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2021年07月21日
映画「ワイルドバンチ」− 時代に取り残されていく男たちの美学 壮絶なクライマックスへ
「ワイルドバンチ」
(The Wild Bunch )
1969年 アメリカ
監督サム・ペキンパー
脚本ウォロン・グリーン
サム・ペキンパー
撮影ルシアン・バラード
音楽ジェリー・フィールディング
〈キャスト〉
ウィリアム・ホールデン アーネスト・ボーグナイン
ウォーレン・オーツ ベン・ジョンソン
ロバート・ライアン エミリオ・フェルナンデス
クライマックスの壮絶な銃撃戦が話題を呼んだ、巨匠サム・ペキンパー監督のバイオレンス・アクションの傑作。
20世紀初頭。アメリカ=メキシコ、国境の街。
パイク・ビショップ(ウィリアム・ホールデン)に率いられた強盗団5人は、銀行を襲撃すべく軍服に身を包んで街に現れます。
襲撃はいったんは成功したかに見えましたが、それは鉄道会社が仕掛けた罠で、パイクのかつての仲間であるディーク・ソーントン(ロバート・ライアン)率いる賞金稼ぎたちの待ち伏せに遭い、一味の一人は射殺され、凄惨な銃撃戦の中をかいくぐってパイクたちはかろうじて逃げのびます。
強奪したと思った金貨も、実はただの鉄くずだったことで一味は深い落胆に陥りますが、気を取り直して次の仕事に取り掛かります。
一方、パイクたちを取り逃がしたソーントンは、会社側から厳しい言葉を投げつけられます。
本来、刑務所で服役しているはずのソーントンは、パイクたちを捕まえる条件で釈放されている体で、これ以上失敗を重ねれば、再び刑務所に戻すと脅されたソーントンは、粗野な賞金稼ぎたちを引き連れてパイクたちの後を追いかけます。
強盗団のひとり、エンジェル(ジェイミー・サンチェス)の故郷に潜伏したパイクたちは、政府軍の将軍マパッチ(エミリオ・フェルナンデス)が小銃や弾薬を欲しがっていることを知り、アメリカ軍の軍用列車から武器を奪うことに成功。
しかし、この列車にはソーントンも乗り合わせており、右往左往するアメリカ軍を尻目に、ソーントンの執拗な追跡が始まります。
マパッチに接近したパイクは武器を渡し、盛大な歓待を受けますが、そこには、村を飛び出してマパッチのものになった、エンジェルのかつての恋人テレサがマパッチに抱かれて、エンジェルに見せつけるようにマパッチを愛撫。
逆上したエンジェルがテレサを射殺。
凍り付くような緊張感の中、機転を利かせたパイクたちによって、一時は事なきを得ますが、その後、エンジェルはマパッチに捕らわれ、激しい暴行を受けて瀕死の状態に。
エンジェルの惨状を見たパイクは、俺たちには関係ないんだと、静かに立ち去ります。
ライル(ウォーレン・オーツ)、テクター(ベン・ジョンソン)の兄弟は酒と女で派手に騒ぎ、パイクも子持ちの若い女とひと時を過ごします。
静かな時が流れ、女に払う金のことで揉めているラウルの部屋に入り、パイクはこうつぶやきます。
「let's go」
パイク、ライル、テクター、そして、外で待っていたダッチ(アーネスト・ボーグナイン)を加え、エンジェルを救うべく、政府軍の待ち構える中へ、たった4人で乗り込むことになります。
男たちの美学に貫かれた骨太い傑作で、20世紀に入って近代化が芽を吹き出し始め、西部にも自動車が登場して、「なんだこれは?」と驚くパイクたちは、揺れ動く時代の波の中で、自分たちの生きた世界が過去になりつつあることを自覚するわけで、そういった男たちの滅びの美学を描いた映画であるといえます。
また、男たちの絆、団結なども強く描かれていて、冒頭、銀行襲撃が罠と判り、持ち帰った金貨を前に仲間割れが始まろうとする。
実は金貨ではなく鉄屑だったと判り、誰からともなく笑いがあふれ、それが全員に伝播していく場面は、小さいゴタゴタなどは(実際には殺気をはらんだ睨み合いですが)笑い飛ばしてしまおうとする豪快な大らかさが描かれて、とても印象的なシーン。
そういった場面は、ウイスキーの回し飲みをするシーンでもよく表れていて、一味の道化物的存在のライルが最後に飲もうとすると、すでにビンは空になっている。渋い顔をするライルの表情と、それを見てみんなが大笑いをする場面は、時代に取り残されていこうとする男たちの、哀しみを裏返した陽気さであったように思います。
出演者たちもサム・ペキンパー好みの一癖も二癖もある俳優たちが勢揃い。
強盗団の首領パイク・ビショップに「第十七捕虜収容所」(1953年)でアカデミー賞主演男優賞を受賞し、その後も「麗しのサブリナ」(1954年)、「慕情」(1955年)、「戦場にかける橋」(1957年)など、名作や大作に欠かせない存在のウィリアム・ホールデン。
「ワイルドバンチ」と同年の「クリスマス・ツリー」では、偶然の事故で放射能を浴びてしまった息子の余命が残り少ないと知り、息子が欲しがっていた狼を友人のブールヴィルと二人で動物園から盗み出す父親を好演。
息子が亡くなるラストは、「パパありがとう」のクリスマス・カードと共に、狼の哀しい遠吠えが涙を誘う名作でした。
パイクの片腕ダッチに、「地上(ここ)より永遠(とわ)に」(1953年)で、フランク・シナトラを徹底的に苛め抜く軍曹役で強烈な印象を残し、「マーティー」(1955年)でアカデミー賞主演男優賞を受賞したアーネスト・ボーグナイン。
また、パニック物のハシリとなった1972年の「ポセイドン・アドベンチャー」では、神父のジーン・ハックマンとことごとく対立するニューヨーク市警の刑事を熱演。
翌年の「北国の帝王」では、伝説のただ乗り男リー・マーヴィンを乗せまいとする鬼車掌を演じ、久しぶりにアクの強いボーグナインを見せてくれました。
強盗団の中では、ちょっと間の抜けたライルに、アカデミー賞作品賞受賞の「夜の大捜査線」(1967年)で注目されたウォーレン・オーツ。
「ワイルドバンチ」出演が転機となったのか、その後、「さすらいのカウボーイ」(1971年)、「デリンジャー」(1973年)、巨匠テレンス・マリックの「地獄の逃避行」(1973年)など、タフで粘り強い性格俳優として活躍。
1974年には「ガルシアの首」で再びサム・ペキンパーと組んでいます。
ライルの兄テクターに、「三人の名付親」(1948年)、「黄色いリボン」(1949年)、「リオ・グランデの砦」(1950年)などで、巨匠ジョン・フォードと縁の深いベン・ジョンソン。
