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今日は久しぶりの「私の音楽遍歴-4」をお送りします。私の社会人デビューそして夜学へ。たくさんの出会いが待っています。1990年春。高卒で社会に出て、某社某部署に配属された。まだ何も分からない僕を先輩方はよく面倒みてくれたと思う。当時を振り返ると、赤面モノの行動を沢山やらかしている。先輩のOさんは当時30歳くらいだったが、昔バンドをやっていて、アマチュア時代の氷室京介もよく知っているとのことだった。LED ZEPPELINが好きで、バンドもやっていたとのこと。そんなことで当時のことをよく教えてくれた。もうひとりのTさんは28歳くらいだったとおもう。高校時代はバンドを組んでいて、これまたZEPが大好きだった。ある日ZEPのLPをまとめて全部貸してくれた。これまで4枚目しか聴いたことがなかったので嬉しくてたまらなかった。今はすごく近所に住んでいる。新入研修で驚くべき人の存在を知る。何の研修かは忘れたが、講師は数人を指名して前で自己PRさせた。そのうちの1人だ。その人はROLLING STONESが大好きで、なんとアメリカまでライブを見に行くのだとか。同期全員が驚嘆の声を発していた。私も同様に驚いた。いつかじっくりお話をしたいと思ったし、同じ会社だからいつか相見える時がくるだろうと思った。約10年後、それは現実となる。ある人の引き合わせだ。それが前にも書いた「ストーンズクレイジー」Mさんだ。もう一人同期で大きな出会いがある。やはりMさんという。現在はチョッパーさんと呼ばれている。3月のSTONES初来日公演では海外旅行ほどの金を注ぎ込んだと言っていた。かなりの変人。筋金入りのROCKファンで、この人からも今後ミッシェルガンエレファントのチケットを頂いたり、CDを借りたりと、頻繁ではないが今でもお付き合いは続いている。社会人になって周りの友達はすべて進学し(または浪人)、学生生活を満喫しているのを見て、少し寂しい思いをした。なんだか自分も勉強したくなった。で、上司に相談して夜間の法律専門学校に通うことを決意した。この学校は中央大の通信教育部と連携しており、学科試験に合格すれば中大の単位取得も可能だった。1991年、20歳になる年の4月に入学をした。同じクラスで1つ年上のSさんと知り合った。この人はギターを弾く。なかなかの腕前だったと思う。この人に勧められ、自分もギターを購入した。初心者らしく本体は5万程度のものを選択。当時よく宣伝していたIBANEZのRG-550というフロイドローズのついた現代風ギターだ。あの頃はEDDIE VAN HALENに憧れをもっていたので、そういう選択になったのだと思う。そしてアンプはSさんにそそのかされてGUYATONEの10Wのチューブアンプを選択した。3万ほどだったと思う。これはちょっと失敗したかもしれない。家に帰って音を出してみたが、思ったような音は出なかった。トランジスタでよいから小さなマーシャルでも買った方がよかったかもしれない。きちんと楽器屋で音を聴いて買えばよかった。ギターは高校時代に、亡くなった叔父さんの使っていたクラシックギターをもらったので、簡単なローコード程度は知っていた。なので比較的スムーズにエレクトリックにも入れたと思う。夏にはスクーリングといって中大に4週間通うのだが、ここにもギターだけ持ち込んでSさんと練習した。練習しながら思ったのは、フロイドローズ(それもフローティング加工)は弦交換とチューニングが大変で、プレイ中に1本切れると他の弦のチューニングも全て狂ってしまうため、非常に面倒。随分後になって、EDDIEはこれを嫌いフローティング加工をしていないことが判ったのだが。結論としては「いらない」と考えるようになった。SLASHやZAKK WYLDE、JOHNSYKESのようなLESPAULプレーヤーに憧れるようになったのもある。クラシックロックが大好きだったし、ZEPの影響もある。彼らの使っているLESPAULを見ると、モダンなギターはおもちゃのように見えてきたのだ。で、我慢ならずに2年程してからoville by gibsonのLESPAUL-standerdを購入した。タバコサンバーストのキルトトップで、日本製だったとはいえ、上位機種だったから品質的には本家と同等かそれ以上だったかもしれない。家で早速アンプに通してみたら・・・・感動した。サステインがまるで違う。音が太い。このギターはペグ交換やbigsbyのトレモロ装着、ポジションマークの修理といったマイナーチェンジを経ながら、この後10年近くメインとして活躍し、最後にはFIREBIRDの購入資金にするため売ってしまうことになるのだが、今思えばちょっと惜しい気もする。多少ギターが弾けるようになったので、友人とバンドをやってみた。最初期のラインナップはGrが自分、Baが幼馴染のT、Voが現在消防団の副分団長をやっているN、DrとしてNが従兄弟の女の子を連れてきたが、一度音合わせをしてみてほとんど演奏にならず崩壊した。