デフレの正体 0
原発 0
体罰 0
糖質制限食 0
全3398件 (3398件中 3351-3398件目)
私:今日は日曜日。 幼稚園が正月休みに入ったので、孫が遊びに来た。 午前中は、Wiiのマリオカーとの対抗ゲームをやる。 午後、桜木町に連れて行く。A氏:日曜だから、人でも多かっただろうね。 もっとも景気が悪いというマスコミの情報の氾濫で、消費も冷え込んでいるかね。私:最初、夕暮れ時に、世界一の大観覧車で夜景を見せてやろうとしたが、桜木町に午後3時くらいに着いたら、風がすごい。 観覧車は10組くらい待っている人が並んでいたが、比較的待ちが少ないように感じたね。 若いカップルが多いね。A氏:クリスマスイブは若いカップルで満ちあふれるだろうね。私:問題は強風だったね。 大観覧車に乗ったら強風でゴンドラが少し揺れる。 孫が怖がっていたね。 俺も怖かったよ。 強風なので、場合によっては運転を中止することがあるというアナウンスが流れていたよ。 まぁ、無事に降りてホッとしたね。 それから孫の要求でポケモンセンターに行ったよ。A氏:ランドマークタワーの中にポケモンセンターがあって、いろいろなグッズを売っているんだそうだね。私:去年の年末に行ったとき、確か、店に入るだけで長蛇の行列だったが、今年はすぐに店には入れたが、子ども連れの家族で大混雑だね。 レジは10台くらいあるんだが、さばききれないで、これも行列で10分くらい待ちだ。 ある程度の金額を買うと、抽選があるが、抽選場も行列だね。A氏:不景気風は感じないようだね。私:去年と比較するとどうなのかね。 たくさん女性の職員が働いていたが、日雇いだろうか。 年末のイベントで、日雇いが多少増えるといいがね。 外に出ても、最近のマスコミで雇用不安や不景気をあおるので、どうしてもそういう目でみるね。 それにインフルエンザが流行り出したから、外出は要注意だね。 今年のクリスマスと大晦日の人出はどうなるかね。
2008.12.21
コメント(0)
私:今日、朝から福島市に用事があったんで、昨夜は福島に泊まったよ。 今まで、福島に泊まるときは、定宿のようなホテルを十年來利用していたんだが、このホテルは結婚式場が主目的らしく、インターネットでの宿泊予約にひっかからない。 そこで、今回は同じく、駅からすぐだが、ビジネスホテルにインターネットで予約したよ。A氏:初めて泊まるホテルかい?私:そう、初めてだね。 新しくできたホテルで、大きいね。 初めてのホテルに泊まるときは、一種の不安感があるね。 部屋はうるさくないか? きれいか? 広いか? ベッドサイズはせまくないか? このホテルは、インターネットであらかじめ、歯磨き、歯ブラシ、櫛などを置いていないということを知っていた。 だから、洗面所にこれらは置いてなかったね。 持参の歯ブラシで歯を磨いた。A氏:環境にやさしいやり方だね。私:最近、部屋内のゴミ箱が2つあり、1つは「燃えないごみ」、もう一つは「燃えるごみ」と表示してあるホテルもあった。 昨夜、泊まったホテルは、ゴミ箱は1つだが、連泊するお客で、シーツを洗う必要がないお客は、その旨、ボタンを押すようになっていたね。 そして、協力するとペットボトルの飲料水を無料提供とあったね。 それと驚いたのは、フロントで現金を扱わないことだね。 フロントで部屋番号がプリントされたカードをくれる。 それから自動支払機に行き、カードを入れると、宿泊料金が表示され、クレジットカードか現金を入れると、領収書とプリントされたカードが出てくる。 このカードを部屋のドアのキーに差し込むと、緑色のランプがついてドアの取っ手を回すとドアが開く。A氏:俺もビジネスホテルを使うことがあるが、最近のホテルは、IT化で人を減らしているね。私:部屋に入ったら、ベットはダブルサイズで広く、きれいで、かつ、大きな椅子と丸テーブルがあった。 料金からして大いに気に入ったよ。 これから、この地方に来たときは、このホテルを使うことにしたよ。
2008.12.20
コメント(0)
私:12月5日の金曜日に、用事で出かけて、午後3時頃、駅からバスで家の近くまできた。 そのときまで、空は曇っていたが、雨は降っていない。 風は強く、街路樹の落ち葉が空高く舞っていた。 バス停を降りて、家まで後、2、3分のところ、まで来た。 突如、水が入ったバケツをひっくり返すような、いや、消防車のホースからの放水のような雨が、猛烈な強風とともに、瞬間的に降り出した。 たまたま、運よく、歩道横の住宅の屋根付き駐車場に車がなかったので、そこに飛び込んで雨宿りをしたよ。 雷もすごい。A氏:当日のテレビによると、横浜は、屋根が飛んで家もあったらしいね。私:一時的な通り雨だと思ってその駐車場に雨宿りをして、雨の止むのを待ったんだが、5分ぐらいしても止まない。 少し、小降りになったようなったように思って、後、家まで、2,3分なんで、思い切って、折りたたみ傘をさして家に向かったが、これが甘かった。 風雨にあおられ、傘は曲がるし、大変だった。 普段の倍以上の10分くらいかかって、家に到着。 頭はグッショリ。 オーバーを着ていたので背広の上は問題ないが、ズボンの裾はグッショリ。 靴下もグッショリ。 ゲリラにまさに遭遇した感じだね。
2008.12.07
コメント(0)
A氏:昨日の夕刊で、ジェラシックパークの作者のマイケル・クライトン氏が、がんのためロスアンゼルスで死去したと報じているね。私:66歳で若いね。 俺は映画「ジェラシックパーク」は面白いと思ったが、それよりも、「恐怖の存在」で地球温暖化のインチキを暴いたことで知的興味がわいた作家だね。 2005年にある新聞の小さな記事で、ベストセラー作家のマイケル・クライトンが、新作スリラー「State of fear;和訳は『恐怖の存在』」を発表したとあったのに惹かれた。 彼は、地球の温暖化について疑問を持っており、それがこの小説のテーマになっているという。 彼は、その3年前から、地球温暖化に興味をもち、いろいろな資料をあさった。 しかし、多くの資料をみるたびに、次第に専門家の言う地球温暖化の警告に疑問をもつようになったという。 地球温暖化の警告は、世界の支配勢力が、冷戦と同じように、市民を緊張した「恐怖の存在」に置きたいためであるという。 クライトンの「ジュラシック・パーク」で、恐竜のDNA禁止法が検討されたというが、ある人が「それはお話だよ」と言ったら、取りやめになったというのと似ているね。A氏:ノーベル平和賞をもらったゴア氏が「環境の恐怖」をあおっているのを思い出すね。私:このクライトンのニュースがきっかけで、環境論を「相対思考」で見る知的街道が始まったね。 「環境問題はなぜウソがまかり通るのか2」、1、2、3、「地球温暖化の陰に原発推進論」、「ほんとうの環境問題」、「地球温暖化キャンペーンの欺瞞」、「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」、「恐怖の存在」、「地球はこれから寒冷化する」、地球環境についての社説コメント、「環境危機をあおってはいけない・地球環境のホントの実態」、「1秒の世界」と続いたね。 氏が知的興味と環境問題に「相対的思考」を与えてくれたことを感謝し、ご冥福を祈る。
2008.11.07
コメント(0)
私:今日、朝、東京ビッグサイトに行ってきたよ。 この前、行ったのは、春頃で電子関係のメーカーの見本市があったので行ったんで、半年ぶりだね。A氏:今、何をやっているんかね。私:10月30日から11月4日まで日本国際工作機械見本市が行われている。 俺は知人から招待状をもらったんで、行ってきたよ。 ウイークディなら会場が空いていると思っていて、昨日金曜日に行く予定にしていたんだが、用事が出来て、今日の土曜になってしまった。 日中になると会場が混雑するかもしれないと思って、9時頃、新橋について、ゆりかもめに乗ったんだが、ラッシュ並みのものすごい混雑だ。A氏:土曜だから、普通の通勤客はいないんだろう?私:国際展示場正門駅で、ほとんど下車。 会場は、もう人だらけだね。 朝から盛況だね。 外国人もかなりいたね。A氏:今朝の朝刊では、日銀が利下げを決定したことをトップで報じているね。 大学の新卒の内定取り消しが増えていることも報じている。 第2次の就職氷河期がくるかもしれないとしている。 世界トップを行く日本の工作機械業界はどうなるだろうね。私:この見本市で多くのメーカーがいろいろな高度の工作機を展示しているのを見ると、日本の力はすごいと思うね。 そんなに簡単にへこたれそうもないというのが、現場で見た印象だね。 招待状の社長の挨拶に「どのような経済状況の下でも、『モノづくりの原点』に立ち、高精度と無人化を一貫して追求することが、最良の道です。 この信念を持ち、顧客の皆様とともに、飛躍するよう技術の研鑽に邁進してまいります」とあったね。A氏:心強いね。私:工作機は輸出が多いので、当座、急激な円高で苦労するだろうが、技術力は世界一を維持してもらいたいね。
2008.11.01
コメント(0)
私:夜9時半に大阪から帰宅したよ。 今日、堺市のほうの用事で、昨夜は堺市に泊まった。 ちょうど、台風13号が九州に向っており、関西に来ようとしていたが、約束した用事なので、変更できず、昨日は夕方の新幹線で覚悟して大阪に向かったよ。 今度はゲリラ豪雨でなく、台風にまともに向かったね。A氏:新幹線の遅れはなかったかね。私:まったく、影響なし。 定刻の夜7時過ぎ新大阪着。 それから堺市のホテルに8時頃入ったが、雨もあがっていたね。 夜も降らなかったようだね。A氏:横浜はすごかったぜ。 夜中に集中豪雨と雷だよ。 今日、午前中は、電車の遅れもかなりあったね。 まぁ、土曜だから、通勤には大きな影響はなかっただろうがね。私:今日、用事が終わり、夕方6時に新大阪駅を出て、新幹線で帰途についたが、関西地方は好天気で、全て順調。 新幹線は定刻通りだったね。 今回の大阪行きで、見事に台風をやり過ごしたね。 ただ、電車に乗ったら、テロップで、東京駅の人身事故で、長野新幹線、上越新幹線、東北新幹線に遅れが出ているというニュースが流れていたね。 同時に、常磐線も内原駅の人身事故で上野・勝田間で遅れが出ており、その影響で、水戸線も友部・小山間で遅れが出ているとテロップが流れていた。 自殺だろうかね。 土曜の夜なので、客は少ないだろうがーーー。 俺は、横浜までだから関係なかったがね。 それにしても、今回の台風も、集中豪雨型だね。 四国の太平洋側であれだけ降っても瀬戸内海は殆ど降っていないようだからね。 すでに、14号が発生しているようだが、どうなるかね。
2008.09.20
コメント(0)
昨日の午後、大阪府堺方面でタクシーに乗る。運転手:今日はどちらにお帰りで---。私:横浜までだよ。運転手:そう言えば、こないだある中年夫婦の人が近所に墓参りということで横浜からきましたよ。私:その人はこの辺の出身なのかね。運転手:いや、そこまでは聞きませんでしたよ。私:それにしても、この街道のスタンドの掲示を見ると、こっちはガソリン代が安いね。 レギュラーが160円台のところもあるね。 横浜は180円台だよ。運転手:それはセルフでないのとちがいまっか? こちらのガソリンスタンドは殆どセルフです。 スタンドの人はほとんどいません。 自動車のガラスを拭いてくれる人なんていませんね。 競争も激しいようですがね。 昨夜は、18時台の新大阪発の新幹線は定刻通りに出発。 ゲリラ豪雨にあわないで定刻通りに横浜に着く。 自宅最寄りのJR駅に夜9時半に着く。 駅のテロップでは青梅方面が落雷で電車がストップと報じている。 家族が車で駅まで迎えに来る。 家族は車の中で、横浜球場はゲリラ豪雨のため、プロ野球の横浜・阪神戦は3回で中止したという。 横浜は6-3で勝っていたのに、ノーゲームだという。 相当ひどい豪雨だったんだろう。 ところが、球場から電車で20分くらいの同じ横浜市でありながら、自宅周辺は全く雨の気配はなく、道路はカラカラだ。 まさにゲリラ豪雨だ。 気象がおかしい。
2008.09.05
コメント(0)
今、大阪府堺市のホテル。 昨夜、新幹線で大阪に入ったが、途中、名古屋駅にとまり、すぐに出発したのが18時11分。 それまで、東海地方は晴れていた。 北側の窓側の席なので、夕日がさしてきた。 ブラインドを下ろした。 名古屋駅に着いた頃は居眠りをしていた。 名古屋駅を出発したとき、ベルで目が覚めた。 外はもう夜である。 名古屋駅を出て、岐阜羽島駅を通過する頃、急に、窓ガラスを強い雨が叩き出した。 丁度、斜め45度くらいに雨がすごいスピードで窓を走るので、新幹線が45度、上に向かって航空機のように空港を離陸して上昇していくような錯覚となる。 稲妻も走ったようだ。 米原駅前のあたりで、アナウンスで豪雨で徐行運転をするので、10分くらい遅れると いう。 また、ゲリラ豪雨第4弾だ。 京都駅に9分遅れ、新大阪駅に7分遅れで到着。 ところが、新大阪駅に降りたら、人が多い。 なんとまた、新幹線が豪雨で一時、運航中止だという。 上りも30分くらいホームで停止しているようだ。 タッチの差で早い列車に乗ったので、7分遅れで助かったことになる。 もう夜なので、この時刻で、遅れると宿の心配をしなくてはならない人も多いだろう。 明日夜、帰るが、豪雨被害第5弾にならないことを祈る。
2008.09.03
コメント(0)
今日、茨城県での朝からの用事のため、昨夜、茨城のホテルに泊まる。 そのため、昨日は、午後6時ごろ、常磐線の特急に乗るため、始発駅の上野駅に行った。 ところが、ホームで列車を待っていると、放送で、「今、水戸の手前で雷雨のため、上下線が運行を停止しています。」というアナウンスが流れた。 また、ゲリラ豪雨だ。 8月6日以来、ゲリラ豪雨に再会する羽目になった。 すでに指定をとっていた18時30分発の特急はホームに停車している。 指定席に座ったが、列車はそのまま停止して出発しない。 ぼんやりして、いつになるかわからないまま出発を待つ。 隣りホームには、18時15分の特急がこれも、発車時刻が来ても、発車しないで、止まったまま。 この特急は土浦までなので、乗り換えはできない。 40分ぐらいたって、隣りの特急からスタートした。 しばらくして、こっちの特急も動き出した。 それからは、比較的スムースに走り出した。 45分遅れて、目的駅に到着。 雨はあがっていた。 駅前のタクシーに乗り、ホテルに向かう。私:(タクシーの運転手に)○○ホテルまで、お願い。運転手:わかりました。 列車はもう、通常通り、動いていますか?私:上野駅で出発が40分くらい遅れたが、後は順調に来たね。運転手:こっちは雨と雷がすごく、停電が2、3回ありましたよ。 最近の雨は、異常だね。 熱帯のスコールみたいだね。 それに、この辺は暑さも異常だね。 クーラー病になってしまいましたよ。私:クーラー病?運転手:それがね。 先週、右足のすねあたりが、痛くなって、筋肉痛と違った痛みを感じるようになってね。 夜も痛いので医者に行ったら、クーラー病だと言われたね。私:車のクーラーのせいかね。運転手:いや、それに加えて、家で日中、テレビで高校野球を見ているとき、あまり、暑いので半ズボンで、クーラーでがんがん冷やしたせいらしいね。 クーラーを22度くらいに設定していたからね。 それが特にきいたらしい。私:足の血行が悪くなったのだろうね。 冷えすぎると痛くなるんだね。運転手:風呂なんかで温めるといいらしいね。私:それで今も痛いの?運転手:いや、薬をのんで、足を暖めたら、2、3日で痛みはとれましたがね。 こりましたよ。 ホテルに着いたので降りる。運転手:ありがとうございます。私:タクシーも冷えているから、また、クーラー病にならないように要注意だね。運転手:
2008.08.20
コメント(0)