サム・ペキンパー作品には「ワイルドバンチ」以外にも「ダンディー少佐」(1965年)、「ゲッタウェイ」(1972年)に出演。
最後まで生き残る老人サイクスに、「殺人者」(1946年)、「白熱」(1949年)のエドモンド・オブライエン。
1954年の「裸足の伯爵夫人」ではアカデミー賞助演男優賞を受賞。
極悪な政府軍の将軍マパッチに、メキシコ人俳優で監督でもあるエミリオ・フェルナンデス。
パイクを追う元相棒のソーントンに、「誇り高き男」(1956年)、「史上最大の作戦」(1962年)、「バルジ大作戦」(1965年)、「狼は天使の匂い」などの名優ロバート・ライアン。
無数のアリがサソリに群がり、それを喜んで見ている子どもたちの異様な雰囲気で始まる「ワイルドバンチ」。
時代に取り残されていく男たちと、壮絶な銃撃戦で幕を閉じるこの映画は、一方で、ディーク・ソーントンの存在がとても大きく、かつてパイクの相棒だったソーントンは、列車強盗に業を煮やした鉄道会社の言いなりになってパイクを追いかける立場となっているものの、その仕事にはなんとなく気が乗らない。パイクを捕まえなければならない反面、捕まえたくない気持ちも大きく、その両方で揺らぐ複雑な立場をロバート・ライアンが好演。
ラストでは、パイクたち全員が殺され、虚脱した体で街の外に座り込むソーントンに、生き延びたサイクス老人が、また一緒にやろうぜ、ひとりよりはいいだろう、と声をかけ、ソーントンが馬に乗ってサイクスたちと荒野に消える場面は、傑作にふさわしい見事なラストシーンでした。
1969年 アメリカ
監督サム・ペキンパー
脚本ウォロン・グリーン
サム・ペキンパー
撮影ルシアン・バラード
音楽ジェリー・フィールディング
〈キャスト〉
ウィリアム・ホールデン アーネスト・ボーグナイン
ウォーレン・オーツ ベン・ジョンソン
ロバート・ライアン エミリオ・フェルナンデス
クライマックスの壮絶な銃撃戦が話題を呼んだ、巨匠サム・ペキンパー監督のバイオレンス・アクションの傑作。
20世紀初頭。アメリカ=メキシコ、国境の街。
パイク・ビショップ(ウィリアム・ホールデン)に率いられた強盗団5人は、銀行を襲撃すべく軍服に身を包んで街に現れます。
襲撃はいったんは成功したかに見えましたが、それは鉄道会社が仕掛けた罠で、パイクのかつての仲間であるディーク・ソーントン(ロバート・ライアン)率いる賞金稼ぎたちの待ち伏せに遭い、一味の一人は射殺され、凄惨な銃撃戦の中をかいくぐってパイクたちはかろうじて逃げのびます。
強奪したと思った金貨も、実はただの鉄くずだったことで一味は深い落胆に陥りますが、気を取り直して次の仕事に取り掛かります。
一方、パイクたちを取り逃がしたソーントンは、会社側から厳しい言葉を投げつけられます。
本来、刑務所で服役しているはずのソーントンは、パイクたちを捕まえる条件で釈放されている体で、これ以上失敗を重ねれば、再び刑務所に戻すと脅されたソーントンは、粗野な賞金稼ぎたちを引き連れてパイクたちの後を追いかけます。
強盗団のひとり、エンジェル(ジェイミー・サンチェス)の故郷に潜伏したパイクたちは、政府軍の将軍マパッチ(エミリオ・フェルナンデス)が小銃や弾薬を欲しがっていることを知り、アメリカ軍の軍用列車から武器を奪うことに成功。
しかし、この列車にはソーントンも乗り合わせており、右往左往するアメリカ軍を尻目に、ソーントンの執拗な追跡が始まります。
マパッチに接近したパイクは武器を渡し、盛大な歓待を受けますが、そこには、村を飛び出してマパッチのものになった、エンジェルのかつての恋人テレサがマパッチに抱かれて、エンジェルに見せつけるようにマパッチを愛撫。
逆上したエンジェルがテレサを射殺。
凍り付くような緊張感の中、機転を利かせたパイクたちによって、一時は事なきを得ますが、その後、エンジェルはマパッチに捕らわれ、激しい暴行を受けて瀕死の状態に。
エンジェルの惨状を見たパイクは、俺たちには関係ないんだと、静かに立ち去ります。
ライル(ウォーレン・オーツ)、テクター(ベン・ジョンソン)の兄弟は酒と女で派手に騒ぎ、パイクも子持ちの若い女とひと時を過ごします。
静かな時が流れ、女に払う金のことで揉めているラウルの部屋に入り、パイクはこうつぶやきます。
「let's go」
パイク、ライル、テクター、そして、外で待っていたダッチ(アーネスト・ボーグナイン)を加え、エンジェルを救うべく、政府軍の待ち構える中へ、たった4人で乗り込むことになります。
男たちの美学に貫かれた骨太い傑作で、20世紀に入って近代化が芽を吹き出し始め、西部にも自動車が登場して、「なんだこれは?」と驚くパイクたちは、揺れ動く時代の波の中で、自分たちの生きた世界が過去になりつつあることを自覚するわけで、そういった男たちの滅びの美学を描いた映画であるといえます。
また、男たちの絆、団結なども強く描かれていて、冒頭、銀行襲撃が罠と判り、持ち帰った金貨を前に仲間割れが始まろうとする。
実は金貨ではなく鉄屑だったと判り、誰からともなく笑いがあふれ、それが全員に伝播していく場面は、小さいゴタゴタなどは(実際には殺気をはらんだ睨み合いですが)笑い飛ばしてしまおうとする豪快な大らかさが描かれて、とても印象的なシーン。
そういった場面は、ウイスキーの回し飲みをするシーンでもよく表れていて、一味の道化物的存在のライルが最後に飲もうとすると、すでにビンは空になっている。渋い顔をするライルの表情と、それを見てみんなが大笑いをする場面は、時代に取り残されていこうとする男たちの、哀しみを裏返した陽気さであったように思います。
出演者たちもサム・ペキンパー好みの一癖も二癖もある俳優たちが勢揃い。
強盗団の首領パイク・ビショップに「第十七捕虜収容所」(1953年)でアカデミー賞主演男優賞を受賞し、その後も「麗しのサブリナ」(1954年)、「慕情」(1955年)、「戦場にかける橋」(1957年)など、名作や大作に欠かせない存在のウィリアム・ホールデン。
「ワイルドバンチ」と同年の「クリスマス・ツリー」では、偶然の事故で放射能を浴びてしまった息子の余命が残り少ないと知り、息子が欲しがっていた狼を友人のブールヴィルと二人で動物園から盗み出す父親を好演。
息子が亡くなるラストは、「パパありがとう」のクリスマス・カードと共に、狼の哀しい遠吠えが涙を誘う名作でした。
パイクの片腕ダッチに、「地上(ここ)より永遠(とわ)に」(1953年)で、フランク・シナトラを徹底的に苛め抜く軍曹役で強烈な印象を残し、「マーティー」(1955年)でアカデミー賞主演男優賞を受賞したアーネスト・ボーグナイン。
