」の時代設定である10月2日には、メキシコオリンピックを控えたメキシコシティで、民主化要求デモに警官隊が発砲。300人近くの学生が死亡する惨事が引き起こされています。
まさに「動乱の1968年」とも呼べる状況が世界を覆う時代を「ダークレイン」は背景にしています。
もっとも、そういった背景が映画で強調されることはありませんが、悪魔呼ばわりされるウリセスに対する疑惑として東西の冷戦構造が背景として持ち上がったりしていますし、異常に降り続く雨がもたらす世界各地の混乱が「動乱の1968年」を印象づける特徴として扱われています。
色彩を極度に排し、モノクロ映画と勘違いしそうなクラシックな怪奇性を帯びた映像。
たたみこむように展開する意外なストーリー。
密室ともいえる状況の中での俳優たちの狂気の熱演。
そして、異常な出来事の背後に隠された少年イグナシオの秘密。
監督は「メキシコ・オブ・デス」(2014年)、「パラドクス」(2014年)の異才イサーク・エスバン。
主演のウリセスに「アモーレス・ペロス」(2002年)、「うるう年の秘め事」(2011年)のグスタフォ・サンチェス・パラ。
妊婦のイレーヌに「ザ・ウォーター・ウォー」(2010年)のカサンドラ・シアンゲロッティ。
ホラーであり、パニック映画であり、一風変わったコメディであり、さらにオカルト的要素も加味した一級の娯楽作品です。
2015年 メキシコ
脚本・監督イサーク・エスバン
音楽エディ・ラン
撮影イシ・サルファティ
〈キャスト〉
グスタフォ・サンチェス・パラ サンティアゴ・トレス カサンドラ・シアンゲロッティ
シッチェス・カタロニア国際映画祭作品賞/
バハ国際映画祭作品賞/モルビド映画祭作品賞/他6部門受賞
原題は類似性、類似的とでも訳すのでしょうか、それがこの映画の本質でもあると思うのですが、「ダークレイン」という邦題も地味ですが映画全体の雰囲気を表すのには適していると思います。
バスステーションに集まった男女が経験する不可思議な事象。
そこからのパニックを描いた本作は、最後の最後まで目を離すことのできない緊張感にあふれた映画で、文句なしに面白い、といっても言い過ぎではないと思います。
1968年10月2日。メキシコシティから遠く離れた深夜のバスステーション。
マルティン・アギラ(フェルナンド・ベセリル)はバスの券売係を30年間勤めた男。
その夜も、マルティンにとっては30年間の退屈な夜と同じものになるはずでしたが、異常なばかりに降り続く雨は、世界的な規模で災いを含む悪質な雨であることを電波状況の悪いラジオのニュースが伝えています。
ステーションの中にはウリセス(グスタフォ・サンチェス・パラ)が、妻の出産のために早くメキシコシティの病院へ駆けつけたいのに、なかなかやってこないバスを待ってイライラしています。
隅のほうには、白髪をお下げに垂らした老女のシャーマン(巫女)がベンチに腰掛けています。
そこへ、夫の暴力から逃れ、実家のあるメキシコシティまでバスで向かおうとする大きなお腹をした妊婦のイレーヌ(カサンドラ・シアンゲロッティ)が入ってきます。
しかし、異常に降り続く雨のためにバスがやって来ないと知ったイレーヌは、タクシーを呼ぼうとします。
4時間待ち続けてもやって来ないバスに業を煮やしたウリセスは、タクシーに相乗りして一緒にメキシコシティへ行かないかとイレーヌに持ち掛けます。
次にやって来たのは、医療器具をつけた8歳の息子イグナシオ(サンティアゴ・トレス)を連れた母親のゲルトルディス(カルメン・ベアト)。
一方では、バスステーションに住み込みで働いている若い女性ローザ(カトリーナ・サラス)の体に異変が生じ始めていました。
さらにマルティンにも異変が生じ、タクシーでバスステーションにやってきた医学生のアルバロ(ウンベルト・ブスト)はウイルスではないかと主張しますが、シャーマンの老女は悪魔の仕業であると言いだし、ウリセスが悪魔であると指差します。
自分はただの鉱山作業員だとウリセスは主張しますが、ローザの顔が変形し、長髪に髭をたくわえたウリセスの容貌そっくりに変わり、券売係のマルティンもウリセスの容貌になったことから、何かの化学実験の手先ではないかと医学生アルバロはウリセスを疑い出し、マルティンが銃を持ち出したことから、バスステーションの中はパニック状態に陥ります。
さらに、シャーマンの老女、妊婦のイレーヌまでもが濃い髭をたくわえたウリセスの顔へと変わってゆき、狂気と混乱が全員を支配していきます。
しかし、その様子を冷静に見つめていた人間がいました。
母親に連れられた少年、イグナシオです。
