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「霊魂論」エチカ詳解213(生と死44) 現代はゴルバチョフ時代のソビエト連邦においてペレストロイカ(perestroika)其のの重要な一環として展開された情報政策であるグラスノスチ(glasnost)以来唯物主義が後退し無神論的是々非々思想と宗教的原理主義が人種や国家を超えて世界に拡散して対立が深まっています。併し乍ら、死後の世界は現代でも反論の強いテーマであることは、過去も現代も同様です。人間は生命体として生きている以上死は避けられないと考えるのは誰しも憂鬱なことであり、多くの人間は信教や虚無感に浸り、敢えて死其のものに挑戦しようとの志向は生まれませんでした。併し乍ら。現代医学は電子科学技術の医学的応用の飛躍的発展により蘇生に関しての実験が進み死を思考することは、単なる憂鬱や嫌悪更には悲嘆するものではなく或る種更なる誕生を匂わせる検証が、古代・中世・近世までは宗教観・哲学とは基礎理論からして掛け離れた時代に相応しい進歩した物理科学技術を取り込んだ検証が試みがなされ、ギリシァ三哲の霊魂を具体化し「魂」としてモデル化することを可能性として具体化する段階にまで進展しています。哲学・思想ランキング
2019年05月31日
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「霊魂論」エチカ詳解212(生と死43) 肉体の滅びである死の後も魂は生き続け、宇宙に還ることを科学者が認めるのは左程稀有なことでもないのですが、世に合理主義者・現実主義者、なかでも舌三寸・頭才三寸の機転がものをいい経済力を手中にした者には世迷い言と映るでしょう。何故なら、彼らが幸福とするところは自己の現実的欲望の実現であり其の手段を富が齎すと信じるのが権威と権力及び名誉だと捉えるのです。彼等には神秘学的論壇や宗教学及び霊力などは集団的社会生活の負け犬の遠吠えとしか聞こえません。仮に死後世界を認めたときには報償論が待ち構えると哲学及び神秘学、更には宗教的な思想家が警笛を鳴らすも、慈善事業で巨万の富を得た人間がいない以上、彼等には論外と映ります。当然に陰には彼の行動から影響を被った被害者はいます。然し彼等にとっては其の事実は理解しているも負け犬の遠吠えであり道理として受け付けません。然し乍ら、彼らも生きている人間の筈です。富で延命治療やクローン作成は可能性としてあり、事実現代は其の段階に至ろうとしています。では其のクローン技術が人間で完成されたとして其の源の本人及び複数のクローン人間が不死に成り得たのかと云えば百万人のヒトラーがいても其れ其れの人生には老いがあり絶えず不慮の死の脅威があり自己の複製では死を克服することは出来得ません。人間が個人として生きている以上は死は避けられないということは考えるのも憂鬱なのは喩え人間身体を身に纏った神の子イエス、我執を離れ世界の理を自ら顕現させたシッダールタ然りです。霊魂の不滅と救済は彼らこそが巨万の富を積んで望み止まぬものだとするのは通常の信教者や神秘学の其れ以上であるのが真相かもしれません。人間の生命の受け入れ方は多種多様であり其れに一定の目的値を与えてくれるのがスピノザの「エチカ」の倫理観です。哲学・思想ランキング
2019年05月30日
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「霊魂論」エチカ詳解211(生と死42) 人間が肉体の死を迎えると其の人間の精神を支えてきた霊魂は「非物質」の魂となって元々の素領域理論における泡の外である何も起こらない無領域乃至は無限界、極論すれば虚海に溶け思考、此れ等の論説はもはや物理科学を離れ思考の虚空へと流される危険性さえ帯びています。英国の医師であるサム・パルニア(Sam Parnia)は、魂の存在を科学的に実証することを試みます。パルニアは、天井の近くに一つの板を吊り上げ、その板の上に小さな物体を置いた。この物体が何であるかは、パルニアのみが知っている。もし亡くなった人の魂が天井まで漂い浮かび上がることができるならば、魂は物体を見ることができるという仕組みです。パルニアは、この方法で100人の患者に実験を行った。そのうちで救急蘇生で生き返った者の7人が其れ其れに、板上に置かれていた物体を正しく認識していたというのですが医学界のみならず物理科学共通の認識には至っておりません。此れが公証によって確認されれば、魂は確かに存在し、魂は肉体から離れて漂い、移動することができ、生命のもう一種の存在形式であると結論付ける事が可能です。但し、スピノザの霊魂論である神に帰一する思考とは掛け離れており、異次元であれ世界に多くの個性らしきものが残存することになり宇宙の内外における普遍的意識から鑑みれば塵芥扱いされるかも知れません。哲学・思想ランキング
2019年05月29日
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「霊魂論」エチカ詳解210(生と死41) 物理科学は臨死体験の持ち主の取材を通しての解析により、脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子、質量を持たない光子より小さい物質で出来ており、重力・空間・時間に囚われない性質を持つが故に、通常は人体の脳に納まっている筈の意識が心臓が止まると医療機器の助けがない限り脳に血液が送られず、暫時、次第に意識は脳から出て拡散する。ところが、其の経過中に体験者が蘇生した場合には意識は脳に戻り、体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける若しくは別の生命体と結び付いて生まれ変わるとする説も飛び出しています。此処に次なる問題点が生じます。