また、パニック物のハシリとなった1972年の「ポセイドン・アドベンチャー」では、神父のジーン・ハックマンとことごとく対立するニューヨーク市警の刑事を熱演。
翌年の「北国の帝王」では、伝説のただ乗り男リー・マーヴィンを乗せまいとする鬼車掌を演じ、久しぶりにアクの強いボーグナインを見せてくれました。
強盗団の中では、ちょっと間の抜けたライルに、アカデミー賞作品賞受賞の「夜の大捜査線」(1967年)で注目されたウォーレン・オーツ。
「ワイルドバンチ」出演が転機となったのか、その後、「さすらいのカウボーイ」(1971年)、「デリンジャー」(1973年)、巨匠テレンス・マリックの「地獄の逃避行」(1973年)など、タフで粘り強い性格俳優として活躍。
1974年には「ガルシアの首」で再びサム・ペキンパーと組んでいます。
ライルの兄テクターに、「三人の名付親」(1948年)、「黄色いリボン」(1949年)、「リオ・グランデの砦」(1950年)などで、巨匠ジョン・フォードと縁の深いベン・ジョンソン。
サム・ペキンパー作品には「ワイルドバンチ」以外にも「ダンディー少佐」(1965年)、「ゲッタウェイ」(1972年)に出演。
最後まで生き残る老人サイクスに、「殺人者」(1946年)、「白熱」(1949年)のエドモンド・オブライエン。
1954年の「裸足の伯爵夫人」ではアカデミー賞助演男優賞を受賞。
極悪な政府軍の将軍マパッチに、メキシコ人俳優で監督でもあるエミリオ・フェルナンデス。
パイクを追う元相棒のソーントンに、「誇り高き男」(1956年)、「史上最大の作戦」(1962年)、「バルジ大作戦」(1965年)、「狼は天使の匂い」などの名優ロバート・ライアン。
無数のアリがサソリに群がり、それを喜んで見ている子どもたちの異様な雰囲気で始まる「ワイルドバンチ」。
時代に取り残されていく男たちと、壮絶な銃撃戦で幕を閉じるこの映画は、一方で、ディーク・ソーントンの存在がとても大きく、かつてパイクの相棒だったソーントンは、列車強盗に業を煮やした鉄道会社の言いなりになってパイクを追いかける立場となっているものの、その仕事にはなんとなく気が乗らない。パイクを捕まえなければならない反面、捕まえたくない気持ちも大きく、その両方で揺らぐ複雑な立場をロバート・ライアンが好演。
ラストでは、パイクたち全員が殺され、虚脱した体で街の外に座り込むソーントンに、生き延びたサイクス老人が、また一緒にやろうぜ、ひとりよりはいいだろう、と声をかけ、ソーントンが馬に乗ってサイクスたちと荒野に消える場面は、傑作にふさわしい見事なラストシーンでした。
2020年02月05日
映画「大いなる西部」− 大西部を背景に描かれる骨太い人間ドラマ
「大いなる西部」
(The Big Country)
1958年 アメリカ
監督ウィリアム・ワイラー
原作ドナルド・ハミルトン
脚本ジェームズ・R・ウェッブ
サイ・バートレット
ロバート・ワイルダー
音楽ジェローム・モロス
撮影フランツ・F・プラナー
〈キャスト〉
グレゴリー・ペック チャールトン・ヘストン
ジーン・シモンズ キャロル・ベイカー
チャック・コナーズ バール・アイヴス
第31回アカデミー賞助演男優賞受賞(バール・アイヴス)
オープニングの馬車の車輪の映像にからまるように流れる主題曲は、もうそれだけでスケールの大きさを感じさせますし、大作の重量感が伝わってきます。
水の利権にからむ対立と、古い因縁を持つ男たちの確執、恋と変節のドラマは、人間的な、最も人間くさい物語であり、「The Big Country」という原題が表しているように、それを包み込むように広がる、有史から続く大地の歴史の上で流れ去り、消え去ってゆく人間たちの物語でもあります。
映画には「シェーン」のような感動的なラストや、「第三の男」のような、ニヤリとさせる意味深なラスト、「太陽がいっぱい」では完全犯罪が崩れ去る名シーン、「猿の惑星」ではアッと言わせる名ラストシーンなどがたくさんありますが、名オープニングシーンというのは「大いなる西部」以外にはあまり思いつきません。
馬車が疾走して、その車輪をとらえた映像とダイナミックな主題曲。
それだけのシーンなのですが、翌年の「ベン・ハー」にも活かされることになる迫力ある馬車の場面は巨匠ウィリアム・ワイラーの力量なのでしょう。
さて、その駅馬車に乗って一人の男が西部にやって来ます。
男の名前はジェームズ(ジム)・マッケイ(グレゴリー・ペック)。
東部出身で紳士然としたジムは、土地の有力者ヘンリー・テリル少佐(チャールズ・ビックフォード)の娘パット(キャロル・ベイカー)と結婚するため、テキサスにやって来たのです。
パットの友人で学校教師のジュリー(ジーン・シモンズ)の家で再会したジムとパットは熱い抱擁の後に、パットの父ヘンリー・テリル少佐の牧場まで馬車で出かけます。
しかし、その途中、ヒマを持て余して草原でたむろしていたバック・ヘネシー(チャック・コナーズ)らにつかまり、馬車から引きずりおろされたマッケイは投げ縄で自由を奪われ、散々な目にあいます。
気の強いパットはライフルで立ち向かおうとしますが、ジムはそれを押しとどめ、大したことじゃないと、立ち去ってゆくバック・ヘネシーたちを見ながら、事もなげな様子ですが、ヘネシーたちに立ち向かおうともせず、なすがままにされてしまったジムの態度にパットは少なからず失望を覚えます。
もともと船長の経験のあるジムは海の荒くれ男たちには慣れていることもあって、ヘネシーたちの乱暴も西部の男たちのあいさつ程度にしか思っていなかったのですが、この事件は次第に大きく発展してゆくことになります。
パットの父ヘンリー・テリル少佐とバック・ヘネシーたちの父親ルーファス・ヘネシー(バール・アイヴス)は水源の領有権をめぐって勢力を二分しており、その確執は根の深いものであったことから、娘婿になるジムが辱(はずかし)められたことを理由に少佐は、牧童頭のスティーヴ・リーチ(チャールトン・ヘストン)たちを使ってルーファスたちの谷の集落を襲撃します。
暴力は暴力を生み、事態は混迷を深めますが、そんな中、水源を持つ土地の所有者であるジュリーに接近したジムは、両家のいざこざを解消させるために土地の権利を自分が買い取ることを提案。
水は両家に平等に分けることを主張します。
最初はジムの態度に疑問を感じていたジュリーも、やがて彼の人柄を信じ、水源の土地の権利はジム・マッケイの手に移ることになります。