トヨタのお父さん私:ガソリンの値上げのせいか、世界的に車の売れ行きが悪いね。 ますます、自動車メーカーの競争力が問われるね。 ところで、著者の父親は現在、76歳だが、定年まではトヨタマンだった。 現場トヨタマンの30年の日記というから、生々しいトヨタの「カイゼン」現場の内容を期待した。 しかし、父親は加工作業でなく、運搬部門の仕事をしていたためか、ほとんど、今までの常識の範囲を出ず、特に新しい事実もなかった。 本の半分は、トヨタをめぐる豊田市などの施設のことで、カイゼンと違うね。 題名と中身が基本的に違っているね。A氏:君のように製造現場にいた人間から見るとシロートの本かね。私:あえて言えば、2つのことが参考になった。 一つは、トヨタで「かんばん」を実施したときの現場での問題だね。 「かんばん」は現場の人間が直接かかわるので、初めて開始するときは、現場の人間の「なれ」が重要になる。 そのため、トヨタでは「かんばん」が定着するために、2年くらいかかったという。 自殺者も出たという噂も出たほどだね。 後に、トヨタ方式が盛んに宣伝されたとき、名古屋のあるコンサルト団体が「6ヶ月かんばん」と言って、どんな会社でも6ヶ月で「かんばん」システムを定着できるように指導できるという宣伝文句を出したとき、すぐこれはインチキな宣伝だとすぐわかったね。 この本では、それに関する日記について、5頁ほどしかふれていない。 日記では7日分だね。 1968年9月16日からの日記で、本社塗装部品にかんばん制が実施されたのがトップだね。A氏:詳しい日記かね。私:基本的に1行くらいのメモ的な日記だね。 例えば、9月18日の日記では「かんばん制実施で大変な騒ぎであった」とあるだけで、どのような「大変な騒ぎ」かについては日記に書いてない。 9月25日の日記はかなり長いが、それでも3行くらいだ。 「かんばん制度についてじぶんもなかなか理解しにくいものを一生懸命理解すべく努力する」とあり、「周囲の人に理解してもらうには、相当時間がかかるものと思う」とある。A氏:やはり、「かんばん」方式は苦労したんだね。私:「かんばん」については1968年には、5日分だね。 そして10年後の1978年5月24日にとぶ。 ここでは「かんばん」を色別表示にしたという日記がある。 次に紹介された日記は翌1979年3月14日だ。「かんばんの出し方が悪いため振り回される」とある。 著者の解説では「組み付け作業」をしている側は、部品在庫が多めにほしいから、部品の「かんばん」枚数を増やすことを要求するとある。A氏:「組み付け作業」というのは、部品が不良品発生などで1個だけでも足りないと、作業がストップだから、安全をみて余裕がある在庫を持ちたいね。私:しかし、「かんばん」制の趣旨は在庫を押さえ、問題をクローズアップして、不良をなくすことを目的にしているから、「かんばん」枚数増加要求は受け入れられないね。 「かんばん」制が実施後10年たっても、まだ、「かんばん」枚数でもめているのだから、相当、厳しい問題なんだね。A氏:ということは、「かんばん」制の成功を支える大きな要因は、不良ゼロなどの現場工程のカイゼン力だね。私:この本は、そのカイゼンについての父親の日記も紹介しているが、いろいろなトヨタ生産方式の本にあるように、現場の改善提案制度のことが書いてあるね。 改善提案数は、各リーダーのノルマになっているのは、どこの企業も同じだね。 改善は自主活動がだというが、その境目が難しい。 今後のトヨタがその力を継続的に維持できるかは、そのカイゼン風土の継続維持だというね。 だから、終身雇用を中心にしないと維持しにくい。A氏:一時、ムーディか、なにかが、トヨタはリストラを簡単にしないとして、企業評価を格下げしたね。私:評価者のトヨタ生産方式の無知だね。 ところで、人間のDNAは自然に放置しておいても継続される。 しかし、企業のDNAは、人の人為的な伝承がないと継続されない。 今後、他の企業で容易に真似のできないトヨタのDNA継続力維持に着目したいね。 それがトヨタの競争力の源泉だからね。
2008.08.14
コメント(0)
私:俺のすぐ近くの家の主人のK氏が5日に亡くなった。 75歳だ。 俺とは面識程度でお付き合いはなかったが、K氏の奥さんと俺の女房が姉妹のようにつきあっている。 アメリカなら、そういう場合、夕食に夫婦を招いて、食事などして家単位で付き合うようになるんだが、日本のように、旦那は会社との往復で精いっぱいの社会では、それは一般的でないね。 だから、日本のサラリーマンの旦那は、定年になると、地域コミュニティとのつき合いがスムースにいかないね。A氏:しかし、どうしてK氏の家の奥さんと君の奥さんとは知り合うようになったの?私:俺たち世代は、結婚してから最初に子どもができる頃は、団地住まいが多かったね。 俺は、会社の家族寮にいたが、2人目の子どもが生まれる頃、分譲団地に移った。 当時は土地が値上がりしていたんで、10年くらいたつと、不動産は値上がりする。 それを売って、頭金にして、一戸建てに移るというパターンが多かったね。A氏:高度成長型だね。 土地神話時代だ。私:分譲団地のときに、下隣にいたのがK氏の家だったんだね。 そこで、お互いの妻同士の付き合いとなったわけだ。 そして、殆ど同時に、同じ建売団地の一戸建てに移った。 それも、偶然に、すぐに近くの家になった。A氏:同じ移住パターンだね。私:子どもも同じ年頃だしね。 K氏は、ある中堅の自動車会社のセールマンで、当然、お客との付き合いで夜は遅い。 子どもさんは2人で、ともに女だから、結婚して家を出て行ったんで、その後は、夫婦二人だけの生活になった。 その頃、K氏は定年退職になった。 暇になった。 地域コミュニティにとけこうもうとしたが、うまくいかないで、サラリーマン時代のカラオケ趣味が残っていて、昼間でもカラオケに行くようになった。A氏:最近は、中高年向けの昼のカラオケが増えたね。私:今年になって、K氏は背中が痛いので、病院にいったら、末期の肺ガンを宣告された。 K氏はヘビイスモーカーだった。 手遅れなので手術はしないという。 とりあえず、抗ガン剤を呑むことにしたらしい。 結構、調子がよくなり、カラオケ通いも欠かさなかったという。 ところが、7月末に急に腰が痛くなった。 とりあえず、モルヒネを呑んだらしい。 それで痛みが軽くなると、カラオケに3日連続で通ったという。 医者も呆れたらしい。A氏:すごいエネルギーだね。私:しかし、痛みはひどくなるので、数日前に入院した。 そして、5日早朝、病院から奥さんに連絡が来て、7時頃、駆けつけたときはすでに息を引きとった後だったという。 俺は女房から経過はいろいろ聞いていたが、6日に大阪から家に帰って死亡を聞き、急な死に驚いたよ。 今日は通夜、明日は告別式だ。 女房は両方出るが、俺は告別式には出ることにした。 K氏とは会って話したことはないが、高度成長時代の戦友の冥福を祈りたいからね。
2008.08.08
コメント(0)
私:今、夜の11時半。 さっき大阪から帰ってきたよ。 予定より1時間遅れだね。 新幹線が新大阪と京都間の集中豪雨で遅れたためだよ。 午後5時頃から、1時間くらい降って、その間、新幹線は上下線ともストップ。 午後6時くらいから、やっと動き出した。 指定席を買っていたので、別の早い指定に切り替えれば、いいんだが、今度はその窓口が行列なんで、あきらめて、待つことにしたよ。 待合室も、ふだんは空いているのに、立っている人が多かったね。A氏:TVで視ていると高校野球の甲子園も雨になっていたね。 最近、局所での集中豪雨が多いね。 今朝の朝日新聞では、トップ見出しで昨日の東京豊島の下水増水での事故を報じていたね。 そして「ゲリラ豪雨」という見出しが出ていたね。私:俺のいる横浜なんかは、この10日間、雨が一滴も降っていないのにね。 昨日、堺市に泊まったんだが、昼は晴れていたのが、夜はホテルの窓を叩くような豪雨だったね。 それも局所的で今日、用事で会った堺の人は、夜8時くらいに車で帰宅するときに、「ゲリラ豪雨」にあって、ワイパーが動いても前がよく見えなかったという。 こわいので、途中のコンビニの駐車場に車を止め、雨がやむのを待ったと言っていたね。 新大阪駅から家に電話したら、孫の家族が車で富士山麓のキャンプ場に昨夜泊まって帰り道に、俺の家に寄っていた。 孫が電話に出たので「どうだった?」と聞いたら、「自動車の前がよく見えないほど、雨が降ったよ」と言っていたね。A氏:あちこちで「ゲリラ豪雨」に会っているわけだね。私:晴れていても、積乱雲があるときは要注意だね。
2008.08.06
コメント(0)
携帯電話で私:今、大阪に着いたよ。 暑いね。A氏:高校野球でも見に行ったのかね。私:いや、明日、堺に用事があるので、今は、堺のビジネスホテルだよ。A氏:こないだ堺はシャープのビッグプロジェクト工事で、ビジネスホテルは満員だと言っていたが、よくとれたね。私:ようやく一部屋とれたよ。 地図を見たら、近所はものすごい寺の数だね。 A氏:そのへんは昔、西本願寺があったところではないの?私:そこで、ホテルについてから、ちょっと、近所を散歩したよ。 なるほど、普通のちょっと大きい感じの家が寺なんだね。 これがあちこちにある。 ひどいのは、寺の真ん前に、ラブホテルがあったね。 堺市のことに知的興味がわいたので、明日、夜、帰ったら調べてみるよ。 では、また。
2008.08.05
コメント(0)
はじめてのWii私:Wiiのタンクのゲームのことだが----。A氏:君が、はまったゲームか。私:読書に疲れたときの、気分転換にいいね。A氏:長い間かかって、ついに、84台を破壊するという最後まで到達して、金メダルを獲得したんだろう?私:ところが、幼稚園にいっている孫は、俺が84台まで、到達して金メダルを獲得した現場を見ていなかった。 それが、こないだ別キャラクターで、挑戦したら、孫の目の前で見事に金メダルを獲得した。 孫の喜びようが大げさで面白かったよ。 ところが、孫がこれが最終でなく、レベルアップがあるというんだよ。 そこでいろいろなキャラクターで挑戦した。A氏:キャラクターというのがあるの?私:ゲーム機に登録するんだよ。 ゲームの記録をキャラクター別にとってくれる。 個人記録だね。 孫が来て全部で20人くらい登録した。 画面で顔が作れるので面白いんだね。 家族、幼稚園の先生、友達などだね。 それで、俺は、その20人くらいのキャラクターにそれぞれ、タンクの金メダル獲得への挑戦をした。A氏:たいへんなこりようだね。私:一度、金メダルを取ると次の挑戦はやりやすいのか、1ヶ月くらいで、18人くらいのキャラクターで金メダルをとった。 しかし、レベルアップはない。 そこで、これはキャラクタごとではだめだと思い、俺のキャラクターにもどり、再挑戦した。A氏:君のキャラクターの2度目の金メダルを狙ったのかね。私:そうだ。 2度目の84台まできたら、追加の画面が出た。 レベルアップだね。 ついに出た。 孫が言っていることもウソではなく、誰かの家で見たんだろうね。 今、121台まできて敗退だ。 まだ、上がある。A氏:エンドレスだね。私:わからない。 ゲームの作者のみ知るというわけだね。 まぁ、知らないほうがゲームをやるほうとしては楽しみがあるがね。
2008.07.31
コメント(0)
実は、このブログの6月20日のOH氏の死亡の記事には、もう、一つの貴重な体験談が抜けている。 記憶が消えないうちに書いておく。 19日のOH氏のお通夜に出るために、東海の地方都市の新幹線駅に降りたとき、K君が車で迎えに来てくれたが、その助手席にある人が同乗していた。 この人は、OH氏が勤めていた東海地方の大企業の元社長KH氏であった。 OH氏はその社長の秘書のような役割をしていたことがある。 だから、OH氏の通夜に来たのである。 元社長のKH氏の父親は、一代で企業を大きくし、「天皇」と言われた人であった。 ウィキペディアにも載っている。 そして、社長の座を当時、42歳という若い長男のKH氏に譲った。 しかし、次第に業績が低下して、9年ほどして、KH氏は社長の座を追われるように退陣した。 K君は、その社長とOH氏の関係を知っていたので、死亡の連絡をしたのだが、ついでに、通夜の席にK君の車で送ることになったらしい。 18日のOH氏の死亡の連絡直後、また、K君から電話が入り、元社長のKH氏がお通夜の後、私に会いたいという。 K君の電話では、元社長の自宅で夕食でもという話になったらしい。 私はそんな雲の上の人は知らないので、おかしいなと思った。 19日になって、実は元社長の思い違いであることが分かった。 私とおなじ苗字で、ある高名な技術者がいて、大学の総長までやった人がいる。 その人と間違えていたことが分かった。 しかし、K君は今更、夕食のキャンセルも出来ないでしょうと元社長に言って、結局、私は、お通夜出席の後、K君の車にKH氏と同乗して、KH氏の家まで車で向かった。 KH氏は、助手席、私は後部座席であった。 OH氏のお通夜があった家は、市内にあったが、そこから、車は郊外に向かった。 20分ほどして、丘になったような森の入口に門があった。 連絡がしてあったのか門は開いていた。 これが、KH氏の邸宅の入口であるようだ。 驚いたことに、1車線くらいの木におおわれた柔らかい土の道を緩やかに左右に曲がりながら、車が走ったことである。 よく、映画で見るヨーロッパにある大邸宅は、門から家の玄関までかなり長い道があるが、そんな感じである。 しかし、この道は頭上も林に囲まれ、道幅はせまく、一直線でなく、緩やかなカーブが右左にあり、道の端は、膝ほどの生垣が連続していた。 日本的に凝っている。 2、3分して、邸宅が見え、その大きな玄関に着いた。 犬の大きな鳴き声が聞こえた。 KH氏の奥さんも出てきた。 玄関でスリッパに履き替え、すぐに20畳くらいあると思われる応接間の椅子に座った。 KH氏は、軽い脳梗塞になったことがあるということで、会話は滑らかでなかったが、K君とともに雑談を交わした。 奥さんも会話に加わった。 KH氏のお年を聞いたら、66歳ということであった。 この人もウィキペディアにも載っている。 この大邸宅に、夫婦二人で住んでいるので、犬二匹が家族同様の存在であるようだ。 同時に、犬はセキュリティの面でも必要だと言っていた。 警備保障会社が駆けつけるといっても、この大邸宅では時間がかかる。 K君が犬を飼っているので、犬の話が多かった。 まわりは森なので静かで、シーンとして森の精気を感ずる。 KH氏は、今は、悠々自適の生活のようで、この2,3日前に司馬遼太郎の「翔ぶが如く」を読んで、明治の裏切り、処罰の厳しさを話した。 自分の社長生活のときに重なったのであろうか。 夕食は出前の「蒲重」であった。 2時間ほどして退出した。 2度とこういう邸宅に来ることはないだろうと、K君に感謝の意を表した。 K君は、私がその夜、泊まるビジネスホテル近くの駅まで送ってくれた。 私はそこで彼と別れ、JRでビジネスホテルのある駅に向かった。 ホテルは駅から歩いて5分のところにあり、部屋に入ったら、10時を過ぎていた。 何か、異常な体験をした1日であった。
2008.06.23
コメント(0)
今日は、1日、OH氏の喪に服す。
2008.06.21
コメント(0)
18日昼、東海地方に住むK君から電話があり、OH氏が死去したとのこと。 享年70歳とまだ若い。 19日夜はお通夜で、20日午前に告別式だという。 20日は、すでに私は予定が変えられない用事があるので、お通夜だけ出席することにした。 18日に東海地方にあるその都市近くのビジネスホテルに19日宿泊予約を急遽、入れた。 19日夕方、新幹線で東海地方のその駅に着く。 K君が車で迎えに来て、市内にあるOH氏宅まで、送ってくれた。 玄関をあがった畳の部屋に、お棺の中にOH氏が目を瞑って穏やかな顔で横たわっていた。 お焼香をして、香典をおいて手を合わせた。 奥さんと1、2分会話して、退出した。 これでOH氏とは永久の別れとなった。 年賀状ももう来ない。 東海地方の一流企業にいたOH氏は二十数年前に、ある改善のプロジェクトリーダーとなった。 私は外部の人間としてその手伝いをすることになった。 これが私とOH氏の出会いであった。 OH氏は長身で痩せ型で、顔は丸顔で、ちょっと、NHKの山川静夫アナウンサーに似ていた。 温和であったが、仕事はテキパキとこなし、有能であった。 3年ほどでプロジェクトは成功裡に終わり、OH氏と私の仕事の縁は切れた。 ところが、そのプロジェクトメンバーで私より2回りも若いK君とS君とは、気があってその後、プライベートで付き合うようになった。 私が、関西に仕事で出張するときに、途中でその東海地方の都市にドロップインして泊まり、夜、食ったり、飲んだり、カラオケに行ったりした。 そのたびに、都合がつくとOH氏も顔を出した。 こうして、プライベートのつき合いが、長い間続いてきた。 そのうちに、OH氏は定年になった。 能力があったので、どころかに再就職すると思われていたが、本人は断り、悠々自適の人生を選んだ。 ところが、4、5年前から、OH氏は健康状態がよくなく、われわれの集まりに参加できないで残念がっていた。 OH氏は、糖尿病の持病をもっていたことをそのとき私は知った。 痩せ型で肥満タイプでなかったので意外だった。 最後、家で透析をしていたが、遂に、内臓出血が致命傷となったとのこと。 これで、また、敗戦後、アメリカの技術に追いつき、追い越した世代の戦友を一人なくした。 心からご冥福を祈る。
2008.06.20
コメント(0)