で、次からはNがDrに転向することになる。これがTHE BULLSHITSの母体となる。詳細は後日。音楽的知識の面では、社会人になり給料をもらう立場になったことで、欲しいCDはどんどん買うようになったから、大きな広がりを見せた。ライブにもよく行った。初めて見たロックコンサートは、90年のWHITESNAKE武道館公演。ギタリストにSTEVE VAIを加入させるという無理ありすぎの末期ラインナップだったし、席も武道館2階の一番後ろだったが、ライブ初体験、スタート前のあのドキドキ感、高揚感は忘れられない。Sさんの影響は大きく、THIN LIZZYを知ったのも彼の影響だ。彼は豊富な知識、特に古いブリティッシュハード系にはマニアな部分を持っていた。しかし若干性格に難があり・・・・というか、私といると必ず何かやらかすため、卒業後は頻繁に会って話すこともなくなる。この前も久々に会って飲んだのだが、やってくれた。突然咳き込んで、口に含んだジュースを私のスーツに吹き出しやがった。これでまたしばらく会うことはないだろう。まあ、早くいえばこの時代は、社会人の経済力をフルに活用し、その筋の音楽的知識は格段に増えたということだ。 続く。
2006.12.29
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雨がやんで今日は暖かい一日だった。職場から見事な虹が見えたので撮影。
2006.12.27
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1999年7月末、私は苗場スキー場に足を運んでいた。紆余曲折の末ここ苗場に会場を移した第3回FUJI ROCK FESTIVALに参加するためだ。今や伝説となりつつあるこのFUJI ROCK99。確かに伝説と呼んでも疑いない素晴らしいフェスだった。あこがれ続けていたウッドストックをはじめとする往年のフェスとはこんな雰囲気だったのだろうか・・・・と思った。音楽観が、人生観が変わった気がした。この体験はまた機会をみて記載しようと思うが、今回は表題にあるTHE BLACK CROWESについて。FUJI ROCK FESTIVAL99は初の3日間開催となったが、初日グリーンステージ、ヘッドライナー前の日没を挟む時間帯に出演したのがTHE BLACK CROWESだ。彼らはその当時、ニューアルバムBY YOUR SIDEを発表し、勢いがついていた。GREATFULL DEADのようなジャム・ヒッピーバンドに大きく片寄りを見せていた90年代半ばのCROWESが久々に直球Rock and Rollに原点回帰した作品として、評判も良かったし、デビュー当時から気に入っていたバンドだったので、個人的にはこのフェスで一番見たいアクトだった。スタート前のインターバルで私は人混みをかきわけステージ前方に向かった。バンドは6人編成の大所帯だが、さらに黒人女性コーラスを3人従えて、ステージの雰囲気はかなりゴージャスなものだったと思う。当時のCROWESはジミー・ペイジと一緒にZEPカヴァー中心のツアーを行い、ライブアルバムまで出していたが、今回のステージでもIn My Time Of Dyingを見事にカヴァーしていた。ドラマーがミル・マスカラスのような覆面をしていたのは何故なんだろう。愛嬌か?別人だったりして。たしかその後脱退したはず。2回目のCROWES体験はFUJI ROCKと双璧をなす都市型フェス、SUMMER SONIC 05だ。解散状態にあったバンドが久々に活動を再開し、初の来日となったのがこのサマソニのステージだ。メインの球場ではOASISがヘッドライナーを務め、当初のタイムテーブルでは別ステージのトリであったCROWESと時間がかぶっていたが、CROWESのスタートが早まったのと、OASISのスタートが機材の故障で遅れたため、幸いに両方フルに見ることができたのだ。このときのCROWESはどちらかというと大人のジャムバンドへ再び歩み寄っていたと思う。ノリのよいナンバーは控えめで、ミドルテンポの長尺曲が多かった。観客は少なめであったが、私は久々のステージに狂喜乱舞していた。私が思うに、CROWESの真骨頂はミドルテンポのナンバーにある。特にライブの定番曲Wiser Timeは最高だ。ゆったりとしたグルーヴに身を任せると、渦の中に吸い込まれていきそうな気がする。ギターとキーボード(エレピ!)の掛け合いのソロも最高。今年9月にとても興味深いアルバムが発売されている。遅ればせながら今月やっと購入できた。THE BLACK CROWESはRolling StonesやFacesのような音楽性のバンドとしてデビューしたが、前述のように3rdのアモリカからジャムバンド的なアプローチに転換し、5thで再びRock and Rollを体現している。