しかし、少佐とヘネシーの根の深い対立は収束することなく、暴力でしか物事の解決を図ろうとしない少佐に見切りをつけたジムは、自分を信用しようとしないパットとも別れ、ことごとく敵対心をむき出しにしていたスティーブ・リーチと果てしない殴り合いの末、牧場を去ってゆきます。
やがて、ヘネシーがジュリーを誘拐して監禁したことから両家の争いは決定的なものとなり、ジムとバック・ヘネシーとのヨーロッパ式の決闘とバックの死。
さらに、少佐とルーファス・ヘネシーとの決闘へと事態は動いてゆきます。
監督は「嵐ヶ丘」(1939年)、「我等の生涯の最良の年」(1946年)、「ローマの休日」(1953年)の巨匠ウィリアム・ワイラー。
主演のジム・マッケイに「子鹿物語」(1946年)、「紳士協定」(1947年)、「キリマンジャロの雪」(1952年)などの名優グレゴリー・ペック。
牧童頭のスティーヴ・リーチに「地上最大のショウ」(1952年)、「十戒」(1956年)、「北京の55日」(1963年)のチャールトン・ヘストン。
ジムの婚約者でテリル少佐の娘パットに「ジャイアンツ」(1956年)、「デボラの甘い肉体」(1968年)、「課外授業」(1975年)のセクシー女優キャロル・ベイカー。
水源の土地所有者で、後にジムの恋人となるジュリーに「大いなる遺産」(1946年)、「ハムレット」(1948年)、「聖衣」(1953年)の名女優ジーン・シモンズ。
そして、
体の割に気の小さいバック・ヘネシーに、テレビシリーズ「ライフルマン」や「アフリカ大牧場」などで人気を博し、日本映画「復活の日」(1980年)にも出演したチャック・コナーズ。
グレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストンが延々と殴り合うシーンが話題となった「大いなる西部」。
すべてが壮大でスケールの大きな映画ですが、人間ドラマとしての物語性は起伏に富んだ厚みのあるものになっています。
ヘンリー・テリル少佐とルーファス・ヘネシーとの長きにわたる確執。
コソコソと立ち回って強がりながらも父親に頭が上がらず、ジムとの決闘に敗れ、結局は父親の手にかかって死んでしまうバック・ヘネシー。
そんな出来損ないの息子を罵倒しながらも、最後には愛情の片りんをのぞかせるルーファス・ヘネシー。
テリル少佐に対する牧童頭スティーヴ・リーチの感情の動きなど、人間の持つ心の複雑さを個人個人の造形に当てはめて描きだし、西部劇の枠にとらわれない人間ドラマになっています。
大陸の持つ広々とした世界に生きる人間たちのドラマは、あたかも神の視点で眺めてでもいるように、グレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストンの殴り合いにしても、テリル少佐とルーファス・ヘネシーの決闘にしても、大自然の中の点景であるかのように大地の中に溶け込んでいて、人間のいざこざやいがみ合いが小さなものであることを示しています。
いろんな意味でBigな「大いなる西部」は、大自然もBigなら登場人物もBigで、グレゴリー・ペックやチャールトン・ヘストンは190?pクラス。
チャック・コナーズにいたっては2メートル近い大男で、ジーン・シモンズに言い寄る場面などは、まるでお姫様に襲いかかる怪獣です。
ダイナミックな迫力と細やかな人間描写。いつまでも心に刻まれる名作です。
1958年 アメリカ
監督ウィリアム・ワイラー
原作ドナルド・ハミルトン
脚本ジェームズ・R・ウェッブ
サイ・バートレット
ロバート・ワイルダー
音楽ジェローム・モロス
撮影フランツ・F・プラナー
〈キャスト〉
グレゴリー・ペック チャールトン・ヘストン
ジーン・シモンズ キャロル・ベイカー
チャック・コナーズ バール・アイヴス
第31回アカデミー賞助演男優賞受賞(バール・アイヴス)
オープニングの馬車の車輪の映像にからまるように流れる主題曲は、もうそれだけでスケールの大きさを感じさせますし、大作の重量感が伝わってきます。
水の利権にからむ対立と、古い因縁を持つ男たちの確執、恋と変節のドラマは、人間的な、最も人間くさい物語であり、「The Big Country」という原題が表しているように、それを包み込むように広がる、有史から続く大地の歴史の上で流れ去り、消え去ってゆく人間たちの物語でもあります。
映画には「シェーン」のような感動的なラストや、「第三の男」のような、ニヤリとさせる意味深なラスト、「太陽がいっぱい」では完全犯罪が崩れ去る名シーン、「猿の惑星」ではアッと言わせる名ラストシーンなどがたくさんありますが、名オープニングシーンというのは「大いなる西部」以外にはあまり思いつきません。
馬車が疾走して、その車輪をとらえた映像とダイナミックな主題曲。
それだけのシーンなのですが、翌年の「ベン・ハー」にも活かされることになる迫力ある馬車の場面は巨匠ウィリアム・ワイラーの力量なのでしょう。
さて、その駅馬車に乗って一人の男が西部にやって来ます。
男の名前はジェームズ(ジム)・マッケイ(グレゴリー・ペック)。
東部出身で紳士然としたジムは、土地の有力者ヘンリー・テリル少佐(チャールズ・ビックフォード)の娘パット(キャロル・ベイカー)と結婚するため、テキサスにやって来たのです。
パットの友人で学校教師のジュリー(ジーン・シモンズ)の家で再会したジムとパットは熱い抱擁の後に、パットの父ヘンリー・テリル少佐の牧場まで馬車で出かけます。
しかし、その途中、ヒマを持て余して草原でたむろしていたバック・ヘネシー(チャック・コナーズ)らにつかまり、馬車から引きずりおろされたマッケイは投げ縄で自由を奪われ、散々な目にあいます。
気の強いパットはライフルで立ち向かおうとしますが、ジムはそれを押しとどめ、大したことじゃないと、立ち去ってゆくバック・ヘネシーたちを見ながら、事もなげな様子ですが、ヘネシーたちに立ち向かおうともせず、なすがままにされてしまったジムの態度にパットは少なからず失望を覚えます。
もともと船長の経験のあるジムは海の荒くれ男たちには慣れていることもあって、ヘネシーたちの乱暴も西部の男たちのあいさつ程度にしか思っていなかったのですが、この事件は次第に大きく発展してゆくことになります。