私:俺は毎週、ヨガに行く曜日を決めている. その曜日のヨガのインストラクターはまだ、20歳代の小柄の女性だ。 始まる前にちょっと2、3分ほど、世間話をするのが面白い。 インドのヨガの旅に行ってきた話もしたね。 パソコンでなく、手書きできちんとヨガの歴史を書いたA4サイズのメモも配ったことがあるね。 それによると、ヨガは正式には「ヨーガ・Yoga」というんだね。A氏:最近は一般向けのヨガのインドツアーもあるらしいね。私:先日、面白い話をしたね。 彼女はいろいろなところにヨガのレッスンで行くのだが、あるとき、電車に乗ったら目の前の席に、顔を見た記憶のあるオジサンが座っていた。 どこで会っているのだろうと記憶を辿ったら、思い出した。 駅で押し寿司を売っているオジサンだ。A氏:よく駅で見かけるやつだね。 小さいテーブルに箱に入った寿司を並べて売っている。私:インストラクターは、そのオジサンの威勢のいい売り声を思い出したという。 ところが、電車の目の前の席に座っているオジサンは、その威勢のいい声のオジサンでなかった。 元気な姿は、見る影もなく、別人のようにぐったりと疲れ果てていたという。A氏:1日中、立って、声を張り上げていたのでは疲れるだろうね。私:彼女は、いろいろなところに行くので、人間ウオッチングをする機会が多いという。 夜、10時過ぎに家に帰る頃には、駅の隅で、口喧嘩をしている若いカップルをよくみかけるという。A氏:分かれるときにもめるのかね。私:イギリスに、サマセット・モームという人気大衆作家がいた。 今、その活躍を記念して、サマセット・モーム賞という文学賞があるようだ。 モームには「作家の手帖」という日記メモ的な厚い本があるが、それに人間ウオッチングのことが多く載っていて、すぐれた人間ウオッチングの本として有名だね。 A氏:俺たちの若い頃は、モームの小説を面白く読んだね。 特に短編はね。 こないだ学生時代に俺の好きだった白黒映画の「剃刀の刃」をTVでなつかしく見た。 美男のタイロン・パワー主演の映画だが、この原作はサマセット・モームだね。 モームは、小説を書こうとして材料さがしに苦労するような作家の気がしれないと言っているというね。 また、ろくな人生体験もなく、それをしいて求めることもなく、観念にだけ頼ろうとする作家を軽蔑したいたというね。私:書棚の奥からモームの「作家の手帖」を引っ張り出してきた。 50年くらい前の本で、新潮社が27巻の全集出している。 モームの人間ウオッチング的なものを少し抜粋しよう。 「ミセスT。ブロンド。暑さのためにその髪はまっすぐのびているが、つやのいい金色で美しい髪の方だ。それに青い眼。やや色があせているし、まだ、26を過ぎないはずだのにすでに疲れても見えるようだが。化粧なしの顔の正面から見るとまず美人。----」 「校長。彼は50から60の間。皴だらけの顔の、背の高い貧相な男。たっぷりした茶色の頭髪、灰色の口ひげ、アゴには1週間剃らない灰色ひげを残している。歯はすごくスケて色もきたない。歯のかけているのと口ひげが濃いのと両方で、彼の話すことが不明瞭だから聞き分けるのに苦労する。----」 「G少佐。背が高く、恰幅のいい男で、短くかった髪は赤茶けている。年齢はほとんど分からない。35にならようでもあるし、また50のようでもある。きれいに剃った顔は大きい方だが、造作は小さく、短いダンゴ鼻である。 話すときはゆっくりだが流暢で、大声の方である。たえずニコニコしているが声を出して笑うことはめずらしい。動作は快活。非常に上品に愉快らしくしようと気を使う。 一体、彼は利口なのか、それともいささか愚鈍なのか見当がつかない。----」 モームのこのようなノートにあるネタは小説にしきれなかったほど多かったという。 現代人にとっては、これらの人をデジカメやビデオカメラでとれば表現は容易だろうが、見る目は書くことによって鍛えられるのではないかね。 もっともデジカメは肖像権問題もあるね。 人間ウオッチング街道を作るかね。
2008.06.01
コメント(0)
私:いや、ついに、Wiiのゲームでタンクを全滅して金メダルを獲得したよ。A氏:どういうゲーム?私:Wiiというゲームはリモコンで体を使ってやるのが特徴なんで、まず、そのリモコンを買うのだね。 そのときに、一緒に最初のゲームがセットになっているんだね。 これが「はじめてのWii」というゲームだね。 ゲームが9つあるんだが、最後のゲームでタンクが出てきて、これを撃って爆破するゲームだね。A氏:相手も撃ってくるのかね。私:相手も撃ってくるし、移動する場合もある。 予測して対応しないといけない。 ワンパターンではない。A氏:予測して動いて、撃たないといけないわけか。私:相手のタンクは、いろいろ出てくる。 ときには通常の砲撃もあるし、ミサイルを撃ってくる場合もある。 地雷のような爆弾を仕掛ける戦車もある。 砲弾は壁に跳ね返って角度をつけて飛んでくることもある。 ゲームは20くらいの段階に分かれていて、だんだん、難しくなる。 最初は、最後の段階が分からない。 だんだん、相手を潰して次の段階になるから、途中で終わりとなると再度、スタートからの挑戦になる。A氏:先が見えないゲームというのは、好奇心に吊られてはまりやすいね。私:そうなんだ。 はまってしまったね。 暇があればやるようになったよ。 なかなか最後が見えない。 先週、遂に最後のステージの表示が出るまでに到達した。 相手は2台のタンクで色が白く、並んでこちらに向いている。 これを潰せばゲーム完了だ。 初めての色だ。 撃とうと思った途端に2台が消えた。 1台は潰した。 しかし、残った消えた1台に撃たれてこちらが潰れて、終り。 後、1台のところまで来てまた再出発だね。A氏:結局、何台潰すとゲームが終わるの?私:84台で終わりだというのが見えてきたね。 それが83台まできた。 これにくるまで半年くらいかかったよ。A氏:大したはまりようだね。私:5月12日になんとなくやっているうちに、最後のステージまで来て、また、白いタンクが出て、すぐ消えた。 今度は、ごまかされないで、消えた場所を撃ったら2台潰れた。バンザイだね。 約半年かかった。 ゲームに興味がある5歳の孫に携帯でひらがなだけのメールをしたら、電話が来たよ。 気分がいいから、何かおもちゃを買ってやると言ったよ。A氏:任天堂のゲームのWiiは、好調ですごい売上げだね。私:いまだに、Wii Fitなんかは品切れ続出だね。 今度はWii Fitにはまるかね。 これはメタボ対策にいいからね。
2008.05.16
コメント(0)
近親者2日間喪中・2日目
2008.05.05
コメント(0)
近親者2日間喪中・初日
2008.05.04
コメント(0)
私:今、昼間の用事を済ませて、夜、盛岡市から新幹線「はやて」で帰ってきたよ。 そのため、昨夜は盛岡市内のホテルに一泊。 昨日は、早めに出て、北上駅に13時半頃着。 地理に不案内なので、カバンを駅のコインロッカー300円に預け、タクシーで東北三大桜の名所の1つの北上展勝地に向かった。 タクシー代は1060円。 最盛期は渋滞でこんなカネですまないらしい。 例年より、満開が10日ぐらい早いという。 去年の満開は4月29日だったというからね。 A氏:ニュースステーションの古館キャスターではないが地球温暖化のせいかね。 ところで、天気はどうだった?私:晴天で、風もおだやか。 気温も20度くらい。 20日の日曜には満開となり、昨日は風で花吹雪が始まるという絶好の花見日和だね。A氏:運がよかったね。私:ウイークディだから、ビニール袋の花見客もない。 日曜日は家族連れですごかったらしい。 1000円出して、10人くらいの小船で北上川を上下して、岸の桜を見る。 往復で15分くらいだね。A氏:ちょっと高いね。私:船で全体を把握したから、船から降りてから、今度は徒歩で桜のトンネルを1時間くらい歩いた。 桜はソメイヨシノで約1万本という。 樹齢は丁度、88年の米寿だという。 途中に小さな新しい石碑があり、平民宰相の原敬の名前が彫ってあった。A氏:原敬と北上展勝地とはどういう関係があるの?私:北上展勝地の桜の植樹を支援した記念と書いてあった。 原敬は1921年に東京駅頭で暗殺されているから、暗殺される1年位前に支援したことになるね。 帰りは、渡し舟があり北上川を横断して、反対側の岸に渡る。 2、3分だね。 料金300円。 岸について、歩いて10分くらいで北上駅だね。 最初から知っていたら、タクシーでなく、このルートがよかったね。 午後4時半の新幹線で盛岡市に着いて、ホテルに入る。 ところが、このホテルが盛岡城址の公園近くにあり、この公園の桜が満開なので、宿に荷物を置いてマタ、公園の花見だよ。A氏:花見ディだね。私:今日、盛岡の人に聞いたら、最近、変わった桜の名所があって、広い原っぱの真ん中に大きな桜が1本あり、後に岩木山がそびえているところがあるという。 今日は、岩木山もくっきり見えて晴天だったので行きたかったが、用事が長引き、行けなかったね。A氏:盛岡市内には石割桜というのがあるそうじゃないの?私:それは20年位前に見たことがあるよ。 とにかく、昨日はよく歩いたね。 万歩計で1万2千歩ほどあるいたよ。 しかし、快いウオーキングだったね。
2008.04.22
コメント(0)
私:昨日午後、東海地方に用事で行ってきたよ。 晴天で富士山の全景がくっきり見えて、実に壮大だったね。 昨夜は、東海地区に一泊して、今日、用事を済ませてきたが、途中、川岸に1キロくらい続く桜並木を車で走って見て来たよ。 東京、横浜と同じで、丁度、満開だね。 今、今日の用事も済ませて帰ってきたところだ。A氏:ご苦労さん。 ところで、朝日新聞朝刊の「天声人語」と夕刊の「窓・論説委員室から」の欄のスタイルが変わったね。私:1行の文字が、倍くらい増加したね。 幅は半分くらいになったので、縦長の欄になったね。A氏:ところで、3月31日の「窓」欄の記事でイラクの飲料水のことが書いてあったね。 イラク南部のサマワではユーフラテス川から飲料水をとっているらしい。 日本の陸上自衛隊が川の水の浄化施設を作ったという。 塩水を飲料水にする「逆浸透膜浄水装置」だそうだ。私:この装置の開所式に出席した日本人がこの浄化装置から出た水をコップで飲み干し、OKのサインを出したという。 ところが、この欄の筆者がイラクに行き、蛇口をひねって、手にとって口に含んだら「しょっぱい」という。 管理人に聞いたら「ここの水はきれいにしても飲めない」という。A氏:住民の多くは洗い物にしか使っていないという。 住民は「飲み水に困っているのに、なんでこんなものを日本は作ったのか」といぶかっているという。私:これが事実とすると、日本の自衛隊は何のために行ったのかね。 このユーフラテス川の水源はトルコでシリアを経由してイラクに来る。 トルコは多くのダムを作っているので、この川がイラクに来る頃は、かなり汚染されているという。A氏:それは君のこのブログでふれているね。私:自衛隊のイラク派遣は、アメリカ支援のジェスチャーだけだったのかね。
2008.04.02
コメント(0)
3月23日、日曜日。 娘と孫2人連れて、新幹線で1時間半ほどの都市にあるホスピスに昼頃着く。 1週間ほど前にホスピスに入った身内N氏の見舞いのためである。 この地方都市は私が生まれ育った街だ。 最初、妻が同行の予定であったが、急に風邪で咳がひどく、参加中止となる。 新幹線の駅からタクシーで10分くらいのところにそのホスピスはあった。 ホスピスは3階建てだが、N氏は2階の個室にいた。 もう、80歳に近い。 つれ合いと、結婚して別に住んでいるN氏の子ども2人も見舞いに来ていた。 2月始めに胃を切除、食道と小腸を結ぶ大手術をした。 しかし、すでにスキルス性の胃ガンは、その他の内臓にも転移しており、N氏の息子に医者は後1,2ヶ月だと言ったという。 N氏は手術後、息子を問い詰めたら、息子は事実を言ったという。 しかし、もう1ヶ月たつ。 ホスピスは医者もすすめていたが、最初、3週間ほど待たないとあかないといわれていたのが、急に1週間で入れるようになり、すでにホスピスに入って10日ぐらいになる。 2ヶ月ほど前、手術前に会ったときは、ガンを患っているとは思えないほど、元気であったが、今日、見るとやせて顔色も良くない。 手術で15キロくらい体重が減ったという。 ホスピスに入った当初は、元気に食事も普段通りであったし、甘いものが好きで食べたとのこと。 そのため、少し体重を回復し出したようだった。 それが、2、3日前から食欲がなくなり、食べていないという。 痰がでるが、胆汁のような黄色いものが混じるという。 担当医はたいしたことではないよと言っているという。 痛みが出てきて、服用薬から座薬になったが、30分くらいで効かなくなってきたという。 しゃべるのは正常で、死を宣告されたにしては、落ち着いていたので一安心した。 病気見舞いは、患者が疲れるので長時間いられないし、孫もいるので、1時間ほどで部屋を出る。 ひょっとしたら、これが生きて会える最後かもしれない。 また、新幹線で帰り、横浜の駅まで車で迎えに来た息子の車で帰宅したのは夜7時頃だった。 息子はそのまま、娘と孫を別に住むマンションまで送っていった。
2008.03.25
コメント(0)
環境問題はなぜウソがまかり通るのか(2) 地球温暖化論への挑戦 恐怖の存在(上)ほんとうの環境問題 私:俺たち、「教科書に墨を塗った世代」は、世間が一斉に狂ったように、同じことを言い出すと、「おかしいな」と一歩下がる癖があるね。 だから、環境問題についても、一般と違う視点の本はないかと従来から思っていた。 そしたら、2002年2月に薬師院仁氏という社会学の大学の先生の書いた「地球温暖化への挑戦」があったので買ったよ。 A氏:著者は文科系の人だね。私:ところが300頁の本なんで、ついつい、「積読」になってしまい、いまだにお終いまで読んでいない。 環境の知的街道のスタートだったんだがね。 今から、考えると早く読んでおくべきだと後悔しているよ。 ただ、この本の「はじめに」を読んで、地球温暖化論でマスコミや政府の情報を鵜呑みにする軽薄な行動をいましめている点が気に入ったね。A氏:著者は「教科書に墨を塗った世代」かね。私:違うね。 今、50歳代くらいだね。 「教科書に墨を塗った世代」の「バカの壁」の養老孟司氏は、薬師院氏の本を読んで地球温暖化論は穴だらけとして、発行当時のエッセイに書いているのを覚えているね。 それと地球温暖化に取り組んだ小説として2005年にマイケル・クライトンの「恐怖の存在」というのがある。 彼は、地球の温暖化について疑問を持っており、それがこの小説のテーマになっているという。A氏:クライトンと言えば、映画「ジュラシック・パーク」の原作者としても有名だね。 現代科学を大衆小説に取り入れている。 クライトンは、ハーバートで文化人類学と医学を学んで、その後、作家となった人だね。私:俺は2005年当時、英語にこっていたんで挑戦しようと思い、原書でクライトンの「恐怖の存在」を買ったがこれも「積読」だね。 そうしているういちに和訳が出版された。 彼は、その数年前から、地球温暖化に興味をもち、3年間いろいろな資料をあさった。 しかし、多くの資料をみるたびに、次第に専門家の言う地球温暖化の警告に疑問をもつようになったという。 この「恐怖の存在」は、そのデータをもとに、環境テロリストが、地球温暖化が人類の脅威であることを示すため、自然災害---地震、海底の地すべり、津波---の陰謀を計画し、これをある科学者や法律家集団があばくというストーリーであるという。 だから、引用している参考文献は膨大だね。 この地球温暖化の警告は、世界の支配勢力が、冷戦と同じように、市民を緊張した「恐怖の状態」に起きたいためであるという。 クライトンの「ジュラシック・パーク」で、恐竜のDNA禁止法が検討されたというが、ある人が「それはお話だよ」と言ったら、取りやめになったという。 地球温暖化も「それはお話だよ」となるかもしれない。 この「恐怖の存在」というか、「不安の存在」という言葉は意味が深いね。A氏:ベトナム戦争は、ドミノ理論による不安から生まれたね。 これは世界がドミノのように共産化するという「不安」の理論だ。 しかし、今、ご本家のソ連すら崩壊している。私:この「不安」がこの題名の「恐怖」に相当するだろう。 この「恐怖の存在」の題名は、ドミノ理論と同様に「地球温暖化」という拡大する不安が政治的なものであることを示しているね。 養老孟司氏が食欲、性欲は限界があるが、お金の欲は限界がなく、「不安」も限界がないとあるエッセイで書いていた。 この「不安」が政治的使われると戦争になったりするね。A氏:そう言えば、今朝の朝日新聞の広告に新潮社の最新刊として「ほんとうの環境問題」として池田清彦氏と養老孟司氏の対談集が載っていたね。 緊急提言として「洞爺湖環境サミットはやめた方がいい!」とあり、「温暖化による悪影響は地球を蝕んでいくって本気でそう思っているの?」、「CO2の排出量の削減?」「地球温暖化防止?」「京都議定書を守ると日本国民は大損をする!」という刺激的な言葉が並んでいるね。私:しかし、この「環境問題はなぜウソがまかり通るのか2」を読むと、別に刺激的でなく、冷静な提言だね。 だいぶ、前置きが長くなったね。 明日は、本論のこの「環境問題はなぜウソがまかり通るのか2」に話を移そう。
