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今日は良い天気だった。空も写真のとおり真っ青だ。気持ちよい。さて、10年ほど前、私は、とある日本のバンドに入れ込んでいた。PLAGUES(プレイグス)という。現在は活動を休止しており、中心人物の深沼元昭氏はmerrowheadという名義で音楽活動を続けている。深沼氏はプロデュースやレコーディング業方面でも才能を発揮している。merrowheadも自分のスタジオレコーディングにおける創作活動を具現化した作品であり、バンドではないようだ。プレイグスを知ったのは、ギター雑誌でレスポールサウンドの見本として紹介されていたことから、興味をもった。G、B、Dのトリオ編成で、深沼氏のレスポールジュニアはアンプダイレクト系のサウンドでは高い評価を得ていたようだ。最初に聴いたのはメジャー2ndのRIDE,RIDE,RIDE。コテコテのサザンロック。日本人でこれほどのグルーヴを醸し出すバンドは聴いたことがなかった。70年代のアメリカンロック臭をプンプン発している。BLACK CROWESやPRIDE&GLORYが好みならストライクだろう。ただ、深沼氏のVoはさわやかというか、素人加減な声のため、評価が分かれるところだ。まあバンドはポスト渋谷系的な位置づけにもあったようだから、声までコテコテだったらメジャーには上がれなかっただろう。3rdは一転してポップな作品で売り上げを伸ばしたようだが、4thはメドレー調に聴かせるなどして70年代趣味を出している。その後ベーシストが脱退し2人編成となったが、3人編成最後の4thと2人となってからの5thは傑作だと思う。ただ、ここまでの作品群(イーストウエスト時代)は多くが廃盤のようだ。ベストがまだ売られているかもしれないので、探してみたらいかがだろうか。お奨めはLARC DE TRIOMPHE(凱旋門)。ちなみに以下の写真がベストアルバムのジャケ。この後はキティに移籍するが、バンドサウンドというよりはレコーディング技術を駆使した作りになってくる。
2007.01.30
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いつもの自伝第6弾です。大事な親友を亡くしました・・・・それでもバンドは前進し、そして燃え尽きたのです。「k君が亡くなった」という母親からの情報ですぐに私はN(ドラマー)に電話した。Nは地元で仕事をしている。kの自宅にも近いだろうということで。すぐにk宅へ行って見て欲しい、自分もこれからすぐに向かうと。 自分がk宅に着いたときは、情報が間違っていないことはすぐに判った。玄関で泣きながらお母さんと妹が出迎えてくれた。数日前の朝、会社に出勤するといって出かけたまま、行方が判らなくなっていたという。警察が動き、富山で発見されたときは既に遅かった。自家用車にホースで排ガスを引き込み、自ら命を絶った。ウィスキーの瓶が車内に残されていたという。 東京にいるTに電話したのは、k宅へ行く前だったか後だったか記憶が定かでない。「えっ!・・・・(原因は)バンドの事かなあ?」と話す。「わからない」と答えるのが精一杯だった。数時間後、Tは車を飛ばして東京から帰ってきた。 数日後、k君の葬儀は執り行われた。棺に眠るk。鼻の穴には白い綿が詰め込まれている。青白く人形のようだった。ただただ声をあげて泣いた。涙が止まらなかった。火葬場で御家族と一緒に骨を拾った。のど仏を見せていただいた。 後日、お父さんとも話したが、kは勤務先で大きな営業のノルマを与えられていたらしい。様子はあきらかにおかしく、疲れているようだったとのこと。鬱状態であったことが想像できる。引き金はバンド脱退なのだろうか?kをバンドから辞めさせず続けていたら状況は変わっただろうか?正直それは判らない。遺書は無かった。 葬儀の日の夜だったか、T君は言った。「3人でバンドをやろう!続けよう!やめちゃだめだ!」これが第2次THE BULLSHITSの始まりだった。 我々は前に進むことを決意した。Voは私とTで分け合った。練習を重ね、ライブを重ねた。軽井沢で合宿も行い、オリジナルも数曲作成した。3人は決して卓越したプレーヤーではない。個々の技量は足らないが、不思議なもので、段々と3人ならではのグルーヴは出来上がりつつあった。ハードロック、メタル、コア、パンク、ガレージ・・・・轟音系のノンジャンル的なバンドサウンドが確立してきた。