やがて、この異常な出来事の全貌がイグナシオの母親ゲルトルディスによって語られてゆくことになります。
舞台は1968年のメキシコ。
この年には世界各地で様々な紛争、事件が起こっています。
ベトナムでは「テト攻勢」により北ベトナム軍がアメリカ軍に攻撃を展開。アメリカの優位が崩れ、世界的な反戦世論が激化。
4月には公民権運動の活動家マーティン・ルーサー・キングの暗殺。
5月にはフランス・パリで学生による「5月革命」が勃発。それに触発された日本を始めとする世界数カ国でも反体制運動が拡大。
さらにJ・F・ケネディの実弟ロバート・F・ケネディ司法長官の暗殺。
ナイジェリアの内戦では数百万人が飢えのために死亡。
チェコスロバキアの民主化を抑えるためソ連軍がチェコへ侵入する「プラハの春」が勃発。
そして「ダークレイン」の時代設定である10月2日には、メキシコオリンピックを控えたメキシコシティで、民主化要求デモに警官隊が発砲。300人近くの学生が死亡する惨事が引き起こされています。
まさに「動乱の1968年」とも呼べる状況が世界を覆う時代を「ダークレイン」は背景にしています。
もっとも、そういった背景が映画で強調されることはありませんが、悪魔呼ばわりされるウリセスに対する疑惑として東西の冷戦構造が背景として持ち上がったりしていますし、異常に降り続く雨がもたらす世界各地の混乱が「動乱の1968年」を印象づける特徴として扱われています。
色彩を極度に排し、モノクロ映画と勘違いしそうなクラシックな怪奇性を帯びた映像。
たたみこむように展開する意外なストーリー。
密室ともいえる状況の中での俳優たちの狂気の熱演。
そして、異常な出来事の背後に隠された少年イグナシオの秘密。
監督は「メキシコ・オブ・デス」(2014年)、「パラドクス」(2014年)の異才イサーク・エスバン。
主演のウリセスに「アモーレス・ペロス」(2002年)、「うるう年の秘め事」(2011年)のグスタフォ・サンチェス・パラ。
妊婦のイレーヌに「ザ・ウォーター・ウォー」(2010年)のカサンドラ・シアンゲロッティ。
ホラーであり、パニック映画であり、一風変わったコメディであり、さらにオカルト的要素も加味した一級の娯楽作品です。
2019年10月10日
映画「ジャッカルの日」- 標的はド・ゴール、周到な準備で計画を遂行する殺し屋ジャッカル
「ジャッカルの日」
(The Day of the Jackal)
1973年 イギリス/フランス
監督フレッド・ジンネマン
原作フレデリック・フォーサイス
脚本ケネス・ロス
撮影ジャン・トゥルニエ
音楽ジョルジュ・ドルリュー
〈キャスト〉
エドワード・フォックス マイケル・ロンズデール
デルフィーヌ・セイリグ
フランス第18代大統領シャルル・ド・ゴールを狙った暗殺事件を、「真昼の決闘」(1952年)、「地上より永遠に」(1953年)、「わが命つきるとも」(1966年)の名匠フレッド・ジンネマンが、周到に積み上げた細部と史実に基づいて、ド・ゴール暗殺を目論む武装組織の暗躍を背景に、暗殺を依頼された一匹狼の殺し屋ジャッカルと、暗殺を阻止しようとジャッカルを追い詰めるフランス官憲のクロード・ルベル警視の活躍を描いたサスペンス映画の傑作。
1962年、OAS(フランス極右民族主義)によるド・ゴール暗殺未遂事件が起こり、首謀者は逮捕、さらに銃殺。
当局の締め付けが厳しくなったOASは壊滅状態に陥ります。
OASによるド・ゴール暗殺の最後の切り札として登場したのが、国籍不明の殺し屋、暗号名ジャッカル(エドワード・フォックス)です。
50万ドルの契約で仕事を引き受けたジャッカルは着々と準備を進めます。
身分証明書を偽造し、精巧な狙撃銃を作らせたジャッカルはフランスへと進入。
ド・ゴール暗殺の機会をうかがいます。
一方、50万ドルという破格の契約のために資金を確保しなければならなくなったOASは銀行強盗を決行。
現金強奪にはいくつか成功しますが、テロを警戒したフランス当局は厳重な包囲網を敷き、強盗の一人を狙撃して逮捕。
尋問からOASの計画の断片を察知した大統領官邸は、ド・ゴール大統領を狙う正体不明の暗殺者捜索のためにフランス警察の腕利き、クロード・ルベル警視(マイケル・ロンズデール)を招集することになります。
パッとしない風采でボソボソとした話し方のルベルは、体こそ大きいものの、茫洋とした感じで切れ者のイメージからはほど遠い男なのですが、粘り強く、少ない情報を元に殺し屋ジャッカルの足取りをつかんでゆきます。