人間の霊魂が宇宙組成の素粒子と同じくして宇宙に展開或いは戻るのならば、宇宙の内在的とする論の「神」存在とともに宇宙のエントロピーが待ち構えます。対して、素領域理論のアプローチでは宇宙に外在的素因を仮定しており「泡の内側は素粒子で構成される物質の世界であるのに対してあり外側は非物質で、ライプニッツのいうモナド(単一)のような絶対無限の世界があると想定すると、そこでは完全調和が基底にあり何も起こらない筈ですが、ところがぎっちょん、あるときに完全調和に「ゆらぎ」が起きたことによって「泡」が発生し、それぞれの泡の鋳型に応じた素粒子・物質が生まれる。人間が肉体の死を迎えると非物質の魂となって元の素領域即ち泡の外界である霊界に溶けていくと述べて物質界の世界とは異相の世界を示唆する論が現代では物理科学から示唆されることがあります。此の霊魂の捉え方は、スピノザの神への霊魂帰還説を、より科学的に具体化した論理ものとして捉えられ興味津々たるものがあります。哲学・思想ランキング
2019年05月28日
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「霊魂論」エチカ詳解209(生と死40) 霊魂のもつ語彙にしても有史以来の世界観では、自然哲学としての唯物論や、感性的経験では知り得ないものであり、有形の現象の世界の奥因にあり且つ究極的なものである形而上哲学。更には、時間・空間の形式を制約とする感性を介した経験によっては認識できないものに類する神秘学や宗教以外に、此のIT時代に相応しい物理科学論から人間の精神と其の意識や霊魂に踏み込んだ理論がないのかと云えば、相対性理論のアインシュタインの宇宙原理の調和論はもとより物理化学においても多くの探求がされています。例えば、量子脳理論のアプローチからは、ケンブリッジ大学の数学者ロジャー・ペンローズ(Sir Roger Penrose,/1931年8月8日 - )とアリゾナ大学のスチュワート・ハメロフ(Stuart Hameroff/1947年7月16日 - )が、意識は何らかの量子過程から生じてくると推測しています。ペンローズを主にするグループの「量子生物学理論」によれば、意識はニューロンを単位として生じてくるのではなく、微小管と呼ばれる量子過程で起こりやすい構造から生じる。この理論に対しては、現在では懐疑的に考えられていますが、生物学上の様々な現象を此の量子論を応用することで説明可能な点から少しずつ立証されていおり、現代この説を根本的に否定できた人はいないとハメロフは主張しています。科学は人間生命の精神の心底に迫ろうとしています。哲学・思想ランキング
2019年05月27日
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「霊魂論」エチカ詳解208(生と死39) 霊魂のもつ語彙には有史以前・以降の古えの大自然の常滅の定めに対する畏怖からくる宗教的芽生えによる運命観が影響します。人間の根源的な性状的世界観には、狩猟民族ではとりわけ、古の漁労や農耕にあっても絶えず死の危険を身近にすることから、人間の生命の死する肉体と霊魂は別段に分かたれ。狩猟民族の狩りでの身内の不慮の死は以降の精神上の保安の意味もあり、肉体の損傷からの死とは別に不死不生である霊的な力を与えてくれる霊力を望み、集団には呪術的な者が現れ宗教的な不滅願望を根本的思考を示唆形成します。即ち、人間の生死を支配する死と再生を司る神の登場です。此れが宗教の始まりの創生物語のルーツなのでしょう。人間とは不思議なもので自らの誕生に関しては不惑や疑惑をだかない傾向があります。対して、自己自体の死、肉体のみならず精神や自らの行動体験した記憶を滅失することには本能的だといえる程に耐刃能力に富む存在としての救済を求めるのは理の当然です。霊魂思想の芽生えは古今東西の人間社会集団では史上に消滅することはありませんでした。唯物主義の共産国家のロシア正教然り、中国道教然りです。哲学・思想ランキング
2019年05月26日
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「霊魂論」エチカ詳解207(生と死36) 霊魂のもつ語彙にしても有史以前、以降の古えの思想の世界観では、其の表層と内実は様々に捉えられ其のどれもが哲学思考における自然哲学としての唯物論や、感性的経験では知り得ないものであり、有形の現象の世界の奥因にあり且つ究極的なものである形而上哲学。更には、時間・空間の形式を制約とする感性を介した経験によっては認識できないもの人間の生に関わる実体としての肉体とは別に精神的実体として存在すると考えられるものと捉えるのを基底に、肉体から離脱したり、身体とは別ものであり其れ自体、死後も存続することが可能と考えられ、人間の体とは別に其れだけで一つの実体をもつとされる非物質的な存在であり、人間が生きている間は其の身体の体内にあって、生命や精神の原動力となっている存在であり、人格的・非物質的な存在。個人の肉体や精神をつかさどる人格的存在で、感覚による認識を超えた永遠の存在と捉えるのが形而上学的な霊魂の見解といえましょう。哲学・思想ランキング
2019年05月25日