比較にもならないし比較しては申し訳ないようだが、あえて採り上げれば、MOTORHEAD、THE ALMIGHTYあたりの系統か。 ライブ回数は少ない。特にNは家業の建設系会社を継いでおり、サラリーマンの私とTに比べ、自由が効かなかった。日程調整をするのは大変で、結果、3ヶ月に1回程度のライブができれば良い方であった。しかしながら我々は回数を重ねる度にバンドとして向上していることが実感できた。実際、最後2回程のライブは、今になって記録映像を見てもなかなかのレベルに達したと感じる。 バンドをとりまく小さな問題はいくつかあった。まずNについて。こう言っては申し訳ないが、私とTに比べ、技量不足であった。それも仕方ないことだ。Dr不在のため、未経験にもかかわらず始めたのだから。バンドとして、一応人前で披露しなければならないのだから、それなりの探求心、向上心が欲しいところだ。しかし、彼は明らかに練習していない。我々は向上心をもって自宅での練習や、一人でスタジオに入っての音作りなど、日々切磋琢磨を心がけたが、Nにはそれが見えなかった。Drへの愛着がないのだろうかとも思った。音のしない練習用ドラムセットの購入も勧めたが、とうとう買わずじまいだった。他にも好きなバンドのライブには時間を惜しまず、時間をやりくりして東京はおろか名古屋までも行ってしまった。「他人のライブには時間をつくって、自分のバンドには時間が作れないのはどういうことなのだ?」私とT君には不満が募っていった。 もう一つ、観客動員について。友人へのライブのお誘いなどは最初だけは見に来てくれるが、回数を重ねればそうはいかない。しかし、Nは地元で某奉仕団体に所属しており、地元だけでなく、各地域に広いネットワークを持っていた。このメンツに声をかけると、あっという間に20人程度は集まる。バンドの貴重な動員力であった。しかし、弊害もあった。ライブの打上でいつも感じたこと。彼らはいつも固まって騒いでいた。それもライブに来ていない人間までぞろぞろと集まってくるのだ。対バンと一緒に打上をすることもあったが、これはバンドの打上ではなく、彼ら某奉仕団体の飲み会になってしまうのだ。すなわち彼らはライブなどどうでも良いと思っているのだ。百歩譲って我々のことなどどうでもよいと思ってくれて構わないが、対バンしてくれた連中に対しては失礼意外の何者でもない。ライブの打上なのだ。主役はバンドなのだよ。でも彼らの動員力に頼ってしまう私自身がいつも情けなく、歯がゆく感じていた。 2001年が明けてバンドのミーティング。Nは仕事のために必要な資格をとらなければならず、この1年程は勉強に専念することになった。とてもバンドはやっている時間がないとのこと。したがってバンドを活動休止させることになった。同年1月、伊勢崎のCLUB LUVにおいて休止前最後のライブを行った。 話は少し遡るが、2000年の春、私の勤務先で知り合った先輩にKさんがいる。昔はバンドをやっていたとのこと。私より年齢は10歳近く離れているが、クラシックロックから日本の若いバンドに至るまで見識が深く、交流を深めていた。FUJI ROCK FESTIVAL 00におけるBLANKY JET CITY解散ライブを一緒に見に行った。この当時は一塊のリスナーに落ち着いており、ギタープレーヤーからは引退状態であった。このKさんが後のThe AcceleratorSバンマスのKさんである。 KさんがTHE BULLSHITSの最後のライブを見に来るとのことであった。午前のリハーサル時にKさんはひょっこりと顔を見せた。事件が起こった。リハが終わり、T君は愛器サンダーバードを壁に立てかけていたら、何かの拍子でこれを倒してしまった。ネックが見事に折れた。本番前だ。T君は伊勢崎市内の楽器店に新しいベースを買いに行くことを決心した。Kさんも一緒に行くとのこと。Nを残し、私の自家用車で3人は楽器屋に向かった。新しいジャズベースタイプを購入し、無事本番には間に合った。後日談だが、T君はライブ終了後、ニューベースをよく見たらFenderじゃなかったのでビックリしたとのこと。おいおい、よく見て買えよ(苦笑)! ライブは無事に終了した。ステージから活動休止宣言をした。事実上これでTHE BULLSHITSはその活動を終えることとなった。1年後Nが無事資格を取得し、1度3人でスタジオに入ったが、残念ながらもう私の心に燃えるものは沸いてこなかった。先述したような問題点も抱えていたし、私とTは新たなプロジェクトにのめり込んでいたこともある。新たなプロジェクト、それがKさんを交えてのニューバンド、The AcceleratorSである。思えばTHE BULLSHITSはk君を亡くし、ある種の使命感から続けてこれたようなバンドだった。3年程度の短い期間だったが、ものすごく長く活動していたような気がする。 続きはk君を亡くしてから自分の中に起こったいろいろな出来事、出会いを書くこととする。自分の中で大きな転換期となった時期だ。 続く
