デフレの正体 0
原発 0
体罰 0
糖質制限食 0
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今日は近親者の3回忌なので新幹線で地方都市に行ってきた。 子供は皆、それぞれの別の家に家庭を持って独立しているし、連れ合いも、老人ホームに入ってしまったので、死んだ後の家は空き家となっている。 最近、子供たちが片付けに入ったが、布団や本で大変だったという。 帰宅したら、知人のK氏(学生時代からコーラスをやっていたという)から昨日の「老人の価値」のブログを読んで、次のようなメールが来ていて、感動的な歌を紹介して頂いた。 「肌着1着を残してこの世を去るのが理想ですか。流石......。 時に、こんな詩もあります。故・武満徹氏の作曲になる下記の日本の合唱曲の名曲ですが、小生はとうとう歌いそびれました。死んだ男の残したものは谷川俊太郎:作詞 武満徹:作曲死んだ男の残したものは一人の妻と一人の子供他には何も残さなかった墓石ひとつ残さなかった死んだ女の残したものはしおれた花と一人の子供他には何も残さなかった着物一枚残さなかった死んだ子供の残したものはねじれた足とかわいた涙他には何も残さなかった思い出一つ残さなかった死んだ兵士の残したものはこわれた銃とゆがんだ地球他には何も残さなかった平和ひとつ残せなかった死んだ彼らの残したものは生きてる私 生きてるあなた他には誰も残っていない他には誰も残っていない死んだ歴史の残したものは輝く今日とまた来る明日他には何も残っていない 他には何も残っていない 」http://www.youtube.com/watch?v=XmM2T45adWk&feature=related このK氏のメールに対する私の返事「「肌着1枚」は、有馬稲子が1年前に読売新聞のインタビューに答え、引っ越しのガラクタに往生し、ある女性の「夏羽織1枚残してなくなった」という死に感動していたという記事をもじったものです。」 これは知的街道的には、このブログの引越し体験記・2の2、「物欲消滅」日経ビジネス09年5月25日号特集につながっている。
2010.05.09
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老年の価値私:この本は、先の図書館に予約した14冊以外の本だね。 NHKのテレビで読書案内をしているのも見たら、2つの本を紹介していた。 1つは、4月から社会人として参加した若い人向けの本。 もう1つは、定年などを迎えて、老人社会に新人として参加した人向けの本だね。 この老人向けの本が、ヘルマン・ヘッセの「老年の価値」だね。 早速、図書館にインターネットで予約したら、待ちなしで借りられたよ。A氏:ヘルマン・ヘッセと言えばノーベル賞をもらった詩人だけれど、これも詩集なのかね。私:ヘルマン・ヘッセは1877年生まれで、85歳でなくなるが、この本は、晩年の老いに関するエッセイ、手紙、詩などを集めたものだね。 400頁を超える厚い本だが、すらすら、読めた。 非常に、庶民的な晩年で、風光明媚な田舎暮らしで庭いじりをしたりする生活が背景にあるね。 家族などのいろいろな人と交流しながらの生活だね。 質素だけれど、心豊かでうらやましいね。 豊富な写真が掲載されている。 ただ、書斎は膨大な書籍の棚で囲まれていたが、インターネットの現代では不要かな。A氏:老人ホームなどで死を迎えるのとは違うね。私:ヘルマン・ヘッセは老年のそれなりの価値を見出しているんだろうが、彼の考い方で老年を過ごすことができるのは幸福と言えるね。 老年とは個人個人にとっては人生の総括みたいなもので、人それぞれだろうね。 画家パブロ・ピカソは、91歳の時、「若くなるためには、われわれは非常に長く生きなくてはならない」と言ったそうだ。A氏:日本では、聖路加国際病院理事長の日野原重明氏が、98歳の高齢で元気で活躍されているね。私:やはり、いい老年の基礎は日頃の好奇心とウオーキングや軽いストレッチによる体力の持続、そして狭い範囲だが、人との楽しい会話だろうね。 後、残り少ない人生だ。 ちょうど、日本は低成長時代だ。 経済成長時代の浪費の癖を直し、質素に余生を送ろうと思う。 日本は家が狭いのに、消費経済のガラクタが山のようにある。 去年、引っ越したとき、大分、本を古本屋に売ったが、まだ、かなりある。 第1歩は、この残った本や衣類を綺麗に売却することだね。 そして、理想は肌着1着を残してこの世を去ることだね。 ヘルマン・ヘッセの生き方とは多少違うからもしれないが、この本を読んでも俺の考え方は変わらなかった。 ただ、羨ましかったのは、ヘルマン・ヘッセのような風光明媚な田舎での庭仕事ができないことだね。 別荘のある身分ではないからね。 まぁ、これは時には旅行をして我慢するとするかね。 もっとも、水野和夫氏が「動かない」時代だというから、日帰りバスツアーくらいの旅だね。
2010.05.08
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白村江の真実新羅王・金春秋の策略私:図書館に予約していた14冊のうちの3番目の本で俺の朝鮮知的街道の1つだね。A氏:君の朝鮮知的街道を時代的に分けてみた。 1.日本がまだ倭と呼ばれていた頃から秀吉の前までの日韓関係 「飛鳥・その光と影」直木孝次郎著・1.2 2.秀吉以降、日本が鎖国時代の日韓関係 上垣外憲一著「空虚なる出兵・秀吉の文禄・慶長の役」 3.明治維新から、日本敗戦までの日韓関係 角田房子著「閔妃暗殺・朝鮮王朝末期の国母」、 福沢諭吉と朝鮮、山本七平著「洪思翊中将の処刑」、「創氏改名・日本の朝鮮支配の中で」水野直樹著 「ベルリン・オリンピック1936」クレイ・ラージ著・3(マラソンで韓国選手が日本代表として1位、3位を占めたこと)、「キムはなぜ裁かれたのか・朝鮮人BC級戦犯の軌跡」内海愛子著・1.2.3 4.日本敗戦後の日韓関係 朝鮮戦争のこと、「アジア冷戦史」下斗米信夫著・1.2.3、「和解のために」朴裕河(パク・ユ・ハ)著・1.2.3.4、韓国軍によるベトナム人虐殺、「日韓和解・朴裕河氏が込めた思いとは」、「民主化の韓国政治」木村幹著 5.時代共通 朝鮮人の主張の強さ、朝鮮と日本の関係、日韓歴史共通教材「日韓交流の歴史・先史から現代まで」1.2.3私:知的街道の足跡を見ると敗戦後のどん底だった日本経済を生き返らせた朝鮮戦争が出発点で、この本は、上の分類からすると、最初の分類1に属するもので、ご承知のように、663年の白村江の戦いは、日本(大和朝廷)が唐を相手に惨敗した戦いだね。 この本は、何故、当時の強大な唐の軍隊に天智天皇の日本が無謀な挑戦したのかというミステリーとなっているね。 著者は、袖井林二郎氏の「マッカーサーの二千日」という本を引用して、日本が無謀な戦争をしたのは、マッカーサーの「オレンジ作戦」という第1次世界大戦直後から立てられた遠大な戦略に乗せられた結果であるとしている。 そこで、白村江の戦いも、マッカーサーと同じような重要人物の深謀遠慮が背景にあったのではないかという推理だが、そのマッカーサーに当たる人物が新羅王の金春秋(武烈王)でこの本の主人公だね。 654年に新羅の王位につき、661年に亡くなっている。私:この頃は、朝鮮半島は、北の高句麗、南東の新羅、南西の百済の3つの国があり、それぞれが朝鮮半島統一を狙っているが、中国本土のほうは隋を倒して、唐が勢力を拡大しているが、高句麗へ戦いを挑むが抵抗が強く、なかなかうまく進まないので、そのすきに百済は、盛んに新羅を攻撃する。 そこで金春秋が考えた戦略は、唐に訴えて軍を派遣してもらい、百済を倒し、最終的に高句麗を倒し、朝鮮半島を統一するという構想だが、唐に助力をしてもらうと、逆に、唐に朝鮮半島全体をとられる危険性もある。 そのときは、唐と対立することが予想される。A氏:親唐的な日本が背後にいるとまずいことになるね。私:そこで、日本(大和朝廷)を唐と仲悪くさせるために、百済のために日本を引っ張り込むという戦略で、唐も、最後は新羅の要求に応えて、軍を出して、百済を倒す。 百済王の親族が日本にいるので、日本はこれを王として、百済再興軍を起こす。 日本は引っ張り込まれ、唐とぶつかったのが白村江の戦いだね。 その後の新羅の朝鮮半島統一は、歴史の示す通りだね。 金春秋の戦略は引き継がれていったことになるね。
2010.05.07
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サルコジとは誰か?私:この本は図書館に予約していた14冊のうちの1冊だ。 他に予約がなく、早く借りられた。 フランス大統領サルコジについての内容だと思ったら、違っていたね。 著者は、日本では、あまり知られていないようだが、フランスでは有名な哲学者とのことで、しかも、政治的には共産主義者だね。 だから、サルコジ大統領はクソミソだね。 A氏:サルコジは2005年の大暴動の頃の内務大臣で、郊外の移民の若者たちを「社会のくず」と呼んだので有名になったね。 その移民に対する強硬な姿勢が逆に、支援を得たのか大統領になるね。 フランスは、いろいろな人種が移民している「移民大国」だが、大きな悩みになっているね。私:著者はこの選挙結果に落胆しているね。 これについては、著者はフランス人には2つの恐怖があるからだという。 1つは、支配階級の権力が永久でないことの恐怖。 もう1つは、それから派生する外国人に対する恐怖だという。 この本では次のように書いている。 「フランス人はアフリカ人より優れている」 「フランスはフランス人の国である。 フランス語を解さず、フランスを愛さない者はフランスを去るべきである」 しかし、「われわれは、街路を清掃する単純労働者は求めている」 これが、まさに経済格差と人種主義が結合した、現在のフランスの移民政策の論理だという。 ヨーロッパ、特にフランスで広まるこの移民排斥を、ヨーロッパにおける「アパルトヘイト」という人もいるが、著者は、「戦争状態」と捉える。 それは、アメリカのブッシュ政権やイギリスのブレア政権が、国外での戦争、国内での貧富の格差への容認という政策へと傾いていったのと同様に、著者はサルコジ政権はまさに「戦争状態」に陥っているという。A氏:グローバル経済による貧富の格差を肯定しているわけだね。私:東西ドイツを西側、東側に隔てていたベルリンの壁は崩壊したが、経済のグローバリゼーションによって、今度は、富める者と貧しき者との間を隔てる経済格差という新しい壁が建設されたと著者は言う。 そして、この壁を前提とした労働の強制がある。 それに、結びつく徳目は、家族と祖国である。A氏:そのサルコジに対して、著者はどのような改革を提言しているのかね。 私:著者は、経済格差という新しい壁によって世界は、分断されている。 富の多い少ないが、人々の心の中に壁を作る。 さらに、荒れ狂う資本主義が、人々を「文明側」と「テロリズム側」へと分断する。 資本家・労働者、富める者・貧者、文明・テロ、優生人種・劣性人種、自国民・外国人、男・女、などと人間を疎外・分断させる「壁」を崩壊して「世界を一つ」にしなければならないという。 それには、荒れ狂う資本主義を倒すためには、共産主義が必要だと著者は主張する。A氏:それはソ連で失敗したのではないの?私:氏はソ崩壊で共産主義は崩壊したのではない。 理念としての共産主義は常に新たな解放という「未来の地平」を築くものであるとしている。 哲学者の本なので抽象的な説明が多く、訳も直訳調で読みにくかった。 「失見当識」という言葉がやたらに出てくる。 君は分かるかい?A氏:?私:「見当識」を失うことらしい。 「見当識」は広辞苑で心理学用語らしく、「時間や場所など今自分がおかれている現実をきちんと把握すること。見当感。指南力。」とある。 しかし、フランスの有名な哲学者が考えていることを大体、知ることができたね。 フランスではベストセラーになったというが、日本ではあまり読まれていないようだね。 日本共産党はこの考えをどう思っているのかね。
2010.05.06
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私:田原総一郎氏のテレ朝のサンデープロジェクトがなくなり、ちょっと、淋しい感じがしたが、こないでBSテレビの8チャンネルを夜、何気なく、回していたら、政治経済を始め、いろいろな社会問題を政治家や識者を招いてLIVEで議論しているのを知ったね。 これはウィークディの夜、毎日、やっているようで、なかなか、知的刺激を与えてくれる。 連休前に、経済成長神話の崩壊についてやっていたので、簡単にメモをしておきたい。 ゲストは、水野和夫氏、松原隆一郎氏、小幡績氏だった。A氏:成長神話の崩壊とは、先進国での経済成長は今後期待できないということかね。私:水野氏の分析によると、日本の労働者の収入は1997、8年以降、一貫して下降しているという。 これは回復しないという。 基本原因は、グローバル化の影響による原油の値上がりなどによる変動費の増大だ。 価格は上昇していないので、今まで固定費だった人件費を変動化させ利益を出す。 低賃金の中国の経済成長も大きく関係しているね。A氏:派遣労働者の増大、正社員の減少だね。私:昭和の経済成長モデルは崩壊しているので、発想を百八十度転換することが必要だと水野氏はいう。 1998年に自殺者が従来の2万人台から、一挙に3万人台になるのは、自殺した本人は気がつかないが、この成長モデルの崩壊による価値観の裏切りが原因としているね。 最後に、今後、どういう考えで対応したらよいかという提言として、水野氏は「動かない」と簡単にフリップに書いていた。A氏:「動かない」?私:要するにわれわれの経済は、アチコチ「動き回る」ことを基本としていたね。 欧米型の経済活動は、活発に動き回ることを基本としてきた。 その発想の基本的な転換だね。 グローバルに「動く」のでなく、足元の地域社会内では「動く」のだがね。 だから、経済指標として、GDPの成長率は意味が無いとしているね。 アップダウンを繰り返し、一喜一憂だが、トレンドは下降しているだけだから、その対策を急ぐべきだという。 必要なのは雇用関係の指標と国際収支だけをあげていた。A氏:政権交代でなく、発想交代だね。私:なんでもすぐに経済成長戦略というが、その発想から脱却すべき時代となっているんだね。 「上向き経済志向」の昭和の夢からの脱却かね。 現在は「下向き経済」の時代となった。 だから、グローバル化が進むほど、ローカル化が必要になるということかね。 水野氏は道州制を提唱しているね。 今後、この「下向き時代」の知的街道が生まれそうだね。 早速、図書館に小幡氏の著書を予約したよ。
2010.05.05
