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ネイビーシールズ:オペレーションZ [ エド・クイン ] ヴィランが強く、ヒーローも強ければ、話は面白くなる。しかし、ヒーロー側がポンコツでも、場合によっては非常にスリリングな展開が生まれるのだ。 バージニア州バトンルージュにゾンビが大量発生、その渦中に副大統領が取り残された。 救出に向かうのは、アメリカ海軍の特殊部隊ネイビーシールズの精鋭たち。 特殊部隊とは、知力、体力に優れた集団である。 未曾有のゾンビ群に対抗するためには、強豪エリートチームが必須だ。 すでにバトンルージュにはFBIの救出部隊が向かい、全滅している。 「精鋭部隊を送り救出せよ」、大統領の指示を受け、ネイビーシールズ、カニンガム隊が出動。 しかし、このカニンガム隊、なんだか頼りない。 この人たちに、ミッションが達成できるのだろうか。じつにハラハラ、ドキドキの展開だ。 まず、カニンガム隊が気の毒だったのは、正確な情報や適切な指示が降りてこないことだ。 指令室ではシアー中佐が指揮をとっているのだが、そこへCIA捜査官のトーマスが小出しに情報を提供する。 そのたびにシアー中佐は指示が変わる。 最たるは、副大統領の救出で終わらず、突然研究者を助け出す任務も加わったことだ。 じつに、先行きの展開が読めない。 つぎに、バトンルージュではゾンビの襲撃にあうのだが、情報が不正確なために発砲許可がおりず、隊員が噛まれてしまう。 この隊員がゾンビ化し、葛藤や悶着があるのかと思ったが、その後のこの隊員の姿は確認できなかった。 さらに、シアー中佐から「噛まれた者は(救出用の)ヘリに乗せるな!」との連絡がある。 それに対してカニンガム隊長は、救出を待つ者たちに「噛まれた者はいるか?」と問いかける。 噛まれてない人も、噛まれた人も、皆同様に首を横に振る。 身体検査などはすることなく、副大統領と嚙まれた者を同じヘリに乗せる。 結果、ヘリは墜落する。 ヘリの中で、嚙まれた者が瞬時にゾンビ化したようだ。 そして、隊員のJA。 彼は、民間人2人を保護する役目となり、そうこうするうちに本隊とはぐれてしまうわ、無線機を落としてしまうわ。 JAは民間人に携帯電話を借りる。 「圏外よ」 「いいから」 さすがネイビーシールズの精鋭、圏外でも通信する方法を知っているのか? そのとき、JAが電話したのは、自分ちだった。 妻が電話に出ると 「冷蔵庫に本部の電話番号が貼ってあるからそこに転送してくれ」 (ひとしきり「早く帰りたい」「愛してる」と私用を兼ねることも忘れない) 緊急時に備えて、連絡先の記憶、記録はしないのか、ネイビーシールズ。 歯医者の予約をキャンセルするのとはちがうんだから。 このJA、ゾンビ化した少女を撃つことができず嚙まれてしまう。 そのため、合流地点では、ヘリに乗らないと言う。 いい判断だ。 それに対して隊長や隊員は「お前は助ける」「独りにはしない」とヘリに乗せてしまう。 生死を共にしたメンバーに対する熱き友情か⁈ 身重の妻が待つJAへの温かい配慮か⁈ 血も涙もある精鋭部隊だ。 しかし、「噛まれた者はヘリに乗せるな!」という命令はどうした⁈ 感染が広がってもいいのか⁈ たとえゾンビになっても妻の元へ連れて帰りたいか⁈ 研究者は「治療薬はない。ワクチンならつくれるはずだが」と発言していたはずだ。 どうなる?どうなる? 一気にゾンビが拡散するのか⁈ 結局、JAは噛まれたが感染しなかった。 治療を受けたからではない。 「つまりAJは免疫者だった」(CIAトーマス)、という顛末。 AJは無事妻の元に帰り着く。 「家はいいな」とのこと。 ゾンビは、非日常的な強敵だ。 それに対する鍛え抜かれたネイビーシールズ。 という設定であれば、どうやって勝利を得るかという視点で映画を見るはず。 しかし、ネイビーシールズ側がもたもたしてると、どこかでやられちゃうんじゃないかと心配しながら見守るしかない。 スリル満点だ。
May 28, 2023
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SECURITY/セキュリティ 【DVD】【中古】 スーパージャイアンツ コンプリート・ボックス(57〜59東宝) /宇津井健,池内淳子,中山昭二,三ツ矢歌子,ジャック・アルテンバイ,石井輝男(監督),宮川一郎 【中古】afbマスク・オブ・ゾロ【Blu-ray】 [ アントニオ・バンデラス ] たとえば宇津井健。 当方にとっては、この人はスーパージャイアンツである。 スーパージャイアンツは、日本初の特撮スーパーヒーロー映画(1957〜1959)の主人公だ。 DVD-BOX『スーパージャイアンツ コンプリートBOX』(4枚組)、所有しています。 その後、宇津井健が伝説の力士を演じた『雷電(1959)』を見たときも、親に「雷電は絶対に負けないよ。だってスーパージャイアンツなんだから」と力説していた。 このように、スーパーヒーローとそれを演じた役者さんはとかく分かち難い、のは当方だけか? そして、アントニオ・バンデラス。 バンデラスは、ヒット作『マスク・オブ・ゾロ(1998)』で主役のゾロを演じた。 ゾロといえば、テレビ番組の『怪傑ゾロ(1957〜1959、日本では1961〜1966放送)が当方にとってヒーロー原体験の一つである。そのほかにも『アラン・ドロンのゾロ(1975)』もすこぶる面白かったけどね。 とにかく、アントニオ・バンデラスは、仮面のヒーロー、ゾロを演じた俳優として、当方の身勝手な期待感を背負っているのだ。 しかし、最近はあまりメジャーな活躍はないように思っていた。 そんな中で『セキュリテイ』を見たわけだが、これは、アントニオ・バンデラス版『ダイ・ハード』だね。 本家『ダイ・ハード』は上映時間が133分だが、対する『セキュリティ』の上映時間は92分だ。 そして、『ダイ・ハード』にくらべて『セキュリティ』は、出演者の人数も少ない。 また、タイトルも『ダイ・ハード』=「最後まで抵抗する者」「なかなか死なない者(不死身)」に対して『セキュリティ』=「警備員」(?)だからね。 つまり、『セキュリティ』はB級感覚の映画なのである。 しかし、『ダイ・ハード』の後追い映画であっても、『セキュリティ』は楽しめる映画だったのですよ。 『ダイ・ハード』は爆発的な大ヒットを記録した。そのため、それに似た映画が続いた。内容的には、主人公マクレーン刑事は別名「世界一ツイてない男」といわれる。マクレーン刑事は、偶然大事件に巻き込まれてしまい、孤軍奮闘するのである。この骨子を、多くの映画が引き継いだのだ。 『セキュリテイ』のバンデラスは、職にあぶれた退役将校エディの役だ。なんとか最低賃金で、ショッピングモールの夜間警備の仕事を得る。 エディが初出勤した真夜中、一人の少女が助けを求めてショッピングモールに飛び込んでくる。 少女は、重要事件の目撃者だったのだ。翌日の裁判での証言を阻止しようと、殺人軍団がショッピングモールを襲撃してきた。 映画の舞台となるショッピングモールは、あまりはやっていないのかもしれない。 バンデラスの仕事は、閉店後に夜通しで警備にあたるのだが、最低賃金しか保証されていない。そして、他の警備員たちも、チンピラ風だったりひきこもり風だったり飲みすぎ女だったりして、どうでもいい状態が漂うダメダメ集団なのだ。 そんなところへ、強雨の中を少女が助けを求めてやってくる。直前まで、少女はFBIにがっちりガードされていたはずなのに、殺しのプロ軍団はそれを撃破してしまった。九死に一生を得て、少女は逃走してきたのだった。当然、殺しのプロ軍団は少女を追尾してくるわけだ。 この状況設定が、スリルとサスペンスを生む。 元軍人のバンデラス=エディは、多勢に無勢、しかも軟弱なダメダメ連中を率いて、重火器フル装備の殺戮集団と闘い、少女を守らなければならない。 しかも、エディは、吹き替えのセリフ上は元大佐と言っているが、字幕では元大尉と表示してある。大佐と大尉の差は大きいぞ。さしずめ大佐であれば、退役後に無職ということはないだろうと思うのだが、どうだろう。 それはさておき、軟弱連中も、エディの作戦指揮のもとに闘い、一定の成果を得ていくと、徐々に使命感に燃え、奮闘し始めるのだった。人間、負け犬になっていては心も荒む。自分もやればできるとわかると、命がけの勝負にも挑んでいけるのだ。エディ=バンデラスは、確かな資質を備えたリーダーだった。 もしかすると、この軟弱連中が無傷で少女を守り切るのか、とも思ってしまった。しかし、そこはリアリティを重要視したのだろう。そうは問屋が卸さない。 というわけで、バンデラスは、B級環境の中でもいい仕事をしていたのだ。 続けてバンデラス主演の『ザ☆ビッグバン!!(2011)』という映画を見た。探偵フィリップ・マーロウが登場する『さらば愛しき女よ(1975)』に似たところがあり、バンデラスも探偵役なのだが、SF的な設定もあるという一風変わった探偵映画だったけれど、こちらも見応えがあった。 アントニオ・バンデラス、がんばっている。 さすが怪傑ゾロ!人気ブログランキングクリックよろしくお願いします
May 5, 2018
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】ドルフ・ラングレン 処刑鮫 [ ドルフ・ラングレン ] 『ドルフ・ラングレン 処刑鮫』 このタイトルを見たときには、ドルフ・ラングレン=「処刑鮫」かと思った。ドルフ・ラングレンが「処刑鮫」と呼ばれ、恐れられるアウトロー刑事か、あるいは必殺系の殺し屋を演じる映画なのかと。 『新宿鮫』(大沢在昌のハードボイルド小説シリーズ)ってのがあるからね。 しかし、タイトルの「鮫」は、ドルフ・ラングレンの役の上でのニックネームではなかった。 なんと、ドルフ・ラングレンが主演するジョーズの系譜にある「鮫」映画だったのだ。 ということで、この映画には、3つの視点がある。 1.アクション・スター、ドルフ・ラングレンの主演作としての視点 2.鮫映画としての視点 3.ドルフ・ラングレンvs.鮫の対決ものとしての視点 上記の3つを通して、『ドルフ・ラングレン 処刑鮫』を見ていこう。1.ラングレン主演作として ドルフ・ラングレンは、空手の有段者というバックボーンをもつアクション俳優である。 愛称は「人間核弾頭」。処刑鮫ではない、しつこいが。 『ロッキー4/炎の友情(1985)』でロッキーの敵役イワン・ドラゴ役で売り出し、近年はロッキーのシルヴェスター・スタローンが率いるアクション巨編『エクスペンダブルズ』シリーズ(2010〜)のメンバーでもある。 なので当然、ドルフ・ラングレンの映画を見る人は、ドルフ・ラングレンのアクションを期待するだろう。しかしながら、『ドルフ・ラングレン処刑鮫』は、ドルフ・ラングレンの空手を生かしたアクション全開、というわけではなかった。 ドルフ・ラングレンの役名は、クリント。違法な動物売買を行なった廉で逮捕され、刑務所に。幼い娘カーリーが一人取り残される。そんなカーリーを不憫に思って、クリントを逮捕した女性警察官のメレディスが引き取って育てている。 やがて、クリントは、刑期を終えて出所する。 ドルフ・ラングレンの役どころは、法を犯して収入を得ようとするが、それもこれも愛する娘のためにしたこと、実はいい人なのだ、というもの。 