2007.01.26
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今日は結婚記念日だった。いつも帰宅時に電話を入れる。「これから帰ります」と。今日も同じように電話をした。妻の様子はいつもと変わらない。全てはhappyに終わるはずだった。もうすぐ自宅というところで、火災出動の連絡が入った。部長は都合で出られないという。副分団長は現地へ直接赴くという。これは分団長の自分がポンプ車に乗り込んで指揮をとらねばならない。すぐに詰め所へ向かい、消防車に乗り込んだ。家に電話する余裕はない。運転中は私が助手席で安全確認をする。外部スピーカーで前方の車を誘導する。事故は絶対におこせない。全責任は自分にあるのだ。現場へ到着。ボヤのため特に作業はなかった。ここでやっと自宅に電話。火災出動のため少し遅れると一報。帰宅は1時間ほど遅れ、7時だった。今日は妻がご馳走をつくっているだろうから、夕飯に大きく遅れるのはまずいとおもっていた。間に合った風なので少し安心した。しかし・・・妻はすこぶる機嫌が悪い。あてつけがましく「けっきょくこんな記念日も私が苦労して終わるのよね」皮肉たっぷりに「火事に出動できてよかったね。外食だったら出られなかったよね」なぜこういうことをいうのだろう。「火事で大変だったね。ご苦労様。」とでも言えないのだろうか。私は決して好きで出動しているわけではない。火事なんて嫌いだ。面倒だ。しかし、分団長としての責任が現場へ足を向かわせるのだ。記念日の夕食には間に合うよう頑張って帰ってきたのだ。しかしこの態度は全く理解できない。口論すればもっと気まずくなるだけだ。つまらないことで口論もしたくない。今日は口もきかず寝るだけだ。明日は1泊で草津にスキーに行かねばならない。遊びではない。知り合いに頼まれボーイスカウトのスキー教室の指導員をしなければいけないのだ。もちろん妻には事前に報告してある。明日は6時20分には家を出る。妻も子も寝ているだろう。ああ嫌だなあ。なんて嫌な気分だろう。おやすみなさい。
2007.01.26
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昨日医者に行った。レントゲンをとった結果、骨には異常ないそうだ。シップ薬と炎症止をもらって終わり。明確な症状名は一切説明なし。どういうことだ?インターネットでいろいろ調べてみると、どうやら腱鞘炎のようである。医者じゃなくて自分で診断してどうすんじゃい!おかげで痛みは無くなった。しかしウォーキングはまだ怖くてできない。そこで思いついたのが写真のブツ。1年ほど前、妻がダイエット目的で通販で購入したものだが、ほとんど使われずにしまってあったもの。AEROLIFEと書かれている。階段昇降の効果があるようだ。実際やってみた。足裏は完全に接地し、かかとが浮かずに運動できるため、患部への影響は無いようだ。ということで、しばらくは毎日これをやることにした。朝15分、夜15分を目標とする。さっそく昨日からやっているが、15分でじっとり汗ばむほどの運動量。よーし!ロックンロールダイエット再開じゃ!ちなみに昨日の夜の時点で、体重計は74.0kg。1kgの減。しかしこんな程度は誤差の範囲だろう。油断はできない。継続は力なり。
2007.01.23
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VAN HALENのファンサイトからとんでもない情報を得た。エディはFenderと契約しギターとアンプを開発するという。アンプについてはその名も5150III。すでにNAMMショウで発表され、エディのデモ演奏をYoutubeで見ることができる。音は昔のVAN HALENそのもの!腕前も全く衰えていないのには驚いた。話し方や動きがなんとなくおかしい(キース・リチャーズのような・・・)のが気になるが。いずれにしても、復活の日が近いことを窺わせる衝撃映像だった!