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私:ダワーは、今年、72歳になる。 MIT の教授だという。 妻は日本人だね。 ところで、この本の原本は1993年に発行されているので、17年前の本だ。 翻訳の遅れは翻訳者が過半を訳したところで、急逝されたためという。 しかし、この17年間で、日米関係や世界は、大きく変わった。 ダワーが、この章の論稿を書いた頃は、日本は経済大国になり、アメリカ経済を脅かしていた。 だから、この論稿はその頃のそういう日米関係を前提としている。A氏:そうすると、その後の金融資本によるアメリカ経済の復権、日本経済のバブル崩壊による転落、そして、ついで、アメリカのリーマンショックによる転落、世界経済の混乱、アメリカ大統領に黒人がなったことなどが織り込まれていないわけだね。 日本では政権交代となった。私:そうだね。 この十数年で日本を含め、世界は大きく変わったね。 昭和の頃の日本の経済大国時代を思い出すが、今となっては夢だね。 残念ながら、この章の論稿は、読む必要がなくなってしまったね。 それは、昭和と平成の違いとも言えるね。 だから、日本訳のとき、この章は削除すべき内容だね。 昭和は、1989年1月7日、昭和天皇の逝去で幕を閉じた。 そして、厳しい平成の時代が始まる。 明日は、その昭和の象徴でもあった昭和天皇についてのダワーの最後の論稿に移ろう。
2010.05.03
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私:この章の論稿は、日米の政治漫画が19点掲載されている。 図1は、真珠湾攻撃前夜の1941年11月のアメリカ紙の漫画で、大きな体躯の3人の紳士(アメリカ、イギリス、フランスの三国を示す)を軍服姿の小人が遠巻きにぐるぐる廻っている絵だね。 小人が日本でこの軍人はメガネをかけている。A氏:東条英機をもじっているんだね。私:図2と3は、敗戦後と講和条約後の日本を描いているが、いずれも小人だね。 図4は日本の再軍備を描いている。 大きな男に抱えられて、少年がピストルを撃つのを教えられている絵だ。 大きな男がアメリカで、日本は少年だね。 図5は、湾岸戦争への日本企業の対応について論評したものだが、小人として、個性の欠片もない群として扱われている。 図6は、動いているベルトコンベアの上を数人の秀才顔した容貌の何人かのサラリーマンがカバンを手に、脇に図面を抱えて乗っているものだね。 日本のサラリーマンが個性のないロボットのように描かれているね。 1980年代の漫画だね。A氏:日本が経済大国になった頃だね。私:真珠湾攻撃以後、日本の進撃を恐れた頃、今まで小人として描かれていた日本は、ゴリラのような醜い顔をした巨大な兵隊の姿になる。 これが図7で、これと同じ現象は、1980年代の経済大国になった日本も、図8では大きな相撲取り、図9、10、11ではサムライとなっている。 図12からは日本側の漫画だね。 まず、1943年のものでは、ルーズベルト大統領が軍事マシーンのように描かれている。 図13は、パパ・ブッシュ大統領がアメリカの自動車メーカーを引き連れて来日したときの絵で、ブッシュは自動車部品から成っている絵だね。 戦後、欧米人が日本の指導者を「トランジスター・ラジオのセールスマン」と中傷したことを揶揄するように、日本の小人の首相が「ようこそ、自動車・自動車部品セールスマン大統領」と口ごもりながら言っている。A氏:当時の首相は宮沢喜一首相だね。私:図14は、湾岸戦争のときの漫画で「空恐ろしいアメリカ」という絵だね。 図15は、日本側も被害者意識を持つときは、自らを小さく描くことがある例をあげている。 図16は、それと同じく、湾岸戦争のときの日本、図17は1987年の「日本叩き」の時の日本でレーガンが中曽根首相を殴り倒している絵、図18は1990年にアメリカから構造改革を押し付けられている日本、図19は、欧米列国のテーブルに、ちっぽけな海部首相が物欲しそうに見つめている絵だね。 ダワーは、特にこの論稿では、なにもまとめを言っていないが、昨日のテーマと同じ結論だろうね。
2010.05.02
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私:今日、どのような意味で第2次大戦が人種差別的で残虐だったかとアメリカ人にたずねたなら、その圧倒的多数はナチによるユダヤ人の大量虐殺をあげるだろうとダワーは言う。 しかし、戦争が進行していたとき、アメリカ人がもっとも残虐と考えていた敵は、ドイツ人でなく、日本人であったという。A氏:それにドイツも白人だから、それは人種的には「身内の戦い」だが、日本との戦争は東洋人との戦いだね。私:アメリカ人は日本人を軽蔑するときは、日本人は猿の一種だということで猿を用いた。 そして、進化の遅れた人種だと軽蔑した。 ところが、真珠湾攻撃で見せた軍事力、ゼロ戦、東南アジアの欧米の植民地への電光石火の多面的な攻撃は、白人優越説の神秘性を粉砕させたね。 こうして今度は、日本人はスーパーマンになる。 今度は過剰に反応するようになる。 一方、日本でもアメリカ人を野蛮な人種として扱っていた。A氏:鬼畜米英だね。私:敵は鬼として扱われていた。 欧米の白人優位説の根拠は社会学的なものからきているが、日本人の人種差別的思考の中心的な考えは「純潔」か「不純潔」であった。 その源は神話にあり、「大和民族」の優位説であった。 これが、人種差別的なものと排他的なものと結びついた。 これは1981年に明らかになった1943年の厚生省の研究報告で検討されている。 その報告書は「大和民族を中核とする政界政策の検討」だ。 この対象はアジアが中心であった。 アジア諸国に対して日本人は優れた「大和民族」として父親のように君臨し、その他のアジア諸国は子供のように従属するものであったという。A氏:しかし、不思議なのは、敗戦後、日米のお互いのののしり合いが消えるね。私:ダワーは、アメリカは勝者として、父親のように振る舞うようになったためだという。 しかし、戦後、もう一回、日米が憎み合う時期が到来する。A氏:1970年代に日本が経済大国になりアメリカ経済を脅かし出した時だね。私:アメリカでは日本の成功により「エコノミックアニマル」という非人間的な軽蔑した慣用句を再燃させた。 同時に、日本側でも「大和民族」的な日本人の特性を優秀性として持ち出す人たちも現れた。A氏:「歴史は繰り返す」かね。私:ダワーは、今日、国際関係の先は見えないとき、これらの日米の人種差別的な言辞はおなじみになっているが、その言辞が慰めとなることはないとして結論しているね。
2010.05.01
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私:この7番目の論稿は短い。 ダワーは、1975年にテレビで偶然、広島の被爆者が体験した生々しい原爆が落ちた時の話を絵で説明しているのを見たという。 これはNHKが1947年に原爆体験を募集したとき、応募されて来た2000を超す絵、線画、スケッチの1つであったという。 1981年に「劫火を見た:市民の手で原爆の絵を」というタイトルで104の作品が出版されている。A氏:原爆の被爆体験をテーマにした「はだしのゲン」という漫画もあったね。私:たしか、「はだしのゲン」は途中で連載がストップされたのではないかね。 出版社が「あまりにもどぎつい」と判断したからだという。 このダワーの本では、8つの絵が掲載されているが、まさにダワーが言うように「地獄図」だね。 ある絵は、赤ん坊を抱いて走っている母親の姿を描いているが、真っ黒に塗ってある。 走っている瞬間の絵かと思ったら、そうでなく、そのまま、彫刻の立像のように固まっているのだという。 ちょっと触れば、崩れ落ちるような姿だ。 診療所で意識を失ったある兵士は、意識が戻ると、まだ演習場に立ったままだった仲間に駆け寄った。 そして一人の仲間に手を触れると、目の前で粉々になったという。A氏:これらの残虐なシーンに対し、アメリカは本土決戦でさらに多くの戦死者を出すのを避けるための犠牲だと弁明しているね。私:しかし、これは戦死者ではないね。 残酷な死の強制だね。 トルーマン大統領は、原爆を落とすときに、ジャップを人間と思っていなかったという。 トルーマンによる「ホロコースト」だね。 人種差別を体験したオバマ大統領になって、ようやく、その非を認めるようになるんだがね。 ダワーが原爆の残虐さに1章設けたのも、分かる気がする。
2010.04.30
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私:ダワーは、戦後の日本の政界で、数多くの優秀な指導者がいる中で、昭和天皇と吉田茂の2人が群を抜いているという。A氏:最近、JRの戸塚駅に大きな駅ビルがまたできたが、東海道線と交差する国道の「開かずの踏切」はそのままだね。 当時、吉田首相の家は大磯だから、この踏切を通過する。 その待ちにイライラして、例の横浜バイパスができたという。 これを俗に「ワンマン道路」と言っていたね。 吉田茂のあだ名の「ワンマン」からきているとのことだ。 その道路を、サイレンを鳴らして大磯との往復を飛ばしたという。私:俺が驚いたのは、吉田茂の奥さんは、明治維新のリーダーの大久保利通の孫娘なんだね。 吉田茂は、戦後の民主化をあまり歓迎していない。 日本の侵略性は、明治で近代化された日本の問題でなく、敗戦までの10年くらいの間、軍部が勝手なことをやった異常な状態のためであったと考える。 明治、大正時代をつうじて発展してきた日本国家は基本的には健全であったと信じ続けていた。 軍部さえ解体すれば、政治は明治の伝統に戻るべきという考えだったらしい。 明治が終わったとき、吉田茂は34歳だから、「明治世代」の完全な一員だね。A氏:天皇に首相の資格であったときに「臣茂」と言ったというのは有名だね。私:吉田茂は新憲法の実施にかかわらず、国家の主権は天皇にあり、官僚は臣として天皇に仕えるものであるという考えがあったようだね。 「公僕」とは国民に奉仕するのでなく、天皇に奉仕するものだというものだね。 だから、国会は好きでなかったようだね。 外交官としては、列強がひしめく時代を経験しているが、親米でなく、親英だったという。A氏:敗戦間際の1945年2月の近衛上奏文にみられるように、日本の支配層は日本の民衆の厭戦気分から、日本で革命的混乱が起こる可能性が高いと信じていた。 これは戦後にも引き継がれる。私:保守派の日本に革命の危機が迫っているという予測は、非常に興味深いとダワーは指摘する。 それは、穏和で、従順で、均質という万民が好むという日本の国体構造と相容れないからだ。 吉田首相の最大の仕事はサンフランシスコ講和条約の締結だね。 しかし、ダワーは、サンフランシスコ体制は日本を世界の列国として、軍事・外交面で二等国に位置づけたという。 日米安保条約は不平等条約だし、沖縄はアメリカの唯一まぎれもない植民地となった。 戦後、日本経済が防衛生産や軍事関係の輸出に過度に依存せず、劇的な経済成長で成功を収めた。 「吉田ドクトリン」だね。 しかし、これは国家目標と国際イメージ喪失という途方もなく大きな代償を払ってなしとげられた。A氏:世界的な指導性や、政治手腕は他国に依存する方向に傾斜させたね。 特に対米依存体質は大きな代償だね。私:吉田茂のもっとも誇る業績は、日本に主権を取り戻したことだが、「吉田ドクトリン」に内在していた従属的独立の難問は、時が経っても解決していない。A氏:未だに普天間問題としてもめているね。私:ダワーは、こうした矛盾の中に吉田茂の遺産はあるとしているね。
2010.04.29
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私:この5番目の論稿は、1945年の終戦から52年の占領終結までの約8年にわたる長い期間を、冷戦の変化に伴い、次の4つの段階に分けて分析している。 第1段階:日本の「非軍事化と民主化」に重点が置かれ、未来像として非武装「中立」の日本が想定されていた段階(1945年8月から47年半ば) 第2段階:日本をソ連圏から切り離すことを主眼とした「ソフト」な冷戦戦略の段階(47年半ばから49年) 第3段階:アメリカの反共戦略のなかで日本に現実的・積極的な役割を付与した「ハードな」冷戦政策の段階(49年なかばから51年9月) 第4段階:講和条約と一連の安保条約、アメリカの軍事及び経済政策の調整、アメリカ・日本・東南アジアを結ぶ3極の同盟結成による中国封じ込めなどによる統合冷戦政策の段階(51年後半以降) この第1段階で、トルーマン政権は、日本の降伏が決まると、日本全土の占領管理はドイツのような分割占領方式を認めないという強硬な姿勢をとる。 これに対して、注目すべきはソ連のスターリンの動きだね。 スターリンが北海道の分割占領を申し入れたのに対して、トルーマンが拒否するとあっさり引き下がる。 スターリンは、米軍が到着する前に容易に朝鮮半島全体を占領できたのに、北緯38度線で軍を止めていた。A氏:何故だろう。私:ソ連は、東欧の安全補償問題でアメリカの譲歩と引き換えに、日本と太平洋をアメリカの正当な勢力圏として認めようとしていたようだね。 そして、トルーマン政権がヨーロッパに目を奪われていたため、マッカーサー等の東京の占領スタッフは終戦後約2年間、異例とも言える自由裁量権を得る。 そして、軍の解体、農地改革、東京裁判、、新憲法などの徹底した「民主化」が行われる。 憲法第9条の「戦争放棄」の発想が誰のものかは、未だに明確でないが、いずれにせよ、マッカーサーが認めなければ、憲法の条文として記されなかったという。A氏:平和憲法は東京生まれだね。私:この第1段階では、ワシントンでは近い将来に日本が再軍備に向かうなどと考えていた者は一人もいなかったという。 そして、この頃は、小笠原諸島と琉球諸島だけは、終戦直後からアメリカの戦略上、死活的な重要性をもつものと考えられていた。 第2段階では、講和条約の早期締結が日本側からも言われ出す。 天皇が側近を通じて、政治取引をする。 日本政府と皇室がともに、早い段階から日本本土の占領の早期終結と引き換えに、沖縄の主権を売り渡す腹だったという。 この段階では、マッカーサーは、日本は「非武装中立」とする考えだった。 しかし、日本自体も、改革から経済復興への路線変更を初めだし、民主化が崩れだすね。 「逆コース」時代だね。 第3段階では、アメリカとしては「共産主義封じ込め」には日本の軍事力を期待する動きが強くなる。 1951年4月のCIA の報告書によると、日本が再軍備に合意してから6ヶ月ないし1年以内に兵力50万規模までの軍隊をもつことが理論的に可能であると述べているという。 しかし、日本の保守派は、経済的な問題と無理をすると国民が共産化に走ることを恐れ、抵抗した。A氏:第4段階では、日本経済を救った「朝鮮戦争特需」があるね。私:1951年から60年までの10年間に軍の調達及び支出によって550億ドル前後の資金が日本経済に注入された。 これにより、日米と非共産主義世界の間で、軍事的、経済的、技術的な統合が大いに前進した。 トルーマンがかって「野蛮人」「野獣」と評した日本人は、アジアにおいてアメリカのいちばん期待を担う存在に生まれ変わった。 吉田茂首相の言葉を借りれば、日本にとって朝鮮戦争は思いがけない「天佑」だった。 明日は、その吉田茂首相の話に移ろう。
2010.04.28