アウトロー刑事、あるいは必殺系の殺し屋の役であれば、闘うべき組織や倒すべき敵がいるのだが、この映画では、ドルフ・ラングレンが持ち味のアクションを披露する対象となる相手がいない。 申し訳程度に、雑魚との小競り合いはあるものの。 人間の敵がいないのだから、ドルフ・ラングレンvs.鮫への期待が高まる。 それしかないでしょう。2.鮫映画として この映画の舞台となっているのは、内陸部の森に囲まれた湖だ。 つまり、この鮫は、なんと淡水に生息しているというわけ。 えー! 映画の中では、鮫には浸透圧の調節能力があるとかで、淡水にも適応できるとの説明がある。 いずれにしも、湖に鮫が出現するのは、意外性を伴ってミステリアスに引っ張ることができるポイントだと思うのだが、残念ながらそれほど盛り上がらないで、むしろ淡々と進んでいく。 鮫(動物パニック)映画は、『ジョーズ(1975)』からのお約束パターンで、町おこしのイベントがあることになっている。 そのイベントに集まってきた大勢の人々が、鮫やピラニアなどの危険生物に襲われて、阿鼻叫喚の地獄絵図となるっていう寸法だ。 しかし、この映画は、イベントがないどころか、鮫が出現したことがわかると、人々はあっさりと湖に立ち入らなくなってしまうのであった。 そうなると、せっかく湖に現れた鮫も、存在感を示すことができない。 そこで、女性警官メレディスの老母が、走り去った飼い犬を探して湖まで来ることになる。湖面は静かである。だが、老母はなぜだか犬が入水したと思ったらしく、犬の名を呼びながらザブザブと湖に入っていってしまう。案の定、老母は鮫に襲われてしまった。 愛犬が犬かきで泳いでいれば、まだよかったんだけどね。犬の姿など、どこにも見えなかったのだよ。 そんなふうにして、周囲が特別に気を遣って、鮫の見せ場を作っていたね。3.「ドルフ・ラングレンvs.鮫」の対決ものとして さてさて、そうした必然性のない展開が続く中で、いよいよ映画も終盤となる。 カーリーは、父親に会いたくて、こっそりクリントの船に乗り込んだ。 しかし、夜の湖上を航行中にカーリーは船から落っこちてしまう。 そこへ鮫が襲ってくるのだ。 クリントは、自ら湖に飛び込んで、鮫をおびき寄せて娘を救おうとする。 ついに、ドルフ・ラングレンと鮫の激突だ! ここまで焦らされてきたが、いよいよ待ちに待った痛快アクションか。 さすがはアクション・スター、ドルフ・ラングレンだ。防戦一方で手傷を負いながらも、鮫の猛攻を一定時間耐え抜いた。 しかし、そこまでが限界なのか、屈強なクリントも鮫相手に水中での反撃はかなわない。 もう、これ以上のバトルには耐えられないというところで、鮫を射止めたのはクリント=ドルフ・ラングレンではなかったのだった。 確かに、生身の人間が鮫を相手に食い殺されなかっただけでも、凄いことかもしれない。 事実、クリントとの遭遇の直前、海洋生物学者のピーターは、簡単に鮫の餌食になっているのだから。 だがしかし、負けなかったというだけではインパクトは弱いのだ。 ドルフ・ラングレンと鮫の一騎打ちは、昔のプロレスでよくあった両者リングアウトの引き分けといったところだ。 プロレスのスター選手同士が対戦した場合、どちらも負けさせるわけにはいない。そのため、両者ともにいいところを見せ合うのだが、最後はリングの下で乱闘となって勝負はつかず、ってことがかつてはよくあった。 そうなると、観客は消化不良の思いになっちゃうんだよね。 ここはドルフ・ラングレンに花をもたせるべきでしょう。 鮫がアクション・スターに負けたからといって商品価値が下がるわけでもなし。 アクション・スター、ドルフ・ラングレンの魅力を最大限に発揮させるためには、鮫を陸に引っ張り上げて、空手有段者の手刀、突きや蹴りの波状攻撃で鮫を撃退してほしかった。ドルフ・ラングレンの威光を観客にアピールするのは、引き分けや負けなかった、ではないはず。 あのガメラも、『ガメラ対深海怪獣ジグラ(1971)』で、ジグラとの海中対決を避け、地上に引っ張り上げて勝負をつけたのだから。 ガメラはさておき、ドルフ・ラングレンは極真空手道参段だ。 極真空手といえば、創始者はあの「牛殺し」大山倍達。 だから、ドルフ・ラングレンは「牛殺し」ならぬ「鮫殺し」の異名をとってもよかったのではないだろうか。人気ブログランキングへ
January 22, 2017
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】「コードネームU.N.C.L.E.」 オリジナル・サウンドトラッ...価格:2,592円(税込、送料込)【楽天ブックスならいつでも送料無料】0011ナポレオン・ソロ2 [ ロバート・ヴォーン ]価格:3,350円(税込、送料込) テレビ・ドラマの『0011ナポレオン・ソロ(1964〜1968)』が、『コードネーム U.N.C.L.E.』として復活した。 当方が育った家庭では、夜は小学生が遅くまで起きていることは許されなかった。 テレビのスパイ番組『0011ナポレオン・ソロ(1964〜1968)』は、とっても見たかったのだけれども、日曜日の夜10時ころの放送だったから、翌日が週始まりの月曜ということもあって、あまり見ることがかなわなかった。でも、たまに見たときの印象は強く残っている。 だから、今回の映画版が、思い入れのあるオリジナル版『0011ナポレオン・ソロ』とどれくらい同じか、あるいはちがうかが、とても気になった。 昔も今も、当方には「映画の007」、「テレビの0011ナポレオン・ソロ」とう印象が強くある。スパイアクションの二大映像作品というわけだ。 1960年代に『007は殺しの番号(ドクター・ノオ)(1962)』から始まるのスパイ映画ブームが巻き起こった。このときには『電撃フリントGO!GO作戦(1966)』『サイレンサー/沈黙部隊(1966)』など、ジェームズ・ボンドの亜流亜種ともいえるヒーローが活躍する映画がシリーズでつくられ、人々に受け入れられた。 そういった数々の映画を凌駕して、「テレビの0011ナポレオン・ソロ」はとてもとても人気があった。 その理由は、スパイの「バディもの」という点で、ほかの映像作品とはちがったのだった。 たいていスパイ映画は、超然としたひとりのヒーローが活躍する。 しかし、「0011ナポレオン・ソロ」は、ナポレオン・ソロとイリヤ・クリヤキンの二人組(バディ)が敵組織と闘う様子を描いていた。 ジョーク、軽口を連発するソロとクールなイリヤ、その二人がバディ、チームとして悪に挑むと同時に、二枚看板としてシングル・プレーヤーとしても魅力があった。 「バディもの」の楽しさは、今回の映画にも確かに引き継がれていた。 テレビ番組の方はコミカルな流れがあったが、映画版でもふたりの掛け合いに客席から笑い声が聞こえた。 さて、ナポレオン・ソロを演じた俳優である。オリジナルはロバート・ボーンだ。そして今回の映画版は『マン・オブ・スティール(2013)』でスーパーマン/クラーク・ケントを演じたヘンリー・カヴィルだ。この二人の共通点は、あごが割れているところだ。じつによろしい。あごが割れていなければ、ナポレオン・ソロではない。 つぎに、イリヤ・クリヤキンを演じたのは、テレビではデビッド・マッカラム。映画版は『ローン・レンジャー(2013)』でローン・レンジャー/ジョン・リードに扮したアーミー・ハマーだ。テレビ版イリヤは、デビッド・マッカラムの金髪がセールスポイントだった。アーミー・ハマーの髪の色もそれを意識したのか? それにしてもスーパーマンとローン・レンジャー、アメリカを代表する二大ヒーローのタッグ・チームなんて、なんだかとても嬉しい。2013年夏休み映画で話題を集めた両者が、これまたソロとイリヤを演じるとは、すごい映画だぜ。 さてさて、テレビ版で異彩を放っていたのがスパイ兵器(ガジェット)だ。 ソロもイリヤも、拳銃はワルサーP38アンクルタイプを装備していた。通常のワルサーP38をアンクルのエージェント用に改造したものだ。 このアンクルタイプは、パーツを付け足すことによって、アンクルスペシャル・カービンタイプに変身する。拳銃がカービン銃に姿を変えるわけだ。これは、ほしかった。 残念ながら、今回の映画版では、ワルサーP38アンクルタイプは出てこなかった。しかし、イリアが、パーツを組み込んだような銃をもっているシーンがあった。さらに、ラストにも、組み立て式の銃の映像が映った。これは、マニア向けのサービスか? もうひとつ、映画を見ながら疑問に感じたことがあった。それは、映画の中で、CIAのソロ、KGBのイリヤといっていたことだった。 であれば、『The Man from U.N.C.L.E.』というオリジナルタイトルは意味をなさない。U.N.C.L.E.とは世界の法と秩序を守る国際機関で、ソロもイリヤもそこのエージェントであるはずだからだ。 と思っていたら、映画が進むうちにその疑問は晴れた。今回の映画は、シリーズの1作目という位置づけなのだ。 つまり、まだU.N.C.L.E.は存在しない時期の話なのだから、今回はアンクルタイプの拳銃や「オープンチャンネルD」のペン型通信機などのガジェットはまだ開発されていいないというわけ。 ということは、次回作では、U.N.C.L.E.が本格的に活動し、U.N.C.L.E.の宿敵犯罪組織スラッシュも登場するのだろうか。 期待がもてるね。 映画版『コードネーム U.N.C.L.E.』、スタイリッシュな映像と音楽で、『0011ナポレオン・ソロ』を知らない人にも楽しめます。 オリジナルにリスペクトをはらいながらも、21世紀のソロとイリヤのスパイ・バディ・チームが誕生した(映画の舞台となるのは、1960年代)。 つぎのお楽しみは『007スペクター』だ。 そういえば『0011ナポレオン・ソロ』は、007の原作者イアン・フレミングがアイデアを提供したとか、子供のころにマンガ雑誌で読んだな。映画(全般) ブログランキングへ
November 15, 2015
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】スペシャルID 特殊身分【Blu-ray】 [ アンディ・オン ]価格:4,665円(税込、送料込) ドニー・イェンのアクション映画は、逃さず見たい。 とりわけ日本のアクション監督、谷垣健治と組んだ映画は必ず見たい。 というわけで『スペシャルID 特殊身分』。 この映画はストーリーに魅力があるのではない。 「スペシャルID 特殊身分」というのが潜入捜査官に与えられたものだ。そうすると『インファナル・アフェア(2002)』みたいな、身分を明かせないとか、その逆にバレるんじゃないか、といった悲哀やサスペンスがあるのかと思ったが、それはほとんど立ち消え状態。 ひたすらドニー自身、あるいは谷垣がコーディネートした超弩級のアクション、スタントの連続で見どころであり、そこからは目が離せない。 ストーリーからは、目を離してもダイジョーブ。 まずカー・スタント、これが見応えがあった。 車道じゃないところを、椅子やテーブルを蹴散らし、人を払いのけてぶっ飛ばす、なんてのは序の口なのさ。 カークラッシュも前座だね。 見どころは、女性刑事の活躍だ。 橋の上から、眼下を走るバスに飛び乗る。ミル・マスカラスのフライング・ボディ・アタックのように手を広げて。 バスの屋根を走り抜けて、犯人の車に飛び移る。 犯人が運転席から天井に向けて銃をぶっ放せば、銃弾をよけてドアにぶら下がる。 さらに、銃撃をかいくぐって窓から車に突入だ。 そして、狭い車内で格闘と続く。 女性刑事は、女優さん本人がチャレンジしている部分もあるんだけど、スタント・ウーマンの決死のアクションに見惚れました。 まさにアクション・エンターテインメント、スタント・ウーマンの顔は絶対に見えないが、こんなスリリングなアクションを見せてくれて「ありがとうと」伝えたい。 そうして、ドニー・イェンだ。 はみだし暴走刑事、熱く母を思う息子、そんなキャラクターも、すべてはアクションをするための裏付け理由だ。 この映画のドニー・アクションがとりわけ興味深いのは、総合格闘技によるバトルにある。 対戦相手同士が構えて、パンチ、キックの打撃系で始まり、そして投げ技、固め技の組技系に移行していく。 もうカンフーじゃないんだ。 実際の総合格闘技の試合では勝負が重要な要素である。技や試合内容を見せるより、勝ち負けのかかったバトルを見せる。 だが、映画では、その逆で勝ち負けよりも、見せるための技や内容、展開を工夫した総合格闘技の闘いが見られる。もちろん、総合格闘技の試合では命のやりとりはない。しかし、映画の中では、どんなバトルでも命がけなのだから、そこにはリアルさも軽視してはならない。 ということで、ある意味じつに理想的な総合格闘技が展開するわけだ。 こんなふうにアクションに引き込まれながら映画が進んでいく。 だから、『スペシャルID 特殊身分』は、悲哀もサスペンスもいらない。 もし、ストーリーなりが充実していたら、アクションがわずかでも霞んでしまうぜ。映画 ブログランキングへ