2007.01.22
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昨日は大事をとって歩かなかった。そして1日シップをはって様子を見た。おかげで痛みが引いてきたため、今日は早朝ウォーキングを再開してみた。しかし・・・・家へ帰ってから激痛に襲われた。やはり無理か。左写真はウォーキング時に撮影。夜明けの赤城山。今度の写真は夕方、娘と散歩時に撮影。夕日の沈む榛名山。
2007.01.20
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昨晩、私の携帯に届いたメール。バンドThe AcceleratorSのドラマーIさんからだ。3月8日、NHKホールで行われるサディスティックミカバンドの再結成ライブのチケットを確保したとのこと。お誘いのメールだった。Iさんは東京在住ということもあり、私がバンドから一時脱退をしてからは頻繁な交流ができないでいた。木村カエラ姫を見ることができるのも勿論うれしいが、何よりIさんからお誘いをうけたということ、それも久しぶりの交流であることが非常にうれしい。休暇とって駆けつけると返信しておいた。話はかわって足の様子。昨晩からシップをはって様子を見ている。今朝はウォーキングを休んだ。いくらか痛みはやわらいだか。せっかく決意したロックンロールダイエット。ここで挫折するわけにはいかない。
2007.01.19
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今朝も頑張って1時間の早朝ウォーキングをこなした。しかし、右足の甲、親指の付け根と足首のちょうど中心あたりに激痛が走るようになった。いったいどうしたというのだろう。こんな状態になったのは初めてだ。昨日も痛いとは思っていたが、筋肉痛だろうとたかをくくっていた。しかしこの痛みはおかしい。せっかくのロックンロールダイエットも3日坊主で終わるのか!明日は様子をみて歩くのはやめよう。
2007.01.18
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音楽遍歴続編。遅ればせながらエレクトリックギターを始めた私がついにバンド結成。その名もTHE BULLSHITS!しかし・・・ 91~92年頃だったか、私と友人のN君(現副分団長)、幼馴染のT君は3人で時折スタジオに入り、バンドらしきことをやり始めた。Voはいない。T君は東京の大学でバンドサークルに入って、ベーシストとしての腕を磨いていたため、それなりの腕前を持っていた。N君は最初Voとしてスタジオには入っていたが、Drが必要ということで、Drをやることになった。で、3人でドンジャカドンジャカおっぱじめたわけだ。最初にコピーしたのはTHE BeatlesのHelter Skelter。 最初に何回か使ったスタジオは、私の実家の近所で開業した音楽教室の貸しスタジオだったが、信仰宗教の熱心な信者であるオーナーのおばさんは精算時に必ず神様の奇跡話をするため、これはやばいと思い別のスタジオに変えた。 そんなスタジオ遊びが数年続いた。私が仕事の都合で1年間東京にいたのは96年。T君も東京で就職していたから、N君が遊びに上京した時に池袋のペンタというスタジオでこんな会話が繰り広げられる。 T「スタジオを予約するときに、店員からバンド名を聞かれたので、何か言わなくちゃと思ったから、ブルシッツです!と言っておいたよ」 私とN「笑」 ・・・・これがバンドネームとなった。 97年、Voを入れようということになった。3人の共通の友人で中学、高校から付き合いのあるk君に白羽の矢が当たった。ただ彼を採用するには問題もあった。k君の歌唱力はお世辞にも上手とはいえないものだった。しかし、カラオケでのインパクトあるコミカルなパフォーマンスを買われて、打診してみようということに。ロックの知識についてはオタク級でもある。k君に話したところ快諾となり、4人組のTHE BULLSHITSが始動する。 T君は東京で就職、残り3人は地元だが仕事はバラバラということで、日程調整は大変だったが、4人とも若さで乗り切った。