2008.03.18
コメント(2)
私:ユーコスとは、ミハイル・ホドルコフスキーがオーナーだったロシア国内第2の石油会社の名前だね。 1995年の民営化で彼はユーコスの株の大半を取得し、その後、業績を伸ばし第1位のルークオイルに迫る。 株価も上昇し、彼は世界の富豪16位にランクされる。 英語が堪能で欧米の評価も高かった。 彼は、成功した「オリガルヒ(新興財閥)」だろうね。 A氏:プーチン政権はなぜ、その市場主義者のホドルコフスキーを追い出したのかね。私:ホドルコフスキーの飛ぶ鳥を落すような力は最初はプーチンなど足元にも及ばなかったらしいね。 しかし、プーチンが力をつけてくると当然、対立するね。 ホドルコフスキーはプーチンの圧力を逃れるためにアメリカに接近する。 ブッシュ大統領など、アメリカの政治の中枢部にも接近する。 そして身を守るために米メジャーの傘下に入ろうとするが、これが逆にプーチン政権による逮捕を早めたようだ。 プーチン政権で検察は脱税容疑でホドルコフスキーを逮捕し、同時にユーコスの株を差し押さえる。 そして競売にかけられ売却され、ユーコスは事実上解体。 05年5月、ホドルコフスキーは禁錮の判決を受け、北極海に近い北方の監獄に収容される。 「国策逮捕」と言われている。A氏:外務省の佐藤優氏の「国家の罠・外務省のラスプーチンと呼ばれて」と同じだね。 「ホドルコフスキー裁判」は1991年のソ連消滅以降、ロシアでの最大の体制転換、すなわち、国家の介入を認めた市場経済体制への第3の道への転換だといわれている。A氏:結局、ロシアは、国家の権威があっての市場経済だということかね。私:それが「株式会社 ロシア」の意味かね。 国民もロシアが外資に乗っ取られるのを欲していないのだろうね。 これも日本の国民感情と似ているね。A氏:2月3日の田原総一郎のサンディープロジェクトに竹中平蔵氏と木村剛氏が登場していたが、彼らは徹底的な自由な市場主義者だね。 竹中氏は、今の株価低落などの日本経済の停滞は、サブプライムローン問題ではなく、それ以前から続いていると言い、その原因は日本の経済の閉鎖性だという。 例のブルドッグソースの例をあげているね。私:俺も録画して後で見たが、ブルドッグソースが外資に乗っ取られそうになったとき、裁判所がその外資は「金儲け主義」だという理由を挙げているのは、全く、市場経済の無知だというようなことを言っていたね。 村上ファンドの村上氏が「金儲けはよくないですか?」と言っていたがね。 竹中氏は徹底した規制緩和、市場原理主義だからね。 プーチンがその道をとらなかったのは、ロシア国家という大国意識とアメリカ資本の流入に対する警戒感と、やはり石油で余力があるからだろうかね。A氏:木村氏は、ホリエン騒動もおかしいとしているね。 日本は折角の若いベンチャーを潰す。 ヒューザーも耐震偽装だというが、大手の建設のほうは同じことをミスとして軽い罪ですんでいる。 若いベンチャーに厳しく、大手に甘いという。 これではこれから成長する産業が育たないという。私:木村氏は言う。 トヨタもソニーも、ベンチャーとして生まれ、60年後の今では大企業。 戦後の日本経済の活性化はそれらのベンチャーが作ったといっても過言ではない。 今、そのベンチャーを育てることを日本経済はしないと言う。 しかし、これらのベンチャーは「金儲け」が主目的でなく、新しい物づくりの「志」があったね。 ホリエモンのように「すべてはカネだ」という考えと違うね。A氏:教育も「創造性ある人物」を育てるという国家的な戦略が見えてこないね。 もっとも、竹中氏は学校で株の取引を教えろという考えだろうがね。私:ロシアは、今は石油で国として景気はいいが、経済の底力は弱い。 石油で余力がある間に中小企業を育てるように動いているようだね。 この本はいくつかの中小企業のベンチャーが努力する姿を紹介している。 それが成功するかが、真のロシア経済の力がつくことになるだろうね。
2008.02.06
コメント(2)
私:俺はシックの替え刃の剃刀を使っているんだ。 かなり前から2枚刃のものを使っているんだが、手持ちがなくなったんで、最近、駅近くのドラッグストアに行ったら、どうも、それらしい替え刃がない。 これだろうと思って9枚刃を千円ほど出して買ってきて、本体にはめたら入らない。 型式が変わっているんだね。 替え刃にはスーパープラス・ツープラスと書いてある。 A氏:本体が違うのではないの?私:そうなんだね。替え刃の包装を空けたので、今更、返品するのもどうかと思い、スーパープラス・ツープラスの本体を買うことにして、再度、ドラッグストアに行った。 ところが見あたらない。 店員に聞いたら、「どんどん、新しいタイプが出るのでもう古いタイプは置いていません。注文になります。」ということだったね。 数百円するものらしいので、注文したよ。 インターネットにもあったが、数百円では送料がかかるしね。A氏:そういえば、最近は2枚刃は古くて、4枚刃が出ているね。 俺はひげが濃いせいか、4枚刃がいいね。 まあ、別に1枚刃でも問題はないんだがね。 贅沢かね。私:俺もビジネス現場にいた頃、出張が多かったが、ホテルの備え付けの剃刀はなんだかよく切れないような感じがしたんで、家から2枚刃の剃刀を持って行ったね。 だから、出張用のポシェットには専用の剃刀を入れていた。 要するに、今も家用と出張用の2つある。A氏:替え刃は2週間がめどだというから、1枚百円とすると、年間2600円になるかね。私:たいした金でないといえばそうだが、物はなくなると不便だね。 俺みたいに物持ちがいいと損するようにできているのがいまいましいね。 実は、これは後日談があるんだよA氏:なんだね。私:別なドラグストアによったら、古いタイプの替え刃があったんだよ。 もう、10個入り1個しかなかったがね。 10枚入りで1400円くらいでちょっと高い。 しかし、本体がまだ、使えるんで、買ったよ。 高くついたね。 そろそろ、新製品に切り替えるべきかね。A氏:どんどん、新しいものができると古いものは捨てなくてはならないのは、環境上問題だね。私:そうかといって、剃刀メーカーはどんどん、新しい新製品を出していかないと会社経営がうまくいかない。 電気剃刀も同様だね。 新製品がどんどん出てくる。 古いものはゴミだね。A氏:剃刀ではないが、俺のところに数年前に買った椅子のようなマッサージ器がある。 当時、30万円くらいしたんではないかね。 それが最近、故障した。 部品の磨耗らしい。 交換すると10万円くらいかかるらしい。 ところが今は新製品で安くて多機能のものが出ているんだね。 結局、買い換えることにしたよ。 古いのは1500円くらいで引き取ってくれる。 これはゴミでなく、解体して再利用するのかね。私:再利用で安く東南アジアに輸出する手もあるね。 しかし、剃刀はゴミだろうがね。 後、2、3年で地上デジタルテレビとなるが、これでまた、ゴミが増えるね。 ブルーレイのビデオもそうだね。 8ミリなんてどうなってるの?
2008.01.22
コメント(0)
A氏:稲尾投手が急逝したね。 70才だというからまだ、これからやる仕事があったのにね。 残念だね。私:俺たち世代は、敗戦後の中学、高校生時代のスポーツは野球中心だったね。 だから、当時のプロ野球は特別の思い入れがある。 特に稲尾投手はそのなかで超人的な選手だったね。 何か貴重な心のシンボルを失った気がするね。 寂しいね。A氏:例の昭和33年の奇跡の日本シリーズ逆転劇は、事実は小説よりも奇と言うか、考えられない感動的なドラマだったね。 稲尾投手は7試合中、6試合を投げている。 稲尾投手がいなかったら、西鉄は巨人に対して日本シリーズ3連覇は無理だったろうね。私:このとき、西鉄は魔術師といわれた三原修監督だね。 昭和25年、水原茂氏の巨人監督就任とともに巨人を追われ、福岡に行き稲尾、中西、豊田、仰木らの西鉄ライオンズを育てる。 そして、怨念の水原巨人と日本シリーズで対戦し、昭和31年、32年と巨人を破り日本シリーズを2連覇する。A氏:水原巨人は面目にかけて西鉄の三連覇を阻止しなくてはならない。私:実は、この昭和33年は、西鉄ライオンズは7月首位南海ホークスと11ゲーム差あったんだね。 苦しい戦いをするが、追い上げて10月2日にリーグ優勝が決まり、平和台球場で三原監督の胴上げとなる。 かくして日本シリーズは、また、水原巨人との対決となる。A氏:この年は、長島茂が巨人に入団した年だね。 巨人はなんとしても日本シリーズの連敗から脱したかった。私:10月11日、後楽園球場で第1戦スタート。 巨人は後楽園で2連勝。 そして3戦目は平和台球場に移動する。 14日の第3戦は平和台球場で行われたが、また巨人が勝つ。 もう西鉄には後がなくなった。A氏:ところが、天は粋なことをするものだね。 翌15日の試合は、前日夜半よりの雨で中止となる。 今のドーム球場のような味気のない時代ではないね。 これが西鉄にとって天の恵みの雨だったのか、流れが変わったようだね。私:16日、満員の平和台球場で西鉄ははじめて勝つ。 翌日の第5戦は9回裏まで西鉄は負けていた。 それが9回裏で同点に追いつく。 俺の記憶に間違いがなければ、関口選手が同点打をした。 当時は白黒テレビなんで、この同点打のシーンが未だに白黒で脳裏にある。 これから流れが一挙に西鉄に移る。 延長10回に稲尾のサヨナラホームランで勝つ。A氏:この後、後楽園球場にもどるが西鉄が稲尾の連投で連勝する。 まさに奇跡の4連勝で、日本シリーズ3連覇を達成したね。 これはアメリカにもない奇跡であるというね。私:今から6年前の真夏に俺は福岡に仕事で出張した。 泊まったホテルが舞鶴公園に近かったので歩いて平和台球場の跡を見に行った。 十数年前に球場改修工事のときに遺跡が発見され、工事は停止され、今は遺跡の博物館ができていた。 外野席であろうか、取り壊しの途中の残骸が残っていたね。 その残骸を見ながら、この奇跡の逆転劇を思い出したね。 当時の西鉄ライオンズは野武士集団と言われ、管理野球ではなかった。 まさに、「夏草や、強者『つわもの』どもの夢のあと」だったね。 今度、その奇跡のドラマの主人公が急逝して、しみじみ時代の流れを感じたね。 もう、こういう投手は出てこないだろうね。A氏・私:心からご冥福を祈ります。
2007.11.14
コメント(0)
私:知能テストの雰囲気を簡単に理解するため、著者が「知識分野」で考えた次の8問を出している。1.イギリスの首都はどこですか。2.空気中の約8割を占めている気体はなんですか。3.「走れメロス」の作者は誰ですか(フルネームで)。4.世界で一番長い川はなんですか。5.ロッキー山脈はどこの大陸にありますか。6.浄土宗をひらいた人は誰ですか。7.日本最古の歴史書はなんですか。8.日本三名園をすべて挙げてください。1問1点で採点して、下の換算表でIQを求めることになるね。得点IQ06217228139141015111612171308140 このテストは、著者はウェスクラ式知能検査をモデルに学生を使って、検討して作ったものだという。 君の得点はどうだったね?A氏:俺は8問目が岡山の後楽園と金沢の兼六園の2つしか答えられなかったね。 水戸の偕楽園を思い出せなかった。 だから、IQは130か。私:2点以下が劣等、3点から5点が普通、6点以上は優秀という評価だという。A氏:じゃ、俺は優秀だ、バンザイ!私:著者は、この得点が頭の良さに関係するという証拠はないそうだ。 それにこれは「知識」だけだから、反応力などを含めた総合テストではどうなるかね。A氏:-----私:俺は7問目で古事記と日本書紀を混同したね。 ところで、市販されている立派な知能検査も状況は同じだというね。A氏:「知能」は脳の活動の産物だから、脳の生理的な研究から測定はできないのかね。私:統計的な研究が進んでいるが、例えば、大きな脳を持つ人はIQが高い傾向があるという。 脳波との関係の研究もあるが、まだ、これからのようだね。 しかし、反応テストや検査点検テストでは、速い人はIQが高い傾向があるようだね。A氏:年令と知能はどうなんかね。私:年をとると脳は劣化するが、言語にはその劣化を補う仕組みがあるそうで、複雑な言語課題や現実的な能力は、年令とともに上昇するという。A氏:遺伝との関係はどうなんだろうね。私:この本を読むと、いろいろな研究データがあることが分かる。 1994年にアメリカでベストセラーになった「ベル・カーブ」という大著は、IQは遺伝で決定され、そのIQが社会階層、年収、教育などを決定すると考えているという。A氏:ライス国防長官は黒人だが、IQは高いそうだね。私:著者は、「ベル・カーブ」の統計的な相関分析からくる結論には疑問を持っているね。A氏:アイスクリームの売上高と児童の溺死に0.6の相関があったとする。 アイスクリームが売れたから児童が溺死するのか、逆の原因結果だろうかね。 気温が上昇するからアイスクリームが売れ、水遊びにでかける児童が増えるから溺死も増えるのだから、原因は気温だね。私:その事例は相関分析の戒めだそうだね。 「話を聞かない男、地図が読めない女」というベストセラーは、男女のIQとの相関分析を誇張したものだが、現実には「話を聞かない女、地図が読めない男」が山のように存在し、個人差は男女差より大きいという。A氏:俺の女房なんか、話も聞かないし、地図も読めないよ。私:まぁ、心理学の専門的なことは詳しく分からないが、安易なIQ論には要注意ということだね
2007.10.30
コメント(2)
職場砂漠私:この本は一般的な統計数字よりも事例が多いね。 企業名が出てくるのもある。 まず、建設業界の会社の営業所長の自殺から始まる。 売上げが上がらないとして、上司の「いじめ」が始まる。 罵倒の連続だね。 学校の「いじめ」と根本的に違うのは、皆が見ている前での「いじめ」だ。A氏:学校の「いじめ」は09.18「教室の悪魔」の定義にあるように、先生にも親にもわからないように巧妙に行われるね。 自殺して分かる。 ひどいときは自殺しても分からないこともある。 なんとか、卒業まで我慢すれば、脱出できるし、被害者が加害者になるのは企業の「いじめ」と違うね。私:多くの過労死などの事例は、最初は企業側が遺族に示す態度は冷たい。 労災に訴え、受理されそうになると企業側が慌てて、積極的に乗り出す。A氏:学校の「いじめ」が最初は学校側が否定し、事実がわかると平謝りするのが似ているね。私:多くの「過労死」の例が弁護士などの努力で労災扱いとなったり、裁判で補償金が出たりするケースがあるね。 この本では、いくつかの過労死やうつ病の原因に企業の成果主義の導入をあげている。 その他、注意すべきは外資系に会社が吸収されたとき、M&Aがあったときだというね。 ある弁護士は「原因は成果主義と非正規雇用が元凶で、日本企業は世界で一番儲けているはずなのに、勝ち組みになるために、労働者を可能な限り安く、効率的に使おうとしている」と企業を批判しているという。 以前、NHKTVで「30代のうつ」をとりあげていたが、企業の効率追求による長時間労働が引き金になるようだね。 それは、企業側が従業員の労働時間管理を放棄していることが原因だと思うね。 この本がいうように企業側のセーフティネットが必要だね。 企業の職場が砂漠化したら、企業の業績も落ちるはずだね。A氏:企業側にマネジメント能力が欠落しているんだね。私:養老氏は、戦後、「変な個性」が主張されたので上役がサボり、教師がサボるようになったという。 何故なら、「個性」を内在型にしたので自己責任だけになり、上役が部下を見て適性配置する責任も教師の指導責任もなくなったというわけだね。 企業で業績が上げられないのは「自己責任」。 学校の「いじめ」も生徒の自己責任かね。 企業も学校も内部統制ができなくなった。 「国家の品格」の藤原正彦氏が「国家の堕落」で言うように、市場原理の行く先は、アメリカのような弁護士が人口あたり日本の20倍、精神カウンセラーが日本の60倍という世界が待っているという。 「自己責任」による「うつ病」にはカウンセラーの需要が増加するだろうね。 トヨタが成果主義を嫌うのは、成果は部下の自己責任だけでなく上役にも管理指導責任があるからだ。A氏:学校と言えば、10月9日の朝日新聞の朝刊で新宿の小学校の女性教諭が、教壇に立って、わずか2ヵ月後に自殺したとあるね。 昨年6月のことだそうだね。私:教師の労働も長時間化しているね。 10月9日の新聞では、病気で休職した公立学校の教員の数は増加しているという。 そのうち、6割はうつ病やストレスによる神経症だという。 この数年間で精神疾患で労災認定は15人で、そのうち、6人は死亡だという。 この本では扱っていないが、学校の職場も砂漠化しているのかね。 「学校砂漠」かね。A氏:それに「いじめ」と言えば、最近のマスコミで盛んに報じられている相撲の時津風の弟子の死亡の問題もあるね。「相撲部屋砂漠」だね。私:職場は皆違うが砂漠現象は似ているようだね。 明日、また、じっくり論じよう。