治安組織の動きを察知するため、フランス治安当局の官僚に近づいたOASのジャクリーヌは、機密情報を盗み出してOASに流し、その情報を元にジャッカルは当局やルベル警視の目を潜(くぐ)り抜けてパリへ潜入してゆきます。
一向に手がかりのつかめないジャッカルの足取りに疑問を感じたルベルは、内部から情報が洩れていることを突き止め、やがて、ド・ゴール暗殺のためのジャッカルの計画がパリ解放記念式典にあることに気づきます。
ジャクリーヌが逮捕され、足取りが察知されていることを感じたジャッカルは、計画を思いとどまることなく、むしろ敢然と挑むように渦中に飛び込んでゆきます。
8月25日のその日、大勢のパリ市民でにぎわいを見せる中、厳重な警戒網の目をくぐって、松葉づえをついた片足の男がアパートへの帰宅のために歩いています。
傷痍軍人に変装したジャッカルです。
シャルル・ド・ゴールが記念式典に参列。
アパートに侵入したジャッカルは狙撃の機会を待ちます。
躍起になってジャッカルの姿を探すルベルは、一人の男が警戒の目を抜けていたことを察知。男が向かったアパートに駆け込みます。
ド・ゴールが勲章授与のために進み出た瞬間、ジャッカルは狙撃銃の引き金を引きます。
私は高校時代、この映画を映画館で観ましたが、正直に言って何が何だかよく分かりませんでした。
当時「ジャッカルの日」は大きな話題になっていて、シャルル・ド・ゴールを狙う殺し屋の話として映画ファンの間で盛り上がっていたこともあったので、単純にアクション映画としてしか考えなかった私は(なにしろ「ダーティハリー」や「フレンチ・コネクション」の時代でしたから)、心に大きな空白を抱いて帰宅することになりました。
今でもよく覚えているシーンは、狙撃銃を手に入れたジャッカルが山の中で、木の枝に吊るしたスイカを標的に銃の精度を調節するシーンと、サウナで知り合った友人を殺害するシーン。
この二つだけで、その他はほとんど覚えていません。
なぜよく分からなかったのかというのは、その背景となっている国際情勢の流れと、どうしてド・ゴールを暗殺しなければいけないのか、ということだったのでしょう。
●シャルル・ド・ゴール暗殺の理由は?
植民地政策を執る欧米列強の中で、フランスはインドシナや北アフリカへ侵攻。
1847年にはアルジェリアを支配します。
しかしアルジェリアでは各地で独立運動が起き、FLN(民族解放戦線)の武装蜂起によって1954年にはフランスの支配に対するアルジェリアの独立戦争が勃発。
一方、1890年にフランス北部のリールで生まれたド・ゴールは、陸軍軍人や首相を経験しながら1959年に大統領に就任。
第二次世界大戦のナチス・ドイツによる占領や、第一次インドシナ戦争で疲弊したフランスの国力なども考慮して、ド・ゴールはアルジェリアの独立を承認。
アルジェリアの独立戦争は1962年に終結をします。
しかし極右勢力はこれに反発。
シャルル・ド・ゴール暗殺計画が企てられます。
1962年8月22日。
パリ郊外のプティ・クラマールで、OASによるド・ゴール暗殺事件が起こります。
ド・ゴールを乗せた専用車DS19シトロエンが12発の銃弾を受けますが、ド・ゴール本人は無傷のままシトロエンは襲撃場所を突っ切って事なきを得ます。
映画「ジャッカルの日」は、プティ・クラマール襲撃事件の史実を踏まえ、襲撃に失敗して弱体化したOASの最後の手段としてプロの殺し屋を雇うところからストーリーが動きだします。
「第四の核」「戦争の犬たち」のフレデリック・フォーサイスの同名小説を原作に、名匠フレッド・ジンネマンが監督として取り組んだ作品で、用意周到に獲物を狙うプロの殺し屋ジャッカルの冷静で緻密な行動、まさにジャッカル(狼に似たイヌ科イヌ属の哺乳動物)を思わせる風貌を持った非情な殺し屋と、それを追うのが、妻に頭の上がらない凡庸(ぼんよう)とした風采のクロード・ルベル警視という、正反対の男たちの対決を軸に、ド・ゴール暗殺をクライマックスとしたスリリングな展開で迫ります。
殺し屋ジャッカルに「恋」(1971年)、「遠すぎた橋」(1977年)、「ガンジー」(1982年)の名優エドワード・フォックス。
ジャッカルを追うクロード・ルベル警視に「日曜日には鼠を殺せ」(1964年)、「パリは燃えているか」(1966年)、「薔薇の名前」(1986年)の、こちらも名優マイケル・ロンズデール。
ド・ゴール本人は31回という暗殺未遂事件を受けながらも生き延び、大動脈瘤破裂によって1970年に79歳で世を去っていますから、ジャッカルの暗殺は失敗に終わるのが判っているのですが、それでも最後の最後まで見る者を惹きつけて離さない超一級のサスペンス映画です。