今回発売の2枚組THE LOST CROWESは1枚は問題の3rd発表以前、アルバムとしてまとめられるはずだったTALLというセッション集だ。当初の音楽性からの脱却を試み、産みの苦しみを味わう様子がよく分かる。結局は全てお蔵入りとなり、再作成されたのが3rdのアモリカというわけだ。アモリカ収録曲の原型となった曲もいくつか入っている。私の大好きなWiser Timeの原曲も同名で収録されている。そしてもう1枚はBANDというセッション集で、これもまた興味深い。長いジャムセッションバンドとしての旅からの解放を目指し、ツアー終了後レコーディングされたものだ。これがストレートな5thの発表へとつながることになる。中途半端に終わるような曲もあり、確かに未完成的な色合いが強い。CROWES初心者には向かないアルバムだと思う。しかし長くファンをやっている人にとっては、彼らの歴史の穴を埋める貴重な音源としてぜひ聴いておきたいところ。どうして音楽性を転換させたのか、音を聴いてなんとなく想像をめぐらせたりするのが楽しい。お蔵入り音源とはいえ、しっかりプロデュースもされていて音質的にも安心だ。彼らのような昔ながらの「アメリカの土の臭い」のするバンドはいまや珍しい存在かもしれない。だからこそ頑張って欲しいし、これからも応援したい。
2006.12.25
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今日ネットで見つけた気になるニュースひとつはVAN HALEN。エディがデヴィッド・リー・ロスに復帰を打診したという話。来年からバンドを再始動させ、ツアーに出るという噂だが、またも同じ過ちを繰り返すのか。デヴィッドとエディとのうまがあわないのは、過去の幾度かの経験からすればよくわかる。どうもベーシストに息子ウルフィを加入させたのは間違いないらしい。単純にデイブの復帰したVAN HALENは絶対に見たいと思う。あとはデイブとうまくやっていけることを切に願う(このニュースが本当だったらね)。もうひとつは、JOURNEY。スティーブ・ペリーの後釜として頑張っていた新Vo、スティーブ・オウジェリーが喉を痛めて一時ツアーから離脱し、ジェフ・スコットソートが代役を務めているという話だったが、なんとそのままオウジェリーは脱退。ジェフが正式加入したという。これはバンドの正式なコメントだそうで、紛れもない事実だ。ジェフ・スコットソートというヴォーカリストの名はイングヴェイ・マルムスティーンと一緒にやっていたという程度の情報は知っていた。メロディック・ロックの世界では名のある男として知られているが、私は声を聴いたことがない。いや、いろんな音源を聴いているので覚えてないだけかもしれない。実力的には問題ないのだろう。続報および新しい音を聴いてみたいものだ。
2006.12.20
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先日オフコースのベストアルバム、 i(ai)-オールタイムベスト-を購入した。中1の頃、近所のレンタルレコードでオフコースを借りて聴いてから、すっかりファンになった。中2でロック一辺倒になってしまったので、すっかり遠ざかっていたのだが、私の心の中では彼らのメロディの秀逸さはジャーニーに匹敵する。邦楽ミュージシャンでは格別の存在なのだ。で、本作が発表されると聞いて、どうしても聴いてみたくなったのだ。私の聴きたいと思っていた曲は全て網羅されていた。さらにDVDが付いていて、当時は見たことのなかった、動く彼らの姿を目のあたりにした。ひたすら感動。。ずーっと心の中で鳴り続いていた「夏の日」も収録されていた。14歳の頃の自分に逆戻りだ。涙が出そうだ。オフコースのメロディはこれからも私の心を支え続けてくれるだろう。~君が僕の名前を初めて呼んだ夏の日、僕は君を愛しはじめてた~ by「夏の日」愛や恋などまだ知らなかったあの時分の私でも、なにか胸に迫るものがあったなあ。
2006.12.19
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自宅から10キロほどの場所に巨大なイオンができて話題になっている。昨日は家族ではじめて立ち寄ってみた。3階に島村楽器が入っており、ちょこっと覗いてみた。最近の興味はもっぱら小型チューブアンプだ。さっそくそちらのコーナーに行ってみると、スーっと店員が寄ってきた。品揃えとしては、ショッピングモール内の楽器店という性質上のものかはわからないが、初心者向けという気がする。店員「何かお探しですか?アンプならこのあたりがおすすめですよ」といってローランドのデジタルアンプらしきものを指差す。私はいまいち食指がわかない。私「うーん、小型のチューブアンプに興味がありまして・・」店員「チューブですか・・そうですね~・・今はどんなものをお使いなのですか?」私「えーとね・・ああ、これこれ。FenderのBlues-jrです。」