パットの父ヘンリー・テリル少佐とバック・ヘネシーたちの父親ルーファス・ヘネシー(バール・アイヴス)は水源の領有権をめぐって勢力を二分しており、その確執は根の深いものであったことから、娘婿になるジムが辱(はずかし)められたことを理由に少佐は、牧童頭のスティーヴ・リーチ(チャールトン・ヘストン)たちを使ってルーファスたちの谷の集落を襲撃します。
暴力は暴力を生み、事態は混迷を深めますが、そんな中、水源を持つ土地の所有者であるジュリーに接近したジムは、両家のいざこざを解消させるために土地の権利を自分が買い取ることを提案。
水は両家に平等に分けることを主張します。
最初はジムの態度に疑問を感じていたジュリーも、やがて彼の人柄を信じ、水源の土地の権利はジム・マッケイの手に移ることになります。
しかし、少佐とヘネシーの根の深い対立は収束することなく、暴力でしか物事の解決を図ろうとしない少佐に見切りをつけたジムは、自分を信用しようとしないパットとも別れ、ことごとく敵対心をむき出しにしていたスティーブ・リーチと果てしない殴り合いの末、牧場を去ってゆきます。
やがて、ヘネシーがジュリーを誘拐して監禁したことから両家の争いは決定的なものとなり、ジムとバック・ヘネシーとのヨーロッパ式の決闘とバックの死。
さらに、少佐とルーファス・ヘネシーとの決闘へと事態は動いてゆきます。
監督は「嵐ヶ丘」(1939年)、「我等の生涯の最良の年」(1946年)、「ローマの休日」(1953年)の巨匠ウィリアム・ワイラー。
主演のジム・マッケイに「子鹿物語」(1946年)、「紳士協定」(1947年)、「キリマンジャロの雪」(1952年)などの名優グレゴリー・ペック。
牧童頭のスティーヴ・リーチに「地上最大のショウ」(1952年)、「十戒」(1956年)、「北京の55日」(1963年)のチャールトン・ヘストン。
ジムの婚約者でテリル少佐の娘パットに「ジャイアンツ」(1956年)、「デボラの甘い肉体」(1968年)、「課外授業」(1975年)のセクシー女優キャロル・ベイカー。
水源の土地所有者で、後にジムの恋人となるジュリーに「大いなる遺産」(1946年)、「ハムレット」(1948年)、「聖衣」(1953年)の名女優ジーン・シモンズ。
そして、
体の割に気の小さいバック・ヘネシーに、テレビシリーズ「ライフルマン」や「アフリカ大牧場」などで人気を博し、日本映画「復活の日」(1980年)にも出演したチャック・コナーズ。
グレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストンが延々と殴り合うシーンが話題となった「大いなる西部」。
すべてが壮大でスケールの大きな映画ですが、人間ドラマとしての物語性は起伏に富んだ厚みのあるものになっています。
ヘンリー・テリル少佐とルーファス・ヘネシーとの長きにわたる確執。
コソコソと立ち回って強がりながらも父親に頭が上がらず、ジムとの決闘に敗れ、結局は父親の手にかかって死んでしまうバック・ヘネシー。
そんな出来損ないの息子を罵倒しながらも、最後には愛情の片りんをのぞかせるルーファス・ヘネシー。
テリル少佐に対する牧童頭スティーヴ・リーチの感情の動きなど、人間の持つ心の複雑さを個人個人の造形に当てはめて描きだし、西部劇の枠にとらわれない人間ドラマになっています。
大陸の持つ広々とした世界に生きる人間たちのドラマは、あたかも神の視点で眺めてでもいるように、グレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストンの殴り合いにしても、テリル少佐とルーファス・ヘネシーの決闘にしても、大自然の中の点景であるかのように大地の中に溶け込んでいて、人間のいざこざやいがみ合いが小さなものであることを示しています。
いろんな意味でBigな「大いなる西部」は、大自然もBigなら登場人物もBigで、グレゴリー・ペックやチャールトン・ヘストンは190?pクラス。
チャック・コナーズにいたっては2メートル近い大男で、ジーン・シモンズに言い寄る場面などは、まるでお姫様に襲いかかる怪獣です。
ダイナミックな迫力と細やかな人間描写。いつまでも心に刻まれる名作です。
2020年01月24日
映画「ネバダ ・スミス」 マックィーンの魅力満載 復讐物西部劇の傑作
「ネバダ・スミス」
(Nevada Smith)
1966年 アメリカ
監督ヘンリー・ハサウェイ
原作ハロルド・ロビンズ
脚本ジョン・マイケル・ヘイズ
音楽アルフレッド・ニューマン
撮影ルシアン・バラード
〈キャスト〉
スティーブ・マックィーン カール・マルデン
ブライアン・キース アーサー・ケネディ
スザンヌ・プレシェット マーティン・ランドー
ラフ・ヴァローネ
三人の無法者に両親を惨殺された青年の復讐劇。
個人的には、人間の持つドロドロした内面が強調される復讐物はあまり好きではないのですが、この「ネバダ・スミス」は監督が「ナイアガラ」や「死の接吻」、「勇気ある追跡」の名匠ヘンリー・ハサウェイによるところが大きいのでしょう、ドロドロした怨念のドラマというよりは、男性的でカラッとした骨太いタッチの物語で、スティーブ・マックィーンの魅力、そして、主人公マックスの人間的成長のドラマでもあるところから、より大きなスケールを持つ西部劇の傑作といえます。
アメリカ南西部ネバダ州。
ある日、マックス・サンド(スティーブ・マックィーン)は三人の男たちに尋ねられます。
「サンドって男を探しているんだが」
「親父だ」
「おれは古い友人でジェシーっていうんだが、家はどっちだい?」
マックスは男たちに家への道を教えます。
「ありがとう」男は言います。「お前の名前は?」
「マックス」
「ありがとう、マックス」
男たちはマックスの教えた方向へ馬を向け、走り去ってゆきますが、なんとなく不安に駆られたマックスは家へと取って返します。
マックスの悪い予感は的中して、両親は無残な殺され方をしていました。
両親の死体と共に家を燃やしたマックスは、ひとり、復讐の旅に出ます。
荒野をゆくマックスは三人組の男たちに出会い、両親の仇として襲いかかりますが、まったくの人違いであることが判り、三人の男たちは乱暴を働いたマックスを責めることなく、あたたかくもてなし、食事を提供してくれます。
翌朝、目が覚めるとマックスはひとり。
三人組はマックスの銃や馬を盗んで立ち去っていました。
途方に暮れたマックスは、川で馬を休ませている銃商人のジョナス・コード(ブライアン・キース)を見つけ、壊れかけた銃でジョナスをおどして馬を得ようとしますが、使えない銃であることを簡単に見破ったジョナスは、マックスの身の上を聞き、復讐をするつもりなら銃を扱えるようになることなどを教え始めます。