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私:この4番目の論稿は、一言でいうと、戦争中の日本国民は「一億一心」ではなかったという事実だね。 戦争中に戦争反対の意思表示をすれば、特高警察が尋問する。 ときには刑務所に入れられることになりかねない。 したがって、匿名の落書や投書などが使われる。 これらを特高警察や、憲兵などがまめに追いかける。 一億一心でないことは、戦争中、小学生だった俺でも経験しているね。A氏:オヤジは、商売をしていたが、40歳をすぎたオヤジは、戦争末期には商売をやめて、進んで軍需工場勤めに転職した. だんだん、徴兵の年齢が上がってきたんで徴兵を嫌ったんだね。私:戦争後半になって、小学生だった俺の担任教師は太平洋の地図を示して「アメリカ軍の攻め方は実にうまい」と言っていたね。 そして、すぐに、「これは他の教室には言ってはならないぞ」と口止めしていたね。 終戦の1週間くらい前に俺の両親が住んでいた地方都市も艦載機の攻撃を受け、母が俺の疎開先である実家に逃げてきた。 そして、ポツリと「もう日本は負けだね」と言った。 軍国少年だった俺は「今に神風が吹く」と言って反論したがね。A氏:当時は治安維持法があったね。私:検挙人数は1930年代前半が1万人を超えているが、それから激減している。 しかし、戦争末期でも千人前後の検挙者がいたのは驚きだね。 戦争拡大による貧困は小作農にしわ寄せされる。 小作争議も1930年代に増加して、1935年には、約7千件の小作争議があった。 それから減ってはいるが、戦争末期にも2千件程度あった。 工場の方の労働争議も同じ傾向を示しており、1930年代に年2千件前後に増加。 戦争末期にも300件前後あったね。 驚いたのは、欠勤率だね。 1943年頃は、20パーセントだが、1945年には、34パーセント。 東京の空襲被害がない工場でも40パーセントだったという。 食い物をかき集めるためには仕事は犠牲にしなくてはならなかったんだね。A氏:工場は分業だから欠勤が多いと仕事にならないね。私:こういう情勢だから、反政府的な流言も流れる。 太平洋戦争中に憲兵の検査を受けた流言は、1944年では大体、毎月数百件で横ばっているね。A氏:天皇に対する不敬罪もあったね。私:毎年、50件前後が受理されているが、1942年には91件とピークになる。 敗戦が濃厚になると戦死者も増加するから、それに応じて増えているのかね。 これらは民衆の姿だが、官僚などにも厭戦気分と、これらの民衆の不満から、日本の共産化を恐れる傾向があった。 1943年12月20日、細川護貞は次のような歌を男が電車の中で、大声で歌っているのに遭遇して、日記に記している。 負けるに決まっている戦争を、 勝つ勝つ言いやがって、 大馬鹿野郎だ。 見てろ、キット負けるぞ。 負けりゃ欧州赤化だ。 アジアの赤化なんか朝飯前だ。 そんな時、俺が出るんだ。 細川はこの短い歌を上層部の仲間たちに聞かせようと記録し、日記に書いた。 彼にとっては、衝撃的で予言めいて感じられたからだという。A氏:そういう厭戦気分が敗戦間際にあったんで、負けてアメリカ軍が進駐して来ても、開放感から歓迎する日本人が多かったんだね。私:明日は、占領下の日本に移ろう。
2010.04.27
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私:1978年1月7日のニューヨーク・タイムズ紙の第1面に「第2次大戦時、東京で原爆研究、日本側資料から明らかに」という見出しが踊ったという。 同様の記事はワシントン・ポストにも掲載された。 これはデボラ・シャブリーというライターから特ダネとして提供されたものだという。 この記事は明らかに反日的な意図であったようだ。A氏:原爆の唯一の被爆国ということから、アメリカを非難しているが、日本でも原爆を開発しようとしていたこと。 そして、もし、それが成功していたら、アメリカに対してためらわず、原爆を使っていただろうというわけか。私:それ以外に、ダワーが指摘しているのは、次のことだね。 すなわち、日本は自分たち自身が戦時中に原爆研究をしていたことを30年間、意図的、効果的に隠蔽してきた。 それによって、日本が道義的に優れているとする偽善的な態度をとってきたという反日的な印象を与えるところに狙いがあるのだという。A氏:日本は二枚舌だというわけか。 背景に、当時の日本のTVや自動車のアメリカ進出による反日感情があるね。私:質が悪いのは、この「暴露記事」が嘘であることだね。 ニューヨーク・タイムズとあろうものが、嘘の記事にだまされるとはね。 というのは、1949年にすでにイェール大学のチトシ・ヤナガが日本の原爆研究について出版しているし、英語の一般的な書物で明らかであった。 日本の研究者からも、この「暴露記事」の10年以上も前に、英語に訳されたものがいろいろ出版されている。 占領期には米軍当局は日本で原爆について議論することは厳しく抑えていたが、1949年頃から緩和されてきたという。 そして、この「暴露記事」に対して、あるアメリカの専門家は、第2次世界大戦時に原爆製造を計画した他のすべての国と同様に、日本においても計画を始動させたのは軍部や政府高官でなく、科学者および技術者であったことを述べているという。 そして、日本の原爆計画が明らかになったことで、アメリカ、ソ連、イギリス、ドイツ、フランス、日本と第2次世界大戦時の状況を描いたジグソーパズルのセットが完成したとしているという。 「技術の持つ推進力:技術が求める普遍的要請」を例証しているというものであったという。A氏:それも本当なのかね。私:これも嘘だね。 日本で原爆研究は行われたが、欧米と異なり、科学者が推進していない。 物理学界の長老であり、当時、日本のもっとも権威ある学術機関である帝国学士院の院長であった長岡半太郎は軍事雑誌に寄稿し、核研究を中止して、資源をもっと可能性のある兵器開発に振り向けるように主張していたという。 だから、原爆研究は陸軍と海軍がバラバラだが推進役だね。 1942年の暮れから45年4月まで東京で行われた陸軍による「ニ号研究」。 海軍の後援により1943年なかばで開始され、ほとんど成果をあげることなく敗戦を迎えることになった「F研究」だね。 「ニ号研究」は科学者のリーダー格だった仁科芳雄の名前からとられた名称のようだね。 「F研究」は京都大学の荒勝文策教授らのチームで、Fは核分裂を意味するfissionのFをとったという。 「F研究」の成果は、理論研究に関する数編の論文と、安定した純粋な金属ウランの製造に日本で始めて成功したことであった。 その金属サンプルは3センチ角の切手ほどの大きさで、厚さは1ミリだったという。A氏:要するに全然、日本では本格的な研究らしい研究はしていなかったということになるね。私:ウランを求めて朝鮮、中国、東南アジアと歩きまわったようだね。A:日本は原爆研究でドイツと連携しなかったのかね。私:戦争末期に鉱石探査をしているとき、ドイツからピッチブレンドを送るように要請して、潜水艦は途中で撃沈されたという。 1945年5月、酸化ウランを積んだドイツ潜水艦は、日本に向かう途中、ドイツの降伏を知って大西洋上でアメリカに投降。 ところで、ドイツではヒトラーは「ユダヤ科学」に敵意を持っていた。 西側諸国はドイツの原爆の可能性を心底から警戒していたが、杞憂であった。 ソ連の原子核研究は早くから始まっていたが、ドイツの原爆が不可能だということを早くから知っており、ドイツが不利になった1943年から原子核研究を再開した。 最近、ソ連崩壊後に明らかになったが、ソ連の核研究再開の要因は、ソ連がアメリカのマンハッタン計画に潜入させた「ペルセウス」という暗号名の、今なお正体が明らかにされないスパイであったという。
2010.04.26
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私:いや、この論稿を読んで驚いたね。 戦時中の日本の戦争映画のことだよ。 俺は小学生のとき、近くにある映画館で映画をかなり見た覚えがあるが、今は鮮明な記憶がないね。 記憶にあるのは嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」と「西住戦車長伝」くらいのものかね。 たしか、小学生は学校が許可した映画以外は見られなかったと思う。 ところが、1943年の春、ハリウッドで活躍する映画監督グループが1937年から1941年までに製作された20本ほどの日本映画を見直して、それらが欧米で作られた秀作に肩をならべる見事な作品だという点で意見が一致したという。 有名なフランク・キャプラは日本映画「チョコレートと兵隊」を見た後 「こんな映画にわれわれは勝てない。 あんな映画をわれわれが作れるのは10年に1度だろう。 われわれにはこんな俳優たちもいない」 と声をあげていったという。 「菊と刀」の著者ルース・ベネディクトは、日本の戦争映画が芸術作品として卓越していると賞賛していたという。A氏:驚いたね。 そんなに戦争中の日本映画は優秀だったのかね。私:それ以外に、驚くべき特徴がある。 アメリカの戦争映画などに出てくるような、筋骨隆々とした英雄も、サムライ型の英雄も登場しない。 映画では普通の兵隊が主に描かれている。 西住戦車長は戦死して「軍神」と言われたが、平凡な生い立ちと静かな死しか扱っていない。 彼は中国兵に撃たれるが、死までしばらく息があった。 しかし、美辞麗句をならべた別れの挨拶をするのでもなく、天皇の名を口にのぼせるでもなく死んでいく。 死んでいく瞬間のシーンはなく、西住の指揮官が死者の枕元に蝋燭を持って座り 「彼はよく眠っている---彼はいい奴だった---まるで生きているようだ」 とつぶやいて映画は終わる。 そして、奇妙なことに、「敵」が出てこない。 「敵」は言葉の上か、影である。 だから「敵兵」をバタバタ倒すシーンはない。 日本刀を振り回し、相手を斬りまくるチャンバラシーンはない。 「百人斬り」なんて新聞だけの話だね。 ハリウッドの戦争映画には、残虐で人間以下の醜い「ジャップ」が「敵」として出てくるが、その「敵」に相当するものは日本映画には登場しないという。 ルース・ベネディクトは 「日本映画には、敵の人格化というものがなく、それゆえ、敵に対する憎しみがない」 と言っているという。A氏:新聞や他の宣伝では「鬼畜米英」をやっつけろということは盛んに言われたが、そういうことは、映画にはなかったというのは不思議だね。私:1930年代、40年代の映画の多くは、戦争自体が究極の敵であると表現しているような感じすらするという。 ダワーは、だから、敗戦後の日本映画に平和主義的、共産主義的な映画が早期に現れた事情の説明になるとしているね。A氏:ここにも戦時中と戦後の連続性があるね。私:そして、日本の映画史にこれらの戦争時の日本映画は無視できない存在ではあるね。
2010.04.25
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私:こないだの図書館予約14冊のうち、トップで借りることができた第1号。 ダワーの名著「敗北を抱きしめて」はこのブログでも6回に分けて、扱ったね。 1,2,3,4,5,6とね。 この本は、ダワーの論文から選んだ11編をまとめたものだ。 1日、1編ずつまとめていく予定だ。 今日は「役立った戦争」という題名のものだね。 昭和の日本はよく3つに区分される。 第1は、1945年の日本降伏以前の15年の軍国主義時代の「暗い谷間」の時代 第2は、降伏後の「新生日本」の時代 第3は、1970年代からの経済大国となる「日本の奇跡」の時代 しかし、ダワーは違った視点で、昭和を見ている。 それは、この3つの時代の連続性だ。 それは、明治維新の改革は、幕末の動きを理解しないと説明できないと同様に、戦後の日本は降伏前の15年の動きを理解しないと正確に説明できない、ということだ。A氏:たしかに、戦後の1950年代になると追放を受けた戦時中の幹部が追放解除で復 帰しだすね。私:大蔵省や日本銀行は、そのまま継続。 1955年の経済企画庁は、1937年に設立された戦時中の重要官庁の企画院を 前身としている。 戦後の通商産業省は、戦時中の軍需省として機能した商工省を継続したものだ。 経団連は、戦争の最終段階で作り上げた「統制会」につながる。A氏:そう言えば、読売、朝日、毎日の三大紙は戦時中に部数を増加させているね。 しかし、経済の方は、爆撃などで壊滅状態だね。私:これに対してタワーは、ジョン・スチュワート・ミルの言葉を引用している。 それは 「たとえ、国が戦火と剣によって焼尽しても、重要なのは生き残った人々の技能と彼 らが入手可能な資源である。 それがあれば、数年で富の再生産を期待できる」 真珠湾前夜、日本は世界でもっとも急速な経済成長を遂げていた。A氏:近代戦争は総力戦だから、工業の発展も必要となるのだね。私:戦後、あらゆる製造部門は、戦時中の発展に基礎をおくことによって離陸できた。 一例として、戦後のミシンが機関銃製造から転換した工場で生産されたことがあげら れる。 戦争中の1935年から45年までの間に、工業専門学校は11校から400校あまりに増加している。 大銀行の主要産業への資本投資も、戦争中に盛んで、これが戦後日本の高度成長の要因である借入資金政策につながる。A氏:日本の労働環境の3大特徴の終身雇用、年功序列賃金、企業別労働組合もどうかね。私:ダワーは、日本は二重構造だから、これらは大企業だけにあてはまっていた制度だという。 そして、これも戦時中に軍需産業の効率を上げるためにできた制度であることを明らかにしている。 農業政策も、農業生産増大のため、地主を弱体化する方法をとっており、これが敗戦後のアメリカの農地改革の推進に役立っている。 社会保障や社会福祉も、同様で戦時中に始まっている。 1936年に陸軍が、徴兵年齢にある男子について全国調査をしたら、衝撃的なほど高い割合の男性が栄養不良や伝染病、それに仕事に起因する身体障害のために兵役不適格であることが判明した。 これに対して、官僚機構は即対応して、1938年に厚生省ができ、医療保険制度、年金制度が始まりだす。 これが戦後に受けつがれていく。A氏:戦争のための官僚制度が生き残り、経済成長のための官僚制度として、戦後は活躍するのだね。 その意味で、日本の資本主義は、社会主義的な資本主義だね。私:明治維新で封建主義から工業化へと「西洋化」する過程と、敗戦で平和に移行する過程は似ている。 双方とも「上からの革命」だね。 すでに、その前の遺産を引き継いだ改革だったわけだね。A氏:だから、「上」にとっては、戦後の政策には「役に立った戦争」だったのか。私:明日は戦争中の日本映画の思いがけない事実にふれよう。
2010.04.24
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3日前の4月19日、少し曇気味だが晴天。 暖かい風が吹いていた。 近くの自然公園をウオーキング。 汗ばむので上着を脱いで腰に巻く。 シャッツと短い袖の下着でも汗をかく。 木に小さな青い芽が出てきている。 桔梗の花がきれいに咲いていた。 家紋が桔梗の花だから気になる。 ウグイスの鳴き声があちこちから、うるさいほど聞こえる。 気温の上下が異常な最近の気候にウグイスも驚いているだろう。 ところが、3日後の今日22日。 気温がまた低下。 TVの天気予報で、関東地方は外出にコートが必要という。 朝から冷たい小雨がポツポツ降り出している。