店員「けっこう良いものを使ってますね。」私「ええ、小さいけどデカイ音が出て音抜けもいいアンプですよ。気に入ってます。でも新しいものには興味がつきないんですよ。」店員「これなんかいかがですか。」といって巨大なヒュース&ケトナーのスタックアンプを紹介。店員「いい音しますよ。青く光ってステージばえしますし。」私「確かに評判いいですよね。でもこんなにでかいのはいらないんです。3チャンネル?だいたいこんなにつまみがあっても使いこなせない(笑)。」店員「どんなメーカーをお探しですか?」私「ちょっと気になるのはエピフォンで最近でた5wとGIBSONGA-5でしたか。つまみはボリューム1つだけですが、ものすごい良い音がでるらしいですね。あとはMarshallの1974xハンドワイヤード。」店員「うーん、そうですか。お気に入りのものがなくてすみません。」私「いえいえ、ところで、最近のLESPAULはピックガードがないものが多いんですね。」店員「そうですね。GIBSONもずいぶん安くなりました。でも量産のために木材などは若い木をどんどん切って使ってしまうので、質的にもあまりおすすめできなくなりました。」私「良いものはヒスコレだけということですかね。」店員「そうですね。プロやそれなりの方はGIBSONで狙うのはヒスコレです。」私「いやいや、どうもおじゃましました。」店員「どうですか、お探しの品、カタログで値段だけでも・・・」私「いや結構。どうもありがとう。」私の目をほころばせるような商品は無かったが、家族で買い物ついでにちょっと見られる楽器屋は貴重だ。これからもイオンにきたらひやかしで寄ってみよう。お眼鏡に止まるものがあれば試奏でもさせてもらおう。
2006.12.17
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昨晩は私のハードロック・プロジェクト「ザ・ダイナマイツ」でスタジオに入った。いつもは土日どちらかの夜なのだが、年末の忙しさと各人家庭を持っている関係で、ぎりぎりの調整の結果、平日夜となったもの。今日の私の機材は、愛器GIBSON-SG~zoomのデジタルチューナー(本来は何種類もの歪系の入ったペダルだが、もう何年もチューナーでしか使用していない)~BOSSのSD-1~FENDERのBLUES-JR。いつもと変わらないセッティングだ。メインだったバンド(初めて書くがTHE ACCELERATORSという)からなるべくエフェクターは使用しないでいる。アンプでクランチを作って、ソロはSD-1をブースターとして使う。FENDERはツインリバーブのイメージがあったので、ハードロック向きのオーバードライブは作れないイメージがあったが、今メインで使用しているBLUES-JRはボリュームをフルにするとすばらしいドライブサウンドが作れる。もちろん歪みすぎることはない。あくまでオーバードライブ程度だ。これでギター本体のボリュームを絞ってクランチ状態にしてバッキングをこなし、ソロのときはボリュームを10に戻して、SD-1を踏んで音圧をあげてやるわけだ。BLUES-JRは数年前に中古で購入した。4万円程だった。安価で質の良いチューブアンプを探していたのだ。たった15Wだが、とんでもない音圧がある。ハイゲインのアンプはギターのボリュームを絞ると音が通らないイメージがあったが、このアンプはそんなことはない。ボリュームを絞ればまたきらびやかなクリーンサウンドを生み出せる。70年代ハードロックには十分対応できるアンプだ。ということで、練習はなかなか上手くいった。自分の音作りもまあ納得いくものだった。
2006.12.15
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Edward Van Halen以後、私が最も影響を受けたギタリストはZakk Wyldeだと思う。Ozzy Ozbourne bandの3代目(ブラッド・ギルスを入れれば4代目か)ギタリストとして発掘されたこの男、当時全盛だった凡百のハードロック系ギタリストとは何もかもが違った。まずそのルックス、ちょっとなよっとして華麗な雰囲気の主流とは正反対に位置する。当時は過去の遺物とされていたベルボトムジーンズを堂々と履きこなし、ストレートの超ロングブロンドヘアにミリタリー系Tシャツ。筋肉は隆々としてたくましく、大股開きで髪を振り乱し、唾まで吐きながらゴン太の腕でレスポールをガンガン弾きまくる。ギターのトーンはあくまでへヴィなオーバードライブトーンなのだが、当時流行だったドンシャリ系ではなく、中低域の強調されたレスポールらしさの延長線上にある音。かつハイポジションでのソロプレイなどは、これまたレスポールらしい丸い音だ。スウィープだとかクラシカルな響きのおかしなスケールは一切使わない。王道のペンタトニックスケールにこだわり、ラン奏法を多用する。王道テクニックを駆使する人としてはジョー・ペリーやスラッシュが思いつくが、彼らのようにちょっと頑張れば出来そうかな?