September 13, 2015
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】キラー・トーナメント [ ジェームス・トレベナ・ブラウン ]価格:4,095円(税込、送料込) この映画の中では、中国人のエージェント、リー・サンがかっこいい。 エージェント、と本人は言っているが、いわゆる諜報員とかではない。 プロの殺し屋だ。 ある犯罪組織が、それまで使っていた殺し屋集団が不用となり、腕利きの殺し屋リー・サンを雇って壊滅を謀る。 自家用ジェットで飛来したリー・サンは一言もしゃべらない。 迎えにきた組織の車に乗るときには、無言のまま態度でドアを開けさせる。 組織のボスの説明にも、言葉で応えることはない。感情も表さない。 そして、依頼のあった仕事をこなしていく。 殺し屋集団を、ひとり、またひとりと消していく。 それも、距離をとって狙撃するなどという方法ではない。 殺し屋たちの目の前に姿を現し、素手の格闘で挑む。 ひとりの殺し屋に対しては、拳銃を奪うがそれは使わず、格闘に持ち込む。 相手をダウンさせたところで弾倉を抜いて拳銃を返す。 自分の拳銃もいったん弾倉を抜く。 弾倉を装填するところから、早撃ちの勝負をしようというのだ。 もちろん、リー・サンの勝ち。 相手が複数であっても楽勝だ。 土俵の鬼といわれた初代の若乃花は、格下の相手には土俵際まで押させて、そこから勝負に出たそうだ。 リー・サンも、裏稼業の鬼といっていい。 リー・サンの姿勢には、難しい仕事をひとりでやり遂げる能力があれば、人間関係はいらないという雰囲気が漂っている。 圧倒的な能力とそれに裏付けられた自信がある。 そして、自分が殺し屋として力を発揮することを楽しんでいる。 そんなリー・サンも、初めての強敵と遭遇する。 それがこの映画の主人公マーシャルだ。 マーシャルとの1回戦では、棒切れを腹に突き刺すものの攻めきれず、ドローとなる。 そのあと、犯罪組織のアジトに戻ったリー・サンは、ようやく口を開く。仕事を進めていく上で話す必要性が生じ、初めて言葉を発したのだ。 マーシャルが非常に手強い相手だったということがわかるというものだ。 殺し屋集団のマネージャー、セバスチャンは、リー・サンに襲われて「依頼主の倍額払う」と買収にかかる。しかし、リー・サンは「エージェントは、任務の遂行を何より優先する」と応じなかった。 犯罪組織のボスは、リー・サンを使って密かに殺し屋集団を全滅させようとしたのだが果たせず、集団でマーシャルを襲うことにした。 そして、リー・サンに「仕事をしたことにしてやるから、香港に帰れ」と言い渡す。だが、リー・サンは、「エージェントは、任務の遂行を何より優先する」とやはり応じなかった。 そのため、マーシャルを襲撃したリー・サンも、犯罪組織の集団攻撃にさらされる。 背後から撃たれ、相手に攻め込まれ、あわやというところでリー・サンはマーシャルに救われる。 ここでリー・サンはマーシャルと共闘するのかと思いきや、そんなことはしない。 最後まで「エージェントは、任務の遂行を何より優先する」リー・サンはマーシャルに挑み一敗地に塗れるのであった。 この映画、これでもかというくらい銃撃戦があって心地よかった。 が、格闘シーンが、ちょっとスローだったかな。型稽古にも見えたぞ。 日本のアクション監督谷垣健治をニュージーランドに招いてくれ。人気ブログランキングへ
June 14, 2015
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【送料無料】狼よさらば・地獄のリベンジャー [ チャールズ・ブロンソン ]価格:1,385円(税5%込、送料込) 我々の世代にとって、チャールズ・ブロンソンは「ウーン、マンダム」である。 ジェリー・ウォレスの歌う「マンダム〜男の世界」である。 1970年のヒット曲だが、今でも英語で歌える。 そして、チャールズ・ブロンソンは、男臭いスターとして一躍有名になった。 (対抗して女臭いスターといわれたのはカレン・ブラックだが、それはあまり知られてないかも) その割には、チャールズ・ブロンソンの映画はあまり見ていなかった。 テレビで『大脱走(1963)』や『荒野の七人(1966)』をよく放映していた。しかし、そこからはブロンソンの男臭さはあまり感じられなかった。 新聞のテレビ欄に深夜映画で『赤い矢(1957)』出演者チャールズ・ブロンソンの文字を発見し、がんばって見てみたが、ブロンソンは端役で期待の男臭さはなかった。マンダムで売れていたから、新聞の映画欄には主役のようにその名を載せたのだろう。 初めて映画館でブロンソンを見たのは『レッド・サン(1971)』だった。三船敏郎、アラン・ドロンとともに三大スター揃い踏みと前評判は高かったが、ブロンソンからエモーションを揺さぶられるようなことはなかった。 その直後、『燃えよ、ドラゴン(1973)』が公開される。 そして、日本全土の男の子がブルース・リーに強く影響を受けるわけだ。 ブルース・リーは、肉体的な強さも、精神性も、スクリーン上にあった、本質的なところを理解したかどうかは別にしても。 おそらく、チャールズ・ブロンソンに対しても、男臭さ、男らしさといった言葉に託された見習うべきモデルとなるもの、カリスマ的なものを期待していたのだろうが、残念ながらブロンソンの映画で出会うことはなかった。 そうこうするうちに、テレビで映画監督大林宣彦のトーク番組を見た。 大林監督は、ブロンソンを起用してマンダムのCMを撮った人だ。 その大林監督が、番組の中でつぎのように言っていた。 「チャールズ・ブロンソンは、チャールズ・ブロンソンが出演するような映画は見ないそうだ」 つまり、ブロンソン自身が、ブロンソンの出演するB級アクション映画なんて低俗だから見ないと大林監督に語ったとのこと。自分は、普段、もっと高尚な映画を見ていると。 そうだったのか。 そして、単純にもこう思ってしまった。ブロンソンの出演する映画は見る必要なし、と。 それから、一種の食わず嫌い状態で、チャールズ・ブロンソンの映画は見なかった。 しかし、最近『Death Wish』シリーズが当方のアンテナにひっかかってきた。 それで、第一作の『狼よさらば』を見てみた。 そうしたら、これがなかなか見応えがあった。 設計技師のポール・カージーは、留守宅を三人組の強盗に襲われる。そして妻を殺され、娘は暴行されてしまう。 となると、このポール・カージーが復讐をする話だな、と思うわけだ。 特に、三人組の一人がジェフ・ ゴールドブラムだから、犯人にいい配役をもってきているという印象もその推測を助長した。 その割には犯人がしょぼいんだ。男チャールズ・ブロンソンが追い詰める相手にしてはいかにもただのチンピラで、存在感が薄い奴らなんだ。 悪者が強ければ、復讐も盛り上がる。しかし、この相手じゃあ盛り上がらないな、と思って見ていたら、それから三人組は一切登場しない。犯人は見つからず、迷宮入りをしちゃうわけ。 じゃあ、映画のストーリーはどうなんだといえば、ブロンソン=ポール・カージーが、街のダニどもを人知れず処刑していく話なんだ、これが。復讐するべき相手が分からないから、悪人どもをつぎつぎに殺して、憂さ晴らしというかもって行き場のない気持ちをぶつけているわけ。 だが、ブロンソン=ポール・カージーの行為で多少なりとも街の治安がよくなり、人々は勇気づけられて泣き寝入りしないで悪に立ち向かうようにもなる。 そして、警察は、ブロンソン=ポール・カージーの存在を突き止め、追うことになる。殺されるのが悪人どもとはいえ、殺人を許していくわけにはいかないのだから。 つまり、この映画は、復讐を達成するのがゴールなのではなく、ブロンソン=ポール・カージーが警察に捕まるかどうかが興味のポイントとなる。その警察も、ブロンソン=ポール・カージーの行為を、犯罪とするか、それとも見て見ぬふりをするかと困惑する面がある。 これは意表を突いた展開だし、一筋縄ではいかない葛藤もある。 この後、『Death Wish』シリーズはクオリティが下がっていくようだが、そこを見届けたいと思うのがマニアック。 まあ、コスプレのない『キック・アス』だね。人気ブログランキングへ
March 2, 2014
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新入荷続々♪メール便180円♪宅配便350円♪6000円以上で送料無料♪SALE OFF!新品北米版Blu-ray...価格:4,490円(税込、送料別) 『ザ・レイド』はインドネシアの映画だ。 インドネシア映画といえば、『『スネーク・ターミネーター 蛇女は2度死ぬ(1987)』を見たことがある。ホラー映画で、蛇女がマシンガンをぶっ放したり、ロケット弾で攻撃され全身丸焼けになっても、何事もなかったかのように向かってくる。そう、シュワルツェネッガーのターミネーターのアンドロイドを蛇女に置き換えたお話。 かつて、香港映画や東南アジアの映画などは、隙だらけでゆるかった。 しかし、今はちがうね。 『ザ・レイド』、よく作り込んである。 まず、状況設定がいい。 麻薬王とギャング団の巣窟となっているビルに警察隊が突入する。 住人は全部悪者だから、激しい銃撃戦が展開する。 『エクスペンタブルズ2(2012)』は、矢鱈と人を殺し過ぎという印象をもってしまったが、『ザ・レイド』は警官隊もギャング団も殺し合わないではいられない。 そして、前半は激しい銃撃戦、後半は格闘技戦という流れもアクション満喫だった。 例えば、香港のアクション映画では、主人公はもちろん悪党集団もみんなカンフーで闘う。道場の抗争を描くカンフー映画ならまだしも、そんなにみんながカンフーできるのって思っちゃうことがある。 外国人からすると、日本人はみんな柔道や空手、剣道などの武道を心得ていると勘違いされている場合もあるらしいが、そんなことはない。 『ザ・レイズ』においては、主人公が格闘技に長けている。悪党に格闘技の達人がいる。そして、悪党集団がみんな一定レベルの格闘技者なのだ。このギャング団は、格闘技の研修が義務づけられているのかもしれない。 絵的には非常に躍動感がある。 任侠映画の高倉健の殴り込みの方が、剣の技とかではない素の喧嘩っぽさがあった。 いずれにしても、迫力があり、緊張感があり、だれる間もなく映画が終わった。 アクション映画の衝撃波がインドネシアから伝搬してきた。 とはいっても、見終わって、おもしろかった、楽しかった、というものではなかった。 高倉健の任侠映画の方が、エモーションを刺激された。人気ブログランキングへ