ただ、難点をひとつあげるとすれば、舞台はほとんどフランスだし、登場人物のほとんどもフランス人なのに、セリフがすべて英語というのは違和感がありますが、そこは少し大目に見て、難点を差し引いても十分過ぎるほど見ごたえのある傑作です。
1973年 イギリス/フランス
監督フレッド・ジンネマン
原作フレデリック・フォーサイス
脚本ケネス・ロス
撮影ジャン・トゥルニエ
音楽ジョルジュ・ドルリュー
〈キャスト〉
エドワード・フォックス マイケル・ロンズデール
デルフィーヌ・セイリグ
フランス第18代大統領シャルル・ド・ゴールを狙った暗殺事件を、「真昼の決闘」(1952年)、「地上より永遠に」(1953年)、「わが命つきるとも」(1966年)の名匠フレッド・ジンネマンが、周到に積み上げた細部と史実に基づいて、ド・ゴール暗殺を目論む武装組織の暗躍を背景に、暗殺を依頼された一匹狼の殺し屋ジャッカルと、暗殺を阻止しようとジャッカルを追い詰めるフランス官憲のクロード・ルベル警視の活躍を描いたサスペンス映画の傑作。
1962年、OAS(フランス極右民族主義)によるド・ゴール暗殺未遂事件が起こり、首謀者は逮捕、さらに銃殺。
当局の締め付けが厳しくなったOASは壊滅状態に陥ります。
OASによるド・ゴール暗殺の最後の切り札として登場したのが、国籍不明の殺し屋、暗号名ジャッカル(エドワード・フォックス)です。
50万ドルの契約で仕事を引き受けたジャッカルは着々と準備を進めます。
身分証明書を偽造し、精巧な狙撃銃を作らせたジャッカルはフランスへと進入。
ド・ゴール暗殺の機会をうかがいます。
一方、50万ドルという破格の契約のために資金を確保しなければならなくなったOASは銀行強盗を決行。
現金強奪にはいくつか成功しますが、テロを警戒したフランス当局は厳重な包囲網を敷き、強盗の一人を狙撃して逮捕。
尋問からOASの計画の断片を察知した大統領官邸は、ド・ゴール大統領を狙う正体不明の暗殺者捜索のためにフランス警察の腕利き、クロード・ルベル警視(マイケル・ロンズデール)を招集することになります。
パッとしない風采でボソボソとした話し方のルベルは、体こそ大きいものの、茫洋とした感じで切れ者のイメージからはほど遠い男なのですが、粘り強く、少ない情報を元に殺し屋ジャッカルの足取りをつかんでゆきます。
治安組織の動きを察知するため、フランス治安当局の官僚に近づいたOASのジャクリーヌは、機密情報を盗み出してOASに流し、その情報を元にジャッカルは当局やルベル警視の目を潜(くぐ)り抜けてパリへ潜入してゆきます。
一向に手がかりのつかめないジャッカルの足取りに疑問を感じたルベルは、内部から情報が洩れていることを突き止め、やがて、ド・ゴール暗殺のためのジャッカルの計画がパリ解放記念式典にあることに気づきます。
ジャクリーヌが逮捕され、足取りが察知されていることを感じたジャッカルは、計画を思いとどまることなく、むしろ敢然と挑むように渦中に飛び込んでゆきます。
8月25日のその日、大勢のパリ市民でにぎわいを見せる中、厳重な警戒網の目をくぐって、松葉づえをついた片足の男がアパートへの帰宅のために歩いています。
傷痍軍人に変装したジャッカルです。
シャルル・ド・ゴールが記念式典に参列。
アパートに侵入したジャッカルは狙撃の機会を待ちます。
躍起になってジャッカルの姿を探すルベルは、一人の男が警戒の目を抜けていたことを察知。男が向かったアパートに駆け込みます。
ド・ゴールが勲章授与のために進み出た瞬間、ジャッカルは狙撃銃の引き金を引きます。
私は高校時代、この映画を映画館で観ましたが、正直に言って何が何だかよく分かりませんでした。
当時「ジャッカルの日」は大きな話題になっていて、シャルル・ド・ゴールを狙う殺し屋の話として映画ファンの間で盛り上がっていたこともあったので、単純にアクション映画としてしか考えなかった私は(なにしろ「ダーティハリー」や「フレンチ・コネクション」の時代でしたから)、心に大きな空白を抱いて帰宅することになりました。
今でもよく覚えているシーンは、狙撃銃を手に入れたジャッカルが山の中で、木の枝に吊るしたスイカを標的に銃の精度を調節するシーンと、サウナで知り合った友人を殺害するシーン。
この二つだけで、その他はほとんど覚えていません。
なぜよく分からなかったのかというのは、その背景となっている国際情勢の流れと、どうしてド・ゴールを暗殺しなければいけないのか、ということだったのでしょう。
●シャルル・ド・ゴール暗殺の理由は?