2007.10.13
コメント(0)
私:29日の土曜日になんとなくNHK衛星第2を見ていたら、「関口知宏中国鉄道大旅行」をやっていた。 今年の春のものの再放送のようで、桂林から吉安、吉安から西安の何篇かを集中的に4時間ほどやっていた。A氏:俺もこのシリーズは時々見ているが、中国の現状を生でよく知ることができるね。 中国人の「反日的な行動」は全く出てこないね。 カメラに映る中国人の表情がいいね。私:すでに中国についてはこの知的街道で「大地の慟哭」、「中国の食の不安」、「中国の大難」などでいろいろな情報を得ている。 しか、この旅行の目的はそういう中国問題の取材でなく、列車の旅が中心なので突っ込みがたりない点はあるね。 しかし、チラッと興味深いシーンが時々引っ掛かるね。A氏:例えば?私:福建省などの南部の農村風景は水が豊かな感じで、広大な緑の田園風景が車窓から見られるね。 だが、これが西安に向かって北上すると、ある土地では今年は雨が例年の三分の一で、農業ができないと言っていたね。 中国の成長の最大の阻害要因が北の地方の水であるというのが実際に登場してきたね。A氏:そういえば、列車で出稼ぎの人が多いのはやはり、2億人という「民工」問題がからんでいるのだろうかね。私:ある若い女性は、扇風機を持参していたが、出稼ぎ先が暑い部屋なのかもしれないね。 また、ある若い母親が幼児を連れていたが、出稼ぎのために幼児を田舎に預けるのだという。 母親は「民工」になるために都会に行くのだろうね。 日本では年収200万円以下の人が1000万人を超えたというが、これらの2億人と言われる中国の「民工」の人々の低賃金と密接に関係している視点がほしいね。A氏:保険会社の女性の団体と乗り合わせ、関口知宏が日本の歌を歌わせられる。 そこで「北国の春」を歌うね。 中国の女性らも一緒に歌う。 この歌はテレサテンが三十数年前に歌ってそれ以後、中国で流行しているのだという。私:彼女らは都会に住む女性だろうね。 いわゆる恵まれた「都会籍」の人だろうね。 だから、明るさが違うような気がしたね。 中国は「都会籍」と「農村籍」の生まれながらの格差があるが、その違いが分かるね。 ところで、中国の鉄道は電化していないのでジーゼルなのかね。 しかも、連結している車両数が多い気がするね。A氏:20両くらいあるのかね。 長いね。私:これから、旅は雨の少ない北京に向けていくらしいから、列車の窓の外の農村風景が気になるね。 水は不足しているのだろうか。 黄河は本当に涸れ出しているのだろうか。 そういう視点で、この旅行記録を見たいね。 中国は経済成長を急ぐあまり、環境問題にあまり熱心でないようだが、中国の経済成長のためにも環境対策は緊急の課題ではないのかね。 それが中国の経済成長の特徴のような気がするね。 もっとも、関口知宏氏によると地方の大都市では節電のため、夜は暗いという。 矛盾だね。
2007.10.01
コメント(0)
A氏:アメリカでは政治でもTV公開討論が盛んだね。 私:ブッシュとケリーは3回、TV公開討論をやるが、ケリーが有利となる。 面白いことに、プロ野球でボストン・レッドソックスが逆転でニューヨーク・ヤンキースを破りリーグ優勝する。 ボストンはケリーの本拠地、ニューヨークは共和党大会を開いたブッシュの本拠地だね。 しかも、選挙前にレッドソックスはワールドシリーズにも勝つ。A氏:流れはひょっとしたらツキでケリー有利かもしれない状況ともなったわけか。私:選挙前の10月24日、ワシントンポストの社説はケリー支持、ニューヨークタイムズもロスアンゼルスタイムズもケリー支持、シカゴトリビューンはブッシュ支持だったという。 アメリカの新聞は日本と違い、政党支持を明確に打ち出す。 ところが、10月29日にビンラディンの新しいメッセージがアメリカのテレビに流される。 この映像紹介は対テロ戦争を目玉にしているブッシュ陣営にかえってプラスに働いたかもしれないね。A氏:かくして、11月2日の投票となるね。私:早々にケリーが敗北宣言してブッシュの勝利が決る。 出口調査の結果が面白い。 年収が5万ドル以上の層はブッシュ。 高学歴層はケリー。 教会に行くキリスト教国民はブッシュ。 黒人層はケリー。 アジア人、イスラム教徒はケリー。 中間層の白人はブッシュ。 結婚していて子どもがいる主婦層はブッシュ。 同性婚に反対している人はブッシュ。A氏:アメリカはいろいろだね。 しかし、選挙に勝ってイラク戦争にブッシュは自信がついただろうね。私:翌2005年1月20日、ワシントンでブッシュの大統領就任式が行われる。 面白いのは著者はこれに出席するのだが、トイレを心配する。 寒い中、長時間、野外で見るので、トイレに行きたくなるからだ。 一旦、場外に出たら、警備が厳しくて再度入れない。 簡易トイレが並んでいたが、警備も厳しかったという。 山本七平氏の天皇の観兵式の「小便の川」を思い出したね。 著者は、5月11日にワシントンを去り、日本に戻る。A氏:いずれにせよ、この日記の後、2006年の中間選挙は民主党が勝ち、イラク戦争の大義名分がおかしくなり、流れが大きく変わってきたようだね。 しかし、最近のアメリカの世論調査では「草の根保守」が根強く、案外、共和党人気も衰えていないようだね。 日本の安倍政権が、マスコミであれだけ叩かれながらも、世論調査では30パーセント台と高い状態を維持しているのと同じような現象だね。私:民主党でもアメリカのイラク戦争撤退はむずかしくなってきたね。 しかし、イラク戦争で多くの市民が毎日のように死んでいるんだが、この日記を読むとアメリカ市民の日常生活は平穏だね。 著者はアメリカ市民と音楽会、映画、イベントなどを楽しみながら、その疑問をいつも感じているね。 世界は今後、アメリカを中心にどうなるのだろうね。
2007.09.12
コメント(0)
私:こないだの連続して休んだとき、7月28日の土曜日に鉄道好きの孫を連れてSLやまぐち号に乗ったよ。 山口線を走るんだね。 単線だね。 知人宅が福山近くなので、ここに泊まり、新幹線で新山口に行き、そこで始発のSLに乗ったね。 8月からは平日でも毎日往復1便走るらしいが、7月にはまだ、土日だけの運行だ。A氏:もう、学校も夏休みで子どもで混んでいるのではないの?私:それを予測して、1ヶ月前の6月28日の発売時刻とともに、みどりの窓口で指定席を買ったんだ。 全車指定だね。 孫2人の母親(娘)と知人夫婦との6人だが、大人は4人なんで客車が昔タイプなので4人向かい合いのボックスで買うことにした。 孫は5歳と1歳だから、ボックスでカバーできると思ったからだ。 客車は5両連結だという。 ところが驚いたね。A氏:何が?私:窓側の席が5両ともとれないんだね。 通路側でとれた。 しかたがないから、これで行くことにした。A氏:天気はよかっただろうね。私:天気はよかったね。 10時半ごろ、新山口駅を始発で発車するのだが、新幹線で30分ぐらい前について、その出口から長い跨線橋を歩いて、一番端の1番線ホームまで歩いたよ。 もう、ホームには列車が入っていて、機関車がいたので、すでに写真をとっていた家族連れが多かったね。 鉄道マニアも大勢いた。A氏:機関車はC57というやつだそうだから、大きいだろうね。私:大きいね。 たしかに勇ましい姿をしているね。 1才の孫はベビーカーだが、各車両に荷物室があるので、ここに置けた。A氏:しかし、通路側だと大変ではないの?私:ところが驚いたね。 俺のボックスの窓側の若い男女は、2週間くらい前に、横並びに指定をとろうとしたら、窓際しかないと言われたという。 しかたなく、向かい合いの窓際にしたというんだね。 そこで横並びに席を変えてもらったね。 こういう買占めを旅行社か何かがいて、2週間前頃に売れない席を手放すんだろうね。 ボックス席の中央に細長いテーブルがあり、ここで飲食ができるようになっている。 新山口駅でSL弁当を買ったが、別にSLと関係がない内容だね。A氏:SLは外から動くのを見ているとダイナミックだが、中で乗っているとダイナミックさはわからないのではないの?私:そうだね。 煙がすごいから、窓はあまり開けられないからね。 しかし、3回くらい、駅で5分程度休み、それで乗客は機関車と記念写真を撮っていたね。 俺たちも撮ったね。 途中で、窓の外に鉄道マニアらしい人たちが、カメラをセットして待機しているのを見かけたね。 1日、1往復なのに、根気がいることだね。 俺たちは2時間乗って終点の津和野まで乗ったんだが、多くの子供連れは、30分くらい乗ると降りていくので、途中から社内はガラガラになったね。A氏:帰りも乗ったの?私:帰りのSLは4時ごろだと思うが、津和野に12時半頃着いてその時間まで幼い孫を連れて暑い中を歩くのも大変だし、夕方遅くなるんで、Uターンして2時頃の特急で帰ってきたよ。 SLで2時間のところを、ジーゼルの特急で1時間だね。 SLは回転台で回転して車庫に入るんだが、そのシーンは2,3分歩いたところに2階建ての建屋があって見ることができる。 しかし、暑くて孫を連れて歩くのは大変なんで、駅から眺めたよ。 駅を出たすぐ外に実物大のC571が展示してあって、これも記念写真にはいいね。A氏:津和野は歩かなかったの?私:暑いし、子ども連れ出し、その上、歴史に関心があるのは大人で俺だけだからね。 俺は、20年位前に仕事のついでに同僚と山口、津和野、益田、荻、青海島など、観光を兼ねて歴史散歩したことがあるんで、今回は孫のつきあいだけだね。 それにしても俺たち学生の頃はSLで移動していたんだから、鉄道の進化も速いものだね。 孫にはプラレールを買ってやったよ。
2007.08.06
コメント(4)
A氏:日本が植民地化していた中で台湾は比較的、親日的だといわれているね。私:この本では、敗戦直後は反日となったが、蒋介石が中国本土の戦いで逃れてきて、国民党政府になってから、日本よりひどい政治をしたために、「同じように外のものに統治されるなら、日本のほうがまだましだ」というのが原因としているね。 だからと言って、日本の統治がよかったという理由にはならないとしているがね。A氏:被害者と加害者との関係は複雑だね。私:1984年、ナチスの親衛隊も埋葬されている軍人墓地に訪欧中のレーガン大統領がコール首相と訪問するという計画で「ナチスを追悼するのか」「国軍に敬意を払うのは当然だ」という大議論になったというね。A氏:日本の靖国問題と似た問題はドイツにあったんだね。私:韓国の内部では、日本帝国主義に協力した人たちは今も憎悪の的で、親日派の子孫はほとんど、カナダ、アメリカ、日本に移住しているというね。 韓国の歴史教育で、「日本は悪、同じ民族でありながら国を売った人=親日派はもっと悪」の考えが定着しているという。A氏:同じ民族内部で「過去の克服」でもめているんだね。私:この本ではいろいろな人にインタビューしているが、興味があったのは小倉慶大教授の「被害と加害の意識の変遷」だね。 氏は、戦後日本での戦争の語り方は1970年前後に大きな変化があったという。 それまで、「被害」が強調されてきたのに、アジアへの「加害」が問題になってきたという。A氏:何故だろう?私:ベトナム戦争だね。 当時のべ平連代表の小田実氏がこれまでの平和運動は日本人の戦争被害を強調して平和の大切さを説いてきた。 しかし、これからは自分たちがベトナム戦争の加害者だという認識が必要だと唱えたのが契機だという。 小田氏は、被害者だから加害者であるという重層性を自覚すべきだと言う。A氏:被害者だから加害者になるわけか。私:ベトナム戦争を扱った映画「プラトーン」ではジャングルの酷暑や湿気に苦しみながら米兵が行軍していくが、疲れきってやけくそになった米兵たちが村で残虐行為を働く。 これは日本兵も同じで食料もなく、重装備で毎日何十キロも歩かされ、すぐ上官から殴られる。 そんな被害者だからこそ、現地の村に入ったら放火したり、食料を略奪したりしがちだったという。A氏:これは戦争体験者だと分かるね。私:しかし、小倉教授は新左翼運動の若者たちは戦争の体験がないので、この重層構造が理解できない。 だから、戦争経験がある年長者への反論方法として発見したのが「アジア加害者」の強調だという。 小田氏は、広島の平和集会で原爆体験を語り始めた老婆をさえぎって「貴方の体験は皆知っている。問題はあなたが加害者だった事実の認識だ」と言った若者がいたのを正視できなかったという。A氏:愛国心と関係するのだね。私:敗戦から60年くらいまでは、革新派も「平和な国家を築こう」という愛国心を唱えていたという。 ところが加害者論を新左翼が強調すると、同時に革新派の愛国論も滅び、愛国心と言えば保守派のもので進歩派は愛国心を非難すべきものだという構図を作ったという。A氏:進歩派はアジアへの加害を強調し、保守派はあの戦争はアジア解放や自衛のためだと主張するようになり、固定したようだね。私:ホロコーストの被害者のユダヤ人はパレスチナ人には加害者になる。 第1次大戦での過大な賠償で経済が破綻して、被害者となったドイツ国民はナチスを支持した。 現実の社会や歴史は複雑で、天使や悪魔が存在しないように、百パーセントの被害者や百パーセントの加害者はめったにいない。 それは本来大人の常識だがね。A氏:愛国心をもてば、それが政府や戦争の支持に直結するというほど単純ではないね。私:相対思考が重要だね。
2007.07.03
コメント(2)
A氏:柳沢厚生労働大臣が来年5月までに「宙に浮いた年金記録5千万件」をクレアにするというが、これを君は空手形になりやすいのではと見ているね。私:こういう具体的な数字目標があるときは、具体的な裏づけが必要だという常識なチェックポイントがあるね。A氏:君は長年、こういう業務計画にたずさわってきたんだろう? チェックポイントとはどんなこと?私:計画の中味はそれぞれ計画によって違うが、その計画手順は共通した常識的なことがあり、それがチェックポイントとなるね。 安倍首相は、「宙に浮いた年金記録」の責任は菅直人にあるなんて言っていたので対応が遅れたね。 安倍首相は慰安婦問題でも軽率な失言をしているね。A氏:昨日の参議院での答弁でようやく自分が最終的な責任があると言い出して姿勢が変わったようだね。私:きちんとした実行可能な計画を立てるには責任感が必要だね。どうやら昨日あたりから、その姿勢が自民党に生まれてきたようだね。 次のチェックポイントは実際には98年に始まった入力の経過を冷静に分析しているかだね。 社会保険事務所は百以上全国に分散していたと思うから、それぞれの事務所で統合入力をしたと思うね。 そして、いつ頃から事務所別に3億件のデータが2億5千まで消化できたかの事実だね。 最初は簡単なものがすぐに統合されるが、だんだん、「統合率」は減ってきたと思う。A氏:ただ、「宙に浮いた年金記録5千万件」だけでなく、入力が行われた事務所ごとの「宙に浮いた年金記録件数」か。私:事務所ごとの「統合率」が算出できるといいがね。 それが分かると集中攻撃する事務所とか問題の主な原因が分かるかもしれないね。A氏:しかし、丁度、去年の「社保庁年金不正免除」事件のように全国的に症状が似ている場合はどうするの?私:それは敵が手ごわいと知ることになるだけだよ。 要するに相手を知ってから手形を切っているかのチェックだね。 それから、次にどんな仕事でも4つのMを準備しなくてはならないので、それが次のチェックポイントとになるね。 仕事をやる人(MAN)、仕事に使う設備(MACHINE)、仕事の手順(METHOD)、仕事の対象になる材料(MATERIAL)だね。A氏:なるほど。 MANは突合せ作業を実際にできる人だね。 MACHINEはほとんどパソコンになるね。 METHODはつき合せ手順で、パソコンだとソフトが中心だね。 ベテランの頭の中にもノウハウがあるかもしれない。 MATERIALは処理する5千万件の「宙に浮いた年金記録」だ。 これを各社会保険事務所で整備していうかがチェックポイントだね。私:そうだね。 これを必要な数量を各事務所で揃えているかどうかだね。 5千万件の負荷に対して、365日でやると1日14万件、事務所が100ヶ所あれば、事務所別単純平均では1日1400件となるね。 それができる能力のある人数、パソコン台数、パソコンソフトの調達が第1ステップだね。 それぞれに単価をかけると準備予算になるね。 問題になっているのは突合せ作業を実際にできるベテランの獲得ができるか、ソフトがテスト合格で完成したものを入手できるかだね。今、そのソフトを作っているらしいね。A氏:ソフト待ちかね。 10年たつのにのん気だね。私:どんなソフトか説明がないがね。どうも具体案がないせいか、説明不足だね。 俺のようなシロートでも読み違いの検索ソフトが可能ではないかと考えられるが、対照データ登録が大変だろうね。A氏:そのデータ登録も入力ミスしないようにしないとね。 まぁ、ソフトができる間、手書き台帳とのチェックとか、できるものはすぐ開始ということかね。私:ベテランはOBを含め事務所別の確保人数、空いているパソコン台数などのほうはすぐに把握できるはずだよ。 それも事務所別に誰がやるのか、どのパソコンでやるのかだね。A氏:第三者委員会も事務所ごとに編成することになるね。私:もし、今回の問題が国側の責任として痛感しているなら、この委員会は無意味だね。 社保庁側に立証責任がなかったなら、基本的に自動的に支払うべきじゃないの? スタートしたら、月単位くらいで、大臣は「消化率」を毎月、事務所別に進行報告をすべきだろうね。 昨年の年金不正免除のようなウソでないデータでね。