October 28, 2012
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★映画チラシ★エクスペンダブルズ2/シルベスタースタローン:楽オク中古品価格:100円(税込、送料別) スタローン、ウィリス、シュワルツェネッガーといえば、アクション御三家といわれたもんだ。 さらに、ドルフ・ラングレン、チャック・ノリス、ジャン=クロード・ヴァン・ダムは、B級アクション御三家だった。 アクション・オールスターズが勢揃いときたもんだ。豪勢な映画だ。 それぞれがもう単独主演が難しいからとはいわないぞ。ジェイソン・ステイサムもいるからね。 その中で、ヴァン・ダムだけが悪役だった。 ヴァン・ダムもヒーローチームに入りたかったのではないか。 プロデューサー(以下P)「ヴァン・ダムさん、ひとつここは悪役で」 ヴァン・ダム(以下V)「おれ、悪役やったことないんだよね」 P「『レプリカント(2001)』よかったよぉ」 V「あれは二役でヒーローもやったじゃない」 P「いやいや、このメンツでヒーロー側に出ちゃったら、目立たないよ」 V「でもなあ」 P「ここはひとつ悪役で。ヒース・レジャーなんてジョーカー役で大好評だったじゃない」 V「でもなあ」 P「よし、クライマックスで、スタローンとの一騎打ち入れよう。いいだろう、メインイベントだ」 V「そ、そうかぁ」 なんてやりとりがあったかどうかは知らないが。 その一騎打ち、ロッキー対ストリート・ファイターのバトルもいいのだが、チャック・ノリス対ヴァン・ダムの格闘家対決も見たかった。あるいはシュワルツェネッガー対ヴァン・ダムのプレデター対決とか。 みんなヴァン・ダムがらみだね。股割見たかった。 さらなる夢の対決、『エクスペンダブルズ3』に期待しまっせ。人気ブログランキングへ
October 21, 2012
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★光沢があります★[初版・映画ポスター] バイオハザード 4 アフターライフ [REG-DS glossy]価格:5,600円(税込、送料別) 映画『バイオハザード』シリーズは、全部見ているし、ノベライズも読んでいる。ゾンビは、好きではない。モンスター、クリーチャーとして、魅力を感じないからだ。ゲームは勿論しない。 では、なんで映画『バイオハザード』をコンプリートしているかといえば、習性なのだ。映画『バイオハザード』の世界に足を踏み入れてしまったわけ。時間があれば、角川ホラー文庫版のゲーム・ノベライズも読んでみたい。 ノベライズが出版されていないのが残念な『バイオハザード4』だが、公開と同時に見た。本当は先行ロードショーに行きたかったくらいだ。 ストーリー的には、盛り上がりに欠けていた。問題提示と問題解決がボヤっとしている。けど、こんなものでしょう。 しかし、スローモーションを多用した3Dアクションは、視覚的に楽しかった。かつては映画のガン・ファイト・シーンで、拳銃から薬莢が飛び出すことはなかった。いつの頃からか、リアルな映像が導入されるようになった。この映画でも、薬莢が飛びまくる。そんなところがスローモーション、3Dでじっくり見ることができて嬉しかったりして。 さらに、『バイオハザード3(2007)』に続いて登場のクレアが活躍する。処刑バジニとのバトルでは、追ってくるバジニをサマーソルトで交わす。これは『3』で主人公アリスも見せた技だ。 そして、意外な場面でシエンナ・ギロリー扮するジル・バレンタインが姿を見せる。『バイオハザード2(2002)』で大活躍したジルの印象は強烈だった。アリスと二枚看板を貼るほどだ。今回はほんの顔見せ程度で、次回に繋ぐという演出だ。 それでまた『5』を楽しみにしちゃうんだよな。
September 12, 2010
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雷神 RAIJIN価格:3,591円(税込、送料別) ぼくは、スーパーヒーローのファンなので、スティーブン・セガールの映画をよく見る。 セガールが、マスクを被りマントを纏うということはない。空を飛び、車を持ち上げるといこともしない。 でも、セガールは、超人スーパーヒーローなのだ。 まず、セガールは強い。 『雷神―RAIJIN―』では、刑事セガールが、チンピラ連中を徹底的にぶちのめす。前歯がごっそり抜けるほどに。このチンピラ達はあんまりストーリーにからんでこない。通りすがりのようなもの。ライオンはウサギを狩るときにも全力を尽くす。セガールは、端役相手に全力で見せ場をつくる。 つぎに、セガールは別格である。 酒場で、セガールから挑発して悪漢と撃ち合いになる。店内には客がいるんだけどね。悪漢の流れ弾がつぎつぎに客を襲い、一人二人と倒れていく。さすがにスーパーヒーローセガールの撃った弾丸が客にあたることはない。 しかし、「ここは危ない。外に出ろ」って怒鳴るのが遅すぎる。 自分は一般市民を撃たないという自信があったのだろう。でも、警官としての安全配慮を度外視するセガールは、やっぱり別格の特別扱いである。 強く別格のセガールが、ついに最強最悪の敵をぶっ倒す。肉弾戦の格闘になり、相手が弱ってきても、これでもかこれでもかと攻撃の手を緩めない。その方法は、金槌で手足の関節を打ち砕いていくのだ。駆け付けた制服警官が見かねて止めました。 事件が解決すると、過剰暴力の責任を問われることもなく、置手紙を残していずこともなく去っていくセガール。 公僕である警察官らしからぬ行動を平然と行うセガール。あのアウトロー刑事ダーティーハリーだって、行きすぎやりすぎの捜査などで何回か配置転換などの処分を受けている。 でも、スーパーヒーローは、自分の仕事が終われば速やかにその場を立ち去るものだ。じつにセガールには、スーパーヒーローとしての振る舞いがよく似合う。 そして、この後の映画のエンディングが、セガールの真骨頂だ。 姿を消したセガールが再び現れたのはとある豪邸。そこでセガールを出迎える美女と子供達。得に説明はないが妻であろう美女は、子供をベビーシッターに預けると、さっそくセガールをベッドに誘う。 しがない公務員であったはずの刑事セガールには、こんな隠れたセレブの姿があったのか。知らなかった。 この突拍子もない展開こそ、スーパーヒーローだ。荒唐無稽大好き。 スティーブン・セガールには、マスクもマントもいらない。
June 27, 2010
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クエンティン・タランティーノ監督の『キル・ビルvol.1(2003)』『キル・ビルvol.2(2004)』は、必死に時間をつくって映画館へ見に行った。 しかし、『イングロリアス・バスターズ』は、見に行きたいと思いつつも、今回は劇場には行けなかった。だから、DVDのレンタルが開始され、棚に一枚だけディスクが残っていたときにはラッキー! 主演は大スターブラッド・ピットだから、ブラッド・ピットが大活躍する映画かと思った。ストーリー展開を追いながら、ブラビが対ナチスの必殺仕事人みたいな話なのかなぁと見ていた。タイトルのイングロリアス・バスターズというのは、ナチス皆殺しのための連合軍秘密部隊のことだから。 そうしたら、クライマックスのプレミア作戦決行中に、ブラピはあっさり捕らえられてしまうではないか。 映画は、バスターズのナチス殺しと同時に、ナチスに家族を殺された女性の話が進行する。プレミア作戦では、そちらの女性の復讐がメインとなっていき、それはそれで美しい映像が綴られる。 しかし、いい味出しているのは、“ユダヤ・ハンター”ハンス・ランダ大佐だ。演じたクリストフ・ヴァルツは、アカデミー賞助演男優賞を取ったそうだが、それも頷ける。なんて偉そうな言い方は失礼かもしれない。 ハンス・ランダ大佐は、相手の心理を読み、落ち着いて段取りを踏んで、巧妙にいやらしく人を追いつめていく。さらに、国家への忠誠心とかはまるでない。ナチス・ドイツのために職務を果たしているのかと思いきや、あっさりと裏切る。徹底して自分の利益だけを計算している。 そして、連合軍必殺仕事人ブラビは……、おっとネタバレするところだった。八面六臂の大活躍とはいかなかったが、主役らしいカタルシスを提供してくれた。 ブラビも、イタリア人に扮するなど、味のある演技を見せたし。 『キル・ビル』と同じように、『イングロリアス・バスターズ』も数々の映画にオマージュが捧げられている、らしい。『キル・ビル』は割合とわかったけれど、今回はピンとくるものはあんまりなかった。残念。けど、音楽はわかったぞ。『荒野の1ドル銀貨』やデビッド・ボウイの歌う『キャット・ピープル』の主題歌など。 それから、けっこう長いシーンがあって、ちょっと飽きるかなぁって頃に、え~!どうなっちゃうんだぁ?とサスペンスが盛り上がってくるのも、タラちゃんならでは。
May 17, 2010
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こんな貴重なDVDが出ているとは知らなかった。「東映特撮ヒーロー THE MOVIE」 以前は朝日ソノラマ社の雑誌「宇宙船」を定期購読していたので、そこから特撮、ヒーロー系のビデオやCDの情報には明るかったけど。 「東映特撮ヒーロー THE MOVIE」は、「キャプテン・ウルトラ(1967)」「仮面の忍者赤影(1969)」を始めとした懐かしいテレビの特撮番組の劇場公開版を集めたDVDだ。 私にとってテレビは、映画の代替品だった。映画館で映像を見るのが本来の姿であり、落ち着けるスタイルなのだ、と思う。テレビ・シリーズからのブロウアップ版(一度テレビで放映されているもの)であっても、簡易映像機のテレビを抜け出して映画館の大スクリーンで特撮ヒーローの活躍を見ると、とてもゴージャスな気分だったね。劇場用のオリジナル版だったらなおさらいい。 その中からここでは「スパイキャッチャーJ3SOS危機一発 (1966)」について語っちゃう。国際謀略叛乱グループと戦う国際秘密警察の日本支部員J3の活躍を描いたスパイ・アクションシリーズだ。 この時期は、「007は殺しの番号(1962)」の大ヒットにより、世界中でスパイ映画がつくられていた。大ブームの中で「スパイキャッチャーJ3」は、テレビの子供向き30分番組として放送されたのだ。同時に雑誌「ぼくら」にもマンガが掲載されていたのも覚えている。 007旋風にまともに飲み込まれた私は、「J3」も見ていた。映画の007に比べると、スケールダウンにはついていけなかったけど。 今回、35年ぶりに見て、まず配役の豪華さには驚いた。J3に川津祐介、ほかに江原真二郎、丹波哲郎、根岸明美、室田日出男、そして城野ゆきも出演していた。