練習を重ね、ライブをしようということになった。友人を沢山呼んだ。ひどい演奏だったが結構盛り上がって、私達は良い気分になった。 98年、2回目のライブを企画した。今度は理想も高く、県内では老舗のライブハウスに交渉しようということになった。緊張しつつ交渉したところ、昼間ならOKとのこと。さらに対バンも探そうということになり、T君が強引にも雑誌のメンボからメタリカのコピーバンドを探し出し、交渉を成立させてきた。 セカンドライブ。事件は起こる。 対バンは「俺たちは招待されたほうだから」と最初に演奏していただくことになったが、あまりの上手さに私達は腰を抜かした。 我がバンドは明らかにビビったが気をとりなおし我々の出番。どういうわけかk君は歌詞を忘れ、まともに歌えない状況に陥った。残る3人はまあ平均的な演奏をしたと思うのだが、k君はMCも様子がおかしかった。客も全く反応がない。拍手すらない。今風に言うならドン引きだ。全ては崩壊した。 ライブ終了後、緊急ミーティングを開く。k君は「もうやりたくない」とこぼした。バンド活動は暗礁に乗り上げてしまった。 ライブでは散々な目にあったが、私はまだまだ前に進みたかった。ロックンロールを追求したかった。バンド以外で他の3人とは付き合いを続けながら、再始動の糸口を探った。k君の音楽的嗜好はジャパニーズロック黎明期から谷村新司、西城秀樹まで及び、彼らの曲をバンドでやりたいとまで言うようになった。私はその路線には進みたくなかった。T君と相談し、残念ながらもう一緒にはやっていけない、kにはやめてもらおうという結論に達した。 98年大晦日。友人D宅に集まる。メンバーは私とT君、k君。そして見た目は40歳の愛すべきおでぶちゃんD。静かに話を切り出した。バンドをどうするのか・・・・何を語りあったか、記憶は定かでない。最後にT君は言う「k、バンドやめるか・・・・」。k君が答えた「うん、じゃあやめるよ・・・・」。 99年。3月にk君とスキーをした。彼はやけにテンションが高い。不自然なくらいに。女の子がいたからか?それから1ヶ月程連絡をとらなかった。 4月下旬、久しぶりにk君から電話があった。連休の遊びのお誘いだった。ここ数年、私とkは山に自転車乗りに行っていた。しかし今年は残念なことに、私の日程は全て埋まっていたため断った。これが彼の声を聞いた最後だ。 5月13日、仕事を済ませ、職場から帰ろうという矢先に母から電話。「k君のお母さんから電話がきて、k君が亡くなったっていうんだよ・・・・」 絶句。 追記:私の人生でこれほど悲しい事件は無かった。私の心に大きな傷となって残っている。でも自分の音楽人生を語る上ではどうしても書いておかなければならない。全て書くつもりだ。 続く
2007.01.18
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今朝も6時から50分程度のウォーキングを頑張ってみた。昨晩の風呂あがりで体重計は74.6kg。0.4kg減っている。誤差の範囲内だろう。今晩の結果はどうなっているか、ちょいと楽しみだ。ただ、すでに下半身が強烈な筋肉痛に襲われている!これも日ごろの運動不足のせいだ。やまだべんきさん、コメントありがとうございます。お互いロックンロール&ダイエット頑張りましょう!
2007.01.17
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先日、風呂上りに久しぶりに体重計に乗ったところ、目が飛び出た・・・・75kg。私は一時期80kgまで増えたことがある。平成11年夏、このままではいかんと奮起してウォーキングを始めた。その当時77.5kg。で、半年あまりで70kgまで落とした。ここ数年は72から73kgあたりを行ったり来たりしていたが、ここしばらくの不摂生が如実に数字となって現れたのだ。どうりでスーツのズボンがきつくなったわけだ。今朝は気合をいれて夜明け前、6時から7時までウォーキングをした。当面はできる限り歩こうと思う。目標70kg!このままではバンドで着用が義務付けられている「モッズスーツ」が入らない。来るべき復帰に向けてロックンロールダイエット敢行いたします!