2010.04.22
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私:今朝の朝日新聞のオピニオン欄の下のほうに、記者有論欄というのがあって、DNA型情報のミスがあげられていた。 昨年11月、横浜のある盗難事件で、神奈川県警は、犯人と思われれる男が吸ったタバコの吸殻の唾液から、DNA型を鑑定した。 そして、データベースでDNA型が一致した横浜在住の30代男性を、今年1月に警察が同行を求めて事情聴取をした。A氏:よくその男性のDNA型があったね。私:この男性は、2年ほど前に交通事故を起こしたとき、警察でDNA型検定のため、口内をぬぐって粘膜を検体として採取されている。 これが、データとして警察に登録されていたものだという。 しかし、男性は頑として容疑を否認。 警察は念のため、男性に検体を提出してもらったら、データベースと違っていた。A氏:しかし、足利事件当時と違って、現在はDNA型は正確なんだろう。私:どうも、データ入力までの過程に人為的なミスがあったと考えられる。 まず、口内をぬぐった綿棒は署内でほかの綿棒と並べて乾燥させてから、県警科学捜査研究所に送られている。 このどこかの過程で検体の取り扱いに間違いが起き、別人の検体が登録されたらしい。 署内の綿棒の管理がどうであったかが問われるね。A氏:すると、真の犯人はその間違えた検体の中に含まれていることになるね。私:しかし、そうなると調査は不可能に近いだろうね。 それにしても最新の技術を使っても思いがけない盲点があるね。 人がかかわっている以上、データの入力ミスはあるからね。 年金がいい例だね。A氏:当時は、コンピュータは正確だといって信じていた。 しかし、年金の入力はパンチャーが手でやるから、入力ミスがあるのに、コンピュータ信仰に目がくらみ、厳しい入力管理を怠った。 確か、神奈川県は年金番号の頭は30だったと思うが、パンチャーは、入力を簡素化するために、神奈川県のデータがくると30は固定入力として、一々、打ち込まなかった。 ところが、神奈川県では人口が増え、頭が31の人たちが発生したという。 しかし、パンチャーは、神奈川県のデータだと思っているから、固定した30のままで入力していたという。 年金がもらえないひとと、年金を2人分もらえる人が発生することになるね。私:それは年金だけではないがね。 問屋でも当時、コンピュータ在庫があわないという問題が出ていた。 商品のバーコード化が進んでから、人手によるパンチ入力がなくなってからようやく解決したようだがね。 スーパーやコンビニでもバーコードがないと今は動かないね。 とにかく、科学捜査は逆に、この男性が冤罪であることを証明したね。 同時に、科学捜査にも落とし穴があることも証明したね。 管理する側の念入りが必要だね。
2010.04.21
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A氏:今朝の朝日新聞の天声人語は、最初、コロンブスの話から始まった。 何事かと思ったら、コロンブスの「新大陸発見」が1492年と、阪神タイガースの金本知憲選手の連続試合フル出場記録が1492試合で途切れたという話が数字上でリンクしているんだね。私:しかし、「学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史・上」を読んでいる俺には、「新大陸発見」は原住民の苦難の日々とリンクする。 原住民の虐待が、数百年も続くスタートの年としてリンクするね。A氏:リンクの仕方でその人の知識の偏りが出てくるね。私:そのせいか、今朝の天声人語は何を言わんとしているのかさっぱり分からなかったね。 タグは下のようにバラバラになるね。
2010.04.20
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いろいろな書評から、インターネットで図書館に予約してきたが、回転が悪く予約がたまってきて14冊になった。 予約は一人、6冊までだが、家人の登録番号を使っているので、もっと多く予約はできる。 14冊は下記のようになり、逐次、この知的街道で落ち合うようになるだろう。1.「日中歴史認識」服部龍二著 「日本版『我が闘争』」として知られ、時代の荒波に翻弄された怪文書「田中上奏文」。 いったい誰が作成したのか?なぜ世界中に伝播したのか?日・中・台・米・ソの思惑 は?熾烈な情報戦の結末は? 真相解明を通じて永年の論争に終止符を打ち、和解の糸口を紡ぎ出す。2.「昭和」ジョン・W.ダワー著 戦時のスローガン「一億一心」が覆い隠した社会の無秩序と緊張とは。日米関係の基本的な性格とは。風刺漫画や映画から昭和を実証的に検証する厳選論集。 「役に立った戦争」「日本映画、戦争へ行く」ほか8編を収録。3.「ムサシ」井上ひさし著 宮本武蔵と佐々木小次郎、ふたたび相まみえる。鎌倉の禅寺を舞台に、武蔵と小次郎に沢庵宗彭、柳生宗矩らが入り乱れ、上を下への大騒ぎ。人間は「報復の連鎖」を断ち切ることはできるのか?井上戯曲の最高傑作。4.「排出権商人」黒木亮著 空気が大金に化ける。これが「排出権ビジネス」の実態だ!温室効果ガス削減か、排出権の購入か。温暖化防止の美名の下で生まれた、まったく新しい国際ビジネス。 利権に群がるしたたかな商人たちの、ターゲットは日本。 世界11ヵ国に及ぶ徹底した取材で描く、緊迫のリアルフィクション。5.「骸骨ビルの庭 下」宮本輝著 育ての親、阿部轍正は、子供たちの一人、桐田夏美への性的暴行の汚名を着たまま、苦悩のうちに死んだ。真相を求めて、八木沢は夏美の行方を追う。過去の謎が謎を呼び、秘密は深まる。 一方、八木沢はビルにもう一度畑を甦らせようと一人耕し始める。そして、小さな命が蕾をつけるとき、骸骨ビルの本当の意味が明らかになる。 自分は何のために、そして、誰のために、生きているのか?心の奥底から溢れ出す人間への讃歌。すべての生きとし生けるものへ贈る感動の長篇小説。 (上巻、読了済み)6.「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」岩崎夏海著 公立高校野球部のマネージャーみなみは、ふとしたことでドラッカーの経営書『マネジメント』に出会う。 はじめは難しさにとまどうが、野球部を強くするのにドラッカーが役立つことに気付く。 みなみと親友の夕紀、そして野球部の仲間たちが、ドラッカーの教えをもとに力を合わせて甲子園を目指す青春物語。 家庭、学校、会社、NPO...ひとがあつまっているすべての組織で役立つ本。7.「紙の本が亡びるとき?」前田塁著 「めくらない世代」がやってくる! もはや"紙の書籍が失われた二十年後"は、過剰な妄想の産物ではない。そのとき、"文学"あるいは"本"は、いかなる動揺を受けるのか? 気鋭の文芸批評家が、ネットワーク社会で「不可避に生じる変化」と対峙する。8.「読み解き『般若心経』」伊藤比呂美著 般若心経、白骨、観音経、法句経、地蔵和讃-詩人の技を尽くして画期的な現代語に訳していく。9.「サルコジとは誰か?」アラン・バディウ著 パリ郊外の移民を「社会のクズ」と呼んだ男、ニコラ・サルコジ。 なぜ彼はフランス大統領に選ばれたのか? 現代フランスを代表する哲学者が、新自由主義と排外主義を標榜する現職大統領を徹底的に批判し、新たなコミュニズムを提起する。本国フランスでベストセラーとなった話題の状況論。10.「白村江の真実新羅王・金春秋の策略」中村修也著 大敗した白村江の戦いの影に浮かび上がる後の新羅王金春秋。 彼は日本の朝鮮半島外交にいかなる影響を与え、日本はなぜ戦争を選択したのか。 白村江への道を臨場感溢れる筆致で描き、"古代東アジア大戦"の真実に迫る。11.「わかる歴史・面白い歴史・役に立つ歴史」桃木至朗著 日本史・アジア史・西洋史の全体をとらえ、歴史の魅力を探る。 歴史によせる高校・大学・市民の期待に向き合う阪大歴史学の成果。12.「海を渡る"土兵"、空を飛ぶ義和団」吉澤南著 世界分割の最終局面に燃え上がった民衆運動の炎。 中国に集結した列強多国籍軍の連携と対抗を、諸民族との遭遇や衝突の中に描く。 「新しい世界史」を構想した著者の遺作。13.「大仏男」原宏一著 お笑いコンビ・カナ&タクロウが、ネタ作りのために行った霊視相談がネット掲示板で話 題騒然。やがて政財界をも巻き込む大プロジェクトへ。 タクロウは混迷する日本と人の心を救うのか...。気鋭のユーモア青春小説。14.「『日本人論』再考」船曳建夫著 『武士道』『「いき」の構造』『菊と刀』『「甘え」の構造』『この国のかたち』『敗北を抱きしめて』など、明治以来、各時代のベストセラーとなってきた「日本人論」が、終焉の時を迎えている。 21世紀を担う日本人のための新たな道に向かって、いま、われわれは歩み出さなければならない。
2010.04.19
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岩崎弥太郎と三菱四代 私:日曜日の朝日新聞は、読書特集があり、俺はその書評で気に入った本を図書館にインターネットで予約する習慣がついてしまっているね。 大抵の書評は本を褒めているのが多いが、売れている本としてとりあげた「岩崎弥太郎と三菱四代」への書評は、辛口書評だね。 いや、メチャメチャな酷評だね。A氏:この本は週間ベストテン5位だね。私:評者は、ジャーナリストの佐々木俊尚氏だが、この本では、岩崎弥太郎が「公共心を持った経営者」のように書かれているが、明治期は会社の利益と国の利益が一致していたからだという。 情緒的な「明治は良かった」論からは何も生まれないと厳しいね。 先週、このブログで4日間とりあげた「日本人が知っておきたい近代史」も明治人の礼賛だね。A氏:今は、日本は変動期だから、明治維新と比較されるのだろうね。 明治の人はあの難局を乗り切ったからね。私:鳩山首相は昨年の首相就任演説で、民主党の勝利は、単なる政権交代でなく、平成維新だと言っているね。 しかし、明治維新は貧乏な下級武士が中心だったし、公家の岩倉具視も貧乏公家だね。 ところが、平成維新は、大金持ちで平成の脱税王と言われても、言い返しのできない人がリーダーだ。 これでは、ダメだろうね。 安倍、福田、麻生、鳩山と続いた日本の政治リーダーは、皆、父親か祖父が総理大臣だ。 言わば、鳩山政権は徳川幕府で将軍が本家でなくて、紀伊家から来たくらいの変化だね。A氏:民主党の下級武士が天下をとったわけではないね。 鳩山首相の行動をチャンと国民は見ているから、内閣支持率はどんどん下がっている。 大体、普天間基地問題なんて、民主党の公約にはなかったことらしい。 ワザワザ、自分で自分の首を締めている状態だね。 何を一人相撲で沖縄やアメリカを巻き込んでいるのかね。 普天間問題がどうしようもなくなる6月頃が、一つの転機かね。 それから本当の平成維新になるのかね。私:この書評では、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」に岩崎弥太郎が出てくると書いているが、俺は、偶然、司馬遼太郎の未公開講演テキストを読んでいたら、龍馬と岩崎弥太郎の関係が書いてあった。 龍馬は「海援隊」を作るが、これは今でいう「株式会社」だから、いろいろな人から出資してもらう。 土佐藩もカネをだすというが、支配を受けないと龍馬はいう。 そこで仕方なく土佐藩は、会計係を一人だけ派遣する。 これが岩崎弥太郎だね。 だから、土佐藩士であって、海援隊士ではない。 「いろは丸事件」というのがあって、この海難事件で、龍馬は紀州藩から多額の賠償金を得る。 金が出た頃は、龍馬は暗殺されている。A氏:カネはどこへ行ったの?私:岩崎弥太郎だね。 別に汚職したわけではない。 明治になって、岩崎は、土佐藩の借金を肩代わりする代わりに、土佐藩の大阪の蔵屋敷、汽船、帆船と紀州藩の賠償金残を手に入れる。 そのカネは3万両とも言われる。 これが偉大なる三菱のスタートの瞬間だね。 龍馬と弥太郎は性格が合わず、縁が薄かったようだが、司馬氏は、岩崎は龍馬の思想を学んで、三菱商事を興し、長崎に造船所を置いたという。 龍馬は岩崎の師匠だったという。A氏:最近、政界の龍馬だと言って、自民党をやめた人がいたね。私:これも「情緒的な『明治はよかった』」の一例かもね。
2010.04.18
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私:4月早々に、内科に行ったら、新しく「請求内訳明細書」というのをもらった。 どうやらシステムが変わったらしい。 今まで、領収書1枚だったのが、この明細書が添付されて2頁ほどになっていた。 明細書には項目ごとに点数が書いてあった。 血液検査だと、検査項目ごとに数行並んでいた。 例えば、血糖値を示すHbA1℃は50点とかね。A氏:どういう意味なんかね。 民主党政権で、透明性や情報公開をうたっているが、医療費の透明性のためかね。 しかし、高いか、安いかは判断が難しいね。 透明性や情報公開は逆に、情報を受ける側が勉強していないと意味が無いね。 紙とインク代が増えるだけだよ。私:そう言えば、「ミズナライフ」さんのブログで、「院外処方箋で無駄なお金を払っていませんか?」で興味ある記事があった。 院外処方箋の領収書に「薬学管理料」という項目がある。 点数が45点と書かれていたら450円支払っていることになり、内、30点が手帳に貼るシールにプリントされた分(300円)、15点が手帳に貼るシールの分(150円)だという。 俺も、早速、最近の薬局の領収書を見たら、「薬学管理料」45点とちゃんとなっていたね。 この薬局はそのせいか健康手帳の提出がうるさいんだね。 ただ、この費用には、人件費以外にパソコンやプリンターなどの施設の償却費やインク代も含まているのではないかね。 厚労省の計算基準があるんだろうね。A氏:俺は月に一度は、長期投薬のため、院外処方箋で薬をもらいに行くのだが、薬局になんであんなに人がいるのだろう、あの人たちの給与はどこから出ているんだろう、と思ったことがある。私:君のその薬局の領収書例を見せてくれ。 えーと、「調剤技術料」が372点。 「薬剤管理料」45点。 「薬剤料」997点。 合計、1414点。 金に換算すると14,140円だね。 君は、1割負担だから、実際に薬局で払うのは、1,410円。 後の金は、保険金からの支出だね。A氏:俺が1,410円払っているが、実際の薬代は9,970円、薬局には4,170円入るというわけかね。私:それ以外に君は健康保険だから、かなりの保険料を病気にかからなくても毎月とられているだろう。A氏:この薬をもらうときには、白衣を着た薬剤師が2人で10分くらいかかって袋に薬をつめていたがね。 手の空いている時もあるから、時給3,000円は超えそうだね。私:この辺の仕組みは「透明」「情報公開」でも勉強しないと分からないね。
2010.04.17