城野ゆきは、「キャプテン・ウルトラ」のアカネ隊員として印象深い女優さん。この顔ぶれは、子供番組とは思えない。 さて、本家007は、アクション、秘密兵器、美女にモテモテ等が売り物だ。アクション、秘密兵器などは子供も喜ぶ。美女については、子供番組だから、もちろんラブシーンなどはない。でも、やっぱりJ3も謎の女性とかかわり、微妙な心の通い合いを表現している。子供向けとはいえ、粋な演出をするもんだ。 さて、スパイとは冷静沈着でなければならない。動揺したり、すぐに感情が顔に出たりしてはいけないはず。ところが、J3は、敵から疑いの目を向けられると、大袈裟に警戒の表情をする。疑いが晴れると、はっきりと安堵する。じつに内面を分かりやすく表現している。やっぱり子供向けだから。 本家007の代表的な秘密兵器といえばアストンマーチンなどのボンド・カーだ。J3も特殊装備をしつらえたシボレー・コルベットスティングレイを駆使する。なんとJ3のスティングレイは、エアクラフトで空中に舞い上がるのだ。しかし、この映画の中では、同一場面なのに、カットによって車の色が変わってしまうのだ。 この映画でJ3は、おそらく白のスティングレイに乗っている。しかし、番組の初期の頃は濃い色の付いたスティングレイだった(モノクロ映像だから、何色かは分からない)。多分、特撮場面として撮りだめしておいたフィルムを使い回したため、車の色が変わってしまったのだろう。 さらに、同一場面で拳銃が変わってしまうこともあった。根岸明美のマダムXが潜入者にオートマチック銃を向ける。しかし、発砲するカットではリボルバーを手にしており、撃ち終わったらまたオートマチックを握っているのだ。なんでこんなことになったのか。もっと後になってマダムXの2回目の銃撃シーンがある。そこではリボルバーを使用している。つまり、2回目の発砲カットが1回目の発砲カットと間違って編集されてしまったというわけだ。 こういった不注意が起こったのも、子供向きだからなんだろうか? ところが、本家007の映画でも、ときどきあるんだな。 「007サンダーボール作戦(1965)」では、クライマックスの海中格闘シーンで、ボンドの水中マスクの色がカットによって変わる。それから、よく話題になるのは「007ダイヤモンドは永遠に(1971)」だけど、車の片輪走行でビルの谷間を通り抜けると、出てきたときは傾いている向きが逆になっているシーンがある。 そういえば「闘え!ドラゴン(1974)」というテレビ番組があった。この頃は「燃えよドラゴン(1973)」が大ヒットしてカンフー映画の大ブームが起こっていた。この番組は、ブームを受けて和製ドラゴン倉田保昭が活躍する30分の子供向けカンフー番組だった。
January 23, 2010
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満たされない貧弱な日常生活を送っていた者が、じつは特殊能力をもち、特別な使命を帯びていた、こういった話の展開は大好きだ。いかにも虚構の世界です。 東映映画、実写版「黄金バット(1966)」では、冒頭天体マニアの少年が惑星イカロスの地球接近を警告する(が、信じてもらえない)。ところが少年は、何者かに拉致されてしまいました。そして、連れて行かれた先が国連秘密研究所。じつは少年は、才能をかわれてスカウトされたのだった、という展開がありました。ぼくも、誰か拉致して、地球規模の重要な役割を背負わせてくれないか、と思ったものです。 「ウォンテッド」でも、ウェスリーは惨めな日常生活を送っていました。ところが、彼は、父の才能を受け継いだ希代の殺し屋であることがわかります。そして連れて行かれた先が、西洋版大規模必殺仕掛人組織みたいなところでした。 これは好みの滑り出しです。 この映画、CGを駆使したガンアクション、カーアクションが、映画らしいぶっとんだ虚構世界を見せてくれるのも楽しい。 たとえば、とんでもない遠距離から三段ロケット式の弾丸が飛んできて、標的の頭にあたります。あるいは、併走する車に乗っている標的を射殺しようとしたが、防弾ガラスだった。そんなもんで、横回転で相手の車を飛び越えて、開いているサンルーフから弾丸をぶち込みました。などなど。 ですが、残念なことに、ボクは途中からペースダウンしてしまいました。 まず、アンジェリーナ・ジョリー。「トゥームレイダー(2001)」のララ・クロフトは、なんとも魅力的なお顔立ちでした。父親のジョン・ヴォイドがスクリーンに顔を出すと、否が応でも「似ている」と思わざるを得なく、女版ジョン・ヴォイドが気持ち悪くもあったのですが、それでも溌剌とした表情に引きつけられるものがありました(どっちなんだ!?) しかし、「ウォンテッド」のアンジェリーナ・ジェリーは、厚化粧で頬がこけて、なんだか魅力薄。これがまず、第一の難点でした。 つぎに、CGによるあり得ない映像は嬉しいのですが、だからといって何をしてもいいというわけではありません。 ウェスリーは、疾走する特急列車の中で父を殺した男を追いつめ、撃ち合いとなります。その影響で列車が谷間にかかるや、列車は脱線し、車両が千尋の谷底に落ちていきます。 これは、特撮映画ののりです。「宇宙大戦争(1959)」では、宇宙人ナタールが、山間の鉄橋を空中高く舞い上げてしまい、おりしもやってきた特急列車が谷底に転落してしまいました。こういったスペクタクル・シーンは、宇宙人や怪獣などの超常的な存在が及ぼす大惨事であってこそ、相応の手応えがあるっていうものです。 「ウォンテッド」と同じように、CGによる派手なアクションを見せてくれたのは「シューテム・アップ(2007)」。こちらは日常の範囲内で、非日常的なアクションを見せてくれました。つまり、物事の程をわきまえていたといえるでしょう。だから、ありえない映像でも違和感がありませんでした。「ウォンテッド」は、映画のジャンルから飛躍しすぎたのではないかと思います。 さらに、ストーリー展開的にいえば、せっかく闇の暗殺組織にいながら、内部紛争にしてしまったところが誠に残念。やっぱり、社会に害なす強大な悪を成敗するような話にしてほしかったな。人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。
March 7, 2009
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デッドヒートのカーアクション、屋根から屋根に飛び移りガラス屋根を突き破って落下、バイクで停泊中の船から船へと八層跳び、モーターボートによる追跡と激突。そして、建物の窓からバスの屋根に飛び乗るに至っては、ジェームズ・ボンドではなくてジャッキー・チェンじゃありませんか。 いやはや007映画って、こんなにド派手なアクションが多かったっけ? そう思うのは、従来の007映画にあったものがないからです。新兵器、秘密兵器の類が登場しない。毎回リニューアルされていたボンド・カーも姿を見せない。そして、敵の大要塞秘密基地もないばかりか、今回はボンド・ガールとのベッドシーンもなかったぞ。 そういうふうなこれまでの007映画の見せ場がないから、ジェッキー・チェンばりのアクションの釣瓶打ちを前面に押し出したのでしょう。 「慰めの報酬」はつぎのような印象です。コーラが飲みたくなって口をつけたらなんだか味が変。おかしいな、と思ってよく見たらダイエット・タイプだった!ダイエット・タイプは、体にはいいのかもしれないけれど、コーラ本来の味じゃない。 同じように「慰めの報酬」あるいは前作の「カジノ・ロワイヤル」も、007映画のはずなのだけど何か変。リアルなスパイ・アクションを志向し、人間ボンドを描こうとしているのかもしれませんが、007の味がしない。 007は、秘密情報部員です。秘密ってことは、一般の人には知られていません。007なんていう番号で呼ばれていること自体が、いかにも世間から隔絶されている。隠されているから、勝手に夢は膨らませてしまっていいのです。 自由気ままな空想から、殺しの許可証や秘密兵器を搭載したボンド・カー、一目見た瞬間に美女が恋に落ちるモテモテ男であるといった設定が生まれました。その結果、観客は、現実にはありえない007の世界を楽しむことができました。 確かに、ハードなアクションも、現実には見られない映画ならではのものです。しかし、最近の007映画は現実に近い延長線上に位置しています。ボクが見たいのは、現実をできるだけ遠くの可能性にまで引き延ばしてくれる映画です。007映画は、スーパーエージェント、秘密兵器、大要塞、国際陰謀団などの非現実的なギミックに、確かな楽しさを感じさせてくれました。 ボクは、現実からはみだした世界が好きなので、007以外にもプロレスの熱狂的なファンでした。だけど、プロレスは、ショーだとか八百長だとか、とにかく世間からは胡散臭いものとして見られがちです。 大人になってからの話ですが、自分としては正直に「プロレスが好きなんです」と言ってしまったら、会話していた年輩者が飲みかけのコーヒーをプーッと吹き出したことがありました。「プっプロレスですかぁ?」てな具合に。 また、別のときには、つい気を許して「アメリカに行って、本場のプロレスを見たい」と発言したら「何が悲しくてアメリカまでプロレスを見に行かなくちゃ行けないの?」と人を哀れむ目つきで見られました。 自分が心底好きなものでも、世間一般からは価値が低いと見られているのだと分かりました。 そこからアントニオ猪木は「プロレスに市民権を!」と叫びました。プロレス少年だったボクは、「そうだ!」と強く共鳴しました。プロレスの魅力を、多くの人々にもっと理解してほしい。まあ、青かったのですね。 プロレスが一般新聞のスポーツ欄にも掲載されるようになるといい。そのためには、スポーツとしてのプロレスを前面に出さなければなりません。力と技の、いわゆるストロング・スタイルの試合をすれば、世間も認めてくれるだろうと考えました。 しかし、プロレスでエキサイトするのは、クリーンな力と技の攻防だけではありません。例えば、生傷男と呼ばれたディック・ザ・ブルーザーは、リング上だけでなく、場外乱闘に持ち込んで椅子や鉄柱まで使い、ルール無視で徹底的に相手を痛めつけます。文句なしに強い。 対するアントニオ猪木やジャイアント馬場は、ブルーザーの無法ファイトにやられっぱなしでしたが、流血にもじっと耐えて、ついに反撃の糸口をつかむと一気呵成に凶悪レスラーに立ち向かっていきました。その姿にプロレスの醍醐味を感じるのです。 もし、プロレスを完全にスポーツとしたときには、場外乱闘や反則攻撃などが許されるわけがありません。つまり、スポーツライクなプロレスになれば、それまで許容範囲だった枠が狭まり、プロレスの魅力は半減してしまうことになると気付きました。 やっぱりプロレスは、覆面や凶器などのギミックがあってこそおもしろい。リアル・ファイトといわれる総合格闘技より、プロレスの方がずっと奥深い。 最近の007映画は、荒唐無稽、非現実的な内容ではなくなってきました。リアル・フィアトといえるでしょう。しかし、ボンド・カーその他の新兵器や国際陰謀団の要塞秘密基地などのギミックの出てこない007は、独特の魅力がなくなってつまらない。 本編が終了してから、007映画お馴染みの、ジェームズ・ボンドが敵の銃口に向けて撃ち込む定番のシーンが映し出され、つぎにジェームズ・ボンドのテーマが鳴り響きました。そこで、ようやく「これは007映画なのだ」と感じた次第です。 もしこの作風で今後も007映画がつくられるのなら、かつてのジェームズ・ボンドの影響が濃い「0011ナポレオン・ソロ」や「電撃フリント」などに復活してもらいたい。ソロよ、フリントよ、そしてマット・ヘルムも、007がリアルに走っている今こそがチャンスだぞ!人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。