とも思えない圧倒的なプレイ。上手すぎてかつ格好良すぎなのだ。使用機材がまた私の琴線に響く。アンプはMarshall JCM800。ラックタイプのエフェクターは一切使わない。ワウペダルにBOSSのスーパーオーバードライブ、その先でコーラスで二股に分けて2代のMarshallに突っ込んでいるだけ。Zakk曰く「JCM800ならどこにいってもあるし、難しい機材はわけわかんねえから嫌いだ」。このへんの潔さには深く感銘を受けた。彼のメインギターは当時、南軍の星条旗(お判りになるだろうか)のペイントが施されたレスポールカスタムなのだが、塗装は剥げ、ビールの王冠が打ち付けられ、所々に焦げ目もあるとんでもない代物。なんとバブルガムメタルと揶揄されたウォレントのギタリストが同じペイントのギターを持っていたらしく、Zakkは「奴らと同じにすんじゃねえ」とお怒りになり、ギターを燃やして、かつビールの王冠を釘で打ち付けたのだそうだ。90年代初頭、Ozzyと袂を分かち、(数年後呼び戻されるのだが)トリオで結成したPride&Gloryは素晴らしいバンドだった。同名のアルバムも素晴らしい。おそらく90年代でいちばん聴いたアルバムだと思う。サザンロック+へヴィロック。ほとんど一発録りだったというグルーブ感溢れる生々しい演奏。ギター、ベース、ドラムという必要最小限の編成。各人の卓越したテクニックと緊張感あふれるインプロヴィゼーションが展開される。アコギによるNeil young的なエッセンスもある。暖急自在。心打たれるメロディに意外に聴かせるZakkの歌声。ピアノもまた上手い。ライブ時に3人が中央で小さく固まって向かい合いながら延々と演奏するのだが、これはNeil young&crazy horseの影響が大きいのだということは後になってよく判った。もう10年ほど前になるか、新宿厚生年金会館で見た彼らのライブは、「おまえら見てろよ。バンドっていうのはこういう具合に演るんだよ!」とZakkに言われたような気がした。いや、確実に言われた。音がそう言っていた。2時間半はプレイしただろうか?アンコールで演奏したジミヘンのVOODOO CHILEは30分は演奏していただろう。97年、お台場で開催されたフェスROCK AROUND THE BAYのオープニングでみたZakkはまた感動的だった。真夏だったが曇り空で若干の肌寒さを感じる野外ライブだったが、ZakkがMACINEGUN MAN(Pride&Glory収録)のブルージーなイントロを奏でると、ステージ後方の雲が切れ、光が差し込んだ。Zakkに後光がさしたようだった。同時にオーディエンスにも光があたり、身も心も温かくなって嬉しいような悲しいようなおかしなものがこみ上げてきた。ファンには悪いが、最近のZakkはすっかり超へヴィ路線を行っていて、とてもじゃないが着いていけなくなってしまった。キャラクターも現実離れしている。どうかあの頃の人間臭いサウンド・スタイルでたまには演ってほしいと願うのは私だけだろうか。本当の本当はジェイムス・ロメンゾ(B)、ブライアン・ティッシー(D)と共に、Pride&Gloryを再結成してほしいのだが、これは夢のまた夢かもしれない。
2006.12.13
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昨晩は久しぶりにバンドのバンマスKさんと幼馴染でベーシストのT君と飲みました。T君は東京で会社員として働いていましたが、所属部署がそっくり移転となり、私の住む県へ戻ってきたのです。でも実家からはちょっと遠い場所のため、あいかわらず一人暮らしです。で、帰県祝いということで、一杯やったわけです。バンドは自分が一時活動休止ではありますが、他の3人で存続はしており、ライブも2度程行っています。次回の目標として某コンテストへの応募を画策しているようです。このコンテストは某FM主催の平均年齢25歳以上の社会人バンド限定のカヴァーバンド大会で、我々は2004年大会の決勝8バンドに残り、出場したことがあります。大会の趣旨には賛同しかねる部分も多々あるのですが、会場が大きく、観客もたくさんいるということで、やりがいはあると思います。世間はオヤジロックブームです。我々もメンバー全員オヤジな年代といえるでしょう。オヤジバンドと若いバンドとの間には大きな隔たりがあるといえます。多くのオヤジ世代バンドが、若いバンドとは一緒にいられない、一緒に活動できないと思っているはずです。結局はオヤジはオヤジ同士で固まって終わってしまう。しかしこれは我々の望むところではない。我々はあえて若いバンドと同じフィールドで勝負したいという考えで活動してきました。ライブハウスで若いバンドと年齢など関係なく対バンするのです。ほとんどのバンドは最初は我々に話しかけてきません。「なんだあのオッサン達?」とでも思うのでしょう。しかし、我々のステージを見た彼らの多くは、最後に尊敬の念をもって話しかけてきます。我々はオヤジになろうと、我々のロックンロール、バンドサウンドで勝負したい。確かに若いやつらには我々より上手いのは多い。体力もある。逆に、我々はそうたいして上手くない。でもね・・・このバンドには若いのには真似できない何かがある。このへんを感じてもらえればうれしいですね。私の消防団分団長としての活動も、来年度いっぱいで終わる予定でいます。そうしたらまたこのバンドに戻りたいと思っています。そんなことを短い時間でしたが話しました。
