僕は榊島を訪ねた。朝早く出て二泊する予定だった。島はごく普通の地方都市だった。
市役所に隣接する図書館に父の資料室があった。
一般閲覧はされていなかったので、申込用紙に記名したところ身内かと聞かれたので息子だと答えた。
カウンターの人の反応は薄かったが図書館長という人が興奮して出てきた。
この人の家が昔、旅館を経営していて父の定宿だったと言いう話だった。父とは面識があったそうだ。
今の若い世代にはあまり知られてはいないが、父はこの島の恩人だといわれた。
この島がリゾート地としてやっていけるのは、父の環境保護活動のおかげだということを熱っぽく語ってくれた。その日はこの人が経営するペンションに泊まった。
父は、この島に長期逗留して、主に島の山間部の生物体系を調べていたそうだ。
そのころは日本は好景気の最中で大掛かりな工場建設が流行っていた。
環境保護の認識がまだできておらず、島の経済発展のために山間部の開発を進める話が進んでいたらしい。
山を切り崩し工場を建てる計画は島の人々を熱狂させた。
社宅を作り社員を住ませれば人口も増え島の経済が大いに活性化する。
実際その時代には、そんな地域が何か所かできていた。
それを、父が私財を出して山林を買い環境保護を条件に市に寄付したのだった。
島の人々の間でも賛否両論で、当時は島の発展を妨げたという評価をする人たちもいたらしい。
それから10年もたたない間に景気は大きく後退して、大掛かりな工場施設はことごとく閉鎖や倒産に追い込まれた。島は漁業を継続させながら、それを原資にした観光業が発展した。
そのころになって、やっと、父が功労者として評価されたのだ。
父の行為が功績という言葉で表現されていた。
その夜梨花に電話で話しているうちに、なんとなく涙声になってしまった。
梨花は「真ちゃん、よかったねえ。お父さんもきっと喜んではるよ。
一人息子が自分のしたことを認めてくれたんやから。それにしても真ちゃん泣き虫やねえ。
そこ、一人ぼっちでさびしいのん?大阪へ来たらまた御馳走してあげる。」と言った。
梨花は僕より二つ下だったが、なぜか姉のようなものの言い方をした。
僕は今まで付き合った女から泣き虫といわれたことはなかった。
将来、ここに梨花や生まれてくる子供を連れて来たいと思った。
「そうだ、父さん、僕に子供ができるんだよ。拗ねて生きていた僕に。」涙があふれた。
続く
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