植民地政策を執る欧米列強の中で、フランスはインドシナや北アフリカへ侵攻。
1847年にはアルジェリアを支配します。
しかしアルジェリアでは各地で独立運動が起き、FLN(民族解放戦線)の武装蜂起によって1954年にはフランスの支配に対するアルジェリアの独立戦争が勃発。
一方、1890年にフランス北部のリールで生まれたド・ゴールは、陸軍軍人や首相を経験しながら1959年に大統領に就任。
第二次世界大戦のナチス・ドイツによる占領や、第一次インドシナ戦争で疲弊したフランスの国力なども考慮して、ド・ゴールはアルジェリアの独立を承認。
アルジェリアの独立戦争は1962年に終結をします。
しかし極右勢力はこれに反発。
シャルル・ド・ゴール暗殺計画が企てられます。
1962年8月22日。
パリ郊外のプティ・クラマールで、OASによるド・ゴール暗殺事件が起こります。
ド・ゴールを乗せた専用車DS19シトロエンが12発の銃弾を受けますが、ド・ゴール本人は無傷のままシトロエンは襲撃場所を突っ切って事なきを得ます。
映画「ジャッカルの日」は、プティ・クラマール襲撃事件の史実を踏まえ、襲撃に失敗して弱体化したOASの最後の手段としてプロの殺し屋を雇うところからストーリーが動きだします。
「第四の核」「戦争の犬たち」のフレデリック・フォーサイスの同名小説を原作に、名匠フレッド・ジンネマンが監督として取り組んだ作品で、用意周到に獲物を狙うプロの殺し屋ジャッカルの冷静で緻密な行動、まさにジャッカル(狼に似たイヌ科イヌ属の哺乳動物)を思わせる風貌を持った非情な殺し屋と、それを追うのが、妻に頭の上がらない凡庸(ぼんよう)とした風采のクロード・ルベル警視という、正反対の男たちの対決を軸に、ド・ゴール暗殺をクライマックスとしたスリリングな展開で迫ります。
殺し屋ジャッカルに「恋」(1971年)、「遠すぎた橋」(1977年)、「ガンジー」(1982年)の名優エドワード・フォックス。
ジャッカルを追うクロード・ルベル警視に「日曜日には鼠を殺せ」(1964年)、「パリは燃えているか」(1966年)、「薔薇の名前」(1986年)の、こちらも名優マイケル・ロンズデール。
ド・ゴール本人は31回という暗殺未遂事件を受けながらも生き延び、大動脈瘤破裂によって1970年に79歳で世を去っていますから、ジャッカルの暗殺は失敗に終わるのが判っているのですが、それでも最後の最後まで見る者を惹きつけて離さない超一級のサスペンス映画です。
ただ、難点をひとつあげるとすれば、舞台はほとんどフランスだし、登場人物のほとんどもフランス人なのに、セリフがすべて英語というのは違和感がありますが、そこは少し大目に見て、難点を差し引いても十分過ぎるほど見ごたえのある傑作です。
2019年10月03日
映画「天国と地獄」- 格差社会が生み出す誘拐犯罪の闇
「天国と地獄」
1963年(昭和38年) 東宝
監督 黒澤明
脚本 菊島隆三
久坂栄二郎
小国英雄
黒澤明
原作 エド・マクベイン
撮影 斎藤孝雄
中井朝一
音楽 佐藤勝
〈キャスト〉
三船敏郎 仲代達矢 香川京子 山崎努
三橋達也 石山健二郎 木村功
毎日映画コンクール・日本映画大賞/脚本賞
NHK映画祭・最優秀作品賞/監督賞
等、多数受賞
誘拐というのは卑劣な犯罪です。
犯罪に卑劣も高潔もないわけですが、幼い子供をさらって親に身代金を払わせる行為は、親子の情愛を深くえぐって金銭を要求するのですから、子供をさらわれた親の絶望と苦悩は第三者には想像もできません。
「天国と地獄」はエド・マクベインの警察小説「キングの身代金」を原作として、経済成長を突き進み始めた昭和の日本社会に舞台を置き換え、誘拐という卑劣な犯罪の背後に隠された社会の断面に深く切り込んだ人間ドラマの傑作です。
権藤(三船敏郎)はナショナル・シューズの常務です。
しかし、独自の方針を貫いて会社を運営していこうとする権藤に対して重役連中(伊藤雄之助、田崎潤、中村伸郎)は反感を持ち、反旗を翻(ひるがえ)します。
ナショナル・シューズから権藤を追い出そうとする重役たちに対して、権藤は自社株を買い占め、会社の実権を握ろうと画策します。
頼みにしていた大阪からの一報が入り、株の買い占めに成功した権藤は、引き換えの5000万円の小切手を秘書の河西(三橋達也)に渡し、大阪行きを命じます。
誘拐犯人からの電話が入ったのは、その直後でした。
「子どもをさらった。3000万円用意しろ」
驚いた権藤と妻の怜子(香川京子)でしたが、息子の純(江木俊夫)は間もなく帰宅。タチの悪いイタズラ電話だと思って安堵した権藤でしたが、純と一緒に遊んでいたはずの運転手の息子、進一の姿が見えないことに気づきます。
再び犯人からの電話。
「子どもを間違えた。しかし、3000万はあんたが払うんだ、権藤さん」
バカな、どうしておれが!