2006.12.10
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先週の土曜日12月2日はさいたまスーパーアリーナへ出向き、ERIC CLAPTONの来日公演を見てきました。はやく感想を書き込もうと思いつつ、もう1週間がたとうとしています。もうCLAPTONを見るのは何回目なのだろう。ここ10年ほどの来日公演は必ず見に行っています。しょっちゅう来るし、ライブもあまり変わり映えがないため、あまり有難味がないというのが率直な感想でして、今回もさほど期待していなかったのですが、バンドメンバーが一新され、それがまた凄そうなので、2週間まえほどから急速に期待感が高まってきたのです。私もギタリストの端くれなので、特に注目したのは御大以外の2人のギタリスト。現オールマンブラザーズバンドでスライドギターの名手、古のデュアン・オールマンの再来とまでいわれているデレク・トラックス。そして昔チャーリー・セクストンとARK ANGELSを組んでいたサウスポーのドイル・ブラムホールIIの2人です。デレクのスライドプレイは本当に凄かったです。指弾きでピックを使いません。ストーンズで見たロニーのスライドとは比べ物にならない。はっきりいって御大のプレイよりも目立っていました。ピックガードを外した赤いSGで弾きまくる姿は私の目に強烈な印象を与えてくれました。アンプはフェンダーでしたね。バイブロだかツインだかのコンボ。もう一人のドイルは、また変わっていて、左利きなのですが弦もまったく逆。つまり一番太い6弦が下方にきて1弦が上方にくる。これでよく弾けるなと。過去に見たギタリストでは松崎しげるがこのパターンだったと記憶しています。でも変わっているのはジミヘンのように右用ギターを左用に使っているのではなく、ギター本体は左用。弦の並びだけが逆なのです。でダウンピッキングではなく、上方に引っ掛けるように弾く。そのためか、なんだかとてもたどたどしい、違和感アリアリのギターなのです。音も高音部が耳に突き刺さるような感じで、あまりよろしくない印象でした。デレクと比べてしまうとちょっと・・・という印象。あれはかなりエフェクターを通しているんじゃないだろうか。アンプはSAVAGEというブルースブレーカー調のコンボを使用。で、肝心の御大はというと・・ワンパターンですね。もう年なのでしょうかね。もちろん凄く上手ではありますが、手癖で突っ走っている感じといいますか。もう見慣れているということもありますし、あまり感動しなかった。やはり今回の目玉はデレク・トラックス。彼が大々的にフィーチャーされたので、雰囲気はデレク&ザ・ドミノス!オープニングからTell the Truthできめてくれました。たぶんデュアン・オールマンとのセッションもこんな雰囲気だったのでしょうね。Key to the Highwayなんぞもプレイしてくれましたが、もっとLayla sessionsの曲をたくさんやってほしかった。でも今までみたCLAPTONの中では一番良いライブだったと思います。バンドとしての一体感もあったし、リズム隊のウィーリー・ウィークスとスティーブ・ジョーンズも本当に良かったと思います。なお、今回の席はものすごくよくて、ど真ん中の前から8列目!開場前にはストーンズクレイジーMさんと某広告代理店のAプロデューサーその他Mさんの知り合いのストーンズファミリー達と合流し、軽く食事してから会場入りしました。ストーンズファミリー達はみなMさんといっしょに先のストーンズLA公演に行ってきたらしい異常な人々です。おそるべし。Aプロデューサーはまた、私の音楽人生に大きな影響を与えた人ですが、これはまた別の機会に書くこととします。
2006.12.09