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私:4月14日の朝日新聞朝刊の生活コラムで「『ゲーム買って』攻撃どうクリア?」という記事があったね。 入学や進級の春に子供から「◯年になったからゲームを買って」とねだられるというわけだ。 データによると、ゲームを始める年齢は就学前(5~6歳)が全体の6割を占めるという。 やはりDSが多いようだ。A氏:小学2年生に進学した君のお孫さんはどうなの?私:最初、俺が脳トレでDSを買った。 それを遊びに来るといじっていたので、子供向けの脳トレを買ったら、小学校入学前から遊びに来ると必死にやっていたね。 目を悪くすると思い、バックライトに買い換えた。 DSが2台となったから、家に持ち帰り出したね。 両親は若いとき、ドラゴンリクエストかなんかでゲームをした経験があるようだ。 だから、家には、古いプテステはあるので、パパと時にはやるようだ。 しかし、ママは子供のゲームには基本的に反対だね。 だから、自らDSは買わない。A氏:それではママは君のお孫さんがDSを持ち帰ってもやらせいないだろう。私:短時間ならやらせているようだね。 そのために、100円ショップでタイマーを買って、30分で終わりにしている。 任天堂の説明書には1時間遊んだら、15分休憩とあるそうだ。 俺は、ゲームは体を動かさないのが問題だと思って、Wiiを買ったんだが、孫は家に来るとWiiだね。 俺の家のTVは42インチの液晶だから、WiiはDSと違って、目にも姿勢にもいいし、皆で見えるし、家族で楽しめる。 ところがこれが問題になってきた。A氏:なんだい?私:Wiiでもスーパーマリオなどになると俺は歯が立たない。 中古【Wii】ニュー・スーパーマリオブラザーズ・Wii 大体、孫の方が習熟が早い。 そうなると孫が一人でやることが多くなる。 これも30分タイマーとなる。 1日中、遊びに来る時は、勉強の問題集を持ってきて、ポイント制にしている。 勉強や読書を1時間程度やると30ポイントで30分ゲームが出来るというわけだね。A氏:こないだTV番組で、子供がゲームをやると、ゲームで50分、親子の会話が25分とか言っていて問題だとしていたね。私:俺たち子供の頃は、ゲームはなかったが、親子の会話もそうなかったね。 親は貧乏ヒマなしだよ。 学校の後、俺はほとんど、友達と外で遊んでいたか、一人で本を読んでいたね。 今、俺もWiiをやるから、マリオカートレベルだと孫と対戦したり、会話したりできる。 こちらの商品は送料無料です!N-27●送料無料!【SFC】スーパーマリオカート【中古】240 Wiiで驚いたのは、孫は熱心にゲームの解説書を読んで一人で覚えてやっていることだね。 解説書は、漢字に読み仮名がチャンとついている。 俺たちが子供の頃、漢字に読み仮名がついた厚い講談本を熱心に読んだことを思い出したね。 円タク、円本時代だね。 立派な実用的な読書習慣にもなっている。 マンションや学校の友達ともゲームのことで会話ができるという利点もあるね。A氏:一時、ゲーム脳とか脳内汚染と言われたけれどーーー。私:実際に、俺もWiiをやっていると、結構、ゲームに勝つには知的に頭は使うね。 ところで、この朝日新聞では、NPO法人がゲームの付き合い方5原則を掲げている。 これは特にDSにあてはまるね。 1.ゲームをしない日を週に3日以上作る。 2.ゲームはデータ保存時間を含め、週に合計3時間以内。 3.ゲーム機を外に持っていかない。 4.ゲーム機は家の人に預け、使うときだけ貸してもらう。 5.以上のルールを繰り返し破るときは「1ヶ月以上使用禁止」にする。 「ルールはきちんと守る」「自由と規律は並行する」という「ゆとり教育」で失った感覚を育てるにはいいのではないかね。 なんでも「道具は使い様」だと思うね。
2010.04.16
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日本人として知っておきたい近代史(明治篇) 私:明治の三太郎とは、桂太郎、児玉源太郎、小村寿太郎のことだが、この3人が日露戦争を勝利させ、これにより、列強と肩を並べるまでに日本を育てた功績は大きい。 しかし、3人とも日露戦争が終わってわずか7年以内に若くして亡くなっている。 日露戦争による過労だろうか。 歴史にイフはないが、もし、この3人が長生きしてくれたら、日本は昭和で馬鹿な戦争をしなかっただろうと、中西氏はいうね。A氏:児玉源太郎は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」で有名になったね。私:この本では、乃木大将が児玉源太郎と比較され「坂の上の雲」の203高地の戦いで愚将のように言われているのは、不公平だとしているね。 日本海軍では、旅順港のロシア艦隊を早く潰すために、203高地の占領を要求するが、陸軍はそれを相手にしないで、独自の戦略を立てる。 陸軍内の対立が、海軍と結びついていた。A氏:君のブログの「それでも、日本人は戦争を選んだ」では、当時のロシアの軍事専門家が、旅順の戦いは、陸海の両軍の協調の成功だとしていたが、事実は、陸海の仲は良くなかったんだね。私:三太郎の次の小村寿太郎は、明治8年、20歳でハーバード大法学部に入学する。 彼は、明治11年、ハーバード大法学部を最優等で卒業する。A氏:今の日本人の若者でハーバード大で最優秀で卒業できる学生はいるだろうかね。 英語会話学校などないのに、やはり、明治の人間は国のために目的意識が明確だったんだろうね。 だから、英語の学習能力も今の若者より高かっただろうね。 これは、このブログの「サムライと英語」の3日間シリーズでふれている。私:寿太郎は明治13年に帰国するまで、ニューヨークで約3年間、弁護士として働く。 次の3番目の三太郎は、桂太郎だ。 中西氏は、日本の近代史で今こそ、再評価し、実像に迫る必要のある人物としトップにあげるのが、桂太郎だという。A氏:桂太郎というと元老山縣有朋の使い走りで、ニコポン的な凡庸な人という評価が一般的だね。私:桂太郎は、22歳で、私費で3年間ドイツに留学し、近代軍事を学ぶ。 帰国後、ドイツから学んだ、参謀本部を創設するんだね。 最後に、中西氏は、明治時代を日本人は誤解しているという。 明治時代が輝かしいのは、いち早く西洋の合理主義、技術をわがものとして日清、日露という大戦争を勝ち抜き、列強に肩を並べたからではないという。 本来の「日本人のこころ」のあり方をつねに見つめ、「誠」を貫くことこそ、己の生きる道だと信じた人間が、次から次へと多数現れた時代だったから、輝かしいのだという。 だから、むしろ、西郷、乃木のほうに中西氏は「日本のこころ」を見ているね。 そして、第一次大戦頃から、日本人は「日本のこころ」を失い、金儲けに走り出す。 先週のTVで、新党「たちあがれ日本」に関係した石原慎太郎都知事が「政治理念より、こころだ」というようなことを言っていたが、同じような考えなのかね。A氏:児玉源太郎の「こころ」はどうなのかね。私:俺は乃木将軍より、児玉源太郎の「近代的日本的知性」が受け継がれなかった日本が問題だと思うね。 児玉源太郎は海外留学すらしていなし、薩長閥でなく徳山藩の出身だ。 日露戦争における児玉源太郎の活躍はすごいものだ。 児玉源太郎の神社は江ノ島に渡ったところにあるが、俺はかって、「坂の上の雲」を読んだ後、この神社を知って訪れたが、人気はなくポツンとあるだけだ。 乃木大将には乃木神社という立派な神社が東京赤坂にあり、今も賑やからしいが、この違いが、昭和の軍部による日本崩壊を象徴的に予告したと思うね。 俺たちの小学校時代でも、乃木将軍はよく出てきていたし、児玉源太郎よりも東郷平八郎がよく出てきていたね。A氏:俺は、現代は、日本人はハングリーでなくなったのが問題だと思うね。 太平洋戦争で負けたときは皆、ハングリーでアメリカに技術を学び、これを追い越し、高度成長を成し遂げたが、日露戦争に勝った後のように、バブルとなり、崩壊して、無気力になっているような気がする。 歴史は繰り返すだね。私:もう一度、なんらかのトコトンまでの危機が来ないと日本人は動かないのだろうか。 だから、「たちあがれ日本」なのかね。 しかし、乃木将軍のほうにたちあがるのか、児玉源太郎のほうにたちあげるのか分からないね。
2010.04.15
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日本人として知っておきたい近代史(明治篇)私:伊藤博文は、幕藩体制を倒した先輩たちの後を継ぎ、日本を欧米列強に負けない近代国家へと導いた功労者だね。 百姓から身を起こし天下をとったということで、明治の秀吉だね。 この本を読んで、驚いたのは、彼はかなり、海外に行っていることだね。 英語はペラペラだったらしい。 百姓出身の彼はどのようにして英語をマスターしたのだろうか。 この英語力とそれによる国際的な交渉力が、初代総理に選ばれた大きな理由だったらしい。 文久3年(1863年)5月、22歳でイギリスに密留学する。 イギリスで最新の文明に遭遇し、攘夷論を捨てて、即座に開国論へ転換する。 そこで長州の攘夷決行を知り、急遽帰国し、自重論を説くが、虚しく戦争がはじまり、長州は負ける。A氏:下関戦争だね。私:その講和条約のとき、伊藤博文は英語力を買われ、下級武士ながら、使節の一員となり、講和条約の名手ぶりを発揮する。 この交渉で得たアジアのイギリス人脈により、最新式のミニエー銃四千を購入。 これが、第2次長州征伐のときの幕府軍に対する大勝利のもとになる。 伊藤の第2の海外渡航は、明治4年で、岩倉具視を大使に、木戸孝允、大久保利通ら百人を超える大使節団のときだ。 しかし、この本によると、このとき、海外渡航は3度目だというから、文久3年後に留学経験があったことになる。 それはこの本でもウィキペディアでも分からない。 明治政府の財政制度(大蔵省改革)を作るときにアメリカを参考にしたというから、その頃かもしれない。 明治15年、伊藤は憲法や国会の研究のため、ヨーロッパに外遊する。A氏:これで4度目だね。私:そして憲法を作り、政党を作り、初代内閣総理大臣になっていくのは、おなじみの明治の歴史だね。 明日は、「明治の三太郎」に話題を移そう。 この三太郎というのは、この本の造語みたいだね。 「明治の三傑」は、木戸孝允(桂小五郎)、西郷隆盛、大久保利通だが、これにならったのかね。 伊藤博文は、この三傑亡き後を引受け、さらに並行して三太郎が活躍することになる。
2010.04.14
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日本人として知っておきたい近代史(明治篇) 私:大佛次郎の「天皇の世紀」は箱入りの装丁本10巻がある。 昨年、引っ越すとき、この本は売らないで持ってきた。 10巻並んでいる棚から、適当に8巻目を引き出したら、これが最初から、慶応3年の12月7日から始まっていた。 章の名前は「波濤」。A氏:12月9日がクーデターの日だから、その2日前だね。 「小御所会議」はウィキペディアにも詳しく載っているね。私:しかし、「天皇の世紀」のほうが約30頁にわたり述べていて詳しいね。 岩倉も大久保も実に緻密な計画をしていたことが分かる。 岩倉は女官にまで注意を与えている。 最悪の場合、戦争覚悟で準備しているね。 幕府派の土佐の山内容堂は、前日に京都近くに入るが、後藤象二郎から、京都の情勢が一方的に薩摩のままに運ばれているのに激怒し、明日の会議には自分も出ないと言い出す。 しかし、説得され、気の向かないまま、翌日、午後4時頃、席につくが、慶喜がいないことを知り、一敗地に塗れることになる。 ここで議定(議長)の中山忠能から王政復古の宣言と徳川排斥の大方針を聞く。A氏:容堂は怒っただろうね。私:記録によると、容堂は欠席裁判でなく、速やかに慶喜を参内させよと述べた後に、「幼い天皇を擁して権柄を盗もうとするものだ」と大声で放言したという。 天皇の前では、不謹慎に大声を出さないのが古くからの礼儀であった。 ここを岩倉に突かれ、「天皇は優れたお方である。無礼も甚だしい」と言われ、容堂は失言を認め沈黙する。 容堂に代わって、慶喜擁護論も出る。 しかし、大久保利通が、徳川の功罪を論ずるよりも、慶喜に官位と領土の返還を命令し、慶喜がこれに快く服したときは、大政奉還もその誠意から出たことが証明できるのだと反論する。 列席の皇族は沈黙。 他の諸侯は、あいまい。 大久保利通と土佐の後藤象二郎の対論となった。A氏:膠着状態だね。私:味方側にも妥協的な態度が見られ出す。 中山忠能が他の列席者と私語しようとする。 岩倉がそれを見て、「大事な議論を天皇の前でしているのに、私語とは何事だ」と抑える。 休憩の時に、西郷隆盛が短刀を見せたというのは「天皇の世紀」では、うわさ話としているが、雰囲気はそうなってきていたという。 この休憩時間に、岩倉が最終手段を辞さない旨を芸州藩の浅野に伝え、浅野が容堂に伝えた。 「天皇の世紀」では、岩倉が貧乏で苦労した人間であるのに対して、容堂は大名育ちのわがままであるから、執念の度合いが違うとしているね。 休憩後、再開された会議では、岩倉、大久保の案通り決まる。 すでに翌10日の朝になっていたという。 15歳の明治天皇はずっと玉座にいたんだから大変だったろうね。A氏:クーデターの成功かね。私:それが違うんだね。 このクーデターで得た結論の「幕府の土地返上」は、その後、幕府側の巻き返しがあり、骨抜きにされる。 そこで、西郷が江戸でテロ的な騒擾を起こす。 この辺はウィキペディアの「小御所会議」のほうがまとまっているね。 結局、翌年の鳥羽・伏見の戦いで薩長が勝つまで、権力は宙に浮いたままになる。 中西氏は、「近代とは権力を『戦場』における勝利ではなく、あくまで『会議』の中でつかむ時代だ」と書いているが、やはり、権力は「戦場」で獲得されたようだね。 明日は、本題に戻り、伊藤博文に移ろう。
2010.04.13