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「霊魂論」エチカ詳解206(生と死35) 人生の歩みに敬虔であり続け真正に生きたと自らを思う者は、一旦はダイモーンが魂を裁きの場所へと連れてい冥府の裁きの場に霊体を委ねるも、善悪に応じた賞罰がで裁かれ、敬虔に生きた者は、再びダイモーンに導かれて地下の場所から解放されて自由になり、上方の世界「真の大地」に住む。とりわけ、哲学によって充分に己を浄めた人々は、以降は全く肉体から離脱した生を送り、もっと美しい住まいに到達すると締め括ります。ソクラテスは此の経緯を慮(おもんばか)れば、肉体と霊魂を帯びる自身は肉体的快楽や装飾品とは決別し、学習に関わる快楽、知恵の喜びに熱中して節制・正義・勇気・自由・真理によって魂を飾り、冥府への旅を待っている者は、上機嫌で心安らぐ安心の境地に至ると説いています。そのあと、ソクラテスは女たちに死体を洗う面倒をかけないために沐浴へ向かう時間だと言い、死出の準備を整えます。此だ彼の救出が可能であったに関わらず、事実、救出の手筈は整っていましたが、もと軍役にも就いた彼は此の時までの誰彼との問答法によっての説諭(せつゆ)を曲げてまでの命への未練はありません。「悪法も法なり」はスピノザはもとより現代人にも承認し難い課題ではあります。哲学・思想ランキング
2019年05月24日
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「霊魂論」エチカ詳解205(生と死34) プラトンの思考が混在しているようにもとれるソクラテスらしからぬ発言、ダイモーンに連れ去られていく場所へと魂が到達すると、其処には「裁きの場」が待ち構える。通常一般の域を逸脱した行為を犯したことがない人間は善悪に応じた賞罰の居場所を得る。神殿泥棒と目される神殿内の泥棒行為なかでも神殿祭祀に関する悪業を行いし者は、死を超えた後に業火に焼き尽くされるのであればまだしも、決して脱出することが出来得ない、消滅が目されない世界、燃え盛る炎(ピュリフレゲトーン)に焼き尽くされることがあればまだしも、ギリシア神話に登場する神タルタロス(Tartaros)の支配世界であり、かつ奈落そのものである極悪の重罪人が落とされるという底なしの奈落(ならく)。其のいちばん下の部分と冥界の支配者ハデスとの距離は、大地と天の間のそれと等しいということから脱出は不可能の世界で業火に焼かれるも焼き尽くされる劫火とはなりえず滅すことをも望み得ない世界に落ち、父母に乱暴を働いたが悔い改めた者や、事情があって人殺しした者は、タルタロスに落ちるも一年を過ごすと大波によって投げ出されコキュートスに運ばれてアケローン河のほとりに至り、被害者を大声で呼び許しを請い、成功するまでタルタロスとの往復を繰り返すとしています。スピノザの倫理学は此のあたりの事情を前提に顧み構想されたたものともとれます。哲学・思想ランキング
2019年05月23日
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「霊魂論」エチカ詳解204(生と死33) 霊魂の不滅を説くならば、当然の如く死後の魂の行く末が解明されることは必定です。ソクラテスは、魂が不死であるならば、生前だけではなく未来永劫のために魂の世話をしなくてはならないし、魂が冥府に赴くにあたって持っていけるものは「自身の教養と養った性格」だけであり、魂にとっては出来得るだけの善く賢くなるしか自己救済の方法はないと述べ、言い伝えとしてある死後の話を説きます。彼の言に従えば、各々の人間が死ねば各人間に割り当てられた、ソクラテスの定義するところの思考する頭の中に聞こえる謎の声をダイモーン(神霊)=daemon(守護神)とはギリシャ神話に登場し、神々が煩わされたくないと考えた雑事を処理した存在、 即ち、神の声のような神秘的な神の連枝が魂を裁きの場所へと連れていき、魂は裁きを受けてから冥府へと赴き、一定期間賞罰を受けながら過ごし、再びダイモーンがこの世へ連れ戻すという周期を繰り返していると説きます。冥府への道は分岐・三叉路がたくさんあり、端正な賢い魂はダイモーンの導きに素直に従うが、肉体に執着した魂は長い間肉体と目に見える世界の周りを興奮して彷徨き、反抗し、痛い目に遭ってようやくダイモーンに連れ去られていく。魂が集まっているところに到着すると、罪を犯した不浄な魂は皆に避けられつつ其れに相応しい場所に連れていかれるまでそこで彷徨い、清浄・端正な魂は神々に連れられて其れに相応しい場所に位置するとします。哲学・思想ランキング
2019年05月22日
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「霊魂論」エチカ詳解203(生と死32) ソクラテスはケベスとの問答を通して身体の内に何が生じれば「生」を齎すか、もちろん此の問うているのは、「生」を自然・生命・物理科学が扱う有機生命、ヴィールス(ウィルス/Virus))の半ば生命体とされるものを問うてはおらず、仏教哲学の生あるものにはすべからく魂あり」とは意を異にして、{理性ある生命}を持つとしての人間の生を問うことに限ることには注意が肝要です。ソクラテスが「生」の反対は何かについての答えはは死であり、ソクラテスの問答のプラトンの解釈論ではソクラテスが「魂」は「生」を属性とし下位にあり、それ故を以って「不死」の性質も帯びているのであり、「魂が不死」であることは証明されたと指摘します。霊魂学的には「魂は不死であり不滅」であることを前提とした上で「魂」に「死」が迫る時は、「不滅」である「魂」は滅びず、ただ退却する(去る)のみであり、冥府において存在することになると結論付け反論を封じます。スピノザの神「絶対存在における意思・意識」への回帰を彷彿とさせます。哲学・思想ランキング
2019年05月21日