2007.01.16
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今日の昼飯は職場近くのヤオコーで買ったこの2品。いずれも話題の品だ。メガマック&華麗パンメガマックは確かにボリュームがある。ただ厚すぎて中身が飛び出してしまうので食べるときは要注意。華麗パンは・・・ただのカレーパン。で、今日の本題だが、私が敬愛してやまないバンド、VAN HALENの影の名盤を紹介。デヴィッド・リー・ロス在籍時VAN HALENでどうしても注目されるアルバムは1stと1984なのは仕方のないことだと思う。1stにはYou Really Got Me、1984にはJumpといったヒットシングルが多数収録されている。しかし、私が初期で一番好きなのは3rdと4th。地味なアルバムだと思う。しかし内容はとても充実しており、聴き応えのある隠れた名盤と言っても良い内容だと思うのだが皆さんはどうだろうか。3rd WOMEN & CHILDREN FIRST(邦題:暗黒の掟)前2枚と比べ、格段に暴虐的なサウンドを聴くことができる。エディのギターサウンドはBLACK SABBATHにも通じる悪魔的おどろおどろしさを感じさせるものだ。しかし収録曲はいずれも素晴らしい完成度を誇る。VAN HALENの一般的イメージはカリフォルニアのバンドらしい明るさと軽快なノリだろうが、このアルバムは全く正反対。しかしハードロックが好きならば、この硬質な正統派サウンドは絶対受け入れられるだろう。オープニングのAnd The Cradle Will Rock...でエディはキーボードを使用。歪んだオルガンの音色が斬新でカッコいい。この曲以後、彼らのアルバムにはキーボードをフューチャーした曲が多数収録されることになる。個人的にお奨めは、2曲目のEnerybody Wants Some!!。4th FAIR WARNING(邦題:戒厳令)ジャケットからして狂気を感じさせる。内容もジャケットから連想させる狂気な内容だ。イントロで聴くことのできるエディのギターソロからもうヤバイ雰囲気バリバリだ。3rd同様ダークな雰囲気だが、暴虐的という感覚ではない。もう少し整合性のとれた感である。収録曲は名曲ぞろいだ。ただ6曲目だけは駄作だと思うのだがいかがだろうか。狂気の中に、時折見せるポップな部分が良いアクセントになっている。締めくくりの8曲目インスト~9曲目はまた不気味なオルガンが疾走するヤバイ曲。個人的な最高傑作アルバム。お奨めは6弦をDまでダウンチューニングさせたハード&へヴィな名曲、5曲目のUnchained。華やいだLAメタル以前の正統派アメリカンハードロックを聴きたいなら模範的な2枚だ。絶対に聴いたほうが良い。VAN HALENのイメージが変わるかもしれない。お馬鹿パーティバンドじゃないんですよ!
2007.01.15
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私はどちらかといえばmarshall党だが、今はこのfender blues juniorを愛用している。fenderのイメージはスタジオにおいてある銀パネのツインリバーブのイメージが強く、オーバードライブ重視の私としてはいまいち食指がわかないアンプであった。しかし、2001年のフジロックでみたNEIL YOUNG&CRAZY HORSEを見て以来、小型のツイードフェンダーがすごいアンプであるということが良くわかった。彼はたった20Wのアンプ1台で、あれほど刺激的なサウンドを作り出している!また、いろいろな書籍からFENDER AMPの歴史を調べていくうちに、銀パネ時代がクリーンに特化した時代であって、それ以前のブラックフェイスやツイードは素晴らしいドライブトーンを生み出せるアンプであるということがよくわかった。でだ。私はFIREBIRD購入のために、手持ちのアンプMARSHALLのバルブステート40W、PEAVEY5150を売り払ってしまっていたため、自宅&スタジオで使用できる小型のアンプを欲していた。この頃はアンプ直で、手元のボリューム一つでドライブ~クリーンまで使いこなせるようなフルチューブコンボに興味があった。しばらく前から楽器店に中古でおいてあったBlues-jrが気になっていて、ある日試奏したところとてもよかったため、購入したのだ。40000円だった。このアンプ、フルチューブといっても整流部はソリッドであり、プリント基板使用。でなければこの価格は無理だろう。プリ管に12AX7を3本、パワー管にEL84を2本使用。最近の新品はメキシコ製らしいのだが、私が購入したものはmade in USAだ。コントロール部は写真手前からINPUT、VOLUME、小さな黒いスイッチはFATといって、押すとゲインが上がる。そしてTREBLE、BASS、MIDDLE、MASTER、REVERBと続く。