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日本人として知っておきたい近代史(明治篇)私:筆者は、日本の近代を告げる一番の「決定的な出来事」として慶応3年(1867年)12月9日の「王政復古の大号令」と徳川慶喜の「辞官納地(官位の辞任と徳川家の領地の返上の要求)」を決めた「小御所会議」をあげている。A氏:徳川慶喜の「大政奉還」ではないんだね。私:「大政奉還」は「小御所会議」の2ヶ月前の10月14日に行われている。 実は、慶喜にとっては「大政奉還」はあくまで形だけのことで、薩長などの反徳川陣営から倒幕の名目を奪うための「政略的手段」にすぎなかったという。A氏:俺も、慶喜が何故、簡単に徳川幕府の統治権をいとも安々と放り出したのかと思っていたんだが、裏があったんだね。私:慶応3年というのは日本の近代化では大変な年だね。 まず、5月に京都二条城で「四候会議」がある。 「四候」とは、前越前藩主・松平春嶽、薩摩藩国父の島津久光、前土佐藩主・山内容堂、前宇和島藩主・伊達宗城だね。 当時、「兵庫開港」と「長州処理」が問題になっていた。 これら四候は、徳川の専権を守ろうとする慶喜に対して「諸候連合政権」で対応しようとしていた。A氏:オールジャパン構想だね。私:しかし、徳川の専権に固執する慶喜は、これにとりあわず、会議は空中分解する。 一方、同年3月に公家の岩倉具視の追放処分が解除される。 岩倉具視は、権力政治家として有名だが、同時に、一貫して「王政復古」による日本統一を理想として抱き続けたという側面がある。 彼と薩摩藩の大久保利通が密かに連携する。 9月19日に大久保は、山口で長州藩の毛利父子と会い、薩長二藩の「出兵協定」を結ぶ。 10月6日には、大久保は京都の岩倉のもとを訪れ、「討幕」と「王政復古」の具体的な進め方を打ち合わせる。 10月13日には「討幕の密勅」が薩摩藩に、14日には長州藩に下される。A氏:まさに討幕のギリギリの時期だね。私:討幕の動きを察知して、幕府側の土佐の山内容堂は、先手を打って「大政奉還」のアイデアを慶喜にすすめ、10月14日の大政奉還となる。A氏:それで岩倉、大久保の討幕は一頓挫というわけか。私:ところが、討幕派に有利な事態は、11月8日に岩倉の洛中居住が許可され、彼が「御前会議」への列席が可能となったことだ。 11月15日には、出兵準備で薩摩藩に帰っていた大久保も京都に帰ってきた。A氏:二人の主役が京都に揃ったわけか。私:そういうわけだね。 「王政復古」のクーデター決行は12月9日となった。 西郷が指揮する薩摩軍が御所の周囲を固める中、御所に参内した岩倉は、15歳の明治天皇の御前で「王政復古」の断行を奏上し、明治天皇は「王政復古の大号令」を発布する。 そして、同日夜その具体的な実行策についての「御前会議」が行われる。A氏:これが日本の歴史を変えた「小御所会議」か。私:「王政復古派(岩倉・大久保)」と「公議政体派(山口容堂・後藤象二郎)」の最後の戦いだね。 会議は、深夜まで続くが対立したままだ。 深夜零時、休憩時、別室にいた西郷隆盛が岩倉の前で、出し抜けに「短刀一本あれば片づく」と無造作に言ったという。 これを聞いた岩倉は奮起して、再び会議で激論し、その殺気にさすがの土佐の容堂は「もはやこれまで」と観念する。 ここで慶喜の「辞官納地」が決定し、264年に及ぶ徳川幕府の支配は終焉し、日本の近代が始まる。 「日本の一番長い日」の1つだね。 後は、岩倉、大久保の天下となったのは歴史が示す通りだね。 明日は、ちょっと、この本から外れ、このクーデターの「小御所会議」を大佛次郎の大著「天皇の世紀」(波濤編)ではどう書いているか、ふれてみよう。 この本の読書感想番外編だね。 天皇の世紀(5)普及版
2010.04.12
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日本人として知っておきたい近代史(明治篇)私:用事で外出して、乗り換え駅で時間があったので駅構内にある本屋に入った。 そこで何気なく手にしたのがこの本だ。 パラパラめくったら、面白い視点で日本の近代史をまとめているのが気に入って、新書版なので荷にならないので買ってしまったよ。 このところ、本は図書館で借りて読んでいたんで、買ったのは久しぶりだね。A氏:中西輝政教授はどちらかと言えば保守派の論客だね。私:そうだね。 結論は大体、想像はつくんだが、明治期に活躍した日本人の人物像を中心にまとめているので、興味が湧くね。 俺の知らなかったことも結構あったね。 その点では参考になった。 まず、登場するのが吉田松陰だね。 これは常識的な登場だが、実は彼は兵学者としても優れていたということだね。A氏:俺も彼は思想家、教育者というイメージだったがね。私:松陰は、山鹿流兵学を家学とする吉田家の跡取りとして鍛えられた。 兵学者であった松陰は当時、アヘン戦争の報にも接しており、身近に迫った「西洋の脅威」を重く受け止める。 西洋の科学技術を学ぶため佐久間象山にも師事する。A氏:佐久間象山は西洋の科学技術をかなり学んでいたね。 当時の洋学の第一人者だね。 大砲の鋳造をしたり、ガラスを作ったりしているね。私:松陰は、ペリー来航の前年までに、日本全国の国防状況を実地調査する。 すでに「藩」を離れ、日本という「国」と意識があったんだね。 そこで兵学者としての松陰が立てた国防戦略が「尊王攘夷」だね。A氏:日本は神の国だから、夷狄を入れるべきでないと言うことかね。私:兵学者の松陰は違った意味に使っているね。 尊皇攘夷とは、攘夷(日本の独立主権の擁護)が先で、そのための尊王だというわけだ。 国防対策、安全保障の国家戦略としての尊王だね。 「西洋の脅威」に対抗するためには、幕藩体制ではだめで、日本人を結集しなくてはならない。 それには天皇への忠義の名のもとに結集すべきだというわけだね。 しかし、当時は列強の戦力には日本は及ばない。 そこで彼はまず、迂遠だが人材の育成から手をつける。A氏:松下村塾だね。私:この塾で育った人々が、後の明治維新に活躍することになるのはご承知の通りだね。 ここでこの本は、近代日本を生み出した岩倉具視と大久保利通の人物に迫る。 これは明日の話題にしよう。
2010.04.11
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下の孫は、水曜日は幼稚園初の登園日。 幼稚園バスがマンションの前に来て、いざ、乗る段になって「ママの自転車で行きたい」と泣き出し、いろいろなモノを放り出したと言う。 ママは、放り出したものをバスに放り入れ、バスのガイドの人も、抱き上げ、バスに載せ、バスは出発。 後はバイバイだったという。 昼に、バスで帰ってきたときは、すでに「幼稚園は楽しかった」ということになった。 この孫は、次男坊のせいか、兄貴にときどきいじめられているので、切り替えが早い。 翌日、ママのところに幼稚園の担任の先生から電話があった。 孫が幼稚園の運動場の鉄棒で年長の園児と遊んでいたら、片手でぶら下がってしまい、地面に落ちそうになった。 近くいた先生が、さっと抱き上げたので怪我はなかったが、本人はヒヤッとしたのか、泣き出して、「家に帰りたい」と言い出したという。 それも「家に帰ってDSをやりたい」というのだから、愉快である。 ママは先生に「別に軽い怪我くらいなら、心配しないで怪我をさせてください。 その子のためですから。 それにこの子は切り替えが早いから心配しないでください」と言った。 先生も「そうですね。そういえば、すぐに泣き止みました」といった。 昨日、その孫が我が家に遊びに来たので「鉄棒から落ちそうになったのか」と聞いた。 孫は「そうなんだ。落ちそうになった」と普通の調子で答えていた。 どうやら、第1関門は大過なく通過したようだ。
2010.04.10
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車で5分くらいの近所のマンションに孫が2人住んでいる。 共に男で上は小学2年に進学。 下が今度幼稚園。 今日が登園初日。 問題は、幼稚園バスに乗るときである。 母親と離れ、見知らぬ人のバスに乗るからだ。 この孫は保育園の経験はあるが、どうも人見知りタイプである。 幼稚園バスが来て、乗るとき泣き出すのではないかと心配である。 それは幼稚園の初日には展開されるよく見る光景であるが、どうなることか。 迎にくるバスの人は、さすがにベテランで泣いてもうまく対応して乗せてしまうらしいが。 まぁ、幼稚園バスへのステップが最初の厳しい社会人としての第一歩になることだろう。
2010.04.08
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私の母方の兄弟姉妹は5人で男3人、女3人。 私の伯父、叔父、叔母にあたる。 私の母親は長女。 それぞれの連れ添いも含め、次第に亡くなり、最後になったのは、3男の連れ添いだったこの叔母だった。 子供は4人いて、曾孫も2人いた。 私は、親戚とは言え、疎遠で10年くらいご無沙汰していた。 叔母は、ここ1年くらい病院暮らしであったが、89歳の誕生日祝をした1週間後の3月27日に他界した。 3月31日に通夜で、4月1日に葬儀があった。 4月1日は、春の嵐で風は強かったが、晴天でオーバーもいらないくらいの暖かさであった。 葬儀会場の寺の桜は満開だった。 葬儀後、親戚一同、マイクロバスで、霊柩車の後を追い、20分くらいで、丘の上の斎場まで行く。 棺が炉に入っていく瞬間、誰かの泣き声がした。 本当に死者と別れるということが実感される場面である。 1時間ほどして、お骨を骨壷に入れる。 斎場から、寺に戻り、遅い昼食をする。 1時間くらいで、散会となり、三三五五、皆、帰っていった。 この叔母の死で、私の母方の兄弟姉妹とそれの連れ添いは、すべてあの世の人になった。 日中戦争、太平洋戦争、戦後、高度成長、バブルと多難な人生を歩んだ世代であった。 不思議なことに、男は戦地に行っていない。 それで、天命を全うしたのだろう。
2010.04.03
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名ばかり大学生私:少子化、大学定員の拡充、厳しい競争からの離脱という三位一体が、「名ばかり大学生」横行の根本原因だね。 1980年の4年制大学の学生数は約40万人、現在の大学生は約60万人。 60万人の下のほうの2割の学生は、新たに台頭した勉強しない、できない大学生だという。A氏:それに東大でも慶応でも、「入ればそれでそれでいいだろう」と考える学生がすくなくないならば、偏差値下方の学生も同じように考えて行動しているだけだね。私:結局、日本は、勉強を進路選択から切り離し、単に受験の成果とだけ、結びつけた。 だから、受験をしないなら、勉強しないという壮大な無気力空間を構築してしまった。A氏:この前も話したTVでの座談会で、官僚から中学校の校長になった人が現場の声として発言していたが、「学力低下以前の問題が多い。それは生徒の勉強意欲だ」と言っていたのを思い出した。私:日本のようにならないように、他の先進国は一部のエリートを除いて、大学入学資格を他人と争う形にしないで、大学に入った後に選別するという道を選んでいる。 日本は大学の敷居が高い。 外国は、社会人になってから大学にくることが多い。 25歳以上の大学入学者の割合をみると、諸外国は平均約2割。 日本はなんと2.7パーセント! ダントツの最下位だ。A氏:異常だね。私:大学の学費が高いのも異常。 日本では、民主党政権が、高校の授業料無償化を始めたが、それまでは、国連加盟国でそれをしていなかったのは、日本とマダガスカルとルワンダの3ヶ国だけだった。A氏:ダムに必要性には必死なのに、子供の学費はマダガスカルとルワンダ政府並みだったとはね。私:私立と公立大学の大学生比率を見るとイギリス、フランス、ドイツはほとんど私立大学がない。 それに対して、日本は大学生の77%が私立。 大学数では79%。 アメリカは大学数では75%が私立だが、大学生数では私立は少なくて35%。A氏:私立大学生がダントツに多いのが日本的な特徴だね。私:ところで、教育にまつわる「改革」は多様に行われて来たが、結局、大本にある大学入試制度は何も変わっていない。 しかし、大学側で対策を考えている教員もいる。 著者は、その例として、東北大学のオープンキャンパスの例をあげているね。 参加者は4万人以上だというから、小学生の参加もある。 大学で学ぶことを魅了させ、選択させ、大学入学後も学ぶという仕組みだね。A氏:問題は学力論でなく、大学論だね。私:大学入試が変われば、教育熱心な家庭は一斉に変化すると著者は言う。 日本は、今、教育制度でも「政権交代」が必要なんだね。
2010.04.02
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名ばかり大学生私:秋田県は文科省の学力テストで小学校が1位。 著者は、その原因を教師側が落ちこぼれ解決に焦点をあてたことを指摘している。 福井県も同様だ。 問題は、その秋田県や福井県では大学入試では24位だということだ。A氏:秋田や福井の子供たちが小学校、中学校で培った高い学力は、高校生になると、急速にしぼむんだね。私:秋田の成功は義務教育における成功だね。A氏:高校になると、勉強をしなくなるのかね。私:2008年度の高校生の学力をセンター試験の成績で見ると、福井は24位、秋田は35位だ。 このランキングでは上位は大都市、あるいは大都市への接続のよい都道府県だ。 これらの都道府県は、小、中学校の学力テストが悪くても、大学入試になると台頭してくる。 興味深いのは、奈良、大阪、京都、和歌山、兵庫、滋賀の6つがベストテンに入っていることだね。A氏:近畿は強いというわけか。 なぜだろう。私:著者は、近畿に住んでさえいれば、そこそこのレベルの私立大学が豊富にあることをあげているね。 それが高校になっても勉強継続の動機となり得る。 逆に地方の高校生となると、国立大学を諦めた途端に、東京の私大に行くのは金はかかるので選択肢がせばまる。 地元の私大は勉強しないでも受かる。 勉強意欲は低下する。A氏:それに東京では、すでに私立の小、中学校が親の資金で大学入試の受験勉強を開始しているね。 学力向上は地方の高校生には無理なのかね。私:しかし、著者は、難しい大学入試を切り抜けても、かならずしも、大学に入ってからの成績がよいとは限らないとしている。 むしろ、大学の初期の教育が重要だとしているね。 「分数ができない大学生」という本が出て、大学生の学力低下を指摘して問題が大きく扱われたね。 この中で、東大教養学部から工学部に進学してくる学生に同じ数学のテストを1981年、1983年、1990年、1994年の4回、してきたが、次第に正解率が低下してきていると、数学の学力低下を告発しているという。A氏:しかし、難しい試験を通った学生ではないの?私:この学力低下は、各学部に分岐したときの問題だから、すでに東大では2年間の教育を受けた後だね。 著者は、この工学部の学力低下問題は、明らかに東大の初期教育の失敗を露呈しているという。 特にこの4回で最低だった1994年の工学部に進学した学生は、1992年に東大に合格した学生が対象になるが、この年は最も子供が多い世代で、最大の難関を突破してきた学生だ。 したがって、1994年の東大3年生は、受験エリートの体現者だが、このエリート学生たちが、大学入試後、すさまじい勢いで勉強をやめていることになる。A氏:「ゆとり教育」のせいではないね。 難関を突破して目的を果たしたとき、急に勉強する動機を反動で失ったのかね。私:塾は、私立中学や難関大学に入ることには機能するが大学の学びにはたいして貢献しない。 東大の入学式では、3200人の入学生にたいして6500人の家族がついてきているという。 子供の自立も大学入学後の生き方もまったくお構いなしに、とにかく18歳の1月、2月に向けて、親は子供に必死に密着する。 できる学生は親子密着。 下位の私立大学は学生として何も得なくても卒業可能。 一発勝負の試験重視の日本型教育システムの姿だね。 問題は「ゆとり教育」でなく大学側にあると著者は言う。 明日は、大学側の新しい試みについてもふれよう。
2010.04.01