理不尽な要求に憤然とする権藤ですが、誘拐されたのが権藤家のお抱え運転手、青木(佐田豊)の一人息子の進一(島津雅彦)だと判り、青木は苦悩に打ちひしがれます。
やがて事件は警察の手に委(ゆだ)ねられ、沈着冷静な戸倉警部(仲代達矢)を主任とする刑事たちが権藤邸に乗り込むことになります。
犯人の居所をつかむため、電話には録音テープが仕掛けられ、緊張した空気が権藤邸に流れます。
再び犯人からの電話。
「金は用意できたか?」
しかし権藤は犯人の要求を厳しく拒否。
当然ながら権藤には身代金を払えない理由があります。
株の買い占めに集めた5000万円のために家は抵当に入っており、ビタ一文でも欠ければ株は集まらず、権藤は会社を追われ、全財産を失うことになります。
一人息子の進一を誘拐されて悄然と立ち尽くす青木を見かねた妻の怜子は、権藤に身代金を払ってくれるよう哀願しますが、権藤は払いたいけど払えない胸の内を吐露。苦境に追い込まれます。
権藤の気持ちが変わったのは、犯人逮捕の手がかりをつかむため、嘘でいいから、身代金を払うと言ってもらえないか、と戸倉警部に頼まれてからでした。
一介の靴職人から出直すことを覚悟した権藤は、5000万円の小切手を現金に換えさせ、犯人の要求通り特急「こだま」に乗り、その支持に従うことになります。
権藤邸の応接間に集まったナショナル・シューズの重役たちと権藤とのやり取りで始まる「天国と地獄」は、権藤の置かれた立場と、その後に続く誘拐事件の中での権藤の複雑な心境を、より深く理解させるための見事な設定です。
重役たちとの対立。
権藤と、その秘書で野心家の河西との確執。
苦労を知らないお嬢様育ちながら、やさしい人情味のある妻の怜子。
犯人逮捕に全力を挙げる戸倉警部以下の刑事たち。
権藤邸の応接間は煮えたぎる釜のような熱気と緊張をはらんでおり、その緊張感は進一の誘拐事件の中で一気に頂点に達してゆきます。
犯人の要求に素直に従ったことで進一は無事に解放され、映画は犯人の捜索と逮捕に焦点が移ってゆくことになります。
傑作ぞろいの黒澤作品の中でも、群を抜く傑作だと思う「天国と地獄」。
権藤邸の緊迫した場面はもちろん、身代金引き渡しに利用された特急「こだま」のシーンは、撮り直しのできない状況での撮影のためか、極度に緊張した俳優たちの演技がそのまま伝わってきます。
緊張感だけではなく、黒澤作品独特のユーモアが要所に表れていて、息苦しさを緩和するのに効果を発揮しています。
事件はやがて、カバンに仕掛けられた牡丹色の発煙によって、医学生である竹内銀次郎(山崎勉)が主犯として浮上し、戸倉たちは竹内を追い詰めていくのですが、それまで表面に出てこなかった犯人の竹内が、捜査中の刑事たちと入れ替わるように登場する場面は見事で、そこから竹内の人間像が描かれてゆきます。
経済成長の波に乗って繁栄を謳歌する金持ちと、親を亡くし、苦しく貧しい医学生の青年。
だからといって、貧しい医学生が犯罪に手を染めていいという理屈にはなりませんが、サマセット・モームの「人間の絆」のように、社会全体が貧しさにある時代ならともかく、格差が広がり始めた社会構造の中で、金持ちに対する偏見と憎悪が不気味な蓄積を生み出していくのも仕方のないことなのかもしれません。
「天国と地獄」という題名は、日の当たる高台に傲然(ごうぜん)とそびえる権藤邸と、それを見上げる北向きの古く汚いアパートで暮らす竹内の生活環境の差異を表現していると思われますが、一方で、経済成長の外にはじき出され、麻薬中毒の巣窟に渦巻く人間たちもまた、地獄の底でもだえ苦しむ人々であると捉(とら)えることができます。