2007.06.06
コメント(0)
私:久しぶりにアメリカン・ミスティリーを読んだね。 ブログを振り返ると、この数ヶ月、格差問題、明治維新など、硬い政治・経済中心の街道を走ってきたようだね。 A氏:しかし、今度はレイモンド・チャンドラーではないね。私:何かで、短編ミステリー集の「10ドルだって大金だ」がべた褒めされている書評をみた。 それでミスティリーファンとして知的興味をそそられた。 作家はジャック・リッチーという人だが、日本ではまだ、あまり有名でないね。 俺も初めてだ。 早速、図書館に予約したら、予約待ちがずらりだね。A氏:いつ、予約したの?私:2月始めに予約して、まだ、順番が来ない。 5月中には順番が来るだろうね。 そのうちに考えた。 ジャック・リッチーで図書館を索引してみたらとね。 その結果、「クライム・マシン」が検索された。 しかも予約ゼロ。 しかも、「クライム・マシン」は2006年の「このミステリーがすごい!」海外編第1位だということがわかった。 それに「10ドルだって大金だ」はその続編だ。A氏:やったね。 ところで、ジャック・リッチーというのは、どういう作家?私:短編ミステリー専門の作家で、生涯で350くらいの短編を書いているという。 サスペンス映画のヒッチコックのお気に入りだそうだ。 だから、人生とか、生き方なんていうテーマはないね。A氏:チャンドラーのほうは長編中心だね。私:チャンドラーの二十数年後の人だね。 1983年、61才でなくなっている。A氏:チャンドラーは1959年、71才でなくなっているね。私:リッチーの文体は簡潔きわまるもので、同業者を魅了したという。訳者の解説で、「リッチーが書いた最も短い物語」があるという。 それは、下記の2つの文だけだ。 「すべてが終わったとき、地球上には二人の人間が残った。 二十年後、年上の男が死んだ」 リッチーは、まだ、もう少し削れると言ったという。 それで、英文に知的興味が湧いて、ペイパーブックでないかと探した。 しかし、短編作家だから、リッチーだけの短編集というのはないようだ。 他の作家と一緒の本ならあるようだがね。 この和訳の「クライム・マシン」はリッチーの17の短編からなっている。 この中の「エミリーはいない」はエドガー短編賞を受賞しているという。 いずれも、最後のどんでん返しが奇抜だね。 よくこれだけ、考えたものだね。 しかし、文体が簡潔だから、気が抜けないね。 最後のどんでん返しが、落語の「落ち」のようにさらりとくるね。A氏:テレビのヒッチコック劇場はよく見た記憶があるが、そういえば「落ち」がよかったね。私:落語の「落ち」はさりげなく言う場合があるから、聞き逃がすと大変だね。 同様に、そういう緊張感がこれらの短編にあるね。 しかし、それでさらりと終わりというのもリッチーの短編のいいところかね。 落語のようにさっぱりした気分転換だけで後に何も残らない。 エンターテイメントの真髄かもしれない。
2007.04.29
コメント(0)
私:今日、用事で静岡に行き、静岡駅17時23分発の特急東海4号で帰ってきたよ。 列車がまだ、出発前でホームにいるとき、2、3の人が特急の車体やいろいろな掲示を写真にとっていたね。A氏:鉄道マニアかね。私:ハイキング姿の中年の夫婦が「今月でこの特急東海がなくなるので、鉄道ファンは記念に写真を撮っている」といっていたね。 発車してから、3月17日が最終でこの特急はなくなると車内放送があった。A氏:俺はあまり利用したことがないが、便利なんかね?私:俺みたいに東海道線の大船に近いと、この特急は大船に止まるので便利だね。 朝の東海1号で9時半に静岡に着くと、1分の待ち合わせで、浜松方面行きの各駅停車に連絡する。 同じホームの向かい側に待っているんだ。 だから、静岡より浜松寄りの焼津、藤枝、島田などに用事でいくときは便利なんだよ。A氏:1分の待ち合わせ! 効率的だね。私:それと、東海道線は、三島と静岡の間で在来線と新幹線が離れるね。A氏:そうだね。 新幹線の新富士駅から在来線に行くにはバスかタクシーでかなりかかるね。私:だから、在来線の富士駅を使う人は、この特急が便利なんだね。 十年位前に富士駅近くの会社に用事があってよく通ったが、往復ともに、この特急を使って便利だったね。A氏:それなのに、なんで廃止になるの?私:いつも空いているんだよ。 いつかは廃止になるのではと不安だったが的中したね。 採算上、問題だったのだろうね。 大船に着く前に、車掌とデッキで立ち話をしたんだが、やはり利用者がすくないのが理由らしい。 代わりの特急もないらしい。 「3月17日のこの4号が最後です」と残念そうに言っていたよ。A氏:歴史があるんだろうね。私:今のタイプの特急になったのは、もう、十数年前になるのかね。 もっとかな。 斬新なボディスタイルとカラーで鉄道ファンには受けたようだね。 その前は確か、急行東海であったように思う。 そのときは、普通の列車を使っていた。 特急に格上げしてからボディがよくなったね。A氏:君は急行時代からの愛用者かね。私:愛用というほどでもないが、急行東海というと用事が終わり家に帰るときに使ったのでなつかしいね。 混んでいた記憶があるね。 それから、面白かったのは、特急になってから6両編成になって、2両が指定なんだが、後、4両が自由席なんだ。 特急券は自由席は車内で車掌が回ってくるので買える。 ところが、静岡を出るときは、指定は後ろの2両で、先頭のほうの4両は自由席なんだ。 そうすると、検札が指定からはじめると、先頭の6両目の自由席の検札が熱海、小田原あたりになることがある。A氏:じゃ、静岡から乗っても小田原から乗ったと言えば、特急料金は安くなってしまうね。私:静岡から大船までは特急料金は2千円くらいだが、小田原からなら5百円だ。 それに小田原までの間に降りたら、特急料金はゼロだね。 結構そういう人がいたよ。A氏:確信犯は、6両目に乗れだね。 車掌も人数ギリギリなんで、手が回らないんだね。 悪循環だね。私:あるとき、2人の車掌で、先頭の自由席から検札をしたことがあったね。A氏:常習犯はあわてただろうね。私:俺は、今月末にまた用事で静岡に行くんだが、そのときはもう特急東海はない。 どういう経路にしようかと考えている。 いずれにせよ、いろいろな思い出を残し、東海号も去っていくか。
2007.03.13
コメント(0)
私:先週のTVドラマ「相棒」はすぐに犯人がピンと来た。 A氏:俺も見たが、新聞記者がある部長の収賄のスクープをする。 記者は得意になる。 ところが、捕まった部長が自白せず、勾留が長引く。 どうも事実でないらしい。 そのうちに、その部長が自殺する。 新聞記者も結局やめてしまう。 それから、数年たって発生した交換殺人の犯罪の黒幕に、自殺した部長の子どもが登場するというわけだね。私:父親の死に対する新聞記者への復讐だね。 その復讐心がすさまじいことを、ある人の体験談から知っていたので、ピンと来たのだ。 その体験談は、10年位前にある中堅企業の重役と夕食をともにしたとき、その重役の体験談として語られた。 彼は、今まで、社員には話してないんだがと言って、今までの人生を話した。 彼は大学を出て、ある地方では大手の新聞会社の新聞記者になった。 そして、若くして、市会議員の汚職をスクープした。 彼は大得意だった。 正義感で鼻高々であった。 ジャーナリストとしての将来は、洋々たるものを感じた。 ところが、この市議が自殺した。 通夜に彼は出かけた。 そうしたら、中学生くらいの女の子が、彼を指し「この人が父を殺しました」と叫んだという。A氏:それはショックだったろうね。私:彼は、ショックで新聞社をやめた。 数年間、気持ちがうつろで、どんな仕事も手につかなかったそうだ。 毎年、その市議の命日には、ご焼香に訪問するが、冷たく扱われる。 しかし、彼の努力で多少のギスギスさは解消されていったようにみえた。A氏:彼にしてはつらいものがあったんだろうね。私:こうして、十年ほどたった。 その間、彼は、今の社長に救われ、ちゃんと勤めるようになり、才能があるので抜擢されていた。 そんなある日、その市議の娘さんが結婚するということで、その娘さんから招待状が来た。A氏:出席は問題ではないの?私:彼は素直に出席した。 しかし、娘である花嫁は「この人は、父を殺した人です。」と言って彼を出席者に紹介したという。A氏:やっぱりな。私:彼は、これは、一種の和解であると解釈したようだが、依然として、心の底に残る重いものを感じたであろう。 日常の彼は明るいジェントルマンだがね。A氏:今はやりの「鈍感力」の問題かね。私:もっと深いと思うね。 鈍感力なんかの問題ではないね。 心優しい真のジャーナリストというのはこういう運命をたどるのだろうかね。 ドラマ「相棒」のほうでは、子どもとこの記者とは分かり合う方向を示唆して終わる。 しかし、現実のドラマのほうがきびしいね。 明日、また、「相棒」がある。 ミステリーファンとして、楽しみにしているよ。
2007.03.06
コメント(0)
私:この本は例の山口組旧五菱会系ヤミ金融グループによるマネーロンダリングをあつかったものだ。A氏:あぁ、2003年にスイスの銀行で梶山というヤミ金融の帝王の個人口座51億円が凍結された事件だね。私:これはマネーロンダリング街道に関係するが、ヤミ金融のぼろ儲けは、格差問題を生んだ新自由主義も背景にあるね。 いずれにせよ、マネーロンダリング一般論でなく、この事件に絞ったせいか、素人でもその手口が非常に分かりやすく理解できるね。 同時に、欧米では、すでにいろいろな手が打たれていることや、日本もこれを契機に遅ればせながら、立法も進んでいるようだね。A氏:日本のヤミ金融はバブル崩壊とともに急成長するんだね。 金に困った人を食い物にするわけだ。 そして、その違法利益を隠すためのマネーロンダリングの必要となるんだね。 しかし、日本から国外に送金するときは制限があるんだろう? 二重三重の監視があるのをどうやってそれを潜って送るのかね。私:中心になるのは、割引金融債だね。 一万円から五千万円まであるという。A氏:例の政治家の金丸氏が多額の政治資金を隠していたのも割引債だったね。私:株と違い無記名で買えるので脱税した資金を隠すのに使われてきた。 今は、チェックが厳しいらしいがね。 まず、現金を割引債に変える。A氏:なるほど。私:ここでクレディ・スイス香港銀行が登場する。 これは実はプライベートバンクだね。 ライブドアも使っていた銀行だ。 この銀行がスタンダード・チャータード銀行東京支店へ「何月何日何時に割引債の現物10億円を持った山根という我々の代理人が日本証券代行に向う」という指示が出る。 そして持ち込まれる割引債の証券番号や山根の身元確認のパスポート番号も指示される。 山根は違法行為の共犯だ。 連絡を受けたスタンダード・チャータード銀行東京支店は「クレディ・スイス香港銀行からの依頼で割引債を換金してほしい」とそのまま、日本証券代行会社に要請し、換金した金はスタンダード・チャータード銀行東京支店に送金してもらうように伝える。A氏:なるほど、まず、段取りがあるわけか。私:山根は指定された通り、日本証券代行の窓口に行き、連絡した通りの番号の割引債を預ける。 日本証券代行は、その割引債を発行元の金融機関に持ち込み、換金された現金はスタンダード・チャータード銀行東京支店に送金される。 その後、スタンダード・チャータード銀行東京支店からクレディ・スイス香港の口座に入金される。 ここで海を渡る。 ここで通常の海外送金との大きな違いは、クレディ・スイス香港からの依頼という形をとることで、日々多額の資金をやり取りしている外資系銀行同士の取引の一部に隠れてしまい、個人名がかくれてしまうことだ。A氏:なるほど、そこで大量の金を海外に送金できるのか。 無記名の割引債から始まり、外資系銀行の送金に混じるから、個人名は出てこないね。私:このプランはクレディ・スイス香港の神保が考え、あらかじめ彼はクレディ・スイス香港に梶山の口座を作っておくわけだ。 そこに膨大な金額が続々と送金される。 なかには、直接、荷物として割引債を持ち込んで日本から香港に渡ったものもあるという。 もちろん、違法だが。A氏:よほど、梶山には金がたまっていたんだね。 ヤミ金融で自殺者も出るというのにね。 一方では大儲けだ。私:アメリカでも2003年に日本の情報で捜査当局が水面下で、梶山が米国でヤミ金融の収益をマネーロンダリングしている可能性があるとして捜査していた。 そしたら、梶山が米国内で約2万五千ドルの高級腕時計を現金で一括払いしていることを突き止める。 一万ドル以上の現金を持ち込む場合は当局への報告が求められているがその報告はないし、送金の記録もなかった。 結局、2つつの口座が違反として凍結される。A氏:こうなると世界的だね。私:それに梶山はアメリカのラスベガスのカジノではVIPだったという。 掛け金も大きい。 実はカジノには預託金制度というのがあり、日本にあるカジノの会社名義の貸金庫に2百万ドル預けた。 この受領証はアメリカのカジノに送られるので日本国内には記録が残らない。 しかし、この枠内でアメリカではドルを使える。 捜査当局がアメリカからの情報で東京の貸金庫に行ったら、百ドル札が隙間なくつまっていたという。 もう一箇所あったが、梶山の逮捕直後、誰かが運び出していたという。 巨大な利益の金の最終的な行方は混沌としているらしい。A氏:これだけの国際的なマネーロンダリングを摘発するには、日本の捜査当局ははじめての経験だっただろうね。 警察もグローバル化の波をかぶったわけだ。私:しかし、これだけのマネーロンダリングの計画をしたクレディ・スイス香港の神保は、東京地裁では無罪だったという。 検察が控訴しているというが、日本の法律や司法はこういう犯罪にはまだ甘いんだね。 しかし、これは氷山の一角で、日本はマネーロンダリング王国だというね。
2006.11.26
コメント(0)