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たいへん遅くなりましたが、11月18日(土)~19日(日)で私が所属する消防団の分団旅行に行ってきましたのでレポートします。昨年は諸事情から旅行ができなかったため、今回は気合いを入れて臨みました。個性的なメンバー10名による珍道中。長い長い2日間でした。文章も長い!11月18日(土)午前3時分団車庫に集合。団員2名の自家用車に分乗し、一路羽田へと向かった。ある団員は前日キャバクラで遊んだあと寝ずに車庫で出発に備えるという気合いの入れ様。もう一台の車には猛者ぞろいで、出発と同時に早速ビールで乾杯し、羽田に着く頃には各自3缶は空けたらしい。首都高を走行中、羽田近くのジョナサンで朝飯を食おうとの電話。我々が到着すると既に運転手以外の5人はほろ酔い状態で、さらに生中ジョッキを頼んでいた。この時点で朝5時。肝心の朝食は各自ハンバーグステーキなど重量級を喰らう・・・・異常だ。すごいテンションだ。毎度伝説がつくられる消防旅行が今年も始まったのだ。飛行機ではさすがに3時から飲んでいるので離陸と同時に意識を失う。おかげで楽しみにしていたスチュワーデスさんからの飲物サービスを受けられなかったことに悲しむ団員多数。広島には9時前頃到着したが、曇り空で思いのほか寒い。リムジンバスで広島駅に向かい、駅から徒歩で本日宿泊予定のホテルへと向かった。荷物をあずけ、早速宮島観光へと向かう。JRで切符を買い、広島駅から山陽本線で宮島口駅へ。少し驚いたのは、広島駅が自動改札でなかったこと。25分程度普通列車に揺られて10時半頃宮島口駅に到着。昼飯で狙っていたのはあなご飯で有名な「うえの」の2階にある創作あなご会席だったが、10時半ならまだ空いてるだろうとタカをくくって予約してなかった。しかしこの時点で1階「うえの」はすでに30分待ちだった。2階の店には入口がよくわからず、やっと探しあてたが、予約でいっぱいとのこと。しかたなく「うえの」で食べることにした。観光地で賑やかなので30分の待ち時間は気にならなかった。まず5人が呼ばれた。ここで頼んだのがまずビール。そしてあなごの白焼き、「熱々」という名の創作料理、そして名高いあなご飯の特上。まず白焼きが通されたが、これは旨かった!熱々はちょっと量が少ないがこれも旨い。締めのあなご飯は言うに及ばず。全員大満足大満腹で店を出た。会計は一人3000円程度とのこと。妥協して入店した「うえの」であったが、結果オーライ。これが特上あなご飯! 連絡船乗り場へ向かうが若手新人4人がちっとも来ない。どうやら途中の露店で焼きガキを注文したところなかなか焼けず、時間をとられたらしい。仕方ない。20分程度、船2便を逃しブーブー言いながら新人どもを待ってやる。連絡船から海上にそびえ立つ厳島神社の鳥居を拝み、宮島に上陸して神社を目指した。鹿が放し飼いになっている。修学旅行の奈良を思い出す。ここで事件は起こった。K班長は遊び半分で近づく鹿をペチンペチンひっぱたき始めた。たぶん神社周辺の鹿というのは神聖な動物なのではないか。おいおいバチが当たるぞと。明日から大便が鹿の糞のように豆粒になるにちがいないと恐ろしがる団員もいた。案の定天罰は当たった。直後から雨が降り出し、大粒の本降りになった。仕方なく団費で5本ばかりビニール傘を購入。結局この雨は帰宅するまで全く止むことはなかったのだ。鹿。たたりが・・・ 雨の中神社近くまで散策し、干潮のため鳥居まで行ってみる。参道では焼きガキを食ってみた。2枚で500円。感動するほど美味しいもんではない。傘を持ちながらでは上手く食えない。みな多少疲労の色が見える。体も冷えてきた。1時間ほどでそそくさと帰ってきた。あなご飯の「うえの」は帰り際には、朝以上に混雑していた。1時間待ちだとか。早めに食べて正解だ。これが有名な大鳥居午後3時。出発12時間後にようやくホテルチェックインとなった。夕食は6時に市内繁華街にある居酒屋「笑福」を予約してある。ネットや雑誌でチェックを重ね、決めた店だ。5時半にフロント集合で一旦解散。ここで新人4人を除く上層部6人は一部屋に集合。恒例のUNO大会を開催した。外は大雨でとても街中をフラフラする気分ではない。ここは我が分団恒例のUNOで盛り上がりたい。当分団のルールではUNOで一番負けの者はグラスの酒を飲み干さなければいけない。新人も誘ったがのってこなかった。ビール、芋焼酎、赤ワインが揃った。飲めない団員にはいつもはミツカン酢だが、思案の結果、今日はコーラを水道水で半分薄めたものをティーポットで飲ませることにした。ゲームは進んでいく。赤ワインなどはあっという間に空になった。今回の負け込みは副分団長だ。度数の高い芋焼酎に手を出した。彼は5時にはベロンベロンになって午後のUNO大会は終了。この泥酔状態が今晩新たな事件を引き起こすことになろうとは知るよしもなかった。詳細は後述。酒浸りのM氏も相当飲んでいるが、恐ろしいことにこの人は朝から採っている水分はすべてアルコールだ。これも明日あたりどうなるか。消防団恐るべし。5時半フロントに集合。まず4人がタクシーで現地へ。あとの6人は私が市電で案内することにした。途中で市電に乗る間際で、団員1名のコンタクトがずれて歩行不能に。コンビニを探すうちに会場に近づいたため、結局そのまま徒歩で会場へ。6時を少し回って開宴。予約時には、すぐにつまめるようにと店員が刺身盛りを勧めてくれたのだが、これがちっとも出てこない。予約の意味が全然ないのでは?2時間まででお願いしますともいわれていたので、時間がもったいないなあと。