いわば、経済の成長によって格差が広がる中で、同じ地上で暮らす人間でありながら、その生活には天国と地獄ほどの違いが生じてしまったということだと思います。
映画のワンシーン、ワンシーンはとても独創的で、なんの変哲もない純と進一のピストルごっこにしても、そのクッキリとした映像感覚は他に類を見ないものです。
黒澤作品では脚本や映像感覚はもちろん素晴らしいのですが、さらに映画的センスの良さも光っていて、竹内が逮捕される別荘のシーンでラジオから深夜放送の音楽が聞こえているのですが、そこに流れているのが「オー・ソレ・ミオ」。
「晴れた日はなんて素晴らしい」で始まる明るい曲調の、このナポリ民謡は、映画ではオーケストラのみの演奏が使われていますが、竹内逮捕の深夜に流れたことによって人生の明暗、悲哀というものを特徴づける、とても印象的な場面になっています。
黒澤はこの場面で「オー・ソレ・ミオ」を下敷きにしたエルヴィス・プレスリーの「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」を使いたかったらしく、高額な著作権使用料などの問題もあって断念したようですが、甘いラブソングとして大ヒットした「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」を仮に黒澤明の思惑通りに使っていたとすれば、「太陽がいっぱい」のトム・リプリーの完全犯罪が崩れ去るラストシーンを彷彿とさせる、映画史に残る名シーンになっていたようにも思います。
社会性と娯楽性を見事に融合させた「天国と地獄」ですが、権藤が竹内と刑務所で面会するラストでは、ドストエフスキーの寒々とした狂気の世界を思わせる幕切れで、残酷で深い余韻を残しました。
監督 黒澤明
脚本 菊島隆三
久坂栄二郎
小国英雄
黒澤明
原作 エド・マクベイン
撮影 斎藤孝雄
中井朝一
音楽 佐藤勝
〈キャスト〉
三船敏郎 仲代達矢 香川京子 山崎努
三橋達也 石山健二郎 木村功
毎日映画コンクール・日本映画大賞/脚本賞
NHK映画祭・最優秀作品賞/監督賞
等、多数受賞
誘拐というのは卑劣な犯罪です。
犯罪に卑劣も高潔もないわけですが、幼い子供をさらって親に身代金を払わせる行為は、親子の情愛を深くえぐって金銭を要求するのですから、子供をさらわれた親の絶望と苦悩は第三者には想像もできません。
「天国と地獄」はエド・マクベインの警察小説「キングの身代金」を原作として、経済成長を突き進み始めた昭和の日本社会に舞台を置き換え、誘拐という卑劣な犯罪の背後に隠された社会の断面に深く切り込んだ人間ドラマの傑作です。
権藤(三船敏郎)はナショナル・シューズの常務です。
しかし、独自の方針を貫いて会社を運営していこうとする権藤に対して重役連中(伊藤雄之助、田崎潤、中村伸郎)は反感を持ち、反旗を翻(ひるがえ)します。
ナショナル・シューズから権藤を追い出そうとする重役たちに対して、権藤は自社株を買い占め、会社の実権を握ろうと画策します。
頼みにしていた大阪からの一報が入り、株の買い占めに成功した権藤は、引き換えの5000万円の小切手を秘書の河西(三橋達也)に渡し、大阪行きを命じます。
誘拐犯人からの電話が入ったのは、その直後でした。
「子どもをさらった。3000万円用意しろ」
驚いた権藤と妻の怜子(香川京子)でしたが、息子の純(江木俊夫)は間もなく帰宅。タチの悪いイタズラ電話だと思って安堵した権藤でしたが、純と一緒に遊んでいたはずの運転手の息子、進一の姿が見えないことに気づきます。
再び犯人からの電話。
「子どもを間違えた。しかし、3000万はあんたが払うんだ、権藤さん」
バカな、どうしておれが!