January 24, 2009
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痛快無比のガンアクション!これはいい。 冒頭、唐突に生のニンジンをまるかじりする外国人のアップが登場しました。ボクは、映画が始まる前のコマーシャルかと思ってしまいました。一時期、映画館でよくやっていましたよね。ニューヨークなどを背景にしたキューピーマヨネーズのコマーシャル。 しかし、本編は始まっていた。このニンジン大好き男こそ、主人公のミスター・スミス(本名不明)なのです。 スミスの前を通過する苦しげな妊婦。そして、それを追う拳銃を携えた怪しげな男。 放っておこうとするのだが、放っておけないスミスは、彼らの後を追います。妊婦を助けようとして、いきなり始まる銃撃戦。その最中に赤ん坊が生まれ、妊婦は流れ弾にあたって死んでしまいます。 生まれたばかりの赤ん坊も、命を狙われている。その子を助けて逃走劇を繰り広げるスミスのお話なのです。 赤ん坊といえば、かつて日本映画の座頭市が乳飲み子を懐に抱えて、華麗なる殺陣を見せてくれました。「座頭市血笑旅(1964)」です。市は、自分とまちがえて殺された母親のから赤ん坊を預かります。そして、赤ん坊と旅をしながら、襲い来る敵やくざ勢を、見事な居合い斬りでバッタバッタとなぎ倒しました。 同じように、スミスも、赤ん坊を抱えて派手なガンファイトを披露してくれたのです。 実際のところスミスは、二度ほど赤ん坊を置き去りにしようとしました。けれど、自分とは縁もゆかりもない、名前さえ知らない妊婦を助け出そうとしたスミスです。やっぱり赤ん坊のことも捨ててはおけません。 スミスは、軍の特殊部隊にいたらしい。だからとびきり強くクールなわけです。 そんなスミスなのですが、ネズミや犬など動物が大好き。動物からも好かれます。それと、自室ではニンジンを栽培しています。はたまた、マナー違反を許しません。高級車に乗ったセレブが、危険な追い越しをしたり、路上にゴミを捨てたりするようなところを見れば、こっぴどくお仕置きをします。カッコよく強いばかりではないのです。ここらあたりに彼の性格は、とっても微笑ましい。 この映画のストーリーには、銃規制法と銃の会社がからむので、とにかくスミスも敵もめったやたらに銃を撃ちまくります。あの手この手のガンアクションとスピーディな展開に乗せられます。 だから、細かいことは全然気になりません。 首が据わっていない生まれたての赤ん坊を小脇に抱きかかえ、ビルからビルへとスミスは飛び移ります。そればかりか、新生児に離乳食を食べさせます。さらに、敵をおびき寄せ、車で激走してきた悪漢が泣き声を上げる赤ん坊を轢き殺したと思ったら、精巧に出来たダミー人形だったとか。いつのまにそんなもの手に入れたんじゃ。 まだまだ楽しいご都合主義の釣瓶打ちです。 映画を見ていて、座頭市とともに思い出したのが、マカロニ・ウエスタンです。劇中のベン、ベンなどと鳴り響くエレキ・ギターから、マカロニの雰囲気を味わいました。そして、スミスは、仕掛け・からくりの名手なのです。自宅では、天井から吊されたひもを引っ張ると、あちこちの電灯がついたりします。その特技を使って、倉庫のいたるところに銃をセットし、スミスがひもを引くと次々に火を噴くように仕掛けました。多勢に無勢、襲いかかる大勢の敵を向こうに回し、一人立ち向かうスミスは、仕掛け銃で弾丸のシャワーを浴びせかけたのです。 ここでボクは「続・荒野の用心棒(1965)」を想起しました。主人公ジャンゴは、敵の大軍勢に対して不敵に一人で立ち向かっていきます。どう闘うつもりなのか。と、彼は、棺桶の中からガトリング式のマシンガンを取り出し、ガガガガガと乱れ撃ち。当時マシンガンは、最新兵器だったのです。まさかそんなものをジャンゴがもっているとは、誰も(観客も)思わない。まさに奇襲攻撃でした。 何よりもマカロニを感じさせたのは、リンチ・シーンです。マカロニ・ウエスタンでは、主人公は必ず敵に捕まりひどいリンチを受けます。「荒野の用心棒(1964)」では、クリント・イーストウッド扮するジョーが凄惨なリンチを受けました。ラモン一味は、「生まれてこなければよかったと思わせてやるぜ」と、ジョーをいたぶり続けました。 「シューテム・アップ」のスミスも、終盤で悪漢に捕まってリンチを受けます。なんと、手の指を一本一本折られてしまいます。 「続・荒野の用心棒」では主人公ジャンゴが、凄腕の拳銃を握れないように手を潰されました。しかし、ジャンゴは、墓標を使っての必殺十字撃ちで居並ぶ敵をなぎ倒しました。 スミスも、あっという奇策で(ここでは明記しません)弾丸を発射し、起死回生の勝利を呼び込みました。 さらに、ラスト、スミスは、娼婦ドンナに預けた赤ん坊を探してレストランにたどり着きます。ちょうどそこに強盗が襲ってきました。スミスは、懐からニンジンを取り出すと、引き金につっこみ、必殺のニンジン撃ち! 「シューテム・アップ」があまりにも衝撃的だったので、見終わった後に、もっとアクション映画が見たくなりました。「ヒットマン(2007)」はなかなかおもしろかったけど、「リボルバー(2005)」はなんじゃこれ?とにかく「シューテム・アップ」は抜群!これから、スミスの着ていたようなコートを買いに行きます。こちらのブログもどうぞヨロシク。人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。
November 24, 2008
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仮面のヒーローが超能力をもっていたり、超人だったりするとは限りません。普通の人間なのだけれど、仮面をかぶっているという場合もあります。 超能力をもっている、あるいは超人の仮面のヒーローといえば、スパイダーマンや仮面ライダーなどです。仮面ライダーの場合は、“改造人間”と呼称されますが、まあ超人の一種ととらえていいでしょう。 それに対して、仮面の中味が普通の人であるのは、バットマン、怪傑ゾロ、仮面の忍者赤影などです。 普通の人といっても、そこらあたりのにいちゃんやおっさんが仮面をつけているわけではありません。空を飛んだり、体当たりでコンクリートをぶち抜いたりするような体の仕組みにはなっていないけれど、一般人と比べればはるかに強い。 どうして普通の人なのに、そんなに強いのか。 バットマンは、まずなんといっても大富豪です。だから、装備や武器、車などにすっごくお金がかけられるのです。普通の人がもっていないような装備、武器、車をもっているから-それらは、バットシグナル、バットラング、バットモービルなど、バットの名称がついた特別製-バットマンは強い。また、「バットマン・ビギンズ(2005)」を見ると、常人では考えられないような鍛え方をしている。だから、強い。 怪傑ゾロは、「マスク・オブ・ゾロ(1998)」や「レジェンド・オブ・ゾロ(2005)」を見ると、剣の達人であり、天性の運動神経ももっているようです。もちろん、厳しい鍛錬もして、強くなっているのでしょうが。 仮面の忍者赤影は、その名が示すように忍者です。忍者は、普通の人間でありながら、一般人が行わないような特殊でハードな修行を積み、特殊な技術を身に付け、強くなります(とはいっても、たいていの忍者は覆面姿で正体を隠しているものであり、仮面の忍者という屋上屋を架すような忍者はごく希な存在ですが)。 以上、仮面のヒーローは、普通の人である場合でも、常人以上の能力をもっていると言えます。どこにでもいるにいちゃんやおっさんが仮面を被ったとしても、悪と闘ったら負けてしまいますものね。 「ザ・クラウン 地獄の道化師」では、刑事マックス・ザンダーがピエロ(道化)の仮面をかぶって闇のヒーロー“ザ・クラウン”に返信します。ちなみにピエロはフランス語で、クラウンは英語。どちらも道化師のことです。 なぜ刑事マックスが、仮面を被ることになったのかといいますと、悪党との銃撃戦で幼なじみの同僚刑事を殺されてしまいます。その事件に疑問をもったマックスは、警察内部にスパイがいるのではないかと推理します。そこで正体を隠し、独自に捜査及びリベンジをしようと決意したというわけです。 この刑事マックス、じつは並みの刑事ではありません。軍隊で特殊な訓練を受け、国際諜報警察(WIPA)に所属する優秀な警官なのです。犯罪組織を偵察する任務をおびて、デュッセルドルフの警察に配属されたのでした(「ザ・クラウン」はドイツのテレビ映画)。 この経歴だったらば、仮面のヒーローの資格は十分といえるでしょう。 そのマックスが被るのは、なんとピエロの仮面なのです。ピエロはもともと笑いをとる者です。ピエロの顔つきとスーパーポリスとのミスマッチ感が、味のある仮面のヒーローを演出すると考えたのでしょうか。もともとピエロは、濃いメイクのために、不気味な感じがあります。スティーヴン・キングの「IT」には、人間の弱みにつけ込む悪魔のピエロが出てきました。怪人二十面相も、ピエロに化けていたような気がします。 しかし、マックスか着用するのは仮面というよりお面です。夜店で売っているキャラクターのお面のようにゴムがついているのですから。また、そのお面はサーカス用品を売り歩いていた人の遺品なのです。サーカス用品ってそんなに需要があるのでしょうか。ドイツのお話ですから、あるいはあるのかもしれません。 特別な物をしつらえて変身するバットマンなどが荒唐無稽だとするならば、サーカス用品のお面にしろ、身近な物で正体を隠すそのお手軽感が、リアルといえばリアルなんです。 さて、このテレビ映画の凄いところは、火薬や銃弾の量とアクションです。まだ、ザ・クラウンに変身することが念頭にない時期のマックスが、トラックの上に立って敵と向かいあいます。そこを狙って、バズーカ砲がぶっ放されるのです。間一髪ジャンプして逃れるマックス。大爆発するトラックの炎を背後に、疾走する車の屋根に飛び移ってセーフ。そのほかにも、高射砲をガンガンぶっ放し、ドカンドカンと車や建物が爆破されます。ストーリー展開などは、もたつき具合が露わですが、アクション・はテレビ番組とは思えないほどで、一点豪華主義といってもいいですね。 正体を隠したヒーローと爆発銃撃アクションの「ザ・クラウン」、このあと番組は続くようですが、見ている時間がないのがとても残念です。時間さえあれば、全部の回を見たいなあ。 ドイツのテレビ映画だからドイツ語のセリフです。なのに、バックに流れる歌が英語なのは、不思議な感じがします。地元ドイツでは違和感がないのでしょうか。日本の映画に英語の歌が挿入されているのには、慣れっこになっているのですが。人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。
June 8, 2008