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「霊魂論」エチカ詳解202(生と死31) ソクラテスの言の中でも、とりわけ、「霊魂論」の見地から気を惹かれるのが「カタルシス(浄化)」無しには冥府に至れないとしていることです。此のことは東西南北・森羅万象の思想の世界観であり基底と成っています。人間の行動とはとかく間違いを犯すことは哲学・宗教・科学に共通した定理であり、其れ故の人間の成長が見込まれているのです。神の子たるナザレのイエスも幾度(いくたび)もの疑問と誤りを父たる神に問い、偏在する仏となる釈迦国の世継ぎシッダルタも産まれながらに発した「天上天下唯我独尊」はアニメチックであり実情は過去を悔いたことから自らを浄化し霊魂を仏に高めたものであり、アインシュタインの宇宙の理の「神の美」の発言も人間の独断的な道理での行為を以って世界を汚染するなとの人間精神心理の奥底に浄化を求めんとしたものです。「浄化」は人間の霊魂にあっては、あなたが霊魂不滅を望む上では哲学・宗教・科学に共通して必定とされるものであり、生前非業の行いに対して何ものの浄化をしないで死に逝くことは、生前行為と持ち前の霊魂とが比較考量され、劫火で焼き尽くされれれば霊魂は消滅します。これが霊魂が世界に比価級数的に増えない理由とするのが「霊魂論」です。スピノザ哲学のように霊魂が神に帰趨するなら霊魂は一となり話は簡単になりますが、さてさて、貴女・貴方は「霊魂」をお持ちですか?。哲学・思想ランキング
2019年05月20日
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「霊魂論」エチカ詳解201(生と死30) ソクラテスが「真正の哲学者は死ぬ練習をしているのであり、死を恐れないし、もし死ぬ際に怒り嘆く者がいればそれは哲学者ではなく、肉体を愛する者であったことの証(あかし)である」とは即ち解き明かせば知を愛するより、肉の欲求に従う人間に成り下がる人間はを指しています。「快楽・苦痛・恐怖といった肉体的情念を尺度にして徳を捉えるのではなく、知恵を基準にしてはじめて勇気・節制・正義などの真実の徳が生じるのであり、それもある種の「カタルシス(catharsis/浄化)」であり、知恵はその浄化を遂行するある種の秘儀である」「大昔から浄めの秘儀を成就してから冥府に至る者は神々と共に住むと言われているし、自分の考えではそれは正しく哲学した人々のことであり、自分もその仲間に加わろうとあらゆる努力をしてきた」のであり、以上が死を前にしても苦しみも嘆きもせず、冥府に対して希望を持っている理由だと述べます。哲学・思想ランキング
2019年05月19日
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「霊魂論」エチカ詳解200(生と死29) 文字通り戦いの場が稲作国家の泥沼があり、戦況も泥沼化したベトナムでは「VC」所謂ベトコンは米兵にも見分けが付かず、其の巧みな人間を死に急がせる糞尿を塗り壊疽を起こさせる竹槍の仕掛けや拷問は恐怖の的であり、此の戦いに現地戦闘、殆どは、尉官階級ではなく曹兵階級はアメリカ本土では希少な実戦経験者として士官候補生を教練します。其の実例として記載されているものに「これからベトナムに行く諸君は、神を求めるようになるだろう。どのような神を諸君が選ぼうがといっこう構わない。諸君の神は仏陀、キリスト、アラーあるいは戦いの女神アテナイかも知れない。諸君の神は自ら望むのであれば似非合理主義者のセックス或いは金であってもよい。とにかく諸君には神が必要となるであろう。仮にもし諸君が神を持っていなければ補給係のところを尋ねなさい。彼がそれを支給してくれるであろう。」と記載されているものとの出会いがあります。其処では日常生活の正義論や倫理観は崩壊し敵対するもの何れにも「地獄」のみが見渡せ、自己の生存に徹底せよとの意味合いがあるようです。自分の身に抱いた「真」としてのものに目覚めなければ地獄は嵩にかかって来ます。信教・哲学・神秘学・懐疑学等々、何であれ、霊魂を見失えば口を開けて待つのは「混沌(Chaotic World)」と「恐怖」と「狂気」でしょう。哲学・思想ランキング
2019年05月18日
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「霊魂論」エチカ詳解199(生と死28) 青春時代から社会人になるときには、世のおとなと看做される先人から薫陶を受けること儘(ママ)あります。特に軍役が法律上義務付けられている場合には必ずです。軍務とは具体的には人間の生死を司ることを生業(なりわい)とするものであり、敵対するものがあれば当然に双方ともに自ら意図しない危険に晒されることとなります。アメリカとソビエトの冷戦時代、仮に核の均衡がなければ戦略上、核爆弾を用いたかもしれないベトナム紛争を宣戦布告なき内戦介入の通常戦争にしたのは皮肉にも其の核のバランスが齎したものなのです。自由を守るのは当面の旗印であり、実際は産軍共同体の予算獲得のロビー活動の結果と憶測されていますが、ベトナム半島に自ら派遣されることを申し出た志願兵は兎も角も、徴兵され戦死・傷病した人間の霊魂が其れでは浮かばれないでしょう。此の新兵がベトナムの軍務に旅立つとき、ベトナムの戦闘経験豊富な教官、戦闘の生死の別れ目の実体験者、あらかた軍曹階級ですが、彼はこれから派遣される兵卒に告げます。国権の期待するのは国家に殉職するのは名誉だと期待するが、人間互いに見合っての戦いはルール無しだ。ベトナムでは何れかが死ぬことは理の当然であり、自らに言い聞かせることを刻印します。哲学・思想ランキング
2019年05月17日
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「霊魂論」エチカ詳解198(生と死27) 人は生れ落ちる瞬間から、胎盤(placenta)即ち、胎生動物、なかでも人間において,胚および胎児の組織と母体、理論上では父体でも可、ハリウッド映画にも取り上げられいっとき話題となりましたが、其の母体の組織とが緊密に接着し,両者の間に物質の交換や細胞レベルの相互作用等々,生理的に重要な相互関係が生じてい真胎生の安楽から分娩に至り、臍の緒を断ち切られ、生命の安楽から絶望を纏い、叫び声を上げます。赤子の産声は絶望の叫びなのです。それ故の現代医学の胎盤過程での胎児の環境教育にも関心が集まります。たとえ、釈迦やキリストたる小王国である釈迦国の王位継承者シッダールタやナザレのダビデの第五世代の血筋ヨセフの子イエスにしても生物生理学反応は同様だと捉えます。何方の記述にも産声をあげなかったとは記録されていないからです。人間は胎盤内の世界は胎水に満たされた豊潤の海でした。産科医のカットは地獄への切符の鋏入れです。分娩の叫びは恐怖の叫びです。嬰児から赤子更には幼児、恐らくは想像するに、死に恐怖を感ずる年齢、進んで思春期、薔薇色か黒褐色かの内世界が待ち構えます。此れ等の過程を運良く経て社会に旅立つときに人間は自らの深奥の精神に語りかけます。「生と死」其れに纏(まつ)わる霊魂の囁きにです。哲学・思想ランキング