ジョナス・コードとの出会いがマックスにガンマンとしての成長をもたらすのですが、このジョナス・コードを演じたのが「ザ・ヤクザ」(1974年)、「風とライオン」(1975年)で風格ある演技を見せたブライアン・キース。
復讐の旅への途中で様々な人々との出会いがマックスに人間形成を与えていくことになり、その中で最初の一人となるのがジョナス・コードで、「ネバダ・スミス」の中で重要な一人となります。
やがてマックスは、三人組の一人であるジェシー(マーティン・ランドー)を酒場で見つけ、ナイフで倒すことになります。
柵を飛び越えながらジェシーを追い詰めてゆくマックィーンは実に見事で、「ネバダ・スミス」のひとつの見どころです。
さらに、ジェシーの妻から仲間の一人ビル・ボードリー(アーサー・ケネディ)がルイジアナの刑務所で服役していることを知ったマックスは、自らも服役するべく銀行強盗を働いてワザと捕まり、ビルのいるルイジアナの刑務所へ送られることになります。
復讐のためには手段を選ばないマックスの行動は突飛とも見えますが、これを淡々と遂行していくところがスティーブ・マックィーンの魅力。
広大な沼地に作られた刑務所はワニや毒蛇がウジャウジャと潜んでいる危険地帯。
脱走不可能な刑務所から、土地の娘ピラー(スザンヌ・プレシェット)の助けを借りて、一度脱走に失敗しているビルをそそのかして、ビルとピラーを加えた三人で脱走を図る場面は最大の見どころといってもよく、脱走の途中でビルを殺したマックスでしたが、新しい人生を夢見て脱走に加わったピラーは毒蛇に噛まれてしまいます。
徐々に体に毒が回り始めたピラーは死ぬ間際に、自分がマックスに利用されただけであることを知り、湿った密林の土に横たわりながらマックスを激しく罵り、やがて死を迎えます。
脱走に成功したマックスは、三人組のボスであるトム・フィッチ(カール・マルデン)を探し求めますが、ならず者に捕まり、危うく殺されそうになるところを、偶然居合わせたザッカルディ神父(ラフ・ヴァローネ)に救われます。
ザッカルディ神父のもとで体の回復を待つ間、ザッカルディから復讐の無益さを諭(さと)されたマックスは、はじめは反発していましたが、やがて聖書に親しむようになり、内面的な成長を遂げるようになります。
ザッカルディのもとを去ったマックスは、強盗団のボスとして駅馬車強盗を計画しているトム・フィッチを突き止め、正体を隠してその一味に加わり、駅馬車襲撃の後、トムを川岸へと追い詰めていきます。
トムの足を銃撃し、とどめを刺そうとしたマックスでしたが、ジェシーやビルを殺したころのマックスはすでに過去の人間となり、「殺せ!」と叫ぶトム・フィッチの声を聞き、何かがマックスの内面で動き出していました。
川へ銃を投げ捨てたマックスは、トムの叫びを聞きながら静かに去ってゆくのです。
映画「ネバダ・スミス」はスティーブ・マックィーンの魅力満載の映画なのですが、最初にマックスに銃の扱い方などを教えるジョナス・コードのブライアン・キースを始めとして、名優、名脇役がそれぞれの役どころでしっかりと脇を固めています。
三人組の一人で最初に殺されるジェシーのマーティン・ランドーは「北北西に進路を取れ」(1959年)の悪役から、大作「クレオパトラ」(1963年)ではマーク・アントニーの片腕ルフィオを演じ、大きな存在感を見せました。
また、新天地での夢を追い求めながらも、マックスに利用され、毒蛇に噛まれて命を落とすピラーに「恋愛専科」(1962年)、「鳥」(1963年)の美人女優スザンヌ・プレシェット。
脱走不可能なルイジアナ刑務所の脱走に一度失敗して、気絶するまで鞭打ちされながら、マックスにそそのかされて再び脱走に加わり、結局マックスに殺される、悪党になりきれないビル・ボードリーに「アラビアのロレンス」(1962年)、「シャイアン」(1964年)、「ミクロの決死圏」(1966年)の名脇役アーサー・ケネディ。
三人組の首領トム・フィッチに「影なき殺人」(1947年)、「波止場」(1954年)、1951年の「欲望という名の電車」ではアカデミー助演男優賞を受賞している名優カール・マルデン。
さらに、復讐は愚行であることを説き、マックスの人間形成に大きな役割を果たすザッカルディ神父に、フランス映画の名作「嘆きのテレーズ」(1953年)のラフ・ヴァローネ。
イタリア人のヴァローネは「ふたりの女」(1960年)などを経てハリウッドに進出し、「ゴッドファーザーPART?V」(1990年)にも出演。
監督のヘンリー・ハサウェイは「アラスカ魂」(1960年)、「西部開拓史」(1962年)、「エルダー兄弟」(1965年)と立て続けに西部劇の大作でヒットを飛ばして波に乗っていて、まさに円熟期。
そして忘れてならないのは、「怒りの葡萄」(1940年)、「わが谷は緑なりき」(1941年)の名作を始めとして、「ショウほど素敵な商売はない」(1954年)、「七年目の浮気」(1955年)、「王様と私」(1956年)など数々の映画音楽を手がけた作曲家アルフレッド・ニューマン。
特に1955年の「慕情」の主題歌は映画音楽の素晴らしい名曲。
テレビシリーズ「拳銃無宿」や「荒野の七人」(1960年)で軽快なフットワークとガンさばきを見せ、30代半ばに達していたマックィーンが、銃の扱いも満足にできない若造役というのもちょっと無理があったようにも思いますが、映画中盤から後半にかけては、まさに面目躍如、絶叫するカール・マルデンを残して立ち去るラストも胸に残る傑作です。
1966年 アメリカ
監督ヘンリー・ハサウェイ
原作ハロルド・ロビンズ
脚本ジョン・マイケル・ヘイズ
音楽アルフレッド・ニューマン
撮影ルシアン・バラード
〈キャスト〉
スティーブ・マックィーン カール・マルデン
ブライアン・キース アーサー・ケネディ
スザンヌ・プレシェット マーティン・ランドー
ラフ・ヴァローネ
三人の無法者に両親を惨殺された青年の復讐劇。
個人的には、人間の持つドロドロした内面が強調される復讐物はあまり好きではないのですが、この「ネバダ・スミス」は監督が「ナイアガラ」や「死の接吻」、「勇気ある追跡」の名匠ヘンリー・ハサウェイによるところが大きいのでしょう、ドロドロした怨念のドラマというよりは、男性的でカラッとした骨太いタッチの物語で、スティーブ・マックィーンの魅力、そして、主人公マックスの人間的成長のドラマでもあるところから、より大きなスケールを持つ西部劇の傑作といえます。