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ツルツルっと、蕎麦を食べるみたいに「ボーン・アルティメイタム」を最後まで見てしまいました。きっと、高級な蕎麦なのでしょう。喉ごしなめらか、あとからあとから軽快に食堂を通過し、胃袋に消えていってしまいました。けれど、高級な蕎麦にありがちなのは、量が少ないこと。おいしかったんだけどね、もう終わりですか?味的には大変結構なのですけれども、蕎麦つゆも飲み干しましたが、おなかはいっぱいにはならないのです。 というのも、好みの問題ではあります。おいしいものを少量だけ、外連味がない、そういったものが喜ばれるのはわかります。 「ボーン・アイデンティティー(2002)」から始まったジェイソン・ボーンのシリーズは、記憶をなくしたボーンの自己解明を巡る展開に引き込まれます。一匹狼のボーンと組織力を誇るCIAの駆け引きがスリルとサスペンスにあふれています。人も物も、圧倒的な物量作戦と政治力で攻めてくるCIAに対して、人智を尽くして裏をかくボーンの策略には、スクリーンに釘付けになります。 また、ボーンはクラヴ・マガ (イスラエルの格闘術)の達人です。CIAが“究極の殺人マシーン”ボーンのみならず、特殊な技能をもたない彼の支援者たちをも襲ってくる。支援者たちが殺されれば、ボーンの自己解明が妨げられてしまう。ハラハラドキドキだ。けれど、ボーンが駆け付ければもう大丈夫。クラヴ・マガの秘術であっという間に敵の群れを蹴散らしてしまいます。ボーンはスーパー・スパイです。 映画を見ている間は、ツルツル、スルスルと、間断なくお蕎麦が流れ込んでいくようです。 でも、スパイ映画として、足りないものがある。それは、荒唐無稽な新兵器と美女たちです。 おっと、これは007に毒された観客のないものねだりか。 確かに、高級なお蕎麦もいいのです。しかし、天ざるとか、あるいはミニカツ丼セットであれば、味的にも、そしてお腹もいっぱいになる。ミニカツ丼セットなどというものは、本来の蕎麦メニューからしたら、邪道なのかもしれません。でも、ツルツルと喉ごしがいいだけでなく、噛み応えやゴックンと嚥下したときの満足感てものがあるじゃないですか。 ボーン・シリーズにもスパイらしい秘密の小道具も出てきます。けれど、それらはとっても現実的なのです。ホンモノのスパイがきっとつかっているだろうなという代物。 ボーンには、恋人がいました。前作「ボーン・スプレマシー(2004)」で殺されてしまいます。以後、ボーンには浮いた話はなし。今回も、二人ばかりボーンにからむ女性は出てきますが、そういう関係にはなりません。 だからボーン・シリーズは、リアル志向のスパイ映画と言えます。本格派のお蕎麦なわけです。 では、映画でしかありえない秘密兵器を駆使し、美女をはべらせたジェイソン・ボーンが見たいか? いやいや、マット・デイモンは、スウエット・パーカーやTシャツ、ジーンズなどのアメリカン普段着カジュアルが似合ってしまう人。どこにでもいるアメリカ青年という目立たない雰囲気で、存在感を見せるスターです。 彼には、派手な秘密兵器や美女軍団は似合いません。なにしろ「オーシャンズ13(2007)」の中では、マット・デイモンが出演していたことに気付かなかった人もいるくらいですから。 人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。
March 30, 2008
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映画開始早々、タイトルロールの殺し屋“ローグ”は撃たれてしまいます。FBI捜査官のジョンに飛びかかろうとしたところを、同僚捜査官トムに銃撃されるのです。 “ローグ”は、死んだのか?海の中へ墜落、死体は上がらない(この場面は夜で暗いため、“ローグ”の顔や姿はよくわかりません。 とはいっても、タイトルロールが死ぬわけはないんだから、“ローグ”を演じるジェット・リーの姿を拝めないで映画が終わってしまうことはないだろう。“ローグ”は、生きているに違いない。いや、生きていなければならない。でも、映画が始まってすぐに撃たれてしまうなんて、ジェット・リーは弱いじゃないか。なんだか気抜けします。 それはいいのですが、海に落っこちた“ローグ”が、暗がりの中でなんだかあんまりジェット・リーらしくないのはなぜ? “ローグ”はやはりこの時点では死んでおらず、トムの家に仕返しに現れる。ここでもやっぱりジェット・リーの顔は見えない。トムは、妻と子供共々葬られ、家に火をつけられてしまいます。 駆けつけたジョンは、惨劇の現場を見て、“ローグ”に復讐することを誓うのでした。 3年後、サンフランシスコを舞台に中国マフィアと二本のヤクザが抗争を繰り広げるその渦中に“ローグ”が姿を現した。ようやくジェット・リーの登場です。執念で“ローグ”を追うジョンとの激突!“ローグ”は、正体をつかまれないために、整形手術によってたびたび顔を変えているとのこと。今回は、ジェット・リーの顔になってのお目見え。だから、冒頭撃たれて海に沈んだ時点の“ローグ”は、ジェット・リーに見えなかったのだ。 極悪非道、冷酷無比の殺し屋“ローグ”。しかし、中国マフィアに味方していると見せかけ、日本のヤクザとも通じている。一体なぜだ?そして、トムの妻や子供も、情け容赦なく殺してしまったのに、マフィアのボスの妻子を命がけで救うのはどうしてだ? 当方は、ジェット・リーの切れのいい格闘技アクションを見たいわけです。しかし、期待に反して、ジェット・リーは、あんまりカンフーを見せてくれません。ちょっと欲求は不満。 この映画には、日本の若手ヤクザの役で、ケイン・コスギが出演しています。冒頭のタイトルクレジットに名前を見つけたときは嬉しかった。なにせあの「ウルトラマンパワ(1993)」のウルトラマンパワード/ケンイチ・カイ隊員でしょ、「忍者戦隊カクレンジャー(1994)」のニンジャブラック・ジライヤですよ。そして、ゴジラ FINAL WARS(2004)」の風間勝範役では、見事なカンフー・アクションを見せています。お父さんは、ハリウッド・アクションスターのショー・コスギですし。 それなのに、ケイン・コスギはヤクザの親分(石橋凌)に耳をそぎ落とされてしまいます。真剣を使って、寸止めルールで稽古をしていたら、ケインはうっかり石橋凌の着物の袖を切り落としてしまったのです。そのため、親分の怒りをかって、その場で耳を切られてしまいました。 そんなケイン・コスギなので、タイトルクレジットに名前が出ていても、出番はここだけなのかと心配しました。ところが、ヤクザの親分がアメリカに乗り込んできたのに耳を髪で隠して同行、ついにジェット・リーと夢の対決が実現します。やっぱり格闘技ができる男同士の対決は見応えがあります。 けれども、明らかにケインは格下扱い。映画の中では、ジェット・リーVS石橋凌がセミファイナル、ジェット・リーVSジェイソン・ステイサムがメインイベントとして扱われています。残念ながらジェット・リーVSケイン・コスギは、前座試合。ケインは奮闘むなしくジェット・リーに敗れ去ってしまいます。ケインよ、もっとビッグになって、ジェット・リーとメインで闘ってくれ! さて、このジェット・リー、じつは本物の“ローグ”ではありませんでした。ラスト近くにどんでん返しがあります。ご覧になってない方のために、説明はいたしません。さすがに“スター”ジェット・リーを悪役にはしないのです。 また、ジョンが執拗に“ローグ”を追うのはトムの仇討ちのためだとしても、マフィアVSヤクザの抗争を異常に執念深く捜査するのはなぜか、その理由がよくわかりませんでした。しかし、映画を終わりまで見れば、そういうわけだったのか、と納得できます。 “ローグ”でなかったジェット・リー。ある男が整形手術で本来の顔をジェット・リーの顔に変え、正体を隠して“ローグ”になりすます必要があったのです。つまり、ジェット・リーは“ローグ”ではないばかりか、もともとジェット・リーの顔をした人間はいないということになります。なんだか今回のジェット・リーは仮面みたいな存在で、つかみどころがありませんでした。 それにしてもデヴォン青木って美人なのだろうか?人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。
March 16, 2008
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泥臭い、しかし魅力がある。そういうことってあります。 かつて香港映画は、カンフーなどのアクションだけが売り物で、撮影や演技の技術は未熟だった。けれど、ストーリーそっちのけで延々とカンフー対決を見せたり、建物のすきまで両側の壁に足をかけて登りながらパンチを打ち合うといった驚きのアクション繰り広げたり(「帰ってきたドラゴン(1974)」ブルース・リャンvs.倉田保昭)など、じつに型破り、アメリカ映画にも日本映画にも見られない斬新で個性的な映像を生み出しました。 その香港映画も、最近は洗練された映画が多くなってきました。 今、泥臭い魅力がいっぱい、破壊的な映像を展開するのはタイ映画です。 「マッハ!(2003)」「七人のマッハ!!!!!!!(2004)」「トム・ヤン・クン!(2005)」など、やたら「!」が好きなタイ映画。今回ご紹介するのは「ロケットマン!(2006)」。やっぱり「!」。(じつは邦題に「!」がついているだけ。オリジナルにはありません) 一連の「!」映画には、制作総指揮にソムサック・デーチャラタナプラスートの名前があります。ここまで彼が手がけた映画は「CGなし ワイヤーアクションなし スタントなし」を売り物にしていた。デンジャラス、フルコンタクトの死にそうなアクションこそタイアクション映画の生きる道、みたいに。じつに泥臭い。 しかし、今回の「ロケットマン!」は一転、CG,ワイヤーアクションまであるのです!。この節操のなさはどうだ。ますます泥臭いぞ。 これまでの「!」映画は、より過激なジェッキー・チェン映画みたいな作りでした。今回CG、ワイヤーを使っているということは、これは推測ですが、「少林サッカー(2001)」「カンフー・ハッスル(2004)」のチャウ・シンチーばりの映像をイメージしたのではないか。いやはやおもしろくするためには、なんでも取り入れようというわけです。 1920年代のタイを舞台にした「ロケットマン」。タイの民から「ロケットマン」とに呼ばれるは、爆竹仕掛けのロケットを数多にぶっ放し、弱きを助け強きを挫く謎のヒーロー。あまつさえロケットマン自身も大型爆竹ロケットに乗って、手綱を引きながら空中をぶっ飛びます。しかし、爆竹ってそんなに推進力があるのか? ロケットマンは、牛泥棒から牛を奪い、貧しい農民に分け与えます。牛飼いが牛を移動させる様子を見て、かつてクリント・イーストウッドが出演していたアメリカテレビ西部劇「ローハイド(1959~1966)」を思い出しました。やはり、牛を連れて長い距離を旅する男たちの物語。だから、「ロケットマン」も「ローレン、ローレン、ローレン、ローハァイド・・・」と、あの軽快なフランキー・レインの歌声が聞こえてきそう。 「ロケットマン」に登場するタイの風景や服装が、じつに西部劇風。残念ながら、浅学非才の身ゆえ、タイの国のことをよく知りしません。だから、1920年代のタイの人の生活が、西部劇風であったのかどうかはわかりませんが、これは、やっぱり “無国籍アクション”なのでしょうか。 さらに、ロケットマンの敵は「黒鬼」と呼ばれる “妖術使い”だぁ!爆竹ロケットに、西部劇に、おまけに妖術使い、タイ映画の破壊的パワーが爆発!何が起こるかわからない。 この妖術使いを演じるのがパンナー・リットグライ、「七人のマッハ!!!!!!!」の監督です。十数年ぶりの俳優復帰とか。「カンフー・ハッスル」では、あのブルース・リャンが、笑う殺し屋・火雲邪神として15年ぶりに映画出演、驚愕カムバックを果たした。そのエピソードと似ていると感じるのは勘ぐりすぎか。そこまでいただいちゃうのか、タイ映画。映画のためならなんでもやる。 型破り映画を探し求めていたら、香港映画からタイ映画へと続く鉱脈を発見。とにかく観客を驚かせ、楽しませようとする熱意が流れています。 人も映画も、洗練されれば、かっこよくなります。しかし、洗練されると、人も映画も型にはまり、冒険ができなくなっちゃいます。泥臭い映画には、形振り構わぬ勢いがあり、見る者をねじふせます。人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。