しかしながらようやく出てきた料理の数々は美味いといったらこの上ない!単価は非常に高いのだが、団員みな美味い美味いと食いまくり、焼酎も飲みまくり。結局3時間以上は居座った。会計担当によれば支払いは大台にのったという。一人1万はいったということだ。副分団長はハードコアメタル愛好者で、福山のライブハウスに見たいバンドが出るため、途中で退席し新幹線に乗車。泥酔状態で・・・・我々は店を出て集団行動は一旦解散。新人4人は夜の広島へと消えていった。ベテラン5人はお好み焼き「八昌」へと向かう。ここは私が6年ほど前出張で立ち寄ったが、とにかく美味い。しかし夜しか営業していないので行くなら今しかない。10分ほど歩いて到着したが、店は行列ができていた。ここまで来たんだからと雨の中並んだ。30分もかからずに店には入れた。ビールで乾杯後、スジポン、カキのバター焼き(これもとんでもなく美味い)を食し、ブタソバ入りネギチーズトッピングで食べる。相変わらず美味い。5人は大満足で店を出た。今日一日とんでもないカロリー摂取量だ。私ほか1名は疲れたのでホテルへ帰り就寝。残る3人はまだ遊び足らないのか、どこかへ行ってしまった。広島一の呼び声高い「八昌」のお好み焼き! ホテルで寝ていると夜中に電話。これからUNOをするという。勿論断る。翌朝聞いたところによると、団員数名は3時頃までUNOに興じ、朝から飲み続けていた酒浸りのMさんもついに訳がわからなくなり、カオス状態で大会は終わったという。19日(日)朝8時半、部屋で歯を磨いていると隣室の副分団長がやってきた。福山へ向かう電車内に携帯を忘れてきてしまったという。JRに問い合わせたがみつからない。自宅、ドコモ、JR等に連絡する必要があるため携帯を貸してやった。団員には10時フロント集合と言ってあった。先日から酒浸りのMさんが部屋から出てこない。電話しても出ない。数人で呼びに行った。しばらくの間電話なりノックなりしていると物音がする。ガチャリとドアが開いた。もの凄い酒の臭いとともに顔を覗かせた。生きていた・・・・とりあえず安心。なんとか無事にチェックアウトを済ませ、駅のコインロッカーに荷物を預けた後、市電に乗車。一路原爆ドームへと向かった。外は相変わらず雨が強い。Mさんは酒の臭いをプンプン発しながらつり革につかまってぐったりしている。前には女子高生が座っていた。鼻と口を押さえて下を向いてしまっている。可哀想に。雨の原爆ドーム。厳粛な気持ちになる。資料館にも入場した。50円という良心的入館料は、やはり資料館の存在意義が営利目的ではないことを十分に感じさせる。入場してすぐに涙が出た。団員誰もがかなりブルーになって出てきたようだ。当然だろう。でもこの資料館は日本人であるなら一度は見ておかなければいけない施設だと思う。 平和記念公園からドームを臨む気をとりなおし、昼飯へと向かった。ガイドブックを見てお好み焼き屋へ入るが、昨晩の八昌と比べると味は落ちるようだ。午後3時20分、空港行のバスに乗車。5時台の飛行機であったが、ここでも天罰が下る。飛行機はとんでもなく揺れた。気持ち悪い。吐きそうだ。スッチーのドリンクサービスも結局なし。団員全員青い顔で飛行機を降りる。夕飯は団員の義理の両親が空港近くで中華料理店を営業しており、そこで頂くことにした。とても美味しい。良心的な味だ。そんなこんなで車庫に帰ったのは11時だった。とうとう雨はやまなかった。しかし、2年ぶりに旅行ができ、それも10人の参加があったということは大変意義深い。みんな生きて帰ってきてよかったね。
2006.12.06
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ここ数日、OASISの2枚組ベストSTOP THE CLOCKSをへヴィローテーションしている。彼らの奏でるメロディには琴線に響くものがある。特に初期曲が感傷的な気分にさせてくれる。思わずギターをとって一緒に弾き語りしたくなるのだ。「アルバムを全てもっているからベストは手に入れる気になれない」という意見はよく耳にするが、それは確かに一理あると思う。ベストを買っても「なんでこの曲入れるの?」とか、逆に「なんでこの曲入ってないの」ということは毎度感じることなのだが、今回のOASISの場合は、なかなかの選曲だと評価できる。というよりも、あまりにも名曲が多すぎる。今まではバラバラに配置されていたものが同じアルバムとして並んでいく。その構成の妙味を楽しみ、新たな発見をするというのがベストアルバムの正しい楽しみ方ではないだろうか。そんな中で気づいたのは、ノエル兄による弾き語り調の曲はあまり評価できないというのが個人的な感想だ。バンドでガーンと鳴らして、リアムがあの個性的な声とパフォーマンスで歌うところに最大の魅力があるのだと思う。とにかくお勧めの一枚(いや2枚というべきか)。
2006.12.02
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