2019年05月16日
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「霊魂論」エチカ詳解197(生と死26) 貴方がキリスト教の友人或いは神父に知り合いを持っておられるならば「Aura]について問う機会があれば幸いです。其の時に何ら教会が人間のオーラ現象を否定しないこいうことに驚かされるでしょう。オーラ恐らく此れはオーロラに語源を持つのでしょうが、人間身体の周囲の自ら発する輝きであることは、赤外線の熱光源ではなくして、何某らの神秘体験を体験した者の発する光輝であることを推定させます。然し乍ら、信教である正教会は教会の天使や聖人の円状の光背の輝きを「厳密な語彙でのハロー」頭蓋の周りをゴールド・黄色・白の円形の輝きを規定します。その他の異なる宗教。神秘体験の光背は単なる「Aura]と固付ける筈です。聖人の光背はローマ法王の権威から出るものであり、絵画にも教皇庁の認可を受けた聖人のみが「ハロー」が許され他はすべからくあり得ないからです。此の事実が同じ唯一神の絶対神を抱く旧教・新教・イスラム教、仏教や其の他の宗教、神秘体験哲学との軋轢を齎してきたことは歪めない事実であり、現代世界の深刻な課題となります。ガリレオガリレイを後世にローマ法王が間違いを認めた如く、現代科学が形而上哲学を超える真相を究めれば、真相を法王庁が350年後に正教会の判断の成否を覆したガリレオ・ガリレイの再現が見込まれることになります。イスラム教や仏教聖者の光背はカリスマの光輝「Aura]としてキリスト教本来のキリスト・大天使・教皇認証の聖人の光背の光輝は神の手が齎しているものだという訳です。哲学・思想ランキング
2019年05月15日
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「霊魂論」エチカ詳解196(生と死25) 霊魂が輝くとは、一体全体どの様な状況を言い、どの様な状態を指すのでしょうか。人間が身体を輝かせ状況は如何なるものが齎すのでしょう。此処では物質的な面での身体肉体表面の光の反射は除外して、人間身体が暗闇の中にあっても見える状況、即ち、自ずから光を発する状況、とは云え、ホタルや海洋発光生物であるプランクトン、ホタルイカ等の発光体(Luminous body)を除いた、只唯一人間にしか見えないと思えるのですが、異論があるのは承知しますが、人間の発光に注目します。此処に後光 (ごこう) ・円光・輪光・光背等々ともいう仏身から発する光明を象徴化したもの、キリスト教のハローといわれる光輪、仏教では頭部の光明を頭光 (ずこう) 、身体部のものを身光、両方の重なったものを挙身光 (きょしんこう,こしんこう) 、二重光背などというのですが、夫々の教団の立ち位置から、キリスト教では教団の教皇が認めた聖人或いは天使の光背をハローとして差別化し、他はカリスマ的オーラとして扱います。然し乍ら、其のどれもが光背に類するものを基底に置き絵画等に描くのは何故なのでしょう。此のことは別段に「オーラ」が人間の幻視であろうと無かろうと見えていたことを裏付けています。逆に言えば現代人は其の能力が減衰したことを伺わせます。此れが現代科学が生命の発生の素因と其の死の解明に到っていない故、安易に自ら科学的合理主義者を自称するものが「力」さえあれば、産み親の愛情や家族は手に入れられる幻想を生みだす要因になるのです。哲学・思想ランキング
2019年05月14日
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「霊魂論」エチカ詳解195(生と死24) 「霊魂」というのは思考上想像され概念として示されたものであり、何ら確証すべきものはなく曖昧模糊・夢望楼然としたものであるというのは分かります。では、我々合理的だととした現代人が全くもって其れらしきものには遭遇する機会がないのかと云えば、案外本人の自覚なしに其れらしきものを体験しているものです。スポーツ競技の自分の注目選手が表情さえ見えない筈のものが克明に浮き上がって、つまり、ズームアップされて見えたり、まわりとは異相の輝きに満ちたと感覚的に映ったことはあるでしょう。此れ等が皆々、自己の意識の過剰意識が齎した認識かどうかは判断し難いものがあります。著者の聞き及んだ話に、自分の高齢の母親が身体が激痛で震え緊急手術のため入院、生死の境目は2時間と告げられた時、元に戻る場所であるはずの病床で祈ること暫し、突然、同室の患者の面会人が自分の冷たくなって震える手を握って「大丈夫々よ」と手に触れた一瞬、其の部分がピンク色に染まり輝いたというのがあります。此れだけのことで終われば其れだけの話なのですが、母親の入院中他の入院患者の方々それぞれが、その方の近付く折に片手を差し出し、やはり其の方の手にその手が触れた一瞬、其の周囲の部分がピンク色に淡く染まり、霞状に輝いたといいます。医師・看護師等病院関係者が暁のナイチンゲールと呼称していたのを知ったのは、自分の母親の退院の以降のことだったそうです。仮に、これ等事実を否定する実証を挙げろと強制されれば譫妄状態にあったと答えるそうです。哲学・思想ランキング
2019年05月13日