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名ばかり大学生私:俺が高校生の頃、ある大企業でアルバイトしたが、社員の人が「あの人はどこの大学卒だ」とウワサしているのをよく聞いたね。 そして、大学別に生涯給与カーブが違うんだというわけだね。A氏:高学歴が人生における甘い果実だと信じられていた状況下では、多くの子供や家庭にとって、学力そのものよりも序列が重要問題なんだね。私:それが戦後日本教育の特徴だろうね。 著者は、1970年と2008年の東大の英語の試験を比較のため、全文掲載している。 そして、2008年の問題の方が質、量とも圧倒的にあがっている。 合格率は同じ程度だ。 トップ層の試験レベルは低下していない。A氏:学力低下ではないね。私:著者は、1970年代に大学生になった者は、現代の子供に対して学力低下を言う資格はないと厳しいね。 少子化が進んでいる以上、学力は低下していくが、その低下は下位の大学からゆっくりせり上がるように起こり、それが現在は中堅大学まで進んでいるだけだという。 次に、著者は、東大や国立大学医学部に多数の合格者を送る私立桜蔭中学女子校の入試問題にふれている。 1982年と2006年の国語の問題を比較しているが、2006年のほうが難しくなっている。 さらに著者は、1995年の和歌山大学の現代文の入試問題を掲げているが、これが2008年の桜蔭中学の問題と同一筆者、同一著書の引用だ。 質問は、むしろ桜蔭中学のほうが難しいくらいだ。 和歌山大学だって、中の上くらいの大学だ。A氏:12歳と18歳の試験問題が同じとはね。 絶望的な学力格差だね。私:21世紀になって、勉強は一部の資産家の占有物になりつつあると著者は言う。 ちょっと、勉強すれば、すぐに成績が伸びた1970年代と、勉強しても格差が消えない21世紀とでは、背景が全く違ってきたわけだ。 著者はこれでも「ゆとり教育」によって勉強しなくなったと言えるのかと厳しい。 今朝の朝日新聞では、小学校の教科書が厚くなったと報じているが勉強ギライが逆に増加することも考えられるね。 明日は、文科省の学力テストで小学校が1位になった秋田県の話から始めよう。
2010.03.31
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名ばかり大学生私:少子化に対して大学の定員を絞るというのは、まず、国として高等教育を国民に提供するという、近代国家の理念に反するね。A氏:国として人材も不足するね。私:ところで、1970年から1980年の約10年間で、普通高校への進学率が約1割上昇している。 同時に起こったのは全国の実業系高校の「権威」失墜だという。 それまでは、優秀な中学生でも、家庭の事情で、工業高校や商業高校に進学し、安定した職業を得ていた。 これが普通高校の競争を緩和していた。 ところが、これが崩れると、普通高校進学者が増加し、競争は激しくなり、普通高校の格付けが始まる。 中学生に対して、大人側が「競争」の設定を誤る。 大学進学率も向上する。A氏:偏差値と塾の登場だね。 そして、奇妙なことに並行して「校内暴力」が始まる。私:1970年から1980年とは日本の高度成長が最高潮に達した時だが、学生たちにも大きな環境変化が起きたんだね。 愛知県では高校進学率を90%に限定し、仮に進学意欲があっても、学力最下層の高校への進学を拒否した。 結果、愛知県は、校内暴力の先進県として有名になり、暴れる中学生に手を焼く。これに対して「管理教育」を徹底する。 教師の暴力と暴言によって、中学生の暴力を抑えた。 そして、高校の学力は向上し、国公立大学合格者が続出するようになる。A氏:管理教育は成功だね。私:短期的にはね。 シッペ返しは、この世代が親になったときに出た。 1996年の幼児虐待死の件数で愛知県はトップとなる。 1000人あたりの「いじめ件数」でも最多となる。A氏:こわいね。私:よりよい大学に入るには、大学の一発勝負のペーパー試験にいかに高度に対応するかだ。A氏:塾の効能だね。私:教育、子育てに関心を持つ親は、最終帰着点である大学入試に、いかに有利に働くかということを中心に子供を育てる。 公立を見捨て、私立中学ブームを起こし、低学年、低年齢からの塾通いは一般化される。 ここには、子供が将来何を学ぶのかという視点は全くない。 つまり、現代の子供たちは、勉強とは競争のためだと、幼い頃から完全に洗脳されている。 だから、競争を降りた瞬間に勉強から離脱する。A氏:離脱しても、少子化で下位大学にはやすやすと入れるし、卒業もさせてくれるというわけか。私:なぜ、浪人しても上の大学を目指さないのか。 それは、「甘え」や「弱さ」でなく、入学試験の「問題」、特にその難易度にあるという。 それが明日の課題だね。
2010.03.30
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名ばかり大学生 私:ようやく、集中のいる用事が峠を越した。 そこで、軽い読み物の新書版のこの本を読んだ。 しかし、中身は濃いね。 最初、昨年の高校生の学力テストの結果が出ている。 英語(文法、作文)、数学、現代文の3科目だ。 試験問題も全文掲載されている。A氏:難しいのかね。私:中学初級程度だね。 しかし、正解率は低い。 まず、英文法が悪い。A氏:文法力が低いと、会話も弱いのではないの?私:そうだね。 数学になるともっとひどい。 中学初級レベルの問題でも正解率は3割を超えない。 問題は、このレベルの高校生でも十分に理工系の大学にも入学できるということだ。 この問題は、日本特有のものではないが、特有なのは、OECD加盟国の中で、大学中退率が最低の10%だということだね。 OECD平均は30%だね。 現在の日本は、まったく勉強しないまま大学への入学を許可し、基礎学力を欠いたまま、卒業することを許す世界史上でも稀な環境だね。A氏:「教育の職業的意義:若者、学校、社会をつなぐ」では、ヨーロッパ11ヶ国に比べると「職業における大学知識の活用度」で日本が著しく低いというのとつながるね。 日本の大学職業教育を「赤ちゃん受け渡しモデル」というのと通ずる。 どうして、こうなったんだろうね。私:背景に教育政策があるようだね。 日本の大学は増加してきた。 しかし、欧米の大学は公立が中心だが、日本の大学拡充は基本的に私学の新設に負っている。 日本の大学進学率は向上しているから、増加分は下位の私立大学に吸収される。 すなわち、上位の大学での著しい学力レベル低下という問題は生じにくい。 この状況は少子化で変わってくる。 大学の定員が減少しなければ、大学入試は、試験の点数の上位から合格だから、子供の数が減った分だけ、同一大学の学力は年々低下することになる。A氏:こないだテレビの対談で東大学長が、入学者の学力低下を嘆いていたら、対談相手の文科省副大臣が、東大は3千人の定員をずっと守っているから、少子化の影響を受けるのは当然だと言っていたね。私:しかし、1990年代半ばに、今まで短大志向だった女性が4年制大学に進学するようになって、少子化の影響は緩和され、4年生大学の学力低下は少し留まった。 しかし、21世紀になると子供の数は直近の10年間に比較して20%減少しているが、大学生の数は変わらない。A氏:私立大学は試験レベルをさげないといけなくなる。私:1970年代では、大学の教員は、世代上位の3割から5割程度のレベルの学力を持っている者を相手にしていた。 しかし、現代においてこの状況は一変する。 1970年代に「暴走族」という文化があった。 現代は、大学教員はその「暴走族」を受け入れるようになったのだと著者はいう。A氏:大学の定員を減らせばいいのではないの?私:ことはそう単純ではないようだ。 明日は、その点を考えてみよう。
2010.03.29
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教育の職業的意義 私:このブログは、知的なことを記録しておくことが本来の目的だね。 本も読んで終りにすると、後は時間がたつと内容を忘れる。 そこで、ブログを利用ということになったね。 内田樹氏がいうように、日記だと後で読んでもわからないことが多いが、ブログだと人に読まれることを意識するので、客観的になれると言っていたからね。 ところで、この新書版は、何かの書評で図書館に頼んでいたものだ。 日本の教育を職業と関連という視点で見ている点で参考になるね。A氏:教育というと、すぐに「ゆとり教育」か、「詰め込み教育」か、となってしまうからね。私:著者は、日本の職業教育を「赤ちゃん受け渡しモデル」と言っている。 それに対して、欧米は「棒高跳びモデル」だという。A氏:日本の職業的教育は遅れているのかね。私:データによると、ヨーロッパ11ヶ国より「職業における大学知識の活用度」が著しく低い。A氏:どうしてそうなったのかね。私:著者は「戦後日本型循環モデル」が原因だと言っているね。 高度成長、終身雇用制などが背景にあるね。 特に高度成長が大きな影響を与えているね。 「新規学卒一括採用」というルートが定着すると、実質的な職業能力形成は、就職した企業で行われる。A氏:高度成長期は人手不足だから、企業側もとにかく職業的な能力より、人手を確保したいという時期だね。 それに教育機関も甘えてしまったようだね。 だから、「赤ちゃん受け渡しモデル」になるんだね。私:この企業一体のシステムで高度成長するんだが、時代は急激に変わってしまった。 「戦後日本型循環モデル」は崩壊して、若者の就職難、アンダークラスの発生となってきた。 就職する若者が、ヨーロッパ並みに本当に職業能力をつけていないといけない時代となったのに、職業教育システムが追いついていない。A氏:教育の面でも高度成長期は異常だったんだね。 そして、今もって転換が効かないというわけか。私:労働市場が急変しているのにね。 著者もいろいろな提案をしているが、難問だね。 著者は、職業教育には、仕事への「適応」と「抵抗」のバランスが重要だという。A氏:「適応」は理解できるが、「抵抗」とは何だね。私:働く者としての権利を学ぶことだね。 労働法の勉強などだね。 次は、同じ新書版の「名ばかり大学生・日本型教育制度の終焉」をポチポチ気分転換に読んでみる予定で、図書館で2週間の予約で借りたよ。 関連しているね。 名ばかり大学生
2010.03.25
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昨日は、いわゆる「春の嵐」なのか、風が強く吹いた。 ゴーという音が絶え間なく聞こえ、いつもときどき聞こえるジェット機の音が継続している感じだった。 天気がいいので気分転換に散歩に出たが、まともに風を食らうと、足がちょっと止まるくらいの風圧だった。 自然公園に行くのは中止した。 JR東海道線も強風のため、徐行運転で遅れていた。 風は、夜も止まらず、雨戸が音を立てていた。 今朝、起きたら、風は止んでいた。 今日も天気はよさそうだ。
2010.03.21
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近所の家の木にいるのだろうか。 1週間ほど前から、朝、ウグイスの声が聞こえる。 もう、春か。 忙しいが、気分転換で、今日の午後は近所の自然林に行き、ウグイスの声を聞きに行くか。
2010.03.20
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A氏:昨日の君のブログで、沖縄返還に伴う「密約」で、米国と交渉した中心人物である国際政治学者、若原敬氏の記事が、今朝の朝日新聞に載っているね。 「密約」から27年後、1996年、病床で知人の前で毒薬をのんだ自決だったという。私:やむを得ない選択とは言え、「沖縄に申し訳ない」という半生だったようだね。 死去する2年前に「密約」の経緯を書いた「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」を出版。 題名は、陸奥宗光の言葉からとったという。 この本のあとがきで 「日本は『戦後復興』の名の下にひたすら物資金銭万能主義に走り、その結果---いわば、"愚者の楽園"と化し、精神的、道義的、文化的に"根無し草"に堕してしまったのでないだろうか」 とあるという。A氏:今の日本を予告したね。私:遺骨は沖縄の海に散骨されたという。 原爆の父と言われたオッペンハイマーの最後を思い出すね。 氏の骨壷はカリブ海のホークスネスト湾の海底にある。 そこには、オッペンハイマー・ビーチがあるそうだ。 若原ビーチができるのはいつの日かね。
2010.03.11
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文藝春秋 2010年 04月号 [雑誌] 私:今日、用事で東京にでかけたよ。 行きは小雨だったが、帰りは晴天。 往復の電車の車中で読むために、ちょうど、今日発売の「文藝春秋」4月号を買ったよ。 「文藝春秋」では毎号、トップに数名の人の短いエッセイが載っている。 常連は阿川弘之氏と塩野七生氏だね。A氏:塩野七生氏はローマ在住の女性作家で、「ローマ人の物語」という大著があるね。私:俺は読もうとして買い出したんだが、積読になりだしたんで諦めたね。 その塩野氏が、今月の「文藝春秋」で例の沖縄返還当時の「密約」についてエッセイを書いているね。 氏は、イタリアが第2次大戦でとられたトリエステが未だにイタリアに返還されないのと比較して、沖縄返還というのは国際上でも例の少ない平和時の返還であるという。 塩野氏は、「密約」があったからこそ、沖縄は、そこに住む人々ともに日本への帰還が実現したという。 60年安保の騒ぎがあった中で、返還を実現するには、他に方法がなく、ウソをつくしかなかっただろうという。A氏:外交の当事者の若泉敬氏が「他に方法はなかったと信じている」と書き遺したというね。私:当事者は断腸の思いでやったことで、後でとやかくいうのは、人間世界を知らない人の感覚だと塩野氏は厳しいね。 しかし、80年代もウソをついていた政治指導者は別の問題だという。 国民もマスメディアも、冷酷な国際情勢に目をつぶり、無知で怠惰で安楽をすごしてきたとさらに厳しいね。 最後に「北方四島」がいまだに返還されないのは、「密約」づくりができなかったからかもしれない、と塩野氏はしめくくっている。 外交というのは大変な冷酷な世界を相手に駆け引きがあり、政治家はそれなりの覚悟は必要だろうね。 鳩山首相には、普天間問題で、そういう駆け引きのできる腹はあるのだろうか。
2010.03.10
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私:最近、あまり新聞をよく読んでいないんだが、数日前に、朝日新聞の記事で、北海道の日教組の09年度のスローガンを掲載しているのを見て驚いた記憶がある。 正確には覚えていないが、確か、日米安保破棄、国旗としての日章旗・国歌としての君が代反対、自衛隊違憲など、政治色が前面に出ていたのに驚いたね。 これが社会党健在の55年体制の頃のことならわかるが、昨年のスローガンだとはね。A氏:北海道の日教組には、本部も手を焼いているらしいね。 民主党は安保を否定していないから、なんで民主党候補に選挙資金を出したのかね。 本来、社民党か共産党候補にカネを出すべきではなかったのかね。 確か、この北海道の選挙区は、自民党の大物の町村氏が出ていたんだね。 これを小沢流で対抗馬に女性候補を出したのかね。 選挙に勝てばなんでもいいのだという小沢流の選挙術の結果かね。私:そのへんはどうも謎だね。 そう言えば、最近、関東地方のある若いビジネスマンに会ったんだが、彼は日本の近現代史をよく知らない。 理由は学校で教わらなかったと言うことだ。A氏:授業時間が足りないからだというわけかね。私:ところが彼が言うことは違っていたね。 彼を教えた教師は、「授業時間の問題ではない。 日本の近現代史を授業でやるとうるさく言う人たちがいる。 だから、避けているのが実情だ」 と彼に本音をもらしたという。A氏:日教組関係の同僚がうるさいのかね。私:まだ、敗戦の尾をひきずっているようだね。