私:北海道に籍を移した日本ハムが北海道で日本シリーズをきめるという劇的な快挙をしたね。A氏:プロ野球をマネジメントの視点で見ている君の感想はどうかね。私:マスコミは新庄のことばかりで、マネジメント面での情報は少ないね。 一応、昨日の朝日新聞の社説と、それと土曜版のbeの生島淳氏の「読み・解く・スポーツ」にある「米国人2監督の違い」くらいの情報だね。A氏:それは俺も読んだよ。 とにかく、君のプロ野球についての知的興味は監督術、すなわち、マネジメントにあるからね。 当然、ヒルマン監督に焦点が行くね。 マスコミはほとんど、新庄に焦点がいっているがね。私:朝日新聞の社説も3分の2が新庄とそれから小笠原とのコンビの妙を指摘しているね。 3分の1がヒルマン監督の存在が大きいとしているがね。A氏:朝日新聞の一面の胴上げ写真は、新庄の胴上げだね。 あれは、普通は監督の胴上げ写真ではないの。私:それをヒルマンがあえて認めた点がマネジメントのうまさかね。 マスコミは地味なマネジメント話は嫌いだからね。 日本式では現役時代有名だったことで監督になるが、ヒルマン監督はこれと違い、アメリカ式のマネジメント専門の育成コースから育った監督だね。 そして、社説は札幌に来るとき、親会社の出向組が幅を利かせがちな球界で、現場のユニフォーム組と背広組の責任を明確にして分担を進めた成果だと言っている。A氏:君のいう、日本的なしがらみのある共同体的な集団でなく、機能集団に改革をしたわけだね。私:残念ながら、経営陣の誰がそういうマネジメントを決心したのかが書いていなかった。 新庄の日本的な心情の華々しさの裏にこのような合理的な、機能集団的な配慮があったのだね。 社説は、昨年の千葉ロッテとともに巨人中心の一極集中から、多様で地域に根ざしたプロ野球へ、と言ってプロ野球の近代化への一歩としているね。 ここでも、残念ながら、何故、外人監督が好成績をあげているのかふれていなかった。A氏:それは、be版の生島氏のほうでふれているね。 この記事は、逆に、新庄の話はまったくなく、昨年優勝のロッテのバレンタイン監督と、今季のヒルマン監督のマネジメントの仕方の比較だね。私:ロッテのバレンタイン監督はアメリカ流を日本に持ち込んだというが、自由にプレイさせたようだね。 性格も明るい。 選手とのコミュニケーションは日本の監督にない新庄型だね。A氏:ヒルマン監督は逆に下位に低迷するんだね。 ヒルマン監督は普通は解任の成績なのに、続投させたことに勝因の一つがあるとしているね。 これは外人監督がすぐに首にできるという「江夏のぼやき」とも違うね。 生島氏は日ハムが北海道にいってからの、朝日新聞の社説のような人事体制の改善についてふれていないね。私:生島氏が指摘しているように、今年のヒルマン監督のマネジメントはかなり日本型をとりいれたようだね。 キャンプの練習時間も従来の半日から、日本流の6時間。 中日はもっと長いらしいが。A氏:犠打も今までのリーグ最小から今年は最多へと極端な転向だという。 マネジメントの大きな転向だね。 日本選手の心理を理解するため「武士道」の本も読んだという。私:監督批判した宮本投手は罰金を取られたので、日本シリーズでは使わないのではないかと言われていたが、使ったね。 俺は、ヒルマン監督は機能集団にうまく日本型の共同体心理を持ってきたと思う。 江夏氏がいうように、日本人の気質、義理、人情、意地を考えたマネジメントに変えたのかな。 それに新庄がのって、野球も面白くなったのではないかね。 組織は、高度成長の時の日本製造業のように機能集団でありながら、共同体型にもなったときが一番強いようだね。 ロッテはやはり4番の李が巨人にとられたのが機能低下として響いたかね。
2006.10.29
コメント(2)
私:文藝春秋の今月号(11月号)に横綱朝青龍と作家津本陽氏の「我らが英雄 チンギス・ハーン」というタイトルの対談があるね。 今年はチンギス・ハーンがモンゴル帝国を建国した800周年だから、津本陽氏も本を出すそうだね。A氏:俺も君に言われて文藝春秋を読んだよ。私:津本陽氏は、ノモンハン戦争で辻政信参謀を描くために、蒙古に近いノモンハンを訪れているんだね。A氏:これを読むとモンゴルでは生活そのものが相撲の基礎体力を作れるようになっているし、子どもの遊びにもあるんだね。私:俺たちの子供時代にも、相撲を取るのは遊びの中心だったよ。 学校の体育でもあったしね。 それが今ないのではないの?A氏:モンゴルは一時、社会主義国家だったので、ソ連に遠慮してチンギス・ハーンはタブーだったけれど、今は自由になったんだね。私:ところで、俺はこの対談で知的興味を持ったのは、チンギス・ハーンでなく、朝青龍の日本語なんだ。A氏:日本語がうまいね。 これは朝青龍以外のモンゴルの相撲取りもうまいね。私:彼は言うね。 モンゴル人はどんな国に行っても体がすぐに慣れてしまう、食事も、言葉もね。 モンゴル人にはそういう才能があると彼は言う。 中国へ行っても、ロシアに行っても現地の言葉をすぐにペラペラしゃべれるようになる。 アメリカやヨーロッパへ行ってもその国の言葉をすぐ覚える。 A氏:遊牧民だから、どんな環境でも生きられる力があるのかね。 柔軟性があるんだろうか。「郷に入っては、郷に従え」か。私:日本語の主語と動詞の関係など、文法的な構造はモンゴル語と似ているんだね。 ウラルアルタイ語系といってね。 韓国語もそうだね。 しかし、他の外国語もすぐになれるとなるとなると、文法的に似ているのは関係ないね。A氏:発音が日本語より多いらしいが、これが原因かね。私:しかし、チンギス・ハーンがあれだけ、世界最大の帝国を築くことができたのも、自分たちの価値観を押し付けるのでなく、それぞれの宗教を尊重したりした柔軟性にあったんだね。 日本人の英語がうまくないというコンプレックスは、英語教育のテクニックや、幼児期からの英語教育が不足しているからというのが原因ではないのではないかということなんだね。 朝青龍の話を聞くと、なんか、遊牧民族センスのような別の要因があるような気がするね。A氏:俺の子供なんか、小学生のとき、英語を近所のグループで習わせたけれど、成人した今となると、中学から習った俺のほうが英語力は上だよ。私:そうでない場合もあるね。 何事も同じで、できる奴はできるし、できない奴はできないだろうね。 それに、日本人が英語で一般的に下手なのは、日常生活で使わなくても近代的な生活ができるのが一番大きな原因かもね。A氏:しかし、外交に関係する政治家はできるだけ、英語はうまくやるようにしてほしいね。私:それも、一筋縄でいかないね。 本の名前を度忘れしたが、ある本で中曽根さんのとちりの話が書いてあったのを覚えている。 それは、レーガン大統領との会談で原稿なしの英語の挨拶で「フルートフル・トークfruitful talk:実りある話し合い」を「フルート・トークfruit talk:果物の話し合い」ととちったという。 fulをとばしてしまったんだね。A氏:日本の歴代首相で英語が得意なのは中曽根さんと宮沢さんだと言われているね。 中曽根さんの当時の首脳会談の問題は「牛肉とオレンジ」だから、なお、皮肉だね。私:中曽根さんはさらに「レーガン大統領」を英語で「ユナイテッド・プレジデント・ミスター・レーガンUnited president Mr. Reagan」とやってしまったという。 states of America ととばしてしまったのだね。 これでは「日米共通の大統領、レーガン氏」となってしまう。A氏:そうか。 私的なトークはともかく、重要な会談は新聞に載るから、通訳が必要かもね。私:まあ、単純ではないね。 日本人の英語問題はいろいろ研究も進むようだから、将来、いい方法が考えられるかもね。 浅い考えは禁物だね。 ゆとり教育のようにすぐやってみてすぐまたやり直すようでは損失だしね。 教育はこわいね。
2006.10.24
コメント(0)
私:朝日新聞のスーポーツ欄で3回に分けて「オレ流の進化」という落合監督のチーム運営を特集していたね。A氏:俺も読んだ。 落合選手のプレーヤー時代は典型的な「渡り職人」だね。 その選手としての成績は確かにすごいね。 しかし、共同体的な選手ではなかったね。私:だから、中日ドラゴンスの監督依頼がきたときは驚いたようだ。 一匹狼の自分に、まさか、チームを率いるという仕事の依頼は来るとは思っていなかっただろうからね。A氏:しかし、監督としても機能集団のリーダーとしては適切だったんだね。 練習もみっちりやる。 鍛えた選手に敗戦の責任を押し付けない。私:共同体型では選手に責任を押し付けやすい。 しかし、このドライなマネジメントは、共同体的なウエットな日本人体質に合うのかね。A氏:「理想の上司」に優勝監督がなる場合が多い。 仰木、野村、星野らの監督は優勝後は「理想の上司」のランク上位になっているね。私:ところが、2年前のリーグ優勝のときの落合監督は37位だったというね。A氏:たしかに、人付き合いは悪いね。私:名古屋には後援会組織もないという。 徹底的に野球に集中する。 まさに共同体と機能集団との分離だね。 他の監督のように報道陣らと茶を飲んで仲良くする必要はない。 そんな暇はないという。A氏:君の日記の江夏のぼやきのように試合にも多少、人情的なものが必要なのかね。私:その点、落合監督の意見は違うね。 いい野球をするからファンが来る。 勝利を求めて球場に来る。 勝てば気分良く家に帰れる。 実に明快だね。A氏:コーチ、スコアラーの陣容は12球団で一番多いというね。私:それに彼には共同体的しがらみがないから、自分が評価した人を自由に選べる。 全員、落合監督が一本釣りしたという。 そして信頼して任せる。 自分が選んだのだから、責任は自分にあるという考えだね。A氏:不思議なことに落合監督はアメリカ野球の経験がないのに、アメリカの機能集団的な方法に徹しているね。私:これは製造業の経験だが、俺が知っているある工場長は長い間、アメリカの子会社の社長をしていたんだ。 部下のマネージャーはアメリカ人だ。 責任を与えると同時に権限を任すんだね。 責任権限を与えても口うるさく口出しをする上司が多い日本型ではないね。 しかし、報告は求める。 それが日本にもどってきて工場長室で報告だけ受けていたら、現場をよく回らないと逆に批判されていたよ。A氏:落合監督はチームの選手やスタッフに対して批判めいた発言はしたことがないという。 人選の責任は自分にあるということが明確なんだね。私:その点、江夏氏が監督には選手を信頼する度胸も必要だというのと共通しているね。 しかし、落合監督なら「江夏の21球」の最後のピンチのとき、最後、ブルペンに交代投手に投球練習をはじめさせたかね。A氏:興味ある問題だね。私:交代投手の投球練習はしなかったかもしれないね。 江夏と運命をともにする気でいたかもしれないね。 度胸でなく、自分の責任として。
2006.10.19
コメント(0)
私:こないだ、同窓会で日光に行ったとき、家康の墓を見てきた。 そこまで行くのに有名な左甚五郎の「眠り猫」の奥の二百五十段くらいある石段をのぼるんだ。 中には、石段数を聞いただけで「俺はムリしない」と言って棄権したのが数名いたね。俺は挑戦したが、気になったことがあった。A氏:何が?私:石段の高さと奥行きなんだ。 われわれが日常使っている階段より、高さが高く、奥行きが深いんだね。 昔の人は、足幅が大きかったのかね。 それとも足の動かし方が今と違っていたのかね。 ナンバ歩きみたいにーーー。 だから、石段の数だけでなく一つひとつの石段の高さ、奥行きの情報がないと登る負荷が正確に分からないことに気がついたんだ。A氏:なるほど、高さが高く、奥行きが深いほど、同じ石段数でも疲労度が高いわけだ。私:俺は20年くらい前に中国観光ツアーで五山に行ったことがあるが、そこにかなりの数の石段をまっすぐ登り、山上の小さな堂にお参りしたことがある。 そのときの個々の石段の高さが高い気がしたね。 今、思い出したよ。 当時は多少今より体力があったので気にしなかったんだね。A氏:現在のビルなどの階段は規格で決まっているんかね。 何か、同じ高さのような気がするね。私:面白いのは、熊本城では、城に登る石段の高さと奥行きが少しずつ変えてあるんだそうだ。 これは敵兵の歩くペースを乱れさせるために工夫してあるのだという。 現在は観光用に一部現代風に直してあるということだが。A氏:なるほど。 芭蕉の「岩にしみいる蝉の声」で有名な立石寺は千段だというが一つひとつの石段の高さはどうなのかね。私:日本で今、一番石段の多いところは、熊本県の美里町にあるという。 この石段は、1200年の歴史がある釈迦院(八代郡泉村)の表参道である坂に、観光で町の活性化を図るため、数年かかって昭和63年に完成したという。 3333段だというね。 その前の日本一は、山形県羽黒山の2446段だそうだ。A氏:3333段の石段登りが観光名物なっているわけか。 問題は、君のいう石段の高さと奥行きだね。私:不思議に皆、石段数が正確に数字で出ていて、個々の高さと奥行きの情報がないね。 この美里町の石段には、全国各地の名石のほか、中国、韓国、インド、旧ソ連、ブラジル、アメリカ、南アフリカなど世界各国の御影石を使用しているそうだ。A氏:3333段に挑戦するかね。私:ちょっと考えさせてくれ。
2006.10.18
コメント(2)
私:社長ひとりさんのブログで、訪問した会社の女性事務員が気のきいた対応をする話が載っているね。A氏:俺も読んだが、この会社の経営体質なのか、個人の特質なのか、興味が湧いたね。私:その会社の社長がその対応の話を聞いて全社員に伝えたというから、経営者も理解したんだろうね。 俺はたまたま、日経ビジネスの10月2日号で「人材沈没」を特集していたので、その関連で特に興味を持ったね。 こういう話は昔はよくあったが最近は減ったように思うね。 それに、特に、フェイス・ツー・フェイスのコミュニケーンが気になっていたからね。A氏:そういえば、このブログのコメントで君はJR東海の徳渕真利子さんの記事を紹介していたね。私:そうなんだ。日経ビジネスではチョッコットだが、アルバイトの彼女の話を書いているね。 彼女は「のぞみ」のワゴン販売で平均の3倍近く売上げ、400人いる販売員のトップに立ったという。 何故、彼女がそのような成果を出したか。 それは、彼女は乗客一人ひとりの顔をきちんと見て、こちらから逆に声をかけるのだという。 乗客に話しかけることが苦にならないのだというわけだ。A氏:アルバイトでは明日がないから、辞めようとしたら慰留が入り、正社員となるのだね。私:フェイス・ツー・フェイスで相手の心を読んでサービスするというのは、本来、日本人の「思いやり」の心があったからではなかったのかね。 「国家の品格」が消えつつあるので、こういう話が美談になるのかね。A氏:もう、20数年以上前になるかね。 日本の職場でQCサークルが盛んで、アメリカ企業がよく学びに来た時期があったね。 アメリカのある経営者は熱心に日本に何回も来てQCサークルの講義を聞いたが、どうもピンと来ない。 また、日本に来た。 銀行で日本円に交換するときに、日本の女性が何も言わないのに、小銭も混ぜてくれた。 そこで、その経営者ははじめてQCサークルの原点がここにあるとして納得したという。 日本的な相手の気持ちに対する思いやりだね。 アメリカのマニュアル化した組織では期待できなかったんだね。 当時は「国家の品格」が生きていたわけだ。 当時、アメリカの有名な経営書に書いてあったね。私:俺はタイで逆の経験をしたよ。 やはり20数年前だね。 タイに仕事で行ったら、事務所で女性の事務員がコーヒーとケーキを出すんだが、マグカップが大きい上に、ものすごく濃いコーヒーなんだ。 それにケーが大きくてものすごく甘い。 それが女性事務員のマニュアルになっているようなんだ。 女性事務員はマニュアル通りやっていたわけだ。 俺はウンザリしたがね。 一緒に同行した女性の通訳が後で気がついて、あわてて持参のお茶に変えたりしていたね。A氏:それと仕事とどういう関係にあったの?私:いや、その会社で仕事の合間に当時有名だった日本のQCサークルの話をしてくれというんだね。 俺はQCサークルは好きではないが、まあ、要請があったので話を始めた。 話題として、女性の事務員のコーヒーの出し方をとりあげた。 私の好みを確認しないで、コーヒーとケーキを出しているが、QCでは私はサービス先、すなわち、顧客にあたるね。 顧客の希望をよく確認して、自分の仕事を工夫するのがQCサークルの原点で、そんなにむずかいしことではないと説明したね。 さっきの事務員からでも今すぐスタートできると言ったんだ。A氏:まぁ、タイだから、タイ語ではダメだから、通訳にあらかじめ聞くか、メニューをつくるかだね。 発想の問題だね。私:問題は、どうやって、頭を使ってもらうかだね。 これが難しいね。 あれから20数年たったが、日本でもマニュアル的な気風が広がっているのかもね。 訪問客に「コーヒーですか、紅茶ですか」とマニュアル的に聞くようになっているのかもしれないね。 心がこもっていないのかもしれない。 ファーストフッドの店員の挨拶のように。 そうなると応用がきかない。 だから、俺は最近の職場小説が気になるんだね。 「フルタイムライフ」「泣かない女はいない」にはそういう「国家の品格」がいうような思いやりシーンはもうないようだね。 だから、このようなブログの話を聞くとほっとするね。 こういう話に満ちた職場小説でも書いてくれると職場が明るくなるんだがね。A氏:それにしても、徳渕真利子のような人や、よく気がつく女性事務員がどうして育ったのかね。 その解明が必要だね。私:俺は、それは、QCサークルの崩壊と関係しているような気がするね。 QCサークルは盛んになるに従い、形式化してきたようだ。 パターン化してきた。 それとバブル崩壊から、職場が共同体化しにくくなった。A氏:何故?私:正社員が少なくなったので、一緒の仲間だという職場の共同体意識が、パート、アルバイト、派遣社員、社内下請け、外国人など、多様な集団となってきたことが背景にあると思うんだね。 それにこれらの人に対する教育もやりにくくなっているね。 職場教育の格差だね。 ところで、、2年前の「文芸春秋」6月号の「子供を回転扉で殺さないために・失敗学と古武術」の対談で、失敗学の畑村洋太郎教授は次のように言っているね。 「今の日本は故障や事故はメーカーに問い合わせればいいやというテレフォン・エンジニアと、説明書さえあれば事足れりとしている、マニュアルエンジニアだらけですから。 ここから『TQCの落とし穴』が起きます。日本企業はTQCで製品の品質を飛躍的に向上させてきました。 しかし、今やTQC先進企業の不祥事は枚挙にいとまがない。 これは品質管理マニュアルが細かく高度になりすぎて、現場はそれを守るのに精一杯で、不測の出来事に対応できないためです。 いつのまにか、『自分の頭で考える』ことができなくなり、発想が制限されていく。 日本がTQCで世界に冠たる経済大国になったことと、この十五年の大不況とは、同根だと思います。」と言っている。 その後、事故は増加している。 しかし、俺はアメリカ型になりつつある職場の格差がその根底にあるような気がするね。