このアンプ、マスターボリュームが付いているので、小音量も可能だが、やはりスタジオ以上の環境での大音量でないと、良い音にはならない。自宅での小音量だと、ちょっとゲインが足らないかなという気になるが、これがマスターをバンドで使用できる程度の音量に上げてやると、ぐっと音圧が増して、素晴らしいオーバードライブになる。マスターは2でも相当な音量になる。また音抜けが抜群に良い。ライブでも十分音負けしない性能をもっている。私のセッティングはVOLUME適度、FATはオフ、TREBLE8、BASS4、MIDDLE10、MASTER12、REVERB2。これで手元のボリュームを4位でバッキングをこなし、リード時はフルにしてさらに足元のSD-1を踏む。SD-1のセッティングはゲインは全く上げず、ボリュームをフル状態にしたブースター状態として使用。これでハムバッカータイプのギターであればハードロックでも十分通用するリードがとれる。
2007.01.13
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いつも娘を寝かしつけてそのまま一緒に寝てしまうので、早朝に目が覚める。たまには早朝に書き込もうと思い、パソコンに向かっています。自宅2階からの朝焼けの風景昨日の昼休みに近くの書店へ立ち読みに行ってみた。雑誌類のチェックだ。音楽雑誌、ギター誌はひととおりチェックする。音楽と人という邦楽雑誌をみて驚愕した。レミオロメンのVO&G君、ライブショットで手にしているギターが、私のものとそっくり同じなのだ。FIREBIRD VII!色もメタリックブルーで同じだ。ちょっとうれしいようなかなしいような気分だ。今後ライブでFIREBIRD使った場合、「あら、あのひとレミオロメン好きなのかしら」と言われてしまうのだろうか。いや、私自身は決してレミオロメンが嫌いだというわけではない。そんなに好きでもないが。でもね、彼らは私より全然若い。高校生じゃないんだから。どうせなら、「あのひとブライアン・ジョーンズを意識しているのね」と言われたいのだが。うーん、そんな若い女性はまずいないだろうな・・・早朝、私の愛器たちを激写。左上がレミオロメン君と一緒のFIREBIRD VII。なお、初紹介は左下のアンプ、FENDER blues-jr。わずか15wながら最高に鳴ってくれる。詳細は後日紹介。
2007.01.10
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昨年末に買ったCDは3つ。どれも2枚組でした。すでにご紹介のとおり、1枚はオフコース、1枚は THE BLACK CROWES。そして最後の1枚はこれから紹介するFREEがBBC放送に残した貴重音源です。FREEというバンド、私のつぼにハマるバンドの一つだ。活動期間は本当に短いし、メンバーみな20歳前後とは思えない素晴らしい演奏を聴かせてくれる。私はギタリストのはしくれとして、故ポール・コゾフのギターサウンドは本当に素晴らしいと思う。LESPAULにプレキシマーシャル直結で、手元のボリュームのみで全てをこなす。何の装飾もないのだが、私の今目指すところの一番理想的なサウンドだと言ってよいだろう。雑誌のインタビュー記事で読んだのだが、コゾフは泣きのギターソロには絶対の自信を持っていたが、バッキングには全く自信がなかったのだという。確かに、このスタジオライブ音源を聴くと、コゾフのギタープレイはとても荒い。ぎこちない箇所が目立つ。しかしそんなことはどうでもよいほど、音色が素晴らしいのだ。紛れも無いLESPAULの音だ。そしてビンテージマーシャル。BBCは当時、今のラジオ放送のようにレコードをそのまま流すということは法的な問題でできなかったようだ。そのため、ミュージシャンはBBCのスタジオでライブテイクを収録し、それを放送したのだという話を耳にしたことがある。よってBBCには世に出ない貴重な音源がたくさん眠っているらしい。宝の山なのだな。秀逸なBBC発掘音源としては、今までLED ZEPPELINやJIMI HENDRIX、THIN LIZZYなどが素晴らしいスタジオライブテイク集を発表している。しかし、今回のFREE、いまいちなのだ。納得がいくのは1枚目のみだろう。2枚目はどうやら一般のリスナーがラジオ放送をダビングしたものを元ネタにしているらしい。解説には、どうやら廃棄された音源も多いとのことだ。聞き苦しい点がかなりある。FREEをこれから聴いてみたいという人にはお勧めできない代物だと思う。ZEPのような凄まじいテイクを期待してはいけない。しかし、前述のように、今は亡きポール・コゾフの素晴らしいギターサウンドを耳にできるという部分で、私的には十分・・・いや、無理やり納得することにしよう。個人的に好きな曲は、本盤に失敗も含め5テイクも収録されているRide On A Pony。
2007.01.05