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「霊魂論」エチカ詳解194(生と死23) 現代人が死を受け入れ難く想うのは死生観の根源的な解釈のための概念の欠如が齎す現象だとも云えます。現代精神科学にあっては、霊魂を肯定的に捉えることが、生き甲斐や健康といったものと深く結び付き関係のあることが、様々な学者の研究によって明らかにされています。人間身体及び精神にバランスを齎す何程かの力を有する根源的な、人間が生きていく上での共生する「精」、肉体を司どる陰の精気で、死後も地上にとどまるとされる「魄(はく)」と精神を司る精気である「魂(こん)」、依って、「霊魂」という言葉は「霊」と「魂魄(こんぱく)」両方を含む概念を指すために用いられています。但し、通常一般的には、個人の肉体および精神活動を司る人格的な実在で、五感的感覚による認識を超えた永遠不滅の存在を意味しています。更には、人間どころだけではなく、宗教がらみや神秘学に至れば、動物や植物、鉱物、果ては惑星や恒星にまで拡大して用いられることがあるのは、宗教資料や神秘学著作物を読むときには心して置かなければなりません。何故なら、此れをこ馬鹿にすれば読解するどころか読むこと能わず状態になること必定だからです。哲学・思想ランキング
2019年05月12日
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「霊魂論」エチカ詳解193(生と死22) 霊魂の語彙及び学術的解釈は、其の概念はきわめて包括的であり、且つ流動的なものです。然し乍ら、人間が歴史を印すことを知って以来絶えず繰り返される思考・宗教・学窓では、其の存在は勿論、其の実在の真否が必ず課題には挙がります。「霊魂」は北アフリカはナイル川河畔に栄えた古代エジプト文明の時代から、人が死ぬと肉体から離れるが、肉体に再び戻って来るという考えとして生前に神として崇められた王、故人のミイラ化が展開します。インダス・ガンジス川に挟まれたインド大陸では古史インド文明以来、霊魂が幾度もこの世に生まれ変わるという考え方が一般的である「転生輪廻」の思想は霊魂は何度もこの世に生まれ変わるという考え方が一般的であり、「あの世」としての霊界へ行ったり、「この世」としての生者の世界である現世に影響を及ぼしたりすると考える文化・思想も含有させています。更なることには人間だけではなく、生命あるもの全般、動物や植物に至るも宿ると考えられたり、鉱物にも霊魂が宿るとされることもあるのは、和文化の「生命石」同様です。霊魂を心と同一視し、「心は霊体、魂は神魂」とする、霊魂と心を同一視しない考え方もあります。また、宗教実践上の観点から,さまざまな世界のものごとについての判断は無用、乃至、其のような判断を停止したほうが心の平安が得られるとするサンジャヤ・ベーラッティプッタが来世に関する問いへの確答を避け、不可知論の立場をとった言も見られますが、此の事自体は來世・来生を否定している訳ではなく心の平安の実践に不要だとするところに真意があります。哲学・思想ランキング
2019年05月11日
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sasugani腰を競うダンス、歳を重ねればが不安です。
2019年05月10日
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「霊魂論」エチカ詳解192(生と死21) 時代や文化圏において、「霊魂」の観念はきわめて包括的かつ流動的なものであるのですが、人間を生かし精神的な働きを司る原理として想定されますが、動植物をはじめとする全存在に潜む「霊魂」は近代以降の実証科学では否定される傾向にあります。然し乍ら、多くの宗教体系が、独立した実体としての霊魂の存在を認めており、その教えの基本としています。また科学者の一部にも、その存在を実証しようとする試みがあることも事実です。上記の如く霊魂の観念はきわめて包括的かつ流動的なものですが、一般に次の二つに分化する傾向があります。一つは、生命体を維持し、動かす原理としての霊魂の考え方であり、「生命霊」と称することができる。これは無個性、非個別的なものであり、人間においてはとくに息や血、影などに結び付けられているもの(ヘブライ語/rua、サンスクリット語/tman、ギリシア語/psyche、ラテン語/anima,やspiritus)等々、霊魂を表す語が「風」や「息」を語源としていることから見れば個体主から解放されたものとの考え方が背景にあるでしょう。東アジアの「気」の観念はそれに近いかも知れません。日本での鍼治療などで使用される「つぼ」は多くは「氣功(Qigong)」を意味し宗教観がありませんが、法輪功(ファールンゴン、ほうりんこう、ピンイン)は中国の伝統的な健康法である気功を、李洪志が1990年ごろに仏教や道教の教えを取り入れ独自に系統化した気功法、及びその団体である[1]。宗教的な側面も持ち合せている[1]。1999年6月より江沢民政権下の中華人民共和国は、法輪功を邪教(危険なカルト宗教)と指定し禁止しており、法輪功の会員はそれを不当な弾圧であると国内外で抗議活動をしていることは御存知の通りです。哲学・思想ランキング
2019年05月09日