アメリカ南西部ネバダ州。
ある日、マックス・サンド(スティーブ・マックィーン)は三人の男たちに尋ねられます。
「サンドって男を探しているんだが」
「親父だ」
「おれは古い友人でジェシーっていうんだが、家はどっちだい?」
マックスは男たちに家への道を教えます。
「ありがとう」男は言います。「お前の名前は?」
「マックス」
「ありがとう、マックス」
男たちはマックスの教えた方向へ馬を向け、走り去ってゆきますが、なんとなく不安に駆られたマックスは家へと取って返します。
マックスの悪い予感は的中して、両親は無残な殺され方をしていました。
両親の死体と共に家を燃やしたマックスは、ひとり、復讐の旅に出ます。
荒野をゆくマックスは三人組の男たちに出会い、両親の仇として襲いかかりますが、まったくの人違いであることが判り、三人の男たちは乱暴を働いたマックスを責めることなく、あたたかくもてなし、食事を提供してくれます。
翌朝、目が覚めるとマックスはひとり。
三人組はマックスの銃や馬を盗んで立ち去っていました。
途方に暮れたマックスは、川で馬を休ませている銃商人のジョナス・コード(ブライアン・キース)を見つけ、壊れかけた銃でジョナスをおどして馬を得ようとしますが、使えない銃であることを簡単に見破ったジョナスは、マックスの身の上を聞き、復讐をするつもりなら銃を扱えるようになることなどを教え始めます。
ジョナス・コードとの出会いがマックスにガンマンとしての成長をもたらすのですが、このジョナス・コードを演じたのが「ザ・ヤクザ」(1974年)、「風とライオン」(1975年)で風格ある演技を見せたブライアン・キース。
復讐の旅への途中で様々な人々との出会いがマックスに人間形成を与えていくことになり、その中で最初の一人となるのがジョナス・コードで、「ネバダ・スミス」の中で重要な一人となります。
やがてマックスは、三人組の一人であるジェシー(マーティン・ランドー)を酒場で見つけ、ナイフで倒すことになります。
柵を飛び越えながらジェシーを追い詰めてゆくマックィーンは実に見事で、「ネバダ・スミス」のひとつの見どころです。
さらに、ジェシーの妻から仲間の一人ビル・ボードリー(アーサー・ケネディ)がルイジアナの刑務所で服役していることを知ったマックスは、自らも服役するべく銀行強盗を働いてワザと捕まり、ビルのいるルイジアナの刑務所へ送られることになります。
復讐のためには手段を選ばないマックスの行動は突飛とも見えますが、これを淡々と遂行していくところがスティーブ・マックィーンの魅力。
広大な沼地に作られた刑務所はワニや毒蛇がウジャウジャと潜んでいる危険地帯。
脱走不可能な刑務所から、土地の娘ピラー(スザンヌ・プレシェット)の助けを借りて、一度脱走に失敗しているビルをそそのかして、ビルとピラーを加えた三人で脱走を図る場面は最大の見どころといってもよく、脱走の途中でビルを殺したマックスでしたが、新しい人生を夢見て脱走に加わったピラーは毒蛇に噛まれてしまいます。
徐々に体に毒が回り始めたピラーは死ぬ間際に、自分がマックスに利用されただけであることを知り、湿った密林の土に横たわりながらマックスを激しく罵り、やがて死を迎えます。
脱走に成功したマックスは、三人組のボスであるトム・フィッチ(カール・マルデン)を探し求めますが、ならず者に捕まり、危うく殺されそうになるところを、偶然居合わせたザッカルディ神父(ラフ・ヴァローネ)に救われます。
ザッカルディ神父のもとで体の回復を待つ間、ザッカルディから復讐の無益さを諭(さと)されたマックスは、はじめは反発していましたが、やがて聖書に親しむようになり、内面的な成長を遂げるようになります。
ザッカルディのもとを去ったマックスは、強盗団のボスとして駅馬車強盗を計画しているトム・フィッチを突き止め、正体を隠してその一味に加わり、駅馬車襲撃の後、トムを川岸へと追い詰めていきます。
トムの足を銃撃し、とどめを刺そうとしたマックスでしたが、ジェシーやビルを殺したころのマックスはすでに過去の人間となり、「殺せ!」と叫ぶトム・フィッチの声を聞き、何かがマックスの内面で動き出していました。
川へ銃を投げ捨てたマックスは、トムの叫びを聞きながら静かに去ってゆくのです。
映画「ネバダ・スミス」はスティーブ・マックィーンの魅力満載の映画なのですが、最初にマックスに銃の扱い方などを教えるジョナス・コードのブライアン・キースを始めとして、名優、名脇役がそれぞれの役どころでしっかりと脇を固めています。
三人組の一人で最初に殺されるジェシーのマーティン・ランドーは「北北西に進路を取れ」(1959年)の悪役から、大作「クレオパトラ」(1963年)ではマーク・アントニーの片腕ルフィオを演じ、大きな存在感を見せました。
また、新天地での夢を追い求めながらも、マックスに利用され、毒蛇に噛まれて命を落とすピラーに「恋愛専科」(1962年)、「鳥」(1963年)の美人女優スザンヌ・プレシェット。
脱走不可能なルイジアナ刑務所の脱走に一度失敗して、気絶するまで鞭打ちされながら、マックスにそそのかされて再び脱走に加わり、結局マックスに殺される、悪党になりきれないビル・ボードリーに「アラビアのロレンス」(1962年)、「シャイアン」(1964年)、「ミクロの決死圏」(1966年)の名脇役アーサー・ケネディ。
三人組の首領トム・フィッチに「影なき殺人」(1947年)、「波止場」(1954年)、1951年の「欲望という名の電車」ではアカデミー助演男優賞を受賞している名優カール・マルデン。
さらに、復讐は愚行であることを説き、マックスの人間形成に大きな役割を果たすザッカルディ神父に、フランス映画の名作「嘆きのテレーズ」(1953年)のラフ・ヴァローネ。
イタリア人のヴァローネは「ふたりの女」(1960年)などを経てハリウッドに進出し、「ゴッドファーザーPART?V」(1990年)にも出演。
監督のヘンリー・ハサウェイは「アラスカ魂」(1960年)、「西部開拓史」(1962年)、「エルダー兄弟」(1965年)と立て続けに西部劇の大作でヒットを飛ばして波に乗っていて、まさに円熟期。
そして忘れてならないのは、「怒りの葡萄」(1940年)、「わが谷は緑なりき」(1941年)の名作を始めとして、「ショウほど素敵な商売はない」(1954年)、「七年目の浮気」(1955年)、「王様と私」(1956年)など数々の映画音楽を手がけた作曲家アルフレッド・ニューマン。