2006.10.14
コメント(2)
私:昨夜は同期会だよ。 一泊し、今日は観光して夕食には帰ってきたよ。A氏:どこに行ったの?私:日光だよ。 夕方、現地のホテルに集合。 6時半から8時半まで夕食。 8時半から10時半までカラオケ。 翌日は、日光の華厳の滝、龍頭の滝などをみて、日光東照宮をガイド付きで観光した。A氏:大学を卒業してから、だいぶたつだろうから、集まりはどうだね。私:俺の学科は26名卒業。 そのうち、1名は30才台で急死。 今回、参加は17名だから、非参加は9名。 このうち、個人的な都合でこられなかった者は4名。 体の調子が悪く、リハビリとか療養とかで参加できなかった者が残りの5名だった。 そういえば、奥さんを失くしていた者も2名いた。 今回、2名とも参加していなかったけれど、再婚もしていなかったね。A氏:参加率はよかったのではないの?私:いいほうではないの? もう皆、定年になっているので、時間的余裕があるのかもしれないね。 しかし、一方で地域の活動をはじめて、その都合で来られない者もいたね。 夕食で各人の個人報告を逐次行われたが、皆、いろいろな新しい趣味に精を出していて、かなりの腕をあげているのが共通していたね。 篆刻とか水墨画などという変わったもので腕を上げていた者もいた。 定年以後に習得したんだね。 体をこわしている人もいるが、多くはまだまだ元気だね。A氏:皆、技術者だけにもったいないね。 来年から団塊の世代の定年退職が増加するが、多くの人はまだま だ、現役として活躍する必要があるのではないのかね。私:しかし、話は自然に、病気のこと、医者の良否、薬の話し、健康法などが多くなり、やはり、年令を感じたねA氏:それにしても、今日は天気がよかったから、日光の観光にはよかったのでは?私:ちょっと、上のほうは、厚い霧がかかっていたが、中禅寺湖などの展望は良かったし、いろは坂も下りは紅葉が見頃だったね。 日光の東照宮は、まだ、新入社員の頃、会社の慰安旅行で行った記憶があるくらいで、久しぶりだったよ。A氏:今は、鳴り龍は手をたたいてはいけないというけど、本当かい?私:そうなんだ。 今は、説明役の人がいて、拍子木を数回たたくのだよ。 昔の手のほうがよかったが、多くの人が乱雑に手をたたくと、反響が聞こえにくくなったのではないのかね。A氏:東照宮は神仏混合だね。私:そうだね。 輪王寺という寺が別にあるが、東照宮に入るには大きな石の鳥居をくぐる。 神社だね。 しかし、神社の境内に入ってから、立派な仏教の経堂があるね。A氏:神道とはそういうあいまいさがあるね。私:建物の彫り物にも中国風の儒教のものが多いね。 徳川幕府は、政治の手法に儒教を用いたからね。 それにしても拝殿は神道だから、像などない。 素通しだよ。A氏:神道の特徴だね。私:奥の拝殿は、昔は徳川家の者や、大名が拝する場所だね。 石高の多い順に並んだという。 今も徳川家の子孫が祭祀を行っているという。 宮中の天皇家の祭祀が宮中三殿で今も行われているのと同じだね。 左甚五郎の眠り猫の後の丘の石段を二百段くらい登ると、家康の墓がある。 そこも行ってきた。A氏:日光のみやげ物というと、ゆばかね?私:ゆばを使ったものは多いね。 皆、昼飯にそばを食べたとき、キュウリの漬物が出たのがおいしくて、それを土産に買う人がいたね。 しかし、俺もそうだが、おいしいからといって、こういうものを買っても、一度に全部食べるわけでないから、冷蔵庫の堆積物となりやすい。 そこで、買わない人もいたね。 久しぶりの観光だったが、やや疲れたね。 しかし、卒業以来、会っていなかった者にも会って有意義だったね。
2006.10.13
コメント(0)
A氏:最近、目線と視線の違いで、調べたようだが、せっかくの知的漫遊だから、ブログに記録していたらどう?私:われわれは、なんとなく日本語を使っているが、その使い方を改まって考えると説明に困ることがあるね。 この「目線」と「視線」の違いもそうだ。 知的な興味が湧いて、ついでがあったので図書館である程度調べたんだが、そうだね、まとめておきたいね。A氏:両方とも同じ意味ではないの?私:そう簡単ではないみたいだね。調べるとね。 どうも、新しい言葉らしいね。 1984年に出版された矢野誠一氏の「芸能辞典」によると「『目線』は国語辞典にはない言葉である。 カメラでとるときに、目線はここにきめてくださいなどという。」とある。 例えば、ミュージカルの「マイフェアレディ」では多くの踊り手が踊るとき、目線が違う人がいると目立つという。 それで客席の後の方に目線を合わせるスポットライトをつけるという。A氏:この場合は視線と同じだろうね。私:矢野氏が辞書にないというが、確かに1980年の三省堂の「新明解国語辞典」にはない。 1988年の「大言海」にもない。 ところが、「広辞苑」第5版・1998年発行にはあるね。 「視線。もと、映画、演劇、テレビ界の語」とあるね。 「大辞林」1988年にもあるね。 「広辞苑」と同じ説明だ。A氏:どうも、テレビ全盛となる1990年代になって市民権を得てきたようだが、意味は視線と同じだね。私:業界用語だと思い、米川明彦氏の「集団語辞典」(2000年発行)を見たら次の2つの使い方が載っている。1.テレビ カメラの目線。出演者がカメラの方向に視線を向ける。「目線をください」2.テレビ・出版 目の部分を黒い帯でかくすこと。 関連した使用例「目線を読む」--登場人物が画面の外にいると想定される人や物の動きに合わせて視線を動かす。A氏:目の部分をかくすという新しい使い方が登場したね。私:小学館の「日本国語大辞典」は、20巻くらいある大辞典だが、2001年の発行だから、次のように「目線」の説明は詳しいね。1.映画・演劇などで演技者が目を向ける方向・「笑解現代楽屋ことば」中田昌秀著1978年発刊による。 「楽屋のことば」(戸板康二著1984年発刊)では演技者が演技中に月を見上げたり、山を眺めたりするときの目のつけどころをいい、視線とは言わないとある。2.転じて、一般に視線のことをいうとある。A氏:ここでは「目をかくす線」の説明が抜けているね。私:2003年の「日本俗語大辞典」(米川明彦監修)も比較的詳しいね。1.演技者の視線の向いている方向。 演技の重要な表現手段として、目線をしっかりときめなければならないという例をあげている。2.1996年12月19日の朝日新聞夕刊(大阪支社)の記事として「『行革は住民の目線で』など、紙面によく登場する『目線』という言葉が気になる、との便りをいただいた。視線や視点という言葉があるのに、目線を使うのは即物的な表現だし、耳障りだというのが趣旨。3.2003年「やっぱ男は顔でしょう」(内藤みか著・エッセイ)で「目線だけで、いや目線なんか投げなくても、その場にいるだけで、美男子は女心をとろかす何かを持っている」という表現を紹介しているね。A氏:何か「行革は住民の目線で」は視線の意味で使っていないようだね。私:そこで、三省堂・国語辞典・第5版・2001年登場するね。 この辞典がきわめつきだね。 次の3つをあげている。1.演劇・テレビなどの業界で視線のこと。「--が合う」「---をはずす」2. 公開写真の目に太い線をいれ誰かわからないようにする。「---を入れる」3.(その人の)ものの見方、とらえ方。「幼児のーー-で見る」A氏:3.が追加になったね。 「行革は住民の目線で」は3.の意味だね。 「住民の立場で考える」という意味だね。 2001年当時でよくこれだけまとめられたね。私:1.の使い方は視線でも代用できるが、映画、演劇、テレビ業界は目線になれているからこだわるだろうね。 カメラ撮影をする人も目線を使う例が多いね。 3.では何かわれわれは無意識に使い分けているようだ。 例えば「首相の目線で」という使い方はしないのではないの。 どうも、同じレベルか下のレベルに使うようだね。 だから、テレビキャスターが「視聴者の目線で」というときは、視聴者が下という意識が無意識にあり、腰を落として、目の高さを視聴者と揃えるという意味じゃないかと思うね。 それをいうと、キャスターは「いや、視聴者はお客さまです」というかもしれないがね。 背伸びして、目の高さを地位的に高い人の位置に維持する場合に「目線」は使わないのではないの。A氏:どうも日本語はむずかしいね。私:即物的な表現としては、英語に、「見る、目に留める」に「lay eyes on 」というのがあるよ。 目を見ようとするものに乗せるイメージだね。A氏:ブログで「目線」を索引すると、すごいね。 ランニングしている人のブログがあったが、走っている間、いろいろな建物などを見るのも目線、足元を見るのも目線、全部、目線だったね。私:そういうのは、視線のほうがニュアンスとして合うのではないかね。 まぁ、人生いろいろだね。
2006.10.05
コメント(0)
A氏:トヨタのかんばん方式は、欧米では、一時JIT(ジット)と言われていたそうだが、これはJust In Time(ジャスト・イン・タイム)の略かね。私:そうだよ。要するに必要なときに、必要な数だけ間に合えばよい。必要のないものはいらないということだ。 これは和製英語のようだね。これに対して、ドンピシャ間に合うのは、just on time(ジャスト・オン・タイム)という。このほうは英語的な表現のようだ。 そういえば、感激的な体験があるよ。まだ、新幹線が新大阪までの頃の話だ。当時、まだ、子供が一人で、妻の実家が瀬戸内海のほうなので、妻は、夏休みはよく子供を連れて田舎に帰っていた。 夏休みも終わりに近づいたとき、俺は丁度、仕事で鹿児島に行っていた。そこで大胆な計画を立てた。 当時は、岡山から横浜に帰るには寝台車を使っていたので、妻と子供は岡山から寝台に乗り、俺は仕事の帰りに、鹿児島から直接、東京羽田に帰らず、大阪の伊丹空港に降り、大阪梅田駅で寝台に乗れば一緒に帰れるというプランだ。A氏:大阪梅田駅の時間的余裕はあったの?私:1時間分くらいはあったと思う。ジャストインタイムだ。A氏:実際は、予定通りにいったの?私:ところが、当日、飛行機が遅れた。夕方の便は、折り返すからどうしても遅くなるようだ。気が気でない。 伊丹空港に降りて、すぐにタクシーで大阪梅田駅に向けて走った。時間的には危ない状態だった。A氏: 間に合ったの?私:タクシーが梅田駅に着いた。すぐ階段を駆け上がった。ホームに出た。そこへまさに寝台車がホームに滑り込んできた。 停止しようと徐行しているタイミングだ。指定はグリーン車(当時はまだ、2等車といったいたと思う)にしておいたので、デッキは階段の近くに止まる。 私が階段を駆け上がり、ホームに出たとき、丁度、グリーン車がそこにゆっくり停車し、 デッキで妻がきょろきょろして立っていた。 すぐにデッキにとびのり、やがて、列車は動き出した。間一髪、大成功だった。A氏: まさに、ジャストオンタイムだね。感激的な再会だ。映画のシーンに使えそうだね。
2006.07.18
コメント(0)
A氏:ところで、日本人は英語の読み書きは多少できるが、ヒアリング・スピーキング中心の会話に弱いというね。君は、合弁会社に3年ほど出向した経験があるから、会話もできるのでは?私:だめだね。合弁といっても親会社の工場敷地内に小さなラインを作り、アメリカの会社から送られて来た部品で組立てる、いわゆるノックダウンの会社で、常駐のアメリカ人はゼロ。 しかし、一応、英語はネイティブから学んでおこうと、会社側がカネを出し、残業で講師を呼んで週2回くらい勉強をやったかね。最初、ペイパーテストをやり、俺はフリートーキングコースに入ったが、メンバーに技術系が多く、彼らは残業が多い。だんだん、フリートーキングクラスは俺と講師のネイティブだけになってしまった。A氏:それはありがたいことではないの?私:逆だよ。話すテーマがない。講師は「今日、会社であったトラブルのことでもいいですよ」というが、トラブルなど、日本語で書いても難しいくらいの内容だ。結局、この研修プロジェクトは失敗になり、俺の会話力は向上しなかったね。A氏:でもアメリカの会社との業務上のやりとりもあるんだろう?私:当時はテレックスといって紙テープにパンチしたのを伝送する方式で、毎日連絡をしていた。 最初、担当重役がわれわれから情報を得て、英語にまとめ、これをタイピストがパンチして、アメリカに送っていた。この重役は貿易会社でアメリカに長い間いたという。 しかし、この重役も常に工場にいるわけでない。返事が遅れそうになる。見るに見かねて俺が英語で返事を書きはじめた。このとき、学校英語が役立った。A氏:テレックス英語というは会話調だそうだね。私:コストの関係で、文字数を減らす。だから、会話調になるんだね。プリーズもpleaseでなく、PLSと書く。 向こうの会社はシカゴにある。時差があるから、テレックスはこちらに早朝につく。そこで、俺は毎日、誰よりも早く出勤して、目を通す。そして、みなが出勤してくると指示したり、情報を集めたりして、英語で連絡内容を書く。それをタイピストがパンチして送る。 最初は、その重役の名前で送っていた。A氏:理想的な英作文練習だね。私:仕事でやっているから、苦痛ではない。それに、英語を書くときは、ものすごく自己主張的に発想を変える。 俺たち世代は石原慎太郎のように、アメリカに負けたくやしさみたいな意識があるんだね。だから、重役はアメリカに弱腰だと思っていた。だから、英語も攻撃的になる。You had better をやたら使ったね。これが1年くらい続いた。 そのうちにシカゴの会社がどうも日本側のテレックスの担当者が重役と違うようだと気がつき、日本の実状を見たいというので、独身の三十才台のR氏というアメリカ人を派遣してきた。独身なので3ヶ月くらいいた。 彼は、すぐに工場は俺が仕切っていることを知った。そこで、俺を部屋に呼んでいろいろ聞くようになった。もちろん、R氏は日本語が全くできないが、彼は俺を次第に評価し、親友になった。A氏:ヒアリング、スピーキングはどうだった?私:それが驚いたことに英語がスラスラ出たのだね。 仕事の必要上の強制力があり、書くべき自分の主張があり、それに基づいてテレックスの英文を書いていたし、それも毎日だからだね。継続は力なりだね。日常活動になってしまっていたんだね。基礎さえあれば窮すれば通ずだね。A氏:君がいくつくらいのとき?私:30才台なかばだね。ところが、R氏以外のアメリカ人がときどき、シカゴから来るのだが、その場合、スピーキングはいいが、ヒアリングがよくない。耳が慣れていないのかね。A氏:その場合はどうするの?私:面白いことにR氏が通訳になるんだ。彼のいい直しの英語で俺が理解する。A氏:結局、そのR氏が一種の英語会話の先生になったわけだ。「文藝春秋」8月号でピーターセン氏がリスニングや発音は個人的に反復練習して「体で覚える」ものだとして、学校では会話を習うものでないとしているね。私:俺の経験でもそう思うね。学校の基礎的な英文法をもとに、仕事上で言いたいことを簡単なテレックス英語を書けたし、その蓄積で、R氏が来たときに臨機応変の会話もできたということか。 しかし、毎日のように英語会話したのはR氏がいた3ヶ月だけ。すぐに合弁の出向が終わって、日本語の世界にもどってから能力は次第に退化したがね。 今は、暇ができたら「駅前」に行こうかと思っているがね。その前に日本の習字が先だ。 だから、俺は経験から基礎的なことを学んでおけば、なんとかなると自分なりに思う。重要なことは、自分の仕事を日本語でしっかり語れることだと思うね。A氏:よく欧米人は「君の考えはどうなの?」と聞くというが、言いたいことが何かをしっかり頭の中で、組立てられていることがポイントだね。それも日本語で――――.
2006.07.14
コメント(0)
全3398件 (3398件中 3351-3398件目)