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「霊魂論」エチカ詳解191(生と死20) 第二は「霊魂」とひとつに括られた熟語の語彙です。「霊魂」という表現は「霊」と「魂」という言葉の組み合わせであり、両方を合わせた微妙な指し回し表現です。通常は、個人の肉体及び精神活動を司る人格的な実在の一で、五感的感覚による認識を超えた世界がある限りの永遠不滅の存在を意味しているとされますが、宗教や文化圏ごとに様々な理解の仕方がありま様々です。哲学的には「霊魂」は人間身体とは別に実体として存在すると考えられているもので、人間の生命や精神の源とされ非肉体的、人格的な存在とされるとすることが一般です。「霊魂」という表現は、「霊」という言葉と「魂」という言葉が組み合わされていることからのい意味合いです。「霊」(れい、たま)は、すぐれて神妙なもの、神や心、命等々など、多様な意味を持っていますが、 更には、そこに何か在ると五感を超越した感覚である第六感で感じられるが、物質的な実体としては捉えられない現象や存在を指すこともあります。一厳密にいえば「魂(こん)」の方は、精神を司る精気を指し、肉体を司る「魄」と対比されている場合があり注意を要します。「霊」は精霊や生き霊や幽霊が如く其の実相を保ったことから表現されるもの、「魂」は宿主から解放されたときには形態が異相となって表現されるように転生体の相を帯びて表現されることから「霊」より転生が強調されたものとなります。哲学・思想ランキング
2019年05月08日
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「霊魂論」エチカ詳解190(生と死19) 此処まで「霊魂論」を語るに、比較的安易に霊魂や霊魂転生(れいこんてんしょう)使ってきましたが、霊と魂。霊魂、輪廻転生・霊魂転生は各々其の意味するところ思想史上で多少なりとも異なります。此に至って其々の語彙を提起吟味することは「霊魂論」を著す上では重要かつ主要な命題になります。此れが右往左往にメトロノーム状に振(ぶ)れてるようでは霊魂の存否の解明其のものが破綻するからです。その先ず第一は「霊」と「魂」の意味合いが気になります。「霊」とは目に見えない超自然的存在を生命の原理とするもの、一般的に人間に限らず動植物にも剣山や大滝の「霊」が宿るとするのが定常の意味合いでしょう。但し、単細胞生物やあまりにも些少なものには一部の例外パワーストーン等を除き無機物全てには適用されませんが、釈尊の教えを忠実に再現する上座仏教の一部には霊や魂を区別せず霊性を認めるものがあります。片やの「魂」の意味合いは、社会一般の通常の理解での使用のされ方を深読みすれば、「魂が抜けてる」や「魂を込めろ」のように精神の根底の強弱に使用されるぶん、意志的な部分が多少は多く意味合いに含まれるかも知れません。例えば「霊を磨け」とは言いませんが「魂を磨け」は成り立つわけです。「霊魂論」から見れば「霊」は備わり不変の何ものかであり、「魂」は其の「宿主」により成長或いは低減破損する可能性を秘めているのだとも捉えられます。和的思考として人間的な側面から語られるのは霊は魂と成って成仏の段階に至らない未練だと捉えられています。哲学・思想ランキング
2019年05月07日
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「霊魂論」エチカ詳解189(生と死18) まさに死に臨んでいる知を愛するソクラテスが言います。「真正の哲学者は死ぬ練習をしているのであり、死を恐れないし、もし仮に死ぬ際に怒り嘆く者がいればそれは哲学者ではなく、肉体を愛する者であったことの証拠である」「快楽・苦痛・恐怖といった肉体的情念を尺度にして徳を捉えるのではなく、知恵を基準にしてはじめて勇気・節制・正義などの真実の徳が生じるのであり、それもある種の「カタルシス(浄化)」魂の浄化であり、知恵はその浄化を遂行するある種の秘儀である」「大昔から浄めの秘儀を成就してから冥府に至る者は神々と共に住むと言われているし、自分の考えではそれは正しく哲学した人々のことであり、自分もその仲間に加わろうとあらゆる努力をしてきた」のであり、以上が死を前にしても苦しみも嘆きもせず、冥府に対して希望を持っている理由だと述べ聞かせます。凡人は通常生きることに貪欲に自らの知恵を絞り出して日々を送っています。此れでは死を目前にしたときには狼狽するしかありません。人間は精子の胎盤での着床以前から「死」を「生」に共用させています。死は人間が嫌おうと最高の友であり敵なのです。哲学・思想ランキング
2019年05月06日
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「霊魂論」エチカ詳解188(生と死17) ソクラテスが「人間の死が魂の肉体からの分離」であるということにシミアスは同意します。其の死人同然の生き方をしている哲学者を「哲学者は飲食・豪華衣類・装飾品を追求せず、魂に関心を持ち、できるだけ魂を肉体の交わりから解放する者であり、それゆえに多くの人々に肉体的快楽を味わわない死人同然の者だとみなされている」「知恵の探求・獲得において、頼りになるのは思考のみであり、肉体の諸感覚は役に立たないどころか邪魔になるので、哲学者の魂は肉体を最高度に侮蔑し、そこから逃亡し、自分自身だけになろうと努力する」「正義・美・善や物事の本質、真実在は、不純で邪魔な肉体的感覚を排除して、純粋な思惟のみで追求されるべきものである」と指摘、此れにもシミアスは同意。続けて、真正の哲学者は「生きている間は知恵を獲得できないし、生きている間はできるだけ肉体と交わらずその本性に汚染されずに、清浄な状態のまま神が我々を解放する時を待つ」ことを考えるし、そうした「魂を肉体からできるだけ切り離し、魂を自分自身として凝集し単独で生きるように習慣づけること」こそが「カタルシス(catharsis))」であるとところの浄化だと指摘することにもシミアスは同意そます。此の段は我執が肉体の欲するところからの欲望に起因するものであり、肉我を離れたところに真実が見えるとしたシッダルタの修養を彷彿させています。哲学・思想ランキング
2019年05月05日