理不尽な要求に憤然とする権藤ですが、誘拐されたのが権藤家のお抱え運転手、青木(佐田豊)の一人息子の進一(島津雅彦)だと判り、青木は苦悩に打ちひしがれます。
やがて事件は警察の手に委(ゆだ)ねられ、沈着冷静な戸倉警部(仲代達矢)を主任とする刑事たちが権藤邸に乗り込むことになります。
犯人の居所をつかむため、電話には録音テープが仕掛けられ、緊張した空気が権藤邸に流れます。
再び犯人からの電話。
「金は用意できたか?」
しかし権藤は犯人の要求を厳しく拒否。
当然ながら権藤には身代金を払えない理由があります。
株の買い占めに集めた5000万円のために家は抵当に入っており、ビタ一文でも欠ければ株は集まらず、権藤は会社を追われ、全財産を失うことになります。
一人息子の進一を誘拐されて悄然と立ち尽くす青木を見かねた妻の怜子は、権藤に身代金を払ってくれるよう哀願しますが、権藤は払いたいけど払えない胸の内を吐露。苦境に追い込まれます。
権藤の気持ちが変わったのは、犯人逮捕の手がかりをつかむため、嘘でいいから、身代金を払うと言ってもらえないか、と戸倉警部に頼まれてからでした。
一介の靴職人から出直すことを覚悟した権藤は、5000万円の小切手を現金に換えさせ、犯人の要求通り特急「こだま」に乗り、その支持に従うことになります。
権藤邸の応接間に集まったナショナル・シューズの重役たちと権藤とのやり取りで始まる「天国と地獄」は、権藤の置かれた立場と、その後に続く誘拐事件の中での権藤の複雑な心境を、より深く理解させるための見事な設定です。
重役たちとの対立。
権藤と、その秘書で野心家の河西との確執。
苦労を知らないお嬢様育ちながら、やさしい人情味のある妻の怜子。
犯人逮捕に全力を挙げる戸倉警部以下の刑事たち。
権藤邸の応接間は煮えたぎる釜のような熱気と緊張をはらんでおり、その緊張感は進一の誘拐事件の中で一気に頂点に達してゆきます。
犯人の要求に素直に従ったことで進一は無事に解放され、映画は犯人の捜索と逮捕に焦点が移ってゆくことになります。
傑作ぞろいの黒澤作品の中でも、群を抜く傑作だと思う「天国と地獄」。
権藤邸の緊迫した場面はもちろん、身代金引き渡しに利用された特急「こだま」のシーンは、撮り直しのできない状況での撮影のためか、極度に緊張した俳優たちの演技がそのまま伝わってきます。
緊張感だけではなく、黒澤作品独特のユーモアが要所に表れていて、息苦しさを緩和するのに効果を発揮しています。
事件はやがて、カバンに仕掛けられた牡丹色の発煙によって、医学生である竹内銀次郎(山崎勉)が主犯として浮上し、戸倉たちは竹内を追い詰めていくのですが、それまで表面に出てこなかった犯人の竹内が、捜査中の刑事たちと入れ替わるように登場する場面は見事で、そこから竹内の人間像が描かれてゆきます。
経済成長の波に乗って繁栄を謳歌する金持ちと、親を亡くし、苦しく貧しい医学生の青年。
だからといって、貧しい医学生が犯罪に手を染めていいという理屈にはなりませんが、サマセット・モームの「人間の絆」のように、社会全体が貧しさにある時代ならともかく、格差が広がり始めた社会構造の中で、金持ちに対する偏見と憎悪が不気味な蓄積を生み出していくのも仕方のないことなのかもしれません。
「天国と地獄」という題名は、日の当たる高台に傲然(ごうぜん)とそびえる権藤邸と、それを見上げる北向きの古く汚いアパートで暮らす竹内の生活環境の差異を表現していると思われますが、一方で、経済成長の外にはじき出され、麻薬中毒の巣窟に渦巻く人間たちもまた、地獄の底でもだえ苦しむ人々であると捉(とら)えることができます。
いわば、経済の成長によって格差が広がる中で、同じ地上で暮らす人間でありながら、その生活には天国と地獄ほどの違いが生じてしまったということだと思います。
映画のワンシーン、ワンシーンはとても独創的で、なんの変哲もない純と進一のピストルごっこにしても、そのクッキリとした映像感覚は他に類を見ないものです。
黒澤作品では脚本や映像感覚はもちろん素晴らしいのですが、さらに映画的センスの良さも光っていて、竹内が逮捕される別荘のシーンでラジオから深夜放送の音楽が聞こえているのですが、そこに流れているのが「オー・ソレ・ミオ」。
「晴れた日はなんて素晴らしい」で始まる明るい曲調の、このナポリ民謡は、映画ではオーケストラのみの演奏が使われていますが、竹内逮捕の深夜に流れたことによって人生の明暗、悲哀というものを特徴づける、とても印象的な場面になっています。
黒澤はこの場面で「オー・ソレ・ミオ」を下敷きにしたエルヴィス・プレスリーの「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」を使いたかったらしく、高額な著作権使用料などの問題もあって断念したようですが、甘いラブソングとして大ヒットした「イッツ・ナウ・オア・ネヴァー」を仮に黒澤明の思惑通りに使っていたとすれば、「太陽がいっぱい」のトム・リプリーの完全犯罪が崩れ去るラストシーンを彷彿とさせる、映画史に残る名シーンになっていたようにも思います。
社会性と娯楽性を見事に融合させた「天国と地獄」ですが、権藤が竹内と刑務所で面会するラストでは、ドストエフスキーの寒々とした狂気の世界を思わせる幕切れで、残酷で深い余韻を残しました。