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夕べは娘と一緒の布団で寝ていたせいか、眠りが浅く、夢をたくさん見ました。夢というのはほとんど忘れてしまうが、めずらしく覚えているので、初夢ということもあるから記録しておきます。しかしいつも思うのは、ほとんどの夢は訳のわからないシチュエーションだということ。その1私はある部署に転勤したのか?知らない職場で働いていると、10年ほど前に一緒に仕事をしていた上司がふらりとやってきた。この人、とても良い人なのだが、自分は当時この人の下で十分な働きができなかったと思っており、なんだか後ろめたいのだ。多分この人も私の評価は低く見ているだろう。で、今はけっこう近くに住んでいるのだが、私の一方的な後ろめたさもあり、挨拶にも行っていない。話は夢に戻るが、この上司が随分と出世したのか、そうでないのか、よくわからないが、頭も薄くなって表情も当時とはちょっと違った雰囲気になっており、私にも「○○さんと仕事をしていたころは自分も若かったけどねえ。久しぶりだね」というようなことを言いながら、はははと笑い立ち去っていった。自分は愛想笑いしながら見送った。・・・ん~?訳わからん。その2小学校の校庭風。それとも陸上競技場とか草野球場といった雰囲気の場所にいる。突然洪水が襲ってきた。グラウンド周辺の高台部分から濁流が押し寄せてきて、自分の足元もどんどん水かさが増してくる。逃げなければ。上流に向かって、流れに逆らいながら歩いた。たどり着いた場所は大学のすり鉢型教室、議場といった雰囲気の場所。ここの階段を中央に向かって降りていく。階下にある扉を出ると、今度は学校・役場風の廊下。なぜか同僚のSさんがいる。とにかくここを出たいと思う。Sさんと廊下を進むと途中で2階へ上がる階段がある。どちらへ行こうか?階段を上がろうか?まっすぐか?・・・以上。これも意味不明。その3新幹線ホームからどこかの街へ降り立つ。ショップの入った近代的なビル群。街に入ると場面はヨーロッパ調のホテルの一室に。なぜか親父がいる。ここはアメリカなんだそうだ。これから知り合いのアメリカ人が訪ねてくるらしい。すぐにやってきた。小学生くらいの男の子を連れて40歳くらいの白人がやってきた。しばらく談笑。いつも通じるはずないと思っていた父の英語が大活躍。なんだかこの外人は昔日本の私の地元に居たことがあり、それで父と知り合ったというようなことらしい。で、外へ散歩にいこうということになった。ホテルの外へ出る。車の通りの激しい道の歩道を歩く。左側は立派な鉄格子で、中は公園のようだ。なぜかステージがあってロックコンサートをやっている。ステージをみると、中央にアンソニー・キーディス、左側にベースでフリー。後方のドラマーはチャド・スミス!レッチリか!・・・で、ギターをみるとそこにジョン・フルシアンテの姿は無い。代わりにいるのは、何故かベンジー(浅井健一)がいつものグレッチを弾いていた。・・・・よくわからない。思うに、その1は今近所に住んでいるその上司が気になる存在なのだということだろう。いつ出会うともしれないちょっとした緊張感が夢に現れたのだ。その2は今の仕事の環境がこれでよいのか、今年はなんらかの結果を出さなければいけないという漠然とした不安感が見させたものだろう。その3は、たぶんフジロックに行きたいということなのだろう。昨年は地元の祇園祭のため、フェス関係はすべて諦めた。今年はなんとか行ってみたい。
2007.01.03
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新年を迎えた。穏やかな正月だ。昨晩は9時ごろまで紅白歌合戦を見て、娘を寝かしつけてそのまま自分も寝てしまった。なのでDJ-OZMAのパフォーマンスは見られなかったのだが・・ところで最近のHIP-HOP系ユニットをみていつも思うのだが、後ろにいるDJ君はいったいどうやって演奏しているのか、いつも疑問に思うのだ。オープニングに出演したミヒマル-GTという2人組をみて、ふと思ったのだ。DJはターンテーブルを回すことくらいは、HIP-HOP素人の私でさえも一応は知っている。純粋なRAPの場合は、当然他人の作ったレコードを使い、それをスクラッチしたりしてターンテーブルを操作することはわかるのだが、紅白に出るようなヒット曲の場合、曲はオリジナルなのであって、他曲のサンプリングはしていないはず。であればだ。DJの役割は、自分たちのオリジナルカラオケでもレコードで流せば、あとは何の用もないのではないか?これはHIP-HOP以前の時代からずーっと疑問に感じていた。例えば、TRFの後ろにいる原始人のようなDJ君は、いったいなにを操作しているのか?まさか格好だけということはあるまい。なにか特殊なエフェクト操作とかをやっているんだとは思うのだが・・素朴な疑問です。誰か知っている人、無知な私にぜひ教えてください。
2007.01.01
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