特に1955年の「慕情」の主題歌は映画音楽の素晴らしい名曲。
テレビシリーズ「拳銃無宿」や「荒野の七人」(1960年)で軽快なフットワークとガンさばきを見せ、30代半ばに達していたマックィーンが、銃の扱いも満足にできない若造役というのもちょっと無理があったようにも思いますが、映画中盤から後半にかけては、まさに面目躍如、絶叫するカール・マルデンを残して立ち去るラストも胸に残る傑作です。
2019年02月05日
映画「真昼の決闘」隠された人間不信の背景
「真昼の決闘」(High Noon)
1952年 アメリカ
監督 フレッド・ジンネマン
脚色 カール・フォアマン
音楽 ディミトリ・ティオムキン
撮影 フロイド・クリスビー
原案 ジョン・W・カニンガム
編集 ハリー・ガースタッド
〈キャスト〉
ゲーリー・クーパー グレース・ケリー
トーマス・ミッチェル ロイド・ブリッジス
第25回アカデミー賞
主演男優賞(ゲーリー・クーパー) 編集賞
音楽・歌曲賞
ゴールデン・グローブ賞
主演男優賞 作曲賞
ニューヨーク映画批評家協会賞
作品賞 監督賞
宗教からみた「真昼の決闘」
美しい女性エミイ(グレース・ケリー)との結婚式を挙げたばかりの保安官ウィル・ケーン(ゲーリー・クーパー)は、5年前に逮捕したフランク・ミラー(イアン・マクドナルド)が保釈されて正午の列車で町にやって来ることを知ります。
ミラーの目的は、自分を逮捕、投獄した保安官への復讐。
結婚と同時に保安官の職を辞し、町を去ることを決心していたウィルは、騒動が町全体に及ぶことを憂慮し、町にとどまって、フランク・ミラーとの対決を決心します。
しかし、相手はミラーの弟とその仲間を合わせて4人。ウィルひとりでは太刀打ちできません。そこで彼は町の人たちに助勢を頼みますが、誰もが怖がって尻込みをするばかりで、ウィルの助勢はひとりも現れません。
仕方なくウィルは遺言状をしたため、フランク・ミラー一味との死闘を覚悟することになります。
「真昼の決闘」が名作といえるのは、一人の助力も当てにできないまま、悪漢4人を相手に死闘を余儀なくされてしまうストーリーにあると思います。
では、なぜウィルは助力を乞うことができなかったのでしょうか。
誰もが怖がっていたから、というのが理由のひとつですが、しかし、もうひとつ違う理由があります。
ウィル・ケーンの妻エミイはクエーカー教徒です。
父と兄を殺された経験を持つ彼女は、暴力を否定するクエーカー教への改宗をウィルに勧め、ウィル・ケーンは妻の勧めに応じてクエーカー教徒へと改宗しています。
しかし、町の人たちのほとんどはキリスト教徒です。二人のクエーカー教徒に対する町の人たちの異端視が、ウィルへの助力を拒む背景にあるのは否定できないと思います。
ではクリスチャンは排他主義者なのでしょうか。これも一概に断定はできませんが、町の人たちだけを見れば、異教徒に対する反感があるのは間違いないと思います。
クエーカー教徒である妻のエミイはどうなのでしょうか。
彼女は結婚したばかりの夫を見捨てて列車に飛び乗ってしまいます。暴力や争いを避けるのがクエーカー教徒の信条のひとつでもあるからなのですが、彼女の仕打ちはあまりにも無慈悲にみえます(後に決心をひるがえし、夫を助けるべく町へ戻りますが)。
気の毒なのはウィル・ケーンで、町の人たちからは異端視され、新妻には逃げられ、それでも淡々と決闘に臨む姿は、苦渋の心境を紳士然とした風貌の中に押し込めた、強さと弱さを併せ持った人間臭いヒーローといえるでしょう。
監督 フレッド・ジンネマン
脚色 カール・フォアマン
音楽 ディミトリ・ティオムキン
撮影 フロイド・クリスビー
原案 ジョン・W・カニンガム
編集 ハリー・ガースタッド
〈キャスト〉
ゲーリー・クーパー グレース・ケリー
トーマス・ミッチェル ロイド・ブリッジス
第25回アカデミー賞
主演男優賞(ゲーリー・クーパー) 編集賞
音楽・歌曲賞
ゴールデン・グローブ賞
主演男優賞 作曲賞
ニューヨーク映画批評家協会賞
作品賞 監督賞
宗教からみた「真昼の決闘」
美しい女性エミイ(グレース・ケリー)との結婚式を挙げたばかりの保安官ウィル・ケーン(ゲーリー・クーパー)は、5年前に逮捕したフランク・ミラー(イアン・マクドナルド)が保釈されて正午の列車で町にやって来ることを知ります。
ミラーの目的は、自分を逮捕、投獄した保安官への復讐。
結婚と同時に保安官の職を辞し、町を去ることを決心していたウィルは、騒動が町全体に及ぶことを憂慮し、町にとどまって、フランク・ミラーとの対決を決心します。
しかし、相手はミラーの弟とその仲間を合わせて4人。ウィルひとりでは太刀打ちできません。そこで彼は町の人たちに助勢を頼みますが、誰もが怖がって尻込みをするばかりで、ウィルの助勢はひとりも現れません。
仕方なくウィルは遺言状をしたため、フランク・ミラー一味との死闘を覚悟することになります。
「真昼の決闘」が名作といえるのは、一人の助力も当てにできないまま、悪漢4人を相手に死闘を余儀なくされてしまうストーリーにあると思います。
では、なぜウィルは助力を乞うことができなかったのでしょうか。
誰もが怖がっていたから、というのが理由のひとつですが、しかし、もうひとつ違う理由があります。
ウィル・ケーンの妻エミイはクエーカー教徒です。
父と兄を殺された経験を持つ彼女は、暴力を否定するクエーカー教への改宗をウィルに勧め、ウィル・ケーンは妻の勧めに応じてクエーカー教徒へと改宗しています。
しかし、町の人たちのほとんどはキリスト教徒です。二人のクエーカー教徒に対する町の人たちの異端視が、ウィルへの助力を拒む背景にあるのは否定できないと思います。
ではクリスチャンは排他主義者なのでしょうか。これも一概に断定はできませんが、町の人たちだけを見れば、異教徒に対する反感があるのは間違いないと思います。
クエーカー教徒である妻のエミイはどうなのでしょうか。
彼女は結婚したばかりの夫を見捨てて列車に飛び乗ってしまいます。暴力や争いを避けるのがクエーカー教徒の信条のひとつでもあるからなのですが、彼女の仕打ちはあまりにも無慈悲にみえます(後に決心をひるがえし、夫を助けるべく町へ戻りますが)。
気の毒なのはウィル・ケーンで、町の人たちからは異端視され、新妻には逃げられ、それでも淡々と決闘に臨む姿は、苦渋の心境を紳士然とした風貌の中に押し込めた、強さと弱さを併せ持った人間臭いヒーローといえるでしょう。