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「霊魂論」エチカ詳解187(生と死16) ソクラテス自身が思想上自殺を強く否定するのは「人間にとって死ぬことは生きることよりも”例外なく無条件に善い”ことだが、それを自ら成すのは不敬虔であり、他者がそれを成してくれるのを待たねばならない」と言います。其の言いぐさに呆れて笑う愛弟子ケベスに対して、ソクラテスは「<神々>は我々を配慮する<者>、プラトンやアリストテレスの神概念との相違が見られるものです、続けて言います。我々は<神々>の所有物の1つなのだから、その所有物が自分自身を殺せば、神々は腹を立て、処罰を加えようとする」と説きます。ケベスはその「自殺禁止」の其の部分てきな解き明かしについては同意しつつも、「その我々を配慮する最善の監督者である神の元(現世世界)を、最も思慮ある知恵を愛する者である哲学者が喜んで去る)という先の主張はおかしい」と指摘しています。ソクラテスに批判的なシミアスもそれには賛同します。その理由は自分が「冥府にはこの世を支配する神々とは別の賢くて善い神々と、この世の人々より優れた死んだ人々がいる。そして善い人々は善い何かが待っている」という希望を持っているからだと自論を述べ。シミアスはそれを詳しく教えてほしいと言う。其の問いに、ソクラテスは、先ず「本当に哲学を行っている者は、ただ々只管に死ぬこと、死んだ状態にあること以外の何ごとも実践しないし、全人生をかけて死以外の何ごとも望んで来なかったのだから、死を前に憤慨するのはおかしい」と言います。シミアスは笑いながら、「哲学者が死人同然の生き方をしていることは誰もが認めるところ」だと我が意を得たりと同意します。しかしソクラテスは、ところが、哲学者たちは自分たちが死人同然の生き方をしている意味を解っていないと言う。哲学・思想ランキング
2019年05月04日
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「霊魂論」エチカ詳解186(生と死15) ソクラテスとケベス、尊敬を顔に描いたようなケベスとの問答に、暫しの黙考が続く中、シミアスとケベスが二人だけで声をひそめて話しているのを見てソクラテスは疑問があるなら尻込みせず言ってほしいと二人に声をかけます。話していた二人の一方のシミアスは我々二人は夫々に疑問を持っており、其の問に答えてもらいたいと望んでいるが、此の災いとしての不幸、即ちソクラテスの死刑当日のさなかにおいてはそれは不愉快であり迷惑になりはしないか躊躇っていたと答えます。驚くべきことには「知を愛す其の者の人である哲人」は笑いながら、アポロンの召使いである白鳥が死を前にして神の身元へ行けると歌い喜ぶように、自分も暗い気持ちでいるわけではない。其れ故何でも問うてほしいと言います。此のことから導き出されるのはソクラテスの毒人参の杯を自ら仰いだのは、中世日本武士道に見られる自殺ではなく割腹に似た尊厳死だということです。実際に罪ある者として尊厳さえ認めないならば斬首が相当であったでしょう。同様に当時のギリシァに於いても同様であったと想うのが妥当でしょう。ソクラテス自身が思想上自殺を強く否定しているからです。哲学・思想ランキング
2019年05月03日
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「霊魂論」エチカ詳解185(生と死14) プラトンは「バイロン」にて更にソクラテスの口を借りて語ります。以降、問う者はソクラテス{S」であり、答弁するのは{K}ケベスとして略す。「S:身体のうちに何が生ずると、それは生きたものになるのだろうか。K:魂が生ずると。S:すると、魂は、なんであれなにかを占拠すると、そのものに常に生をものとしてやってくるのだね。K:たしかに、そうです。S:それなら魂は、自分が常に齎したもの「生」とは反対のもの「死」を、決して受け入れないのではないか。K:まったく、そうです。S:よかろう。では死を受け入れないものを、われわれは何と呼ぶかね。K:不死なるものと呼びます。S:魂は死を受け入れないのではないか。K:死を受け入れません。S:それなら魂は不死なるものだ。K:不死なるものです。」西洋思想・中央アジア・インド大陸・東アジア、旧南北アメリカ大陸・旧オーストラリアや極東アジアの万系一世を誇る一島国を問わず霊魂転生は人間思考に深く根付いています。哲学・思想ランキング
2019年05月02日
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「霊魂論」エチカ詳解184(生と死13) 東洋と西洋の世界、海洋国家や大陸国家を問わず運命論の歴史を紐解くのに近代思想がギリシァ哲学に立ち戻るのは「覚り・悟り・天声や神憑き及び神秘体験」を紐解くのに理論肌の多くの人間が求める思考方法が、プラトンを中心として定型化された範型を基軸として示されており、西洋思想の東洋の思想の基本的な共通項だからです。其のこと故に其の思考の基底を外れたニーチェは虚無主義者として批判されていますが如何なものでしょう。プラトン主義やキリスト教というヨーロッパ的理想主義こそがニーチェには根拠のない虚無主義と映ったに違いないからです。主人公ツァラトゥストラ(Zarathustra)の名称は,古代ペルシアのゾロアスター教の予言者ゾロアスターのドイツ語での慣用発音ですが、ツァラトゥストラは人間関係の軋轢に怯え、生活の安寧、平安・快適・安楽という幸福を求める現代の一般大衆を「畜群」と罵しり、その上でもって、永劫回帰の無意味な人生の中で自らの確立した意思でもって行動する「超人」であるべきと説いたのは、まさに、著者にはシッダルタが人知を超えた「超人」としてツァラトゥストラと捉えられるのではないのかとの疑問を引き起こがせます。哲学・思想ランキング
2019年05月01日
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