March 2, 2008
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「決死の覚悟」などといいますが、死ぬ気で映画をつくったら、ヒット作は生まれるでしょうか。 元祖“決死のスタント”といえば、ジャッキー・チェンです。「プロジェクトA(1983)」の“時計台落下シーン”は、ここまでやるか!と度肝を抜かれました。 映画はおしなべて、それらしく見せるもの。格闘シーンでは、本気で殴り合い、蹴り合いをするわけではありません。危険なスタントという場合、ビルの屋上やロープウエイの上などの高所でアクションを行ったりして、見るものをハラハラドキドキさせます。よしんばそこから落ちる場面があったとしても、俳優やスタントマンが本当に落下して衝撃を受けることはない。そんなことをしたら、大怪我または死んでしまうことにもなりかねません。下にマットレスなどが敷いてあって、役者はその上に落ちます。もちろん、その場面はスクリーンには映りません。 ところが、ジャッキー・チェンは、地上数メートルの高さがある時計台から落下し、地面に激突するシーンまで撮影してしまったのです。しかも、映画の中には、3回の落下が映し出されます。同じシーンですが、よりよい落下を撮影するために、何回も落ちたわけです。せっかくだから、映画では、複数回に渡って見せてくれたわけです。 「プロジェクトA」の危険なスタントや見どころは、他にも多数ありますが、とにかく映画は、当時ロングランを記録しました。また、ジャッキーは、「サンダーアーム/龍兄虎弟(1986)」で、木から木へ飛び移るシーンを撮影中に、捕まった枝が折れて地面に墜落、頭蓋骨骨折の大怪我を負いました。日本では、テレビで番組の放送中に「ジャッキー・チェン重体」とのテロップが流れたのでした。これはまさに、“死のスタント”。けれど、ジャッキーの映画は、危険を冒した甲斐があってどれも大勢の観客が押し寄せしました。ジャッキー・チェンは世界中の人気者になりました。 タイ映画「七人のマッハ」は、ジャッキー・アクションの影響が強く出ている映画です。ジャッキーの「ポリスストーリー香港国際警察(1985)」に、丘の上から麓にかけて立ち並ぶ民家群に、乗用車が突っ込み通過しながら、次々と破壊していくカー・アクションがあります。「七人のマッハ」にも、大型トレーラーが密集する民家を破壊しながら走り抜ける場面があります。 また、ジャッキー・チェンの映画には、エンディング・ロールでアクションのNGシーンが映し出されます。「七人のマッハ」(あるいはタイアクション映画)も、エンディング・ロールでアクション・シーンのメイキングなどを紹介しています。 これらはジャッキー・チェンにオマージュを捧げたものでしょう。 そのような見た目にすぐ分かる類似性だけでなく「七人のマッハ」には、ジャッキーを意識し、超えようとするかのような決死のアクションが満載です。 バイクで激走中に、重ねて置いてあった材木に衝突、ライダーは投げ出されて、その向こうで燃えている家屋を破壊しながらぶっとぶ。ライダーはダウン。追いかけてきたトラックが、火事の家を全壊しながら飛び込んできて、ライダーは下敷きになる寸前でかわす。 ライダーは、火のついたバイクに乗って再疾走、敵のトラックに真正面から激突!ライダーは、バイクの座席から飛び出し、トラックの幌を越えてトラック後方に着地。これを生身のトリックなしでやっているのです。めちゃめちゃハードなアクションでしょ。 この他にも、格闘しながら高い台から落ちたり、周囲の柱に激突したりなどなど。見ていて、思わず「痛い!」と頭や腰を押さえて叫んでしまいます。 一番やばいのが、2台の大型トレーラーが横に並んで爆走する、その屋根の上で行われるバトルアクション。殴り倒されて、人が落下。ただでさえ危ない。そして、トレーラーが1台だったら、まだスペース的に逃げ道はある。けれど短い間隔で併走する2台の間に落ちるのです。あわや車輪が頭を踏みつけ通り抜けようかという、この上なく冷や汗もののシーンになっているのですよ! メイキングを見ると、これらの危険なシーンは、何度も入念なリハーサルが行われています。だから死には至ることはなかったのでしょうが、カットの後で役者がのたうちまわり、慌ててスタッフが駈け寄る様子がいくつもありました。タンカで運び出されている人もいました。骨折などはざらにあったのではないか。デンジャラス度にかけては、ジャッキー・チェンも目を覆う? 確かにこれは命がけで作った映画です。本国タイでは、ヒットしたのでしょう。日本でも上映され、DVD化されたということは、売れた部類に入るとは思います。けれど、ジャッキー・チェンの映画ほどは多くの人々に浸透しているわけではありません、残念ながら。 「死ぬ気で」つくった映画でも、必ずしもそれに見合った評価が得られるとは限らないのだなあ、と思うわけです。同じような決死のアクションでも、やはり大スター、ジャッキー・チェンとはちがうのかな、どと。 でも、「七人のマッハ」に参加した人たちは、達成感を得たのではないでしょうか。そして、おもしろい映画をつくろうと勇敢にチャレンジした彼らに、アジアの片隅で、拍手を送っている人間がいることを伝えたいです。人気blogランキングに参加中。クリックしてね。ご協力、よろしくお願いします。
February 24, 2008
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“外連(けれん) ”とは、歌舞伎や人形浄瑠璃の演出、演目で、見た目の派手さ、奇抜さをねらったものをいいます。早替わり、宙乗り、灯篭ぬけなど仕掛け物が“外連”です。歌舞伎や人形浄瑠璃を初めて見るような人でも、舞台に引き込まれます。その一方で、“外連”は、見た目に頼るという意味から、はったりやごまかしとも受け取られます。 タイのアクション映画「ダブルマックス」は、“外連”の固まりといえるでしょう。激しい銃撃戦と軽業ガンアクション、カースタント、そしてストーリーに無関係なギャグの連発と、観客に刺激を与えることに徹底しています。 ストーリーとしては、大富豪が殺され、その財産を横取りしようとする悪党一味に、大富豪の息子まで命を狙われる。その危機をスーパーボディーガードが救うというものです。 主役のスーパーボディーガード、そしてこの映画の監督・脚本を務めているのは、ペットターイ・ウォンカムラオ。タイの北野武と呼ばれているらしい。風貌的には、ビートたけしというよりは、俳優のきたろうかジャズサックス奏者で田中角栄の物まねが得意な坂田明といった感じ。大富豪の息子役は坂口憲二似の好男子ですが、ウォンカムラオは頭がでかくてずんぐりむっくり、外見的なカッコよさは見られません。 もともとはコメディアンだということですが、おそらく自分を“性格俳優”と位置づけているのでしょう。“性格俳優”とは、美男、美女ではないけれど、演技で味やカッコよさが出せる俳優とでも定義づけましょう。でなければ、あの容姿で二枚目を気取ったヒーローを演じることはできないのではないか。ガンアクション、格闘技アクションをこなし、外見には似つかないハードボイルド風の苦みを備えた男を演じようとしています。カンフーとの対決では、フラメンコ風のダンスを踊って対戦相手を幻惑し、打ちのめします。ジャッキー・チェンは、二枚目だけれどコメディタッチで魅力を発揮するのとは反対に、ウォンカムラオは、三枚目がひたすらカッコいいヒーローになっています。ウォンカムラオだから許されるのでしょう。 日本の北野武のように、ウォンカムラオもタイではマルチタレントとして活躍し、その発言や行動、センスがマスコミや大衆に注目され、オーラを発し、一目も二目も置かれているのでしょう。きっと強烈な存在感があるのでしょう。タイでは「ダブルマックス」が、ウォンカムラオの初監督作品ということで、さすがウォンカムラオと評判を取る斬新な作品だったのではないかと想像します。きっと“外連”が大いに評価されたにちがいありません。 この映画におけるウォンカムラオ最大の“外連”は、全裸でバンコクの街を走り回ることです。ボディーガードのウォンカムラオが風呂上がりに悪党一味に襲われます。ズンドウ、短足、ぷよぷよのハダカで逃走し、茶碗で局部を隠すだけで目抜き通りを走り抜けます。ウォンカムラオはきっとこれがやりたかったのでしょう。あのウォンカムラオが、全裸で大通り、人混みの中を疾走!と、タイのマスコミが大袈裟に取り上げる様子が見えていたことかと思います。 それから、コメディアンのウォンカムラオらしく、映画の中にタイの漫才師やお笑い芸人と思われる人たちが次々に出てきて掛け合いをします。全体に垢抜けない、町のおじさんさん連中かと見受けられるような人たちなのですが、タイでは、彼らがスクリーンに登場すると、客席は大受けだったのではないでしょうか。 カメオ出演としては、タイの二枚目アクションスター(性格俳優ではなくて、ホントにスマート)、トニー・チャーが、キレのあるムエタイ・アクションを披露するためだけに登場します。ウォンカムラオとトニー・チャーは、「マッハ!(2003)」で共演、それをネタに一瞬のギャグをとばしている。 トニー・チャー主演の「マッハ!」にしろ「トム・ヤン・クン(2005)」にしろ、タイ映画は、映画の中で本物らしく見せるアクション・スタントという枠を外れて、実際に殴り合うようなフルコンタクト・アクションを演じている。アメリカ、日本、あるいは香港ともちがった、過激な、何が起こるか予測できない破壊的なアクション・シーンが見られます。まさに“外連”の連発。「ダブルマックス」はその系譜の中にあるわけです。コメディか、アクションか、ジャンルによる色づけよりも、とにかくおもしろいこと(“外連”)をつなげていこうとしているのが「ダブルマックス」です。 “外連”は、専門家などからは、あまり評価されないところがあります。そういった人たちは、“外連”が歌舞伎や人形浄瑠璃の本筋ではないと考えているようです。かつては劇中にあった“外連”を、抑えていこうという動きもあるそうです。確かに、安易に使えば、作品が薄っぺらになり、下品になることもあるでしょう。でも、観客を楽しませようとする精神から生まれる“外連”は、虚構世界ならではの味わいがあります。
February 17, 2008
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