2010.03.06
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私:昨日は、日中から集中してやることがあって、気がついたら、夜中の12時を過ぎていた。 ブログを1日とばしていたね。 これから、ちょっと、当分、集中する用事が出てきたので、ブログは休みがちになるだろうね。A氏:ところで、君が3月1日に静岡の太平洋海岸近くの宿に泊まったというブログで、津波とサーファーのことをふれていたが、今朝の朝日新聞の3面記事のトップは「津波の海 サーファー1100人」という見出しだね。 北海道から沖縄までの海岸に拡大しているね。 特に、神奈川県と愛知県の海岸に多いね。 警告を無視していたという。私:日本サーフィン連盟では、「津波はサーフィンに適した波とは質も力も全く異なるもので、非常に危険」と指摘しているというね。 今回の津波は、サーファーだけでなく、一般の人も避難警告無視など、津波を甘く見ている傾向が強かったね。
2010.03.04
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私:今、静岡地方から帰ってきたよ。 昨日、静岡地方に行くときは気温が高かったのに、今日は、気温が低く、家までのバスを駅のバス停で待っていたときは、凍えそうだったよ。 こう、気温の上下が毎日激しいと体調に影響するね。A氏:静岡地方の津波はどうだった。私:泊まったホテルは、太平洋海岸のそばにあるんだが、フロントで聞いたら海は30センチくらい水位があがったそうだ。 津波警報も出たそうだ。 サーフィンボードを持っていた若者に「津波はどうだった」と聞いたら、サーフィンをやめて陸に上がってから警報を知ったといっていたね。A氏:30センチくらいではサーフィンにならないのではないの。私:それに通常の波乗りなら、海水はまたユータンするが、津波では、そのまま進んで、陸にあがるだけだね。 それにしても、今回の1泊旅行は天気には恵まれたね。 行きも雨にあわず、ホテルにチェックイン。 天気予報では、今日は朝から雨の予定が、朝7時ごろは晴れており、俺の部屋の東向きの窓からまばゆいほど朝日が見られたよ。 少し、見つめたよ。 脳の松果体が働いて、体内時計が正常に動き、寝つきがよくなるそうだ。 もう、夜11時過ぎた。 松果体の効果が出てきたのか、非常に眠くなった。 では、おやすみ。
2010.03.02
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チリー地震の余波で津波が昨日、日本沿岸に来た。 今日、これから所用で東海地方にでかける。 明日の用事のために、今夜は宿に泊まる。 宿は、太平洋沿岸から百メートルくらいしかない。 大きな堤防もない。 津波の影響はどうか、心配である。 世界はいろいろなところでつながっているものである。 夕方には雨になりそうな天気予報なので、晴天のうちに予定より早めに出る。
2010.03.01
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私:明日、所用のため、静岡方面に新幹線で行って夜1泊の予定だ。 1月29日のような新幹線トラブルにあわないといいがね。A氏:そういえば、昨日の新聞で「ボルト忘れた社員3名処分」とあったね。 1月29日の新幹線の事故の原因は、パンタグラフの部品交換の際、社員3名が4個のボルトをすべて付け忘れたことだね。 社員3名は出勤停止5日、本部長も減給処分だという。 ほかに直接の管理監督責任者として上司5人も戒告や訓告処分となったという。私:技術的な再発予防策として、ボルトなど部品の数量が一目でわかる容器を使用し、修繕の重要作業では「チェックシート」を使うように4月まで整備するそうだね。 4本締め忘れたら、ボルトが残っている容器にすれば、忘れに気がつくわけだ。 トヨタ生産方式でいうところの「ポカヨケ」の一種だね。 しかし、直接作業をしていた社員3名の出勤停止処分はおかしいね。 最初から、そのような方法をとっておればいいのであって、その責任は管理側(マネジメント側)にあるね。 3名はその不備なシステムのもとで作業した犠牲者だからね。A氏:君のブログ「JALの事故と個人責任」でも、JALが作業ミスをすると個人責任を追及していたが、事故がへらず、トヨタ生産方式を導入。 小さな事故に対して、あくまで原因を追及することに重点を置き、個人責任を追及した懲戒はしない方向に転換したということが書かれていたね。私:1999年9月30日に起きた茨城県東海村のJCO臨界事故は、ずさんな作業方法で作業をさせていたことが原因だが、作業者は死亡した。 マネジメント側が決めたシステムの犠牲者だね。 もし、この作業者が生きていたら、罪を問われただろうかね。 だから、JRも直接作業していた社員3名に処分するのはおかしいね。 別にルールを守らなかったわけでもないからね。A氏:事故を起こすとすぐに警察がとんでくるという発想は、ヒューマンエラーの対策にはよくないと君のブログの「ヒューマンエラーは裁けるか」でもとりあげていたね。私:JRには、まだ、始末書的発想が根底にあり、旧国鉄の「日勤教育」の発想をいまだにひきずっているね。 君のブログの「JR西日本の宝塚線事故と日勤教育」でもコメントしているね。 一度、しみついた悪い体質はなかなか消えないものだね。 トヨタのように、よい体質は崩壊しやすいのにね。
2010.02.28
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昨日の夜から降っていたようだが、朝、雨戸をあけたら、雨である。 梅雨のようにしっかりと降っている. 久しぶりの本格的な雨だ。 予報では夕方まで降るそうだ。 ちょっと、土曜日のウオーキングはあきらめざるを得ない。 今日は1日中、家にこもることにする。 これで123文字。 こういう書き方を「つぶやき・ツイッター」というのかな。
2010.02.27
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私:昨日のテレビでのアメリカの公聴会での豊田社長の弁明をチラチラ見ながら、「オヤッ、これはトヨタらしくないな」と思ったよ。A氏:何故?私:カンバンやカイゼンで有名なトヨタ生産方式の基本理念は、 「悪いニュースを優先する」 「問題が起きたら、『現場』にとび、『現物』を見て『現実的』に実態を把握せよ(3現主義)」 「徹底的に原因を追及し、原因でなく『真因』を把握せよ」 「そのために『なぜ(Why)を5回』繰り返せ(5W)』 というものだね。 ところがリコールなどの対応の遅れに対して、豊田社長の回答は、「トヨタの急速な成長においつけなかった」という歯切れの悪い抽象的な回答だ。 「なぜ、急速な拡大に、追いつけなかったのか」という「『なぜ』の更なる追及」がない。 「悪いニュースを優先する」というトヨタ理念が「なぜ」崩壊したのかの追及がない。 公聴会後の聴衆のテレビインタビューで、ある女性が 「リコールの遅れについては陳謝して、今後はしっかりやるというだけの回答だ。 遅れの理由の質問に対する回答になっていない」 という鋭いコメントがあったね。A氏:今朝の朝日新聞の社説で「豊田社長証言・開放的経営へカイゼンを」という見出しでコメントしているが、そこに君の言うトヨタイズムの「なぜ」の5回や、3現主義的な姿勢が、今回、見えなかったというような同じことをいっているね。私:今回のリコールは大きな問題だが、俺にとっては、経営トップのトヨタ理念のDNA崩壊のほうが致命的だと思ったね。 トヨタも若いトップ交代で普通の自動車会社になったようだね。
2010.02.26
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私:今朝の朝日新聞の「ニュースがわからん!」欄で「米国はなぜ台湾に武器を売るの?」という見出しで、解説があったね。A氏:この解説も対話形式だね。私:米国は79年に中国との国交を正常化するとともに、台湾と断交。 しかし、一方で、同時に米議会は「台湾関係法」を作り、「防御的性格の兵器」を供給するときめている。 このへんが、外交のあいまいさだね。 一方で台湾と断交しながら、一方で武器を売っている米国。 台湾の過去の国民党のロビー活動でもあったのかね。A氏:今、問題になっている、日米の核密約みたいなものかね。私:一応、米国は、最新兵器は台湾に売っていないことで、バランスを保っているという。 この解説では、中国の軍拡が進んでおり、米国は台湾に武器を与える必要があるとこの新聞では解説しているが、米国は中国が台湾をあくまで併合しないようにしているのかね。 それとも、軍事的な併合を阻止しようとしているのかね。 一応、「台湾関係法」ではそううたっているが、それは中国に対する内政干渉ともいえる。 台湾と断交しながら、一方で武器を20年以上も毎年、供与しているという本音が明確に「わからん!」ね。 経済活動では、台湾と中国は密接だがね。
2010.02.25
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学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(上(1492ー1901年))私:この本は、上下2巻からなる。 図書館に同時に予約すると、貸し出しの待ち人数の関係で、借りられるのが上下の順にならない。 その一例だね。 下巻が先に俺の順番になり、これはすでに、ちょうど、1ヶ月前に読み、ブログにもまとめた。 小説などはそれでは困るが、歴史ものはさかのぼって読めるので、同時予約をしておく。 しかし、結果はこのように、上下、逆に読むことが多い。A氏:図書館では、上下をセットに管理できないのだね。私:この本のまとめを書こうと思っていたとき、たまたま、今朝の朝日新聞の「オピニオン・耕論」欄で、「『アバター』で語るアメリカ」という特集記事が目に付いた。 「アバター」とは歴代世界最高の興行収入を更新中のアメリカの3D(立体)映画だ。 高城幸司氏、鈴木透氏、生井英考氏の3氏がそれぞれ、寄稿している。 それを読むと、鈴木透教授の寄稿内容が、実は、この「学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史」のまとめの内容にピッタリだというのに気がついたんだよ。A氏:俺もこのコラムを読んだが、鈴木氏の記事の見出しは「米国の欺瞞と矛盾を映す戯画」とあるね。 そして、英国の専制と闘った自由の国でありながら、先住民を強制移住させた国、自由のためには進んで戦う果断な国でありながら罪なき民衆を虐殺した暴力の国、とあるね。私:この「学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史」の本は、まさに、それを詳細に描いた歴史本だね。 インディアンの強制移住の残虐性はすさまじいね。 最近、格差問題が話題になっているが、アメリカは建国以来格差社会国家だね。 建国の独立宣言も、一部のアメリカの富裕層の独立と自由だね。 モンロー主義も、アメリカはヨーロッパに干渉しないというより、北米、南米大陸には欧州は干渉させないという意味のほうが強いという。 そして、モンロー主義をかかげながら、数多くの海外出兵をしているという。A氏:鈴木氏は「アバター」の裏側には、アメリカの独善的な自由や富や権力の追求の末路、すなわち、格差社会と一国行動主義への批判的まなざしがあるという。 わがままの放棄は、日本人が考えているより、アメリカでは難しく、建国の理念そのものが、利潤追求への勤勉さや、専制を離れた自由の追求と結びついており、私利私欲を制限することは、すぐに「社会主義化だ」「反愛国的だ」と批判を受ける。私:それも一部の富裕層の立場を守るためだと「学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史」では厳しく批判しているね。A氏:鈴木氏は、08年の大統領選挙で有権者がオバマを選択したのは、ブッシュ時代に続けてきた私利私欲の追求、わがまま放題のやり方への批判と見ているね。私:この「学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史」を読むと、ブッシュ時代のアメリカは、建国以来のアメリカと本質的には変わらないということだね。A氏:鈴木氏は、このアメリカの行き詰まりをどう打開するか、オバマ大統領も米社会も見出していないという。私:個人としての自由をある程度制限しても、世界的に他者とつながり、パートナーシップを結ぶことが新しい幸福感を生むという理念が、「アバター」の監督であるキャメロンの意図なのかもしれないね。 その意味で、オバマ大統領の4年間は、単なる一時の仇花なのか、アメリカの歴史を大きく変えるのか、大きな問題だね。 一ヶ月前の下卷を読んだときの感想と同様に、そう思ったね。
2010.02.24
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私:今朝の朝日新聞の天声人語では「江戸の敵(かたき)を長崎で討つ」というのをとりあげて、長崎知事選の民主党候補の敗北について書いていたね。A氏:票差もかなり大きく、大敗だね。私:昨日の朝日新聞では、出口調査の結果をグラフで示していたが、無党派層が自民系に流れたようだね。 長崎県は、昨年の衆院選では、4区全部民主党が制覇したのに、大きな変化だね。A氏:しかし、今朝の朝日新聞では、長崎知事選の敗北を受けて、小沢幹事長が記者会見をし「国政選挙と地方選挙は基本的に有権者の意識も違う」と強気の発言があったとしているね。 しかし、この説明は去年、どこかで聞いたことがあるね。私:それは去年の自民党麻生政権のときの話だね。 去年、国政選挙の前に、都議選で自民党が大敗した。 そのときの麻生首相は「国政選挙と地方選挙は基本的に有権者の意識も違う」と強気の発言をしいていたと思うよ。A氏:麻生首相は責任をとって首相を辞めたくなかった。 小沢氏も幹事長を辞めたくない。 言い訳は同じだね。私:今朝の新聞では、仙石由人国家戦略相が、昨年3月違法献金問題が起きても、小沢代表が居直っていた。 しかし、千葉、秋田両県知事選で民主党が連敗して、ついに、5月に小沢代表が辞任したという状況と似てきたと記者団に語ったとあるね。 先が読めなくなったね。
2010.02.23
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